この話は、拙作、「ヤクモラン」から続く、「幽香が咲かせ、幻想の花」シリーズの設定を用いています。
ですが、幽香が幻想郷の人物をモチーフにして植物を創っている、とういことを許容していただければ問題ありません。
いいよ、気にしないよ、という方は、本文をお楽しみください。
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訪問者というものは2種類に分けられるものだ。一つは敵意の有るもの。もう一つは敵意の無いもの。前者であれば丁重におもてなしをしてあげるだけなのだが、後者の扱いはなかなか面倒だ。大抵の場合、そういう輩は何らかの依頼を持ってくるものだから。さらに付け加えると、無視し続けても居座り続けるような連中ばかりだから、結局は相手をせざるをえなくなる。
「幽香、頼みごとを持ってきたぞ。」
バタンという騒音と共に玄関のドアが開き、白黒の魔法使いが姿を見せた。ノックする音がなかったことから察するに、彼女にとっては、家主がいるかいないかよりもドアノブを回せるかどうかの方が重要らしい。
「あいにくだけれど、ここにはあなたが望むような魔道書は保管していないわよ、泥棒さん。」
「泥棒とは失礼だな。ちゃんと玄関から入ってきたし、声もかけただろう?」
「人の家に入る時は、まず3回ドアをノックしてから、家主の存在を確認するために声をかけるのがマナーというものよ。それをしないでいきなり侵入してくるなんて、泥棒と同じようなものよ。」
すると、侵入者は後ろ手にドアを閉め、おもむろに握りこぶしを作ると、トントントンと、3回ドアをノックした。
「あーあー、風見幽香どの、いらっしゃいましたら、どうかお答えいただきたく存じまして候。」
「まったく、何のつもり? 下手に丁寧な口調を使おうとして、言葉がよくわからなくなってるわよ。」
「お前の言うマナーとやらを実践してみただけだ。さて、これで家主の存在も確認できたわけだし、頼みごとを聞いてもらってもいいか?」
軽く溜め息をつく。今回の客は後者にあたるようだ。改めて、客としてもてなすために、魔理沙を机に手招きする。軽い身のこなしで席に付く魔理沙に、淹れたての紅茶を差し出す。なぜ淹れたてなのかと言うと、ちょうど私が紅茶でも飲んでゆったりしようと用意していたからだ。私のカップがとられてしまったので、仕方なく戸棚からもう一つのカップを取り出す。
「―――ん? これ、いつもお前が使ってるカップなのか?」
「どうして?」
「いや、なんとなく、そんな気がしてな。」
「自分用と来客用のカップの区別はしていないんだけれど…… 無意識に使用頻度が偏ってるってこともあるのかしら。」
「なんというのかな…… 使いなれてるって感じがするんだ。一緒に過ごした時間って言うのかな。それが長ければ長いほど、愛着が湧くというか、情が移るっていうか、そんな感じ。」
「なんだか、今日のあなた、少し変ね。もしかして、頼みごとの内容が関係してたりしない?」
新しいカップに紅茶を注ぎながら魔理沙の様子を伺うと、少しだけ顔を俯かせている。ただ、悲しいとか、辛いとか、そういう感情は伝わってこない。何かに思いを馳せている、という表現が最適だろうか。紅茶を一杯いただき、魔理沙にそっと声をかける。
「話してみなさい。内容がわからないと、私も対応することができないわ。」
魔理沙はしばらくの間じっとしていたが、ようやく決心がついたのか、真剣な表情で私に向き合った。よく見ると、口元が少し震えている。それに加えて頬を少し紅らめているところを見ると、恥ずかしさでもこらえているということなのだろうか。
「ある人に贈るための花を創ってほしいんだ。」
怒鳴りつけるような声でそう言い放ち、またすぐに顔を伏せてしまった。頬の紅が濃くなったのは、私の目の錯覚ではないだろう。こういう反応を見せるということは、もしかして…… いや、早合点してはいけない。
「そう、頼みごとの要点は理解出来たわ。」
「そうか、じゃあ―――」
「でも、情報が足りなすぎるわね。せめて、ある人、についての情報を詳しく聞かないと、花は創れない。」
「なっ! ……やっぱり、話さないとだめか?」
「だめ。」
「どうしても?」
「えぇ。」
魔理沙は困った表情を浮かべておろおろしている。意地悪をしたくなって、にやにやと笑顔を向けてみる。こうしてみると、魔理沙もただの女の子だ。視線に気づいたのか、怒気を含んだ声で反撃の言葉をかけてきた。
「そんな眼で見るな! ……正直、この頼みごとをするだけでも、結構な度胸が必要だったんだから。」
「あなたの様子を見れば、それくらいは伝わってくるわ。ただ、対象のイメージが曖昧なままでは花は創れない。あなたの頼みごとに応えてあげられなくなってしまうのよ。だから―――」
静かに席を立ち、魔理沙に近づく。深めに被っていた帽子をゆっくりと脱がして机に置くと、戸惑いの表情を浮かべていた。前髪をそっと一撫でしてから少し屈んで視線を合わせ、出来るだけ柔らかい表情を意識しながら―――
「ある人のこと、私に話してもらえないかしら?」
そう言って、魔理沙の反応を伺う。私との視線を逸らさないでいるのは、私の言葉の真意を図っているということなのだろう。しばらくの間にらめっこが続いたが、ようやく魔理沙の視線が下がり、小さく頷いてくれた。それに応えるように私も軽く頷いて、魔理沙の頭をそっと撫でてあげた。
「……やめろ、馬鹿。いい子いい子のつもりか?」
「いいじゃないの。素直になってくれたことへの感謝の気持ちよ。」
ふん、といいながら顔を逸らす魔理沙。素直なったと思ったとたんに素直じゃない素振りを見せてくる。さすがにやり過ぎたかなと自分の行動を反省しつつ、改めて席につく。残っていた紅茶を頂き、2杯目の準備をしながら声をかけた。
「話せるところからでいいわ。ある人の事、私に教えて。」
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魔理沙の口から『ある人』の事を聞き出せたのは、3杯目の紅茶を飲み終わって4杯目を淹れる頃になってからだった。それまでの間、家の中は静寂に包まれ、時折紅茶を啜る音が立つ以外、互いに無言のまま様子を伺っていた。
「……そうだな。」
「………」
「一言でいえば、あいつは、変な奴だな。」
ようやく聞き出せた情報がそれだった。慎重に言葉を選んだつもりなのだろうが、残念ながら漠然とし過ぎてよくわからない。
「変な奴、と言ってもねぇ。幻想郷は変な奴だらけじゃないの。幼女の吸血鬼に花より団子な幽霊、果ては不死の宇宙人までいるわけだし、心当たりなんていくらでもあるわ。」
「そうは言うけどな…… むむむ、あいつの事を一言で表現するのは難しいな。」
「別に一言で言わなくてもいいのよ。花が葉、根、茎の3つの部分に分かれているように、どこに注目するかで、自ずと表現も変わってくるものよ。例えば―――」
少しじれったく感じていたせいもあるのだろう。私は思い切って核心をつく質問を投げかけてみることにした。
「あなたとその人の関係。あなたはどう思っているのか、聞かせてもらえないかしら?」
魔理沙がリンゴみたいに顔を紅潮させて、ともすればそのまま出て行ってしまうのではないかと期待して投げかけた言葉だったが、意外なことに、魔理沙は真剣な表情になって考え込んでしまった。これは、気持ちの整理が出来ていないということだろうか、それとも―――
「関係、と言えるかどうかはわからないが―――」
ふいに魔理沙が口を開く。
「私は、あいつの仕事の手伝いをしたことがある。いや、手伝いと言えるのかどうかもよくわからん。何せ、半ば無理やり仕事をさせられたようなものだったからな。」
戸惑いがちにそう話す魔理沙。期待していた物と違う反応に、少しだけ調子がくるってしまう。だが、これで一つ重要な情報が手に入った。どうやら、ある人とは、魔理沙と親しい関係の者らしい。
「それで、仕事の手伝いはどのくらい続いたのかしら?」
「かなりの重労働だったからな、長続きなんてしなかった。その代わり、今の私の生活に必要な知識をもらえた、と、言えなくもないのかな。……なんだか、よくわからない。」
「霧雨魔法店を開くための知識と経験を積んだ、というところかしら?」
「……さあな。そう捉えることもできなくないということなんじゃないか。」
「魔理沙。今日のあなた、どうもはっきりしないわね。直接的な表現をあえて避けて、曖昧な方向にばかり持っていこうとしている気がする。」
「わざとじゃないんだ。ただ、あいつの事を説明しようとすると、どうも巧く話せないというか……」
困ったような顔をしながらも反論する魔理沙。どうやら、考えがまとまらないというのは本当のようだ。考えるきっかけを与えたものの、かえって混乱させてしまったのかもしれない。いきなり核心を突こうとしたのがまずかったのだろうか。もう少し、簡単な質問から探っていくべきかもしれない。
「それじゃあ質問を変えるわ。私はその人の事を知っているのかしら? はい、か、いいえ、かで答えて。」
「その二択だったら、迷わず、はい、だな。お前だってよく知ってるはずだ。むしろ、私よりもそいつとの付き合いは長いんじゃないか?」
「……なんですって?」
「だから、おまえとそいつとの付き合いは、私よりも長いんじゃないか、って。」
また意外な答えが返ってきた。たしかに、長く生きている分、出会ってきた者も多いとはいえ、私が長く付き合っていた相手というのは心当たりが少ない。むしろ、だいぶ限られてくるものなのだが―――
「待って、魔理沙。今の質問でわからなくなったわ。私がよく知っている、付き合いが長い相手?」
「いや、私がそう思い込んでるだけかもしれないからな。ただ、少なくとも、一度は会った事のある奴だ。一度会えば、結構印象に残る相手だと思うんだが、どうだ?」
「どうだ、と言われても、まだ私はその相手が誰なのかがわからないのよ。……そうだ。その相手の名前を教えなさいよ。まったく、どうして最初にそれを聞かなかったのかしら。」
すると、魔理沙は大げさに思えるくらいに慌てだした。名前を教えるくらい簡単な事のはずなのに、どうしてこうも動揺するのだろうか。私が初めに予想した人物が正解だとして、まさか、魔理沙は名前を口にするのも恥じらうということなのか。
「ま―――」
口を震わせながら、魔理沙はようやくそれだけの言葉を発した。
「……ま?」
「い、いや、今のはなんでもない! えっと、あいつの名前だよな!? だから、あいつは、ま―――」
慌てて口を押さえる魔理沙。頬を真っ赤に染めながら、頭をぶんぶんと振って何かを振り払おうとしている。さすがにこれは異常な気がする。
「ちょっと、魔理沙、少し落ち着きなさい。なんでだかわからないけれど、相手の名前を言うことができなくなっているのね?」
「あぁぁっ! 自分の口が憎い! どうしてこんな簡単なことができないんだよ!」
「だから落ち着きなさい! まったく、誰よ、あなたの言うあいつって。ま、から始まる名前の男なんて、私は知らないわよ。」
「―――は?」
唐突に魔理沙の動きが止まり、きょとんとした顔で私に視線を向けた。
「―――は?」
思わずオウム返しをしてしまった。まるで時間が停止したような感覚を味わう。
「お、と、こ? なんで急に男の話になるんだ?」
「え? だって、花を贈る相手って―――」
ふっ、と吹き出したのをきっかけに、魔理沙は大声をあげて笑い出した。お腹を抱えながらひぃひぃ言ってる魔理沙を、私はただ茫然と見つめる。
「いやぁ、悪い悪い。そうか、お前、私が男に花を贈ろうとしてるものだと思ってたのか。そんなこと、あるわけないじゃないか。もしかして、私は恋する乙女にでも見えてたってのか? 冗談きついぜ。……ははは!」
また笑い始めた。なんだか、魔理沙に一杯喰わされたようで悔しい。でも、これで手掛かりは集まった。魔理沙の望む花は、創ることができるだろう。軽く溜め息をつき、作業に入ることを伝えようとすると、魔理沙が急に立ち上がった。
「さて、と。もう、花を創ることはできるだろう? 後は、よろしく頼む。」
「え? よろしく、って。これから、花を創るのよ?」
「あぁ、だから、よろしく頼む。私の頼み事は、花を創ってもらうことだからな。別に、私が受け取らなくてもいい。」
「贈り物だったら、ちゃんと手渡しするべきじゃないの?」
「あぁ、確かに、それが一番なんだが―――」
すると、魔理沙は遠くを見るように、顔をあげた。まるで、視線の先に、何かを見据えているような気がする。
「―――会えないんだ。大まかな居場所は検討がつくんだけど、いざ会いに行こうとしても、出会うことはない。ただ、そこにいる、というのだけは、感じることができる。」
一瞬だけ、何かを懐かしむような表情を見せた。その表情もすぐに消え、机に置いてあった帽子をかぶると、玄関の方へと歩いていった。
「じゃあな。おまえなら、あいつと会うこともできるだろうから、出来る事なら、渡してやってくれ。」
パタン、というドアの閉まる音が響く。ちゃっかり、依頼の内容を増やされてしまった。……まぁ、いいか。花のイメージも固まったし、今なら、渡しに行く手間も省けるというもの。椅子から立ち上がってぐっと背伸びをして、私は奥の部屋へと向かった。
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「幻想郷には、変な奴ばっかり集まってくる。常識と非常識の境界で分けられた世界なんだから、それは当然と言えば当然なんだけれど。」
花束を抱えながら、私以外誰の姿もない部屋で、誰にともなく声をかける。
「私が知っている相手にも限りがある。そんな中で、魔理沙が仕事を手伝った事のある女性。ま、という言葉から、もしかしたらアリスっていう線もあるかもしれないと思ったわ。」
花束の根元は半透明で、微かに向こう側が透けて見える。青緑色の花弁に顔を近づけて、そっと香りをかいでみる。甘い香りの中に、ピリッとした刺激が混じる、しばしばクローブの香りと喩えられるものだ。
「でも、アリスだったら、魔理沙はあんな回りくどい言い回しはしない。そもそも、会いたくても会えない、なんてことは、あの二人に限ってはないでしょう。それに加えて、さっきから感じる気配、これをまとめると、答えは一つ。」
深呼吸をして心を落ち着かせ、部屋の隅、虚空の一点を見据えて、ひときわ大きな声で言い放つ。
「そろそろ出てきたらどう? 魅魔?」
視線の先で空間が揺らめく。一瞬の発光の後、青と緑の特徴的な姿が現れた。
「いやいや、姿を隠すってのは、なかなかに難しいものだ。いつ頃から気付いてたんだい?」
「私がある人を知っている、というところ当たりかしら。確証を得たのは、魔理沙が帰る直前になってだったけれど。……あなた、見られてたでしょ?」
「あぁ、あの時は焦ったね。どうやら、魔理沙は本当にあたしがいることまでは気付かなかったみたいだけれど。ああいう感覚まで身につけるなんて、我ながら、怖ろしい弟子を持ったものだよ。」
魅魔が椅子に腰かけたのをきっかけに、私も机を挟んで席につく。
「弟子、ねぇ。どうでもいいけど、最低限のマナーくらいは教えなかったの? 今の魔理沙が不法侵入が板についてるのって、もしかして、あなたの影響かしら。」
「まぁ、そう言いなさんなって。今回は、魔理沙の様子が気になったから、すこーしだけ様子を見てやろうと思っただけなんだからさ。」
「花を贈る相手の事が気になった、というところかしら?」
新しく紅茶を淹れて魅魔に差し出す。カップは、魔理沙が使っていたものだ。一口啜ってから、魅魔は質問に答え始めた。
「初めはね、あの道具屋にでも情が移ったんじゃないかって思ったんだよ。お前さんだって、そうだったんだろ?」
「まあ、ね。あの子もそろそろ、そういう浮いた話があってもいい頃じゃない?」
「それはそうなんだけど、なんというか、ほら、悪い虫がついたみたいでさ、どうも安心できなくて……」
「悪霊ならとっくに憑いてるようだけど。それに、香霖堂の店主は、顔だけは悪くないっていう評判よ。」
「なんだい? あんたも面食いってことかい?」
「そういうことじゃないわよ。ただ、魔理沙の態度がなんだかそれっぽかったから、そう感じただけ。……とりあえず、ほら。」
持っていた花束を魅魔に手渡す。両手で抱え込むように受け取った姿は、まるで我が子を抱きかかえる母親のような姿に見えた。
「……カーネーション、か。そういえば、そんな風習もあったねぇ。」
「ちょっとだけ、あなたの特徴を表現してみたわ。根っこの部分と、花の色、それくらいかしらね。名前は、リンカーネーション。」
「これはまた、仰々しい名前をつけたものだ。輪廻、再生、なんて、どの辺がそうなんだい?」
「そうね…… 言うならば、花言葉が関係してくるかしら。」
「花言葉?」
「えぇ。カーネーションに限らず、花にはそれぞれ花言葉がつけられているわ。一つの花に複数の花言葉がつけられることはよくあるけれど、カーネーションの場合は、花の色ごとに異なる花言葉が与えられているわ。」
「なるほど。たしかに、赤い花、白い花、なんてものもあるからな。それで、青い花の花言葉はなんていうんだい?」
一呼吸おいて、私はその言葉を呟く。
「……永遠の幸福。」
魅魔はきょとんとした顔で私と花を交互に見直す。その様子に耐えきれなくなって、思わず吹き出してしまう。
「な、なんだい!? 何も笑うことはないだろうに。」
「えぇ、そうね。ただ、あなたの仕草がおかしくって。」
「だって、今の言葉のどこがリンカーネーションにつながるんだい?」
「あぁ、その話をするなら、カーネーションと母の日の関係について、話す必要がありそうね。この風習が始まるきっかけとなったのは、亡くなった母親に、その娘が白いカーネーションを贈った、という話が基だそうよ。」
「なるほど、最初は死者へ贈った花だったんだな。それが、生きているうちに花を贈ろうという風習につながった、と。」
「大まかに言うと、そういうこと。ちなみに言うと、白いカーネーションの花言葉は、私の愛情は生きている。死者がまだ生きている、というと、リンカーネーションにつながってこないかしら?」
「なるほどねぇ……」
物思いにふけったような表情で花を見つめる魅魔。魔理沙の気持ちを代弁しているつもりはないが、花言葉に込めた思いは、魔理沙が魅魔に抱く思いと、そう遠いものではないだろう。本当なら、直接会って話でもすればいいのにというところなのだが、それをしない理由があるのだろう。……理由? そういえば、あのことについて、魅魔なら何か心当たりがあるのではないだろうか。
「ねぇ、魅魔。今日の魔理沙の事なんだけれど。」
「うん? 急にどうしたんだい? 難しい事考えるような顔しちゃって。」
「どうして、魔理沙はあなたの名前を言えなかったのかしら。昔は、魅魔さま、魅魔さま、って、それなりになついてた気がするんだけど。」
「あぁ、そのことか。そのことは…… えっと…… ははは……」
「笑ってごまかそうとしてもだめよ。心当たりがあるなら、ここで話しなさい。」
「実は…… ちょっと前に、博麗神社で宴会があったんだよ。たくさんの人妖が集まって飲み明かしてたんだが、当然、そこには魔理沙もいたわけで。」
「そうでしょうね。あら? ということは、あなたもそこにいたって事?」
「ばれないように姿を隠しながら様子を見てたんだけど、話が盛り上がってきた頃に、なぜか私の話が出てきてさ……」
「あら、良かったじゃないの。長い間会ってないのに、ちゃんと覚えててくれたわけだし。」
「それが、魔理沙は私に対する愚痴ばっかり言いだすんだよ。人使いが荒かっただの、地に足がついてないだの、黒歴史だの。それで頭に来ちゃってさ、ちょいと悪戯でもしてやろうとしてね、軽い呪いを、ね。」
魅魔は苦笑いを浮かべている。初めと比べて声がだんだん小さくなっているところを見ると、多少の悪気は感じているようだ。しかし―――
「あなたねぇ、弟子に呪いをかけるなんてそうそうないわよ。むむむ…… かけてしまった物はしょうがないとして、つまりはそれが、あなたの名前が言えない原因だったのね。」
「うふふ。私がそんなつまらない呪いをかけると思って?」
「どういうことよ、それは。」
「私が魔理沙にかけた呪いは、みま、という言葉を、ママ、と言ってしまう、という呪いよ。」
なぜか胸を張って誇らしげな魅魔。……なんだか、もう呆れて声も出ない。そんなしょうもない呪いのせいで、こんな苦労をしてきたというのか。なんにせよ、もう済んでしまったことだから、私にとってはどうでもいいことになったのだが。
「いやぁ、あの時は傑作だったね。わけもわからずに、ママ、ママ、って叫び続ける魔理沙ったら、お前は迷子のおちびちゃんかっての。しょうがないから、魅魔参上、って書いた紙を落としてやったら、これまた真っ赤になっちゃってさ。」
「そうは言うけどね、魅魔。私は、あながち間違ってはいないような気がするわよ。」
「うん? それは、どういうことだい?」
「考えても見なさい。母の日って、ママに感謝の気持ちを込めて、花を贈る日よ。そのために、あなたの…… ママの花を創って欲しいと頼みに来た魔理沙の気持ち。どんな思いだったんでしょうね。」
ふと、魅魔が笑いを止めて真剣な表情になる。だが、その表情もすぐに解けて、再び笑い顔に戻った。
「そればっかりは、本人に聞いてみないとわからんなぁ。」
「嘘おっしゃい。少しくらい、心を揺さぶられたりしたんじゃないの?」
「さぁ、どうだろうね。とりあえず、呪いは、ちゃんと解いておくとするかね。名前を読んでもらえないままというのは、私としても困ることがあるってことだからね。」
「それじゃあ、これから魔理沙に会いに行く、ということかしら。」
「それもいいかもしれないね。かわいい娘に、ありがとうと伝えるのも、母の役目さ。」
「あら、すっかり母親気取りじゃないの。」
「いいじゃないか、だって―――」
一呼吸置いて、魅魔は言葉を続けた。
「私は、魔理沙のママ様なんだからね。」
「―――ふっ!」
思わず吹き出してしまった。なるほど、魅魔も案外乗り気なんじゃないか。目の前には、顔を少しだけ紅く染めて怒った顔の魅魔がいる。
「なんだい! 何がおかしいっていうのさ!」
「なんて言うか、らしくないわよ。魅魔が…… ふふふっ!」
がみがみと言葉を投げかけてくる魅魔をよそに、私は考えに浸る。母、か。母から子への愛情とは、どういうものなんだろうか。魅魔の場合は、魔理沙への師弟愛というのもあるかもしれないが、他にも、何か私にはわからない感情が含まれているのかもしれない。―――母になれば、そういうことも、自然とわかるのだろうか。そう考えて、頭をふる。
「やっぱり、らしくない。」
「きぃっ! 幽香、あなた、本気で喧嘩売ってるみたいね。表に出なさい! 久しぶりに相手をしてあげるわ!」
「あぁ、ごめんなさい。母、というものについて、考えてたのよ。」
「人が怒ってるのに、どうしてそうも余計なことが考えられるかねぇ。まぁいいさ。その代わり、その考えとやらを聞かせてはもらえないかい?」
「……そうね、それじゃあ、今日は語り明かしましょうか。母について。」
魅魔が空になったカップを指し示す。はいはいと軽く返事を返して、新しい紅茶の準備に入る。結論が出るとは思っていない。それでも、何らかの手掛かりがつかめれば、それでいいとも思っている。本当にそれを知るのは、やはり、そうなってからなのだろうから。
紅茶の準備と同時に、少し大きめの花瓶を持ってきた。魅魔に視線を送ると、軽く頷いて、花束を花瓶の中に入れた。母の話をするために、これ以上の傍聴人はいないだろう。2人分の紅茶を淹れて、互いにカップをコツンと合わせる。久しぶりに、楽しい話ができそうだ。
ですが、幽香が幻想郷の人物をモチーフにして植物を創っている、とういことを許容していただければ問題ありません。
いいよ、気にしないよ、という方は、本文をお楽しみください。
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訪問者というものは2種類に分けられるものだ。一つは敵意の有るもの。もう一つは敵意の無いもの。前者であれば丁重におもてなしをしてあげるだけなのだが、後者の扱いはなかなか面倒だ。大抵の場合、そういう輩は何らかの依頼を持ってくるものだから。さらに付け加えると、無視し続けても居座り続けるような連中ばかりだから、結局は相手をせざるをえなくなる。
「幽香、頼みごとを持ってきたぞ。」
バタンという騒音と共に玄関のドアが開き、白黒の魔法使いが姿を見せた。ノックする音がなかったことから察するに、彼女にとっては、家主がいるかいないかよりもドアノブを回せるかどうかの方が重要らしい。
「あいにくだけれど、ここにはあなたが望むような魔道書は保管していないわよ、泥棒さん。」
「泥棒とは失礼だな。ちゃんと玄関から入ってきたし、声もかけただろう?」
「人の家に入る時は、まず3回ドアをノックしてから、家主の存在を確認するために声をかけるのがマナーというものよ。それをしないでいきなり侵入してくるなんて、泥棒と同じようなものよ。」
すると、侵入者は後ろ手にドアを閉め、おもむろに握りこぶしを作ると、トントントンと、3回ドアをノックした。
「あーあー、風見幽香どの、いらっしゃいましたら、どうかお答えいただきたく存じまして候。」
「まったく、何のつもり? 下手に丁寧な口調を使おうとして、言葉がよくわからなくなってるわよ。」
「お前の言うマナーとやらを実践してみただけだ。さて、これで家主の存在も確認できたわけだし、頼みごとを聞いてもらってもいいか?」
軽く溜め息をつく。今回の客は後者にあたるようだ。改めて、客としてもてなすために、魔理沙を机に手招きする。軽い身のこなしで席に付く魔理沙に、淹れたての紅茶を差し出す。なぜ淹れたてなのかと言うと、ちょうど私が紅茶でも飲んでゆったりしようと用意していたからだ。私のカップがとられてしまったので、仕方なく戸棚からもう一つのカップを取り出す。
「―――ん? これ、いつもお前が使ってるカップなのか?」
「どうして?」
「いや、なんとなく、そんな気がしてな。」
「自分用と来客用のカップの区別はしていないんだけれど…… 無意識に使用頻度が偏ってるってこともあるのかしら。」
「なんというのかな…… 使いなれてるって感じがするんだ。一緒に過ごした時間って言うのかな。それが長ければ長いほど、愛着が湧くというか、情が移るっていうか、そんな感じ。」
「なんだか、今日のあなた、少し変ね。もしかして、頼みごとの内容が関係してたりしない?」
新しいカップに紅茶を注ぎながら魔理沙の様子を伺うと、少しだけ顔を俯かせている。ただ、悲しいとか、辛いとか、そういう感情は伝わってこない。何かに思いを馳せている、という表現が最適だろうか。紅茶を一杯いただき、魔理沙にそっと声をかける。
「話してみなさい。内容がわからないと、私も対応することができないわ。」
魔理沙はしばらくの間じっとしていたが、ようやく決心がついたのか、真剣な表情で私に向き合った。よく見ると、口元が少し震えている。それに加えて頬を少し紅らめているところを見ると、恥ずかしさでもこらえているということなのだろうか。
「ある人に贈るための花を創ってほしいんだ。」
怒鳴りつけるような声でそう言い放ち、またすぐに顔を伏せてしまった。頬の紅が濃くなったのは、私の目の錯覚ではないだろう。こういう反応を見せるということは、もしかして…… いや、早合点してはいけない。
「そう、頼みごとの要点は理解出来たわ。」
「そうか、じゃあ―――」
「でも、情報が足りなすぎるわね。せめて、ある人、についての情報を詳しく聞かないと、花は創れない。」
「なっ! ……やっぱり、話さないとだめか?」
「だめ。」
「どうしても?」
「えぇ。」
魔理沙は困った表情を浮かべておろおろしている。意地悪をしたくなって、にやにやと笑顔を向けてみる。こうしてみると、魔理沙もただの女の子だ。視線に気づいたのか、怒気を含んだ声で反撃の言葉をかけてきた。
「そんな眼で見るな! ……正直、この頼みごとをするだけでも、結構な度胸が必要だったんだから。」
「あなたの様子を見れば、それくらいは伝わってくるわ。ただ、対象のイメージが曖昧なままでは花は創れない。あなたの頼みごとに応えてあげられなくなってしまうのよ。だから―――」
静かに席を立ち、魔理沙に近づく。深めに被っていた帽子をゆっくりと脱がして机に置くと、戸惑いの表情を浮かべていた。前髪をそっと一撫でしてから少し屈んで視線を合わせ、出来るだけ柔らかい表情を意識しながら―――
「ある人のこと、私に話してもらえないかしら?」
そう言って、魔理沙の反応を伺う。私との視線を逸らさないでいるのは、私の言葉の真意を図っているということなのだろう。しばらくの間にらめっこが続いたが、ようやく魔理沙の視線が下がり、小さく頷いてくれた。それに応えるように私も軽く頷いて、魔理沙の頭をそっと撫でてあげた。
「……やめろ、馬鹿。いい子いい子のつもりか?」
「いいじゃないの。素直になってくれたことへの感謝の気持ちよ。」
ふん、といいながら顔を逸らす魔理沙。素直なったと思ったとたんに素直じゃない素振りを見せてくる。さすがにやり過ぎたかなと自分の行動を反省しつつ、改めて席につく。残っていた紅茶を頂き、2杯目の準備をしながら声をかけた。
「話せるところからでいいわ。ある人の事、私に教えて。」
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魔理沙の口から『ある人』の事を聞き出せたのは、3杯目の紅茶を飲み終わって4杯目を淹れる頃になってからだった。それまでの間、家の中は静寂に包まれ、時折紅茶を啜る音が立つ以外、互いに無言のまま様子を伺っていた。
「……そうだな。」
「………」
「一言でいえば、あいつは、変な奴だな。」
ようやく聞き出せた情報がそれだった。慎重に言葉を選んだつもりなのだろうが、残念ながら漠然とし過ぎてよくわからない。
「変な奴、と言ってもねぇ。幻想郷は変な奴だらけじゃないの。幼女の吸血鬼に花より団子な幽霊、果ては不死の宇宙人までいるわけだし、心当たりなんていくらでもあるわ。」
「そうは言うけどな…… むむむ、あいつの事を一言で表現するのは難しいな。」
「別に一言で言わなくてもいいのよ。花が葉、根、茎の3つの部分に分かれているように、どこに注目するかで、自ずと表現も変わってくるものよ。例えば―――」
少しじれったく感じていたせいもあるのだろう。私は思い切って核心をつく質問を投げかけてみることにした。
「あなたとその人の関係。あなたはどう思っているのか、聞かせてもらえないかしら?」
魔理沙がリンゴみたいに顔を紅潮させて、ともすればそのまま出て行ってしまうのではないかと期待して投げかけた言葉だったが、意外なことに、魔理沙は真剣な表情になって考え込んでしまった。これは、気持ちの整理が出来ていないということだろうか、それとも―――
「関係、と言えるかどうかはわからないが―――」
ふいに魔理沙が口を開く。
「私は、あいつの仕事の手伝いをしたことがある。いや、手伝いと言えるのかどうかもよくわからん。何せ、半ば無理やり仕事をさせられたようなものだったからな。」
戸惑いがちにそう話す魔理沙。期待していた物と違う反応に、少しだけ調子がくるってしまう。だが、これで一つ重要な情報が手に入った。どうやら、ある人とは、魔理沙と親しい関係の者らしい。
「それで、仕事の手伝いはどのくらい続いたのかしら?」
「かなりの重労働だったからな、長続きなんてしなかった。その代わり、今の私の生活に必要な知識をもらえた、と、言えなくもないのかな。……なんだか、よくわからない。」
「霧雨魔法店を開くための知識と経験を積んだ、というところかしら?」
「……さあな。そう捉えることもできなくないということなんじゃないか。」
「魔理沙。今日のあなた、どうもはっきりしないわね。直接的な表現をあえて避けて、曖昧な方向にばかり持っていこうとしている気がする。」
「わざとじゃないんだ。ただ、あいつの事を説明しようとすると、どうも巧く話せないというか……」
困ったような顔をしながらも反論する魔理沙。どうやら、考えがまとまらないというのは本当のようだ。考えるきっかけを与えたものの、かえって混乱させてしまったのかもしれない。いきなり核心を突こうとしたのがまずかったのだろうか。もう少し、簡単な質問から探っていくべきかもしれない。
「それじゃあ質問を変えるわ。私はその人の事を知っているのかしら? はい、か、いいえ、かで答えて。」
「その二択だったら、迷わず、はい、だな。お前だってよく知ってるはずだ。むしろ、私よりもそいつとの付き合いは長いんじゃないか?」
「……なんですって?」
「だから、おまえとそいつとの付き合いは、私よりも長いんじゃないか、って。」
また意外な答えが返ってきた。たしかに、長く生きている分、出会ってきた者も多いとはいえ、私が長く付き合っていた相手というのは心当たりが少ない。むしろ、だいぶ限られてくるものなのだが―――
「待って、魔理沙。今の質問でわからなくなったわ。私がよく知っている、付き合いが長い相手?」
「いや、私がそう思い込んでるだけかもしれないからな。ただ、少なくとも、一度は会った事のある奴だ。一度会えば、結構印象に残る相手だと思うんだが、どうだ?」
「どうだ、と言われても、まだ私はその相手が誰なのかがわからないのよ。……そうだ。その相手の名前を教えなさいよ。まったく、どうして最初にそれを聞かなかったのかしら。」
すると、魔理沙は大げさに思えるくらいに慌てだした。名前を教えるくらい簡単な事のはずなのに、どうしてこうも動揺するのだろうか。私が初めに予想した人物が正解だとして、まさか、魔理沙は名前を口にするのも恥じらうということなのか。
「ま―――」
口を震わせながら、魔理沙はようやくそれだけの言葉を発した。
「……ま?」
「い、いや、今のはなんでもない! えっと、あいつの名前だよな!? だから、あいつは、ま―――」
慌てて口を押さえる魔理沙。頬を真っ赤に染めながら、頭をぶんぶんと振って何かを振り払おうとしている。さすがにこれは異常な気がする。
「ちょっと、魔理沙、少し落ち着きなさい。なんでだかわからないけれど、相手の名前を言うことができなくなっているのね?」
「あぁぁっ! 自分の口が憎い! どうしてこんな簡単なことができないんだよ!」
「だから落ち着きなさい! まったく、誰よ、あなたの言うあいつって。ま、から始まる名前の男なんて、私は知らないわよ。」
「―――は?」
唐突に魔理沙の動きが止まり、きょとんとした顔で私に視線を向けた。
「―――は?」
思わずオウム返しをしてしまった。まるで時間が停止したような感覚を味わう。
「お、と、こ? なんで急に男の話になるんだ?」
「え? だって、花を贈る相手って―――」
ふっ、と吹き出したのをきっかけに、魔理沙は大声をあげて笑い出した。お腹を抱えながらひぃひぃ言ってる魔理沙を、私はただ茫然と見つめる。
「いやぁ、悪い悪い。そうか、お前、私が男に花を贈ろうとしてるものだと思ってたのか。そんなこと、あるわけないじゃないか。もしかして、私は恋する乙女にでも見えてたってのか? 冗談きついぜ。……ははは!」
また笑い始めた。なんだか、魔理沙に一杯喰わされたようで悔しい。でも、これで手掛かりは集まった。魔理沙の望む花は、創ることができるだろう。軽く溜め息をつき、作業に入ることを伝えようとすると、魔理沙が急に立ち上がった。
「さて、と。もう、花を創ることはできるだろう? 後は、よろしく頼む。」
「え? よろしく、って。これから、花を創るのよ?」
「あぁ、だから、よろしく頼む。私の頼み事は、花を創ってもらうことだからな。別に、私が受け取らなくてもいい。」
「贈り物だったら、ちゃんと手渡しするべきじゃないの?」
「あぁ、確かに、それが一番なんだが―――」
すると、魔理沙は遠くを見るように、顔をあげた。まるで、視線の先に、何かを見据えているような気がする。
「―――会えないんだ。大まかな居場所は検討がつくんだけど、いざ会いに行こうとしても、出会うことはない。ただ、そこにいる、というのだけは、感じることができる。」
一瞬だけ、何かを懐かしむような表情を見せた。その表情もすぐに消え、机に置いてあった帽子をかぶると、玄関の方へと歩いていった。
「じゃあな。おまえなら、あいつと会うこともできるだろうから、出来る事なら、渡してやってくれ。」
パタン、というドアの閉まる音が響く。ちゃっかり、依頼の内容を増やされてしまった。……まぁ、いいか。花のイメージも固まったし、今なら、渡しに行く手間も省けるというもの。椅子から立ち上がってぐっと背伸びをして、私は奥の部屋へと向かった。
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「幻想郷には、変な奴ばっかり集まってくる。常識と非常識の境界で分けられた世界なんだから、それは当然と言えば当然なんだけれど。」
花束を抱えながら、私以外誰の姿もない部屋で、誰にともなく声をかける。
「私が知っている相手にも限りがある。そんな中で、魔理沙が仕事を手伝った事のある女性。ま、という言葉から、もしかしたらアリスっていう線もあるかもしれないと思ったわ。」
花束の根元は半透明で、微かに向こう側が透けて見える。青緑色の花弁に顔を近づけて、そっと香りをかいでみる。甘い香りの中に、ピリッとした刺激が混じる、しばしばクローブの香りと喩えられるものだ。
「でも、アリスだったら、魔理沙はあんな回りくどい言い回しはしない。そもそも、会いたくても会えない、なんてことは、あの二人に限ってはないでしょう。それに加えて、さっきから感じる気配、これをまとめると、答えは一つ。」
深呼吸をして心を落ち着かせ、部屋の隅、虚空の一点を見据えて、ひときわ大きな声で言い放つ。
「そろそろ出てきたらどう? 魅魔?」
視線の先で空間が揺らめく。一瞬の発光の後、青と緑の特徴的な姿が現れた。
「いやいや、姿を隠すってのは、なかなかに難しいものだ。いつ頃から気付いてたんだい?」
「私がある人を知っている、というところ当たりかしら。確証を得たのは、魔理沙が帰る直前になってだったけれど。……あなた、見られてたでしょ?」
「あぁ、あの時は焦ったね。どうやら、魔理沙は本当にあたしがいることまでは気付かなかったみたいだけれど。ああいう感覚まで身につけるなんて、我ながら、怖ろしい弟子を持ったものだよ。」
魅魔が椅子に腰かけたのをきっかけに、私も机を挟んで席につく。
「弟子、ねぇ。どうでもいいけど、最低限のマナーくらいは教えなかったの? 今の魔理沙が不法侵入が板についてるのって、もしかして、あなたの影響かしら。」
「まぁ、そう言いなさんなって。今回は、魔理沙の様子が気になったから、すこーしだけ様子を見てやろうと思っただけなんだからさ。」
「花を贈る相手の事が気になった、というところかしら?」
新しく紅茶を淹れて魅魔に差し出す。カップは、魔理沙が使っていたものだ。一口啜ってから、魅魔は質問に答え始めた。
「初めはね、あの道具屋にでも情が移ったんじゃないかって思ったんだよ。お前さんだって、そうだったんだろ?」
「まあ、ね。あの子もそろそろ、そういう浮いた話があってもいい頃じゃない?」
「それはそうなんだけど、なんというか、ほら、悪い虫がついたみたいでさ、どうも安心できなくて……」
「悪霊ならとっくに憑いてるようだけど。それに、香霖堂の店主は、顔だけは悪くないっていう評判よ。」
「なんだい? あんたも面食いってことかい?」
「そういうことじゃないわよ。ただ、魔理沙の態度がなんだかそれっぽかったから、そう感じただけ。……とりあえず、ほら。」
持っていた花束を魅魔に手渡す。両手で抱え込むように受け取った姿は、まるで我が子を抱きかかえる母親のような姿に見えた。
「……カーネーション、か。そういえば、そんな風習もあったねぇ。」
「ちょっとだけ、あなたの特徴を表現してみたわ。根っこの部分と、花の色、それくらいかしらね。名前は、リンカーネーション。」
「これはまた、仰々しい名前をつけたものだ。輪廻、再生、なんて、どの辺がそうなんだい?」
「そうね…… 言うならば、花言葉が関係してくるかしら。」
「花言葉?」
「えぇ。カーネーションに限らず、花にはそれぞれ花言葉がつけられているわ。一つの花に複数の花言葉がつけられることはよくあるけれど、カーネーションの場合は、花の色ごとに異なる花言葉が与えられているわ。」
「なるほど。たしかに、赤い花、白い花、なんてものもあるからな。それで、青い花の花言葉はなんていうんだい?」
一呼吸おいて、私はその言葉を呟く。
「……永遠の幸福。」
魅魔はきょとんとした顔で私と花を交互に見直す。その様子に耐えきれなくなって、思わず吹き出してしまう。
「な、なんだい!? 何も笑うことはないだろうに。」
「えぇ、そうね。ただ、あなたの仕草がおかしくって。」
「だって、今の言葉のどこがリンカーネーションにつながるんだい?」
「あぁ、その話をするなら、カーネーションと母の日の関係について、話す必要がありそうね。この風習が始まるきっかけとなったのは、亡くなった母親に、その娘が白いカーネーションを贈った、という話が基だそうよ。」
「なるほど、最初は死者へ贈った花だったんだな。それが、生きているうちに花を贈ろうという風習につながった、と。」
「大まかに言うと、そういうこと。ちなみに言うと、白いカーネーションの花言葉は、私の愛情は生きている。死者がまだ生きている、というと、リンカーネーションにつながってこないかしら?」
「なるほどねぇ……」
物思いにふけったような表情で花を見つめる魅魔。魔理沙の気持ちを代弁しているつもりはないが、花言葉に込めた思いは、魔理沙が魅魔に抱く思いと、そう遠いものではないだろう。本当なら、直接会って話でもすればいいのにというところなのだが、それをしない理由があるのだろう。……理由? そういえば、あのことについて、魅魔なら何か心当たりがあるのではないだろうか。
「ねぇ、魅魔。今日の魔理沙の事なんだけれど。」
「うん? 急にどうしたんだい? 難しい事考えるような顔しちゃって。」
「どうして、魔理沙はあなたの名前を言えなかったのかしら。昔は、魅魔さま、魅魔さま、って、それなりになついてた気がするんだけど。」
「あぁ、そのことか。そのことは…… えっと…… ははは……」
「笑ってごまかそうとしてもだめよ。心当たりがあるなら、ここで話しなさい。」
「実は…… ちょっと前に、博麗神社で宴会があったんだよ。たくさんの人妖が集まって飲み明かしてたんだが、当然、そこには魔理沙もいたわけで。」
「そうでしょうね。あら? ということは、あなたもそこにいたって事?」
「ばれないように姿を隠しながら様子を見てたんだけど、話が盛り上がってきた頃に、なぜか私の話が出てきてさ……」
「あら、良かったじゃないの。長い間会ってないのに、ちゃんと覚えててくれたわけだし。」
「それが、魔理沙は私に対する愚痴ばっかり言いだすんだよ。人使いが荒かっただの、地に足がついてないだの、黒歴史だの。それで頭に来ちゃってさ、ちょいと悪戯でもしてやろうとしてね、軽い呪いを、ね。」
魅魔は苦笑いを浮かべている。初めと比べて声がだんだん小さくなっているところを見ると、多少の悪気は感じているようだ。しかし―――
「あなたねぇ、弟子に呪いをかけるなんてそうそうないわよ。むむむ…… かけてしまった物はしょうがないとして、つまりはそれが、あなたの名前が言えない原因だったのね。」
「うふふ。私がそんなつまらない呪いをかけると思って?」
「どういうことよ、それは。」
「私が魔理沙にかけた呪いは、みま、という言葉を、ママ、と言ってしまう、という呪いよ。」
なぜか胸を張って誇らしげな魅魔。……なんだか、もう呆れて声も出ない。そんなしょうもない呪いのせいで、こんな苦労をしてきたというのか。なんにせよ、もう済んでしまったことだから、私にとってはどうでもいいことになったのだが。
「いやぁ、あの時は傑作だったね。わけもわからずに、ママ、ママ、って叫び続ける魔理沙ったら、お前は迷子のおちびちゃんかっての。しょうがないから、魅魔参上、って書いた紙を落としてやったら、これまた真っ赤になっちゃってさ。」
「そうは言うけどね、魅魔。私は、あながち間違ってはいないような気がするわよ。」
「うん? それは、どういうことだい?」
「考えても見なさい。母の日って、ママに感謝の気持ちを込めて、花を贈る日よ。そのために、あなたの…… ママの花を創って欲しいと頼みに来た魔理沙の気持ち。どんな思いだったんでしょうね。」
ふと、魅魔が笑いを止めて真剣な表情になる。だが、その表情もすぐに解けて、再び笑い顔に戻った。
「そればっかりは、本人に聞いてみないとわからんなぁ。」
「嘘おっしゃい。少しくらい、心を揺さぶられたりしたんじゃないの?」
「さぁ、どうだろうね。とりあえず、呪いは、ちゃんと解いておくとするかね。名前を読んでもらえないままというのは、私としても困ることがあるってことだからね。」
「それじゃあ、これから魔理沙に会いに行く、ということかしら。」
「それもいいかもしれないね。かわいい娘に、ありがとうと伝えるのも、母の役目さ。」
「あら、すっかり母親気取りじゃないの。」
「いいじゃないか、だって―――」
一呼吸置いて、魅魔は言葉を続けた。
「私は、魔理沙のママ様なんだからね。」
「―――ふっ!」
思わず吹き出してしまった。なるほど、魅魔も案外乗り気なんじゃないか。目の前には、顔を少しだけ紅く染めて怒った顔の魅魔がいる。
「なんだい! 何がおかしいっていうのさ!」
「なんて言うか、らしくないわよ。魅魔が…… ふふふっ!」
がみがみと言葉を投げかけてくる魅魔をよそに、私は考えに浸る。母、か。母から子への愛情とは、どういうものなんだろうか。魅魔の場合は、魔理沙への師弟愛というのもあるかもしれないが、他にも、何か私にはわからない感情が含まれているのかもしれない。―――母になれば、そういうことも、自然とわかるのだろうか。そう考えて、頭をふる。
「やっぱり、らしくない。」
「きぃっ! 幽香、あなた、本気で喧嘩売ってるみたいね。表に出なさい! 久しぶりに相手をしてあげるわ!」
「あぁ、ごめんなさい。母、というものについて、考えてたのよ。」
「人が怒ってるのに、どうしてそうも余計なことが考えられるかねぇ。まぁいいさ。その代わり、その考えとやらを聞かせてはもらえないかい?」
「……そうね、それじゃあ、今日は語り明かしましょうか。母について。」
魅魔が空になったカップを指し示す。はいはいと軽く返事を返して、新しい紅茶の準備に入る。結論が出るとは思っていない。それでも、何らかの手掛かりがつかめれば、それでいいとも思っている。本当にそれを知るのは、やはり、そうなってからなのだろうから。
紅茶の準備と同時に、少し大きめの花瓶を持ってきた。魅魔に視線を送ると、軽く頷いて、花束を花瓶の中に入れた。母の話をするために、これ以上の傍聴人はいないだろう。2人分の紅茶を淹れて、互いにカップをコツンと合わせる。久しぶりに、楽しい話ができそうだ。
そういえばそろそろ母の日か…
魔理沙可愛いよ魔理沙。
穏やかで良かったです
良くも悪くもいつもどおりのしっとりした良いお話でした
この母にして娘ありって感じですね。
心が温まりました。GJ
これはいいバカ親子。
幽香さんどY(やさしい)
優しいお話に、ニヤニヤさせていただきました。