男の手にしては細く長い指で髪を触られるのが私は好きだった。
「今回はどうするんだい?」
「邪魔にならなければ、香霖の好きにしていいぜ」
そう返すと彼は苦笑いを浮かべる。私にとっては、髪を切るという行為は香霖に髪を撫でてもらう時間だった。
直接、彼に頭を撫でてくれと言うのは子供ながらに恥じらいを持っていて言えなかった私が考えた言い訳。
実際に香霖は手先は器用だったので、里の誰よりも髪を切るのが上手かった。
しかし、それを商売にしようとは思っていなかったらしく、今では、里から離れた辺鄙な場所で古道具屋を営んでいる。
「そう言われてもね。いっその事、耳が隠れるぐらいまで短くしてしまうかい?」
「ダメだ!」
そこまで、短くしたら次に切るのが何時になるのか分からない。
私のささやかな楽しみなのだ。一ヶ月に一度ぐらいの感覚になるようにして欲しい。
香霖がため息を吐くのがわかる。幼心に自分が楽しんでいる時間が相手と共有できていないことのショックを受けた。
「お姫様の言う通りにしますよ」
不機嫌な顔をしていたであろう。香霖が冗談めかしに言う言葉に私は一喜一憂する。
冗談と分かっているのに『お姫様』扱いされたことが嬉しく顔が赤くなる。
―――――そんな時間が私は大好きだった。
「霊夢、流石にそれは無いだろう」
私が自分で髪を切っていると魔理沙が呆れたように話し掛けてきた。
「うるさい。手元が狂ったらどうするのよ」
自分で切った髪の毛の束を持ちながら、水場に向かう。あとは禊のついでに頭から水を掛ければおしまいだ。
「いや、女が髪を纏めて短刀でバッサリと切るのはどうかと思うぜ?」
最近、できた友人である魔理沙に指摘され言葉に詰まる。同年代の友人が今までいなかった私には、私の髪の処理の仕方が正しいのかどうか自信がなかった。巫女は清潔にせよとは教えられていたが、それは禊のことであり、身嗜みについて私に助言してくれる人はいなかった。
そういえば、魔理沙は私よりも髪の尖端とかが綺麗に整えられている気がする。
「もしかして、毎回そうやってるのか?」
「悪い?」
別に巫女としての仕事にそこまで重要ではないのだから良いではないか。私の髪を見ながら困ったような顔をしている魔理沙を横目に水場に向かった。
今日は、何故か流された髪の切れ端が地面に転がるのが気になった。しかし、私はどうしたらいいのか分からない。
もやもやした気持ちのまま、禊を終え、いつも来ている巫女服に着替える。
「なぁ、霊夢。今度、私の髪を切っている奴を紹介してやろうか?」
いつの間にか、後ろに来ていた魔理沙が声をかけてくる。
「別にいいわよ。巫女としては必要なことじゃないでしょう」
「女として必要なことなんだよ。強がるなよ」
別に強がっている訳じゃないと思っているのに、何故か反論の言葉が出ない。
「あんまり、紹介はしたくないんだが特別だからな」
そういうと魔理沙は顔を背けた。照れているようだが何故、照れているのかは私には分からなかった。
しばらくして、魔理沙に連れられて初めて香霖堂に訪れた。
他人に、しかも男の人に髪を切られるのは初めてだったので、私にしては珍しく、終始緊張していた。
きっと、魔理沙はそんな私の姿を見てからかうに違いないと思っていたのだが、何故か眉間に皺を寄せて、私ではなく髪を切る霖之助さんをずっと睨んでいた。
髪を切り終わり、代金を払おうとした時も「そんなのはツケでいいんだよ!」と魔理沙が怒ったように答えると私の手を引いて足早に店を出た。
しばらく、無言で神社に向かって飛んでいると先程はとは違い、虫の鳴くような声で魔理沙が「どうだった?」と問い掛けてくる。
「自分で切るよりは楽かもしれない」
「・・・そうじゃなくてさ」
帽子を深く被り、ぶつぶつと呟いているが風の音で聞こえない。物事をはっきり大声でいう彼女のそんな姿が珍しくて、私は興味深げに眺めていた。
いつもと違う魔理沙の反応に私は小さな戸惑いを感じていた。
魔理沙が勝負を挑み、私が勝って以来、魔理沙は私をいつも意識しているのを感じていた。食事の食べるスピードや身長、朝起きる時間。異変の解決だけではなく、日常の些細なことまで競ってきた。
そういう風に誰かと対等に扱われたことがなかったので、私は少し煩わしいと思いながらも、そんな魔理沙との時間を大切にしていた。
でも、今日の魔理沙は私ではなく違うことを気にしている。それが何なのかは流石の私にでも分かる。だから、私は少しだけ魔理沙に意地悪をする。
「霖之助さんって尻に曳かれるタイプよね」
「・・・ッ!?」
先程まで、自分の世界に引き籠っていた魔理沙が慌てた顔をしてこちらを向く。
目元が潤み、金魚のように口をパクパクとさせながら、私を睨んでくる。いつもの様に大した理由もなく、何かにつけて絡んでくる彼女が、相手を前にして踏鞴を踏む様は滑稽だった。
「ダメだからなっ!!」
「なにが?」
「うるさい! ダメなものはダメなんだ!!」
ようやく、いつもの様に魔理沙の瞳に私が映る。私は、そのことに満足して口元に微笑を湛えたが、魔理沙は何を勘違いをしたのか手には八卦炉が握られている。
「私が勝ったら、ダメだからな!」
「勝ったらダメって難義ね・・・」
この日、私は初めて魔理沙に負けたのを覚えている。
「霊夢の髪って綺麗よね」
「そうなの?」
「えぇ。艶もあるし、細くて綺麗よ。大事にしなさい」
あまり褒められることに馴れていないので、顔を下に向けようとしたがアリスに髪を櫛で梳かれているので身動きがとれない。
「もう、魔理沙に髪を切らしちゃダメよ。本人の性格と同じで仕上げが大雑把になるんだから」
3日ほど前に私は魔理沙に髪を切ってもらった。
魔理沙曰く、年頃の乙女の髪を無闇に男に触らせてはいけないらしい。そういう魔理沙もアリスに髪を切ってもらったらしく、いつもより短くて可愛らしい髪形になっていた。
私は、そういう所には無頓着なので適当に相槌を打って聞いていたのだが、いつの間にか魔理沙が私の髪を切る話になっていた。最初は、拒否をしていたのだが強引に押し切られる形で切られた。
切り終わった髪を見て、ちょっと違和感というか後悔を感じていたのだが、魔理沙の持って来たキノコの詰め合わせてとお酒を飲んでいる内に吹っ飛んだ。
その出来事を魔理沙がアリスに話したらしく、アリスが様子を見に来たのが今日だ。
最初に、私の髪を見てアリスが「・・・うわぁ」と小さい声で言われたのにはショックを受けた。アリスが心配していた通りの有様だったらしく、こちらが頼む前に私を縁側に座らせ、持参していた理容道具を出すと私の髪を切り始めた。
「どんな風にする? 希望があればやってあげるわよ」
「邪魔にならないようにしてくれればいい」
「坊主頭ね。任せて」
私が慌てて立ち上がろうとすると、アリスが肩を押さえた。
「冗談よ。じょーだん」と言うが、幻想郷では冗談を本気でやる奴が多すぎて安心できない。
私は座り直すと小さな声で要望を付け加えた。
「できるだけ、可愛くしてちょうだい」
自分で可愛くと言ってしまったのが恥ずかしくて顔が熱くなる。アリスはそんな私の姿を見て一瞬だけ呆けた顔したが、「任せなさい」と頼もしい返事を返した。
アリスの手は細くて小さく、その手自体が櫛のようだ。リズミカルに動く鋏と手に私は素直に感心した。私の友人で彼女ほど器用な子はいない。
「アリスって器用よね。髪の切り方って誰にならったの?」
「誰に習ったてのはないわね。人形を作るときに髪を切るから、それで自然と覚えたのよ」
「へぇ。じゃあ、アリスの髪は誰が切ってるの?」
そう訪ねると、アリスの持っていた魔術書のグリモワールが光り、本の中から上海人形が飛び出してくる。人形の手には櫛や鏡、鋏が握られていた。
「便利な物ねぇ」
上海人形のほっぺたを突くと擽ったそうに身を捩った。芸が細かい。私の髪を切りながら、上海人形も操るアリスの腕に今日何度目かの感心を覚えた。
「他人に髪の毛を触られるのが好きじゃないのよ私」
人の髪を触りながらアリスが呟いた。
「なんというか落ち着かないのよ。自分でできることを他人にやられるというのが」
「じゃあ、私が切ってあげようか? アリスにできない髪形にしてあげる」
アリスの手が止まる。
「因みに他人の髪を切った経験は?」
「昔は自分でやっていたわよ」
そう答えるとアリスは苦々しい顔をした。アリスの手が再び動き出す。
「嫌?」
「遠慮する。自慢だけれど、私に適う理髪技術を持った人は幻想郷にはいないもの」
髪を切り終わると上海が鏡を見せてくる。そこに写された私の髪形はいつもより綺麗に纏められていた。言うだけあって、アリスの腕は良い。
「また、伸びたら切ってあげるわ」
「随分と気前が良いわね。何が目的?」
「あなたの髪」
いつの間に集めたのかアリスの手の中には、纏められた私の髪があった。
「何に使うのよ?」
「人形の材料に決まってるでしょ」
当然のように答えるアリスに私は顔を顰める。自分の髪で作られた人形というのは不気味だ。しかも、アリスのことだ。自分の髪で作られた人形が火薬を詰め込れて爆弾人形にらると思うといたたまれない。
しかし、自分の切り揃えられた髪を触って思う。報酬としては釣り合いがとれているのではないかと。
昔と違い、私も身嗜みに少しは気を使うようにはなった。魔理沙だけではなく、アリスや他の妖怪(人との交流が少ないのは相変わらずだが)との付き合いも増えた。人前に出るときには、少しでも綺麗な方がいいに決まっている。
改めて鏡を覗く。
まぁ、今の姿は嫌いじゃない。
「可愛くできたでしょ。霊夢の髪は日本人形みたいで切りやすかったわ」
「なっ!?」
アリスが居るのにも関わらず、鏡を見て悦に浸っていたのは不覚だった。
「気にしないでいいわ。じゃあ、貰って行くわね」
わたわたとしている内にアリスは飛んで行ってしまう。その手口が魔理沙に似ている気がする。変な所まで器用にマネないでほしいものだ。
神社から誰も居なくなる。
小さい頃から、変わらない場所。ここは幻想郷のためにも変わらずに守って行かなければならない筈だった。
そう、気を張っていた時期も在った。でも、変わっていく。
人が誰も近付かなかったこの場所にも、ちょっと変わってはいるが人間も出入りするようになった。
退治する筈の妖怪も出入りするようになってしまった。
少しずつ変わっていく。それが今は、私のささやかな楽しみであり、博麗の巫女のやり甲斐となっている。
軽くなった髪を感じながら、宴会でもやろうかと考える。新しい髪形のお披露目だ。
――――私は、今を楽しんでいる。
「香霖いるか?」
「いるよ。僕の店だからね」
いつもの黴臭い店の奥から店主である香霖の声が聞こえる。
被っていた帽子を外し、私が物心ついた頃から使っている古臭い椅子に座る香霖の周りを行ったり来たりする。
「あれ? 魔理沙、髪を切ったのかい?」
「まぁな!」
流石の鈍感な香霖でもここまで髪が短くなれば気付くだろう。
「自分で切ったのかい? 上手いもんじゃないか」
「違うよ。切ったのはアリスだぜ」
「あぁ、前に魔理沙と一緒に来た色白の人形みたいな子だね。覚えているよ。上手いものだね」
私の髪形を見て香霖の口から別の女の名前を呼び、あまつさえアリスだけ褒めているこの朴念仁。イライラする。こういう展開を望んで来たのではないのに・・・。
不意に香霖の手が私の髪に触れる。思わず驚いて、その手から逃れるように飛び退いてしまう。触れるものが無くなった香霖の手が目に入ってくる。触られたという出来事に速くなる鼓動と赤くなる顔。
「これで、僕もお役御免かな?」
何処か寂しそうに訪ねる香霖。そう、私はそれを言いに来たんだ。
まっすぐに香霖を視界に捉え宣言するように話す。
「あぁ。私も立派な女なんでな。もう、そう易々と髪は触らせられないぜ」
「そうか。肩の荷が下りたよ。年頃の女の子の髪を切るのは流石に僕もしんどい」
苦笑いを浮かべながら答える香霖の顔を見ていると思わず笑ってしまう。
「そうだろう。髪は女の命だからな。流石に今の香霖じゃあ、魔理沙さんの命を預かるのは荷が重いだろう」
いつものやり取り。小さい頃からの繋がり。でも、今日からは少しだけ違う。香霖は今まで通りだが、私が変わったのだ。
「似合っているよ魔理沙」
言って貰いたかった言葉。その言葉を胸の中で反芻する。髪を切ってもらってる時には聞けなかった言葉。
「当たり前だ」
そう、返事を返すと急いで脱いでいた帽子を被り直してと店の入口に向かう。
さっきはちょっとだけ、フライングしてしまったが、今度、髪を撫でてもらう時は香霖が私に対する意識が変わった時だ。
そう、決意すると香霖堂をあとにする。とりあえず、まずはライバルになりそうな奴の芽を摘み取るところから始めよう。
進路を博麗神社に向けると勢いよく飛び出す。一瞬、後ろ髪を引かれるが無視だ。会えなくなる訳じゃない。ただ、ちょっと距離を置くだけだ。今だけな。
――――似合っているよ魔理沙。
思い出すだけで嬉しくなる。次は、もっと言わせてみせる。だからもう一度だけ思い出す・・・。
――――似合っているよ魔理沙。
fin
「今回はどうするんだい?」
「邪魔にならなければ、香霖の好きにしていいぜ」
そう返すと彼は苦笑いを浮かべる。私にとっては、髪を切るという行為は香霖に髪を撫でてもらう時間だった。
直接、彼に頭を撫でてくれと言うのは子供ながらに恥じらいを持っていて言えなかった私が考えた言い訳。
実際に香霖は手先は器用だったので、里の誰よりも髪を切るのが上手かった。
しかし、それを商売にしようとは思っていなかったらしく、今では、里から離れた辺鄙な場所で古道具屋を営んでいる。
「そう言われてもね。いっその事、耳が隠れるぐらいまで短くしてしまうかい?」
「ダメだ!」
そこまで、短くしたら次に切るのが何時になるのか分からない。
私のささやかな楽しみなのだ。一ヶ月に一度ぐらいの感覚になるようにして欲しい。
香霖がため息を吐くのがわかる。幼心に自分が楽しんでいる時間が相手と共有できていないことのショックを受けた。
「お姫様の言う通りにしますよ」
不機嫌な顔をしていたであろう。香霖が冗談めかしに言う言葉に私は一喜一憂する。
冗談と分かっているのに『お姫様』扱いされたことが嬉しく顔が赤くなる。
―――――そんな時間が私は大好きだった。
「霊夢、流石にそれは無いだろう」
私が自分で髪を切っていると魔理沙が呆れたように話し掛けてきた。
「うるさい。手元が狂ったらどうするのよ」
自分で切った髪の毛の束を持ちながら、水場に向かう。あとは禊のついでに頭から水を掛ければおしまいだ。
「いや、女が髪を纏めて短刀でバッサリと切るのはどうかと思うぜ?」
最近、できた友人である魔理沙に指摘され言葉に詰まる。同年代の友人が今までいなかった私には、私の髪の処理の仕方が正しいのかどうか自信がなかった。巫女は清潔にせよとは教えられていたが、それは禊のことであり、身嗜みについて私に助言してくれる人はいなかった。
そういえば、魔理沙は私よりも髪の尖端とかが綺麗に整えられている気がする。
「もしかして、毎回そうやってるのか?」
「悪い?」
別に巫女としての仕事にそこまで重要ではないのだから良いではないか。私の髪を見ながら困ったような顔をしている魔理沙を横目に水場に向かった。
今日は、何故か流された髪の切れ端が地面に転がるのが気になった。しかし、私はどうしたらいいのか分からない。
もやもやした気持ちのまま、禊を終え、いつも来ている巫女服に着替える。
「なぁ、霊夢。今度、私の髪を切っている奴を紹介してやろうか?」
いつの間にか、後ろに来ていた魔理沙が声をかけてくる。
「別にいいわよ。巫女としては必要なことじゃないでしょう」
「女として必要なことなんだよ。強がるなよ」
別に強がっている訳じゃないと思っているのに、何故か反論の言葉が出ない。
「あんまり、紹介はしたくないんだが特別だからな」
そういうと魔理沙は顔を背けた。照れているようだが何故、照れているのかは私には分からなかった。
しばらくして、魔理沙に連れられて初めて香霖堂に訪れた。
他人に、しかも男の人に髪を切られるのは初めてだったので、私にしては珍しく、終始緊張していた。
きっと、魔理沙はそんな私の姿を見てからかうに違いないと思っていたのだが、何故か眉間に皺を寄せて、私ではなく髪を切る霖之助さんをずっと睨んでいた。
髪を切り終わり、代金を払おうとした時も「そんなのはツケでいいんだよ!」と魔理沙が怒ったように答えると私の手を引いて足早に店を出た。
しばらく、無言で神社に向かって飛んでいると先程はとは違い、虫の鳴くような声で魔理沙が「どうだった?」と問い掛けてくる。
「自分で切るよりは楽かもしれない」
「・・・そうじゃなくてさ」
帽子を深く被り、ぶつぶつと呟いているが風の音で聞こえない。物事をはっきり大声でいう彼女のそんな姿が珍しくて、私は興味深げに眺めていた。
いつもと違う魔理沙の反応に私は小さな戸惑いを感じていた。
魔理沙が勝負を挑み、私が勝って以来、魔理沙は私をいつも意識しているのを感じていた。食事の食べるスピードや身長、朝起きる時間。異変の解決だけではなく、日常の些細なことまで競ってきた。
そういう風に誰かと対等に扱われたことがなかったので、私は少し煩わしいと思いながらも、そんな魔理沙との時間を大切にしていた。
でも、今日の魔理沙は私ではなく違うことを気にしている。それが何なのかは流石の私にでも分かる。だから、私は少しだけ魔理沙に意地悪をする。
「霖之助さんって尻に曳かれるタイプよね」
「・・・ッ!?」
先程まで、自分の世界に引き籠っていた魔理沙が慌てた顔をしてこちらを向く。
目元が潤み、金魚のように口をパクパクとさせながら、私を睨んでくる。いつもの様に大した理由もなく、何かにつけて絡んでくる彼女が、相手を前にして踏鞴を踏む様は滑稽だった。
「ダメだからなっ!!」
「なにが?」
「うるさい! ダメなものはダメなんだ!!」
ようやく、いつもの様に魔理沙の瞳に私が映る。私は、そのことに満足して口元に微笑を湛えたが、魔理沙は何を勘違いをしたのか手には八卦炉が握られている。
「私が勝ったら、ダメだからな!」
「勝ったらダメって難義ね・・・」
この日、私は初めて魔理沙に負けたのを覚えている。
「霊夢の髪って綺麗よね」
「そうなの?」
「えぇ。艶もあるし、細くて綺麗よ。大事にしなさい」
あまり褒められることに馴れていないので、顔を下に向けようとしたがアリスに髪を櫛で梳かれているので身動きがとれない。
「もう、魔理沙に髪を切らしちゃダメよ。本人の性格と同じで仕上げが大雑把になるんだから」
3日ほど前に私は魔理沙に髪を切ってもらった。
魔理沙曰く、年頃の乙女の髪を無闇に男に触らせてはいけないらしい。そういう魔理沙もアリスに髪を切ってもらったらしく、いつもより短くて可愛らしい髪形になっていた。
私は、そういう所には無頓着なので適当に相槌を打って聞いていたのだが、いつの間にか魔理沙が私の髪を切る話になっていた。最初は、拒否をしていたのだが強引に押し切られる形で切られた。
切り終わった髪を見て、ちょっと違和感というか後悔を感じていたのだが、魔理沙の持って来たキノコの詰め合わせてとお酒を飲んでいる内に吹っ飛んだ。
その出来事を魔理沙がアリスに話したらしく、アリスが様子を見に来たのが今日だ。
最初に、私の髪を見てアリスが「・・・うわぁ」と小さい声で言われたのにはショックを受けた。アリスが心配していた通りの有様だったらしく、こちらが頼む前に私を縁側に座らせ、持参していた理容道具を出すと私の髪を切り始めた。
「どんな風にする? 希望があればやってあげるわよ」
「邪魔にならないようにしてくれればいい」
「坊主頭ね。任せて」
私が慌てて立ち上がろうとすると、アリスが肩を押さえた。
「冗談よ。じょーだん」と言うが、幻想郷では冗談を本気でやる奴が多すぎて安心できない。
私は座り直すと小さな声で要望を付け加えた。
「できるだけ、可愛くしてちょうだい」
自分で可愛くと言ってしまったのが恥ずかしくて顔が熱くなる。アリスはそんな私の姿を見て一瞬だけ呆けた顔したが、「任せなさい」と頼もしい返事を返した。
アリスの手は細くて小さく、その手自体が櫛のようだ。リズミカルに動く鋏と手に私は素直に感心した。私の友人で彼女ほど器用な子はいない。
「アリスって器用よね。髪の切り方って誰にならったの?」
「誰に習ったてのはないわね。人形を作るときに髪を切るから、それで自然と覚えたのよ」
「へぇ。じゃあ、アリスの髪は誰が切ってるの?」
そう訪ねると、アリスの持っていた魔術書のグリモワールが光り、本の中から上海人形が飛び出してくる。人形の手には櫛や鏡、鋏が握られていた。
「便利な物ねぇ」
上海人形のほっぺたを突くと擽ったそうに身を捩った。芸が細かい。私の髪を切りながら、上海人形も操るアリスの腕に今日何度目かの感心を覚えた。
「他人に髪の毛を触られるのが好きじゃないのよ私」
人の髪を触りながらアリスが呟いた。
「なんというか落ち着かないのよ。自分でできることを他人にやられるというのが」
「じゃあ、私が切ってあげようか? アリスにできない髪形にしてあげる」
アリスの手が止まる。
「因みに他人の髪を切った経験は?」
「昔は自分でやっていたわよ」
そう答えるとアリスは苦々しい顔をした。アリスの手が再び動き出す。
「嫌?」
「遠慮する。自慢だけれど、私に適う理髪技術を持った人は幻想郷にはいないもの」
髪を切り終わると上海が鏡を見せてくる。そこに写された私の髪形はいつもより綺麗に纏められていた。言うだけあって、アリスの腕は良い。
「また、伸びたら切ってあげるわ」
「随分と気前が良いわね。何が目的?」
「あなたの髪」
いつの間に集めたのかアリスの手の中には、纏められた私の髪があった。
「何に使うのよ?」
「人形の材料に決まってるでしょ」
当然のように答えるアリスに私は顔を顰める。自分の髪で作られた人形というのは不気味だ。しかも、アリスのことだ。自分の髪で作られた人形が火薬を詰め込れて爆弾人形にらると思うといたたまれない。
しかし、自分の切り揃えられた髪を触って思う。報酬としては釣り合いがとれているのではないかと。
昔と違い、私も身嗜みに少しは気を使うようにはなった。魔理沙だけではなく、アリスや他の妖怪(人との交流が少ないのは相変わらずだが)との付き合いも増えた。人前に出るときには、少しでも綺麗な方がいいに決まっている。
改めて鏡を覗く。
まぁ、今の姿は嫌いじゃない。
「可愛くできたでしょ。霊夢の髪は日本人形みたいで切りやすかったわ」
「なっ!?」
アリスが居るのにも関わらず、鏡を見て悦に浸っていたのは不覚だった。
「気にしないでいいわ。じゃあ、貰って行くわね」
わたわたとしている内にアリスは飛んで行ってしまう。その手口が魔理沙に似ている気がする。変な所まで器用にマネないでほしいものだ。
神社から誰も居なくなる。
小さい頃から、変わらない場所。ここは幻想郷のためにも変わらずに守って行かなければならない筈だった。
そう、気を張っていた時期も在った。でも、変わっていく。
人が誰も近付かなかったこの場所にも、ちょっと変わってはいるが人間も出入りするようになった。
退治する筈の妖怪も出入りするようになってしまった。
少しずつ変わっていく。それが今は、私のささやかな楽しみであり、博麗の巫女のやり甲斐となっている。
軽くなった髪を感じながら、宴会でもやろうかと考える。新しい髪形のお披露目だ。
――――私は、今を楽しんでいる。
「香霖いるか?」
「いるよ。僕の店だからね」
いつもの黴臭い店の奥から店主である香霖の声が聞こえる。
被っていた帽子を外し、私が物心ついた頃から使っている古臭い椅子に座る香霖の周りを行ったり来たりする。
「あれ? 魔理沙、髪を切ったのかい?」
「まぁな!」
流石の鈍感な香霖でもここまで髪が短くなれば気付くだろう。
「自分で切ったのかい? 上手いもんじゃないか」
「違うよ。切ったのはアリスだぜ」
「あぁ、前に魔理沙と一緒に来た色白の人形みたいな子だね。覚えているよ。上手いものだね」
私の髪形を見て香霖の口から別の女の名前を呼び、あまつさえアリスだけ褒めているこの朴念仁。イライラする。こういう展開を望んで来たのではないのに・・・。
不意に香霖の手が私の髪に触れる。思わず驚いて、その手から逃れるように飛び退いてしまう。触れるものが無くなった香霖の手が目に入ってくる。触られたという出来事に速くなる鼓動と赤くなる顔。
「これで、僕もお役御免かな?」
何処か寂しそうに訪ねる香霖。そう、私はそれを言いに来たんだ。
まっすぐに香霖を視界に捉え宣言するように話す。
「あぁ。私も立派な女なんでな。もう、そう易々と髪は触らせられないぜ」
「そうか。肩の荷が下りたよ。年頃の女の子の髪を切るのは流石に僕もしんどい」
苦笑いを浮かべながら答える香霖の顔を見ていると思わず笑ってしまう。
「そうだろう。髪は女の命だからな。流石に今の香霖じゃあ、魔理沙さんの命を預かるのは荷が重いだろう」
いつものやり取り。小さい頃からの繋がり。でも、今日からは少しだけ違う。香霖は今まで通りだが、私が変わったのだ。
「似合っているよ魔理沙」
言って貰いたかった言葉。その言葉を胸の中で反芻する。髪を切ってもらってる時には聞けなかった言葉。
「当たり前だ」
そう、返事を返すと急いで脱いでいた帽子を被り直してと店の入口に向かう。
さっきはちょっとだけ、フライングしてしまったが、今度、髪を撫でてもらう時は香霖が私に対する意識が変わった時だ。
そう、決意すると香霖堂をあとにする。とりあえず、まずはライバルになりそうな奴の芽を摘み取るところから始めよう。
進路を博麗神社に向けると勢いよく飛び出す。一瞬、後ろ髪を引かれるが無視だ。会えなくなる訳じゃない。ただ、ちょっと距離を置くだけだ。今だけな。
――――似合っているよ魔理沙。
思い出すだけで嬉しくなる。次は、もっと言わせてみせる。だからもう一度だけ思い出す・・・。
――――似合っているよ魔理沙。
fin
とても読みやすかったです
素直だなアリスさんw
その、なんだ、言葉にならない
霖之助は早くその魅力に気づくべき。
短いながらも深く楽しめました