私の見ている目の前で、魔理沙は紅蓮の炎に包まれた。
「――――! ――! ――――!」
炎の向こうで、必死に魔理沙が叫ぼうとしているのが分かる。しかし、炎が身を包んだ時、反射で吸い込んでしまった熱風が、既に魔理沙の喉と肺を焼き潰してしまっていて、どうにも声にならないらしい。
魔理沙の左手は忙しなく動いた。目を押さえていたかと思えば、次に喉を押さえて、そしてまた目を押さえ、次に頭を抱え込む。
右手は、一貫して私のほうへと向けられていた。
「ああ……魔理沙! 魔理沙!」
大声で叫ぶ。助けられようものなら、助けてあげたい。それなのに、私は魔力の一つも練ることが出来ない。理由は分からないが、今の私はただの少女になってしまっていた。きっと、人形作りだけが得意で、これといった特徴を持っていない、ただの少女に。
だから魔法使いらしく、両手から水を放射することなど、土を操って魔理沙を覆い尽くそうなど、出来るわけがなかった。
そして魔理沙が、魔理沙の形を失っていくのを、その目に焼き付けていくしか、なかった。魔理沙が焼ければ焼けるほど、私の目にも、魔理沙の姿が――。
魔理沙が伸ばす右手が、力なく地面に落ちた。
「……ハッ!」
その瞬間に私は目を覚ました。動機が激しく、呼吸も荒い。息をする度に、自然と声帯が揺れてしまうほど強い。
「ど、どうしたんだ……?」
そんな私の様子を、隣で魔理沙が見ていた。
私達はふわふわで桃色でハートの形をしたベッドの上。柔らかな羽毛布団に包まれて横たわっていた。今は、私がその布団を押しのけて、前屈をするような体勢になっている。魔理沙も遅れて起き上がり、私の肩を抱いた。
「大丈夫よ……嫌な夢を見たの」
「汗でびっしょりじゃないか。少し呼吸を落ち着けてろ。水を持ってくるよ」
「ええ、ありがとう……」
魔理沙は優しい。私のために気を遣ってくれて、軽やかな足取りでベッドから飛び降りる。
そしてそのまま消えた。
水に落ちる音がした。
息が止まった。水柱が立ち上って、すぐに落ちていく。意味も分からないまま、私はベッドから身を乗り出した。
そこに見えたのは、柔らかい絨毯が敷かれた床でもなく、無骨にフローリングが貼り付けてある床でもなく。青色に透明な水面だった。ベッドは湖の真ん中にある小島のように、そこに浮かんでいたのだ。
「ま……魔理沙!」
そして魔理沙は沈もうとしていた。
口からぼこぼこと気泡を吐き出しながら、両足をばたつかせ、両手を高く上へ上へと突き出していた。私は急いで魔理沙の手を掴もうと、腕を伸ばす。
しかし、魔理沙の手へ届くより早く、見えない壁に指がぶつかった。
「いっ……!」
指先がじんじんと痛む。もう一度、今度は掌で水面を叩く。そこに、一枚の壁があった。
「なんで……なんで!」
飛び降りる。両足は、その透明な壁に着地した。魔理沙のように下へは沈まない。その魔理沙は、徐々にばたつかせる両手両足の動きが鈍くなっているようだった。
「なんで! なんで! なんでェ! なんでよォ!」
何度地面を叩いても、その見えない壁は壊れない。魔理沙には手が届かない。魔理沙はゆっくりと沈んでいく。吐き出す気泡も小さく、少なくなっていく。
最後には気泡を吐き出すことをやめて。
段々と、暗い青の彼方へと沈んでいった。
「……ッツ!」
そこで私は飛び起きる。間髪を入れずに何度も周囲を見た。
私の部屋だった。
私の好きな青をベースに、我ながらセンスよく整えられた部屋だった。白い洋服棚の上やらアクアマリンカラーの鏡台の上やらにごろごろと置かれた人形が、人によっては不気味に感じるらしいけれど。
隣で魔理沙は眠っていた。
火に焼かれた魔理沙も、水に溺れた魔理沙も居ないのだと分かったら、私は心底ほっとした。
何故あんな夢を見たのか。夢は深層心理の現れとでも言うが。
「全く……私は何を考えているのかしらね?」
馬鹿馬鹿しい。私はその深層心理とやらを鼻で笑い飛ばすと、横で眠っている魔理沙の綺麗な髪に指を絡めた。
魔理沙の金髪は美しい。よく梳かれた絹糸が、太陽に光をたっぷり浴びている時のような、柔らかな金色。
青白い肌と合わさって、それはそれは、お人形のようで――
「……えっ?」
その、不自然な、色は。
私は両腕で魔理沙の体を支え上げる。重たい。眠っているからだ。いや違う。
「魔理沙……? 魔理沙! しっかり! 魔理沙!」
抱え上げた腕に、水の当たる感触がした。
恐る恐る視線を落とした。ベッドの上にあったのは。
「何……なんなの……なんなの!」
赤いシミ。
私はまばたきが出来なくなった。動くことが。呼吸も止まり、徐々に顔が赤くなっていく。自分の命が緊急信号を脳に与えた辺りで、大きく息を吐き出し、吸い込んだ。
「はあ……はあ……クソッ!」
口汚く悪態をついてしまった。しかしそんなことをしても無意味だ。どうしようもない。
思わず、拳を振り上げて。……この拳を魔理沙の胸に叩きつければ、あわよくば、ということがあるのだろうか。
そんなこと、出来ない。無意識の内に、大粒の涙が瞳から溢れていた。
握りしめた拳を解いて、静かにそれを拭った。
そして涙を拭った瞳で正面を見据えると、そこに見えたのは台所で、コンロと向い合っていて、私に背を向けた魔理沙が立っていた。
背中にリボンが見えると思ったら、どうやらエプロンを身に着けているらしい。
涙と一緒に流れ出てきたような鼻水をすすると、それで魔理沙が気づいたらしい。
「おっと、目が覚めたか。体調はどうだ?」
そう聞かれて、私ははっと自分の体調不良に気がついた。この鼻水は、泣いたことが原因では無いらしい。
はっとしたところで寒気が襲いかかってくる。視界がぼうっと霞む。耳がきーんと遠くなった気がして、体がとても熱いのが分かった。
「ははは。まだ調子悪いみたいだな。きっと栄養が足りないんだろ。大人しく寝とけよ。今、おかゆ作ってるからさ」
魔理沙に言われるがまま、私は起こしていた体をゆっくりと寝かせる。
そうか。私は風邪を引いていたのか。
体が弱っている時は心も弱るという。だから悪夢に苛まされる。そして心に引きずられるように体もまた体調を崩す……。
そんな悪循環なんてよくある話だ。ああいやだ。私は首を左右に振った。寝転がったのはいいが、もう目を瞑りたくない。眠ってしまったらまた、魔理沙が逝ってしまいそうで。
首だけを動かして、魔理沙のほうを見た。台所で楽しそうに料理をしている魔理沙。きっともう、手放してしまうことはないはずだ。
ゆらゆらと視界が揺れる。思ったよりも熱があるらしい。魔法使いの体で風邪を引いてしまうなんて笑い話だ。心労だろうか?
何をそんなに疲れることがあったっけ。ゆらゆら。ぐらぐらとしていて思考がまとまらない。ゆらゆら。
ゆらゆら。魔理沙の体が揺れてみえる。ああ、これはやっぱり、魔理沙が起こしてくれるまで眠ったほうがいいのかもしれない。
ぐらぐら、がたがた、ゆらゆら、ぐらぐら……。
おかしい。視界じゃなくて、体全体が、揺れているような?
そう認識した瞬間だった。
地面が突き上げるように咆哮した。
今までに感じたことのない衝撃が全身を襲う。縦に突き上げられて、直後左右に大きく揺さぶられたかと思えば、また跳ね上げられるような衝撃が続く。
辺りから至るものが倒れたり落ちたりする音が聞こえる。小さいものは何度か経験したことがあるにしても、これほど破滅的なものは始めてだ。
これは、地震か。
「魔理沙……!」
掠れた声を絞り上げた。返事はない。そもそも聞こえたかどうかすら怪しいくらいに、食器だ家具だと騒音を立てながら暴れている。
私はもはや布団にくるまって、それが止むのを待つしかなかった。
布団を被ってから、数分立った頃だろうか。
揺れはあっという間に引いていって、揺れが小さくなったなと思ったら、気づいた時にはもう無くなっていた。
おもむろに布団を剥ぐ。
予想通り、辺りは惨状だった。倒れていない家具はない。人形はそこらじゅうに飛び散っており、私が寝ていたベットですら、少し床を滑り動いたらしい。
「魔理沙は……魔理沙は……?」
ベッドが動いているせいで、その位置からは台所が見えなくなってしまっていた。
憔悴しきった体を何とか引きずり起こして、死霊のような足取りで台所へと近づいていく。
未来が見えているような気がして、ボロボロの体はどうにかして心のダメージを減らそうと努力しているようだった。視界が、おぼろげ。
そのおぼろげな視界に見えたのは。大きな四角いものの下敷きになった、魔理沙と思わしき影だった。
その魔理沙から広がる、赤い水たまりだった。
私は無言のままに膝を落とした。世界が信じられない。感情を全て失った声で、ぼそりと呟く。
「もう……いいわ」
体から、すっと衰弱感が消えた。
すると同時に、枯れたような、乾いたような空気が鼻に通る。私はゆっくりと顔を上げた。
「……綺麗」
それは、木製の処刑台から垂れた縄に、自分の首だけを支えにしてぶら下がっている魔理沙の姿だった。
力なく、肩を落として、爪の先まで脱力し、時折吹く風に、少しだけ体を揺すられている、魔理沙。
綺麗と呟いたのは、心が純粋に覚えてしまった感動を、そのまま口にしただけのものだ。
辺りは荒野。
その荒野に、私と、魔理沙しかいない。
魔理沙の姿はあまりにも遠かった。一メートルも離れていない場所にぶら下がっているのに、どんなに手を伸ばしても届かないような気がして、どうしようもなく。
天に昇っているのだろうか。
幻想を通り越してしまった幻想的な風景に目を心を奪われる。
もはや何も考えることは出来なかった。
そこに魔理沙が居て、そこで魔理沙が死んでいる。その圧倒的な現実を前に、私は。ただ、息を呑むことしか出来ず。
御神体を前にした巫女か何かのように、ゆっくりと体を前に投げ出すようにして――
「ハッ!」
……頭が痛い。
どうやら長い夢を見ていた。内容もよく覚えている。
「ああ、思い出してみれば中々面白い夢だったじゃないの。魔理沙の死に様を繰り返すなんて、私もまだ、捨てたものじゃないわね。知ってる? 誰かの死を夢見た時、それはその死んでしまった人と添い遂げることを暗示しているのよ」
この夢には、私も満足だった。心から笑うことが出来るほどに。
「だから貴女とはずっと一緒よ」
情愛の証として、魔理沙の額にキスをする。少し恥ずかしくなったので、ぱっと顔を背けて、顔を洗ってくることにした。
「さー、今日も一日頑張りましょ……っと、いけないわ。ちゃんと挨拶しないとね」
ベッドを降りて背伸びをして、そこで不意に思い出す毎日の行儀。
くるりと振り向いて、魔理沙の顔をまっすぐに見つめて、今日も元気に言い放つ。
「おはよう、魔理沙」
魔理沙の白すぎるほどに白い額には、私の唇に残っていた昨日のルージュが、不要なほどに目立っていた。
オチに50点あげよう
百年も前に死んだ魔理沙の事が忘れられず、そっくりな人形とオママゴト的に暮らすアリスの歪みっぷりを書いてるだけだろーが。繰り返される魔理沙の死も、その都度内容が変わる事からして過去の事実をそのまま夢見ているわけじゃなさそうだし。
話の仕掛けも上手いです。
一つだけ気になるのは、オチはシーンを切り替えない方が好みでした。
駄目っ子のアリスがこんなに可愛いく感じられたのは初めてです。
今日も元気に言い放つアリスにハートを打ち抜かれました。
使い古された言葉だが……萌える!
しかし、人形製作については達人であろうアリス製魔理沙人形が白過ぎるのはどうしてだろう?w
自分はそういう解釈をしました。
つまり自分の解釈ではアリスが魔理沙の遺骸を……