◆
「悪かったなアリス。じゃあ、私はもう行くぜ」
いつもの黒い大きな帽子を深くかぶり、玄関に立てかけていた箒を手に取って、魔理沙は静かに帰っていった。
訪れる静寂が胸を酷く締め付けた。痛い。喉の奥から嗚咽が漏れて声にならない声が出る。息苦しい。
傍に近寄ってきた人形を思わず抱きしめる。人形からは人間のような温かい熱が感じられなかった。普段気にしていなかったことにこんな場面で気付かされるなんて。
「あなたって、そんなに冷たかったのね」
人形を抱いたまま、今晩の料理が並んでいるテーブルに目を向ける。その中の一つ――あのシチューからはまだゆらゆらと湯気が上がっていた。
「あのシチューは温かいのに。魔理沙は……」
自分でも支離滅裂なことを言っていることに気付く。それから「ああ、だめだわ」と呟いて寝室に向かった。
何がだめなのか分からない。
食卓の料理は片付けずにそのままにしておいた。
◆
「おーい……霊夢……」
微かな意識の中で魔理沙の声が聞こえる。これは夢だろうか。
「霊夢、起きろ、起きてくれ」
目覚めると魔理沙が私のお腹の上あたりに馬乗りになっていた。私の頭はすぐに覚醒した。
「寝込みを襲いに来たのかしら」
「違う。いいから起きてくれ。そして私の話を聞いてくれ」
「まだ日が昇ってないじゃないの。こんな朝っぱらから一体何の用? それから、あんたがそこをどかないと起きられない」
そう言うと魔理沙は素直に馬乗りの体勢から立ち上がった。それから布団の横にちょこんと座り、私が起き上がるのを物珍しそうに眺めていた。
「だいたい、あんたは何でこんなに早起きなのよ」
「いやいや、私は今日は一睡もしてない」
そう言う魔理沙の目元にはどんよりとクマができていた。それから、心なしか瞼が腫れているようにも見える。私は布団をたたんで押入れに片付け、障子をがらっと開けた。外は日が昇っていないせいで薄暗く、朝の冷えた空気に思わず身体を震わせた。
「寒いから温かいお茶を入れるわ。魔理沙も飲む?」
「お、おう。よろしく頼むぜ」
魔理沙は落ち着かない様子で縁側に座り込み、ぼうっと境内を見つめていた。
「それで、話って何? あんたが一睡もしていないことと関係があるの?」
「関係は……ある。実は、昨日アリスと一緒にきのこ狩りに行ったんだ」
「また惚気話。どうせ痴話喧嘩でもしたんでしょ」
「違う。痴話喧嘩じゃない。これは喧嘩じゃないんだ」
魔理沙は言いたいことがうまく伝えられないでイライラしているように思われた。語気から焦りが伝わってくる。
「落ち着いて話しなさい」
私はふうっと一息ついて淹れたての緑茶をすすった。
「昨日、アリスときのこ狩りに行ったんだ。誘った時はあんまり乗り気じゃなかったようだけど……」
大方、魔理沙の強引な誘い方にアリスが断りきれなかったのだろう。
「それでも、森で実際にきのこを探している時は、アリスは楽しそうだったんだ。まあ、きのこはほとんど私が採ってアリスは見ているだけのような感じになってしまったんだが」
「それって本当にアリスは楽しんでいるの?」
「本人が楽しいって言ってたからそこは大丈夫……だと思う。問題はこの後なんだぜ」
そこで魔理沙が言葉を探す時間を稼ぐように緑茶を一口飲んだ。しばらく湯飲みを見つめてから、また魔理沙は続ける。
「『二人で採ったきのこだから二人で食べようぜ』ってアリスに言ったら、アリスは嬉しそうに『じゃあ私の家で料理しましょう』って言ったんだ」
「本当に嬉しそうに言ったの?」
「あ、改めて問われると自信がなくなるぜ……」
今日の魔理沙はやけに弱気だ。不眠によって変なスイッチが入っているのだろうか。また湯飲みをしばらく見つめた。
「アリスの家で、私は山菜の天ぷらを作って、アリスには採ってきたきのこでスープを作ってもらったんだ」
「何であんたがきのこを調理しなかったのよ」
「それが、『今日採ってきたきのこはスープにしたら栄養も取れるしおいしいぜ』ってアリスに言ったら急に張り切りだして、『スープなら私に任せて』って言ったんだ。だから私はアリスに任せたんだ」
「なるほどね。それで?」
なかなかオチが見えない話に私は結論を迫る。そんな私とは裏腹に、魔理沙はゆっくりと話を進める。
「私はアリスの料理を楽しみにしていたから、と言ってもきのこ料理だから楽しみにしていただけだぜ? アリスの料理が楽しみとかじゃなく」
「聞いてないわ」
「ま、まあとにかく、完成してからのお楽しみとして、調理中は一切アリスの手元を覗かなかったんだ」
何となくオチが予想できてしまった。が、敢えて口には出さない。魔理沙のことだ。もしかしたらどんでん返しの出来事が起こるかもしれない。
「そしたらアリスの奴、何を作ったと思う?」
魔理沙の語気が荒くなった。これは怒っている時の声だ。
「あいつ、私がスープだって言ったのにクリームシチューを作ったんだぜ!」
目に怒りを溢れさせ、興奮しながら大声で言い放った。私はどんな反応をしようか迷った挙句、「ああ」と呆れ声と溜息が混じったような返事をしてしまった。
どうやら魔理沙が期待したような返事ではなかったようで、魔理沙の不満はさらにヒートアップする。
「私はスープだって言ったのにシチューなんてあんまりだぜ。私は和食派なんだぜ。天ぷらとシチューっておかしいぜ」
「それで魔理沙はアリスの気持ちも考えずに、そうやってさんざん文句を言ったのね」
私は勢いある言葉で魔理沙を制した。すると魔理沙は痛いところを突かれたのか、反論もせずに縮こまってしまった。それでも私は続ける。
「アリスはきっとシチューが得意で、だから『あたしに任せて』なんて言ったのよ。得意料理を魔理沙に食べさせてあげたかったのよ。そんなアリスの気持ちを理解しないで、ずけずけと文句ばかり言ったのなら、それは魔理沙が悪いわ。反省しなさい」
感情が入って少し偉そうな言い方になってしまった。しかし魔理沙にはこれくらい言う方がいいだろう。そう思っていたのに、次に魔理沙が発した言葉は意外な一言だった。
「それは、反省している」
驚くほど小さな声で、俯きながら、でも確かに魔理沙はそう言った。
「さすがに私も、あれは言い過ぎたと思った。反省している」
「そ、そう。強く言ってごめんなさい。まあ、スープと言われてシチューを作るアリスもアリスよね。全部が全部、魔理沙が悪いわけじゃない」
舌の根も乾かぬうちに、さっき強く言ったことを否定するようなことを言っている。何で私は魔理沙を擁護するような言葉を言っているんだろう。
魔理沙が珍しく反省しているから?
弱気な魔理沙が、私にそうさせているのだろうか。
「結局、喧嘩じゃない」
少し呆れて笑って見せた。
「違うんだって。これは喧嘩とかそんなんじゃなくて……」
お互い、素直になれないだけ。
私は心の中でそう思った。俯いている魔理沙はどう思っているのだろう。
魔理沙は……
「それじゃあ結局、魔理沙は私に何をして欲しいの?」
「その、だから、アリスに謝ろうと思うんだけど、何て言ったらいいのか分からないんだぜ」
「それを私に教えてほしいと」
「そう」
弱気な魔理沙が少し可愛らしく見えた。
「素直に謝ればいいじゃないの。『昨日は悪かった』って」
「それができないから相談してるんだぜ。第一、家に行っても会ってくれないかもしれない」
「いつも無断で家に上がりこんでるくせに」
相変わらず魔理沙は反論してこない。魔理沙の示す初めての態度に好奇心が生まれる。もっと言いくるめてやろうかと幼稚な感情を理性で押し戻す。
地面を見つめる魔理沙は苦しそうだった。自分の感情を表現できないもどかしさを抱えているように見えた。そんな魔理沙は私自身も見ていていい気分ではない。
ふいに、と言えば嘘だ。前から考えていた言葉を魔理沙に投げかけようか、止めておこうか悩む。悩む。苦悩する。言ってしまえば、もう後戻りできない。それは嫌だ。
理性とは正反対のもの、欲望を支配する感情は止めろと言っている。
「魔理沙はアリスのこと、どう思っているの?」
「は? それはどういう意味だ?」
「じゃあ質問を変えるわ。魔理沙はアリスのことが好きなんじゃないの?」
「そりゃあ好きだぜ」
「そうじゃなくて、恋愛感情のことよ」
「違いがよく分からない。でも、アリスが好きなのは確かだ」
魔理沙は確かな自信を見せながら断言した。
「謝罪と一緒に、その気持ちもアリスに伝えてきなさい。そしたらきっと仲直りできるわ」
「そんなことでいいのか? でも、それはそれで恥ずかしいぜ」
「勇気を出しなさい。きっとうまくいくわ。巫女の勘は当たるのよ」
「そうか。霊夢の勘なら信じても問題ない、よな」
魔理沙はしばらく考え込んだ後、決心がついたようで、少し冷めた緑茶を飲み干して立ち上がった。その顔にはいつもの魔理沙らしい元気な表情があった。
「お茶、ごちそうさま」
ちょうど、東の空の淵から太陽が顔を覗かせて、少し雲がばらついている空を明るく照らし始めた。
「これからアリスのところに行ってくる」
「行ってらっしゃい。うまくやりなさいよ」
「おう。あ、そうだ。霊夢……」
箒に乗って飛び上がろうとする直前、魔理沙はこちらを振り向いた。
「私は霊夢のことも好きだぜ」
私の返事を待つことなく、魔理沙は魔法の森に向かって飛んで行ってしまった。
縁側には湯飲みが二つと私だけが残された。
「一方的に言葉を残して去るなんてずるいわ」
私は独り言を言うことしかできなかった。
「私も魔理沙のことが好きよ」
◆
昨夜不貞寝をしてしまったせいで中途半端な時間に起きてしまった。恐らくまだ太陽が昇ってない時間だろう。
枕元には上海人形が眠っていた。昨夜抱きしめたまま眠ったのだった。
寝室から出てリビングに行くと、昨日の料理がそのまま置いてあった。魔理沙が作った天ぷらも、そして、私が作ったクリームシチューも。それらを見て昨日のことが脳内で思い出される。
「魔理沙の期待したものを作れなかった私が悪いのかしら」
クリームシチューの皿に手を伸ばす。当たり前だが、シチューはひどく冷めている。
「冷たいわ。すごく冷たい。昨日は温かかったのに」
『悪かったなアリス。』魔理沙は帰り際にそう言ってた。魔理沙はちゃんと謝った。昨日の魔理沙は冷たくなんかなかった。
「魔理沙になら、心を許せると思っていたのに。あの時素直に謝っておけばよかった。自分の作った料理を優先させて、魔理沙の気持ちを考えていなかった」
私もちゃんと魔理沙に謝らないと。
「でももう会ってくれないかもしれない」
そう思うと胸がきゅうっと締め付けられた。
玄関を見つめる。勿論、そこには誰もいない。今後魔理沙が来ることもないのかもしれないと思うと、そのドアが何の意味も成さないもののように思えた。
自分の身体から魂が抜けていくような感覚に陥る。生物としての感情を失いそうになる。そうなってしまったら、私は本当に生きた人形になってしまう。
人形は嫌だ。だって、冷たいから。
コンコン――と。玄関のドアがノックされる音がした。
「はいはい。どちら様で――」
「…………」
「魔理沙?」
黒い帽子を深くかぶっているせいで表情が読み取れない。
「魔理沙、あの、昨日は」
「アリス! 昨日は悪かった。あんなことで怒ったりして。アリスが得意料理を作ってくれたんだよな。それをあんな言い方して……」
「え? ああ、うん……。えっと、私もごめんなさい。魔理沙の期待したものを作ってあげられなくて……」
魔理沙はどこで私の得意料理がシチューだと知ったのだろう。
お互い謝罪の言葉を口にしたものの、何て返せばいいか分からず沈黙が生まれる。
「ええと、許してくれるのか? アリス」
「ええ。それに悪いのは魔理沙だけじゃないわ。私も悪かった。だから許してちょうだい」
「お、おう、許すぜ」
魔理沙が謝るから私も勢いに任せて謝ってしまった。終わってみればどうと言うことはなかった。さっきまで悩んでいた自分が非常に小さく思われた。
「会いに来てくれてありがとう。魔理沙」
魔理沙が会いに来てくれなかったら、私はずっと魔理沙に謝ることができなかっただろう。
「アリスこそ、その、会ってくれてありがとうなんだぜ」
「ふふ、面白い感謝ね」
「だって、もう会ってくれないと思ってたから」
魔理沙も私と同じことを考えていた。そう思うと少し嬉しかった。
「昨日の料理がそのまま残ってるのだけれど、よかったら食べていかない?」
「その前にもう一つだけ」
魔理沙が顔を上げると、恥ずかしそうに頬を染めていた。一瞬だけ合った目をすぐに逸らして、口を開いた。
「私はアリスのことが好きだ」
カァーっと顔が熱くなるのを感じた。返事の言葉が出てこない。その間にも頬や耳が赤くなっていくのが自覚できた。
「アリス、顔が真っ赤だぜ。大丈夫か?」
「なっ、魔理沙がさせたんでしょ!」
「私がさせたのか!? 私は霊夢に言われたとおりにしただけだぜ」
あの巫女め……魔理沙の鈍さを見事に利用するとは。
「これで仲直りできるって霊夢が言ってたんだ」
「そう……。強ち間違いじゃないわ」
「それで?」
「え?」
「だから、アリスは私のことをどう思っているんだ?」
鼓動が一気に早まる。少し低い位置から見上げてくる魔理沙の視線を直視できない。穴があったら入って隠れたい。
「アリスが答えたくないって言うなら、私はそれでいい。無理には聞かない。それじゃあそこの料理を食べようぜ」
あれ? 何故魔理沙は返事を聞かないの? あれは告白じゃないの? 頭の中がこんがらがってパニックに陥る。
「アリスー。このシチュー温めなおそうぜ」
魔理沙は勝手に食事の準備を始めてしまった。依然として私の頭は混乱を極めている。魔理沙は私の気持ちがどうであろうと気にしないということなのだろうか。それはつまり、恋愛感情ではないということなのか。それとも、私がどんな気持ちであろうと私を好きでいてくれるということなのか。できれば後者であって欲しい――なんて恥ずかしくて口に出して言えるはずがない。勿論、魔理沙に聞き返すことも。
「安心してお腹一杯になったら眠くなってきた。アリス、ちょっと布団借りるぞ」
そう言って魔理沙は勝手に寝室に入り込んでいった。きっと昨晩あんまり寝ていないんだろうと思い、文句は言わなかった。
先程は勿体無いことをしたと、今更ながら後悔する。あの時素直に魔理沙に想いを伝えればよかった、と。私は告白する機会を逃してしまった。
「私は素直にならないとだめね」
近くに居た人形に話しかけたが、その人形は首を傾げただけであった。
何となく、その人形を抱きしめてみる。すると、意外なことにその人形は温かく感じられた。昨日、あんなに冷たく感じられたのに。
「不思議ね。それとも私の勘違いかしら」
手を離すと人形は自発的に動いてどこかに行ってしまった。
魔理沙は私がいつも寝るベッドで堂々と眠っていた。とても心地よさそうな寝顔を見せている。よほど眠かったようで完全に熟睡しているようだ。サイドデスクにはいつもかぶっている黒い大きな帽子が置いてあった。
「可愛い寝顔。さすがに顔に触れれば起きちゃうかしら」
いつか魔理沙に自分の気持ちを伝えないと。そんなことを思いながら魔理沙の寝顔を見つめた。
「私も魔理沙のことが好きよ」
そう呟いて、置いてあった魔理沙の帽子にそっとキスをした。
「悪かったなアリス。じゃあ、私はもう行くぜ」
いつもの黒い大きな帽子を深くかぶり、玄関に立てかけていた箒を手に取って、魔理沙は静かに帰っていった。
訪れる静寂が胸を酷く締め付けた。痛い。喉の奥から嗚咽が漏れて声にならない声が出る。息苦しい。
傍に近寄ってきた人形を思わず抱きしめる。人形からは人間のような温かい熱が感じられなかった。普段気にしていなかったことにこんな場面で気付かされるなんて。
「あなたって、そんなに冷たかったのね」
人形を抱いたまま、今晩の料理が並んでいるテーブルに目を向ける。その中の一つ――あのシチューからはまだゆらゆらと湯気が上がっていた。
「あのシチューは温かいのに。魔理沙は……」
自分でも支離滅裂なことを言っていることに気付く。それから「ああ、だめだわ」と呟いて寝室に向かった。
何がだめなのか分からない。
食卓の料理は片付けずにそのままにしておいた。
◆
「おーい……霊夢……」
微かな意識の中で魔理沙の声が聞こえる。これは夢だろうか。
「霊夢、起きろ、起きてくれ」
目覚めると魔理沙が私のお腹の上あたりに馬乗りになっていた。私の頭はすぐに覚醒した。
「寝込みを襲いに来たのかしら」
「違う。いいから起きてくれ。そして私の話を聞いてくれ」
「まだ日が昇ってないじゃないの。こんな朝っぱらから一体何の用? それから、あんたがそこをどかないと起きられない」
そう言うと魔理沙は素直に馬乗りの体勢から立ち上がった。それから布団の横にちょこんと座り、私が起き上がるのを物珍しそうに眺めていた。
「だいたい、あんたは何でこんなに早起きなのよ」
「いやいや、私は今日は一睡もしてない」
そう言う魔理沙の目元にはどんよりとクマができていた。それから、心なしか瞼が腫れているようにも見える。私は布団をたたんで押入れに片付け、障子をがらっと開けた。外は日が昇っていないせいで薄暗く、朝の冷えた空気に思わず身体を震わせた。
「寒いから温かいお茶を入れるわ。魔理沙も飲む?」
「お、おう。よろしく頼むぜ」
魔理沙は落ち着かない様子で縁側に座り込み、ぼうっと境内を見つめていた。
「それで、話って何? あんたが一睡もしていないことと関係があるの?」
「関係は……ある。実は、昨日アリスと一緒にきのこ狩りに行ったんだ」
「また惚気話。どうせ痴話喧嘩でもしたんでしょ」
「違う。痴話喧嘩じゃない。これは喧嘩じゃないんだ」
魔理沙は言いたいことがうまく伝えられないでイライラしているように思われた。語気から焦りが伝わってくる。
「落ち着いて話しなさい」
私はふうっと一息ついて淹れたての緑茶をすすった。
「昨日、アリスときのこ狩りに行ったんだ。誘った時はあんまり乗り気じゃなかったようだけど……」
大方、魔理沙の強引な誘い方にアリスが断りきれなかったのだろう。
「それでも、森で実際にきのこを探している時は、アリスは楽しそうだったんだ。まあ、きのこはほとんど私が採ってアリスは見ているだけのような感じになってしまったんだが」
「それって本当にアリスは楽しんでいるの?」
「本人が楽しいって言ってたからそこは大丈夫……だと思う。問題はこの後なんだぜ」
そこで魔理沙が言葉を探す時間を稼ぐように緑茶を一口飲んだ。しばらく湯飲みを見つめてから、また魔理沙は続ける。
「『二人で採ったきのこだから二人で食べようぜ』ってアリスに言ったら、アリスは嬉しそうに『じゃあ私の家で料理しましょう』って言ったんだ」
「本当に嬉しそうに言ったの?」
「あ、改めて問われると自信がなくなるぜ……」
今日の魔理沙はやけに弱気だ。不眠によって変なスイッチが入っているのだろうか。また湯飲みをしばらく見つめた。
「アリスの家で、私は山菜の天ぷらを作って、アリスには採ってきたきのこでスープを作ってもらったんだ」
「何であんたがきのこを調理しなかったのよ」
「それが、『今日採ってきたきのこはスープにしたら栄養も取れるしおいしいぜ』ってアリスに言ったら急に張り切りだして、『スープなら私に任せて』って言ったんだ。だから私はアリスに任せたんだ」
「なるほどね。それで?」
なかなかオチが見えない話に私は結論を迫る。そんな私とは裏腹に、魔理沙はゆっくりと話を進める。
「私はアリスの料理を楽しみにしていたから、と言ってもきのこ料理だから楽しみにしていただけだぜ? アリスの料理が楽しみとかじゃなく」
「聞いてないわ」
「ま、まあとにかく、完成してからのお楽しみとして、調理中は一切アリスの手元を覗かなかったんだ」
何となくオチが予想できてしまった。が、敢えて口には出さない。魔理沙のことだ。もしかしたらどんでん返しの出来事が起こるかもしれない。
「そしたらアリスの奴、何を作ったと思う?」
魔理沙の語気が荒くなった。これは怒っている時の声だ。
「あいつ、私がスープだって言ったのにクリームシチューを作ったんだぜ!」
目に怒りを溢れさせ、興奮しながら大声で言い放った。私はどんな反応をしようか迷った挙句、「ああ」と呆れ声と溜息が混じったような返事をしてしまった。
どうやら魔理沙が期待したような返事ではなかったようで、魔理沙の不満はさらにヒートアップする。
「私はスープだって言ったのにシチューなんてあんまりだぜ。私は和食派なんだぜ。天ぷらとシチューっておかしいぜ」
「それで魔理沙はアリスの気持ちも考えずに、そうやってさんざん文句を言ったのね」
私は勢いある言葉で魔理沙を制した。すると魔理沙は痛いところを突かれたのか、反論もせずに縮こまってしまった。それでも私は続ける。
「アリスはきっとシチューが得意で、だから『あたしに任せて』なんて言ったのよ。得意料理を魔理沙に食べさせてあげたかったのよ。そんなアリスの気持ちを理解しないで、ずけずけと文句ばかり言ったのなら、それは魔理沙が悪いわ。反省しなさい」
感情が入って少し偉そうな言い方になってしまった。しかし魔理沙にはこれくらい言う方がいいだろう。そう思っていたのに、次に魔理沙が発した言葉は意外な一言だった。
「それは、反省している」
驚くほど小さな声で、俯きながら、でも確かに魔理沙はそう言った。
「さすがに私も、あれは言い過ぎたと思った。反省している」
「そ、そう。強く言ってごめんなさい。まあ、スープと言われてシチューを作るアリスもアリスよね。全部が全部、魔理沙が悪いわけじゃない」
舌の根も乾かぬうちに、さっき強く言ったことを否定するようなことを言っている。何で私は魔理沙を擁護するような言葉を言っているんだろう。
魔理沙が珍しく反省しているから?
弱気な魔理沙が、私にそうさせているのだろうか。
「結局、喧嘩じゃない」
少し呆れて笑って見せた。
「違うんだって。これは喧嘩とかそんなんじゃなくて……」
お互い、素直になれないだけ。
私は心の中でそう思った。俯いている魔理沙はどう思っているのだろう。
魔理沙は……
「それじゃあ結局、魔理沙は私に何をして欲しいの?」
「その、だから、アリスに謝ろうと思うんだけど、何て言ったらいいのか分からないんだぜ」
「それを私に教えてほしいと」
「そう」
弱気な魔理沙が少し可愛らしく見えた。
「素直に謝ればいいじゃないの。『昨日は悪かった』って」
「それができないから相談してるんだぜ。第一、家に行っても会ってくれないかもしれない」
「いつも無断で家に上がりこんでるくせに」
相変わらず魔理沙は反論してこない。魔理沙の示す初めての態度に好奇心が生まれる。もっと言いくるめてやろうかと幼稚な感情を理性で押し戻す。
地面を見つめる魔理沙は苦しそうだった。自分の感情を表現できないもどかしさを抱えているように見えた。そんな魔理沙は私自身も見ていていい気分ではない。
ふいに、と言えば嘘だ。前から考えていた言葉を魔理沙に投げかけようか、止めておこうか悩む。悩む。苦悩する。言ってしまえば、もう後戻りできない。それは嫌だ。
理性とは正反対のもの、欲望を支配する感情は止めろと言っている。
「魔理沙はアリスのこと、どう思っているの?」
「は? それはどういう意味だ?」
「じゃあ質問を変えるわ。魔理沙はアリスのことが好きなんじゃないの?」
「そりゃあ好きだぜ」
「そうじゃなくて、恋愛感情のことよ」
「違いがよく分からない。でも、アリスが好きなのは確かだ」
魔理沙は確かな自信を見せながら断言した。
「謝罪と一緒に、その気持ちもアリスに伝えてきなさい。そしたらきっと仲直りできるわ」
「そんなことでいいのか? でも、それはそれで恥ずかしいぜ」
「勇気を出しなさい。きっとうまくいくわ。巫女の勘は当たるのよ」
「そうか。霊夢の勘なら信じても問題ない、よな」
魔理沙はしばらく考え込んだ後、決心がついたようで、少し冷めた緑茶を飲み干して立ち上がった。その顔にはいつもの魔理沙らしい元気な表情があった。
「お茶、ごちそうさま」
ちょうど、東の空の淵から太陽が顔を覗かせて、少し雲がばらついている空を明るく照らし始めた。
「これからアリスのところに行ってくる」
「行ってらっしゃい。うまくやりなさいよ」
「おう。あ、そうだ。霊夢……」
箒に乗って飛び上がろうとする直前、魔理沙はこちらを振り向いた。
「私は霊夢のことも好きだぜ」
私の返事を待つことなく、魔理沙は魔法の森に向かって飛んで行ってしまった。
縁側には湯飲みが二つと私だけが残された。
「一方的に言葉を残して去るなんてずるいわ」
私は独り言を言うことしかできなかった。
「私も魔理沙のことが好きよ」
◆
昨夜不貞寝をしてしまったせいで中途半端な時間に起きてしまった。恐らくまだ太陽が昇ってない時間だろう。
枕元には上海人形が眠っていた。昨夜抱きしめたまま眠ったのだった。
寝室から出てリビングに行くと、昨日の料理がそのまま置いてあった。魔理沙が作った天ぷらも、そして、私が作ったクリームシチューも。それらを見て昨日のことが脳内で思い出される。
「魔理沙の期待したものを作れなかった私が悪いのかしら」
クリームシチューの皿に手を伸ばす。当たり前だが、シチューはひどく冷めている。
「冷たいわ。すごく冷たい。昨日は温かかったのに」
『悪かったなアリス。』魔理沙は帰り際にそう言ってた。魔理沙はちゃんと謝った。昨日の魔理沙は冷たくなんかなかった。
「魔理沙になら、心を許せると思っていたのに。あの時素直に謝っておけばよかった。自分の作った料理を優先させて、魔理沙の気持ちを考えていなかった」
私もちゃんと魔理沙に謝らないと。
「でももう会ってくれないかもしれない」
そう思うと胸がきゅうっと締め付けられた。
玄関を見つめる。勿論、そこには誰もいない。今後魔理沙が来ることもないのかもしれないと思うと、そのドアが何の意味も成さないもののように思えた。
自分の身体から魂が抜けていくような感覚に陥る。生物としての感情を失いそうになる。そうなってしまったら、私は本当に生きた人形になってしまう。
人形は嫌だ。だって、冷たいから。
コンコン――と。玄関のドアがノックされる音がした。
「はいはい。どちら様で――」
「…………」
「魔理沙?」
黒い帽子を深くかぶっているせいで表情が読み取れない。
「魔理沙、あの、昨日は」
「アリス! 昨日は悪かった。あんなことで怒ったりして。アリスが得意料理を作ってくれたんだよな。それをあんな言い方して……」
「え? ああ、うん……。えっと、私もごめんなさい。魔理沙の期待したものを作ってあげられなくて……」
魔理沙はどこで私の得意料理がシチューだと知ったのだろう。
お互い謝罪の言葉を口にしたものの、何て返せばいいか分からず沈黙が生まれる。
「ええと、許してくれるのか? アリス」
「ええ。それに悪いのは魔理沙だけじゃないわ。私も悪かった。だから許してちょうだい」
「お、おう、許すぜ」
魔理沙が謝るから私も勢いに任せて謝ってしまった。終わってみればどうと言うことはなかった。さっきまで悩んでいた自分が非常に小さく思われた。
「会いに来てくれてありがとう。魔理沙」
魔理沙が会いに来てくれなかったら、私はずっと魔理沙に謝ることができなかっただろう。
「アリスこそ、その、会ってくれてありがとうなんだぜ」
「ふふ、面白い感謝ね」
「だって、もう会ってくれないと思ってたから」
魔理沙も私と同じことを考えていた。そう思うと少し嬉しかった。
「昨日の料理がそのまま残ってるのだけれど、よかったら食べていかない?」
「その前にもう一つだけ」
魔理沙が顔を上げると、恥ずかしそうに頬を染めていた。一瞬だけ合った目をすぐに逸らして、口を開いた。
「私はアリスのことが好きだ」
カァーっと顔が熱くなるのを感じた。返事の言葉が出てこない。その間にも頬や耳が赤くなっていくのが自覚できた。
「アリス、顔が真っ赤だぜ。大丈夫か?」
「なっ、魔理沙がさせたんでしょ!」
「私がさせたのか!? 私は霊夢に言われたとおりにしただけだぜ」
あの巫女め……魔理沙の鈍さを見事に利用するとは。
「これで仲直りできるって霊夢が言ってたんだ」
「そう……。強ち間違いじゃないわ」
「それで?」
「え?」
「だから、アリスは私のことをどう思っているんだ?」
鼓動が一気に早まる。少し低い位置から見上げてくる魔理沙の視線を直視できない。穴があったら入って隠れたい。
「アリスが答えたくないって言うなら、私はそれでいい。無理には聞かない。それじゃあそこの料理を食べようぜ」
あれ? 何故魔理沙は返事を聞かないの? あれは告白じゃないの? 頭の中がこんがらがってパニックに陥る。
「アリスー。このシチュー温めなおそうぜ」
魔理沙は勝手に食事の準備を始めてしまった。依然として私の頭は混乱を極めている。魔理沙は私の気持ちがどうであろうと気にしないということなのだろうか。それはつまり、恋愛感情ではないということなのか。それとも、私がどんな気持ちであろうと私を好きでいてくれるということなのか。できれば後者であって欲しい――なんて恥ずかしくて口に出して言えるはずがない。勿論、魔理沙に聞き返すことも。
「安心してお腹一杯になったら眠くなってきた。アリス、ちょっと布団借りるぞ」
そう言って魔理沙は勝手に寝室に入り込んでいった。きっと昨晩あんまり寝ていないんだろうと思い、文句は言わなかった。
先程は勿体無いことをしたと、今更ながら後悔する。あの時素直に魔理沙に想いを伝えればよかった、と。私は告白する機会を逃してしまった。
「私は素直にならないとだめね」
近くに居た人形に話しかけたが、その人形は首を傾げただけであった。
何となく、その人形を抱きしめてみる。すると、意外なことにその人形は温かく感じられた。昨日、あんなに冷たく感じられたのに。
「不思議ね。それとも私の勘違いかしら」
手を離すと人形は自発的に動いてどこかに行ってしまった。
魔理沙は私がいつも寝るベッドで堂々と眠っていた。とても心地よさそうな寝顔を見せている。よほど眠かったようで完全に熟睡しているようだ。サイドデスクにはいつもかぶっている黒い大きな帽子が置いてあった。
「可愛い寝顔。さすがに顔に触れれば起きちゃうかしら」
いつか魔理沙に自分の気持ちを伝えないと。そんなことを思いながら魔理沙の寝顔を見つめた。
「私も魔理沙のことが好きよ」
そう呟いて、置いてあった魔理沙の帽子にそっとキスをした。
魔理沙にとってお姉さん的な立場の霊夢もいい味を出してましたね。
とても良かったです。
口ん中がじゃりじゃりだぜ!
他にも一つ一つの文に不必要な描写が多く、テンポが悪く感じられました