Coolier - 新生・東方創想話

チョコキッスは鉄の味

2011/02/14 00:56:41
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 『さて、私の日記帳も13冊目です(忌み数です)。恒例ではありますが、冒頭にはいつものことを書きたいと思います。

 それは私が日記を書き記し続ける理由です。

 私が日記を綴る理由は、将来誰かがこの日記に触れ私自身の半生に的外れな同情をしたり、そこに文学的や歴史的な価値を見出すためでもありません。誰のためでもない自分のためという極めて利己的な理由なのです。

 唐突な話運びかもしれませんが、私は常日頃から人の記憶というものは、ありきたりな比喩で申し訳ありませんが掌で掬い上げた水のようだと思っています。その一瞬では掌いっぱいに満たされていたとしても経過とともに滴り零れ、次第に『水を掬い上げた』という結果しか残りません。掌のどこまで水が満たされていたのか、水は何色でどのような光沢をしていたのか、どの指とどの指から漏れ出る量が多かったのか……などの詳細な記憶は残りません。いつしかその記憶の差異が重大な欠陥になるのではないのかと恐れています。そのため、私はその時感じたことを出来るだけ、詳細に記そうと思います。それが遠くて近い未来に必ず何かの鍵になると信じています(しかし今まで鍵になったことが一度もないのが悩みの種でもあります)。

 例えば、先日(日記で言えば一冊ほど前です)『永夜異変』という『異変』を私達は解決しました。しかし、月日が流れるとともに人々は、時に当事者ですら『永夜異変』という事件あったことは覚えていても、当時どのような行動を起こしたのか、それすらも曖昧になってしまいます。もちろん、覚えていることは覚えているでしょう。ああ、蓬来山輝夜と対峙したり、肝試しをしたんだ――と。しかし誰がどのような言動をしたか、月の満ち欠けはどうだったのか、その時匂いはどうだったのか……それを語れる者は少ないでしょう。光陰矢のごとく流れる刻の前では、思い出すらも掠め取られてしまうのですから無理もありませんし別にそれを悪いことだと言っているわけではありません。例として当事者である私でさえも、もう既に記憶が曖昧模糊なのですから。ところが日記帳を読み返せば詳細に記してあります(結果として七十項程になってしまいましたが)。しかしそのような思い出語りが日記の本質であると思っています。

 さて、前置き長くなってしまいましたが、日記序盤には記さなければいけないことがまだまだたくさんあります。私の半生についても書かないといけません。これはその時、つまり今現在覚えていることを記しておきます。もちろん過去のものを読み返せば、簡単で流麗、しかも推敲された文章で書けるかもしれません。だけどそれではどこかどのように抜け落ちているかの証明になりません。なので私は、今の時点で覚えていることを書いていきます。記憶の欠落による差異を畏れながらも読み返すときの一興になると思ってます。

 私はUnited Kingdomの首都Londonという街に『Elyce』という名前を授けられ生まれました。物心ついたとき父はいませんでしたし、母の口から父の話題が出たことはなかったと思います。母は所謂売春婦というやつでしたが、まぁそれはいいでしょう。私の日記に他者の人生までをも語る必要はありません。

 家は借家でした。断片的な叙述で申し訳ありませんが、赤い屋根と赤い煉瓦、火が灯ることのない暖炉、建付の悪い食器棚、それに濁った硝子ぐらいしか覚えていません。今思い返してみると、鼠を油で調理して食べたりと……貧しいを通り越して、よく死ななかったなぁという思いで一杯です。

 私は7歳の時にMiskatonic大学へ入学しました。学費やらいろいろな費用は全部大学が払ってくれるというので、私は母に勧められ入学したのです。後に母は再婚の際に私が邪魔になったというのを聞いたことがあります(本当か嘘かは分かりません)。

 理由はどうあれ私は、そこで魔法使いに成るための勉強をしていました。私を招いたShinkiさん(神綺という漢字をあてるそうです)は私を「Roller
Nadelmanの再来」として喜んでくれました。生まれて初めて褒められた。そのことが凄く嬉しくて、彼女の期待に答えるべく一心不乱に勉学に勤しみました。彼女は私を実の娘のように―――否、それ以上によく愛情を注いでくれていたと思います。其処で過ごした六年間はとても充実していましたが、今と違い日記を記す習慣は無かったため、楽しかったという思い出しかないことが残念でなりません。

 少々脱線しますが、私と博麗霊夢の出会いはこの時でした。丁度私の9歳の誕生日のことです。彼女らは私たちが住む町を『魔界』と銘打ち、侵略をしてきたのです。そこに建設的な話し合いなど皆無でした。当時とある学部で成績が良かった私も駆りだされましたがあまり役には立てなかったことが、Shinkiさんに申し訳ないと思ったことを覚えています。私の記憶力ではこの程度の回想が精一杯です。どのように収集が付いたのか覚えていません。それから暫くして、Shinkiさんは無名都市に探索に行きました。おそらくは今も調査中なのでしょう。勝手ながら無事をお祈りしております(借りた本もまだ返していませんし)。

 それから卒業して魔法使いになりました。それは私が18の時でした。早速母に報告しようと私は故郷に戻りました。その時のことは鮮明に覚えています。石炭やらの不純物混じりの濃霧、石畳の道路も煉瓦造りの家々も……全てが懐かしいと感じました。ところが唯一違うところは、私の家がないことでした。近所の人が言うことには、私が在学中に大きな魔女狩りがあったとかで、私をMiskatonic大学に入学させたことが決め手となり火刑になってしまったようです。母の行方は知り得ることが出来ませんでしたし、血眼になって探さなければならないという欲求には駆り立てられませんでした。というのも、拍車をかけていたのが『私が魔法使いになった』ということです。魔法使いというのは食べたり寝たりしなくても、平気なのです。ですから、多くの人々が抱える金銭的な悩みは私を縛る鎖には到底成り得なかったのです。

 ところが魔法使いというものは肉体的な欲求の柵(しがらみ)からは解放されるのですが精神的な欲求は満たされませんでした。ふと童話の魔女が悪と定義付けられているのは、彼女らもまた唯心的な欲からは逃げられないからなのかもしれないと今になってみるとひしひしと感じます。彼女らもきっと満たされないのでしょう。かといって私が憐れむ必要はないぐらいのヒールです。

 閑話休題ですが、もちろん私もその例外ではありません。いくら世俗的な欲求から解き放たれようとも、心は常に虚しさと寂しさで押しつぶされそうでした。
 人間と魔法使いは形は同じでも心の種が違うから仕方のないことかもしれないな、などと既に思い始めていたことでしょう。
 ソコから幾十年か、人間と会話した記憶がありません。満たされない私は放浪しました。

 そして私は日本という極東の小さい島に居ました。何故か分かりません。飛行機に乗ったのか。それとも船に乗ったのか、それすらも思い出せません。覚えているのは『とりい』と呼ばれる赤い門と、碧くて気持ちの悪い竹林でした。蝉の音もひどく不愉快でしたし、東洋人が私を見る目も気に入りませんでした。

 どう迷ったのか、気づけば森の中でした。そこで私は宵闇に灯る光を見ました。それは家と店を兼ねているような奇妙な形の建物でした。片方から見ると階段がついていてアパートの二階だけあるみたいな奇妙なログハウスなのですが、反対側から見ると硝子張りのショーウィンドウが目立つ有り触れた洋服屋さんにも見えるのです。
 そのお店側に近寄ると硝子のショーウィンドウからいくつも人形が飾られていました
そのウチの一つに私は釘付けになってしまいました。その子は未完成でした。がらんどうのアイホール。その眼窩には空虚しかありませんでした。私はしげしげとそれを見つめ続けたと思います。人の形をしているのに魂がない彼女らになんらかの親近感を抱いたのです。

 そうこうしているうちに、扉から一人の老女が出てきました。黒いフードにしわだらけの顔は子供の時によんだ『ヘンゼルとグレーテル』の挿絵に出てきた魔女にそっくりでびっくりしました。

 彼女こそ、私の師匠である『Alice』です。私は彼女に拾われたという表現が正しいのかどうかはわかりませんが、そこに住まわせてもらうことになりました。彼女も魔法使いでした。どうやら、世界大戦の開戦とともに隠居をし始めたようです。彼女は既婚者でしたが、夫と思われる人物の写真はありませんでした。やるべきことは特にありませんでしたので人形の作り方を学ばせて頂きました。手先が器用だと自負していたため、簡単でした。そうこうしているうちに、御師匠様も亡くなってしまい、私は悲しみました。このとき、嗚呼私にも涙があるのだと少しだけ嬉しくなりました
 私は主失いし工房を継ぎ、名前も『Elyce』から『Alice』へと変えました。

 それからの事は平和な日々なのでさしたる異変はありませんでした。もしかしたらこのまま何もないまま私は死んでしまうのかも知れません。それもまたいいのかもしれないと最近では思い始めています。

 ようやく、今日のことが書けます。これを書いている今、既に夜の10時を回っており空には澱んだ雲がぽっかりと漂っています。




 11/2/99

 いつものように目覚まし人形のNemuriに起こされると、今日やるべきことを思い起こしました。今日は朝から霧雨でした。やけに寝ぐせがつくと思って窓から外を見ると霧雨だったのです。

 そのあと、Nicueに作らせたご飯を食べました。食べなくても平気なのですが、気分的な問題です。

 こんがり焼け目のついたトーストにスクランブルエッグとベーコン、それにサラダ。飲み物はココアです。いつもながら味気ない食事でした。少し残しました。人が作ったものを残すというのは躊躇われますが、人形相手だとこうも簡単に放り出せることに苦笑ものです。

 それから雨傘を広げ、私は家を出発しました。2月と霧雨というコンビには妖怪の私も流石に身を震わせました。濡れた土の匂いがみょうにこそばゆくて、滴り落ちる雫の一滴が芳醇に香ります。

 ですが今日中にMarryの作製をキリのいいところまで終わらせたかったので、しぶしぶと街に繰り出したのです。

 街は、Nostradamusの予言によって滅びるという話題で持ちきりでした。今年の夏に世界が滅びるなんて馬鹿馬鹿しいことを有象無象達は鵜呑みにしてしまうんですね。

 私は贔屓にしている人形屋さんに足を運びました。そこで私は思いも寄らない人物と遭遇しました。寺子屋で教員をしている上白沢慧音です。彼女も人形に興味があるのかと私は聞きました。すると彼女は家庭訪問に来ただけと告げました。私はがっかりとしたようなほっとしたような複雑な気分になりました。

 慧音が店を出るまで私は外の様子をぼんやりと眺めました。白い濃霧がうっすらと滲んで、故郷のLondonを思い出しました。やっぱりLondonの霧の方が好きです。綺麗じゃなくても、私は好きです。

 しばらくすると慧音が帰ったので、私は予め注文していた品を受け取ると幾らかのお金を置いて店を出ました。傘をさし歩き始めると泥が飛び散ります。地面が泥濘んでいて黒いローファーが茶色く汚れてしまいました。

 家に帰るとまたしても人と出会いました。正確には訪ねてきた、なのですが……。
 それは霧雨魔理沙と見知らぬ齢7ほどの少女でした。深紅のドレスが似合う、砂金のようにさらりとした髪に整った凛とした顔立ちは人形のようだと思いました。

 魔理沙がいうには、今日一日だけこの子の面倒を見て欲しいということでした。私はしぶしぶと了承しました。

 私は彼女に「あまり部屋の物を触らないで」と告げ、工房に篭もりました。嗚呼、あの時どうして「絶対」という言葉を使わなかったのか不思議でなりません。

 硝子の砕ける音が耳朶を震わせたので、嫌な予感がしました。そして見事的中しました。つい先日完成したばかりのBellとRinが粉々になっていたのです。四肢が、頭が破砕している彼らを見たときはその場で卒倒するかと思いました。私は彼女に、なぜこんなことをしたの、と問い詰めました(若干ヒステリックになっていたと思います。反省はしません)。

 彼女は嬉々として「食べやすくした」と褒めてほしそうな表情を覗かせました。

 その時、私は彼女に怯えや恐怖――言うなれば畏怖という感情を抱かざるを得ませんでした。これはShinkiさんに抱いた感情と似ているような気がします。子供の純粋無垢ゆえの無謬さは、時として残酷極まりない言動をするのです。彼女の純真さ故に私は自分の正義を伝えることができません。なので『とにかく壊さないで』と私は彼女の約束させるしか出来ませんでした。

 それから工房に篭るのは怖くて躊躇われたため、仕方無しに彼女と戯れることを選択しました。

 絵本を読んであげました。私のお気に入りの『ヘンゼルとグレーテル』です。物語の中盤ほど、ヘンゼルとグレーテルが魔女の家にお邪魔するあたりで、寝息が聞こえてきました。寝たのかと、私は安堵して私は彼女をベッドに寝かせて再び工房に篭もりました。

 下地塗りが終わったところで、背後からドアの開く音が聞こえました。少女です。せめてノックぐらいはして欲しいもので、遠慮とかいうものを知らない子供は嫌いです。しかし彼女が空腹を訴えるので、私は今朝の残り物を与えることをせず、Nicueに命令してご飯を作らせることにしました。彼女は西洋生まれだと勝手に思ったので、シチューなどでいいだろうと思いました。しかし材料がありませんでした。なので妥協してコンソメスープとパンを与えました。彼女はまた笑って食べてくれました。その様子は歳相応の少女でした。

 今も私のベッドを占領して宛ら天使のように眠っています。さて、私はどうしようかなと思案にくれているところです。何だかんだで私も甘いモノです。




 12/2/99

 約束通り魔理沙は少女を引き取りに来ました。上空には燦燦と輝く太陽がありました。よって晴れた朝なのだと知ることができました。

 少女は私に昨日のことを詫びました。私は笑って赦しました。少女もきっと根は悪い子ではないのでしょう。思い込み、私はまたね、と手を振り彼女らと別れました。

 それから私は工房にヤドカリして、ようやく人形を完成させました。工房には窓がありませんが、作り終わってから部屋に戻ってみれば窓から炎の様な朱色が冴え渡っています。

 なんということでしょうか。今日は一日中作っていたらしいのです。楽しい時間は加速するという相対性理論を肌で感じた瞬間でした。そして早速出来上がった人形を部屋の硝子箱に飾りました。

 名前は『Marry』というとても可愛い子です。しかし作製過程で何かあったのか、ちょっとだけ勝気な人形になってしまいましたが、個性としてみれば無問題です。それ以上に愛くるしい顔が私を癒してくれるのですから。さて、ちょっと遅めのパンとシチューという味気ない夕ごはんを食べました。なんとなく疲れが取れるような気がしました。さて、おやすみなさい。




 13/2/99

 珍しく寝過ごしました。起きると既にお天道様は軌道の頂上です。やっちゃいました。倦怠感溢れる体を起こし、カレンダーで明日の日付を確認しました。

 明日はバレンタインデーです。

 そうです、聖ウァレンティヌスの殉教の日ですね。私はそういう事には結構うるさいのですが……それはそれ、これはこれと割り切ります。日本のバレンタインの特徴は分かっています。しかしまぁ、好きな人にチョコレートを贈与するという点ではいいのでしょう。現に私はいろいろな意味で凄く助かっていますし。

 というわけで、私は材料を買いに人里に降りました。鬱蒼と生い茂る森林に漂う冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むととても心地がよかったです。森の香りも改めて嗅いでみると不思議でいっぱいです。

 子供みたいに薄氷の張った土を砕きながら獣道を闊歩します。ぱきりぱきりという音色がひどく心地良かったです。途中カタツムリさんを踏んづけてしまいました。外はサクサク中はふんわりを地で行く生物は動かなくなってしまいました、ごめんなさいと心の中で謝り道を急ぎました。

 人里はいつもよりも少しだけ姦しいような気がしました。自分の両足が勝手に通い慣れた道を進みます。馴染みの洋菓子店がいつものようにキャンペーンをしていました。私はブロックチョコレートとデコレーション用の飾り菓子をひと通り買い込み、再び家に戻りました。

 家に帰るなり上着を放り出し、早速キッチンに立ちました。手に馴染んだ包丁を取り出し、ブロックチョコレートを切り刻みます。作っている最中に思い浮かべるのは愛する人ではなかったことに少しだけ自己嫌悪しましたし、今でもしてます。結局自分は、愛したいのではなく愛されたいだけなのだと。真理に辿り着いたときには既にドロドロの無形のチョコレートはハートを作り上げていました。

 調子に乗ってマジパンで魔理沙人形を作ったりしてみましたが、どうでしょうか。我ながら似ているなぁと自画自賛してみます。褒めてもらえるかなぁとちょっとだけ不安です。

 魔理沙はホワイトチョコレートの方が好きなので、今回は純白の欠片です。いちごを散らせていますので、包帯から溢れ出る血みたいなトッピングですが、愛の結晶なので大丈夫です。不気味じゃありません。結構苦労しました。表面には彼女の名前を黒いチョコレートで書きました。

 さて、綺麗に箱に詰めてラッピングしました。明日が楽しみです。今日は寝れるかなぁなんて思ったりしてます』


 そこで日記は終わっていた。

 なるほど。私は日記と目を閉じた。今知り得た事を整理するために真黒に身を委ねる。

 どうやら私はアリス・マーガトロイドか霧雨魔理沙という名前らしい。らしいというのは不確定だからに他ならない。

 発端は今から三時間ほど前に遡る。

 寝ていた私が羽布団の棺から起き上がると奇妙な感覚に囚われた。まずは起き上がることが出来なかった。手足が鉛のように重いのだ。
 やっとこさ体を起こすと上半身だけが寒風に晒されて心が氷のように固まる。まるで空に漂う雲はこんな感じなのだろうとありもしない空想に呆ける始末だ。しばらく動かなかった、動けなかった。

 まずはここはどこだろうか、と疑問を抱いた。知らないベッドや見たこともない本棚、それに整頓されたキッチン。一体ここはどこだろうか……手枷や足枷が付いていないことから別に監禁されてはいないようだけど。ついで私は何者なのだ、というある種の畏怖が私の五感を支配し統べ始めていた。

 「誰かいませんか」

 ありったけの勇気を出して声を絞り出してみたが、答えは静寂だった。強盗でも強姦魔でもいいから誰か人に会いたかった。そうすれば少しでも安心できるような、そんな気がした。静けさ独特の音色が耳鳴りみたい。その音がやけに五月蝿くてますます焦ってしまう。無知がこれほどまでに恐怖だと、一体誰が知っているのだろうか? 

 ――息が荒い。喉の奥で百足が喚くみたいにひゅるるとした息が漏れる。声を出して、偽善の悦楽に身を委ねろと百足が囁く。パンを踏みつけた少女が深淵へと堕ちて逝くように、刹那で地獄逝きだ。そんな不愉快な声は鏖殺した。

 不安で胸を押しつぶされそうになりながらも私は部屋を観察してみることで踏みとどまった。

 ここは木造の小さなワンルームだ。血を垂らしたようなカーペットが床を覆っているが、満遍なく埃が溜まっている。赤みを帯びた温かみある壁が囲っている。ついでに壁にかかった日めくりカレンダーは「14」を大きく描かれていた。どうやら今日は14日らしい。

 そして窓が二つある。ベッドの枕側と、本棚の横にそれぞれ配置してあった。これもまた木の枠で透明ガラスを囲っていた。硝子からは鈍色の光が覗いていた。

 またベッドのすぐ脇には鉄製の扉がある。そこにだけプレートが掛かっており「Doll
Studio」と焦痕がついている。直訳で「人形工房」だ。

 続いて本棚の前に立った。人形関連の本と、自身の日記が大半でありソレ以外の書籍は、せいぜいピアノの楽譜集ぐらいだろう。とりあえず日記を立ち読みすることにした。
 時間軸は現在に戻り、新たな知識を得ることが出来た。しかし、何処か魚の骨が肺を満たすような感覚が私を懊悩させるのだ。肺胞が意義をポツポツと訴えている。
 私の名前の候補がアリス・マーガトロイドと霧雨魔理沙と見つけることが出来たし、アリスにいたっては半生も知ることが出来たが……どこか腑に落ちないのだ。かき乱される精神に流されずに私は姿見の前にたった。

「――――――」
 そこには純白の寝間着を纏う一人の白蝋めいた肌を持つ女が立っていた。砂金をまぶしたような鮮やかな髪が肩まで伸びていて、ところどころ寝ぐせがついている。加えて、私から見て右目が黄土色で左が碧色のオッドアイだったことが印象深い。自分の顔なのに、どこか作り物めいている。

 私はこういう顔をしているのか。少しだけ頬を撫でてみると、確かな感触があったことに安堵する。

 続いて写真を見て確認しようと思い再び本棚を漁った。ここがアリス・マーガトロイドの部屋であるならば、記録するのが趣味な彼女のことだ。きっと写真が数枚はあるだろう。

「これかな」

 当たりをつけ『Photo diary』と背表紙に記された一冊の本を抜き取り開いた。そこには先ほど鏡で観察した少女と、もう一人の女性とのツーショット写真が殆どだった。女性はウェーブ掛かった髪に黒い子供用のドレスを着ていた。どの写真でも快活そうな笑顔を顔に貼り付けていた。

 ひとつの写真に張られたメモに書かれた『永夜異変with魔理沙』などから察するに、ウェーブ掛かった髪の彼女が『霧雨魔理沙』という名前なのだろう。確かに、もう一人の女性は今の私に似ているような気がする。だが結婚指輪を親指に嵌めている人を見たときのような違和感が脳裏を掠める。まぁしばらくすれば忘れるだろうと楽観することにした。

 ともかくだ。

 私がアリス・マーガトロイドという事は間違いなさそうだ。何も自分の名前を丁寧に記すナルシストはいないだろうと勝手に解釈した。

 他には特に収穫は無かった……というのも私と霧雨魔理沙以外の少女の写真はソコには収められていなかったのだ。名前が分かっただけでも大漁なのかな。

 どうしようかと思案に暮れる私を誂うように、外では鳥が清涼に歌い始める。其の声色が何処か懐かしい。ずっと昔に聞いていたような。

 「…………痛っ」

 右目に激痛が趨る。どうやらゴミが入ってしまったらしかった。涙でゴミを洗い流「ハ……?」

 手で拭った涙は真っ赤で鉄の匂いがした。アルカリ性でもなさそうだし……どう好意的に解釈しても涙ではない。瞼を切ってしまったのか、それとも――。

 私は何に怯えているのだろう。うぅぅぅううう。夢遊病者の様な足取りで、部屋の出口を求める。伝う足取りは風の前の塵芥のように不安定だ。

 ―――外に出る。

 もしかしたら鍵が掛かっているかもという不安要素もあったのだが、難なく扉は開いたことが不安を煽る。木製の階段をゆっくりと手すりにつかまりながら芝生に降りた。そこで始めて顔に水滴が触れた。雨粒よりも細かい粒……霧雨だ。奇しくも日記と同じような天候だ。

 か細い日の光が森を照らす。森の主成分はモミの木が大半だろう。菌の碧や翠といった毒々しい胞子が舞い上がるという素敵な演出をしてくれるおかげで神秘性を帯びている。蛍と見紛う細菌を目で追うと、それは空気にぶつかりこびり付いた。否、空気ではない。硝子だ。

 ショーウィンドウに目が止まった。硝子箱の中で祀られる二人の人形が立っていた。一人は蜂蜜色の髪を持つ深紅のドレスを纏った子供の人形――何故か隻眼でアイホールは空洞だった。無邪気な顔をしているが、瞳が光を宿していないため嫌でも不気味な想像をしてしまう。もう一人は綺麗な白蝋めいた肌が妖艶な西洋風の顔立ちの少女、こちらは白いドレスを身に付けていた。扇情的というか艶めかしいというか……誉めるとしたら色香がある、という表現が適切だろう。どちらもネームプレートは「Alice」だが、推理するに隻眼の人形は先代の「Alice」が、もう一つが『私』が作ったものだろう。

 どちらもまるで生きている人間を殺したように生気を感じることが出来ない。これを芸術というのだろうか……今の私には理解出来ない。 

 ゆっくりと歩き始める。ぬかるんだ地面が靴を噛み、何かに寄りかかっていないとまっすぐに歩けない自分が情けない。

 しかし私の意思とは無関係に足は勝手に動いてくれる。通い慣れた道を辿るように迷うこと無く進む。幾重にも折り重なる木々の隙間を裁縫針の如くだ。

 霧雨が酷く心地良い。上唇を濡らす酸性は同時に私の髪を潤し暴れさせていく。周囲の目は気にせずに、赤土混じりの人里を放浪した。じめりとした湿度とは反比例し、人々はNostradamusの予言の話をしていた……。

「これってどこかで見たことあるわね」

 こういう感覚をデジャブとでもいうのだろう。ふと向こう側に白銀の髪を靡かせている女性を見つけた。

 瞬間、シャボン玉の世界が変わった。


 私は堪らず声をかけた。

「慧音先生」

「あら、魔理沙じゃない。久しぶりだな」

「ええ、先生こそお久しぶりです……どうですか? 寺子屋の様子は」

「そうだなぁ今年は特に騒がしい子供たちがいっぱいだ……いやこういう言い方をすると語弊が生まれる。賑やかで楽しいさ」

「そうですか。それはよかった」

「キミも早く戻ってきたらどうだ。ラベンダーで記憶改竄の実験なんてやってる場合じゃないだろう? 上級生は魔理沙先生に会いたがっているぞ」

「まぁまだいろいろありまして」

「そうか……気が向いたらいつでも来てくれ。魔理沙先生の理系科目への理解は特筆すべきものがあるから……恥ずかしい話正直私は数字にはめっぽう弱くてね」

「ははは……まぁ実験が終わったらそのうちに顔をだしますよ」

「分かった。ところでその実験とやらは重要なのか?」

「今まで人の記憶を変えられた人がいないなら私が第一人者だから。やめるわけにはいかないわ」

「そうか、それを聞いて安心したよ。ではまたな―――そういえば髪型変えたんだな。うん似合ってるよ」

「……どうも」

「ところで…死体はうまく隠せた?」
 足早に過ぎる彼女を見送った。


 気がついたら私は家に戻っていた。気のせいか息が荒くてゼェゼェという自分の呼吸音が五月蝿い。部屋に戻り、嘔吐した。嚥下したモノが一つもないので褐色の液体がごボリと白い洗面台を装飾し、それはまるで……まるで? 

 まるでアリスが作ってきてくれたケーキのようではないか。


 そんな時に……客人を告げるベルが鳴り響く。望まぬ来客に心臓が飛び出るほど驚愕した。

 魔理沙が来た。子供を連れて。それは私を跪かせるには十分過ぎる程でむしろ卒倒しない自分を褒めて欲しい。

「あ、アリス! 悪いけど、ちょっとこの子預かっててくれない?」

 どういうことなの!? 追いつかない――何処へ? 再現フィルムみたいだ。まるで結末の知っている推理小説を読まされているような倦怠感と苛立ちが溝鼠みたいに私の体中を縦横無尽にかけずり回るのだ。先程までは半信半疑、むしろ境界の線の真上に立っていた。しかし今この場においては完全に踏み越えてしまった。舞台の外―――所謂奈落へと。口が乾いて仕方がない。水が欲しい。冷たくて心まで凍らせてしまえそうな水を一杯だけください。

「アリスッ!」

「……え」

 魔理沙が手を握る少女は赤いドレスが至極似合う少女だった。まるでお人形さん――――なんだろう、この音。時計みたいなカチコチという音がする。歯車が噛み合う音と比喩するのが相応しい、とても正確な機械の音(ね)が不思議と懐かしい……とても懐かしいけど不愉快だ。鍵を無理やりこじ開けられそうな……。

「じゃ、明日迎えに来るから!」

 そう言い残し、彼女は箒に跨る。

「あ、まって魔理沙……!」

「ん?」

「……やっぱり、なんでもないわ」

 工房に引きこもり考えた。私はどうすればいいのかと、思案すればするほど袋小路という言葉が私を締め付ける。どういうことだ。記憶の残響が私を締め付ける。
 揺れる追憶は白いハート型のチョコレート。それにラベンダーの香りが、幽かに覚えていることだ。これらを強く思い浮かべるたびに、肺が押し潰されそうになる。なんだか、私が私じゃなくなるみたいに。
 

 ――そして硝子の割れる音が響いた。

「ごめんなさい」

 私が部屋に戻ると、少女はそう言って私に頭を下げた。私は砕け散った硝子を見つめた。

 壊れたのは人形じゃなくて……白いティーカップだった。おまけに黒い珈琲と思しき液体も床に地図を描いている。背後を見やれば、珈琲豆を探しまわった跡がある。ついでに珈琲豆も散乱していたけど。

「……怪我はない?」

 私は努めて冷静に優しく玲瓏に少女の具合を探る。彼女は大丈夫だと言い、二度目の謝罪の言葉を述べた。それは一度目とは違い、心からの謝罪だった。

「そう、ならいいわ。でも飲み物が飲みたかったら言えばいいのに」

「アリスお姉ちゃんに……」

「私に……?」

 なんで、どうして……。



 人の気配を感じて後ろを振り向いた。

 ソコには出来の悪い諧謔な劇のワンシーンを批評するように、冷徹な笑みを浮かべた霧雨魔理沙が佇んでいた。

「貴女は……?」

 彼女はシニカルに笑った。それは写真で見たものよりも戦慄を奏でる微笑みだった。

「私は霧雨魔理沙。でも勘違いしないでね。そう名付けられた人形なんだから。

 そっか、何も覚えてないんだよね……よかったじゃない、オリジナルの霧雨魔理沙。キミがやっていた実験は大成功だよ。まぁキミは自らの誇りを逃走に利用したんだけど……笑っちゃうわよね。受け止めることの出来ない現実から目を背ける。逃げることも決意の一つだと言い訳をして、自らの記憶を消去した。何から逃げたか? 決まってるじゃないか。あの日、日記で言うところの『1991年2月14日』に魔理沙はアリスとバレンタインデーの約束をしていたんだ。アリスは何も表情には出さなかったけど何よりもそれを心待ちにしていたんだね。だけど魔理沙はどうしても外せない用事があると断った……それは当日の出来事、ドタキャンってやつらしいけど……まぁ関係ないか。仕方無しにアリスは不愉快に散歩して憂さ晴らしをした。そこで彼女は見てしまった。魔理沙が違う女と仲良く過ごしているのをね。ついでにチョコレートを交換していたもんだから……クスクス。もちろんアリスは問いただしたさ。人は修羅場っていって嘲笑うような光景だったらしいね。私も見たかったなぁ。それを疎ましく思った魔理沙はアリスの喉をサクリ。とはいってもかなりもつれたから、ナイフの持ち主がどっちだったのか、故意だったのか事故だったのかは誰にも分からないよ。

 ……唯一真実を知っているのはキミだけだなのだから―――驚いた? 信じられないって顔をしてるね。でもこれが真相。人を殺したという史実……でもそれ以上にこれからが物語が面白くなるのに耳を塞いじゃ駄目だよ。

 罪に耐え切れなくなった魔理沙は――つまりキミは実験中の記憶をすり替える被験者に自身を選んだ。丁度一年後さ。キミが今日、目覚めたのは偶然でなく必然だ。結果は大成功だっただろう……それが幸か不幸かは君自身が判断してくださいな。私はキミの感情までは測り知ることが出来ないんだから。キミは記憶を失いアリスとなった……どうだい? 他人の振りをするのは。人殺しの罪は人形である魔理沙に全て擦り付けているにも関わらず……。苦しいだろうね。所詮キミは仮初の精神なんだからあたりまえだよ。

 でも私はその何倍も苦しかったんだ。だけど私は人形、哀れな自律人形、心を持たされてしまった矛盾を内包するかわいそうなお人形さん。仮初でもなんでも創造主に逆らうことは出来ないんだ。嗚呼、私を作ったのは魔理沙だよ。人形作りはアリスの横でずっと見ていたから楽だったって、作り終わってから私に告げたよね。そう、私は貴女に危害を加えることは出来ない。だけど真実を騙ることは出来る。

 私は真実を騙った。それは反逆じゃない、主のタメを思って行う極めて建設的な行動よ。私は愛で魔理沙を殺すんだ。愛は人を救うし殺しもするんだ。簡単に口にしてはいけないんだよ。ほら……本当のアリスの人形はソコに飾られているじゃないか……とぼけたって無駄さ。外のショーウィンドウさ。生きてるように死んでいる人形……なんてキミは例えたけど。死人嬢なんだからあたりまえだよ。震えたってだめよ、貴女はアリス、可哀想なアリス。神綺を母と慕うアリス。七色の人形遣いのアリス。魔法使いのアリス。人間をやめた少女アリス……さぁ人生はあるだろう? もっとも……嘘(しんじつ)を知った貴女がこれから先幸せに生きれるかどうかは……知ったこっちゃないけど。じゃ私はフランを連れて紅魔館に戻るわね。嗚呼……いい忘れてた。ハッピーバレンタイン、アリス」

 彼女の碧眼が私を映しだした。そして、彼女はキスをする。魔理沙人形の生暖かい舌が私の口内を蠢動し、『何か』が流れ込んできた。彼女の唾液と混ざった独特の甘みとカカオ成分が横溢した。
 ほんのりとチョコレートの味が狂おしいほど愛しい。気が触れそうで触れない寸前で私は悶えた。甘いモノが不幸を呼ぶ。タナトスの手招きが錆びついた鎖ように拘束し、私は冥府に繋がれることは甘美な果実だ。

 嗚呼……私は愛に殺されるのだ。

 私は自分に殺された。胸から生えるナイフは、きっとアリスがチョコレートを刻むときに使ったものだろう、そう思うと甘い香りが漂ってくるような気がした。口から鮮血が迸り床を濡らす。咽る度に私の欠片が苺のように飛び散る。その様子を不思議そうに見つめるフランドールの瞳が、無邪気で……痛い。痛い痛い痛い。酷く痛い。


 痛くて居たくて……だから狂おしいぐらい愛してる。
 愛の意味をわかっても無いのに口に出して、祝いの言葉と称して呪いをかけられている様な気がしたんだ。
 右目よりも何よりも何処が痛むのか分からないぐらいの激痛が私を蝕む。心臓に突き立てられたナイフが墓標みたいで滑稽だった。嘆くことも詫びることも出来ない私はただただ、何もしないことをした。
 ごボリと血が口から溢れ出る。右手が生きようと人形を殺そうとした。
 淋しくて悲しくて涙が溢れ出る。左手が死のうと自らを殺そうとした。
 口内を満たした赤い液体はチョコみたいに甘くて甘くて甘かった。


 くらやみではなにもみえない。

 だけど裏っ返せばはっぴーえんどになるのかもしれない。


ハッピーバレンタインデーです。
他のバレンタインSSも読んでみたいな……そしてネタ被りしてたらごめんなさい。
誤字脱字ありましたらご指摘よろしくお願いします。

ご指摘ありがとうございます。修正しました。
「RollerNadelman」の元ネタはクトゥルフ神話に出てくる14歳で博士号をとった女性の教授さんのことです。
きゃんでぃ
http://
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コメント



0.250点簡易評価
7.90点名前が無い程度の能力 削除
うん、悪くない。
9.100点奇声を発する程度の能力 削除
こんな感じも悪くないなぁ
10.無評価名前が無い程度の能力 削除
ごめん理解不能
誰か解説を…
13.80点コチドリ 削除
下手に得々と作品を騙って(この当て字、好き)答え合わせで赤っ恥、みたいな展開を回避するためにも
俺は、「なるほどね、そう来ましたか」
というスタンスを崩さないと今決めたのだ。だから結構好きですよ、とだけ。
あ、本作品の随所で貴方の他作品とのリンクを感じました。錯覚かもしれませんが。

そうそうこれだけは断言しましょう。
『……そしてネタ被りしてたらごめんなさい』? ──それは無い!
14.90点半妖 削除
いいなあ。
それでも全てを理解した気はしないけれど、これほど二度目を読むのが楽しい話はあるまいて。
なるほど、日めくりは一年前で魔理沙の右目が……?
個人的には、リンクの血赤色と、謎すぎて怖すぎる慧音先生が好き。
16.70点名前が無い程度の能力 削除
バレンタインSS……?
う、うん、バレンタインSSだな!
17.80点名前が無い程度の能力 削除
うーむ。雰囲気は好き
18.80点名前が無い程度の能力 削除
わるかない