僕は、生まれて初めて「真っ白な嘘」をついた。
妖怪大戦争より
「おっ、この魔導書、月刊都会派魔女の懸賞の奴じゃん」
「ちょっと魔理沙、勝手に人の家のモノ漁らないでよ」
「これ、アリスが当てたやつか?」
「え? あー、まあね」
適当に相槌を打ちつつ、私は紅茶に口をつけた。
風味が鼻を突きぬける。
うん、悪くない。
「しかしアリスの部屋は整頓されてるせいで、貴重なものが見つけやすいな。泥棒の格好の餌食だぜ」
「だからって魔理沙みたいなゴミ屋敷もどうかと思うけど」
「ゴミ屋敷じゃない。宝の山だ」
部屋が夕焼けで真っ赤に染められていることに気づき、壁に駆けられたローマ数字表記の時計に目をやる。
そろそろ晩御飯の時間だ。
料理を振舞いたいところだが、今日は自分の分程度しか食べ物が無いのでご帰宅願おう。
そう思ってテーブルに突っ伏した七曜の魔女に声をかけた。
「パチュリー。寝ちゃったの? そろそろレミリアが心配する頃よ?」
「ガキじゃないんだから……まあ遊び相手がいないからってダダをこねそうではあるけど。そもそも私は寝てないし。ちょっと夕方のまどろみに身を任せてただけよ」
「……割と寝てるって言うんじゃない、それ?」
彼女が目をこすりながら顔を上げると、口からヨダレが垂れているのが分かった。
ばっちい。
それを魔女は袖でぬぐうと、私がさっき返した本を抱えて立ち上がった。
「魔理沙、帰りましょう」
「えー、この家は客人に晩餐を振舞おうという奉仕の精神はないのかよ」
「ずうずうしいわね……私もそうしたいところなんだけど、里に買い出しでも行かないと無理よ」
仕方ないのう、なんてお爺ちゃんみたいに呟いてから、白黒の魔女は本棚に魔導書をしまった。
ドアを抜けて玄関に向かう際中、紫の方の魔法使いと目が合う。
私は一瞬、全身の筋肉が硬直するのを感じた。
その瞳に疑いの念が揺らめいた気がしたからだ。
心臓の音が高ぶっているのを悟られないよう、二人の後に続いて玄関に向かった。
「それじゃあな、明日はちゃんと図書館に忘れ物取りに行くぜ」
彼女は箒に両足をそろえて乗り、少しだけ浮かび上がった。
図書館の主はある場所にアクセントを置いて答えた。
「ええ、あんな嫌な臭いがするだけのマジックアイテム、早く引き取って頂戴。客人、として来るならそれ相応の茶菓子を用意するわ」
その皮肉に、彼女は歯を見せて笑って応えた。
箒が急発車して、辺りには星の破片がまき散らされて、少しだけ綺麗だった。
夕焼けを反射しているせいで、いつもと違い全体的に暖かい色になっている。
「それじゃ、私も帰るわ」
眠たげな声でそう告げ、残りの一人も魔力で体を浮かせた。
「ええ、また今度」
ゆっくりと離れ行く彼女の姿をみつめながら、私は胸をなでおろした。
しかし、腹の中の嫌なものを追い出すように息を吐き出した瞬間。
「あ、それと」
数メートル先、彼女は唐突に振り返って言った。
「いつまでこんな茶番を続けるつもりなのかしら?」
「――――――ッ!?」
首筋の辺りを冷や汗が伝う。
少しだけ体が震え、呼吸が蚊の鳴く声のようになる。
ぎゅっと拳を握りしめ、彼女を次の言葉を待った。
すると彼女はゆるりと回って私に背を向けた。
「まあ、別に……貴方を責めるつもりはないわ。けど、それは誰のためについてる嘘なの?」
後ろ向きだから私には彼女の背中しか見えず、表情は読めない。
私は固まって何も言い返せないまま、彼女が夕焼けの赤にとろけていくまで見送った。
「ねえ蓬莱」
私のことを心配したのか、気付けば蓬莱人形が傍らにいた。
「私は……正しいかな?」
「バカジャネーノ」
ばっさり斬り捨てられた。
「……まあ、そう来るよね」
蓬莱人形は設定されている以外の質問にはこう答えるようにプログラムされている。
もっとも、そのことを除いたとしても蓬莱が正しいのだろう。
どこかで聞いたことがある。
自分のためにつく嘘を「真っ赤な嘘」と言い、他人のためにつく嘘を「真っ白な嘘」と言うらしい。
私は赤と白、どっちなのだろうか。
「そうだよね……」
明日、全部ちゃんと話そう。
古寂れているけれど、どことなく威厳の漂う巨大な扉が目の前にあった。
紅魔館の魔法大図書館の入り口だ。
私は門番さんに案内された後、しばらくここで立ち往生していた。
怖いのだ。
怒られるかもしれない、軽蔑されるかもしれない、絶交されるかもしれない。
次々と胸の内に嫌な想像が浮かんできては、私の体を強張らせる。
でも、伝えなくてはならない。
このまま嘘を続けていくのが辛かった。
腹の内ではバレないだろうかと怯えつつも、表面では自然な笑顔を作らなければならないのが。
「ふぅー……」
なけなしの勇気を振り絞って、ドアを中指の第二関節で叩くと、思ったよりも大きい音がした。
恐らくは何らかの魔法が使われているのだろう。
軋むような音を上げて、扉が開く。
「いらっしゃい」
「おっす」
気だるそうな声、元気な声、と対照的な二つが私を出迎える。
前者はいつも通り椅子に座って本を抱えるようにして読んでいて、後者はテーブルの反対側に立っていた。
私の顔が緊張していたせいだろうか。
目が合うと白黒の魔法使いは急に真剣な目つきになった。
「魔理沙、言わなくちゃいけないことがあるの」
「おう」
もう一人は気付いているのだから、伝えるのは彼女だけでいい。
息を吸おうとすると、肺がうまく動かなくて、どうしても浅くなってしまう。
心臓の音が意識せずとも聞こえるくらい大きくなっていた。
胸に手をあてて落ち着かせようとする。
床から視線を上げると、彼女たちはまっすぐな瞳で私を見ていた。
どう反応するかわからないけど、二人は私の言葉を誠実に受け止めると目で語っていた。
……本当のことを、言おう。
「アリス・マーガトロイドは……もうこの世界にいないんです」
「知ってるよ」
一秒も間をおかず、魔理沙さんは答えた。
「え?」
「本当のことを言ってくれて、ありがとうな。上海」
そう言って彼女はそっと私の頭を撫でた。
優しい目をしていた。
「あ……」
私を中心に七色の風が吹いて、爆ぜる。
12時を迎えたシンデレラのように、今までかけていた魔法が解けて私の本当の姿が現れた。
長いストレートの、アリスと同じブロンドヘアー。
妖精ほどの身長もない体と真っ白な肌。
巧妙に隠してはいるけど、少しだけ見えてしまう関節の継ぎ目。
それが上海人形、つまりは私だった。
「どうして……」
気付けばパチュリーさんが魔理沙さんの斜め後ろに立っていた。
「魔法による擬態は初心者にしては見事なものよ。よく注視しないとわからないレベルだもの。でもね、そう簡単に他人には成りすませないわ」
彼女はいつものように、聞き取りづらい小さい早口で次々と例を挙げる。
「アリスは客人の分まで必ず食材を残しておくわ。魔界は晩餐を用意できないのは自らに沽券に係わる、なんて文化だからでしょうね。それと彼女は決して寝ている人間を起こしたりもしないわ。細かく言えば振舞いや言動にも違和感が数えきれないほどあったし。何よりお気に入りの上海人形をそばに置いていない、というのは何かあったのだと思わざるを得ないわ」
勿論この位の事は魔理沙だって気付いているはずよ、と最後に付け加えた。
私の擬態が不完全であったのは力不足を痛感するが、その一方で彼女達がアリスのことをこんなにも分かっている、という事実に喜びと妬みを覚える。
だが、それ以上に大きいのは二人をだましていたという罪悪感だった。
うつむいて黙っていることしかできない私に、魔理沙さんが言う。
「嘘をついたことを責める気はない。なんでそうしたのか大体の予想もつく。だけど、お前がどう思って、どう感じて、どうしてアリスに成り代わったのか、お前から話してほしい」
「……わかりました」
うつむいたまま、私は話し始めた。
「私に心が芽生えたのは二人とも知ってますよね……」
まず最初に私が自律への過程として心が芽生えたのは二人も知っているはず。
(自分で活動のための魔力を作れないので自律ではない)
それからしばらく後のこと、アリスの体にガタが出た。
そもそも彼女は魔界で生きるように作られた肉体しか持っていない。
幻想郷と魔界では世界の法則そのものが大きく異なるから、元々その体のままでは幻想郷での活動に
限界があるのだ。
ましてや魔界の神の近くという魔界の最深部に適した体なら尚更に。
アリスは日に日に弱っていったが、他人の前ではいつも通りにふるまう。
しかしそれでもベッドから出られない日が多くなっていった。
そんなとき、アリスがぽつりと独り言を漏らした。
『……こんなザマ、みんなには見せられないわね』
程なくして彼女がこの世界を離れると、私の中に一つのアイデアが浮かんだ。
私がアリスになれば、彼女が弱っていったという事実を隠せると。
何より、彼女がいないことに私が耐えきれなかったのかもしれない。
敬愛する主人の不在という寂しさを、自分が成りすますことで埋めている。
親のいない不安に打ち勝てずこんな真似をしてしまうなんて、我ながら子供みたいだ。
実際、自律してからそう時間も経っていないので、子供といえば子供なのだが。
擬態の魔法はアリスが私で幽明求聞持聡明の法のようなスペルを作ったことがあるから、習得はあまり難しくはない。
器に過ぎない人形なら、擬態というより贋作だろうか。
とにかく中身が空である私は、アリスの残り香を受け止めるにはもってこいだった。
それに記憶を蓄積できるようになった以前のことはほとんど覚えていないが、私が一番彼女と一緒にいるという自負もあった。
そうして私はアリスになった。
「……そうして私はアリスになりました」
スカートのエプロンをぎゅっと握りしめた自分の手を見る。
嘘をつくのは許されないことだし、ましてや他人に擬態するのは彼らの関係にヒビを入れかねない行為とわかっている。
どんな罰だって受け入れるつもりだ。
感情を覚えた私の手は震えていた。
「上海」
いつもの魔理沙さんらしくない柔らかくて真剣な声と共に、私は抱きすくめられた。
森を駆け回る彼女の活発なイメージとは違う、ふんわりとした匂いがする。
「さっきも言ったけど、責めるつもりはない。お前にとってアリスはほとんど全てだったんだしな」
緩やかに両手を動かして、彼女は私の二の腕を包み込むようにつかんだ。
「でも、よく勇気を出して言えたな」
彼女の微笑みは、アリスが私に向けるそれだった。
人間と同じではないけど、お母さんの顔。
私の頬には、雫が流れていた。
「でも私は……自分のために真っ赤な嘘をつきました……」
自分でも声が震えているのがわかる。
彼女に抱き留められるのを良しとせず、私はすっと後ろに移動してその両腕から離れた。
するとパチュリーさんが応える。
「でも、彼女の願望をかなえるために、彼女のためにしたという側面もあったでしょう」
「アリスのためなんかじゃないです……アリスのために何かするのは、結局自分が嬉しくなるからなんです」
私の言葉を聞いて、彼女はゆっくりと瞼を下した。
「自分が気持ちいいから誰かのために何かする、というのは十分に他人のために動いていると言っていいのよ。真に他人のために何かできる人は……少し、おかしい人よ」
「で、でも……結果的には、誰も喜んで無いじゃないですか……」
「いいんだよ」
魔理沙さんが首を横に振る。
「感情がちょっと前に芽生えたお前はまだ子供なんだよ。結果を予測するとか、そういう技術みたいなものは、大人になっていくうちに覚えていけばいいさ」
だから、私たちはお前が大人になるまで待っててやる。
そう約束してくれた彼女の瞳を見て、私はその場にへたり込んで涙をぼろぼろこぼした。
思えば、アリスがいなくなってから私は一度も泣いていなかった。
「……もう大丈夫です」
「そうか」
ここ数日分の寂しさを全て涙に変えた気分だった。
だから、もう大丈夫。
すると魔理沙さんが悲しげな顔で、とんでもないことを言い出した。
「いやしっかし、私の方が早く死ぬと思ってたら、先にアリスの方がぽっくり逝っちまうんだもんな」
寂しげな顔つきで彼女はそう言った。
そして、図書館の扉が派手な音を立てて開き、久しぶりの声が聞こえた。
「人を勝手に殺すな!」
「アリス!」
迷うことなく自分の主の胸へダイブした。
アリスは私を優しく抱き留める。
「お留守番頼んで悪かったわね……」
「ううう……アリスぅ……」
片時たりともアリスと離れたことが無い私にとっては、この数日間はおかしくなりそうなほど寂しかった。
久々の再会は心が震えるほどに嬉しい。
なので、体いっぱいにアリスを堪能した。
「え……あ……?」
その後ろで、魔理沙さんが「ハトが豆鉄砲くらった」ような顔をしていた。
多分、彼女はアリスが死んだものと勘違いしていたのだろう。
「お前……死んだんじゃ?」
「誰かそう言ったの? 私はこの世界を離れ、魔界に行って母さんに体をこの幻想郷verに改造というか調節してもらってただけよ」
白黒の魔法使いは膝から崩れ落ち、機械仕掛けの人形のようにパチュリーさんの方を振り返った。
「パチュリー、お前は……」
「無論、知ってたわ。貴方が面白そうな勘違いをしているようだから、あえて説明するようなことはしなかったけど」
無表情な彼女は、よく見れば本をつかんでいる手が震えている。
魔理沙さんは空に向かって吠えた。
「私の人知れず流した涙はなんだったんだよぉおおおおお!!」
窓の外には白い雲が遊ぶように浮かんでいる。
私たちの幻想郷に、日常が舞い戻ってきた。
エピローグ
「パチュリー様、ちょっと嘘が悪質すぎませんか?」
「小悪魔のくせに、そんなこと気にしてんじゃないわよ。魔女は嘘をついてナンボよ」
「上海さんにはあんな説教をかましたというのに……」
「子供だから、ね。とりあえずは適当な価値観を植えつけといて、嘘がどういうものか覚えるのはもっと大きくなってからよ」
「適当とか言いやがりますか、この人は」
「いいじゃない。アリスも自分が死ぬと魔理沙に泣いてもらえることがわかって、ちょっと嬉しかったはずよ」
「それが上海さんの狙いだったしたら面白いですよね」
「んなわけないじゃない…………多分」
>まず最初に私が自律への過程として心が芽生えたのは二人も知っているはず
こことか、二人は知ってても読者としてはさっぱり知らない
他にも色々と伏線張って、アリスの喪失を頂点とする起伏を作れれば、落ちも活きるし面白い作品に仕上がるのになあ、と思います
作者の持っている情報を読者に分かる形で丁寧に記述する必要があるんじゃないでしょうか
序盤からわけが分からない