アリス・マーガトロイドは魔法使いだ。
魔法を極めてしまったから、妖怪と同じくらい長生きになってしまった。
だから彼女は、時間の使い方について、まともに考えたことはなかった。
全部の時間は自分の好きなこと、つまり人形作りに使えばいいと思っていた。
魔法使いだから、人と同じ暮らしをするなんてこと、これっぽっちも考えなかった。
毎日毎晩、魔法の森に建てた家で、人形を作っては過ごしていた。
「あんた、よく飽きないわねぇ。ところで宴会のメンツが足りないんだけど、来てくれない?」
ある夜、博麗の巫女が飛んできて、そう誘った。
けれどアリスは頑として、行かないと答えた。
おいしいお酒は好きだけれど、一人で飲めば十分である。
それより移動の時間が惜しい。
博麗神社まで行き帰りする時間があれば、どれだけ人形の制作が進むことか。
「あんたって、バカっていうか、頑固っていうか……いいわ。好きにしていなさい」
そう言って、博麗の巫女は飛んでいってしまった。
アリスの頭に後悔の文字は無かった。
博麗の巫女とは、戦うべき相手。
新作人形の試運転に付き合ってくれれば、酒など酌みかわさなくとも十分なのであった。
ところが霊夢が帰って半刻もたたないうちに、新たな来訪者がやってきた。
白黒の衣装に身を包んだ彼女は、確か名前を霧雨魔理沙。
まだまだ普通の魔法使いで、アリスのように長生きできるほど魔力は無い。
アリスは不機嫌を隠そうともせず、はっきりこう言った。
「何の用? 悪いけど、今いいところなの。帰ってちょうだい」
「おいおい、用件も聞かないうちから『帰れ』は無いだろ。ちょっとさ、頼みがあってきたんだよ」
「頼み? 何の?」
同業者が夜中に頼みごとをしにくるなど、尋常なことではない。
警戒するアリスの腕を、魔理沙はむんずと掴んだ。
「ちょ、ちょっと! 何するの!?」
「訳は向こうで話すぜ! とにかく一緒に来てくれ!」
そのまま、引きずられるように飛んで行き――
着いた先は博麗神社だった。
妖怪たちが集まって、一匹の子鬼を中心に、飲めや歌えの大騒ぎをしている。
「それで、用って何よ?」
アリスがきっと睨みつけると、魔理沙は悪びれもせず言い放った。
「それがな、みんな楽しそうに飲んでて、私が絡む相手がいないんだ。
悪いけど酒の肴になってもらうぜ」
「え、ちょっと……んぐっ!?」
抗議しようと開いた口に、どぶろく酒が突っ込まれる。
まあまあ、さぁもう一杯と、上手く口車に乗せられて――
気付いたときには、時間はもう翌朝になっていた。
アリスは博麗神社の石畳の上で、大の字になって寝ている自分を発見した。
「……なんてこと。すごく無駄な時間を過ごしたわ」
思わず、後悔の念が口を突いて出た。
すると魔理沙が隣へ来て、並んで座った。
「……何よ」
「無駄な時間なんかじゃないぜ。楽しかっただろう?」
「楽しくなんかないわ。私は人形を……」
「酒も人形作りの一環だぜ。お前、酒を飲む人形が作れるか?」
「作れない、けど――」
――それとこれとは話が違う。
そう言おうとした矢先、魔理沙はケラケラと笑って、
「だったら、この宴会、役にたったな。酒飲み人形の制作開始だ!」
と言いきった。
誰がそんな人形作るのよ……
アリスは半ば諦めの境地で、いつの間にか真上にまで昇ってきた太陽を眺めていた。
※ ※ ※
それからというもの、魔理沙は何くれとなく、アリスの家に訪れるようになった。
最初のうちこそ、人形関係の魔導書を珍しがって盗み出そうとしていたが、
「私には人形なんて細かいものつくれなかったぜ」
と言って以来、全く興味を示さなくなった。
それでも毎月・毎週やってくる魔理沙を見て、アリスは『何が楽しくてうちに来るんだろう?』と疑問に思っていた。
魔理沙は色々な話をしていった。
酒の話、恋の話、異変の話、今日会った妖怪の話、昨日の天狗新聞が楽しかった話、チルノと弾幕ごっこした話。
その一つ一つを、アリスは黙って聞いていた。
別段、意識して傾聴していたわけではない。もう返事をするのも面倒なので、適当に聞き流していたから、自然そういう形になったのだ。
それをどうとったのか知らないが、魔理沙は一方的に話を続けた。
秋が深まり、森の木々がその身を寒風に震わせ、やがて雪が積もっては溶け、新芽が芽吹いても魔理沙の来訪は続いた。
その頃になると、アリスのほうでも諦めの心が身に付き始めて、
「今日はどんな話をしにきたの?」
と聞いてやることすらあるようになった。
そのほうが早く帰ってくれると気付いたからだ。
すると魔理沙は決まって、図々しくも玄関口に座り込み、長話を始めるのだ。
「今日は紅魔館で、新しい魔導書が入ったって言うんでな……」
ふと、何かを言いかけてやめる魔理沙。
アリスは怪訝に思い、声をかける。
「どうしたの? 先を話しなさいよ、先を」
「なあ、それよりアリス……」
「何よ?」
「お茶とか出ないのか? 今日は暑いから喉が渇くぜ」
アリスは偶然持っていた魔導書を魔理沙の頭頂部に叩きつけた。
「痛てっ!」
「あんたね、常識ってもんがないの?」
「客に茶を出すのは常識じゃないのか?」
「招かれざる客が偉そうなこと言ってんじゃないわよ」
「客に違いは無いだろう? それとも茶葉を切らしているのか?」
「そんなわけないでしょ、わかったわよ……」
根負けしたアリスは、人形たちを操ってお茶を沸かさせ始めた。
後ろから、魔理沙が『ふむふむ』とのぞきこむ。
「魔力の糸で操作してるのか……」
「ふふ、あんたみたいな田舎の魔法使いにも理解できるかしらね?」
「いいや、私なら自分の手で淹れるぜ」
「でしょうね、パワー馬鹿」
「失礼なやつだな。パワーは頭脳に勝るんだぜ」
「そんなの聞いたことがないわよ、もう……」
アリスがブツブツ言ってる間にもお茶は沸き、二人きりのティータイムが始まる。
開きっぱなしの玄関からは、ゼラニュウムが赤い花をつけているのが見える。
そよかぜが杏の花の香りを運び、二人の金髪を静かに揺らしていった。
やがて桜が緑の葉を茂らせ、ハナミズキが白い花を咲かせるようになったある日、魔理沙はパッタリと来なくなった。
アリスはふつふつと湧き上がる衝動に、驚きと焦りを隠せなかった。
魔理沙はどうしてしまったのだろうと、そればかり気にしている自分に気付いたからである。
魔理沙に会いたい。あの長話が懐かしい。
そのためなら、お茶だって、魔導書だって、なんだって差し出していい。
(魔理沙が来ないということが、とても怖い)
それは、アリスが初めて孤独を恐れた瞬間であった。
心の中に芽生えた小さな棘は、でたらめな方向へ伸びてゆき、体中をチクチクと刺し穿った。
理性を保つために、彼女は自分に言い訳を始める。
(べつに、私はおかしくなんかないわ。
ただ、あの迷惑な監視者が死んだなら死んだで、はっきり知っておきたいだけよ。
不意打ちで押しかけてくるなんてごめんなんだからね!)
長い葛藤の末、アリスは初めて魔理沙の家に向かった。
魔理沙の長話の中で、大まかな場所は聞いていたが、正確な場所は聞いていなかったので、見つけるのに時間がかかった。
ようやく見つけたものの、家の中が無人なのは、開け放した窓からよく見えた。
「まったく、戸締りくらいしなさいよ……魔法使いたるもの自分の魔法は秘密にしなきゃ」
ブツブツと文句を言いながら、アリスは次に博麗神社へ向かった。
博麗の巫女は石畳を掃除していたが、アリスを見つけると箒を捨て、臨戦態勢を取った。
「何の用!?」
「べつに喧嘩しにきたわけじゃないわ。ただ、その……」
「その……なに?」
言いかけて、アリスはとてつもない恥ずかしさに襲われた。
――何を照れてる、私。ただ魔理沙の居場所を聞くだけじゃないか。
そう自分を奮い立たせるが、なかなか声は出てこない。
このとき、魔理沙はアリスにとって、初めての友人になろうとしていた。
しかし長い間孤独に慣れてしまっていたアリスは、それが恥ずかしいものに感じられ、何も言えなくなってしまったのだ。
「……ははぁ~ん」
うつむいたままモゴモゴ言い続けるアリスを見て、巫女はニヤリと笑った。
アリスは、巫女の視線が自分を小馬鹿にしたものに変化したのに気付き、慌てて怒鳴った。
「ちょっと! 何笑ってるのよ!?」
「いいえ~、べつに~。一匹狼のアリスさんにも、誰かに会いたいと思う日があるなんてねぇ」
巫女はそう告げると、思わせぶりに顔を覗き込んでくる。
図星をつかれたアリスは、どうしていいか分からず、パニックを起こした。
「だだだ誰かって誰よ? だいたい、一匹狼とか失礼な表現だわ! 私には群れる必要が無いのよ!」
「はいはい。それで、アリスちゃんに出来た初めてのお友達は誰なのかな~? ん~?」
「もう、知らないっ!」
子供のような捨て台詞を残して、アリスは博麗神社を後にした。
結局、次に行った紅魔館で、魔理沙の姿はあっさり見つかった。
彼女は図書館の中央に陣取り、我が物顔で書庫の中身を見聞していた。
埃の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、アリスは理不尽でやり場の無い怒りを感じていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
「あれ!? アリス、どうしたんだ、こんな所まで?」
「どうしたも……こうしたも……」
懐から和蘭人形を引っ張り出す。
「何でもないわよ、バカーッ!!!」
『ひーっ!?』
魔理沙と、居合わせたパチュリー、小悪魔の悲鳴が重なった。
アリスは図書館の中を滅茶苦茶にすると、自分の家へと飛び去ってしまった。
「……何あれ?」
「そりゃ私のセリフだぜ」
起きあがってきたパチュリーに、魔理沙が苦笑してみせる。
あの、と小悪魔が控えめに口を挟んできた。
「追いかけなくていいんですか?」
「追いかけるって? 誰を?」
「だって、アリスさんのためにって――」
なおも言い募ろうとして、小悪魔は思いとどまった。
そしてボロボロに荒れた図書館の中を片付け始めた。
※ ※ ※
それは、冷たい雨が降りしきる、梅雨どきのことだった。
いつものようにアリス宅を訪ねた魔理沙は、ドアが開きっぱなしなのに気付いた。
ノックしてみるが返事はない。
そっと覗いてみると、かわいらしいイビキがリビングのほうから聞こえてきた。
アリスは疲れて眠っていた。
手元には何十体という人形が、仕上げ寸前の段階で吊るされたままになっている。
おそらく我を忘れて仕事に打ち込み、徹夜するうちに眠ってしまったのだろう。
「まったく、普段は先輩風を吹かせるくせに、変なところで抜けてるんだからなぁ」
魔理沙は土産にと持参した魔導書を机に置くと、音を立てないように、アリスの眠るソファの傍らに跪いた。
アリスの柔らかな胸が規則正しく上下している。
金髪の髪と長いまつ毛は、窓から差し込む鈍い光にすら照らし透かされて、儚げな印象を醸し出している。
魔理沙はアリスのそばに顔を寄せた。彼女の顔が間近に見える。
柔らかで赤みがかった頬も、その表面にわずかに生えたうぶ毛も、開いたままの唇も、何もかも――
魔理沙はそっと顔を近づけると、アリスの頬に優しい接吻をした。
「……はっ!?」
その途端、アリスは人間の足音を聞きつけた野良ネコのように飛び起きた。
ずさっと音を立てる程の勢いで、魔理沙から体を遠ざける。
魔理沙が苦笑した。
「よ、よお。起しちまったかな、ハハ……」
アリスは気付いただろうか。
その苦笑には、幾分かの後悔と、もう後には引けないという強い決意が混じっていたことに。
「……何をしたの? 玄関の鍵はどうしたの?」
冷たい声でアリスは問うた。
魔理沙は、途端に青ざめ、あたふたと次の言葉を探し始める。
「何って、そりゃ……キスだぜ。玄関なら開いてた。
まったく、来たのが私だったからいいけど、もしこれが泥棒だったら――」
「誤魔化さないで! 私に何をしたのか、と聞いたのよ!」
アリスは顔を真っ赤にして、魔理沙を詰問した。
魔理沙はたじたじになりながら、それでも何とかおどけてみせようとしたが、
「……キス、した」
観念したように、うなだれた。
「どうしてキスしたの?」
「……」
「答えて」
「わかってるだろ!」
魔理沙は勢い良く顔を上げると、思いのたけをぶちまけた。
「私はアリスが好きなんだ。お茶も飲みたいし、話もしたい。
久々に来たら玄関が開いてて、油断しきって寝てるアリスを見ていたら悪戯心が湧きあがってきて、嬉しくなって……それで……」
「それでキスしたの?」
アリスは自分の中で何かが冷えてゆくのを感じていた。
魔理沙のことは常々、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、こうなると呆れて物も言えなかった。
「な、いいだろ? お前だって図書館へ、私のこと探しにきてくれたじゃないか。
私のこと、嫌いじゃないんだろ?」
「出て行って」
「!」
彼女は死刑を宣告する裁判官のように、厳かに告げた。
魔理沙の体がビクンと震えた。
今頃になって、アリスは(ああ、この子はこんなにも小さな体をしていたのか)と思った。
「出て行って。さあ」
「アリス……!」
じれったくなったアリスは実力行使に出た。
人形たちに魔理沙の肩を掴ませると、力づくで家から追い出しにかかったのだ。
「アリス、待ってくれ! 私は本気なんだ、本気でお前のことが……」
「なお悪い!」
ピシャン、とドアを閉める。
しばらくの間、ドンドンとドアを叩き続ける音が聞こえていたが、やがて力尽きたのか静かになった。
アリスは改めて眠ることにした。
せっかくとれかかっていた疲労が、何倍にもなってのしかかってきたようだった。
それからも魔理沙の来訪は続いた。
しかし、そのいずれをもアリスは決然とした態度で断り続けた。
最後には泣きだした魔理沙に向かって、アリスは子供をあやすような声でこう言った。
「あなたの気持ちは嬉しい。でもね、私はレズビアンじゃないの。
あなたの想いには応えられない。それだけのことなのに、どうしたら理解してくれるの?」
それを聞くと、魔理沙はぐっと涙をぬぐい、さよならと告げて飛び去って行った。
※ ※ ※
それからというもの、アリスは後悔と自己肯定の狭間で苦しむことになった。
魔理沙が来なくなってからというもの、前ほど人形作りにのめり込めない自分を発見してしまったのだ。
魔理沙。
魔理沙に会いたい。
あの生意気で、背が低くて、そのくせ雑学だけは豊富に知っている、かわいげの無いブロンドにもう一回会いたい。
それが寂しさだとは分かりたくなくて、認めたくなくて、彼女は悶々とした夜を過ごした。
けれど魔理沙の想いには応えられない。
女同士で恋愛なんて、己の倫理観に反する。
それを伝えた上で、何とか上手く魔理沙とやっていく方法を、考えなかったわけではない。
しかし無理だった。
この半年あまりで魔理沙の性格は熟知していた。
言い出したら後には引かないことも、欲しいものは手に入れたがる独占欲も、何もかも。
それらを上手く処理させて、彼女と上手くつきあっていく方法が、どうにも思いつかない。
でも、寂しい。
自分の中の矛盾した、わがままとしか呼べない感情をもてあましたまま、季節は盛夏へと巡って行った。
ある日、アリスは決意して博麗神社へと飛び立った。
魔理沙の顔を、遠くから眺めたいと思ったのだ。
魔理沙の家に行っても良かったが、それでは見つかったときに気まずくなってしまう。
双方にとってのブレーキ役となる第三者に居て欲しかった。
「あら、今日は何の用?」
博麗の巫女は、のんびりとお茶を啜っていた。
膝の上には何かをこぼしたような水の跡がある。
「お茶でもこぼしたの? おっちょこちょいねえ」
「うん? ううん、まぁねえ」
巫女は苦笑すると、再度用件を訪ねてきた。
魔理沙が居ないかと尋ねると、今日は来ていない、という答えが返ってきた。
「むしろ、しばらく会えないと思うわよ」
「なんで?」
「今に分かるわよ」
巫女は、さあ行った行ったと手をふった。
アリスのほうでも、もう話すことは無いと感じたので、深く追求しなかった。
アリスは次に紅魔館へ向かった。
途中、霧の湖で河童の少女とすれ違った。名前は、たしか「にとり」だったろうか。
「こんなところで何してるの?」
「ひゃっ!? いけない、光学迷彩を切ったままだったよ!」
にとりは慌てて服の各箇所にあるスイッチを入れ始めた。
その姿が次第に消えてゆく。
「待って! あなた、魔理沙を見なかった?」
「魔理沙? 魔理沙なら紅魔館にいるけど、どうして?」
律儀に答えてくれる、にとり。
アリスは複雑な想いが詰まった溜息を吐いて、ありがとう、と礼を述べた。
しばらく飛ぶと紅魔館が見えてきた。
門番の姿が見えないのを確認して、アリスは館の中へと無断侵入をした。
「あら、何の用?」
図書館の中央には、パチュリーが座ってお茶を飲んでいた。
その膝元には、何かこぼしたのか、水のシミがある。
「よくお茶をこぼす日ねぇ」
「? 何の話?」
「何でもないわよ。それより、魔理沙を見なかった?」
するとパチュリーは、深い深い溜息をついた。
「居たわよ、ついさっきまで。私と作戦会議をしていたの」
「作戦会議? どういうこと?」
「地底に行くのよ。霊夢が教えてくれなかった?」
パチュリーが言うには、地底から怨霊が湧いて出るようになったらしい。
その異変を解決するために、八雲紫をはじめ、そうそうたるメンツが集まったのだそうだ。
「そう……なの……」
「紫の話では、貴女に魔理沙のサポートを依頼しようかってことだったんだけど、何も聞いてない?」
「いいえ、何も」
「そう……まあいいわ。あとは私がやる」
そう呟いたパチュリーの手には、小さな陰陽玉が握られていた。
彼女の手の中から、元気そうな声が聞こえてくる。
『なんだパチュリー? 誰かそこにいるのか!?』
刹那、アリスは心臓を絞りあげられるような想いに包まれた。
魔理沙だ――!
今、この陰陽玉を通して魔理沙と声が繋がっている。
何か言ってあげたかった。
どうして自分に何も言ってくれなかったのか。
異変解決をきっかけに、友人として協力が欲しいと言ってくれれば、断れない材料が出来たのに。
そんな単純な駆け引きも出来ないなんて、どうして、こうもまっすぐなのか――
(でも、そんなことを言えば魔理沙の決意を鈍らせることになる)
頭の片隅で冷静に囁く自分が居た。
なぜ博麗の巫女といい、パチュリーといい、膝が水で濡れていたのか。
魔理沙が泣いてすがったからだろう。
辛いと。
失恋の悲しさを、いつまで経っても振りきれないと。
救いを求めてしがみつき、滝のような涙を流したからだろう。
それでも異変解決に向かったというのなら、魔理沙は今、この失恋を乗り越えようとしている。
邪魔してはいけない。
むしろ傷ついているのは自分だ。
今気付いた。
初めて出来た友人を失いたくないから、だから後を追いまわして――
恋愛抜きの付き合いができないかと、みみっちい打算を並べてみせて――!
「パワーは頭脳に勝る、か」
「え?」
「ううん、何でもない。魔理沙のサポート、しっかりしてあげて」
アリスはそう告げて、紅魔館を後にした。
外は薄暮に覆われつつあった。
もうじき日が暮れる。一日が終わるたび、一つの世界が終わって、翌朝には世界は生まれ変わる。
そんなことを言ったのは、一体誰だったか。
不意に強烈な光が差し、アリスは右手で目を覆った。
光の方向をすかして見やると、地の底から光の奔流が溢れだし、天へとまっすぐな柱となって昇っていくところだった。
きっと、あそこで魔理沙が戦っている。
パチュリーの支援を得て、いつも通りパワー全開の弾幕で、群がる敵を蹴散らして。
自分なら、何と言って彼女を支援しただろう?
もっと頭脳を使いなさいとか、身代わり人形を渡したりとか、上海を同行させたりとかしたのだろうか?
わからない。
今となっては、その機会は永久に失われてしまった。
「いいのよ、魔理沙――行きなさい。まっすぐに」
アリスは光の輝くほうへ向かって呟いた。
ありがとう、私の初めての友達。
頬を伝う涙は、やけに熱く、この想いを冷やしてはくれないようだった。
さようなら、私の初めての友達。
空にはまばゆい一番星が輝き始めていた。
帰ったら何をしよう。
アリスは漠然と考えた。
『お前、酒を飲む人形が作れるか?』
「あ……」
不意に、魔理沙との会話が思い出された。
酒飲み人形。作ってみるのも面白いかも知れない。
私の相手になって、いくらでも酒を飲んでくれる人形。
今は無性に、そんな相手が欲しかった。
(了)
魔法を極めてしまったから、妖怪と同じくらい長生きになってしまった。
だから彼女は、時間の使い方について、まともに考えたことはなかった。
全部の時間は自分の好きなこと、つまり人形作りに使えばいいと思っていた。
魔法使いだから、人と同じ暮らしをするなんてこと、これっぽっちも考えなかった。
毎日毎晩、魔法の森に建てた家で、人形を作っては過ごしていた。
「あんた、よく飽きないわねぇ。ところで宴会のメンツが足りないんだけど、来てくれない?」
ある夜、博麗の巫女が飛んできて、そう誘った。
けれどアリスは頑として、行かないと答えた。
おいしいお酒は好きだけれど、一人で飲めば十分である。
それより移動の時間が惜しい。
博麗神社まで行き帰りする時間があれば、どれだけ人形の制作が進むことか。
「あんたって、バカっていうか、頑固っていうか……いいわ。好きにしていなさい」
そう言って、博麗の巫女は飛んでいってしまった。
アリスの頭に後悔の文字は無かった。
博麗の巫女とは、戦うべき相手。
新作人形の試運転に付き合ってくれれば、酒など酌みかわさなくとも十分なのであった。
ところが霊夢が帰って半刻もたたないうちに、新たな来訪者がやってきた。
白黒の衣装に身を包んだ彼女は、確か名前を霧雨魔理沙。
まだまだ普通の魔法使いで、アリスのように長生きできるほど魔力は無い。
アリスは不機嫌を隠そうともせず、はっきりこう言った。
「何の用? 悪いけど、今いいところなの。帰ってちょうだい」
「おいおい、用件も聞かないうちから『帰れ』は無いだろ。ちょっとさ、頼みがあってきたんだよ」
「頼み? 何の?」
同業者が夜中に頼みごとをしにくるなど、尋常なことではない。
警戒するアリスの腕を、魔理沙はむんずと掴んだ。
「ちょ、ちょっと! 何するの!?」
「訳は向こうで話すぜ! とにかく一緒に来てくれ!」
そのまま、引きずられるように飛んで行き――
着いた先は博麗神社だった。
妖怪たちが集まって、一匹の子鬼を中心に、飲めや歌えの大騒ぎをしている。
「それで、用って何よ?」
アリスがきっと睨みつけると、魔理沙は悪びれもせず言い放った。
「それがな、みんな楽しそうに飲んでて、私が絡む相手がいないんだ。
悪いけど酒の肴になってもらうぜ」
「え、ちょっと……んぐっ!?」
抗議しようと開いた口に、どぶろく酒が突っ込まれる。
まあまあ、さぁもう一杯と、上手く口車に乗せられて――
気付いたときには、時間はもう翌朝になっていた。
アリスは博麗神社の石畳の上で、大の字になって寝ている自分を発見した。
「……なんてこと。すごく無駄な時間を過ごしたわ」
思わず、後悔の念が口を突いて出た。
すると魔理沙が隣へ来て、並んで座った。
「……何よ」
「無駄な時間なんかじゃないぜ。楽しかっただろう?」
「楽しくなんかないわ。私は人形を……」
「酒も人形作りの一環だぜ。お前、酒を飲む人形が作れるか?」
「作れない、けど――」
――それとこれとは話が違う。
そう言おうとした矢先、魔理沙はケラケラと笑って、
「だったら、この宴会、役にたったな。酒飲み人形の制作開始だ!」
と言いきった。
誰がそんな人形作るのよ……
アリスは半ば諦めの境地で、いつの間にか真上にまで昇ってきた太陽を眺めていた。
※ ※ ※
それからというもの、魔理沙は何くれとなく、アリスの家に訪れるようになった。
最初のうちこそ、人形関係の魔導書を珍しがって盗み出そうとしていたが、
「私には人形なんて細かいものつくれなかったぜ」
と言って以来、全く興味を示さなくなった。
それでも毎月・毎週やってくる魔理沙を見て、アリスは『何が楽しくてうちに来るんだろう?』と疑問に思っていた。
魔理沙は色々な話をしていった。
酒の話、恋の話、異変の話、今日会った妖怪の話、昨日の天狗新聞が楽しかった話、チルノと弾幕ごっこした話。
その一つ一つを、アリスは黙って聞いていた。
別段、意識して傾聴していたわけではない。もう返事をするのも面倒なので、適当に聞き流していたから、自然そういう形になったのだ。
それをどうとったのか知らないが、魔理沙は一方的に話を続けた。
秋が深まり、森の木々がその身を寒風に震わせ、やがて雪が積もっては溶け、新芽が芽吹いても魔理沙の来訪は続いた。
その頃になると、アリスのほうでも諦めの心が身に付き始めて、
「今日はどんな話をしにきたの?」
と聞いてやることすらあるようになった。
そのほうが早く帰ってくれると気付いたからだ。
すると魔理沙は決まって、図々しくも玄関口に座り込み、長話を始めるのだ。
「今日は紅魔館で、新しい魔導書が入ったって言うんでな……」
ふと、何かを言いかけてやめる魔理沙。
アリスは怪訝に思い、声をかける。
「どうしたの? 先を話しなさいよ、先を」
「なあ、それよりアリス……」
「何よ?」
「お茶とか出ないのか? 今日は暑いから喉が渇くぜ」
アリスは偶然持っていた魔導書を魔理沙の頭頂部に叩きつけた。
「痛てっ!」
「あんたね、常識ってもんがないの?」
「客に茶を出すのは常識じゃないのか?」
「招かれざる客が偉そうなこと言ってんじゃないわよ」
「客に違いは無いだろう? それとも茶葉を切らしているのか?」
「そんなわけないでしょ、わかったわよ……」
根負けしたアリスは、人形たちを操ってお茶を沸かさせ始めた。
後ろから、魔理沙が『ふむふむ』とのぞきこむ。
「魔力の糸で操作してるのか……」
「ふふ、あんたみたいな田舎の魔法使いにも理解できるかしらね?」
「いいや、私なら自分の手で淹れるぜ」
「でしょうね、パワー馬鹿」
「失礼なやつだな。パワーは頭脳に勝るんだぜ」
「そんなの聞いたことがないわよ、もう……」
アリスがブツブツ言ってる間にもお茶は沸き、二人きりのティータイムが始まる。
開きっぱなしの玄関からは、ゼラニュウムが赤い花をつけているのが見える。
そよかぜが杏の花の香りを運び、二人の金髪を静かに揺らしていった。
やがて桜が緑の葉を茂らせ、ハナミズキが白い花を咲かせるようになったある日、魔理沙はパッタリと来なくなった。
アリスはふつふつと湧き上がる衝動に、驚きと焦りを隠せなかった。
魔理沙はどうしてしまったのだろうと、そればかり気にしている自分に気付いたからである。
魔理沙に会いたい。あの長話が懐かしい。
そのためなら、お茶だって、魔導書だって、なんだって差し出していい。
(魔理沙が来ないということが、とても怖い)
それは、アリスが初めて孤独を恐れた瞬間であった。
心の中に芽生えた小さな棘は、でたらめな方向へ伸びてゆき、体中をチクチクと刺し穿った。
理性を保つために、彼女は自分に言い訳を始める。
(べつに、私はおかしくなんかないわ。
ただ、あの迷惑な監視者が死んだなら死んだで、はっきり知っておきたいだけよ。
不意打ちで押しかけてくるなんてごめんなんだからね!)
長い葛藤の末、アリスは初めて魔理沙の家に向かった。
魔理沙の長話の中で、大まかな場所は聞いていたが、正確な場所は聞いていなかったので、見つけるのに時間がかかった。
ようやく見つけたものの、家の中が無人なのは、開け放した窓からよく見えた。
「まったく、戸締りくらいしなさいよ……魔法使いたるもの自分の魔法は秘密にしなきゃ」
ブツブツと文句を言いながら、アリスは次に博麗神社へ向かった。
博麗の巫女は石畳を掃除していたが、アリスを見つけると箒を捨て、臨戦態勢を取った。
「何の用!?」
「べつに喧嘩しにきたわけじゃないわ。ただ、その……」
「その……なに?」
言いかけて、アリスはとてつもない恥ずかしさに襲われた。
――何を照れてる、私。ただ魔理沙の居場所を聞くだけじゃないか。
そう自分を奮い立たせるが、なかなか声は出てこない。
このとき、魔理沙はアリスにとって、初めての友人になろうとしていた。
しかし長い間孤独に慣れてしまっていたアリスは、それが恥ずかしいものに感じられ、何も言えなくなってしまったのだ。
「……ははぁ~ん」
うつむいたままモゴモゴ言い続けるアリスを見て、巫女はニヤリと笑った。
アリスは、巫女の視線が自分を小馬鹿にしたものに変化したのに気付き、慌てて怒鳴った。
「ちょっと! 何笑ってるのよ!?」
「いいえ~、べつに~。一匹狼のアリスさんにも、誰かに会いたいと思う日があるなんてねぇ」
巫女はそう告げると、思わせぶりに顔を覗き込んでくる。
図星をつかれたアリスは、どうしていいか分からず、パニックを起こした。
「だだだ誰かって誰よ? だいたい、一匹狼とか失礼な表現だわ! 私には群れる必要が無いのよ!」
「はいはい。それで、アリスちゃんに出来た初めてのお友達は誰なのかな~? ん~?」
「もう、知らないっ!」
子供のような捨て台詞を残して、アリスは博麗神社を後にした。
結局、次に行った紅魔館で、魔理沙の姿はあっさり見つかった。
彼女は図書館の中央に陣取り、我が物顔で書庫の中身を見聞していた。
埃の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、アリスは理不尽でやり場の無い怒りを感じていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
「あれ!? アリス、どうしたんだ、こんな所まで?」
「どうしたも……こうしたも……」
懐から和蘭人形を引っ張り出す。
「何でもないわよ、バカーッ!!!」
『ひーっ!?』
魔理沙と、居合わせたパチュリー、小悪魔の悲鳴が重なった。
アリスは図書館の中を滅茶苦茶にすると、自分の家へと飛び去ってしまった。
「……何あれ?」
「そりゃ私のセリフだぜ」
起きあがってきたパチュリーに、魔理沙が苦笑してみせる。
あの、と小悪魔が控えめに口を挟んできた。
「追いかけなくていいんですか?」
「追いかけるって? 誰を?」
「だって、アリスさんのためにって――」
なおも言い募ろうとして、小悪魔は思いとどまった。
そしてボロボロに荒れた図書館の中を片付け始めた。
※ ※ ※
それは、冷たい雨が降りしきる、梅雨どきのことだった。
いつものようにアリス宅を訪ねた魔理沙は、ドアが開きっぱなしなのに気付いた。
ノックしてみるが返事はない。
そっと覗いてみると、かわいらしいイビキがリビングのほうから聞こえてきた。
アリスは疲れて眠っていた。
手元には何十体という人形が、仕上げ寸前の段階で吊るされたままになっている。
おそらく我を忘れて仕事に打ち込み、徹夜するうちに眠ってしまったのだろう。
「まったく、普段は先輩風を吹かせるくせに、変なところで抜けてるんだからなぁ」
魔理沙は土産にと持参した魔導書を机に置くと、音を立てないように、アリスの眠るソファの傍らに跪いた。
アリスの柔らかな胸が規則正しく上下している。
金髪の髪と長いまつ毛は、窓から差し込む鈍い光にすら照らし透かされて、儚げな印象を醸し出している。
魔理沙はアリスのそばに顔を寄せた。彼女の顔が間近に見える。
柔らかで赤みがかった頬も、その表面にわずかに生えたうぶ毛も、開いたままの唇も、何もかも――
魔理沙はそっと顔を近づけると、アリスの頬に優しい接吻をした。
「……はっ!?」
その途端、アリスは人間の足音を聞きつけた野良ネコのように飛び起きた。
ずさっと音を立てる程の勢いで、魔理沙から体を遠ざける。
魔理沙が苦笑した。
「よ、よお。起しちまったかな、ハハ……」
アリスは気付いただろうか。
その苦笑には、幾分かの後悔と、もう後には引けないという強い決意が混じっていたことに。
「……何をしたの? 玄関の鍵はどうしたの?」
冷たい声でアリスは問うた。
魔理沙は、途端に青ざめ、あたふたと次の言葉を探し始める。
「何って、そりゃ……キスだぜ。玄関なら開いてた。
まったく、来たのが私だったからいいけど、もしこれが泥棒だったら――」
「誤魔化さないで! 私に何をしたのか、と聞いたのよ!」
アリスは顔を真っ赤にして、魔理沙を詰問した。
魔理沙はたじたじになりながら、それでも何とかおどけてみせようとしたが、
「……キス、した」
観念したように、うなだれた。
「どうしてキスしたの?」
「……」
「答えて」
「わかってるだろ!」
魔理沙は勢い良く顔を上げると、思いのたけをぶちまけた。
「私はアリスが好きなんだ。お茶も飲みたいし、話もしたい。
久々に来たら玄関が開いてて、油断しきって寝てるアリスを見ていたら悪戯心が湧きあがってきて、嬉しくなって……それで……」
「それでキスしたの?」
アリスは自分の中で何かが冷えてゆくのを感じていた。
魔理沙のことは常々、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、こうなると呆れて物も言えなかった。
「な、いいだろ? お前だって図書館へ、私のこと探しにきてくれたじゃないか。
私のこと、嫌いじゃないんだろ?」
「出て行って」
「!」
彼女は死刑を宣告する裁判官のように、厳かに告げた。
魔理沙の体がビクンと震えた。
今頃になって、アリスは(ああ、この子はこんなにも小さな体をしていたのか)と思った。
「出て行って。さあ」
「アリス……!」
じれったくなったアリスは実力行使に出た。
人形たちに魔理沙の肩を掴ませると、力づくで家から追い出しにかかったのだ。
「アリス、待ってくれ! 私は本気なんだ、本気でお前のことが……」
「なお悪い!」
ピシャン、とドアを閉める。
しばらくの間、ドンドンとドアを叩き続ける音が聞こえていたが、やがて力尽きたのか静かになった。
アリスは改めて眠ることにした。
せっかくとれかかっていた疲労が、何倍にもなってのしかかってきたようだった。
それからも魔理沙の来訪は続いた。
しかし、そのいずれをもアリスは決然とした態度で断り続けた。
最後には泣きだした魔理沙に向かって、アリスは子供をあやすような声でこう言った。
「あなたの気持ちは嬉しい。でもね、私はレズビアンじゃないの。
あなたの想いには応えられない。それだけのことなのに、どうしたら理解してくれるの?」
それを聞くと、魔理沙はぐっと涙をぬぐい、さよならと告げて飛び去って行った。
※ ※ ※
それからというもの、アリスは後悔と自己肯定の狭間で苦しむことになった。
魔理沙が来なくなってからというもの、前ほど人形作りにのめり込めない自分を発見してしまったのだ。
魔理沙。
魔理沙に会いたい。
あの生意気で、背が低くて、そのくせ雑学だけは豊富に知っている、かわいげの無いブロンドにもう一回会いたい。
それが寂しさだとは分かりたくなくて、認めたくなくて、彼女は悶々とした夜を過ごした。
けれど魔理沙の想いには応えられない。
女同士で恋愛なんて、己の倫理観に反する。
それを伝えた上で、何とか上手く魔理沙とやっていく方法を、考えなかったわけではない。
しかし無理だった。
この半年あまりで魔理沙の性格は熟知していた。
言い出したら後には引かないことも、欲しいものは手に入れたがる独占欲も、何もかも。
それらを上手く処理させて、彼女と上手くつきあっていく方法が、どうにも思いつかない。
でも、寂しい。
自分の中の矛盾した、わがままとしか呼べない感情をもてあましたまま、季節は盛夏へと巡って行った。
ある日、アリスは決意して博麗神社へと飛び立った。
魔理沙の顔を、遠くから眺めたいと思ったのだ。
魔理沙の家に行っても良かったが、それでは見つかったときに気まずくなってしまう。
双方にとってのブレーキ役となる第三者に居て欲しかった。
「あら、今日は何の用?」
博麗の巫女は、のんびりとお茶を啜っていた。
膝の上には何かをこぼしたような水の跡がある。
「お茶でもこぼしたの? おっちょこちょいねえ」
「うん? ううん、まぁねえ」
巫女は苦笑すると、再度用件を訪ねてきた。
魔理沙が居ないかと尋ねると、今日は来ていない、という答えが返ってきた。
「むしろ、しばらく会えないと思うわよ」
「なんで?」
「今に分かるわよ」
巫女は、さあ行った行ったと手をふった。
アリスのほうでも、もう話すことは無いと感じたので、深く追求しなかった。
アリスは次に紅魔館へ向かった。
途中、霧の湖で河童の少女とすれ違った。名前は、たしか「にとり」だったろうか。
「こんなところで何してるの?」
「ひゃっ!? いけない、光学迷彩を切ったままだったよ!」
にとりは慌てて服の各箇所にあるスイッチを入れ始めた。
その姿が次第に消えてゆく。
「待って! あなた、魔理沙を見なかった?」
「魔理沙? 魔理沙なら紅魔館にいるけど、どうして?」
律儀に答えてくれる、にとり。
アリスは複雑な想いが詰まった溜息を吐いて、ありがとう、と礼を述べた。
しばらく飛ぶと紅魔館が見えてきた。
門番の姿が見えないのを確認して、アリスは館の中へと無断侵入をした。
「あら、何の用?」
図書館の中央には、パチュリーが座ってお茶を飲んでいた。
その膝元には、何かこぼしたのか、水のシミがある。
「よくお茶をこぼす日ねぇ」
「? 何の話?」
「何でもないわよ。それより、魔理沙を見なかった?」
するとパチュリーは、深い深い溜息をついた。
「居たわよ、ついさっきまで。私と作戦会議をしていたの」
「作戦会議? どういうこと?」
「地底に行くのよ。霊夢が教えてくれなかった?」
パチュリーが言うには、地底から怨霊が湧いて出るようになったらしい。
その異変を解決するために、八雲紫をはじめ、そうそうたるメンツが集まったのだそうだ。
「そう……なの……」
「紫の話では、貴女に魔理沙のサポートを依頼しようかってことだったんだけど、何も聞いてない?」
「いいえ、何も」
「そう……まあいいわ。あとは私がやる」
そう呟いたパチュリーの手には、小さな陰陽玉が握られていた。
彼女の手の中から、元気そうな声が聞こえてくる。
『なんだパチュリー? 誰かそこにいるのか!?』
刹那、アリスは心臓を絞りあげられるような想いに包まれた。
魔理沙だ――!
今、この陰陽玉を通して魔理沙と声が繋がっている。
何か言ってあげたかった。
どうして自分に何も言ってくれなかったのか。
異変解決をきっかけに、友人として協力が欲しいと言ってくれれば、断れない材料が出来たのに。
そんな単純な駆け引きも出来ないなんて、どうして、こうもまっすぐなのか――
(でも、そんなことを言えば魔理沙の決意を鈍らせることになる)
頭の片隅で冷静に囁く自分が居た。
なぜ博麗の巫女といい、パチュリーといい、膝が水で濡れていたのか。
魔理沙が泣いてすがったからだろう。
辛いと。
失恋の悲しさを、いつまで経っても振りきれないと。
救いを求めてしがみつき、滝のような涙を流したからだろう。
それでも異変解決に向かったというのなら、魔理沙は今、この失恋を乗り越えようとしている。
邪魔してはいけない。
むしろ傷ついているのは自分だ。
今気付いた。
初めて出来た友人を失いたくないから、だから後を追いまわして――
恋愛抜きの付き合いができないかと、みみっちい打算を並べてみせて――!
「パワーは頭脳に勝る、か」
「え?」
「ううん、何でもない。魔理沙のサポート、しっかりしてあげて」
アリスはそう告げて、紅魔館を後にした。
外は薄暮に覆われつつあった。
もうじき日が暮れる。一日が終わるたび、一つの世界が終わって、翌朝には世界は生まれ変わる。
そんなことを言ったのは、一体誰だったか。
不意に強烈な光が差し、アリスは右手で目を覆った。
光の方向をすかして見やると、地の底から光の奔流が溢れだし、天へとまっすぐな柱となって昇っていくところだった。
きっと、あそこで魔理沙が戦っている。
パチュリーの支援を得て、いつも通りパワー全開の弾幕で、群がる敵を蹴散らして。
自分なら、何と言って彼女を支援しただろう?
もっと頭脳を使いなさいとか、身代わり人形を渡したりとか、上海を同行させたりとかしたのだろうか?
わからない。
今となっては、その機会は永久に失われてしまった。
「いいのよ、魔理沙――行きなさい。まっすぐに」
アリスは光の輝くほうへ向かって呟いた。
ありがとう、私の初めての友達。
頬を伝う涙は、やけに熱く、この想いを冷やしてはくれないようだった。
さようなら、私の初めての友達。
空にはまばゆい一番星が輝き始めていた。
帰ったら何をしよう。
アリスは漠然と考えた。
『お前、酒を飲む人形が作れるか?』
「あ……」
不意に、魔理沙との会話が思い出された。
酒飲み人形。作ってみるのも面白いかも知れない。
私の相手になって、いくらでも酒を飲んでくれる人形。
今は無性に、そんな相手が欲しかった。
(了)
あくまで自分の中で、ですが非常に行動が魔理沙らしく、アリスらしかったと思います。
あと野暮ったいですがアリスは魔理沙の事を「友達」と表現していましたが……
ひょっとして失恋したのは魔理沙だけではなかったり……とか思ってみたりw
それはともかく良い作品でした。GJです!
失恋して涙を流す女の子に心踊る私は、やはり嫌な性格なのかなぁ……
普通に気持ちを表そうとすると何とも言えない…なんかつっかかってる感じです
こんなマリアリも大好きです。胸が締め付けられるような、そんな胸キュンですね。