「よしよし、作業の進み具合は順調なんだぜ」
木々の切れ間から射しこむ、蒼銀の色彩をまとう月明かりが散りばめられた魔法の森。
その一角にひっそりたたずむ魔理沙の工房。
黒白の魔法使いと呼ばれる彼女、霧雨魔理沙は寝食すら疎かにして、とある魔法実験の準備にいそしんでいた。
部屋中に乱雑に積み上げられた、そのほとんどをパチュリーが管理する大図書館から“借りて”きた魔導書達を参考にして、魔理沙はひとつの実験を試みていたのだった。
「この実験を成功させたら私、今度こそアイツと決着をつけるんだぜ……」
ボーイッシュな言葉遣いでひとりつぶやく彼女はまるで夢見る乙女のような遠い眼差しで、工房の窓の向こう側に映った景色を眺めている。
鬱蒼とした森の中にあってさえ、煌々と降りそそぐ満天の星々の輝き。
夜空のスクリーンの中に、魔理沙は博麗の巫女・霊夢の姿を幻視する。
彼女にとって博麗の巫女とは、弾幕を競う好敵手……いや目指すべき目標なのかもしれない。
自分が思うほどに、霊夢からは意識されていないかもしれないけれど。
しょせんは独り善がりな、一方的な片想いに過ぎないかもしれないけれど。
今度こそアイツに届いてみせる。届かせてみせる。
今度こそアイツに私の魔法を認めさせてやるんだ。
そんな彼女がしていた表情は、どこか朱色めいた、儚くとも消えゆくことのない微熱をたたえていて。
喩えるならば、それは――たどりついた先に意味するものは何なのか。
その意味をいまだ知ることはないのだけれど。
小さな胸の内側を焦がしてやまない少女、魔理沙はまだ見ぬ戦いへの予感に想いを馳せていた。
「ふっふっふ。待ちに待った準備が整ったんだぜ。待ってろよ霊夢。いまからそっちへ向かってみせるからなっ!」
日取りも時間も天候も、マナの濃度も、星辰の配置もまったく問題ない。
実験を成功させるために必要な条件は、たったひとつを除いてそこには充分に満ち足りている。
あとは実験を開始するだけ。
覚悟という名のトリガーを引き絞るだけの、言葉で言うなら簡単なこと。
魔理沙はしばらくの逡巡のあと、思い切って覚悟を決める。
「――頼むぜ私の魔法! 私の思いよ届け! どうか叶ってくれっ!」
詠唱が開始されると同時。フリーハンドで描かれた魔法円のラインが光を放つ。
魔理沙が立つ魔法円を中心にして、淡く光を灯した一条の柱が立ちのぼった。
立ちのぼる光は暖かで、しなやかさと強さを感じさせる。
まるで力そのものが魔法円に流れこんでくるかのようでいてとても心地よい。
ここまでくれば成功したも同然。霊夢にだって勝つる。確信した魔理沙から笑みが浮かんでニヤリと口元をつりあげた……が。
肝心なところで詰めの甘くなる魔理沙の悪い癖が、魔法実験の成否に決定的な影響を及ぼしてしまったとも知らずに。
魔理沙は勝ち誇ったような笑みをそこに残したまま、ふっと力が抜けるように意識を手放した。
★
どんがらがっしゃん。
突然起こった爆発の音に、アリスはベッドから意識をむりやり叩き起こされた。
爆心地は魔理沙の工房のある方向。
「まぁったく魔理沙ったら。今度は何をやらかしたのよ……」
爆発の原因には心当たりがありすぎて。
工房のご近所に居を構える
アリスは不機嫌そうに目を擦りながら小さくあくびすると、上海から上着を受け取って、彼女たちとともに魔理沙の工房へと向かうことにした。
「毎度のことながら、よくもここまで派手にやらかしてくれるものね」
魔法使いの初心者でも、ここまで派手なミスはしないだろう……と言いたげに、ため息をひとつ。
熟練者であれば、たとえ失敗が起きても被害を最小限に留めるだろう。
ここまで派手にやらかすことができるのも半人前だからこそ。
流石は弾幕はパワーと豪語する霧雨魔理沙というべきか。工房は半壊して瓦礫の山になっており、そこかしこから爆発の名残である噴煙が立ち昇っている。
悲惨な有り様にも関わらず、たいした損傷もなく積み上げられた、本来は大図書館の書架に所蔵されるべき魔導書の数々だけが、せめてもの救いと言えるのか。
魔法の実験くらいもう少しスマートにできないものなのか、呆れを通りこして感嘆すら覚えてしまう。
「ケホケホ……ふぅ、やれやれだぜ。また実験に失敗かよ」
ややあって瓦礫の中から物音がする。ガラガラと工房の残骸を押しのけるように這い出てきたのは、頭を物臭そうに頭を掻きながら、“黒のエプロンドレスに身を包んだ”魔理沙の姿。
「こらっ魔理沙。いま何時だと思ってるのよ。こんな時間にこんな騒ぎを起こして、少しは周りの迷惑も考えなさいよねっ!」
両手を腰に手を当てて魔理沙を窘めるアリス。
でも「困った子ね」と言うような表情はどこか、やんちゃな妹が悪戯をしでかしたことを咎める姉のようでもあって。
「なんだ、誰だと思ったらアリスか。悪りぃ悪りぃ。うっかり実験に失敗しちまったぜ」
「なんだとは何よその態度。べっ別に魔理沙なんかこれっぽっちも心配してないけど、ちょっとだけ気になったからわざわざここまで来てあげたのに」
「本当に悪かったって。この通り!」
「……もうっ。魔理沙ったらしょうがないんだから」
そんな彼女の心が分かっていながら悪びれもせず、パンパンと両手を合わせて笑う魔理沙の物言いに、アリスはすっかり怒る気も無くしてしまった。
「それにしてもあんた、これからどうするつもり? 自分の工房をここまで滅茶苦茶にしちゃったら、ロクに寝る場所もないんじゃない?」
腕を組んでそっぽを向きながらアリスは魔理沙に問う。でも、あくまで友達として、なんだからね? と心でつけ加えて。
不意に、背後から別の物音がした。驚いてアリスは振り返ると。
「うう。とっても痛かったです……」
そこには“白のエプロンドレスに身を包んだ”魔理沙が、瓦礫の山の中からガラガラと音を立てて姿を現した。
出てくるや衣服についた埃をてしてしと叩いて、猫のように首をぶんぶんと横に振った。そうするたびに、頭の上に乗った瓦礫の欠片が飛び散っていく。
「あら魔理沙。あんたそんな所にもいたの。こんな夜更けだからかしら。あっちにも魔理沙がいるし……って」
アリスは、左右に並び立つ黒と白の魔理沙の姿を見比べる。
まさかこれは夢? 確認のために上海と蓬莱に頼んで自分の両側の頬をつねってもらったが、頬には確かな痛みが走っている。
弾幕はブレインをモットーとするアリスは、改めて頭の中を整理する。
たったいま見ている光景は夢じゃなくて、頬の痛みからも解るとおり紛れもない現実であって。
黒と白。
対照的なカラーを身にまとう魔理沙達の姿は確かにそこにあって。
二人の声はどちらも間違いなく魔理沙の声。幻聴とも思えない。
つまるところ。
魔理沙が二人になっていたということだ。
「えぇえぇえぇ―――――――っ!?」
★
「で……魔理沙? どちらからでも構わないわ。詳しい事情をわかりやすく説明してもらえるかしら?」
アリスの工房へと招かれた二人の魔理沙。明かりが灯る。
物臭そうに頭を掻きながら雑な座り方をしている魔理沙と、アリスの顔をおずおずと見上げながら、ちょこんと座っている魔理沙。
黒白魔法使いのふたつに切り分けたような、衣服のカラーリングそのものを表すような、対照的な二人だった。
「そんなことよりお茶はまだかよ? こっちは三日三晩飲まず食わずで仕方ないのによ」
「はいはい。お茶くらい出してあげるわよ」
「そういやぁ腹も減ったよな。待ってみるのも面倒だし、向こうの食料庫で適当に見繕ってくるぜ」
「ちょ、待ちなさいよ。こらっ!」
アリスの制止も聞かず、黒いエプロンドレスの魔理沙はキッチンの方へと向かっていった。
「あっちの魔理沙はいちいち可愛くないわねえ……」
さっきからずっとこんな調子。
ロクに会話もできなければ、客人として招いたにも関わらず我が物顔でいる黒い魔理沙の様子に、アリスはイライラが募る一方だったが。
「あ、あのあの、アリス。その、そんなに怒らないでください。あっちの私は、魔理沙の黒い心が形になって現れた魔理沙なのです」
隣に座っていた白いエプロンドレスを着た魔理沙が、あぅあぅしながら言う。
「こっちの魔理沙は可愛いわねー。んー、あんただったら言うことを何でも聞いてあげたくなっちゃうわ」
「は、はいです……」
よしよしと頭を撫でてあげると、白い魔理沙は顔をほんのり赤くしながら子猫のように目を細めている。
可愛い。それがアリスの率直な感想だった。
まるで魔理沙の純真な部分だけを切り取ったような彼女。普段の魔理沙もいつもこんな風に振舞ってくれたら文句なしなのに。
どうしていつもはキッチンで食べ物漁りをしているあっちも魔理沙みたいな態度でいるのか。
不意にアリスの脳裏に豆電球が灯る。
「友達のよしみだし、しばらくここに置いといてあげてもいいけど、条件があるわ」
「条件、ですか?」
「そう。条件といっても、そんなに難しいことじゃないわ」
アリスからのそんな提案に、白い魔理沙が緊迫した表情で息を呑んだ。
魔法使いの掟は等価交換。
親しき仲にも礼儀あり。と言うように、魔法使い仲間からなんらかの世話を受ける以上、それに見合った対価を求められるのは当然である。
いったいどんな対価を求められるのだろう。びくびくが止まらない。
「それはね。あんたたちがここにいる間、私のことを『アリスお姉ちゃん』と呼ぶこと」
「……はい?」
とびっきり邪な笑みを浮かべながらアリスは提案した。
えぇぇっ! 遅れて白い魔理沙は驚きの声をあげる。
嗜虐心が擽られたのか、アリスはずいっと顔を間近に寄せて追い詰めていく。
パチン。
アリスが指を鳴らすと、上海たちが戸棚から飛んでやってくる。主に命じられるまま衣服の各部をつかまれ、身動きが取れなくなってしまう。
「お姉ちゃんって呼んで。いや呼びなさい。さぁさぁさぁ!」
果たして真夜中に無理やり叩き起こされたテンションのせいなのか、それが彼女の地なのか。
ぐるぐる渦巻きを描いた瞳で白い魔理沙のそれを捉えている。
あぅあぅしながらぐるぐる渦巻きの目になってしどろもどろの白い魔理沙。
もう少しで落とせる。もう少しよアリス、あと一歩でこの子はうふふふふ。
何が原因で魔理沙が分裂したのかはこの際後まわし。すべては私の計画通りよ。純真なこの子を私色に染めてあげるわ。そんな独り言がぶつぶつと聞こえてきていた。
だから夜のアリスはあれほど危険だといったのに……。
キッチンの方から食料を咀嚼する音とともに、誰かが身体を諤々させながらそんなことを呟いている。
「あ、アリス、お姉ちゃ……」
あとちょっとで触れるくらいに顔を寄せられて、強引に迫りくるアリスに白い魔理沙は。
アリスの口元が喜悦に歪みかけたまさにその時。
「そこまでよ!!」
扉を乱暴に開け放ち、丁々発止とやってきたのはパチュリーだった。
左手に愛用の枕を持ったパジャマ姿で現れ、アリスと対峙した。
「ありえない量のマナの放出が感じられたから来てみれば……アリス。どうして魔女協定を無視して勝手に抜けがけ、いえ悪事を働こうとしているのよ。それに魔理沙が妙に増殖してるけど、どういうことなの?」
アリスに宿飯の条件として餌食にされそうになっていた白い魔理沙と、大量の食料を持ってきて黙々と食事を楽しんでいる黒い魔理沙に目配せしてながら説明を求めている。
計画は失敗。
ちっ、とあからさまに舌打ちするアリスだった。
★
「……で、僕のところに来てくれたわけか」
そうして幻想郷の一角にひっそりと佇む道具屋――香霖堂へと河岸を移すことになった。
あんなことがあった以上、アリスの工房に魔理沙たちを置いてはおけない――かといって、パチュリーにしても同様で書物をエサに大図書館に招いたら、魔理沙たちがどんな目に遭うか分からないとアリスから猛反発があり――結局香霖堂に河岸を移すことで話が落ち着いた。
道具屋・香霖堂の店主、森近霖之助。
魔理沙に近しい人物のひとりであり、性格的につかみにくい部分こそあれど、アリス達にしても個人的に道具を取り寄せてもらったりと何かと世話になっているし、こと魔理沙の件に関して言えば最も信頼できる存在といえる。
なにより魔理沙の兄貴分同然の彼ならば、きっと力になってくれるという点には疑う余地もなかった。
香霖堂には、現在その主人と魔理沙達に加えてアリス。パチュリーと小悪魔。魔理沙のことが心配でついてきたフランが一堂に会している。
「僕を頼ってくれるのはうれしい限りだけどね。一応、男ひとりが住む家に女の子を預けることに抵抗はなかったのかい?」
「霖之助さんなら大丈夫よ。ね?」
「うん、まぁ男と言うよりはむしろ……うん。彼なら安心だわ」
それは彼には魔理沙を襲う甲斐性などないという意味だろうか。男とすら思われていないようにも聞こえて、霖之助は自分自身の男性としての存在意義について考えてしまう。
「……まあ、魔理沙は僕にとって大事な妹のような女の子だからね。彼女たちに不埒な真似などしないさ」
シュンとしている霖之助を、「まぁまぁ。霖之助さんはご立派な殿方なのは私も存じておりますから」 と、パチュリーに随伴してきた小悪魔がフォローを入れている。
「それにしても」
そんな凹みかけている霖之助をよそに、パチュリーは言った。
「まさかアリスが魔理沙に『お姉ちゃん』と呼ばせたり、あんなことやこんなことをしようとしていたなんて。私が駆けつけるのが遅かったらどうなっていたか」
「なっ。パチュリーだって安眠枕を持って何をコソコソしてたのよ。魔理沙に夜這いをかけようとしてたんじゃないの?」
「……私は、ただの友達同士の添い寝よ。なにか異論ある?」
「大アリよ。あんな時間にやってくるなんて、不純な動機があったとしか思えないわ」
「不純行為そのものをしていた貴女に言われたくないわね」
「なんですって!」
「むきゅー!」
「まぁまぁ落ち着いて二人とも。原因は分からないけど、こんなに可愛い魔理沙なら僕としてはむしろ大歓迎だよ」
その点については同意しながらも、喧々囂々と言い合うアリスとパチュリー。この2人のもとに預けるよりは、ここにいた方が魔理沙もずっと安全だろうと霖之助は思うのだった。
霖之助は膝の上にちょこんと座る白い魔理沙の頭をフランと競うように撫であいながら、アリスから大まかな事情を聞いているところだ。
「それじゃあ魔理沙。どういうことか説明してくれるかい?」
「実はかくかくじかじか。なのです」
かいつまんで説明すれば、自分を強化するための魔法実験を行おうとして失敗し、魔理沙が二人に分裂してしまったらしい。ということだった。
話を聞いた霖之助は兄が年の離れた妹にするように頭をぐりぐりしている。
まるで子猫のような夢見心地で目を細めている白い魔理沙。
霧雨魔理沙とは、これほどまでに可憐さをふりまく女の子だったか。普段の黒白らしい倣岸さはどこへやら。皆の視線が集まった途端にあわあわしている白魔理沙。
とても幸せそうで、とても愛しそうで。
見れば十人に九人くらいは目のやり場に困るほどだ。
「……おい香霖。そいつぁどういうワケだ。まるで普段の俺はガサツで荒っぽくて可愛くないって言い草じゃねェか」
一人称が『俺』になっている、黒いエプロンドレスを着た魔理沙。
霖之助が白いエプロンドレスを着た魔理沙とばかりいちゃつくことが気に入らなかったのか、八卦炉を霖之助のこめかみにゴリゴリと押しつけながら言った。
「いやいや……どんな魔理沙も、僕にとってはかけ替えのない大切な魔理沙さ」
「……けっ」
霖之助の落ちついた答え方に、黒い魔理沙はそっぽを向いた。
そんな彼らを見て、「さっすが霖之助さんは魔理沙の扱いが手馴れているわねー、今後の参考にしようかしら」 とアリスもパチュリーも感心しきりだった。
「ごめんくださーい。お邪魔するわよー……異変の匂いがしたからやってきたけど、お取り込み中だったみたいね」
唐突に香霖堂の引き戸がガラガラと開けられ、霊夢が戦闘ばっちこーいな感じに身を包んで姿を見せた。
その額には青筋がピクピク浮かんでいた。
完全武装に身を包むくらいだから、それなりの用意を済ませてきたのだろう。
にも関わらず、霖之助達の平々穏々といちゃつく様子に呆れてしまったのか、彼女は帰り支度を始めるや。
「霊夢。ここで会ったが百年目だぜっ。いまこそ決着をつけてやる……へぶっ!」
さっきまで霖之助の顔を見ながら悶々していた黒い魔理沙が、霊夢に向かって襲いかかった。
だが無駄なことだった。
霖之助と白魔理沙のラブラブ&いちゃいちゃ&ちゅっちゅを見せつけられて機嫌を悪くしまくった霊夢の前に敵はない。
不意打ちの魔法弾を首をそらす動作だけで軽くいなす。
なっ、と硬直する黒い魔理沙が見せた隙に霊夢は懐へと入りこみ、霊力の籠もったデコピンの一撃でノックダウンさせられた。
「じゃあそういうことで。お邪魔するわね……で? あっちの方でひとりで勝手にノビてる魔理沙は置いといて。これはいったいどういうことか、説明してもらえるかしら?」
自業自得と、もんどりうって倒れる黒い魔理沙を絶賛放置したまま。
霊夢は香霖堂の敷居を跨いだ。
★
「魔理沙たちは、とある実験をしようとしていたのですが」
「へー、ほー、ふーん……ややこしいから、あんたのことを白魔理沙。あっちの倒れてる黒い魔理沙を黒魔理沙と呼ぶわね。で、白魔理沙? 実験をしようとした動機はなんなの?」
詰問する霊夢に、白魔理沙はおずおずと上目遣いで見つめながらあぅあぅと瞳を潤ませている。
かわいい。ギャラリー陣が一斉にそう思う最中、魔法使いであるアリスとパチュリーは、粗方の魔理沙の事情を察することができた。
魔法使いが新たな強さや能力を求めて自らを研鑽するのは、理に適った行いである。
深遠な探求であれ、膨大な知識であれ、魔法使いはその目的のためには心血を注ぐことを惜しまない。
魔理沙は魔法実験の結果として、黒魔理沙と白魔理沙という二人の魔理沙を生み出すことになったということ。
「まぁいいわ。動機はともかく単刀直入に言うわ。私がここに来た理由。これは異変よ」
『異変』という二文字に皆がぎょっとする。ちょっと待ちなさいよ、アリスが言いかけたところを霊夢は片手で制止して、
「たとえ小さくても異変は異変。魔法使いの常識なんて私は知らないし興味もないけれど。幻想郷に住まう者が、本来在るべき姿を歪めて存在しているということ。これは明らかな異常事態。私が今日ここにやってきた理由はひとつ。魔理沙。あんたが異変である可能性があるからよ」
霊夢の言葉に、白魔理沙は反論する。
「これは異変なんかじゃないです。これは魔理沙が望んでやったことなのです
「……そっか。異変じゃないなら私の出る幕じゃないわね。帰って適当に茶しばいて寝るわ」
白魔理沙からの反論に、霊夢はそれっきり興味をなくしたように踵を返して、大きくあくびをしながら帰っていった。
★
「霊夢はああして帰ってしまったけれど、魔理沙たち自身もこんな事になって戸惑っているだろう。僕たちでよかったら遠慮なく言ってくれ」
香霖の優しい言葉をかけられると白魔理沙の頬が赤く染まって。とんでもない爆弾発言を口にしたのだ。
「ありがとう。香霖お兄ちゃん大好き」
ぴきん。
反して女性陣全員が瞬く間に硬直し、部屋の温度が5度ほど低下する。
――お兄ちゃん、ですって。
特にアリスあたりが。
視線のあたりに黒線で修正を加えなければ表現できそうにないほどあからさまな変貌を遂げていた。
「ええっ。あのあの、私、ヘンなこと言いました……?」
(ヘンよ、絶対ヘン)
そんなギャラリー陣の声など霖之助の耳にはすでに届いてはいない。
お兄ちゃん。大好き。お兄ちゃん。大好き。お兄ちゃん。……。
脳内で幾度となくエンドレス再生されるうち、彼の中で何かが弾けた。霖之助の双眸が尋常ならぬ輝きを放つ。
「いや全然ヘンなんかじゃない! むしろこれこそ僕の考える理想の魔理沙さ!」
これこそ兄貴分の面目約如ではないか。ここは悩める魔理沙のために尽力しよう。彼女のためならば身体を張って、どのような無理難題だろうとやってみせよう。
そんな白魔理沙の愛しさに人目も憚らず、思わず身体を抱きしめた。
「白魔理沙。僕のことを本当のお兄ちゃんだと思って、してほしいことがあったら何でも言ってくれ!」
『お兄ちゃん』の部分をやけに強調して、決して離さないように力強く。
そこまで言うと豪快に漢笑いしながら、霖之助は最近にとり君に設置してもらったシャワーを一緒に浴びようと白魔理沙を浴室に連れて行こうとする。
「霖之助さん……」「見損なったわ」「さいってー……」 魔法少女とか巫女とか吸血鬼の妹とかによる非難と嫉妬と叱咤の入り混じった視線が突き刺さる。
「あっあのあの。アリスお姉ちゃんも、パチュリーお姉ちゃんも、フランちゃんも、小悪魔さんも、みんなみんな大好きです」
普段の魔理沙では絶対に見ることのできない無垢な笑顔がそこにあった。
傍目に見ても分かるくらいの愛しさ愛くるしさで。
その瞬間、アリスもパチュリーもフランも、彼女たちの中にある何かが弾ける音がした。
そこにはもはや誰にも彼女たちの暴走を止められる者はなく、メンバー全員が脳内フィーバー状態になること数十分。
しばらくの間もみくちゃにされまくる白魔理沙であった。
★
「フランも白い魔理沙と一緒にシャワー浴びるー!」
「あらあら。妹様はおませさんですねぇ。くすくす……」
三日三晩にわたる実験疲れの身体の汚れを落としたいということで、小悪魔に連れられてシャワーを浴びにいくことに決まった白魔理沙。
常識的に考えれば、女性同士の入浴であれば間違いなど起ころうはずもないのだが。
小悪魔が涎を垂らしながら仕切りに妖しい笑みを浮かべていたことに気づく者はいただろうか。いたとすれば、間違いなど最初から起こらなかったに違いない。
「じゃあ魔理沙たちの世話はあんた達に任せるとして、私たちは調べ物があるから少し出かけてくるわ。こうなった原因について何か分かるかもしれないし」
アリスとパチュリーはそう言い残して大図書館へと向かっていった。
メンバーはいったん解散の形となり、暴れださないようにと緊縛された黒魔理沙を部屋に残したまま、森近霖之助はひとり思案していた。
「やれやれ。僕たちはこのままお留守番か……さて、どうしたものかな」
★
無闇に暴れださないようにと身体を拘束され、部屋の中に座った状態のままの黒魔理沙だった。
「……っ」
黒魔理沙は、どこか苦しそうに身を捩じらせている。
「どうしたんだい黒魔理沙」
「お前にだけは黒魔理沙なんて言われたくないぜっ」
明らかに様子がおかしい。
あわてて黒魔理沙へと駆け寄ると、優しく背中をさすってあげた。
黒魔理沙と目が合う。ドクンと心臓の早鐘がなった。
魔理沙はこんなにも魅力的な女性だったか。
ついこの間まで、妹のような女の子だったのに。
少女とは時間と経験を経て女性へと化けるというが、いまの魔理沙を見ているとその事実を否応なく思い知らされる。
つぶらな瞳。ジルコンの輝きを放つそれは、わずかな潤みをたたえている。
ブロンドの美しい髪。ふうわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐっている。
色っぽい吐息が耳朶をくすぐり、彼女が妹分ということを忘れそうになる。
ぷるんとした唇。柔らかなその部分を、他の男のものになってしまう前に欲しいと思うことは罪なのか。
なだらかな胸。少女めいた面影を多分に残したその部分は。相も変わらずの……。
……。
そこまで考えたところで霖之助は、自分が魅了の魔法にかけられていたことに気づく。
「魔理沙。君は僕にそんな魔法をかけてまで縄を解きたいのかい」
「ちぇ。ばれたか」
霖之助が右手で頭をコツンと軽く叩くと、黒魔理沙はちろっと舌を出す。
魅了の魔法が解除されると、霖之助の呼吸もズンとくる重さからも解放された。
★
「どういうつもり? 黒魔理沙」
「今日こそお前のすました顔をふっとばしてやる!」
「……話にならないわね」
ついっとそっぽを向いて帰ろうとする霊夢を、黒魔理沙は「待てよ!」とばかりに弾を放つ。
それは霊夢の脇をわずかに掠め、装束に切れこみが入る。
黒魔理沙は、なんと霊夢めがけて魔法弾を放ったのだ。不意打ちもいいところのその行動は、霊夢の勘がなければ直撃は免れなかった。
霊夢は静かに睨みながら、大幣を構えた手を黒魔理沙に向ける。
「へぇ。この私を呼び止めるにしては、なかなかいい度胸してるじゃない」
「そうでもしないと、相手にもしてくれないと思ったからだよ」
頭をぼりぼりとかきながら、黒魔理沙は答えた。霊夢はよくわからない、といった目で黒魔理沙を見る。
「相手? あんたのこと、いつも相手にしてあげてるじゃない。神社でお茶を飲んだりとか」
「そういう意味の相手じゃないんだ」
大きく横に振って黒魔理沙は否定する。
相手という言葉に隠れたもうひとつの意味を汲み取ってくれない霊夢にやきもきしながら。黒魔理沙は似合わないほど真に迫った表情で。
「博麗霊夢。お前に、命名決闘法案による勝負を申し込みたい」
やっとの思いを絞り出して、言葉にした時だった。
「なにやってるのよ黒魔理沙。馬鹿なことはやめなさい!」
駆けつけてきたのはアリスとパチュリー。ふたりは息を切らしながら黒魔理沙のところへやってきた。
「はぁっ、はぁ。あんたたちを元の姿に戻す方法が見つかったわ。だからそんなことをする必要はないの」
「……じゃあその前に、お願いがあるんです」
だが彼女たちを遮る手があった。白魔理沙だった。
「魔理沙は、霊夢さんが羨ましかったんです」
彼女は無言でふるふると横に振って、告げる。
「魔法使いはみんな、何かの目的を持っているものです、その目的が、目標にしているあの人に届きたいという想いだったり。いいじゃないですか。霊夢さんにいつか届きたいから、そのために魔法のことをいっぱい勉強しても」
感情が高ぶっているのか。二つに心が分かれ、考えていることがストレートに出てしまっているからだろうか。
普段の黒白魔法使いなら、こんなことを口にしたりはしない。
「だから戦わせてあげてください。もうひとりの魔理沙(わたし)と、霊夢さんを」
「なに言ってるの。そんな莫迦なこと……」
「アリスお姉ちゃん達でも、こればかりは譲れません。お姉ちゃん達が本当に魔理沙のことを好きでいてくれるのなら、魔理沙達のわがままを、どうか聞いてあげて欲しいのです」
それに黒魔理沙が負けるわけないです、と言い加えて。
強さだけを求めてきた黒魔理沙の一番の理解者である彼女の言葉にはある種の確信が籠められていた。
彼女の独白を聞く黒魔理沙は、「けっ」と悪態をついている。
しかし白魔理沙の思惑の遥か斜め上に解釈したアリスはそれどころではなくて。お姉ちゃんと呼ばれた嬉しさに心境萌え転がりだった。噴き出しそうになる鼻血にティッシュを持った上海たちが介抱していたりしている。
「……黒魔理沙。こっちを向いてくださいです」
黒魔理沙の前に、白魔理沙が真っ向から向かい合う。それはまるで、霧雨魔理沙がいままで忌避してきた自分自身との対話でもあった。
「な、なんだよ。お前に俺のなにがわかる……」
「わかりますよ。私はあなた。あなたは私。同じ魔理沙なんですから」
「なるほど。要するに魔理沙達はこう言いたいわけね」
大体の事情を察したパチュリーは、要点をかいつまんで代弁する。
「要は魔理沙の力を試したいってことよね。霊夢と勝負をすることで、それが叶う。それなら異変でもなんでもない。ただ決闘を申し込んでいるに過ぎないだけ。それが魔法実験に到った理由で、目的を果たすまでは何が何でも元に戻りたくない、と」
ですです。コクコクとうなづく白魔理沙。そうだよ悪いかよ。とそっぽを向く黒魔理沙。
魔理沙達は言動と仕草こそ対照的でありながら、根底にあるものはやはり同じなのだろう。
二人は気づいただろうか。いまの彼女たちの動きは驚くほど息がぴったりだったことに。
「そういうことなら私から言うべきことはないわ。だそうよ霊夢。あんたの心はどうなの?」
「OK。構わないわ」
パチュリーの問いかけに霊夢が口にしたのは、とてもシンプルな答えだった。
「申し込まれた私がOKって言ってるの。だからこれは正式な決闘として成立したわ」
決闘の申し出に本人が承諾した以上、それを阻むこと、いったん成立した決闘を反故にすることは許されない。ましてやそれが博麗の巫女であれば、契約を重んじる魔法使いであれば、なおさらのことだ。
できることは、決闘の行く末を見守ることだけ。
白魔理沙は、黒魔理沙からの決闘の申し出を受けてくれた霊夢を見上げて、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとう。黒魔理沙のことをよろしくお願いします」
「心得たわ」
そうして二人の間でしか分からないやり取りが交わされた。白魔理沙に首を縦に振ると霊夢は、黒魔理沙をみやる。
それは白魔理沙では叶わないことだから。黒魔理沙だから叶えられることだから。
ぐじぐじと涙が出てくる。それをアリスたちが駆け寄って頭をなでてあげる。
「ありがとう。だから白魔理沙は、二人のことが大好きなのです」
その言葉がとどめの一撃となって。魔法使いの少女たちは脳天を射抜かれたように卒倒していた。
「霊夢。お前は、私の憧れで目標だった。お互い全力で、手加減なしでの勝負をしよう。これが正真正銘の、嘘偽りない“私”の気持ちだ」
」
「……だとすれば、あんたの気持ちに答えを出してあげなきゃいけないのね」
「そういうことだ!」
こうして黒魔理沙と博麗霊夢の勝負が始まったのだ。
★
「おらおらっ! お前の弾幕はそんなものかぁ!」
黒魔理沙は最初から全身全霊のフルパワーだった。
弾幕はパワー。
それこそが魔法使い・霧雨魔理沙における矜持である。
そんな魔理沙の攻撃的な心を持ち合わせた黒魔理沙は、先手必勝とばかりに攻めの一手を繰り広げる。
戦いが長引けば長引くほど消耗し、それだけ相手につけいる隙を与えてしまう。
なにしろ相手は博麗。マナとは違う術式で弾幕を編む幻想郷の巫女。魔法使いとしての常識は通じない。長期戦は不利だ。なによりそんな戦い方は自分の性に合わない。
だからこそのっけから全力。短期決戦で決着をつける。
だからといって、まったく考えなしに突撃する愚は犯さない。
それでは敵に自分を撃ってくれと宣言するようなものだ。フェイントをかけながら、本命の一撃を浴びせるべく繰り出される魔理沙の攻撃。魔法使いであるがゆえの『したたかさ』を兼ね備えた弾幕。
ただの年端の行かぬ夢見がちな少女ではない。そんな甘い心は白魔理沙の中に置いてきた。その白魔理沙さえも、戦うことを否定しなかった。ならばこそ、黒魔理沙の自分が何を甘えることができようか。
魔法使いとはあくまで自称であり、元々は生身の人間である黒魔理沙。生身の人間ではあっさりと不足してしまうマナの供給と制御は、マジックアイテムを使用することで『補強』する。
黒魔理沙が星屑状に圧縮された魔力弾を流星の如く散らしながら、エプロンのポッケから取り出したのは、ひとつの小さな小瓶。
軽く呪文を唱えてから放ると、そこから魔力で編まれた爆炎が燃えさかる。
「なかなかやるじゃない。これならどう?」
霊夢が取り出したのはアミュレットの拡散弾。放たれて間もなく無数の小さな護符に拡散し、爆炎をかき消しながら五月雨のように迫りくる。
そうくることはお見通しだったようで、黒魔理沙はひょいひょいと回避しながら攻撃を仕掛ける。
そこにあるのは、ある種の充実感。
あんなにも遠かった彼女が、こんなにも近くにいてくれる。
弾幕ごっこという名の決闘。決着がつくまでの間とはいえ、自分のことだけを見ていてくれる。その事実ひとつだけでも、黒魔理沙にとっては嬉しく思えたのだ。
できることならこのまま、ずっとアイツと弾幕ごっこで戯れていたい。
終わらぬ時が永遠に続くのなら……だが永遠幻想は人の身に過ぎない少女のためにあるものではない。
いつかは決着がついてしまう。その瞬間を、自らの勝利という形をもって迎えいれなければならない。そのための覚悟は用意してきている。
戦うことに意味があるのか。
勝つことに意味があるのか。
それは、戦いの場に臨む者にとって恐らく命題のひとつとなりうる鑑合わせの選択肢。
彼女の場合、好敵手と戦うことそれ自体に意味を見出しているかのようにも見えて、それを証明するかのように活き活きとした表情を見せている。
好奇心と冒険心のままに行動し、自ら生み出した状況という名の刺激に活路を見出すタイプの魔理沙。
霊夢と弾幕で競いあうことは、彼女にとっての意味そのものであり、至上の何かである事に違いあるまい。
互いに同じ人間の少女として、手を取りあい異変を解決することもある――最も近くて、
最初から持ち得たものと持ち得なかった者という、絶対的な違いがある――最も遠い存在。
おそらくはその想いが、彼女と霊夢とを隔てる距離なのだろう。最速の鴉天狗に次ぐ速度をもって護符の雨をかい潜り、霊夢の目の前へと肉薄した黒魔理沙。
ショートレンジの間合いを取るや、まだまだ余裕があるのだと言いたげにウィンクする。
「ッ、しまった!!」
ハッとする霊夢。だが遅い。彼女が浮かぶ目と鼻の先に、黒魔理沙は八卦炉を構えていた。
「この勝負、もらったぜ。くらいな霊夢っ!!」
強化型に特化したマジックアイテムの使用と術式の詠唱により、黒魔理沙の体内を循環するマナが、触れる両手と呪文を経由して注ぎこまれ、激しくうねりをあげながらその一点に収束していく。
こうして開始点を与えるだけで、マナが炉の内面を永久機関のようにうねりをあげる八卦炉。
繰り出される術式の、光点にして焦点にして起爆点たる一点が生成されていく。
霖之助からもらったアイテムに、独自のチューニングにチューニングを重ねた八卦炉の調子は限りなく絶好調。それもそのはず。
今日この日のために此処まで高めてきたのだ。炉の調子を確かめるまでもないと、マナをさらに増幅させる呪文を唱える。
錬度が極まったマナの塊。彼女の矜持の所以。彼女の持ちえる魔法の原点の象徴。
相手があの博麗霊夢であれば相手にとって不足はない。
これこそが魔理沙の最大火力にして全身全霊の、出し惜しみない、取っておきの切り札の一撃。
―――恋符『マスタースパーク』!!
超々至近距離で惜しみなく撃ち放たれたマスタースパーク。
文字通り全力を籠めて撃ち放った、掛け値なしの魔理沙の十八番。
一点集中の極致。一切合財の余分を捨て去った、衒いのない、飾り気のない、ただ純粋な魔力による極太のレールガンは、霊夢の影もカタチも見えなくなるほど眩い一条の光源となってほとばしる。
雲間を突き抜けていく光の帯。突き抜けたあとに、巫女の人影はなかった。
「やったぜ。俺はついに、あの霊夢に勝ったんだ……うおぉおおっ!!」
大妖怪すらも屠りさる渾身の一撃を浴びせれば、たとえ相手が霊夢だろうと勝てることが証明されたのだ。
これをもってほかに何を喜べというのか。感極まった黒魔理沙は、たまらず雄叫びをあげた。
全力でマナを放出したため、すっかり疲労困憊の黒魔理沙。
だからこそ、マスタースパークの一撃をとっておきの切り札として温存させておく必要があった。
その一撃で完全に倒さなければ、もう後がないのだから。
「へぇそうなんだ? よかったわね」
ゆらり、と黒魔理沙の背後から霊夢の姿がゆらめいた。黒魔理沙がその声に気づいたがすでに遅い。
「勝負がつく前から勝てたと思い込んで簡単に油断してしまう。そういう詰めの甘さが、あんたの相変わらずの悪いところよ」
霊夢は、そうにっこりと笑って告げる。黒魔理沙は防御に回すべきマナもすべて攻撃につぎこんでしまったため、完全に無防備な状態に陥ったまま、なす術もなく。
『マジギレ』と書いて『本気』と言い換えて相違ない霊夢が見せたとびっきりの笑顔が、墜落する直前の黒魔理沙が目にした最後の記憶だった。
★
「……で? 結局あんたは何がしたいの? まさかこの程度でギブアップなんて言わないわよね」
黒魔理沙は霊夢から霊力を乗せた回し蹴りを食らい、激突といっていい勢いで地面に叩き落された。命名決闘法案によるセーフティが働いているから事なきを得たものの、生身での勝負だったらどうなっていたことだろう。
「こんなの魔理沙らしくない……まるで一方的にいじめているみたい」
「……ちくしょうっ!」
「強くなるために魔法を使ったのに。それでも勝てねぇなんて。どうすれば霊夢に勝てるんだよ」
黒魔理沙の、怒りに身を焦がした心だけで、博麗の巫女に勝てるはずがない。
そんなこと、わかりきっているはずなのに。
「ふーん。私に勝つこと、ね……」
「どんな手を使ってでも、お前に勝ちたいんだ。それが俺の望みだ」
「あんたがアイツの黒い部分を受け継いでいることは分かった。でも“そんなことはどうでもいい”のよ。魔理沙」
搾り出すような黒魔理沙のセリフに、呆れたように言い放つ。
「勝つこと“だけ”が目的なら、姑息な手を使ってでも実現できる。それでも卑怯な手段に訴えないのは、あんたが勝つことの裏側に何らかの意味を見出しているから」
そして、黒魔理沙の目を逃がさないようにとじっと見据えて、霊夢は問いかけた。
「もう一度訊くわ。あんたは本当は何がしたいの? 答えなさい。『霧雨魔理沙』」
「お、俺、は……私は……」
霊夢から『霧雨魔理沙』としての本音を求められた黒魔理沙は考える。
――勝つこと自体が目的じゃなかった。そんなことは『彼女』にとって二の次。
『彼女』にとって大切なことは別のところにあったのだ。
異変が起きたときくらいしか共闘できないし、モヤモヤが覆い隠すようになっていった。
モヤモヤが、あの魔法実験に到って、二人の魔理沙を生み出すことになった。
黒い心を持った自分は、ただただ攻撃の欲求に従うだけで、本当のことを何ひとつ見ようとはしなかった。
――だからこそ。よろめく足取りでなんとか立ちあがり、『彼女』は言った。
「『私』の弾幕を見てほしい。霊夢に追いつきたい。私の努力が天才の霊夢にだって届くことを、この手で証明したい」
「最初からそう言いなさいよ。別に異変じゃなくても私はここにいるし、来るものは拒まない。魔法実験なんて回りくどい事をしないで、真正面から向かってきなさいよ。そんな手を使わなくても、いつだって相手するわ」
自分の想いを言の葉に変えて。
相手が紡いだ言の葉を耳にして。
たったそれだけのことなのに。そうするだけで、黒魔理沙の黒の心に不思議な感覚が芽生えてくるようだった。
「異変がないときは暇してるから、暇つぶし程度にはつきあってあげる。私たちは、その……友達、なんだからね」
「!」
言葉を継いでいくごとに顔色を明るく変えていく黒魔理沙を、霊夢は「なによぅ」と訝しげに睨んだ。
そんな霊夢の視線にも関わらず、黒魔理沙の表情はすっかり晴れわたっていた。
いつかアイツに勝ちたいと思う心。それが彼女をここまで奮い立たせてきた。
けど、それだけじゃなかった。だってそれは。
目標の彼女がここにいる。
好敵手として。共に異変に挑んだ相棒として。
……そう、なにより友として。
きっとそれが、心の中にあったモヤモヤの正体なんだって気づくことができたから。
「なに? 暇つぶしに乗ってあげることがそんなに驚くことなの?」
「違う。なんていうか、友達、なんだよな。私たちって」
「あ……」
黒魔理沙にとっては赤面どころの話ではなかったのだが、霊夢は自分が言ってしまったセリフの恥ずかしさに顔が赤くなってしまう。
普段はめったに見せない霊夢の一面が、黒魔理沙にはとても可愛らしく見えて。
「なんだろうこのドキドキ感。霊夢の顔をまともに見られないっていうか、胸の奥が激しくキュンキュンしちまってるんだが」
「そんな恥ずかしいことを大声で言わないの」
……そんな恥ずかしいセリフ禁止令。
――――。
互いに背中あわせに身体をくっつけて、顔を向かい合わせられなくなることしばらくして。
黒魔理沙は、ふーっと肺の奥までたっぷりと吸いこんだ息を大きく吐いて。言った。
「ありがとうよ霊夢。おかげで気持ちが吹っ切れたぜ。そしてこれが、私のとっておきの恋の魔法だ。受けてみろ!!」
「望むところよ。かかってきなさい、魔理沙!!」
今度こそ、お互い手加減なしの真剣勝負。
霧雨魔理沙として。博麗霊夢として。
翳りもなく、衒いもなく、ただ真っ向からぶつかり合う。
二人の少女はそれぞれの弾幕とスペルカードを携えて真っ向からぶつかった。
★
「――負けちまった。完敗だ」
霧雨魔理沙と博麗霊夢との決着はついた。
結果は黒魔理沙の完敗だった。
本気になった霊夢の全力の弾幕を受け、今度こそ黒魔理沙は地面に大の字になって横たわっていた。
幻想郷のバランスを護るために代々存在する調停者。
かたや捨虫の術も使えない程度の半人前の魔法使い。
弾幕としての格が、違っていた。
しかし彼女は、黒い心によって自分を偽らず、正々堂々霧雨魔理沙として戦った。だが純粋な想いによる幻想だけでは、博麗に勝つことにはまだまだ届かないのだと思い知らされたようにも見える。
「へへ。やっぱり霊夢は強いや」
「当たり前でしょ。そんな簡単に負けたりしたら、博麗の巫女なんて務まらないわよ」
「ははっ。違いない」
だがその表情に悔しさはなく、ひとつのことをやり遂げたという類の、どこか穏やかな顔をしていた。
目標にしている相手と正々堂々戦って負けたのだ。後悔の気持ちなど微塵もなかった。むしろ清々しい気分で心が満たされていた。
「霊夢。負けたついでにひとつ頼みがあるんだ」
「頼み? いいわ。私とここまでやり合ったんだもの。今ならなんでも聞いてやるわよ」
大の字になって横たわる黒魔理沙を見下ろす霊夢の姿。
装束の端々は破れ、肌を露出させている。
ひらひらと紅白の袴が風に舞い、霊夢の見えそうで見えない部分をぼんやりと眺めながら黒魔理沙は。
「そのフニフニと柔らかそうな太股で、膝枕……してくれないか?」
ぽかっ、と軽いげんこつを食らった。
★
膝枕は無理だけど、頭をなでなでしてあげてる。
じゃれつく姿は、まるで飼い主に懐いた黒猫のように、霊夢に飼いならされてしまった黒魔理沙。あまりの
デレっぷりに、霊夢がやれやれと肩をすくめている。ぱるぱるしている少女たちがいる。
そんな2人のいちゃつきっぷりを見て、橋姫ばりの嫉妬のオーラを漲らせているアリスとパチュリー
こんなことなら、魔理沙の相手を自分がしておけばよかった……と。
こんなことなら、最初から工房で最後の一線を越えておけばよかった……と。
こんなことなら、こんなことなら……と。
「あのうパチュリー様。アリス様。この書物はどこに置いておけば……」
「「それくらい自分で考えなさいよ!!」」
「ひうっ」
ただその場に居合わせていただけの小悪魔は、二人からの八つ当たりをモロに受けていた。
「黒魔理沙も、霊夢さんも、仲直りしてくれてよかった。でも、なんだかうらやましいな……です」
黒魔理沙達の様子を見ている少女がここにもひとり。
霧雨魔理沙の、臆病で、肝心なところで一歩を踏み出せない心を受け継いだ白魔理沙。
その一歩を躊躇いもなく踏み出せる黒魔理沙が、どこか眩しく見えた。
寂しそうにしてる白魔理沙の背中をアリスが羽交い絞めにする。少し遅れてパチュリーもむきゅーと抱きついてきた。
「喜びなさい。白魔理沙」
普段は寂しがり屋なのに、つい離れたくなってしまう。
小悪魔がフランにしていたような、あんなことやこんなことと重なってしまう。
霊夢とよろしくやっている黒魔理沙の分の鬱憤も籠められているかはともかく、もみくちゃにされている白魔理沙。魔理沙の良心だけを凝縮したような性質の白魔理沙の頭は、もうパニックそのもので。
「あんただって独りぼっちじゃないわ。というか、私たちも混ぜなさい」
アリスの温もりを背中に感じて、白魔理沙の目に涙の滴が浮かんだ。
「ありがとう……アリスさん」
「ダメよ白魔理沙。そこはアリスお姉ちゃんでしょ?」
「あんたまだそのネタ引っ張ってくるの」
「そんな魔理沙たちに、朗報を持ってきたわ」
★
「あんたたちに朗報よ。喜びなさい。魔理沙たちが元通りに戻れる方法が見つかったわ」
アリスとパチェによる術式の解読が完了したということだった。
「2人の魔理沙が元に戻るためには、互いの細胞と粘膜を擦りあわせて精神感応や共感覚性を想起させ、互いの魂のシンクロをはかる。手っ取り早く言えば、ふたりでキスしなさいってこと」
キス!? 出てきた単語のあまりの突拍子のなさに、面々が一様にどよめいた。
「ダメですこんなに可愛いのに! もっともっといじくり倒したいのに!」 と全力で拒否する小悪魔。
キスと聞いて顔を赤らめるフラン(前作のアレと微妙にリンク?)
どっちの魔理沙も可愛いよ。と香霖。
せっかく手に入れた白魔理沙だ。その感触をもっともっと感じていたいと抱っこしてるアリパチェ。
「……」 「……」 黒魔理沙も白魔理沙も
「いい加減にしなさいよ!」
「こうしているだけでも、魔理沙にどれだけ負担がかかってると思ってるの? もともとひとりしかいない魔理沙が二人になっているということ。
自分勝手な好みを一方的に押しつけて、本人の気持ちを全然考えていない。魔理沙のことを本当になんだと思ってるのよ。
「魔理沙のことを本当に好きだったら、どうすることが魔理沙にとって一番いいのかを考えなさいよ」
魔理沙本人の気持ちを歪めてしまうような真似、博麗の巫女として……ううん、魔理沙の友達として、私が絶対に許さない!」
「……霊夢」
「ごめんね。魔理沙」
「僕も悪ノリしすぎた。こんなことでは魔理沙の兄貴分失格だ」
「「「ごめんなさいっ!」」」
「みっ皆さんっ。頭をあげてくださいっ」
「べ、別に俺たちは気にしてねえよ。なあ?」
皆がいっせいに魔理沙と霊夢に謝罪する。
「半分は自分自身に言ったようなものだし。ただ、本人の気持ちを蔑ろにするようなことが許せなかっただけ」
「それぞれの身体に護符を貼って、その状態でキスするの」
「本当にキスしないといけないんですか?」
「それが一番効率がいいからよ。他の方法だと、エーテル体をあわせて精製するための人間が入る大きさの瓶を2つ用意できるのなら、そっちの方法でもいいけど」
「虫一匹入り込んだら、その因子まで身体に取りこんでしまうリスクがあるけど」
「ぶるぶるぶるっ」
「この方法による成功率は99%。大丈夫、これでもとに戻れるわ」
「もうひとりの俺とキスなんて、なんだか妙な気分だな」
「ファーストキスの相手が、まさかもうひとりの私なんて」
「元通りになっても仲良くしようぜ。もう1人の“私”」
「は、はいです!」
黒魔理沙と白魔理沙。二人の魔理沙はお互いの手を合わせ、口づけを交わす。
食い入るように見ているほかの女性陣。
その光景をせめて目に焼き付けようとする香霖の両目を霊夢がふさいだ。
いままさに唇を交わしたふたりの魔理沙。いまにも消えそうなほど消耗した状態で寄り添いあう2人の少女の姿が、まるで鏡あわせのようで、妙に艶かしい。
くちゅくちゅと、ちゅっちゅしあう二人。
パチュリーが言うにはこうすることで互いの意識を交感し、生命の源をすり合わせることで元通りの姿を取り戻すだけの簡単な作業ということらしいのだが。傍から見ていれば同じ姿の女の子同士がはしたない行為に及んでいるようにしか思えず、見ているギャラリー陣も皆一様に息を呑んでいる。
魔理沙が魔法実験に失敗した時のような、目映い光があたりに立ちのぼった。
二人の魔理沙の身体がぽうっと光って、やがてそれらは黒い塊と白い塊になった。
黒と白の互いの塊が互いを求め合うように交差しあって辺りを飛び交っている。、
ちゅどーん。と昔懐かしの擬音を鳴らしながら、周り一帯が大爆発を引き起こした。
「お? おっおっ?」
煙の中から出てきたのは、黒のみではない、白のみでもない。黒白のエプロンドレスに身を包んだ霧雨魔理沙の姿だった。
「元に戻ったのね。魔理沙」
「ふぅ。なんだか悪い夢を見ていたみたいだぜ」
あたり一帯にあった物がいろいろとすごい事になっていた。香霖堂の屋内でやっていたらと思うと、霖之助の顔に冷汗が垂れていた。
そこには照れ照れした白魔理沙の姿も、つんつんした黒魔理沙の姿ももうない。
いるのは一人の少女。黒白の魔法使い、霧雨魔理沙。
「わーい。黒魔理沙と白魔理沙が元通りになったー!」
「黒? 白? いったい何のことなんだぜ?」
魔理沙に真っ先に抱きついて離れないフランに、魔理沙はきょとんとしながら答える。
「まさかあんた、あれだけの騒ぎを起こしておいて、何も覚えてないって言うの?」
「覚えてるって、いったい何のことなんだぜ?」
まさか一連の騒動を引き起こした張本人が、いままでのことを何ひとつ覚えていないなんて。
一同から一様に溜め息が洩れる。
「?? まぁいいや。とにかく腹が減ってしまったんだぜ。おっ、ちょうどいいところに香霖が。おーい香霖、何でもいいから美味しいものをなにか食わせてくれよ」
「はいはい。僕の料理でよかったら、いくらでもご馳走してあげるよ」
……。
「霊夢。さっきは手加減抜きの弾幕ごっこにつきあってくれてありがとうな」
霊夢から言われた言葉。
暇なときはいつでもつきあったげる。不意に思い出し、魔理沙はどこかくすぐったくなる。
「また改めて勝負を申し込むぜ。そのときは改めて勝負してくれよ!」
魔理沙は手を差し出す。博麗霊夢という、魔理沙にとって最高の好敵手と握手するために。
そんな魔理沙を見て、むーと頬を膨らませるギャラリー陣。
「…………」
だが一向に霊夢からの返事がやってこない。
どうも様子がおかしい。
いつもの霊夢なら、「ちょ、なに言ってるのよ魔理沙。暇してるときだったら、暇つぶし程度にはつきあってあげるわよ」とか照れ混じりに言うものだと思っていたのだが。
土煙が晴れて、視界が鮮明になっていく。
「痛たた……やっぱり日ごろの行いが悪いせいで、私ばっかりこんな目に遭うのかしら……くすん」
「まったくもう、馬鹿じゃないの。もうちょっと考えてちゅっちゅしなさいよね!」
出てきたのは、それぞれ陰陽を表すかのような対極のカラー。
それぞれ臙脂色の巫女服と、濃紺色のそれに身を包んだ、2人の霊夢だった。
「「「……え?」」」
てか、白魔理沙可愛いよ白魔理沙
キツイことを言うようですが、なんか中途半端ですねぇ。ネタ出した時点で負けてるっつーか。魔理沙が二人に分かれたのは悪くないアイディアだと思いますけれど、黒魔理沙が結構アツイことを言ってるのに霊夢が結構余裕しゃくしゃくで勝ってるのがよくない。霊夢のセンスとかカンだけで黒魔理沙の努力や嫉妬心、渇望が軽くあしらわれてるかのような感じが決定的に良くないと思います。これじゃライバルとしての魔理沙が可哀相だし、ライバルものとしてもバトルものとしても不成立でしょう。魔理沙は何のためのライバルなんですか。何のために魔理沙は二人に分かれたんですか。
もっとギラギラしたものがあってもいいと思います。ガッツ、パワー、友情! 努力! 勝利! ある程度原作から遊離していようが、こういうネタならそういう泥臭さい霊夢と魔理沙の方が良かった。細かい書き方云々より、まずネタのつかみ方と料理の仕方、あとある種のキャラの存在意義みたいなものを意識したほうがいいと思います。
あと前半の霖之助らとの絡みはいらないと思う。魔理沙可愛いよ話にするにしても、ライバル・バトルものにするにしても、あらゆる意味でネタを絞ったほうが良かった。
物凄くキツイ上に僭越なことを言いました。何より創作論に踏み込むような微妙なネタですが、どうしても気になったので言及させていただきました。それでは。
アイディアは良いけど、ネタにまで昇華できてない印象
もっと時間かけてお話を作ってもらえたら、もっと楽しめた気がする