――――紅い霧が幻想郷を包んだ、あの異変の話。
――――繰り返される、フランドールの記憶の話。
――――エンドレスナイト。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。すぐに壊してしまうので、置かせてもらえない。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
この人工の淡い光が、フランドールは自身の心をも照らしてくれるようで、好ましく思っていた。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様。御朝食をお持ちいたしました」
どうやら今は夜らしい。もっとも、時間を知る必要など全く無いが、運ばれてきたメニューを予想するくらいの楽しみはできる。
自分の好物の朝食メニューを思い描きながら、いそいそとベッドから起き上がり席につくと、机の上には、ブラッドトーストと、人間の血肉を肥料に育てた野菜のサラダが並べられた。
サラダに人参が入っているのを見つけたフランがポツリと呟いた。
「私、人参嫌いなんだけどな……」
残りの食器をセッティングしていた妖精メイドが、その言葉に大きく肩を震わせ、フォークを床に落としてしまう。寝起きで声がいつもより低くくぐもっていたせいか、不必要に怖がらせてしまったようだ。申し訳無く感じたフランは、慌てて落ちたフォークに右手を伸ばし、拾い上げようとした。ところが、うっかり力を込めすぎた。
妖精メイドは弾け飛んだ。しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。未成熟な吸血鬼である自分には過ぎた力を持て余した結果、ここでこうしているのだということを、フランはつい忘れてしまっていた。
咲夜に怒られるだろうか。パチュリーは、毎度のように溜息を一つついて、ぶつぶつと愚痴を呟く。もし美鈴に知られたら、悲しい顔をするんだろうな。めんどうくさい。
お姉さまは、どうだろう。あいつは多分何も言わない。常に仲睦まじい姉妹でもないし、その距離感にいくらか居心地の良さも感じている。でも今は、何故かそれが、落ち着かない。
残りの食器を自分で並べ、朝食を食べ終わり、またベッドに横になっても、平常な自分は戻らない。そわそわして、いらついて、全身の感覚がうっとうしい。
今日はこのまま寝て過ごす事に決めた。起きた時には、この妙な心の疼きが綺麗さっぱり消えている事を願いながら、フランドールは目をつぶり、無理やりに眠りへと落ちて行った。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。明り取りの窓も無い。ここは、紅魔館地下大図書館の更に下に隔離された部屋であり、窓がつけられないのは当然である。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
この人工の淡い光が、フランドールは自身の心を見透かされているようで、嫌悪感を抱いていた。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様。御昼食をお持ちいたしました」
どうやら今は夜半過ぎといった頃らしい。もっとも、時間を知る必要など全く無いが、運ばれてきたメニューを予想するくらいの楽しみはできる。自分の好物の昼食メニューを思い描きながら、いそいそとベッドから起き上がり席につくと、机の上には、血のように赤いトマトソースパスタと、血液を凝固させて作ったフルーツゼリーが並べられた。
フルーツゼリーにマスカットが入っているのを見つけたフランがポツリと呟いた。
「私、マスカット嫌いなんだけどな……」
残りの食器をセッティングしていた妖精メイドが、その言葉に大きく肩を震わせ、フォークを床に落としてしまう。寝起きで声がいつもより低くくぐもっていたせいか、不必要に怖がらせてしまったようだ。申し訳無く感じたフランは、慌てて落ちたフォークに右手を伸ばし、拾い上げようとした。ところが、うっかり力を込めすぎた。
妖精メイドは弾け飛んだ。しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。未成熟な吸血鬼である自分には過ぎた力を持て余した結果、ここでこうしているのだということを、フランはつい忘れてしまっていた。
咲夜に怒られるだろうか。パチュリーは、毎度のように溜息を一つついて、ぶつぶつと愚痴を呟く。もし美鈴に知られたら、悲しい顔をするんだろうな。めんどうくさい。
お姉様は、どうだろう。あいつはきっと何も言わない。常に仲睦まじい姉妹でもないし、その距離感にいくらか居心地の良さも感じている。でも今は、何故かそれが、落ち着かない。
残りの食器を自分で並べ、昼食を食べ終わり、またベッドに横になっても、平常な自分は戻らない。そわそわして、いらついて、全身の感覚がうっとうしい。
今日はこのまま寝て過ごす事に決めた。起きた時には、この妙な心の疼きが綺麗さっぱり消えている事を願いながら、フランドールは目をつぶり、無理やりに眠りに落ちて行った。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「妹様。レミリアお嬢様がティータイムへお呼びしておりますわ」
声の主は咲夜だった。珍しい事であり、お姉様からのお誘いとあれば、行かぬわけにはいかない。フランドールは二つ返事で了承した。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『尊敬』である。多くの妖魔に畏れられ、敬われ、親しまれる姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、部屋を出た。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、左右で結ばれた栗色の髪、明朗な瞳で光の斜角すら従わせそうな我儘な雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し廊下を奔走しようとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。廊下を走るもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろうか。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、お姉さまだ。危うく「はぐれた」などという仕様もない理由で、お姉さまからのお呼ばれをすっぽかすところだったのだ。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『畏敬』である。多くの妖魔に尊ばれ、仰がれ、信奉される姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、廊下を歩む。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの階段と連絡通路。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、縦に巻かれた柔らかな金髪、少し間の抜けた口元で音の反響さえ意識に留めないような呆けた雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し階段を駆け上がろうとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。階段を駆けるもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろう。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、お姉さまだ。危うく「迷った」などという仕様もない理由で、お姉さまからのお呼ばれをすっぽかすところだったのだ。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『崇敬』である。多くの妖魔に嘆じられ、望まれ、交歓する姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、廊下を歩む。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの燭台と締切窓。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、真っ直ぐに生えた青々しい緑の黒髪、聡明そうな耳をしてこちらの気配も察せられてしまいそうな利発な雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し廊下を走ろうとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。廊下を走るもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろうか。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、きっと咲夜は人間ではないのだ。妖怪とは違う、変わった『臭い』を持つ妖怪なのだ。
なるほど、だとすれば私はやはり、飲み物やデザートに加工された姿でしか人間を見たことがないのだ。いつかきっと、生身の姿の人間を見てみよう。話をしよう。一緒に遊ぼう。その時に出会う人間は、望めるなら、私の力をもってしても壊しきれないような頑丈な人間であればいいな。
そうあれかしと、フランドールは、夢を描く少女の瞳で虚空を見つめる。
我に返り目線を戻すと、咲夜の姿が眼前に無い。
代わりに映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「いらっしゃい、フラン。怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私をエスコートする。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、じっと私を見つめてくれている。
「あのね、フラン。この霧はね……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「フラン、それでね。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私とフランとで、一緒に……」
お姉さまの私を呼ぶ声が、耳の中に注がれていく。
ああ、なんてことかしら。こんなに幸せな気分は、夢の中でも味わったことがない。
冷たく凍てついているはずの心臓が、どきどき脈打ってあったかくって、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらと蕩けてしまいそう。
もっとずっと、お姉さまを感じていたい。百年の時を埋めるまで。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉は、何も聞いていないようだった。
「貴方もそろそろ地下へお戻り。いい子で留守番してるのよ」
レミリアと咲夜は手摺を蹴って、夜の空へ躍り出た。この館の一番てっぺん、高い時計塔の上まで、落ちるように昇っていく。
フランも後を追おうとして身を乗り出すが、レミリアの言いつけも破れず、葛藤に体が震える。
そこから見える門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた。
我に返り目線を戻すと、眼前に映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「こっちへ来なさい。怖がる必要などないよ。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へと連れ出す。『外』の外へ連れ出していく。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私を引っ張っていく。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、なぜか私の目を見てくれない。
「そうだな。まず、この霧は……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「それでだな。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私はね……」
なのに、どうして。私の一番欲しい言葉は、耳の中に注がれない。
夢の中でも、こうまで不安な気持ちになったことはなかったのに。なんてことかしら。
冷たく凍てついているはずの心臓が、けたたましくどきどき脈打って、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらするほど鈍く重い。
もっとちゃんと、お姉さまを感じたいのに。百年の時を埋めるほど。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉は、何も聞いていないようだった。
「貴方もそろそろ地下へ戻りなさい。いい子で留守番してるのよ」
レミリアと咲夜は手摺を蹴って、夜の空へ躍り出た。この館の一番てっぺん、高い時計塔の上まで、落ちるように昇っていく。
フランも後を追おうとして身を乗り出すが、レミリアの言いつけも破れず、葛藤に体が震える。
そこから見える門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた。
我に返り目線を戻すと、眼前に映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「いらっしゃい、フラン。怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私をエスコートする。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、じっと私を見つめてくれている。
「あのね、フラン。この霧はね……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「フラン、それでね。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私とフランとで、一緒に……」
お姉さまの私を呼ぶ声が、耳の中に注がれていく。
ああ、なんてことかしら。こんなに幸せな気分は、夢の中でも味わったことがない。
冷たく凍てついているはずの心臓が、どきどき脈打ってあったかくって、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらと蕩けてしまいそう。
もっとずっと、お姉さまを感じていたい。百年の時を埋めるまで。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉に、レミリアが空中で止まり、振り向き告げた。
「怖がる必要などないよ。この霧は私たちを守ってくれる」
ああ、なんてことかしら。夢の中でも、こうまで不安な気持ちになったことはなかったのに。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。照明は無い。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様、御夕食を……っ」
言い終わらないうちに、フランドールは食事を運んできた妖精メイドを跳ね除け、『外』へと駆けだした。
「フラン様っ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、息もつかずに飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は全く乱れていない。
勢いそのままに体で扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。こんなところまで出てきて、何事かしら」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支え、ゆっくりと寝かせ、問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、大きく肩で息をしながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は少し切れ切れだ。
熱に任せて乱暴に扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。地下から出ていいと、誰が言ったのかしら」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支え、ゆっくりと寝かせ問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、口から深く息を吸い込みながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸はぜえぜえ上がっている。
弱弱しくゆっくり扉を開けると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。何をそんなに急いでいるの」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
そう言おうとしたが、息が喉につっかえて、うまく声にならない。
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支えていこうとしたが、自分も足元がおぼつかないため、二人して何度も転びのたうちながら、やっとのことでソファーまでたどり着き、パチュリーをゆっくり横たわらせ問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、叫ぶように息をしながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
階段を上がりきり、長く複雑な廊下も同じようにひた走ろうとしたが、とうとう体力が尽きてしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の足元に転がる三匹の妖精の事だろうか。
栗色の髪。金色の髪。黒色の髪。確かにフランが連れてくるようにせがんで頼んだあの妖精で間違いないようだ。
三匹とも、助けを乞うための舌を抜かれ、逃げるための手足の腱を切られ、どうにか逃げようと床を舐めながら飛べない羽虫の如く這いずっている。
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしましたが、恥ずかしながら力及ばず、せめて妹様のお力にと、参じた次第にございます」
「ありがとう、咲夜。でも、私、これはいらないわ。だって、初めから壊れてちゃ遊べないもの。
ところで、お姉さまは今どこに」
足元の羽虫たちは涙を流している。
絶望に打ちひしがれた涙だろうか。それとも、あろうことかフランに助けを求めているのか。
羽虫の心はわからない。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は要りません。さ、この者たちを連れて早く地下へお戻りください」
咲夜は三匹の妖精を指差し言った。もはや『玩具』にも『遊び相手』にもならぬガラクタだ。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が保たれているかだろう。
では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか。
一方で、私は期待されている。
この場から助けられること、この苦しみと絶望から解放されること、一思いに今の生を終わらせ自然の輪廻へ還されることを、私は彼女らから望まれている。
では、私は応えてやろう。破壊が私の正常なのだ。
「どうされましたか、妹様」
「うるさいっ! こんなのいらないって言ってるじゃんっ」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いて、フランはまた走り出した。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。
それら全てを気に留める暇もなく、ただただ廊下を疾走するが、元々体力は限界に近かった。
とうとう力尽き、へたり込んでしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の足元に転がる三匹の妖精の事だろうか。
栗色の髪。金色の髪。黒色の髪。確かにフランが連れてくるようにせがんで頼んだあの妖精で間違いないようだ。
三匹とも、一体どんな目に合わされたのか、目が虚ろで焦点が定まっておらず、口元は絶えずあはあはえへえへと歪ませ、羽をもがれた羽虫の如く体を細かく震わせている。
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしましたが、恥ずかしながら力及ばず、せめて妹様のお力にと、参じた次第にございます」
「ありがとう、咲夜。でも、私、これはいらないわ。だって、初めから壊れてちゃ遊べないもの。
ところで、お姉さまは今どこに」
足元の羽虫たちは涙を流している。
絶望に打ちひしがれた涙だろうか。それとも、あろうことかフランに助けを求めているのか。
羽虫の心はわからない。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は要りません。さ、この者たちを連れて早く地下へお戻りください」
咲夜は三匹の妖精を指差し言った。もはや『玩具』にも『遊び相手』にもならぬガラクタだ。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が保たれているかだろう。
では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか。
一方で、私は期待されている。
この場から助けられること、この苦しみと絶望から解放されること、一思いに今の生を終わらせ自然の輪廻へ還されることを、私は彼女らから望まれている。
では、私は応えてやろう。破壊が私の正常なのだ。
「どうされましたか、妹様」
「うるさいっ! こんなのいらないって言ってるじゃんっ」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いて、フランはまた走り出した。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。
それら全てを気に留める暇もなく、ただただ廊下を疾走するが、元々体力は限界に近かった。
とうとう力尽き、へたり込んでしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の背後から喧しい声を上げる三匹の妖精の事だろうか。
「サニーもルナも役立たずねえ。あっさり見つかっちゃって」
「私はちゃんと姿消してたわよ。ルナがさぼったんじゃないの」
「ええっ、そんなわけないでしょ。スターのレーダーがいい加減なのよ」
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしまし 「こないだだって竹林の兎にばれてたじゃない。ホントに姿消せてるの、アレ」「当たり前でしょ。てか、スターの弁解を聞きたいんだけど、私」
「ありがとう、咲夜。でも、私、こ 「そんなことより、何のために連れてこられたのかしらね、私達」「あ、こらスター、露骨に話そらすなっ」「さあ。お茶会にでも誘ってくれるって様子でもないけど」「私、紅茶ならアールグレイがいいわ」
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は 「お茶菓子はやっぱりスコーンよね」「何言ってんの。あまーいクッキーこそ至高でしょうが」「私はふわふわのケーキが食べたいわ」「プリンもいいわよね。おっきくって弾力のあるやつ」「ドーナツもいいなあ。あ、あとフルーツジュース」「早くおやつにしたいわね」「あれ、おやつの話だっけ」
違う。おやつでもお茶会でもない。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が 「おやつじゃないんだってさ」「なーんだ、残念」「ねえ、私そろそろ帰りたいんだけど。お腹空いた」「私も今朝の新聞読みかけだったしねえ。探索も飽きてきてたし」「でも、帰っちゃっていいのかしら」
では、私は応えてやろう。破壊が私の 「駄目なんじゃないの。このメイド人間が用があるって言ってたし」「でも私はメイド人間に用は無いわよ」「同じく」「お茶会にでも招いてくれるのかしら」「だから、それは違うって」「誰が言ったの」「知らないわよ」「じゃあ私達でお茶会開けばいいじゃん」「さすがっ。伊達に妖精やってないなあ」「そうと決まれば、まずは台所を探すわよ」「おーっ」
「うるさいっ!」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。まだ降ってきたばかりのようで、窓から覗く地面には、黒い水玉の染みが目立っている。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、嫌悪すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ」「フランドールお嬢様。御朝食をお持ちいたしました」「咲夜に怒られるだろうか」「くそっ。背水の陣だ」「しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた」「妹様。廊下を走るもんじゃありません」「咲夜よ。今日よりお前は狗となれ。悪魔に従う狂犬だ」「外へ出るのはいつ以来だろうか」「意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうに」「聖者は十字架にかけられましたって言ってるように見える?」「私は、お前の力が心底恐ろしいのだ」「自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた」「赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま」「私、マスカット嫌いなんだけどな……」「貴方もそろそろ地下へ戻りなさい。いい子で留守番してるのよ」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。雨はしばらく降り続けていたようで、地面にたまった水が光を反射しぬらぬらと蠢いている。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、唾棄すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い」「あのね、フラン。この霧はね……」「門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた」「フランドール。こんなところまで出てきて、何事かしら」「私の妹を、二度と気狂い等という短絡で卑俗な言葉で形容するな……!」「お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す」「道に迷うは妖精の所為なの」「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ」「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」「勢いそのままに体で扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった」「私は、咲夜を狗に仕立てはしたけど、悪魔を狗にした覚えはないよ」「多くの妖魔に尊ばれ、仰がれ、信奉される姉を、フランは羨望の目で見つめてきた」「巫女は食べてもいい人類だって言い伝えが……」「自分も足元がおぼつかないため、二人して何度も転びのたうちながら、やっとのことでソファーまでたどり着き、パチュリーをゆっくり横たわらせた」「フランドール。地下から出ていいと、誰が言ったのかしら」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。まるで天が落っこちてきたかに見える、全てを溶かし尽くしそうなほどの豪雨に、フランは怯み後ずさる。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、忌諱すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は 「何よ。どんだけ探しても、台所なんて見つからないじゃない」「ホントにこっちの方向で合ってるの。今度こそ気配レーダーしっかりしてよね、スター」「そもそも、台所の気配って何なのよ」「甘そうな気配よ」「犬扱いしないでよね」「でも、この館って間取りが随分めちゃくちゃね。迷路みたい」「悪魔なんかと契約するから、きっと大工さんも気が触れちゃったのよ」「家には空間を弄るのが好きな人がいるのよ」「背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない」「怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」「貴方の時間も私のもの……」「そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は全く乱れていない」「もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える」「「フランドールお嬢様、御夕食を……っ」「私の耳が、お姉さまの声を捕らえる」「では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか」「うるさいっ!」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いて、なおも執拗に泣き叫ぶ。
気力の尽きるまで声を上げ、暴れ、顔を上げると、そこにはもう、何もなかった。
この気が遠くなるように広い館は、フランにとっては『内』でもなく『外』でもなく、気づけばどっちつかずの境界となってしまっていた。
『過去』を拒否し、『未来』を破壊し、『外』にも出られず、今更『内』に戻る気にもなれないフランは、長い長い廊下をふらふら彷徨う。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。
そういえば、誰ともすれ違わない。いつもなら、見知らぬ妖精メイドがうようよ徘徊してるというのに。
ボウフラのように湧いて出てくるはずの妖精の姿がまるで見えない。
パチュリーも、美鈴も、咲夜も、お姉さまも、まるでどこかへ消えてしまったようだ。
私一人を残して。
いえ、私もいずれ消えるわ。
この右手で、体を壊して、心も壊して、そして誰もいなくなるの。
私のこの力はその為にあったのか。
呆然と立ち止まり、右手を掲げ掌を眺めながら、フランはそんなことをぼんやりと考える。
その右手に、じわりと魔力を込めると、その手の中に自身の心の『目』が見える。
とても歪な形をしていた。
しかし、すぐにフランの思考を遮るものがあった。
遠くから、微かに音が聞こえる。弾幕の音が何処からか響く。
それはここへ近づいてくる。みるみる大きくなって、フランの前に現れる。
「今日はいつにもまして暑いわね」
「なんで、こんなに館の攻撃が激しいんだ」
人間だ。私の前に、人間が現れた。
紅白と白黒。お姉さまを打ち負かした、あの人間たちだ。
「で、あんた誰。前来た時は居なかったと思うけど」
「居たけど、見えなかったの。
貴方たちは人間ね。私、今まで人間って、紅茶の形でしか見たことがなかったの」
フランにとっては一縷の光だ。
いつか願い望んだものだ。
お姉さまの力をもっても、私の力をもってもきっと、壊しきれない不屈の人間。
その光は、フランの身と心を、焦がし尽くしてくれるだろう。
「殆どの人間は、紅茶より複雑にできてるものよ」
「お姉さまと貴方たちのやり取り、いつも見ていたわ」
「お姉さま? 妹君かえ」
私とも、一緒に遊んでくれるかしら。
お姉さまがやったように、私も彼女らと狂乱を交わせるかしら。
私が勝つこともあるだろう。私が負けることもあるだろう。
何度でも私の前に現れて、いつまでも繰り返し、私と夜を過ごしてくれますように。
どこまでがデジャヴで、どこまでが妄想で、どこまでが夢か分からないこの混沌を、貴方にもきっと味わわせてあげる。
『続きから』なんて無粋なこと、させないんだから。
「あなたがコンティニューできないのさ!」
――――繰り返される、フランドールの記憶の話。
――――エンドレスナイト。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。すぐに壊してしまうので、置かせてもらえない。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
この人工の淡い光が、フランドールは自身の心をも照らしてくれるようで、好ましく思っていた。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様。御朝食をお持ちいたしました」
どうやら今は夜らしい。もっとも、時間を知る必要など全く無いが、運ばれてきたメニューを予想するくらいの楽しみはできる。
自分の好物の朝食メニューを思い描きながら、いそいそとベッドから起き上がり席につくと、机の上には、ブラッドトーストと、人間の血肉を肥料に育てた野菜のサラダが並べられた。
サラダに人参が入っているのを見つけたフランがポツリと呟いた。
「私、人参嫌いなんだけどな……」
残りの食器をセッティングしていた妖精メイドが、その言葉に大きく肩を震わせ、フォークを床に落としてしまう。寝起きで声がいつもより低くくぐもっていたせいか、不必要に怖がらせてしまったようだ。申し訳無く感じたフランは、慌てて落ちたフォークに右手を伸ばし、拾い上げようとした。ところが、うっかり力を込めすぎた。
妖精メイドは弾け飛んだ。しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。未成熟な吸血鬼である自分には過ぎた力を持て余した結果、ここでこうしているのだということを、フランはつい忘れてしまっていた。
咲夜に怒られるだろうか。パチュリーは、毎度のように溜息を一つついて、ぶつぶつと愚痴を呟く。もし美鈴に知られたら、悲しい顔をするんだろうな。めんどうくさい。
お姉さまは、どうだろう。あいつは多分何も言わない。常に仲睦まじい姉妹でもないし、その距離感にいくらか居心地の良さも感じている。でも今は、何故かそれが、落ち着かない。
残りの食器を自分で並べ、朝食を食べ終わり、またベッドに横になっても、平常な自分は戻らない。そわそわして、いらついて、全身の感覚がうっとうしい。
今日はこのまま寝て過ごす事に決めた。起きた時には、この妙な心の疼きが綺麗さっぱり消えている事を願いながら、フランドールは目をつぶり、無理やりに眠りへと落ちて行った。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。明り取りの窓も無い。ここは、紅魔館地下大図書館の更に下に隔離された部屋であり、窓がつけられないのは当然である。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
この人工の淡い光が、フランドールは自身の心を見透かされているようで、嫌悪感を抱いていた。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様。御昼食をお持ちいたしました」
どうやら今は夜半過ぎといった頃らしい。もっとも、時間を知る必要など全く無いが、運ばれてきたメニューを予想するくらいの楽しみはできる。自分の好物の昼食メニューを思い描きながら、いそいそとベッドから起き上がり席につくと、机の上には、血のように赤いトマトソースパスタと、血液を凝固させて作ったフルーツゼリーが並べられた。
フルーツゼリーにマスカットが入っているのを見つけたフランがポツリと呟いた。
「私、マスカット嫌いなんだけどな……」
残りの食器をセッティングしていた妖精メイドが、その言葉に大きく肩を震わせ、フォークを床に落としてしまう。寝起きで声がいつもより低くくぐもっていたせいか、不必要に怖がらせてしまったようだ。申し訳無く感じたフランは、慌てて落ちたフォークに右手を伸ばし、拾い上げようとした。ところが、うっかり力を込めすぎた。
妖精メイドは弾け飛んだ。しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。未成熟な吸血鬼である自分には過ぎた力を持て余した結果、ここでこうしているのだということを、フランはつい忘れてしまっていた。
咲夜に怒られるだろうか。パチュリーは、毎度のように溜息を一つついて、ぶつぶつと愚痴を呟く。もし美鈴に知られたら、悲しい顔をするんだろうな。めんどうくさい。
お姉様は、どうだろう。あいつはきっと何も言わない。常に仲睦まじい姉妹でもないし、その距離感にいくらか居心地の良さも感じている。でも今は、何故かそれが、落ち着かない。
残りの食器を自分で並べ、昼食を食べ終わり、またベッドに横になっても、平常な自分は戻らない。そわそわして、いらついて、全身の感覚がうっとうしい。
今日はこのまま寝て過ごす事に決めた。起きた時には、この妙な心の疼きが綺麗さっぱり消えている事を願いながら、フランドールは目をつぶり、無理やりに眠りに落ちて行った。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。
照明は無い。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「妹様。レミリアお嬢様がティータイムへお呼びしておりますわ」
声の主は咲夜だった。珍しい事であり、お姉様からのお誘いとあれば、行かぬわけにはいかない。フランドールは二つ返事で了承した。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『尊敬』である。多くの妖魔に畏れられ、敬われ、親しまれる姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、部屋を出た。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、左右で結ばれた栗色の髪、明朗な瞳で光の斜角すら従わせそうな我儘な雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し廊下を奔走しようとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。廊下を走るもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろうか。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、お姉さまだ。危うく「はぐれた」などという仕様もない理由で、お姉さまからのお呼ばれをすっぽかすところだったのだ。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『畏敬』である。多くの妖魔に尊ばれ、仰がれ、信奉される姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、廊下を歩む。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの階段と連絡通路。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、縦に巻かれた柔らかな金髪、少し間の抜けた口元で音の反響さえ意識に留めないような呆けた雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し階段を駆け上がろうとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。階段を駆けるもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろう。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、お姉さまだ。危うく「迷った」などという仕様もない理由で、お姉さまからのお呼ばれをすっぽかすところだったのだ。
フランドールとレミリアは、仲睦まじいわけではないが、決していがみ合っていることはない。
少なくとも、フランからのレミリアに寄せる感情は、『崇敬』である。多くの妖魔に嘆じられ、望まれ、交歓する姉を、フランは羨望の目で見つめてきた。その姉の人望が、力量のみでなく吸血鬼という種族による所も多いことはフランも見透かしてはいたが、それでもやはり、自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた。
そんな姉の誘いである。当然フランに断る由はなく、咲夜に続き、廊下を歩む。
外へ出るのはいつ以来だろうか。外とは言っても紅魔館の外ではない。フランの内と外の境界は、他人のそれより比べようもなく遥かに小さい。それでなお、フランはこの『外』に無限の広がりを感じるのだ。
数え切れないほどの燭台と締切窓。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。中でも気になった顔は、真っ直ぐに生えた青々しい緑の黒髪、聡明そうな耳をしてこちらの気配も察せられてしまいそうな利発な雰囲気を持つ妖精だった。
フランは咲夜にせがむ。
「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ。いけないかしら」
咲夜は歩きながら軽くフランに振り向き答えた。
「構いませんわ。ですが、私にはこの後、虫狩りの御用がございます。それに失敗したら、明日にでも寄越しますわ」
意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうにと、フランはむくれた。
そんなフランへ愛おしそうな目を向ける咲夜に、フランはますます頬を膨らませ、俯いてしまう。
顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い。少し拗ねている間に置いて行かれたのか。なんてメイドだ。
兎に角も咲夜の姿を捜し廊下を走ろうとしたところで、咲夜に声を掛けられた。
「妹様。廊下を走るもんじゃありません」
背後からだ。時を止め、回り込んだのだろうか。こいつは自分のことを人間呼ばわりしていたけれど、こんな奇怪な奴が人間なわけないじゃない。
そうだ、きっと咲夜は人間ではないのだ。妖怪とは違う、変わった『臭い』を持つ妖怪なのだ。
なるほど、だとすれば私はやはり、飲み物やデザートに加工された姿でしか人間を見たことがないのだ。いつかきっと、生身の姿の人間を見てみよう。話をしよう。一緒に遊ぼう。その時に出会う人間は、望めるなら、私の力をもってしても壊しきれないような頑丈な人間であればいいな。
そうあれかしと、フランドールは、夢を描く少女の瞳で虚空を見つめる。
我に返り目線を戻すと、咲夜の姿が眼前に無い。
代わりに映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「いらっしゃい、フラン。怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私をエスコートする。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、じっと私を見つめてくれている。
「あのね、フラン。この霧はね……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「フラン、それでね。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私とフランとで、一緒に……」
お姉さまの私を呼ぶ声が、耳の中に注がれていく。
ああ、なんてことかしら。こんなに幸せな気分は、夢の中でも味わったことがない。
冷たく凍てついているはずの心臓が、どきどき脈打ってあったかくって、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらと蕩けてしまいそう。
もっとずっと、お姉さまを感じていたい。百年の時を埋めるまで。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉は、何も聞いていないようだった。
「貴方もそろそろ地下へお戻り。いい子で留守番してるのよ」
レミリアと咲夜は手摺を蹴って、夜の空へ躍り出た。この館の一番てっぺん、高い時計塔の上まで、落ちるように昇っていく。
フランも後を追おうとして身を乗り出すが、レミリアの言いつけも破れず、葛藤に体が震える。
そこから見える門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた。
我に返り目線を戻すと、眼前に映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「こっちへ来なさい。怖がる必要などないよ。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へと連れ出す。『外』の外へ連れ出していく。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私を引っ張っていく。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、なぜか私の目を見てくれない。
「そうだな。まず、この霧は……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「それでだな。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私はね……」
なのに、どうして。私の一番欲しい言葉は、耳の中に注がれない。
夢の中でも、こうまで不安な気持ちになったことはなかったのに。なんてことかしら。
冷たく凍てついているはずの心臓が、けたたましくどきどき脈打って、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらするほど鈍く重い。
もっとちゃんと、お姉さまを感じたいのに。百年の時を埋めるほど。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉は、何も聞いていないようだった。
「貴方もそろそろ地下へ戻りなさい。いい子で留守番してるのよ」
レミリアと咲夜は手摺を蹴って、夜の空へ躍り出た。この館の一番てっぺん、高い時計塔の上まで、落ちるように昇っていく。
フランも後を追おうとして身を乗り出すが、レミリアの言いつけも破れず、葛藤に体が震える。
そこから見える門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた。
我に返り目線を戻すと、眼前に映ったのは、窓辺に佇むレミリア・スカーレットだった。
見た目は大きく、その実はそれ以上に広大なこの館にしても、その主が陽の光を忌み嫌い忌み嫌われた『吸血鬼』であるが故、庭園へ、あるいはバルコニー、ベランダ、テラス等、外へ通じる掃出し窓は数えるほどしか設置されない。されていても、景観や構造上で仕方なく設置したようなものであり、いつもは固く閉ざされ、垂れ幕のようなカーテンがその存在を隠している。
こと、フランに至っては、こんな扉のような両開きの恐ろしげな窓があるなど知りはしなかった。
そのうちの一つが大きく開かれ、愛しのお姉さまがそこに立っていた。
赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま。
「いらっしゃい、フラン。怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」
お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す。
部屋の続きのような広いベランダに出て、紅い月の下に据えられたテーブルへ、お姉さまが私をエスコートする。
二人で向かい合って腰を掛け、咲夜が私のカップへ紅茶を注ぐ間、お姉さまは、じっと私を見つめてくれている。
「あのね、フラン。この霧はね……」
お姉さまの、声が聞こえる。
「フラン、それでね。この幻想郷には……」
私の耳が、お姉さまの声を捕らえる。
「そしたら、いつか、私とフランとで、一緒に……」
お姉さまの私を呼ぶ声が、耳の中に注がれていく。
ああ、なんてことかしら。こんなに幸せな気分は、夢の中でも味わったことがない。
冷たく凍てついているはずの心臓が、どきどき脈打ってあったかくって、脳味噌なんて入ってないはずの頭の中が、くらくらと蕩けてしまいそう。
もっとずっと、お姉さまを感じていたい。百年の時を埋めるまで。もう百年も眠れるように。
「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」
そう言うと、レミリアは手摺の上へ身を翻し、フランドールに背を向けた。咲夜もそれに続く。
ハッとし、引き留めようと何事か訴えるフランの言葉に、レミリアが空中で止まり、振り向き告げた。
「怖がる必要などないよ。この霧は私たちを守ってくれる」
ああ、なんてことかしら。夢の中でも、こうまで不安な気持ちになったことはなかったのに。
フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ。ひどく痛み、壁紙も大部分が剥がれ落ち、塗装の下が生々しく露出した壁面である。照明は無い。明り取りの窓も無い。部屋は、パチュリーの魔法により、影もできない光によって、どこからとも無く照らされている。
もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える。
「フランドールお嬢様、御夕食を……っ」
言い終わらないうちに、フランドールは食事を運んできた妖精メイドを跳ね除け、『外』へと駆けだした。
「フラン様っ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、息もつかずに飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は全く乱れていない。
勢いそのままに体で扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。こんなところまで出てきて、何事かしら」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支え、ゆっくりと寝かせ、問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、大きく肩で息をしながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は少し切れ切れだ。
熱に任せて乱暴に扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。地下から出ていいと、誰が言ったのかしら」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支え、ゆっくりと寝かせ問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、口から深く息を吸い込みながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸はぜえぜえ上がっている。
弱弱しくゆっくり扉を開けると、パチュリーが目の前に立ちふさがった。
「フランドール。何をそんなに急いでいるの」
ここは図書館だ。パチュリーは満身創痍の様を呈していた。
周りを見ると、とてもひどく荒れている。家具や調度品、絨毯などにも、ところどころ魔法で焼け焦げた跡があり、まだ小さく幽かに燻っているようだ。
慌ててパチュリーに駆け寄ると、慣れない運動をしたと見え、息遣いが荒い。
「どうしたの、何があったの」
そう言おうとしたが、息が喉につっかえて、うまく声にならない。
「構うことはないわ。ただ、少しばかり大きな鼠が二匹して、ここを通り過ぎて行っただけ」
フランはパチュリーをソファーまで支えていこうとしたが、自分も足元がおぼつかないため、二人して何度も転びのたうちながら、やっとのことでソファーまでたどり着き、パチュリーをゆっくり横たわらせ問い質した。
なんでも、白黒と紅白の二匹の鼠は、霧の主を探し、目についた人外を片端から焼いて回っているそうだ。それで、門は破られ、妖精メイドは蹂躙され、パチュリーはまさに今しがた「人違いだった」という理由で撃破されたのだと。ついでとばかりに、本も何冊か持って行かれたらしい。
そしてその後、二匹はどこへ向かうだろう。
咲夜とお姉さまのところだ。
葛藤に震える体がフランの歩みを制止するが、それ以上に心で暴れる黒い靄が動かぬ四肢を引きずらせる。
お姉さまは強い。誰にも負けない。格好いい。私はお姉さまを信じてる。咲夜もいる。人間だか妖怪だか得体の知れない咲夜だが、お姉さまが側に置いている以上、そこらのやつらより強いはず。
お姉さまは私に「地下室に戻れ」と言った。「留守番していろ」と言った。私はこの階段を下りるべき。上るのではなく下りるべき。私の地下へ帰るべき。
でも。
だけど。
しかし。
それでも。
フランは『外』へと駆けだした。
「フランっ……」
背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない。姉の元へ、フランは階段を駆けあがる。
暗く澱んだフランの地下と、明るく気高いレミリアとを繋ぐ、長い長い階段を、叫ぶように息をしながら飛び上がる。
悪夢の中で、正体もわからぬ何者かに追われるように、夢にうなされ、何かに縋ろうともがくように、必死に必死に上を目指す。
階段を上がりきり、長く複雑な廊下も同じようにひた走ろうとしたが、とうとう体力が尽きてしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の足元に転がる三匹の妖精の事だろうか。
栗色の髪。金色の髪。黒色の髪。確かにフランが連れてくるようにせがんで頼んだあの妖精で間違いないようだ。
三匹とも、助けを乞うための舌を抜かれ、逃げるための手足の腱を切られ、どうにか逃げようと床を舐めながら飛べない羽虫の如く這いずっている。
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしましたが、恥ずかしながら力及ばず、せめて妹様のお力にと、参じた次第にございます」
「ありがとう、咲夜。でも、私、これはいらないわ。だって、初めから壊れてちゃ遊べないもの。
ところで、お姉さまは今どこに」
足元の羽虫たちは涙を流している。
絶望に打ちひしがれた涙だろうか。それとも、あろうことかフランに助けを求めているのか。
羽虫の心はわからない。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は要りません。さ、この者たちを連れて早く地下へお戻りください」
咲夜は三匹の妖精を指差し言った。もはや『玩具』にも『遊び相手』にもならぬガラクタだ。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が保たれているかだろう。
では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか。
一方で、私は期待されている。
この場から助けられること、この苦しみと絶望から解放されること、一思いに今の生を終わらせ自然の輪廻へ還されることを、私は彼女らから望まれている。
では、私は応えてやろう。破壊が私の正常なのだ。
「どうされましたか、妹様」
「うるさいっ! こんなのいらないって言ってるじゃんっ」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いて、フランはまた走り出した。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。
それら全てを気に留める暇もなく、ただただ廊下を疾走するが、元々体力は限界に近かった。
とうとう力尽き、へたり込んでしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の足元に転がる三匹の妖精の事だろうか。
栗色の髪。金色の髪。黒色の髪。確かにフランが連れてくるようにせがんで頼んだあの妖精で間違いないようだ。
三匹とも、一体どんな目に合わされたのか、目が虚ろで焦点が定まっておらず、口元は絶えずあはあはえへえへと歪ませ、羽をもがれた羽虫の如く体を細かく震わせている。
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしましたが、恥ずかしながら力及ばず、せめて妹様のお力にと、参じた次第にございます」
「ありがとう、咲夜。でも、私、これはいらないわ。だって、初めから壊れてちゃ遊べないもの。
ところで、お姉さまは今どこに」
足元の羽虫たちは涙を流している。
絶望に打ちひしがれた涙だろうか。それとも、あろうことかフランに助けを求めているのか。
羽虫の心はわからない。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は要りません。さ、この者たちを連れて早く地下へお戻りください」
咲夜は三匹の妖精を指差し言った。もはや『玩具』にも『遊び相手』にもならぬガラクタだ。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が保たれているかだろう。
では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか。
一方で、私は期待されている。
この場から助けられること、この苦しみと絶望から解放されること、一思いに今の生を終わらせ自然の輪廻へ還されることを、私は彼女らから望まれている。
では、私は応えてやろう。破壊が私の正常なのだ。
「どうされましたか、妹様」
「うるさいっ! こんなのいらないって言ってるじゃんっ」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いて、フランはまた走り出した。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。そして、地面に影を作る、魔法ではない本物の光。
道中、何匹かの妖精メイドともすれ違った。食事を運んでくる特定の者しか知らないフランには初めて見る顔ばかりである。
それら全てを気に留める暇もなく、ただただ廊下を疾走するが、元々体力は限界に近かった。
とうとう力尽き、へたり込んでしまった。
隅の柱に背中を預け、しばらく呼吸が整うのを待つ。
と、そこに、フランドールに呼びかける声があった。
「妹様。ご要望の品をお持ちしました」
咲夜の声だった。そして、その『品』とは咲夜の背後から喧しい声を上げる三匹の妖精の事だろうか。
「サニーもルナも役立たずねえ。あっさり見つかっちゃって」
「私はちゃんと姿消してたわよ。ルナがさぼったんじゃないの」
「ええっ、そんなわけないでしょ。スターのレーダーがいい加減なのよ」
咲夜が続ける。
「虫狩りの御用はキャンセルとなり、鼠取りへとシフトしまし 「こないだだって竹林の兎にばれてたじゃない。ホントに姿消せてるの、アレ」「当たり前でしょ。てか、スターの弁解を聞きたいんだけど、私」
「ありがとう、咲夜。でも、私、こ 「そんなことより、何のために連れてこられたのかしらね、私達」「あ、こらスター、露骨に話そらすなっ」「さあ。お茶会にでも誘ってくれるって様子でもないけど」「私、紅茶ならアールグレイがいいわ」
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は 「お茶菓子はやっぱりスコーンよね」「何言ってんの。あまーいクッキーこそ至高でしょうが」「私はふわふわのケーキが食べたいわ」「プリンもいいわよね。おっきくって弾力のあるやつ」「ドーナツもいいなあ。あ、あとフルーツジュース」「早くおやつにしたいわね」「あれ、おやつの話だっけ」
違う。おやつでもお茶会でもない。
『玩具』と『ガラクタ』は何が違うのだろう。何を以てそれは『壊れた』と判断されるのだろう。
それは、そのモノに望まれるべき期待に応える能力が 「おやつじゃないんだってさ」「なーんだ、残念」「ねえ、私そろそろ帰りたいんだけど。お腹空いた」「私も今朝の新聞読みかけだったしねえ。探索も飽きてきてたし」「でも、帰っちゃっていいのかしら」
では、私は応えてやろう。破壊が私の 「駄目なんじゃないの。このメイド人間が用があるって言ってたし」「でも私はメイド人間に用は無いわよ」「同じく」「お茶会にでも招いてくれるのかしら」「だから、それは違うって」「誰が言ったの」「知らないわよ」「じゃあ私達でお茶会開けばいいじゃん」「さすがっ。伊達に妖精やってないなあ」「そうと決まれば、まずは台所を探すわよ」「おーっ」
「うるさいっ!」
怒声とともに、右手をキュッと握りしめた。
目の前のあらゆるものは消し飛ばされ、フランの視界を真っ赤に染める。
眼前の赤を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。まだ降ってきたばかりのようで、窓から覗く地面には、黒い水玉の染みが目立っている。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、嫌悪すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「フランドールが目を覚ませば、目に映るのはいつも通りの地下室の壁面のみ」「フランドールお嬢様。御朝食をお持ちいたしました」「咲夜に怒られるだろうか」「くそっ。背水の陣だ」「しまったと思い、顔を上げたときにはもう遅く、跡形も無く粉微塵に消え去っていた」「妹様。廊下を走るもんじゃありません」「咲夜よ。今日よりお前は狗となれ。悪魔に従う狂犬だ」「外へ出るのはいつ以来だろうか」「意地悪な咲夜だ。何事であれ、そう簡単に失敗するつもりなど無いだろうに」「聖者は十字架にかけられましたって言ってるように見える?」「私は、お前の力が心底恐ろしいのだ」「自分にはとても得がたい物であり、いとも容易くそれらを手中に収めるレミリアの姿は、フランには充分にカリスマとして映っていた」「赤いティーカップを傾け、緋い霧を携え、紅い夜を背に立つ影は、何度も夢で逢った凛々しい姿そのまま」「私、マスカット嫌いなんだけどな……」「貴方もそろそろ地下へ戻りなさい。いい子で留守番してるのよ」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。雨はしばらく降り続けていたようで、地面にたまった水が光を反射しぬらぬらと蠢いている。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、唾棄すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「顔を上げると、咲夜の姿が眼前に無い」「あのね、フラン。この霧はね……」「門の向こうでは、色鮮やかな、花火のような閃光が瞬いていた」「フランドール。こんなところまで出てきて、何事かしら」「私の妹を、二度と気狂い等という短絡で卑俗な言葉で形容するな……!」「お姉さまが、私を外へ誘い出す。『外』の外へ誘い出す」「道に迷うは妖精の所為なの」「咲夜。今度食事を運んでくるやつは、あいつがいいわ」「それじゃあ、フラン。行ってくるわね」「勢いそのままに体で扉を押しあけると、パチュリーが目の前に立ちふさがった」「私は、咲夜を狗に仕立てはしたけど、悪魔を狗にした覚えはないよ」「多くの妖魔に尊ばれ、仰がれ、信奉される姉を、フランは羨望の目で見つめてきた」「巫女は食べてもいい人類だって言い伝えが……」「自分も足元がおぼつかないため、二人して何度も転びのたうちながら、やっとのことでソファーまでたどり着き、パチュリーをゆっくり横たわらせた」「フランドール。地下から出ていいと、誰が言ったのかしら」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いたフランドールの目に映るのは、あのベランダへと続く巨大な両開きの窓だった。
もうそこに、お姉さまの姿を見ることはできない。心地良い弾幕戦の喧噪も、もはや消え去り、雨が奏でる静寂の音が耳に染み込んでくるばかりである。
そう、外は雨だった。まるで天が落っこちてきたかに見える、全てを溶かし尽くしそうなほどの豪雨に、フランは怯み後ずさる。
早く……。早く、お姉さまの元へ行かなくては。
もう目的も何も失っている。
お姉さまは、あの鼠たちと一戦を交えた。お姉さまは負けてしまった。鼠たちは、人間だった。
そのことはとうに知っている。
目的の存在しない衝動のみが、フランの体を急き立てている。
早くしないと、また悪夢が襲って来る。
その、忌諱すべき『何がしか』達は、すでに背後の扉の前まで迫っている。
でも、駄目。お外は雨で出られない。
忌むべき過去を凝縮し凝固した悪夢たらしい『何がしか』達は、もうフランの羽を掠めるほどまで近づいている。
「レミリアお嬢様の事でしたら、御心配は 「何よ。どんだけ探しても、台所なんて見つからないじゃない」「ホントにこっちの方向で合ってるの。今度こそ気配レーダーしっかりしてよね、スター」「そもそも、台所の気配って何なのよ」「甘そうな気配よ」「犬扱いしないでよね」「でも、この館って間取りが随分めちゃくちゃね。迷路みたい」「悪魔なんかと契約するから、きっと大工さんも気が触れちゃったのよ」「家には空間を弄るのが好きな人がいるのよ」「背後から呼び戻そうとする声があるが、関係ない」「怖がらなくても大丈夫。この霧は私たちを守ってくれる」「貴方の時間も私のもの……」「そして一つの扉の前にたどり着いた。呼吸は全く乱れていない」「もちろん時計も無いため、時間の把握は、妖精メイドが食事を運んでくるときにのみ行える」「「フランドールお嬢様、御夕食を……っ」「私の耳が、お姉さまの声を捕らえる」「では、私は足元に転がるこれらに、何を望んでいたのか。どんな『遊び』を期待していたのか」「うるさいっ!」
眩暈を起こし、吐き気を催し、手足は硬直し、じわりじわりと飲み込まれかけたフランの手中に現れたのは、巫女の予言する雄鶏ヴィゾーヴニルを殺す魔剣。紅く燃える『レーバテイン』。
レミリアの持つ魔槍と双璧を成すその剣を、作法も減ったくれもなく、悪夢諸共ありとあらゆるものを破壊しながら、ただ狂気のままに振り回す。
ひたすら夢中に、叩き、切りつけ、眼前の黒を切り裂いて、なおも執拗に泣き叫ぶ。
気力の尽きるまで声を上げ、暴れ、顔を上げると、そこにはもう、何もなかった。
この気が遠くなるように広い館は、フランにとっては『内』でもなく『外』でもなく、気づけばどっちつかずの境界となってしまっていた。
『過去』を拒否し、『未来』を破壊し、『外』にも出られず、今更『内』に戻る気にもなれないフランは、長い長い廊下をふらふら彷徨う。
数え切れないほどの扉と曲がり角。自分の部屋では見られない、わずかに触れただけで壊れてしまいそうな、繊細な装飾品。
そういえば、誰ともすれ違わない。いつもなら、見知らぬ妖精メイドがうようよ徘徊してるというのに。
ボウフラのように湧いて出てくるはずの妖精の姿がまるで見えない。
パチュリーも、美鈴も、咲夜も、お姉さまも、まるでどこかへ消えてしまったようだ。
私一人を残して。
いえ、私もいずれ消えるわ。
この右手で、体を壊して、心も壊して、そして誰もいなくなるの。
私のこの力はその為にあったのか。
呆然と立ち止まり、右手を掲げ掌を眺めながら、フランはそんなことをぼんやりと考える。
その右手に、じわりと魔力を込めると、その手の中に自身の心の『目』が見える。
とても歪な形をしていた。
しかし、すぐにフランの思考を遮るものがあった。
遠くから、微かに音が聞こえる。弾幕の音が何処からか響く。
それはここへ近づいてくる。みるみる大きくなって、フランの前に現れる。
「今日はいつにもまして暑いわね」
「なんで、こんなに館の攻撃が激しいんだ」
人間だ。私の前に、人間が現れた。
紅白と白黒。お姉さまを打ち負かした、あの人間たちだ。
「で、あんた誰。前来た時は居なかったと思うけど」
「居たけど、見えなかったの。
貴方たちは人間ね。私、今まで人間って、紅茶の形でしか見たことがなかったの」
フランにとっては一縷の光だ。
いつか願い望んだものだ。
お姉さまの力をもっても、私の力をもってもきっと、壊しきれない不屈の人間。
その光は、フランの身と心を、焦がし尽くしてくれるだろう。
「殆どの人間は、紅茶より複雑にできてるものよ」
「お姉さまと貴方たちのやり取り、いつも見ていたわ」
「お姉さま? 妹君かえ」
私とも、一緒に遊んでくれるかしら。
お姉さまがやったように、私も彼女らと狂乱を交わせるかしら。
私が勝つこともあるだろう。私が負けることもあるだろう。
何度でも私の前に現れて、いつまでも繰り返し、私と夜を過ごしてくれますように。
どこまでがデジャヴで、どこまでが妄想で、どこまでが夢か分からないこの混沌を、貴方にもきっと味わわせてあげる。
『続きから』なんて無粋なこと、させないんだから。
「あなたがコンティニューできないのさ!」
むしろそれが狙いなのかもしれないけど、傍目から言えば「それで?」というところ。
ちょうど数学を解いたときの謎めいた達成感と、同時に覚える空虚さ、その特に後者に通ずるものがある。
文章自体は楽しんで読めるんだけど、それがストーリーに与える影響が見えない。
導入部分だけで終わったギャルゲーみたいなもの。多重世界を表現した意図が見えなくてフラストレーション。
エンドレスエイトを見てるときに「いい加減にしろよ」って思ったのと同じことじゃないかな。
こういう作りのお話はループの理由や結末を楽しみに読むのですが、両方ともよくわからないまま終わり、なんというか、お肉を焼かないででんと出された気分です。
発想も文章も良いのですから、もう少し作り込んで欲しかった。
どうにも目的のはっきりしない内容となってしまっていたと思います。
終盤もかなり駆け足で書いてしまったので、雑な終わり方でした。
失礼ながら、この場で解説させていただくと、
「メタ的な意味での『正常さ』をもったフランが、その『正常さ』故に、徐々に狂気へ落ちていく」
という描写を書こうとしたものです。
二次創作でよく目にするフランが、「初めからぶっ飛んで狂気」か「かわいくて純粋無垢なフランちゃん」というのが多くて、「どちらとも言えない不安定なフラン」というのが、なかなか無いような気がしたので……。
本来は本文の中で伝えなければいけないのに、と、己の力量不足を痛感します。
少しでもそれを感じ取って貰えるようにと、冒頭に4行ほど加筆させていただきました。
もし、こういった、誤字修正の枠を越えた、後から手を加えるような行為がマナー違反でしたら、すぐに元に戻しますのでご指摘ください。
ところで、
>最初のルナとサニーの説明
って、2つめのループ要素の地の文の事だと思うのですが、間違ってましたかね?
サニー=栗色髪ツインテ・光を屈折させる程度の能力
ルナ=金髪縦ロール・音を消す程度の能力
で間違いないと思うのですが……。
あってます!
そして今やっとこさ自分なりの理解を得たところです。いやはや、自分の理解力の乏しさが恥ずかしい限りで……。
僅かに異なる、しかしほぼ同一の現象が繰り返され、その狂気性の中に飲み込まれていく、という解釈をいたしました。あってるかな?
しかし、そうなると、フランの狂気状態が日常から突然発生したことになって、やっぱりよく分からないことに。
繰り返しのタイミングもよく分からない。
アイデンティティ維持についての危機的状況、たとえば睡眠などが、ループ構造のマクロ論理的な切れ目になるのが普通だと思うんですよ。
そういうわけで、自分にはこのループ構造が、『繰り返し』ではなく、『多重世界』に見えたのです。
……なんだか言い訳がましいですね、申し訳ない、テヘペロ。
>二次創作でよく目にするフラン
あぁ、それ分かるわー。でも難しいんだよねー。
>後から手を加えるような行為
決してマナー違反ではありませんし、むしろ賞賛されるべきことです。
どのような形であれ、削除することのほうが重い罪である、というような空気があります。
その解釈の通りです!
今回投稿したものは、書きながらも常に、この前衛的すぎる手法を料理しきれているかという悩みが大きかったので、
こうして理解しようとして頂けることは、大変うれしく思います。
せっかくなのでもう少し解説させて頂くと、
>フランの狂気状態が日常から突然発生
このことについては、フランが例え過去にどれ程の人生を重ねていようと、ゲーム内キャラクターとしての『生』は、
神主が『東方紅魔郷』を作成し、我々がゲームを起動させた瞬間に初めて生まれるものであるため、
いかにこの狂気性が日常から突如として発現したかに見えたとしても、それは全く不自然ではないという風に、
私は考えております。
すなわち、ここで描写されたループ現象の原因は、フランという存在とは何ら関係が無いのですよ。
むしろ元凶は霊夢と魔理沙、ひいては彼女らを操作する画面外の我々プレイヤーにあり、ゲームオーバーでやり直す、あるいは
プラクティスで同一のステージを繰り返し練習することが、それに誘発されたフランがループに陥る引き金で、
彼女が、この繰り返しの中で『正常に』記憶の連続性を維持したとするならば、そこに何らかの狂気性が生まれるのは当然であると……。
このことを、「紅魔郷本編が全6面」と「繰り返しのシークエンスが6個」の重ね合わせの構造に加え、
冒頭に加筆した4行で示唆したかったのですが、やはり後付けで挿入した文章では、満足なものではなかったかもしれません。
こうした特殊な手法を扱うのだから、もっと綿密に練り上げるべきでしたね。