前書き
この話は、拙作「ヤクモラン」「黒猫の咲かす花」の設定を受け継いでいます。
それらを読んでいなくても、幽香が幻想郷の人物をモチーフにして花を創っているということを了承していただければ、特に問題はありません。
気にしないという方、いいよという方は、本文をお楽しみください。
===================================================
竹林に添水の音が響く。永遠亭の庭先に、遊び程度に作られた和風庭園。元はといえば、私が掘った落とし穴。役目を終えたその窪みを見た姫様が、もったいないと言って池にしてしまったのだ。それっぽい形の石が置かれ、どこから引いてきたのか、ご丁寧に小川が流れている。枯山水の風情を知らないわけでもないだろうに。
「月の御人の考えることは、たまに理解に苦しむよ。」
縁側に座って一人呟く。知り合ってからはずいぶん経つはずなのに、未だにどこか馴染めていないと感じることがある。
「……月の兎は地上の兎とは違うっていうのかい?」
姫様や師匠が鈴仙に向ける目は、私に向ける目とはちょっと違う。少なくとも、私はそう感じている。
姫が世話をしている盆栽。その花の名を優曇華というらしい。
師匠は鈴仙に優曇華院という名前を与えたらしい。
鈴仙は、どこか特別扱いを受けている。ずるいなぁ、悔しいなぁ。そんな感情に任せて穴を掘る。でも、結局のところ、うらやましいなぁ、という言葉に置き換えられるわけで…… 心のどこかにそんな思いがあったから、これまでは役目を終えた穴はすぐに埋め直していた。
それが、水の流れる枯山水だ。わびさびを理解してないとか、そんな言葉で片付けられるものじゃない。どう考えても私へのあてつけだ。これを見るたび、私は心の中身を見透かされているような気分になる。私の心の中にある矛盾。それに気づけとでも言っているような気がして……
無論、そんなことくらい気づいている。気づいていても、素直になれない。やってることは、結局のところ八つ当たり。あぁ、また一つ、コーンといい音が響いた。音におびえて逃げていく鹿など、竹林にいるわけがないのに。気分転換のつもりで、普段は見向きもしない新聞を手にとる。
「へぇ…… 太陽の畑でこんなことをしていたなんて。」
風見幽香が新しい花を創っているらしい。既に八雲の式とその式、稗田の当主の花を創り、それぞれに贈られたとのこと。ご丁寧に写真が載っていたが…… なるほど…… 対象をイメージした花、ねぇ……
ふと、姫様の盆栽のことが頭に浮かぶ。鈴仙のイメージをその花に重ねているのであれば、その花を大切に育てるということは、間接的に鈴仙を愛でるということにならないか。そして、それを知った上で、師匠が優曇華院という名を与えたとするならば。
3人は花でつながっている。月にいたからという同族意識だけじゃない。3人だけの、特別な絆。どおりで私が仲間外れにされているわけだ。そうと解れば話は早い。これまではやり方がまずかった。いくら穴に落としたところで、地上と月の間の溝が埋まるわけではない。
目には目を、花には花を。いざ行かん、太陽の畑へ。私の花を手に入れるために。
========================================
「嫌よ。あなたの花を創る義理がどこにあるの?」
お願いして早々、もっともなことを言われる。相手はこっちの顔すら見ていない。でも、私としても簡単に引き下がることはできない。
「新聞にも書いてあるよ、『お望みとあらば、あなたの花、咲かせます』って。お願い。幸せ分けてあげるから。」
「あの天狗、余計なことを…… 私だって暇じゃないの。ほいほいと花を譲れるものですか。」
手をひらひらさせて、もう帰れという意思を伝えてくる。それからしばらく粘って見るものの、首を縦に振る気配は見られない。それどころか、私の言葉に反応すら見せなくなってしまった。こうなったら、とっておきの手段を使うしかない。
「……あぁ、残念だなぁ。せっかくの幸せをふいにしちゃうなんて。」
相変わらずの無反応。しかし、次の言葉には絶対に食いつくはず。
「姫様の大切にしてる盆栽、月の花だって話だったけど、こっそり見せてあげようと思ったのに。ほんと、ざんねんだなぁ。」
『月の花』という言葉を出した瞬間、肩をピクッと動かす幽香。ほぅら、食いついた。でも、まだ慌てちゃいけない。竿をあげるのは、もっと深くに食いついてから。
「姫様は、まだ地上に持ってきてから咲いたところを見たことがないって言ってたっけなぁ。でも、毎日毎日、少しずつ変化してるとか言ってたっけなぁ。もしかしたら、明日咲いちゃうんじゃないかなぁ。いや、もしかしたら今夜にでも咲くかもしれないなぁ。3000年に一度の開花かぁ。いくら寿命が長くたって、今見ないともう見れなくなるかもしれな―――」
「もういいわ! わかったから。あなたの花を創ってあげるから!」
竿をあげる前に自分から飛び上がってきた。相手の弱みを突くのは得意中の得意。伊達に長年生きてるわけじゃあないってね。
「あなたのことだから、きっと私をうまく挑発したつもりでしょうけど…… まぁ、どうでもいいわ。すぐに準備するから、そこで待ってなさい。」
しめしめ、作戦成功。これであの3人をギャフンと言わせることができる。あれ? 私の目的って、そんなことだったっけ? ……まぁいっか。
そんなことを考えつつ、わくわくしながら待っていた。ところが、戻ってきた幽香が持っていたのは、私が期待していたものとはちょっとだけ違うものだった。
「ねぇ、花を創ってくれるんじゃなかったの?」
「えぇ、花を創ったわよ。」
冗談じゃない。幽香も嘘をつくような妖怪だったのか。私は綺麗な花が出てくるものだと思っていたのに、幽香の手には小さな稲の穂のような物が数粒。これはどういうことだろうか。
「正確には、花の種ね。私にも、プライドってものがあるわ。挑発に負けて花を創るなんてことは不愉快なの。でも、月の花には興味がある。だから、これは最後の抵抗ってやつね。」
挑発はどうでもいいんじゃなかったのか? 大物はこれだから扱いづらい。でも、そんな思いは表に出さず、あくまで表情は喜びに満ちたにこやかな笑顔で。そうだったのか、私ってば早とちりしてた、はっはっは。そんな雰囲気を全力でアピールする。
「自分の花なんだから、自分で種から育てなさい。成長するまで、それほど時間はかからないはずよ。また後日、改めてこちらから伺うことにするわ。」
種を受け取って深々とお礼をする。心から感謝している、そんな風に見えるように。姫様の盆栽については…… なんとかなるだろう。それよりも、今は私の花だ。どんな花が咲くんだろうか。素兎の名の通り、純白の花だったらいいなぁ。
========================================
……とか期待してたのはどこのどいつだ。今の私は不機嫌だ。これ以上ないくらいに不機嫌だ。
「幽香は嘘吐きだ! 血も涙もない酷い奴だ!」
あなたの花よ、と言われて手渡された種を育ててみたら、生えてきたのはどこにでもありそうな雑草だった。笹の葉みたいな細長い葉っぱ。細くて頼りなさげな茎。百歩譲って花さえ咲けばと思っていたのに、花なんか咲きやしない。ただ、黒く染まった穂がついただけ。姫様達ならともかく、どうして幽香なんかにまで馬鹿にされないといけないのか。
「こんなもの……!」
手を振り抜いて茎を刈る。パキパキと軽い音を立てながら折れていく。手を見ると、うっすらと血が滲んでいる。細いくせにやたらと硬くて鋭い。どれだけ私を傷つければ気がすむんだ。
幸いなのは、ここが永遠亭の庭ではないということ。一人でこっそり育て上げて、花が咲いたら見せびらかすつもりだった。これが私の花。どう? 綺麗でしょう? その言葉を聞いて、鈴仙が羨ましがる様子を見たかった。
……嘘だ。もともとは、そんなことを望んだわけじゃない。自慢したかったわけじゃない。ただ、綺麗ね、という言葉をかけてほしかった。花を通じて、つながりたかった。間接的にでも、絆を感じたかった。それだけだったのに……
目の前の景色が滲む。手の切り傷が痛むからじゃない。痛いのは、もっとべつのところ。こうなったのは誰のせい? 誰の? 誰の……
「花の世話もできないなんて、案外、あなたも情けないのね。もう少し賢いと思っていたのに。」
私の思考を中断させたのは、私を馬鹿にした妖怪の言葉だった。そうだ、こいつがちゃんとした花を創っていたならば、こうはならなかった。悪いのはこいつだ。こうなったのは、ぜんぶ幽香のせいだ!
「嘘吐き! 花なんか咲かなかった。ただの雑草しか生えてこなかった。こんなの、私は望んでない!」
ありったけの怒りの言葉を吐きかける。相手は応えることもなく、ゆっくりと、こちらに向かって歩いて来る。怒りが恐怖に変わったのは、その姿が目前に迫った時だった。
花を愛することに関して、この妖怪の右に出るものはいないだろう。私と幽香の間に散らばる残骸。創造物を壊されて、黙っていられる創造主がいるだろうか。
やられる。わたしも。かられて。こわされ―――
声も出せずに震える私の目の前で、幽香は屈み、折れた茎の一本を拾い上げる。
「なるほど…… 殻を破れなかったから、その幸せを知ることができなかったのね。」
そんなことを呟いた。次の瞬間、私の喉元に、傘が突きつけられた。
「自分の幸せから目を背けるあなたが、人間を幸せにするですって? 思いあがるのもいい加減にしなさい。」
ゆっくりと傘が離れていく。代わりに差しのべられる手のひら。その上には、小さく開いた穂があった。思わず息をのむ。穂の隙間からのぞく、白く、小さな花弁。それに目を奪われ、見入ってしまった。
「目に見える大きな幸せなんて、絵にかいた餅。幸せなんて、所詮これくらいの小さな物。それでも、求める者にはちゃんと見える。そこから目を背けない限り。」
私が幸せを説かれている。この場でなければ、こんな状況でなければ、大声をあげて自嘲しているところだ。その時の私は、うなだれることしかできなかった。自らの花、大輪の花、そんな目に見える幸せを望んだ私だ。言い返す言葉など、ない。
私の幸せとは何なのか。殻を破れなかったから、その言葉が、茎に残った穂ではなく、私に向けられた言葉なのだとしたら。
「綺麗な花を期待していたんでしょうけど、勘違いも甚だしいわね。」
勘違い。そうだ。最初から、勘違いだったのかもしれない。花でつながった絆。私が勝手にそう勘違いして、花で対抗しようとして、失敗して……
「……あなたが花を望んだ理由。詳しく話して御覧なさい。」
その言葉は、どこか優しげに感じた。だからだろうか。自分でも驚くくらい、素直に胸の内を明かしていた。姫様、師匠、鈴仙、3人に対する私の思い。羨ましさ。疎外感。
幽香は静かに耳を傾けてくれた。まったくの無反応ではない。時折頷きを返してくれる。それだけでも、私は安心できた。最後まで話し終えたとき、幽香はそっと、私の頭に手を乗せた。子供扱いされてるみたいで、普段だったら振り払って逃げだしていたはずだ。
徐々に視界が滲みだす。頬を伝ってこぼれていく感覚。声だけは出さないように、我慢していたはずなのに、知らぬ間に嗚咽が漏れてくる。
「……あなた、『葦』という植物は知っているかしら。」
かけられた声に、小さく頷いて応える。
「あなたの花は、この『葦』を基にして創ったものよ。昔から、軽くて丈夫な素材として利用されてきた。……いや、あなたなら、そんなことくらい知っているわよね。」
茅葺屋根…… 葦簾…… 人間と葦の関係は深い。私の花は、その葦を基にしたという。
「この花の名前は『ウサギノアシ』。人間を幸福にするというあなたのイメージを、古くから人間とつながりのある『葦』に重ねたつもりよ。」
頭に乗っていた手の感覚が途絶える。ゆっくりと顔をあげた私の目の前には、差しのべられる手のひらがあった。その上には、数粒の種。
「今度は、ちゃんと幸せを咲かせなさい。この花は、紛れもなく、あなたの象徴なんだから。」
差し出した手のひらに、種がぽろぽろと落とされる。種を渡し終えた幽香は、くるりと背を向けて歩き出す。その後ろ姿を茫然と眺めていると、ふと歩みを止めて、再びくるりと振り返った。
「一つだけ。今度は水辺で育ててみなさい。……と言っても、この竹林の中には、小川なんて流れてないでしょうけど。」
それだけを言い残して、再び歩き出す。水辺…… 本当は、事情を聞くまでもなく知っていたんじゃないだろうか。じゃあ、どうやって知ったのか。まさか……
私は頭を振って考えを捨てる。そうだったとして、なぜ幽香がこんなことをする必要がある。そう、私は考えすぎだ。考えすぎて、勘違いして、核心を見失う。穂の中に包まれた花に気づかなかったように。
========================================
「あら、私ったら、いつの間にあんな花を植えたのかしら。」
永遠亭の庭先に、遊び程度に作られた和風庭園。小川が流れる池のほとりに、その花は咲いていた。最初に気付いたのは、やはり姫様だった。
「うむむ…… 私が植えた覚えはないわね。永琳が植えたの?」
「いえ、私にも、覚えはありません。ウドンゲじゃないでしょうか?」
「いいえ、私でもないですよ。」
「となると、残るは……」
3人の視線が私に注がれる。私はなにも応えず、ただにやにやと笑顔を浮かべていた。藁色の茎の先に、黒曜石のように鈍い光沢を持つ穂が実る。穂の間から見える純白の花弁は、主張するわけでもなく、かといって、殻の中に閉じこもるわけでもなく、静かに花開いていた。
「……たまには、いいことするじゃない。」
意外にも、最初に褒めてくれたのは鈴仙だった。一緒にいる時間はとても長いはずなのに、こんなに素直に褒めてくれたのは初めてかもしれない。私に向けられる笑顔は、とてもやわらかく感じる。
「世話をする花が、また一つ増えたわ。」
「仕事が増えて、手間がかかるとでも考えていませんか? 姫様?」
「まさか。むしろ望むところよ。だって、ほら。」
おもむろに、近くの穂を一つだけ摘み取って、広げた手のひらの上に乗せる姫様。
「黒い殻に身を隠す、白くて純粋な花の姿。まるで、素直になれない誰かと似てるって思わない?」
姫様が、こちらに流し眼を送った気がした。それに気づかぬふりをして、私はただ、笑顔を続ける。師匠や鈴仙は、姫様の言葉に首をかしげて考え込んでいる。
「……こんなことしなくても、仲間外れになんかしないのに。」
「……姫様?」
「ふふふ、なんでもないの。ただの独り言よ。それより、てゐ?」
私を見て、意地悪な笑みを浮かべる姫様。
「あなたが植えたんだったら、知ってるんでしょ? この花の名前。」
姫様は、私の口から言わせたいらしい。そうか…… やっぱり、この人は……
一歩だけ、前に踏み出す。視線が集まるのを感じる。
また一歩。目の前には私の花。今だったら、はっきり見える。目を背けることはない。私にとっての、小さな幸せ。
くるりと身を翻す。期待するような眼差しを受け止めて、私は一言……
「……見た人を幸せにする花。名前は、忘れちゃった。」
目を点にする鈴仙と師匠。ただ一人、姫様だけが、おなかを抱えて笑い出した。
「あはは、そう、まったく、てゐらしいわ。あはは……」
それまでとは違って、私は意識して意地の悪い笑顔を作る。反応したのは、やはり鈴仙だった。
「てゐ、その様子だと、ほんとは知ってるんでしょう? 意地悪しないで教えなさい!」
「いやだよぉ。どうしてもっていうなら、私を捕まえてごらん。」
「ちょっと、逃げるつもり? 待ちなさい!」
高々と跳躍して走り出す。やっぱり私は素直にはなりきれない。でも、ちょっとくらいなら、素直なところをみせてもいいかな。ちょうど、黒い穂の隙間からのぞく白い花のように。鈴仙との追いかけっこに興じながら、そんなことを考えていた。
この話は、拙作「ヤクモラン」「黒猫の咲かす花」の設定を受け継いでいます。
それらを読んでいなくても、幽香が幻想郷の人物をモチーフにして花を創っているということを了承していただければ、特に問題はありません。
気にしないという方、いいよという方は、本文をお楽しみください。
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竹林に添水の音が響く。永遠亭の庭先に、遊び程度に作られた和風庭園。元はといえば、私が掘った落とし穴。役目を終えたその窪みを見た姫様が、もったいないと言って池にしてしまったのだ。それっぽい形の石が置かれ、どこから引いてきたのか、ご丁寧に小川が流れている。枯山水の風情を知らないわけでもないだろうに。
「月の御人の考えることは、たまに理解に苦しむよ。」
縁側に座って一人呟く。知り合ってからはずいぶん経つはずなのに、未だにどこか馴染めていないと感じることがある。
「……月の兎は地上の兎とは違うっていうのかい?」
姫様や師匠が鈴仙に向ける目は、私に向ける目とはちょっと違う。少なくとも、私はそう感じている。
姫が世話をしている盆栽。その花の名を優曇華というらしい。
師匠は鈴仙に優曇華院という名前を与えたらしい。
鈴仙は、どこか特別扱いを受けている。ずるいなぁ、悔しいなぁ。そんな感情に任せて穴を掘る。でも、結局のところ、うらやましいなぁ、という言葉に置き換えられるわけで…… 心のどこかにそんな思いがあったから、これまでは役目を終えた穴はすぐに埋め直していた。
それが、水の流れる枯山水だ。わびさびを理解してないとか、そんな言葉で片付けられるものじゃない。どう考えても私へのあてつけだ。これを見るたび、私は心の中身を見透かされているような気分になる。私の心の中にある矛盾。それに気づけとでも言っているような気がして……
無論、そんなことくらい気づいている。気づいていても、素直になれない。やってることは、結局のところ八つ当たり。あぁ、また一つ、コーンといい音が響いた。音におびえて逃げていく鹿など、竹林にいるわけがないのに。気分転換のつもりで、普段は見向きもしない新聞を手にとる。
「へぇ…… 太陽の畑でこんなことをしていたなんて。」
風見幽香が新しい花を創っているらしい。既に八雲の式とその式、稗田の当主の花を創り、それぞれに贈られたとのこと。ご丁寧に写真が載っていたが…… なるほど…… 対象をイメージした花、ねぇ……
ふと、姫様の盆栽のことが頭に浮かぶ。鈴仙のイメージをその花に重ねているのであれば、その花を大切に育てるということは、間接的に鈴仙を愛でるということにならないか。そして、それを知った上で、師匠が優曇華院という名を与えたとするならば。
3人は花でつながっている。月にいたからという同族意識だけじゃない。3人だけの、特別な絆。どおりで私が仲間外れにされているわけだ。そうと解れば話は早い。これまではやり方がまずかった。いくら穴に落としたところで、地上と月の間の溝が埋まるわけではない。
目には目を、花には花を。いざ行かん、太陽の畑へ。私の花を手に入れるために。
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「嫌よ。あなたの花を創る義理がどこにあるの?」
お願いして早々、もっともなことを言われる。相手はこっちの顔すら見ていない。でも、私としても簡単に引き下がることはできない。
「新聞にも書いてあるよ、『お望みとあらば、あなたの花、咲かせます』って。お願い。幸せ分けてあげるから。」
「あの天狗、余計なことを…… 私だって暇じゃないの。ほいほいと花を譲れるものですか。」
手をひらひらさせて、もう帰れという意思を伝えてくる。それからしばらく粘って見るものの、首を縦に振る気配は見られない。それどころか、私の言葉に反応すら見せなくなってしまった。こうなったら、とっておきの手段を使うしかない。
「……あぁ、残念だなぁ。せっかくの幸せをふいにしちゃうなんて。」
相変わらずの無反応。しかし、次の言葉には絶対に食いつくはず。
「姫様の大切にしてる盆栽、月の花だって話だったけど、こっそり見せてあげようと思ったのに。ほんと、ざんねんだなぁ。」
『月の花』という言葉を出した瞬間、肩をピクッと動かす幽香。ほぅら、食いついた。でも、まだ慌てちゃいけない。竿をあげるのは、もっと深くに食いついてから。
「姫様は、まだ地上に持ってきてから咲いたところを見たことがないって言ってたっけなぁ。でも、毎日毎日、少しずつ変化してるとか言ってたっけなぁ。もしかしたら、明日咲いちゃうんじゃないかなぁ。いや、もしかしたら今夜にでも咲くかもしれないなぁ。3000年に一度の開花かぁ。いくら寿命が長くたって、今見ないともう見れなくなるかもしれな―――」
「もういいわ! わかったから。あなたの花を創ってあげるから!」
竿をあげる前に自分から飛び上がってきた。相手の弱みを突くのは得意中の得意。伊達に長年生きてるわけじゃあないってね。
「あなたのことだから、きっと私をうまく挑発したつもりでしょうけど…… まぁ、どうでもいいわ。すぐに準備するから、そこで待ってなさい。」
しめしめ、作戦成功。これであの3人をギャフンと言わせることができる。あれ? 私の目的って、そんなことだったっけ? ……まぁいっか。
そんなことを考えつつ、わくわくしながら待っていた。ところが、戻ってきた幽香が持っていたのは、私が期待していたものとはちょっとだけ違うものだった。
「ねぇ、花を創ってくれるんじゃなかったの?」
「えぇ、花を創ったわよ。」
冗談じゃない。幽香も嘘をつくような妖怪だったのか。私は綺麗な花が出てくるものだと思っていたのに、幽香の手には小さな稲の穂のような物が数粒。これはどういうことだろうか。
「正確には、花の種ね。私にも、プライドってものがあるわ。挑発に負けて花を創るなんてことは不愉快なの。でも、月の花には興味がある。だから、これは最後の抵抗ってやつね。」
挑発はどうでもいいんじゃなかったのか? 大物はこれだから扱いづらい。でも、そんな思いは表に出さず、あくまで表情は喜びに満ちたにこやかな笑顔で。そうだったのか、私ってば早とちりしてた、はっはっは。そんな雰囲気を全力でアピールする。
「自分の花なんだから、自分で種から育てなさい。成長するまで、それほど時間はかからないはずよ。また後日、改めてこちらから伺うことにするわ。」
種を受け取って深々とお礼をする。心から感謝している、そんな風に見えるように。姫様の盆栽については…… なんとかなるだろう。それよりも、今は私の花だ。どんな花が咲くんだろうか。素兎の名の通り、純白の花だったらいいなぁ。
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……とか期待してたのはどこのどいつだ。今の私は不機嫌だ。これ以上ないくらいに不機嫌だ。
「幽香は嘘吐きだ! 血も涙もない酷い奴だ!」
あなたの花よ、と言われて手渡された種を育ててみたら、生えてきたのはどこにでもありそうな雑草だった。笹の葉みたいな細長い葉っぱ。細くて頼りなさげな茎。百歩譲って花さえ咲けばと思っていたのに、花なんか咲きやしない。ただ、黒く染まった穂がついただけ。姫様達ならともかく、どうして幽香なんかにまで馬鹿にされないといけないのか。
「こんなもの……!」
手を振り抜いて茎を刈る。パキパキと軽い音を立てながら折れていく。手を見ると、うっすらと血が滲んでいる。細いくせにやたらと硬くて鋭い。どれだけ私を傷つければ気がすむんだ。
幸いなのは、ここが永遠亭の庭ではないということ。一人でこっそり育て上げて、花が咲いたら見せびらかすつもりだった。これが私の花。どう? 綺麗でしょう? その言葉を聞いて、鈴仙が羨ましがる様子を見たかった。
……嘘だ。もともとは、そんなことを望んだわけじゃない。自慢したかったわけじゃない。ただ、綺麗ね、という言葉をかけてほしかった。花を通じて、つながりたかった。間接的にでも、絆を感じたかった。それだけだったのに……
目の前の景色が滲む。手の切り傷が痛むからじゃない。痛いのは、もっとべつのところ。こうなったのは誰のせい? 誰の? 誰の……
「花の世話もできないなんて、案外、あなたも情けないのね。もう少し賢いと思っていたのに。」
私の思考を中断させたのは、私を馬鹿にした妖怪の言葉だった。そうだ、こいつがちゃんとした花を創っていたならば、こうはならなかった。悪いのはこいつだ。こうなったのは、ぜんぶ幽香のせいだ!
「嘘吐き! 花なんか咲かなかった。ただの雑草しか生えてこなかった。こんなの、私は望んでない!」
ありったけの怒りの言葉を吐きかける。相手は応えることもなく、ゆっくりと、こちらに向かって歩いて来る。怒りが恐怖に変わったのは、その姿が目前に迫った時だった。
花を愛することに関して、この妖怪の右に出るものはいないだろう。私と幽香の間に散らばる残骸。創造物を壊されて、黙っていられる創造主がいるだろうか。
やられる。わたしも。かられて。こわされ―――
声も出せずに震える私の目の前で、幽香は屈み、折れた茎の一本を拾い上げる。
「なるほど…… 殻を破れなかったから、その幸せを知ることができなかったのね。」
そんなことを呟いた。次の瞬間、私の喉元に、傘が突きつけられた。
「自分の幸せから目を背けるあなたが、人間を幸せにするですって? 思いあがるのもいい加減にしなさい。」
ゆっくりと傘が離れていく。代わりに差しのべられる手のひら。その上には、小さく開いた穂があった。思わず息をのむ。穂の隙間からのぞく、白く、小さな花弁。それに目を奪われ、見入ってしまった。
「目に見える大きな幸せなんて、絵にかいた餅。幸せなんて、所詮これくらいの小さな物。それでも、求める者にはちゃんと見える。そこから目を背けない限り。」
私が幸せを説かれている。この場でなければ、こんな状況でなければ、大声をあげて自嘲しているところだ。その時の私は、うなだれることしかできなかった。自らの花、大輪の花、そんな目に見える幸せを望んだ私だ。言い返す言葉など、ない。
私の幸せとは何なのか。殻を破れなかったから、その言葉が、茎に残った穂ではなく、私に向けられた言葉なのだとしたら。
「綺麗な花を期待していたんでしょうけど、勘違いも甚だしいわね。」
勘違い。そうだ。最初から、勘違いだったのかもしれない。花でつながった絆。私が勝手にそう勘違いして、花で対抗しようとして、失敗して……
「……あなたが花を望んだ理由。詳しく話して御覧なさい。」
その言葉は、どこか優しげに感じた。だからだろうか。自分でも驚くくらい、素直に胸の内を明かしていた。姫様、師匠、鈴仙、3人に対する私の思い。羨ましさ。疎外感。
幽香は静かに耳を傾けてくれた。まったくの無反応ではない。時折頷きを返してくれる。それだけでも、私は安心できた。最後まで話し終えたとき、幽香はそっと、私の頭に手を乗せた。子供扱いされてるみたいで、普段だったら振り払って逃げだしていたはずだ。
徐々に視界が滲みだす。頬を伝ってこぼれていく感覚。声だけは出さないように、我慢していたはずなのに、知らぬ間に嗚咽が漏れてくる。
「……あなた、『葦』という植物は知っているかしら。」
かけられた声に、小さく頷いて応える。
「あなたの花は、この『葦』を基にして創ったものよ。昔から、軽くて丈夫な素材として利用されてきた。……いや、あなたなら、そんなことくらい知っているわよね。」
茅葺屋根…… 葦簾…… 人間と葦の関係は深い。私の花は、その葦を基にしたという。
「この花の名前は『ウサギノアシ』。人間を幸福にするというあなたのイメージを、古くから人間とつながりのある『葦』に重ねたつもりよ。」
頭に乗っていた手の感覚が途絶える。ゆっくりと顔をあげた私の目の前には、差しのべられる手のひらがあった。その上には、数粒の種。
「今度は、ちゃんと幸せを咲かせなさい。この花は、紛れもなく、あなたの象徴なんだから。」
差し出した手のひらに、種がぽろぽろと落とされる。種を渡し終えた幽香は、くるりと背を向けて歩き出す。その後ろ姿を茫然と眺めていると、ふと歩みを止めて、再びくるりと振り返った。
「一つだけ。今度は水辺で育ててみなさい。……と言っても、この竹林の中には、小川なんて流れてないでしょうけど。」
それだけを言い残して、再び歩き出す。水辺…… 本当は、事情を聞くまでもなく知っていたんじゃないだろうか。じゃあ、どうやって知ったのか。まさか……
私は頭を振って考えを捨てる。そうだったとして、なぜ幽香がこんなことをする必要がある。そう、私は考えすぎだ。考えすぎて、勘違いして、核心を見失う。穂の中に包まれた花に気づかなかったように。
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「あら、私ったら、いつの間にあんな花を植えたのかしら。」
永遠亭の庭先に、遊び程度に作られた和風庭園。小川が流れる池のほとりに、その花は咲いていた。最初に気付いたのは、やはり姫様だった。
「うむむ…… 私が植えた覚えはないわね。永琳が植えたの?」
「いえ、私にも、覚えはありません。ウドンゲじゃないでしょうか?」
「いいえ、私でもないですよ。」
「となると、残るは……」
3人の視線が私に注がれる。私はなにも応えず、ただにやにやと笑顔を浮かべていた。藁色の茎の先に、黒曜石のように鈍い光沢を持つ穂が実る。穂の間から見える純白の花弁は、主張するわけでもなく、かといって、殻の中に閉じこもるわけでもなく、静かに花開いていた。
「……たまには、いいことするじゃない。」
意外にも、最初に褒めてくれたのは鈴仙だった。一緒にいる時間はとても長いはずなのに、こんなに素直に褒めてくれたのは初めてかもしれない。私に向けられる笑顔は、とてもやわらかく感じる。
「世話をする花が、また一つ増えたわ。」
「仕事が増えて、手間がかかるとでも考えていませんか? 姫様?」
「まさか。むしろ望むところよ。だって、ほら。」
おもむろに、近くの穂を一つだけ摘み取って、広げた手のひらの上に乗せる姫様。
「黒い殻に身を隠す、白くて純粋な花の姿。まるで、素直になれない誰かと似てるって思わない?」
姫様が、こちらに流し眼を送った気がした。それに気づかぬふりをして、私はただ、笑顔を続ける。師匠や鈴仙は、姫様の言葉に首をかしげて考え込んでいる。
「……こんなことしなくても、仲間外れになんかしないのに。」
「……姫様?」
「ふふふ、なんでもないの。ただの独り言よ。それより、てゐ?」
私を見て、意地悪な笑みを浮かべる姫様。
「あなたが植えたんだったら、知ってるんでしょ? この花の名前。」
姫様は、私の口から言わせたいらしい。そうか…… やっぱり、この人は……
一歩だけ、前に踏み出す。視線が集まるのを感じる。
また一歩。目の前には私の花。今だったら、はっきり見える。目を背けることはない。私にとっての、小さな幸せ。
くるりと身を翻す。期待するような眼差しを受け止めて、私は一言……
「……見た人を幸せにする花。名前は、忘れちゃった。」
目を点にする鈴仙と師匠。ただ一人、姫様だけが、おなかを抱えて笑い出した。
「あはは、そう、まったく、てゐらしいわ。あはは……」
それまでとは違って、私は意識して意地の悪い笑顔を作る。反応したのは、やはり鈴仙だった。
「てゐ、その様子だと、ほんとは知ってるんでしょう? 意地悪しないで教えなさい!」
「いやだよぉ。どうしてもっていうなら、私を捕まえてごらん。」
「ちょっと、逃げるつもり? 待ちなさい!」
高々と跳躍して走り出す。やっぱり私は素直にはなりきれない。でも、ちょっとくらいなら、素直なところをみせてもいいかな。ちょうど、黒い穂の隙間からのぞく白い花のように。鈴仙との追いかけっこに興じながら、そんなことを考えていた。
ヤクモランから拝見させていただいておりますが、どの作品にも愛が溢れてますね。
モチーフの少女達の親しき人への愛は勿論、幽香からの花への、少女達への深い慈しみが感じられました。
ほっこりするわぁ。