魔理沙は悔いた。
それはもう走馬灯を見る心地で自分の半生を反省していた。
考えてみれば、彼女はほとほと整頓と言うものと縁遠い人間だったといえる。重度の蒐集家でありながら、蒐集物を見せびらかすでも使うでもなくただ積み上げるだけの日々、いらないものは時折霖之助に引き取ってもらっていたとはいえ、少し気を抜けば家の中がガラクタだったりゴミだったり稀少品だったりで埋め尽くされたりしても何らおかしくはなかったのだ。そんなことがわからなかったわけでもない。ただ、また今度、また今度と考えているうちに蒐集物は山積し続け、そして気づいた時には遅かった。
あまりに遅かった。
おそおそだった。
もう泣きたくなるくらいに。
果たして。
果たしてうず高く積み上げられた蒐集物が雪崩を成して崩れ落ちてくる光景を、短い生のうちに見ることのできる人間なんていうのはどれくらいいるというのだろう。魔理沙は生半可なマジックアイテムなんか目じゃないほど稀少で貴重な体験をする羽目になった。この頃はちょうどある研究に没頭していて、とりわけ私生活をおざなりにしていたのだが、梅雨の早朝、ジー……とどこかでニイニイゼミが鳴いているのをBGMに、ダムが決壊した。積み上げられた魔導書が、用途もよくわからない魔道具が、圧倒的な物量で物置部屋の扉を押し開けたかと思うと、次の瞬間には自分へ向けて押し寄せてきたのだ。
それが今現在のことである。
魔理沙は悔いた。
悔いていた。のだが、後悔するだけで現実が変わるはずもなく、とりわけ大きな音でセミの鳴き声さえも掻き消しながら、魔理沙はもはやゴミの山としか形容できないもののなかに盛大に飲み込まれていくのだった。
思った。
どうしようと。
最初は甘く見ていたとしか言いようがない。何を、というと色々とあげられるが、まず自分の認識の甘さだろう。自分が今まで集めてきたもの、奥へ奥へと押し込めてきたものの物量への認識が、致命的に甘かったと言う他なかった。ちょこっと上のものをどけてやれば脱出できると当然のように思っていたのだが、ガラクタの山は恐ろしい質量と共に鎮座して、ぴくりとも動かなかったのである。
そもそも、魔理沙は魔法の研究室で黙々と魔導書に読みふけっている最中だった。その部屋は様々な実験を行う場所でもあったので、置いてある荷物は雑然として多かったが、間取りは他の部屋よりはるかに広かった。しかし今やその研究室は甚大な量の蒐集物で右も左もわからない状態になっている。よくよく思い出してみると、確か隣の物置部屋は今年の春頃、咲夜に頼んでいくらか空間を広げてもらってあった。物が捨てられない性分で、実は霖之助に引き取ってもらうのさえ内心どうにかしたいと思っていたほどだったから、その葛藤に対して咲夜の能力は渡りに船といえたのだ。
つまり通常より広くなっている空間に片っ端から放り込んでいたのである。
それはもうわんさかと。次々と。間隙なく。隙間なく。むしろ感激できるくらいの量をつめこんでいた。どれくらいの量を放り込んだのか記憶を辿ってみると、実に驚くべき事実が浮かび上がってくる。この家のでかさより多いんちゃう。やべぇ。こいつぁただ事じゃねぇ。魔理沙は理解した。自分の上に乗っかっているのは、とてもではないが小娘一人が持ち上げられるような重量ではないのだ。そういえばさっきから息も苦しいし。段々意識が朦朧としてきているのがわかる。
やばい。
死ぬかも。
普通の魔法使い霧雨魔理沙。よく晴れた梅雨の日にゴミ山に埋もれて圧死。彼女のずぼらな性格が招いた惨事だといえ云々かんぬん。そんな記事がどこぞの天狗に書きたてられる未来が見えるようでさえある。それにしても圧死とはひどい。窒息死という可能性もあるが、どっちにしてもひどい。友人たちは悲しんでくれるだろうか。それともげらげら笑い転げるだろうか。そうかもしれない。薄情なやつらめ。笑いすぎて窒息してしまえばいいのだ。
魔理沙は追い詰められていた。
もう死ぬしかないのかと半ば諦めかけていた。
それでもどうにかしようと仰向けにじたばたもがいていると、ふと頭の右斜め上方向に堆積物が動かせるスペースが存在することがわかった。すがった。必死の思いでその方向に物を押し出し、押し込み、押し出していくと、その先によほどの奇跡か蒐集物に埋もれていないスペースがあるようだと気づいた。荒くなる息を抑えながら黙々と押し出し続け、魔理沙は、すぽん、という音と共にほこりまみれの顔を外気に触れさせることが出来た。
それはまさしく奇跡だった。
神はまだ魔理沙のことを見捨てていなかったのかもしれない。
大量の蒐集物はすさまじい勢いでなだれだし、部屋を席巻し埋没させたが、そのとき大きめのマジックアイテムがあちこちでいい具合に『引っかかって』くれたようで小さいながらドーム状の空間ができていたのだ。天井は見えない。扉どころか、壁も見えない。周りにあるのは大量の蒐集物だけである。だが、とりあえず圧死する未来だけは免れたようだった。
魔理沙は体も這い出させてから、文字通り一息ついた。
圧迫されていた肺が解放されて、少しは息も楽になったようだ。
しばらくはそのほこりっぽい空気をすーはーすーはー噛みしめていた。この息苦しさから解放される感覚には、難解な耐久弾幕に耐え切った時に似たすがすがしさがある。生きてるって素晴らしい。しみじみした。
それはさておきこれからどうしよう。
今そうしてきたみたいに、わずかな隙間を掘り進みモグラのように外を目指すという選択もないわけではない。だが、下手なことをしてこの奇跡的なバランスで成り立っているだろうドームを壊したくはない。だからといって、いつまでもこんなところで生活できる道理もないし、誰かの助けを待つというのも楽観的過ぎる。
いっそ魔法で吹っ飛ばしてしまおうか。
……それができたらきっと楽だろう。だがそんなことをしたら今までせっかく集めてきた蒐集物が壊れたり破れたり燃えたりしてしまう。困る。非常に困る。捨てられない性分はこういうところにも響いてくるらしかった。
魔理沙は結論を保留として、先送りにすることにした。
何だかもう色々面倒くさくなってきたのである。
とりあえず、少し寝よう。ぐらついているわけでもないし、このドームも放っておいて崩れたりは……たぶんしない。たぶん。何よりここ三日ほどの徹夜の疲労が一気に浮かんできて恐ろしく眠いのだ。眠い。ねむ、ね………………。
当たり前のことだが、積み上げた蒐集物が雪崩を起こして部屋とその主人を埋め尽くすという、フィクションでしかありえないようなことはなかった。そんな事実はなかったのだ。夢というのは恐ろしいもので、現実にありえないシチュエーションでもそれを現実だと認識してしまうものである。
そんな、夢を見た。
起きて暗い視界の中最初に目にしたのは、雑多なマジックアイテムに半分以上埋もれている、いかめしい文字で表題を書かれた魔導書の黒々しい表紙である。夢オチで、なーんだと拍子抜けする未来がそこにあったらさぞ素晴らしかったのだろうが、時々現実は想像と創造の斜め上を行く。
うへぇ、という声が自然と漏れていた。
これからどうしよう。睡眠不足の抜けた明瞭な頭で考える。魔法で吹っ飛ばして片をつけるのは、寝る前にも思ったように好ましくないし、できる限りこのドームを崩さないよう行動する必要もあるだろう。だとするとどうすればいいのだろう。誰かがこの惨状を発見してくれるのを待てというんだろうか。基本自分は家に誰かを呼ぶというよりは遊びに行くほうだし、よしんば誰か来たとしてもドアをノックして返事がなければ留守だとでも思って帰るだろう。そして、ドアをノックする音が蒐集物の山を越えてここまで届いてくれるかどうかについては、正直魔理沙に自信はなかった。
八方塞がり。
蒐集物のドームからでは今がいつになったかさえわからない。ほとんど真っ暗なのだ。そこには希望の光明も届いてくれないに違いない。きっとそうだ。なんだかそんな気がしてきた。滅入る。困る。困ったなぁ。
魔理沙はとりあえず、周囲だけでも明るくしようと思って、簡単な魔法で指先に火を点した。そこらのグリモワールに燃え移ったりしたら大変なので、慎重に、慎重を期す必要があった。明るくなった視界は、寝起きに見たあの魔導書の表紙とか、やはり何に使うのかよくわからないマジックアイテムの群れだとかに埋め尽くされている。あと所々にキノコが混じっていたりした。食べられるかは、よくわからない。
「キノコ……キノコ、か……」
ぼそりと呟いた。食べられるんだろうか。食べてみようかな。食べずでいるべきか。うむぅ。考えてみると昨日の昼頃から何も食べていない気がするのだ。しかしキノコというと、最近アリスの家に遊びに行ったときに食べたマッシュルーム入りシチューを思い出す。あれはうまかった。このキノコもうまいだろうか。きっと、うまいに違いない。
知らず手が伸びていた。
しかし、ふと、その手が止まった。
魔理沙は口をあんぐりと半開きにして虚空を見つめている。別に頭が残念なことになってしまったわけではなく、つい最近した約束を思い出したのである。電流が走っていた。それは例の、キノコのシチューをご馳走になったときの帰り際のことだ。そろそろ今研究している魔法が完成しそうだし、一番最初にはアリスに見せようと思うから、一週間後あたり家に来て欲しい。研究に没頭していてノックしたり呼びかけたりしても反応がないかもしれないが、そのときは勝手に上がってくれて構わない。
確か、そんな意味のことを魔理沙は言っていたのである。
天啓だった。天恵であった。そしてその約束をしたのは、ちょうどおよそ一週間前であるというのだ。つまり、あとしばらくこの狭苦しい空間で耐えていれば、事態に気づいたアリスが救出してくれるかもしれない。素晴らしい。なんて素晴らしい。この絶好のタイミングはきっと、自分にこのままじっとしていろというお告げに他ならないに違いない。よし。耐える。空腹耐える。魔理沙は決意を固めた。
籠城戦、上等じゃねえの。やってやろうじゃないか。このうず高く積みあがった蒐集物の山の寿命と、自分の寿命、その二つをかけた決闘ですらあるのだ。これは。うふふ。胸が高鳴ってきた。恋かな。
魔理沙はそんなことを考えていた。あまりにぶっ飛んだ状況に思考能力もぶっ飛んでいたに違いない。それか、ある程度助かる見込みが見えてきたことでこの状況すらも楽しんでやろうと考えていたのかもしれない。それくらいには好奇心旺盛で、愉快犯なのが霧雨魔理沙という人間だった。
そして、漢(おとこ)たちの戦いが始まったのだ………………。
【籠城初期・空腹型魔理沙】
というわけでこのあんまりにもあんまりな状況を少し日記に残して実況してやろうと思う。といっても、魔導書やらなんやらに紛れていたペンの挟まったメモ帳を見かけて唐突に思いついただけのことなので続くかどうかはわからない。打ち切りエンドを期待していてくれ。
昨日埋もれて、今日で籠城二日目となるわけだが、アリスはまだやってくる気配がない。やってきた気配もない。どういうことだろう。そろそろあの時から一週間だと思うのだが。まさか忘れているとか、そんなオチじゃないことを願いたい。そろそろ空腹も限界に近い。かれこれ一日は何も食べていないから、明日にはキノコにも手を出してみようかと思ってる。しかしキノコキノコといっているとあのシチューの味を思い出して余計に腹が減るから厄介だ。うまかったなぁ。うぅむ。腹減った。
【籠城中期・我慢型魔理沙】
やばいやばいあぽごあばい。
こんなかん単なことをどうして忘れていただおえ。ばけめ。わかめ。やばいやばいやばらえっ。
トイレ行きたい。
ちょう行きたい。しぬほど行きたい。いっそ逝きたい。助けてくれ。尿道が開放されてしまう前に。いまもじりじりと開かんとしているこの悪夢の門を、どうにかしなければならない。マスタースパークでもって私を閉じ込めているこの蒐集物を吹き飛ばしてでも、行くべきだろうか。すくなくともそのまま漏らすなんていうせんたくしはない。死しかない。やべぇ。うぼぁー。ひえふぁえ。
ああ。
なんか。
もう……。
【籠城後期・二周目魔理沙】
あれから一睡もしていない。眠ってしまったら、なんだかとてつもない過ちを犯してしまいそうだったからだ。私は耐えた。筋肉痛になるほどに力を込めて聖水を体内へ押し返し、ゲロを吐きそうな心地のままに約一日ほどの時間を必死になって耐えたのだ。眠ることもなく。偉業だ。これは偉業だ。そうとでも思っていないと遺業になってしまいそう(知ってたか? 女は男より尿道を締める力、弱いんだぜ……?)。我慢し続けていたら、途中から一周回って気持ちよくなってきたくらいだ。今も何だかとても幸せな開放感と解放感が全身を包み込んでいる。何が起こっているんだろう。私が知らなかっただけで、人体にはまだ人のあずかり知らぬ何かが数多く隠されているのかもしれない。
あり たす もら
……日記はここで途切れている。
「ちょ!? うわわわわわアーッ!」
慌てたような声が聞こえてきたのは魔理沙が洗濯して干されたイカみたいにげっそりしているときのことだった。どんがらがっしゃーん。何かが崩れ落ちる音と共に「ぴぎぃっ!」という押しつぶされたカエルの悲鳴のようなものが聞こえてきて、そのあと「地獄絵図だぁーっ! これが地獄絵図というものなのだぁー!」という錯乱したような絶叫が聞こえてきたのだった。聞きなれた声。それは紛れもなく。
紛れもなく、アリスのものだった。
かっ!
と魔理沙は目を見開いた。全身に力が張っていた。そして、ようやくこの空腹とか尿意とか尿意とかに耐える地獄から開放されるのかという期待に、かつてないほどの大声で魔理沙は叫んだ。
「アリスーッ! 私だーッ! 結婚してくれー!」
「何がどうなってるか三行以内で説明しれえええええええええっ!?」
ほどなく、魔理沙は無事『山』から救出される次第となった。後にこのことをどこからか聞きつけた射命丸が「きっと色々な苦難があったでしょうが、何が一番心に残りましたか?」と聞いたさい、魔理沙は「この世に天国というものがあるのなら、きっとそれは黄金の水を湛えた泉に彩られている」とかなんとか答えたらしいが、意味がわからなかったので記事にはならなかった。話した当人はなぜかすがすがしい顔だった。
ともあれ魔理沙は一時間ほどのガラクタ撤去作業ののち、無事に救出されたわけだ。
魔理沙はそのあとトイレに行ってシャワーを浴びて服を着替え、最低限の身だしなりを整えてから、アリスとテーブルを挟んで座った。座ると同時に湯気を立てる紅茶の入ったカップが差し出されて、それを受け取るのと、質問の声を聞き取るのとは全くの同時だった。
「で、何が、どうなっていたの?」
魔理沙はよどみなく答えた。
二日ほど前に、色々つめこんでいた部屋のドアを押し開けて蒐集物がなだれこんできた。部屋が埋め尽くされて、私も埋められた。最初はモグラみたいに絶妙な隙間を縫って出るか、マスタースパークで吹っ飛ばすかと考えていたが、アリスが近日中に訪れることを思い出したし、空腹とか色々耐えてた。キノコはやっぱり食わなかった。腹が一杯だったんだ。
だいたいこんな意味の受け答えだった。「お腹は減っていたんじゃなかったの?」と『理解』したうえで意地悪そうにアリスが聞いてきたが、勿論それには答えなかった。たぶん、自分も危うく生き埋めになりかけたことの軽い意趣返しだろう。ただし本気で怒っている様子ではないあたり寛容であるが。
「いやー。以前食ったアリスのシチューのことを思い出すと自然と腹も満たされるようでな。作ってくれ」
「図々しいわね」
「家主だからな」
「お腹、膨れているんじゃないの?」
「もう出しちまった」
「一緒に脳みそも出しちゃったのかしらね」
「上から下まで遠すぎるぜ。共通点もない」
「あれに、色が似てるわ」
「似ても似つかない」
「味噌は茶色じゃない」
「味噌汁が食べたい」
「それ、ギャグよね?」
「じゃあもうシチューしかないな。シチューしか」
「話が進まないわ」
アリスはそう言って紅茶を一口だけ飲んだ。魔理沙は喉が渇いていたのでがばがば飲んだ。優雅じゃない。そのままおかわりを要請して、おかわりもすぐに飲み干した。
「よく飲むわね」
「飲む子は育つ。眠いな」
「私も育ちそうなところよ。コーヒーの方がよかったかしら」
「しばらくは茶色と、黄色は、見たくないんだ」
「シチューは作らないわよ」
「先読みされたぁ」
仕方がないので魔理沙はそろそろ本題に入ることにした。「ところで」と切り出し、「この部屋じめじめしてると思わないか?」と聞いた。梅雨時の、それもこんな森の奥地にあるような家は確かにじめじめしていたが、アリスは質問の意図を測りかねるようにしばらく端正な眉をひそめていた。一応、「ああ、まぁ、うん?」と首を傾げるようにうなずくと、「それだ」と魔理沙が上機嫌に言い放つ。
「私はっ、湿度を調整する魔法を開発したのだぁーっ!」
「それ、既存よ」
「え……?」
魔理沙は愕然と顎を開いた。落としたといったほうがいいかもしれない。がくーん、と下顎をミラクルな位置まで下がらせ、テンションも途端に駄々下がりである。
「そうか……もうあったのか……こんな、微妙な魔法……」
「下調べくらいしときなさいよねぇ……」
アリスが呆れたように溜息をついている。魔理沙はしばらく呆然とした顔でいたが、そのうちなんとか気を取り直したらしく、上ずった声で言った。
「だっ、だが私のはたぶんそれとは全くの別物になっているはずだっ。全く知らなかったわけだからっ……結果は同じでもプロセスは違うはず! これはオリジナル! これはオリジナルなんだよっ!」
「誰に力説してるの」
「自分にだぜ」
「泣きたいならハンカチくらい貸してあげるわよ」
「どうせなら胸を貸してくれ。あと魔法の構成がアリスの言うのとどれくらい違っているか、確かめてくれないか」
「い、いやそれは……」
さすがに手ずから開発した魔法の構成をそうぽんぽん他人に見せるのはどうか。そんな感じの目でアリスが見てきた。だが、まぁまぁいいじゃないかと魔理沙が何度もプッシュすると、アリスも強く反対する理由はないようで検証を始めたのだった。
結果としてはまぁ、確かに色々違った。アリスの知っていたものは割と魔力を食って、長時間維持するのが難しいものだったのだが、魔理沙のものはそこらへんの問題も解消できている。魔理沙はその事実に安堵した。アリスの知っているものが『実用的でなかった』ということに安堵を覚えたのだ。それから魔理沙は「ちょっと待っててくれ」というと奥に引っ込み、研究室とは別の部屋に置いてあったため蒐集物の崩壊に巻き込まれなかった研究資料、の一部を手にアリスの前に戻った。実験データとかはさておき、魔法の使い方についてメモされたその資料を掲げて言う。
「どうせだから、使うか? ほら前、魔法の森はただでさえ湿度が高いから、手入れしないとすぐ人形が駄目になるって言ってたじゃないか」
「なんか裏がありそうね」
「裏には書き込まない主義なんだ。贅沢だろう」
魔理沙は資料を裏返して笑ってみせた。
「それくらいで贅沢どうこう言うっていうのが、すでに貧乏人の発想だわ」
「貧乏人でも魔法はつくれるらしいぞ」
「それは認める」
「あっさり認められると、張り合いがないんだが」
「心根が貧困なやつだと見られたら嫌だもの」
「シチューを作ってはくれないか?」
「それはそれ」
「新魔法の見返りに、ほら」
「そんなに食べたいの?」
「少なくとも腹が減っているのはマジだ」
そう言うと、食べたい食べたい言われるのも満更ではなかったのか、「そうね。じゃあ」とアリスは若干緩んだ顔して答えた。そのあと紅茶を飲み干した二人はキノコ入りのシチューを食べて別れ、アリスは人形たちの手入れの手間を少し短縮することができるようになった。そして魔理沙はその夜妙ににやにやしていた。
魔理沙はひねくれものである。
それはもう、『負けず嫌いであることがバレバレの負けず嫌いも嫌い、という困った負けず嫌い』なのだ。
だからもし。
もし誰かの誕生日とかに贈り物をしようと思ったときなどには、『贈り物であることがバレバレの贈り物も嫌い』というひねくれっぷりを発揮するんだろう。そしてきっと、相手が気づくかどうかに悶々としたり、にやにやしたりして眠れない夜を過ごすのだ。
ちなみにアリスは帰りぎわ誰にともなく言ったそうだ。
「物を自動で整理してくれるような魔法でもつくれないかしら。歳をとる前に」
と。
それはもう走馬灯を見る心地で自分の半生を反省していた。
考えてみれば、彼女はほとほと整頓と言うものと縁遠い人間だったといえる。重度の蒐集家でありながら、蒐集物を見せびらかすでも使うでもなくただ積み上げるだけの日々、いらないものは時折霖之助に引き取ってもらっていたとはいえ、少し気を抜けば家の中がガラクタだったりゴミだったり稀少品だったりで埋め尽くされたりしても何らおかしくはなかったのだ。そんなことがわからなかったわけでもない。ただ、また今度、また今度と考えているうちに蒐集物は山積し続け、そして気づいた時には遅かった。
あまりに遅かった。
おそおそだった。
もう泣きたくなるくらいに。
果たして。
果たしてうず高く積み上げられた蒐集物が雪崩を成して崩れ落ちてくる光景を、短い生のうちに見ることのできる人間なんていうのはどれくらいいるというのだろう。魔理沙は生半可なマジックアイテムなんか目じゃないほど稀少で貴重な体験をする羽目になった。この頃はちょうどある研究に没頭していて、とりわけ私生活をおざなりにしていたのだが、梅雨の早朝、ジー……とどこかでニイニイゼミが鳴いているのをBGMに、ダムが決壊した。積み上げられた魔導書が、用途もよくわからない魔道具が、圧倒的な物量で物置部屋の扉を押し開けたかと思うと、次の瞬間には自分へ向けて押し寄せてきたのだ。
それが今現在のことである。
魔理沙は悔いた。
悔いていた。のだが、後悔するだけで現実が変わるはずもなく、とりわけ大きな音でセミの鳴き声さえも掻き消しながら、魔理沙はもはやゴミの山としか形容できないもののなかに盛大に飲み込まれていくのだった。
思った。
どうしようと。
最初は甘く見ていたとしか言いようがない。何を、というと色々とあげられるが、まず自分の認識の甘さだろう。自分が今まで集めてきたもの、奥へ奥へと押し込めてきたものの物量への認識が、致命的に甘かったと言う他なかった。ちょこっと上のものをどけてやれば脱出できると当然のように思っていたのだが、ガラクタの山は恐ろしい質量と共に鎮座して、ぴくりとも動かなかったのである。
そもそも、魔理沙は魔法の研究室で黙々と魔導書に読みふけっている最中だった。その部屋は様々な実験を行う場所でもあったので、置いてある荷物は雑然として多かったが、間取りは他の部屋よりはるかに広かった。しかし今やその研究室は甚大な量の蒐集物で右も左もわからない状態になっている。よくよく思い出してみると、確か隣の物置部屋は今年の春頃、咲夜に頼んでいくらか空間を広げてもらってあった。物が捨てられない性分で、実は霖之助に引き取ってもらうのさえ内心どうにかしたいと思っていたほどだったから、その葛藤に対して咲夜の能力は渡りに船といえたのだ。
つまり通常より広くなっている空間に片っ端から放り込んでいたのである。
それはもうわんさかと。次々と。間隙なく。隙間なく。むしろ感激できるくらいの量をつめこんでいた。どれくらいの量を放り込んだのか記憶を辿ってみると、実に驚くべき事実が浮かび上がってくる。この家のでかさより多いんちゃう。やべぇ。こいつぁただ事じゃねぇ。魔理沙は理解した。自分の上に乗っかっているのは、とてもではないが小娘一人が持ち上げられるような重量ではないのだ。そういえばさっきから息も苦しいし。段々意識が朦朧としてきているのがわかる。
やばい。
死ぬかも。
普通の魔法使い霧雨魔理沙。よく晴れた梅雨の日にゴミ山に埋もれて圧死。彼女のずぼらな性格が招いた惨事だといえ云々かんぬん。そんな記事がどこぞの天狗に書きたてられる未来が見えるようでさえある。それにしても圧死とはひどい。窒息死という可能性もあるが、どっちにしてもひどい。友人たちは悲しんでくれるだろうか。それともげらげら笑い転げるだろうか。そうかもしれない。薄情なやつらめ。笑いすぎて窒息してしまえばいいのだ。
魔理沙は追い詰められていた。
もう死ぬしかないのかと半ば諦めかけていた。
それでもどうにかしようと仰向けにじたばたもがいていると、ふと頭の右斜め上方向に堆積物が動かせるスペースが存在することがわかった。すがった。必死の思いでその方向に物を押し出し、押し込み、押し出していくと、その先によほどの奇跡か蒐集物に埋もれていないスペースがあるようだと気づいた。荒くなる息を抑えながら黙々と押し出し続け、魔理沙は、すぽん、という音と共にほこりまみれの顔を外気に触れさせることが出来た。
それはまさしく奇跡だった。
神はまだ魔理沙のことを見捨てていなかったのかもしれない。
大量の蒐集物はすさまじい勢いでなだれだし、部屋を席巻し埋没させたが、そのとき大きめのマジックアイテムがあちこちでいい具合に『引っかかって』くれたようで小さいながらドーム状の空間ができていたのだ。天井は見えない。扉どころか、壁も見えない。周りにあるのは大量の蒐集物だけである。だが、とりあえず圧死する未来だけは免れたようだった。
魔理沙は体も這い出させてから、文字通り一息ついた。
圧迫されていた肺が解放されて、少しは息も楽になったようだ。
しばらくはそのほこりっぽい空気をすーはーすーはー噛みしめていた。この息苦しさから解放される感覚には、難解な耐久弾幕に耐え切った時に似たすがすがしさがある。生きてるって素晴らしい。しみじみした。
それはさておきこれからどうしよう。
今そうしてきたみたいに、わずかな隙間を掘り進みモグラのように外を目指すという選択もないわけではない。だが、下手なことをしてこの奇跡的なバランスで成り立っているだろうドームを壊したくはない。だからといって、いつまでもこんなところで生活できる道理もないし、誰かの助けを待つというのも楽観的過ぎる。
いっそ魔法で吹っ飛ばしてしまおうか。
……それができたらきっと楽だろう。だがそんなことをしたら今までせっかく集めてきた蒐集物が壊れたり破れたり燃えたりしてしまう。困る。非常に困る。捨てられない性分はこういうところにも響いてくるらしかった。
魔理沙は結論を保留として、先送りにすることにした。
何だかもう色々面倒くさくなってきたのである。
とりあえず、少し寝よう。ぐらついているわけでもないし、このドームも放っておいて崩れたりは……たぶんしない。たぶん。何よりここ三日ほどの徹夜の疲労が一気に浮かんできて恐ろしく眠いのだ。眠い。ねむ、ね………………。
当たり前のことだが、積み上げた蒐集物が雪崩を起こして部屋とその主人を埋め尽くすという、フィクションでしかありえないようなことはなかった。そんな事実はなかったのだ。夢というのは恐ろしいもので、現実にありえないシチュエーションでもそれを現実だと認識してしまうものである。
そんな、夢を見た。
起きて暗い視界の中最初に目にしたのは、雑多なマジックアイテムに半分以上埋もれている、いかめしい文字で表題を書かれた魔導書の黒々しい表紙である。夢オチで、なーんだと拍子抜けする未来がそこにあったらさぞ素晴らしかったのだろうが、時々現実は想像と創造の斜め上を行く。
うへぇ、という声が自然と漏れていた。
これからどうしよう。睡眠不足の抜けた明瞭な頭で考える。魔法で吹っ飛ばして片をつけるのは、寝る前にも思ったように好ましくないし、できる限りこのドームを崩さないよう行動する必要もあるだろう。だとするとどうすればいいのだろう。誰かがこの惨状を発見してくれるのを待てというんだろうか。基本自分は家に誰かを呼ぶというよりは遊びに行くほうだし、よしんば誰か来たとしてもドアをノックして返事がなければ留守だとでも思って帰るだろう。そして、ドアをノックする音が蒐集物の山を越えてここまで届いてくれるかどうかについては、正直魔理沙に自信はなかった。
八方塞がり。
蒐集物のドームからでは今がいつになったかさえわからない。ほとんど真っ暗なのだ。そこには希望の光明も届いてくれないに違いない。きっとそうだ。なんだかそんな気がしてきた。滅入る。困る。困ったなぁ。
魔理沙はとりあえず、周囲だけでも明るくしようと思って、簡単な魔法で指先に火を点した。そこらのグリモワールに燃え移ったりしたら大変なので、慎重に、慎重を期す必要があった。明るくなった視界は、寝起きに見たあの魔導書の表紙とか、やはり何に使うのかよくわからないマジックアイテムの群れだとかに埋め尽くされている。あと所々にキノコが混じっていたりした。食べられるかは、よくわからない。
「キノコ……キノコ、か……」
ぼそりと呟いた。食べられるんだろうか。食べてみようかな。食べずでいるべきか。うむぅ。考えてみると昨日の昼頃から何も食べていない気がするのだ。しかしキノコというと、最近アリスの家に遊びに行ったときに食べたマッシュルーム入りシチューを思い出す。あれはうまかった。このキノコもうまいだろうか。きっと、うまいに違いない。
知らず手が伸びていた。
しかし、ふと、その手が止まった。
魔理沙は口をあんぐりと半開きにして虚空を見つめている。別に頭が残念なことになってしまったわけではなく、つい最近した約束を思い出したのである。電流が走っていた。それは例の、キノコのシチューをご馳走になったときの帰り際のことだ。そろそろ今研究している魔法が完成しそうだし、一番最初にはアリスに見せようと思うから、一週間後あたり家に来て欲しい。研究に没頭していてノックしたり呼びかけたりしても反応がないかもしれないが、そのときは勝手に上がってくれて構わない。
確か、そんな意味のことを魔理沙は言っていたのである。
天啓だった。天恵であった。そしてその約束をしたのは、ちょうどおよそ一週間前であるというのだ。つまり、あとしばらくこの狭苦しい空間で耐えていれば、事態に気づいたアリスが救出してくれるかもしれない。素晴らしい。なんて素晴らしい。この絶好のタイミングはきっと、自分にこのままじっとしていろというお告げに他ならないに違いない。よし。耐える。空腹耐える。魔理沙は決意を固めた。
籠城戦、上等じゃねえの。やってやろうじゃないか。このうず高く積みあがった蒐集物の山の寿命と、自分の寿命、その二つをかけた決闘ですらあるのだ。これは。うふふ。胸が高鳴ってきた。恋かな。
魔理沙はそんなことを考えていた。あまりにぶっ飛んだ状況に思考能力もぶっ飛んでいたに違いない。それか、ある程度助かる見込みが見えてきたことでこの状況すらも楽しんでやろうと考えていたのかもしれない。それくらいには好奇心旺盛で、愉快犯なのが霧雨魔理沙という人間だった。
そして、漢(おとこ)たちの戦いが始まったのだ………………。
【籠城初期・空腹型魔理沙】
というわけでこのあんまりにもあんまりな状況を少し日記に残して実況してやろうと思う。といっても、魔導書やらなんやらに紛れていたペンの挟まったメモ帳を見かけて唐突に思いついただけのことなので続くかどうかはわからない。打ち切りエンドを期待していてくれ。
昨日埋もれて、今日で籠城二日目となるわけだが、アリスはまだやってくる気配がない。やってきた気配もない。どういうことだろう。そろそろあの時から一週間だと思うのだが。まさか忘れているとか、そんなオチじゃないことを願いたい。そろそろ空腹も限界に近い。かれこれ一日は何も食べていないから、明日にはキノコにも手を出してみようかと思ってる。しかしキノコキノコといっているとあのシチューの味を思い出して余計に腹が減るから厄介だ。うまかったなぁ。うぅむ。腹減った。
【籠城中期・我慢型魔理沙】
やばいやばいあぽごあばい。
こんなかん単なことをどうして忘れていただおえ。ばけめ。わかめ。やばいやばいやばらえっ。
トイレ行きたい。
ちょう行きたい。しぬほど行きたい。いっそ逝きたい。助けてくれ。尿道が開放されてしまう前に。いまもじりじりと開かんとしているこの悪夢の門を、どうにかしなければならない。マスタースパークでもって私を閉じ込めているこの蒐集物を吹き飛ばしてでも、行くべきだろうか。すくなくともそのまま漏らすなんていうせんたくしはない。死しかない。やべぇ。うぼぁー。ひえふぁえ。
ああ。
なんか。
もう……。
【籠城後期・二周目魔理沙】
あれから一睡もしていない。眠ってしまったら、なんだかとてつもない過ちを犯してしまいそうだったからだ。私は耐えた。筋肉痛になるほどに力を込めて聖水を体内へ押し返し、ゲロを吐きそうな心地のままに約一日ほどの時間を必死になって耐えたのだ。眠ることもなく。偉業だ。これは偉業だ。そうとでも思っていないと遺業になってしまいそう(知ってたか? 女は男より尿道を締める力、弱いんだぜ……?)。我慢し続けていたら、途中から一周回って気持ちよくなってきたくらいだ。今も何だかとても幸せな開放感と解放感が全身を包み込んでいる。何が起こっているんだろう。私が知らなかっただけで、人体にはまだ人のあずかり知らぬ何かが数多く隠されているのかもしれない。
あり たす もら
……日記はここで途切れている。
「ちょ!? うわわわわわアーッ!」
慌てたような声が聞こえてきたのは魔理沙が洗濯して干されたイカみたいにげっそりしているときのことだった。どんがらがっしゃーん。何かが崩れ落ちる音と共に「ぴぎぃっ!」という押しつぶされたカエルの悲鳴のようなものが聞こえてきて、そのあと「地獄絵図だぁーっ! これが地獄絵図というものなのだぁー!」という錯乱したような絶叫が聞こえてきたのだった。聞きなれた声。それは紛れもなく。
紛れもなく、アリスのものだった。
かっ!
と魔理沙は目を見開いた。全身に力が張っていた。そして、ようやくこの空腹とか尿意とか尿意とかに耐える地獄から開放されるのかという期待に、かつてないほどの大声で魔理沙は叫んだ。
「アリスーッ! 私だーッ! 結婚してくれー!」
「何がどうなってるか三行以内で説明しれえええええええええっ!?」
ほどなく、魔理沙は無事『山』から救出される次第となった。後にこのことをどこからか聞きつけた射命丸が「きっと色々な苦難があったでしょうが、何が一番心に残りましたか?」と聞いたさい、魔理沙は「この世に天国というものがあるのなら、きっとそれは黄金の水を湛えた泉に彩られている」とかなんとか答えたらしいが、意味がわからなかったので記事にはならなかった。話した当人はなぜかすがすがしい顔だった。
ともあれ魔理沙は一時間ほどのガラクタ撤去作業ののち、無事に救出されたわけだ。
魔理沙はそのあとトイレに行ってシャワーを浴びて服を着替え、最低限の身だしなりを整えてから、アリスとテーブルを挟んで座った。座ると同時に湯気を立てる紅茶の入ったカップが差し出されて、それを受け取るのと、質問の声を聞き取るのとは全くの同時だった。
「で、何が、どうなっていたの?」
魔理沙はよどみなく答えた。
二日ほど前に、色々つめこんでいた部屋のドアを押し開けて蒐集物がなだれこんできた。部屋が埋め尽くされて、私も埋められた。最初はモグラみたいに絶妙な隙間を縫って出るか、マスタースパークで吹っ飛ばすかと考えていたが、アリスが近日中に訪れることを思い出したし、空腹とか色々耐えてた。キノコはやっぱり食わなかった。腹が一杯だったんだ。
だいたいこんな意味の受け答えだった。「お腹は減っていたんじゃなかったの?」と『理解』したうえで意地悪そうにアリスが聞いてきたが、勿論それには答えなかった。たぶん、自分も危うく生き埋めになりかけたことの軽い意趣返しだろう。ただし本気で怒っている様子ではないあたり寛容であるが。
「いやー。以前食ったアリスのシチューのことを思い出すと自然と腹も満たされるようでな。作ってくれ」
「図々しいわね」
「家主だからな」
「お腹、膨れているんじゃないの?」
「もう出しちまった」
「一緒に脳みそも出しちゃったのかしらね」
「上から下まで遠すぎるぜ。共通点もない」
「あれに、色が似てるわ」
「似ても似つかない」
「味噌は茶色じゃない」
「味噌汁が食べたい」
「それ、ギャグよね?」
「じゃあもうシチューしかないな。シチューしか」
「話が進まないわ」
アリスはそう言って紅茶を一口だけ飲んだ。魔理沙は喉が渇いていたのでがばがば飲んだ。優雅じゃない。そのままおかわりを要請して、おかわりもすぐに飲み干した。
「よく飲むわね」
「飲む子は育つ。眠いな」
「私も育ちそうなところよ。コーヒーの方がよかったかしら」
「しばらくは茶色と、黄色は、見たくないんだ」
「シチューは作らないわよ」
「先読みされたぁ」
仕方がないので魔理沙はそろそろ本題に入ることにした。「ところで」と切り出し、「この部屋じめじめしてると思わないか?」と聞いた。梅雨時の、それもこんな森の奥地にあるような家は確かにじめじめしていたが、アリスは質問の意図を測りかねるようにしばらく端正な眉をひそめていた。一応、「ああ、まぁ、うん?」と首を傾げるようにうなずくと、「それだ」と魔理沙が上機嫌に言い放つ。
「私はっ、湿度を調整する魔法を開発したのだぁーっ!」
「それ、既存よ」
「え……?」
魔理沙は愕然と顎を開いた。落としたといったほうがいいかもしれない。がくーん、と下顎をミラクルな位置まで下がらせ、テンションも途端に駄々下がりである。
「そうか……もうあったのか……こんな、微妙な魔法……」
「下調べくらいしときなさいよねぇ……」
アリスが呆れたように溜息をついている。魔理沙はしばらく呆然とした顔でいたが、そのうちなんとか気を取り直したらしく、上ずった声で言った。
「だっ、だが私のはたぶんそれとは全くの別物になっているはずだっ。全く知らなかったわけだからっ……結果は同じでもプロセスは違うはず! これはオリジナル! これはオリジナルなんだよっ!」
「誰に力説してるの」
「自分にだぜ」
「泣きたいならハンカチくらい貸してあげるわよ」
「どうせなら胸を貸してくれ。あと魔法の構成がアリスの言うのとどれくらい違っているか、確かめてくれないか」
「い、いやそれは……」
さすがに手ずから開発した魔法の構成をそうぽんぽん他人に見せるのはどうか。そんな感じの目でアリスが見てきた。だが、まぁまぁいいじゃないかと魔理沙が何度もプッシュすると、アリスも強く反対する理由はないようで検証を始めたのだった。
結果としてはまぁ、確かに色々違った。アリスの知っていたものは割と魔力を食って、長時間維持するのが難しいものだったのだが、魔理沙のものはそこらへんの問題も解消できている。魔理沙はその事実に安堵した。アリスの知っているものが『実用的でなかった』ということに安堵を覚えたのだ。それから魔理沙は「ちょっと待っててくれ」というと奥に引っ込み、研究室とは別の部屋に置いてあったため蒐集物の崩壊に巻き込まれなかった研究資料、の一部を手にアリスの前に戻った。実験データとかはさておき、魔法の使い方についてメモされたその資料を掲げて言う。
「どうせだから、使うか? ほら前、魔法の森はただでさえ湿度が高いから、手入れしないとすぐ人形が駄目になるって言ってたじゃないか」
「なんか裏がありそうね」
「裏には書き込まない主義なんだ。贅沢だろう」
魔理沙は資料を裏返して笑ってみせた。
「それくらいで贅沢どうこう言うっていうのが、すでに貧乏人の発想だわ」
「貧乏人でも魔法はつくれるらしいぞ」
「それは認める」
「あっさり認められると、張り合いがないんだが」
「心根が貧困なやつだと見られたら嫌だもの」
「シチューを作ってはくれないか?」
「それはそれ」
「新魔法の見返りに、ほら」
「そんなに食べたいの?」
「少なくとも腹が減っているのはマジだ」
そう言うと、食べたい食べたい言われるのも満更ではなかったのか、「そうね。じゃあ」とアリスは若干緩んだ顔して答えた。そのあと紅茶を飲み干した二人はキノコ入りのシチューを食べて別れ、アリスは人形たちの手入れの手間を少し短縮することができるようになった。そして魔理沙はその夜妙ににやにやしていた。
魔理沙はひねくれものである。
それはもう、『負けず嫌いであることがバレバレの負けず嫌いも嫌い、という困った負けず嫌い』なのだ。
だからもし。
もし誰かの誕生日とかに贈り物をしようと思ったときなどには、『贈り物であることがバレバレの贈り物も嫌い』というひねくれっぷりを発揮するんだろう。そしてきっと、相手が気づくかどうかに悶々としたり、にやにやしたりして眠れない夜を過ごすのだ。
ちなみにアリスは帰りぎわ誰にともなく言ったそうだ。
「物を自動で整理してくれるような魔法でもつくれないかしら。歳をとる前に」
と。
テンポが良くて、ところどころの言葉遊びも良かった。
>「アリスーッ! 私だーッ! 結婚してくれー!」
に一番噴いたwwおい、開口一番、言うことはそれでいいのかww
>「アリスーッ! 私だーッ! 結婚してくれー!」
マリアリではよくあること