(一)
分厚い雲が空の真ん中に浮いていて、それが太陽を遮っているから暗い。午前中の間ずっと、雨が降るのか、と待っていたのに、けっきょく降らないうちにお昼になってしまった。
よく見れば、雲の隙間から見える空はやけに濃い青色で、冬の間はついぞお目にかかれなかったような色だし、気温だって腋を出していてもじゅうぶんすぎるほどあったかい。もう春も終わりで、夏が近いのかな、と霊夢は思った。それでしかたなく、お昼を食べたら境内の掃除をしようと決めた。
午前中はちっとも仕事をしなかった。起きて、お茶を飲んで、ふらふら歩いて気になるところにちょっと手を入れて、それで時間が過ぎていった。眠いのに、むりやりいつもの同じ時間に起きた甲斐がなかった。霊夢はふわーっとあくびをすると、目をしょぼしょぼさせながら後ろを振り向き、奥の部屋を透かして見るような視線で、閉じられている障子を見つめた。
博麗神社の奥の部屋には布団が二組用意されている。神社のあるじである霊夢と、今はアリスが毎日使っていた。
昨夜の酒がひびいたのか、いつもなら霊夢より早い時間に起きているはずのアリスが今朝はまだ寝ている。ちょっとうらめしい気分になった。
朝はだめだったけど、お昼ごはんはいっしょに食べたい。
靴を脱いで縁側に上がって、障子とふすまを開けて寝室に入った。薄手の布団の中で行儀よく、アリスが寝息を立てていた。蹴っ飛ばしてでも起こしてやるつもりだったが、やたら穏やかな寝顔を見ると、我慢できなくなって、霊夢はそのままアリスの布団に潜り込んだ。
あったかい気温の、あったかい布団の中にさらにあったかいアリスの体がある。裸で寝ているので、手のひらで触るとぴっとり吸いつくようだった。寝汗をかいている。ほっぺたをさわって、手を下にずらして鎖骨を触り、形のよい胸を通って、へそまで手を動かした。そこから下に進むのは、さすがに礼儀違反か、と思って手を止める。
アリスは下の毛が薄く、そのうえ色が金色だから、ぱっと見はまるで生えていないように見える。
でも少しは生えている。
そこを見るときは、と、霊夢は考えた。自分がそこを見るときは、いつも、少し濡れているように思える。
(濡れていないときに見るのも、面白いんじゃないだろうか)
思いつきだった。アリスの顔を見る。まゆげとまゆげの間が緩みきっていて、何にも悩みが無いような顔だった。寝ているときならそんなものだろうか。体を合わせて、まつげ同士が触れるくらいまで顔を寄せる。少し位置を変えれば、口と口がくっついてしまうくらいの近さだ。アリスはまだ起きない。寝息が霊夢の唇にかかった。ぐっすり寝ているようだけど、もしかすると何か夢を見ているかもしれない。
霊夢は昨日、魔理沙の夢を見た。ほうきに乗った魔法使いがすごい速さで空を飛んでいって、見ている間に雲を突き抜けた。と思ったらすぐ、次にあった雨雲にまた突っ込んで、その雲の中で、雷に打たれて、アフロヘアーになってしまう夢だった。髪の毛が爆発したようになって、肌も焼け焦げていて、まるで金色の獣のように見えた。
霊夢はげらげら笑った。魔理沙は元気だったが、笑われるといじけて、そっぽを向いてしまった。気が済むまで笑うと、霊夢はなんだか申し訳ないような気持ちになった。すると夢のなかだから、気がつかないほど自然な調子で、自分と魔理沙の区別がつかなくなった。目の前にいる少女がいつの間にか魔理沙ではなく、自分に変わっていた。
目の前にいるのは霊夢で、自分だった。では、今の自分は魔理沙なんだ。と思った次の瞬間には、目の中にいた霊夢がアリスに変わった。すると、今自分が見ているのは誰なのか、なんという名前だったから、そもそも自分はいったい誰なのか、ちっともわからなくなってしまった。
それで、これは夢だ、と思った。思ったら目が醒めた。朝だったけどうす暗くて、外に出ると分厚い雲が頭の上にかかっていた。
アリスはまだ寝ている。もう、お昼もすぎているのに。
鼻の頭を、アリスの鼻の頭にくっつける。アリスの寝汗が霊夢の鼻についた。少し離れて、アリスの顔をじっくり眺めた。西洋人形みたいにきれいな顔をしている。いつもそんなふうだけど、寝ているときはいつもよりさらにそんなふうだ。つくりものみたいに整っていて、汗をかいているのが、なんだかすごい発見のように思える。
アリスはどんな夢を見ているんだろうか?
夢のなかの魔理沙は、自分が知っている魔理沙とすっかり同じだった。けれどアリスはちょっと違った。自分たち三人の中では、アリスはちょっとクールで、大人ぶっていて、、自分と魔理沙が好き勝手にやっているのにたいしていつも一歩ひいて合わせていてくれるようなところがあった。でも、今のアリスは、その頃よりも少し自堕落になったと思う。
霊夢はそろそろと、自分たちの上にかぶさっていた布団をはがして、脇に避けた。アリスの裸の体がまるまる全部見えた。アリスはまだ起きない。
足を開かせて、見てみよう、と思って太ももの下に手を入れた。
「こらっ」
アリスの足が動いて、霊夢の顔を蹴っ飛ばした。
◆
いつから起きてたの、と訊くと、ちゅーしそうになってたとき、とのことだった。
惜しいことをした。もっと素早くやっておくべきだった。
やっとこさ起きだして、んーっ、と伸びをして、平気な顔して服を着ようとするアリスを、せっかくだからと手伝ってやって、それからふたりでお茶を飲んだ。あれこれやったせいで遅くなってしまったけど、ちゃぶ台で向い合って二人でお昼ごはんを食べた。
食べ終わると縁側に出て、またお茶を飲んだ。アリスを起こす前に見ていた雲が、思ったよりも空の中を動いていて、けれど分厚くて大きい雲だから、まだ頭の上にかかっている。やっぱりうす暗かった。でも、雨はまだ降らない。
その雲よりももっと大きくて色も黒い雲が、神社から見て二番目にある森の上に浮かんでいる。あれがここまでやってくるのは、きっと夜になるだろう。
雨雲の中にはリュウグウノツカイがいて、空気を読んだり、雷を操ったりしている。魔理沙もいるだろうか。
雲を見ながら、つづけてそう考えてしまった。昨日見た夢の中身に引きずられたのだった。アリスの手を握った。
夢を見たわ、と話した。魔理沙の夢を。
夢の内容を話してやると、アリスはそれまで普通にしてたのが、とたんにあまりしゃべらなくなってしまった。
自分は意地悪だ、と霊夢は思う。
アリスと恋人同士になって、もうしばらく経つ。それから何度も、同じようなことをしてしまうし、同じような思いをさせてしまう。
昨日のお酒は、わりとうまくいったほうだった。今夜も飲ませて、明日の朝こそアリスの足の間を見たい。濡れていないはずのそこを、アリスが眠っている朝の、隙間のような時間に。
アリスがずっと、魔理沙のことを考えているのを知っていた。自分もそうだ。どちらかが意識を失っていれば、魔法使いの気配を感じなくてすむかもしれないと、そういうふうにぼんやり思っていた。
けれど、いつやってもなんだか、うまくいかない。
やっかいな奴だった。もう何年も経つのに、ずっと自分たちの間にいて、昔とすっかり同じように、さまざまな悩み事を持ち込んでくる。
けれど、それがなくなったら、自分たちの関係は、今とは変わってしまうだろう。
お茶をぐびりと飲んで、ぬるくなっていたので気が抜けたような気分になった。アリスの横顔を見ると、ぼけーっとした顔で空の雲を見ていた。
膝の上に上海人形がいる。上海の視線を追うと、境内の隅に逆さ向きに突き立てられたほうきを見ているようだった。土がこんもり盛られていて、霊夢が今朝そなえた花が、ほうきの柄に寄りかかっていた。
(二)
……という小説を射命丸文が書いて持ってきたので、霊夢は八方鬼縛陣で天狗を捕縛した後、スペルカードを二三発ぶち込み、気を失っている文に馬乗りになって顔面を殴り続けた。
顔が血まみれになって歯が二三本飛んだあたりで文は意識を取り戻した。
「あやや、お気に召しませんでしたか」
「召すか!」
霊夢は心底嫌そうな顔をして、きょとんとしている文を蔑んだ目で見つめた。
博麗神社の鳥居は赤い。鳥居のてっぺんに文の使い魔の烏がとまっていて、きょろきょろと落ち着かなさげにあたりを見回していた。烏の視線の先に、文と、霊夢と、黒いとんがり帽子の魔法使いがいる。
魔理沙は腕を組んで、小説の紙切れを片手に持ってしげしげと眺めた。ふうむ、と声を出す。
「いい紙使ってるな」
「新聞のゲラ用紙の中でも、最高級のものを使いました。それで、内容についてはどうですか」
「私が死んでいるのが気に食わない。それにこの流れだと、アリスと霊夢のガチレズファック描写があってしかるべきだろう。何でないんだ? バランスを欠いているぜ」
「そこはそれ、全年齢向けということで」
「おかしい! あんたらおかしい!」
霊夢はどしどし足を踏み鳴らして、ふがふが怒りはじめた。
「なんでっ、私が、アリスの、あ、あ、あそこを見ないといけないのよ。変態じゃないの。ぬ、濡れている、とか、いやらしい、はしたない」
「だって、お前らガチレズだろ。みんな知ってるぜ」
「違う! レズ違う!」
「そうか? でも、霊夢はそうじゃなくても、アリスは間違いなくレズビアンだぜ。この前もさ、風呂を覗いてやったんだ。そしたらさ、真っ赤な顔して水かけてきやがんの。女同士だってのに、おかしな奴だよな。あ、あいつ毛はそれほど薄くないから、そこんとこ修正」
「はい」
「あんたじゃん! あんたがレズビアンなんじゃん!」
霊夢は怒り疲れて、その場にしゃがみ込んでしまった。
夏が近かった。天気が良くて、雨の気配はない。天狗は雨風を操るものですけど、やっぱり晴れた日が気持ちいいですよね、と文が言った。それから鼻をかむと固まった血が大量に出てきて鼻紙と地面が真っ赤に染まった。
「うーん、私、顔面血まみれですね。生理みたい」
「そうだな。顔面ブルーデーだ」
「それ以上下品なこと言うと、いい加減神罰を当てるわよ。私が」
「でもさ」
にやにやしながら魔理沙が言う。
「死んでるのは気にくわないけど、私、かっこいいな。死んでも二人の心のなかにいて、ずっとずっと思われてるんだ。お前ら二人とも、ベタな物語であるような、死んだ妻を忘れられない男、みたいじゃないか。私は二人の嫁なんだな」
はははっ、と魔理沙が笑う。霊夢が視線を上に向けて、魔理沙の顔を見て文句をつけた。
「嫁? あんたがあ?」
「何だ、文句あるのか」
「だってさあ」
「何だよ」
「どう考えたって、あんたがダメ亭主のほうじゃん。浮気者だしさあ。ふらふらしてるしさあ。この話じゃないけど、どっか行って帰って来なくなりそうだし。困るのよ、こっちも」
「そうか。ごめんな」
「はいはい」
「じゃ、霊夢が私の嫁だな」
「そうそう。私が魔理沙の嫁ね。……ん?」
霊夢はちょっと固まると、座ったまま下を向いて、真っ赤になってしまった。
文はそれを見て、ヒューヒュー、お熱いですねー、と言って写真をパチパチ撮ると、追っかけてくる霊夢から逃げるようにして青い空に向けて飛び立った。
すぐに見えなくなった。
◆
空を飛びながら、今度の新聞にこの小説を載せて、それからさっきの女の子ふたりの会話を紙面のメインとして載せよう、と考えていると、姫海棠はたてが目の前に現われた。
突然だったのでびっくりした。
はたてはピンクと黒の市松模様のスカートをはいていて、少しカールした髪をツインテールにしてまとめている。昔からの友達だが、空で会うことはめったになかった。天狗のくせに、ひきこもりがちな女なのだ。
新聞記者としてはあるまじきことだ、と文は考えていて、常々はたてを外に出してやろうと画策している。それが今日は、自分が何もしていないのに出てきた。何か特別な日なのかと思った。訊いてみた。
「どうしたの。何かあったの。親でも死んだの。ひきこもってなくて、いいの?」
「親は生きてる。ちかぢか弟か妹ができそうなくらい元気。ひきこもりはやめた。……嘘。やめるように努力中。あ、今ちょっと息苦しい」
「だよね」
うんうん、とうなずく。精神的なダメージだろう。
椛を呼んでくるから、そのへんでうずくまって待ってなさいね、と言って飛んでいこうとすると、後ろからスカートを掴まれた。
脱げそうになった。あわててはたての頭をはたく。
「やめい!」
「パンツ写真撮ったわ」
「死ねえ!」
撮るのは好きだが、撮られるのはムカつく。
くんずほぐれつ空中で格闘をしていると、はたてがけっこう強いことに気がついた。知ってはいたが、素質がある。やる気を出して、たくさん練習をすれば自分と同じくらい速く飛べるかもしれないし、格闘ゲームにだって出れるかもしれない。
写真の腕はセンスがものをいうので、どんなにがんばっても自分のほうが上だと自負しているが、それもポテンシャルがある奴だ。今はダメでも、千年も経てばどうなるかわからない。
今のうちに潰しておくか、と凶悪な気持ちが頭をもたげてきたところで、
「ちょっと、たんま、たんま!」
と、はたてからストップがかかった。
「何よ。生涯私の下僕でいる決心がついたの」
「はあ? 文ってときどき意味分かんない……ねえ、パンツ撮りたくて来たんじゃないのよ。それならもう持ってるもの。それより、これ見てよ」
携帯電話の画面を見せる。アリス・マーガトロイドの寝姿が写っていた。柔らかそうなベッドに入って、横を向いて両手を重ね、ほっぺの下に入れて眠る、乙女チックな寝姿だった。
かわいかった。
「ほほう……」
「これが、今朝の写真ね」
「いいですね。レズビアン?」
「違うってば。で、これが」
ぽちぽち電話を操作して、違う写真をうつし出した。
アリスの寝姿が、何枚も連続で撮られていた。姿勢は少しずつ違うが、どれも同じベッドで、同じパジャマで写っている。アリスの自宅のようだった。
「上海人形に頼んで、撮ってもらってるのを念写したんだけど……」
「いいですね。ストーカー?」
「違うってば! もう、話を聞いてよ。
アリス、ここ一週間の間、寝っぱなしみたいなの」
「へええ?」
同じひきこもり系のよしみで、アリスとはちょっと前から仲良くなった、とはたては話し出した。
お互い静かな生活を好んでいるので、そう頻繁に会うわけではなかったが、ときどきは連絡をとりあって、ネトゲとか人間関係とかネトゲとか久しぶりに外にでて世界が異常にクリアに見えたときの絶望感とかの話をしていたという。
はたてはとても幸せだった。自分の周りの数少ない友達は、文とか、椛とか、外に出てアクティブな活動をしている奴らばかりで、好きだし大事だけど、趣味がちがう。インドア系の友達をかねてより切望していたのだ。アリスは物静かで、都会的で、ちょっと知的な感じがして、顔も可愛いし、はたてが昔から夢見ていたような友達だった。
たまに会って、アリス特有の洗練された、ちょっと嫌味が交じるような調子のひねたトークを聞いていると、ああこれは、天狗以外ではじめて心を許せる友達ができたのかも、と思って、はたては天にも昇る心地だったという。
で、そのうち我慢できなくなった。上海人形に賄賂を渡して、アリスの隠し撮り写真を毎日撮ってもらうことにしたのだった。
「すごいですね。あの人形、そんなこともできるんですか。もうすでに自律してるんじゃないですか?」
「アリスの自我の一部を試験的に分け与えている、って話だったから、詳しくはわからないけど、ある程度の判断は自分だけでできるんじゃないかと思う……で、毎日写真を撮ってもらって、それを私が携帯で念写してたのよ」
「ふむふむ。ちなみに賄賂って、何を渡したんですか?」
「水嶋ヒロ写真集。で、写真は全部PCに入れてきれいにタグ付けて管理してたわ。料理するアリス、人形を作るアリス、藁人形に釘を打つアリス、お風呂のアリスに眠るアリス……なんでもあるわよ。ちなみに一番のお気に入りはひとり酒アリス。ワイングラスで焼酎飲んでるのよ」
「めもめも」
「ここ最近それが日課で、刺激のない生活のいちばん貴重な楽しみだったんだけど……
一週間前から、寝姿ばかりが写るようになったの。撮影時間を見ると、朝となく昼となく、ずっと眠っているみたい。妖怪だから、たまにはそんなことあるかな、とも思ったけど、アリスはへんに規則的な生活をしていたから、やっぱりおかしいと思う。
ねえ、一緒に様子を見に行ってくれない?」
手を合わせて、はたては文に頼んだ。
文はメモを取る手を休めると、何でひとりで行かなかったんですか? と訊いた。当然、一緒に行くつもりだが、それにしても新聞記者たるもの、ネタをひとりじめしないのはおかしい。いくらはたてがひきこもりだとしても、いかにも不自然だった。
「この写真見て」
はたては文の目の前に携帯の画面を突きつけて、一枚の画像を見せた。
眠るアリスの脇に立って、霊夢と魔理沙が写っていた。霊夢は普通だったが、魔理沙は顔が土のような色になっていて、崩れて、腐っていた。零れ落ちて神経だけでつながった眼球が少し向きを変えて、こちらの方を見ているようだった。
(三)
あんまり親しくないから嫌なのにい、と抵抗するはたてを無理やり博麗神社に向かわせて、文はひとりでアリスの家に向かった。
自分に頼んで正解だ、と思った。写真の中の魔理沙はあきらかに死んでいた。顔面も手足も、露出している肌の部分はすべて腐っていたから、それで生きていられる人間はいないはずだ。霊夢の方は腐っていなかったが、それでもよく見ると、なにやら足元がぼやけていた。本人ではないことはわかるが、といって写真のプロである文とはたてが目を凝らして見ても、正体がつかめなかった。
天狗である自分たちをおびやかすほどの危険があるとは思わないが、意外と強かったとはいえ、いざというときに、はたての戦闘能力ではやはり一抹の不安が残る。
こういうのは、場数を踏んだ私の領分です、と言い残すと、文は最高速に近い速度を出して飛んだ。
新聞記者用の口調になっている自分を自覚すると、なんだか面映いような気分になった。それも問題の写真を見る以前に、最初のアリスの寝姿写真の時点ですでにスイッチが入ってしまっていたのだ。はたてのくせに生意気だ、と思ったが、しかたがない。
記者仕事をするときの自分は強い。妖怪の山でじっとしている時と比べると、たとえれば赤い人が赤いツノつけたモビルスーツに乗ったときみたいな感じで、段違いである。
魔法の森の上空を飛び、まとわりつく瘴気を風で払いのけながら、アリスの家の庭に着いた。季節の花がたくさん咲いていて、庭のあちこちに見事に配置されている。規則的でもないし対称をとっているわけでもないが、やたら統一感があって、調和している印象だった。アリスは常にそんな感じだ。
ドアをどんどんノックして、こんにちはー、清く正しい射命丸です、アリスさんご在宅ですか、と大声で呼びかけた。返事はない。ドアノブを回す。
鍵はかかっておらず、あっけなくドアは開いた。
室内から上海人形が勢い良く飛んできて、文の顔面にぶち当たった。ばちーんと音がして、文は思い切りのけぞった。
「あたたたた」
「シャンハーイ」
ひりひりする顔を手で拭うと、手のひらに、べっとりと血がついた。
上海人形を見る。小さなドレスの白い部分が赤黒く染まっていた。文の血だった。
「シャンハーイ」
「こっ、これは……なんてね。霊夢さんにやられた傷がまだ治っていないだけですよあたたたた」
ひとまず顔を洗おうと思って洗面所に向かった。鏡を見ると顔面生理日だった。何ではたては何も言ってくれなかったんだろう、と思ったが、つまるとこ日頃の行いだろう。
蛇口をひねって、ばしゃばしゃ水をかけて指の腹で顔と傷口を優しくこする。治そうと意識すれば、わりとすぐに治る。それよりも、ごしごし洗うと、適正な皮脂まで流れてしまうので、お肌に良くない。
たたまれていたタオルを勝手に使って顔を拭うと、少しだけ赤いものがついた。まだ落ちていないのかな、と思ってもう一度鏡を見ると自分の後ろに魔理沙が映っていた。
ほうきを手に持って肩に担いでいて、にやりと笑っているようだった。口はいつものにやにや笑いの形を作っていたが、鼻から上が腐って崩れ落ちているのでほんとうに笑っているのかどうかはわからなかった。眼球がなくなっていて、うつろに開いた穴が鏡越しに文を見つめているようだった。
あわてて振り向くと、誰もいなかった。文は首をかしげて、アリスの寝室へ入った。
◆
アリスは寝ていた。はたての写真のどれとも違う姿勢だったが、たしかに寝ていて、鼻の下に指をやるときちんと寝息をしているのがわかった。額に手を当てて熱を測る。とくに熱くもないし、冷たくもなかった。うなされている様子もないし、普段と同じように、ただ単に寝ているだけのように見えた。金髪がやや乱れていた。一週間も寝ているのが事実なら、たくさん寝返りをうったのだろう。
ひとまず写真を撮った。一枚目は静かに、できるだけ刺激を与えないように。二枚目はフラッシュを焚いた。それから先はパチパチ、撮りたいだけ撮った。アリスは眠ったまま、まったく目を覚まさなかった。
これおかしいですね、と文は思った。普段のアリスなら、一枚目はともかく、二枚目の時点で確実に起きるはずだ。そもそも、魔法使いの家にこんなに簡単に入れるわけがないし、意識がないにしても、自動で襲ってくる人形とか、罠がないのが考えられなかった。
そういえば、と文は気づいた。上海人形はどこにいったのだろう。
まわりを見回すと、数多くの人形が壁に造り付けの棚に何段も並べて置かれていて、アリスを見つめるように部屋中を取り囲んでいた。名前を知っている人形もあったが、ほとんどははじめて見るものだった。上海人形はいない。
霊夢と魔理沙の人形があった。ちっちゃくデフォルメされているが、霊夢の人形は紅白の衣装にちゃんと脇が開けられていたし、顔の造形も特徴を掴んでいて、誰が見ても霊夢だとわかるような見事な出来栄えのものだった。魔理沙の人形も同じだが、こちらは他の人形たちよりも微妙に汚れていて、不敵な面構えのほっぺたのあたりにかすかに染みができているように見えた。
(抱いて寝てたりしてたんですかね)
そう思うとおかしかった。文はそれぞれ、人形の写真を撮って、愛用の手帖(文花帖、と名前がついている)にめもめもメモを書き込んだ。
---------------------------------------
第126季 ○月X日 申の刻 アリス・マーガトロイド自宅寝室。
アリス寝ている。
人形かわいい。
霊夢と魔理沙の人形。魔理沙人形に汚れあり。
上海人形いない。
洗面所にて魔理沙の幽霊
---------------------------------------
幽霊じゃない。
文は書いた文字を傍線で消すと、羽ペンの柄を下唇の下に当ててふむふむと考え込んだ。いつもは勢いに任せて、何でもかんでも書きつけていく。書く途中で手を止めるのは、めずらしいことだった。
鏡の中の魔理沙。魔理沙の像/ヴィジョン/幻/ファントム。うすぼんやりとした姿だったが、服装や顔の造作は鏡越しでもこと細かによく見えて、間違いなく魔理沙だとわかった。あきらかに死んでいた。それでいて幽霊につきものの、霊気や穢れ、悪寒なんかは一切感じられなかった。見た目が若干、気味悪かっただけだ。
顔も手足も、見えている肌の部分はすべてが、腐って崩れ落ちていた。思い出して、消した文字の先に、続きを書こうとした。その時アリスが、
「んぅぅ」
と呻いて、わずかに体をよじらせた。不意打ちだったので、驚いて、右足を少し後ろに引いてしまった。
はだしの右足のかかとに何かが当たった。下を見た。
小さな人形が一体、文の右足にしがみついていた。目が合うと、すぐに、手と足をぺたぺた動かして、木登りをするように文の足を登ってきた。上海人形だった。
「シャンハーイ」
今まで、どこにいたのだろう。すごい速さで登ってきたので、ひざの裏を通って、お尻にたどり着きそうになった。寸前で、文は人形の首根っこをひっ捕まえて、顔の高さまで持ち上げてやった。目線を同じくして、話しかける。といっても、もちろん、上海の言葉はわからないので、適当にひとりごとを言うつもりだった。
「どこにいたんですか。アリスさんずっと寝てるんでしょう」
「シャンハーイ」
「妖怪とはいえ、ずっと寝ていると体に悪いですよ。体から水分が抜けてしまって、起きたら頭が痛くなります」
「シャンハーイ」
「そうですねえ。私が、起こしてみましょうか? ゆすったら、起きるんじゃないかとも思うんですけど。ダメならスペルカードも何枚か用意していますし」
「シャンハーイ」
「ああ、そのとおりです。私はあくまで記者なんです。事柄の観察と記録が使命であって、実際にアクションを起こすのは、魔理沙さんや霊夢さんにまかせておきましょう。はたてを博麗神社に向かわせたから、もうすぐここに来るはずですよ」
「シャンハーイ」
「ふふ、そう言っていただけると、うれしいですね。どうでしょう、今度アリスさんと弾幕ごっこをする機会に、あなたの担当のレーザー、ちょっと割り引いて撃ってもらえると助かるんですけど」
「ホラーイ」
「え? あなた、上海人形ですよね?」
「シャン…ホラーイ」
「どっちですか」
「どっちでもいいだろ。天狗なんかがこの家に入るんじゃないよ」
はっきりとした声が聞こえた。上海人形が口を動かして、文にわかる言葉でしゃべったのだった。
ゲタゲタ口を開けて、上海人形は笑い出した。見た目は上海人形だけど、中には別の何かがはいっている。文は人形から手を離すと、首から下げていたカメラを構えて、笑い続けている人形に向けてシャッターを切った。
写真を撮った瞬間、上海人形はまたいなくなった。少しだけ集中力が切れて、呆然としてしまった。カメラから目を離し、部屋全体を視界に収めると、上海人形だけではなく、棚に置かれていた無数の人形たちすべてがいなくなっていた。
アリスはそのまま、ベッドで眠っている。アリスの胸元に、先ほど見た霊夢と魔理沙の人形がおさまっていた。可動式のまぶたが落ちて、目をとじていて、まるでアリスと一緒に眠っているようだった。
(四)
アリスは夢を見ていた。霊夢と魔理沙が自分のことを好きで、他にも自分を好きな少女がたくさんいて、ハーレムになっている夢だった。メディスンだって自分のことを嫌がらずに仲良く接してくれるし、幽香も、危ないこと(腕をもぐとか消し炭にするとか)を言い出さないで優しくしてくれる。早苗は若干変態だったがアリスに向ける愛情は情熱的で、お姉さま、なんて呼ばれて悪い気はしなかったし、パチュリーにいたっては独占欲が強すぎて魔理沙と霊夢を呪い殺そうとする始末だった。
博麗神社に遊びに行くと、霊夢が泊まっていけと言う。お言葉に甘えて泊まると、霊夢が夜這いをしてくる。恥ずかしいので拒否すると、その夜はおとなしくあきらめるけど、次の日の朝こちらが寝ている間にいろいろと性的ないたずらをしようとする。
魔理沙は恋人としてアリスを好きなのとは別に、先達の魔法使いとしても、アリスを慕っているようだった。魔法式の組み方や呪物への魔力付与の仕方について、ちょくちょくアドバイスを求めてくるし、知ってる範囲でことこまかに教えてやると、目をキラキラさせて、尊敬のまなざしで擦り寄って来る。とても気分が良かった。こんな関係のまま、みんなと一緒にずっと過ごしたいと思っていた。
けれど魔理沙は死んでしまった。ほうきで空を飛ぶのが大好きで、スピード中毒になっている馬鹿だったから、高く飛んで限界ぎりぎりまで速度を出して、雲を突き抜けて、次に突っ込んだ雲が雨雲で、その雨雲の中で雷に打たれて即死してしまった。焼け焦げてぺしゃんこになった死体と、同じく焼け焦げた愛用のほうきだけがアリスと霊夢の手に残った。
博麗神社の境内の隅っこに魔理沙を埋めて、ほうきを逆さ向きに突き立てて、お墓を作った。霊夢がそうしたい、と言ったからだ。それからアリスは神社に住むようになった。
アリスと魔理沙と霊夢の三人は、昔からつるんでいる仲間だ。誰かが欠けてしまったとしても、簡単には割り切れない。気が済むまで、一緒の場所にいたかった。
魔理沙が死ぬ前と同じように、霊夢は夜這いをかけてくる。朝這いもほぼ毎日のことだった。恋人同士だから、多少のことは多めに見ていた。寝ている間に、勝手に足の間を見られても、たしなめる程度で済ませてやるほどだ。
そうして何年も経った。
その日は朝から、はっきりしない天気だった。大きな雲が頭上にかかっていて、暗いけど、雨はなかなか降りださなくて、雲の隙間から見える空は濃青色で、あったかい。そんな天気だった。
霊夢と一緒に遅いお昼ごはんを食べて、神社の縁側に座ってお茶を飲んだ。霊夢が夢の話をした。辛い気持ちになる話だった。
上海人形の視界を通して魔理沙のほうきを見た。人形の視界だと、自分の目とはやはり具合が違って、ほうきの焼け焦げ部分がなくなって、新品みたいにぴかぴかしているように見える。
霊夢が、魔理沙の話をする。魔理沙が生きている夢を見て、それがけっきょく、夢のなかだから自分と他人の境がわやくちゃになって、自分が魔理沙になったり、自分だと思っていた少女がアリスになったり、そんな夢だったという。私が死ぬ夢を見ればよかったのに、とアリスは思った。
魔理沙は死んでしまった。それなのに、私が生きているのはおかしいのよ。
そう考えていた。ずいぶん前から、このことについては考えを進めていて、自分の中ではもう、答えになっていた。だから、霊夢はかわいそうだ。
霊夢は博麗の巫女だから、自然に死ぬまでは、どうしても生きていなければいけない。霊夢がかわいそうだから、私は霊夢に付き合って、まだ生きてあげている。
霊夢の話を聞きながら、あらためてそういう考えを頭の中で一から繰り返して確認すると、考えていたからあまりしゃべれなくて、ぼーっとしてしまった。それで自分が、とてもひどいことをしている気持ちになった。
掃除をしていないから、今日の境内にはまだぽつぽつと石ころが転がっている。座っていた縁側から腰を上げて、歩いて行って石を蹴飛ばした。鳥居の方まで転がっていった。鳥居の上に烏がいて、上からきょろきょろと下を見回していた。
鳥居の下に霊夢がいた。魔理沙がいた。射命丸文が、血まみれの顔をして、何やら魔理沙に感想を求めている。魔理沙は手に持っている紙切れを、丁寧に読んでいるから、たぶんそれの内容についてなんだろう。
近くまで寄ったが、三人は自分のことが見えないようだった。魔理沙は昔と同じように――生きていたときと同じように、にやにやと不敵に見える表情を作って笑っていて、霊夢はさっきまでしゃべっていた霊夢よりも、スレてなくて、純情みたいだった。
縁側の方を振り返ると、さっきまでいたはずの、自分の恋人の霊夢はいなくなっていた。
頭がくらくらした。うまく、ものを考えられなくて、まるで夢のなかのことのようだ、と思った。
夢のなかのこと。夢はいつ、見るものなんだろうか。最後に夢を見たのはいつだったろうか。
鳥居の下で、霊夢はしゃがんで魔理沙は立って、ずっと話をしている。文は飛んでいってしまった。アリスは何か、忘れ物をしたような気がして、ゆるゆると飛び立って自分の家に向かった。魔法の森の家に帰るのは、とても久しぶりだった。一応霊夢に、ちょっと自宅に帰るわね、と声をかけたが、まったくこっちを見なかった。あたりまえのように、こちらの声は届いていなかった。
◆
家に着くと、文が自分の家のドアを開けようとしているところだった。どうせ私は見えないし、声をかけても聞こえないんだろうな、と思って後ろに立って待っていた。上海人形が飛んできて、文の顔面にぶち当たった。自分を目がけて飛んできたんだろう。
文の血で血まみれになったのを丁寧に拭いてあげて、そのまま文にくっついて一緒に室内に入った。
文はまず洗面所に向かった。何をするのかな、と思って見ていると。顔を洗いはじめた。やっぱり、後ろに立って待っていた。すると、魔理沙がやってきた。死体の魔理沙だった。
土の下から出てきたんだろう。顔も手足も腐れて、崩れ落ちていけど、かろうじで口元が残っていたので、微妙なニュアンスではあったけど、表情が推察できた。にやにや笑っているみたいだった。服は腐れなかったのかな、と思ったが、服までなくなっていたら、もしかするとぱっと見で魔理沙とはわからなかったかもしれなかったから、このほうが都合がいいのだろう。
それで、あっ、と思った。死体は何年も博麗神社に埋まっているから、もう骨だけになっているはずだ。
だから、魔理沙の死体がこんなふうなのはおかしい。
つまり、
これは私の見ている、私の夢なんだ。
霊夢は魔理沙が生きている夢を見た。私は、その夢を見た霊夢と、死体の魔理沙を、夢に見ている。
アリスはそう理解した。
……夢のなかで私は文と一緒に自分の家に帰って、死体の魔理沙が出てきて、文はそれほど驚く様子もなく、私の寝室に入って、そこで私は私がベッドに寝ているのを見つけて、
文が眠ったままの私の写真をパチパチ撮って、
私は起きない。肖像権の侵害だと思う。
私は起きない。
寝ている私が起きたら、今の私はぱっと消えてしまうんだろうか。
私は私の中に入る。体を合わせて、同じ姿勢でベッドに横になろうとする。体がベッドをすり抜けて、うまくいかなかった。思わず、呻くような声を出す。私の声帯から、音が出て、空気を震わせた。文は今度こそ、驚いたようだった。文の足元に上海がいる。と思ったときには私は上海人形の中に入っていた。
下から見上げると、文の細い足と、パンツが目に入った。無意識のうちに、手を足を使って、文の素足をよちよちよじ登っていた。自分でも驚くくらいに素早い行動だった。
パンツにたどり着く寸前で、ひょい、とつまみ上げられて、文の目の前に体を持っていかれた。黒くて大きい、天狗にしては丸っこい瞳がドアップで迫ってきて、かなり照れた。文は私に話しかける。
どこにいたんですか。アリスさんずっと寝てるんでしょう。
シャンハーイ(私は今は寝ている。ずっとじゃないわ。起きてるときもあるわ)
妖怪とはいえ、ずっと寝ていると体に悪いですよ。体から水分が抜けてしまって、起きたら頭が痛くなります。
シャンハーイ(起きてるときは、霊夢とイチャイチャしたり、魔理沙のことを考えたりしているわ。魔理沙は死んでしまったの)
そうですねえ。私が、起こしてみましょうか? ゆすったら、起きるんじゃないかとも思うんですけど。ダメならスペルカードも何枚か用意していますし。
シャンハーイ(魔理沙は死んでしまった、と言ったのよ。わかってないのかしら。自分勝手な奴ね)
ああ、そのとおりです。私はあくまで記者なんです。事柄の観察と記録が使命であって、実際にアクションを起こすのは、魔理沙さんや霊夢さんにまかせておきましょう。はたてを博麗神社に向かわせたから、もうすぐここに来るはずですよ。
シャンハーイ(霊夢と魔理沙が? 神社にいた霊夢と魔理沙。魔理沙は生きていた)
ふふ、そう言っていただけると、うれしいですね。どうでしょう、今度アリスさんと弾幕ごっこをする機会に、あなたの担当のレーザー、ちょっと割り引いて撃ってもらえると助かるんですけど。
ホラーイ(そのぶん蓬莱に撃たせるわよ)
え? あなた、上海人形ですよね?
シャン…ホラーイ(上海……蓬莱……いえ……私は……)
どっちですか。
「どっちでもいいだろ。天狗なんかがこの家に入るんじゃないよ」
声が出た。自分の言葉とは思えないくらい乱暴な調子だった。人形の体で声を出すと、体全体が震えて、高くなったり低くなったりノイズみたいな変な声になった。
文が手を離す。私は素早く動いて、ベッドの下に潜った。
意識が抜けた。私は自分の体に戻った。アリス・マーガトロイドの体に。
指を動かして、部屋中の人形をすべて片付けた。目を閉じたまま。ここは私の寝室で、プライベートな空間なんだから、ゴシップ記者にあちこちさぐられるわけにはいかないのだ。霊夢と魔理沙の人形だけは手元に引き寄せて、胸元に抱き抱えるようにした。霊夢はときどきだけど、魔理沙人形とは毎晩一緒に寝ている。これと一緒じゃないから、変な夢をみるんだ、と思った。
私はまた眠りについた。今度は良い夢だといい。魔理沙が生きている夢を。魔理沙が霊夢じゃなくて、私を選ぶ夢を見ていたい。ずっと。
(五)
真っ青な顔をして、文がアリスの家から出てくるのを、ちょうど到着した霊夢と魔理沙とはたてが見つけた。どうしたんだ、顔治ったのか、お前赤くなったり青くなったり信号機みたいだな、と軽口を叩く。
文は泣きそうになりながら、
「この家、ダメですよ。おばけが出ますよ。超常現象の館ですよ」
と言った。
「アリスの家だもん。あたりまえでしょ」
「お前アリスのこと何だと思ってんだ? 認識が甘いな」
「文の顔、夜中に発光する消しゴムみたいになってるよ」
好き勝手なことを言う。
中で起きたことを残らず説明すると、文は腕を体に回してぶるぶると震えだした。はたてはうぐぐと呻いて、胃のあたりを押さえた。魔理沙は面白がっているようだ。霊夢にいたっては、面倒くさそうな顔をして、こりゃ私の仕事になるかもね、とぼやいていた。
「あなたたち、何でそんなに平気なんですか。妖怪より人間のほうがおばけに強いなんて、理不尽です」
「私からすりゃ、何でお前がそんなに怖がるのか不思議なんだが。お前顔面血まみれになっても洗えば治るような変態だろ」
「体の傷と心の傷はちがいます。妖怪はメンタル面のダメージに弱いんです。……死体の魔理沙さんは、別にいいんですけどね。人形が出たり消えたりするのって、けっこう気味の悪いものですよ。何だかあそこにいると、自分が悪夢の中に迷い込んだような、そんな感じがするんです」
「私も気がすすまないなあ。文で無理なんだったら、私が行っても何も出来ないよ。念写だけがとりえだし」
「うまくいけば、寝たままのアリスを脱がせて、写真撮れるかもしれないぞ」
「行こう」
はたてを先頭にして、ぞろぞろと室内に入った。
ドアを開けるとまず広めの部屋があり、大きなテーブルが中央よりやや奥のほうに置かれている。そこで食事をしたり、くつろいだりする。本を読み、お茶を飲むための小さなサイドテーブルと椅子のセットがあって、その横には植物の鉢植えが何種類か。水をやっていないからか、少し元気がないようだった。
キッチンを確認すると、よく磨かれた調理用品がきちんと整理されてしまわれていて、けれどかごに入った野菜類が、これも少し、しなびていた。あとで食べてしまおう、と霊夢は思った。
霊夢はぐるりと視線を回して、家の中の見える部分をすべて見た。違和感があった。
そこかしこに置かれていたいくつもの人形が、すべてなくなっていた。前に来たときには、アリスの指の動きに合わせて、さまざまに複雑な動き方をして家事なりおもてなしなりをぱたぱたしてくれた。いつもあったから、なくなると、いちどに住人が少なくなったような感じがした。
自分にわかるくらいだから、魔理沙は入った瞬間に気づいているだろう。霊夢は魔理沙の顔を盗み見た。無頓着なふうをして、目につく本をパクッたりしているが、よく見ると家に入る前よりも真剣な目をしているように見えた。
帽子とスカートのポケットがぱんぱんになったところで、魔理沙が口を開いた。
「上海はどこだ」
文がこたえる。
「私が見たときには、アリスさんの枕の横にいました」
魔理沙はずかずか歩いて、アリスの寝室に入った。つづいて霊夢たちも入る。
アリスが寝ていた。文に訊くと、最後に見たときと同じ姿勢です、霊夢さんたちの人形を抱えているのも同じ、とのことだった。五人の人妖が入っても狭さを感じないくらい大きな寝室だった。金持ちだな、と霊夢は思った。
はたてが写真を撮った。ぴろぴろりん、と携帯のカメラの音がする。
霊夢人形のまぶたがかちっと音を立てて開いた。
「ひっ」
と声をあげて、はたてと文は人間たちの後ろに隠れる。
「こら」
「ほんと情けないな、お前ら」
「なんとでも言ってください。天狗は危うきには近寄らないものなんです」
「そうそう。怖いものからは逃げる。好きなことしかやらない。それが私の処世術」
「ニートの理論じゃない」
霊夢は呆れた顔をして、はたてにしがみつかれている服の袖を振り払った。ぴろりろりん、と音がした。はたてが霊夢の後ろからスカートの下に手を伸ばして、パンツ写真を撮ったのだった。霊夢ははたてをぶん殴った。
鼻血を流して倒れているはたてを一瞥すると、霊夢はアリスに近づいて、指を使って自分の人形のまぶたを閉じさせた。ずいぶん丁寧に作ってある。戦闘用ではないけれど、上海人形なんかと同じくらいの手の入れようだ。魔理沙の人形も触った。魔法の糸で作ってあるんだろう、縫製の跡も見えないくらいの出来栄えで、でもこちらは少し、自分のそれよりも汚れているように見えた。
霊夢は心のなかで、ふん、と毒づいた。。
「上等よ」
「なんだ、ファイトを燃やしているな。お前にしてはめずらしいな。何に対してだかはわからんが」
「あんたにはわかんないでしょうけどね。こちとら常にこんなふうなのよ」
「なんだそりゃ」
「いいの。で、あんたはどう思う、この状況」
「うん」
魔理沙が説明をはじめた。
アリスの家だから、そこらじゅうに術具やスペルの痕跡があって、気がつくものは切ったが、そのせいで魔力の流れがおそろしく込み入っててよくわからん。綿密に調査すれば、何かわかるかもしれないが、今の装備じゃ無理だな。
けれどアリスそのものからは、何も感じない。ただ寝ているだけのように思える。魔法の眠りで、こういう種類のものもあるけど、寝はじめたのってはたての言うことを信じれば、一週間前だろ。そのころだと、位相の都合が悪いんだ。位相って、月の満ち欠けだぜ。アリスは主に宗教改革期の技術を参考にしているから、そのころの考えでいくと……。
「ふむ」
霊夢はうなずいた。魔理沙はつづけて、魔法の失敗とか、そういうは考えにくい。この部屋の様子はそういった種類の様式とはかけ離れているし、でも、ほらあそこ、ナナカマドの花環があるだろ。赤い糸で結ばれている。あれ魔女避けのしるしなんだ、だからあれに傷がないってことは、誰かから攻撃を受けたってのも考えにくくて……とべらべら話しだそうとしたが、手を上げて止めさせた。
天狗たちを振り返る。
「文。はたて。あんたたちはどう思う」
「……それでですね、クレオパトラとシーザーとブルータスが、三人でコーヒーを飲むんです。クレオパトラが言います。『シーザー、あなたはブルーマウンテン?』次にブルータス。『クレオパトラ、君はキリマンジャロ?』そしてシーザー。『ブルータス、お前モカ?』
「あっ、その話知ってる」
「人の話を聞けえええええ!」
呆れた顔をしながら、お前らほんとやる気がないな、記者なんてのは甘っちょろい仕事だな、と魔理沙が茶化す。すると、ご心配なく、爆笑小ばなしをしていながらも、高速で手を動かしてメモや写真をとっているのです、と言って文が手帖を少しだけ見せてくれた。まったく読めない字だったが、たしかに新しげなページに、びっしりと細かい字が書かれていた。
いい加減面倒くさくなった。早く解決して神社に帰って、お茶を飲んで寝てしまおう、と霊夢は思った。
「起きなさい」
と言って、寝ているアリスに馬乗りになると、頬をビンタした。
魔理沙が現われた。
――文が見た死体の魔理沙と、もう一人、生きている魔理沙だった。うすぼんやりとしていて、陽炎のようだった。寝室の明かりは暗い。文が入ったときにカーテンを開けたけど、あまり日が差さないところだから、昼間でも寒くて暗いのだ。
一緒に来た魔理沙とあわせて、魔理沙が三人になった。死体の魔理沙は顔も体も腐って崩れていて、気味が悪かった。二人目の魔理沙は、本人とすっかり同じようだ。服も帽子も、大きな瞳も、ばら色の唇も。ベッドの両脇に、アリスを守るようにあらわれて、アリスの上に乗っている霊夢を見つめている。
天狗たちはひゃあひゃあ言いながらも、パチパチぴんぴろ音を立てて写真を撮りまくった。魔理沙は自分の腐れた顔を見てさすがにひるんだようだったが、すぐに不敵な面構えに戻って二人の自分をかわりばんこに観察しはじめた。
霊夢はもう一度、アリスの頬を叩いた。今度は霊夢が現われた。
現われた霊夢は生きていて、ほんものの霊夢とまったく変わりがなかった。リボンも同じだし、黒髪も、いいものを食べていないのでちょっと痩せ過ぎなところも。このぶんだと、自分も魔理沙も、脱いでも細かいところまですっかり同じなんだろう、と霊夢は思った。もう一発叩いた。
メディスン、幽香、パチュリー、早苗、咲夜に八雲紫も……自分たちの知っている、ほとんどの少女たちが次々と現れては消えた。文とはたてもいた。
ぽん、と音がした。上の方から上海人形が降ってきて、霊夢の頭に乗った音だった。霊夢は手を回して上海を掴むと、ぺしっと投げ捨てた。
「アリス」
名前を呼ぶ。
「アリス、アリス、アリス」
魔理沙はぽかんとしてその様子を見ていた。
上海人形がしゃべりだした。
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
少しずつ声が大きくなった。
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
アリス。
アリス。
霊夢は両手を横に大きく伸ばすと、勢いをつけて目の前で打ち合わせた。ぱぁん、と大きな音がした。
すべての少女たちが消えて、あとには霊夢とアリスと上海人形と、よくわからない、といった表情をした魔理沙と、すごい勢いでメモをとっている天狗二人が残った。
「おい。どうなってんだ」
「魔理沙」
「……魔理沙、って私も返せばいいのか? 話が見えないぜ」
「あんた、出ていきなさい」
「おい」
「あんたにいられると都合が悪い」
「ふざけんな」
「文。はたて。魔理沙を連れ出して」
「嫌ですよ。これから解決するつもりなんでしょう。私が見逃しちゃうじゃないですか」
「私も嫌よ。まだアリス脱がせてないもん」
「そう」
霊夢は静かに言うと、
「大結界『博麗弾幕結界』」
スペルカードを発動して、魔理沙たちを結界の外側へはじき飛ばした。
◆
アリスとふたりきりになった。
霊夢とアリスの間にはいつも魔理沙がいるので、ふたりだけになるのはあまり経験がなかった。アリスの寝顔を見るのも、ずいぶん久しぶりなんじゃないかと思う。
アリスは泣いていた。――涙は出ていなかったが、泣きそうな表情に見えた。
「馬鹿ね」
ベッドに入って、アリスと寄り添うようにして体を寄せる。手を握った。左手でアリスの右手を握る。天井が見えた。薄い緑色の天井で、アリスが選んだ色だから、たぶん、気持ちを落ち着かせるとか、眠りに入る瞬間を、優しい気持ちで迎えられるようにするとか、そういう効果があるんだろうと思った。
優しい気持ちで眠りについて、優しい夢を見ること。自分たちにはそれが、大変なときもある。悩みのなさそうな生活をしているが、それでも毎日何かしらは起こるものだし、ちょっとした言葉のすれ違いや、ささいないざこざが、どうしようもなく心をかき乱してしまうことがある。
たとえば宴会の後で、とても楽しかったけど、寝て起きるとみんなが帰ってしまっていて、ひとりで後片付けをしているとき。花見や何かに向かう途中で、笑いながらしゃべっている友人たちの背中を見ながら、ふと自分の横には、誰もいないのだと気づくとき。
気づくとさみしい気持ちになるが、けれどその、ひとりでさみしいこと自体に、どこか安心してしまう、そんな瞬間がある。
きっと、魔理沙にはわからないだろう。
顔を横に向けて、アリスの首筋のにおいを嗅いだ。風呂に入っていないから、ちょっとむわっとするように思えた。でも別に、嫌ではない。口を耳に近づけて、アリスに話しかけた。これ以上ないほど、自分たちは近くにいるから、どんなに小さな声でも聞こえると思った。
「アリス」
名前を呼ぶ。
「起きてるんでしょう。知ってるわよ」
少し間を置く。心の準備のためだ。
「……あんたが寝っぱなしなんだったら、ね。私、ね。魔理沙に告白しちゃおうかな」
「……ダメ」
アリスは目を開けて、天井を見た。ひさしぶりに目を使ったから、なんだかピントが合わないような気がした。それから霊夢の顔を見た。霊夢は恥ずかしそうにしていた。
(六)
「ふぃー、やぁぁーばかったぁぁー」
自室でPCの画面を見ながら、はたてはひとりごとを言った。吹き替えのダイ・ハードのブルース・ウィリスの声を真似して言ったつもりだったが、われながらあんまり上手くなかったと思う。
画面には今日撮った写真が一覧表示されていて、文と霊夢のパンツ写真がやはりいちばんすばらしかった。アリスと魔理沙のパンツを撮れなかったことが悔やまれる。
ひとつひとつに細かくタグ付けをして、きちんと所定の場所に収納する。フォルダの乱れは心の乱れ。けっこうきちょうめんなはたてだった。
アリスは目を覚ましたあと、すぐに、「変な夢を見てたの」と、集まったはたてたちに告げた。夢の内容を聞くと、最初はなかなか教えてくれなかったが、死体の魔理沙のヴィジョンを見た、と話してやると、ため息をついて「魔理沙が死ぬ夢」と、それだけ言った。
やっぱり自分の写真が悪かったのだ。
マウスをかちかち操作して、今日、携帯で、文に見せた写真を表示した。ベッドの中のアリスを、霊夢と死体の魔理沙が見守っている写真だ。これは上海人形が撮った写真だった。マウスカーソルをすべらせて、他の写真をもう一枚出した。
魔理沙の顔が腐って、崩れ落ちている写真だ。一週間前に作ったコラ写真だった。
アリスが魔理沙を好きなのは、はたてから見ればまるわかりで、ちょっと嫉妬するくらいだった。なので嫌がらせの意味も込めて、ネタとして写真を作って、アリスに見せたのだった。見せた瞬間、アリスが息を飲んだのがわかった。けれどすぐに気にしていないふりをして、あなた器用ね、新聞記者よりそういう職人になったほうがもうかるんじゃない、と言われた。次の日からアリスは目を覚まさなくなった。
どういうふうに作用したのかはわからないが、ショックだったんだと思う。一週間も寝ていて、その間ずっと悪夢を見ているくらいには。
あらためて自分のコラ写真をしげしげとよく見ると、さして出来が良いとも思わなかったが、くくくと笑みが漏れた。アリスだけじゃなくって、この写真は文にも影響を与えていた。
アリスたちと別れた後、文の家に一緒に行って、すごい勢いで新聞づくりをしている文を見ながら文の書いた小説を読んだ。かなり意外だった。いつも適当な記事ばかり書いていて、記事の内容なんて読者は誰も読んでないんだから、どうでもいいのよ、なんて言っている文が、まさか小説なんて文学っぽいことをするとは。
一週間前、写真を作った後、文が家に来たので見せてやったのだ。ふーんとか興味なさそうにしていたけど、そこからインスピレーションを受けて、あんな小説を書いたんだろう。そうに決まっている。
はたては他にもいろいろ適当な写真や動画を作っているし、その写真をアリスに見せるともなんとも教えていなかったから、今回の事件とは結びつけて考えなかったようだけど。それとも文は忙しいから、単に忘れてしまったのかもしれない。
「あいつもいろいろ苦労してるのかもね。部数は伸びないみたいだし。私みたいに、時間をかけてゆっくり作ればいいのに」
と、ひとりごちた。
「なるほど、そういうことだったの」
後ろから声が聞こえた。振り向くと、文がいた。
「い、いつの間に入ったのよ!」
「ちょっと前から。新聞は書きあがったから、あとは刷り上がるのを待つだけなの。あんたがどんなのを書いてるか、ちょっと偵察に来たんだけど、まさかね。あんたの写真が元凶だったなんて、いやはや私もびっくりしたわ」
「不法侵入! プライバシーの侵害!」
「あんたの念写なんて、ほとんど盗撮じゃない。よく言うわ。それにいいの、あんまり強い態度に出ると、あの三人にばらしちゃうわよ、いろいろと」
「……ふん。文みたいなゴシップ記者の言うこと、みんなが信じるわけないじゃん」
「えーっと」
文は頬をぽりぽり書くと、はたての背後の壁に巧妙に隠されて設置されているカメラを指さした。
PCの画面がばっちり映る位置だった。
「監視カメラ。ずっと録画してるの」
「こらあ!」
「まあまあ。あんただって、私の家にいろいろ仕掛けてるでしょう」
「それは、まあ」
「でしょ。おあいこ、おあいこ」
はたては納得した。
大切な友達のこまごました生活のすべてを知りたいと思うのは、天狗にとってごく自然な欲求なのだ。
「うぐぐ」
「心配しなくても大丈夫よ。別に記事にしたりはしないから」
「え?」
驚いた。
あの悪魔のような文が、つかんだネタを記事にしないでほっぽりだすなんて、考えられないことだった。
文はにひひ、と笑うと、はたての横にどっかり腰を下ろしてあぐらをかいた。
お酒を持ってきたから、湯のみちょうだい、と言う。一升瓶をどんと出した。はたては言われたとおり、いつも使っている湯のみを二つ用意した。
一杯飲んで、体があったまると、
「ね、あの三人さ、誰がどういうふうにくっつくと思う?」
「へえ? ……そうね、っていうか、二人とも魔理沙狙いでしょう。今のところ霊夢が、アリスをちょっとリードしてるみたいだけど」
「私は、霊夢とアリスがくっつくのもあると思うなあ」
「嘘っ、恋敵同士だよ」
「それが恋の妙味でさ。あの二人は、魔理沙が好き、ってこと以外にも、かなり共通するところが多いと私は見てる」
へへえ、とはたては変な声を出した。今ひとつよくわからないけど、さすが文だ。妙に説得力がある。
そのまま二人で、朝まで話をした。明るくなるころになると、ではそろそろ新聞が刷り上がるので、と言って文は帰っていった。つまるとこ、今なにもかもばらすより、あの三人が大人になってから、ちくちくつついてやったほうが面白いでしょ、とのことだった。
情報は持っているだけではだめで、きちんと取捨選択して、使いどころを間違えないのが肝要。それが人の弱みを握るってことよ、と偉そうに言う。はたては感心した。それから今までのことをすべて打ち込んで、日記ファイルに保存した。監視カメラを外そうかとも思ったが、そのままにしておいた。今度からお風呂にはいるときは、ここで服を脱ぐのはやめよう、と思った。どうせお風呂にも、カメラは仕掛けられているんだろうけど。
(七)
天井を見ると、うすい緑色で、前はこの色が気持ちを落ち着けてくれると思っていたけど、でもけっきょくあんな夢をみたんだから、あんまり効果はないのかもしれない、とアリスは思った。
魔理沙人形と一緒に眠るのはやめた。かわりに上海人形を抱いていた。
上海に自我を分けて動かすなんて、実験的なことをしていたから、あんなふうになったのかな、と考えた。夢と現実の境があいまいで、幽体離脱をしたようでもあったし、夢のなかの映像が変な調子で、文たちに見えてしまったようだ。夢のすべてが知られてしまったら、恥ずかしくて生きていけない。危ないところだった。
今では上海は前と同じ、お気に入りなだけの人形に戻っていた。文の血がついた服を取り替えて、自分の服と一緒に洗濯し、植物に水をやり、しなびた野菜を霊夢にくれてやって、などなど、一週間分のたまっていた家事をすべてやると次の日の夜になった。一週間も寝ていたはずなのに、また眠くなった。
魔理沙のことを考えた。人騒がせな奴だぜ、と悪態をついたあと、霊夢がどうやってアリスを起こしたのかとか、アリスがどんな夢を見ていたのかとか、しつこく聞き出そうと食い下がったが、霊夢もアリスも何もしゃべらなかった。
才能のない魔法使い。魔理沙にはできないことがたくさんある。自分と比べれば、未熟者もいいところだ。おかしくなった。霊夢も自分も、魔理沙が好きで、でもどこがどんなふうに好きなのか、きちんと言うことができないのだ。
また夢を見るのかな、と思うと、少し恐ろしくなった。けれどどうせ、魔理沙と霊夢は出てくるんだろう、と思った。
ぱちりと目を開けた。
今夜は起きていて、明日の夜、魔理沙と霊夢を誘って神社で三人で寝よう。恥ずかしいけど、何だか怖いから、と言えば、なんだかんだ言って承知してくれるだろうし、自分だって時には、わがままを言っていいはずだ。
アリスは身を起こすと、クローゼットをひっくり返して明日の夜着るパジャマを選びだした。可愛いものがいい。でも、自分のイメージを崩さないような、可愛すぎないものを。
(了)
分厚い雲が空の真ん中に浮いていて、それが太陽を遮っているから暗い。午前中の間ずっと、雨が降るのか、と待っていたのに、けっきょく降らないうちにお昼になってしまった。
よく見れば、雲の隙間から見える空はやけに濃い青色で、冬の間はついぞお目にかかれなかったような色だし、気温だって腋を出していてもじゅうぶんすぎるほどあったかい。もう春も終わりで、夏が近いのかな、と霊夢は思った。それでしかたなく、お昼を食べたら境内の掃除をしようと決めた。
午前中はちっとも仕事をしなかった。起きて、お茶を飲んで、ふらふら歩いて気になるところにちょっと手を入れて、それで時間が過ぎていった。眠いのに、むりやりいつもの同じ時間に起きた甲斐がなかった。霊夢はふわーっとあくびをすると、目をしょぼしょぼさせながら後ろを振り向き、奥の部屋を透かして見るような視線で、閉じられている障子を見つめた。
博麗神社の奥の部屋には布団が二組用意されている。神社のあるじである霊夢と、今はアリスが毎日使っていた。
昨夜の酒がひびいたのか、いつもなら霊夢より早い時間に起きているはずのアリスが今朝はまだ寝ている。ちょっとうらめしい気分になった。
朝はだめだったけど、お昼ごはんはいっしょに食べたい。
靴を脱いで縁側に上がって、障子とふすまを開けて寝室に入った。薄手の布団の中で行儀よく、アリスが寝息を立てていた。蹴っ飛ばしてでも起こしてやるつもりだったが、やたら穏やかな寝顔を見ると、我慢できなくなって、霊夢はそのままアリスの布団に潜り込んだ。
あったかい気温の、あったかい布団の中にさらにあったかいアリスの体がある。裸で寝ているので、手のひらで触るとぴっとり吸いつくようだった。寝汗をかいている。ほっぺたをさわって、手を下にずらして鎖骨を触り、形のよい胸を通って、へそまで手を動かした。そこから下に進むのは、さすがに礼儀違反か、と思って手を止める。
アリスは下の毛が薄く、そのうえ色が金色だから、ぱっと見はまるで生えていないように見える。
でも少しは生えている。
そこを見るときは、と、霊夢は考えた。自分がそこを見るときは、いつも、少し濡れているように思える。
(濡れていないときに見るのも、面白いんじゃないだろうか)
思いつきだった。アリスの顔を見る。まゆげとまゆげの間が緩みきっていて、何にも悩みが無いような顔だった。寝ているときならそんなものだろうか。体を合わせて、まつげ同士が触れるくらいまで顔を寄せる。少し位置を変えれば、口と口がくっついてしまうくらいの近さだ。アリスはまだ起きない。寝息が霊夢の唇にかかった。ぐっすり寝ているようだけど、もしかすると何か夢を見ているかもしれない。
霊夢は昨日、魔理沙の夢を見た。ほうきに乗った魔法使いがすごい速さで空を飛んでいって、見ている間に雲を突き抜けた。と思ったらすぐ、次にあった雨雲にまた突っ込んで、その雲の中で、雷に打たれて、アフロヘアーになってしまう夢だった。髪の毛が爆発したようになって、肌も焼け焦げていて、まるで金色の獣のように見えた。
霊夢はげらげら笑った。魔理沙は元気だったが、笑われるといじけて、そっぽを向いてしまった。気が済むまで笑うと、霊夢はなんだか申し訳ないような気持ちになった。すると夢のなかだから、気がつかないほど自然な調子で、自分と魔理沙の区別がつかなくなった。目の前にいる少女がいつの間にか魔理沙ではなく、自分に変わっていた。
目の前にいるのは霊夢で、自分だった。では、今の自分は魔理沙なんだ。と思った次の瞬間には、目の中にいた霊夢がアリスに変わった。すると、今自分が見ているのは誰なのか、なんという名前だったから、そもそも自分はいったい誰なのか、ちっともわからなくなってしまった。
それで、これは夢だ、と思った。思ったら目が醒めた。朝だったけどうす暗くて、外に出ると分厚い雲が頭の上にかかっていた。
アリスはまだ寝ている。もう、お昼もすぎているのに。
鼻の頭を、アリスの鼻の頭にくっつける。アリスの寝汗が霊夢の鼻についた。少し離れて、アリスの顔をじっくり眺めた。西洋人形みたいにきれいな顔をしている。いつもそんなふうだけど、寝ているときはいつもよりさらにそんなふうだ。つくりものみたいに整っていて、汗をかいているのが、なんだかすごい発見のように思える。
アリスはどんな夢を見ているんだろうか?
夢のなかの魔理沙は、自分が知っている魔理沙とすっかり同じだった。けれどアリスはちょっと違った。自分たち三人の中では、アリスはちょっとクールで、大人ぶっていて、、自分と魔理沙が好き勝手にやっているのにたいしていつも一歩ひいて合わせていてくれるようなところがあった。でも、今のアリスは、その頃よりも少し自堕落になったと思う。
霊夢はそろそろと、自分たちの上にかぶさっていた布団をはがして、脇に避けた。アリスの裸の体がまるまる全部見えた。アリスはまだ起きない。
足を開かせて、見てみよう、と思って太ももの下に手を入れた。
「こらっ」
アリスの足が動いて、霊夢の顔を蹴っ飛ばした。
◆
いつから起きてたの、と訊くと、ちゅーしそうになってたとき、とのことだった。
惜しいことをした。もっと素早くやっておくべきだった。
やっとこさ起きだして、んーっ、と伸びをして、平気な顔して服を着ようとするアリスを、せっかくだからと手伝ってやって、それからふたりでお茶を飲んだ。あれこれやったせいで遅くなってしまったけど、ちゃぶ台で向い合って二人でお昼ごはんを食べた。
食べ終わると縁側に出て、またお茶を飲んだ。アリスを起こす前に見ていた雲が、思ったよりも空の中を動いていて、けれど分厚くて大きい雲だから、まだ頭の上にかかっている。やっぱりうす暗かった。でも、雨はまだ降らない。
その雲よりももっと大きくて色も黒い雲が、神社から見て二番目にある森の上に浮かんでいる。あれがここまでやってくるのは、きっと夜になるだろう。
雨雲の中にはリュウグウノツカイがいて、空気を読んだり、雷を操ったりしている。魔理沙もいるだろうか。
雲を見ながら、つづけてそう考えてしまった。昨日見た夢の中身に引きずられたのだった。アリスの手を握った。
夢を見たわ、と話した。魔理沙の夢を。
夢の内容を話してやると、アリスはそれまで普通にしてたのが、とたんにあまりしゃべらなくなってしまった。
自分は意地悪だ、と霊夢は思う。
アリスと恋人同士になって、もうしばらく経つ。それから何度も、同じようなことをしてしまうし、同じような思いをさせてしまう。
昨日のお酒は、わりとうまくいったほうだった。今夜も飲ませて、明日の朝こそアリスの足の間を見たい。濡れていないはずのそこを、アリスが眠っている朝の、隙間のような時間に。
アリスがずっと、魔理沙のことを考えているのを知っていた。自分もそうだ。どちらかが意識を失っていれば、魔法使いの気配を感じなくてすむかもしれないと、そういうふうにぼんやり思っていた。
けれど、いつやってもなんだか、うまくいかない。
やっかいな奴だった。もう何年も経つのに、ずっと自分たちの間にいて、昔とすっかり同じように、さまざまな悩み事を持ち込んでくる。
けれど、それがなくなったら、自分たちの関係は、今とは変わってしまうだろう。
お茶をぐびりと飲んで、ぬるくなっていたので気が抜けたような気分になった。アリスの横顔を見ると、ぼけーっとした顔で空の雲を見ていた。
膝の上に上海人形がいる。上海の視線を追うと、境内の隅に逆さ向きに突き立てられたほうきを見ているようだった。土がこんもり盛られていて、霊夢が今朝そなえた花が、ほうきの柄に寄りかかっていた。
(二)
……という小説を射命丸文が書いて持ってきたので、霊夢は八方鬼縛陣で天狗を捕縛した後、スペルカードを二三発ぶち込み、気を失っている文に馬乗りになって顔面を殴り続けた。
顔が血まみれになって歯が二三本飛んだあたりで文は意識を取り戻した。
「あやや、お気に召しませんでしたか」
「召すか!」
霊夢は心底嫌そうな顔をして、きょとんとしている文を蔑んだ目で見つめた。
博麗神社の鳥居は赤い。鳥居のてっぺんに文の使い魔の烏がとまっていて、きょろきょろと落ち着かなさげにあたりを見回していた。烏の視線の先に、文と、霊夢と、黒いとんがり帽子の魔法使いがいる。
魔理沙は腕を組んで、小説の紙切れを片手に持ってしげしげと眺めた。ふうむ、と声を出す。
「いい紙使ってるな」
「新聞のゲラ用紙の中でも、最高級のものを使いました。それで、内容についてはどうですか」
「私が死んでいるのが気に食わない。それにこの流れだと、アリスと霊夢のガチレズファック描写があってしかるべきだろう。何でないんだ? バランスを欠いているぜ」
「そこはそれ、全年齢向けということで」
「おかしい! あんたらおかしい!」
霊夢はどしどし足を踏み鳴らして、ふがふが怒りはじめた。
「なんでっ、私が、アリスの、あ、あ、あそこを見ないといけないのよ。変態じゃないの。ぬ、濡れている、とか、いやらしい、はしたない」
「だって、お前らガチレズだろ。みんな知ってるぜ」
「違う! レズ違う!」
「そうか? でも、霊夢はそうじゃなくても、アリスは間違いなくレズビアンだぜ。この前もさ、風呂を覗いてやったんだ。そしたらさ、真っ赤な顔して水かけてきやがんの。女同士だってのに、おかしな奴だよな。あ、あいつ毛はそれほど薄くないから、そこんとこ修正」
「はい」
「あんたじゃん! あんたがレズビアンなんじゃん!」
霊夢は怒り疲れて、その場にしゃがみ込んでしまった。
夏が近かった。天気が良くて、雨の気配はない。天狗は雨風を操るものですけど、やっぱり晴れた日が気持ちいいですよね、と文が言った。それから鼻をかむと固まった血が大量に出てきて鼻紙と地面が真っ赤に染まった。
「うーん、私、顔面血まみれですね。生理みたい」
「そうだな。顔面ブルーデーだ」
「それ以上下品なこと言うと、いい加減神罰を当てるわよ。私が」
「でもさ」
にやにやしながら魔理沙が言う。
「死んでるのは気にくわないけど、私、かっこいいな。死んでも二人の心のなかにいて、ずっとずっと思われてるんだ。お前ら二人とも、ベタな物語であるような、死んだ妻を忘れられない男、みたいじゃないか。私は二人の嫁なんだな」
はははっ、と魔理沙が笑う。霊夢が視線を上に向けて、魔理沙の顔を見て文句をつけた。
「嫁? あんたがあ?」
「何だ、文句あるのか」
「だってさあ」
「何だよ」
「どう考えたって、あんたがダメ亭主のほうじゃん。浮気者だしさあ。ふらふらしてるしさあ。この話じゃないけど、どっか行って帰って来なくなりそうだし。困るのよ、こっちも」
「そうか。ごめんな」
「はいはい」
「じゃ、霊夢が私の嫁だな」
「そうそう。私が魔理沙の嫁ね。……ん?」
霊夢はちょっと固まると、座ったまま下を向いて、真っ赤になってしまった。
文はそれを見て、ヒューヒュー、お熱いですねー、と言って写真をパチパチ撮ると、追っかけてくる霊夢から逃げるようにして青い空に向けて飛び立った。
すぐに見えなくなった。
◆
空を飛びながら、今度の新聞にこの小説を載せて、それからさっきの女の子ふたりの会話を紙面のメインとして載せよう、と考えていると、姫海棠はたてが目の前に現われた。
突然だったのでびっくりした。
はたてはピンクと黒の市松模様のスカートをはいていて、少しカールした髪をツインテールにしてまとめている。昔からの友達だが、空で会うことはめったになかった。天狗のくせに、ひきこもりがちな女なのだ。
新聞記者としてはあるまじきことだ、と文は考えていて、常々はたてを外に出してやろうと画策している。それが今日は、自分が何もしていないのに出てきた。何か特別な日なのかと思った。訊いてみた。
「どうしたの。何かあったの。親でも死んだの。ひきこもってなくて、いいの?」
「親は生きてる。ちかぢか弟か妹ができそうなくらい元気。ひきこもりはやめた。……嘘。やめるように努力中。あ、今ちょっと息苦しい」
「だよね」
うんうん、とうなずく。精神的なダメージだろう。
椛を呼んでくるから、そのへんでうずくまって待ってなさいね、と言って飛んでいこうとすると、後ろからスカートを掴まれた。
脱げそうになった。あわててはたての頭をはたく。
「やめい!」
「パンツ写真撮ったわ」
「死ねえ!」
撮るのは好きだが、撮られるのはムカつく。
くんずほぐれつ空中で格闘をしていると、はたてがけっこう強いことに気がついた。知ってはいたが、素質がある。やる気を出して、たくさん練習をすれば自分と同じくらい速く飛べるかもしれないし、格闘ゲームにだって出れるかもしれない。
写真の腕はセンスがものをいうので、どんなにがんばっても自分のほうが上だと自負しているが、それもポテンシャルがある奴だ。今はダメでも、千年も経てばどうなるかわからない。
今のうちに潰しておくか、と凶悪な気持ちが頭をもたげてきたところで、
「ちょっと、たんま、たんま!」
と、はたてからストップがかかった。
「何よ。生涯私の下僕でいる決心がついたの」
「はあ? 文ってときどき意味分かんない……ねえ、パンツ撮りたくて来たんじゃないのよ。それならもう持ってるもの。それより、これ見てよ」
携帯電話の画面を見せる。アリス・マーガトロイドの寝姿が写っていた。柔らかそうなベッドに入って、横を向いて両手を重ね、ほっぺの下に入れて眠る、乙女チックな寝姿だった。
かわいかった。
「ほほう……」
「これが、今朝の写真ね」
「いいですね。レズビアン?」
「違うってば。で、これが」
ぽちぽち電話を操作して、違う写真をうつし出した。
アリスの寝姿が、何枚も連続で撮られていた。姿勢は少しずつ違うが、どれも同じベッドで、同じパジャマで写っている。アリスの自宅のようだった。
「上海人形に頼んで、撮ってもらってるのを念写したんだけど……」
「いいですね。ストーカー?」
「違うってば! もう、話を聞いてよ。
アリス、ここ一週間の間、寝っぱなしみたいなの」
「へええ?」
同じひきこもり系のよしみで、アリスとはちょっと前から仲良くなった、とはたては話し出した。
お互い静かな生活を好んでいるので、そう頻繁に会うわけではなかったが、ときどきは連絡をとりあって、ネトゲとか人間関係とかネトゲとか久しぶりに外にでて世界が異常にクリアに見えたときの絶望感とかの話をしていたという。
はたてはとても幸せだった。自分の周りの数少ない友達は、文とか、椛とか、外に出てアクティブな活動をしている奴らばかりで、好きだし大事だけど、趣味がちがう。インドア系の友達をかねてより切望していたのだ。アリスは物静かで、都会的で、ちょっと知的な感じがして、顔も可愛いし、はたてが昔から夢見ていたような友達だった。
たまに会って、アリス特有の洗練された、ちょっと嫌味が交じるような調子のひねたトークを聞いていると、ああこれは、天狗以外ではじめて心を許せる友達ができたのかも、と思って、はたては天にも昇る心地だったという。
で、そのうち我慢できなくなった。上海人形に賄賂を渡して、アリスの隠し撮り写真を毎日撮ってもらうことにしたのだった。
「すごいですね。あの人形、そんなこともできるんですか。もうすでに自律してるんじゃないですか?」
「アリスの自我の一部を試験的に分け与えている、って話だったから、詳しくはわからないけど、ある程度の判断は自分だけでできるんじゃないかと思う……で、毎日写真を撮ってもらって、それを私が携帯で念写してたのよ」
「ふむふむ。ちなみに賄賂って、何を渡したんですか?」
「水嶋ヒロ写真集。で、写真は全部PCに入れてきれいにタグ付けて管理してたわ。料理するアリス、人形を作るアリス、藁人形に釘を打つアリス、お風呂のアリスに眠るアリス……なんでもあるわよ。ちなみに一番のお気に入りはひとり酒アリス。ワイングラスで焼酎飲んでるのよ」
「めもめも」
「ここ最近それが日課で、刺激のない生活のいちばん貴重な楽しみだったんだけど……
一週間前から、寝姿ばかりが写るようになったの。撮影時間を見ると、朝となく昼となく、ずっと眠っているみたい。妖怪だから、たまにはそんなことあるかな、とも思ったけど、アリスはへんに規則的な生活をしていたから、やっぱりおかしいと思う。
ねえ、一緒に様子を見に行ってくれない?」
手を合わせて、はたては文に頼んだ。
文はメモを取る手を休めると、何でひとりで行かなかったんですか? と訊いた。当然、一緒に行くつもりだが、それにしても新聞記者たるもの、ネタをひとりじめしないのはおかしい。いくらはたてがひきこもりだとしても、いかにも不自然だった。
「この写真見て」
はたては文の目の前に携帯の画面を突きつけて、一枚の画像を見せた。
眠るアリスの脇に立って、霊夢と魔理沙が写っていた。霊夢は普通だったが、魔理沙は顔が土のような色になっていて、崩れて、腐っていた。零れ落ちて神経だけでつながった眼球が少し向きを変えて、こちらの方を見ているようだった。
(三)
あんまり親しくないから嫌なのにい、と抵抗するはたてを無理やり博麗神社に向かわせて、文はひとりでアリスの家に向かった。
自分に頼んで正解だ、と思った。写真の中の魔理沙はあきらかに死んでいた。顔面も手足も、露出している肌の部分はすべて腐っていたから、それで生きていられる人間はいないはずだ。霊夢の方は腐っていなかったが、それでもよく見ると、なにやら足元がぼやけていた。本人ではないことはわかるが、といって写真のプロである文とはたてが目を凝らして見ても、正体がつかめなかった。
天狗である自分たちをおびやかすほどの危険があるとは思わないが、意外と強かったとはいえ、いざというときに、はたての戦闘能力ではやはり一抹の不安が残る。
こういうのは、場数を踏んだ私の領分です、と言い残すと、文は最高速に近い速度を出して飛んだ。
新聞記者用の口調になっている自分を自覚すると、なんだか面映いような気分になった。それも問題の写真を見る以前に、最初のアリスの寝姿写真の時点ですでにスイッチが入ってしまっていたのだ。はたてのくせに生意気だ、と思ったが、しかたがない。
記者仕事をするときの自分は強い。妖怪の山でじっとしている時と比べると、たとえれば赤い人が赤いツノつけたモビルスーツに乗ったときみたいな感じで、段違いである。
魔法の森の上空を飛び、まとわりつく瘴気を風で払いのけながら、アリスの家の庭に着いた。季節の花がたくさん咲いていて、庭のあちこちに見事に配置されている。規則的でもないし対称をとっているわけでもないが、やたら統一感があって、調和している印象だった。アリスは常にそんな感じだ。
ドアをどんどんノックして、こんにちはー、清く正しい射命丸です、アリスさんご在宅ですか、と大声で呼びかけた。返事はない。ドアノブを回す。
鍵はかかっておらず、あっけなくドアは開いた。
室内から上海人形が勢い良く飛んできて、文の顔面にぶち当たった。ばちーんと音がして、文は思い切りのけぞった。
「あたたたた」
「シャンハーイ」
ひりひりする顔を手で拭うと、手のひらに、べっとりと血がついた。
上海人形を見る。小さなドレスの白い部分が赤黒く染まっていた。文の血だった。
「シャンハーイ」
「こっ、これは……なんてね。霊夢さんにやられた傷がまだ治っていないだけですよあたたたた」
ひとまず顔を洗おうと思って洗面所に向かった。鏡を見ると顔面生理日だった。何ではたては何も言ってくれなかったんだろう、と思ったが、つまるとこ日頃の行いだろう。
蛇口をひねって、ばしゃばしゃ水をかけて指の腹で顔と傷口を優しくこする。治そうと意識すれば、わりとすぐに治る。それよりも、ごしごし洗うと、適正な皮脂まで流れてしまうので、お肌に良くない。
たたまれていたタオルを勝手に使って顔を拭うと、少しだけ赤いものがついた。まだ落ちていないのかな、と思ってもう一度鏡を見ると自分の後ろに魔理沙が映っていた。
ほうきを手に持って肩に担いでいて、にやりと笑っているようだった。口はいつものにやにや笑いの形を作っていたが、鼻から上が腐って崩れ落ちているのでほんとうに笑っているのかどうかはわからなかった。眼球がなくなっていて、うつろに開いた穴が鏡越しに文を見つめているようだった。
あわてて振り向くと、誰もいなかった。文は首をかしげて、アリスの寝室へ入った。
◆
アリスは寝ていた。はたての写真のどれとも違う姿勢だったが、たしかに寝ていて、鼻の下に指をやるときちんと寝息をしているのがわかった。額に手を当てて熱を測る。とくに熱くもないし、冷たくもなかった。うなされている様子もないし、普段と同じように、ただ単に寝ているだけのように見えた。金髪がやや乱れていた。一週間も寝ているのが事実なら、たくさん寝返りをうったのだろう。
ひとまず写真を撮った。一枚目は静かに、できるだけ刺激を与えないように。二枚目はフラッシュを焚いた。それから先はパチパチ、撮りたいだけ撮った。アリスは眠ったまま、まったく目を覚まさなかった。
これおかしいですね、と文は思った。普段のアリスなら、一枚目はともかく、二枚目の時点で確実に起きるはずだ。そもそも、魔法使いの家にこんなに簡単に入れるわけがないし、意識がないにしても、自動で襲ってくる人形とか、罠がないのが考えられなかった。
そういえば、と文は気づいた。上海人形はどこにいったのだろう。
まわりを見回すと、数多くの人形が壁に造り付けの棚に何段も並べて置かれていて、アリスを見つめるように部屋中を取り囲んでいた。名前を知っている人形もあったが、ほとんどははじめて見るものだった。上海人形はいない。
霊夢と魔理沙の人形があった。ちっちゃくデフォルメされているが、霊夢の人形は紅白の衣装にちゃんと脇が開けられていたし、顔の造形も特徴を掴んでいて、誰が見ても霊夢だとわかるような見事な出来栄えのものだった。魔理沙の人形も同じだが、こちらは他の人形たちよりも微妙に汚れていて、不敵な面構えのほっぺたのあたりにかすかに染みができているように見えた。
(抱いて寝てたりしてたんですかね)
そう思うとおかしかった。文はそれぞれ、人形の写真を撮って、愛用の手帖(文花帖、と名前がついている)にめもめもメモを書き込んだ。
---------------------------------------
第126季 ○月X日 申の刻 アリス・マーガトロイド自宅寝室。
アリス寝ている。
人形かわいい。
霊夢と魔理沙の人形。魔理沙人形に汚れあり。
上海人形いない。
洗面所にて魔理沙の
---------------------------------------
幽霊じゃない。
文は書いた文字を傍線で消すと、羽ペンの柄を下唇の下に当ててふむふむと考え込んだ。いつもは勢いに任せて、何でもかんでも書きつけていく。書く途中で手を止めるのは、めずらしいことだった。
鏡の中の魔理沙。魔理沙の像/ヴィジョン/幻/ファントム。うすぼんやりとした姿だったが、服装や顔の造作は鏡越しでもこと細かによく見えて、間違いなく魔理沙だとわかった。あきらかに死んでいた。それでいて幽霊につきものの、霊気や穢れ、悪寒なんかは一切感じられなかった。見た目が若干、気味悪かっただけだ。
顔も手足も、見えている肌の部分はすべてが、腐って崩れ落ちていた。思い出して、消した文字の先に、続きを書こうとした。その時アリスが、
「んぅぅ」
と呻いて、わずかに体をよじらせた。不意打ちだったので、驚いて、右足を少し後ろに引いてしまった。
はだしの右足のかかとに何かが当たった。下を見た。
小さな人形が一体、文の右足にしがみついていた。目が合うと、すぐに、手と足をぺたぺた動かして、木登りをするように文の足を登ってきた。上海人形だった。
「シャンハーイ」
今まで、どこにいたのだろう。すごい速さで登ってきたので、ひざの裏を通って、お尻にたどり着きそうになった。寸前で、文は人形の首根っこをひっ捕まえて、顔の高さまで持ち上げてやった。目線を同じくして、話しかける。といっても、もちろん、上海の言葉はわからないので、適当にひとりごとを言うつもりだった。
「どこにいたんですか。アリスさんずっと寝てるんでしょう」
「シャンハーイ」
「妖怪とはいえ、ずっと寝ていると体に悪いですよ。体から水分が抜けてしまって、起きたら頭が痛くなります」
「シャンハーイ」
「そうですねえ。私が、起こしてみましょうか? ゆすったら、起きるんじゃないかとも思うんですけど。ダメならスペルカードも何枚か用意していますし」
「シャンハーイ」
「ああ、そのとおりです。私はあくまで記者なんです。事柄の観察と記録が使命であって、実際にアクションを起こすのは、魔理沙さんや霊夢さんにまかせておきましょう。はたてを博麗神社に向かわせたから、もうすぐここに来るはずですよ」
「シャンハーイ」
「ふふ、そう言っていただけると、うれしいですね。どうでしょう、今度アリスさんと弾幕ごっこをする機会に、あなたの担当のレーザー、ちょっと割り引いて撃ってもらえると助かるんですけど」
「ホラーイ」
「え? あなた、上海人形ですよね?」
「シャン…ホラーイ」
「どっちですか」
「どっちでもいいだろ。天狗なんかがこの家に入るんじゃないよ」
はっきりとした声が聞こえた。上海人形が口を動かして、文にわかる言葉でしゃべったのだった。
ゲタゲタ口を開けて、上海人形は笑い出した。見た目は上海人形だけど、中には別の何かがはいっている。文は人形から手を離すと、首から下げていたカメラを構えて、笑い続けている人形に向けてシャッターを切った。
写真を撮った瞬間、上海人形はまたいなくなった。少しだけ集中力が切れて、呆然としてしまった。カメラから目を離し、部屋全体を視界に収めると、上海人形だけではなく、棚に置かれていた無数の人形たちすべてがいなくなっていた。
アリスはそのまま、ベッドで眠っている。アリスの胸元に、先ほど見た霊夢と魔理沙の人形がおさまっていた。可動式のまぶたが落ちて、目をとじていて、まるでアリスと一緒に眠っているようだった。
(四)
アリスは夢を見ていた。霊夢と魔理沙が自分のことを好きで、他にも自分を好きな少女がたくさんいて、ハーレムになっている夢だった。メディスンだって自分のことを嫌がらずに仲良く接してくれるし、幽香も、危ないこと(腕をもぐとか消し炭にするとか)を言い出さないで優しくしてくれる。早苗は若干変態だったがアリスに向ける愛情は情熱的で、お姉さま、なんて呼ばれて悪い気はしなかったし、パチュリーにいたっては独占欲が強すぎて魔理沙と霊夢を呪い殺そうとする始末だった。
博麗神社に遊びに行くと、霊夢が泊まっていけと言う。お言葉に甘えて泊まると、霊夢が夜這いをしてくる。恥ずかしいので拒否すると、その夜はおとなしくあきらめるけど、次の日の朝こちらが寝ている間にいろいろと性的ないたずらをしようとする。
魔理沙は恋人としてアリスを好きなのとは別に、先達の魔法使いとしても、アリスを慕っているようだった。魔法式の組み方や呪物への魔力付与の仕方について、ちょくちょくアドバイスを求めてくるし、知ってる範囲でことこまかに教えてやると、目をキラキラさせて、尊敬のまなざしで擦り寄って来る。とても気分が良かった。こんな関係のまま、みんなと一緒にずっと過ごしたいと思っていた。
けれど魔理沙は死んでしまった。ほうきで空を飛ぶのが大好きで、スピード中毒になっている馬鹿だったから、高く飛んで限界ぎりぎりまで速度を出して、雲を突き抜けて、次に突っ込んだ雲が雨雲で、その雨雲の中で雷に打たれて即死してしまった。焼け焦げてぺしゃんこになった死体と、同じく焼け焦げた愛用のほうきだけがアリスと霊夢の手に残った。
博麗神社の境内の隅っこに魔理沙を埋めて、ほうきを逆さ向きに突き立てて、お墓を作った。霊夢がそうしたい、と言ったからだ。それからアリスは神社に住むようになった。
アリスと魔理沙と霊夢の三人は、昔からつるんでいる仲間だ。誰かが欠けてしまったとしても、簡単には割り切れない。気が済むまで、一緒の場所にいたかった。
魔理沙が死ぬ前と同じように、霊夢は夜這いをかけてくる。朝這いもほぼ毎日のことだった。恋人同士だから、多少のことは多めに見ていた。寝ている間に、勝手に足の間を見られても、たしなめる程度で済ませてやるほどだ。
そうして何年も経った。
その日は朝から、はっきりしない天気だった。大きな雲が頭上にかかっていて、暗いけど、雨はなかなか降りださなくて、雲の隙間から見える空は濃青色で、あったかい。そんな天気だった。
霊夢と一緒に遅いお昼ごはんを食べて、神社の縁側に座ってお茶を飲んだ。霊夢が夢の話をした。辛い気持ちになる話だった。
上海人形の視界を通して魔理沙のほうきを見た。人形の視界だと、自分の目とはやはり具合が違って、ほうきの焼け焦げ部分がなくなって、新品みたいにぴかぴかしているように見える。
霊夢が、魔理沙の話をする。魔理沙が生きている夢を見て、それがけっきょく、夢のなかだから自分と他人の境がわやくちゃになって、自分が魔理沙になったり、自分だと思っていた少女がアリスになったり、そんな夢だったという。私が死ぬ夢を見ればよかったのに、とアリスは思った。
魔理沙は死んでしまった。それなのに、私が生きているのはおかしいのよ。
そう考えていた。ずいぶん前から、このことについては考えを進めていて、自分の中ではもう、答えになっていた。だから、霊夢はかわいそうだ。
霊夢は博麗の巫女だから、自然に死ぬまでは、どうしても生きていなければいけない。霊夢がかわいそうだから、私は霊夢に付き合って、まだ生きてあげている。
霊夢の話を聞きながら、あらためてそういう考えを頭の中で一から繰り返して確認すると、考えていたからあまりしゃべれなくて、ぼーっとしてしまった。それで自分が、とてもひどいことをしている気持ちになった。
掃除をしていないから、今日の境内にはまだぽつぽつと石ころが転がっている。座っていた縁側から腰を上げて、歩いて行って石を蹴飛ばした。鳥居の方まで転がっていった。鳥居の上に烏がいて、上からきょろきょろと下を見回していた。
鳥居の下に霊夢がいた。魔理沙がいた。射命丸文が、血まみれの顔をして、何やら魔理沙に感想を求めている。魔理沙は手に持っている紙切れを、丁寧に読んでいるから、たぶんそれの内容についてなんだろう。
近くまで寄ったが、三人は自分のことが見えないようだった。魔理沙は昔と同じように――生きていたときと同じように、にやにやと不敵に見える表情を作って笑っていて、霊夢はさっきまでしゃべっていた霊夢よりも、スレてなくて、純情みたいだった。
縁側の方を振り返ると、さっきまでいたはずの、自分の恋人の霊夢はいなくなっていた。
頭がくらくらした。うまく、ものを考えられなくて、まるで夢のなかのことのようだ、と思った。
夢のなかのこと。夢はいつ、見るものなんだろうか。最後に夢を見たのはいつだったろうか。
鳥居の下で、霊夢はしゃがんで魔理沙は立って、ずっと話をしている。文は飛んでいってしまった。アリスは何か、忘れ物をしたような気がして、ゆるゆると飛び立って自分の家に向かった。魔法の森の家に帰るのは、とても久しぶりだった。一応霊夢に、ちょっと自宅に帰るわね、と声をかけたが、まったくこっちを見なかった。あたりまえのように、こちらの声は届いていなかった。
◆
家に着くと、文が自分の家のドアを開けようとしているところだった。どうせ私は見えないし、声をかけても聞こえないんだろうな、と思って後ろに立って待っていた。上海人形が飛んできて、文の顔面にぶち当たった。自分を目がけて飛んできたんだろう。
文の血で血まみれになったのを丁寧に拭いてあげて、そのまま文にくっついて一緒に室内に入った。
文はまず洗面所に向かった。何をするのかな、と思って見ていると。顔を洗いはじめた。やっぱり、後ろに立って待っていた。すると、魔理沙がやってきた。死体の魔理沙だった。
土の下から出てきたんだろう。顔も手足も腐れて、崩れ落ちていけど、かろうじで口元が残っていたので、微妙なニュアンスではあったけど、表情が推察できた。にやにや笑っているみたいだった。服は腐れなかったのかな、と思ったが、服までなくなっていたら、もしかするとぱっと見で魔理沙とはわからなかったかもしれなかったから、このほうが都合がいいのだろう。
それで、あっ、と思った。死体は何年も博麗神社に埋まっているから、もう骨だけになっているはずだ。
だから、魔理沙の死体がこんなふうなのはおかしい。
つまり、
これは私の見ている、私の夢なんだ。
霊夢は魔理沙が生きている夢を見た。私は、その夢を見た霊夢と、死体の魔理沙を、夢に見ている。
アリスはそう理解した。
……夢のなかで私は文と一緒に自分の家に帰って、死体の魔理沙が出てきて、文はそれほど驚く様子もなく、私の寝室に入って、そこで私は私がベッドに寝ているのを見つけて、
文が眠ったままの私の写真をパチパチ撮って、
私は起きない。肖像権の侵害だと思う。
私は起きない。
寝ている私が起きたら、今の私はぱっと消えてしまうんだろうか。
私は私の中に入る。体を合わせて、同じ姿勢でベッドに横になろうとする。体がベッドをすり抜けて、うまくいかなかった。思わず、呻くような声を出す。私の声帯から、音が出て、空気を震わせた。文は今度こそ、驚いたようだった。文の足元に上海がいる。と思ったときには私は上海人形の中に入っていた。
下から見上げると、文の細い足と、パンツが目に入った。無意識のうちに、手を足を使って、文の素足をよちよちよじ登っていた。自分でも驚くくらいに素早い行動だった。
パンツにたどり着く寸前で、ひょい、とつまみ上げられて、文の目の前に体を持っていかれた。黒くて大きい、天狗にしては丸っこい瞳がドアップで迫ってきて、かなり照れた。文は私に話しかける。
どこにいたんですか。アリスさんずっと寝てるんでしょう。
シャンハーイ(私は今は寝ている。ずっとじゃないわ。起きてるときもあるわ)
妖怪とはいえ、ずっと寝ていると体に悪いですよ。体から水分が抜けてしまって、起きたら頭が痛くなります。
シャンハーイ(起きてるときは、霊夢とイチャイチャしたり、魔理沙のことを考えたりしているわ。魔理沙は死んでしまったの)
そうですねえ。私が、起こしてみましょうか? ゆすったら、起きるんじゃないかとも思うんですけど。ダメならスペルカードも何枚か用意していますし。
シャンハーイ(魔理沙は死んでしまった、と言ったのよ。わかってないのかしら。自分勝手な奴ね)
ああ、そのとおりです。私はあくまで記者なんです。事柄の観察と記録が使命であって、実際にアクションを起こすのは、魔理沙さんや霊夢さんにまかせておきましょう。はたてを博麗神社に向かわせたから、もうすぐここに来るはずですよ。
シャンハーイ(霊夢と魔理沙が? 神社にいた霊夢と魔理沙。魔理沙は生きていた)
ふふ、そう言っていただけると、うれしいですね。どうでしょう、今度アリスさんと弾幕ごっこをする機会に、あなたの担当のレーザー、ちょっと割り引いて撃ってもらえると助かるんですけど。
ホラーイ(そのぶん蓬莱に撃たせるわよ)
え? あなた、上海人形ですよね?
シャン…ホラーイ(上海……蓬莱……いえ……私は……)
どっちですか。
「どっちでもいいだろ。天狗なんかがこの家に入るんじゃないよ」
声が出た。自分の言葉とは思えないくらい乱暴な調子だった。人形の体で声を出すと、体全体が震えて、高くなったり低くなったりノイズみたいな変な声になった。
文が手を離す。私は素早く動いて、ベッドの下に潜った。
意識が抜けた。私は自分の体に戻った。アリス・マーガトロイドの体に。
指を動かして、部屋中の人形をすべて片付けた。目を閉じたまま。ここは私の寝室で、プライベートな空間なんだから、ゴシップ記者にあちこちさぐられるわけにはいかないのだ。霊夢と魔理沙の人形だけは手元に引き寄せて、胸元に抱き抱えるようにした。霊夢はときどきだけど、魔理沙人形とは毎晩一緒に寝ている。これと一緒じゃないから、変な夢をみるんだ、と思った。
私はまた眠りについた。今度は良い夢だといい。魔理沙が生きている夢を。魔理沙が霊夢じゃなくて、私を選ぶ夢を見ていたい。ずっと。
(五)
真っ青な顔をして、文がアリスの家から出てくるのを、ちょうど到着した霊夢と魔理沙とはたてが見つけた。どうしたんだ、顔治ったのか、お前赤くなったり青くなったり信号機みたいだな、と軽口を叩く。
文は泣きそうになりながら、
「この家、ダメですよ。おばけが出ますよ。超常現象の館ですよ」
と言った。
「アリスの家だもん。あたりまえでしょ」
「お前アリスのこと何だと思ってんだ? 認識が甘いな」
「文の顔、夜中に発光する消しゴムみたいになってるよ」
好き勝手なことを言う。
中で起きたことを残らず説明すると、文は腕を体に回してぶるぶると震えだした。はたてはうぐぐと呻いて、胃のあたりを押さえた。魔理沙は面白がっているようだ。霊夢にいたっては、面倒くさそうな顔をして、こりゃ私の仕事になるかもね、とぼやいていた。
「あなたたち、何でそんなに平気なんですか。妖怪より人間のほうがおばけに強いなんて、理不尽です」
「私からすりゃ、何でお前がそんなに怖がるのか不思議なんだが。お前顔面血まみれになっても洗えば治るような変態だろ」
「体の傷と心の傷はちがいます。妖怪はメンタル面のダメージに弱いんです。……死体の魔理沙さんは、別にいいんですけどね。人形が出たり消えたりするのって、けっこう気味の悪いものですよ。何だかあそこにいると、自分が悪夢の中に迷い込んだような、そんな感じがするんです」
「私も気がすすまないなあ。文で無理なんだったら、私が行っても何も出来ないよ。念写だけがとりえだし」
「うまくいけば、寝たままのアリスを脱がせて、写真撮れるかもしれないぞ」
「行こう」
はたてを先頭にして、ぞろぞろと室内に入った。
ドアを開けるとまず広めの部屋があり、大きなテーブルが中央よりやや奥のほうに置かれている。そこで食事をしたり、くつろいだりする。本を読み、お茶を飲むための小さなサイドテーブルと椅子のセットがあって、その横には植物の鉢植えが何種類か。水をやっていないからか、少し元気がないようだった。
キッチンを確認すると、よく磨かれた調理用品がきちんと整理されてしまわれていて、けれどかごに入った野菜類が、これも少し、しなびていた。あとで食べてしまおう、と霊夢は思った。
霊夢はぐるりと視線を回して、家の中の見える部分をすべて見た。違和感があった。
そこかしこに置かれていたいくつもの人形が、すべてなくなっていた。前に来たときには、アリスの指の動きに合わせて、さまざまに複雑な動き方をして家事なりおもてなしなりをぱたぱたしてくれた。いつもあったから、なくなると、いちどに住人が少なくなったような感じがした。
自分にわかるくらいだから、魔理沙は入った瞬間に気づいているだろう。霊夢は魔理沙の顔を盗み見た。無頓着なふうをして、目につく本をパクッたりしているが、よく見ると家に入る前よりも真剣な目をしているように見えた。
帽子とスカートのポケットがぱんぱんになったところで、魔理沙が口を開いた。
「上海はどこだ」
文がこたえる。
「私が見たときには、アリスさんの枕の横にいました」
魔理沙はずかずか歩いて、アリスの寝室に入った。つづいて霊夢たちも入る。
アリスが寝ていた。文に訊くと、最後に見たときと同じ姿勢です、霊夢さんたちの人形を抱えているのも同じ、とのことだった。五人の人妖が入っても狭さを感じないくらい大きな寝室だった。金持ちだな、と霊夢は思った。
はたてが写真を撮った。ぴろぴろりん、と携帯のカメラの音がする。
霊夢人形のまぶたがかちっと音を立てて開いた。
「ひっ」
と声をあげて、はたてと文は人間たちの後ろに隠れる。
「こら」
「ほんと情けないな、お前ら」
「なんとでも言ってください。天狗は危うきには近寄らないものなんです」
「そうそう。怖いものからは逃げる。好きなことしかやらない。それが私の処世術」
「ニートの理論じゃない」
霊夢は呆れた顔をして、はたてにしがみつかれている服の袖を振り払った。ぴろりろりん、と音がした。はたてが霊夢の後ろからスカートの下に手を伸ばして、パンツ写真を撮ったのだった。霊夢ははたてをぶん殴った。
鼻血を流して倒れているはたてを一瞥すると、霊夢はアリスに近づいて、指を使って自分の人形のまぶたを閉じさせた。ずいぶん丁寧に作ってある。戦闘用ではないけれど、上海人形なんかと同じくらいの手の入れようだ。魔理沙の人形も触った。魔法の糸で作ってあるんだろう、縫製の跡も見えないくらいの出来栄えで、でもこちらは少し、自分のそれよりも汚れているように見えた。
霊夢は心のなかで、ふん、と毒づいた。。
「上等よ」
「なんだ、ファイトを燃やしているな。お前にしてはめずらしいな。何に対してだかはわからんが」
「あんたにはわかんないでしょうけどね。こちとら常にこんなふうなのよ」
「なんだそりゃ」
「いいの。で、あんたはどう思う、この状況」
「うん」
魔理沙が説明をはじめた。
アリスの家だから、そこらじゅうに術具やスペルの痕跡があって、気がつくものは切ったが、そのせいで魔力の流れがおそろしく込み入っててよくわからん。綿密に調査すれば、何かわかるかもしれないが、今の装備じゃ無理だな。
けれどアリスそのものからは、何も感じない。ただ寝ているだけのように思える。魔法の眠りで、こういう種類のものもあるけど、寝はじめたのってはたての言うことを信じれば、一週間前だろ。そのころだと、位相の都合が悪いんだ。位相って、月の満ち欠けだぜ。アリスは主に宗教改革期の技術を参考にしているから、そのころの考えでいくと……。
「ふむ」
霊夢はうなずいた。魔理沙はつづけて、魔法の失敗とか、そういうは考えにくい。この部屋の様子はそういった種類の様式とはかけ離れているし、でも、ほらあそこ、ナナカマドの花環があるだろ。赤い糸で結ばれている。あれ魔女避けのしるしなんだ、だからあれに傷がないってことは、誰かから攻撃を受けたってのも考えにくくて……とべらべら話しだそうとしたが、手を上げて止めさせた。
天狗たちを振り返る。
「文。はたて。あんたたちはどう思う」
「……それでですね、クレオパトラとシーザーとブルータスが、三人でコーヒーを飲むんです。クレオパトラが言います。『シーザー、あなたはブルーマウンテン?』次にブルータス。『クレオパトラ、君はキリマンジャロ?』そしてシーザー。『ブルータス、お前モカ?』
「あっ、その話知ってる」
「人の話を聞けえええええ!」
呆れた顔をしながら、お前らほんとやる気がないな、記者なんてのは甘っちょろい仕事だな、と魔理沙が茶化す。すると、ご心配なく、爆笑小ばなしをしていながらも、高速で手を動かしてメモや写真をとっているのです、と言って文が手帖を少しだけ見せてくれた。まったく読めない字だったが、たしかに新しげなページに、びっしりと細かい字が書かれていた。
いい加減面倒くさくなった。早く解決して神社に帰って、お茶を飲んで寝てしまおう、と霊夢は思った。
「起きなさい」
と言って、寝ているアリスに馬乗りになると、頬をビンタした。
魔理沙が現われた。
――文が見た死体の魔理沙と、もう一人、生きている魔理沙だった。うすぼんやりとしていて、陽炎のようだった。寝室の明かりは暗い。文が入ったときにカーテンを開けたけど、あまり日が差さないところだから、昼間でも寒くて暗いのだ。
一緒に来た魔理沙とあわせて、魔理沙が三人になった。死体の魔理沙は顔も体も腐って崩れていて、気味が悪かった。二人目の魔理沙は、本人とすっかり同じようだ。服も帽子も、大きな瞳も、ばら色の唇も。ベッドの両脇に、アリスを守るようにあらわれて、アリスの上に乗っている霊夢を見つめている。
天狗たちはひゃあひゃあ言いながらも、パチパチぴんぴろ音を立てて写真を撮りまくった。魔理沙は自分の腐れた顔を見てさすがにひるんだようだったが、すぐに不敵な面構えに戻って二人の自分をかわりばんこに観察しはじめた。
霊夢はもう一度、アリスの頬を叩いた。今度は霊夢が現われた。
現われた霊夢は生きていて、ほんものの霊夢とまったく変わりがなかった。リボンも同じだし、黒髪も、いいものを食べていないのでちょっと痩せ過ぎなところも。このぶんだと、自分も魔理沙も、脱いでも細かいところまですっかり同じなんだろう、と霊夢は思った。もう一発叩いた。
メディスン、幽香、パチュリー、早苗、咲夜に八雲紫も……自分たちの知っている、ほとんどの少女たちが次々と現れては消えた。文とはたてもいた。
ぽん、と音がした。上の方から上海人形が降ってきて、霊夢の頭に乗った音だった。霊夢は手を回して上海を掴むと、ぺしっと投げ捨てた。
「アリス」
名前を呼ぶ。
「アリス、アリス、アリス」
魔理沙はぽかんとしてその様子を見ていた。
上海人形がしゃべりだした。
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
少しずつ声が大きくなった。
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
「アリス、アリス、アリス」
アリス。
アリス。
霊夢は両手を横に大きく伸ばすと、勢いをつけて目の前で打ち合わせた。ぱぁん、と大きな音がした。
すべての少女たちが消えて、あとには霊夢とアリスと上海人形と、よくわからない、といった表情をした魔理沙と、すごい勢いでメモをとっている天狗二人が残った。
「おい。どうなってんだ」
「魔理沙」
「……魔理沙、って私も返せばいいのか? 話が見えないぜ」
「あんた、出ていきなさい」
「おい」
「あんたにいられると都合が悪い」
「ふざけんな」
「文。はたて。魔理沙を連れ出して」
「嫌ですよ。これから解決するつもりなんでしょう。私が見逃しちゃうじゃないですか」
「私も嫌よ。まだアリス脱がせてないもん」
「そう」
霊夢は静かに言うと、
「大結界『博麗弾幕結界』」
スペルカードを発動して、魔理沙たちを結界の外側へはじき飛ばした。
◆
アリスとふたりきりになった。
霊夢とアリスの間にはいつも魔理沙がいるので、ふたりだけになるのはあまり経験がなかった。アリスの寝顔を見るのも、ずいぶん久しぶりなんじゃないかと思う。
アリスは泣いていた。――涙は出ていなかったが、泣きそうな表情に見えた。
「馬鹿ね」
ベッドに入って、アリスと寄り添うようにして体を寄せる。手を握った。左手でアリスの右手を握る。天井が見えた。薄い緑色の天井で、アリスが選んだ色だから、たぶん、気持ちを落ち着かせるとか、眠りに入る瞬間を、優しい気持ちで迎えられるようにするとか、そういう効果があるんだろうと思った。
優しい気持ちで眠りについて、優しい夢を見ること。自分たちにはそれが、大変なときもある。悩みのなさそうな生活をしているが、それでも毎日何かしらは起こるものだし、ちょっとした言葉のすれ違いや、ささいないざこざが、どうしようもなく心をかき乱してしまうことがある。
たとえば宴会の後で、とても楽しかったけど、寝て起きるとみんなが帰ってしまっていて、ひとりで後片付けをしているとき。花見や何かに向かう途中で、笑いながらしゃべっている友人たちの背中を見ながら、ふと自分の横には、誰もいないのだと気づくとき。
気づくとさみしい気持ちになるが、けれどその、ひとりでさみしいこと自体に、どこか安心してしまう、そんな瞬間がある。
きっと、魔理沙にはわからないだろう。
顔を横に向けて、アリスの首筋のにおいを嗅いだ。風呂に入っていないから、ちょっとむわっとするように思えた。でも別に、嫌ではない。口を耳に近づけて、アリスに話しかけた。これ以上ないほど、自分たちは近くにいるから、どんなに小さな声でも聞こえると思った。
「アリス」
名前を呼ぶ。
「起きてるんでしょう。知ってるわよ」
少し間を置く。心の準備のためだ。
「……あんたが寝っぱなしなんだったら、ね。私、ね。魔理沙に告白しちゃおうかな」
「……ダメ」
アリスは目を開けて、天井を見た。ひさしぶりに目を使ったから、なんだかピントが合わないような気がした。それから霊夢の顔を見た。霊夢は恥ずかしそうにしていた。
(六)
「ふぃー、やぁぁーばかったぁぁー」
自室でPCの画面を見ながら、はたてはひとりごとを言った。吹き替えのダイ・ハードのブルース・ウィリスの声を真似して言ったつもりだったが、われながらあんまり上手くなかったと思う。
画面には今日撮った写真が一覧表示されていて、文と霊夢のパンツ写真がやはりいちばんすばらしかった。アリスと魔理沙のパンツを撮れなかったことが悔やまれる。
ひとつひとつに細かくタグ付けをして、きちんと所定の場所に収納する。フォルダの乱れは心の乱れ。けっこうきちょうめんなはたてだった。
アリスは目を覚ましたあと、すぐに、「変な夢を見てたの」と、集まったはたてたちに告げた。夢の内容を聞くと、最初はなかなか教えてくれなかったが、死体の魔理沙のヴィジョンを見た、と話してやると、ため息をついて「魔理沙が死ぬ夢」と、それだけ言った。
やっぱり自分の写真が悪かったのだ。
マウスをかちかち操作して、今日、携帯で、文に見せた写真を表示した。ベッドの中のアリスを、霊夢と死体の魔理沙が見守っている写真だ。これは上海人形が撮った写真だった。マウスカーソルをすべらせて、他の写真をもう一枚出した。
魔理沙の顔が腐って、崩れ落ちている写真だ。一週間前に作ったコラ写真だった。
アリスが魔理沙を好きなのは、はたてから見ればまるわかりで、ちょっと嫉妬するくらいだった。なので嫌がらせの意味も込めて、ネタとして写真を作って、アリスに見せたのだった。見せた瞬間、アリスが息を飲んだのがわかった。けれどすぐに気にしていないふりをして、あなた器用ね、新聞記者よりそういう職人になったほうがもうかるんじゃない、と言われた。次の日からアリスは目を覚まさなくなった。
どういうふうに作用したのかはわからないが、ショックだったんだと思う。一週間も寝ていて、その間ずっと悪夢を見ているくらいには。
あらためて自分のコラ写真をしげしげとよく見ると、さして出来が良いとも思わなかったが、くくくと笑みが漏れた。アリスだけじゃなくって、この写真は文にも影響を与えていた。
アリスたちと別れた後、文の家に一緒に行って、すごい勢いで新聞づくりをしている文を見ながら文の書いた小説を読んだ。かなり意外だった。いつも適当な記事ばかり書いていて、記事の内容なんて読者は誰も読んでないんだから、どうでもいいのよ、なんて言っている文が、まさか小説なんて文学っぽいことをするとは。
一週間前、写真を作った後、文が家に来たので見せてやったのだ。ふーんとか興味なさそうにしていたけど、そこからインスピレーションを受けて、あんな小説を書いたんだろう。そうに決まっている。
はたては他にもいろいろ適当な写真や動画を作っているし、その写真をアリスに見せるともなんとも教えていなかったから、今回の事件とは結びつけて考えなかったようだけど。それとも文は忙しいから、単に忘れてしまったのかもしれない。
「あいつもいろいろ苦労してるのかもね。部数は伸びないみたいだし。私みたいに、時間をかけてゆっくり作ればいいのに」
と、ひとりごちた。
「なるほど、そういうことだったの」
後ろから声が聞こえた。振り向くと、文がいた。
「い、いつの間に入ったのよ!」
「ちょっと前から。新聞は書きあがったから、あとは刷り上がるのを待つだけなの。あんたがどんなのを書いてるか、ちょっと偵察に来たんだけど、まさかね。あんたの写真が元凶だったなんて、いやはや私もびっくりしたわ」
「不法侵入! プライバシーの侵害!」
「あんたの念写なんて、ほとんど盗撮じゃない。よく言うわ。それにいいの、あんまり強い態度に出ると、あの三人にばらしちゃうわよ、いろいろと」
「……ふん。文みたいなゴシップ記者の言うこと、みんなが信じるわけないじゃん」
「えーっと」
文は頬をぽりぽり書くと、はたての背後の壁に巧妙に隠されて設置されているカメラを指さした。
PCの画面がばっちり映る位置だった。
「監視カメラ。ずっと録画してるの」
「こらあ!」
「まあまあ。あんただって、私の家にいろいろ仕掛けてるでしょう」
「それは、まあ」
「でしょ。おあいこ、おあいこ」
はたては納得した。
大切な友達のこまごました生活のすべてを知りたいと思うのは、天狗にとってごく自然な欲求なのだ。
「うぐぐ」
「心配しなくても大丈夫よ。別に記事にしたりはしないから」
「え?」
驚いた。
あの悪魔のような文が、つかんだネタを記事にしないでほっぽりだすなんて、考えられないことだった。
文はにひひ、と笑うと、はたての横にどっかり腰を下ろしてあぐらをかいた。
お酒を持ってきたから、湯のみちょうだい、と言う。一升瓶をどんと出した。はたては言われたとおり、いつも使っている湯のみを二つ用意した。
一杯飲んで、体があったまると、
「ね、あの三人さ、誰がどういうふうにくっつくと思う?」
「へえ? ……そうね、っていうか、二人とも魔理沙狙いでしょう。今のところ霊夢が、アリスをちょっとリードしてるみたいだけど」
「私は、霊夢とアリスがくっつくのもあると思うなあ」
「嘘っ、恋敵同士だよ」
「それが恋の妙味でさ。あの二人は、魔理沙が好き、ってこと以外にも、かなり共通するところが多いと私は見てる」
へへえ、とはたては変な声を出した。今ひとつよくわからないけど、さすが文だ。妙に説得力がある。
そのまま二人で、朝まで話をした。明るくなるころになると、ではそろそろ新聞が刷り上がるので、と言って文は帰っていった。つまるとこ、今なにもかもばらすより、あの三人が大人になってから、ちくちくつついてやったほうが面白いでしょ、とのことだった。
情報は持っているだけではだめで、きちんと取捨選択して、使いどころを間違えないのが肝要。それが人の弱みを握るってことよ、と偉そうに言う。はたては感心した。それから今までのことをすべて打ち込んで、日記ファイルに保存した。監視カメラを外そうかとも思ったが、そのままにしておいた。今度からお風呂にはいるときは、ここで服を脱ぐのはやめよう、と思った。どうせお風呂にも、カメラは仕掛けられているんだろうけど。
(七)
天井を見ると、うすい緑色で、前はこの色が気持ちを落ち着けてくれると思っていたけど、でもけっきょくあんな夢をみたんだから、あんまり効果はないのかもしれない、とアリスは思った。
魔理沙人形と一緒に眠るのはやめた。かわりに上海人形を抱いていた。
上海に自我を分けて動かすなんて、実験的なことをしていたから、あんなふうになったのかな、と考えた。夢と現実の境があいまいで、幽体離脱をしたようでもあったし、夢のなかの映像が変な調子で、文たちに見えてしまったようだ。夢のすべてが知られてしまったら、恥ずかしくて生きていけない。危ないところだった。
今では上海は前と同じ、お気に入りなだけの人形に戻っていた。文の血がついた服を取り替えて、自分の服と一緒に洗濯し、植物に水をやり、しなびた野菜を霊夢にくれてやって、などなど、一週間分のたまっていた家事をすべてやると次の日の夜になった。一週間も寝ていたはずなのに、また眠くなった。
魔理沙のことを考えた。人騒がせな奴だぜ、と悪態をついたあと、霊夢がどうやってアリスを起こしたのかとか、アリスがどんな夢を見ていたのかとか、しつこく聞き出そうと食い下がったが、霊夢もアリスも何もしゃべらなかった。
才能のない魔法使い。魔理沙にはできないことがたくさんある。自分と比べれば、未熟者もいいところだ。おかしくなった。霊夢も自分も、魔理沙が好きで、でもどこがどんなふうに好きなのか、きちんと言うことができないのだ。
また夢を見るのかな、と思うと、少し恐ろしくなった。けれどどうせ、魔理沙と霊夢は出てくるんだろう、と思った。
ぱちりと目を開けた。
今夜は起きていて、明日の夜、魔理沙と霊夢を誘って神社で三人で寝よう。恥ずかしいけど、何だか怖いから、と言えば、なんだかんだ言って承知してくれるだろうし、自分だって時には、わがままを言っていいはずだ。
アリスは身を起こすと、クローゼットをひっくり返して明日の夜着るパジャマを選びだした。可愛いものがいい。でも、自分のイメージを崩さないような、可愛すぎないものを。
(了)
……ギャザーの続き、待ってるんだぜ
結局彼女たちがどうなっていくのか……こわおもしろいです。
いやはや、楽しませていただきました。
2014年の今読むとモテる魔理沙がかえって新鮮に感じたり?