博麗神社には多くの人妖が訪れる。
そうは言っても、訪れるのは殆どが妖怪だし参拝目的の人間もほぼ存在しない。
というか、妖怪がお茶を飲んでいたり昼寝をしているような神社に来れるような人間は神頼みをしないだろう。
そういうわけで、人間である霧雨魔理沙は賽銭を投げ入れることはしないのであった。
「そんな理屈はどうでもいいのよ。せっかくだから入れときなさい」
「何がせっかくなのかわからないぜ」
いつものように縁側でお茶を飲んでいた霊夢は、いつものように賽銭箱をスルーして隣に座る魔理沙に文句をつける。
そして魔理沙はいつものように肩をすくめた。
「額は重要じゃないの。気持ちが大事なのよ。それこそ語呂合わせだって構わない」
「じゃあ5円でいいか?」
「2951円にしときなさい」
「言ってることが無茶苦茶だぞお前」
「巫女だもの」
「それは知らなかった」
「相変わらずねあなた達は」
軽口を叩き合う二人を呆れたように言うのは神社を訪れる妖怪の一人、アリスだった。
当然のように賽銭を投げ入れることもなく、魔理沙の隣に勢い良く腰掛ける。
「どうしたアリス。不機嫌そうだけどヤキモチか?」
「誰かさんが魔導書を持っていったせいで研究が滞っているのよ」
「そりゃあ大変だな」
アリスのじとっとした視線にも魔理沙は涼しい顔でお茶を飲み続ける。
アリスは溜息をつくと、どうでも良さげに呟く。
「それと。あなたの首に魔力糸が絡んでるの。この指をクイッと引くだけで」
「わかった私が悪かったからやめてくださいお願いします」
慌てて平謝りする魔理沙。
首筋に違和感はまったくなかったが、彼女なら切り落とすようなことはしなくても絞め落とすくらいならしかねない。
「わかればいいの」
その様子に満足気に頷くと、魔理沙が飲んでいたお茶を奪い取り喉を潤す。
「ったく、本当に外したんだろうな」
「ええ、ちゃんとね。ああ、そうだ霊夢。明後日宴会するって話があるけどいいかしら?」
「また急な話ね。場所を貸すのはいいけど料理はそっちで用意してよ」
突然の宴会開催も難色を示すことなくあっさりと霊夢は承諾する。
巫女としてはどうなのだろうと魔理沙は思ったが口には出さなかった。
余計なことを言って会費を取られるようなことになっては堪らない。
「助かるわ」
「って魔理沙。それ私のお茶」
「私のはアリスに取られたんだよ」
「一緒に飲めばいいでしょう」
「できるか」
「できるようになりなさい」
文句を言いつつ霊夢は急須を手に取り、台所に向かう。
「ねえ、宴会の片付けっていつも霊夢がしてるの?」
その背中を眺めていた魔理沙にアリスは訊ねる。
「うん? まあ、大体そうじゃないか? たまに咲夜とか聖が手伝うこともあるみたいだけど」
「ふぅん……」
「どうしたんだ急に?」
「いや、霊夢の酔っ払った所見たことないなって。いくら飲んでも素面みたいなんだもの」
「ごほっげほっ!」
アリスのその一言に突然魔理沙は飲んでいたお茶をむせ返す。
それ以上にアリスも驚き、湯のみを落とすところだった。
「びっくりした……落ち着いて飲まないからよ」
「あ、ああそうだな……落ち着かないと駄目だな……」
変なやつだと首をひねるアリスを横目に、咳き込む魔理沙の脳裏にはあの時の記憶が蘇っていた。
今ほど酒に強くなかった霊夢が酔っ払ったときのことだ。
アレを知っているのは自分以外にはその場にいた紫だけ。
その紫もしばらくは布団を被って霊夢と顔を合わせようとせず、かく言う自分も一週間は神社に行けなかった。
アレは出来ればもう味わいたくない。本当に色々な意味で恐ろしい。
「霊夢は酔うとどうなるんでしょうね。魔理沙みたいに甘えるのかしら」
「どうだか……っておい! 私が甘えるってどういうことだ!」
「ん? あんた酔うと甘え癖があるのよ。いっつも覚えてないの?」
何を今更とばかりに言うアリス。
当の魔理沙にはそんな記憶はない。全く記憶にない。
酔いきった後はそのまま潰れてしまっているとばかり思っていたのだ。
「な……それじゃあこの間聖の側で倒れていたのは……」
思い当たる節がみつかり、恐る恐るアリスに訊ねる。
嫌な汗を流し続ける魔理沙を気遣うこともなくあっさりと答えは返ってくる。
「ああ、『おかーさんみたいだー』って甘えてたわね。『私はなに?』って訊いたら『ありすはおねーちゃん』って」
「うわああああああああああああ! 忘れろ! 頼むから忘れろ! お願いだから忘れてえええええ!」
心の底から叫び、涙目になってなりふり構わずアリスに詰め寄る魔理沙。
日頃はやんちゃぶっていても根っこはかなりの乙女である彼女には刺激が強すぎた。
「それは難しいわね。写真もらちゃったし」
そう言って取り出された写真には、アリスに膝枕されて気持ちよさそうに眠る魔理沙の姿が嫌みなくらいに鮮明に写されていた。
「どこで手に入れた! ブン屋か! ブン屋からか!?」
「そうだけど。安心しなさいな、私以外持ってないわ」
「そういう問題じゃないんだよおおおおお!」
「いいじゃない。可愛いし」
「捨てろ! いいから捨てろ!」
「やだー」
今にも泣き出しそうな魔理沙と、がっくんがっくん首をゆすられながらも余裕の態度を崩さないアリス。
その様子を遠巻きに眺める人影があった。
「何というか……末永く爆発してください、でいいんでしょうか」
鳥居に腰掛けた文は誰に言うでもなく呟く。
霊夢がお茶を取りに行った辺りからいたのだが、二人の痴話喧嘩にでるタイミングを逃してしまった。
「しかし、霊夢さんの酔ったところですか。言われてみると見たことなかったですね」
ふむ、と文は顎に手を当て考える。
さっきの魔理沙さんの様子は不自然だった。何か隠していると見て間違いない。
おそらく、霊夢さんの酔ったところを知っているのだろう。
そして、泥酔した彼女をしっているのはたぶん魔理沙さんだけ。
「それは十分記事になりそうですね」
泣き上戸にしろ酒乱にしろネタにはなる。
それに個人的にも興味があった。魔理沙さんみたいに甘え癖があるなら役得と言うものだ。
あやおねーちゃん
もう、霊夢は甘えん坊ですね
だってすきなんだもん
「ふふふ……」
自分に甘える少女の姿を妄想し、含み笑いを漏らす姿は不審者そのものであったが決してロリコンではない。
ただ可愛い娘が好きなだけである。不審者ではあったが。
「そうと決まればこうしちゃいられません」
未だ痴話喧嘩を続ける二人に別れを告げ、里に向かって飛び立つ。
彼女を酔わせるなら相応の物が必要だ。
◇
「なーにしようかな……」
ちゃぶ台に頬をべったり横たえた霊夢は暇そうに呟く。
時計を見ると時刻は9時。寝るには早いがこれといってすることもない。
今から風呂を沸かすのも面倒だし、晩酌するにも丁度酒は切らしていた。
「うあー」
意味のない声を上げつつ後ろに倒れこみ、そのまま静止。
天井のシミでも数えようか、と思い始めたところに来客を知らせるベルが響いた。
あったら便利だろうと紫が取り付けたものだが、活躍する機会は月に数回ほどしかない。
どいつもこいつも勝手に部屋に上がるような奴らばかりだからである。
「夜に来るとは珍しい……」
霊夢はのろのろとした動作で身体を起こすと玄関に向かって動き出す。
ベルを鳴らすのは早苗か咲夜、たまに文くらいだが彼女らは夜に訪れることは滅多にない。
夜に訪れるのはスキマから勝手に入ってくる紫かいつの間にか酒を飲んでいる萃香くらいであった。
「はいよってなんだ文か」
戸を開けた先にいた見知った顔にそんな呟きが漏れる。
「なんだ、ってちょっとひどいですね。せっかくおみやげを持ってきたのに」
文は不満気に言って、風呂敷に包まれた酒瓶を見せ付ける。
それだけで霊夢はぱっと目を輝かせる。
「あ、お酒持ってきたの? それを早く言いなさいよ。今何か作るから上がって待ってて」
それだけ言うと文を放って慌ただしく台所に向かってしまう。
文はその素直な反応に苦笑しつつ内心ではほくそ笑んでいた。
この酒はただの旨い酒ではない。特別アルコール度数が高いわけではないが、他の酒と比べても数値以上に酔いやすい。
鬼でも一口飲めば酔っ払うと里で評判になっているものだった。
値段もそれ相応であったが、面白いネタの前にその程度で尻込みはしていられない。
腰のポーチに入った愛用のカメラを取り出し、フィルムが収まっているか確認する。
残量が十分であることを確認すると頷き、ポーチへと戻す。
「さて、うまくいくといいですが……」
期待半分、不安半分で文は呟くと下駄を脱ぎ居間へと向かった。
結果から言うならば大失敗であったのだが。
◇
「それで。霊夢が酔っ払うとどうなるの?」
「……まだその話題引っ張るのか」
ソファーに寝転んで本を読んでいた魔理沙はうんざりしたように言う。
我が物顔でソファーを占領しているが、ここはアリスの家でアリスのソファーである。
それに対して彼女が何も言わないのは何度行儀悪いと注意しても聞き入れようとしないことと、こっそり試してみたら結構具合が良かったからであった。
「だって気になるもの。一度気にしたら解決するまでは夜しか眠れないわ」
「それは健康的だな」
「で、どうなのよ」
「どうだっていいだろ。いつもと変わらないよ」
鍋のビーフシチューをかき回しながらアリスは訊ねるが魔理沙はどうでもよさそうに応える。
実際のところ、あの時のことは思い出したくないし人に言うようなことでもない。
「本当?」
「本当」
「ふぅん」
適当な答えをよこす魔理沙にアリスは納得しかねるようだったが、突っ込んで訊くことはしなかった。
魔理沙もそれ以上言うことはなく、しばらくの間シチューを煮込む音とページがめくられる音だけが部屋に流れる。
諦めてくれたか、と彼女が安堵したとき、アリスがどうでも良さげに――しかし、不自然に大きな声で呟く。
「ところで最近創作料理に凝ってるのよ。このビーフシチューにオクラを入れてみるってのはどうかしら」
「おいやめろ馬鹿。このビーフシチューは早くも終了ですね」
「じゃあ、教えて?」
「こいつ……」
食べ物で脅すとは卑怯な。
しかしこの魔理沙、その程度では屈服しないのだ。
「おいしいワインとパンもあるんだけど。そうね、パンのワイン漬けとか試してみようかしら」
「それはちゃんとした手順を踏むのか踏むんだよな?」
「その場でつけて食べるだけよ?」
「誰も得しないからやめてくれ」
夕食がオクラ入りのビーフシチューと適当にワインを染み込ませたパンなんて悲しすぎる。
「というか、お前はそれでいいのか」
「私は食べなくても平気だもの。あなたはごちそうされる側なのよ」
「む……」
ということは、わざわざ自分のために夕食を作ってくれたということになるのか。
そうなると、そんな悲惨な食事にしてしまうのは申し訳ない。
「わかったよ。私の負けだ。教えるからちゃんとした料理を頼む」
降参したように両手を上げた魔理沙は溜息をついて言う。
アリスは妙な所で子どもっぽいやつだと思いながら。
「いい子ね。ほらほら早く」
アリスは楽しげに言うと手早くシチューを盛りつけ、食卓に並べていく。もちろんオクラなんて入っていなかった。
「わかったって」
魔理沙は本を閉じ、着々と食事の用意が整えられていく食卓に着く。
正直気乗りはしないのだけど、この食事を犠牲にするのは勘弁したい。誰だって食欲には逆らえないのだ。
「霊夢が酔うとだな」
◇
「あんたは偉いと思うわ。腹の立つ連中も多い天狗の中でもしっかりと自己を保っている」
「はぁ……ありがとうございます」
がちがちに固まった体で生返事を返す文の思考を支配するのはたった一言。
どうしてこうなった。
うまくいくと思ったんだ。実際に彼女を酔わすところまではうまくいった。
しかし、そこからおかしくなった。呂律が回らなくなってきたと思ったら突然無口になって俯いて。眠ってしまったのかと思えば『こっちに来なさい』と静かだけど逆らえない調子で言われて、そして今に至る。
「それに年下にはやさしいのね。いつもありがとう」
「い、いや……そんな大したことは」
「結構楽しみにしてるのよ、あんたの新聞」
「は、はい……」
現在の文の状況は、『普段は絶対に見せない優しげな笑顔の霊夢に膝枕されて手放しに褒められている』。
顔から火が出るなんてレベルじゃない。頭そのものが火になってしまったのではないかと思うくらいに熱い。
何しろいつもの霊夢とギャップがありすぎる。冷たいというほどではないが素っ気ない態度の彼女と今の彼女では別人のようだった。
「他の天狗の新聞は嘘ばっかりであてにならないけど、文は本当のことを伝えようとしている。そういう真面目なところも好きよ」
「っ……」
そして、酔っているときに嘘をつくほど霊夢はひねくれていない。つまり、さっきから言ってることは全部本心からということになる。
だからこそ余計に気恥ずかしい。常日頃の言動からあまり評価されていないと思っていたから尚更だった。
ただ、嬉しいのも確かだった。
自分のことを認めてくれる。それが嬉しかった。
「信念を持って行動できる。立派だと思うわ」
「……そんなに立派なものじゃないですよ」
沈んだ、文には似つかわしくない悲哀混じりの声。
「ただ、周りと同じことをしたくないからっていう子どもじみた理由ですよ。他の天狗からは変わり者扱いですけど、私はきっと集団に混じりきれない性質なんでしょうね」
そのくせ集団からも抜け出せない。どうにも中途半端な存在。
自虐的に文はつぶやく。
「だから新聞記者なんてやってるのかもしれません。そのときだけは『妖怪の山の天狗』ではなく、『新聞記者の射命丸文』でいられ」
「えい」
べちん。
「痛っ!? え!? 今デコピンするような場面じゃないですよね!?」
「うるさい」
メメタァ。
「った! ちょっと霊夢さん!」
びしっと二発目を食らった文は涙目で抗議する。
が、見下ろす霊夢は視線をものともせずしゃべり始める。
「文、新聞を作るのは楽しい?」
「そりゃあ楽しいですけど……」
「読んでくれる人はいる?」
「少ないですけど、います」
戸惑いながらも文が答えると、霊夢は満足したように頷き微笑む。
「なら、それでいいのよ。新聞を書く理由なんてなんだっていいでしょ。文が楽しんで、それを認めてくれる人がいる。それでも不満?」
「……そんなことは」
「あんたは面倒くさく考えすぎなのよ。もっと簡単に考えなさいな」
それはいくらなんでも単純すぎないか。
その反論は一瞬で引っ込んでしまった。
自信満々に笑う霊夢と、やさしく気遣うように置かれた手の前にはどうでもよくなってしまった。
それくらいに真っ直ぐな目で、優しい笑顔だった。
「……そうですね。私も霊夢さんを見習います」
「そうしなさい。なんたって人類の宝だから」
「……ふふっ」
彼女が言うほど簡単でもないかもしれないけど。
今が楽しい。
それで十分だと思えた。
◇
「うーん。けど、なんで一週間も引きこもったの?」
明くる日の博麗神社。今日もアリスと魔理沙は縁側でくつろいでいた。
神社でお茶を楽しむのが最近のトレンドというわけではなく、暇なだけである。
「そりゃあ」
「魔理沙ー、こっちに文来てた?」
言いかけた魔理沙に訊ねる霊夢は新聞を持っていた。
神社に配達される新聞は一つしかない。
「いや、来てない」
「そう? 新聞だけ置いてくなんて珍しいわね」
ま、いっか。
つぶやき、魔理沙の隣に座ると新聞の文字を追っていく。
彼女をよく知るものが見ればわかる程度には楽しげであった。
霊夢に聞こえないように二人は小声で会話を続ける。
「文も顔合わせたくないみたいね」
「そりゃあそうだろ。一晩中膝枕されて褒められ続けられるんだ。顔を見る度に思い出すわ」
「なるほどねぇ……」
納得したようにアリスは頷くと、ふと思い出したと魔理沙に訊ねる。
「そう言えば魔理沙」
「なんだ?」
「昨日話してくれた内容は紫だったけど、魔理沙はどうだったの?」
「ふふふふふつうだったぜなんでもなかったのぜこの話は終了なあっと用事を思いだしたじゃあなアリス」
誰が見ても普通ではない冷や汗をかいている魔理沙は一息で言い切ると立ち上がろうとする。
が、石膏で固めようにまったく動けなかった。
まさか、と目だけで横を向くと得意げな表情のアリスが指を立てていた。
僅かにだがその指先が光っているように見える。
「一手遅かったわね。魔力糸が全身に絡んでるからあまり動かない方がいいわよ」
「ア、アリス。やめろ。やめてくれ」
魔理沙の嘆願に対してアリスは可愛いらしく微笑む。
素敵な笑顔であった。状況が状況でなかったら。
「霊夢ー。魔理沙がくすぐってほしいってー」
「んー? まあ、いいけど」
「やめろおおおおおおおおおおお!」
魔理沙が再び神社を訪れるのは十日後のことであった。
でも逆に言うと酔った霊夢に何も褒められなかったら二度と立ち直れないな……
褒められてみたいなぁ
むしろもっと酔わせていろんな本音を引き出したいなあ。
3回目へゴーだ!
萃香あたりは結構被害に遭ってるのかも知れないなぁw
膝枕されたいです