梅雨の時期のちょっとした晴れ間の夜。
そんな、とある日に私は玄関を前にして、躊躇していた。
玄関という限りには、ここは家だ。
なんて当たり前の事を思ってみる。
では誰の家か、というと、私の家だ。
正確には実家だ。
博麗神社じゃなくて、人間の里にある実家。
「ふぅ……」
果たして、どういう顔で玄関を開ければ良いのだろうか?
そんな、どうでも良い様な、何でも無い様な、そんな妙な事で悩んでいる。
辺りはすっかりと闇に落ちていて、見上げれば星空。
今日は月がそんなに自己主張もしてないので、割と綺麗に星が見える。
ときおり妖怪が飛んでいくが退治しなくてもいいだろう。
ここは人間の里で、人間は襲ってはいけない決まりになっているし。
そもそも妖怪退治に逃避行動をとっている場合じゃないし。
「う~ん……」
入るタイミングを完璧に逃してしまった。
いや、タイミングなんか無いんだけどね。
いつだって入って大丈夫なんだけどね。
あぁ~ああ~ぁぁ~。
まぁ、そんなどうでもいい事に気を紛らわしたりしていたら、こんな事になってしまったのだ。
さっさと、ただいま、と入ればいい。
とは思っているんだけど、やっぱり入れない。
う~ん……うぬ~。
うがー。
「ま、いいや」
と、呟けば少しは緊張が解けるだろうか。
緊張?
なるほど。
私は緊張していたらしい。
緊張している時には有名なおまじないがある。
手のひらに『人』という文字を書いて飲み込めばいいのだ。
「この場合は『親』かしら……」
試しに『親』という字を書いて飲み込んでみる。
「んがんぐ」
上手く飲み込めたかは分からないが、まぁ、なんとなく、いける気がしてきた。
たぶん。
意を決して、玄関に手をかけた。
「…………」
しかして、私の手をそこから一行に動かないのだった。
う~ん……
これは最早、緊張の一言で言い表せるものでは無いのではなかろうか。
そう思う。
「う~ん……」
玄関から再び手を離した時、ガラガラと玄関が開いた。
「あっ」
しまった。
完全な不意打ちだ。
決定的なミスだ。
妖怪退治だったら、死んでいてもおかしくない。
そんなミスだ。
「いつまで待たせるのよ」
お母さんだった。
どこからどう見ても、私のお母さんだ。
雰囲気も似てるし。
流石に巫女装束じゃないけど。
でも、私の母親だ。
私はこの人から生まれたと断言できるぐらいに、私のお母さんだった。
そんな母親を前にして、わたわたと私が慌てていると、陰陽玉が飛んできた。
「あいたっ」
もちろん不意打ち。
避けれる訳がない。
「ははは、相変わらずね、霊夢。それくらい避けれないで弾幕ごっこなんか出来るの?」
「……不意打ちだから避けれないのは当たり前でしょ。というか、陰陽玉を弾幕に使わないでよ」
博麗一族に伝わる飛宝なのに。
まぁ、ウチの一族にしか使えないらしいから、粗末に扱おうが丁寧に扱おうが、私達の自由なんだけど。
「ほらほら、さっさと挨拶なさい。ここに愛しい母親がいるんだから」
お母さんはニヤニヤと笑う。
どうやら、私が玄関前でグダグダと管を巻いていたのを知っているらしい。
ん?
管を巻くってこういう意味で使うんだっけ?
まぁ、そんな事は今どうでもいい。
今はお母さんだ。
どうにも複雑な表情をしている娘を前にしてニヤニヤと笑っている。
つまり、こういう母親な訳で。
はぁ……
だから、私はなかなか実家に帰りたくないのだ。
まったく。
「……ただいま、お母さん」
「あぁ、おかえり。霊夢」
~☆~
「おかえり、霊夢」
「ただいま、お父さん」
部屋の中には、お父さんがいた。
冬には掘り炬燵になるテーブルに着き、落ち着いた様子で新聞を読んでいたみたい。
『文々。新聞』じゃなくて一安心。
お父さんは、どちらかというと、そんなに苦手じゃない。
あくまでお母さんが苦手。
なんというか、とてもやりにくい相手だから。
「どこか怪我は無いかい?」
お父さんは私が実家に帰る度に、まずこれを聞いてくる。
博麗の巫女の仕事は、妖怪退治。
まぁ、普通に女の子がやる仕事しては危ない方かな?
お母さんもやっていた事だけど、お父さんにしたらやっぱり心配なんだろうなって思う。
「うん、この通り」
私は掘り炬燵に座りながら、力こぶを作ってみせる。
まぁ、筋肉なんか全然ないから、意味はないんだけど。
元気だよっていうのが伝わればいいよね。
「ほら、霊夢が玄関前でダラダラしてるから冷めちゃったじゃないか」
お母さんはそう言って、テーブルの上に料理を並べ始めた。
サラダに野菜の天ぷらに肉じゃが。
それから、味噌汁とご飯。
豪華でも質素でもない、極普通の家庭料理だ。
「え~、だって……」
「そんなに私が苦手?」
うぐ。
どうしてそうも、聞き難くて答え難い事を平気で聞いてくるかな~、この母親は!
「まぁ、私もおばあちゃんが苦手だったからな~」
「そうなの?」
「博麗は代々、母親が苦手っていう呪いを受けているのかもしれない」
「誰からよ?」
「神主かしら?」
そういえば、博麗神社には巫女しかいない。
禰宜か神主がいてもいいと思うんだげど……まぁ、仕方ないか。
妖怪神社だし。
自分でいうのも悲しいけど。
「ま、そんな事はどうでもいいから、早く食べましょう」
どうでもいいんだ。
まぁ、どうでもいいんだけど。
「いただきます」
お母さんの言葉に続く様に私とお父さんも、いただきます、と手を合わせた。
まずは味噌汁に手をつけてみる。
……うわ、生ぬるい。
本当に冷めてたのか。
こんな事なら、早く入れば良かった。
と反省するべきか、温め直さないお母さんに牙を剥くべきか。
「うわ、生ぬるい。霊夢のせいだ」
先に牙を剥かれてしまった。
ちくしょう。
そんなお母さんに威嚇の視線を送りながらも、食事を続けていく。
「霊夢、神社は大丈夫なのかい?」
しばらくして、笑いを噛み殺していたお父さんが聞いてきた。
どうやら、私とお母さんのやり取りが面白いらしい。
大丈夫かって聞いているのは、私がいなくなっている現状の事。
博麗神社自体に問題は何もない。
「大丈夫。早苗に留守番を頼んだわ」
「あぁ、山にできたっていう神社の」
「そうそう。あの東風谷早苗」
まぁ、今頃は博麗神社を乗っ取る計画を立てているかもしれないけど。
「魔理沙ちゃんは元気かい?」
「いつも通りよ。相変わらずの生活を送ってるみたい」
「はっはっは。元気そうで何よりだ」
お父さんは笑顔で何度か頷き、ぬるくなっちゃった味噌汁を文句も言わずに口に運んだ。
う~ん、お父さんは身内の贔屓を抜きにしても、普通にいい人なんだけどな~。
どうして、お母さんとこうも違うのか。
ちらりとお母さんを伺うと、ずいっとこちらに身を乗り出してきた。
「で、そろそろ結婚相手は決まったかい?」
思わず緑茶を噴出しかけた。
いきなり何て事を聞いてくださいますかね、母上様!
む?
お父さんも興味ありな表情。
ちくしょう。
グルか。
「結婚相手も何も、そんな相手いないわよ。巫女だし。神社には妖怪しか来ないし」
「香霖堂の森近某さんは?」
「霖之助さん? ないない、ないわよ。それに霖之助さんはどっかのお姫様といい感じだし」
あぁ、でも魔理沙とも仲いいわよね。
河童の癖に、あの河城にとりも時々いってるらしいし。
新聞の関係か知らないけど、射命丸文も通ってたっけ?
あぁ、そういえばあの朱鷺色の羽の妖怪も良く居るわね。
いったい誰が本命かしら?
「その話、詳しくっ!」
お母さんが更に身を乗り出してきた。
なんでお母さんは、恋愛の話題に喰いついてくるのだろうか。
年頃の娘か、とツッコミを入れたい。
あと、お父さんが何やら安心した様な微笑みを浮かべているのが非常に気になる!
このまま私が行かず後家になってもいいのだろうか。
……いいって言いそうで、何だか怖い。
はぁ~。
~☆~
お風呂からあがったら、お父さんが手招きをしていた。
我が家のお風呂の順番は、お父さん、私、お母さんの順番だ。
お父さんは縁側に座っていて、どうやら夜風に当たっているらしい。
今晩の風は涼しくて、心地いい。
私はお父さんに誘われるままに隣に座った。
「ひとつ、聞いていいかな?」
「遠慮しないでよ、お父さん。親子なんだから」
「それもそうか」
お父さんは苦笑する様に頭を掻いた。
「八雲紫の事なんだが」
「紫?」
まさかお父さんからその名前が出てくるとは思わなかった。
「どうしたの? あっ! まさか脅されているとか!?」
「いやいや、そんな事はないよ」
あれ、違うのか。
う~ん……たまには実家に帰れって言ったのは紫だからな~。
なんかあると思ったんだけど。
「その、八雲紫はおまえの味方なのかい?」
「味方……なのかな~。良い様に使われている気がするけど」
結局、八雲紫の目的は『幻想郷の維持』だ。
誰よりも幻想郷を愛している妖怪。
幻想郷の母。
いつも胡散臭いんだけど、動く時は必ず幻想郷を守るため。
分かり易いのか分かり難いのかが分からない。
もしも、私が博麗の巫女ではなかったら、紫となんか絶対に出会ってないと思う。
所詮はその程度の付き合い。
だと思う。
「そうか。どうも八雲紫が何を考えているのか分からなくてな」
「そりゃ昔からよ。何を考えているのか、教えてくれたら苦労はないわ。急に出てきて、急に命令したりするんだもん。もうちょっと説明して欲しいものだわ」
「ははは。霊夢に分からないんだったら、お父さんにも分からないか」
そこでお父さんは私にお猪口を手渡してきた。
「呑むか?」
あら珍しい。
お父さんがお酒に誘ってくれるなんて、今まで中々なかった。
「うん」
私が頷いたのを聞いて、お父さんは嬉しそうに酒瓶を取り出した。
どうやら、呑む気は満々だったみたい。
トクトクっと注いでもらうと、私も酒瓶を受け取ってお父さんのお猪口にお酒を注いだ。
「かんぱい」
「かんぱい」
コツンとちょっとだけあわせると、一口呑む。
「あ、美味しい。ねぇ、これって高いお酒なんじゃないの?」
「みたいだね」
お父さんもびっくりする様に酒瓶を見ている。
「え、なに、貰い物なの?」
「あぁ。ほら」
お父さんが懐から一枚の和紙を取り出した。
そこいは、真ん中に短く一言、
『お世話になっております』
と、筆で書いてあった。
「もしかして、紫?」
「いつの間にかその紙と一緒に部屋に置いてあったんだよ。妖怪もたまには粋な事をするね」
お父さんはお酒が気に入ったのか、お猪口の中身をくいっと一口でいってしまった。
あらら、意外と豪快。
お父さんは手酌しようとしてるので、酒瓶を奪い取る。
「折角だから、娘に注がせてよ」
「そうかい?」
あぁ、何だこのお父さんの緩みきった笑顔は。
嬉しい様な情けない様なそんな気分になる。
「あ~、私を退けもんにして!」
と、そこでお母さんがやって来た。
私と入れ替わる様にしてお風呂に入ったはずなんだけど……どんだけ鴉の行水なんだ。
射命丸文の方がもっと長風呂なんじゃない?
「私もお酒呑むわよ!」
そういってお母さんは私の隣に座る。
むぅ、両隣を親に挟まれてしまった。
どうにも、なんだか、取り留めない位に、気恥ずかしい気がする。
しかもお母さんがジリジリと近づいてくるもんだから、私もお父さんの方へジリジリとズレていく。
最後には、本当にサンドイッチになってしまった。
「はい、霊夢。お母さんにも注いでちょうだい」
「嫌よ。自分で注いで」
「なぜ!? お父さんにはよくて、私にはダメな理由が見当たらない!」
あ~ぁ、折角の雰囲気が台無しになっちゃった。
まぁ、いいか。
これが博麗一家らしいのかもしれないし。
うん。
そう思っておこう。
あとは、どこかで八雲紫が覗いていない事を祈るばかりだ。
~☆~
「ん~~~~~~っ!」
翌日。
私は布団から起きて、思い切り伸びをする。
なんだかんだで、昨日はあれから大分呑んでしまった。
お陰で、すでに太陽は真上に近い。
「はぁ。さてさて」
充分に羽も伸ばせたし、博麗神社に戻るとするか。
なんだかんだ言って、親孝行も出来た様な気がするし。
「よし、まずは再び神社を乗っ取ろうとする愚か者退治から始めましょう!」
おしまい。
正確?
こういうお話待ってました!
和気藹々としてて素晴らしかったです
欲を言えば、霊夢が小さかった頃の話も入れてほしかった。
こういう作品がもっと見たいな~
お父さん、その場所を代われっ!
大体は死別してるか、霊夢が親のことを覚えてないってパターンが多いから。
極々普通の一家団欒。いいなぁ
お年頃の娘さんって感じの霊夢。素敵
そのあたり、かなり美味しいキャラですよね。
幻想郷の親御さんは未成年が酒を嗜むことについて何も言わないのかッ
だがアリだぜ
靈夢とて人の子だ、多分。
ありがとうございます
でも、この設定を膨らませても面白いかもしれませんねw