『宵闇白黒』、『宵闇生活』、『宵闇時間』とリンクした話です。
「1冊目『火と風の合成魔法』、2冊目『土と水の合成魔法』、3冊目『火と土の合成魔法』…」
紅魔の図書館の主、パチュリーは目の前の机の上に積み上げられた本の数を数えつつ、そのタイトルを読みあげていた。
「…8冊目『マジックアイテム生成』、9冊目『色彩魔法学』、10冊目『魔法造形学』、これで全部ね。小悪魔、問題は無い?」
積み上げられた本を数え終わり、横に控えていた小悪魔の方を向く。
小悪魔は、手にした書類に何か書きこみをしながら答えた。
「はい、すべて揃いました」
その言葉を聞き、ふう、と一息ついたパチュリーは、今度は机越しに立っている人物の方を向いた。
「確かに、これで全部返してもらったわ、魔理沙」
「よし、これでお前からの借りは全部返したわけだ」
パチュリーの言葉に、笑顔をこぼしながら軽くガッツポーズする魔理沙。そんな魔理沙を見て、パチュリーはくすっと笑う。
「それにしても、貴女も老けたわね…」
ボソッと聞こえてきたその言葉に、魔理沙はむっとした表情をする。
「おいおい、レディーに向かって老けたはないだろう」
「だって本当のことじゃない。まあ60年も経てばしょうがないか…」
種族・魔法使いであるパチュリーの体が衰えるのは人間のそれに比べてかなりゆっくりだ。60年経ったとて、大して老いることはない。
しかし、魔法を使える「人間」である魔理沙にとって、その60年は非常に長い。老いるには十分すぎるくらいだ。白黒衣装に長い金髪は変わらないが、肌にはしわが増え、少しやつれたような感がある。
そんな魔理沙に、パチュリーにはどうしても分からない疑問が浮かぶ。
「で、どうして魔法使いにならなかったの?貴女ならなれないことはなかったでしょうに」
魔法を使える人間は、捨食の法を会得し後発的に種族・魔法使いへと変わることができる。
無論半端者の魔法使いにはできないが、魔理沙にはできる筈だとパチュリーは確信していた。パチュリーから見ても、魔理沙は強力な魔法使いだからだ。だがしかし、魔理沙はそれを選択しなかった。
できる筈なのにしなかったのには、何か理由がある筈。パチュリーにはそれが気になってしょうがなかった。
そしてもう一つ、パチュリーがこのことを不思議に思うのにはわけがあった。
「それに、あの子…ルーミアともっと長く一緒にいられるでしょうに…」
宵闇の妖怪ルーミア。魔理沙に懐き、今までずっと魔理沙と一緒に暮らしてきた、魔理沙の妹分。
妖怪であるため、パチュリー同様60年でそれほど成長はしていない。成長したと言えば、若干背が伸びたことくらいか。
ともあれ、種族・魔法使いにならず人間のままでいる魔理沙がルーミアよりずっと先に逝ってしまうだろうということは、火を見るより明らかなのだ。
パチュリーの問を黙って聞いていた魔理沙は、ゆっくりとしわの増えた口元を動かした。
「それはな――――」
「わたしはまだ寄るところがあるから、それじゃ」
話し終わったかと思ったら、ビッと指をたて、箒にまたがり魔理沙は行ってしまった。
呆気にとられたパチュリーと、その横に控える小悪魔を残して。
二人ともしばらくぼーっとして、漸くパチュリーが口を開いたのは数分経ってからだった。
「…ねえ小悪魔、今のどう思う?」
「どうと言われましても…きっと魔理沙さんの言った通りでしょう、としか言えません」
「それもそうね…」
小悪魔の言う通りだとパチュリーは思った。
魔理沙が種族・魔法使いにならなかった理由。それはきっと魔理沙が言ったこと以上でも以下でもない。魔理沙の言葉そのものなのだ。
そして、パチュリーは可笑しくなって、あはははは、と大声で笑った。
「魔理沙、貴女は本当に面白いやつだったわ…」
「パチュリー様…」
珍しく大声をあげて笑う主の目に、一瞬寂しさのような影が差したのが、小悪魔にははっきりと見えた。
「やあ香霖、相変わらずの閑古鳥で何だか安心したぜ」
「やあ魔理沙、ずいぶんとご挨拶じゃないか」
香霖堂という看板が掲げられた店の戸を開ければ、そこには店主、森近霖之助の姿しかなかった。
立地のせいか、並んでいる品々のせいか、はたまた店主の愛想のなさのせいか、この店はあまり、というよりかなり流行っていない。そんないつもの光景に、魔理沙はなんとなくホッとした。
言われた方にすれば傷つく言葉であろうが、霖之助にしても店を流行らせたいと思っているわけではないので、割とどうでもいい。さっきの返事は、皮肉に返した程度のことだ。
「それでどうしたんだい?いよいよツケでも払ってくれるのかい?」
冗談めかして霖之助が言う。
香霖堂の品を、魔理沙はよくツケで持っていった。たまには払ってくれることもあったが、それでもまだツケ全額分は払ってもらっていない。
そんなこともあり、まあツケを払うことなんてないだろう、霖之助は内心そう思っていた。
しかし
「ああ、その通りだぜ」
そう言うと魔理沙はポケットの中から財布を取り出し、それをそのまま霖之助に手渡した。
予想外のことに驚く霖之助に、魔理沙はにししと笑って話しを続ける。
「ツケの分くらい軽くある筈だぜ。あ、釣りはいらないからな」
「魔理沙…ひょっとして君は…」
「おおっと香霖、それは言いっこなしだぜ」
財布の中を見れば、確かにツケよりもずっと大金が入っていた。
嫌に気持ち良く払ってくれた魔理沙に、霖之助はある予感がした。そしてそれを話そうとする霖之助を、魔理沙は制するのだった。
「まあ、その、何だ。これでもわたしは義理堅いんだ。だから借りた物を返しに来た、それだけだよ」
「魔理沙…」
それ以上の言葉が出てこない。年をとり、しわが増え、老婆とも呼べる姿になった友人に、かける言葉が見当たらなかった。
魔理沙の目はある決意に満ちている。命あるものが否応なく迎えなければならないそれに対する決意に。
戸惑う霖之助。そんな彼に、今度は真面目な顔になって魔理沙は話しだした。
「釣りはいらないんだが、ちょっと頼みごとがあってな」
「頼みごと?」
「まあ心残りみたいなものかな。それはな―――――」
「そういうことだから頼んだぜ。じゃあな」
そう言い残して、魔理沙は箒にまたがり飛び立った。
そんな彼女を見送って、霖之助は呆れたように笑った。
「まったく、君らしいというか何というか…」
ともあれ、短い付き合いではない友人からの頼みとあっては断るわけにもいくまい。
魔理沙と交わした約束を守るため、霖之助は早速準備に取り掛かった。
「えーと、あれは確か倉庫の中にあったはず…」
そう独りごちて、倉庫の方へと向かって行った。
「よ、アリス」
「あらいらっしゃい、魔理沙おばあちゃん」
魔理沙と同じく魔法の森に建てられたアリスの家。
出会って早々のアリスの言葉に、魔理沙は思わず苦笑する。
「その呼び方はよしてくれよ。お前だって歳はとってるだろうに」
「同じ年月過ごしても、見た目がこれじゃあね」
アリスの姿は少女のまま。魔理沙の姿は老婆。端から見れば孫と祖母と言えなくもない。
事実そうなのだから仕方がないか、と魔理沙は諦めて、ゴホンと咳払いし話を本題に移すことにした。
「お前ん家に来たのは、これを渡すためなんだ」
そう言いながら魔理沙は背負っていた風呂敷をアリスに渡した。
アリスが受け取り、封を開け、中身を確認すると、そこにはたくさんのマジックアイテム。
「これって…」
「そう、今までお前に借りてたマジックアイテム」
驚き目を丸くするアリスに魔理沙はそう言った。魔法の研究用に借りて、そのままになっていた物を全て持ってきたのだ。
しかし、風呂敷に入っていたのはそれだけではなかった。
「あら?これわたしのマジックアイテムじゃないわよ?」
アリスのマジックアイテムに交じって、アリスが知らないものも結構あった。
おかしいな、と思うアリスに、魔理沙はにっと笑った。
「ああ、それはわたしのマジックアイテムだ」
「ええ!?」
魔法使いにとって、マジックアイテムはとても大切なもの。それをあっさりと渡してしまう魔理沙に驚くと同時に、アリスはある想像にたどり着く。先ほどの霖之助と同じ想像。
「魔理沙…まさか…」
「それ以上は言う必要ないぞ?」
魔理沙もまた、霖之助のときと同じようにアリスの言葉を止めた。それ以上の言葉を、魔理沙はみなまで聞きたくないのだ。
そして照れくさそうに笑いながら話しだす。
「何だかんだ言ってアリスには結構世話になったしな。そのお返しと考えてくれればいいよ。それと…」
「それと?」
さっきまでの笑顔を真顔に変えた魔理沙に、アリスも少し身を強張らせる。今この友人は何を考えているのだろうか、と考えながら。
そんなアリスに、魔理沙はゆっくりと続きを話し出した。
「実は頼みたいことがあってな、それは―――――」
「わたしはあと一ヵ所寄るところがあるから、失礼するぜ」
箒にまたがり手を振って、魔理沙は飛び立った。
痩せたな、ということを感じさせるその後ろ姿を見送るアリスは、神妙な面持ちをしていた。
「魔理沙…」
まずつぶやいたのは友人の名前。
そして次には
「ルーミア…」
友人が、そして自分も、可愛がっている妹分の名前。
その二人のことを想うと、アリスには何だかこみ上げてくるものがあった。
「ご機嫌よう、霊夢ばあちゃん」
「どうも、魔理沙おばあちゃん」
博麗神社にやってきて、アリスに言われたことを霊夢に言ってからかってやろうとしたら、そのまま返されてしまった。
むう、と唸る魔理沙に、霊夢は余裕しゃくしゃくといった様子で、縁側でゆっくりお茶を飲んでいた。
「なんか、いつまで経ってもお前のそのどっしりとした態度には敵わない気がするな」
「わたしはあんたの横着さにはいつまでも敵わないと思ってるわよ?」
「ぬう…」
肩を落として皮肉を言ったら、相変わらずのどっしりとした態度のまま皮肉で返された。やっぱり敵わないなと、心の中で笑う魔理沙。よいしょ、と霊夢の隣に腰かける。
「お互い、歳をとったもんだよな」
「そりゃ生きてるんだから歳くらいとるわよ」
また返された。今のは皮肉でも何でもないんだけどな、と魔理沙はまた内心笑った。
魔理沙が歳をとって、霊夢も歳をとった。両方とも老婆と言って差し支えない。
「後進の調子はどうだ?」
「まあまあ頑張ってるわよ」
「そりゃあ良かった」
歳をとった霊夢の跡を継ぐ者は既に用意されている。霊夢とはうってかわっての努力家で、毎日熱心に修行している。今日神社にいないのも、鍛錬に出掛けているからだ。
「それで、何か用?世間話しにきただけ?」
「んー、まあ大した用事では無いんだけどな」
不審そうにする霊夢にそう言って、袋から瓶を一本取り出した。
「これを、お前にあげようと思ってさ」
「お酒ね…一体どういう風の吹きまわしかしら。お茶とお菓子をたかってばっかだったあんたが」
魔理沙が差し出した一升瓶に、霊夢はまた皮肉交じりの返事をした。
まあそう言うなよ、と答えた魔理沙だが、ちょっと思い悩む。
霊夢にならば、正面切って言える気がした。霖之助やアリスを制して言わせなかったその言葉を、この霊夢になら。
意を決して、言葉にしてみる。
「…実は、わたしはもうあんまり長くない。今日とも明日とも分からないくらいにな。それで今までの礼も兼ねて」
「ふーん」
魔理沙の思った通り、霊夢の言葉は素っ気なかった。そしてその方がありがたかった。深刻な顔をされると、こちらまで悲しくなってくるから。
魔理沙同様、霊夢も歳をとり、そのときが刻一刻と近付いている。であるからこそ、こんなに落ち着いているのかもしれない。同じ境遇にある者同士、悲しみ合ってもしょうがない。
「それで、逝く覚悟はできてるの?」
「ああ、ばっちりだぜ!お前もいつでも来いよ。そしたら一緒に酒を飲もう」
「わたしは天国へいくけど、あんたはいけるのかしら?」
「わたしが地獄に落ちるってか?わたしが地獄いきなら、お前だって地獄いきだよ」
そう言って笑い合う。魔理沙はずいぶんと心地よかった。自分のために悲しんでくれるのはありがたい。でもこうやって笑ってくれるのもいい。
しかし、逝く逝かないの話をしているのだ。楽しい話題だけというわけにもいかない。
「ところで、あんたに覚悟があっても周りはどうなのよ?パチュリーとか霖之助さんとかアリスとか、それに…あんたの妹分とか」
「…………」
霊夢がその話をしたら、魔理沙は押し黙ってしまった。考え事をしているのか、俯いている。
変な話を振っちゃったなと、霊夢は首をぶんぶん横に振った。
「やめやめ!こんな辛気臭い話、面白くもなんともないわ」
大声を出して、この話はやめようとする霊夢に、魔理沙はばっと顔をあげて霊夢の方を見た。
「それだよ!」
「…へ?」
急に顔をあげたかと思ったら、目を輝かせながらそう言う友人に、霊夢は間の抜けた返事をしてしまった。
何がそれなのか、全く分からない霊夢に魔理沙は雄々と語り始めた。
「わたしに辛気臭いのは似合わないんだ。そのための準備を霖之助やアリスに頼んである。見てろよ霊夢。あいつのためにも、逝くならド派手に逝くからな!」
そう語って、魔理沙は嬉しそうに飛んでいった。
まるで嵐のような友人に、一体何なのよ、と不機嫌そうにする霊夢ではあるが、まあいいかと思いなおす。
「どうやら最期の頼みみたいだし、見届けてやるか」
魔理沙に貰った酒を片手に、そうつぶやいた。
「さて、とりあえずここが最後で、最大の難関だよな…」
腕を組みながら立っていたのは、魔理沙自身の家の前。あちこちまわっていて、あたりは薄暗くなってきた。
この家の中には妹分のルーミアがいる筈だ。出かける際、帰って来るまで待つようにと言っておいたから大丈夫だろう。
しなければいけないのは、霊夢にもしたあの話。一回話したことで少し気が楽になったが、もしルーミアが悲しんだりしたら、と思うと話すのが怖い。
「ええい、悩んでも仕方がない」
そう決心して、自分の家の扉を開けた。
「…ただいまー」
「おかえりー」
にっこり笑って出迎えたのは宵闇の妖怪ルーミア。
60年経って背が伸び、ルーミアと初めて出会った頃の魔理沙より少し低いくらいになっている。
髪も伸ばした。魔理沙とお揃いがいいと言って長髪にしたのである。しかし、頭には帽子の代わりに赤いリボンがそのまま。外れないのだから仕方がない。
そして服は、魔理沙のお下がり。これもルーミアたっての希望で、古くなったものを補修しながら着ている。
「…ルーミア、大事な話があるんだ。ちょっとテーブルに座ってくれないか」
「なーに?」
真剣な目をしている魔理沙を不思議に思いつつ、ルーミアは席についた。そして魔理沙も、ルーミアに向かい合うようにゆっくりと座る。
「…………」
「…………」
沈黙。
じっと魔理沙を見て待っているルーミアに、なかなか話を切り出せない魔理沙。
しかしずっと黙りっぱなしでいるわけにもいかず、大きく深呼吸して気持ちを整えた。
そしてついに、決意する。
「…実はなルーミア、わたしはもう、長くないんだ。今は魔力で保っているが、それも限界だ」
一言一言、噛みしめるように魔理沙は言った。言いながら、恐れていた。この話を聞いて、ルーミアがどういう思いをするのかを。
悲しんではいないか、苦しんではいないか、そんな予想が、頭の中を駆け巡る。
しかしルーミアの放った言葉は、そんな魔理沙の予想から完全に外れたものだった。
「そーなのか」
「…へ?」
霊夢ばりに素っ気ない返事。あまりの素っ気なさに、魔理沙は拍子抜けしてしまった。
「…それだけ?」
思わず聞き返してしまった。悲しむルーミアを見たくはなかったが、まさか悲しまないとは夢にも思っていなかった。もっとこう、泣きじゃくるルーミアを想像していたのだが。
魔理沙の問に、ルーミアはこくこくと首を縦に振る。
「ははは、てっきり、涙くらいちょっとは流すんじゃないかって思ってたんだけどな」
笑ってそう話す魔理沙に、ルーミアもふふっと笑った。
「わたしは妖怪で、魔理沙より長生きなんだよ。こういうことも何回かあったから、慣れたんだよ」
「あ、そっか」
納得してしまった魔理沙。そういえば見た目相応の子どもっぽさをもっていたからずっと妹分にしていたけれども、生きている年数はルーミアの方が上なのだ。
そんなことにはこれっぽっちも思い至らなかった自分はなんてバカだろうと思いつつ、とりあえずほっとした。
「お前が悲しい思いをしなくて済むんなら、わたしは安心だよ」
そう言いながら、ルーミアの頭を優しく撫でる。
少しくすぐったそうで、でも気持ちよさそうな顔をするルーミア。
「ねえ、魔理沙…」
「ん、何だ?」
撫でられながら名前を呼んできたルーミアに、魔理沙は撫でる手と同じように優しく聞き返した。
「あのさ…しゃ…」
「しゃ…なんだ?」
何か思いとどまっているように、しゃ、と言って止まったルーミア。
そんなルーミアの様子を不思議そうにみつめる魔理沙の目線に気付いて、ルーミアは慌てて言い直した。
「しゃ…しゃ、喋れるくらい元気なのに、今日も晩ご飯はおかゆだけでいいの?」
「ん、ああそれでいいよ。あんまり食欲ないし」
それを聞いて、じゃあ作って来るね、と言って台所に向かったルーミアの後ろ姿を見て、何か隠していることくらい魔理沙には分かった。しかし、敢えてそれを深く聞こうとは思わない。ルーミアがやめておこうと心に閉まったことを掘り返すようなことはしたくなかったのだ。
食事が終わって、お風呂に入って、魔理沙はもう寝る時間。ゆったりとベッドに入って横たわった。魔力でごまかしてきた部分もあったためか、体が重い。
すると、魔理沙と一緒に何かがもぞもぞっと入って来て、抱きついた。そんなことをするのは一人だけ。
「ルーミア、今日はもう寝るのか?」
いつもなら外に出て飛び回る時間なのに、今日はベッドの中。
魔理沙にぴったりとくっついて、顔は胸元にうずめて見えない。声だけが聞こえてくる。
「何だか今日はもう寝たい気分」
「…そうか」
何だかんだ言っても寂しいんだろうな、と魔理沙は思った。
もうすぐ今生の別れ。それに対する悲しみが、ふるふると震えるルーミアから伝わって来る。
そんなルーミアに、もう魔理沙がしてやれるのは一つだけ。
優しく、あやすように、ルーミアの頭を撫でる。
「魔理沙、わたしは大丈夫だから、安心してね」
顔をうずめながら話すルーミアに、大丈夫なもんかこんなに震えて、と思いながらも魔理沙はひたすら頭を撫で続ける。もう言葉は出てこない。
なんとかして、少しでも、不安を、悲しみを、消してあげられるように、やわらげてあげられるように、魔理沙は頭を撫で続けた。
「今まで楽しかった、魔理沙…」
その言葉だけで、満足だった。
ああ、わたしも楽しかったよ。その想いを掌にのせて、頭を撫でる。
いつしかルーミアからは寝息が聞こえ始めた。眠たくなった魔理沙も、やんわりと意識を手放した。
翌朝。
「んん…魔理沙…」
ルーミアが目を覚まし、隣に横たわっている魔理沙の方を見た。
いつもなら自分よりずっと早起きの魔理沙は、まだ起きない。ルーミアは魔理沙を揺すってみた。
「魔理沙ぁ~朝だよ~魔理沙ぁ~」
何度も揺すって、何度も名前を呼んだ。しかし、魔理沙は起きない。
それが何を意味するのか、十分理解しているルーミア。それでも名前を呼ばずにはいられなかった。
そしていつの間にか、ルーミアの目からぽろぽろとしずくが落ち始めた。
「あれ…ひっく…おかしいな…わたし…ひっく…大丈夫な筈なのに…」
しゃくり声をあげながら、独りごとを言うルーミア。目から滴るしずくは止まらない。
「ひっく…魔理沙が安心できるように…泣かないって決めてたのに…うぅ…」
決めていたのに、零れ落ちるのは涙。止めたくても止まらない。横で眠る魔理沙を、静かに寝かせてあげたいのに。
こみあげてくる想いは、堪えようとするルーミアの心の堰をいともたやすく突き破った。
「うわあぁぁぁん、魔理沙、魔理沙ぁ~!うう…うあぁ…うわああぁぁぁ!!」
ルーミアは泣いた。大声を上げ、大粒の涙を零しながら。
こんなに涙を流すのは初めてだった。
どれだけ泣いたのか、ルーミアには分からなかった。
時には冷たくなった魔理沙に抱きつき、時には悲しみのあまりベッドの上をのたうち回った。
気付いたら時計の針は正午ごろをさしていた。自分が何時に起きたかは憶えていないが、とにかくかなりの時間泣いていたのだろう。
ようやく涙は止まったものの、目は真っ赤になり、顔には幾本もの涙の筋。
「魔理沙のお墓…作ってあげないと…」
それは魔理沙の死を認めること。そのことにまた悲しみがこみ上げてくるが、ぐっと堪える。いつまでもめそめそしていたら、魔理沙を安心させてあげられない。
時間は正午だが、お腹は空いていない。そんな気分になれないのだ。
とにかく、魔理沙のお墓を作らなければならない。
「まずは穴を掘らないと…」
倉庫からスコップを取り出して、家のすぐ隣に穴を掘る。大きな穴。
そして次にお墓の上に建てる十字架を作る。立派なものは作れないけれど、太い木の枝を拾ってきてそれを組み合わせる。
「わたしが十字架を作るなんて、変な話…」
両手を広げて十字架のポーズ。魔理沙には十進法だって笑われた。
そうだ、いっそわたしがお墓の上で十字架になろうか。それで魔理沙を見返してやろう。
そんなことを考えながら、黙々と十字架を作る。つっこみをいれてくれた人は、もういないのだ。
「お花、摘んでこないと…」
墓前に供える花がいる。どんな花が相応しいのかルーミアには分からないが、とにかく綺麗なお花を供えようと思った。
以上、過程を文字にしてしまえば、大した量にはならない。
しかし、作業中ルーミアの目は何度も潤み、視界は霞んだ。それを堪えようと、心を落ち着かせようと、時間がかかった。
昼ごろから始めたのに、あたりは既にぼんやりと暗くなっている。
掘った穴に魔理沙を寝かせ、土をかぶせて小高く盛って、その上に十字架を差す。そして摘んできた花を供えた。
「…完成」
元気なく言葉をもらし、ルーミアは墓前に体育座りした。じっと手作りの墓を見つめる。
「魔理沙…」
これ以上呼んではいけない、魔理沙は眠っているのだから。そう自分に言い聞かせようとするが、どうしてもその名を呼んでしまう。呼ばずにはいられない。
そんな心の葛藤と戦っていたルーミアに、後ろから声がかけられた。
「やっぱり、逝っちゃったのね…」
「…パチュリー、どうしたの?」
振り向くと、後ろにいたのは図書館の魔法使いパチュリー。普段外に出ることのない彼女がこんなところにくるなんて珍しい、とルーミアは驚いた。
「まあちょっと野暮用でね。でもその前に、お参りさせてくれるかしら?」
目を丸くするルーミアに、パチュリーはお墓の方を向いて言った。
友人を悼む気持ちは尊重しなければならない。野暮用とは何なのか気になるルーミアであったが、首を縦に振った。
ルーミアの許可をもらい、パチュリーは小さくありがとう、と言って、帽子を脱いで黙祷する。色々と思うところがあるのか、ずいぶんと長い黙祷。
「…さて、野暮用を済ませるとしようかな」
長い長い黙祷を終え、くるっと振り返ってルーミアの方を向いたパチュリー。
そしてパチュリーは懐から一冊の本を取り出し、それをルーミアに差し出した。
「はいこれ」
「これは…」
差し出された物にルーミアは見覚えがあった。以前に比べて表紙がぼろくなり、紙も傷んでいるが、確かに覚えている。
「『ヘンゼルとグレーテル』…」
ずいぶん前に、返した本だ。
その本のタイトルを、ルーミアは零すようにぽつりと言った。魔理沙に読み方を教えてもらった、思い出の本のタイトルを。
「この本には、わたしよりずっと相応しい持ち主がいるわ」
「パチュリー…ありがとう…」
渡された本をそっと抱きしめて、ルーミアはお礼を言った。楽しかった魔理沙との思い出が蘇って来る。
そんなルーミアの姿に満足して、パチュリーはにこっと笑った。
「喜んでくれて何よりだわ。それじゃあ、帰るわね」
「あ、ちょっと待って…」
後ろを向いて飛び立とうとするパチュリーを、ルーミアは呼び止めた。
何かしら、と振り返るパチュリーに向かって、弱々しく言葉を発する。
「…わたしね、一つだけ魔理沙に聞けなかったことがあるんだ。捨食の法を覚えないで、どうして魔法使いにならなかったの、って」
前日の晩、ルーミアが魔理沙に聞きたかったことは晩ご飯の献立のことなどではない。
どうして種族・魔法使いにならなかったのか。なっていれば、こんなに早い別れはしなくて済んだのに。
こんなことをパチュリーに言っても、迷惑にしかならないことくらいルーミアには分かっていた。それでも言わずにいられなかった。誰かに吐露しない限り、気持ちのもやもやが消えることはなさそうだったから。
しかし、パチュリーは親身になってルーミアの話を聞いてくれた。迷惑だろうと思っていたルーミアにとって意外な反応だった。
「どうして聞かなかったの?」
優しい口調で問いかけてくるパチュリー。その親切さをありがたく思いつつ、ルーミアはまた弱々しく話し始める。
「魔理沙を追及するようなこと、したくなかった…」
ルーミアの問いたかったことには、意識しようとしまいと、咎めるようなニュアンスが含まれている。種族・魔法使いにならなかったことを恨めしく思うようなニュアンスが。
これから眠りにつく魔理沙に、ルーミアはそんなことをしたくなかったのだ。
「どうしても気になるの?」
「…うん」
聞いておけばよかったかもしれないと、今になってルーミアは後悔している。あれが、魔理沙と話ができる最後のチャンスだったのだから。
はあ、とため息をつくルーミアであったが
「そのことなら、わたし知ってるわよ」
「え!?」
これまた予想外のことに、ルーミアの目の焦点はパチュリーに固定されて動かない。
その様子が少しだけ可笑しくて、パチュリーは静かに笑った。
「ちょっと長くなるけど、聞きたい?」
「き、聞きたい!」
我に返って答えるルーミア。
聞きたい、どうしても聞きたいと、心の底から思った。本人からは聞きたくても聞けなかったこと、もうどれだけ願っても聞けないこと。
首を縦にぶんぶん振るルーミアを見て、もう話さないわけにはいかないな、と感じたパチュリー。軽く深呼吸して、話し始めた。
「…魔理沙はね、幻想郷が好きだったの。人間や妖怪や妖精や神様が、一緒になって楽しく暮らしていられるこの幻想郷が大好きだったの。だからこそ、魔理沙は捨食の法を得なかった。種族としての魔法使いに変わらなかった。この幻想郷に人間として生まれた以上、人間として、人間たちとも妖怪たちとも妖精たちとも神様たちとも接していたかった。わたしやアリス、霊夢に香霖堂の店主、他にもたくさん。そしてルーミア、貴女ともね。それが、魔理沙の願い」
ここまで一気に話して、パチュリーはルーミアの表情を確かめた。眉ひとつ動かさず、こちらをじっと見つめている。
それが魔理沙の想いを受け取ろうと身構えているように見えて、続きを話し始めた。
「魔理沙はこうも言っていたわ。人間として生きることを選んだ自分は、あっという間に先に逝ってしまう。後に残すものが多すぎる。特に、一番大切なやつを後に残さなければならないのが心残り。自分のわがままな願いのせいで、そいつに悲しい想いをさせてしまうんじゃないかっていうのが、残念で仕方がないって。でもこうも言っていた。あっという間だからこそ、その間は思いっきり楽しく一緒に暮らしてきたつもりだし、自分がいなくなった後も、それまでの思い出を楽しく振りかえってほしいってね。一番大切なそいつっていうのは勿論、貴女よ、ルーミア」
全てを話し終えて、パチュリーはふう、と息を吐いた。喘息の自分がこうもスラスラ話ができるとは思っていなかった。
そして最後に、ルーミアに確認する。
「魔理沙の想い、受け取ってもらえたかしら?」
納得しようがしまいが、今話したことが魔理沙の残した想いの全て。それをどう受け取るかは、ルーミア次第。
色々と心配するパチュリーであったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「魔理沙が幸せだったなら、それだけでわたしは嬉しい」
ルーミアはにっこり笑う。
その笑顔の裏には何も隠れていない。純粋に、魔理沙の幸せを喜んでいる。
それを感じとり、パチュリーは満足そうに頷いた。
「じゃあ、魔理沙との思い出を大事にしてあげてね」
「うん!」
その返事だけ聞いて、パチュリーは飛んでいった。
残ったルーミアは、もう一度『ヘンゼルとグレーテル』を抱きしめて、魔理沙の墓の前に座った。
楽しかった思い出を、一つ一つ振り返りながら。
日が落ちて辺りが暗くなっても、ルーミアは墓の前に居続けた。思い出の本を、抱きしめ続けた。これからの時間はルーミアの時間でもあるのだから、問題はない。
ただ、暗くて魔理沙の墓が見えにくくなるのは困るので、家からランプを持ってきて照らす。
そのとき、後ろから声をかけられた。
「やあルーミア。お墓、できたみたいだね」
「ルーミア…」
「霖之助、アリス」
暗くて見えにくかったが、声だけで誰か分かった。
やって来たのは二人。どちらも魔理沙の友人で、ルーミアも何度も会っている。ルーミアにとっても大切な人たちだ。
「立派なお墓じゃないか。きっと魔理沙も喜んでるよ。どれ、僕にもお参りさせてくれないか?」
「わたしも、いい?」
「いいよ」
こくんと頷くルーミア。
霖之助とアリスはルーミアの両隣りに屈んで、両手を合わせた。二人ともじっと目を閉じて、今は亡き友人のことを悼んだ。
やがて拝むのが終わると二人は、よしっ、と言っていそいそと何かを準備し始めた。霖之助は数本の大筒を間隔をあけて立て、アリスがその大筒に何か仕掛けをしている。
「二人とも何してるの?」
その様子を、地べたに座ったまま眺めていたルーミアは、いよいよ気になって尋ねた。
「ん、これはね」
「魔理沙からの頼まれごとよ」
「魔理沙からの?」
一体何なのだろう、と首をかしげるルーミア。二人は、見ていれば分かる、と言って教えてくれない。
そうこうしている内に、準備が整ったようである。
「じゃあアリス、点火してくれ」
「分かったわ、ルーミアもちょっと離れて」
「え、うん」
アリスに言われた通り、ルーミアは立ち上がって移動した。霖之助とアリスも同じように離れる。
「それじゃあ点火するわよ~」
言うや否や、アリスは大筒に向かって魔力を放った。
すると
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「うわあ…」
「ほう…」
「綺麗…」
ルーミア、霖之助、アリスの三人は、同時に感嘆の声をあげた。数本の大筒たちから、色とりどりの打ち上げ花火があがったのである。
その鮮やかな光景に、三人は目を奪われ、息を呑んだ。
「ねえ、魔理沙の頼みごとって…」
「ああそうだよ。僕は花火を打ち上げるための大筒を用意するように頼まれた」
「わたしは魔理沙からもらったマジックアイテムを使って、花火を打ち上げることを頼まれた」
全ては生前、魔理沙本人に頼まれたこと。
何故彼女は友人たちにこんなことを頼んだのか、それは
「「ルーミアと、華やかな別れをするために」」
「え…」
二人の言葉が耳に届き、ルーミアは感極まった。そしてまた、目からぽろぽろと涙を零す。
本を抱きしめる腕の力を、少し強めて。
しかしルーミアは顔を下げなかった。涙を拭かなかった。そんなことをしている暇があるなら、魔理沙の花火を見ていたかったから。
そして、何発目かの花火があがったとき
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「あ、アリス!」
「本当だ」
思わずルーミアは花火の方を指差した。空に咲いた花火は、アリスの顔の形をしていた。
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「今度は霖之助だ!」
「むう、僕はあんなにしかめっ面かい?」
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
「パチュリー!小悪魔!霊夢!」
浮かび上がった人物の名前を、ルーミアは叫ぶ。
その後も、魔理沙が知り合った幻想郷中の人物たちの顔が次々と浮かび上がる。
そして最後に特大の花火が二発。
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
今までのよりもずっと大きな音が鳴って、辺りに響いた。
その花火に浮かび上がった二人の顔は
「魔理沙と…わたし…」
宵闇の空に咲いたのは、並んでにっこり笑う魔理沙とルーミア。出会った頃の相貌で、魔理沙は若く、ルーミアは髪が短くて幼い。
そこにいた二人はとても楽しそうで、そして儚く消えた。これを最後に、花火もやんだ。
それを機に、三人は何も喋らなくなった。しばらくの沈黙の後、最初にそれを破ったのは霖之助。
「やれやれ、まったく魔理沙らしいね」
「あら、もう帰るの?」
花火を最後まで見届けて、ざっと後ろに方向転換して歩き出した霖之助に、アリスが聞いた。
「…こういう日は、一人で酒を飲みたい性分なもので」
背中を向けたままぶっきらぼうに答えて、霖之助は歩いていった。
ただ、いつもポーカーフェイスの彼が、手を顔にやり、肩をわなわなと震わせているのをアリスは見た。だから、もう何も言わなかった。
そして残ったのはルーミアとアリス。
花火が終わってからずっと空を見上げて黙っているルーミアに、アリスは優しく抱きついた。
「ねえルーミア。悲しかったら泣いてもいいの。苦しかったら泣いてもいいの。我慢することなんてないのよ」
穏やかな口調で話しかけるアリスに、ルーミアは首を横に振った。
「わたしはね…今すごく…嬉しいんだ…」
「嬉しい?」
「魔理沙が、わたしのためにこんな素敵なものを用意してくれた。それが嬉しい。だからね…」
そこまで言って、ルーミアはアリスに抱きつき返した。
「だから…今流してるのは…嬉し涙だよ…」
しわがれた声で、何とか言葉にして、そしてルーミアはわんわん泣いた。
これは嬉し涙だから、悲しい涙じゃないから、寂しい涙じゃないから、心配しないでね魔理沙、わたしは今、すごく幸せだよ。
そう思いながら。
そんなルーミアの健気な心を汲みとって、アリスは何も言わず、包み込むようにルーミアの背中を、ぽんぽんと軽く叩いてあげたのであった。
「ちゃんと見届けてさせてもらったわよ、魔理沙」
ルーミア達から少し離れた木の上。
片手に盃を、もう片方に魔理沙からもらった一升瓶を持って、霊夢はそうつぶやいた。
「何事も派手好きなあんたらしいわ…あーあ、ルーミアったらあんなにべそかいちゃって」
わんわん泣くルーミアの泣き声は、離れている霊夢のところにもはっきりと伝わって来た。
しかし、悲痛な感じはしない。
「心意気って言うのかしらね、こういうの。何にせよ、あんたのそれはちゃんと伝わったみたいだから、安心しなさい。そのうち土産話にもってくわ」
そして霊夢は、盃いっぱいの酒を飲みほした。
「ふう…さて、わたしも行きますかね」
一人酒は性に合わない。泣くルーミアはアリスに任せることにして、霊夢は博麗神社の方へ飛んで行った。
生真面目な後進を巻き込んで、酒盛りでもするか。そう意気込みながら。
しばらくして、ルーミアは泣きやんだ。
泣き疲れたようであるのでアリスが膝枕をして、寝転がるルーミア。
「落ち着いた?」
「…うん」
柔和な目で自分の顔を見つめるアリスに、ルーミアは小さな声でそう言って、寝ころんだまま頷いた。
もうこれ以上涙なんて出ないんじゃないか、というくらい泣いた。だが、それだけ泣いたおかげもあって、心は割とすっとしている。
ルーミアの表情からそれを読み取って、安心したアリスは胸を撫でおろした。それと一緒に、ルーミアの頭を優しく撫でる。
そして、一つの提案をした。
「ねえルーミア、わたしと一緒に暮らさない?」
「…え?」
頭を撫でられながら、突然やって来たその申し出に、ルーミアはきょとんとした。
ああ説明が足りないなと、アリスはさらに話を進める。
「魔理沙からもう一つ頼まれごとがあるのよ。魔理沙がいなくなった後、ルーミアのこと、支えてやってくれってね。それでもし貴女がよければ、一緒に住もうかと考えて。わたしの家も一人暮らしには広いし」
「そーなのか」
あれこれ用意周到なんだなあ、としみじみ思うルーミア。それだけ自分のことを想ってくれていたのかと考えると、何だかくすぐったい。
しかしどうしようか、と考える。魔理沙と一緒に暮らすようになるより前は一人で暮らしていた。今から一人に戻ることは、できないことはない。
でも、誰かと一緒に暮らすあったかさ、温もりが身に染みているらしく、それを手放すのは嫌だった。
となると、答えは一つ。
「アリスと一緒に暮らす!」
「ふふ、歓迎するわ」
にっこり笑顔のルーミアに、アリスもにっこり笑って返す。
そしてアリスには、もう一つ伝えることがあった。これもまた、大切なこと。
「もう一つ、貴女に言っておくことがあるわ」
「何?」
真剣な、それでいて優しげなアリスの目を、ルーミアは覗き込む。
その真紅の瞳に、アリスは柔らかな目で見つめ返した。
「あの花火だけどね、またあげることができるのよ」
「本当!?」
アリスの言葉に、ルーミアは目を輝かせた。
魔理沙が作ってくれた花火、最後には二人並んで笑っているあの花火をもう一度見られるなんて、とても素敵なことだ。
嬉しそうにするルーミアに、アリスはふふっと笑いかける。
「あの花火はマジックアイテムを使ったもので火薬とかは一切使ってないみたいなの。だから魔力を注入し直せばまた打ち上げられるわ。ただ、規模の大きい魔法だからチャージには時間がかかるけど」
「どれくらいかかるの?」
輝く紅いルーミアの目に、そうねえ、と頬に手を当て考えるアリス。
「一ヵ月ってところかしらね」
「一ヵ月か~」
そう言うと、ルーミアは起き上がって、とてとてと魔理沙の墓まで駆けていった。
思い出の本を大事そうに抱えたまま、墓に向かって話しかける。
「ねえ魔理沙、わたしアリスと一緒に暮らすよ。でもここにも来るよ。お墓をもっと立派にしたいし、お花ももっと供えたいから。それで一ヵ月経ったこの日に、また花火をあげる。その一ヵ月あとにも、そのまた一ヵ月あとにも、何回も!」
とびっきりの笑顔を向ける。わたしはこんなに元気だよ、ということを伝えるために。
すると突然、優しい風が吹いた。心地よい、撫でるような風。
「魔理沙…」
それは偶然だったのかもしれない。だがルーミアには、魔理沙が撫でてくれているように感じられた。
「そーなのか」
一言つぶやいて、また腕の力を少し強めた。胸の中には、大切な本。
空を見上げて、さっきの花火を思い出す。
宵闇の空に輝いた魔理沙とルーミアの笑顔は、ぱあっと咲いて儚く消えた。まるで二人で共に過ごした時間のように、あっという間のことだった。
それでも、ルーミアの目に、記憶に、心に、鮮明に焼き付いている。二人で一緒に笑い合った日々のように、鮮やかな色彩を放って、ずっと、ずっと。
「1冊目『火と風の合成魔法』、2冊目『土と水の合成魔法』、3冊目『火と土の合成魔法』…」
紅魔の図書館の主、パチュリーは目の前の机の上に積み上げられた本の数を数えつつ、そのタイトルを読みあげていた。
「…8冊目『マジックアイテム生成』、9冊目『色彩魔法学』、10冊目『魔法造形学』、これで全部ね。小悪魔、問題は無い?」
積み上げられた本を数え終わり、横に控えていた小悪魔の方を向く。
小悪魔は、手にした書類に何か書きこみをしながら答えた。
「はい、すべて揃いました」
その言葉を聞き、ふう、と一息ついたパチュリーは、今度は机越しに立っている人物の方を向いた。
「確かに、これで全部返してもらったわ、魔理沙」
「よし、これでお前からの借りは全部返したわけだ」
パチュリーの言葉に、笑顔をこぼしながら軽くガッツポーズする魔理沙。そんな魔理沙を見て、パチュリーはくすっと笑う。
「それにしても、貴女も老けたわね…」
ボソッと聞こえてきたその言葉に、魔理沙はむっとした表情をする。
「おいおい、レディーに向かって老けたはないだろう」
「だって本当のことじゃない。まあ60年も経てばしょうがないか…」
種族・魔法使いであるパチュリーの体が衰えるのは人間のそれに比べてかなりゆっくりだ。60年経ったとて、大して老いることはない。
しかし、魔法を使える「人間」である魔理沙にとって、その60年は非常に長い。老いるには十分すぎるくらいだ。白黒衣装に長い金髪は変わらないが、肌にはしわが増え、少しやつれたような感がある。
そんな魔理沙に、パチュリーにはどうしても分からない疑問が浮かぶ。
「で、どうして魔法使いにならなかったの?貴女ならなれないことはなかったでしょうに」
魔法を使える人間は、捨食の法を会得し後発的に種族・魔法使いへと変わることができる。
無論半端者の魔法使いにはできないが、魔理沙にはできる筈だとパチュリーは確信していた。パチュリーから見ても、魔理沙は強力な魔法使いだからだ。だがしかし、魔理沙はそれを選択しなかった。
できる筈なのにしなかったのには、何か理由がある筈。パチュリーにはそれが気になってしょうがなかった。
そしてもう一つ、パチュリーがこのことを不思議に思うのにはわけがあった。
「それに、あの子…ルーミアともっと長く一緒にいられるでしょうに…」
宵闇の妖怪ルーミア。魔理沙に懐き、今までずっと魔理沙と一緒に暮らしてきた、魔理沙の妹分。
妖怪であるため、パチュリー同様60年でそれほど成長はしていない。成長したと言えば、若干背が伸びたことくらいか。
ともあれ、種族・魔法使いにならず人間のままでいる魔理沙がルーミアよりずっと先に逝ってしまうだろうということは、火を見るより明らかなのだ。
パチュリーの問を黙って聞いていた魔理沙は、ゆっくりとしわの増えた口元を動かした。
「それはな――――」
「わたしはまだ寄るところがあるから、それじゃ」
話し終わったかと思ったら、ビッと指をたて、箒にまたがり魔理沙は行ってしまった。
呆気にとられたパチュリーと、その横に控える小悪魔を残して。
二人ともしばらくぼーっとして、漸くパチュリーが口を開いたのは数分経ってからだった。
「…ねえ小悪魔、今のどう思う?」
「どうと言われましても…きっと魔理沙さんの言った通りでしょう、としか言えません」
「それもそうね…」
小悪魔の言う通りだとパチュリーは思った。
魔理沙が種族・魔法使いにならなかった理由。それはきっと魔理沙が言ったこと以上でも以下でもない。魔理沙の言葉そのものなのだ。
そして、パチュリーは可笑しくなって、あはははは、と大声で笑った。
「魔理沙、貴女は本当に面白いやつだったわ…」
「パチュリー様…」
珍しく大声をあげて笑う主の目に、一瞬寂しさのような影が差したのが、小悪魔にははっきりと見えた。
「やあ香霖、相変わらずの閑古鳥で何だか安心したぜ」
「やあ魔理沙、ずいぶんとご挨拶じゃないか」
香霖堂という看板が掲げられた店の戸を開ければ、そこには店主、森近霖之助の姿しかなかった。
立地のせいか、並んでいる品々のせいか、はたまた店主の愛想のなさのせいか、この店はあまり、というよりかなり流行っていない。そんないつもの光景に、魔理沙はなんとなくホッとした。
言われた方にすれば傷つく言葉であろうが、霖之助にしても店を流行らせたいと思っているわけではないので、割とどうでもいい。さっきの返事は、皮肉に返した程度のことだ。
「それでどうしたんだい?いよいよツケでも払ってくれるのかい?」
冗談めかして霖之助が言う。
香霖堂の品を、魔理沙はよくツケで持っていった。たまには払ってくれることもあったが、それでもまだツケ全額分は払ってもらっていない。
そんなこともあり、まあツケを払うことなんてないだろう、霖之助は内心そう思っていた。
しかし
「ああ、その通りだぜ」
そう言うと魔理沙はポケットの中から財布を取り出し、それをそのまま霖之助に手渡した。
予想外のことに驚く霖之助に、魔理沙はにししと笑って話しを続ける。
「ツケの分くらい軽くある筈だぜ。あ、釣りはいらないからな」
「魔理沙…ひょっとして君は…」
「おおっと香霖、それは言いっこなしだぜ」
財布の中を見れば、確かにツケよりもずっと大金が入っていた。
嫌に気持ち良く払ってくれた魔理沙に、霖之助はある予感がした。そしてそれを話そうとする霖之助を、魔理沙は制するのだった。
「まあ、その、何だ。これでもわたしは義理堅いんだ。だから借りた物を返しに来た、それだけだよ」
「魔理沙…」
それ以上の言葉が出てこない。年をとり、しわが増え、老婆とも呼べる姿になった友人に、かける言葉が見当たらなかった。
魔理沙の目はある決意に満ちている。命あるものが否応なく迎えなければならないそれに対する決意に。
戸惑う霖之助。そんな彼に、今度は真面目な顔になって魔理沙は話しだした。
「釣りはいらないんだが、ちょっと頼みごとがあってな」
「頼みごと?」
「まあ心残りみたいなものかな。それはな―――――」
「そういうことだから頼んだぜ。じゃあな」
そう言い残して、魔理沙は箒にまたがり飛び立った。
そんな彼女を見送って、霖之助は呆れたように笑った。
「まったく、君らしいというか何というか…」
ともあれ、短い付き合いではない友人からの頼みとあっては断るわけにもいくまい。
魔理沙と交わした約束を守るため、霖之助は早速準備に取り掛かった。
「えーと、あれは確か倉庫の中にあったはず…」
そう独りごちて、倉庫の方へと向かって行った。
「よ、アリス」
「あらいらっしゃい、魔理沙おばあちゃん」
魔理沙と同じく魔法の森に建てられたアリスの家。
出会って早々のアリスの言葉に、魔理沙は思わず苦笑する。
「その呼び方はよしてくれよ。お前だって歳はとってるだろうに」
「同じ年月過ごしても、見た目がこれじゃあね」
アリスの姿は少女のまま。魔理沙の姿は老婆。端から見れば孫と祖母と言えなくもない。
事実そうなのだから仕方がないか、と魔理沙は諦めて、ゴホンと咳払いし話を本題に移すことにした。
「お前ん家に来たのは、これを渡すためなんだ」
そう言いながら魔理沙は背負っていた風呂敷をアリスに渡した。
アリスが受け取り、封を開け、中身を確認すると、そこにはたくさんのマジックアイテム。
「これって…」
「そう、今までお前に借りてたマジックアイテム」
驚き目を丸くするアリスに魔理沙はそう言った。魔法の研究用に借りて、そのままになっていた物を全て持ってきたのだ。
しかし、風呂敷に入っていたのはそれだけではなかった。
「あら?これわたしのマジックアイテムじゃないわよ?」
アリスのマジックアイテムに交じって、アリスが知らないものも結構あった。
おかしいな、と思うアリスに、魔理沙はにっと笑った。
「ああ、それはわたしのマジックアイテムだ」
「ええ!?」
魔法使いにとって、マジックアイテムはとても大切なもの。それをあっさりと渡してしまう魔理沙に驚くと同時に、アリスはある想像にたどり着く。先ほどの霖之助と同じ想像。
「魔理沙…まさか…」
「それ以上は言う必要ないぞ?」
魔理沙もまた、霖之助のときと同じようにアリスの言葉を止めた。それ以上の言葉を、魔理沙はみなまで聞きたくないのだ。
そして照れくさそうに笑いながら話しだす。
「何だかんだ言ってアリスには結構世話になったしな。そのお返しと考えてくれればいいよ。それと…」
「それと?」
さっきまでの笑顔を真顔に変えた魔理沙に、アリスも少し身を強張らせる。今この友人は何を考えているのだろうか、と考えながら。
そんなアリスに、魔理沙はゆっくりと続きを話し出した。
「実は頼みたいことがあってな、それは―――――」
「わたしはあと一ヵ所寄るところがあるから、失礼するぜ」
箒にまたがり手を振って、魔理沙は飛び立った。
痩せたな、ということを感じさせるその後ろ姿を見送るアリスは、神妙な面持ちをしていた。
「魔理沙…」
まずつぶやいたのは友人の名前。
そして次には
「ルーミア…」
友人が、そして自分も、可愛がっている妹分の名前。
その二人のことを想うと、アリスには何だかこみ上げてくるものがあった。
「ご機嫌よう、霊夢ばあちゃん」
「どうも、魔理沙おばあちゃん」
博麗神社にやってきて、アリスに言われたことを霊夢に言ってからかってやろうとしたら、そのまま返されてしまった。
むう、と唸る魔理沙に、霊夢は余裕しゃくしゃくといった様子で、縁側でゆっくりお茶を飲んでいた。
「なんか、いつまで経ってもお前のそのどっしりとした態度には敵わない気がするな」
「わたしはあんたの横着さにはいつまでも敵わないと思ってるわよ?」
「ぬう…」
肩を落として皮肉を言ったら、相変わらずのどっしりとした態度のまま皮肉で返された。やっぱり敵わないなと、心の中で笑う魔理沙。よいしょ、と霊夢の隣に腰かける。
「お互い、歳をとったもんだよな」
「そりゃ生きてるんだから歳くらいとるわよ」
また返された。今のは皮肉でも何でもないんだけどな、と魔理沙はまた内心笑った。
魔理沙が歳をとって、霊夢も歳をとった。両方とも老婆と言って差し支えない。
「後進の調子はどうだ?」
「まあまあ頑張ってるわよ」
「そりゃあ良かった」
歳をとった霊夢の跡を継ぐ者は既に用意されている。霊夢とはうってかわっての努力家で、毎日熱心に修行している。今日神社にいないのも、鍛錬に出掛けているからだ。
「それで、何か用?世間話しにきただけ?」
「んー、まあ大した用事では無いんだけどな」
不審そうにする霊夢にそう言って、袋から瓶を一本取り出した。
「これを、お前にあげようと思ってさ」
「お酒ね…一体どういう風の吹きまわしかしら。お茶とお菓子をたかってばっかだったあんたが」
魔理沙が差し出した一升瓶に、霊夢はまた皮肉交じりの返事をした。
まあそう言うなよ、と答えた魔理沙だが、ちょっと思い悩む。
霊夢にならば、正面切って言える気がした。霖之助やアリスを制して言わせなかったその言葉を、この霊夢になら。
意を決して、言葉にしてみる。
「…実は、わたしはもうあんまり長くない。今日とも明日とも分からないくらいにな。それで今までの礼も兼ねて」
「ふーん」
魔理沙の思った通り、霊夢の言葉は素っ気なかった。そしてその方がありがたかった。深刻な顔をされると、こちらまで悲しくなってくるから。
魔理沙同様、霊夢も歳をとり、そのときが刻一刻と近付いている。であるからこそ、こんなに落ち着いているのかもしれない。同じ境遇にある者同士、悲しみ合ってもしょうがない。
「それで、逝く覚悟はできてるの?」
「ああ、ばっちりだぜ!お前もいつでも来いよ。そしたら一緒に酒を飲もう」
「わたしは天国へいくけど、あんたはいけるのかしら?」
「わたしが地獄に落ちるってか?わたしが地獄いきなら、お前だって地獄いきだよ」
そう言って笑い合う。魔理沙はずいぶんと心地よかった。自分のために悲しんでくれるのはありがたい。でもこうやって笑ってくれるのもいい。
しかし、逝く逝かないの話をしているのだ。楽しい話題だけというわけにもいかない。
「ところで、あんたに覚悟があっても周りはどうなのよ?パチュリーとか霖之助さんとかアリスとか、それに…あんたの妹分とか」
「…………」
霊夢がその話をしたら、魔理沙は押し黙ってしまった。考え事をしているのか、俯いている。
変な話を振っちゃったなと、霊夢は首をぶんぶん横に振った。
「やめやめ!こんな辛気臭い話、面白くもなんともないわ」
大声を出して、この話はやめようとする霊夢に、魔理沙はばっと顔をあげて霊夢の方を見た。
「それだよ!」
「…へ?」
急に顔をあげたかと思ったら、目を輝かせながらそう言う友人に、霊夢は間の抜けた返事をしてしまった。
何がそれなのか、全く分からない霊夢に魔理沙は雄々と語り始めた。
「わたしに辛気臭いのは似合わないんだ。そのための準備を霖之助やアリスに頼んである。見てろよ霊夢。あいつのためにも、逝くならド派手に逝くからな!」
そう語って、魔理沙は嬉しそうに飛んでいった。
まるで嵐のような友人に、一体何なのよ、と不機嫌そうにする霊夢ではあるが、まあいいかと思いなおす。
「どうやら最期の頼みみたいだし、見届けてやるか」
魔理沙に貰った酒を片手に、そうつぶやいた。
「さて、とりあえずここが最後で、最大の難関だよな…」
腕を組みながら立っていたのは、魔理沙自身の家の前。あちこちまわっていて、あたりは薄暗くなってきた。
この家の中には妹分のルーミアがいる筈だ。出かける際、帰って来るまで待つようにと言っておいたから大丈夫だろう。
しなければいけないのは、霊夢にもしたあの話。一回話したことで少し気が楽になったが、もしルーミアが悲しんだりしたら、と思うと話すのが怖い。
「ええい、悩んでも仕方がない」
そう決心して、自分の家の扉を開けた。
「…ただいまー」
「おかえりー」
にっこり笑って出迎えたのは宵闇の妖怪ルーミア。
60年経って背が伸び、ルーミアと初めて出会った頃の魔理沙より少し低いくらいになっている。
髪も伸ばした。魔理沙とお揃いがいいと言って長髪にしたのである。しかし、頭には帽子の代わりに赤いリボンがそのまま。外れないのだから仕方がない。
そして服は、魔理沙のお下がり。これもルーミアたっての希望で、古くなったものを補修しながら着ている。
「…ルーミア、大事な話があるんだ。ちょっとテーブルに座ってくれないか」
「なーに?」
真剣な目をしている魔理沙を不思議に思いつつ、ルーミアは席についた。そして魔理沙も、ルーミアに向かい合うようにゆっくりと座る。
「…………」
「…………」
沈黙。
じっと魔理沙を見て待っているルーミアに、なかなか話を切り出せない魔理沙。
しかしずっと黙りっぱなしでいるわけにもいかず、大きく深呼吸して気持ちを整えた。
そしてついに、決意する。
「…実はなルーミア、わたしはもう、長くないんだ。今は魔力で保っているが、それも限界だ」
一言一言、噛みしめるように魔理沙は言った。言いながら、恐れていた。この話を聞いて、ルーミアがどういう思いをするのかを。
悲しんではいないか、苦しんではいないか、そんな予想が、頭の中を駆け巡る。
しかしルーミアの放った言葉は、そんな魔理沙の予想から完全に外れたものだった。
「そーなのか」
「…へ?」
霊夢ばりに素っ気ない返事。あまりの素っ気なさに、魔理沙は拍子抜けしてしまった。
「…それだけ?」
思わず聞き返してしまった。悲しむルーミアを見たくはなかったが、まさか悲しまないとは夢にも思っていなかった。もっとこう、泣きじゃくるルーミアを想像していたのだが。
魔理沙の問に、ルーミアはこくこくと首を縦に振る。
「ははは、てっきり、涙くらいちょっとは流すんじゃないかって思ってたんだけどな」
笑ってそう話す魔理沙に、ルーミアもふふっと笑った。
「わたしは妖怪で、魔理沙より長生きなんだよ。こういうことも何回かあったから、慣れたんだよ」
「あ、そっか」
納得してしまった魔理沙。そういえば見た目相応の子どもっぽさをもっていたからずっと妹分にしていたけれども、生きている年数はルーミアの方が上なのだ。
そんなことにはこれっぽっちも思い至らなかった自分はなんてバカだろうと思いつつ、とりあえずほっとした。
「お前が悲しい思いをしなくて済むんなら、わたしは安心だよ」
そう言いながら、ルーミアの頭を優しく撫でる。
少しくすぐったそうで、でも気持ちよさそうな顔をするルーミア。
「ねえ、魔理沙…」
「ん、何だ?」
撫でられながら名前を呼んできたルーミアに、魔理沙は撫でる手と同じように優しく聞き返した。
「あのさ…しゃ…」
「しゃ…なんだ?」
何か思いとどまっているように、しゃ、と言って止まったルーミア。
そんなルーミアの様子を不思議そうにみつめる魔理沙の目線に気付いて、ルーミアは慌てて言い直した。
「しゃ…しゃ、喋れるくらい元気なのに、今日も晩ご飯はおかゆだけでいいの?」
「ん、ああそれでいいよ。あんまり食欲ないし」
それを聞いて、じゃあ作って来るね、と言って台所に向かったルーミアの後ろ姿を見て、何か隠していることくらい魔理沙には分かった。しかし、敢えてそれを深く聞こうとは思わない。ルーミアがやめておこうと心に閉まったことを掘り返すようなことはしたくなかったのだ。
食事が終わって、お風呂に入って、魔理沙はもう寝る時間。ゆったりとベッドに入って横たわった。魔力でごまかしてきた部分もあったためか、体が重い。
すると、魔理沙と一緒に何かがもぞもぞっと入って来て、抱きついた。そんなことをするのは一人だけ。
「ルーミア、今日はもう寝るのか?」
いつもなら外に出て飛び回る時間なのに、今日はベッドの中。
魔理沙にぴったりとくっついて、顔は胸元にうずめて見えない。声だけが聞こえてくる。
「何だか今日はもう寝たい気分」
「…そうか」
何だかんだ言っても寂しいんだろうな、と魔理沙は思った。
もうすぐ今生の別れ。それに対する悲しみが、ふるふると震えるルーミアから伝わって来る。
そんなルーミアに、もう魔理沙がしてやれるのは一つだけ。
優しく、あやすように、ルーミアの頭を撫でる。
「魔理沙、わたしは大丈夫だから、安心してね」
顔をうずめながら話すルーミアに、大丈夫なもんかこんなに震えて、と思いながらも魔理沙はひたすら頭を撫で続ける。もう言葉は出てこない。
なんとかして、少しでも、不安を、悲しみを、消してあげられるように、やわらげてあげられるように、魔理沙は頭を撫で続けた。
「今まで楽しかった、魔理沙…」
その言葉だけで、満足だった。
ああ、わたしも楽しかったよ。その想いを掌にのせて、頭を撫でる。
いつしかルーミアからは寝息が聞こえ始めた。眠たくなった魔理沙も、やんわりと意識を手放した。
翌朝。
「んん…魔理沙…」
ルーミアが目を覚まし、隣に横たわっている魔理沙の方を見た。
いつもなら自分よりずっと早起きの魔理沙は、まだ起きない。ルーミアは魔理沙を揺すってみた。
「魔理沙ぁ~朝だよ~魔理沙ぁ~」
何度も揺すって、何度も名前を呼んだ。しかし、魔理沙は起きない。
それが何を意味するのか、十分理解しているルーミア。それでも名前を呼ばずにはいられなかった。
そしていつの間にか、ルーミアの目からぽろぽろとしずくが落ち始めた。
「あれ…ひっく…おかしいな…わたし…ひっく…大丈夫な筈なのに…」
しゃくり声をあげながら、独りごとを言うルーミア。目から滴るしずくは止まらない。
「ひっく…魔理沙が安心できるように…泣かないって決めてたのに…うぅ…」
決めていたのに、零れ落ちるのは涙。止めたくても止まらない。横で眠る魔理沙を、静かに寝かせてあげたいのに。
こみあげてくる想いは、堪えようとするルーミアの心の堰をいともたやすく突き破った。
「うわあぁぁぁん、魔理沙、魔理沙ぁ~!うう…うあぁ…うわああぁぁぁ!!」
ルーミアは泣いた。大声を上げ、大粒の涙を零しながら。
こんなに涙を流すのは初めてだった。
どれだけ泣いたのか、ルーミアには分からなかった。
時には冷たくなった魔理沙に抱きつき、時には悲しみのあまりベッドの上をのたうち回った。
気付いたら時計の針は正午ごろをさしていた。自分が何時に起きたかは憶えていないが、とにかくかなりの時間泣いていたのだろう。
ようやく涙は止まったものの、目は真っ赤になり、顔には幾本もの涙の筋。
「魔理沙のお墓…作ってあげないと…」
それは魔理沙の死を認めること。そのことにまた悲しみがこみ上げてくるが、ぐっと堪える。いつまでもめそめそしていたら、魔理沙を安心させてあげられない。
時間は正午だが、お腹は空いていない。そんな気分になれないのだ。
とにかく、魔理沙のお墓を作らなければならない。
「まずは穴を掘らないと…」
倉庫からスコップを取り出して、家のすぐ隣に穴を掘る。大きな穴。
そして次にお墓の上に建てる十字架を作る。立派なものは作れないけれど、太い木の枝を拾ってきてそれを組み合わせる。
「わたしが十字架を作るなんて、変な話…」
両手を広げて十字架のポーズ。魔理沙には十進法だって笑われた。
そうだ、いっそわたしがお墓の上で十字架になろうか。それで魔理沙を見返してやろう。
そんなことを考えながら、黙々と十字架を作る。つっこみをいれてくれた人は、もういないのだ。
「お花、摘んでこないと…」
墓前に供える花がいる。どんな花が相応しいのかルーミアには分からないが、とにかく綺麗なお花を供えようと思った。
以上、過程を文字にしてしまえば、大した量にはならない。
しかし、作業中ルーミアの目は何度も潤み、視界は霞んだ。それを堪えようと、心を落ち着かせようと、時間がかかった。
昼ごろから始めたのに、あたりは既にぼんやりと暗くなっている。
掘った穴に魔理沙を寝かせ、土をかぶせて小高く盛って、その上に十字架を差す。そして摘んできた花を供えた。
「…完成」
元気なく言葉をもらし、ルーミアは墓前に体育座りした。じっと手作りの墓を見つめる。
「魔理沙…」
これ以上呼んではいけない、魔理沙は眠っているのだから。そう自分に言い聞かせようとするが、どうしてもその名を呼んでしまう。呼ばずにはいられない。
そんな心の葛藤と戦っていたルーミアに、後ろから声がかけられた。
「やっぱり、逝っちゃったのね…」
「…パチュリー、どうしたの?」
振り向くと、後ろにいたのは図書館の魔法使いパチュリー。普段外に出ることのない彼女がこんなところにくるなんて珍しい、とルーミアは驚いた。
「まあちょっと野暮用でね。でもその前に、お参りさせてくれるかしら?」
目を丸くするルーミアに、パチュリーはお墓の方を向いて言った。
友人を悼む気持ちは尊重しなければならない。野暮用とは何なのか気になるルーミアであったが、首を縦に振った。
ルーミアの許可をもらい、パチュリーは小さくありがとう、と言って、帽子を脱いで黙祷する。色々と思うところがあるのか、ずいぶんと長い黙祷。
「…さて、野暮用を済ませるとしようかな」
長い長い黙祷を終え、くるっと振り返ってルーミアの方を向いたパチュリー。
そしてパチュリーは懐から一冊の本を取り出し、それをルーミアに差し出した。
「はいこれ」
「これは…」
差し出された物にルーミアは見覚えがあった。以前に比べて表紙がぼろくなり、紙も傷んでいるが、確かに覚えている。
「『ヘンゼルとグレーテル』…」
ずいぶん前に、返した本だ。
その本のタイトルを、ルーミアは零すようにぽつりと言った。魔理沙に読み方を教えてもらった、思い出の本のタイトルを。
「この本には、わたしよりずっと相応しい持ち主がいるわ」
「パチュリー…ありがとう…」
渡された本をそっと抱きしめて、ルーミアはお礼を言った。楽しかった魔理沙との思い出が蘇って来る。
そんなルーミアの姿に満足して、パチュリーはにこっと笑った。
「喜んでくれて何よりだわ。それじゃあ、帰るわね」
「あ、ちょっと待って…」
後ろを向いて飛び立とうとするパチュリーを、ルーミアは呼び止めた。
何かしら、と振り返るパチュリーに向かって、弱々しく言葉を発する。
「…わたしね、一つだけ魔理沙に聞けなかったことがあるんだ。捨食の法を覚えないで、どうして魔法使いにならなかったの、って」
前日の晩、ルーミアが魔理沙に聞きたかったことは晩ご飯の献立のことなどではない。
どうして種族・魔法使いにならなかったのか。なっていれば、こんなに早い別れはしなくて済んだのに。
こんなことをパチュリーに言っても、迷惑にしかならないことくらいルーミアには分かっていた。それでも言わずにいられなかった。誰かに吐露しない限り、気持ちのもやもやが消えることはなさそうだったから。
しかし、パチュリーは親身になってルーミアの話を聞いてくれた。迷惑だろうと思っていたルーミアにとって意外な反応だった。
「どうして聞かなかったの?」
優しい口調で問いかけてくるパチュリー。その親切さをありがたく思いつつ、ルーミアはまた弱々しく話し始める。
「魔理沙を追及するようなこと、したくなかった…」
ルーミアの問いたかったことには、意識しようとしまいと、咎めるようなニュアンスが含まれている。種族・魔法使いにならなかったことを恨めしく思うようなニュアンスが。
これから眠りにつく魔理沙に、ルーミアはそんなことをしたくなかったのだ。
「どうしても気になるの?」
「…うん」
聞いておけばよかったかもしれないと、今になってルーミアは後悔している。あれが、魔理沙と話ができる最後のチャンスだったのだから。
はあ、とため息をつくルーミアであったが
「そのことなら、わたし知ってるわよ」
「え!?」
これまた予想外のことに、ルーミアの目の焦点はパチュリーに固定されて動かない。
その様子が少しだけ可笑しくて、パチュリーは静かに笑った。
「ちょっと長くなるけど、聞きたい?」
「き、聞きたい!」
我に返って答えるルーミア。
聞きたい、どうしても聞きたいと、心の底から思った。本人からは聞きたくても聞けなかったこと、もうどれだけ願っても聞けないこと。
首を縦にぶんぶん振るルーミアを見て、もう話さないわけにはいかないな、と感じたパチュリー。軽く深呼吸して、話し始めた。
「…魔理沙はね、幻想郷が好きだったの。人間や妖怪や妖精や神様が、一緒になって楽しく暮らしていられるこの幻想郷が大好きだったの。だからこそ、魔理沙は捨食の法を得なかった。種族としての魔法使いに変わらなかった。この幻想郷に人間として生まれた以上、人間として、人間たちとも妖怪たちとも妖精たちとも神様たちとも接していたかった。わたしやアリス、霊夢に香霖堂の店主、他にもたくさん。そしてルーミア、貴女ともね。それが、魔理沙の願い」
ここまで一気に話して、パチュリーはルーミアの表情を確かめた。眉ひとつ動かさず、こちらをじっと見つめている。
それが魔理沙の想いを受け取ろうと身構えているように見えて、続きを話し始めた。
「魔理沙はこうも言っていたわ。人間として生きることを選んだ自分は、あっという間に先に逝ってしまう。後に残すものが多すぎる。特に、一番大切なやつを後に残さなければならないのが心残り。自分のわがままな願いのせいで、そいつに悲しい想いをさせてしまうんじゃないかっていうのが、残念で仕方がないって。でもこうも言っていた。あっという間だからこそ、その間は思いっきり楽しく一緒に暮らしてきたつもりだし、自分がいなくなった後も、それまでの思い出を楽しく振りかえってほしいってね。一番大切なそいつっていうのは勿論、貴女よ、ルーミア」
全てを話し終えて、パチュリーはふう、と息を吐いた。喘息の自分がこうもスラスラ話ができるとは思っていなかった。
そして最後に、ルーミアに確認する。
「魔理沙の想い、受け取ってもらえたかしら?」
納得しようがしまいが、今話したことが魔理沙の残した想いの全て。それをどう受け取るかは、ルーミア次第。
色々と心配するパチュリーであったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
「魔理沙が幸せだったなら、それだけでわたしは嬉しい」
ルーミアはにっこり笑う。
その笑顔の裏には何も隠れていない。純粋に、魔理沙の幸せを喜んでいる。
それを感じとり、パチュリーは満足そうに頷いた。
「じゃあ、魔理沙との思い出を大事にしてあげてね」
「うん!」
その返事だけ聞いて、パチュリーは飛んでいった。
残ったルーミアは、もう一度『ヘンゼルとグレーテル』を抱きしめて、魔理沙の墓の前に座った。
楽しかった思い出を、一つ一つ振り返りながら。
日が落ちて辺りが暗くなっても、ルーミアは墓の前に居続けた。思い出の本を、抱きしめ続けた。これからの時間はルーミアの時間でもあるのだから、問題はない。
ただ、暗くて魔理沙の墓が見えにくくなるのは困るので、家からランプを持ってきて照らす。
そのとき、後ろから声をかけられた。
「やあルーミア。お墓、できたみたいだね」
「ルーミア…」
「霖之助、アリス」
暗くて見えにくかったが、声だけで誰か分かった。
やって来たのは二人。どちらも魔理沙の友人で、ルーミアも何度も会っている。ルーミアにとっても大切な人たちだ。
「立派なお墓じゃないか。きっと魔理沙も喜んでるよ。どれ、僕にもお参りさせてくれないか?」
「わたしも、いい?」
「いいよ」
こくんと頷くルーミア。
霖之助とアリスはルーミアの両隣りに屈んで、両手を合わせた。二人ともじっと目を閉じて、今は亡き友人のことを悼んだ。
やがて拝むのが終わると二人は、よしっ、と言っていそいそと何かを準備し始めた。霖之助は数本の大筒を間隔をあけて立て、アリスがその大筒に何か仕掛けをしている。
「二人とも何してるの?」
その様子を、地べたに座ったまま眺めていたルーミアは、いよいよ気になって尋ねた。
「ん、これはね」
「魔理沙からの頼まれごとよ」
「魔理沙からの?」
一体何なのだろう、と首をかしげるルーミア。二人は、見ていれば分かる、と言って教えてくれない。
そうこうしている内に、準備が整ったようである。
「じゃあアリス、点火してくれ」
「分かったわ、ルーミアもちょっと離れて」
「え、うん」
アリスに言われた通り、ルーミアは立ち上がって移動した。霖之助とアリスも同じように離れる。
「それじゃあ点火するわよ~」
言うや否や、アリスは大筒に向かって魔力を放った。
すると
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「うわあ…」
「ほう…」
「綺麗…」
ルーミア、霖之助、アリスの三人は、同時に感嘆の声をあげた。数本の大筒たちから、色とりどりの打ち上げ花火があがったのである。
その鮮やかな光景に、三人は目を奪われ、息を呑んだ。
「ねえ、魔理沙の頼みごとって…」
「ああそうだよ。僕は花火を打ち上げるための大筒を用意するように頼まれた」
「わたしは魔理沙からもらったマジックアイテムを使って、花火を打ち上げることを頼まれた」
全ては生前、魔理沙本人に頼まれたこと。
何故彼女は友人たちにこんなことを頼んだのか、それは
「「ルーミアと、華やかな別れをするために」」
「え…」
二人の言葉が耳に届き、ルーミアは感極まった。そしてまた、目からぽろぽろと涙を零す。
本を抱きしめる腕の力を、少し強めて。
しかしルーミアは顔を下げなかった。涙を拭かなかった。そんなことをしている暇があるなら、魔理沙の花火を見ていたかったから。
そして、何発目かの花火があがったとき
ひゅううぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「あ、アリス!」
「本当だ」
思わずルーミアは花火の方を指差した。空に咲いた花火は、アリスの顔の形をしていた。
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁん!!
「今度は霖之助だ!」
「むう、僕はあんなにしかめっ面かい?」
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああぁぁぁぁぁん!!
「パチュリー!小悪魔!霊夢!」
浮かび上がった人物の名前を、ルーミアは叫ぶ。
その後も、魔理沙が知り合った幻想郷中の人物たちの顔が次々と浮かび上がる。
そして最後に特大の花火が二発。
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
ひゅううぅぅぅぅ~~~~ぱああああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!
今までのよりもずっと大きな音が鳴って、辺りに響いた。
その花火に浮かび上がった二人の顔は
「魔理沙と…わたし…」
宵闇の空に咲いたのは、並んでにっこり笑う魔理沙とルーミア。出会った頃の相貌で、魔理沙は若く、ルーミアは髪が短くて幼い。
そこにいた二人はとても楽しそうで、そして儚く消えた。これを最後に、花火もやんだ。
それを機に、三人は何も喋らなくなった。しばらくの沈黙の後、最初にそれを破ったのは霖之助。
「やれやれ、まったく魔理沙らしいね」
「あら、もう帰るの?」
花火を最後まで見届けて、ざっと後ろに方向転換して歩き出した霖之助に、アリスが聞いた。
「…こういう日は、一人で酒を飲みたい性分なもので」
背中を向けたままぶっきらぼうに答えて、霖之助は歩いていった。
ただ、いつもポーカーフェイスの彼が、手を顔にやり、肩をわなわなと震わせているのをアリスは見た。だから、もう何も言わなかった。
そして残ったのはルーミアとアリス。
花火が終わってからずっと空を見上げて黙っているルーミアに、アリスは優しく抱きついた。
「ねえルーミア。悲しかったら泣いてもいいの。苦しかったら泣いてもいいの。我慢することなんてないのよ」
穏やかな口調で話しかけるアリスに、ルーミアは首を横に振った。
「わたしはね…今すごく…嬉しいんだ…」
「嬉しい?」
「魔理沙が、わたしのためにこんな素敵なものを用意してくれた。それが嬉しい。だからね…」
そこまで言って、ルーミアはアリスに抱きつき返した。
「だから…今流してるのは…嬉し涙だよ…」
しわがれた声で、何とか言葉にして、そしてルーミアはわんわん泣いた。
これは嬉し涙だから、悲しい涙じゃないから、寂しい涙じゃないから、心配しないでね魔理沙、わたしは今、すごく幸せだよ。
そう思いながら。
そんなルーミアの健気な心を汲みとって、アリスは何も言わず、包み込むようにルーミアの背中を、ぽんぽんと軽く叩いてあげたのであった。
「ちゃんと見届けてさせてもらったわよ、魔理沙」
ルーミア達から少し離れた木の上。
片手に盃を、もう片方に魔理沙からもらった一升瓶を持って、霊夢はそうつぶやいた。
「何事も派手好きなあんたらしいわ…あーあ、ルーミアったらあんなにべそかいちゃって」
わんわん泣くルーミアの泣き声は、離れている霊夢のところにもはっきりと伝わって来た。
しかし、悲痛な感じはしない。
「心意気って言うのかしらね、こういうの。何にせよ、あんたのそれはちゃんと伝わったみたいだから、安心しなさい。そのうち土産話にもってくわ」
そして霊夢は、盃いっぱいの酒を飲みほした。
「ふう…さて、わたしも行きますかね」
一人酒は性に合わない。泣くルーミアはアリスに任せることにして、霊夢は博麗神社の方へ飛んで行った。
生真面目な後進を巻き込んで、酒盛りでもするか。そう意気込みながら。
しばらくして、ルーミアは泣きやんだ。
泣き疲れたようであるのでアリスが膝枕をして、寝転がるルーミア。
「落ち着いた?」
「…うん」
柔和な目で自分の顔を見つめるアリスに、ルーミアは小さな声でそう言って、寝ころんだまま頷いた。
もうこれ以上涙なんて出ないんじゃないか、というくらい泣いた。だが、それだけ泣いたおかげもあって、心は割とすっとしている。
ルーミアの表情からそれを読み取って、安心したアリスは胸を撫でおろした。それと一緒に、ルーミアの頭を優しく撫でる。
そして、一つの提案をした。
「ねえルーミア、わたしと一緒に暮らさない?」
「…え?」
頭を撫でられながら、突然やって来たその申し出に、ルーミアはきょとんとした。
ああ説明が足りないなと、アリスはさらに話を進める。
「魔理沙からもう一つ頼まれごとがあるのよ。魔理沙がいなくなった後、ルーミアのこと、支えてやってくれってね。それでもし貴女がよければ、一緒に住もうかと考えて。わたしの家も一人暮らしには広いし」
「そーなのか」
あれこれ用意周到なんだなあ、としみじみ思うルーミア。それだけ自分のことを想ってくれていたのかと考えると、何だかくすぐったい。
しかしどうしようか、と考える。魔理沙と一緒に暮らすようになるより前は一人で暮らしていた。今から一人に戻ることは、できないことはない。
でも、誰かと一緒に暮らすあったかさ、温もりが身に染みているらしく、それを手放すのは嫌だった。
となると、答えは一つ。
「アリスと一緒に暮らす!」
「ふふ、歓迎するわ」
にっこり笑顔のルーミアに、アリスもにっこり笑って返す。
そしてアリスには、もう一つ伝えることがあった。これもまた、大切なこと。
「もう一つ、貴女に言っておくことがあるわ」
「何?」
真剣な、それでいて優しげなアリスの目を、ルーミアは覗き込む。
その真紅の瞳に、アリスは柔らかな目で見つめ返した。
「あの花火だけどね、またあげることができるのよ」
「本当!?」
アリスの言葉に、ルーミアは目を輝かせた。
魔理沙が作ってくれた花火、最後には二人並んで笑っているあの花火をもう一度見られるなんて、とても素敵なことだ。
嬉しそうにするルーミアに、アリスはふふっと笑いかける。
「あの花火はマジックアイテムを使ったもので火薬とかは一切使ってないみたいなの。だから魔力を注入し直せばまた打ち上げられるわ。ただ、規模の大きい魔法だからチャージには時間がかかるけど」
「どれくらいかかるの?」
輝く紅いルーミアの目に、そうねえ、と頬に手を当て考えるアリス。
「一ヵ月ってところかしらね」
「一ヵ月か~」
そう言うと、ルーミアは起き上がって、とてとてと魔理沙の墓まで駆けていった。
思い出の本を大事そうに抱えたまま、墓に向かって話しかける。
「ねえ魔理沙、わたしアリスと一緒に暮らすよ。でもここにも来るよ。お墓をもっと立派にしたいし、お花ももっと供えたいから。それで一ヵ月経ったこの日に、また花火をあげる。その一ヵ月あとにも、そのまた一ヵ月あとにも、何回も!」
とびっきりの笑顔を向ける。わたしはこんなに元気だよ、ということを伝えるために。
すると突然、優しい風が吹いた。心地よい、撫でるような風。
「魔理沙…」
それは偶然だったのかもしれない。だがルーミアには、魔理沙が撫でてくれているように感じられた。
「そーなのか」
一言つぶやいて、また腕の力を少し強めた。胸の中には、大切な本。
空を見上げて、さっきの花火を思い出す。
宵闇の空に輝いた魔理沙とルーミアの笑顔は、ぱあっと咲いて儚く消えた。まるで二人で共に過ごした時間のように、あっという間のことだった。
それでも、ルーミアの目に、記憶に、心に、鮮明に焼き付いている。二人で一緒に笑い合った日々のように、鮮やかな色彩を放って、ずっと、ずっと。
こういう、悲しくない最期のお話の方が私も好きです。
ルーミアはどれくらい生きているのか分かりませんが、本当はここまで親しい人間との別れは初めてなんだろうなぁ…
いずれまた、この二人のお話に出会えることを願っております
…この台詞から打ち上げ花火で打ち上げられて死亡なんてオチが見えた俺は一体どんな思考回路してんだろう…。
切ないながらも賑やかな、魔理沙らしい最期。
長編乙、そして沢山の可愛いルーミアをありがとうございました。
楽しく、そして最後はしみじみと読ませていただきました
切なくて悲しくてそれでいてどこまでも優しくて温かい話をありがとうございました
逝くなら派手に……。
素敵な感動でした。
次の作品や続編等楽しみにしてます!
シリーズ完結お疲れ様でした。
健気なルーミアもお姉さんな魔理沙も、とても可愛かったです!
二度も涙腺が崩壊しかけた。ルーマリやっぱ最高ってことです...
感動する作品をありがとうございました!(大泣)