中庭に着陸した彼女にまず感じたのは、違和感であった。
「お、おぉ……久しぶり」
「久しぶりって言ったって、昨日の宴会で会ったじゃない」
「それも、そうだな」
明らかに様子がおかしい。私は掃除の手を止め、魔理沙の顔をまじまじと見た。
「な、なんだよ……」
ほおを赤く染める彼女は、いかにも乙女という感じである。しかし、最初に感じた違和感はそこではない。もっと外面的で、誰もが一目でわかるところである。
「ねえ、魔理沙」
「な、なんだ?」
「あんた、帽子は?」
霧雨魔理沙のアピールポイントでありチャームポイントでありアイデンティティー(これは流石に言いすぎかもしれないが)である、黒色のとんがり帽子が彼女の頭にないのだ。
「そ、それはだな……」
歯切れの悪い返事。これも違和感のひとつである。しばらく逡巡したあと、
「家に忘れたんだ」
と、取り繕うように言った。――あやしい。私はきっと目を細めた。
「家に忘れた?」
「……そうだぜ」
「あんな、大きくてすぐに目につくようなやつを?」
「そ、そうだ」
「異変解決のときさえも、忘れずにかぶっていたのに?」
「お、おう……」
どぎまぎとする魔理沙。これは絶対なにかあるな、と自信をもって訝しげる。
「本当に忘れたの?」と睨みながらきく。魔理沙は逃げるように視線をそらした。それでも私はじっと相手を見つめ続ける。
「そ、そう言えばさ!」
引きつった笑みとともに、いきなり声をあげる。なにかと思ったら、
「昨日は宴会があったよな!」
と、ちらちらと横目でこちらを窺いながらさも当然なことを言い始めた。呆れながら尋ねる。
「そうね。それがどうかしたの?」
「いやー、霊夢は昨日いろんなことを言ってたなー、と思ってさ」
そうだったのか。いかんせん、昨日は飲みすぎてしまい、後半部分の記憶がないのだ。今日の朝、起きたら居間のど真ん中で眠っていた。はてさて、私に布団をかけてくれた心優しき人物は誰だろう?
「そうなの? 酔ってて、全然おぼえてないのよ」
「えっ?」
この変わりようには驚いた。さっきまで乙女チックだった魔理沙が、急に表情をくらめたのだ。悲しそうな目で私を見てくる。
「おぼえて……ないのか?」
「そうなのよ。なにか失礼なことでも言ったかしら?」
「じゃあ……約束は?」
「約束?」
コクリとうなずく。どうやら、酔ったいきおいでなにか彼女と約束を交わしたらしい。約束約束――ダメだ。やっぱり思い出せない。
「ごめんなさい、おぼえてないわ」
「う、そ……」
さっとうつむいて、なにやらぶつくさと呟いている。「楽しみにしてたのに」とか、「準備もしてきたのに」などと。その様がちょっとこわい。
「……ねえ、大丈夫? 魔理沙――」
きっと魔理沙が私を睨んだ。目には涙がたまっており、怒りがひしひしと伝わってくる。威圧されて動けないでいると、彼女が大きく息を吸った。
「霊夢のバカーーーー!!」
幻想郷中に響いたのではないかと思うほど、その叫び声は大きかった。呆気に取られていると、魔理沙はほうきにまたがりそそくさと飛んで行ってしまった。
しばらくその場に立ちつくす。頭の処理が追いつかない。ただ、ずっと彼女のうしろ姿を眺めていた。どんどん小さくなって、終いにはすっかりと見えなくなってしまった。
「なんなのよ、もう……」
頭の整理が終わったころ、そう呟いてほうきをぞんざいに放った。
「もう、やる気しないわ」
家のなかに入り、お茶とおせんべいをお盆に乗せる。それをもって縁側へと座り、さっそくお茶を一口すすった。
「そりゃ、約束忘れた私も悪いわよ」
おせんべいをバリバリを食べる。カスがいっぱい服に落ちたが気にしない。
「でも、なにもあんなに怒ることないじゃない」
バリバリバリバリ。おせんべい一枚を食べきると、お茶をあおった。そこでふうっと深いため息を吐く。
知ってる。今回は自分が完璧に悪いことぐらい。でもわかんないことだらけのうちに怒られて、こちらも動揺しているのだ。昨日私はなにを約束したのだろう? だしぬけにさっきの魔理沙の怒った顔が頭に浮かんだ。たしかあいつ、泣いてたな。ということはきっと大事な約束だったに違いない。なんて言って謝ろうか。どうやって約束を果たそうか。どうしよう……
「おーい、聞こえてますか?」
その声にハッと我に返る。前を向くと、いつの間にかアリスが立っていた。手にはなにか包みがある。
「大丈夫? 声をかけても返事してくれないから死んじゃったのかと思ったわ」
「勝手に殺すな」とすかさず返すと、彼女は小さく笑った。そして私の隣に座り、包みを開けながら不思議そうな顔で尋ねてきた。「考え事?」
「まあね。ちょっと困ってて」
「ふーん。とりあえず、クッキーでもどうぞ」
包みから出てきたのは見た目もおいしそうなクッキーたちであった。どうりで甘いにおいがすると思った。
「悪いわね」 そう言ってひとつ手に取りかじる。ふむ、やはりおいしい。甘すぎない彼女のクッキーが、私は大好きであった。
「それで今日の用事は?」
「ただ遊びに来ただけよ」
「そう」
クッキー一枚をぺろりと平らげ、お茶を飲んだ。残念。やっぱり緑茶とは合わなかったか。二枚目を手に取る。
「そうだ。来るとき魔理沙とすれ違ったわ。珍しく帽子かぶってなかったわね」
あーんと口を開けたまま固まる。まさか今あいつの名前をきくとは思わなかった。
「話しかけたら無視されちゃったんだけど、方向的にここに来たんでしょ?」
にやにやと笑うアリス。気味が悪い。
「ちゃんと約束は守ったんでしょうね」
「うっ」
約束……。またこの言葉か。しかも彼女も知ってるときたもんだ。いったい、昨日なにがあったのだろう。
「どうだった? 相手の反応は?」
「ね、ねえアリス?」
「なにかしら?」
「じ、実はね……」
しょうがない。正直に言うしかないだろう。ほおをゆっくりとかいた。「私、約束おぼえてないのよ」
「えっ!?」
魔理沙とまったく同じリアクションである。頓狂な声をあげた。
「うそ!? あなた、昨日みんなの前で豪語したのよ?」
「それが、酔ってたみたいで……」
「罪な女ね、あなたって」
アリスがおよよと泣き真似をする。そのしぐさに少し煩わしさは感じたが、言い返すことはできなかった。
「どういう話の流れかはわからないけど、みんなが囃し立ててさ、そしたらあなたが『なら明日してやるよ』って大口切ったのよ」
「そ、そう」
「あの子、楽しみしてたわよ?」
「みたいね」 それは今日、本人も言っていた。
「私の家に来ると、魔理沙、まずあなたとののろけ話しかしないのよ? あなたたち、恋人同士なんでしょ?」
そういえばそうだったな、と今さらながらに思い出す。お互いに勘違いはあったものの、この前二人で告白したのだった。それがよけいに罪悪感を重くする。
「なら、約束ひとつでも守ってあげないと――」
「わかってる!」
こっちも好きで忘れたわけじゃないのだ。やけになりながら相手の話をさえぎる。
「とにかく! その約束やらを教えてちょうだい! 今すぐ実行してくるわ!」
「どうしようかなあ。教えようかなあ」
強めに彼女の頭を小突く。
「いたい! ……わかったわよ。言えばいいんでしょ」
叩かれたところをおさえながら涙目で言う。わかればいいのだ。
「でも教えるんだから、ちゃんと実行しなさいよ? わかった?」
「ええ」
こほんと彼女が咳払いする。なぜだかこちらも緊張してきた。姿勢を正す。
「約束っていうのは……」
「いうのは……?」
ごくりと唾を飲む。アリスがゆっくりと口を開いた。
「あなたが――」
「ハロー? お元気?」
気の抜けたあいさつが、この場の雰囲気をぶち壊した。そんな真似できるのはひとりしかいない。
「あら、アリスもいたの?」
「……なんの用かしら、紫?」
ぶっきらぼうに言い放ち、横を見る。そこには案の定、スキマから身を乗り出した紫がいた。まったく、空気の読めない奴である。
「じゃあ、私はここらで失礼するわ」
するとアリスがすくっと立ちあがった。
「ま、待ってよ。まだ話は終わってないでしょ?」
「なんだか興が削がれたわ」
なんだその理由。じゃあ私はどうすれば……
「ああ、心配しなくて大丈夫よ。紫も知ってるから、彼女に聞けば教えてくれるわ。正直な話、恥ずかしくて私はあんまり言いたくなかったのよ」
いたずらっ子ぽく笑い、ウィンクを飛ばす。無駄に可愛らしくてイラっとした。
「じゃあね。クッキーは全部食べちゃってかまわないから」
そう言い残し、彼女は去ってしまった。あとに残されたのは、釈然としない私と、
「このクッキー、おいしいわね」
のんきなスキマ妖怪である。口に詰め込みすぎてリスみたいになっている。はぁ、と盛大なため息をついた。
「ねえ、紫」
「どうしたの?」
顔はこちらに向けているのに、クッキーを食べるのをやめない。とても心配になってきた。
「昨日、私みんなに約束したじゃない?」
「したわね」
「その内容、教えてくんない?」
「忘れちゃったの?」
あらまと目を丸くする。「酔ってて、記憶がないの」と言うと、それはそれはと目を瞬かせる。
「罪な女ね、あなた」
こいつも言うのか。うふふと笑う彼女を見て、いやな気持ちになる。
「今さらだけど、どうしてあなた、あんなこと言ったのかしらね?」
「アリスが言うには、みんなから囃し立てられたとか」
「そうだっけ? 私の記憶が正しいと、最初に言い出したのはあなたよ?」
そうなのか、と適当にうなずく。早く教えてほしい。
「それで約束っていうのはね――」
きた! なんと言うのだろうと身構えていると、紫がゆっくりと手を伸ばした。それがこちらにやってきて……
「こういうことよ」
私の頭に乗せられた。ただ乗せたわけじゃない。乗せた手を左右に動かしている。これの名前は知っている。
「もしかして約束って、頭をなでること?」
「そうよ」
体の力が一気に抜けた。まさか、これがしてほしいがために神社に来たのか?
「宴会のときはびっくりしたわ。いきなりあなたが『明日、魔理沙の頭をわしゃわしゃなでてやる!』て布告するのだもの。最初意味がわからなかったみんなも、酔ってたせいで盛り上がっちゃって。まったく、あなたも変わったことを言うのね」
今回の件で学んだことがひとつある。飲みすぎには注意しよう、ということだ。どうしてそんなことを言ってしまったのだろう。皆目見当もつかない。アルコールの力って大きいな。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
紫が手を離し、バイバイと手を振る。
「行ってらっしゃい、てどういこと?」
「決まってるじゃない」
にやにやと笑う。どっかで見たことある気味の悪い顔だ。「魔理沙をなでに行くの」
「い、いやよ! だって、だってあいつは別に――」
「約束破るんだ。忘れて破って、あなたって極悪非道ね」
およよと泣き真似をする。これも一回見たことある。
「いいわ! 行ってくればいいんでしょう!」
私も単純だなと思う。縁側からおりて、紫を睨みつけた。
「頑張ってね」
うれしそうな笑顔をしていた。どこまでも癪に触るやつである。
「じゃあ、私はそろそろ帰るわね」
のんきな登場を果たした彼女は、のんきな退場もするらしい。そういえば、もうひとつ疑問があったのを思い出した。まあ、本人にきけば教えてくれるだろう。
「あと、どうでもいいんだけどね」
彼女の声が背後からきこえた。
「なに?」
「あなたの頭、リボンがあってなでづらいわ。それに頭になにもないほうが、なでられたとき気持ちがいいのよ?」
紫のなにげない言葉で、最後の疑問は氷解したのであった。
あいつが悪い。ノックしても返事をしないあいつが悪い。ということで勝手にあがりこむことにした。
玄関を開けると、まず散らかった廊下が目に飛び込んだ。なかなかにひどい有様である。
顔をしかめていると、二階から物音がした。たしか、あいつの自室は二階だったな。
階段を見つけ、足音立てないようにのぼる。ドクンドクン。自分の鼓動がうるさかった。
二階には部屋が一個しかなかった。ドアが半開きになっている。息を殺して、そこから覗き込む。これではまるで泥棒だなと私は微苦笑した。
なかはそんなに広くなく、意外にも片付いていた。ただ一階と比べたらの話なので、私からしてみれば十分に散らかっている。
ベッドの上に大きな毛布の塊があった。もぞもぞと動いている。――あれだ。鼻をすする音がきこえた。
「霊夢のバカ……」
呟きがきこえた。想像以上に可愛くてしてしばらく見ていたかったが、本題を思い出し惜しみながらも声をかけた。
「バカで悪かったわね」
塊から頭がもふっと出た。驚き顔の魔理沙がこちらを見ている。
「ど、どうしてここに?」
返事はあえてしなかった。部屋のなかに入り、彼女の前に来る。魔理沙は拗ねた表情でそっぽを向いた。
「か、帰れよ。お前の顔なんて見たくない」
「用事が済んだらね」
ドクンドクンとさっきよりも心臓が大きくなる。相手にきこえてないかと心配になるほどだ。
手を伸ばし、彼女の頭をなでる。わしゃわしゃ。存外、触り心地がよかった。顔を真っ赤にした彼女はうつむいてしまった。ときおり、「あー」だの「うーだ」のときこえる。
「約束忘れて、ごめんね」
「……うるさい」
「でも、なでてもらえなかったからって泣くことはないでしょ」
「う、うるさい!」
上目づかいでこちらを睨む。こわいどころか、可愛さが増しているだけであった。
私も気が済むまでなでると、手をすっと離した。ちょっと残念そうな顔をした魔理沙だが、またぷいっと拗ねた表情をした。
「さてと。私はもう帰るわ」
「……勝手にしろ」
「頭なでてほしかったら、いつでもお願いしていいからね」
「だ、誰が頼むかよ! こっちから願い下げだ!」
あらそう、とくすくす笑う。そして部屋の出口へと進む。
「あ、そうだ」
くるりと振り向く。こちらを見ていたようで、彼女と目が合ったが相手がすかさず目をそらした。
「あなたの頭なんだけどね」
「……なんだよ」
「とんがり帽子がなくてなでやすかったわ」
皮肉めいた口調で言う。ボンと湯気を立てた彼女は布団に頭までくるまってしまった。
「じゃあ、また今度」
そう告げて、私は階段をおりた。
ベッドをどんどん叩く音がきこえた。続けて、悔しそうな声がきこえた。私はこらえきれず笑ってしまった。
>無駄に可愛らしくてイラっととした。
↑「と」が重なっちゃってます
それと、誤字指摘もありがとうございます!
ただ申し訳ないのですが、諸事情により現在は作品の訂正ができない状況にあります。なので後日、必ずや指摘していただいたところは訂正するので、今はお許しください。
でも、帽子ない魔理沙もイメージし辛い…