~魔法の森~
朝の陽が差す魔法の森、その奥にある魅魔の家
小さな食卓に、魅魔と魔理沙は向かい合いながら朝餉を囲む
魅魔の淹れる苦い珈琲に魔理沙が顔を顰める
コーヒーノキの種子に含まれるカフェインは魔力を増幅させる効果があるため、魅魔は特に苦い物を好むが、魔理沙が嗜むには十年早いものだった
魔理沙の口を捻じ曲げるほど苦い珈琲を、魅魔は天狗の新聞を読みながら啜っている
魔理沙はハート型をした角砂糖を山ほど入れ、無理やり口に流し込んだ
「よくこんな苦い物が飲めるぜ」
苦味に痺れた舌を出し、魔理沙が言った
「ふん、この味が分からないなら、まだまだお子様だよ
この味が分からないウチは、まだまだマスタースパークは使えないね」
そういって、魅魔は読んでいた新聞を食卓に放った
天狗の新聞に書かれている記事は、三丁目のタマに子供が生まれたとか、くしゃみをしたら壷の中から大魔王が現れたとか、未来から来た猫型ロボットが押入れに住み着いたとか、嘘か真実か分からないような与太記事である
魔理沙はその新聞に手を伸ばす。人間の新聞と違って、役に立つことは一切書かれていない天狗の新聞は、魔理沙にとっては人間のそれよりも魅力的だった
夏も近いのにリリーホワイトが出現したという話や、霧の湖の氷の妖精が大蝦蟇に食べられた話…
人間にとっては如何でもよい話が熟々と書き連ねてある
「………!?」
そんな記事の中、魔理沙の目が一つの記事を捉える
『次期博麗の巫女が決まる・新しい巫女は博麗霊夢(十二歳)』
その見出しを見た瞬間、魔理沙の目が釘付けになる
「どうしたんだい?、妖怪の賢者が無限の底の深さを求める方程式を発見した話かい…?
あの証明には………」
新聞を凝視する魔理沙の様子を見て、魅魔が言った
魅魔はその記事には気付かなかったようだ。然もありなん、本来なら一面を飾るべきニュースが、ほんの小さな枠にわずかに書かれているだけなのだから
幻想郷にとって、最も重要な神社の新しい巫女が決まる
人間にとっては大きなニュースだが、妖怪にとっては如何でもいいことなのだろう
「霊夢………」
魅魔の言葉も耳に入らないのか、魔理沙は小さく呟いた
その記事にオマケのようにつけられた写真、そこに写っている少女こそ、次期博麗の巫女である博麗霊夢その人なのである
「………つまり、nに対して除する数字が小さくなるほど、その商は大きくなる。その妖怪の賢者は宇宙理論における最小の除数の商を無限の近似値として採用している
しかし、これはこの世に宇宙より大きい物が存在しないという仮定の下に成立するもので…って、聞いてるのかい?」
魅魔の解説も全く魔理沙は聞いていなかった。聞いていたとしても、全く理解はできなかっただろう
魔理沙が釘付けになっている新聞を、魅魔は魔法で自分の手元に呼び寄せる
「これは―――!?」
そして、魅魔もまた気付いた
あの忌々しき神社に、新しい巫女がやってくるという事に…
「ふふふ…、そうか、そういえば、あの出歯亀男が言っていたっけね
神社に新しい巫女がやってくると…」
魅魔は先日戦った霖之助が言っていた事を思い出した
慥かに霖之助は、もうすぐ博麗神社に新しい巫女がやってくるといっていた
「丁度いい、もう傷も癒えたことだ…
あの忌々しい神社への復讐の好機だ。その巫女がやってくる日に、もう一度神社を襲撃してやろうじゃないか」
魅魔の復讐心が燃え上がった。魔理沙と出遭ったあの日、魅魔は博麗神主の罠に嵌り大怪我を負った
魅魔にとって、自分よりも遥かに力の劣る神主の罠に嵌ったのは恥辱であった
記事には、ご丁寧に儀式の日取りや段取りが事細かに書かれている
儀式に乗り込んで、新しい巫女を殺せば、この幻想郷は消滅する
なにがどうあろうと、魅魔は博麗神社に関わる物は鏖(みなごろし)にすると心に決めていた
「儀式は三日後、酉の刻からか…。いいね、魔理沙、この日までに準備を…
魔理沙………?」
魅魔が復讐の炎に燃える中、魔理沙は呆然とした感じで記事を見つめていた
「霊夢…。お前が博麗の巫女に選ばれるなんて…」
魅魔の言葉も聞こえないほどに、魔理沙は記事に目も心も奪われていた
それもそのはず。霊夢は、人間の里において、魔理沙の唯一の親友だったからだ…
人間の里きっての大店『霧雨道具店』の一人娘として生まれた魔理沙だが、その行状は、とても大店の令嬢とはいえぬものだった
一秒以上同じ場所にいることができない。山に入れば虫や蛇を捕まえ、男の子相手でも喧嘩する
同じ年代の少女達は、着飾ってオママゴトでもして遊んでいる中、魔理沙は野生児のように腕白で手の付けられない暴れん坊だった
里に住む同年代の少女達のほとんどが、魔理沙を敬遠していた中で、霊夢だけは違った
霊夢だけが、魔理沙の行動に理解を示し、一緒になって悪戯をした
お寺の鐘を盗んでクズ鉄屋に売ろうとした時も、寺子屋の運動会で人間競馬をやって儲けようとした時も、霊夢は付き合ってくれた
魔理沙にとっては、人間の里で唯一自分を理解してくれたトモダチ………
「魔理沙………」
魔理沙が記事を見つめ、思いに耽っているうちに魅魔は魔理沙の額に手を当て、その記憶を探っていた
「どうやら、この巫女はお前の知り合いらしいな………」
「―――!?」
魅魔に自分の心の内を指摘され、魔理沙は飛び上がるほど驚いた
魅魔の言う通り、霊夢は魔理沙にとって唯一の親友だ
もしも、魅魔に従って博麗神社を襲撃するとなれば、それは、すなわち霊夢と戦うことになるということだ
「どうするんだい、魔理沙…?。私と一緒に神社を襲って、親友と戦うのかい?
それとも、私の元を去って、私が神社を襲うことを里の人間に知らせるかい………?」
魅魔が聞いた
魔理沙にとって、霊夢は唯一の親友。それと戦わなければならないのは、慥かに辛い…
「今なら止めはしないよ…。お前は所詮、人間なんだ。人間の味方をして当然さ…
それに、お前がどういう判断をしようと、私はあの神社を襲う…
私にあれだけの怪我を負わせた連中には、何があろうと復讐するつもりだからね」
魅魔が冷たく突き放すように言った
魔理沙にとって、人間の里に戻るチャンスはこれが最後かもしれない
いくら霊夢が天才的な力の持ち主とはいえ、魅魔に勝てるとは思えない
霊夢が殺されれば、この幻想郷は消え去ってしまう…
「う、ううう………」
魔理沙の脳裏に、霊夢が魅魔に八つ裂きにされるイメージが流れる
まるで、走馬灯のように、人間の里に住む人たちの顔が、魔理沙の心に浮かんでは消える…
「さあ、どうする………!?」
魅魔が魔理沙に詰め寄る
魔理沙の脳が混乱して、様々なイメージを片っ端から魔理沙の心に叩きつける
魔理沙が生きてきた今前の人生…。出会った人、別れた人…
このまま魅魔についていくなら、それらを全て失ってしまうかもしれない
魔理沙の脳裏に、霊夢の姿が映る、そして自分の母親…、霖之助…
そして………
「―――!?」
魔理沙の脳裏に、自分の父親の姿が映る…
『馬鹿げたことをいうな、戯けたことをいうんじゃない。お前が魔法使いになどなれるわけがなかろう』
魔理沙が実家を飛び出した夜、父親に言われた言葉が、魔理沙の頭の中でグルグルと廻りだす
魔理沙を否定した父への反発心が、魔理沙の気持ちを締め付ける
目に見えない心の鎖が、魔理沙の中の人間の里の思い出を雁字搦めにして、心の奥深くに仕舞い込んでしまった
「…っへ、冗談じゃないぜ。私は魔法使いなんだ…
もう人間の友達なんか関係ないぜ。私は魅魔様と一緒に行く」
魔理沙が言った
人間の里にいた頃の記憶は、全て封印した
もう迷わない………
「いいだろうさ…。それがあんたの意思なら…
襲撃は三日後だ、それまでに準備を進めておきな」
魅魔は、それ以上なにも言わなかった
言ったとしても、魔理沙はもう聞かないだろう
魔理沙が人間の里を捨て、魔法の道を進むというのであれば、もはや止める事はできない
そうして、二人は三日後に迫る博麗神社襲撃のプランを練り始めた
~紅魔館・地下図書館~
魔法のランプの灯りに導かれ、石段を降りた先に、目指す大図書館があった
六芒星と怪しげな幾何学模様が所狭しと描かれた巨大な扉
アリスがその扉に触れようとした途端、激しい電流がアリスに流れた
「………っ!!、なんて厳重な封印なのかしら。こんだけ厳重な封印を施されるなんて、あんたどんだけ侵入してるのよ」
その巨大な扉が怪しげな光を放つ
その扉には、複雑な封印の呪文が数十も掛けられている
どんなダンジョンにだって、これほど厳重な封印は施されていない
虹のしずくや邪神の像を使っても解けそうもない
「ふん…。パチュリーめ、相変わらず無駄な抵抗をするヤツだ…」
その封印を前にして、魔理沙が言った
アバカムの魔法を使っても開きそうもないその扉を前に、魔理沙が言った
魔理沙がこの図書館に侵入したのは、大雨や台風の時をのぞけば、ほぼ毎日である
むしろ盗んでない本はないと言ってもいいくらいである
「まぁ、私の前には、どんな封印も無意味だけどな」
そういうと、魔理沙は八卦炉を取り出した
その途端に、魔理沙の全身から魔力が噴き出していく
さきほど美鈴との死闘を終えたばかりだというのに、これほどの力があるとは…
魔理沙の全身の魔力が八卦炉に集まり、八卦炉がその魔力を増大させる
魔理沙の燃え上がるような魔力が、数十倍にも増幅され、爆発的に膨れ上がる
膨れ上がった魔力を、一点に集中して放たれる、魔理沙の必殺…
「マスタースパーク―――!!」
激しい光と熱が、その扉に襲い掛かる
複雑な術式で守られた封印の扉も、その圧倒的な熱量と光の前には全く無意味だった
激しい轟音と共に、扉が崩壊し、見るも無残な瓦礫の山へと姿を変えた
吹き飛ばされた扉の残骸を踏み越え、二人は図書館の中に足を踏み入れた
「いつきても黴臭いわねえ」
地下のジメジメとした図書館の空気は、澱み穢れ切っている
ハンカチで顔を覆ったアリスの足元を、数匹の鼠が駆け抜けていく
巨大な書架には、いずれ魔理沙に盗まれていく運命の本が並べられている
いくつかの書架を通り、図書館の中央まで二人は進んだ…
「邪魔するぜ…」
薄暗い蝋燭の灯りの元、魔理沙が声を掛ける
太陽の光の届かない中では、その先に誰がいるのかは良く見えない
しかし、この大図書館にいるのが誰かは分かりきっている事だった
「まったく、騒がしいわね…」
魔理沙が声を掛けた先から、小さな蚊の羽音のようなボソボソとした声が返ってきた
その瞬間、その声の主の周囲に明りが灯り、その姿を映した
紫色の長い髪、不健康そうな青白い肌、月の紋章の入った被り物
ロッキングチェアに腰掛けたまま、古い魔導書を読む少女…
いわずもがな、そこにいたのは図書館の主、パチュリー・ノーレッジであった
「こそこそと忍び込んでくるならまだ可愛げがあるけど、真っ昼間から堂々とドアを打ち破って入ってくるなんて、盗人猛々しいとは貴方のことだわ」
どうやら魔法の鏡で魔理沙達の様子を見ていたらしい
「ふん、なら私達が何をしにきたのかも分かってるだろう…
さあ、大人しく渡してもらおうか…。お前の持っている『賢者の石』を…」
悪びれる様子を微塵にも見せず、魔理沙が言った
「なんの事かしら…?。私はそんな物を持ってはいないわ…」
本から視線を外さずに、パチュリーが言った
それは嘘偽りのない真実だった。慥かに『賢者の石』と名づけたスペルカードを持ってはいるが、それはあくまでも名前を借りただけ
本物の第五実体である『賢者の石』など、パチュリーは持ってはいない
「惚けても無駄だぜ、さあ、大人しくこちらに渡すんだ」
それでも魔理沙は強気だった。押し込み強盗同然に侵入した上、無い物を要求する魔理沙
まさに幻想郷のキング・オブ・シーフである
「待ちなさいよ、魔理沙。そろそろ私にも説明しなさいよ
パチュリーが『賢者の石』を持っているって言うの…?」
一人で先走る魔理沙を、アリスが嗜める
魔理沙の言っていることは、傍から見ていると訳が分からない
「ふん、まだ分かってなかったのかよ。あの魔導書に書かれていた『賢者の石』の本当の意味…
『賢者の石』ってのは比喩だ。あるモノを作り出せる魔法を暗示しているのさ」
魔理沙が言った
慥かに、アリスの家においても、似たような事を言っていた
「アリストテレスがプラトンから継承した四元素説によれば、この世の物質を構成する物は『地水火風』の四つの階層に分けられる
これを現代風に解釈すると、『地』=固体、『水』=液体、『風』=気体、『火』=プラズマ体と考えられる
そして、『賢者の石』…。第五実体とは、この世にある物質の内、そのどれにも当てはまらないものをいう…」
魔理沙の解説に、アリスが息を呑む…
力任せの魔法しか知らない魔理沙に、こんな魔法の知識があるとは思わなかった
四大元素の考え方は、プラトン以前からも存在する哲学的な思考だが、それに現代的な科学的思考を加えている
この考え方は、あの人物の思考に似ている…
魔理沙の師匠…。魅魔の思考に近いのだ
「つまり、固体でも液体でも、気体でもプラズマでもない物を作り出す魔法…
それこそが、あの魔導書に書かれていた『賢者の石』の正体だ」
「―――!?」
アリスが魔理沙の言葉に衝撃を受ける
固体でも液体でもなく、気体でもプラズマでもないもの…
そんな都合のいい物質が存在するかと思う…
思うのだが、もしも、それが存在している可能性があるとすれば…
「そうだ、完全なる第五実体…。『賢者の石』の正体は『生命』そのものだ…
神々にのみ許される『生命』を生み出す力…。それが『賢者の石』の本当の意味だ…」
「………」
アリスは言葉を失う…
固体でも液体でも、気体でもプラズマでもない物…
それは『生命』そのものだった…
『賢者の石』の本当の意味は、人間が自らの手で作り出す『生命』…
『人工生命』の事だったのだ…
それは、神の領域へ踏み込もうとする、畏れ知らず所業でしかない…
そんなものが、『賢者の石』の正体だったとは…
「それで…、それに私がどう関係してくるのかしら…?」
アリスが茫然自失になっている中、パチュリーが聞き返した
慥かに、『賢者の石』の解説までは納得できるにしても、それとパチュリーがどう関わるのか…
「惚けるなよ…。ここまで聞けば、もう察しはついてるだろう
幻想郷に魔法を使える者がどれだけいたって、精霊魔法を使えるのはお前だけ…
属性の違う魔法を組み合わせて新しい魔法を作りだせるのはお前しかいないんだ」
「………」
魔理沙が言ったが、パチュリーは無反応だった
「この『人工生命』を作り出す魔法は、四大元素の全てを合成させて作る魔法だ
『地水火風』全ての属性魔法を使い、全ての精霊を呼び出すことが出来るもの…
そう、あの魔導書に書いてあった『賢者の石』ってのは、お前のことさ、パチュリー!!」
魔理沙がパチュリーを指差した
本来、魔法を使う者は自らの体内に隠された魔力の波長によって使える魔法の属性が決まる
しかし、パチュリーは生まれつき体内に七つの魔力の波長を持っており、さらにそれを組み合わせることで新たな波長を生み出すことができる
『人工生命』を作り出す魔法には、四大元素の全ての精霊の力を借りる必要がある
相反する四つの属性を合成させて『人工生命』を生み出すには、パチュリーの力が必要なのだ
「…そういう訳で、ちょっとばかり協力してもらうぜ
難しい事じゃあないはずだ…。お前は、以前からこの魔法を研究していたはずだからな」
魔理沙がパチュリーを追求する
魔理沙は幾度と無く、この図書館から本を盗んでいる
その為に、パチュリーの魔法の研究の成果だってほとんど知り尽くしているのだ
「イヤよ…。なんで私が貴方に協力しなくちゃいけないの…
貴方が今まで盗んでいった本を全て返すっていうのなら考えてやらなくもないわ」
本から目を離さず、パチュリーが言った
まるで魔理沙の事など意に介さずという感じだ…
然もありなん。今まで、魔理沙はこの図書館から本を盗みすぎた…
どんな事情があろうと、パチュリーに魔理沙の為に協力する義理などない
「そういうだろうと思ってたぜ…。だが、こっちだって黙って引き下がる気はねえ…
お前の意思なんか関係ないぜ、無理やりにでも協力してもらう」
魔理沙の全身から、炎のような魔力が放たれる
相変わらずの居直り強盗っぷりである
「ふん、相変わらず自分勝手なヤツね…。っていうか、本を返す気が全く無いって事は分かったわ」
そういうと、読んでいた本を閉じ、パチュリーも魔力を放出した
七色の波長の魔力が、混然としたオーラがパチュリーを包む
「待って、二人とも…」
アリスが二人の間に割って入った
「パチュリー、聞いて頂戴。魔理沙は決して悪い事の為に貴方を利用しようとしているんじゃないわ
ただ、自分の中で封印してしまっている過去を知りたいだけなの
ほんのちょっと協力してくれるだけでいいのよ、お願いだから、これ以上、魔理沙を戦わせないで」
アリスが言った
魔理沙は強気な事を言っているが、実際には美鈴との戦いで一度命を落としかけているのだ
あれから、碌な回復魔法も使わないままこの図書館にやってきている
魔理沙は人間なのだ。これ以上、ダメージを受けることがあったら、本当に死んでしまうかもしれない
もう、『マカルガエシの葉』は残っていないのだ
「アリス、どいてな。これは私の問題だぜ」
魔理沙はアリスの肩に手を掛けた
間近で見る魔理沙の顔は、いつもより青白く、目の焦点もぼやけている
やはり、美鈴との戦いのダメージが残っているのだ
「ダメよ、そんな身体で戦ったら…」
「へっ…。相手は貧弱もやしのパチュリーだぜ。これくらいいいハンデさ…」
口では強気な事を言っている魔理沙だが、実際には足もフラフラで真直ぐ歩けない程だ…
こんな状態でパチュリーと戦うなど、いくらなんでも無謀すぎる
「止めるなよ、アリス…。こいつは私の戦いだ。ここで止めたら一生恨むぜ
心配するなよ、私は魔法使いだぜ。どんな不可能をも可能にし、天変地異も震天動地も自由自在
魔法使いが戦えるって事は、どんな奇蹟だって起こせるってことだぜ」
そういって、魔理沙はアリスを押しのけた
もはや、何を言っても無駄だろう
「いくぜ…!、紫もやし…!!」
魔理沙は一気に魔力を放出し、パチュリーに向かって突っ込んだ―――!!
~博麗神社~
人間の里の大店、『霧雨道具店』の差配により、博麗神社は以前にも増して立派に復建した
大工や瓦職人たちが足場や資材を撤去すると同時に、明日の儀式の為の準備が着々と進められている
祭壇には青々とした榊、三方に乗せられた供物、一升徳利に入った神酒など、様々な供物と祓具が並べられている
明日には、霊夢は正式に博麗の姓を受け継ぎ、博麗の巫女となり龍神に仕える身となる
霊夢は今日の夜から本堂に籠って禊をしなければならない
今頃はぶつくさ文句を言いながら、巫女服にでも着替えている頃だろうか…?
「ふぅ…、なんとか明日に間に合いそうだのう」
天幕の下で村長が言った
何しろ鳥居も石段も、母屋から物置に至るまで、ありとあらゆる物を破壊されていたのだ
よくもこれだけ早く、復旧できたものだと思うが、それもこれも『霧雨道具店』の差配があってこそである
「この神社が復旧しない内にあの悪霊に襲われては、いよいよ幻想郷もお終いだったかも知れんからのう」
村長が感慨深く言った。あのボロボロの神社のままだったら、魅魔の一撃で崩壊していただろう
これでなんとか、あの悪霊が襲ってきても、なんとか持ちこたえられるほどにはなっただろう
「………」
村長たちの話を、『霧雨道具店』の主人は上の空で聞いていた
彼にとっては自分の仕事はほとんど終わってしまっているのだから、興味のほとんどは失せてしまっている
そもそも、彼はこの博麗神社にまつわる伝承などもほとんど信じていない
博麗の巫女が死んでしまえば幻想郷は消滅してしまうなど、彼は毛頭信じてはいない
魔法の力だの、巫女の力だの、とてもそんな物を信じる気にはなれなかった
彼にとってはただ、一つの仕事が終わったという、ただそれだけの事だった
ましてや、次の巫女になるのはまだ十二歳の少女だという
そんな少女が、この幻想郷の命運を握るなど、彼にとっては荒唐無稽な話だった
「あら、霧雨のお父さん」
そう声を掛けられ、彼は振り返った
肩まで伸びた黒い髪に紅いリボン、脇の空いた紅白の巫女服
そこにいたのは、次期博麗の巫女となる霊夢だった
無論、彼と霊夢とは面識がある。何度と無く魔理沙と一緒に悪戯をしては叱りつけた間柄だった
尤も、当の霊夢自身はそんな事は全く意に介していないようだが…
「そうか…、君が新しい巫女なのか…」
神社の再建に携わっていながら、彼は次の巫女が誰なのか知らなかった
そういうことに端から興味がないのだ
「そういえば、君は龍神の使いなどと云われていたな…」
彼自身は全く信じてはいないが、彼女には巫女として天才的な力を持っていると周囲では言われていた
明日の天気を占ったり、失せ物探しで探し物を見つけたり、縁結びの呪いをしたり…
彼の考えは、全く的外れという訳ではない。事実、霊夢が見せてきた力の中には、魔理沙と組んでイカサマやペテンを働かせた物も多くあるからだ
それでも、周囲が霊夢を龍神の使いとして見れば、霊夢自身にもそういう力がついていくのだ
「そんなことより、最近、魔理沙を見かけないんだけど、どうしたの…?
霖之助さんに聞いても、何も喋ってはくれないのよねえ、何故か傷だらけになってたりするし」
霊夢が聞いた。魔理沙は霊夢にとっても、唯一の親友である
同年代の少女達は、魔理沙を敬遠したが、霊夢に対しても一種の畏れを抱いていた
霊夢は特別…という意識が、少女達を遠ざからせていたのだ…
事実、彼女が次期博麗の巫女に決まってからというもの、同年代の少女達の態度はよそよそしくなり、ついには誰も話しかけてくれなくなってしまった
「ああ………」
自分の娘の事を聞かれて、彼は生返事を返した
霖之助には、くれぐれも魔理沙が魔法の森で悪霊と棲んでいる事は口外せぬように注意しておいた
そのお陰もあって、まだ人間の里には、魔理沙が魅魔の弟子になって一緒に暮らしているという事は知られていない
「あいつは魔法使いになるんだといって、家を飛び出した」
…などと言ったら、霊夢はどんな反応を示すだろう
自分が嘘をついてからかっていると思うか、それとも冗談だと思って呵呵大笑するか
いずれにしても、こんな与太話をまともに受け止める者はいないだろう
しかし、霊夢の反応は、そのどちらでもなかった…
「そう…、やっぱり魔理沙はそっちの道を選んだのね…」
霊夢にしては珍しく、深刻そうな顔をして何かを考えている
こんな落語にもなりそうもない与太を、本気で受け止めているのか…
「君は、こんな馬鹿馬鹿しい話を信じようというのか…?」
かえって、彼の方が鳩が豆鉄砲でも食らったかのような顔になってしまった
「だって、あなたが自分自身で言った事じゃないですか…
魔理沙がそういう道を進むと言った以上、きっと本当に魔法の修行でもしているのでしょうね」
代々、博麗の巫女は恵まれた強運と鋭い勘を持っていると言われているが、霊夢のそれは特別だった
霊夢の言う通り、魔理沙は魔法の森で魔法の修行をしているのだ…
「君は、私よりも魔理沙の事を知っているな…」
彼が小さな声で言った
それは、誰に向けられた言葉なのだろうか…
「私は、魔理沙の事など何も分からないのだ…。何を考え、何を思い、何をして生きて行こうとするのか…
私は平凡な人間だ…。ただ、目の前にある仕事を片付けるだけで精一杯の人間だ…
妻が死んだ時も、私は自分の仕事に追われていた…。あの時から、私の言葉は、魔理沙には届かなくなった
いや、もっと前からそうだったのかもしれない…。魔理沙は私からどんどん遠ざかっていった…」
魔理沙の父は、そう語った…
魔理沙は、慥かに変わった娘だった。彼も、彼の妻も平凡な人間だったというのに、何を思って魔法使いになるなどと思ったのか…
魔理沙は彼に反発し、彼の言葉は魔理沙には届かなくなった
ただ、平凡に、目の前にある事に一生懸命に生きてきた彼にとって、魔理沙の考えはまるで理解できないものだった
「やれやれ、こんな話を君にするなんて、私も歳だな…。忘れてくれ」
ふと、我に返ったように彼が言った
いくら博麗の巫女といえ、霊夢はまだ12歳の少女だ。こんな話を聞かせる相手ではない
「まあ、魔理沙が訳わかんないのは今に始まった事じゃないですから、気にすることはないですよ
でも………」
「………?」
相変わらず呑気な表情を崩さない霊夢が、まるで隠れるように彼から顔を背けた
「ちょっとだけ、魔理沙が羨ましいかな………」
そういって、霊夢はスタスタと本堂に向かって歩き出した
魔理沙の父は、どういう意味か分からずに呆然としている
親のいない捨て子だった霊夢にとっては、たとえ歪で不器用で不恰好でも親子をしている二人が羨ましくなったのかもしれない
こうして、博麗神社では明日の儀式のための準備が着々と進んでいった…
~紅魔館・地下図書館~
「いくぜパチュリー―――!!」
魔理沙はパチュリーに突っ込みながらその両手に魔力を溜める
美鈴との死闘の結果、体力も魔力も大幅に消耗している魔理沙
しかし、魔理沙も全くの勝機が無いわけでもない
(パチュリーの弱点、それは喘息持ちだってとこだ…)
精霊魔法は、呪文によって精霊を呼び出すことによって使える魔法だ
その呪文は長く、喘息持ちのパチュリーにはすぐに唱えることができない
そして、どう頑張っても一度に唱えられる呪文は一つだけ
つまり、同時に二つの魔法を防ぐ事はできない
「くらえ―――!!
『ダブルスパーク』―――!!」
魔理沙の両手から、巨大な光の束が発射される
同時に二つの極太レーザーを発射するこの魔法、片方のレーザーを魔法で相殺させても、もう一方は防ぎきれない
(よし、決まった―――!!)
パチュリーはロッキングチェアに腰掛けたまま、魔法をかわそうともしていない
仮に呪文を唱えて片方を防げたとしても、もう一方は確実に直撃する
魔理沙の極太レーザーがパチュリーに迫る―――!!
このままでは、まともに直撃を食らってしまう!!
チュドーーーン―――!!
ドグォーーーン―――!!
―――その瞬間、強大な衝撃音が密閉された地下図書館に響いた
巨大な爆風が書架を押し倒し、積もっていた埃を巻き上げる
「決まった…、モロだ…」
パチュリーは身を避けるヒマもなかったはずだ
二つの極太レーザーに貫かれては、貧弱もやしのパチュリーでは一たまりもないはず…
「―――!?」
魔理沙がそう思った瞬間、魔理沙は一瞬、言葉を失った
魔理沙の目の前に現れたモノ、それは…
「ま、まさか、パチュリー―――!?」
魔理沙が狼狽する
完全に避けるタイミングは無かったはず。それなに、目の前にいるパチュリーは、まるで平然とした感じで宙に浮かんでいる
まさか、魔理沙の極太レーザーを受けて、全くの無傷と云うことなのか………!!
「むきゅー………」
動揺する魔理沙をあざ笑うかのように、パチュリーは一言呟いてその掌を魔理沙に向けた
次の瞬間には、パチュリーの周囲に炎の紋章を描いた魔法陣が現れ、激しい炎の渦が放たれた
これは、パチュリーの………
『火符・アグニシャイン上級』
「馬鹿な………!?」
魔理沙の周囲を、激しい炎が包んでいく
だが、それよりも、パチュリーはさっき呪文を唱えていないはず…
上級の精霊魔法を、なぜ呪文の詠唱なしで使えるのか…!?
「あれは…、短縮詠唱…」
アリスが呟いた。と、同時にパチュリーが使った業さえも見抜いた
『短縮詠唱』…つまり、呪文そのものを一つの魔法で圧縮して、その呪文をたった一つの言葉に短縮してしまう業…
パチュリーは自らが使う精霊魔法の呪文を、『むきゅー』の一言に短縮してしまったのだ
魔理沙の極太レーザーが迫った瞬間、パチュリーは瞬時に二つの『むきゅー』を唱え、威力を相殺させたのだ
「なんだと…、それじゃあ…」
「むきゅー(そうよ、『短縮詠唱』を習得した事によって、私は一瞬でいくらでも呪文を唱えられるようになった)」
「―――!?」
これも『短縮詠唱』の力なのか、パチュリーは『むきゅー』の一言しか喋っていないのに、その言葉の意味が二人には理解できた
喘息持ちで呪文を続けて唱えられない事が弱点だったパチュリー
それがたった一言で呪文を唱えられるようになった…
それは、つまり…
「むきゅ…!!(貴方はここで終わりよ、魔理沙…!!)」
パチュリーがそう言った瞬間、魔理沙の周囲を取り巻いていた炎の渦が魔理沙目掛けて襲い掛かる
「くそ―――!!」
魔理沙は一気に宙に飛びあがり、その炎の渦から脱出する
しかし、それもパチュリーの読みの内…
「むきゅーむきゅー(水符・プリンセスウンディネ上級&木符・シルフィホルン上級)―――!!」
炎の渦を必死の思いで脱出した魔理沙を狙い、パチュリーは一気に二つの魔法を発動した
「うわぁぁぁ―――!!」
「むきゅ―――!!(トドメよ!、『水木符・ウォーターエルフ』)」
二つの魔法が魔理沙を捉えた瞬間、パチュリーはすでに放っていた魔法を瞬時に合成し、さらに威力の高い魔法へ変化させた
「す、凄い戦いだけど、どこか下らないわ」
激しい爆風を浴びながら、アリスが言った
見た目はふざけて見えても、パチュリーの魔法技術はかなり高度なものだった
慥かに違う属性の魔法を組み合わせて使う合成魔法は強力だが、それだけに単体で当てるのは難しい
炎で魔理沙の動きを制限し、逃げ出した所を目掛け、合成する魔法をまず別々に発動し、どちらかがヒットした瞬間に合成魔法を発動
すでに放っていた二つの魔法を合成し、その威力を何倍にも高めた…
単体の魔法の威力では魔理沙の『マスタースパーク』には敵わないが、その魔法を組み合わせることでその威力を高めることができる
力押ししかできない魔理沙と違って、その魔法の応用は何倍にも効く
「ま、魔理沙…」
すでに美鈴との死闘で体力もほとんど残っていない魔理沙…
そんな状態で合成魔法の直撃を食らっては…
「大丈夫だぜ…、こんくらい…」
ボロボロの雑巾のようになった魔理沙が、それでも立ち上がった
「むきゅーむきゅー(本当にゴキブリ並みのしぶとさね…。でも、私に『短縮詠唱』がある限り、貴方に勝ち目はないわ)」
パチュリーの周囲に七つの紋章が入った魔法陣が浮かぶ
今なら、むきゅーの一言だけで、パチュリーはいくらでも魔法を発動できる
純粋な魔族であるパチュリーに、人間である魔理沙が魔法合戦では勝ち目が無い
「まだだ、私はまだ戦えるぜ…!」
それでも、魔理沙はまだ諦めなかった
まだ、勝ち目が完全になくなった訳じゃあない
(慥かにパチュリーの魔法は、いくらでも応用が効く上、合成を重ねれば威力を何倍にも高められる
しかも、それを『むきゅー』の一言だけで発動できると来ている
魔法合戦なら明らかに私に不利…。だが…)
そこまで呟いて、魔理沙は拳を強く握った
(だが、それでもアイツが喘息持ちの貧弱もやしである事に間違いない
格闘戦に持ち込めば、まだ勝機がある)
魔理沙は、格闘戦にパチュリーへの勝機を見出した
慥かに、『短縮詠唱』を得たことで喘息持ちの弱点がなくなったとはいえ、それでパチュリーの身体能力が並以下である事に違いはない
魔理沙には魅魔に仕込まれた体術がある。格闘戦に持ち込めば、パチュリーは魔法を使えない
「ならば、小細工は不要…!
真正面から叩き伏せてやるぜ―――!!」
そういうや、魔理沙は一気にパチュリーに向かって飛び出した
「むきゅ…!(真正面から…!。血迷ったの魔理沙)」
『金符・メタルファーティング』
「無謀―――。だけど、いい判断だわ…!」
パチュリーに向かって真直ぐに突っ込む魔理沙、それを見ながらアリスが言った
慥かに無謀に見えるが、真正面から突っ込まれたらパチュリーもそれを真正面から迎え撃つしかない
両腕に全身の気を集め、頭をカバーする
魔理沙の目の前に、巨大な金属の塊が現れ、回転しながら金属の飛礫を飛ばして行く
高速で飛来する金属の飛礫が魔理沙の皮膚を切り裂いていく
しかし、それでも魔理沙は怯まない。下手にかわせばパチュリーに次の呪文を唱えるスキを与える
こうして自分が仕掛けた魔法の真っ只中に魔理沙がいる以上、パチュリーは次の呪文を使えない
「うおお―――!!」
魔理沙が、自分の頭をガードしていた腕を解放し、一気に力を解き放った
「むきゅきゅ―――!!(馬鹿な、あれだけ傷ついた身体で、私の魔法を突破してきた―――!!)」
その瞬間、魔理沙の周囲を飛んでいた金属の飛礫が一気に消滅した
パチュリーが魔法を放てなかった一瞬のスキをついて、魔理沙は一気にパチュリーに詰め寄った
「くらえ、パチュリー―――!!」
もはや、『短縮詠唱』でもどうにもならない
魔理沙の拳が、パチュリーに迫る―――!!
「何―――!!」
しかし、魔理沙の拳がパチュリーを捉えようとした瞬間、その拳が何者かに阻まれた…!!
「き、貴様…
小悪魔―――!!」
魔理沙の拳を止めたのは、パチュリーの使い魔である小悪魔であった
赤い髪と頭から小さな羽根の生えた小悪魔が、魔理沙の拳を止めた―――!!
「パチュリー様には、指一本触れさせません…!」
そういうや、小悪魔は魔理沙を押し戻した
魔法使いの戦いには、術者が呪文を唱える間に術者自身を護る従者がいるのが当然
格闘戦を挑めば、その従者が護るのが古来からの魔法使いの決闘なのである
「はぁ~
『メドローア(極大消滅呪文)』―――!!」
小悪魔が全身の魔力を、その拳に集め放った
巨大な魔力の塊が、魔理沙を襲う―――!!
「舐めるな―――!!」
自らに迫るメドローアを、魔理沙は片手で弾き飛ばした
「馬鹿な―――!!」
小悪魔の最大威力の魔法を片手で弾き飛ばした魔理沙
小悪魔が驚いているスキに、一気にその間合いを詰めた
「貴様なんかが、私に敵うと思ったか―――!!」
魔理沙の拳が、蹴りが、小悪魔を襲う
小悪魔と魔理沙では、体術のレベルに差がありすぎる
魔理沙の拳が、小悪魔のボディーに深くめり込んだ
小悪魔の呼吸が一瞬止まる。次の瞬間には、魔理沙の左手が片手喉輪締めで小悪魔の身体をリフティングした
「さあ、どうするんだパチュリー。お前の使い魔がいなくなっちまうぞ」
小悪魔の喉を絞める魔理沙の手が、小悪魔の気管を締め上げギリギリと音を立てる
このままでは、小悪魔の気管は握りつぶされてしまう
魔法で助けようにも、今の状態では小悪魔も魔法に巻き込んでしまう
「むきゅー(それでかったつもりかしら、魔理沙?。やはり、貴方は人間。純粋な魔族である私には勝てないわ)」
「なんだと…!?」
パチュリーは小悪魔が捕まっているというのに、いたって冷静であった
………いや、これは、笑っている?
「むきゅ―――!!(自分から間合いに入るとは愚かね、死になさい魔理沙)―――!!」
『日符・ロイヤルフレア』
―――その瞬間、小悪魔の身体に太陽の紋章が描かれた魔法陣が現れた
小悪魔の喉を締め上げていた魔理沙の左手に、小悪魔の体温があり得ないほどに急激に高まったのが伝わる
魔理沙がそれに気付いた時は、もう遅かった…
小悪魔の口から、パチュリーの単体魔法では最強の威力を誇る『日符・ロイヤルフレア』が放たれた
この至近距離から放たれた魔法では、いかな魔理沙でもかわしようがなく、魔理沙の身体は太陽の如き豪熱に焼かれ墜落した
「むきゅー(小悪魔は私の魔力で呼び寄せた使い魔、私の呪文を中継してその身体から放つ事ができる…。勉強不足だったわね、魔理沙)」
パチュリーの魔力によって呼び寄せられた小悪魔の身体には、パチュリーの魔力が染み付いている
それはちょうどラジコンのように、パチュリーが唱えた呪文を小悪魔自身を媒介として放つ事ができるのだ…
「ま、魔理沙…」
アリスは糸の切れた人形のように、その場にへたり込んだ
美鈴との死闘に加え、合成魔法の直撃に、あれだけの至近距離からのロイヤルフレアの直撃………
これでは、もはや魔理沙が生きている可能性は、限りなくゼロに近い
「パチュリー…、どうして…。貴方は、魔理沙を…」
とても、アリスの言葉は言葉にならない
慥かに、図書館に押しかけたのも、勝負を仕掛けたのも魔理沙だ…
だからといって、ここまでやる必要があったのか…
「むきゅむきゅ(先に仕掛けてきたのはそちらでしょう。いいじゃない、所詮、魔理沙はコソ泥にすぎない。貴方だってコイツには手を焼かされてたでしょう)
むきゅー(厄介なヤツがいなくなって、かえってよかったんじゃないかしら)」
パチュリーが言った
慥かに、アリスだって何度も魔理沙には面倒を掛けられて来た…
春の異変の時も、永夜事件の時も…
「違うわ、魔理沙は慥かに自分勝手で、我儘で、どうしようもないヤツだったけど…
けれど、誰よりも一生懸命だった…。自分がやると決めた事を、決して諦めなかった
魔理沙は貴方が言うような、単なるコソ泥ではないわ…!」
そういって、アリスはパチュリーを睨み付けた
「むきゅー(ふ…、魔法使いでありながら、人間に肩入れするとは…。なんだかんだ言っても、幻想郷で一番の変わり者は貴方ね…)
むきゅきゅー(それで…、今度は貴方が私の相手をするというのかしら…?。すでに禁じられた『魔界の力』を使い、もはや普通の人間と変わらない貴方が…)」
アリスの悲愴な視線を、パチュリーはあっさりと受け流す
やはり、パチュリーは知っているのだ。咲夜との戦いで禁じられた『魔界の力』を使い、その反動でほとんど魔法を使う事ができなくなっている事を…
すでに、アリスには人形一つ動かすだけの魔力も残っていない
「むきゅむきゅー(魔法の使えない魔法使いなど、もはや何の価値もないわ。そんな貴方に、何が出来る…!)」
パチュリーの言う通り、魔法が使えない魔法使いには何も出来ない
アリスの力では、格闘術で戦う事もできない…
「慥かに…、魔法が使えない魔法使いなんて、魔法使いじゃない…
それでもね…、誰かの為に戦うって決めたら、ゼロからでも力を振り絞れる…
魔理沙は、それを私に教えてくれた…!」
そういうや、アリスは魔理沙に向かって駆け出した…!
「むきゅ(アリス、何をする気………!?)」
不意を突かれ、パチュリーは呪文を詠唱する間を逸した
いつだってそうだった…。魔理沙は誰よりも我儘で自分勝手で、諦めが悪くて…、一生懸命で…、決して人の前で弱音を吐かなかった
どんなに困難で、心が挫けそうな時だって、魔理沙は決して下を向かない…
諦めてしまえば、そこで全てが終わってしまうのだ
自分の心臓が動く限り、自分から諦めては成らない…
自分自身が生きている限り、人はいくらでも力を振り絞る事が出来るのだ………!!
「…お願い、蘇って魔理沙―――!!」
パチュリーのスキをついて魔理沙に駆け寄ったアリスは、その残りカスのような魔力を唇に集めた…
そのまま魔理沙の顔を自分に向け、アリスは魔理沙に口付けた
『MPパサー』
アリスは、魔理沙の唇から、自分に残ったわずかな魔力を魔理沙に渡そうとしている…
しかし………
「むきゅー(馬鹿ね、貴方のわずかに残った魔力を分けた所で、魔理沙が蘇る訳が無いわ)」
パチュリーの言う通り、至近距離からのロイヤルフレアの直撃を受けた魔理沙
そのダメージが、アリスに残ったわずかな魔力で回復できる訳が無い
「むーっきゅっきゅ(そのままミイラのように干乾びて、二人一緒に死ぬがいいわ)」
そういって、パチュリーは高らかに笑った
アリスのやっていることは、まさに焼け石に水だった
すでに、魔理沙は生命の危機が及ぶほどに魔力を消耗しているのだ
並みの回復魔法でも回復しえないダメージを負った魔理沙
それを回復させるには、並みの方法ではダメなのだ…
「むきゅッ―――!!」
一瞬、魔理沙の指先が微かに動いたように気がした
いや、それだけではない…。アリスと魔理沙の周囲を、一種異様なオーラが包んでいる
二人の周囲に、星の瞬きのような光が散らばり、その光が魔理沙の身体に吸い込まれるたびに、少しずつ魔理沙の魔力が回復していく…
これは………!?
「む、むきゅー(ア、アリス…。貴方はまさか…、魔力ではなく命を…、生命そのものを魔理沙に渡しているの…!)」
パチュリーの言う通りだった
並みの回復魔法でも回復しきれない魔理沙の身体…
アリスは自分に残っていた魔力だけではなく、自らの生命力そのものを魔理沙に渡しているのだ…!
「むきゅー(馬鹿な、貴方自身も咲夜との戦いで相当のダメージを受けている)
むきゅむきゅ(そんな状態で生命力を分け与えれば、貴方の命だって…!)」
パチュリーの心に、深い衝撃が走った…
アリスだって、自分と同じように魔理沙の我儘に迷惑を掛けられているはずなのだ…
それなのに、何故、アリスは自らの命を危うくしてまで、魔理沙を助けようとするのか………!!
「むきゅー(は…!、何を見惚れているの…、このままでは魔理沙が復活してしまうわ…)」
急にパチュリーは我に返った。このまま黙ってみていれば、魔理沙が復活してしまう
今のウチに攻撃しなければ…
「むきゅー(土符・レイジィトリリトン)」
パチュリーが呪文を唱えると、図書館の床が浮き上がり、土砂の波となって二人に襲い掛かった…!
「むきゅきゅー(―――!?、馬鹿な…!)」
パチュリーの魔法は、二人を包むオーラに簡単に消し飛ばされてしまった
このオーラはアリスと魔理沙の生命力が融合して生まれたオーラ
そんじょそこらの魔法では、破壊できないのだ…!
魔理沙の全身に、力が満ちていく。魔理沙の右手が、アリスの肩を抱いた
「もう、十分だぜ、アリス…。ラブシーンはお預けだ…」
魔理沙がそういった瞬間、アリスが崩れ落ちるように倒れた…
「待たせたな、パチュリー………」
「むきゅー(ま、魔理沙…、貴方は…)」
再び立ち上がった魔理沙に、パチュリーは驚愕する
しかし、その恐怖の源は、魔理沙そのものではない
二人が自らの命すら顧みずに立ち向かってくる姿に、言い知れぬ恐怖を感じているのだ…
(な、何故、この二人は、相手の為に自らの命を捨てられるの…?
そんな事をしてまで戦う理由はなんなの…?)
パチュリーが酷く困惑し、混乱している
パチュリーには理解できない…
誰かの為に命を投げ出す…、自らを犠牲にして戦って、何を得られるというのか…
しかし、同時にパチュリーの心の中にも、今までになかった気持ちが芽生えていく…
それは、この暗く閉ざされた図書館の中に籠もり、閉ざされたパチュリーの心の扉に静かに訪れた
二人の心を知りたい。二人が自らを犠牲にして戦える…、その絆に触れたい…
そんな気持ちが、パチュリーの中に生まれていた
「さあ、これが最後の勝負だぜ…。もう小細工は必要ない…
魔法使い同士、正真正銘の魔法の勝負だ」
そういって、魔理沙は八卦炉を取り出した
この場面で、魔理沙が八卦炉を使うなら、使う魔法は決まっている
『マスタースパーク』
魔理沙が、その全身全霊を込めて放つ、最後の魔法…
「むきゅー(いいわ…、貴方達の絆がどこまで強いか試してあげる…。究極の合成魔法…
『火水木金土符・賢者の石』で………)」
パチュリーの周囲に、火水木金土の五つの紋章が入った魔法陣が現れる…
五つの精霊魔法を合成して放つ賢者の石…
やはり、この戦いを決める最後の魔法には、この賢者の石こそ相応しい
五色に輝く魔法のオーラが、パチュリーの掌で混ざり合わさっていく…
まるで、それは命の輝きのように、眩く、熱い光となる
「うおおお―――!!」
パチュリーの魔法に呼応するかのように、魔理沙も一気にその魔力を開放した
いくらアリスのおかげで復活したとはいえ、この魔力は尋常じゃない…!
これは、魔理沙もまた、その生命力を燃やしているという事か…!
「行くぜ、これが最後だ…!
『マスタースパーク』―――!!」
魔理沙の全生命力をもやした巨大なレーザーが、パチュリー目掛け発射された―――
「むきゅー(これが私の全力全開―――!!)
『火水木金土符・賢者の石』―――!!」
五色の魔法のオーラを纏った光が、魔理沙目掛け放たれた―――
「―――!?」
「―――!?」
二人の魔法が、空中でぶつかり合う
(なんてことかしら…、いくらアリスの生命力を分けてもらったとはいえ、私の『賢者の石』と互角なんて…)
中空でぶつかり合う二つの魔法を見ながら、パチュリーは考える
五つの属性の魔法を合成して放つ『賢者の石』は、パチュリーの使える魔法の中でも最高の威力を誇る
それは陰陽五行における、五行相生…火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み、木は火を生むという思想により、五つの属性が全てお互いを助け合う関係になっている為、その威力は単に五倍という事ではなく、数十倍、数百倍にも高められるからだ
そのパチュリーの魔法を、瀕死の魔理沙が放った『マスタースパーク』が互角の状態で燻りあっている
(こ、これが…、二人の絆の強さなの…?。お互いを信じて、お互いを思いあう者の強さだというの…)
総合的な魔力の強さで言えば、今の魔理沙の力よりもパチュリーの方が何倍も強いはず…
だが、今の魔理沙の中には、アリスの生命力が吹き込まれている…
パチュリーが違う属性の魔法を合成することで威力を高める事が出来るように、魔理沙とアリス…、お互いを信じあう者の力が解け合い、結びつく事で、その威力を何倍にも高めているのだ
(このまま二つの魔法がぶつかり合っていれば…、千日戦争(ワンサウザンド・ウォーズ)に陥ってしまう…
―――魔理沙…?)
不意に、パチュリーが気付いた
これまでのダメージと、全生命力を燃やした反動か…
魔理沙は『マスタースパーク』を放った姿勢のまま、気を失っていた
微かずつだが、二つの力が魔理沙の方へ押し戻されていく…!
(魔理沙…)
不意に、パチュリーの脳裏に魔理沙の記憶が蘇ってくる…
初めて魔理沙と出逢ったのは、レミリアが幻想郷中を紅い霧で包む異変を起こしたとき
あの時は、途中で貧血で呪文を唱えられなくなった
あれから頻繁に図書館に来ては、本を盗んでいくようになった
フランドールが地下室から逃げ出したときも…、妖怪ロケットを作ったときも…
魔理沙との思い出が、次々にプレイバックされていく…
扉にどんなに厳重な封印を施しても、それを打ち破って侵入してくる魔理沙…
パチュリーや小悪魔を散々蹴散らした後、『死ぬまで借りてくぜ』といって去っていく魔理沙…
パチュリーが造ったロケットに妙な名前をつけて潜り込んだ魔理沙…
神社に初詣に来たパチュリーに、自分で造った変な御神籤を引かせた魔理沙…
あれほど嫌って、憎んでいたはずの魔理沙…
しかし、それが今、パチュリーの心の中に溢れていく…
パチュリー自身も気付かないウチに、魔理沙との想い出はパチュリーの心の中でいつの間にか大切なものになっていた
「むきゅ―――!!(目を覚ましなさい、魔理沙…!。このままでは、二つの力をまともに食らうわよ―――!!)」
パチュリーが魔理沙に呼びかける
ほんの少し前まで、その命を奪おうとしていたというのに…
アリスが自分の命も省みず、魔理沙を救おうとしたように…
パチュリーは、今ようやく気付いたのだ
自分自身も、アリスと同様に魔理沙に魅かれていた事に
「お願い、目覚めて魔理沙―――!!」
パチュリーが叫んだ瞬間、二人の中間で拮抗していた二つの力が一気に魔理沙に向かって押し戻された
二つの超大パワーが合わさった魔法の力が、魔理沙に襲い掛かる
「はっ―――!?」
自らにその魔法が迫った瞬間、魔理沙の意識が戻った
その迫り来る魔法の威力、それは、人間の魔理沙など一飲みに飲み込んでしまいそうなモノだった
。
「むぅ………!?」
直撃寸前で目覚めた魔理沙は、必死の思いでその魔法を受け止める
激しい魔法の熱が、魔理沙の掌を焼いていく
いくらなんでも、こんな巨大な魔法の塊、いつまでも受け止めてはいられない
このまま、魔理沙はこの巨大な魔法の塊に飲み込まれてしまうのか………!?
「ぬぅ…、うおぉぉぉぉ………!!」
しかし、まさに魔法の塊が魔理沙を飲み込もうとした瞬間、魔理沙の全身から凄まじい魔力が放たれる
すでに全生命力を放出し、すでに欠片ほどの力も残っていない魔理沙に、どうしてこれほどの力があるのか…
「私は魔法使いだぜ、魔法の力に限界はない…!。魔法使いが戦いの場に立っている以上、起こり得ない奇蹟だって起こして見せる…
魔法の力はどんな敵も打ち砕く、最強の力だ。私の前に立ち塞がるどんな困難も、魔法の力で打ち砕く―――!!」
魔理沙の魔力が、一気に膨れ上がる―――!!
一体、魔理沙のどこに、これほどの力が残っているというのか………
しかし、その力は確実に、巨大な魔法の塊を押し戻していく
(そうか…、魔理沙の力の本当の力の源は…『絶対に諦めない心』…
どんなに絶望的で、どうしようもない状況でも、魔理沙は絶対に諦めない…、心が折れない…
どんな困難だって、魔法の力で打ち砕いていけると信じている)
その魔理沙の姿を見て、ようやくパチュリーは気付いた
魔理沙の本当の強さに………
それは魔力の強さだとか、魔法の威力ではない…
魔法の力を信じる力、魔法の力で打ち砕けないモノはないと信じる心…
『絶対に諦めない心』こそが、魔理沙の強さだった
師匠である魅魔に教えられた事。魔法の力こそ最強の力であると、魔法の力で打ち砕けぬモノはない…という事を魔理沙は信じている
もしも、魔理沙が諦めてしまったら、それは師である魅魔の言葉を信じなかった事になる
それだけは、魔理沙にはどうしてもできない
だから、魔理沙は諦めない
魅魔を信じているから、諦めない。魅魔を信じているから、ゼロからでも力を振り絞れる…!
「うおぉぉぉ―――!!」
ついに、魔理沙がその巨大な魔法の塊を押し戻した
その巨大な魔法の塊は、あり得ないほどの量の魔力を放出しながら、今度はパチュリーに向かって迫る
「パチュリー様、危ない…!」
パチュリーに向かってくる魔法の塊に、小悪魔が飛び出した
しかし、その魔法の塊は小悪魔の力でどうなるものではない
「むきゅ―――!!(どきなさい、小悪魔―――!!)」
咄嗟に、パチュリーは小悪魔を突き飛ばした
パチュリーの目前に、巨大な魔法の塊が迫る
もはや、パチュリーには身のかわしようもない
パチュリーの小さな身体が、その巨大な魔法の塊に飲み込まれていく………!!
「きゃああああ―――!!!」
パチュリーの身体が、二つの魔法の力に押し潰され、放出される魔力がパチュリーの身体を切り刻んでいく
直撃した魔法の塊は、一旦、パチュリーの周囲で収縮したと思った瞬間、一気に大爆発を起こしパチュリーの身体を吹き飛ばした
「パチュリー様―――!!!」
小悪魔の絶叫が図書館に木魂する
魔法が引き起こした大爆発に吹き飛ばされたパチュリーは、猛烈な勢いで壁に向かっている
(ああ、このまま壁に叩きつけられて終わりか………)
すでに全身の痛覚がマヒしているかのように、パチュリーは何も感じることなく、ただ壁との衝突の時を待つばかりだった
身体の弱いパチュリーでは、この勢いで壁に叩きつけられては一たまりもあるまい…
(魔理沙…、ごめんなさい…。もう、貴方に協力することはできそうもないわ…)
パチュリーは目を閉じ、覚悟を決めた…
もはや、自分の力ではどうしようもできない…
……………………
長い空白の時間、しかし、いつまで経っても来るべき壁との衝突の時間がやってこない
かわりに、パチュリーの身体を、柔らかく温かいものが包んでいるような感覚を覚えた
「………?」
訝しげに、パチュリーが目を開いた…
「気付いたか………、パチュリー………」
―――そこには、壁に激突寸前のパチュリーを受け止めた魔理沙の姿があった
ほとんど全ての力を使い果たしていたクセに、パチュリーが吹き飛ばされたのを見た瞬間、魔理沙は全速力で飛び上がり、パチュリーを受け止めたのだ
「魔理沙………、なんで…?」
パチュリーの目に、いつの間にか涙が溢れていた
ほんの十分ほど前、魔理沙はパチュリーのロイヤルフレアを食らって瀕死の重傷を負ったばかりなのだ
それなのに………
「へっ…、お前がいなかったら、『時の光』を通る方法がなくなっちまうじゃねえかよ…
もう一度あの時代に行くには、お前の力が必要なんだからよ」
そういって、魔理沙は笑った…
魔理沙は、やっぱり魔理沙だった…。自分勝手で、我儘で人の迷惑を省みない魔理沙だった…
それが、魔理沙の優しさだったのだと…、パチュリーはようやく気付いた…
魔理沙の温かい体温に触れながら、パチュリーは魔理沙の胸に顔を埋めた
次も楽しみに期待してます。