散らかり放題になった部屋。
その中に散乱する本の数々を眺めため息をつく。
今日は全く片付く気配がないと以前から聞いていた、魔理沙の家へと片付けにやってきていた。
相当散らかっていると聞いていたし、実物を見て気が遠くなるような思いでいたけど、それでも一日かければなんとかなると思っていた。
一時間前にある問題が持ち上がるまでは…。
「はぁ…本当にどうするのよこれ」
目の前に現れた新たな障害に途方に暮れて何度目かのため息をつく。
こんなものが現れなければ一日で何とかなったんだろうけど、今の状況じゃいったいどれだけの時間かかるのか見当も付かない。
「なんだよアリス、そんなにため息ばっかりついて」
私とは打って変わって元気そうな魔理沙の声に振り返る。
深刻に悩む私に比べて、魔理沙の表情は気楽そのものだ。
「あのねぇ…私達は誰かさんが集めすぎた魔導書のおかげで、訳の分からない結界に閉じ込められちゃったのよ? そりゃため息もつきたくなるわよ」
そう、今の私達は魔理沙の無作為に集めた魔導書の世にも珍しい相互作用により、見たこともない結界の中に閉じ込められてしまったのだ。
事の発端は、魔理沙が片付けるために積み上げていた本の山を崩してしまったことによる。
そこから偶然にも、微量に魔力を持っていた魔導書同士の力が絡み合い、不思議結界を作り出してしまったのである。
そんな適当な手段で生み出された結界の癖に衝撃にも強いらしく、軽く攻撃してみたがびくともしなかった。
しかも魔導書の力を複雑に絡めた結界のため、ヘタに動かすと何が起こるかわからないから簡単に手出しも出来ない。
そのためどうしたものかと途方に暮れていたのである。
……少なくとも私は。
「どうしようもないことは悩んでも仕方ないだろ? 幸いここは家の中だから食べ物とかもあるから飢え死にの心配もないんだし、気楽に解いていこうぜ」
「ホントに魔理沙は楽天家ね…」
魔理沙のあまりの危機感のなさに呆れてしまう。
だけど魔理沙の言うとおり食べ物の貯えはそれなりにあるみたいだし、焦らずやっていくしかないかもね。
「それに、おそらくこれは外からも中からも出入りできない結界だろ? そうなれば楽しくもなるじゃないか」
「…いや、外からも入れないんじゃ絶望感も増すだけでしょ」
「なに言ってるんだアリスっ、外からも入れないって事は誰からも邪魔されない二人だけの世界ってことだぜ!? これはテンション上げるなって方が無理な話だぜっ!」
「はぁ…またそんなこと言って」
なんとなく予想は出来ていたけど、魔理沙はいったい何回ため息をつかせれば済むのかしら…。
もし閉じ込められた場所が私の家とかならまだしも、ここじゃあ散らかり放題で雰囲気もなにもあったもんじゃないし。
「うぐぐ…付き合ったばかりの頃なら、こんなこと言えば顔を赤らめて恥ずかしがってくれたのに、最近は反応が冷めてるぜ…」
「当たり前でしょ、魔理沙と付き合って随分経ったんだし慣れもするわよ」
魔理沙の言うとおり、最初の頃は少しそういうことを言われただけで顔が熱くなって仕方なかったが、最近は慣れてきてそういうこともなくなってきた。
もちろん今でもドキドキすることはあるんだけど、取り乱すことはほとんどなくなってきたかもしれない。
それもこれも、魔理沙から日常的に口説き文句を言われ続けてきたからだろう。
「まぁいいか。それよりそろそろ昼飯にしようぜ。腹が減ってはなんとやらだぜ」
「一時か…そうね、そろそろお昼にしましょう」
その提案に頷き、用意してきたバスケットを手にする。
今日は片づけしながらでも食べれるようにと、サンドイッチを作ってきたのだ。
「ヘタに魔導書を動かしたらマズいし、仕方ないから床に座って食べましょうか」
「だな。クッションに座れば大丈夫だろ」
魔導書にうっかり触れないようにと、床での昼食タイムにすることにした。
サンドイッチだからテーブルとかなくても食べられるしね。
「おぉ、相変わらずアリスの料理は美味そうだぜっ! いただきまーす!」
「そうかしら? サンドイッチなんて簡単だし、誰が作っても同じだと思うけど」
「そんなことないぜっ! 具だってアリスの手作りなんだから、他のやつが作ったのよりも何倍も美味いんだぜっ!」
やっぱり美味いっ! と少々大げさにも思えてしまうリアクションをしながら、サンドイッチを食べる魔理沙。
こうして魔理沙は料理を作ると凄くおいしそうに食べてくれるから、とても作り甲斐がある。
嬉しそうに食べてくれる魔理沙を見ていると、思わず頬が緩んでしまうのだ。
「ほら、アリスも食べてみろよっ。あ~んっ」
「あ~ん…。うん、我ながらいい感じかな」
魔理沙から差し出されたサンドイッチを一口食べる。
中身はイチゴジャムだったみたいで、甘さと仄かな酸味が口の中に広がった。
うん、上出来ね。
「あっ、そのマーマレードのやつも食べてみたいぜ」
「マーマレード…これね。はい、あ~ん」
「あ~ん。うん、これも美味いぜっ!」
魔理沙にマーマレードのサンドイッチを一口食べさせ、自分でも一口食べる。
こっちも美味くできたみたい。
そうして時々食べさせ合いっこをしながら昼食をとる。
やっぱり二人で食べるご飯は楽しくて、あっという間に食べ終わってしまった。
……しかしもし魔理沙と付き合い始めたばかりの頃の私なら、食べさせ合いっこなんて恥ずかしくて出来たものじゃなかったはずなのに、慣れというのは恐ろしい。
今では二人で食事をするときには定番の流れになっていて、これをやらないと逆に寂しく感じるくらいなのだから。
「ん? アリスほっぺにジャムが付いてるぜ?」
「えっ? どこ?」
「仕方ないな、私が取ってやるぜ」
そう言って、魔理沙が私の両肩に手を置いて顔を近づけてくる。
取ってやるといったのに、なんで顔を近づけてくるのかと不思議に思っていると―――
「ほら、ここだぜここ」
―――ペロっと頬を舐められた。
「なっ!?」
完全に不意を突かれ顔が熱くなる。
「どうだ? ドキッとしただろ?」
「す、少しだけね…」
得意そうにニヤリとする魔理沙を見てちょっと悔しくなりながらも、視線を逸らしながら頷く。
流石に慣れてきたといっても、ここまでされて平常心を保っていられるほど私は冷静ではない。
確かに慣れてきて前ほど動揺することはなくなったけど、やっぱり魔理沙に攻められればいずれ平静が保てなくなるのは変わらなかった。
大分耐性がついてきたと思ったのに、こんな一回の不意打ちでそれを崩されてしまったのが歯がゆい。
なんとかして少しだけでも魔理沙を動揺させたい…。
「ねぇ…魔理沙も食べかすが付いてるわよ?」
「ん? どこだよ」
警戒することもなく聞き返してきた魔理沙の反応に、心の中でガッツポーズをする。
ホントは食べかすなんて付いてないけど、こっちだけ動揺させられたまま引き下がることなんて出来ない。
ここはなんとしても一矢報いるのよ…!
「ほら、ここよ」
そういうと私は無警戒の魔理沙に顔を近づけ、ちゅっと軽く頬にキスをする。
ふふっ、流石の魔理沙も私がいきなりキスなんてしたら驚くに決まって―――
「さんきゅ、キスして取ってくれるなんて嬉しいぜ」
―――……あれ?
「な、なんで全然驚かないのよっ?」
私からキスするなんて滅多にやらないから絶対驚くと思ったのに…!
「アリスの考えることなんてお見通しだからな~。私があんなことしたからアリスは悔しがって、絶対同じような方法で仕返ししようとしてくるってのは分かりきってたのぜ」
「うぐぐぐ…」
く、悔しい…。まさかそこまで読まれていたなんて…!
自分からするのだってちょっと恥ずかしいのに、これじゃあ私ばっかり損してるじゃないっ…!
…まぁ、魔理沙がほっぺた舐めて取ってくれたのはそれなりに嬉しかったけど…。
「だけどアリスからキスしてくれたのはホントに嬉しかったぜ。アリスの方からしてくれるなんてあんまりないから余計にさ」
そう言ってニコニコ笑う魔理沙を見ていたら、なんだか悔しく思う気持ちが消えていった。
魔理沙が嬉しそうだし、まぁいいかしらね…。
「ふわぁ…なんだか腹が一杯になったら眠くなってきたぜ…」
「あのねぇ…早くこの結界解かなきゃいけないのに、のん気にお昼寝なんてしてていいの?」
お腹が一杯になると眠くなっちゃうのはわかるけど、今はピクニックに来てるわけじゃないんだけど…。
そもそも、全く解き方が判明してない結界に閉じ込められてるのに、こんな調子でいいのかしら?
ここから出られない限り、食料調達はおろか他の人に会うことすら出来ないのに。
……だけど、二人っきりかぁ…。
「う~ん、じゃあアリスが膝枕してくれたら考えるぜっ」
「結局寝るつもりなんじゃないの。しょうがないわね…ほら、三十分だけよ?」
寝ようとする考えを変えない魔理沙に呆れながらも、仕方ないかと諦め、ぽんぽんと膝の上を叩く。
「やったぜっ! 大好きだぜアリスっ」
「ったく、調子いいんだから」
私の言葉に魔理沙が嬉々として膝を枕にゴロンと寝転がる。
そんな様子を見ていると、思わず頬が緩むのを感じた。
甘いと思いつつ魔理沙の笑顔に喜んでいるあたり、私も危機感が無いのかもしれないなぁ…。
「いい? 三十分経ったら、ちゃんと結界を解除する作業始めるんだからね?」
「わかってるって。まぁ私はしばらくこのままでもいいけどな」
「またそんなこと言って…」
「だけどさ、誰にも邪魔されずアリスと二人きりで居られるんだから、私はそれほど悪いことじゃないと思うけどな~」
まだそんな気楽なことをいう魔理沙にまたため息が出そうになる。
だけど、心の中ではその言葉に頷いている自分も居た。
別に普段からよく邪魔が入るというわけではないけれど、いつも二人っきりで居られるわけではないのは事実だ。
それが結界を理由に誰にも邪魔されず、魔理沙と二人っきりで居られるというのはちょっとだけ心惹かれる…。
「といっても、やっぱりいざ食料が尽きたときに解除法が見つかってなかったんじゃやばいから、ちゃんと解くとするか」
「そ、そうよ。私は食べ物無くても大丈夫だけど、魔理沙はそうはいかないんだからね」
「ってそっか、アリスは魔法使いだからなんも食べなくて大丈夫なんだもんな」
じゃあ食料に余裕あるんだし、ゆっくりでいい気がするな~なんて笑う魔理沙。
全く、私が魔法使いだって忘れてるなんてうっかりしてるんだから魔理沙は。
………私も今の今まで忘れてて、お昼一緒に食べちゃったけど。
だ、だって普通に日常生活で人間と同じ生活してるから、つい忘れちゃってたんだもの…。
魔理沙は気づいてないみたいだし、私も忘れてたことは黙っておきましょうっ。
「それにしてもアリスはホントに綺麗で可愛いな」
「な、なによ急に…」
自分の思考に夢中になっていると、魔理沙がそっと右手で頬を触ってそんなことを言ってきた。
頬に触れた手が温かくて、微笑む顔が柔らかくて、胸のリズムが少し駆け足になる。
「こうして下から見上げてみて改めて思ったのさ。アリスはホントに全てが整ってて綺麗で……それでいいて凄く可愛くて、世界一の美少女だなって」
まるで自分の宝物を自慢するような得意げな笑顔に顔が熱くなる。
そ、そんな顔本人に向けてどうするのよ…。
……嬉しいけどね。
「あ、ありがとう…。でも世界一は言い過ぎよ…?」
「言い過ぎなもんか。私は心の底からアリスは世界一可愛い女の子だって思ってる。誰がなんと言おうとこれは変わらないぜ」
真っ直ぐなその言葉に鼓動はどんどん早くなっていく。
さっきまで動揺させられるのは悔しいと思っていたのが嘘のように、胸の高鳴りが心地いい。
ドキドキする私の唇を、魔理沙の親指が優しく撫でてきた。
「アリスは唇も可愛いな…。こうして撫でるとぷっくりしてて柔らかくて…キスしたら凄く気持ちいいんだろうなって思うぜ」
「いっつもキスしてるくせに何言ってるのよもう…」
言葉とは裏腹に魔理沙に褒められるのが嬉しくて、幸せな気持ちになる。
いつも魔理沙にはドキドキさせられっぱなし。
それでももっとドキドキさせて欲しいと思えた。
胸がときめくたびに、リズムが駆け足になるたびに、あなたへの想いが強くなっていく気がするから。
「いいわよ…。キス……しても…」
気持ちが高まって、自然とそんな言葉がこぼれる。
珍しい私の言葉に流石の魔理沙も驚いたようにきょとんとしている。
「アリスからそういうこと言うのは珍しいけど…いいのか?」
「うん、この唇にキスしていいのは……魔理沙だけなんだから」
熱に浮かされているせいか、普段はためらうような言葉がすんなりと出てくる。
それを聞いた魔理沙は珍しく少し頬を赤くしていた。
これでさっきやられた仕返しは出来たのかもしれないけど、今はそんなことどうでもよかった。
早くあなたの優しいキスをして欲しい。
あなたの柔らかな唇を重ねて、私に愛を伝えて欲しい…。
「さんきゅ、そう言ってもらえるとものすごく嬉しい」
はにかんで身体を起こし、首の後ろに腕を回してくる魔理沙。
そしてゆっくりその顔が近づけられる。
それに応える様に、そっと目を閉じた。
「それじゃあいくな。…今のアリス、最高に可愛いぜ」
その言葉のすぐ後に、柔らかな感触が唇に伝わってきた。
魔理沙は私の唇を褒めてくれたけど、そのキスの感触はとても気持ちいい。
これだけ心地いいのは、魔理沙の愛が伝わってきているからかもしれないけど。
数分間唇を重ねた後、どちらともなくそれを離す。
目を開けると魔理沙と目が合い、なんだか気恥ずかしかった。
「やっぱりアリスの唇、凄く気持ちよかったぜ」
「そ、そう……」
そんな恥ずかしい感想を言われて、思わず視線を逸らす。
さっきも言われた言葉だけれど、こういう言葉は何度言われても恥ずかしい。
「アリス、愛してるぜ」
「わ、私も魔理沙のこと…愛してる」
魔理沙の言葉に胸の高鳴りで詰まりそうになりながらも、なんとか返答をする。
頷くだけでも良かったかもしれなけど、この気持ちだけはきちんと言葉で伝えたかったから。
「…さて、じゃあそろそろ結界解除に取り掛かるか。ちょっと名残惜しいけどな」
魔理沙がくるりと後ろを向き、崩れた本のほうに視線を向ける。
確かにそろそろ結界の解除に取り組まないと。
「そ、そうね…」
魔理沙の言葉に少し寂しさを感じる。
ちゃんと解除しなきゃと言っておきならが、私もこの二人っきりの空間が気に入っていたみたいだ。
……いっそのこと、結界を解くの…ちょっと手を抜いちゃおうかしら…?
「ってあれ? なんかもう結界解けてるぜ?」
「えっ?」
魔理沙の言葉にびっくりして周りを見渡すと、確かに張られていた結界やその気配がなくなっていた。
いったいどうして…。
「あ~…もしかして、さっき起き上がるときにうっかり本を一冊蹴っちゃったんだけど、そのせいだったのかもしれないな…」
「そ、そんな簡単なことで…?」
てっきり何日も解除までかかるものだと思っていたから拍子抜けしてしまう。
この状況でうっかり本を蹴っちゃうなんて、魔理沙も危機感が無さ過ぎると怒りたいところだけど、自分もあの時はすっかり結界のことを忘れていたから何もいえない。
それに結果オーライだったんだから、とやかく言うこともないかもしれない。
問題は結界が解けてしまったということだし…。
「私としてはもうちょっとこのままで良かったんだが、解けるか分からない状態だったしこれで良かったのかもな」
「そ、そうね…」
そう、これで良かったのだ。
確かに正直な話、もうちょっと魔理沙と二人きりで居たかったけれど、いつ解けるかわからない結界に閉じ込められたままでいるわけにはいかなかったし…。
……だけどもしここで、本の山を崩したりしてしまったら…また二人で閉じ込められてしまったりするんだろうか。
例えばこの隣にある魔導書の山を、あくまで“うっかり”私が崩してしまったりしたら。
「さて、それじゃあとりあえずアリスの家にでも行くとしようぜ。それからこの魔導書をどうするか―――」
「―――えいっ」
「ってなにやってるんだアリスーっ!!」
魔理沙の話の途中で『うっかり』、あくまで『うっかり』本の山を蹴り崩してしまった私。
そして崩れた魔導書はお互いに作用し合い、ラッキーなことに―――いやいや、困ったことに再びさっきの結界を作り出してしまった。
「ご、ごめんね魔理沙。私『うっかり』本の山を崩しちゃったわ」
「いや、うっかりって…。今明らかに蹴り飛ばしてたよな…?」
「な、なんのことかしら。今のはたまたま足を延ばした先に本の山があっただけで、あくまで『うっかり』なんだからね?」
そう、これはあくまで不幸な事故なのだ。
けしてもっと二人きりで居たかったから故意に本の山を崩したとか、そんなことはまったくない。
失敗は誰にでもあるのだ。だからこそ、それをこれから取り戻さなくちゃねっ!
「さぁ魔理沙、また結界解除に向けて頑張りましょうっ」
「うい~…」
若干魔理沙が呆れたような目を向けてきたのが気になったけれど、きっとそれは気のせいだろう。
そうして私達は、再び結界解除という試練に向かうことになったのである。
その後結界解除には三日ほどかかった。
もっとも実際の作業時間は一日三時間くらいしかしてなかったから、本当はもっと早く抜け出せたんだろうけど。
解除が終わった後魔理沙は「この結界便利だから、自分でも使えるように研究してみるぜ!」なんて言ってたから、完成が凄く楽しみ―――じゃなくて、なにに使用するのかとても心配だ。
その結界が完成したと魔理沙が言い出したら、目一杯食料を蓄えて使用し―――ではなくて、変なことに使わないように念を押しておかなきゃねっ!
その中に散乱する本の数々を眺めため息をつく。
今日は全く片付く気配がないと以前から聞いていた、魔理沙の家へと片付けにやってきていた。
相当散らかっていると聞いていたし、実物を見て気が遠くなるような思いでいたけど、それでも一日かければなんとかなると思っていた。
一時間前にある問題が持ち上がるまでは…。
「はぁ…本当にどうするのよこれ」
目の前に現れた新たな障害に途方に暮れて何度目かのため息をつく。
こんなものが現れなければ一日で何とかなったんだろうけど、今の状況じゃいったいどれだけの時間かかるのか見当も付かない。
「なんだよアリス、そんなにため息ばっかりついて」
私とは打って変わって元気そうな魔理沙の声に振り返る。
深刻に悩む私に比べて、魔理沙の表情は気楽そのものだ。
「あのねぇ…私達は誰かさんが集めすぎた魔導書のおかげで、訳の分からない結界に閉じ込められちゃったのよ? そりゃため息もつきたくなるわよ」
そう、今の私達は魔理沙の無作為に集めた魔導書の世にも珍しい相互作用により、見たこともない結界の中に閉じ込められてしまったのだ。
事の発端は、魔理沙が片付けるために積み上げていた本の山を崩してしまったことによる。
そこから偶然にも、微量に魔力を持っていた魔導書同士の力が絡み合い、不思議結界を作り出してしまったのである。
そんな適当な手段で生み出された結界の癖に衝撃にも強いらしく、軽く攻撃してみたがびくともしなかった。
しかも魔導書の力を複雑に絡めた結界のため、ヘタに動かすと何が起こるかわからないから簡単に手出しも出来ない。
そのためどうしたものかと途方に暮れていたのである。
……少なくとも私は。
「どうしようもないことは悩んでも仕方ないだろ? 幸いここは家の中だから食べ物とかもあるから飢え死にの心配もないんだし、気楽に解いていこうぜ」
「ホントに魔理沙は楽天家ね…」
魔理沙のあまりの危機感のなさに呆れてしまう。
だけど魔理沙の言うとおり食べ物の貯えはそれなりにあるみたいだし、焦らずやっていくしかないかもね。
「それに、おそらくこれは外からも中からも出入りできない結界だろ? そうなれば楽しくもなるじゃないか」
「…いや、外からも入れないんじゃ絶望感も増すだけでしょ」
「なに言ってるんだアリスっ、外からも入れないって事は誰からも邪魔されない二人だけの世界ってことだぜ!? これはテンション上げるなって方が無理な話だぜっ!」
「はぁ…またそんなこと言って」
なんとなく予想は出来ていたけど、魔理沙はいったい何回ため息をつかせれば済むのかしら…。
もし閉じ込められた場所が私の家とかならまだしも、ここじゃあ散らかり放題で雰囲気もなにもあったもんじゃないし。
「うぐぐ…付き合ったばかりの頃なら、こんなこと言えば顔を赤らめて恥ずかしがってくれたのに、最近は反応が冷めてるぜ…」
「当たり前でしょ、魔理沙と付き合って随分経ったんだし慣れもするわよ」
魔理沙の言うとおり、最初の頃は少しそういうことを言われただけで顔が熱くなって仕方なかったが、最近は慣れてきてそういうこともなくなってきた。
もちろん今でもドキドキすることはあるんだけど、取り乱すことはほとんどなくなってきたかもしれない。
それもこれも、魔理沙から日常的に口説き文句を言われ続けてきたからだろう。
「まぁいいか。それよりそろそろ昼飯にしようぜ。腹が減ってはなんとやらだぜ」
「一時か…そうね、そろそろお昼にしましょう」
その提案に頷き、用意してきたバスケットを手にする。
今日は片づけしながらでも食べれるようにと、サンドイッチを作ってきたのだ。
「ヘタに魔導書を動かしたらマズいし、仕方ないから床に座って食べましょうか」
「だな。クッションに座れば大丈夫だろ」
魔導書にうっかり触れないようにと、床での昼食タイムにすることにした。
サンドイッチだからテーブルとかなくても食べられるしね。
「おぉ、相変わらずアリスの料理は美味そうだぜっ! いただきまーす!」
「そうかしら? サンドイッチなんて簡単だし、誰が作っても同じだと思うけど」
「そんなことないぜっ! 具だってアリスの手作りなんだから、他のやつが作ったのよりも何倍も美味いんだぜっ!」
やっぱり美味いっ! と少々大げさにも思えてしまうリアクションをしながら、サンドイッチを食べる魔理沙。
こうして魔理沙は料理を作ると凄くおいしそうに食べてくれるから、とても作り甲斐がある。
嬉しそうに食べてくれる魔理沙を見ていると、思わず頬が緩んでしまうのだ。
「ほら、アリスも食べてみろよっ。あ~んっ」
「あ~ん…。うん、我ながらいい感じかな」
魔理沙から差し出されたサンドイッチを一口食べる。
中身はイチゴジャムだったみたいで、甘さと仄かな酸味が口の中に広がった。
うん、上出来ね。
「あっ、そのマーマレードのやつも食べてみたいぜ」
「マーマレード…これね。はい、あ~ん」
「あ~ん。うん、これも美味いぜっ!」
魔理沙にマーマレードのサンドイッチを一口食べさせ、自分でも一口食べる。
こっちも美味くできたみたい。
そうして時々食べさせ合いっこをしながら昼食をとる。
やっぱり二人で食べるご飯は楽しくて、あっという間に食べ終わってしまった。
……しかしもし魔理沙と付き合い始めたばかりの頃の私なら、食べさせ合いっこなんて恥ずかしくて出来たものじゃなかったはずなのに、慣れというのは恐ろしい。
今では二人で食事をするときには定番の流れになっていて、これをやらないと逆に寂しく感じるくらいなのだから。
「ん? アリスほっぺにジャムが付いてるぜ?」
「えっ? どこ?」
「仕方ないな、私が取ってやるぜ」
そう言って、魔理沙が私の両肩に手を置いて顔を近づけてくる。
取ってやるといったのに、なんで顔を近づけてくるのかと不思議に思っていると―――
「ほら、ここだぜここ」
―――ペロっと頬を舐められた。
「なっ!?」
完全に不意を突かれ顔が熱くなる。
「どうだ? ドキッとしただろ?」
「す、少しだけね…」
得意そうにニヤリとする魔理沙を見てちょっと悔しくなりながらも、視線を逸らしながら頷く。
流石に慣れてきたといっても、ここまでされて平常心を保っていられるほど私は冷静ではない。
確かに慣れてきて前ほど動揺することはなくなったけど、やっぱり魔理沙に攻められればいずれ平静が保てなくなるのは変わらなかった。
大分耐性がついてきたと思ったのに、こんな一回の不意打ちでそれを崩されてしまったのが歯がゆい。
なんとかして少しだけでも魔理沙を動揺させたい…。
「ねぇ…魔理沙も食べかすが付いてるわよ?」
「ん? どこだよ」
警戒することもなく聞き返してきた魔理沙の反応に、心の中でガッツポーズをする。
ホントは食べかすなんて付いてないけど、こっちだけ動揺させられたまま引き下がることなんて出来ない。
ここはなんとしても一矢報いるのよ…!
「ほら、ここよ」
そういうと私は無警戒の魔理沙に顔を近づけ、ちゅっと軽く頬にキスをする。
ふふっ、流石の魔理沙も私がいきなりキスなんてしたら驚くに決まって―――
「さんきゅ、キスして取ってくれるなんて嬉しいぜ」
―――……あれ?
「な、なんで全然驚かないのよっ?」
私からキスするなんて滅多にやらないから絶対驚くと思ったのに…!
「アリスの考えることなんてお見通しだからな~。私があんなことしたからアリスは悔しがって、絶対同じような方法で仕返ししようとしてくるってのは分かりきってたのぜ」
「うぐぐぐ…」
く、悔しい…。まさかそこまで読まれていたなんて…!
自分からするのだってちょっと恥ずかしいのに、これじゃあ私ばっかり損してるじゃないっ…!
…まぁ、魔理沙がほっぺた舐めて取ってくれたのはそれなりに嬉しかったけど…。
「だけどアリスからキスしてくれたのはホントに嬉しかったぜ。アリスの方からしてくれるなんてあんまりないから余計にさ」
そう言ってニコニコ笑う魔理沙を見ていたら、なんだか悔しく思う気持ちが消えていった。
魔理沙が嬉しそうだし、まぁいいかしらね…。
「ふわぁ…なんだか腹が一杯になったら眠くなってきたぜ…」
「あのねぇ…早くこの結界解かなきゃいけないのに、のん気にお昼寝なんてしてていいの?」
お腹が一杯になると眠くなっちゃうのはわかるけど、今はピクニックに来てるわけじゃないんだけど…。
そもそも、全く解き方が判明してない結界に閉じ込められてるのに、こんな調子でいいのかしら?
ここから出られない限り、食料調達はおろか他の人に会うことすら出来ないのに。
……だけど、二人っきりかぁ…。
「う~ん、じゃあアリスが膝枕してくれたら考えるぜっ」
「結局寝るつもりなんじゃないの。しょうがないわね…ほら、三十分だけよ?」
寝ようとする考えを変えない魔理沙に呆れながらも、仕方ないかと諦め、ぽんぽんと膝の上を叩く。
「やったぜっ! 大好きだぜアリスっ」
「ったく、調子いいんだから」
私の言葉に魔理沙が嬉々として膝を枕にゴロンと寝転がる。
そんな様子を見ていると、思わず頬が緩むのを感じた。
甘いと思いつつ魔理沙の笑顔に喜んでいるあたり、私も危機感が無いのかもしれないなぁ…。
「いい? 三十分経ったら、ちゃんと結界を解除する作業始めるんだからね?」
「わかってるって。まぁ私はしばらくこのままでもいいけどな」
「またそんなこと言って…」
「だけどさ、誰にも邪魔されずアリスと二人きりで居られるんだから、私はそれほど悪いことじゃないと思うけどな~」
まだそんな気楽なことをいう魔理沙にまたため息が出そうになる。
だけど、心の中ではその言葉に頷いている自分も居た。
別に普段からよく邪魔が入るというわけではないけれど、いつも二人っきりで居られるわけではないのは事実だ。
それが結界を理由に誰にも邪魔されず、魔理沙と二人っきりで居られるというのはちょっとだけ心惹かれる…。
「といっても、やっぱりいざ食料が尽きたときに解除法が見つかってなかったんじゃやばいから、ちゃんと解くとするか」
「そ、そうよ。私は食べ物無くても大丈夫だけど、魔理沙はそうはいかないんだからね」
「ってそっか、アリスは魔法使いだからなんも食べなくて大丈夫なんだもんな」
じゃあ食料に余裕あるんだし、ゆっくりでいい気がするな~なんて笑う魔理沙。
全く、私が魔法使いだって忘れてるなんてうっかりしてるんだから魔理沙は。
………私も今の今まで忘れてて、お昼一緒に食べちゃったけど。
だ、だって普通に日常生活で人間と同じ生活してるから、つい忘れちゃってたんだもの…。
魔理沙は気づいてないみたいだし、私も忘れてたことは黙っておきましょうっ。
「それにしてもアリスはホントに綺麗で可愛いな」
「な、なによ急に…」
自分の思考に夢中になっていると、魔理沙がそっと右手で頬を触ってそんなことを言ってきた。
頬に触れた手が温かくて、微笑む顔が柔らかくて、胸のリズムが少し駆け足になる。
「こうして下から見上げてみて改めて思ったのさ。アリスはホントに全てが整ってて綺麗で……それでいいて凄く可愛くて、世界一の美少女だなって」
まるで自分の宝物を自慢するような得意げな笑顔に顔が熱くなる。
そ、そんな顔本人に向けてどうするのよ…。
……嬉しいけどね。
「あ、ありがとう…。でも世界一は言い過ぎよ…?」
「言い過ぎなもんか。私は心の底からアリスは世界一可愛い女の子だって思ってる。誰がなんと言おうとこれは変わらないぜ」
真っ直ぐなその言葉に鼓動はどんどん早くなっていく。
さっきまで動揺させられるのは悔しいと思っていたのが嘘のように、胸の高鳴りが心地いい。
ドキドキする私の唇を、魔理沙の親指が優しく撫でてきた。
「アリスは唇も可愛いな…。こうして撫でるとぷっくりしてて柔らかくて…キスしたら凄く気持ちいいんだろうなって思うぜ」
「いっつもキスしてるくせに何言ってるのよもう…」
言葉とは裏腹に魔理沙に褒められるのが嬉しくて、幸せな気持ちになる。
いつも魔理沙にはドキドキさせられっぱなし。
それでももっとドキドキさせて欲しいと思えた。
胸がときめくたびに、リズムが駆け足になるたびに、あなたへの想いが強くなっていく気がするから。
「いいわよ…。キス……しても…」
気持ちが高まって、自然とそんな言葉がこぼれる。
珍しい私の言葉に流石の魔理沙も驚いたようにきょとんとしている。
「アリスからそういうこと言うのは珍しいけど…いいのか?」
「うん、この唇にキスしていいのは……魔理沙だけなんだから」
熱に浮かされているせいか、普段はためらうような言葉がすんなりと出てくる。
それを聞いた魔理沙は珍しく少し頬を赤くしていた。
これでさっきやられた仕返しは出来たのかもしれないけど、今はそんなことどうでもよかった。
早くあなたの優しいキスをして欲しい。
あなたの柔らかな唇を重ねて、私に愛を伝えて欲しい…。
「さんきゅ、そう言ってもらえるとものすごく嬉しい」
はにかんで身体を起こし、首の後ろに腕を回してくる魔理沙。
そしてゆっくりその顔が近づけられる。
それに応える様に、そっと目を閉じた。
「それじゃあいくな。…今のアリス、最高に可愛いぜ」
その言葉のすぐ後に、柔らかな感触が唇に伝わってきた。
魔理沙は私の唇を褒めてくれたけど、そのキスの感触はとても気持ちいい。
これだけ心地いいのは、魔理沙の愛が伝わってきているからかもしれないけど。
数分間唇を重ねた後、どちらともなくそれを離す。
目を開けると魔理沙と目が合い、なんだか気恥ずかしかった。
「やっぱりアリスの唇、凄く気持ちよかったぜ」
「そ、そう……」
そんな恥ずかしい感想を言われて、思わず視線を逸らす。
さっきも言われた言葉だけれど、こういう言葉は何度言われても恥ずかしい。
「アリス、愛してるぜ」
「わ、私も魔理沙のこと…愛してる」
魔理沙の言葉に胸の高鳴りで詰まりそうになりながらも、なんとか返答をする。
頷くだけでも良かったかもしれなけど、この気持ちだけはきちんと言葉で伝えたかったから。
「…さて、じゃあそろそろ結界解除に取り掛かるか。ちょっと名残惜しいけどな」
魔理沙がくるりと後ろを向き、崩れた本のほうに視線を向ける。
確かにそろそろ結界の解除に取り組まないと。
「そ、そうね…」
魔理沙の言葉に少し寂しさを感じる。
ちゃんと解除しなきゃと言っておきならが、私もこの二人っきりの空間が気に入っていたみたいだ。
……いっそのこと、結界を解くの…ちょっと手を抜いちゃおうかしら…?
「ってあれ? なんかもう結界解けてるぜ?」
「えっ?」
魔理沙の言葉にびっくりして周りを見渡すと、確かに張られていた結界やその気配がなくなっていた。
いったいどうして…。
「あ~…もしかして、さっき起き上がるときにうっかり本を一冊蹴っちゃったんだけど、そのせいだったのかもしれないな…」
「そ、そんな簡単なことで…?」
てっきり何日も解除までかかるものだと思っていたから拍子抜けしてしまう。
この状況でうっかり本を蹴っちゃうなんて、魔理沙も危機感が無さ過ぎると怒りたいところだけど、自分もあの時はすっかり結界のことを忘れていたから何もいえない。
それに結果オーライだったんだから、とやかく言うこともないかもしれない。
問題は結界が解けてしまったということだし…。
「私としてはもうちょっとこのままで良かったんだが、解けるか分からない状態だったしこれで良かったのかもな」
「そ、そうね…」
そう、これで良かったのだ。
確かに正直な話、もうちょっと魔理沙と二人きりで居たかったけれど、いつ解けるかわからない結界に閉じ込められたままでいるわけにはいかなかったし…。
……だけどもしここで、本の山を崩したりしてしまったら…また二人で閉じ込められてしまったりするんだろうか。
例えばこの隣にある魔導書の山を、あくまで“うっかり”私が崩してしまったりしたら。
「さて、それじゃあとりあえずアリスの家にでも行くとしようぜ。それからこの魔導書をどうするか―――」
「―――えいっ」
「ってなにやってるんだアリスーっ!!」
魔理沙の話の途中で『うっかり』、あくまで『うっかり』本の山を蹴り崩してしまった私。
そして崩れた魔導書はお互いに作用し合い、ラッキーなことに―――いやいや、困ったことに再びさっきの結界を作り出してしまった。
「ご、ごめんね魔理沙。私『うっかり』本の山を崩しちゃったわ」
「いや、うっかりって…。今明らかに蹴り飛ばしてたよな…?」
「な、なんのことかしら。今のはたまたま足を延ばした先に本の山があっただけで、あくまで『うっかり』なんだからね?」
そう、これはあくまで不幸な事故なのだ。
けしてもっと二人きりで居たかったから故意に本の山を崩したとか、そんなことはまったくない。
失敗は誰にでもあるのだ。だからこそ、それをこれから取り戻さなくちゃねっ!
「さぁ魔理沙、また結界解除に向けて頑張りましょうっ」
「うい~…」
若干魔理沙が呆れたような目を向けてきたのが気になったけれど、きっとそれは気のせいだろう。
そうして私達は、再び結界解除という試練に向かうことになったのである。
その後結界解除には三日ほどかかった。
もっとも実際の作業時間は一日三時間くらいしかしてなかったから、本当はもっと早く抜け出せたんだろうけど。
解除が終わった後魔理沙は「この結界便利だから、自分でも使えるように研究してみるぜ!」なんて言ってたから、完成が凄く楽しみ―――じゃなくて、なにに使用するのかとても心配だ。
その結界が完成したと魔理沙が言い出したら、目一杯食料を蓄えて使用し―――ではなくて、変なことに使わないように念を押しておかなきゃねっ!
相変わらずはずれがない。というかあたりばっかりだね。
マリアリ最高!
早く、結婚してください!