テーブルの上に立てられた本を指先でつん、とつつくと、ゆっくり前に向かって倒れて次の本にぶつかって、次の本がその勢いでまた倒れて、その次の本にぶつかって……ぱたぱたぱたぱた順番に本が倒れていった。何度かカーブしたあと、パチュリーの目の前まで行ってそこで最後の本がぱたん、と倒れた。
呆れた顔をする。
「本は頁を開いて、中の文字を読むものよ」
「んー」
魔理沙は腕を頭の後ろで組むと、歯を見せて笑う。そういう仕草をすると幼くって、ただの女の子にしか見えないな、とパチュリーは思う。
「行き詰まっててな。気分転換にやってみた」
「そう」
とだけ言って、改めて手元の本に目を落とす。魔理沙が横からずいっと顔を突っ込んできた。
近い近い近い。
「パチュリーは何の本を読んでるんだ」
「魔女裁判のやり方の本」
「うわ、お前、やられたほうだもんな」
「んー……」
名指しで自分自身のことを書かれているわけではないけれど、気が滅入るような本ではある。
魔女は神を否定し、呪術によって人を呪い殺し、使い魔に自分の血を吸わせ、近親相姦を行って未洗礼の子どもを悪魔に捧げて殺す。家畜を殺し、農地を不毛にして飢饉をもたらし、死体をあばいて肉を喰い血を飲む。
ものすごい悪者だ。
「そんなことしないぜ」
「しないわね。箒で本を盗んだりはしたけどね」
と言った拍子に、ちょっとごほごほ咳き込んだ。大丈夫か、と心配そうに魔理沙が言う。それで少し、話を続けてやる気にもなった。
「魔女がどうして悪いことをするか、考えたことがあるかしら」
「だから、しないって」
「昔のことよ。その頃、魔女のおこなう悪行は全能の神から許しを得ていた」
と、この本に書いてある、と言う。
魔女は麻薬と各種の薬草、油とヒマワリの種、新生児の肉なんかを混ぜて軟膏を作る。軟膏を塗ると、空を飛ぶことができる。空を飛んで、変身して、女怪と夢魔によって人間を誘惑し、彼らに憎しみを染み込ませる――それらはすべて、神によって与えられた事柄だった。
人間の世界に悪がひとつもないとすると、その力はすべて魔王に流れこんで、魔王は無限の力を得る。そして世界は滅びてしまう。だから魔女がちょっとずつ、悪の力を使い込んでガス抜きをしてやる。
この本の著者たちと、異端審問官と、判事と、そして当時のほとんどすべての人々はそう考えていた。だから魔女は絶対に存在して、人に害なす妖術を使う。魔女と妖術を認めないものは、それだけで異端とされた。
多くの魔女たちが見つけられて、裁かれて、死んでいった。多くの魔女が――魔女とされた者たちが。
魔女に罪を白状させ、殺してしまうために、拷問や虚偽の証言は判事によって推奨されていたわ、と魔理沙に言う。魔理沙は嫌そうな顔をする。
もう少し説明が必要かな、と思った。
「私は喘息をかかえているわ」
「そうだな」
「何で自分が喘息じゃなきゃいけないのか、って、考えたことがある」
喘息は苦しい。喉がぜいぜいいって、呼吸が苦しくなって、死ぬんじゃないかと思う。
神様がほんとうにいて、全知全能で、常に最善を目指すのだったら、喘息なんかこの世にないはずだった。すべての病気や、犯罪や、戦争や、人をひどい気分にさせる悪いものは、そもそも創りだされなければよかった。
「でも、どうやっても喘息は治らないので……犯罪や病気や天災はなくならないので、悪いことが起きると魔女のせいにされた。
わかるかしら。許されているのは、魔女じゃなくって神様のほうなのよ。不完全なように、この世界を創った落ち度からね」
どうして魔女がいるのか。どうして世界にはいつも、一定の不幸が存在するのか。
神様がこの世を、天国みたいに作らなかったのはどうしてなのか?
「そういう問いに対して、魔王や悪魔、そしてそれらと情を交わした魔女が与えられた。可能なかぎり多くの魔女を殺すことが、この本の著者たちの眼目だった」
と言うと、ぱたんと本を閉じて、目の前に立てて置く。自分に向かって倒れていた本の、次の順番になるように。
「魔理沙にはまだ早いわ。ドミノ遊びしましょう」
「お姉さんぶる奴だぜ……」
テーブルの横にあった椅子を持ち上げて、パチュリーの横に置く。本を開いて、先程まで読んでいたあたりを適当に開いて身を寄せ、パチュリーと一緒に読もうとする。体がくっついて、あたたかかった。魔理沙の体温は高い。パチュリーに比べてだけど。
「私は最近煙草をはじめたんだぜ」
「そう。健康に悪いわよ」
「もうやめる。本が汚れるし、喘息に良くないからな」
「そう。ありがとう」
文字をちょっとづつ読むけど、あんまり頭に入ってこない。魔理沙と一緒に本を読むようになってずいぶん経つ。五十年か、百年くらい経っているかもしれない。でも魔理沙はまだほんの女の子みたいで、パチュリーの方でもまだまだ慣れないところがあって、ときどきこういうふうになる。
声に出して読んでみた。
『……影濃き谷合いの空き地に、
小枝を編んで作った粗末な
小屋があり、壁は土で固められていた。
魔女はそこに、いやらしい薬草に埋もれ、
窮乏に悪意をかきたて、なりふりかまわず住んでいた。
かくて魔女は人里を遠く離れて
孤独の棲み家を選び、人知れず
悪魔的な所業と地獄の業を保ち、
嫉妬を覚える人たちを遠くから害するのだ。……』(※)
途中から魔理沙も一緒に読みはじめて、最後には二人の声が重なって終わった。
自分だけの声だとぼそぼそして、あんまり響きが良くないけれど、魔理沙の声と一緒だとちょっと良い感じで、表情豊かな彼女のことだからただ読むだけでも声に抑揚があって音楽的で、頬が触れるほど近くにあるから口の動きもなんだかわかるようで……しんとした図書館に音が通って、そしてなくなるのがわかった。音がなくなると、本や机や本棚が、あらためてはっきりと自分の意識に入ってきたように思った。
目で読んだ言葉が口から出て、また耳から入ってくること。魔理沙の顔を横目でちらっと見た。真剣な顔をして、本の文字を追っている。魔女は勉強家だから、そのほかに手で文字を書いたり、書かれていることを実際にやってみたりして技術を身につける。魔法と呼ばれるし、妖術とも呼ばれる。
煙草を吸ったと言ったから、魔理沙にキスしたら煙草くさいのかしら、とパチュリーは思った。だから今日はやめておこうと思った。
良かったです
全文通してパチュリー視点のはずが、
>パチュリーに比べてだけど。
>パチュリーの方でもまだまだ慣れないところがあって
こんな表現が地の文に出てきていて違和感がありました。『私』や『自分』のほうがいいのではないか、と。
それなのに、息抜きというわけではなく気分転換をしている魔理沙に違和感を覚えました。
おそらく「行き詰まる」と勘違いしておられるかと。
魔女は箒に薬を塗って、それに跨ることで自○(自重しました)行為をしていたらしいですね。箒に跨り、意識が飛ぶようになることから、「魔女は箒で飛ぶ」という伝説が作られたとか。
調べてみると魔女とは、変わった人や、怪しい薬を作っていた人。宗教が違う人などを呼んでいたらしいです。魔女裁判はほぼ無差別の言いがかりですが。
魔理沙やパチュリーのような魔法を使う、おとぎ話のような魔女は本当にいたんでしょうかね?
魔理沙が魔女になる話はあまり見ないので新鮮ですね
二人が平和で幸せそうで何よりですw
よいパチュマリでした。