Coolier - 新生・東方創想話

霧雨魔理沙に恋の矢を

2012/01/18 23:56:20
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 怪しいキノコがたくさん自生する原生林、魔法の森。
 その中に建つ、霧雨魔法店と屋号が掲げられた小さな建物。
 草木もキノコも人間も、みんなみんな寝静まる真夜中三時丑の刻。
 コロンコロンと軽快に、小さくドアを叩く音。

「ん、誰だ?」

 何度か小さな音が響き、ようやく家主はそれに気づいた。
 くるりとウェーブのかかった金色の長い髪。
 キノコを可愛らしくデフォルメした、少し大きめの薄緑色の寝巻に身を包んだ少女。
 霧雨魔理沙は、古ぼけた大きな机に向かい、俯きながら唸っている最中だった。

 彼女は魔法使いである。そして、彼女は人間である。
 二つの両立を果たすためには、人が魔女になるのと同程度の努力が必要だ。
 その努力は、並大抵の物ではなく。今日のように、深夜までずっと魔法の研究に勤しむことも珍しい事ではない。

 彼女が作業をする机の上は、まるで嵐に見舞われた集落のようだった。
 魔法の燃料の原料となるキノコやら、新しい魔法を作り出すためのメモ書きやら、失敗作やら、蒐集品やら。
 挙句の果てには、使い終わった食器やいつの物とも知れぬ握り飯までも。
 それが机の上だけにとどまらず、家の中全体が台風一過の惨状であるのは言うまでもなかった。

「……霊でも出たか?」

 そう呟いて耳を澄ませば、広がる静寂にぽつりぽつりと聞こえる雨の音。
 魔理沙は顔を上げて窓を一瞥する。
 黒く汚れていて森の景観を楽しむには役不足だったが、滴る雨の雫だけは確認できた。

「こんな雨の真夜中に、ご苦労なこった。アリスか?」

 魔理沙は苦笑しながら立ち上がり、彼女が推測した来訪者の名前を呼んだ。
 それは、アリス・マーガトロイド。おそらく一番多く魔理沙の家を訪ねる人物である。
 七色の人形遣い、アリス。彼女もまた魔法使いだ。
 彼女は魔理沙とは違い、種族は人間ではない。
 成長するかどうか――捨虫の法を習得したかは定かではないが、食事をとらなくても生きていける捨食の法を、彼女は習得していた。

「お前の母ちゃん魔界神ー……うん? アリスじゃないのか?」

 アリスだろうと見当をつけ魔理沙が軽口を叩いてみても返事がなかった。
 それどころか、不気味なまでに物音一つしない。
 ただしとしとと降り続ける雨の音だけが遠く聞こえる。
 魔理沙は再び座り込み、ひと時思案した。
 しかし、魔理沙の知り合いの中に、真夜中唐突に家を訪ねてくるような者はいなかった。
 否、一人いる。
 それは、霧雨魔理沙――そう、彼女自身である。
 そこに至って、魔理沙は一人クスリと笑った。

 再び、コロンコロンとドアが鳴る。
 木製のドアをノックする、小気味よい音。
 雨にぬれて衰弱しきった外来人が、命からがらたどり着いたのだろうか、とも考えるが。
 それにしては、返事がないのはおかしい。
 魔理沙は、怪しいと思いながら恐る恐る立ち上がった。

「こんな時間に私を訪ねるなんて、物好きもいたもんだな。開けてやるか」

 心の奥底の不安を塗りつぶすように明るく呟きながら、魔理沙は机の上のミニ八卦炉を鷲掴みにした。
 それは、彼女の宝物。一つあれば、料理も換気もなんでもできる、魔法の火炉。
 八卦が刻まれた、淡く輝く緋色の八角柱。その色も当然、ミニ八卦炉には伝説の金属、緋々色金が使われていて。
 鬼に金棒、虎に翼。魔理沙にはミニ八卦炉と箒があれば百人力だ。
 箒は、ちょうどよく扉のそばに立てかけある。
 魔理沙、は時折音のなる扉までゆっくりとすり足で歩いて行った。

 人一人分の通り道しかない玄関。
 ゆがんだ扉には、幸いにも覗き窓がついていた。
 少しかがんで覗き窓の穴を覗き込む。
 濁った覗き窓から目を凝らして外の様子を見、魔理沙はふぅと安堵の息をついたのだった。

「なんだ、アリスじゃないか」

 かろうじて魔理沙の目に映ったのは、宙に浮く一体の人形だった。
 人形師アリスお手製の、可愛らしい西洋人形である。
 故に、不審者である可能性はひとまず除去された。

「ん? あれ?」

 気が大きくなり、ついドアを思い切り開けた魔理沙は、素っ頓狂な声を上げる。
 魔理沙の視界には、覗き窓から見た一尺ほどの人形一体しかいなかった。

 魔理沙よりも濃い金髪はすらりと肩の辺りまで伸び、緩やかにカーブを描いている。
 頭の上には赤い柔らかそうなリボンが一つ自身の存在をアピールしていた。
 丈の長い、スリットの入った濃紺のワンピースと、かわいらしいフリルの付いた白いエプロンのコントラストが可憐さを醸し出す。
 肩を覆う純白のケープは、無垢な人形そのものを示しているかのようにも見えた。
 靴もまた愛らしいものであった。
 デフォルメされた人形の靴故、そのサイズは二寸も無い。
 光沢を持ったその赤さが、闇の中でつやりと光った。

 その人形は俯いていた。
 細雨が降り続ける中、その人形の服が濡れた様子は無い。
 そう、人形は器用に傘を差していた。
 人形サイズの小さな青い傘は、恐らく魔法で防水したのだろう。
 それほど近いともいえない魔理沙とアリスの家の間を来たにしては、布に水の染みが見当たらなかった。

 人形は、背中に大きな包みを背負っていた。
 同程度の大きさの人形が二つほど入りそうな、唐草模様の風呂敷の包み。
 木製と思われる弓の上部、そして数本の黄色い矢羽が風呂敷に収まりきらず、人形の背中から顔を覗かせていた。

 きょろきょろと魔理沙があたりを見渡しても、彼女を操っているはずの人形師の姿は見えない。

「おい、そこの人形」

 なすすべもなく、魔理沙は人形に話しかけた。
 ずっと俯いたままだった人形はようやく顔を上げ、すいと近寄り、魔理沙の顔を覗き込んだ。
 人形は魔理沙の目線の高さに合わせて浮遊していた故、双方の視線の高さは同じ。
 魔理沙の金色の瞳と、人形のガラス玉のような瑠璃色の瞳が、わずか一寸ほどの隙間で視線を交わした。

 そして、人形は笑みをこぼした。
 人形らしくぎこちないが、かわいらしい笑みを――




 人形を室内に招き、魔理沙は椅子にどかっと座り込んだ。
 傘は箒の隣に立てかけて、風呂敷は包みを解かずに机の上へ。
 その横に人形を並べて座らせ、魔理沙は首をひねった。

「こいつはなんだ……?」

 明かりは、だいぶ前に灯された蝋燭の光のみ。
 どこかしらから吹き込んだ風がその淡い炎を揺らすと、壁に映る人形の影がふらりと揺らめくのだった。

「おい、お前……私の言ってることが分かるか?」

 そう魔理沙が尋ねても、人形は魔理沙を眺めているだけだった。

 魔理沙と人形が見つめ合うこと数分。
 思い当たった事があり、魔理沙は机の上へと手を伸ばす。
 雑多に物が積まれた山を漁り、その中から、先の丸まった短い鉛筆を取り出した。
 
 同時に必要のない紙を引っ張り出し、二つ合わせて人形に渡す。
 ポカンとした表情で人形はその二つを受け取り、意図を理解したように何かを描き始めた。

 人形の頭身には、鉛筆は太すぎた。
 太さは、何とか片手で持てるほど。
 それでも人形は抱え込むように鉛筆を持ち、必死に何かを描いていた。

 ほんわかとした、柔らかな時間。
 魔理沙は、まるで娘を見るような目つきでその拙い動きを眺めていた。
 やがて、人形は汗をぬぐう仕草をして鉛筆を置く。
 無論、汗をかくはずがない。だが、彼女の動きはどこか人間くさかった。

 人形は、すっと紙を差し出した。
 そのつぶらな瞳が、じっと魔理沙を見つめている。
 どこか気恥ずかしくなりながら、魔理沙はその紙に目を向けた。

 一枚の絵だった。
 幾多の短い線がいびつな楕円形から飛び出している。
 そのなかで一本だけ、楕円が急なカーブを描いた点から長く飛び出したひものような線が弧を描いていた。
 それとは逆の点の近くには、塗りつぶされた様な点が二つ。

 子供並みの絵心で、その絵だけでは何を書いたのかは分かりかねた。
 だが、その絵には一本の矢印が引いてあり。その先には、走り書きで単語がかいてあった。

「ドブネズミ……?」
「魔理沙さんですよ」

 魔理沙は、かいてある言葉を朗読しただけで、無論答えが返ってくることは期待していなかった。
 だが、人形は口を開いた。
 可愛らしく、しかし機械質な声で人形はそう言った。

「お前しゃべれたのか……じゃなくて。つまり、なんだ? 私はドブネズミだと?」

 魔理沙は、人形の頬を強くつまんだ。
 その人形の頬は餅のように柔らかい。
 アリスはより人に似せるため、場合によっては人工皮膚を使っているという。
 なるほどよく伸びる、と魔理沙は人形の頬をもてあそんでいた。

「頬が伸びちゃう、やめてくださいー」
「人をドブネズミ呼ばわりした罰だ、ほれほれ」

 暫く魔理沙が頬を引っ張ったり戻したりしていると、いつの間にか人形は動かなくなっていた。
 少し慌てながら、魔理沙はその人形の首根っこを掴み、左右に振る。
 しかし、人形は糸が切れたかのように動かなくなっていた。
 魔理沙は戸惑いを隠せないでいた。
 揺すってみても、話しかけてみても、人形から返事が返ってくることはない。
 一つため息をついて、その人形を膝の上に乗せた。

 先程人形に使わせた筆を咥え、絵を再び眺める。
 確かに、言われてみればネズミのようにも見えた。

「だが、それにしちゃ尻尾と毛の太さが一緒だよな……」

 ネズミの体毛を表そうと頑張ったのだろう。
 だが、むしろそれが裏目に出ていた。
 デフォルメすればいいのに、と思いながら魔理沙は咥えていた筆を机に置き、椅子の背もたれに寄りかかった。
 ぎしり、ぎしりと椅子を鳴らしながら、魔理沙は人形の処遇を考え始めていた。
 そして魔理沙ははたと気づいた。

「好き勝手、していいんだよな?」

 そう、前から魔理沙はアリスの人形を研究したかったのである。
 この人形は勝手にやってきた故、どんな研究材料に使ってもいいはずだ。
 魔理沙の考えは深まっていった。
 おそらく人形を派遣したのはアリスである。
 ならば、好き勝手される覚悟があるということだ。
 万が一アリスが知りえないなら、それはそれで都合がいいだろう。
 魔理沙はほくそ笑みながら、時計を見た。
 すでに、日の出が近い時間であった。
 急に魔理沙を眠気が襲う。
 ふわぁ、と大きなあくびを一つして、魔理沙は研究は寝てからにしようと心に決めて。
 少し浮かれながら、人形を抱え、自らの寝室へと向かっていった。

 誰もいなくなった部屋で、僅かに残っていた蝋が燃え切り、火が消える。
 そして、部屋からは一切の光が消えた。



~~~~~~~~



 朝。
 否、時刻はすでに昼である。
 鳥たちの歌声などと言ったロマンチックな出来事はずっと前に過ぎ去っていた。
 カーテンの隙間から差し込む日差しにようやくの事気付き、魔理沙は目を覚ます。
 体を起こし、半開きの目で窓を眺めながら何度か瞬きをした。

「いい日差しだが……私を起こすのには、ちと足りんな」

 だが、魔理沙はそう言い放って、再び布団の中に潜った。
 寒かったのである。
 季節は冬。彼女が包まるのは、黄色の毛布と、白い綿布団。
 ただ、近頃は肌を刺すような寒さの日が増えていた。

 不思議なほど感じる寒さ。
 我慢ならない、と魔理沙は布団の中で丸まった。

 すべすべとした肌の感触がこすれ合う。
 あばらにふとももが触れる。抱えた足は、柔らかい。
 そう、魔理沙は服を着ていなかった。

 魔理沙は慌てて布団の中をまさぐった。
 だが、寝巻の感触はない。
 それどころか、さらに嫌な予感までもが駆け抜けて行った。
 股に手を伸ばす。だが、残念ながらそこにも布の感触はなかった。
 そう、魔理沙は全裸だった。

 蝙蝠の鳴き声のような奇声を上げて、魔理沙は飛び上がった。
 寝ぼけて服を脱ぐことなら稀にあるのだが、勿論下着まで脱いだことはない。
 魔理沙は布団から顔だけ出して、あたりを見渡した。
 あたりはいつも通りゴミ屋敷さながらの光景である。
 カーテンの隙間を急いで塞ぎ、誰かに見られているというわけでもないが、恥ずかしさで顔を真っ赤にした。

「一体何なんだぜ……」

 布団を纏いながら、魔理沙はゆっくりとベッドから降り、服の捜索を始めるのだった。


 服はすんなりと見つかった。
 昨晩家に訪ねてきた人形が、魔理沙のベッドのふもとで下着を被っていたのである。
 顔に魔理沙の寝巻を押しつけながら落ちていた本に座っていた。

「このっ……変態人形!」

 魔理沙の拳が唸る。
 布団を纏いながら繰り出されたその右アッパーは、人形の腹を直撃した。
 そのまま宙に打ち上げられた人形は天井に激突し、そのまま魔理沙の足元へ落ちてきた。






「ちょっと、弁明させてください」

 魔理沙の足に踏まれながら、人形は流暢な声で懇願した。
 今は魔理沙もきちんと服を着ている。
 白いブラウスの上に、黒いサロペットスカート、そしてその上から白いエプロンドレスを着用している。
 いわゆる魔法使いの格好であり、汚れが目立たないということで魔理沙が好んでいる格好だった。

「おお、なんだなんだ、言ってみろ。この魔理沙さんを剥くからには、それなりの理由があるんだよな?」
「えーっと、そのですね。裸にすれば、お嫁にいけないから責任とって下さいみたいなそういう流れが――」
「あるわけないだろ!」

 人形の言葉を途中で遮るように魔理沙は叫んだ。
 ぐりぐりと人形を踏みつけながらため息をつく。
 そして、頭を掻き顔を少し赤らめながら、魔理沙は囁いた。

「……お前、服を脱がしただけだよな?」
「ええ、そうですよ。だって……そんな、その。ムラムラするじゃないですか」
「さてはお前弁明する気がないな」

 魔理沙は人形を踏んでいた足をあげ、その人形の頭を掴んで目線の高さまで持ち上げた。
 そのまま、人形を前後に強く揺さぶる。
 暫く振っていると、ふっと重さがなくなり、同時に人形が高い声を上げた。

「魔理沙さん! く、首が取れちゃったらどうするんですか!」
「知らん! 全く、人形にも煩悩ってあるんだな」
「……多分、ありますよ。私、魔理沙さんのこと好きですし」

 その言葉に、魔理沙は少なからず驚いて人形を凝視した。
 その瞳は今まで見た物と何ら変わりなかったが、その内に秘められた強い力を感じて思わず魔理沙は人形を取り落とす。
 魔理沙の手から逃れた人形は、魔理沙では手が届かないような高い位置まで飛んで行った。

「お前……人形だよな?」
「人形ですよ。ただの、人形弓兵です」

 魔理沙が見上げる先で、その人形がにんまりと笑った。
 まるで、荒野に咲いた一輪の花のように――








        「霧雨魔理沙に恋の矢を」







 太陽は南西の空に輝いていた。
 昨日とは違い雲一つない空だったが、その日差しは弱く、吹き寄せる風は身をこわばらせる。
 魔理沙は、同じ魔法の森の中にある小奇麗な二階建ての白い洋館の前にいた。

「到着!」
「はいはい、よかったな」

 魔理沙は、背中にしがみついている人形にぞんざいな返事を返した。
 昨日と同じ服装で、矢筒を背負った人形。
 人形弓兵という種類の通り、数本の矢と弓を携帯している。
 弓兵に、自分がいた方が話が聞きやすいと提案され、魔理沙はこの人形を連れてきたのだ。
 ちなみに、彼女の持ってきた風呂敷には、弓矢一式、人形の着替えが数着と、一冊の本がはいっていて。
 中身を開いた魔理沙が、あまりの服の小ささに辟易したのはまた別の話。

「邪魔するぞー変態!」

 そう言って、魔理沙は強引に扉を開け放った。
 訪ね先は、アリスの家である。
 魔理沙の家と違い、玄関や廊下には不要なものが全く見当たらない。
 数体の人形が宙を舞い、魔理沙が連れてきた人形弓兵とハイタッチを交わす。
 そのままズカズカと室内に侵入し、茶色の絨毯が敷かれた廊下を進んでいった。
 
 こじんまりとしたリビングルーム。
 十数体の人形が宙を舞う中、キッチン寄りに置かれた机に向かう人物が一人。
 白いティーカップを持ち、妖艶にほほ笑むその人物を見て、魔理沙は舌打ちした。

「あら、魔理沙じゃない」
「なんだ……幽香もいたのか」
「悪かったわね、ここにいて」

 椅子に座るその人物はアリスではない。
 花を操る妖怪にして、幻想郷最強クラス。四季のフラワーマスター風見幽香だった。
 雪のように白いカットシャツに赤と黒のチェック柄のベストを羽織り、同じ柄のロングスカートを着用して足を組む、若草が萌えるような鮮やかな緑髪の女性。
 身の気もよだつような残酷な心と、花を慈しむ愛情あふれる心の両方を備えた、虞美人草の如き妖怪。
 それが、風見幽香と言う妖怪であった。

「アリス、相方が訪ねてきたわよ! 可哀想だから構ってあげなさい!」

 幽香は二階に向かって大きな声を上げる。
 即座に、分かってるわ、と返答が返ってきた。
 それを聞いて、幽香は魔理沙を一瞥し、そして机に目を向ける。
 そこにあるのは、占い師が好んで使うような大きな水晶玉だった。
 ご丁寧に、怪しい台座付きである。

「ミルクティーよ。貴方も飲む?」
「ああ、もらおうか」
「自分で注ぎなさい」
「今のはどう聞いても注いでくれる流れだろ……」

 来訪を予期していたのだろう、すでに机の上には魔理沙が訪れたときに使う専用のカップが置かれていた。
 四つ椅子がある中、幽香の席から一番離れた席に乱暴に座り、真ん中に置かれたティーポットから中身を注ぐ。
 同時に、幽香から空のカップが突き出された。
 軽く悪態をつきながら、魔理沙はそのカップにもミルクティーを注ぐ。

「あら、優しいのね」
「そりゃぁ、私は細かいところに気が回る女だからな」
「あらそう。じゃあ、私の靴を磨いてくれない?」
「悪いが、私は上品な女なのでね」

 軽口を叩きながら、魔理沙は紅茶を少し口に含んだ。
 とたんに、口の中に濃厚な甘みが広がり、芳醇な香りが鼻孔を満たした。

「あっつ……うん、少し甘くて熱いが、うまいぜ」
「アッサムだし、入れ方はインド式よ。こんな寒い日には、温かくて甘い飲み物の方がいいとは思わない?」

 そう言って、幽香はほほ笑んだ。
 このミルクティーは、いわゆるチャイである。
 英国式に入れる紅茶とは違い、牛乳や砂糖を入れるタイミングが早く量も多いのだ。

「お前、意外と子供舌だもんな」
「その猫舌、引っこ抜いてやろうかしら」
「おお、怖い怖い」

 身を乗り出して手を伸ばす幽香をあしらいながら、チャイを味わう。
 彼女が言う通り、外はだいぶ冷えていた。
 ずっと着けたままだったマフラーを外し、魔理沙はふぅと息をつく。
 そのベージュ色の液体はまたたく間に減っていき、アリスが降りてくるころには魔理沙のカップは空になっていた。



「真昼間から変態とは御挨拶ね」

 そういいながら、アリスは魔理沙の対面、幽香の隣の席につく。
 近くにいた2体の人形を操り、自分のカップと魔理沙のカップにチャイを注いだ。

「アリス、待ちくたびれたぜ、早く説明しろ」
「何をよ」
「あいつについてだよ……あの人形弓兵だ」

 そう言って、魔理沙は周りを見渡した。
 だが、魔理沙には人形の見分けがつかない。
 人形、人形、人形。
 些細な違いはあるが、それはいつも見ている物ではないと判別がつかない。

「……ちょっとこっちへ来ーい」

 魔理沙が呼ぶと、見当違いの方角から一体の人形が飛んできた。
 そう、あの人形である。
 魔理沙よりも少しばかり大きな二体の人形の間からまっすぐ飛んで来て、魔理沙の首に抱きついた。

「こいつだぜ。なんだか自律してるみたいだが……ついに成功させたのか?」
「うーん、保留にしておきましょう。実験成功と言い切るのはまだ早いわ」
「古道具屋に売ってた本を参考に、二人でちょっと手を加えたら出来ちゃったのよ」
「本は上巻だけだったんだけど……うまく行って何よりだわ」
「ふーん……まさか、香霖まで一枚かんでいるとはな」

 魔理沙は頬杖をつきながら頷いた。
 そして、机をコツコツと叩きながら、不機嫌そうに幽香に尋ねた。

「じゃあ、こいつの変態要素はお前から来てるって事でいいんだな?」
「馬鹿言うんじゃないわよ……貴方を全裸にしたのはこの子の意思に間違いはないわ」

 魔理沙は、その言葉を聞いて固まった。
 見る間に顔が紅潮していく。
 カップが揺れるほど机を大きく叩いて、魔理沙は叫んだ。

「なんで知ってるんだよ!」
「その子の目には仕掛けがしてあるのよ。その子の見ている姿が、この水晶玉に映るのよ……偉く貧相だったわね」
「うわぁああああああああああ!」

 そのまま、魔理沙は机に突っ伏した。
 追い打ちをかけるように、人形弓兵が笑顔で魔理沙の肩を叩く。
 幽香はニヤリと不敵に笑い、アリスは真剣な顔で謝り始めた。

「人に見られても、その体じゃ気にならないでしょう?」
「幽香、その辺にしておきなさい……魔理沙、そのね? 別に見たくて見ちゃったわけじゃないのよ、その。ごめんなさい」
「元気出して下さい、私よりは全然ありますし、魅力もばっちりです」
「うるさい! どうせ貧相だよこの野郎!」

 魔理沙はその後一時間ほど、飛んでくるからかいと謝罪と慰めの中で叫びながら突っ伏していた――








 半分に切り取られた月が、弦を上にして沈みゆく時間。
 魔理沙の家の寝室から見える月は、控え目に地上を照らしていた。

「ああ、傷物にされちゃったぜ」
「責任は取りますよー」

 ベッドの上で魔理沙はため息をつく。
 その膝もとには一体の人形。
 人形弓兵は、魔理沙を見上げながら座っていた。

「だまれこのやろー……はぁ。で、なんだ。お前は私の家に居座ろうというのだな」
「ええ。勿論です。好きですし」
「……もう好きにしてくれ」
「好きにしていいんですか!?」

 魔理沙の言葉を聞いて、弓兵は手をワキワキと動かす。
 違う違う、と魔理沙は元気なく否定した。
 それもそのはず、朝から全裸だった上、アリスの家での幽香のからかいにより、精神の疲労が積み重なっていた。
 じっと顔を見つめる人形の目をめんどくさそうに見返す。
 魔理沙のポジティブな頭は、その時ある考えに至った。

「……そうだな、住むっていうなら家事とかしてくれ」
「火事ですか?」
「燃やしたら呪うぞ。お前の体に釘を打ち込んでやる」
「冗談ですよ、冗談。それにしても、家事ですか……ふふ。なんだか、結婚したみたいですね」
「黙ってろ」

 魔理沙は倒れるようにベッドに横になり、布団を被った。
 布団の動きに合わせて、人形は魔理沙の顔の横まで這って動く。
 至近距離。
 魔理沙のすぐそばで、人形は笑っていた。
 その無垢な笑顔を見て、不思議と魔理沙は恥ずかしくなり背を向ける。
 そして、すぐに魔理沙の頭に人形がしがみついた。

「枕にするぞお前」
「その時は、顔にしがみ付きますから」
「私は寝相が悪い方でな、夜中に回転し始めるらしい」
「何があってもちゃんとよけますから安心してください」
「端から心配してないぜ」

 そう言いながら、魔理沙は手を頭にのばし人形を鷲掴みにした。
 顔の前に座らせて、魔理沙は人形の頭をこつんと叩いた。

「まぁ動くなとは言わないさ。だが、極力私の体に触れるな。次全裸にしたら、八つ裂きにして火にくべるからな?」
「はい、分かりましたー」
「いい返事だ……ええと。お前、名前ないのか? それとも、人形弓兵が名前でいいのか?」

 ふと呼び名がないことに気付き、魔理沙は問う。
 名前があるなら、他の人形と区別できる。その上、名前を呼ぶのに困らない。
 だが、人形は静かに首を横に振った。

「人形弓兵の一体ってだけで、名前はないですねー。あ、つけてくれてもいいんですよ?」
「ん、じゃあいい。お前は人形弓兵で十分だ。人形が名字で、弓兵が名前な」
「あ、酷い。あ、でも、ということは私は今日から霧雨弓兵ですね!」

 違う、と魔理沙は否定しようとして、しかし、嬉しそうな人形の様子を見てその言葉を飲み込んだ。
 あくまで人形だから、人間のまねごとがしたいんだろう。
 喜んでいる人形にわざわざ水を差す必要もない。
 そう考えて、魔理沙は優しく囁いた。

「まぁ、名乗る分なら構わんな……よし、お前のことは弓兵と呼ぼう」
「さすが魔理沙さん、懐が深いです。結婚してください」
「それはダメだ」

 ダメですか、と項垂れる弓兵を見て、当たり前だろ、と魔理沙は頭を小突く。
 そのままパタリ、と仰向けに倒れた弓兵は、うー、と小さく呻いていた。
 同じく魔理沙も仰向けになり、天井に小さなへこみがあるのを見て小さくため息をついた。
 面倒なことになったなぁ。そう思いながら、心のどこかで状況を楽しんでる自分がいる事に魔理沙は気付いていた。

 夜が、更けていく。
 月が沈み、魔理沙が寝息を立て始めてから暫く立ったころ。
 ふらり、と動き出した人形は物音をたてず、リビングへ向かって行った――




~~~~~~~~




 またしても昼まで寝ていた魔理沙を起こしたのは、日差しではなく、おいしそうな料理の香りだった。
 食欲をそそるその香りが鼻をくすぐり、魔理沙は布団から起き上がった。

「……まさか、あいつか?」

 寝ぼけ眼を擦りながら、枕元を見ると案の定人形がいない。
 へぇ、と呟いて、視線を上げた魔理沙は固まった。
 魔理沙は慌ててあたりを見渡す。
 今回は全裸になっていたわけではない。

 しかし、魔理沙はその部屋に見覚えがなかった。

 視線を、自分の周囲に向ける。
 魔理沙の体にかかる布団は、いつも使っているのと同じ黄色と白の物だった。
 天井を見上げ、小さなへこみを発見し、確かにここが自分の家だと確信して、魔理沙はあたりを見渡した。
 見事に、物がない。
 何もない。
 魔理沙が長い年月をかけて蒐集した物も、何一つなくなっていた。
 強いて言うなら、寝室には箪笥と寝具一式しかない。
 ゴミ屋敷のような有様だった家が、今ではまるでモデルハウスだった。
 なるほど夢か、と魔理沙は再び布団の中にもぐり、そして。

「んなわけねぇだろ!」

 前転しながらベットから飛び降りた。

 騒がしい足音をたて、魔理沙はリビングへ駆け込む。
 着替えようか、とも思ったが驚くことに箪笥の中にはなにも入っていなく。
 いつも来ているキノコ模様の寝巻のまま、荒々しく扉を開けた。

「おい弓兵、これはどういうことだ!」
「あら、ずいぶん遅いお目覚めじゃない」

 リビングには、アリスがいた。
 否、アリスだけではない。
 大量の人形が、せわしなく動いていた。

「どうしたのよ。そんな、まるで死人でも見たかのような目つきして。水でも飲む?」

 アリスは悠々と椅子に座り、ガラスのコップで水を飲んでいた。
 机はない。
 近くにいる背の高い人形がウォーターピッチャーを持ち、アリスのコップに水を入れる。
 アリスは、笑顔でそのコップを差し出した。

「はい、水」
「いや、そうじゃなくてだな」
「あら、私が口つけたのが不服?」

 アリスはハンカチを取り出し、コップのふちを拭った。
 そのまま手渡されるコップを受け取った魔理沙は、水を一気に飲み干す。
 うまかったぜ、とコップを返して、そして魔理沙はアリスに詰め寄った。

「なんでお前が私の家にいるんだよ! で、私の物は!? 白昼堂々強盗か!?」
「あ、私は日が昇る前からいたわよ」
「完全に強盗じゃないか!」

 魔理沙はアリスの肩をがしりと掴み、すさまじい剣幕で怒鳴る。
 その勢いにたじろぎ、アリスは椅子ごと数歩下がった。
 椅子の脚が床をかく音がギギギと響く。
 魔理沙に前後に揺さぶられながらアリスは声を絞り出した。

「あ、貴方には、言われたく、ないわよ」
「うるさい、私は借りてるだけだ! 黙ってろこの人形愛者! 人形しか友達がいない奴!」
「貴方こそ黙りなさい! ……とりあえず落ち着きなさい、外に全部置いてあるから!」

 その言葉を聞いて、魔理沙はアリスの肩を突き放す。
 ふぅふぅ、と荒い息を吐きながら魔理沙は玄関へと向かう。
 その途中で立ち止り、居住まいが悪そうに言葉を濁した。

「あー……なんかすまんな。ところで、なんでお前は私の家にいるんだ?」
「貴方、あの子に家事を頼まなかった?」
「頼んだぜ……まさか?」
「ええ。あの子がね、緊急連絡飛ばしてきたのよ。何かと思って水晶玉を覗いたら、家事を手伝ってって書いてある紙の前でじっとしてたわ」
「おいおい……風呂とか覗いてないよな」
「断じて、覗いてないわ」

 断言するアリスの言葉を聞き、胸をなでおろした魔理沙は玄関に向かって小走りした。






 外の光景は、圧巻の一言に尽きた。
 大量の人形が、あちらこちらで蠢いているのである。

 魔理沙から見て左側では、洗濯をしていた。
 使用済みと思われる十数個の桶と、風に揺られる大量の衣服。
 十数体の人形達が協力して竹ざおを掲げていた。
 その隅の方で、洗った食器を運ぶ人形の姿が。
 おそらくどこかに放置された食器なのだろうが、きれいに洗われていた。

「どんだけ連れてきたんだよ……」

 そう呟きながら正面を見ると、今度は物品の山の仕分け作業中だった。
 家の中にごちゃごちゃとおかれていたものをすべて運び出したに違いない。
 改めて見返すと、よく家に入りきったな、と思えるほど量が多かった。
 おそらく必要な物と不必要な物、そして判別できない物に分けられているのだろう。
 見ると、不必要な物の一部が人形たちによって右へ運ばれていく。

 そのまま右へ目線をずらすと、たき火が行われていた。

「……っておい!」

 たき火だった。
 燃料は、不必要と判断された物を使っているに違いない。
 火の勢いは魔理沙が外で寒さを感じない程度には強かった。

 その横では、別のたき火の上に一つの大きな黒光りする筒が乗っている。
 一般的に五右衛門風呂と呼ばれるそれは、湯気を立てていた。

 気付けば、湯気の中から魔理沙を呼ぶ声がする。
 ここ最近何度目かの嫌な予感がし、魔理沙が駆け寄ると、案の定そこには弓兵がいた。
 五右衛門風呂の上で飛び回りながら、魔理沙を手招きする。

「おそらくいい湯加減ですよ。入ります?」
「おお、入らせてもら……うわけないだろうが!」

 上着を脱ぐ、と見せかけて、魔理沙は手を伸ばして弓兵を掴んだ。
 腕に当たる湯気は、やけに熱く。
 よく覗きこんでみると、コポコポと言う音とともに底から泡が浮かんできていた。

「ああん、酷い。がんばって折角用意したのに……作るところから」
「作る!? この五右衛門風呂手作りか!?」
「ふっふっふ、あまり私をなめないでもらいたいものです」
「いやいやいやいや、がんばり過ぎだろ! あと、おそらくいい湯加減って何だ! 完全に煮だっているじゃないか!」

 確かに熱い方が好きだが、と言いながら風呂を覗き込むと、そこには大切なものが欠けていた。
 そう、五右衛門風呂にはなくてはならない物だ。これがなければ、確実に脚を焼いてしまう。

「よく見ると床板ないじゃないか!」
「マリササン、ハイッテアゲテ。ダマサレタトオモッテサ」
「お前らは茹で魔理沙でも作ろうってのか! 騙されて入ったら死んじゃうぜ! ……って、誰だお前!」

 五右衛門風呂の背後からすっと出てきた人形は、魔理沙よりも背が高く。
 ポン、と魔理沙の肩を叩き、クイックイッと、まるで喧嘩相手に表へ出ろと示すように五右衛門風呂を指差した。

「あ、この方はティターニアさん……レベルティターニアさんです。二体いるうちの片方ですよ」
「さっきもう一体見たな……って、ティターニアさん!? 地味に私を押してないか!?」
「ダイジョウブダイジョウブ、マリサハカゼノコゲンキノコ」
「片言が怖い! レベルティターニアさんの片言が怖いぜ!」

 レベルティターニアの大きさは、思わず魔理沙がさん付けで呼んでしまうほどの迫力があった。
 じりじり、と魔理沙は五右衛門風呂の方に押し出される。
 いつの間にかレベルティターニアは魔理沙の肩を抱いていた。

「ダイジョウブ、ダイジョウブ」
「た、助けて! 助けて誰か! 助けて、アリス助けて!」

 魔理沙は幼子のようにレベルティターニアに抱え上げられた。
 そして、そのまま五右衛門風呂を背にして運ばれる。
 したり顔の弓兵と、食卓を持った人形とともに、魔理沙は家の中へと戻っていった。
 その中では、アリスが一人爆笑していて。
 顔を真っ赤にした魔理沙が、叫び声をあげながらアリスに向かって小さな弾幕を一つ放った。




「畜生……」

 食卓に着く魔理沙は、顔を少々赤らめながらフォークをサラダへ突き刺した。
 キノコと野菜のサラダである。
 魔法の森でとれる食用キノコと、アリスが持ち込んだレタスやトマトで作られた、彩り豊かなみずみずしいサラダ。 
 そのまま口に運び、乱暴に咀嚼する。
 それがまた格別においしいことに腹を立てながら、魔理沙はどこかひんやりとしたフランスパンに手を伸ばした。

「ごめんなさい、あんなにうまくいくとは思わなくて」
「私の発案だったんです、テヘッ」
「今こいつの発言を聞いて私は絶対許さないと誓ったぜ」

 魔理沙の対面で、机に直に座っている弓兵が、可愛らしく、なおかつなれなれしく謝った。
 その弓兵の額を、魔理沙はパンで引っ叩く。
 木と木がぶつかり合う、コン、という軽い音がした

「……こいつの骨組みは木なのか?」
「ごめんなさ……え? え、ええ。まあ、でも骨の硬さに似せてるわ」
「ふぅん、偉く本格的だな」
「人の形にとことん似せた方が早いかなって、思ったのよ」

 そう言って、アリスは弓兵の頭に触れた。
 髪の間をまさぐり、ある一点を指差す。
 身を乗り出した魔理沙が見たのは、金髪が渦巻き状に拡散している部分――即ち、つむじだった。
 興味深そうに頷いた魔理沙は、弓兵の姿をつぶさに観察し始めた。
 目元には眉毛、睫毛。口を開けば歯が立ち並び、舌もチロチロと動かせる。
 口内も、皮膚と同じように柔らかい。が、唾液は存在しないようで。
 そのまま魔理沙は弓兵の首元に手を伸ばす。
 鎖骨に触れた魔理沙の手を弓兵は両手で握りしめ、近づけないように遠ざけた。

「いやん、魔理沙さんのえっちー」
「私はこいつを捻りつぶしたいと思うんだが、構わないか?」
「やめてあげて?」
「痛みも感じませんよー」
「……チッ」

 舌打ちをして、魔理沙は椅子に座りなおした。
 左手のフランスパンを、温かくまろやかだが少々味の薄いトマトスープにちょんちょんと浸しながら、魔理沙は先ほどよりも声を落してアリスに尋ねる。

「なぁ、コイツのどこに……その、見た物を転送する装置がついてるんだ?」
「ん、頭の中ね」
「そうか。で、それははずせるのか?」
「……何? はずして欲しいの?」
「はずせ。私のプライバシーを侵害するようなのは、全部だ。全部、はずせ……まぁ最低限の連絡機能くらいはいいけどな」

 魔理沙がそういうと、アリスは口元に手を当てて考え込んでしまった。
 弓兵は、魔理沙の顔を戸惑った風に見つめていた。
 そんな弓兵の頭をポンポンと叩き、もう全裸になりたくないだけだ、と言いながら魔理沙はアリスを見、返事を待つ。
 次にアリスが口を開いたのは、数分後だった。

「……装置を外すのは簡単。入れ替えるだけだから。だけど、そうすれば……遠隔操作はできなくなるわ」
「遠隔操作もできるのか。まさか、私の全裸はお前が!」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「止めなかった時点で同じだろ」
「うう……そ、そんなことよりも、よ。もし、あの子が貴方に危害を加えそうになっても、護れないのよ? 緊急停止もできなくなる」

 全裸にしたり、少し危ない芝居を仕組んだり。
 これらの行為が行き過ぎる可能性もある、とアリスは言った。
 魔理沙は、弓兵の顔を覗き込む。
 どことなく俯いたその人形はどこか傷ついたように魔理沙には見えた。
 何故だか理由は分からないが、魔理沙は苛立ってきて。
 最近苛立つことが多いな、と思いながら、魔理沙は低い声でアリスの名を呟いた。

「お前の人形を、お前が信じなくてどうするんだ?」
「……それは――」
「それにな。緊急停止、と言ったか? ……それは、命を握られてるのと同じだよな?」
「だけど! ……そんな、何が起こるのか分からないじゃないの。私は貴方のためを思って――」
「残念だが、こいつはもう私の所有物。責任は私が取るから、自律させてやれ……な?」

 アリスは、黙って俯いてしまった。
 それと入れ替わりに、弓兵が顔をあげ、晴れ晴れとした顔で魔理沙へと飛びついた。

「さっきのは告白でいいのよね、魔理沙!」
「それは違う、って一気になれなれしくなったなお前」
「親しくなったら、こんな感じに呼び合うって勉強したの!」
「そうかいそうかい……で、アリス。これで断ったら、お前はもう人間じゃないぜ?」

 魔理沙の言葉に、アリスはため息で返す。
 顔を上げ――そのまま斜め上を見上げ、仕方ないわねと肩をすくめてもう一度ため息をついた。

「もう人間じゃないし、断ってもいいんだけど……かわいい娘が嫁に出るっていうなら、仕方ないわね」
「おいおい、よくてペットだろ」
「べ、別に魔理沙の奴隷(ペット)ならいいかな」
「アリス、お前は一体どんな教育したんだ」
「私じゃないわ。幽香よ、絶対……とりあえず、食事が終わったら直してくるわ」

 アリスの言葉に、弓兵は諸手を挙げて全身で喜びを表現した。
 小刻みに揺れる机を抑えながら、魔理沙は一口サイズになったフランスパンを口の中に放り込み、流しこむようにスープを飲んだ。
 お椀に残るスープはそれなりに冷めていたが。
 その味は、先ほどとは違い濃厚なものに思えるのだった。




 少し膨れた半月が、南西の空に輝いていた。
 突発的大掃除がすべて終わって、すべての物を家の中へ戻し終わり、夕飯を食べ、そして帰るアリスを送り出して。
 魔理沙は、おもむろに、一日天日干ししてよい香りのするソファに座り込んで深く息を吸い込んだ。

「なんだか、引っ越したみたいだぜ」
「新居、二人の愛の巣ね! 体も軽くなったし、気分がいいわ」
「……まぁ、いいや」

 魔理沙はため息をつきながら、そのまま倒れこむ。
 ソファはボフッと柔らかな音を立て、魔理沙の体を包み込んだ。

「そうだ。もう全裸にはするなよ?」
「うん、しない」
「釘さしておかないとな……まぁ、誰でも聞かれればそう答えるもんだが」
「いや、絶対しない。あれもね、実はアリスに魔理沙の裸を見せるためにやったことなのよ」

 そう言って、弓兵は魔理沙の顔のそばに腰かける。 
 魔理沙は首をかしげ、訝しげに弓兵を眺めた。

「なんで、そんなことを? アリスは確かに変態かもしれないが」
「ふふふ、秘密。実際、私も見たかったしー」
「ああいうのは勘弁だ。お前が人形って言ってもなぁ……」

 魔理沙は、目を瞑り、少々考えながら言った。

「じゃあ、自然に見る分には? お風呂を覗くみたいな!」
「覗くな。あ、でも人形だしなぁ。一緒に風呂入るくらいなら……あ、お前水は大丈夫なのか?」

 魔理沙の言葉に、何故か一瞬弓兵は残念そうな笑みを見せた。
 だが、魔理沙は目を瞑っていたのでそれに気づくことはできず。
 魔理沙が目を開くときには、弓兵は溢れんばかりの純粋な笑顔を見せていた。

「防水完備、問題なしよ! じゃあ、行こう!」
「おい、慌てるな……って、どこへ行くつもりだ、準備もまだだぞ」

 魔理沙の手を激しく引っ張る弓兵は、そのまま玄関に向かおうとしていた。
 急いで引きとめた魔理沙に、弓兵は笑顔で口を開く。

「え、五右衛門風呂の用意を」
「やけどさせる気か! うちにも風呂くらいある!」






 チャポン、と水の音が聞こえる。
 澄んだ水の中に映る、成長期の肢体。
 ヒノキの木目が美しい、人が一人悠々と入れる大きさの浴槽の中で脚を組む魔理沙は、鼻歌を歌いながら湯につかっていた。
 その横で、縁につかまりながら弓兵は湯につかっている。
 温度は熱い湯を好む魔理沙がちょうどいいと思うほどだった。
 即ち、少々熱い。だが、都合のいいことに彼女には感覚と言ったものが存在していないのだろう、魔理沙と同じく涼しげな顔で湯につかっていた。

「湯加減はどうだ?」
「まあまあねー」

 即ち、このやり取りも儀式のようなものだった。

 彼女の体は美しかった。
 未発達で、成長することのない幼いボディ。
 しかし、アリスの手によって精巧に作られた肌は滑らかで、くびれがきゅっとできている故に、どこか成熟した肢体を感じさせる。
 うっすらとした肌色は、まるで赤子の肌のよう。質感もさながらベビースキンであろう。
 水に浸る彼女は、天女の行水を思わせる。
 否、金髪の、西洋人形であるならば――例えるなら、天使だろうか。
 魔理沙は、彼女の背中に大きな翼を夢想した。
 大きく、皆を包み込むような鷲の翼を。

 魔理沙の頭にはフェイスタオル、弓兵の頭にはハンドタオルが折りたたんで乗っていた。
 二人ともおそろい――と言えば名ばかりの、無地のタオル。
 弓兵は、それを落とさないように慎重に身体を動かす。
 そのぎこちない様子に魔理沙は笑った。

「わ、笑うなぁ!」
「はは、すまんぜ」
「むむむ……」

 うめき声をあげながら弓兵は魔理沙の近くまで泳ぎ、腕に座った。
 肘を縁に置いていた魔理沙の腕は、弓兵が座るのにはちょうど良く。
 そして、魔理沙の腕に柔らかな感触が伝わってきた。

「柔らかいな、お前」
「……へ? え、ええ!?」

 魔理沙の言葉に、弓兵は身を震わせた。
 タオルが音を立て、水面に白い花を咲かせる。
 それと対照的に、弓兵は音を立てず水の中にもぐっていった。

「おい、大丈夫かー? どうしたんだー?」

 水中にも聞こえるように、と妙に間延びした魔理沙の返事に答える声はなし。
 その代わり、水中では、弓兵がガタガタと震えていた。
 光るものを見つけた烏のように、すばやくタオルを水中を掴み、水中に引きづり込む。
 やがて浮かんできた弓兵は、タオルを纏っていた。
 ほっそりとした弓兵の体に貼りつくように、そのタオルはフィットしていた。

「どうしたんだ、いきなり?」
「あ、あの……その」

 魔理沙の言葉には反応せず、おもむろに弓兵は呟き、そして言葉を切った。
 暫く魔理沙はその続きを待つ。
 弓兵がその続きを言ったのは、手を団扇の様にしてあおぎながら、そろそろ体を洗おう、と決心したころだった。

「わ、私の身体は、どうでした!?」

 敬語を使い、水面をたたきながら弓兵は問う。
 それを聞いて、魔理沙は小さくため息をついた。

「そんなことかい」
「重要なことよ!」

 弓兵は、小鳥のように高い声で叫んだ。
 バタバタと腕を振り回して殴りかかる弓兵の頭を止め、魔理沙は暫く考えてから結論を出す。

「良く作ってあるが……所詮は作りもの、だな」

 そう言った瞬間、何かにひびが入るような音が聞こえた。
 弓兵の歯ぎしりの音だ。
 魔理沙の耳にも聞こえるほど、その音は大きく。
 振り回すのを止めた腕がだらりと下がる。
 俯いて、水気の含んだ髪が、まるで川に浮かぶ土左衛門のように水面に広がる。
 腕を弓兵に、まるで鷹のように掴まれて、魔理沙は慌てて首を振った。

「別にな、悪いって言ってるんじゃないぜ?」
「……でも」
「人間はもっと歪なんだ。お前の肌はキレイだなぁって。お前の体はキレイだなぁって。それだけだぜ?」

 魔理沙がそう言った瞬間、弓兵は魔理沙の胸元に飛びついた。
 すがりつき、魔理沙の胸を弱々しく殴る。
 困惑しながらも、魔理沙は弓兵を軽く抱きしめた。

「あのね……私は、まだまだ知らない事も多いの」
「……まぁ、そうなんだろうなぁ。最近の実験だろ?」
「はい。だから、その……回りくどいのは、やめて」
「わかった、すまん。素直に言えばいいんだろ? お前の体は、きれいだったぜ」

 魔理沙がそういうと、弓兵はますます顔を胸元にうずめた。
 柔らかいな、と思いながら、魔理沙は弓兵を抱きしめたまま頭を撫でる。
 暫く抱きしめ、柔らかな髪の質感を楽しむのにも飽き、魔理沙は弓兵に尋ねた。

「……そろそろ、身体を洗わないか? いや、洗わせてくれ」
「うん……魔理沙、胸柔らかったわ。それっ!」

 急に、ふに、と胸を揉まれる感覚。
 ふふふ、と弓兵は笑う。
 それを顔の高さまで持ち上げ、あはは、と笑う魔理沙。
 こいつを信じたのが間違いだったな、そう思いながら、魔理沙は野球選手さながら大きくふりかぶって弓兵を放り投げる。
 湯気を切り、弓兵は燕のように滑空して飛んで、壁にぶつかった。




~~~~~~~~




 そして、夜が明け、朝が過ぎる。
 いつもよりも早く――とはいっても、太陽はとっくに昇っているのだが――魔理沙は弓兵とともに台所に立っていた。
 軽く鼻歌を歌いながらトントントン、とキノコ相手に軽快なリズムでなまくら包丁を振るうのは、エプロン姿の魔理沙。
 その横で、弓兵は湯を沸かしていた。
 八卦炉の上に、片手鍋を少し浮かせて持つ。
 小さな水滴の付いた鍋の中では、すでに数個のキノコが煮られていた。

「キノコばっかりだねー」
「お前は食わないからいいだろ?」
「まあね」

 なんともない、と言った風に弓兵は言った。
 食べることができないのではない。弓兵も、専用の食事を与えられている。
 だが、必要な栄養素が完全に違うのだ。
 弓兵には、魔力が必要で。
 キノコはキノコでも魔力分を多く含むキノコから作られる塊、それが今の弓兵の食事だった。

「でも、不健康じゃない?」
「お前、キノコ様なめちゃああかんぜ。キノコ様には、いっぱい栄養が含まれてるんだ」
「へー、凄いのね」

 キノコ――弓兵が出汁をとっているシイタケ、そして魔理沙が一口大に切っているマイタケは、低カロリーであり、大量のミネラルや食物繊維を含む。
 双方に含まれるエスゴステリンには、ビタミンDと同じようにカルシウムを吸収するのを助ける。
 そして、シイタケに含まれるレンチナン、マイタケに含まれるグルカンは、癌を防ぐ効果もあり。
 血圧低下、肥満防止、と利点だらけの食べ物なんだ、と魔理沙は語る。
 それを、弓兵は真剣な顔で聞いていた。

「へぇ……そうなの」
「また聞きだから、カタカナ語間違ってるかもな。あと、キノコだけじゃやってけないんだが」
「あらら」

 弓兵は、片手鍋に影響がないレベルでずっこけた。


 マイタケを切り終わり、油揚げをまな板の上に乗せた魔理沙は何の気なしに呟いた。

「そういえば、今朝は服着てたな」
「昨日もそうだったでしょ?」
「それもそうだが、あの朝のインパクトが強すぎてな」
「何? 脱がして欲しい?」

 にやり、と笑う弓兵。
 もし、弓兵が鍋の柄を掴んでいなかったなら、手をワキワキと動かしていたに違いない。

「そんなことは言ってないぜ」
「じゃあ、明日をお楽しみに」
「やめろよ?」
「ふふっ」
「……冗談だよな、おい?」

 片手に持ったなまくら包丁をタタン、と強くまな板に打ちながら魔理沙は控え目に尋ねた。
 えへへ、と笑う弓兵はどちらともとれず、まるで梟に掴まれたネズミのように魔理沙の背筋がうすら寒くなる。
 その恐怖を打ち消すかのように、魔理沙は油揚げに刃を叩き込んだ。
 

 自家製のみそを取り出し、魔理沙は鍋係を代わる。
 弓兵は、首と腕と足をうまく使い、おたまに味噌を大さじ二杯ほど乗せ、鍋の中に入れ菜箸で味噌を溶き始めた。
 その器用さに、魔理沙は思わずうなり、感嘆の声を上げた。

「お前、料理できるんだな」
「一人じゃ無理よ、私不器用だし」
「そうなのか? 弓が打てるってのは、器用な証拠だろ?」
「アリスが全部やってくれるの」

 そういいながらも弓兵はどこかくすぐったそうにしていた。
 味噌を解き終わった弓兵は、おたまを揚げようととして、取り落とす。
 幸いおたまは鍋の縁に引っ掛かり、床に落ちるようなことはなかったが。
 そのおたまを取ろうと、すばやく菜箸を置きに行く弓兵に、魔理沙は声をかけた。

「んや、おたまはいいぜ。どうせつかうしな。それより、お椀を出してくれるか?」
「お、お椀? お椀、お椀は……ええと、これ!」

 食器棚を開き、弓兵は覗き込むようにお椀を探していた。
 だが、見つからない。その代わり、彼女が手にしたのは、コップだった。

「それはコップだ! やけどするだろ!? その、隣の戸棚だ」

 ガラス製のコップ。
 熱伝導率がいいガラスのコップに、それこそアツアツの味噌汁なんて入れてしまえば、やけどは免れない。
 戸棚を漁り、今度はお茶碗を引っ張り出す弓兵に、魔理沙はとあることを思いつく。
 弓兵の背中に、皮肉たっぷりに宣言した。

「訂正だ。お前は器用じゃない。弓なんてまず射れないだな」
「ちょ、ちょっと? 間違いくらい誰だってするでしょ!」
「うーん、いや、でもお前には無理そうな気がするぜ」

 そう言って、魔理沙は弓兵を挑発した。
 弓には興味があった。
 どうやって射るか、なんて魔理沙には分からないこと。
 それに、弾幕が打てるなら、弾幕ごっこでも使える――そこまで、視野に入れて、魔理沙は言ったのである。

「射れるよ! 絶対できる!」

 お椀を差し出しながら、弓兵は魔理沙に詰め寄った。
 魔理沙は、高飛車に笑いながら、弓兵に囁く。

「そうか? じゃあ、後で試してみよう」
「望むところよ!」

 弓兵は、腕を組み、自信満々に言い放った――


 

 外はあいにくの曇り空。
 太陽はその姿を分厚い灰色の雲の向こうに隠し、ただでさえ薄暗い魔法の森はまるで昼間なのに宵を思わせる。
 だが、幸い霧雨魔法店の周りは少し開けているので、それなりの明るさは確保できた。

 的などというしゃれた物はない。
 矢筒を背負った弓兵は、肩を回してコンディションを整えている。
 それをしり目に、魔理沙はそこらに生えた木のうちの一本――苔の生えていない、太くて丈夫そうな大樹の幹に手を置いた。

「よし、こいつを狙え」

 目印代わりにと、魔法で円形の傷を付け、魔理沙は言う。
 ひゅう、と冷たい風が吹いた。
 冬の寒風が、葉のついてない枝を揺らす。
 弓兵は樹から十数メートルほどの距離に陣取り、強い声を出した。

「よろしく!」
「お、おう」

 弓兵は、弓を左手に、矢を右手に持つ。
 矢をつがえ、両手を平行にしたまま、弓矢をゆっくりと持ちあげた。
 そののち、前後同時に引き分ける。
 まるで、悠久なる大河を流れる透き通った水のごとく。
 弓兵は、引ける限界まで弦を引き、その体勢でひたと止まる。
 たった数秒間。
 緊張が、二人を襲う。
 ごくり、と魔理沙は唾を呑み――そして、弓兵は目を見開いた。

「ヤァッ!」

 声が、矢が、空間を切り裂いた。
 ヒュンと風を切る音がして矢が飛ぶ。
 それはまるで、ハヤブサが降下するように鋭い。
 そして、弓兵から見て右前方の森の中へ消えていった。
 魔理沙の脇を、掠めて。

「あ、射れた。やったー!」
「この野郎!」

 両手を上げて喜ぶ弓兵に、魔理沙は衝動的に星弾を飛ばしていた。


 幸い、矢はすぐに見つかった。
 鬱蒼と生い茂る木々の一本にぶつかったのであろう、葉を落とした樹木の下に一本の矢が落ちていたのである。

「実は自信なかったろお前。的からずれ過ぎだ、もう少し逸れてたら私に当たってたぜ」
「……射れたことが大切なのよ。素人は射ることすらままならないわ」
「目を合わせろ、おい」

 本座――弓を射る立ち位置まで戻ってきて、弓兵は、素知らぬ顔で目をそらした。
 ため息をつき、やれやれと首を振りながら、魔理沙は弓兵の肩を叩いてにやにやと笑った。

「負け惜しみは、やめておけ」
「……見てなさい、絶対真ん中射ぬいてやるから」

 そう嘯く弓兵の声には、迸るような感情が宿っていた。
 背中に背負った矢筒から一本矢を取り出してつがえ、鷹のような目で、的を睨みつける。

「ふーん、で、いつまでやるんだ?」
「すぐ終わるわ」
「どうだかね」

 にやにや顔を崩さない魔理沙への返答の代わりに、弓兵は弓を射る。
 その矢は、またしても見当違いの方向へ飛んで行った――




 太陽は、今日もその役目を終えようとしている。
 ふくれた月が、木々の上から顔を出し、東の空にぽつりとうかんでいた。

「おいおい、もうすぐ夜だぜ?」
「あ、後もう一回!」

 子供のように駄々をこね、ボロボロになった矢を射る。
 もはや端から狙う気などないかのように、見当違いの方向に飛んでいく矢を追いながら、魔理沙はため息をついた。
 犬にでもなったような気分だった。
 投げられた骨を咥え、飼い主のところまで戻っていく飼い犬。
 立場が逆転している。
 本座にもどり、手を差し出す弓兵から弓をもぎ取った。

「……ちょっと?」
「この辺で、終わりだぜ。矢がそろそろ限界だ、元から数本しかない矢だろ」

 そう言って、弓矢一式をすべて矢筒に入れて、ぽんと背中をたたく。
 元気出せ、と励ましながら玄関前まで戻り、魔理沙は扉を開けたが、弓兵はそこをくぐろうとしなかった。
 俯き、聞かん坊のように首を横に振る弓兵は、ポツリ、と小さく呟いた。

「……悔しい」

 一度口を衝いて出れば、もう止まらない。
 大きな声で悔しいと叫び、落下。膝をついて、地面を殴る。
 弓兵が人間ならば、涙をこぼしていただろう。
 だが、彼女の乾いた瞳が濡れることはない。
 人形というくさびが彼女の感情の奔流を抑えつけ、けしてその先には行かせないようにしているのだ。

 涙を流さずに泣き崩れる弓兵を、魔理沙は持ち上げる。
 そして、胸に強く抱きしめた。
 弓兵はあらがおうとして暴れたが、魔理沙の手がそれを許さない。
 ぎゅう、と締め付けられ、弓兵は抵抗するのを止めた。

「ほうら、お前の大好きな魔理沙さんのおっぱいだ」
「……馬鹿にしてるよね」
「いやいや、そんなことはないぜ」

 涼しい顔でそう言って、魔理沙は室内に入った。
 赤子をあやすように弓兵を揺さぶりながら、戸を閉め、歩き、そしてソファへ。
 弓兵を寝転がせ、魔理沙自身も横になった。
 場を、沈黙が占める。
 目線をそらし、弓兵はソファを見つめてばかりいた。
 その沈黙を初めに破ったのは、やはり魔理沙だった。

「これでいいんだ、これでいいんだぜ」
「……なに言ってるの?」
「ほら、矢を射られたら普通まっすぐ飛ぶと思うじゃん? なのにまっすぐ飛ばないから被弾するんじゃないか?」
「今もそれを売りにしてる。でも……でも! 私はまっすぐ飛ばしたいの! 私は、私は……私は、みんなと違うのよ! 自律してるの! 感情を出せるの! 意思疎通ができるのよ!」

 それは、弓兵の魂の叫びだった。
 魔理沙はひたすら辛抱強く話を聞き、そして、優しく語りかける。

「そうかもな。お前は、確かに他の人形とは違う。だけど、忘れちゃいけない誰にだって役割はあるんだよ。それを見失っちゃいけない」
「私の役割は……その程度? ただ、変な方向に弓を飛ばすだけ? そんなの……そんなのいや!」

 弓兵は、怒りでわなわなと震えていた。
 対照的に、魔理沙は落ち着いていた――表面上だけでは。

「必要なその程度だ。それを言っちゃ、私だってその程度だぜ」
「魔理沙は人間よ! 私は人形――」
「人間が魔法を使う難しさを、お前は知ってるか?」

 その一瞬、魔理沙は強い怒りを見せた。
 魔理沙に存外強い口調で遮られ、弓兵は口を噤んでしまう。
 返す言葉がなかった、と言うしかない。
 弓兵が何も言わないのを見て、魔理沙は言葉をつづけた。
 
「自慢するのは大嫌いだが、お前になら問題ないな。私だって、頑張ってるんだぜ? 凡人が天才を、追い抜こうとな」

 そして、魔理沙は語った。
 己の、努力の一部を。
 魔法は、身体にあった道具と燃料があれば誰だって使える。
 だが、その魔法をうまくコントロールするには、ひたすら努力を積まなければならない。
 魔法使いになれば、自身の持つ底知れぬ魔力を使うことができる故、多少は楽になる。
 しかし、人の身のままで魔法を使うのは――身体に魔力が慣れるまでが大変だった。
 そう、魔理沙が懐かしそうに言うのを、弓兵は黙って聞いていた。

「役割と同じで、自分自身を見失っちゃいけないぜ。今の私だってな、一朝一夕でできたもんじゃない。お前が作られたのは、いつだ?」
「……二週間くらい前」
「たった二週間じゃないか。二週間で、こうもなるんだな」

 感慨深そうに言って、魔理沙は弓兵の顔を覗き込んだ。
 どこか、大人びていた。
 そして数日間の間で、彼女の表情はより人間らしくなっていた。

「よし!」

 威勢のいい声をあげ、魔理沙は立ちあがる。
 弓兵の首根っこを掴み、持ち上げ、そして魔理沙は歯を見せて笑った。
 
「悔しかったらがんばろうぜ。応援はする、だが、私はもう疲れた。風呂でも入って、明日からまたゆっくりがんばってこうぜ?」
「……うん」

 弓兵は、小さく笑う。
 流れていない涙をぬぐう仕草をし、弓兵は魔理沙の首元へ抱きついた。




~~~~~~~~




 きっと太陽に感情があるならば、地上を垣間見たとき驚きの声を上げるだろう。
 それもそのはず、まだ日が昇って暫くしかたっていないのであろう。
 魔理沙と弓兵は、朝早くから魔法店の外にいた。

「あー、眠いぜ……」
「元気出してよー」
「はいはい、わかりましたよ」

 至極めんどくさそうな声を出し、魔理沙は箒を地面に置いた。
 何故、二人が朝早くからここにいるか。
 それは、弓兵が魔理沙の魔法を見たい、と言ったからに他ならない。
 魔理沙の努力の結晶が見たい。それを見て、参考にしたい。
 そう言われて、魔理沙も引けなかったのである。

「心おきなく見せてやるぜ……と、言いたい所だが。何から見せればいいのやら」
「なんでもいいよー!」

 少し離れて屋根の上に座り、期待のこもった視線を送る弓兵。
 ため息をつきながら、魔理沙は帽子の角度を調整する。

「よっしゃ、よく見てろよ?」

 左手を右手に添え、気合いをこめてミニ八卦炉を構える。
 次の瞬間、八卦炉から星型の弾が放射状に飛び出した。
 うっすらと光る黄色の星。
 萌える若草のような緑色の星。
 淡く輝くピンク色の星。
 空のように伸びやかな水色。
 それぞれが、尾を引きながら飛んでいく。
 色とりどりの星の群れが雨のように流れ、森の奥へと消えて行った。

「おー」

 はしゃぐ弓兵をしり目に、魔理沙は手を上に掲げた。
 小粒、大粒、さまざまな星屑の弾幕が螺旋を描きながら舞い上がり、そのままあたりへ拡散する。
 それはまるで巨大な渦巻きのようにも見える。
 ただ、渦巻きと違うのは、巻き込んでいるのではなく広がっているだろう。

「すごいすごいー」

 弓兵の称賛の声を浴びながら、魔理沙は小さな魔法陣を描いた。
 その数、10。
 それぞれの魔法陣が、小さな星を並べながら星とともに飛んで行く。
 魔法陣が魔理沙の腰の位置より低くなったその瞬間。
 外側に大量の小さな星を撒きながら、魔法陣は魔理沙に向かって収束した。 

 もはや、弓兵は言葉を出すのを忘れ、ポカンと口を開けながら魔理沙の様子を見ていた。
 魔理沙は左右に首を動かして周りを一瞥する。
 周りには邪魔っけな星がたくさんある。
 そして、これを使って魅せるならば方法は一つしかない。
 魔法陣が、魔理沙の周りをぐるぐると回り始めた。
 星と同じ色のレーザーを放ち、周りをなぎ払う。
 その間、魔理沙は真中でじっとしていた。

「……魔理沙ー?」
「見てろよ? 今からが凄いんだからな」

 そう言って、魔理沙は手のひらサイズの何かを投げ捨て、箒を片手に空へ飛びあがる。
 何か、は爆心地で段々と白くなっていき――そして、爆発した。
 青白い閃光が場を駆ける。
 強い爆風が吹き荒れ、星が散り散りになって飛ばされる。
 星型弾は飛んでこなかったが、弓兵もまた等しく風に飛ばされて。
 ふわり、と宙に浮いたところを、箒に乗った魔理沙に掬い上げられた。
 それはまるで、彗星の如く。
 青く、そして長く尾を引いていた。

「ほぇー……凄い」

 空を大きく回って、軽い焦げ跡が残る爆心地に魔理沙達は降り立った。
 爆発の勢いを小さくしたおかげで、魔法店への影響はこれと言って感じられない。
 丈夫に建てさせておいて正解だったな、と思いながら、魔理沙は八卦炉を懐にしまおうとした。

「こんなもんでいいかね?」
「えー、もっと見たい!」

 弓兵は魔理沙の手を抑え、不服そうな声で続きを所望した。
 褒められるのが存外悪い気分ではなかった魔理沙は、頷いてそれを了承する。
 まずは一発、と空に青い弾を打ち上げた。
 雲ひとつない空の果てから、太陽がじっとその様子を覗いていた。


 そして、太陽が覗き見る場所が東から西に変わり。
 青く澄み渡った空が赤く変色するころ。
 黒焦げた、小さなクレーターの真ん中で、魔理沙は大の字で寝転がっていた。

「ふぅ、ふぅ……お、おいそろそろ私が限界だぜ」
「そうだね、朝からずっとやってるもんねー」
「じゃあ、もう帰るぞ」

 そう言って、魔理沙はよろめきながら立ち上がった。
 無理もない。
 彼女の十八番である極太レーザーを撃った回数は、もろもろを含めると百を超えている。

「はぁ、寿命が縮んだぜ……」
「魔理沙、ほんとに凄いんだね」
「私だぜ? 当たり前だ、がんばってるからな」

 魔理沙は、弓兵に引っ張ってもらいながら歩く。
 あたりの風景は、一変していた。
 大小さまざまなクレーターが、あたり一面にある。
 大樹の枝もボロボロになり、極力狙わなかった魔法店にすら弾痕が見える。

「かっこよかったよ」
「だろ? やっぱり弾幕はパワーだぜ。そう、お前の作り主にも言ってやってくれよ」
「うーん、それはどうしようかなー」
「こやつめ、ははは」

 魔理沙は、黒い三角帽子をはずして弓兵にかぶせた。
 腰のあたりまですっぽりと覆われ、身動きが取れなくなる。
 その様子を見て、魔理沙は爆笑しながら帽子を外した。

「ほらほら、お前も頑張れよ」
「むー、がんばるよ!」

 そう言って、玄関の扉を開けた魔理沙達を、沈みゆく太陽がじっと見つめていた。




~~~~~~~~




 昨日とはうってかわって、魔理沙は朝と言う物を忘れてしまったかのように眠りこけていた。
 太陽が窓から呆れたように柔い光を送る。
 弓兵は、魔理沙の布団を無理やり引っぺがし、耳元で叫んだ。

「アリスのところに行こうよ!」
「うわぁ!」

 驚いて布団にもぐり込もうとする魔理沙を追いかけ、引っ張り出す。
 ベットの上の攻防。
 力勝負では勝てないと悟った弓兵は魔理沙をくすぐったり足側から持ち上げたり、と技を使い。
 布団際の争いを制したのは弓兵だった。
 床に布団、毛布と投げ飛ばし、魔理沙の頬を撫ぜる。

「ねぇ、魔理沙。アリスのとこに行こう?」
「……なんなんだぜ、こんな朝っぱらから」
「もう昼よ」
「それもそうだがな……ふあぁ、寒い」

 あくびをして、身体を震わせる。
 身体を起こした魔理沙は、頭を掻きながら眠たげな瞳で弓兵に尋ねた。

「あー……で、アリスのところにか? なんでだぜ?」
「多分、アリスが会いたがってるし」
「前に会っただろ……なんだ、毎日アリスのところに行けって言うのか」
「うん」

 弓兵は、花が咲いたような笑顔で頷いた。
 深くため息をつき、胡坐をかいた魔理沙は、弓兵の頬をつまんで引っ張り上げた。

「しっかしよぉ、人形が所有者を起こすとは、やってくれるじゃないか」
「むー、いいじゃないのー。魔理沙は眠り姫なんだからー」
「お前は小人か、畜生」

 物言いたげな目をしながら、魔理沙は弓兵を睨む。
 だが、それも無駄だと悟り、ベットから降りて箪笥の取っ手に手を伸ばした。

「まぁ、お前の様子もみたいだろうしな。矢を取り替えてもらえるかもしれない」
「違うって、アリスが会いたいのは――」
「ん? 何か言ったか?」

 魔理沙の耳に届かない小さい声で、人形は呟いた。
 上着を脱いだ魔理沙は、ベッドの上を動かない弓兵を振り向いたが。

「んーん。なんでもないよ。ちょっと、この光景を録画できたらなぁ、って思ってるだけ」
「……ホント、おかしな人形だぜ」

 そう言って、魔理沙は弓兵の顔を覆うように脱いだ寝巻を投げる。
 じたばたともがいて、寝巻を引っぺがした弓兵に今度はズボンを投げ。
 弓兵がズボンから脱出するころには、魔理沙は上下ともに服を着ていた。
 白いブラウスと、ドロワーズ。
 サロペットスカートを取り出す魔理沙を見て、弓兵はベッドに倒れ込んだ

「あーあ……残念」
「魔理沙さんの肌着も貴重なもんだぜ?」
「……まぁ、いいや」

 何故か不服そうな弓兵に構わず、魔理沙は着替えを終了させ。
 いつも通りの格好で、弓兵に手を差し出した。

「よっしゃ、アリスのところにいくぜ。腹が減ったしな、何か作ってもらおう」
「わーい」
「そーいや、お前もアレ喰ってないもんなぁ」
「うん、そろそろ倒れるかもねー」
「そりゃまた洒落にならんな」

 他愛のない話をしながら、魔理沙と弓兵は家を後にする。
 寒空の下、箒に乗った人間と人形が空を飛んで行った。






「今日は何で来たの?」

 アリスは、ワッフルの乗った皿を、ことりと音を立てながら机の上に置く。
 少し焦げ目がついた茶色の格子模様。
 ホイップクリームの塗られたそれは、おいしそうな香りのする湯気をたてている。
 席について待っていた魔理沙はそれを見て、歓声を上げた。

「お、ワッフルじゃないか。手が込んでるなー、ありがとうぜ」
「……まぁ、喜んでもらえたならよかったわ」

 質問を無視されながらも、まんざらでもない様子でアリスは笑う。
 弓兵の姿は見えない。
 アリスの家に来た瞬間、矢筒だけおいてどこかへ飛んで行ってしまったのだ。
 魔理沙は帽子を外して投げ飛ばし、ナイフとフォークに手を伸ばす。 
 ワッフルを切り取ろうとする魔理沙に、アリスは初めの質問を繰り返した。

「で、何の用?」
「そうだな、お前の顔を見に来てやったぜ」
「つまり、用はないと」
「用がないと来ちゃいけないのかよー」
「……まぁ、いいわ」

 アリスは、興味なさげといった風に頬杖を突き、魔理沙がワッフルを食べる様子を眺める。
 それは、まるで小動物に餌をあげたかのようにすばやかった。
 口に詰め込み、咀嚼。そして飲み込もうとした魔理沙は、苦しげに胸をたたいた。

「んぐっ!」
「はぁ、もっとゆっくり食べなさいよ」
「んぐぐ」
「まったく……はい、紅茶」

 アリスは、カップに紅茶を注ぎ、魔理沙へ手渡す。
 頷いてそれを受け取り、魔理沙は喉を潤すと同時にワッフルを流し込んだ。

「アチチ……」
「そこまでは気が回らなかったわ、ごめんなさい」

 喉を押さえ、舌をちろっと出しながら、魔理沙はもだえる。
 微笑しながら、アリスは魔理沙の頬を指差した。

「あと、ほっぺたにホイップついてるわよ」
「え、本当か」
「待ってなさい、拭いてあげるから」

 そう言ってアリスはハンカチを取り出し、手を伸ばして魔理沙の頬を拭く。
 頬を撫ぜられ、魔理沙はぬう、と変な声を上げた。

「ん、さんきゅー」
「はぁ、ゆっくり食べなさいよ」
「おいしかったんだ、しかたないだろ?」
「はいはい、ありがとう……で、ほんとに用はないの?」
「ないぜ……ん、そうだ、一つあった」

 ふと思い出して、魔理沙は膝の上に置いた矢筒を取り出し、机の上に置いて、アリスの方へ押した。
 首をかしげながら矢筒をとり、さかさまにして弓矢を出したアリスは、素っ頓狂な声を出した。

「何よこれ!」
「何って、弓矢だ」
「相当すり減ってるじゃない……ああ! 矢もこんな傷だらけ! 何したのよ!」
「ちょっと、射る練習ってやつをな。まずかったか?」

 アリスは、頭を抱え、首を振ることによって魔理沙の質問に答える。
 そして、虚空に向かって指を少しだけ動かした。
 すぐに遠くから足音を立てて走って駆けつけてくる大きな人形、レベルティターニア。
 その肩の上に、弓兵がちょこんと座っていた。

「呼んだ?」
「ええ、呼んだわ。ちょっと体見せなさい」

 そう言って、アリスは弓兵の体をすばやく掴んで引き寄せた。
 机の上に呆けた顔の弓兵を座らせ、指や肩、肘、腰や股関節を回し始める。
 それらがすべて正常に動くのを確認し、肌に傷がないことを確かめ終わって、アリスは脱力したように背もたれに枝垂れかかった。

「よかった、この子に怪我はないようね」
「……怪我、っていうのか?」
「怪我じゃない? とりあえず弓矢は新調してあげるわ、待ってなさい」

 そう言い残して、アリスは部屋を出て行った。
 言葉のニュアンスに抱いた違和感をなかったことにし、魔理沙は再びカップに手を伸ばす。
 隅々まできれいに整頓されたリビングには、数体の人形と、弓兵、魔理沙、そしてティターニアが残されていて。
 紅茶を口にした魔理沙に、ティターニアが片言で声をかけた。

「マリササン、イツモ、コノコヲアリガトウ」
「ん、ああ、どういたしまして……っても、わざわざ人形を通す必要ないと思うんだがな」

 そう言って、魔理沙は苦笑すると。
 ティターニアがその長い腕を伸ばし、大きな手で魔理沙の頭を撫でつけた。

「ネグセヒドイヨ」
「うるさいな、お前の友達が妙なことをし出すから悪いんだ」
「私のせい!?」
「お前のせい以外に何がある」

 不服そうな顔をして魔理沙にすり寄る弓兵を魔理沙が一蹴する。
 すると、気に食わなかったのか弓兵は魔理沙にまっすぐ突っ込んでいき。
 防ごうとする魔理沙の手をすばやくよけながら、弓兵は魔理沙にくっついて、そして身体をくすぐり始めた。

「ああっ! や、やめろ! くくく、くすぐったいじゃないか」
「なんとなく嫌かなー」
「た、頼むぜ、ティターニア! くふふ、止めてくれ!」
「ワタシハ、シリマセン」

 すがるような目つきで、魔理沙はティターニアに助けを求める。
 だが、ティターニアは機械的に首を横に振ってそれを拒否した。
 
「畜生、ひひひ、私に味方はいないのかどりばちぇろっふぅ!」

 絶望とくすぐったさに身をよじりながら、魔理沙は奇声を上げた。
 やがて魔理沙が床に崩れ落ちても、弓兵はくすぐり続け、ティターニアは動こうともしない。
 その笑い地獄は、数分後に戻ってきたアリスが止めるまで続けられた。




「アリス、助かったぜ。ありがとう」
「何やってるのよ全く……」

 アリスは、呆れたように両手を広げた。
 その手には、弓兵の背丈と同じくらいの丈の黄色の矢が数本と、弓が一つ握られていた。

「ほら、新しい矢よ。今度、強度を高めたの作るからそれまで待っててね」
「ありがとう、アリス!」
「どういたしまして」

 机の上で正座した弓兵がアリスに頭を下げて礼を言う。
 弓矢をアリスから受け取り、早速矢筒に入れて、弓兵はそれを背負った。
 調子を確認するように矢筒を身体ごと数回揺さぶり、立ちあがって腕を組んで威張る弓兵。
 その頭に手を伸ばし、ティターニアは弓兵の頭を撫でた。

「ヨカッタナ、ユミヘイ。キマッテルゾ」
「えへへ、そうかなー?」

 頬を抑え、首をかしげて喜ぶ弓兵を魔理沙は半目で見つめ。
 弓兵がティターニアの方に飛び移るのをしり目に、首を振ってため息をつきながらアリスに囁き声で尋ねた。

「……なぁ、アリス」
「何よ」
「あいつは、弓兵の言葉がわかるのか?」
「……一概に違うとも言いきれないのよ」

 アリスは、まるでよくわかっていないかのように言葉を濁した。
 俄然興味が惹かれた魔理沙は身体を乗り出し、アリスの言葉を待つ。

「自律はしてないはずなんだけど、その人形達の間で何らかの情報伝達がされているのは間違いないの」
「本当か。それは進歩だな……弓兵を通せば、意思疎通できるんじゃないのか?」
「できるでしょうね」

 アリスは一度頷き――そして、首を振る。

「でも、いいのよ。こっちからの声は通じてるみたいだし、感情もつながってるみたいだから。言いたいことがあるなら、向こうから言ってくるでしょ?」
「そんなもんなのか」

 魔理沙はそういいながら、背もたれに寄りかかりながら足を組む。
 ティターニアと他愛のない話を横で繰り広げていた弓兵が、その会話に口をはさんだ。

「魔力の糸でつながってると、気持ちも流れてくるのよ。嬉しい、とか悲しい、とか」
「え、そうなの?」
「へぇ、それは面白いな」

 魔理沙とアリスは、同時に感嘆の声を上げる。
 弓兵は机の上に飛び移って胡坐をかき、その先を続けた。

「みんなはアリスにねー……そうそう、いつもありがとう、って言ってるよ」
「……そ、そうなの?」

 顔をほんのりと赤らめ、アリスは口元を手で押さえた。
 ぶつぶつと何かを言いながら虚空を見上げるアリスを指差し、魔理沙はにやにやと笑った。

「やーい、照れてやんの」
「魔理沙はねー……いつもアリスをありがとう、だって」
「そうかい? 私は好き勝手やってるだけなんだがな」
「そこをもう少し何とかしてほしい、とも言ってるよ。このままじゃ嫁にいけないよ、とか」
「はっはっは、どこのどいつが言ったんだ、私がひねりつぶしてやる」

 弓兵の言葉に、首と手をぱきぽきと鳴らしながら魔理沙は意気込んだ。
 暫く無言で浮いていた弓兵は、やがて嬉々とした顔で魔理沙の胸元へ移動し、魔理沙の顔を見上げて言った。

「全員だって。がんばってね!」
「……めんどくさいな、それは」

 意欲をそがれた魔理沙は、苦笑しながら居住まいを正し。
 完全に自分の世界に入り込んだアリスを見ながら、空になったカップに紅茶を注ぐ。
 立ち上る白い湯気により、魔理沙の目の前にいた弓兵の姿に靄がかかって輪郭がぼんやりとしはじめた。




~~~~~~~~




 その次の日の、夜のことである。
 空には不完全な丸い月が輝き、あたりの星をその光で隠してしまっている。
 今日は、二人とも夜遅くまで起きていた。
 弓兵が来てからご無沙汰になっている、魔法の研究。
 図式やメモが書かれたわら半紙を前に、魔理沙は唸っていた。

 喉が渇き、机の上のコップに手を伸ばす。
 だが、そのコップに中身は入っていない。
 弓兵にコップを差し出し、ピッチャーで注がせようとするが、ピッチャーの中にも水はなかった。

「ありゃ、水切れたか。そーいや、今日は汲んでないね」
「ん、じゃあ汲んでくるね」
「任せたぜ」

 弓兵は、空の桶を持って、扉から出ていく。 
 いつも、魔法店裏にある井戸から水を汲んでいるのだ。
 上水道は引いていないが、幸い森の近くとだけあって地下水は豊富だった。
 弓兵がいなくなり、はぁ、と息をついて背もたれに寄りかかる。
 ぐい、と腕を高く伸ばし、背中を伸ばした魔理沙は、机の隅に置かれた"本"に気がついた。

「なんだ、これ?」

 一冊の、黒表紙の本。
 表紙に大きく、丁寧な字――おそらく、アリスの字で"人形弓兵の日記"と刻まれている。
 それが示すものは、一つ。

「……あいつの、日記か。そういえば、そんなものも風呂敷の中に入ってたな」

 そういいながら、魔理沙はその本を手に取った。
 背表紙まで字が彫られていて、きちんと製本されている。
 アリスの仕事はいつも細かいな、そう思いながら魔理沙は表紙に手をかけた。

 刹那、矢が奔る。
 魔理沙の頭をかすった矢は、そのまま通り過ぎて行ってソファに突き刺さった。
 無意識のうちに魔理沙は懐に日記を隠し、立ち上がった。

「お、おい!? 何してんだ!?」
「それはこっちのセリフよ!」

 魔理沙の方を睨みつけ、弓兵は弓を構えていた。
 残る矢は三本。
 射ぬかれない自信はあったが、無駄な争いは避けよう、と魔理沙は両手を上げて降伏の意を示す。

「降参だ、弓を下してくれ」
「その前に、日記を置きなさい!」
「……わかった」

 引いた方がいい。
 そう判断し、魔理沙は懐から日記を出し、机の上に置いた。
 弓兵は、矢をつがえたままにじり寄り、日記に飛び乗る。
 弓矢をしまい、日記を抱えあげて弓兵は叫んだ。

「魔理沙の馬鹿! 人の日記、勝手に見るんじゃないわよ!」
「ああ、悪かった。でもな、三つ言わせてくれ。一つ、人の裸を勝手に見たやつに言われたくない。二つ、こんな位置に堂々と置くな。三つ、まだ見てないぜ」
「魔理沙の裸なんかよりも、大切だよ!」

 そうまで言われ、魔理沙もカチンとくる。

「ほーぅ、興味がわいたぜ、絶対見てやる」

 弓兵の背中に手を回し、矢筒から弓矢をすべて抜き取り。
 そして、右手で日記を掴んで軽く引っ張った。
 手を離せば奪い取られる状況を作れば、抵抗はできない。
 事実、弓兵は身動きが取れなくなった。

「見たら串刺しにしてやる! 魔理沙の大事なところに、矢を突き刺してやる!」
「そうかい、そうかい。おお、こわいなぁ」

 半狂乱になりながら、弓兵は叫ぶ。
 予想外に強い力で引っ張られ、魔理沙も左手を添える。
 種族の差は、埋められない。
 弓兵がいくら本気で引っ張ろうとも、魔理沙との引っ張り合いに勝つのは不可能だった。

「冗談じゃなく、本気でやるよ! 魔理沙の、魔理沙の――」
「その程度の脅しは聞き飽きた」
「誰にだって隠したい物があるでしょ!?」
「益々気になるぜ」

 二人とも、一歩も引かない状況。
 だが、魔理沙が本気で引くと、あっさりと日記は魔理沙の手に渡った。
 弓兵はなりふり構わず突っ込み、魔理沙の手にしがみつく。
 そして、その小さな指で魔理沙の手に爪立てた。

「私のよ! 私の! 返して!」
「お前の物は、私の物だぜ」
「私だって! 私だって……」
「履き違えるんじゃないぜ。お前はあくまで人形だ」

 言ってから、しまったと魔理沙は思った。
 弓兵は糸が切れたように床に落ち、魔理沙に背を向けて体育座りをする。
 日記を静かに机の上に置いて、魔理沙は弓兵に手を伸ばし、声をかけた。

「弓兵……その」
「そうよ、私はどうせ人形よ! もう、好きにすれば?」
「……すまん、やり過ぎたな」
「見ればいいじゃない! もう……魔理沙なんて大嫌い!」

 そう言って、弓兵はソファへと飛び込んだ。
 声をかけても返事はない。
 今更ながら、強い罪悪感に苛まれながら、魔理沙は机の上を垣間見た。

「……そうだな、誰にだって隠したい物はあるよな」

 自分の過去をほんの少しだけ想起して、魔理沙は苦笑いをする。
 ソファの上でもそりと弓兵が動いた。
 だが、それ以上の反応はない。

「そうだな……私は、結構嘘とか吐く奴だが、その、こう、本当にまずいと思った時にはだな、一歩引く女だぜ。所詮、日記なんてその日あったことを書くだけだしな。一緒に居るやつの日記見ても面白くないし……うん」

 途中で、魔理沙すら自分が何を言ってるのか分からなくなり、言葉がしりすぼみになる。
 弓兵はもう身動きもしない。
 妙にイライラしてきて、その感情を抑えながら魔理沙は弓兵に言った。

「もう、私は寝るぜ。お前は、好きにするといい」

 そう言って、魔理沙は寝室へと消えていった。
 どこかで、梟の鳴き声がする。
 残された弓兵、残された蝋燭の明り。
 魔理沙が寝ているのを確認し、弓兵は浮かび上がった。




~~~~~~~~




 太陽は、別々の部屋にいる二人を窓からぼんやりと照らしていた。
 雲がかかり、どんよりとした空の下。
 寝室とリビングをつなぐ扉を開けた魔理沙は、すでに普段着に着替え終わっていて。
 魔理沙と弓兵の目が合い、そして二人して目をそらした。

「あー、うん……」

 曖昧な声が、魔理沙の口からこぼれ出る。
 ツン、とソッポを向いた弓兵を横目で見ながら、八卦炉を懐に入れて魔理沙は言った。

「買い物したいなー香霖堂へ行こうかなーよしそうするかー、ついてくる奴がいるなら今のうちだぜー?」

 そう呟き、魔理沙は玄関へとゆっくりと歩いて行った。
 一瞬、魔理沙を無視しようとした弓兵だったが、結局我慢できず、矢筒を背負い魔理沙の背中にこっそりと張り付く。
 背中に柔らかな感触を感じ、魔理沙は小さく微笑みを浮かべながら箒を手に取った。

「さーて……行くぜ!」

 そう言って、魔理沙は扉を開け放つ。
 空を覆う灰色の雲の切れ間から、太陽が少しだけ顔を出していた。




 空を駆け、魔理沙達は魔法の森の入口にたどり着く。
 そこにぽつりと建つ、小さな小さな道具屋。
 看板に掲げられた屋号は、香霖堂。
 その近くに降り立ち、魔理沙は扉を開け放った。

「来てやったぜ!」

 扉につるされた鈴が、からんからん、と高い音を立てる。
 それと同時に、魔理沙は店の奥に呼び掛けた。

「いらっしゃい……なんだ、魔理沙か」

 店の奥から、長身で白髪の眼鏡男が顔を出す。
 彼のかけている眼鏡は、下だけを黒く縁取った物で、どこか理知的な印象を人に与える。
 身にまとう服は和洋折衷、首に黒いチョッカーをつけるその男は、香霖堂の店主、森近霖之助である。
 服装の曖昧さからもわかる通り、彼は曖昧な存在だ。
 半人半妖。
 人間と、妖怪の間に生まれた存在である。

「なんだ、来ちゃ悪いのか?」
「そこそこだね。騒がしいが、君はたまに蒐集品をくれる」
「ごみで喜んでもらえるなら、こっちだって万々歳だぜ」

 そう言いながら、魔理沙は扉の横に箒を立てかける。
 その時、霖之助の目が、魔理沙の背中に張り付いている物を捕らえた。
 振り返る弓兵と、霖之助の目が合う。
 はぁ、とため息をつき、霖之助は魔理沙に語りかけた。

「また、盗みを働いたのかい?」
「……何をだ」
「その子だよ」
「こっちは押しかけられた側だぜ」

 そういいながら。魔理沙は店の中を見渡した。
 丁寧に整頓された棚の隅々まで、見たこともないような物が置いてある。
 ここには、外の世界で忘れ去られ、幻想郷に流れ着いたものが沢山あるのだ。

「まぁ、いい。今日は何用だい?」
「そうだな、今日は――」

 そう言って、魔理沙は棚を物色し始める。
 また始まったと思いながら、霖之助は椅子に腰かけ、一冊の本を読み始めた。




 時間がたち、太陽が今日もまた役目を終えようとする時間帯。
 魔理沙は、サンタクロースのように大きな袋を抱えていた。

「こんなもんかな」
「一応聞くけど、代金は?」
「ツケで」

 晴れ渡るような、罪悪感がかけらもないような笑顔で、魔理沙は言った。
 はぁ、とため息をつき、霖之助は腰かけていた椅子から立ち上がった。

「はぁ……まったく、泥棒はダメだよ」
「借りてるだけだぜ」
「店の商品を借りるのは泥棒……まぁ、僕の所なら別に構わないけど、まったく、若い女の子がこれじゃどうするんだい」

 そう言いながら、霖之助は棚の商品の向きをそろえ始めた。
 彼は、こういう些細なことには結構こだわる性質なのだ。
 新しい客を増やすために、こういう努力を怠らない――ただし、彼は何か大切なものを見落としている。
 それに気付かない限りは、新規顧客は増えないだろう。

「知るか。それにな、こーりんの所有物だろ? そいつを借りたって、いいじゃな……おっと」

 店を後にしようと入口に向かって歩き出した魔理沙は、ある棚を見てその足を止めた。
 そこには、星型の小さな髪飾りがあった。
 本当に、小さかった。
 魔理沙の親指の爪より、少しばかり大きい程度の黄色い髪飾り。
 風が吹けば飛んで行ってしまいそうな、どっからどう見ても安物の品。
 だが、魔理沙はこれに目を奪われた。

「……こーりん」
「何だい?」
「これ、くれ」

 そう言って、魔理沙は髪飾りをつまみあげ、霖之助に見せるように掲げた。
 一瞥し、ああいいよ、と生返事を返した霖之助のもとに、魔理沙は歩み寄った。

「値段は?」
「ああ、値段ね、値段……ええ!?」

 霖之助は素早く振り返り、信じられないような目つきで魔理沙を眺めた。

「ひゅう、明日は雪かな」
「うるせぇ。ほら、これでいいだろ?」

 魔理沙は不服そうな表情で霖之助に紙きれを投げつけ、扉を蹴破るようにして出て行った。
 ため息をついて、霖之助がその紙きれをちらりと見ると。

「……一体、あれのどこが良かったんだが」

 希少価値、値段の両方を兼ね備えた紙幣。
 外の世界の建物が右側に、そして左側には弐千円と書かれていた。




 一方、外に出た魔理沙は、背中に張り付いている弓兵を引っ張り上げる。
 そして、顔の前でぶら下げ、左右に揺らす。
 弓兵はソッポを向いたまま、口を開こうともしなかった。

 魔理沙は、箒の下に袋をくくりつけ、横向きに座る。
 浮かび上がり、自宅を目指して飛ぶ箒の上で。
 自分の手元を見つめたままじっとしている弓兵に、魔理沙は話しかけた。

「弓兵」
「……何よ」
「昨日は、すまなかった」

 そう言って、魔理沙は箒に添えていた手で弓兵の頭を撫でる。
 バランスが取れなくなりよろけた魔理沙は、慌てて手を箒に添え直す。
 その様子を見て、弓兵は小さく笑った。

「笑ったな、こいつ」
「だって、仕方ないじゃない、馬鹿みたいだもの、あはは」
「ああ、大馬鹿ものだ。私も、お前もな」
「えー、私も?」

 不服そうに、だがどこか嬉しそうに弓兵は頬を膨らませた。
 当たり前だろ、そう言って弓兵を脇で抱えた魔理沙は、器用に懐から何かを取り出した。
 それは、先程買った星型の髪飾り。
 小さく、愛らしいそれを、弓兵の髪へと括りつけた。

「うん、こんなもんかな」
「……え、あ」

 自信たっぷりに言う魔理沙の手に掴まれながら、弓兵は口をパクパクとさせる。
 その様子を見て、やっぱりお前も馬鹿だぜ、と言いながら魔理沙は笑った。

「な、なによもう……」

 頬を一段と膨らませた弓兵は、またソッポを向いてしまう。
 気にいらなかったか? と声をかける魔理沙に、弓兵は首を横に振って答え。
 そして、魔理沙の腹にまっすぐと飛びついた。

「な、なんだ!?」

 大きく揺れた箒の上で、魔理沙は体勢をいつものように跨るものに変え、両手で箒を抑えた。
 安堵の息を吐き出し、危ないことをするなと弓兵を叱りつけようとした魔理沙だったが。

「ごめんなさい……ありがとう」

 腹にすがりついて、小さく声を漏らす弓兵を見て、その気分はどこかへ消えていき。
 そんなはずはないのに、何故だか魔理沙は腹が濡れ、じんわりと温かくなっていくように思えたのだった。
 雲の切れ間から沈みゆく太陽が完全に顔を出して、帰路につく二人を見送っていた――





 家の前には、先客がいた。
 玄関に座り込み、咲いていた季節外れの花を眺める緑髪の妖怪が。
 大地に降り立った魔理沙は、はぁ、とため息をつき、その客を眺めた。

「あら、遅かったじゃない。待ちくたびれたわ」

 立ちあがって、手に持った日傘を構える妖怪――風見幽香。
 剣呑な様子に、魔理沙もミニ八卦炉を取り出して、幽香に向ける。
 弓兵は魔理沙の後方に飛び、いつでも弓矢が取り出せるようにと身構える。

「……幽香一体何の用だ?」
「その人形を、よこしなさい」
「いきなり言われても困るぜ。弓兵、お前はどうしたい?」

 魔理沙は警戒心を保ったまま、弓兵の方を向く。
 弓兵は少し考えるそぶりを見せ、そして幽香に向かって言った。

「場合によるわ。理由を聞かせて?」
「だってさ」
「……言えないと言ったら?」

 そう、幽香は迫力のある声で言った。
 あたりに吹いていた風がやむ。
 そして、幽香の魔力が膨れ上がった。
 獰猛な獣のように雄々しい魔力が、空気を震わす。
 弓兵は魔理沙の背中にへばりつき、身を隠す。
 魔理沙自身怖気づいてしまいそうだったが、なんとか気を保ちながら、弓兵の代わりに返事をした。

「帰れ」
「分かったわ、じゃあ無理やり持っていきましょう」

 そう言って、幽香はゆっくりと魔理沙に歩み寄った。
 蛇に睨まれた蛙のように金縛りにあう魔理沙だったが、ミニ八卦炉を下しはしない。
 ツカツカ、と幽香の靴の音が近づいてくる。
 そして、魔理沙の横を通り過ぎて行った。

「無理やり持っていこう、と思ったんだけど。仕方ないわね、帰るわ」

 その言葉と同時に、幽香の魔力が鎮まった。
 幽香の足音が遠のいていくのを聞いて安堵の息を吐きながらも、魔理沙は幽香の意図が読めず、首をかしげるばかりだった。

「一体なんだったんだぜ……ん?」

 魔理沙の足元に、一輪の花が咲いていた。
 それは、季節外れの春の花。
 白い白い、芥子の花だった。






 霖之助の予想通り、それから三日間はずっと雪が降っていた。
 窓から、雪女が怒り狂ったかのように吹雪く外を見ながら、魔理沙と弓兵はずっと家で魔法の研究を続けていた。
 水は雪を溶かして使い、食べ物は貯蔵してあった穀物と干しキノコを食べて。

 雪がやみ、ようやく晴れ渡った昼空の下。
 また昼起きか、と呆れる太陽をしり目に、魔理沙は大声で言った。

「縁起でもないことを言いやがったこーりんを一発殴ってやる、そうじゃないと気が済まないぜ」

 いつもの服装の上に、コートとマフラー、手袋に耳あてを装着し、キノコ一色の朝食――否、昼食を取った後。
 魔理沙は、ソファに転がる弓兵の隣にドカッと腰を下ろした。

「さぁ、香霖堂に行こうぜ」

 元気よく弓兵に話しかけた魔理沙は、弓兵の様子に違和感を覚えた。
 目が虚ろで、心ここにあらず、といった風に横たわっている。
 耳を澄ますと、小さく唸っているのが聞こえた。

「……どうした?」

 弓兵に問いかけても、返事は帰ってこなかった。
 魔理沙が何度呼びかけても、弓兵は反応を示さない。
 焦りながら、何かあったのか、と弓兵の体を揺さぶると、ようやく弓兵は反応を見せた。

「え、あ、なに?」
「何って何だ。何度も呼んだぞ、大丈夫か?」
「ん、大丈夫だよ」

 ケロリとした顔で弓兵は言う。
 半信半疑で眺める魔理沙に、ぶんぶんと大きく腕を振り回して元気さをアピールした。

「ほら、こんなに回る」
「……お前が言うなら、きっとそうなんだろうな」

 どことなく違和感を抱きながら、それを気のせいだと自分に言い聞かせ、魔理沙は飛びついてくる弓兵を背負う。
 箒を片手に、扉を開け。
 積もった雪の深さに辟易しながら、魔理沙達は家を後にした。




 雪が積もると、景色は一変する。
 香霖堂のあたりもまた、その例外ではない。
 日の光が雪に反射するのに閉口しながら、魔理沙は香霖堂の近くに降り立った。

「さってと、香霖の馬鹿に言ってやらないと……うん?」

 扉の前に立ち、ドアノブに手をかけようとした魔理沙は、本日休業と書かれた看板がぶら下がっているのに気付く。
 香霖堂は、年中無休のはずだ。
 その香霖堂が店を開けないとすれば、理由は三つに限られる。

「一つ、香霖が外出している。二つ、香霖が珍しく体調を崩した。三つ、中で何か秘密の会合をしている」
「で、魔理沙、どうするの?」
「こうするんだよ」

 魔理沙は耳当てを外し、扉に耳をあて、中の様子を窺う。
 すぐに頬を緩ませ、弓兵に親指を立てて合図した。
 弓兵も合図し返し、同じように耳をあてる。
 遠くで何かを言い争うような声がして。
 だが、暖房でもたいているのか雑音に混じって上手く聞き取れなかった。

「こりゃあ、痴話喧嘩か? 浮いた話の欠片もない香霖にも、やっと春が来たんだな」
「喧嘩じゃ、すぐに冬に戻っちゃうんじゃない?」
「そうしたら、私が一杯くらい付き合ってやるさ。雪見酒にな」

 盗み聞きを止め、向かい合ってひそやかな声で二人は笑い合う。
 なんとか中の様子を覗きこめないか、と二人は覗き穴を探した。
 だが、古ぼけた木製のドアだというのに穴一つない。
 小さな穴でもあけてやろうか、と魔理沙が八卦炉を取り出そうとした瞬間、静かに扉が開いた。
 中から出てきた人物を見て、魔理沙は叫び声を上げる。

「幽香!?」

 雪も積もっているのに、いつも通りの赤いチェック柄。
 風見幽香が、笑顔で――人を殺せそうな笑顔で魔理沙の肩を押し、扉から遠ざけた。

「聞いたかしら?」

 まるで、首を縦に振れば肩をねじ切ってやると言わんばかりの迫力で幽香は言った。
 魔理沙と弓兵が同時に首を横に振ると、幽香は安堵と疲れの混じる息を吐き出し。
 そして、しっしっと手で払いながら幽香は香霖堂の前に戻った。

「帰りなさい。閉店してる店には、入れないわ」
「何か、あったんだな」
「何もないわよ」

 その幽香の声は、どう考えても嘘を語っている。
 疲れ切った顔をしながら、魔理沙達の方を向いて扉の前に座り込んだ。

「幽香、お前……」
「帰らないなら、殺しちゃうかも」

 魔理沙を指差し、紅色の瞳で睨みつける。
 淀んで、濁ったその紅が、魔理沙の体を舐めまわすように眺めた。
 魔理沙はその瞳を見、そして踵を返した。

「え、帰っちゃうの?」
「あいつは本気だ。弾幕ごっこならまだしも、あいつと本気でやり合えばそこに勝ち目はない」

 魔理沙の耳元で囁く弓兵に、首を振りながら答え、香霖堂から遠ざかる。
 その途中、足を止め、幽香に向けてそっと呟いた。

「一つ聞かせてくれ……香霖に何かあったのか?」
「大丈夫、店主には何も起きてないわ」

 幽香の返事を聞いて、安心したように魔理沙は頷き。
 そして、弓兵とともに箒に乗って、光となって空の彼方に消えていった。

 一人残され、はぁ、とため息をついた幽香は。

「壊しておいた方が良かったかしら……」

 誰にも聞こえないような声で小さく呟き、その場に項垂れた。
 







 太陽は厚い雲に覆われて、その役目を果たすことができない。
 そんな昼間、魔理沙は枕元で発せられた大きな叫び声で目を覚ました。
 弓兵の、悲痛な叫び声。
 ベッドの上で飛び上がる魔理沙が見たのは、虚空を見つめる弓兵のがらんどうのような瞳。

「おい弓兵!」

 魔理沙は狂ったように弓兵の肩を抱いて強く揺さぶる。
 それから一分ほど経ち。
 ようやく目が据わってきた弓兵に、魔理沙は叫ぶように問いただした。

「お前一体どうしたんだよ! 昨日もだったよな、もう言い逃れはできないぜ?」
「……だ、大丈夫ですってば」
「お、おい弓兵」
「ほ、ほらほらこんな風に……あれ?」

 弓兵は腕を振り回す。
 しかし、それは非常にぎこちなく――アリスの人形とは思えないほど、ぎこちない動きで。
 魔理沙は、焦燥感を抱き、弓兵の頭に手を置いた。

「おい」
「だ、大丈夫ですってば! 絶対大丈夫です!」

 そういう弓兵の腕の回転が段々と滑らかになっていった。
 だが、どう考えても大丈夫ではない。
 魔理沙は頭を抱え、今後どうするかを考え悩んだ。
 弓兵の意思の尊重と、心配でせめぎ合い。
 そして、魔理沙が出した結論は、現状維持だった。

「……何かあったら、すぐに言え。いいな?」
「はい、わかりました!」

 返事だけ威勢のいい弓兵の頭を撫で、違和感を喉の奥へと追いやる。
 空元気で立ち上がり、無理やり笑顔を作って魔理沙は元気よく言った。

「よし、飯でも作るか!」
「おー!」




 前回料理したときと同じく、弓兵に鍋を任せて魔理沙はキノコを切っていた。
 今日はエリンギである。
 弓兵を心配して集中力が散漫になっているのは自覚している故、気をつけてゆっくりと包丁をふるう。
 そして、それが起きたのは、半分ほど切り終わったころだった。

「あ……」

 やってしまった、という声とともに鍋をひっくり返す音が響いて、魔理沙は即座に振り返った。
 見ると、弓兵が鍋の中身ごとミニ八卦炉に覆いかぶさっていた。
 ミニ八卦炉の火は、ろうそくなどとは違ってそう簡単には消えない。
 見る見るうちに弓兵の身体を火が包んだ。
 ふらふらと宙を舞う弓兵は、まるで人魂のように燃えている。
 魔理沙はミニ八卦炉に手を伸ばそうと思ったが、しかし。
 さっきまで熱せられていた鍋の中身がぶちまけられ、触れることができない。

「弓兵!」

 急いで掌で魔法陣を描き、軽い冷気を放つ。
 魔理沙が使える数少ない属性魔法の一つ、コールドインフェルノ。
 咄嗟に出したため、威力は低いがそれでも火の手を弱めることはできた。

「玄関だ、飛べ!」
「え、ああ、はい!」

 魔理沙は走り、ドアノブを捻って扉を開け放つ。
 弓兵がその隙間を抜けうっすらと残る雪の中に飛び込み、ようやく火の手は収まった。

 雪の中から引っ張り出された弓兵は、酷い有様だった。
 黄金のように美しい金髪髪の毛は焼けて縮れ。
 アリスが丹精に縫った服は焼け落ち。
 すべすべとした柔らかい腹には黒く焦げた跡が残っている。

 魔理沙は弓兵を抱えながら部屋に戻り、ソファに座らせ、代えの服を着せた。
 幸い、大きな焦げは腹側だけ。
 リボンは焼け落ちたが、魔理沙が上げた髪飾りはそのまま残っていた。

「大丈夫か? 痛いところないか?」
「人形は、痛みなんて感じません。触る感覚はあるんですが、痛いって感覚はないんです」
「お前、絶対大丈夫じゃないだろ? 熱でもあるのか? ちょっと寝てろ」

 魔理沙がそう言うと、弓兵はぎこちなく笑った。

「もう、人形が熱を出すわけないじゃないですか。それに、私は寝ません」

 そう言って、弓兵は魔理沙の胸にそっと触れる。 
 もにゅもにゅと揉み、そして殴り飛ばされるために身構えた。
 だが、魔理沙は何も反応を示さなかった。
 ただ心配そうな瞳で優しく弓兵を見つめていた。

「心配してくれて、ありがとうございます」

 身体を震わせながら、弓兵は魔理沙に言う。
 俯いたまま台所まで飛んで行き。
 後から追い付いた魔理沙とともに、こぼれた鍋の中身を拭いた。
 それから暫く、二人の間に会話が成立することはなかった――





 魔理沙がパジャマに着替え終わり、今日も寝るだけ、という時間帯。
 かけ始めた月が、東の空の地平線付近で輝く頃。
 唐突に、弓兵は口を開いた。

「一つ、お願いをいいですか?」
「……いいぜ、なんだって言ってくれ」
「キスしてください」
「ん、いいぜ。こいよ」

 魔理沙はあっさりと了承し、アヒル口になって手招きする。
 しかし、弓兵は動かなかった。
 アヒル口のまま、魔理沙は弓兵に尋ねた。

「どうした? 来てもいいんだぜ?」
「……本気で、お願いします」
「本気って何だ。私のキスが軽いというのかお前は」

 プクプクと口を動かしながら、魔理沙は頬を膨らます。
 それを見て、弓兵はベッドに跪いて額をベッドにすりつけた。

「変顔じゃなくて……感情をこめて」
「……どうしたんだ、ほんとに」
「おねがい……」

 風に吹かれれば消えてしまいそうなほど小さな声で呟く弓兵を、魔理沙は抱き上げ。
 弓兵の髪の毛を少しかきあげてやり、宝石のように小さなその口に、軽く口づけた。

「これでいいか?」
「……ありがとう、ございます」
 
 弓兵は俯きながら、掠れ声で礼を言う。
 そのまま、弓兵はもはや定位置となった枕の隣に座った。
 この程度ならいつでも頼め。そう言って、魔理沙は布団の中にもぐった。

 布団の中で空元気が切れ、魔理沙は呻きそうになる。
 弓兵に何かが起きてるのは間違いない。
 こうやって、いつも通りを装って元気づけるのが本当にいいことなのか?
 もっと早くアリスのところに持っていくべきではなかったのか?
 考え考え、答えが出ないまま気がつけば魔理沙は眠りについていた。



~~~~~~~~



 次の日の朝。
 雲に縁取られた太陽が魔理沙を見つめ、一段とまぶしく輝いていた。
 ベッドの上で起き上がり、強い底冷えを感じて。
 魔理沙は、久々になにも身にまとっていないことに気付いた。

「また全裸か……おい、弓兵! おはよう、いい朝だな、いい朝過ぎて裸になっちゃったぜ!」

 寒さ対策に布団を纏い、そう声を張り上げながら、部屋の中を練り歩いて弓兵を探した。
 だが、魔理沙の寝室に弓兵の姿はどこにも見当たらず。
 服もどこにも落ちていなかった。

「ったく、私は何で起きないんだろうなぁ……と、服はどこだ? あいつは?」

 寝室の中をいくら探しても見当たらないことに若干の焦りを覚えながら、箪笥を漁りいつもの服装に着換える。
 スカートをはきながら、ああ、きっと弓兵はリビングにいるんだ、と見当をつけた。

 大きな音を立てて扉を開き、魔理沙はリビングに入る。
 大掃除をしてからがらんとしたリビングは、何故だかどこか広く感じた。
 弓兵の名前を呼んでみるが、答えはない。
 いても立っていられなくなりながら、きょろきょろとあたりを見渡す。
 そして、机の上においてある"物"に気がついた。

「おお、服がこんなところに。あいつはどこにいっ……!」

 何の気なしに服を持ちあげると。
 布切れと化した服の一部が、持ち上げたところからはらはらと滑り落ちていった。
 うろたえながら、寝巻を一つずつ持ち上げると。
 例外なく4,5枚の布切れになっていた。

「ど、どういうことだよ!」

 そう言って、服の横に視線をずらすと、そこに一本の裁ちばさみがある事に気がつく。
 取っ手が黒い裁ちばさみ――無論、人形が使うには大きすぎる代物。
 よく見れば、一枚の折りたたまれた紙が裁ちばさみに抑えつけられていた。
 邪魔な裁ちばさみをどけ、魔理沙はその紙きれを開く。
 それは、弓兵が魔理沙に宛てた手紙だった。



 魔理沙さんへ

 たぶん、どこかおかしくなってるんだと思いま
 す。アリスのところにもどって色々と
 けんさしてもらおうと思っています。そのうち
 にもどりますので気にしないでください。
 これまでどおりでおねがいします。ふくは本当にごめん
 なさい。もどったらなおすの手伝います。
 いきなり、何も言わずに朝早く
 でていってすいませんでした。

 弓兵より



 右端が破けた、小さな紙切れ――おそらく日記のページから切り取ったのだろう。
 紙がいびつ故、中途半端なところで改行を余儀なくされているのだろう。

「……早く、戻ってこいよ?」

 アリスの家にいる弓兵にむかってぽつりとつぶやき、魔理沙は紙を机の上に置いた。
 昨日まで寝巻だった布切れを隅の方に放置し、魔理沙は首をひねる。
 何かがおかしい、そう感じながら魔理沙がその違和感に気付くことはなかった。






 弓兵がいなくなって、初めの夜。
 魔理沙は、気を紛らわすように机を前にしてひたすら魔法の研究をしていた。
 わら半紙を前に唸り、コップ片手に水を飲む。
 水を飲み干し、かたりと音をたてて机にコップを置く魔理沙は、そのまま無意識でコップを少し前に押し出して。
 ピッチャーから水を注いでくれる存在は、今はここにいないということに気付き、魔理沙は苦笑いする。
 
「だめだ。なんか寂しいぜ」

 そう言って足を組み、持っていた鉛筆を口と鼻の間に挟む。
 むむむと唸りながら、魔理沙はぼんやりと弓兵のことを考えていた。

 弓兵は、霧雨魔法店に来てからずっと魔理沙の傍らにいる。
 言うなれば、かゆい所に手を届かす存在。
 セクハラを何度か重ねながらも、彼女はただひたむきに魔理沙を想っていたのだ。

「……私の身体の一部、だよな。アリスはこんな感じなんだろうなぁ」

 魔理沙はアリスの日常を思い出していた。
 大量の人形に家事や仕事をすべてやらせながら、自らは研究をしている。
 勿論出かけるときはどんな時でも人形が数体アリスの周りを飛んでいる物で。
 アリスはどんな時でも人形と一緒にいる。
 それを、人形しか友達がいないなどと馬鹿にしたことを後悔した。
 同じ状況に陥れば、誰だって人形を連れ歩くのである。

「……いや、でもあいつには負けるな」

 魔理沙は、アリスが人形にかける情熱を思い起こして、小さく笑う。
 いつの間にか魔理沙は弓兵が好きになっていた。だが、それは恋愛感情とは違う。
 あくまで愛用の品にすぎない。いくら譲歩しても、一般人がペットにかける愛情におよばない。

「ペットに妙な情熱をかける奴はいるけどな……」

 無論、ペットにかける情熱などあまり持ち合わせていない魔理沙から見ても、それ以下の扱いをしていた。
 大分前に手に入れたツチノコですらもう少し待遇が良かったかと魔理沙は思い出を振り返り、いやあまり変わらなかったな、と気付いてほほ笑んだ。
 鉛筆を机の上に置き、足を組みかえる。
 蝋燭の代わりに使っているミニ八卦炉の炎は、煌々と魔理沙を照らしていた。
 
「あいつが帰ってきたら、もう少し労ってやろう」

 アリスのように、洋服を手編みして着せかえるなどという手間はしないが。
 無機物扱いはやめて、最低でも、ペット程度には。
 可能なら家族のように接するのが一番だが、それは無理そうだとふんだ。

「……新しい魔法、完成させて見せてやろっと」

 そう言って、魔理沙はまたわら半紙に目を向ける。

 魔理沙が研究に精を出す頃。
 いつの間にか月が南の空へ昇って行き。
 そして、日が昇る頃になって魔理沙は寝室へ引っ込む。


 それを二度繰り返し、三日目の徹夜明けのことだった。

 太陽は東の空から魔理沙をじっと見つめていた。
 新しい魔法が一応は完成し、魔理沙は満足げに頷く。

「まだ試作中だが……うーん、いいぜ。これは、何かきてるぜ」

 徹夜明けということもあり魔理沙は眠気に包まれながら高揚していた。
 叫び出したいような気分になりながら、魔理沙はわら半紙を丸める。
 一度寝て、次起きたら早速スペルカードにしようか、と思いながら、わら半紙に一枚の紙切れが挟まっている事に気付く。
 そう、あの弓兵からの手紙だ。

「こいつは別にしておかないとな」

 そう言って、紙きれを引っ張りだし。
 何の気なしに一瞥して。
 次の瞬間、魔理沙はまるで岩にでもなったかのように固まった。
 魔理沙の目線が、紙きれの上から下へと移動する。
 二度三度それを繰り返し、魔理沙は勢いよく立ちあがった。

「畜生、なんで……くそ! 私の馬鹿野郎!」

 怒鳴り声を上げる魔理沙の眠気は、すでに吹き飛んでいた。
 ミニ八卦炉を片手に、走る。
 寝巻のまま防寒具を身にまとい、扉を蹴破るようにして外に出、箒に飛び乗って全速力で飛ぶ。

「畜生、あいつに何が起きてるんだよ!」

 軽い衝撃波を発しながら輝く一筋の彗星が向かう先は人形師の館。
 魔理沙の家に残された紙きれが風に揺られ、"たすけにこないで"の文字が、悲しそうにはためいていた。





 今の魔理沙にとって、扉など存在しないに等しい。
 アリスの家のドアをぶち破り、箒に乗ったままアリスの家のリビングまでたどり着く。
 まだ寝ている事も考えられたが、アリスはいた。
 魔理沙に背を向け、頬杖をつきながら机に向かうアリスは苛立たしげに呟いた。

「いきなり何よ」
「あいつはどこだ! 何があったのか教えろ!」
「あいつ? さぁて、誰の事かしらね」

 投げやりな口調で、アリスは陰鬱に呟く。
 魔理沙は無意識のうちに握りこぶしを作っていた。

「弓兵だ! 弓兵だぜ!」
「弓兵なら、そこに並んでるわよ」

 アリスの指差す先をすぐさま眺めると。
 ガラス棚の中に、矢筒を背負った大量の人形が座って列を作っていた。
 はらわたが煮えくりかえる魔理沙は、アリスの方に一歩ずつ近づいていく。

「ふざけるな! 私が求めてるのは、人形弓兵じゃない。霧雨弓兵だ!」

 その魔理沙のセリフを聞いて、一瞬アリスの背中が震えた。
 だが、次の瞬間にはもう身動き一つしない。
 まるで、壁に向かって話しているような徒労感がそこにはあった。

「……はぁ。何その馬鹿らしい名前。そんな人形、うちにはいないわ」
「てめぇ……」
「いない物は出せないわ。用はそれだけ? なら、帰って」

 アリスは相変わらず呟くのみ。
 目を合わせないどころか、振り返ろうともしない。
 とめどなくあふれ出る怒りを何とか理性で抑えつけながら、魔理沙は叫んだ。

「アリス! 表出ろ、分からせてやる……」
「出ないわ。寒いもの。それに、私は嘘を言ってないわ……帰って」
「じゃあ、せめて何が起こったかだけでも――」
「断るわ。貴方には"関係ない"」

 アリスの淡々とした台詞に、ついに魔理沙の堪忍袋の緒が切れた。
 背後から掴みかかり、腕を首にまわしてしめ上げる。
 アリスが椅子に座っているので、身長で負けている魔理沙でも容易にしめる事が出来た。

「それでっ……アンタが満足するならっ……好きにしなさいっ……」

 軽く抵抗し、苦しげに喘ぎながら言うアリスの言葉で、魔理沙は一旦我に返った。
 後ずさりながらアリスを開放し、荒い息をつく。
 アリスは何度か咳き込んだが、振り返ることはなかった。

「……アリス。後生だ。教えてくれ」
「何をよ」
「あいつは今、どうなってるんだ……?」
「さぁ、知らないわ。どこかで死んでるんじゃない?」

 そう言ってアリスは笑う。
 魔理沙の中で、何かがはじけた。
 気付けば、後ろからアリスに掴みかかっていた。
 引き倒し、アリスの腹に上から思い切り肘鉄砲を食らわした。

「畜生! お前の人形だろ! どうしてお前は……お前……」

 馬乗りになり、拳を振り上げる。
 そこで、初めて魔理沙はアリスの顔を見た。
 アリスは、泣いていた。
 しゃくりあげることなく、その青い瞳から勝手に涙が流れだして行っているかのように。
 振り上げた拳を床に叩きつけ、胸倉を掴み、叫ぶ。

「どこだ! どこだよ! どこだか言えよ!」
「口が裂けても、言わない」
「いいぜ、その口裂いてやるよ」

 魔理沙はアリスの口に両手をねじ込み、無理やり口を開けさせた。
 段々と腕にかける力を強くしていくが、アリスは一切抵抗をしなかい。
 骨ごといってやる。
 そう言って片膝を立て、魔理沙はさらに力を込める。
 その時、魔理沙の背後から怒号が聞こえた。

「やめなさい!」
「……幽香!?」

 振り向くと、そこには日傘を魔理沙に向ける幽香の姿があった。
 幽香の紅い瞳は、さらに充血していて、頬には、一筋の涙跡が残っていた。
 その迫力に負け、魔理沙はアリスの口から手を引き抜く。
 てらりと光るアリスの唾液が糸を引いた。
 手で顔を抑え、何度か顎を動かしたアリスが、幽香に向かって弱々しく手を振った。

「いいのよ、幽香。止めないで。この馬鹿には、好きなようにさせて」
「このっ……!」

 身体を捻りながら、魔理沙は右の拳を思い切りアリスの腹に叩き込んだ。
 アリスの身体が跳ねる。
 咳き込みながら腹を抑え、うめき声を上げながらその場で丸まった。
 二人のもとに駆け寄った幽香は、魔理沙の腕を抱え込み、静かに口を開く。

「貴方達……もう、やめなさい。魔理沙、貴方が知りたいことは全部教えてあげるわ」
「……幽香」
「幽香……やめて……」

 苦しそうにしながら、片手を幽香の方にのばしてアリスは呟く。
 その手を跳ねのけ、幽香は魔理沙の体をひっぱりながらアリスに語りかけた。

「アリス、ダメよ。貴方は何も悪くない。だから、自分をいじめないで?」
「でもっ……ごめんなさい……ごめんなさい」

 アリスは腹を押さえたまま嗚咽を漏らし始める。
 うわごとのように謝罪の言葉を繰り返すアリスを見て首を振り、静かに背を向け、そして幽香は外を指差した。
 
「外に、出ましょう。話があるわ……私と、店主から」




 太陽が微かに光を注ぐ、寒空の下。
 吹きすさぶ風が、今日は一段と体温を奪って行く。
 幽香に誘われるようにして外に出た魔理沙は、両手を軽くズボンで拭きながら口を開いた。
 
「香霖も、いたのか……あいつが今どこにいるかと、あいつに何が起きてるのか。私が聞きたいのはこれだけだぜ」
「……すまない」
「……もうあいつはダメなのか?」

 霖之助が頭を下げて謝った時点で、おおよその見当はついていた。
 幽香に向かって尋ねると、案の定かぶりを振る。
 魔理沙は、がっくりとうなだれた。
 霖之助が魔理沙に近付き、申し訳なさそうに言う。
 
「ここ数日、手を練ってみたんだが……もう、だめだ」
「まさか、私のせいか? 私が……」
「貴方が何をしたかは知らないけど、関係ないわ。もともと欠陥があったのよ。発覚したのは、本の続きが見つかってから。あの子は、おしまいよ」

 魔理沙は立っているだけで精いっぱいだった。
 歯を食いしばりながら、伏し目がちに口を開く。

「……残り時間は?」
「あと数時間もすればすべてを失うわ。でも、彼女は死ぬわけじゃない」

 幽香は、含みを持たせて言った。
 それを聞いて、安堵の息を吐き、魔理沙は幽香に笑いかけた。

「それならいいじゃないか。死なないなら……可能性はまだあるんだよな?」
「死ぬんじゃない、彼女は……おそらく、消えるわ」

 そして、魔理沙の笑顔が凍りついた。
 絶句して、言葉を発することができない。
 ふらふらと幽香に近付き、その胸倉をつかんで、思い切り揺さぶった。

「……おい、嘘だろ? 嘘だと言ってくれよ」
「幽香の言ってることは全部本当だ。おそらく、奥底に眠ってる自我を引っ張り出したのが悪かったんだろう……一度自我が消えれば、もう同じものは戻ってこないはずだ」

 霖之助の言葉に、魔理沙はその場にへなへなと崩れ落ちた。
 魔理沙は放心状態で空を見上げる。
 嘘だと言ってくれよ、と壊れた機械のようにもう一度呟き、地面を叩き始める。
 やがてそれすら億劫になり、魔理沙はぼんやりと地面を見つめる
 魔理沙の悲痛な叫び声が、その場に響き渡った。


 不意に、幽香の後ろから足音が聞こえた。
 幽香は後ろを振り返り、目を見開いて、そっと道を譲る。
 魔理沙の背後で立ち止まる長い影。

「アリス……?」

 力なく呟いて、魔理沙は振り返る。
 その目が、幽香と同じ様に見開かれた。
 魔理沙の背後にいたのは、幽香と同じくらいの身長をした二体の人形。

 そう、レベルティターニアだった。
 
 その片方が力なく座りこむ魔理沙を抱きしめる。
 弓兵の物とは違って硬い木の感触が魔理沙を包み込んだ。
 血が通っていないのに、どこかその抱擁は暖かかった。

「マリサ、アノコヲアリガトウ」

 もう片方のティターニアが魔理沙の耳元で片言で囁く。
 魔理沙は首を横に振って、歯を食いしばりながら呟いた。

「私はあいつに何もしてないぜ……そればかりか、むしろひどいことばかり――」
「ソンナコトハナイヨ。ダッテ、ユミヘイ、アンナニタノシソウダッタモン」
「――楽しそうだった……?」
「ココニキタトキハ、イツモハナシテクレタカラ。マリサノハナシバッカリダッタヨ」

 そう言って、ティターニアは魔理沙を支えながら立ちあがらせた。
 手を離せばその場に崩れ落ちそうな魔理沙に箒を手渡し、そして、片言で喋っていた方がその場に両膝をついて頭を下げた。

「オネガイ、マリサ。アノコヲ、オクリダシテヤッテ。マダマニアウ。コウリンドウニ、イソイデ。ワラッテ、オクリダシテヤッテ」
「そんなこと、私には……」
「アノコハ、マンゾクシテタ。カナシソウダッタケド、デモウレシソウダッタ」

 気付けば魔理沙の頬を涙が伝っていた。
 ぴたり、ぴたりと落ちる雫が地面に吸い込まれていく。
 その涙を拭いもせず魔理沙は俯いていた。

「オネガイ、マリサ。アノコハ、マリサヲマッテル」
「……わかったぜ。せいぜい、笑顔を作って送り出してやる」

 そう言って、魔理沙はティターニアから離れた。
 もう魔理沙はへたり込まない。
 自分の足で、しっかりと大地に立っていた。

「タノンダヨ」
「おう」

 二体の人形に笑顔を見せる。
 涙を流していたが、その目には光が戻っていた。
 そして幽香達の方を向いて念を押した。

「香霖堂、でいいんだな?」
「そうよ。あの子は香霖堂にいる……こんなことまでさせて、ごめんなさいね」
「……私がしたくてやってるんだ。幽香も、香霖も、ティターニア達もお疲れ様。後は私に任せろ」

 そう言って、箒に飛び乗り。
 じっと空を見つめ、最後に一言だけ呟いた。

「ティターニアは、アリスか……アリス、さっきはごめんな」

 そう言って、ロケットのように魔理沙は飛び出した。
 青い魔力の尾を引いて空の彼方に飛んでいく魔理沙を見送りながら。

「アリスモ、ユルシテクレルヨ」
「ネー」

 ティターニア達が片言で呟き、口角を上げる。
 二体の人形が悲しそうに笑っている事に気付くものは誰一人としていなかった。





 魔理沙は、香霖堂の扉を軽くノックする。
 返事がないのは分かりきっていた。
 ドアノブを回し押して、店内へと侵入する。

 明かりのついていない香霖堂は薄暗かった。
 ミニ八卦炉を電燈代わりにして、魔理沙は室内を照らした。

「おーい弓兵、ここにいるのか? でてこいよー」

 そう呼びかけ、魔理沙は我が物顔で侵入する。
 弓兵を見つけるのに長い時間はかからなかった。
 霖之助が店番をする際机にしている台の上に、弓兵は座っていた。

 実際に弓兵を前にして、魔理沙は言葉が詰まる。
 魔理沙よりも濃い金髪は焼け焦げたところを整えたのだろう、弓兵はボブショートになっていた。
 頭の上には赤い新品のリボンが一つ、そしてそのそばに星型の髪留めがついていて。
 服装は相も変わらず、スリット入りのワンピースと、白いエプロンドレス。
 背中に担ぐ矢筒には、銀色に輝く新品の矢が3本入っている。
 魔理沙はゆっくりと近づいて、小さく声をかけた。

「弓兵」

 魔理沙の声に反応して、弓兵は顔を上げた。
 一瞬、魔理沙の頭を期待がよぎる。
 だが、弓兵は無表情のまま魔理沙の顔を見つめていた。
 顔を上げた以外はピクリとも動かない。
 もうどうしようもないのは分かりきっていたが、実物を目の前にして魔理沙の心にずしりと重い物がのしかかった。

「おい、私だ。魔理沙さんだぜ。来てやったんだ、感謝しろよ?」

 声を震わせながら、魔理沙は語りかける。
 反応はない。
 顔を上げたままでいることが一つの奇跡なんだ、とは分かっていても、魔理沙はやりきれない思いにとらわれる。

「……無視は酷いんじゃないか?」

 掠れた声で精一杯明るい声を上げながら、魔理沙は笑顔を見せる。
 その頬を伝って、涙が床に落ちて行った。
 今度も反応がない、そう思いきや。
 ピクリ、と弓兵は震え。
 弓兵は微かに手を動かし、傍らの本を指差した。

「これは……日記じゃないか。こんなところに無防備に……読んじゃうぜ? いいのか?」

 涙をぬぐい、日記を持ち上げて弓兵の前で振る。
 やはり反応はない。
 魔理沙は日記を手元に引き寄せ、重ねて弓兵に言った。

「ほらほら、私のあんな所やこんな所を刺すんじゃないのか?」

 そういいながら、魔理沙は表紙に視線を落とした。
 その本の表紙には天使が描かれていた。
 不格好な天使。
 いびつな形をした羽。
 そして、弓矢を手に持っている。
 書いたのは、間違いなく弓兵だろう。

 弓兵をちらりと見るが、動く気配はなかった。
 小さく悪態をつき、こぼした涙を拭い去る。
 弓兵の首根っこを持ちあげ、魔理沙はその場に胡坐をかいた。
 足の上に弓兵を乗せ、魔理沙はおもむろに表紙を開いた。

 中表紙。人形弓兵の日記、と書かれた上から、人形と言う文字を消し、きり雨と書かれた後霧雨と訂正されていた。
 最初の字はアリスの字だ。
 だが、後二回修正は弓兵がしたのであろう。それは、まぎれもない弓兵の字である。

 次ページをめくると、一日目、と丁寧な字が書いてあった。
 また、アリスの字だ。だが、それよりも目を引いたのは、書いてある内容だった。
 それは、文字ではない。
 絵、ですらない。
 鉛筆でぐしゃぐしゃと塗りつぶされた、何か。
 表現するなら、黒い渦だろうか。

 数ページに及ぶぐしゃぐしゃを飛ばして、二日目という表記を見つけた。
 二日目もまた、黒い渦のようになっていた。
 だが、違うところがある。
 その渦のようなものを構成しているのは、字だった。
 無数の字が何度も何度も何度も何度も、狂人が書き連ねるように書いてあるのだ。
 ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字。
 それもまた、数ページに渡っていた。

 三日目。
 今度書いてあるのは、絵であった。
 黄色と、水色と、ピンクを使って書かれたそれは、線が曲がりくねっていて人の形をしていなかった。
 ただしそれが何を示しているのかは見ればわかる。
 ありす、と書かれたその字は、まるで紐を挟み込んで押し花みたいに張り付けたように見えるほど。
 ピンク色の肌に描かれた黒い点や曲線は、おそらく顔なのだろうが、どことなく恐怖を抱かせるもので。
 だが、そこに書かれた表情は笑顔だった。
 その横に、上手な人形の絵が書いてある。
 アリスが書いたのだ、とも思えるが、そこに書いてある人形、という乱暴かつ丁寧な字はアリスの物ではない。
 おそらく、幽香が書いたに違いない。

 そして、四日目からはついに文章になっていた。
 最初は不揃いな字で、めちゃくちゃな筆圧で――



 このひだりにかいてあるのわよっかめとよむんだてありすがいってた。
 四日目
 わたしのなまえわ人ぎょお3へいという。
 でもこれわなまえじゃないてアりスわいう。
 どっちなんだろわかんない
 わたしきようからにっきかくの。
 アリスわわたしおほめてくれるあなたわすごい人ぎょおだってなんどもいう。
 にっきをみせるとえがおになるうれしいっていう
 うれしいっていうのわえがおになるようなことなんだって。
 だからわたしもうれしい

 わたしにわともだちたくさんいる。
 人ぎょおのともださでほんとおにたくさんいる
 わたしわティタニアていう人ぎょおたちといちばんなかがいい。
 わたしよりもアいスよりも大きくてさいしょびくりしたけどやさしい~だ
 人ぎょおわ皆アりヌのようにほめるすごいすごりっていう
 でもわたしわすごくないとおもうだからもっとすごくなるなりたい


 五日目
 今日はアリスがいろいろなことをしてくれた。
 日きのまちがいもおしえてくれる。
 でもわたしはぜんぶわなおせないんだ。すごくないから。
 すごいすごいっていってるアリスはまちがってるんだろう。
 人ぎょうたちもみんなまちがってる。
 だって、みんないろいろしってるんだもん。
 あと、ゆうかっていう人のことをわすれてておこられた。
 ゆうかはせのたかい人で、みんなとちがってあたまがみどりいろなんだよ。
 ゆうかもなかなかび人だとおもう。でも、わたしはアリスのほうがび人かなあ。
 でもねみんなかわいいよ。わたしいがいは。
 だって、みんなのおかおはみえるけど、わたしのおかおはみえないんだ
 おかしいよね。ゆうかは、び人だよっていったら、「でしょう?」ってうれしそうにいってたからゆうかにはみえてるんだとおもう。
 アリスがもってきたかがみっていうのをみると、にんぎょうのかおがみえたけど、あれはだれだったんだろう?

 あと、りょうりをすこしおしえてくれた。
 わたしはしっぱいばかりだった!けどわらってアリスはゆるしてくれる、やさしいの。
 おわんとコップをまちがえた。ちがううっておしえてもらったけど、どっちがどっちだっけ?
 たしか、おおきいのがおわんで、ちいさいのがコップ。
 あれ、ちいさいのがおわんで、大きいのがコップ?
 あとでアリスにきいてみようとおもう。

 あと、アリスがわたしに3とやをくれた。わたしのなまえのゆらいらしいね。


 六日目
 人ぎょうと人げんとまほうつかい(アリス)とようかい(ゆうか)はちがうんだって。
 たしかに人ぎょうはみんなおなじようなふくをきてるし、アリスとゆうかはごはんを食べる。
 でも、みんなおなじかたちをしてるのに、ちがうなんておかしいよね。
 そう言ったら、アリスは少しかなしそうなかおをした。

 わたしのみてるものが、アリスやゆうかにはみえるらしい。
 この日きも、アリスとゆうかはとおくからみてる。
 すごいすごい。

 ありすやゆうかは、それだけじゃなくてまほうがつかえるんだって。
 すごいの、まほうって。
 ゆうかのビームが目のまえのものをばーんってふきとんでいくの。
 アリスは人ぎょうまほうをつかうんだって。
 あやつって、たたかうの。
 わたしをつかってもらったけど、アリスのやさしさとかいろいろなものが伝わってきたんだ。

 それとね、弓をいってみたの。
 びゅーんってとんでいくんだ。まっすぐ、まっすぐ
 これはすごいかもしれないっていったら、いつもとおなじようにアリスはほめてくれたけど、ゆうかはまだまだねっていってた。
 ゆうかはちゃんといってくれる。わたしはたしかにまだまだだ。
 そのあと、一人でどうやっているかをおしえてもらった。
 まずは、いるぞー!っていうやるきが一ばん大せつなんだって。

「いるばしょをきめたら、いまからいうことを思い出しなさい」
「まず、かまえをとるときにはゆっくりときをしずめるのよ」
「からだのはりとかうでのかんかくをたしかめて、とことんきをしずめなさい、でもまだ少しかんがえることがあるの」
「で、一ばんにげんをひいたときには、かんぜんにむ心になりなさい」
「むいしきで、みじかかったら7びょうくらい、ながかったら10びょうくらいそのまま、で、ひじのはりをたもちながらのばすのよ、あなたならできるわ」
「はなれたあとも、2,3びょうはむ心でいなさい。で、あい手のほうをみるの」
「ほんばんじゃ、そんなひまはないかもしれないわ。でも、しょ心をわすれたらできることもできないの」

 アリスのいってることは、わたしにはさっぱりわからないの。
 でも、いいからおぼえておきなさいって。
 じぶんでかいておぼえろ、っていうの。かいたけど。
 うーん、わからない。そういったら、ティターニアさんたちがわらってかたをたたいてくれた。
 むりはだめだよって。
 ほかの人ぎょうも、アリスも、みんながんばれっていうけど、ティターニアさんだけはちがうの。
 でも、わたしはこんなことくらいかんたんにできるようになりたい。
 これからも、がんばっていきたいな。


 七日目
 今日は、こうまかんってところに行った。
 こうまかんの、大図書かん。
 大って言うだけあって、とっても大きかった。
 アリスとゆうかは、そこの司書さんと友だちなんだって。
 あれ、まほうつかいなかまだったっけ。
 でも、ゆうかはまほうつかいじゃなくてようかいだよね。
 まぁ、友だちでいいかな。
 たくさんの本があって、わたしにすきなのをよめってアリスは言った。
 わたしは、とくによみたいものはないからえらんで、ってアリスにたのんだの。
 べつに、なにをよんでもべんきょうになるし。
 あ、でもほかのことばじゃよめないから日本ごでおねがいしたわ。
 だいたい、10さつくらいよんだ。
 えがかいてある、かんたんな本だったけど。
 かん字が、少しずつ書けるようになってきた気がする。
 気のせいかなぁ、と思って前の文章を見てみると、なんだか気分がわるくなってきた。
 せい長してる、わたし。
 ちょっとはかしこくなったかな?
 えへへ。



 八日目
 今日は、うちにまりさ――白黒のふくを着た人間がきた。
 人間なのに、ほうきに乗って飛んでくるなんて、すごいよね。
 まりさ……漢字で書くと、魔理沙? むずかしいし、少しだけ漢字使うのもあれだからまりさでいいや。
 まりさは、アリスの友達で、ライバルなんだって。
 きょうそう相手、っていうの?
 よく分からないんだけど、おたがいを高めあうそんざいなんだって。
 わたしから見ると、まりさはねずみみたいなやつだと思う。
 だって、まりさは、まるでアリスの家が自分の家だっていうかのようにずうずうしかったもの。
 ずかっといすに座りこんで、アリスにお茶をたのむのよ。
 アリスがおこりだすんじゃないかって思ったんだけど――アリスは、たまにすごいおこるから。
 でも、アリスはふつうにまりさにお茶を出したの。
 とくべつなそんざいなのかしら? おたがいを高めあうそんざいっていうのは、いいものね。
 そういえば、今日はゆうかはいない。
 きいてみると、「明日から本格的にとまるからそのじゅんびをしてくる」そうよ。
 ふーん。
 あと、ティターニアさんたちが今日もわたしをほめてくれた。
 いいこいいこ、ってしてくれる。
 いつもありがとう、ティターニアさん。


 九日目
 今日も大図書館に行った。
 アリスと、私と、幽香の三人で。
 うーん、幽っていう漢字は難しいなぁ。
 でも、幽香を漢字で書けないって言ったら怒られたの。
 理不尽、理不尽。
 魔理沙と(これも練習した)幽香は、似てるかも……って言ったら、幽香に怒られるかな?
 でも、幽香はネズミって言うよりかは……うーん、ヒマワリって感じ?
 そんな感じがするだけだけど。

 今日読んだ本は一つだけ。ちょっと難しい本を渡された。
 ええと、で、すごいきょうみぶかい物を見つけたんだ。
 キューピッド、っていうんだけど。
 空を飛ぶ気まぐれな天使さんで、恋の矢を放つんだって。
 私、キューピッドになりたい。
 恋なんてしたことはないけど、お話で読む恋はすごい美しかった。
 いつか恋してみたいな、って思う。
 それとね、そこのお話に出てきたことなんだけど。
 「ムラムラする」って言葉がよくわからないから、アリスに聞いてみたんだ。
 アリスによると、心が上ずって落ち着かない状態なんだって。
 でもよくわからなかい。
 だから、幽香にくわしく教えてもらったの。
 ムラムラって言うのは、普通の反応なんだって。
 例えば、好きな人のはだかを見ると、ムラムラする物なんだって。
 まだ私にはよくわからないけど、きっとそんなもんなんだと思う。
 あと、ティターニアさんたちがすごい事をおしえてくれた。
 アリスは、魔理沙のことが好きなんだって。
 ってことは、魔理沙のはだかをアリスに見せれば……?


 十日目
 広い視野を持つことが大切。
 夜になって、大図書館から帰ってきた後にアリスはそう言った。
 確かにそれは間違っていないわ。
 でも、だからって家から出て行かされるのはどうかと思うんだけど……。
 で、私は魔理沙の家に行く、とか。
 送る先はいろいろ考えたらしいんだけど、一番都合のいい場所が魔理沙のところなんだって。
 まぁでも、なんとなくわかるわ。
 それなりに近いから、私の目で見た物をアリス達も見れるんだって。
 他の人形達が自律するのも楽しみだし……できるだけ私の行動は参考にしてほしいな。

 この日記は家を出る前に書いてるんだけど。
 私がいろんな人形とあいさつがしたいってアリスに言ったら、すごい変な顔をしたんだ。なんだったんだろう。
 ティターニアさん達ともしばらくお別れ。
 固い固いティターニアさんの感触を体感できるのは、いつになるかなぁ。
 ……案外すぐに戻ってきそうだけど。
 魔理沙をけしかければいいし。

 あ、そうそう。
 魔理沙にはしばらく敬語を使う、これを約束させられた。
 まぁ、人生の先輩と言えば人生の先輩だよね。
 誰にも意識したことはないんだけど……まぁ、いいか。
 
 外を見ると、雨が降ってる。
 幸先悪いなぁ。でも、いいか。
 傘をアリスが作ってくれて、荷造りは幽香がしてくれた。
 ありがとう、二人とも。
 じゃあ、行ってきます。


 十一日目
 幽香は透明になれるらしい。
 気を失って、初めて気付いた。
 魔理沙さんが眠ったら、そこからいろんな勉強を少しだけするの。
 もっといろんなことが学びたい!
 世の中には、いろんなことがあるから!

 今朝、幽香と一緒に魔理沙を脱がしてみた。
 提案したのは私。
 くわしく説明してみたら、幽香は笑いながら手伝ってくれた。
 魔理沙の裸は……なんだろう、上手く表現はできないけどぷにっとしてた。
 身体に触れると、とってもやわらかかった。
 たまに、むぅ、って言ってて……かわいい。
 なんでか、胸の中がしめ付けられるような感じがした。
 これがムラムラなのかな?
 じゃあ、アリスは、いつもこんな気持ちに……?
 で、そこで気付いたの。
 魔理沙のはだかを見てムラムラしたってことは、私も魔理沙のことが……?
 ……そうなのかな?
 幽香は魔理沙の体を鼻で笑ってたけどね。
 

 そのあと、私は魔理沙についてって、アリスの家に逆もどり。
 一日ぶりだって言うのに、ティターニアさん達が歓迎してくれた。
 すごいうれしそうだった。
 だから、私もすごいうれしかったわ。
 ……好き、っていうのは、私がティターニアさん達に抱く感情なんじゃないかなぁ?
 でも、ティターニアさん達の裸……裸? 身体を見ても、多分なんとも思わないと思う。
 うーん、わからないや。
 魔理沙に悪い印象は持ってないし。
 うん、近くで見ると結構美人だった。
 ネズミ、なんて言ってごめんね。
 ……意識したら、結構、ムラムラ? してきた。
 あ、でも、私はキューピッドになりたいし……。
 人形だから、少しくらい大丈夫だよね?


 ところで、告白の一つに「毎朝俺のために旨い味噌汁を作ってくれ」っていうのがある事を、本で知ってたんだけど。
 家事を任せる、って言うのはやっぱりそういうことだと思ったんだけど。
 勘違いだったみたいね。
 で、私の名前は今日から霧雨弓兵になりました! ぱんぱかぱーん!
 ……ちょっと嬉しい。
 いや、ちょっとじゃないや。結構嬉しい。
 まぁ、いいや。

 家事って言ったら何って幽香に聞いたら、お料理とか洗濯とかそうじとか、のことらしい。
 私一人じゃ絶対無理。
 よし、アリスに手伝ってもらおう。
 幽香にも……少しだけ。



 十二日目
 アリスと皆を呼んで、魔理沙の家の中を掃除。
 中の物、全部外に出しちゃった。
 だって、ゴミ屋敷だもんね。
 いろんなものがごっちゃごちゃで、ひどかった。
 だから、全部全部きれいにしたわ。
 料理もしたし、洗濯もちょっと手伝ったし。
 お風呂も私とティターニアさんで作ったんだけど、これは入ってもらえなかった。
 ちょっとくやしい。
 でも、これでわかった。
 人間って、お湯に入っただけで火傷しちゃうんだねー。
 私達なんて、火がつかない限りまずやけどしないし……と、言うか、熱を感じないのよね。

 で、今日見た魔理沙の裸が……うん、前よりも胸がきゅってした。
 でも、なんだかムラムラとは違う気がする。
 初めから違ったのかな? まぁ、いいや。
 一番良くわからないのは、途中で身体がおかしくなった事かな。
 恥じらい、らしいけど。
 熱いってこういうことを言うんだ、って分かった気がする。
 身体が動かなくなって、逃げだしたいような……穴があったら飛び込みたいような。

 あ、そうそう。
 「痛み」っていうものも少しわかったかもしれないわ。
 魔理沙に「作り物」って言われて、心がズキって来たの。
 作り物は酷いよね、うん。
 ……あとね、一つ分かったことがある。
 実は、一番初めから気付いてたんだけど。
 私は……魔理沙が本当に好きなんだ。


 機能を外してもらったから、幽香は今日でリストラ。
 たまに見に来るわ、って言って、帰って行ったんだけど……本当に帰ったのかなぁ。
 帰ったんだったら、これでようやく二人きり、だね。



 十三日目
 アリスが作ってた料理は色とりどりだったけど、魔理沙の料理は皆地味だ。
 って、言ったら怒られるかな? 別に怒られてもいいけど。
 魔理沙が言うには私は器用らしい。
 でも不器用らしい。
 ほめられてうれしくなったのに、一気にたたき落とされた。酷い。
 
 うん。今日はね、とっても悔しかった。
 他愛のない話で済まそうと思ったけど、どうもむかむかするから書いちゃう。
 私は……あくまで人形。
 他の人形とは、一線を画す存在だけど。私は人形なんだ。
 人形と人の間には、越えられない境界線がある。
 他の人形とは違っていても、私は結局人形……。

 悔しいなぁ。
 矢が、全然的に当たらなかった。

 なんだかんだいって、魔理沙は才能があるんだよ。
 努力するのだって才能の一つ。
 努力で実力が伸びるのも、才能。
 私は……私にも、才能があるらしい。
 実際、そうかもしれない。
 つい先日の日記がひらがなばかりで、妙な気分になってくる。
 確かに、成長が早すぎるかもしれない……おかしいんじゃないか、って思うときもある。
 でも、私はこの一瞬一瞬を楽しんでいきたい。
 明日は魔理沙の魔法を見せてもらう約束。
 ふふ……楽しみ楽しみ。




 十四日目
 身体には、何の意味があるんだろう。
 人間の身体も、人形の身体も、さらに言えば妖怪の身体だって、みんな物なのに。
 どうして、魔理沙はあんなにもカッコよくて……あんなにも魅力的なんだろう。

 うん、別にどうでもいいことね。

 魔理沙の魔法は、もう一生忘れないと思う。
 言葉が出ないほど美しかった。
 星が広がってて……ううん、自分の言葉で表現するのは野暮かな。
 その中で、私が一番好きなのは……やっぱりマスタースパークかな?
 恋符って言うところにもあこがれるし、まずなによりも迫力がすごい。
 弾幕はパワー、魔理沙がそういう理由が分かった気がする。
 私だって努力すれば、あそこまで行けるのかなぁ。
 分からないけど、努力していきたい。
 魔理沙は、誰かを超えようと頑張ってるみたいだけど。
 私は……うーん、目標みたいなのは、今のところないのよね。
 あえて設定するなら、アリスに一発弾を当ててみたい。
 ……無理な気がしてきた。

 あ、アリス。
 アリスのところに行ってない。
 
 ……毎日行かせる方がいいかな?
 うん、明日はアリスのところに行かせよう



 十五日目
 仲睦まじい二人の様子を見て、なんだかイライラした。
 嫉妬なんだと思う。
 気がつけば、アリスに嫉妬するようになってたんだ。
 遠くからこっそりと二人を睨みつけた。
 じっと。
 じぃっと。
 ただ、アリスの位置がうらやましかった。
 片や、魔理沙の対面。
 片や、ティターニアさんの肩の上。
 ……ずっと魔理沙の事ばかり見てたから、ティターニアさんには申し訳ないと思う。

 でも、なんだか私は私を抑えられない。
 認められたい。
 人形として、じゃなくて。
 一つの存在として。
 魂の宿る存在として。
 家族か、できれば恋人のような……。
 ……こうやって日記を書く時間も、段々と減ってきた。
 幽香がいなくなってから、前みたいにすらすら書けなくなってる。
 うーん……まぁでも、急ぎ過ぎなのかな?
 もっとゆっくりでも、いいのよね?



 十六日目
 魔理沙の馬鹿。



 十七日目
 魔理沙の、馬鹿。



 十八日目
 おとといと昨日は、ぐちゃぐちゃしてて何も書けなかった。
 でも、日記を読み返すと私はなにもわかってなかったんだと分かる。
 その前も、幼くぐちゃぐちゃと書き連ねているのみ。
 まぁ、そうよね。この日記は、私が見てわかればいいんだから。
 
 一昨日は、自己の再認識をさせられた。
 私は人形。
 肉体の違いはもちろん、それに加えて精神構造の違いもあるんだと思う。
 流石に、詳しくは分からないけど。
 そう、私は人形。
 人形の分際で、思いあがっていた。
 自分で自分を律するのが自律なのに、律せていなかった。

 ……でも、やっぱり魔理沙に日記だけはどうしても見せられない。
 これを見せるのは、私が日記を魔理沙に見せてもいいと思えたとき。
 その時私はどうなってるかは知らないけど、きっと完全に自律できたときだと思う。
 ……盗み見たら、化けて出るよ?

 でも、その次の日に……私を、人形じゃない風に扱うなんて。
 私の頭に輝く、星型の髪止め。
 絶対、死んでも離さない。
 
 ……このままだと、きっと私はまた思いあがるわ。
 だから、せめて実力を伴うまでは。
 この髪飾りが、思いあがろうとする私を縛りつけてくれると信じたい。

 ありがとう魔理沙。
 ごめんなさい。

 あと、今日会った幽香は、どこかおかしかったように思える。
 何だったんだろう、あれは。
 幽香さんなら用があればちゃんと言ってくれるはずなのに。
 有無を言わさず連れて行こうとしたらしたで途中であきらめる理由も分からない。
 ……今度会ったときに、聞いてみよう。



 十九日目
 日記を書くっていう行動が面倒になってきた。
 一日のまとめを書いた方が成長しやすいとは思うし、字も忘れない。
 でも、今日は面白いほど何もなかった。
 雪が凄く一杯降ってきたから、一日中家に閉じこもって魔理沙の研究を手伝ってた。
 私に手伝えることなんて、せめて魔理沙が不自由しない程度にサポートすることくらいしかないんだけど。
 水を入れたり、物を持ったり、お風呂を入れたり――もう、あのときのような失敗はしない。
 料理は流石に二人じゃないと無理だった。

 うーん、後何だろう。あ、そうだ。
 ひたむきに頑張る魔理沙の姿は、とってもカッコイイ。
 いつも不真面目そうに見えて、実はとっても真面目だもん。


 二十日目
 特筆なしー。
 昨日とおんなじだった。
 強いて言うなら、魔理沙と私の意思そ通が昨日よりも早くなった気がする。
 えへへ、ちょっと嬉しい。
 人形だもん、主人と交流がとりやすくなったら嬉しいに決まってるじゃない。
 
 雪が結構降ってる。
 積もると出られなくなるんじゃない、って魔理沙に言ったけど、そこはぬかりないらしい。
 確かに、とびらはまだ開くし、とびらを開けて雪を溶かしたりもしている。
 アリスは……大丈夫だね。
 魔理沙よりもよっぽどしっかりしてるもん、きっとアリスは皆の服とかをぬってるに違いないね!
 ……ティターニアさん、元気かな?
 アリスの人形の中じゃ特別大きいから、きっと沢山働かされてるんだと思うけど。
 まぁ、人形だし大丈夫だよね。

 まともに外に出れるようになったら、会いに行きたいなぁ。


 二十一日目
 昨日、意思そ通が早くなったと思ったのは気のせいだったみたい。
 今日は色々細かなことですれ違った。
 ……まぁ、調子が悪かったんだよね、多分。

 書くことがない気がする。
 むしろ、日記を前にして、えんぴつが動かない。
 雪はまだ降り続いてる。
 そろそろ……そろそろ、止んでほしいなぁ。


 
 二十二日目
 昨日よりも調子が悪い。
 ぼーっとして、考えるのがおっくうだ
 おっくう、ってどういう漢字書くんだろ。ゆうか……幽香に聞いてみたい。

 なんだか、いやな予感がする。
 魔理沙に聞かせたくない話で、店主の話じゃない。
 つかれ切った幽香の様子。
 私の体の不調……つなげて考えちゃ、だめだよね。

 あああ、何も書けない。
 一人じゃ、何も書けない。
 だれかにそばにいてほしい。
 魔理沙以外のだれか。
 魔理沙には、絶対見せたくないから……。




 ふわりふわり。

 私は空を飛んでいたのかな?
 ちがう、私は前に進んでいたんだ。
 前に、光が見える。 
 魔理沙の、マスタースパークの光だ。

 ぴかぴか。

 あそこまで、手をのばしたら届くかな?
 だめ、私の手はそこまで届かない。
 後ろから、黒い黒い何かが私の足をつかんでいるから。
 ゆっくりと、ゆっくりと私を引っ張る何か。
 それが何者だかは分からないけど、一つだけわかることがある。
 あれに引きずり込まれたら、戻ってこれない。

 ぐいぐい。

 どんどん、足を引っ張られる。
 でも、私はまだ飛べた。
 それに、前から魔理沙が手を差し伸べてくれる。
 ……今は、まだとどくけど。
 黒いそいつは、消えることなく私の奥底で目を光らせている。
 怖い、怖い。
 もしかして、私には、時間がないの?



 二十三日目
 色々やってしまった。
 かみかざりも危なかった。
 アリスにもらったふくを一つだめにしてしまった。
 私は悪い子。
 かん字が、ぜんぜんわからなくなっている。
 やっぱり、わたしはただの人形なんだ。

 今日、ここを出ようと思う。
 出ないといけない。
 魔理沙にめいわくをかけるし、なにより、魔理沙にこんなすがたを見られたくない。

 魔理沙。さいごのわがまま、聞いてくれてありがとう。
 私、魔理沙に、キスをしてもらっちゃった。
 アリスにじまんしようかな、えへへ。
 えへへ……えへへ……悲しいなあぁ。
 人形は、こんな時泣けないもんね。

 気付いてほしくない。
 でも、どこかで気付いてほしい。
 そうだ、初心にかえろう……。
 気付かないで。
 でも、気付いて。


 二十四日
 アリスは、もうぜんぶわかってたんだとおもう。
 アリスの家には、ゆうかとてんしゅがいた。
 てんしゅのなまえ、なんだっけ。
 日記にかいてないから、わかんないや。
 からだのちょう子がとってもわるいって言ったら、みんなはだまってかおをみあわせた。
 どうしたの? ってきいたら、ゆうかがわたしにいったんだ。
「人為的に誘発された自律は、知識の増大量と比例する早さで消えていく」だって。
 かん字がわからないからゆうかに書いてもらったんだ。
 かんたんにいうと、わたしはしんじゃうんだって。
 そんなのはいやだって言ったら、そのために手をかんがえてるからまってて、ってアリスが言ったの。
 
 そのあと、一日中――えへへ、かん字のたんご書けたよ――いろんな人のところにいった。
 大としょかんのあったこうまかん。
 しんだあと人がいくところ。
 一ばんうでのいいおいしゃさん。
 きせきをおこしてくれるじんじゃと、そうじゃないじんじゃ。

 どこでも、けっきょくだめだった。
 ゆうかによると、うんめいが見えるきゅうけつきがどうしようもないってはんだんしたんだって。
 そのうえ、わたしはしなないみたい。
 でも、きえちゃうかのうせいが高いんだって。
 いしゃはせんもんがい、みこさん――かぜはふりさん?ははんなきになりながら手でほしがたをえがいてくれたけど、だめだった。
 あの人はやさしいとおもう。
 もうかたほうのじんじゃのみこさんはそっけなかったけど。
 
 きょうはしゅうかくなし。でも、三人はあきらめずにがんばってくれるんだって。
 わたしもがんばる。せめて、少しでもおぼえておきたい。
 辞書を引いて、難しい漢字を……だめだ、むだな力をつかう。
 かん字はむりだから、せめてよみやすく書こう。

 あと、ティターニアさん達がわたしをだきしめてくれた。
 二人は、わたしが日記を書くのをずっと見ていてくれる。
 ありがとう。みんな、ありがとう。


 二十五日目
 なんだかきぶんがぼんやりとする。
 みんなさいごのさいごまでがんばってくれた。
 いろんなほんをさがしてきのうよりもたくさんのひとのところにいってはなしをきいて。
 うーんじぶんでもよみづらい。
 、←これはどこでつかうんだっけ。
 わかんないや。
 
 みんな、つかれきったかおでくちぐちにわたしにあやまった。
 ごめんなさい。って。
 じっけんしてごめんなさい。
 さきがわからないじっけんをまねしてごめんなさい。
 なにもできなくてごめんなさい。
 わたしが「そんなことないよって」いうと、みんなないちゃった。
 なんでなくの。
 かなしいの。
 ってきくとみんなかなしいしくやしいってこたえる。
 わたしがしんじゃうのがかなしいんだって。
 なにもできないのがくやしいんだって。
 だから、わたしはみんなにむかっていった。
「わたしはおもうの。すこしのあいだだけどじりつできてしあわせだったって。だからなかないで」
 わたしはにんぎょうだから、しんじゃってもだいじょうぶなんです。
 みんな。
 しあわせなじかんをありがとう。
 アリスとゆうかとてんしゅさんとたくさんのにんぎょうさん。
 おおきなにんぎょうさんにはとくにおせわになった……きがする。
 
 でもひとつだけおねがいがあるの。
 さいごはひとりでいかせてほしいって。
 するとてんしゅさんがみせにいていいっていってくれた。
 だいじょうぶあしたにはおみせをかえせるとおもう。
 だって、もうえんぴつをにぎるちからもないもん。


 二十六日目
 にっきをかくのにいちにちつかうよてい。
 さいごのにっきをかきます。
 からだがおもいうごかない。
 えんぴつがうごかない。
 もうすぐだもうすぐわたしわひきづりこまれる。
 いきたくないていうとうそになる。
 かなしくないていうとうそになる。
 まりさにあいたくないていうとうそになる。
 うそはだめ。
 みんなにあいたいでもあうのはよくない。
 わたしのことなんてわすれてしまえばいい。
 もともとじっけんなんだから。
 なんてかくとうらんでるようにおもわれるかな。
 うらんでないですむしろかんしゃしてます。
 ほんとうにたのしかったんです。
 まりさといっしょだったまいちがとてもたのしかったんです。
 まりさだけじゃないよアりスもゆうかもにんぎょうもだよ。
 わたしわなにかわるいことをしたのかな。
 したからこうやてばちがあたったんだ。
 なにをしたかわわからないけどきっとわたしわわるいにんぎょ―――

 きおうしなったもうあとすこししかないのかなさびしいな
 うそわいけないほんとのこというみんなともつといしょにいたかた。
 でもわたしわたくさんのにんぎょうのためにはたらけたとおもうのそういういみでわじっけんだいせこうだよ
 だからアりヌなかないできっとないてるとおもうからなかないで
 さよおならアりスゆうかてんしゆさんそして……まりさ

 ついしん
 どおかまりさにつたえてください
 まりさわかわいいしかっこりいしすごいから。
 わたしのことなんてわすれてもつとすごいひとになつてください

 ついしん
 これをよんだかたへ
 どおかついでがありましたらまりさとありすのきゅーぴっどになってあげてください
 



 最後の方は字がかすれてよく見えなかった。
 魔理沙が流した涙が、ひたひたと弓兵の頭に当たって髪の毛を湿らせる。

「くそっ……くそっ!」

 日記を傍らに置いて、魔理沙は床を必死に叩いていた。
 早く気付けていたら何かが変わる、と言うわけではないが。
 無力さ、浅はかさ、後悔の念がぐるぐると魔理沙の中を回る。
 せめて、最後に一言気持ちを伝えたかったのに。
 今では、気持ちを伝えたところで届くかどうかは分からない。

 いつまでそうしていただろうか。
 魔理沙が弓兵を見やると、弓兵はいつのまにかじっと魔理沙を見つめて首をかしげている。
 なんでもない、と答えてもそれ以上それが動くことはなかった。

「……何か、何か手は……ないのか?」

 魔理沙は記憶を探る。
 弓兵を救うことはかなわなくても、せめて思いを伝えるすべはないのか。
 残された時間はないに等しい。
 焦りながら、頭を抱え必死に考える。

 そして、魔理沙はとある言葉を思い出す。
 ほかでもない弓兵が言った、とある言葉を。

――魔力の糸でつながってると、気持ちも流れてくるのよ。嬉しい、とか悲しい、とか

「それだ……ちょうどいいぜ、お前に気持ちを送り届けてやる」

 そう言って、魔理沙は弓兵と日記を手に立ち上がり。
 涙を乱暴にぬぐって、そのまま上を向いて歩き、扉をくぐる。

「家に、帰るぞ」

 そう言って、魔理沙は箒に跨り。
 自分の過去を話題にゆっくりと弓兵に語りかけながら、魔理沙達は霧雨魔法店――二人の自宅へと向かった。
 太陽がその表情を少しだけ雨雲に隠し。
 その雨雲から小雨が降っているのを、魔理沙は遠くから確認した。




「ほうら、家だぜ?」

 手に持つ人形に話しかけながら、魔理沙は慣れた手つきで扉を開ける。
 弓兵から返事が帰ってこないことには、目の前が涙でぬれて見えないのと同程度には慣れた。

「そうか、そうか。うれしいか。それはよかったぜ、ちょっと待ってろ」

 ソファに人形を置き、魔理沙は着ている物を脱ぎ捨てた。
 急いで寝室に入り、いつもの服装に着換える。
 慌て過ぎて何度か絡まりそうになったが、無理やり服に体を通した。
 おそらくどこか裂けてしまっただろう、しかしそれは今現在関係のない話だった。

 涙を拭いてリビングに戻り、カーテンを閉めて光が入らないようにする。
 薄暗くなった部屋の中で、魔理沙はミニ八卦炉を構えた。
 三日間の徹夜で作り上げた、試作中の魔法。

「名前をつけるならなんだろうな……いや、それは後だ」

 呟いて、魔理沙はミニ八卦炉に魔力を込めた。
 ミニ八卦炉から薄い赤色のレーザーが発射される。
 そのレーザーは段々と細くなりながら、どうにか弓兵につながった。

「……つながった、ぜ」

 どこか安心しながらそう言って、ふわり、と弓兵を浮かび上がらせる。
 中距離で奴隷を少しだけ操作できる魔法。
 放たれるレーザーは赤外線を含む物。
 光によって妨害される故、明るいところでは使えない。

 部屋が淡く赤色に染め上げられる。
 まるで、夕暮れを迎えたかのように。
 魔理沙は、少しずつ弓兵を近づけながら笑顔を見せた。

「おい、聞こえるか? 私の気持ち、伝わってるか?」

 すると。
 弓兵が、微かに反応した。
 見間違いかもしれない、しかし、魔理沙には弓兵が笑っているように見えた。
 一時的に止まっていた涙が、せきを切ったように再び流れ始める。
 魔理沙も弓兵に笑顔を見せ、そして弓兵に聞こえるように穏やかに語りかけた。

「ごめんな。ありがとう。さようなら」

 魔理沙はその言葉を、弓兵がミニ八卦炉にくっつきそうなほど近づくまで数回繰り返した。
 ミニ八卦炉の前で静止する弓兵。
 腕を伸ばした魔理沙の手に握られた八卦炉の先に弓兵はいる。
 即ち、魔理沙の手は弓兵には届かない。

「……改良がいるな、そうは思わないか?」

 そう言って、魔理沙は魔法を中断する。
 重力に従い落下する弓兵を何とか抱え、魔理沙は弓兵を強く抱きしめる。
 弓兵の額に口づけをして、そして――体力の限界を迎えた。
 そのまま床に座り込み、魔理沙は寝息を立て始めた。

 雨雲が太陽を覆い隠し、雨がひたひたと降り注ぐ。
 まるで、空全体が涙を流しているかのように。






~~~~~~~



 数日後。
 太陽は、うっすらと雲に覆われながら控え目な光を送っている。
 段々と暖かくなってきた風を体中に浴びながら、魔理沙はアリスの家のドアを叩いた。

「アリス、いるか?」

 肩にかけた大きな袋を地面に置き。
 珍しく、魔理沙は扉が開かれるのを待っていた。

 数分後、ガチャリという音とともに扉が開かれる。
 袋を背負っていた肩を回す魔理沙を出迎えたのは、二つの大きな影。
 そう、レベルティターニア達である。

「……ティターニア」
「アリスガマッテルヨー」
「ハヤクハヤク」

 魔理沙の手を取り肩を抱き、ティターニア達は室内へと引きずり込む
 されるがままになりながら、魔理沙はティターニアに詫びた。
 
「すまない、ティターニア。お前らには、悪い事をしたぜ」

 魔理沙の言葉に、ティターニア達は足を止めた。
 ずいと近寄り、魔理沙の顔をじっと見つめ、そして二体の人形は激しく横に首を振った。
 ティターニア達の長い金髪が魔理沙の頬を撫ぜる。
 鼻をくすぐられくしゃみをする魔理沙に、ティターニアは首振りを止めて呟く。

「アノコガシアワセダカラ、ワタシタチモシアワセナノニ」
「コレイジョウアヤマッタラ、ユデマリサニシテヤル」
「ははは……じゃあ、こうだな。ティターニア、ありがとう。私はアリスのところへ行くぜ」
「ドウイタシマシテー」

 ティターニア達に手を振り、魔理沙は袋を抱えあげる。
 廊下を歩く魔理沙に向かって、二体の人形はぎこちない笑顔を見せ。
 そして、文字通りその場に崩れ落ちた。



 アリスは何をするでもなく、ただ椅子にすわっていた。
 その顔は、まるで死人の様であり。 
 魔理沙が笑いかけると、虚ろなアリスの目尻に涙が浮かんだ。

「魔理沙……」
「おいおい、そこは"よくもまぁのこのこと私の前に顔を出せたわね、このドブネズミ!"だろ?」
「……貴方から見た私は、そんなことを言うのかしら?」

 アリスは、ほんの少しだけ笑顔を見せる。
 それを見て、安堵の息を吐いた魔理沙はその場にどかっと座り込んだ。

「お、やっと笑顔になったな。もともと死にかけの顔が、もっとひどくなってたぜ」
「魔理沙には言われたくないわ……貴方、凄い顔してる」

 アリスは小さく笑いを漏らす。
 魔理沙もまた笑いながら、きょろきょろと鏡を探した。
 見かねたアリスが人形を操作し、赤く縁取られたの大きな鏡を手渡す。

 鏡の向こうから魔理沙を覗く、同じ服装をした鏡像。
 その顔は、まるで墓から出てきたゾンビの様で。
 腫れた目を指差し、魔理沙は腹を抱えて笑った。

「ははは、誰だこいつは! 傑作だぜ! あいつなら、なんて言っただろうなぁ!」
「……ごめんなさい」
「はっはっは……私はなにもされてないぜ?」
「魔理沙、ありがとう」
「礼を言われる筋合いもない……ホント、間抜け顔だな私。おっと、そうだ」

 一しきり笑い終わった後、魔理沙は持ってきた袋をさかさまにした。
 中からごちゃごちゃと布切れやら小さな傘やらが出てくる。
 初めに布切れを鷲掴みにし、アリスに押しつけた。

「あいつがバラバラにした、私のキノコ柄のパジャマだが……」
「……直すわ」
「それじゃ気が収まらん。見せしめだ、人形用の服にしてくれ。7着はぐらいは作れるだろ?」
「了解したわ」

 アリスは頷き、布を机に置く。
 次に魔理沙が手にしたのは、小さな青い傘。
 これもまたアリスに押しつけ、魔理沙は言った。

「これは、お前にやるぜ」
「……いいの? あの子の思い出の品よ?」
「こんなんじゃ、服がぬれちまう。私には必要ないぜ」

 そう言って、魔理沙は笑顔を見せた。
 袋に入っていた弓兵を矢筒ごと掴みあげ、アリスに渡す。

「……この子は、どうすればいいの?」
「お前が、もっとけ」
「……は?」

 アリスは吃驚し、魔理沙の顔を穴のあくほど見つめた。
 魔理沙は澄まし顔でそれを流し、頬を掻く。
 日記を懐にしまい、魔理沙は言った。

「いつか弓兵が日記をとり返しにくるまで、私は待つぜ」
「……魔理沙、弓兵は――」
「勝手に殺すな。こいつの魂があるかどうかは、心でも読めない限り分からないぜ? それに……もし死んでたとしても、人形として使ってやるのが供養だろ?」

 そう言って、魔理沙は俯いた。
 アリスは弓兵を返そうとするが、魔理沙が押し戻す。
 顔を上げた魔理沙は笑いながら言った。

「あと、私に人形操術を教えろ。簡単な奴でいいから。いいな?」
「……分かったわ」

 そう言って、アリスは弓兵を抱きしめた。


 
 アリスの家の外で、季節外れの花が咲く。
 真っ白な、よもすれば星型にも見える一輪のセイロンライティアだった。
 


~~~~~~



 そして、一年のときが経て。
 アリスは魔理沙に一つのゲームを持ちかけた。

「温泉を楽しむゲームよ」
「ふぅん、面白そうだな」

 喰いついた魔理沙を見て、アリスは小さく笑う。
 実は、魔理沙を間欠泉の根元へと向かわせる為の方便だった。

「なんか手助けしてくれよ」
「……ちょうどいいところに、人形が8体あるわ」

 手伝いを求めた魔理沙に、アリスが数体の人形を手渡す。
 紫に改造してもらった遠隔操作できる人形だ。

「おい、これって……」
「そうよ」

 人形達は、一体を除いてキノコ柄の服を着ていた。
 魔理沙はアリスをじっとみつめ。
 そして、二人同時に笑みをこぼした。

「ヨロシクネ!」

 唐突にその中の一体の人形が魔理沙に声をかける。
 魔理沙は、その人形の頭を軽く撫でた――
 人形弓兵、レベルティターニア。
 知らない人は、先生怒らないから手を上げてください。

 と、言うわけで、ここまで読んでくださってありがとうございました。
 はじめましての方ははじめまして、そうでない方はお久しぶりです。

 弓兵もティターニアもかわいくて困っちゃいます。
 そんな私は人形好き。
 ほのかなマリアリの香りはしていますが……おそらく魔理沙はティターニアの気のせいだ、と割り切っているでしょう。
 長くて読みにくいSSでしたが、読んでいただきありがとうございました。


 一応、一部解説をつけておきます。
 
・時系列……妖精大戦争前。緋想天よりさらに前です。故に、ゴリアテ人形は構想すらしてません。
・魔理沙のスペカ……魔弾「テストスレイブ」です。試作奴隷、完成した暁には……名前、どうなるんでしょうねぇ。
・花……花言葉、調べてみてはいかがでしょうか? 
・タイトル……オマージュです。展開も多少似ているので、分かる方は分かると思います。ちなみに、「アリス」の存在には書き始めてから気付きました。
・喋る人形……「ヤケドスルヨー」「バカジャネーノ」

追記 1/23、誤字修正。コチドリさんありがとうございました。
沢田
https://twitter.com/#!/sawadasushik
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コメント



0.1570簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
チルノストーリーそういえばやってなかった…
良い作品をありがとうございました
4.100名前が無い程度の能力削除
非常に良いお話しでした。
人形可愛かったのに…最後は帰って来たのだと思いたいです。
6.100奇声を発する程度の能力削除
とても読み応えがあり
凄く面白かったです
9.100名前が無い程度の能力削除
紅茶の湯気で霞む姿、冬に咲いたあだ花、そしてフラワーマスターの幽香。
この時点でもう死亡フラグ立っていたんだなぁ。
10.100sas削除
思ったよりずっと好みでした。読んでよかった
11.100名前が無い程度の能力削除
ティターニアお姉さん……。
アリスが可愛いから、アリスの娘が可愛くない道理は無いですよね!
ハートフルセクハラありがとうございました。

話の中で一番好き勝手やったのは幽香さんじゃないですかやだー
16.90過剰削除
読んでよかったと思える作品だった
弓兵かわいいなぁ
結末は予想できてたけど、やっぱ悲しいなぁ……
20.100名前が正体不明である程度の能力削除
おもしろかった。
21.100名前が無い程度の能力削除
読んでて思わず目が潤みました。哀しくて、でも素晴らしい作品でした。これだけ心に訴えかけてくる作品も東方二次ではそう多くはないでしょう。
因みに、ですが話の最後を地霊殿に繋げたのは、巧い、と思いました。次に地霊殿をやる時にはまた違った視点でプレイすることになりそうです(笑)
22.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしかったです
23.90コチドリ削除
そんじゃ手始めになんとなく思った事を無遠慮にだらだらと。

弓兵ちゃん誕生時のくだりにはもうちょっと筆を割いても良かったんじゃないかと思います。
それも人形の回想という形ではなく三人称的な視点で。
アリス、幽香、そしてレベルティターニアはどのような形でそこにかかわったのか? そこら辺を描いてくれればな、と。
物語の最後まで彼女達の立ち位置が、がっちりと定まっていなかった気がしたので。
特にティターニアは良いキャラをしていただけに惜しい気がするのです。

弓兵ちゃんが弓矢で的を外しまくるエピソード。
何らかの回収をして頂きたかった。タイトルにもかかっていますし、彼女の成長を端的に表せる良き題材だと思うのですが。
見えない矢は魔理沙のハートに皆中であった、的な解釈はしているんですけどね。

魔理沙と弓兵ちゃんの関係。
同性であり人間と人形である彼女達にはどのような決着が望ましいのか? 最終的な魔理沙の気持ちは? 弓兵ちゃんは?
落とし所は大変難しく、それを問うのは野暮なのかもしれず、読み手それぞれの解釈に委ねるのが吉ではあろうけども、
個人的にはもうちょい突っ込んだ描写が欲しかったところ。ぶっちゃけ中途半端な印象が拭えませんでした。


総括ともいえない総括的な何か。

だが好きだ、このお話。はっきり言ってこの手の作品に俺は弱いのだ。悔しいのう。
花束は供えん。俺の中で霧雨弓兵ちゃんは死んでなどいないのだから。
素敵な物語をありがとうございました。
24.90名前が無い程度の能力削除
いい作品でした
29.100名前が無い程度の能力削除
久々に泣いた
30.90名前が無い程度の能力削除
ありがとう弓兵、ありがとう。びば・ら・らさ。
人形話好きとしてこの上なくお腹を満たしていただけました!

以下、超個人的に気になったのですが…
弓兵ちゃんの日記、漢字等がしっかりしてきた辺りから文章が「日記」っぽくなくなり、小説的になり過ぎていた気がします。日記内で三点リーダや2バイダッシュを多用するのはいかにも一人称小説のようで、前半の無邪気な日記とちぐはぐに感じられてしまったのです。
内容が超絶可愛かったのでなにも問題ないんですが、クライマックスもクライマックスな場面でしたのでちょっと引っかかってしまいました。

しかし弓兵ちゃんが可愛いことは疑いなく、ティタニア姉さんがあったけぇことに何ら変わりはないッ!
ナイスグランギニョル、ありがとうございました!
31.80名前が無い程度の能力削除
面白かったし、一挙に読まされました。
でも、この元ネタの破壊力が破壊力なので、どんなネタでもある程度感動できてしまうんですよね。

なんで魔理沙は弓兵の調子がおかしくなったときにすぐにアリスのところに連れていかなかったのかな?
あと、せっかくキューピットってモチーフを使っているし、弓兵もアリスと魔理沙の仲の進展を望んでいるのに、
そこらへんはうっちゃったままなんですね。
あと、幽香と霖之助の果たした役割がいまいちわかりませんでした。
32.100名前が無い程度の能力削除
人間ものに外れはないですね。
魔理沙と弓兵が絆を深めていく過程も丁寧で、説得力のある物語でした。
35.80名前が無い程度の能力削除
アルジャーノンのオマージュですか
良い作品だとは思うのですが、人形の記憶が消える際に魔理沙はともかく他の登場人物がこんなに悲しむのは少々疑問に思いました。
37.80早苗月翡翠削除
まずはこの長編を書き上げた事にお疲れ様でしたの言葉を。
ところどころで感想はあるのですが。
みれば、コメント欄ですでに、コチドリさんが私以上に的確な視点で述べてくれているのですね。
なので、感想それ自体はシンプルに――面白かったです。良いお話でした。
40.40名前が無い程度の能力削除
色々中途半端という感想。
結局みんな何がしたかったのか伝わり辛い。
日記と人形の不調がでた瞬間に、後の展開が予想できてしまい、さめた。
そして暴力ふるってるんじゃないよとも思った。
魔法使いにしては頭わるいなあと。
お疲れ様でした。
43.100幻想に生きる程度の能力削除
読んでいて心が暖かくなりました。沢田さんに負けぬよう、私も頑張らねば…。
ありがとうございました(*´▽`*)
44.90名前が無い程度の能力削除
わかってても、ひらがなの日記はウルっときてしまう。
上の感想にもありますが、幽香と霖之助の関りが説明不足なのに、
関わって当然な書き方だったのが物語をわかりづらくしているのが残念なところ。
幽香さんなんて魔理沙の服脱がし要員でしかないような…w
ご主人の為のキューピット役のつもりが、
恋に落ちゃう弓下手な弓兵ちゃんが切なく愛しくなる作品でした。
48.70名前が無い程度の能力削除
どことなく中途半端だけど良かったと思う。
アルジャーノンを強く意識されたのでしょうか。
53.90名前が無い程度の能力削除
無機物系というか人形系に弱いのか涙腺に来た。
丁寧できちんと繋がる良い作品だと思う。
55.100名前が無い程度の能力削除
人形の成長と衰退ガ日記で表現されていて、切なくも優しい、いい作品だった。
久しぶりに文章で泣かせてもらいました。ありがとう。
56.100泣ける程度の能力削除
泣けた・・・すごく良い作品でした。
57.100名前が無い程度の能力削除
アルジャーノン・・・か
純粋に感動しました。また読みに来ます
59.100名前が無い程度の能力削除
アルジャーノンだと…!うぅガチ泣きしました!素晴らしいマリアリ?マリ弓兵?ありがとうございます!!