―――パタンッ
小気味の良い音を鳴らしながら、ルーミアはそっと、読んでいた本を閉じた。
しかしその顔は、読み終えてもなお要領を得ないといったような感じで不思議そうに首をかしげていた。
本を手にしながら、テーブルにてこれまた読書に耽っている金色の髪の少女に向かって声をかける。
「ねえ魔理沙ぁー」
「んー?」
背後から声をかけられ、魔理沙は読んでいた本から目を離し、首だけ後ろに向けた。
ルーミアが困った顔をしながら本の表紙を見せつけてきていた。
「この本のお話知ってる?」
「ああ『織姫と彦星』か。懐かしいなー、小さいころよく読んだよ。で、どこか読めない字でもあったのか?」
文字の読み書きの練習を兼ねて、ルーミアは本を読んでいた。魔理沙は先生役だ。
主に子ども向けの本(多種多様な本が揃っている紅魔の図書館より拝借)をルーミアが読んで、分からない文字は魔理沙が教える、というスタイルである。
最初こそ魔理沙が付きっきりで読み習わせないと難しいくらいであったが、継続は力なりで、今では子ども向けの本ならルーミア一人でも大体は読めるようになった。
今回もその相談かなと魔理沙は思ったのだが、どうやら違うらしい。
ルーミアはふるふると首を横に振っていた。
「このお話って、天の川で織姫と彦星が会えなくなったんだよね?」
「ああそうだな。それで一年に一回だけ会う事を許されたわけだ」
ちゃんと話の内容だって理解できているじゃないかと思う魔理沙。一体何が分からないのだろうか。
しかし一向に納得いかなそうな顔をするルーミアは、魔理沙の想像もしないような疑問を呈した。
「何で織姫も彦星も空を飛ばないの? 空を飛べば川くらい越えられるのに」
「……えっ?」
思いもよらぬルーミアの質問に、魔理沙は思わず言葉を詰まらせた。
なるほど生まれた頃から空を飛ぶ事が普通であっただろうルーミアにとって、空を飛ばない織姫と彦星は大層奇妙に見えたのだろう。
首をかしげるルーミアに、魔理沙はきちんと体を向き直して、ぽんぽんとその頭を撫でた。
「実は織姫も彦星も空を飛べないんだ。だから橋が無いと困るのさ」
「天に住んでるくせに空を飛べないの?」
「うぐっ……まあ、天に住んでる奴にも色々いるのさ。不良天人とか」
「そーなのかー」
無論、織姫と彦星が空を飛べないかどうかなんて魔理沙自身よく知らない。
というより、不良天人だって空は飛ぶ。飛べないのは織姫と彦星の話を考えた人間だろう。
空を飛べない人間が考えた話だから、織姫も彦星も空を飛べなくても大丈夫なのだ。それが空を飛ぶ人間や妖怪からしてみたら、変な話になってしまうのだろう。
ともあれ、少し誤魔化しをいれながらもルーミアの疑問には答えた。とりあえず納得してくれただろうと魔理沙がルーミアの顔を見ると、今度は何故だか嬉しそうな顔をしていた。
「わたしは空を飛べるから、いつでも魔理沙と会えるね!」
「わわっ!?」
眩しい笑顔でそう言いながら抱きついて来たルーミアを魔理沙は少したじろぎながら受け止めて、そして顔を赤くした。
この妹分は、毎度毎度溢れんばかりの笑顔でずいぶんと可愛らしい事を言ってくれるものだ。
照れ笑いをしながらルーミアを撫でていた魔理沙は、ここでふとある事を思い出した。
「そうだルーミア、ちょっとついてこい」
「なーにー?」
魔理沙は立ち上がり、倉庫に向かって歩き出した。
ルーミアが後ろからついて行くと、しばらく倉庫をあさっていた魔理沙は緑色の植物を取り出した。
「じゃーん!」
「何それ? 食べるの?」
魔理沙が誇らしげに取り出したそれは、どうやらルーミアの目には食べ物としてしか映らなかったらしい。
苦笑いをしつつ魔理沙は手にしたそれが何なのかを説明し始めた。
「まあ保存の魔法をかけておいたんだが、これは笹っていってな、七夕の日に飾るんだ。それで短冊っていう小さな紙に願い事を書いてこれに括りつけるんだよ」
「へーそーなのかー」
分かっているのか分かっていないのかよく分からない返事だったが、見た方が早いか、と魔理沙は実演してみる事にした。
笹を脇に置き、色紙を短冊状に切り、そこにペンですらすらと何かを書き込む。
そして書き込んだ短冊を、ルーミアにビシッと見せつけた。
『強くて綺麗な魔法を完成させる!』
「こんな感じに、自分の願い事を書くんだ」
「おー!」
「ほれ、やってみな」
感嘆の表情を浮かべるルーミアに、魔理沙は短冊とペンを手渡した。
一体どんな願い事を書くのだろうかと内心わくわくしていたが、しかしルーミアの筆は捗らなかった。
「うぅ…何書けばいいか分かんない……」
「何書けばって、何でもいいんだぞ。やりたい事とか、欲しいものとか」
「うーん、欲しいもの…やりたい事……」
魔理沙がアドバイスするも、ルーミアは何も思いつかなかった。
元来呑気な性格が祟ってか、いざ何が欲しいか、何がしたいかと聞かれても、魔理沙のように大きな目標が出てこない。
悩むルーミアに、魔理沙は優しく声をかける。
「夜まで時間はあるし、ゆっくり考えればいいさ。そんなに難しく悩まなくてもいいんだぜ?」
「そーなのかー。……ちょっと散歩してくる」
「おう、気をつけてな」
魔理沙の言葉に、ルーミアは少し元気無さ気に手を振って外へ出た。
手には魔理沙から貰った短冊を、まだ白紙のまま持っていた。
「あらルーミアじゃない。いらっしゃい」
魔法の森にあるもう一人の魔法使いの家を訪ねると、家主は庭で何かの作業をしていた。
見るに、どうやら人形の作動テストを行っているようだ。
ルーミアは家主の目の前にストンと着地し、ペコリと頭を下げた。
「こんにちはアリス」
「はい、こんにちは」
「ペコリッ」
アリスの言葉に合わせるように、横に居た人形が丁寧にお辞儀をする。
その様子にルーミアは目を輝かせた。
「ふふっ、相変わらず動くお人形がお気に入りのようね」
「うん!」
ルーミアは魔理沙の家に住んでいる。同じ魔法の森に住むアリスの家にも度々訪れていた。
訪れるたびに、アリスの作った人形たちの愛らしさに目を輝かせるのである。
そしてもう一つ、ルーミアがアリスの家を訪ねる度に起きるイベントがある。
「そうだルーミア。クッキー焼いたんだけど食べる?」
「クッキー! 食べる!」
アリスはよくルーミアにお菓子をご馳走してくれるのである。
それもひとえに、ルーミアの輝く笑顔を見たいというアリスの欲望であったりする。アリスがお菓子をご馳走すると、ルーミアはそれはもう満面の笑みで頬張ってくれるのだ。
そういうわけもあってアリスはルーミアを家の中に案内し、特製クッキーと紅茶を振る舞った。
「おいしい?」
「すごくおいしい!」
ルーミアは笑顔だった。その笑顔を見ているアリスの顔も緩みっぱなしだった。
幸せここに極まれりなのだが、そんなアリスにはどうしても残念な事が一つ。
「ねぇ、別にうちに住んでもいいのよ? お菓子だって毎日作ってあげるわ」
「んー……やっぱり魔理沙の家がいい!」
「あら、そう」
正直者のルーミアにまた振られてしまったなと、アリスは内心苦笑する。
ルーミアは魔理沙に一番懐いているらしく、アリスがどれだけラブコールを送っても芳しい反応は無い。
まあ自分の態度もお菓子で釣っているようなものなので、良くないなとはアリスも思う。
それよりも、今現在アリスにはどうしても看過できない問題があった。
「さっきからどうしたのルーミア? 元気無さそうだけれど?」
「えっ……?」
ルーミアは驚いた。顔には出していなかったつもりだったのだ。
しかしアリスには通用しない。ルーミアの笑顔を見続けてきたアリスにとって、笑顔の裏の些細な陰りとて一瞬で見抜く事ができるのだ。
「何か悩み事? それとも魔理沙と何かあったの?」
「え、えーっとね……」
心配の眼差しを向けるアリスに、ルーミアは相談しようか迷っていたが、ついには決心して話す事にした。
「アリスって七夕って知ってる?」
「ええ知ってるわよ。短冊に願い事を書いて飾るのよね」
「じゃあアリスだったら何てお願い事を書く?」
「えっ? ……そうねぇ」
ルーミアの質問は唐突で、何を悩んでいるのかアリスには良く分からなかった。
しかし悩んでいるのは事実なのだから、アリスは親身になって考えた。人形を操り紙とペンを持ってこさせ、そこにすらすらと書き込ませる。
そして人形たちの動きに目を丸くしていたルーミアに、書いた内容を見せた。
『完全な自律人形の製作』
「わたしが操るんじゃなくて、自分で考え自分で行動する人形。それを作るのがわたしの願いであり、目標ね」
「そーなのかー」
アリスの見せてくれた願いであり目標。それに息を呑むと同時に、ルーミアは肩を落とした。
そんなルーミアの様子に戸惑ったのはアリス。
「えっ……えっ? ど、どうしちゃったの? わたし、何か悪い事書いた?」
「んーん、違うよ……」
困惑するアリス。ルーミアは首を横に振った。
「魔理沙に短冊貰ったんだけど、何も願い事が思いつかないの。魔理沙やアリスみたいに書けない……」
「ルーミア……」
涙が零れてしまいそうなくらい、ルーミアの瞳は悲しげだった。
本当は書きたいのだが、上手く書けない。魔理沙やアリスたちと同じようにありたいのだが、それができない。
そんなもどかしさに溺れるルーミアの頭を、アリスは柔らかく撫でてあげた。
「ねえルーミア。もし霊夢が短冊に願い事を書くとしたら何て書くと思う?」
「えっ? んーっと……」
突然のアリスの問い。考えるルーミアであるが何も思い浮かばない。
アリスはくすっと優しく笑ってから、そのまま優しく言葉を紡ぐ。
「きっとこう書くと思うわ。『静かに暮らしたい』って。霊夢は面倒くさがりだから」
「……お願いってそんなのでいいの?」
「ええいいのよ。別に大きな目標じゃなくったって、自分の気持ちを素直に書けばそれでいいの。具体的でなくっても、何でもいいのよ」
「そ、そーなのかー……じゃあわたしも書く! 一番の気持ち!」
アリスの言葉に驚き、きょとんとしていたルーミア。
すぐに、アリスが見ても裏表一切無い満面の笑顔になった。そのままの勢いで、短冊に何かを書き込んでいく。
悩みが晴れたルーミアにアリスの顔も再び綻ぶ。そしてルーミアが書いた願い事を見て、今度は顔が強張った。
「ねえルーミア。貴方のお願いって……」
「アリスのおかげで書けたよ! ありがとう!」
「え、ええ。どういたしまして……」
ルーミアがこれ以上ないほどの笑顔を見せてくれて、それは嬉しくてたまらない。
だがその笑顔で見せてくれる願い事は、アリスにとって悔しくてたまらないものだった。
結果、悲喜こもごも見え隠れする微妙な笑顔となったのだが、喜び溢れるルーミアは気付かない。
「アリスのおかげでお願い事書けたし、そろそろ帰るよ。クッキーご馳走様でした! じゃあね!」
「ええ、また来てね」
ルーミアは玄関の戸を開けて、ふわふわ飛んで行った。
その後ろ姿を見送り、やがて姿が見えなくなった頃、アリスはがくりと肩を落とした。
「はぁ…一日でもいいからルーミアと一緒に暮らして、色んな服を着せてあげたい……」
どうやらその願い事はまた遠のいてしまった。
ルーミアの笑顔が見れたからこれでいいのだと自分に言い聞かせつつも、やはり悔しくてたまらないアリスであった。
「遅いなルーミア。大丈夫かな……」
自宅の前に笹を立て、飾りをつけて魔理沙はルーミアの帰りを待っていた。
日は落ち、辺りはすっかり暗くなっている。そして空には満天の星。天の川もよく見えた。
「ルーミアなら大丈夫だと思うんだけどな……」
宵闇の妖怪ルーミア。
夜の妖怪なのだから、今の時間帯こそルーミアの時間のはずなのだが、それでも魔理沙は心配だった。
出かける際のルーミアの背中は弱々しかった。引き止めようかとも思ったが、無理に引き止めて余計気を使わせるのもまずいかと考え、敢えて引き止めなかった。
「あーくそっ。これならあの時引き止めればよかったぜ……」
後悔先に立たずという言葉が身にしみる。
魔理沙は、大きくため息をついて空を見上げた。
そして何かに気が付いた。
「……んっ?」
満天の星空の中に、何か奇妙な点を見つけた。
天の川の星々を塗りつぶす小さな黒い点。その点は、だんだん大きくなって、否。
「うおおお!?」
その点は、魔理沙めがけて真っ直ぐに落ちてきた。
その正体はすぐに分かった。だが喫緊の問題はそれではない。
その正体は外の様子が見えないはずだ。ならばこのままいけば大変な事になる。
「と、止まれ! このままじゃ地面にぶつかるぞ!!」
見る見る近付いてくる黒い球体に向かって、魔理沙は声を張り上げた。
何とか受け止めようと、両手を広げて予測落下地点に入り込む。
「おいルーミ……!?」
「ばぁ!!」
ボフッと、魔理沙の予想に比べて随分と軽い音。そして少し重たい衝撃。
何が起きたのかと言えば、黒い球体は地面にだいぶん近付いた所で雲散霧消。中から飛び出た女の子が魔理沙に勢いよく飛びついたのだ。
「こらルーミア。こっちは冷や冷やしたんだぞ」
「えへへーごめんなさい。でも大丈夫だよ。どれくらいで地面かは予想してたし、魔理沙の声が聞こえたから」
「まったく……」
胸元に顔をうずめてくるルーミアに、魔理沙は少しきつめの声をかける。このままでは地面に激突してしまうと、本気で慌てていたのだ。
しかしホッともしていた。無邪気に抱きついてくるルーミア。すっかり元気を取り戻したようだ。
「その様子だと、願い事は思いついたみたいだな?」
「うん!」
魔理沙に聞かれ、ルーミアはポケットから短冊を取り出す。
そして堂々と、魔理沙に披露した。
「ばぁ~ん!」
「どれどれ……えぇ!?」
短冊に書かれた、少し線が歪んだ、それでいて力強い筆跡の文字。
平仮名のみで書かれたそれは、魔理沙の顔を赤らめるに十分の破壊力をもっていた。
「どれだけ天の川が流れてもさっきみたいに魔理沙のとこまで飛んで来るよ! だってわたしは星を塗りつぶす闇の妖怪だもん!」
「……いいから笹に飾るぜ」
「はぁ~い!」
笑顔と照れ顔の、大小二つの影が笹に短冊を括りつける。
星と月の明かりに照らされた短冊には、枠をはみ出さんばかりに大きくこう書かれていた。
『まりさといっしょになかよくくらす!』
アリスは悔しがるくらいだったら魔理沙やルーミアと一緒に仲良く暮らせばイイジャナイ
とても和やかなルーマリでした。