「やっぱりいつもの青がいいかしら」
「……でもたまには別の色にしたいかも」
「無地なのも減点かしら」
「でもフリルがあるから多分女らしさはあるわよ。そもそもスカートだし」
「うーん……でも、やめた! やっぱり別のにしましょ!」
「って、もうこんな時間じゃないの!」
「いけない、忘れ物は、えっと、えっと……あっ」
「カチューシャを忘れるところだったわ」
「じゃあ、今日はお留守番お願いね、みんな」
そして、雨が降り始めた。
地面には同じ色で濃淡を変えただけの斑点が出来て、すぐに濃い色が薄い色を駆逐していった。
その上を、あっという間に透明な膜が覆って、それは道の脇にある側溝へ流れ落ち始めた。
金髪の少女たち二人は、二人して空を見上げた。
さっきまでじりじりと地面を焼いていて、立っているだけで汗を滲ませてきた太陽は、暗くて分厚い雲に覆われ、今やうっすらと滲むような陽光しか見えない。
二人は飲食店の店先に、昼食を終えてたった今出てきたところだった。まだひさしの下には傘立てもなく、店内に傘を持った人は居ないようだった。
店を出たばかりの急な雨に、片方の少女は開けた戸を閉めることさえ忘れていた。癖のある緩いウェーブが掛かった髪を、背中の半ばまで伸ばしている少女で、少し垢抜けてないながらも、可愛らしい顔をしていた。その服装は、白のブラウスに黒のエプロン・スカートで、とてもシンプルなものだ。帽子は特に何も被っていない。
ひさしの下で、防水布をバタバタと叩く雨の音を聞きながら、その少女はゆっくりと戸を閉めた。戸が閉まる最後まで、店内に居る人々はほとんど全員が、その少女の隣に立っている少女を見ていた。
少女はよく梳かれてキューティクルも綺麗な髪を、肩に少し触れるくらいのセミショートに揃え、それを唇よりも赤いカチューシャで整えている。その顔立ちは、街行く人の全員が、立ち寄った店の全員が振り返っても仕方がないくらいに美しかった。
「うーん……まさか雨が降ってくるなんてな」
「あら、魔理沙は傘を持ってきてないの?」
ロングヘアの少女は魔理沙と呼ばれた。魔理沙は首を振ってから言った。
「ないぜ。アリスはあるのか?」
そしてアリスと呼ばれたセミショートの少女は、事も無げに頷いた。
「あるのか!」
「当然じゃない。天気を気にするのは魔法使いとして。基礎よりも基礎で、基本でしょ」
アリスが空を見たまま腰のポーチに手を伸ばす。魔理沙は無意識に目を向けて、それを見て少し顔を赤くして、すぐに目を逸した。
その動きに気づいたアリスが、首を傾けながら魔理沙を見た。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもないぜ」
少し気になったが、ポーチの中では手が目当てのものを探し当てたので、すっと引っこ抜く。
ミニチュアの折り畳み傘だった。アリスの掌の一番短いところよりも小さな傘だ。
それを一度強く握りこんで、手を開く。するとみるみるうちに大きくなっていき、最後にはよくある大きさの折り畳み傘となった。
開くとピンクの生地の中で、デフォルメされたうさぎが赤色の傘を差しているイラストの傘だった。
「おー……」
「……その目は何。一つしかないわよ」
「なっ、あのサイズに出来るんだったら念のために二つくらいあってもよかっただろ」
「そもそも一人で暮らしてるのに二本も持ってないわ。忘れた魔理沙が悪いんだから」
「いつもはほら……アレ、帽子が傘になるんだよ。だから傘は持ってないんだ。もし傘になりそうな大きさのキノコなんてもんがあったら、何とか保存を成功させようとは前々から思ってたんだけど、お陰で傘を持つなんて発想はなかった」
魔理沙はぐしぐしと自分の頭頂部をかいた。アリスは呆れてため息を吐く。
「で、今日は被ってないじゃない」
「そ、それは、だな。今日は、折角のな。折角、アリスとこうやって、出かけるんだから。ちょっとくらい、ちょーっとくらいおしゃれしてみようって、そう思って、色々選んでたら、結局。ほら、暑かったから」
わたわたと髪を撫で付けながら、不安定な口ぶりで魔理沙が言った。そして不意にアリスと目があって、数秒じっと見つめ、顔を真っ赤にして目を逸した。
アリスもつい、顔を赤くしてしまった。今日は魔理沙がじっとアリスのことを見ている時が多かったので、アリスも普段より意識してしまっていた。
心の落ち着きを急かして、何度か深呼吸すると、少しだけまだ言葉に詰まりながらも、
「仕方ないわね。ほら、じゃあ、一緒に入るわよ」
魔理沙のほうへ傘を差し出した。
「そのかわりに魔理沙が持ちなさい」
更に傘を魔理沙の手に押し付ける。振り返った魔理沙はまだ浮き足立っているようで、顔も少し赤かったが、傘をぎゅっと握りしめた。
魔理沙の身長が少しアリスより低いせいで、少し不恰好にも見えた。
二人は少しの間動け出せずにいたが、背にしていた店の戸が突然開いたので、慌ててひさしの下から道に出た。
戸を開いたのは、傘立てを店先へ出しにきた店員だった。二人の背中に「またどうぞ!」と声を掛けて、店の中へ戻っていった。
飛び出た勢いのまま、二人は道を歩き出した。
雨はあっという間に地面を覆った強さのまま、変わらず降り続いていた。汗の出るようだった気温もどんどん下がって、足元が濡れる不快感を除けば、外を徐々に快適な環境へと変えていく。
しかし、あまりに唐突な雨だったので、傘を持たない人々はみんな近くの店や軒下に飛び込み、何とか雨から逃れていた。
お陰で、通りには誰も人が居なかった。雨のカーテンが遮る向こうには、雨宿りしている人たちが見える。しかし細かいディティールが伝わってくるほど、はっきりとした視界にはならない。
強い雨の中を歩く。
一人用の折り畳み傘は少し狭く、二人は柄の外側にあるほうの肩が濡れるのを嫌って、ぎゅっと寄り添っていた。
「やっと涼しくなってきたわね」
アリスが言った。
「そうだな。今日は、暑かったもんな。ああ、だから」
そこまで言うと、魔理沙は急に言い淀んだ。まだ続きそうな口調だったので、アリスは続きを促した。
「だから?」
「あ、ああ。だから」
魔理沙はやはり少しだけ言うのを躊躇うようにしてから、
「だから、私も帽子を被らずに来たんだからな」
言葉を選びながら、遠回しに何か言いたげな様子で言った。
今日の魔理沙は一日中こんな感じだったので、周りに人の気配が少ないのを機に、アリスから切り出す。
「今日の魔理沙、ちょっと変だったわよ。何かこう、何とも言えないけど。いつもとは違ったわ」
冷静に指摘する風を装いながら、アリスも多少、心臓の鼓動を強く速くしていた。
アリスは、魔理沙が自分に何か言いたいことがあるのではないかと踏んでいた。それも、言葉にしづらい何かがあるのではないか、と思っていた。自分からその言葉を聞き出そうとしてしまうのが、少し相手の心情に鈍すぎやしないか、あるいは逆に自分の評価に対して過剰すぎではないか、と考えていた。
そして何よりも、魔理沙が言い淀む言葉の中身に緊張していた。
「いや、そんなことはないぜ。確かに、今日は暑いからなって思っただけだ」
「暑いから、何よ?」
「あー、あっ……いや、だからな」
途中で魔理沙は何かに気づいたような顔をして、それでまた更に言葉を濁した。
アリスは少し頬を膨らませて、命令するように強い口調で言った。
「もう、何でもいいから言いなさいよ」
魔理沙は顔を隠して、しばし無言になった。アリスも喋らずに、傘を雨が叩く音だけが続いていた。
意を決したように、魔理沙は表情を変えて、努めて真面目な顔をして振り返った。
「アリス、言いたいことがあるんだ」
そう言われて、促した側ながらアリスの鼓動は更に速まった。
まるで雨が上がっていくかのように、アリスの世界からはじわりじわりと音が消えていった。ただでさえ不明瞭な景色が真っ白に包まれて、魔理沙の顔しか見えなくなった。
歩むのを二人は止めなかった。雨のカーテンに遮られていながらも、周りにはまだ人が居るので、あまり目立たないようにとする考えだった。実際、二人を気にしている人など居らず、たまにぼんやりとした全体像を見た人が、傘があっていいなぁ、と思っている程度のものだった。
そんな緩やかに隔絶された空間の中で。
「あのな……」
今日の魔理沙はずっとアリスの挙動を気にしていた。何だか普段と違う日常は、アリスの心に大きな期待を抱かせていた。
世界が桃色に染まるのを未来に見た。
ついに、魔理沙の唇が動いて。
「何で、今日はスカートを穿いてないんだ?」
そして、アリスの中で全てが止まった。
世界が灰色に包まれた。雨なんて上がってしまったように感じた。消えた雨のカーテンの外からは、観衆が自分の姿を見て笑っているように見えた。
ゆっくりと手をお尻に伸ばす。
シルクと地肌の感触だった。
「…………ま、魔理沙だって」
「アリス?」
「魔理沙だって、そうやって、帽子、忘れて、私も、着たり、脱いだり、着たり、脱いだり」
「……アリス?」
「私だって…………私だって……私だっておしゃれしようとしただけなんだからぁー!」
「お、おい! アリス! やっぱりわざとじゃなかったんだよな! 待て! 待てアリス――――!」
アリスの、最後まで止まらなかった足だけが、ゆっくりと早まって、最後には駆け出していた。
強いままの雨の中に、頬を暖かな雨で濡らしながら。
駆け出していった。
ってばかwww
>デフォルメされたうさぎが赤色の傘を差しているイラストの傘
都会派さんはいちいちかわいいなぁ。
こんな経験は人生で一度もありません。
これって病気なのでしょうか?
あとアリスがかわいすぎてつらい