この話は作者の紅魔館関係の過去作品の設定を引き継いでおります。
独自設定などが盛り込まれているのでご注意ください。
見渡す限りの赤。
赤い壁 赤い床、赤い絨毯。
そんな紅魔館の廊下を一匹の蝙蝠が飛んでいた。
通り過ぎるメイド達の邪魔にならない様に注意してただ羽を動かす。
よくよく見ればまだ小さく子供の蝙蝠。
ときどき天井へと止まって休みながら館を散策するように彷徨う。
誰も注意を向けずに追い払おうともしない。
なぜならそれは、皆が慣れてしまった出来事……それは……
自室のベッドに無造作に身を投げ出して、フランドールは瞳を閉じていた。
穏やかな様子でまるで眠っているかのよう。
だが、そうではない。それは集中しているのだ。
彼女の閉じた瞳には暗黒が広がるのではなく、紅魔館の様子が浮かんでいた。
飛ばした蝙蝠の使い魔を通じて、流れ込んでくる映像。それを楽しんでいた。
吸血鬼であるフランドールは様々な存在に体を変化させる事が出来る。
そのもっともたるものが蝙蝠で、今まさに指先を変化させた使い魔を放っている。
それはささやかな暇つぶし、あるいは好奇心。
あまりにも弱く、あまりにも小さい蝙蝠は、身を潜めて居ればほとんど気が付かれない。
それだけに、皆が普段はフランドールの前では見せない姿を覗き見る事が出来る。
そうだ、今日は彼女の元へと行こう。
身を潜めて、細心の注意を払って、大好きな美鈴の元へと飛んで行こう。
そしてその視界に映るのは………。
優雅に紅茶を嗜みながらレミリアは上機嫌であった。
嬉しそうに顔を緩ませて、先ほどの出来事を語っている。
「それでね、霊夢に寄りかかってみても邪険にされなかったのよ」
「それはそれは、随分と警戒心が薄れてきましたね」
それにあいづちを打つのはにこやかな美鈴。
彼女は珍しくただの子供の様に喜びを表すレミリアに微笑ましそうにしていた。
「そうなのよ。前は隣にも座れなかったのに」
レミリアが出来事を思い出す様に瞳を閉じる。
「仕方ないやつね、みたいな顔でしばらく寄りかからせてくれて……」
その口に浮かぶのは笑み。
感情が抑えられない様にぴくぴくと痙攣している。
「霊夢、あったかかったわ」
しみじみと感じ入る様に呟く。
レミリアにとって霊夢は好意を持つ相手だ。
初めて起こした異変の時に、真っ向勝負で敗れてから興味を持ち色々構い始めた。
それが好意に変わるまで大した時間はかからなかった。
生殖の必要のない吸血鬼にとっては性別は些細な事。
同性という気安さも伴って、それはやがて恋という感情に昇華していた。
また、人に恐れられる立場で居たレミリアは霊夢の様に奔放で、人間でありながら吸血鬼を恐れない彼女とても惹かれる存在だったのだ。
だからこそ、レミリアは霊夢を手に入れようと万策を尽くしてきた。
初めに尊大に「僕にしてあげるわ、感謝なさい」とのたまって張り倒されてから態度を改めて。
だが高級なお菓子を送ったり、お賽銭を入れたり、また足しげく通って口説いて見せたのだが成果は上がらない。
「お前の言った通りにしたら、随分と距離が縮まったわ、感謝するよ」
困り果てたレミリアは、恥を忍んで美鈴に相談したのだ。
咲夜やパチュリーと違い、実際に恋に落ちて、添い遂げた経験もある美鈴ならば何か分かるのではないかと。
そしてそれは正しい選択であった。まず美鈴が提示したのは、口説く以前に距離を縮める事であった。
それは、ほんの些細な事。恋愛に行くまでの基礎作り。
口説くのではなく、簡単な世間話から。
露骨に求めずにさりげなく、恩も着せずに。
少しずつお互いにある距離を詰めていく。
そんな、本当に基本的な事。
だが、それすらもレミリアは知らなかったのだ。
過去に何度か恋に落ちた事はあるが、すべて事を性急に運び過ぎて失敗していて、その原因にも気が付いていなかった。
なぜなら、本人はそれを性格ゆえに顧みれずに、失恋の後の荒れたレミリアを恐れて誰も教えなかった。
そして、見守っていた美鈴も昔、助言をしようとしたが聞く耳も持たなかったのだ。
「いえいえ、これからもその調子で頑張ってください」
「ええ、そうね」
それが、今は素直に言う事を聞いている。
それは穏やかな幻想郷の平和に感化されたか、丸くなったのか分からない。
こと生き残る事に心血を注いできた必要性が薄れた今、余裕が出て来たのかもしれない。
だけど、美鈴から見てそれは成長なのだ。
打算無く、単純な好意から他人に歩み寄ろうとする事は、時には微笑ましく時にはみっともないかもしれない。
それは自分をただ突き通すだけでなく、時には曲げてただ感受するだけでなく与える事でもあるのだから。
そして最終的にどのような結果になったとしても本人にとっては実りになる事を、美鈴は知っていたのだから。
穏やかで幸せな空間。しばし離れたところでそれを眺めていた小さな蝙蝠は、気が付かれない様に静かに部屋を後にする。
フランドールの視界には赤が映る。
目を開いて、先ほどの出来事を思う。
恋愛相談だ。
レミリアが霊夢に好意を抱いていたのは知っていたが、まさか恋に発展するとは思わなかった。
無邪気に笑うレミリアの様子を思い出して、フランドールは眉を下げる。
姉があんな子供みたいに嬉しそうな様子を見たの初めてだからだ。
普段の、フランドールの知るレミリアでは絶対に浮かべない表情。
それを思い返してくすくすと笑う。
大好きな人との距離を縮めるのは嬉しい。
フランドールはそれを知っている。
だって自分も美鈴と共に居るのは嬉しいのだから。
少しずつ歩み寄って行って、それで親しくなっていく。
その過程も、結果も楽しい事を知っているのだから。
フランドールが美鈴に抱いている感情は恋。
恋とは求める事。欲しがる事。
美鈴の方は恐らくフランドールを愛しているのだと思う。
それは献身。尽くすこと。
噛みあっているようで違っているもの。
それは恋愛と親愛。
だからこそ、実る事は無いのかもしれない。
フランドールがどれほどに恋愛として求めても、美鈴にとっては娘にすぎない。
見守って、他に良い人を見つけて、幸せになる事を願う。
「はぁ~」
考えに没頭しているフランドールが溜息を吐く。
実る算段の無い恋。でも、だからと言って諦めきれるほどに、割り切れる訳もない。
だけどレミリアは違う。
ライバルは多いが十分に幸せになれる確率はある。
だからこそ……
「頑張って、お姉さま」
自身の暗い行く先を誤魔化す様にそう呟いた。
それから再び蝙蝠を呼びだす。
小さな子どもの蝙蝠。それを放つ。
瞳を閉じると浮かぶのはまた廊下。
実らないかもしれないなら、せめて出来る限り傍で見ていたい。
さあ美鈴を探しに行こうか。
パチュリーは珍しく悩んでいた。
いくら考えても蓄えた知識を総動員しても解決できないもの。
「小悪魔が、アリスと仲良くしすぎな気がするの」
「はぁ……」
苦悩する動いた大図書館に美鈴は困惑を見せた。
場所は食堂。
遅めの朝食を準備していた美鈴に、珍しく出向いた魔女は言ったのだ。
「どうすればよいと思う?」
要点が無い。
アリスと小悪魔が仲良くするのが嫌だと言うのは分かる。
それをどうしたいかが分からない。
やめさせたいのか、気に入らないと愚痴なのか。
はたまた、不安なのか。
そんな美鈴に様子に気が付いたのかパチュリーは改めて言い直す。
「図書館にアリスがよく訪れるのは知っているでしょう?」
「はい、週に二回ほどいらっしゃいますね」
「その時にね、小悪魔と仲良くするのよ……」
小悪魔とパチュリーは本契約を結んだ仲だ。
本契約とは魂の契り。
死が二人を分かつまでの主従の契約。
それをお互いの意思を持って結ぶ。
結び方はそれぞれだが、肉体的な契りを持って得た事が二人の関係を顕していた。
そして結んでしばらくの間の図書館は、あの魔理沙ですら入るのをためらうほどに桃色空間が形成されていたものだ。
「どうすればいいのかしら……」
席に着き、顎をテーブルに付けて頭を抱える姿は、とてもあの七耀の魔女には見えなかった。
それは美鈴の目から見て、単に恋に悩む少女にしか見えない。
「それを見ていると、胸がむかむかするの。不安で仕方ないの。
なにか凶暴な自分が現れて、壊してしまえと囁くの。無関心を装うのも楽じゃない……」
ちらりと美鈴をうかがったパチュリーの視線には小さな笑み。
それは微笑ましい様な、どこか見守る様な暖かさがあった。
「何を笑っているのよ、そんなに滑稽?」
「いいえ、パチュリー様が可愛いなと」
「……ふざけていると許さないわ」
恨めしそうに美鈴を見上げるパチュリー。
「こんなこと咲夜にもレミィにも言えない。ましてやフランにも見せられない。
だから、恥を忍んで経験豊富そうな貴方に打ち明けたのに……」
それはすみませんと美鈴は謝罪する。
それから突っ伏したパチュリーに諭す様に呟く。
「それはきっと、嫉妬しているのですね」
「……」
言葉に、パチュリーが怪訝な顔をする。
「アリスと仲良くしている小悪魔が許せない、そうでしょう?」
「……う」
「自分と契約したのにどうして他の誰かと仲良くするのか理解できない、ですよね」
悩むように眉根を寄せてパチュリーが口を開く。
「そうね……そうかもしれない。
これが嫉妬なのね。いままで無縁だった感情」
それから何かを確認するように言葉を紡ぐ。
「怒りも、悲しみも、絶望も……喜びも、楽しみも体験して来たわ。
そして小悪魔と契ったことで愛も理解した。でも、それだけじゃなかったのね」
理解できない感情に悩んでいた少女の顔に魔女の風格が戻っていく。
「本の知識だけでは理解できない、感情というもの。
そういうものがあると私は知っていたのに……いやはや恋は盲目とは良く言ったものね」
顎をテーブルから話して背筋を伸ばした魔女は幾分かすっきりした顔をしていた。
「……とりあえず礼を言っておくわ。原因を理解してしまえば対処は出来るから」
そして立ち上がる。それから踵を返す。
「……情けないわね、本当はうすうす感づいていたの。これが嫉妬だって。でも認めたくなかったわ。
みっともないってそう思って、でも……私はきっと、この感情を誰かに聞いて、そして指摘して欲しかったんだわ」
「はい!」
「ありがとう。これからは避けていて、逃げていたこの感情とうまく付き合っていくわ」
去り際に背を向けて彼女は言う。
「借りが出来たわね、それはいずれ」
そう残して魔女は去っていく。
微笑んでから朝食の準備を再開する美鈴の横を小さな蝙蝠が飛び去っていく。
嫉妬の感情。
それは誰にでもあるものだ。
フランドールとて例外ではない。
美鈴は、紅魔館の中でもてる。
門番隊達は彼女を例外なく慕っているし、妖精メイドにも密かに想っている者も少なくない。
あの咲夜だってそうだ。誰も居ない時、美鈴と二人きりの時は完全で瀟洒の仮面を外すほどだ。
彼女らと仲良くしている美鈴を見るたびに、フランドールの中の怖い自分が言うのだ。
美鈴と仲良くしている者が許せないと、美鈴と親しくしていいのは自分だけだと。
勿論勝手な言い草なのは分かっている。
でも、簡単に制御できるようなものではないし、ましてや考えない様になんてできるものでもない。
だからそれは人格的にまだ未成熟だから自分は仕方ないと思っていたフランドールには意外だった。
「パチュリーにも、あったんだぁ」
ぼんやりと呟く。
蝙蝠の視界の先で苦悩している彼女はただか弱くて。
いつも落ち着き払ってフランドールに微笑みかけてくれる魔女の姿とは程遠いものだった。
「でも、もう大丈夫、だね」
微かに笑ってそう呟く。
理解してしまえば対処のしようがあると魔女は言ったのだ。
その顔は日陰と知識の少女。七耀の魔女のもの。
きっと感情すらも理詰めで制御してしまうに違いない。
うらやましいとフランドールは思う。
自分にはそんな真似はできない。
正しく感情を理解することも、たぶん出来ない。
美鈴の事を思うと、心がきゅっとなる。
嬉しさと優しさと……寂しさと苦しさ。
それがごちゃ混ぜになって思考が働かなくなる。
パチュリーみたいに誰かに相談すれば楽になるだろうか?
でもそれもできない、何かの間違いで美鈴に伝わったらどうなるのか。
それが見えないから怖くてできないのだ。
自分はどうして欲しい?
とフランドールは思う。
どういう心象の変化が欲しいのだろうか?
この想いをどうするか。
実らないからと諦めるきっかけが欲しいのか。
それとも………
再び瞳を閉じたフランドールから、小さな蝙蝠が一匹飛び出した。
門に背を預けて瞳を閉じる美鈴の前に魔法使いが舞い降りた。
美鈴が視線をやると、そのまま通過するでもなく彼女の横へと並んで門に背を預けた。
「その……どうだった?」
どこか落ち着かない様子で魔理沙は美鈴に問いかける。
普段の快活さは無く、どことなく不似合いな、そう恥じらいの様なものが見て取れた。
「ああ、そうね」
美鈴はただ平静な声でそれに応じる。
「まずはがっくりしないでね」
言葉に魔理沙が体を固くする。
「探りを入れて来たんだけど霖之助さんは魔理沙の事、そういう対象として見てないみたい」
言い終えて、美鈴が魔理沙に視線を向ける。
そこには名状しがたい表情が浮かんでいた。
困惑と失望。疑惑と不安。
負の要素が大半を占める歪み方。
分からなくもないと美鈴は思う。
数日の間、ずうっと落ち着かなかったに違いないのだ。
事の始まりはしばし前。
改まった様子で彼女が訪ねて来たの始まりだった。
その、あいつが……香霖が私をどう思っているか探って欲しい。
俯いて、耳まで真っ赤にして、そんな事を呟いて。
理由を聞けば恥ずかしいのか、誤魔化す様に喚いて。
落ち着いた後に聞いた理由はこういうものだった。
なんでも霖之助はお見合いをしたらしい。
仕立て主は他でもない魔理沙の父。
昔、世話になった恩から霖之助は断り切れずに見合いをしたという事だ。
どうなったかは、今も彼が変わらずに店を続けている事から分かる事だが。
まあ、それ関連の出来事で、魔理沙の中で何かが変わった。
薄ぼんやりと意識していた好意が、 霖之助が手の届かない存在になるかもしれないと言う不安と共に溢れたと。
霖之助への想いをはっきりと意識してしまったのだ。
そうしたら、普段から猪突猛進な魔理沙ゆえに、想いを抑える事が出来なくなったと、こう言う事で。
とはいえ、魔理沙とてそこは乙女。
他人を焚きつけるのは得意でも、自分の事となると途端に尻込みしてしまったらしい。
「そっかぁ……はは……」
悲しそうに俯いて、先ほどの言葉の重みを受け止めているようだ。
「まあ……しょうがない……でも私は…」
諦めの言葉が出始めて、でもそれを遮る様に美鈴が言葉を挟む。
「勘違いしない事。脈が無いなんて言ってないわ?」
「え?」
「霖之助さんはね、あんたが自分に好意を抱いている事は理解しているわ」
「うぇ……」
途端に魔理沙の顔が真っ赤になる。
「そりゃあねえ、ちょくちょく通って身の回りの世話をしてりゃあ、馬鹿でも気が付くでしょうよ」
「……うう」
そんな様子に呆れた美鈴が溜息を吐く。
「まあでも、その好意はね、妹が兄に向ける様な、単純に子供に懐かれてるとでも思ってる感じなのよ」
「……そっか」
耳まで真っ赤にして、誤魔化す様に風景に視線を向けながら魔理沙が呟く。
「まあ、そこで受けている好意の質が違うと理解させるのが大切ね」
「どうするんだ?」
「そうねえ、まずは甘えなさい?」
「あ、甘え!?」
魔理沙が困惑を浮かべる。
「簡単よ、あんたがもう子供じゃないってことを意識させればいいの」
「でも、あいつは……」
「はいストップ。誤魔化しは駄目ね。霖之助さんにだって性欲はあるのよ。
あんたも成長してきて、出てるとこは出てきてんだからまずはそれをアピールする」
にやりと美鈴が笑みを浮かべる。
照れと恥じらいの混じった魔理沙に畳みかける様に言い募る。
「まずはさ、妹や子供としてじゃなく、
女として見てもらわないと無理でしょに。だから甘えて色々押しつけてやんなさい」
「まてまてまて!」
頬に乗った赤を隠そうともせずに魔理沙が声を荒げる。
「相手は、あの枯れた様な朴念仁だぞ!せ、せせ性欲なんかあるもんか!
甘えたって適当にあしらわれておしまいに決まってる……だからそんな……」
「いやいや魔理沙。彼に性欲、あったわよ?」
「何を根拠にそんな……」
当然とばかりに美鈴が答える。
「試してきたから」
「何をだよ!!!」
思わず絶叫した魔理沙に迷惑そうに耳を押さえて美鈴が顔をゆがめる。
「んなムキになんないでよ。ほら、私ってば、体は若いって自覚はあるのよ。
だからちょっと色仕掛けをね、むろんかからないけど、気を探ればそういう意識はしてたからさ……」
対する魔理沙は先ほどまでの恥じらいはどうしたのか荒く息を吐いて。
感情が高ぶり過ぎたのか瞳の端に涙を浮かべて。
「ほらほら、落ち着いて落ち着いて」
美鈴はそんな魔理沙を抱いて頭を軽く叩いた。
荒い息が少しずつ収まって、それで離れた。
「すまん」
「いやいや、此方こそ」
しょぼくれた魔理沙とよく分からない謝罪をしてから美鈴は続ける。
「まあ、ともかく、向こうがその気になるまで頑張ってみなさいな。
やらない事には始まらないわ。そのまま殺してしまったらせっかく抱いた想いも可哀そうよ」
「でも……」
すんっと鼻を鳴らし魔理沙が言う。
「怖いんだよ。面と向かって告白して、断られるのが……。あいつは、私が物心ついた時からずっと見て来たんだ。
私にとっては家族だった。少なくともそういう絆があるとは思ってる。でも、それが台無しになりそうなのが怖い」
不安そうにごちる魔理沙の頭に掌が置かれた。
「大丈夫よ。あんた可愛いもの」
「私なんか可愛くない。がさつだし、乱暴だし、自分勝手だし」
「でも、私は知ってるよ。綺麗な洋服を着てはしゃいだり、可愛い小物に眼をキラキラさせたり。そんな魔理沙を」
掌は大きくて、暖かくて。
「何より、今こんな風に悩んでいるもの。誰だってそうよ。
好きな人を相手にすれば、心が苦しくて、不安になって、でも想いが通じたらそれ以上に嬉しくて」
「美鈴にも……あったのか?」
「あったわよ。嬉しい事も、悲しい事も。今じゃいい想い出」
「そっか……」
しばらくの静寂。
魔理沙は撫でられるままに息を整えて。
それから美鈴を離れて数歩。
振りかえった顔には何時もの勝気な表情。
「くよくよ悩むなんて私らしくなかったな。頑張ってみるよ」
それから箒に跨って、去り際に小さく、ありがとなと呟く。
飛び去る魔理沙を見て、美鈴は若いわねえと呟いて、それから再び門に寄りかかって瞳を閉じた。
そして、それを見計らったかのように小さな蝙蝠が影から影へと紅魔館へと移動していく。
胸が重い、とフランドールは思った。
先ほどのやりとりを見て、それでうらやましいと思ってしまった。
魔理沙も、恋をしていた。
自分と同じように悩んでいた。フランドールと違うのは前へと踏み出した事。
羨ましいと同時に罪悪感が湧いてくる。
レミリアもパチュリーも自分に見せない顔を見せていた。
それが嬉しくて、忘れていた。……覗く事の罪悪感。
あれは、何時もの勝気な魔理沙でなくて、素の魔理沙だ。
恐らく美鈴だから見せたに違いない。
感情をあらわにして、それで全てを打ち明けて、踏み出した姿に、急に自分が小さくなったように思えた。
初めから叶わないから仕方ないと予防線を張って、半ばあきらめて。
意図しなかったこととはいえ、慰みにこんな事をしている自分が急に小さく見えて胸が重いと。
謝ろうと、ぼんやりした意識の中でフランドールは思った。
いけない事だったと。自分も見られたくないことぐらいあるのだから。
それを無遠慮に覗いてしまった事を謝ろうと。
きっと皆、怒るだろう。
余計に気分が重くなる、でもそれは自分のまいた種。
黙っていればばれない、でもそうすると皆に平常に接する事が出来なくなりそうだった。
そうまで思ってフランドールは溜息。
気分が沈んでいる。
思考を放棄したいが出来ない。
フランドールの脳裏に浮かんでくるのは覗き見た出来事。
魔理沙とフランドールの状況はよく似ていた。
かたや娘、かたや妹。
相手に向けているのは恋愛。
向けられているのは親愛。
初めはそれでもよかったのだ。
無邪気に甘えて、それだけでよかった。
大好きな人との距離を縮めるのは嬉しい。
フランドールはそれを知っている。
だって。自分も美鈴と共に居るのは嬉しいのだから。
少しずつ歩み寄って行って、それで親しくなっていく。
その過程も、結果も楽しい事を知っているのだから。
でもそこまでだった。
そこから先には進めなかった。
それに気が付いて、苦しくて、ずっとそこで立ち止って。
(霊夢、あったかかったわ)
不意に、嬉しそうなレミリアの顔が浮かぶ。
(そうなのよ。前は隣にも座れなかったのに)
彼女は努力をしていた。
失敗を糧に、邪険にされてもあきらめずに。
霊夢と親しくなる事に成功した。
(……情けないわね、本当はうすうす感づいていたの。これが嫉妬だって。でも認めたくなかったわ。
みっともないってそう思って、でも……私はきっと、この感情を誰かに聞いて、そして指摘して欲しかったんだわ)
パチュリーは悩んでいた。
回りから見ればほんの些細な事。でも本人から見れば大変な事。
みっともないと拒絶していた事。
それを……
(ありがとう。これからは避けていて、逃げていたこの感情とうまく付き合っていくわ)
最終的には彼女は目を逸らさずに受け入れた。
皆、努力していた。悩んでいた。
レミリアも、パチュリーも、そして魔理沙も。
(怖いんだよ。面と向かって告白して、断られるのが……。あいつは、私が物心ついた時からずっと見て来たんだ。
私にとっては家族だった。少なくともそういう絆があるとは思ってる。でも、それが台無しになりそうなのが怖い)
それはまさにフランドールと同じだった。
同じ叫びだった。
自分が、美鈴に親愛以上ものを抱いているのを知った美鈴が、態度を変えてしまうかもしれないのが怖かった。
それならばずっと、今のままの関係で居れば良いと、理屈を付けて誤魔化して、でもそれが苦しくて。
(何より、今こんな風に悩んでいるの。誰だってそうよ。
好きな人を相手にすれば、心が苦しくて、不安になって、でも想いが通じたらそれ以上に嬉しくて)
ああそうだ。皆同じだったと。
大なり小なり皆悩んでいる。
大切なのは……
(くよくよ悩むなんて私らしくなかったな。頑張ってみるよ)
そこから踏み出せるかどうかだ。
「美鈴……」
無意識の呟き。
フランドールは思い出すのだ。
美鈴の優しい笑顔、暖かいぬくもり。
(まあ、ともかく、向こうがその気になるまで頑張ってみなさいな。
やらない事には始まらないわ。そのまま殺してしまったらせっかく抱いた想いも可哀そうよ)
「そうだね、美鈴」
フランドールは確認する。
それは……
「私は貴方を愛している」
という事を。
長い間、その身を呈してずっと守り続けてくれた。
過去の心的外傷を克服する時も傍にいてくれた。
吸血衝動に怯えていた時に抱きしめて、受け入れてくれた。
フランドールが美鈴を好きになるには、十分すぎる程の理由だったのだ。
フランドールは身を起こす。
その目には力がある。一歩を踏み出すための力。
想いを殺すだけの自分に決別して、生かすための力。
誤魔化していた諦めを捨てて、自分の想いを受け入れた力。
どうなるかは分からない、ひょっとしたらまた泣くかもしれない。
それでも、今までの様に諦めてまた躊躇いながら生きるのはやめようと、そう思って。
今度は自らの足であの人を探しに行こう、そう踏み出した。
門扉に背を預けている美鈴に不意に影が差す。
日光を遮るそれはフランドールの日傘だ。
「こんにちわ、美鈴」
「こんにちわ、妹様」
美鈴は優しく微笑んでフランドールを迎える。
フランドールは先ほどの魔理沙よろしく並んで門に背を預ける。
それからしばらく沈黙。同じ空を眺める。
雲一つない綺麗な冬晴れの空だ。
それを同じ場所でただ静かに過ごす。
「美鈴、相談があるんだ」
「はい」
フランドールがそう話しかける。
彼女が見上げた美鈴は、優しい笑み浮かべていて、それで何時もの事ながらも安心する。
「あのね、好きな人が出来たの」
言葉に、美鈴が少しだけ驚いた様子で。
それからしゃがんで、フランドールに視線を合わせる。
「妹様もお年頃なんですね」
「うん」
感慨深げな声。
照れた様に視線を逸らして、フランドールは俯いた。
「どんな方なのですか?」
俯いたまま黙ってしまうフランドールに美鈴が遠慮がちに切り出した。
「優しい人なの」
「はい」
「でも、その人は私の事を恋愛対象とみてくれないの」
顔が熱いと、フランドールは思う。
恐らく、耳まで赤いのだろうと。
「どうすればいいかな?」
我ながら回りくどいなとフランドールは思う。
覚悟は決めて来たのに直接告白なんて出来やしない。
「私は、その人の事が大好きで、その人も私を大切にしてくれて」
頭の中で色々なフランドールが騒いでいる。
怒っているフランドールはあちこち飛び回っていて、臆病なフランドールは泣きだしている。
冷静なフランドールですらはらはらと落ち着きなさげにうろつきまわっている。
「でも、怖くて」
その他の有象無象の感情達が暴れていて、うっかりすると出てきてしまいそうだ。
もし自分に心臓があったら、きっともう壊れてしまっているかもしれないと。
「大丈夫です」
美鈴が、静かな声で言った。
両腕がフランドールに回されて、しっかりと抱きしめられる。
「私が付いていますから……」
「……うん」
それだけで、あれほど暴れ狂っていた感情達が静かになる。
あの夜闇の平原で、各々集まり始めて、皆、待っているのが見えた様な気がした。
「想いを、伝えてみる事ですよ」
美鈴は言った。
「まずはそこからです。
妹様にそこまで想われて、困る方は居ません」
「……本当に?」
「はい」
ごめんなさいとフランドールは思う。
覚悟を決めたはずなのに、この期に及んで貴方に頼ってしまってごめんね。
美鈴がそう言ってくれるのが分かっていて、後押しさせてしまってごめんねと。
「美鈴」
「はい」
「じゃあ言うね?」
返事は無い。
優しい笑みに少しだけ戸惑い。
それを見るだけで怯んでしまう。
でも、もう心が限界だった。
「美鈴。私は、貴方が好き。愛しているの。
娘としてでは無くて、一人の吸血鬼として言うわ。私の眷族になって欲しい!」
と、そのまま勢いを付けて、彼女の手を伝って。
フランドールは己の唇を美鈴へと重ね合わせた。
フランドールは自室のベッドに無造作に身を投げ出していた。
ただ、ぼんやりとした雰囲気を纏い、時折、疲れた様な息を吐く。
美鈴に想いを告げてからの記憶が曖昧だなと。
だけどもやがかかった様な意識の中でぼんやりと思い出す。
その後の事。
驚いた美鈴に逃げ出そうとして、でも体が動かなくて。
半ば発狂しそうな感情の猛りの中で心だけは冷静で。
目の前の深い湖の様な瞳が揺れて、それだけで何故か意識が飛びかけて。
「私は……」
と、そんな中で美鈴が呟いた。
「分からないのです。妹様にそんな風に思われて居るなんて夢にも思わなかった」
心からの戸惑い、焦り。そんな美鈴の表情をフランドール初めて見た気がした。
「私の眷族になるのは……嫌?」
フランドールは声が震えているのを感じて、必死で抑えようとして、でも叶わない。
それから、美鈴はその抱きしめていた腕を解いた。
ぬくもりが離れていく感触にフランドールは身ぶるいする。
拒絶の予感に体が震えて、恐怖が湧きあがってくる。
そのまま、美鈴が居なくなってしまうかもしれないと、泣きそうになる。
だけど、彼女はそのままの姿勢で、フランドールの目をまっすぐ見つめる。
そこには先ほどの戸惑いは消えて、ただ静謐な真摯さだけがあって。
「私が、妹様をそういう対象として見られるようになるのかどうかは、まだ分かりません」
ああそうだと、当たり前だと。
美鈴にとってフランドールはずっと娘として守ってきた存在。
そして狂おしいほどに愛したあの方の忘れ形見。
それが自分を求めると言う事。それは……
フランドールはただ静かに言葉を待つ。
「ですが、他でもない貴方がそう求めるのであれば。
私は……私に時間をください。どれくらいかかるのか分かりませんが」
そこで、少しだけ笑みを浮かべる。何時もの安心できる優しい笑みではない。
おそらく、作った仮面では無い美鈴の本来の不器用な笑顔。
「いつか私の中で納得が付けられたらその時は……その時にまだ私を求めてくれるのであれば……」
と、そこまで聞いて。
記憶が急にぼやける。
そして、気が付いたらベッドに寝転んでいた。
「振られた訳じゃないんだよね」
ぼんやりとフランドールは呟く。
だけど受け入れられた訳でもない。
ハッピーエンドはそう簡単にはやってきてくれない。
でも、とフランドールは思う。
美鈴は自分の想いを知って、拒絶しないでくれたのだ。
だから今はそれで十分だと。
これからどうなるのか分からない。
それは自分次第だと、フランドールはそう思っていた。
「疲れた……なぁ……」
今は眠ろうと彼女は思った。
起きて、すっきりした頭で考えればいいと。
まだやるべきことはまだたくさんある。
最初に覗いた事を皆に謝らなくちゃいけない。
それから、咲夜に報告しよう。
彼女もきっと私と同じだから、抜け駆けはしたくない。
あとは、美鈴にどう自分を意識してもらうかだ。
こんな子供のままじゃ無理だよね。
でもすぐに大きくなる、私が望むなら、きっと……
随分心が軽くて、でも重い奇妙な満足感。
大丈夫、大丈夫。
「きっと……うまくいく……」
そう呟いてフランドールは眠りに落ちた。
寸前で目に入ったのはカーテン越しの月の光。
紅い月だけが、幼い吸血鬼の始まりをただ見届けている。
-終-
新年から良い話をありがとうございます。
流石は美鈴、みんなに慕われているね。この後、咲夜さんがどんな行動にでて、美鈴はフランの告白にどんな答えをだすのかすごく楽しみです。次回もがんばってください!
お、恐ろしい乙女指数だなこの作品は(ヒヤリ
フラメイ万歳!!
もっと!もっとだ!不器用な恋をもっと、はやく!
フランだって元を辿れば美鈴やレミリアと同じように親愛の情しか持ってなかったと思うんだ
それがそういった愛の形に変わるのは少しおぞましくもある
おぞましいのは人間だからそう思うのであって吸血鬼っぽいと言えばそうなのかもしれない
でもその先にハッピーエンドやトゥルーエンドを想像することが出来ない
あ、でも番外編のむらむらおぜうとかは全然アリだと思い(ry