「だからこれで合ってるって」
「ちょっと待って魔理沙。その構成じゃ魔力の安定供給が難しいわ」
本特有の匂いと埃が漂う紅魔館地下の大図書館。
大部分を闇と静寂が支配する空間であるが、テーブルの置かれた一廓のみがその支配から逃れていた。
テーブルには椅子が四脚用意されており、今はそのうちの三つが埋まっていた。
周囲には白い輝きを放つ光球が三つ浮かんでおり、それぞれの顔と手元を照らしている。
「何だよ、やってみなきゃわかんないだろ?」
「やらなくたって分かるわよ。それよりも、私の理論の方が理に適ってるわ」
先ほどから口論にも近い議論を続けているのは、人間の魔法使いである霧雨魔理沙と、人外の魔法使いであるアリス・マーガトロイドだ。
時折は共同研究もする仲であるが、既存の方法を踏襲しつつ改良することに重きを置くアリスと、根本的に新しい方法に挑戦することを好む魔理沙はよく意見が衝突する。
「その理論は確かに安定してるけど、構成の展開速度が遅すぎて実用的じゃないぜ」
「今はそうかもしれないけど、それを少しずつ改善していくのが研究だと思うわ」
「いいや、既存の方法を捨てて新たな手順を試した方が大きな効果が得られる時もある。それが研究じゃないか?」
「もう、口が減らないんだから。ねえ、パチュリーからもなにか言ってやってよ」
「そうだぜ、パチュリーもアリスを説得してくれよ」
二人の視線が、会話に加わらず黙々と本を読んでいる図書館の主こと七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジに向く。
しかし二人分の視線を受けて尚、パチュリーは本から目を離そうとしない。
「パチュリー、聞いてるの?」
「……何?」
アリスが再度呼びかけると、気づいていなかったという様子で本から目をあげ、二人を見やる。
読書の邪魔をされた形であるが、その表情からは不快感を含め、一切の感情は読み取れない。
研究の事でアリスと魔理沙が揉め、意見を求められるのはよくある光景であるため慣れてしまっているようだ。
「アリスが頑固なんだぜ。私の理論を認めようとしないんだ」
「どっちが頑固なのよ。私の理論の方が正しいわ」
やいのやいのと議論を続ける両者を交互に眺めながら、パチュリーが眼鏡を外して本の上に置く。
途端にその表情が眠そうに、あるいは機嫌を損ねたかのように半目になるが、別に眠いわけでも機嫌を損ねているわけでもない。
薄暗い地下室で本を読み続けたため軽度の近視を患っており、裸眼の時は目を細めてしまう癖があるのだ。
放っておけばいつまでも言い合いを続けるであろう二人に、パチュリーが小声でささやく。
「理論があるのなら実際に両方試しなさい。研究に失敗なんてないのだから。あるとしたら、失敗したという結果を得られた成功だけよ」
パチュリーの声は近くにいてやっと聞こえる程度であったが、二人の耳には届いたらしく、ぴたりと口論が止む。
「ん……そうね。パチュリーの言うとおりだわ」
アリスが折れる。続いて魔理沙もしおらしく謝る。
「だな。ごめんアリス、私が悪かった」
「ううん、私も意固地になってたわ。ごめんなさい」
お互いに謝罪を済ませ、なんとなしにしばらく見詰め合う。
間が持たなかったのか、魔理沙が頭をかきながら歯を見せて笑い、アリスもそれにつられて微笑む。
両者のわだかまりが消えたところで、思い出したようにパチュリーの方を振り向き、異口同音に謝る。
「パチュリーもごめんな」
「ごめんなさいね」
しかし当のパチュリーは気にした様子もなく、既に眼鏡をかけ本に目を落としていた。
◆ ◆ ◆
しばらく経ったある日、同じ場所に同じ三人が集まっていた。
「この間の研究、上手くいかないんだ」
「魔理沙もなの? 私もよ。どうしてかしらね。そこまで難しい魔法じゃないと思うのに」
「あれ以外にも色々試したんだけどな、魔法の構成は最後まで編めるんだが、魔力を込めても何故か発動しないんだよな」
「私もよ。構成はできてるのに発動しない。理論を見直してみても、原因がよく分からないわ」
「はー、また最初から理論の組み立てなおしかなあ」
魔理沙が大げさにため息をつき、やや温くなった紅茶の入ったカップを口に運ぶ。ほのかな甘さが疲れた身体にちょうど良い。
目の下にはくまが出来ており、顔色もあまり良くない。睡眠不足からくる疲労が色濃く浮かんでいる。
アリスも頬に手を当てながら目を閉じ、浮かない表情をしている。
人間である魔理沙とは異なり基本的に睡眠を必要としない身であるが、妖怪といえど疲労は蓄積する。
それでなくとも魔法使いは身体能力は人間と大差ない上、リフレッシュのために眠りの習慣を続けているアリスにとって睡眠は重要である。
適度な睡眠は身も心もリフレッシュしてくれるが、大きな悩みや心配事は時としてその睡眠すら許さない。
「何がいけないのか見当もつかないし、お手上げ状態ね」
「ああ、だが私は諦めないがな」
「私も、諦めるだなんて言ったつもりはないわ」
「……うふふふふ」
「……うふふふふ」
疲れの見える顔を無理やり歪め、不敵に笑う二人。かなりキている。
不気味な笑い声に気付いたのか、文字を追っていたパチュリーの目が、その対象を魔理沙とアリスに変える。
そして誰にも聞こえない程度に小さく嘆息すると、いつもより勢いをつけて本を閉じた。
その乾いた音に二人が振り向いたところで、眼鏡を外しながら口を開く。
「魔法の成功率は六つの要素に左右されるわ。術者の『技量』、魂の『気質』、魔法に必要な『物質』、発動させる『空間』と『時間』、そして時の『運』」
相変わらずの小声ではあるが、両者が黙って聞き入っていることを確認し、続ける。
「私の見立てでは、貴女たちの理論は間違っていない。技量も準備も十分。……ということは、足りない要素は運と考えてみてもいい」
一息。
「貴女たち最近、不運続きなんじゃない?」
問われた二人は思い当たるフシがあったらしく、自身の不運エピソードを口にする。
「そういえば、備蓄してた研究用の干しキノコが虫に喰われて全滅してた。防虫対策はしてたんだがな。虫が湧く季節でもないし、参ったぜ」
「私は気分転換に人里で人形劇をやっていたら、おろしたての操り糸が切れたのよ。糸は私の魔力で強化しているし、こんなこと今まで無かったわ」
それを聞いたパチュリーが確信を得たように小さく頷く。
「どうやら貴女たちは、運気が悪くなっているようね。体調や魔力が日によってある程度上下するように、運にもそういった要素があると本で読んだわ」
バイオリズムと呼ばれるものよ、とパチュリー。
と、ここで魔理沙が口を挟む。
「おいおい、運命操作できるどこぞの吸血鬼ならともかく、運が悪いって言われてもどうしようもないぜ」
「普通ならそうでしょうね。でもここは幻想郷。良い周期が巡ってくるのを大人しく待つのも悪くないけれど、自力で運勢を変えることも不可能ではないはずよ」
そう言うと、後は自分で考えなさいとばかりに口を閉ざし、再び眼鏡を手に取った。
◆ ◆ ◆
再びしばらく経ち、またしても三人の魔女が図書館に集まっていた。
「研究うまくいったぜ。竹林で幸運ウサギをとっ捕まえてきたら一発だ。帰り道でレアなキノコも手に入ったし、一気に運が向いてきたぜ」
「私もよ。幸運な巫女をお菓子で釣って招いたら上手くいったわ。研究が成功したらもっとあげる約束でね。ずっと前になくしたと思ってた貴重な呪い人形も出てきたし、万々歳ね」
よほど嬉しいのだろう、二人は大喜びで研究の成果を自慢しあっている。
運気が下降気味なら、幻想郷でも一、二を争う幸運の象徴を身近に置けばいい。
二人はパチュリーのヒントからそれを導き出し、研究を成功させたのであった。
「パチュリー、ありがとう。貴女の助言のおかげよ」
「ああ、サンキューなパチュリー。助かったぜ」
礼を言われた当のパチュリーはと言うと、本から顔もあげず事も無げに、
「今回は貴女たちの理論が正しいと思ったから、ヒントを与えただけよ。理論すら間違えていたら口出ししていないわ」
一息つき、でも、と二人を一瞥する。
「こういうことは今回限りよ。二人とも、精進なさい」
◆ ◆ ◆
紅魔館からほど近い霧の湖上空、帰途につく魔理沙とアリスの姿があった。
愛用の箒の前方にまたがって飛ぶ魔理沙が、同じく箒の後方に腰掛けているアリスに声をかける。
「今回はパチュリーさまさまだったな」
「そうね、まさか運の要素があんなに大きいとは思わなかったわ。理論一辺倒の考えは改めなきゃね」
風にはためきそうになるスカートを手で押さえながら、アリス。
ところで、と思い出したように口を開く。
「捕まえた幸運ウサギはもう逃がしてあげたの?」
「ああ、お詫びに月ウサギの秘蔵写真をやったら、またいつでも声をかけろだとさ」
楽しそうに話す魔理沙に対し、これは聞き捨てならないと問い詰めるアリス。
「ちょっと、秘蔵写真って何? なんでそんなもの持ってるの?」
「んー……企業秘密だぜ」
「ふーん……」
そう言って横顔で悪戯っぽく笑う魔理沙。普段なら頭の一つも撫でてやりたくなる可愛さであるが、発言が発言だけにそういう気にもなれない。
それで話は終わったとばかりに前を向いた魔理沙の両頬に、アリスのしなやかな指が伸びる。
頬に触れた瞬間、魔理沙の背筋がビクンと伸びたことに内心で満足しながら横に引張る。
手を振り解こうと魔理沙も腕を掴んでくるが、箒の制御のために片手しか自由にならない上に、逆に上海人形に押さえられてしまい抵抗もできない。
「ほふぇん! ゆふひて!」
逆転不可能を悟った魔理沙が謝ったところで手を離してやる。
涙目の魔理沙が頬をさすりながら恨めしげな視線をよこすが、納得のいく弁明をするまでは許すつもりはない。。
「うぅ……そう怒るなよー。弾幕を展開した瞬間の写真のことだぜ。弾幕研究用にカラス天狗からもらったんだ」
「それのどこが秘蔵なのよ」
「弾幕展開の瞬間を切り取った写真だからな、秘蔵だろ?」
当然と言わんばかりの魔理沙。この少女のこういうところは、故意なのか天然なのか分かりづらい。
アリスはその返事にすっかり毒気を抜かれてしまい、呆れた様子で口を開く。
「紛らわしいことは言わないでほしいわ」
「紛らわしいって、何がだ?」
「普通は秘蔵写真っていったら、もっとこう……とにかく他の女の子の写真を秘蔵だなんて言ったら誤解されて当然よ」
それを聞いた魔理沙はどうやら合点がいったようで、今度は明らかにそれと分かる意地悪な笑みを浮かべながら言い放つ。
「誤解も何も、私にはアリスの秘蔵写真なんて不要だからな」
「……どうして?」
思いのほかショックを受けたが、なんとか動揺を隠して訊ねる。
しかし、次に飛んできた言葉で憂いの表情は吹き飛んだ。
「もう全身隅々まで見て、味わった後だからな。私にとって、アリス秘蔵の場所なんてもうないぜ」
「な、何言ってるのよっ!」
「メイド服でも着て、首輪で繋いで散歩させてる写真とかなら秘蔵になるけどな。……うん、いいな。アリス、今度――」
「残念ね魔理沙、貴女に今度は無さそうよ」
魔理沙の首筋に、上海人形が持つ冷たい金属がピタリと当てられる。
正確には単なる細身のスプーンであるため殺傷能力は皆無だが、存外に怖がりな面もあるこの少女を脅すには十分だ。
顔を引きつらせながら、ゆっくりと箒から両手を離して上に挙げ、降参の意を示す魔理沙。今は箒の制御よりも人命が優先する。
今さらながら、どちらの立場が上なのか思い出す魔理沙。思い出した時には大抵遅いが。
「ごめんなさい。調子に乗りすぎました」
「来世では、乗るのは箒だけにすることね」
「ア、アリスさん? 発言が怖いです。反省してます許してください」
「……本当に反省してる?」
「はい」
「そう。なら、さっき言ってた格好を魔理沙がするなら、許してあげなくもないわ」
「うえぇっ!? な、なんで私がそんな変態プレイしなきゃならないんだよっ」
「なんでそんな変態プレイを人にやらせようとするのよアンタはっ! やらされる方の身にもなりなさいっ」
「でっ、でもっ、いつも私が受けだし、今までだってアリスの方が私に散々――」
「そういうことを外で言わないの!」
顔に赤みを帯びながら余計なことを言い始めた魔理沙の耳を引っ張り、耳元でわめく。
魔理沙よりもよほど大声であるため、周囲を飛び回る妖精たちの注目を引いているのだが当人は気付いていない。
大ちゃん何あれ? しっ、見ちゃダメ! それよりあっちの木陰でいいことしようね、チルノちゃん。
「いだだだっ、わかった、わかったからもう許して!」
魔理沙は抵抗せず、アリスにひたすら許しを乞うている。
こういう時に下手に逆らうと、もっと酷い目に遭わされることを経験から知っている。
「ほんとにもう、魔理沙は口を開けばロクなこと言わないんだから。少しはパチュリーを見習いなさい」
乗り出していた姿勢を直しながら、アリス。
言われた魔理沙は少し面白く無さそうに、小声でつぶやく。
「パチュリーと私を比べるなよぉ……」
「ごめんごめん、そういう意味じゃないのよ」
拗ねたように口を尖らせる魔理沙をとりなしながら続ける。この少女は言動に似合わず、繊細な面もあるのだ。
「パチュリーの存在はサイレント・マジョリティだな、と思ってね」
「サイレント、何だって?」
とりあえずは機嫌を直してくれたらしい。
アリスは内心で安堵しながら言い直す。
「サイレント・マジョリティ。物言わぬ多数派、あるいは静かな多数派ね」
「まあ、無口なやつだよな。私たちと話してても笑ったことないし」
「だけど、たまに口を開けば指摘は的確だわ。多数派が常に正解とは限らないけど、私たちが賛成するから結局は多数派ね。間違いも少ないし」
多少無理のある物言いだが、魔理沙は一応納得したらしい。
「そういや、パチュリーが見当ハズレなことを言うことってあまりないな」
「だからパチュリーの言葉には、耳を傾けてしまうのよ」
追随して肯定する魔理沙に頷きながら言葉を繋ぐ。
「私たちも、パワーや器用さといった得意分野では負けないでしょうけど、こと魔法使いとしての知識・経験を含めた総合力では、パチュリーに一日の長があるわ」
「でも、弾幕なら負けないぜ」
貴女は実戦派だものね、とアリス。素直に負けを認めようとしないのはこの少女らしい。それが長所でもある。
「でも魔理沙は、パチュリーの魔法を参考にしたスペルカードを使ってるじゃない」
「そうだったかな」
「とぼけないの。あの魔法は、魔理沙にとって参考にする価値があったってことよね」
「あー、よく聞こえないな。今日は風が強いぜ」
なおも空っとぼける魔理沙を見ながら、本当に素直じゃないなあと内心で苦笑する。そこが可愛いところなのだが。
「フフ、私なんて、パチュリーに未熟者呼ばわりされたことあるのよ」
「時々毒舌だよな。言われて怒ったのか?」
「少し腹は立ったけどね。でも未だ自立人形を創れないのは、私の未熟さに原因があるのだから。それに――」
魔理沙の後ろ髪を指で弄びながら続ける。魔理沙がもっと触って欲しげに、さりげなく姿勢を後ろに倒してくるのが心地よい。
「己の未熟さを認めるのは大切なことだと思うわ。未熟であると自覚するから成長しようと思えるんですもの」
「私はそんなことしなくても成長するけどな」
「フフ、それが魔理沙のいいところね。努力家の貴女らしい意見だわ」
「努力ではないぜ。本を読み、魔法を磨くのは日課だから、努力とは呼ばない」
「そう。貴女のそういう意地っ張りで真っ直ぐなところ、好きよ」
「……」
目を閉じて魔理沙の腰に手を回し、頬を背中に寄せて体温を感じる。魔理沙の体温は、子供のように温かい。
対する魔理沙は背筋をピンと伸ばした姿勢のまま何も言わない。が、抵抗もしないので嫌ではないのだろう。
もしかしたら驚きと恥ずかしさで思考停止してしまったのかもしれない。
この少女は背伸びをした発言をよくするが、不意を突かれると歳相応の純な反応を見せる。
そこが可愛くて、アリスは時々こうやってからかっている。
「コホン。あー、その、だな、ええと」
石化から回復したのか、トレードマークの三角帽子を目深に被りなおしながら――魔理沙は照れた時、いつもこの仕草をする――咳払いをする魔理沙。
どうやら別の話題を振ろうと賢明に頭を巡らせているらしい。
その思惑に気付いたアリスであったが、もうしばらく遊んでやろうと決める。先ほどのお返しだ。
「そ、そうだ。パチュリーって、たまには大声上げて笑ったり、泣いたりすることってあるのかな」
「そうねえ、誰かさんはくすぐり続けるといくらでも笑うから面白いし、お仕置きすると泣いて謝ったりして可愛いからいじめたくなるけど、彼女のそういうところは想像できないわね」
「ア、アリスさん……? 何の話をしているんですか……?」
「あら、つれない返事ね。分からないなら今晩、思い出させてあげましょうか? 二度と忘れられないくらい」
「メイド服でもなんでも着ますから、それだけは許してください……」
何かトラウマでもあるのか、プルプルと震えながら敬語になる魔理沙。
普段の彼女からは考えられない態度だが、アリスにとっては見慣れている光景らしくクスクス笑っている。
そろそろ許してやることにしたのか、アリスが話を戻す。
「でも、そうね。パチュリーが笑うところ、一度くらい見てみたい気もするわね」
その言葉に、トラウマを克服したらしい魔理沙が得意げな表情を見せながら言った。
「だろ? そこでだな、ちょっと私に考えがあるんだ。アリスも一口乗らないか?」
◆ ◆ ◆
「そこ、でっぱりがあるから気をつけろ」
「……なんだか手馴れてるわね」
「昔取った杵柄だぜ」
魔理沙とアリスは再度、紅魔館大図書館に戻ってきていた。
ただし今度は図書館の主に見つからないように正規の入り口ではなく、換気用に取り付けられた排気口からの侵入であった。
「よ、っと」
「もう、埃っぽいわねえ」
無事に図書館内部に降り立つ。
アリスがスカートの埃をはたく一方で、魔理沙は汚れを気にした様子もなく辺りをキョロキョロと見渡している。
「この辺りでよく見かけるんだが……お、いたいた。おーい、小悪魔ー」
「あれ、魔理沙さん」
小悪魔と呼ばれた人影が本棚に伸ばす手を止めて振り向き、パタパタと近寄ってくる。
黒を基調とした服とスカート。襟元には赤いネクタイを結んでおり、脚は黒のニーソックスに包まれている。
そして何より、耳と背中についた一対の黒い羽と、尻から生えた悪魔の尻尾が特徴的だ。
小悪魔は図書館を管理する司書としてパチュリーに仕えており、魔理沙やアリスとも親しい。
「さっきお帰りになったんじゃなかったんですか?」
「お帰りになったけど、また帰ってきたぜ。お帰りなさいのキスはまだか?」
「わけわかんないこと言わないの」
呆れ顔のアリスは小悪魔に挨拶すると、魔理沙の服についたままの埃を手ではらってやっている。
「アリスさんまで、どうしたんですか? パチュリー様は体調がおもわしくなくて、もうお休みになっておられますが……」
小悪魔の問いかけには答えず、魔理沙がいくつかの質問をする。
「なあ、パチュリーっていつも静かだけど、怒ったり笑ったりすることってあるのか?」
問われた小悪魔は人差し指を頬に当てて少し考え込む。
「他人の前で感情を見せることは、あまりされない方ですね」
「それじゃ次の質問、小悪魔はパチュリーのこと好きか?」
自分のことを聞かれると思ってなかったのか、しばしきょとんとしていた小悪魔であるが、すぐにニコッと微笑む。
「はい、大好きですよー。パチュリー様の幸せが、私の幸せです」
「それじゃ最後の質問。パチュリーが嬉しくて笑うところ、見たくないか?」
「それはもう。パチュリー様が喜ぶことなら何でもして差し上げたいですよー」
両手を胸の前で合わせ、何故か幸せそうな表情の小悪魔。背中の羽をパタパタと小さく震わせている。
その返事を聞き、魔理沙が片目を瞑りながら話しかける。
「そんな主人思いの小悪魔にちょっと頼みというか、相談事があるんだ。パチュリーには内緒でな」
◆ ◆ ◆
「というわけで、あの動かない大図書館が嬉しくて笑うようなこと、何か心当たりはないか?」
「そうですねえ、うーん」
しばらく首を捻っていた小悪魔はやがて何か思い出したようで、幻想郷に来る前ですけど、と前置きして話し始めた。
「とても貴重な魔導書が手に入ったとき、バンザイしながらピョンピョン跳ねて喜んだことがありましたよ」
「やっぱり本がポイントか。しかし……想像できないな」
「はい、私がお仕えして間もない頃だったんですけど「今見たことは忘れなさい」って言われました。でもその時のパチュリー様、可愛らしかったですよー」
録画しておけばよかったです、と両手を頬に当ててクネクネと身をよじらせる小悪魔。
眺めていると何故か魔力を吸い取られそうな錯覚に陥りそうになる。
「それじゃ、その可愛いパチュリーの姿をもう一度拝もうじゃないか。協力してくれるか?」
「はーい」
口元に小さく八重歯を覗かせながら、満面の笑みで右手を挙げる小悪魔。
一部始終を眺めていたアリスが、素朴な疑問を口にした。
「ところで、主人に「忘れなさい」って言われたことを、私たちに言っちゃっていいの?」
問われた小悪魔は、笑顔はそのままに尻尾をピョコピョコ動かしながら意味ありげに言った。
「パチュリー様に喜んでいただけるなら、私は何だってやりますよー」
◆ ◆ ◆
「そういやここの本は、今までどうやって溜め込んできたんだ?」
「幻想郷にくる前は、魔導書専門ショップなどで購入してました。でも今は、ほとんど手に入りません」
「本どころか紙自体、つい最近になって少しずつ流通しはじめたくらいですものね」
「ええ、外界とも切り離されてますし。ここで外部の本の入手ルートと言えば、魔法の森近くの雑貨屋くらいですけど、あそこは――」
「ああ、魔法の森は私の縄張りだからな。あそこのものは全部、私のものだぜ」
「ちょっと、森には私も住んでるんだけど?」
「だから、そこも含めて私のものだぜ」
そう言ってアリスの肩に手を回す。アリスは軽く睨むが何も言わない。
そんな二人の様子を見て、小悪魔がクスリと笑う。
「アリスさんの家も、魔理沙さんの縄張りなんですか?」
その言葉を聞き、得意げな顔になる魔理沙。人差し指を立てて横に振りながら訂正する。
「ちょっと違うな。アリスの家だけじゃなくて、アリスも私が縄張りを主張するぜ。もっとも、飼い主は私だがな」
「もう、いい加減に――ってちょっと、顔赤いわよ魔理沙。ほらほら、ホントは恥ずかしがり屋なんだから無理しないの」
途中までは威勢よく喋っていた魔理沙であったが、どうやら変な想像をしてしまったらしい。
恥ずかしいくせに必死にアリスの所有権を主張するその様は、主人に懐く犬を彷彿とさせる。
下を向いた魔理沙の頭を、アリスが帽子の上からポフポフと軽く叩いてたしなめる。
「あ、赤くなんかなってない」
「ふうん、じゃあ帽子を脱いでこっちを見られる?」
「今はちょっと床の模様を眺めていたい気分だぜ」
「今見なくても、今晩いくらでも床を見させてあげるわよ? 四つんばいでだけれど。何だったら今からでもいいのよ?」
「そ、そういうことを人前で言うのやめろ」
いつの間にか立場が逆転した二人のやりとりを微笑ましげに見ていた小悪魔が口を挟む。
「フフ、どうやら本当の飼い主はアリスさんのようですねー」
「……なんでそう思う?」
「聞きたいですか? ご希望なら事細かに説明しますが、本当に聞きたいですか?」
どこか黒さを感じる笑みを浮かべ、耳の羽を小刻みに動かす小悪魔。とても楽しそうだ。
対照的に魔理沙は引きつった笑みを浮かべ、口ごもる。
「いや、いい、遠慮しとく……」
「私も伊達に長年、従者をやっていませんから。好きな人に構ってもらいたくて、わざとそういうことを言っちゃう気持ち、よーくわかりますよ」
「……」
魂胆を見透かされ、耳まで赤くなった魔理沙が沈黙したのを確認して、脱線した話を戻す。
「外の世界のものは無縁塚や神社にも一部流れてきますが、希望する本が手に入る確率は極めて低いです」
こちらに背を向け、図書館全体を見渡しながら続ける。
「この図書館に大量の本があると言っても、限りはあります。パチュリー様なら近い将来、全て読み終えてしまうでしょう。パチュリー様は最近、そのことで悩んでいるのです」
本を読むのが生きがいのお方ですから、と付け加える。声のトーンが少し下がったのは、何も出来ない無力感からか、それとも――
話を聞いた魔理沙が、アリスの方を振り返る。
「アリスのグリモワールは確か、魔界から持ってきたんだよな」
「ええ、こっちに来るときに持ってきたの」
「パチュリーが喜びそうな本に心当たりはないか?」
「うーん、彼女とはお互いに本を貸し借りしているから、めぼしいものはもう読んでると思うわ」
「そんなことしてたのか。今度、私にも貸してくれ」
「貸さなくたって、勝手に来て勝手に読んでるじゃないの」
「そういえばそうだったな」
呆れ顔のアリスが口を開く前に、何か思い出したらしい小悪魔が口を挟んだ。
「パチュリー様が欲しがってる本、ありました」
◆ ◆ ◆
「この本です」
小悪魔が本棚から数冊の本を持ってくる。
普段パチュリーが愛読している分厚く大きい魔導書と違い、さほど厚さもなく、サイズも手のひらよりやや大きいくらいだ。
表紙には幻想郷ではあまりお目にかかれないカラー印刷が施されており、目つきの悪い全身黒づくめの男や金髪の快活そうな少女の絵が描かれている。
「あんまり魔導書っぽくないな。どんな本なんだ?」
中をパラパラとめくりながら、魔理沙。ところどころに挿絵はあるものの、文字はあまり大きくないため薄暗い場所で読むと目を悪くしそうだ。
「後に魔王と呼ばれることになる、ある黒魔術士の冒険譚です」
「黒魔術士? 魔法使いとは違うのか?」
「その辺りはややこしいので説明は省きますが、大体同じようなものだと思って差し支えありません」
「ふうん、この表紙の男が主人公なのか?」
「ええ、直線的に伸びる光熱波を最も得意とする魔術士です。作中では最強クラスの使い手ですよ」
「へえ、黒い服を着てるし、私に似てるかもな」
帽子のつばを指で押し上げながら、何故か得意げな表情の魔理沙。
「魔術だけでなく体術、特に暗殺技術に長けていて、相手を転ばせて鉄骨を仕込んだブーツで踏みつけて悶絶させたり、心臓をブン殴ったりして相手を倒します」
「魔理沙、誰に似てるって?」
「誰かに似てるなんて言ったか?」
すかさずアリスが突っ込み、魔理沙がすっとぼける。
「昔は大人しかったんですが、住んでいた場所を飛び出して悪事にも手を染めて、今じゃ口も性格もひねくれて辺り構わず魔術を放って建物を破壊したりする、色々と迷惑な主人公です」
「そっくりね。生き写し?」
「そうだな、アリスそっくりだ」
アリスが肯定し、魔理沙が転嫁する。
放っておくとまた話が脱線しかねないので、構わず話を続ける小悪魔。
「パチュリー様の愛読書で、何年か前に完結した本なのですが、最近になって続編が発行されたらしいのです」
一息。
「発行されたばかりの本が、こちらの世界に偶然流れてくる可能性は……」
みなまで言わなかったが、それがほぼゼロであることは二人にも理解できた。
「一度、本の召喚も試したのですが、残念ながら成功しませんでした」
「本の召喚? そんなことできるの?」
「できますよ。パチュリー様のスペルカードで、魔導書が一緒に出てくるものがありますよね。あれは召喚して使い魔として使役しているんです」
この図書館内の本ですけれどね、と小悪魔。
「同じ空間内とは言え、本が持つ波長を基に召喚・再構成して使役しているわけですから、外界の本であっても召喚はできるはず、というのがパチュリー様の持論です」
「なるほど、理屈としては間違ってなさそうね」
「なんで失敗したんだ?」
「パワー不足だ、と仰ってました。運気を上げるマジックアイテムも駆使したのですが、幻想郷を囲む結界を突破できませんでした。火力不足は運ではカバーできないようです」
魔力は幻想郷を囲む博麗大結界に阻まれ逆流。制御を失った魔力は図書館中を荒れ狂い、蔵書にいくばくかの被害がでた。
パチュリーはその後しばらくふさぎ込み、その魔導書の話もしなくなってしまったらしい。
それを聞いた魔理沙とアリスは目を合わせ、どちらからともなく頷きあう。
「よし、決まりだな。その本を私たちで召喚してみようぜ」
「でも、難しいと思いますよ?」
「困難に挑むのが魔法使いの常なのよ」
◆ ◆ ◆
一時間後、三人は大図書館最奥に位置するパチュリーの研究室にいた。
幸いなことに召喚儀式に必要な材料は揃っていたため、小悪魔が説明する儀式の手順を頭に叩き込む。
召喚とは、召喚したい対象物の情報を魔法でスキャンして任意の場所に転移・再構築することである。
外界のものを召喚したければ、まず幻想郷の周囲に張られている博麗大結界を突破する必要がある。
結界は論理的・概念的なものであるため、物理的な方法では針の穴ほどもあけることはできない。
しかし魔法は魔力という目に見えないもので世界に干渉するという点において、概念に近いスキルであり威力を極限まで高めれば結界を破れる可能性がある。
穴はごく小規模なもの(対象が通れるくらい)で十分であり、結界にひずみが発生している場所であれば決して不可能ではない。
小さな穴であれば、単なる結界のひずみとしてスキマ妖怪かその式神が処理してくれるので都合も良い。
「ひずみがある場所って?」
「無縁塚です。外から物が流れ着く場所というのは、外に出ることも不可能ではないはずです。神社も候補ですが、あっちは霊夢さんが怖いですから」
首尾よく結界を突破できたら、次は召喚対象の空間座標と時間座標を指定する必要がある。
幻想郷への召喚に必要な魔力は対象の新しさ、あるいは需要の高さに比例して高くなるため、特に時間座標の選定は重要である。
新品であれば召喚は極めて難しく、かといって実用に耐えないレベルまで劣化していては品物としての価値が無い。
空間座標と時間座標の選択には、ある程度のセンスと器用さを要する。
「古本屋を重点的に探せばいいと思うわ。本が流通している世界ならきっとあるはず。結界を突破した魔力を操作しつつ召喚に転用すれば、魔力も無駄にならないわね」
パチュリーはこれらを一人でやろうとしたが、本の発売直後に召喚を試みたことや、魔力操作に重きを置きすぎたために結界を突破できなかったのだ。
打ち合わせの結果、結界突破は魔理沙が、それ以降の召喚はアリスが、その他のフォローを小悪魔が担当することになった。
小悪魔が準備のために研究室を出て行った後、アリスが声をかける。
「魔理沙、結界を破った経験は?」
「試したことないな。結界に手を出すと霊夢が本気で怒るからな」
「何か策はあるの?」
「私の魔法に、『実りやすいマスタースパーク』ってあるだろ」
「あの無茶な威力のやつね」
魔理沙が愛用するスペルカードの一つに、マスタースパークがある。
彼女の代名詞とも言える魔法であり、光と熱の直線的なエネルギー波を放つというものである。
長所は人間が扱うにしては類稀なる威力があること。
短所は直線的ゆえに発生を読まれたら命中させるのは困難であることと、発動中は反動で術者の機動力が制限されることだ。
そこで、まず導線代わりの細身の光熱波を命中させ、足を止めてから主砲を叩き込むことにより命中率の向上を図ったのが『実りやすいマスタースパーク』のコンセプトである。
単純な火力はマスタースパークの上位互換であるファイナルスパークをも優に上回るが、現実には主砲発生までのタイムラグが長く、使い勝手はよくない。
「私のマスパはまだ未完成なんだ」
ミニ八卦炉を懐から出し、赤とも黒ともとれる色合いをしているその表面を指で撫でる。
「火力はあるけど避けられるとヤバイ。撃ってる最中、私は動けないからな」
人間としては常人離れした飛行速度を誇り、高威力の魔法を駆使する霧雨魔理沙。
時として無鉄砲とも取れる行動をすることもあるが、彼我の戦力差を見極めたり、己の長所・短所を客観視する目は持っている。
『弾幕はパワー』を信条とする魔理沙であるが、単なる人間である自分が力押しだけで勝てると思ってはおらず、他人の弾幕を研究する一面もある。
相手の動きを予測しつつ、ばら撒き弾幕やレーザーで相手を足止めしたところで高威力の魔法を叩き込む。これが魔理沙の主戦法の一つである。
主砲が決まれば高位の妖怪とてただではすまないが、一方で回避能力の高い相手には少々分が悪い。
「私がマスパをあんなに大きく放出するのは何でだと思う?」
「……命中率を向上させるため、かしら」
今までの話の流れを考慮し、回答する。正解だったようで魔理沙が頷く。
現状のマスタースパークの中心で相手を捕らえたとしても、よほど巨大な相手でもない限り、外周部分は相手に当たらず消えてしまう。
いわば無駄にエネルギーを消費していることになる。
それでも今は命中率を優先しているのだと言う。どんなに一撃必殺の攻撃も、当たらなければどうということはない。
「私は全力で魔法を使うのが好きだし、適度に調節するのが苦手ってのもあるんだけどな」
やや砕けた調子で笑う魔理沙。珍しく自嘲めいたことを口にしてしまった後ろめたさもあるのだろう。
ただアリスから言わせると、常に全力で戦える魔理沙は理解の外の存在であり、同時に少し羨ましくもあった。
「話を戻すけどな、実りやすいマスパで最初にでる細いやつ。あれくらいの幅でマスパと同等の威力を出すのが最終目標なんだ」
「なるほど、威力はそのままに射出幅を細くすれば……」
「与えるダメージは極限まで高まるし、結界に対して貫通性能も付属できるかもしれない。魔力も無駄にならないだろ?」
理屈はわかる。今は無理でも、この努力家の少女ならいつかそれを可能にする技量を身に着ける日がくるのかもしれない。
だがアリスは一つの欠点に気付いていた。
「同じ威力で射出幅を細くすればするほど、その反動は貴女の身体に跳ね返ってくるわよ」
「ああ、分かってる」
それに気付いているからこそ、実りやすいマスタースパークの初動は火力を抑えているのだという。
以前、理想とするマスタースパークを試射したことがあるが、一発撃っただけで全身の骨がきしむ音を聞き、しばらく寝込むはめになった。
ウェイトの軽い魔理沙の肉体では、極限まで威力を高めた魔法の反動には耐えられない。今でさえ、体格には不釣合いな火力を扱っているくらいである。
成長すれば話もかわってくるが、現状での運用は困難だ。
少なくとも、今まではそう思っていた。
「だけど、肉体を強化できる同業者が最近復活しただろ?」
「なるほど……聖白蓮ね」
聖白蓮。
命蓮寺の現住職であり、身体能力を向上させる魔法を得意とする元人間の魔法使い。
とある異変の際に魔理沙と出会って以来、何故か魔理沙のことを気に入って色々と教え込んでいる。
魔法使いは基本的に個人事業主であり一匹狼タイプが多いため、普通は魔法を教えたり共同研究をしたりはしない。
しかし魔理沙という人間はその枠にはまらず、同業者や妖怪からの協力を得る術に長けている。
頼りないわけでも弱いわけでもないが、ひねくれつつも根は真っ直ぐなこの少女を見ていると、ついつい世話を焼きたくなってしまうという者は多い。
「一時的に身体を大きくする魔法を教えてもらったんだ。それを使えば、最大火力で細いマスパを撃っても大丈夫だと思う」
「それなら結界を撃ち抜ける可能性があるってことね」
「ああ、だけど肉体強化魔法にも多少の反動があるから、私がやると術が切れた直後はまともに動けない。だから、後のことは頼むぜ」
まだ成長しきっていない魔理沙の肉体を、魔法で強化するのはやはり無理があるのだろう。
生身の身体で究極のマスタースパークを撃つよりはリスクが少ないとは言え、危険なことにかわりは無い。
白蓮も教えるのを渋ったが、魔理沙が無理やり頼み込み、成長するまで使用は控えるという約束で教えてもらったのだと言う。
「はぁ……やめなさいって言っても、貴女のことだから一人でもやるんでしょうね」
「当然だぜ。理論があるなら試すのが魔法使いだからな」
歯を見せて笑う魔理沙を見て、アリスも覚悟を決める。一度こうと決めたら結果はどうあれ、最後までやり抜かないと気がすまないのが魔理沙だ。
心配なら最後まで付き合って、危ない時はフォローするしかない。
それに魔理沙では、仮に結界を突破できても召喚に魔力を回す余力はないだろう。
一人でもやると言ってはいるが、アリスが協力してくれると見込んでいるに違いない。
それに気付いていながら応じてしまう自分は甘やかしすぎなのかなと考えていると、準備を終えたらしい小悪魔が扉を開けて入ってくる。
「こちらの準備は整いました」
「じゃあ……」
「始めましょう」
魔理沙がアリスの方を見ながら呟き、アリスが後を継いだ。
◆ ◆ ◆
「異世界からの召喚は、この変換・転移装置を使います」
小悪魔が自分の背丈ほどもある巨大なオレンジ色のクリスタルを指差す。
これに魔力を送り込み、概念エネルギーとしての純度を高めた上で結界のひずみを探して穴を開けることになる。
説明を聞いた魔理沙が、帽子を一度脱いで被りなおす。少し緊張しているのかもしれない。
「アリス、運試しだ。運は重要な要素だったよな」
魔理沙が手近の棚にあった六面ダイスを三個手にとり無造作に転がす。乾いた音を立てて転がったそれは三つとも六を示していた。
「ちょっと、オーメンじゃない。あまり縁起のいい数字じゃないわよ、それ」
「いいや、絶好調だ」
「どういうこと?」
「ここらのチンチロリンじゃ、オーメンは賭け金の五倍もらえるんだぜ」
「ふうん」
「霊夢相手に三連続オーメン出したら、お金の代わりに御札が飛んできた。泣きながら怒ってて不気味だったぜ」
「器用なことするわね」
肩をすくめつつ、アリスもダイスを振る。一二三の目。
「負け確定の二倍払いじゃないか。縁起悪いぜ」
「いいのよ、これで」
「なんでだ?」
「ひふみって好きなのよ、私。言葉の響きがいいと思わない? 繰り返して口ずさみたくなるような」
「よく分からんが、幸運が続いてるなら問題ないな」
このやりとりを黙ってみていた小悪魔が、誰にも聞こえない声で呟いた。
「ほんとに大丈夫なんでしょうか……」
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、始めるぜ」
魔理沙が身体強化のための魔法構成を空中に展開していく。
白と黒を基調にしたそれは、アリスの目には所々いびつに映る。
不慣れでまだ完璧には扱えないのだろう。しかし構成は霧散することなく、まがりなりにも完成した。構成に魔力が行き渡り、発動する。
「へへ、どうだ? 見違えただろ?」
「……どういうことなの」
身体を大きくすると言っても元が魔理沙であるため、せいぜい自分と同じ背丈くらいだろうとアリスは高をくくっていた。。
しかし目の前にいたのは想像を遥かに上回る八頭身の美女であった。出るところは必要以上に出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
特に胸の自己主張はかなりなことになっている。
顎に手の甲でも当てて妖艶に微笑むのが似合いそうな淑女だが、口調がいつもの魔理沙なので違和感が仕事をしすぎで過労死寸前だ。労災は認めない。
アリスと小悪魔はその変貌ぶりをポカンと眺める。もはやどこから突っ込んでいいのか分からない。
「……何で服まで大きくなってるの?」
とりあえず一番聞きたかったことを質問する。
「同じ質問を神社によくいる鬼にしたことがあるんだが、服がないと寒いからだそうだ」
「それはそうだけど……ああもう、何でもいいわ。早くやりましょう。その姿で普段のノリで会話されると頭がおかしくなっちゃいそう」
「同感です……」
頭を押さえながら小悪魔が呻く。
「そうだな、やるか」
「あ、魔理沙さん。その前にこのリボンをつけてください」
小悪魔が差し出したのは、どこかで見覚えのある赤と青のリボン。
「パチュリーがいつもつけてるやつか?」
「ええ、魔力を増幅するマジックアイテムです。少しは足しになりますよ」
「サンキュー、借りとくぜ」
欲しかったオモチャを買い与えられた子供のような表情をしている魔理沙。言外に返す気が無いことをうかがわせる。
お下げにリボンを結んでやりながらアリスが、
「私が後で責任もって返させるから安心していいわ」
「頼りにしてます」
「アリスー……」
「なに?」
「何でもないです……」
不満げな声を漏らす魔理沙を笑顔と一言で黙らせる。体格で追い抜いても立場は変わらないようだ。
「始めるぜ」
気を取り直した魔理沙はミニ八卦炉を構え、瞑想して魔力を集中していく。
弾幕勝負ではないので、時間をかけて丹念に魔法構成を編み上げる。
繊細かつ大胆な構成が編みあがり、そして掛け声とともに魔力が込められて発動する。
「マスタースパークッ!」
ミニ八卦炉から放たれた細い光の奔流がクリスタルに吸い込まれ、結界のひずみ部分に転送されていく。
ここまでは実りやすいマスタースパークの初動と同じだが、太さはそのままに光の密度がどんどん濃くなっていく。
5秒、10秒……結界はまだ破れない。普通のマスタースパークであればとっくに発動は終わっている時間が経過した。
結界の境目には膨大な魔力が行き場無く留まっている。
魔理沙の顔が苦痛にゆがみ、構えた腕がガクガクと痙攣しはじめた。
あれだけ綿密に組まれていた構成は、端からいくつかほころびが見えている。崩壊寸前だ。
「く、そっ……」
指先に力が入らず、視界がぼやける。
やはり無理があったか、と諦めかけたその時、横から伸びてきた手がミニ八卦炉を支える。
アリスだ。
お互いの指が触れていることに一瞬、我を忘れてしまう魔理沙。だがアリスの言葉で現実に引き戻される。
「もう少しよ、魔理沙。貴女ならやれるわ」
「……おう!」
いつもは行動を諌められてばかりのアリスに鼓舞され、魔理沙の心に芽生えかけた諦念がかき消える。
アリスの魔法構成が展開され、崩壊しつつある魔理沙のそれを上から包みこんで補修していく。
弱まりかけた魔理沙の目と光線が再び強さを取り戻し、そしてついに魔力の総量が結界のキャパシティを超えた瞬間、音もなく小さな穴が開く。
「結界の突破を確認!」
小悪魔が叫ぶ。
それと同時に魔理沙の手から力が失われ、膝から崩れ落ちていく。
アリスに向かって親指を立てながら倒れていく魔理沙を小悪魔が支えたのを確認し、手持ちの魔導本を空中で開く。
よく頑張ったわ魔理沙。後は任せなさい。
魔法使いにのみ視認可能な膨大な魔力の塊がアリスに制御されつつ、外の世界を駆け巡る。
広域を見渡せる上空から、ある建築物に目的の本の波長を見つけ突入する。センサーが何を感じ取ったのか、誰もいない自動ドアが開く。
「いらっしゃいませーこんにちはー」
「いらっしゃいませーこんにちはー」
「……ありがとうございましたー」
自動ドアの開く音に呼応し、誰も来ていないというのに来店を歓迎する挨拶が山彦のように響き渡る。
入り口近くのレジにいた一人だけは誰もいないことに気付いたが、しばらく悩んだ末にとりあえず別の言葉を発した。企業方針には従わねばならない。
無論のこと、結界の向こうにいるアリスたちに声は届かないのだが。
飛び込んだ建物は狙い通り古本屋らしく、様々な本が所狭しと陳列している。
ある本棚に目的の本を見つけ、アリスが召喚魔法の構成を展開する。
同時に魔導書が高速でめくれていき、召喚に必要な14の言葉が載ったページでとまる。淡い光を放つその言葉を、アリスが早口に読み上げる。
「らせん階段、カブト虫、廃墟の街、イチジクのタルト、カブト虫、ドロローサへの道、カブト虫、特異点、ジョット、天使、紫陽花、カブト虫、特異点……」
一息。召喚魔法の大規模な構成が編みあがっていき、そして最後の言葉を口にする。
「秘密の皇帝ッ!」
振り上げた右腕を振り下ろすアクションとともに、一つひとつの言葉が魔力を帯び構成に行き渡っていく。
あとは発動するのみ。しかし、ターゲットの本に狙いを定めたその時――
無情にも込められた魔力は霧散し、一分の狂いもなく完成していたはずの構成は音もなく崩壊。
それだけではなく、結界を突破した魔力がこちらの世界へ逆流をはじめた。
◆ ◆ ◆
「ど、どうしたんでしょうか、これは一体――」
「分からないわ。こっちに逆流してきてる。制御できないのよ」
突然の事態に慌てる小悪魔。対照的にアリスは冷静に事態を把握しようとしている。
制御不能になった膨大な魔力――暴走マスタースパーク――は元きた道を辿り、無縁塚を経て研究室に到達しつつあった。
「パチュリー様の時と同じ状態です。どうして……」
「原因追求は後にしましょう。今はあの魔力をなんとかしないと……パチュリーはどうやって対処したの?」
「同じ威力の魔力をぶつけて相殺しました。ですが制御できない上にランダムに動くので難しくて……」
暴走した魔力そのものよりも、命中させられなかった魔法による被害の方が多かったのだという。
パチュリーがなかなか当てられないとなると、一筋縄ではいかない。
「まずいわ……パチュリーの時と違って、あれは結界を突破してるのよ。ハンパな魔力じゃないわ」
アリスはパワーよりも頭脳戦を好む魔法使いである。
柔よく剛を制すを信条としており、優雅かつ器用に戦うため、パワーに真っ向勝負を挑むことはまず無いと言ってよい。
弾幕勝負ならそれで問題ないが、今回ばかりはそうはいかない。
不規則に高速移動する光熱波を止めるには、それを捉える技量と、相殺しきるだけの火力が必要だ。
技量に関しては自信があるが、魔力を増幅し、自分も助力したマスタースパークを真正面から止められるイメージが湧かなかった。
「……」
チラ、と小悪魔が抱きかかえている魔理沙の姿が視界に入る。
動けない二人を庇いながら、この狭い研究室の中で魔力を相殺するのは無理と判断する。
「小悪魔、魔理沙をつれて図書館に逃げて! 暴走していても、近くなら少しはコントロールできるかもしれない。なんとか図書館に魔力を誘導するわ!」
身動きの取れない場所よりも、広い場所の方がまだしもやりやすい。
また蔵書に被害が出るかもしれないが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「は、はい!」
小悪魔が魔理沙を抱えてドアから出て行くのを確認し、精神を集中する。暴走マスタースパークは無縁塚近くに開いていたクリスタルに通じる道に到達。
召喚用クリスタルから飛び出し、研究室内部に炸裂しそうになるのをすんでのところで押し留める。
「くうううっ……!」
重い。
制御できていた時は豊富な魔力を推進力に変換し、指向性を与えるだけで操作できたが、今は推進力も自分の魔力でまかなわなければならない。
「本気を出すのは……いつぶりかしらねッ!」
少しでも気を抜けば再び暴走しそうな魔力を前に、幻想郷にきてからは誰にも見せていない全力を出す覚悟を決める。
自慢のショートヘアが魔力の奔流にざわめき立つ。
七色に輝く糸状の魔力構成を編み上げ、図書館への擬似的な道を作ってその中に暴走マスタースパークを押し込む。
バチバチと不快な音を立てつつも、なんとか図書館に追いやることに成功。
「魔理沙、小悪魔! 大丈夫!?」
「アリスさん! はい、大丈夫です!」
制御を一旦解除し、自分も図書館に飛び出す。
扉を出てすぐ横に小悪魔がいる。魔理沙も未だ気を失っているが無事のようだ。
アリスがほっとしたのもつかの間、いくつか本棚が倒れる音が響く。
「のんびりしていられないわね。小悪魔、パチュリーを呼んで来てもらえない?」
「はいっ!」
自分たちで始めたこと、できればパチュリーの手を借りずに処理したかったが、そうも言ってられない。
魔理沙をかばうように前に立ち、暴走マスタースパークの制御・相殺を再び試みる。
しかし……
「制御は辛うじてできるけど……」
暴走マスタースパークを自分だけで相殺するのは無理だ。
事実を苦々しく受け止める。
魔力の絶対量や技量で言えば魔理沙を凌駕するアリスであるが、最大瞬間火力という点においては魔理沙が先んじている。
というより、戦いのほとんどを人形繰りでこなすアリスには、魔理沙のような高出力・高火力の魔法は必要ない。
それに加え、魔理沙のフォローや召喚魔法で魔力の消耗が激しく、このまま持久戦になれば制御すら困難になりかねない状態であった。
アリスの内心に焦りが帯び始めた時、パチュリーの私室から二人の人影がこちらに来るのが見えた。パチュリーと小悪魔だ。
小悪魔は慌てた様子だが、パチュリーは相変わらず眠そうな表情でフワフワと浮かびながら移動してくる。眼鏡はかけていない。
「パチュリー、ごめんなさい。私たち――」
「謝るのは後回しでいいわ。それよりあれの対処を」
図書館内を縦横無尽に飛び回る魔力を見据えるパチュリー。
アリスが本棚にぶつからないようになんとか制御している状態だ。
「私があれの動きを抑えてるから、相殺をお願いできる?」
しかしその提案に首を横に振るパチュリー。
「今日はあまり喘息の調子がよくないの。今の私じゃ、あれを消滅させるような大魔法は使えない」
「そんな……」
頼みの綱のパチュリーもお手上げとあっては打つ手がない。
最悪の想像をするアリスだが、パチュリーはでも、と呟き、
「消滅は無理でも、弱体化させることはできる」
◆ ◆ ◆
「こぁ、召喚用のクリスタルを持ってきて頂戴」
「はいっ」
パチュリーの指示を受け、先ほど用いたクリスタルを運ぶため小悪魔が離れる。
小悪魔がクリスタルを引っ張りだしているのを横目に、パチュリーが口を開く。
「あの魔力は、魔理沙が出したものよね?」
「ええ」
懐から取り出した眼鏡をかけ、今も図書館内を飛び回る暴走マスタースパークをじっと見つめるパチュリー。
「変ね……魔理沙の魔法なら水属性を帯びているはずなのに、木属性も一部混じってる」
「ああ、私の魔法構成も混じってるの」
魔理沙は五行(木・火・土・金・水の五属性)で言うところの水属性、アリスは木属性である。
水と木の属性は相性が良いため、アリスの魔力による補正を受けたマスタースパークはその威力を増幅することができた。
これを相生の関係といい、相手の属性に力を与える組合せである。
「なるほど。それなら土と金属性の魔法を同時にぶつけて弱体化させる。その後、クリスタルで適当に館の外に放出するわ。今のまま外に出すと危険だけど、弱らせておけば問題ないでしょう」
「そんなことできるの?」
五行には相生の関係の逆で、相剋の関係というものがある。
相生が相手の属性に力を与えるものであるのに対し、相剋の関係は相手の属性を傷つけ、弱らせてしまう。
水属性は土属性に、木属性は金属性にそれぞれ弱い。
パチュリーは暴走マスタースパークを構成する魔力のうち、魔理沙の水属性部分に土属性魔法を、アリスの木属性部分に金属性魔法を当てて相殺しようとしている。
これは容易なことではない。
属性の異なる魔法を同時に複数操ることがすでに高等技術であることは言うまでもないが、土属性は木属性に弱いという特徴もある。
よほど上手く属性を見極めて命中させないと、土属性はかき消され、金属性魔法を単体でぶつけたのと同じことになる。
暴走マスタースパークは非常に不安定な状態であるため、同時に二つの構成を弱体化させないと、文字通りその場でスパークしてしまう危険性がある。
そうなれば図書館はもとより、紅魔館自体がただでは済まないだろう。
不安がるアリスの言葉に、しかしパチュリーは言い切った。
「当てることさえできれば何とでもなる。ただ、当てるには貴女の協力が必要」
体調が優れないパチュリーは、魔法を乱発できるコンディションではないため一発必中を望んでいた。
それにはアリスが極限まで暴走マスタースパークを制御し、限りなく当てやすい状況にする必要がある。
パチュリーの真剣な眼差しを受け止めたアリスは、力強く頷いた。
「分かったわ、任せて」
その言葉を引き金に、周囲の空間に七色に輝く魔力構成の糸が生まれる。
糸が暴走を続けるマスタースパークに伸び、半ば無理やりに絡めとって動きを止める。
あり余るエネルギーが放電現象となって辺りに飛び散るが、アリスの魔力が懸命に押さえ込む。
「長くはもたないわ、パチュリー!」
その言葉に無言で頷き、パチュリーが魔導書を開く。
土と金をイメージする魔力構成が展開され、スペルカードが発動する。
「土金符『エメラルドメガロポリス』」
その言葉と同時、地面からプレート状の物質が生まれ、なおも抵抗を続ける暴走マスタースパークに突き刺さる。
甲高い不快な音をたてながら、暴走マスタースパークが崩壊していく。
パチュリーは複雑に絡み合った魔力構成を完璧に読みきって、相剋の属性同士を命中させたのだ。
「やったわ!」
魔力の大半を使い果たしたアリスが、ガックリと膝をつきながらその光景を見つめる。
しかしパチュリーがそれを否定する。
「いいえ、まだ。弱体化はしたけれど、早く館の外に転送しないとまた暴走する。アリス、早くあれをクリスタルに押し込んで」
「ええっ! それも私がやるの!?」
「私はあんな重そうな魔力を操るのは無理。貴女が頼りなのよ」
「そんなこと言ったって、私も今ので相当消費したわよ!?」
再度、魔力の糸を伸ばしてクリスタルに押し込もうとするが、暴走マスタースパークはまるで意思があるかのようにクリスタルの前で抵抗を続ける。
せっかく生まれた破壊エネルギーを使い切らずに消えるのは嫌だと言わんばかりだ。
「くっ、もう限界……」
七色に輝く魔力の糸がくすみ、色あせていく。アリスの魔力が尽きかかっている。
暴走マスタースパークはなおもクリスタル前で踏ん張っており、なけなしの全魔力を振り絞っても押し込めそうにない。
万事休すかと思われたその時――
「私の出番のようだな!」
後方からの声に振り返ると、気を失って倒れていたはずの魔理沙が、ふらつきながらも小悪魔に支えられてミニ八卦炉を構えていた。
「魔理沙ッ!」
「よし! アリス、そこでいい! その位置がベストッ!」
魔理沙がマスタースパークの構成を編み上げていく。
やはり消耗が激しいのだろう、普段の構成とは比べるまでもなくガタガタで稚拙なものであるが、慣れ親しんだ魔法ということもありなんとか発動にこぎつけた。
「恋符――『マスタースパークッ!』」
残りの全魔力を込めたマスタースパークが、クリスタル前で停滞している暴走マスタースパークを飲み込み、クリスタルに吸い込まれていく。
そして、図書館に静寂が訪れた。
同時刻。
紅魔館の門番こと紅美鈴は、館上空に巨大なエネルギー波が雲を切り裂きながら放たれ、やがて何事もなかったかのように静まり返るのを眺めていた。
「わー、すごいですねえ。パチュリー様の新作魔法かな?」
◆ ◆ ◆
一週間後、三人の魔女と小悪魔が図書館内部のテーブルについていた。
「パチュリー、ごめん」
「本当にごめんなさい」
あの騒ぎのあと魔理沙を永遠亭に担ぎ込み、退院したのが昨日のこと。
永琳曰く、「ものすごい筋肉痛。全治一週間」であったため命に別状はなかったが、魔理沙はしばらく寝返りをうつのも一苦労する有様だった。
アリスも疲弊は著しかったが一晩で回復し、そのまま付き添いで魔理沙の看病を続けた。
入院三日目に白蓮が見舞いにやってきて、約束を破って身体強化魔法を使った魔理沙にこんこんと説教をはじめた。
その後、アリスに対しても「止めなかった貴女にも責任がある」として小言を開始。
アリスはそれを神妙な面持ちで聞いていたが、その様子を魔理沙が茶化したところ、本気で怒った二人からこってり絞られた。
反省の色なしと見なされた魔理沙は、白蓮の提案でしばらくアリスの監視下に置かれることになった。
しかしその夜に永遠亭を脱走しようとしたところを見つかり、怒り心頭のアリスに首輪で繋がれ、風呂もトイレも一緒の監視生活がスタート。
同時に人間の言葉も禁止され、ワン(はい、分かりましたアリスさん)とワンワン(トイレに行かせてください、アリスさん)だけの生活を退院まで送るハメになった。
翌日には取材にきたカラス天狗にその様子をスッパ抜かれ、二人のそういう関係が広く知られることになったのは、魔理沙にとって屈指の黒歴史となった。
ちなみに魔理沙は取材に対し、「このお仕置きは軽い方。本気だしたアリスはこんなもんじゃ……ひいっ、アリス!? ご、ごめんなさ」と語っている。
(射命丸文の取材メモより抜粋:魔理沙氏はインタビューの途中、アリス氏に鎖で首輪ごと引っ張られてどこかに連れて行かれたため取材を断念)
閑話休題。
そして色々な処理が終わった今日、改めてパチュリーに謝罪するため、二人で図書館を訪れたのであった。
倒れた本棚などはとっくに片付いていた。小悪魔やメイドたちがやってくれたのだろう。
パチュリーは本に目を落としていたが、二人の謝罪の言葉を聞くとすぐに本を閉じ、眼鏡を外す。
「大体の事情はこぁから聞いているわ」
怒るでも呆れるでもなく、あくまで淡々とした様子のパチュリー。
疲れているのか、右目を手の甲でこすっている。左目にも手が伸びる前に小悪魔が「充血するからダメですよ」と告げると案外素直にやめた。
「貴女たちに、少し聞きたいことがあるのだけれど」
魔理沙とアリスが顔を見合わせる。
本以外にさほど興味を示さないパチュリーが、自分から話題を振ってくるのは珍しい。
「どうして、あの本を召喚しようと思ったの?」
「小悪魔から聞いてないのか? パチュリーが喜ぶところを見たくてさ」
「そうじゃなくて、どうして私の喜ぶところを見たいと思ったの?」
理解できないといった様子のパチュリー。
それに対し魔理沙は当然とばかりに、
「だって三人で話してても笑ったことないだろ。いつも退屈させてちゃ悪いし、研究のアドバイスをもらった恩もあるしな」
「結果はこのとおり、かえって迷惑かけちゃったわ。ごめんなさい」
「ごめん」
重ねて謝罪する二人に、視線を送るパチュリー。
小悪魔だけが、それが普段より柔らかいものであることに気づいていた。
「もう謝罪は要らないわ。終わったことですもの」
それに、と前置きして続ける。
「何か勘違いしているようだけれど、私は貴女たちのことを迷惑だなんて思ったことはないし、退屈もしていないのよ?」
パチュリーが魔理沙に視線を送る。
「魔理沙、貴女は私の弾幕を参考にしたスペルカードを作らせて欲しいと言ってきた。あれは私の研究が、現役の魔法使いに認められたということ」
アリスが見ると、魔理沙はどこかバツの悪そうな、隠し事がバレてしまった子供のような表情を浮かべている。
以前に聞いたときはごまかしていたが、魔理沙はオリジナルへの尊敬の念を忘れていなかった。
そんな魔理沙にアリスが微笑を向けていると、今度はパチュリーがこちらを向いた。
「アリス、貴女はいつぞやの天人が異変を起こした時、ここに相談にきた。魔法は術者のオリジナルであるべきだと自負する貴女が、私の知識を頼ってくれた」
今度は魔理沙がアリスを見る。
表情こそあまり変わっていなかったが、口元や頬が照れくさそうにゆるんでいるのを見て、魔理沙の顔も楽しそうにほころぶ。
「神は信仰心によって力を増すと言われるけれど、魔法使いは己の知識や研究を認められることで心が満たされるわ」
パチュリーが魔導書を愛読するのは、過去の偉大な魔法使いに対する畏敬の念があるから。
魔法や魔法使いの存在自体が禁忌となっている時代、場所も少なからずあった。
誰にも認められずに無念の死を遂げた彼らの魂を、遺していった本を読むことで少しでも救いたい。
パチュリーはその想いから、膨大な魔導書を集め、読み続けているのだ。
「魔法使いは死後にその研究が認められることが多い。でも私は……うぬぼれでなければ、現役のうちから貴女たちに認めてもらえている。それはとても……とても幸せなことなのよ」
目を瞑り、胸に両手を当てながら語るパチュリー。
「貴女たちは、あまり外にでない私にいつも新しい情報や話題を提供してくれる。貴女たちが来てくれるだけでいい刺激になるし、とても楽しいと思っているの」
一息。
「貴女たちは私にとって、見所のある、将来有望な可愛い後輩よ」
そう言って、ほんの少しだけ微笑む。
それは見るものを幸せな気持ちにさせる、優しい笑みだった。
魔理沙とアリスはそんなパチュリーを見て、満面の笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆
「ところで、どうして召喚できなかったのかしら。こぁの話じゃ、結界は一度越えたと聞いたのだけれど」
「そこが分からないのよね。召喚魔法の構成は、我ながら完璧な出来だったと思うわ。あとは発動するだけだったのに」
「なんか、この前私たちが不運で成功しなかった研究の時に似てないか?」
「でも、運勢はまだ好調だったはずよ。ダイスで確かめたじゃない」
「そうなんだよなー」
「ちょっと待って。そのダイスって何のこと?」
魔理沙がこともなげに、
「パチュリーの研究室の棚に転がってたやつだぜ。何かまずかったか?」
「……」
パチュリーが大げさに嘆息する。
「あれは出したい数字を出す代わりに、そのあと一時的に不運になるマジックアイテムよ。だから運試しはおろか、魔法を使う前に転がすなんてもってのほかよ」
「え」
「ちょ、ちょっと。それじゃまさか」
パチュリーが、以前に聞いた質問を再び投げかける。
「……貴女たち最近、不運続きだったんじゃない?」
問われた二人が、再び自身の不運エピソードを口にする。
「……永琳にもらった痛み止めの薬に、何故か下剤が混じってて酷い目にあった。悪戯ウサギのやつの仕業かと思ってとっちめたが、月ウサギの方が「この子が私以外に悪戯するはずがない」って必死にかばってたな」
「わたしも、魔理沙の食事を作ってたら塩と砂糖の容器が逆になってて入れ間違えたわ。悪戯ウサギがやったのかと思ったけど以下同文よ」
「……」
「……」
「……」
沈黙が場を支配する。
「その、つまりあれね。私たちは……」
「また"不運"と"踊"っちまった、というわけか……」
「そういうことのようね」
因幡てゐと博麗霊夢によってもたらされた仮初の幸運は、二人が召喚儀式の前にやった運試しによって消し飛んでいた。
そして不運は、最も来て欲しくない場面で最も嫌らしい結果をもたらした。
すなわち、二人の魔力が消耗された段階での逆流である。
「あー、同じ過ちを繰り返すなんて不覚だぜ」
「大体、魔女の研究室に置いてあるダイスが普通のものなワケがないのよ。抜かったわ」
「二人とも、注意不足ね」
「はあ、こうも失敗続きだと自信喪失しちゃうぜ」
「私も、こんな初歩的な失敗してるようじゃ、魔理沙の保護者として失格ね」
ため息をつく二人。
その様子を見たパチュリーが、生徒に教えを説くかのように話しはじめる。
「前にも言ったけれど、研究に失敗なんてないわ。真の失敗とは、悪い結果を恐れるあまり、困難に挑戦する事を放棄した者のことをいうのよ」
二人が耳を傾けていることを確認し、続ける。
「貴女たちは困難に臆することなく挑戦した。そしてあと一歩のところまで到達した。その勇気と結果は誇るべきよ」
パチュリーの言葉を聞き、二人の表情に笑顔と力が戻ってくる。
「うん、そうだな。パチュリーにそう言ってもらえると、自信が湧いてくるぜ」
「そうね。まるっきりダメだったってわけじゃないものね」
二人が気を持ち直したのを見ていたパチュリーが、なにやら言いにくそうに、遠慮がちに口を開く。
「その……貴女たちさえよければ、今度は私と一緒に召喚実験をやってもらえないかしら」
「三人でやるってこと?」
「ええ。私は一人でやって結界も超えられなかった。でも貴女たちは二人でやって結界を越えた。なら三人でなら、きっと成功するわ」
その言葉に魔理沙とアリスは顔を見合わせ、笑顔で頷いた。
「ああ、私はいいぜ」
「私も、喜んで協力させていただくわ」
「ありがとう、嬉しいわ」
◆ ◆ ◆
「それにしても、パチュリーがバンザイしながらピョンピョン跳ねて喜ぶところ、早く拝みたいもんだぜ」
何気ない魔理沙の言葉にパチュリーがティーカップに伸ばした手の動きをとめ、小悪魔の方を振り返る。
「……こぁ?」
名前を呼ばれ、嬉しそうな小悪魔。
「はーい、何でしょうかパチュリー様」
「貴女、この二人に余計なこと吹き込んだでしょう」
「え? えへへー」
笑顔で悪びれた様子もない小悪魔を、半目で見つめるパチュリー。
「……後で覚悟しておきなさい」
「はーい」
何故か右手を元気よく挙げる小悪魔。
その様子を見て、アリスがとりなすように口を挟む。
「あまりいじめないであげて。小悪魔はパチュリーに喜んでもらいたくて協力してくれただけなんだから」
しかしその言葉に、パチュリーは無言を返すのみであった。
◆ ◆ ◆
「いやー、やっぱりパチュリーはいいこと言うよな。例のほら、ナントカカントカってやつだな」
「サイレント・マジョリティのこと? 何よ、ナントカカントカって」
「サイレント・マジョリティがどうかしたの?」
アリスが先日の魔理沙との会話をかいつまみ、パチュリーに説明する。
聞き終えたパチュリーが微笑を浮かべながら口を開く。
「あら、サイレント・マジョリティなら、貴女たち二人も黙っていればその資格はあるわよ」
「なんのことだ?」
不思議そうに見てくる二人に、パチュリーは真顔でこう続けた。
「Silent・魔女りTea。つまり静かなる魔女の茶会よ」
しばしの静寂。
そして無表情で胸を張るパチュリーに、その場の三人が異口同音に突っ込んだ。
「パチュリー、それはないぜ……」
「パチュリー、それはないわね……」
「パチュリー様、それはないです……」
「むきゅっ!?」
よほど自信があったのだろう、全否定されたパチュリーはいたくショックを受けていたが――とても楽しそうでもあった。
◆ ◆ ◆
深夜。大図書館内のある一室に、パチュリーと小悪魔が小さなテーブルを挟んで向かい合うように座っていた。
パチュリーは珍しく本を読んでおらず、小悪魔はニーソックスを脱いだ素足をブラブラと揺らしていた。
「召喚に協力してもらえることになってよかったですね」
「ええ……貴女のおかげね、こぁ」
「えへへ。でも、昼間は「覚悟しておきなさい」って言ってましたよ? お仕置きされるのかなーってドキドキしてます」
嬉しそうな口調の小悪魔に、パチュリーがほんの僅か、不満げに返事をする。
「……分かってるくせに。私が貴女にそんなことできるはずないでしょう」
「ええ、分かってますよ。分かってるのに構ってほしくてあんなことを言っちゃうパチュリー様は、とっても可愛いです」
「……」
目を細め、まさに小悪魔という形容詞に相応しい笑みを浮かべる小悪魔。
小悪魔の言葉を聞き、パチュリーの頬にサッと朱の色が浮かぶ。
「あの……二人だけの時は『パチェ』って呼んで……?」
もじもじと両手の指同士を弄びながら、上目遣いに小悪魔を見つめるパチュリー。
突然雰囲気が変わった主人の様子に、しかし動じることなく小悪魔が突き放すように言う。
「へえ、それが人にモノを頼む態度ですか? もう口の聞き方を忘れたのですか、『お前』は」
あくまで丁寧語は崩さず、その上で主人をお前と呼ぶ。
だが言われたパチュリーは怒るどころか、ビクンと身体を震わせ、眉尻を下げながら慌てた様子で言い直す。
「ご、ごめんなさいっ。……どうか、パチェと呼んでください、『こぁ様』……」
「そう、それでいいんですよ。よくできましたね、『パチェ』」
「あ……ありがとうございます」
頭を撫でられ、嬉しそうに頬を染めるパチュリー。髪に指を絡めてやると、気持ち良さそうに目を細めている。
普段の無口な彼女からはとても想像できない変わりようだ。
「ふふ、可愛いですねパチェ。私を召喚したばかりの、いつもおすまし顔をしていた頃からは考えられませんね?」
「やぁ……昔のことは言わないでください……」
小悪魔がパチュリーに召喚されたのは、紅魔館が幻想郷に移り住んでくる遥か以前のことである。
悪魔族としてはさほど力のない自分を選んでくれた主人に恩返しをするため、小悪魔は誠心誠意パチュリーに仕えた。
図書館の掃除、本の購入や整理整頓、紅茶や食事の用意、etc……
しかし、どんなに献身的に仕えても「欲しい本が手に入る」こと以外で、彼女が笑顔を見せてくれることはなかった。
小悪魔はパチュリーの笑顔が本にのみ向けられるものであることに悩み、本に嫉妬さえした。
いっそ燃やしてしまおうかとも考えたが、主人のことを想うとそれは絶対にできない。忠誠心と欲望の狭間で、小悪魔は苦悩した。
そしてある満月の夜、ついに溜め込んでいた感情が爆発し、主人に欲望の全てをぶつけた。
『主人のため』に生きてきた小悪魔が、初めて『己の欲望を満たすため』を理由に行動したのである。
実力差は歴然であり、自分はすぐに始末されるだろうと覚悟していたが、意外なことにパチュリーは全てを受け入れてくれた。
それどころか、
「やっと、素直になってくれたのね」
そう言って抱きしめられたあと、初めて自分に笑顔を見せてくれた。
その時、小悪魔は数多の悪魔族の中から、なぜ自分が選ばれたのかを理解した。
パチュリーは小悪魔の胸のうちにある、主人に対する倒錯した支配欲を見抜いていたのだ。
そして彼女がそんな自分を敢えて従者に選ぶ理由はただ一つ。彼女もまた、従者に対して倒錯した欲望を持っていたのだ。
ただし、小悪魔とは逆ベクトルの欲望を。
その日を境に、パチュリーは小悪魔の『主人』であり、同時に『従者』になったのだった。
「今度あの二人に、「パチェはクールを装った変態さんで、いじめてもらいたくてSっ気のある悪魔を召喚した」とバラしたら面白そうですね?」
嗜虐心に満ちた笑みを浮かべた小悪魔の言葉を聞き、パチュリーがいやいやをするように首を振る。
「そ、それだけはやめて、お願い……」
その態度を見て、小悪魔の笑みが冷たいものに変わる。
「……お前はまだ口の利き方が分からないんですか? それとも、いじめてほしくてわざとやっているんですか?」
「あ……お、お願いします……こぁ様、どうか……」
恐怖に声を震わせながらもどこか嬉しそうなパチュリーの言葉を、しかし小悪魔は無視しブラつかせていた脚を組む。
「主人に何かを乞う時はどうするんだったか、もう忘れましたか?」
そう言い、自らの足に視線を落とす。
その視線につられるようにして、悪魔族特有の少し鋭い爪が揃った素足をパチュリーが見つめているのを確認し、声をかける。
「パチュリー様?」
名前を呼ばれたパチュリーがビクリと顔を上げる。
そして何かを諦めたような表情で席を立ち、ノロノロと近づいてくる。
敢えて顔も見ないように横を向いていると、パチュリーが熱に浮かされたように言葉を絞り出す。
「失礼します……」
そう呟いて目の前に跪くパチュリー。
目を潤ませながら上目遣いに見つめてくるが、早くしろという意思を込めた冷たい視線を投げて返す。言葉は決してかけない。
それがこの『主人』を何より悦ばせると知っているから。
目の前で奉仕を始めたパチュリーを見下ろしながら一人ごちる。
「パチュリー様を真に悦ばせてあげられるのは、私だけ……」
「……?」
パチュリーが上目遣いで不思議そうに見上げてくる。
上気したその顔を眺めながら手を伸ばして頬に指を這わせると、か細い声を挙げながら悶えるように身を揺らす。
胸の鼓動ははちきれんばかりに高鳴っており、気を抜けば卒倒してしまいそうな興奮をおさえながら、努めて平静に声をかける。
「なんでもありません。続けてください。そう、指の間もですよ。いい子ですね、パチェ」
愛称で呼んでもらえたことに満足したのか、行為に集中するパチュリーを見下ろしながら内心で考える。
こんなに可愛い貴女を見られるのは私だけ。
現役の魔女たちからも一目置かれる貴女の、こんなに乱れた姿は私だけのもの。
貴女に悦んでいただくことが、私の幸せです。私の全てです。
一生お仕え致しますよ、パチュリー様。
「ちょっと待って魔理沙。その構成じゃ魔力の安定供給が難しいわ」
本特有の匂いと埃が漂う紅魔館地下の大図書館。
大部分を闇と静寂が支配する空間であるが、テーブルの置かれた一廓のみがその支配から逃れていた。
テーブルには椅子が四脚用意されており、今はそのうちの三つが埋まっていた。
周囲には白い輝きを放つ光球が三つ浮かんでおり、それぞれの顔と手元を照らしている。
「何だよ、やってみなきゃわかんないだろ?」
「やらなくたって分かるわよ。それよりも、私の理論の方が理に適ってるわ」
先ほどから口論にも近い議論を続けているのは、人間の魔法使いである霧雨魔理沙と、人外の魔法使いであるアリス・マーガトロイドだ。
時折は共同研究もする仲であるが、既存の方法を踏襲しつつ改良することに重きを置くアリスと、根本的に新しい方法に挑戦することを好む魔理沙はよく意見が衝突する。
「その理論は確かに安定してるけど、構成の展開速度が遅すぎて実用的じゃないぜ」
「今はそうかもしれないけど、それを少しずつ改善していくのが研究だと思うわ」
「いいや、既存の方法を捨てて新たな手順を試した方が大きな効果が得られる時もある。それが研究じゃないか?」
「もう、口が減らないんだから。ねえ、パチュリーからもなにか言ってやってよ」
「そうだぜ、パチュリーもアリスを説得してくれよ」
二人の視線が、会話に加わらず黙々と本を読んでいる図書館の主こと七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジに向く。
しかし二人分の視線を受けて尚、パチュリーは本から目を離そうとしない。
「パチュリー、聞いてるの?」
「……何?」
アリスが再度呼びかけると、気づいていなかったという様子で本から目をあげ、二人を見やる。
読書の邪魔をされた形であるが、その表情からは不快感を含め、一切の感情は読み取れない。
研究の事でアリスと魔理沙が揉め、意見を求められるのはよくある光景であるため慣れてしまっているようだ。
「アリスが頑固なんだぜ。私の理論を認めようとしないんだ」
「どっちが頑固なのよ。私の理論の方が正しいわ」
やいのやいのと議論を続ける両者を交互に眺めながら、パチュリーが眼鏡を外して本の上に置く。
途端にその表情が眠そうに、あるいは機嫌を損ねたかのように半目になるが、別に眠いわけでも機嫌を損ねているわけでもない。
薄暗い地下室で本を読み続けたため軽度の近視を患っており、裸眼の時は目を細めてしまう癖があるのだ。
放っておけばいつまでも言い合いを続けるであろう二人に、パチュリーが小声でささやく。
「理論があるのなら実際に両方試しなさい。研究に失敗なんてないのだから。あるとしたら、失敗したという結果を得られた成功だけよ」
パチュリーの声は近くにいてやっと聞こえる程度であったが、二人の耳には届いたらしく、ぴたりと口論が止む。
「ん……そうね。パチュリーの言うとおりだわ」
アリスが折れる。続いて魔理沙もしおらしく謝る。
「だな。ごめんアリス、私が悪かった」
「ううん、私も意固地になってたわ。ごめんなさい」
お互いに謝罪を済ませ、なんとなしにしばらく見詰め合う。
間が持たなかったのか、魔理沙が頭をかきながら歯を見せて笑い、アリスもそれにつられて微笑む。
両者のわだかまりが消えたところで、思い出したようにパチュリーの方を振り向き、異口同音に謝る。
「パチュリーもごめんな」
「ごめんなさいね」
しかし当のパチュリーは気にした様子もなく、既に眼鏡をかけ本に目を落としていた。
◆ ◆ ◆
しばらく経ったある日、同じ場所に同じ三人が集まっていた。
「この間の研究、上手くいかないんだ」
「魔理沙もなの? 私もよ。どうしてかしらね。そこまで難しい魔法じゃないと思うのに」
「あれ以外にも色々試したんだけどな、魔法の構成は最後まで編めるんだが、魔力を込めても何故か発動しないんだよな」
「私もよ。構成はできてるのに発動しない。理論を見直してみても、原因がよく分からないわ」
「はー、また最初から理論の組み立てなおしかなあ」
魔理沙が大げさにため息をつき、やや温くなった紅茶の入ったカップを口に運ぶ。ほのかな甘さが疲れた身体にちょうど良い。
目の下にはくまが出来ており、顔色もあまり良くない。睡眠不足からくる疲労が色濃く浮かんでいる。
アリスも頬に手を当てながら目を閉じ、浮かない表情をしている。
人間である魔理沙とは異なり基本的に睡眠を必要としない身であるが、妖怪といえど疲労は蓄積する。
それでなくとも魔法使いは身体能力は人間と大差ない上、リフレッシュのために眠りの習慣を続けているアリスにとって睡眠は重要である。
適度な睡眠は身も心もリフレッシュしてくれるが、大きな悩みや心配事は時としてその睡眠すら許さない。
「何がいけないのか見当もつかないし、お手上げ状態ね」
「ああ、だが私は諦めないがな」
「私も、諦めるだなんて言ったつもりはないわ」
「……うふふふふ」
「……うふふふふ」
疲れの見える顔を無理やり歪め、不敵に笑う二人。かなりキている。
不気味な笑い声に気付いたのか、文字を追っていたパチュリーの目が、その対象を魔理沙とアリスに変える。
そして誰にも聞こえない程度に小さく嘆息すると、いつもより勢いをつけて本を閉じた。
その乾いた音に二人が振り向いたところで、眼鏡を外しながら口を開く。
「魔法の成功率は六つの要素に左右されるわ。術者の『技量』、魂の『気質』、魔法に必要な『物質』、発動させる『空間』と『時間』、そして時の『運』」
相変わらずの小声ではあるが、両者が黙って聞き入っていることを確認し、続ける。
「私の見立てでは、貴女たちの理論は間違っていない。技量も準備も十分。……ということは、足りない要素は運と考えてみてもいい」
一息。
「貴女たち最近、不運続きなんじゃない?」
問われた二人は思い当たるフシがあったらしく、自身の不運エピソードを口にする。
「そういえば、備蓄してた研究用の干しキノコが虫に喰われて全滅してた。防虫対策はしてたんだがな。虫が湧く季節でもないし、参ったぜ」
「私は気分転換に人里で人形劇をやっていたら、おろしたての操り糸が切れたのよ。糸は私の魔力で強化しているし、こんなこと今まで無かったわ」
それを聞いたパチュリーが確信を得たように小さく頷く。
「どうやら貴女たちは、運気が悪くなっているようね。体調や魔力が日によってある程度上下するように、運にもそういった要素があると本で読んだわ」
バイオリズムと呼ばれるものよ、とパチュリー。
と、ここで魔理沙が口を挟む。
「おいおい、運命操作できるどこぞの吸血鬼ならともかく、運が悪いって言われてもどうしようもないぜ」
「普通ならそうでしょうね。でもここは幻想郷。良い周期が巡ってくるのを大人しく待つのも悪くないけれど、自力で運勢を変えることも不可能ではないはずよ」
そう言うと、後は自分で考えなさいとばかりに口を閉ざし、再び眼鏡を手に取った。
◆ ◆ ◆
再びしばらく経ち、またしても三人の魔女が図書館に集まっていた。
「研究うまくいったぜ。竹林で幸運ウサギをとっ捕まえてきたら一発だ。帰り道でレアなキノコも手に入ったし、一気に運が向いてきたぜ」
「私もよ。幸運な巫女をお菓子で釣って招いたら上手くいったわ。研究が成功したらもっとあげる約束でね。ずっと前になくしたと思ってた貴重な呪い人形も出てきたし、万々歳ね」
よほど嬉しいのだろう、二人は大喜びで研究の成果を自慢しあっている。
運気が下降気味なら、幻想郷でも一、二を争う幸運の象徴を身近に置けばいい。
二人はパチュリーのヒントからそれを導き出し、研究を成功させたのであった。
「パチュリー、ありがとう。貴女の助言のおかげよ」
「ああ、サンキューなパチュリー。助かったぜ」
礼を言われた当のパチュリーはと言うと、本から顔もあげず事も無げに、
「今回は貴女たちの理論が正しいと思ったから、ヒントを与えただけよ。理論すら間違えていたら口出ししていないわ」
一息つき、でも、と二人を一瞥する。
「こういうことは今回限りよ。二人とも、精進なさい」
◆ ◆ ◆
紅魔館からほど近い霧の湖上空、帰途につく魔理沙とアリスの姿があった。
愛用の箒の前方にまたがって飛ぶ魔理沙が、同じく箒の後方に腰掛けているアリスに声をかける。
「今回はパチュリーさまさまだったな」
「そうね、まさか運の要素があんなに大きいとは思わなかったわ。理論一辺倒の考えは改めなきゃね」
風にはためきそうになるスカートを手で押さえながら、アリス。
ところで、と思い出したように口を開く。
「捕まえた幸運ウサギはもう逃がしてあげたの?」
「ああ、お詫びに月ウサギの秘蔵写真をやったら、またいつでも声をかけろだとさ」
楽しそうに話す魔理沙に対し、これは聞き捨てならないと問い詰めるアリス。
「ちょっと、秘蔵写真って何? なんでそんなもの持ってるの?」
「んー……企業秘密だぜ」
「ふーん……」
そう言って横顔で悪戯っぽく笑う魔理沙。普段なら頭の一つも撫でてやりたくなる可愛さであるが、発言が発言だけにそういう気にもなれない。
それで話は終わったとばかりに前を向いた魔理沙の両頬に、アリスのしなやかな指が伸びる。
頬に触れた瞬間、魔理沙の背筋がビクンと伸びたことに内心で満足しながら横に引張る。
手を振り解こうと魔理沙も腕を掴んでくるが、箒の制御のために片手しか自由にならない上に、逆に上海人形に押さえられてしまい抵抗もできない。
「ほふぇん! ゆふひて!」
逆転不可能を悟った魔理沙が謝ったところで手を離してやる。
涙目の魔理沙が頬をさすりながら恨めしげな視線をよこすが、納得のいく弁明をするまでは許すつもりはない。。
「うぅ……そう怒るなよー。弾幕を展開した瞬間の写真のことだぜ。弾幕研究用にカラス天狗からもらったんだ」
「それのどこが秘蔵なのよ」
「弾幕展開の瞬間を切り取った写真だからな、秘蔵だろ?」
当然と言わんばかりの魔理沙。この少女のこういうところは、故意なのか天然なのか分かりづらい。
アリスはその返事にすっかり毒気を抜かれてしまい、呆れた様子で口を開く。
「紛らわしいことは言わないでほしいわ」
「紛らわしいって、何がだ?」
「普通は秘蔵写真っていったら、もっとこう……とにかく他の女の子の写真を秘蔵だなんて言ったら誤解されて当然よ」
それを聞いた魔理沙はどうやら合点がいったようで、今度は明らかにそれと分かる意地悪な笑みを浮かべながら言い放つ。
「誤解も何も、私にはアリスの秘蔵写真なんて不要だからな」
「……どうして?」
思いのほかショックを受けたが、なんとか動揺を隠して訊ねる。
しかし、次に飛んできた言葉で憂いの表情は吹き飛んだ。
「もう全身隅々まで見て、味わった後だからな。私にとって、アリス秘蔵の場所なんてもうないぜ」
「な、何言ってるのよっ!」
「メイド服でも着て、首輪で繋いで散歩させてる写真とかなら秘蔵になるけどな。……うん、いいな。アリス、今度――」
「残念ね魔理沙、貴女に今度は無さそうよ」
魔理沙の首筋に、上海人形が持つ冷たい金属がピタリと当てられる。
正確には単なる細身のスプーンであるため殺傷能力は皆無だが、存外に怖がりな面もあるこの少女を脅すには十分だ。
顔を引きつらせながら、ゆっくりと箒から両手を離して上に挙げ、降参の意を示す魔理沙。今は箒の制御よりも人命が優先する。
今さらながら、どちらの立場が上なのか思い出す魔理沙。思い出した時には大抵遅いが。
「ごめんなさい。調子に乗りすぎました」
「来世では、乗るのは箒だけにすることね」
「ア、アリスさん? 発言が怖いです。反省してます許してください」
「……本当に反省してる?」
「はい」
「そう。なら、さっき言ってた格好を魔理沙がするなら、許してあげなくもないわ」
「うえぇっ!? な、なんで私がそんな変態プレイしなきゃならないんだよっ」
「なんでそんな変態プレイを人にやらせようとするのよアンタはっ! やらされる方の身にもなりなさいっ」
「でっ、でもっ、いつも私が受けだし、今までだってアリスの方が私に散々――」
「そういうことを外で言わないの!」
顔に赤みを帯びながら余計なことを言い始めた魔理沙の耳を引っ張り、耳元でわめく。
魔理沙よりもよほど大声であるため、周囲を飛び回る妖精たちの注目を引いているのだが当人は気付いていない。
大ちゃん何あれ? しっ、見ちゃダメ! それよりあっちの木陰でいいことしようね、チルノちゃん。
「いだだだっ、わかった、わかったからもう許して!」
魔理沙は抵抗せず、アリスにひたすら許しを乞うている。
こういう時に下手に逆らうと、もっと酷い目に遭わされることを経験から知っている。
「ほんとにもう、魔理沙は口を開けばロクなこと言わないんだから。少しはパチュリーを見習いなさい」
乗り出していた姿勢を直しながら、アリス。
言われた魔理沙は少し面白く無さそうに、小声でつぶやく。
「パチュリーと私を比べるなよぉ……」
「ごめんごめん、そういう意味じゃないのよ」
拗ねたように口を尖らせる魔理沙をとりなしながら続ける。この少女は言動に似合わず、繊細な面もあるのだ。
「パチュリーの存在はサイレント・マジョリティだな、と思ってね」
「サイレント、何だって?」
とりあえずは機嫌を直してくれたらしい。
アリスは内心で安堵しながら言い直す。
「サイレント・マジョリティ。物言わぬ多数派、あるいは静かな多数派ね」
「まあ、無口なやつだよな。私たちと話してても笑ったことないし」
「だけど、たまに口を開けば指摘は的確だわ。多数派が常に正解とは限らないけど、私たちが賛成するから結局は多数派ね。間違いも少ないし」
多少無理のある物言いだが、魔理沙は一応納得したらしい。
「そういや、パチュリーが見当ハズレなことを言うことってあまりないな」
「だからパチュリーの言葉には、耳を傾けてしまうのよ」
追随して肯定する魔理沙に頷きながら言葉を繋ぐ。
「私たちも、パワーや器用さといった得意分野では負けないでしょうけど、こと魔法使いとしての知識・経験を含めた総合力では、パチュリーに一日の長があるわ」
「でも、弾幕なら負けないぜ」
貴女は実戦派だものね、とアリス。素直に負けを認めようとしないのはこの少女らしい。それが長所でもある。
「でも魔理沙は、パチュリーの魔法を参考にしたスペルカードを使ってるじゃない」
「そうだったかな」
「とぼけないの。あの魔法は、魔理沙にとって参考にする価値があったってことよね」
「あー、よく聞こえないな。今日は風が強いぜ」
なおも空っとぼける魔理沙を見ながら、本当に素直じゃないなあと内心で苦笑する。そこが可愛いところなのだが。
「フフ、私なんて、パチュリーに未熟者呼ばわりされたことあるのよ」
「時々毒舌だよな。言われて怒ったのか?」
「少し腹は立ったけどね。でも未だ自立人形を創れないのは、私の未熟さに原因があるのだから。それに――」
魔理沙の後ろ髪を指で弄びながら続ける。魔理沙がもっと触って欲しげに、さりげなく姿勢を後ろに倒してくるのが心地よい。
「己の未熟さを認めるのは大切なことだと思うわ。未熟であると自覚するから成長しようと思えるんですもの」
「私はそんなことしなくても成長するけどな」
「フフ、それが魔理沙のいいところね。努力家の貴女らしい意見だわ」
「努力ではないぜ。本を読み、魔法を磨くのは日課だから、努力とは呼ばない」
「そう。貴女のそういう意地っ張りで真っ直ぐなところ、好きよ」
「……」
目を閉じて魔理沙の腰に手を回し、頬を背中に寄せて体温を感じる。魔理沙の体温は、子供のように温かい。
対する魔理沙は背筋をピンと伸ばした姿勢のまま何も言わない。が、抵抗もしないので嫌ではないのだろう。
もしかしたら驚きと恥ずかしさで思考停止してしまったのかもしれない。
この少女は背伸びをした発言をよくするが、不意を突かれると歳相応の純な反応を見せる。
そこが可愛くて、アリスは時々こうやってからかっている。
「コホン。あー、その、だな、ええと」
石化から回復したのか、トレードマークの三角帽子を目深に被りなおしながら――魔理沙は照れた時、いつもこの仕草をする――咳払いをする魔理沙。
どうやら別の話題を振ろうと賢明に頭を巡らせているらしい。
その思惑に気付いたアリスであったが、もうしばらく遊んでやろうと決める。先ほどのお返しだ。
「そ、そうだ。パチュリーって、たまには大声上げて笑ったり、泣いたりすることってあるのかな」
「そうねえ、誰かさんはくすぐり続けるといくらでも笑うから面白いし、お仕置きすると泣いて謝ったりして可愛いからいじめたくなるけど、彼女のそういうところは想像できないわね」
「ア、アリスさん……? 何の話をしているんですか……?」
「あら、つれない返事ね。分からないなら今晩、思い出させてあげましょうか? 二度と忘れられないくらい」
「メイド服でもなんでも着ますから、それだけは許してください……」
何かトラウマでもあるのか、プルプルと震えながら敬語になる魔理沙。
普段の彼女からは考えられない態度だが、アリスにとっては見慣れている光景らしくクスクス笑っている。
そろそろ許してやることにしたのか、アリスが話を戻す。
「でも、そうね。パチュリーが笑うところ、一度くらい見てみたい気もするわね」
その言葉に、トラウマを克服したらしい魔理沙が得意げな表情を見せながら言った。
「だろ? そこでだな、ちょっと私に考えがあるんだ。アリスも一口乗らないか?」
◆ ◆ ◆
「そこ、でっぱりがあるから気をつけろ」
「……なんだか手馴れてるわね」
「昔取った杵柄だぜ」
魔理沙とアリスは再度、紅魔館大図書館に戻ってきていた。
ただし今度は図書館の主に見つからないように正規の入り口ではなく、換気用に取り付けられた排気口からの侵入であった。
「よ、っと」
「もう、埃っぽいわねえ」
無事に図書館内部に降り立つ。
アリスがスカートの埃をはたく一方で、魔理沙は汚れを気にした様子もなく辺りをキョロキョロと見渡している。
「この辺りでよく見かけるんだが……お、いたいた。おーい、小悪魔ー」
「あれ、魔理沙さん」
小悪魔と呼ばれた人影が本棚に伸ばす手を止めて振り向き、パタパタと近寄ってくる。
黒を基調とした服とスカート。襟元には赤いネクタイを結んでおり、脚は黒のニーソックスに包まれている。
そして何より、耳と背中についた一対の黒い羽と、尻から生えた悪魔の尻尾が特徴的だ。
小悪魔は図書館を管理する司書としてパチュリーに仕えており、魔理沙やアリスとも親しい。
「さっきお帰りになったんじゃなかったんですか?」
「お帰りになったけど、また帰ってきたぜ。お帰りなさいのキスはまだか?」
「わけわかんないこと言わないの」
呆れ顔のアリスは小悪魔に挨拶すると、魔理沙の服についたままの埃を手ではらってやっている。
「アリスさんまで、どうしたんですか? パチュリー様は体調がおもわしくなくて、もうお休みになっておられますが……」
小悪魔の問いかけには答えず、魔理沙がいくつかの質問をする。
「なあ、パチュリーっていつも静かだけど、怒ったり笑ったりすることってあるのか?」
問われた小悪魔は人差し指を頬に当てて少し考え込む。
「他人の前で感情を見せることは、あまりされない方ですね」
「それじゃ次の質問、小悪魔はパチュリーのこと好きか?」
自分のことを聞かれると思ってなかったのか、しばしきょとんとしていた小悪魔であるが、すぐにニコッと微笑む。
「はい、大好きですよー。パチュリー様の幸せが、私の幸せです」
「それじゃ最後の質問。パチュリーが嬉しくて笑うところ、見たくないか?」
「それはもう。パチュリー様が喜ぶことなら何でもして差し上げたいですよー」
両手を胸の前で合わせ、何故か幸せそうな表情の小悪魔。背中の羽をパタパタと小さく震わせている。
その返事を聞き、魔理沙が片目を瞑りながら話しかける。
「そんな主人思いの小悪魔にちょっと頼みというか、相談事があるんだ。パチュリーには内緒でな」
◆ ◆ ◆
「というわけで、あの動かない大図書館が嬉しくて笑うようなこと、何か心当たりはないか?」
「そうですねえ、うーん」
しばらく首を捻っていた小悪魔はやがて何か思い出したようで、幻想郷に来る前ですけど、と前置きして話し始めた。
「とても貴重な魔導書が手に入ったとき、バンザイしながらピョンピョン跳ねて喜んだことがありましたよ」
「やっぱり本がポイントか。しかし……想像できないな」
「はい、私がお仕えして間もない頃だったんですけど「今見たことは忘れなさい」って言われました。でもその時のパチュリー様、可愛らしかったですよー」
録画しておけばよかったです、と両手を頬に当ててクネクネと身をよじらせる小悪魔。
眺めていると何故か魔力を吸い取られそうな錯覚に陥りそうになる。
「それじゃ、その可愛いパチュリーの姿をもう一度拝もうじゃないか。協力してくれるか?」
「はーい」
口元に小さく八重歯を覗かせながら、満面の笑みで右手を挙げる小悪魔。
一部始終を眺めていたアリスが、素朴な疑問を口にした。
「ところで、主人に「忘れなさい」って言われたことを、私たちに言っちゃっていいの?」
問われた小悪魔は、笑顔はそのままに尻尾をピョコピョコ動かしながら意味ありげに言った。
「パチュリー様に喜んでいただけるなら、私は何だってやりますよー」
◆ ◆ ◆
「そういやここの本は、今までどうやって溜め込んできたんだ?」
「幻想郷にくる前は、魔導書専門ショップなどで購入してました。でも今は、ほとんど手に入りません」
「本どころか紙自体、つい最近になって少しずつ流通しはじめたくらいですものね」
「ええ、外界とも切り離されてますし。ここで外部の本の入手ルートと言えば、魔法の森近くの雑貨屋くらいですけど、あそこは――」
「ああ、魔法の森は私の縄張りだからな。あそこのものは全部、私のものだぜ」
「ちょっと、森には私も住んでるんだけど?」
「だから、そこも含めて私のものだぜ」
そう言ってアリスの肩に手を回す。アリスは軽く睨むが何も言わない。
そんな二人の様子を見て、小悪魔がクスリと笑う。
「アリスさんの家も、魔理沙さんの縄張りなんですか?」
その言葉を聞き、得意げな顔になる魔理沙。人差し指を立てて横に振りながら訂正する。
「ちょっと違うな。アリスの家だけじゃなくて、アリスも私が縄張りを主張するぜ。もっとも、飼い主は私だがな」
「もう、いい加減に――ってちょっと、顔赤いわよ魔理沙。ほらほら、ホントは恥ずかしがり屋なんだから無理しないの」
途中までは威勢よく喋っていた魔理沙であったが、どうやら変な想像をしてしまったらしい。
恥ずかしいくせに必死にアリスの所有権を主張するその様は、主人に懐く犬を彷彿とさせる。
下を向いた魔理沙の頭を、アリスが帽子の上からポフポフと軽く叩いてたしなめる。
「あ、赤くなんかなってない」
「ふうん、じゃあ帽子を脱いでこっちを見られる?」
「今はちょっと床の模様を眺めていたい気分だぜ」
「今見なくても、今晩いくらでも床を見させてあげるわよ? 四つんばいでだけれど。何だったら今からでもいいのよ?」
「そ、そういうことを人前で言うのやめろ」
いつの間にか立場が逆転した二人のやりとりを微笑ましげに見ていた小悪魔が口を挟む。
「フフ、どうやら本当の飼い主はアリスさんのようですねー」
「……なんでそう思う?」
「聞きたいですか? ご希望なら事細かに説明しますが、本当に聞きたいですか?」
どこか黒さを感じる笑みを浮かべ、耳の羽を小刻みに動かす小悪魔。とても楽しそうだ。
対照的に魔理沙は引きつった笑みを浮かべ、口ごもる。
「いや、いい、遠慮しとく……」
「私も伊達に長年、従者をやっていませんから。好きな人に構ってもらいたくて、わざとそういうことを言っちゃう気持ち、よーくわかりますよ」
「……」
魂胆を見透かされ、耳まで赤くなった魔理沙が沈黙したのを確認して、脱線した話を戻す。
「外の世界のものは無縁塚や神社にも一部流れてきますが、希望する本が手に入る確率は極めて低いです」
こちらに背を向け、図書館全体を見渡しながら続ける。
「この図書館に大量の本があると言っても、限りはあります。パチュリー様なら近い将来、全て読み終えてしまうでしょう。パチュリー様は最近、そのことで悩んでいるのです」
本を読むのが生きがいのお方ですから、と付け加える。声のトーンが少し下がったのは、何も出来ない無力感からか、それとも――
話を聞いた魔理沙が、アリスの方を振り返る。
「アリスのグリモワールは確か、魔界から持ってきたんだよな」
「ええ、こっちに来るときに持ってきたの」
「パチュリーが喜びそうな本に心当たりはないか?」
「うーん、彼女とはお互いに本を貸し借りしているから、めぼしいものはもう読んでると思うわ」
「そんなことしてたのか。今度、私にも貸してくれ」
「貸さなくたって、勝手に来て勝手に読んでるじゃないの」
「そういえばそうだったな」
呆れ顔のアリスが口を開く前に、何か思い出したらしい小悪魔が口を挟んだ。
「パチュリー様が欲しがってる本、ありました」
◆ ◆ ◆
「この本です」
小悪魔が本棚から数冊の本を持ってくる。
普段パチュリーが愛読している分厚く大きい魔導書と違い、さほど厚さもなく、サイズも手のひらよりやや大きいくらいだ。
表紙には幻想郷ではあまりお目にかかれないカラー印刷が施されており、目つきの悪い全身黒づくめの男や金髪の快活そうな少女の絵が描かれている。
「あんまり魔導書っぽくないな。どんな本なんだ?」
中をパラパラとめくりながら、魔理沙。ところどころに挿絵はあるものの、文字はあまり大きくないため薄暗い場所で読むと目を悪くしそうだ。
「後に魔王と呼ばれることになる、ある黒魔術士の冒険譚です」
「黒魔術士? 魔法使いとは違うのか?」
「その辺りはややこしいので説明は省きますが、大体同じようなものだと思って差し支えありません」
「ふうん、この表紙の男が主人公なのか?」
「ええ、直線的に伸びる光熱波を最も得意とする魔術士です。作中では最強クラスの使い手ですよ」
「へえ、黒い服を着てるし、私に似てるかもな」
帽子のつばを指で押し上げながら、何故か得意げな表情の魔理沙。
「魔術だけでなく体術、特に暗殺技術に長けていて、相手を転ばせて鉄骨を仕込んだブーツで踏みつけて悶絶させたり、心臓をブン殴ったりして相手を倒します」
「魔理沙、誰に似てるって?」
「誰かに似てるなんて言ったか?」
すかさずアリスが突っ込み、魔理沙がすっとぼける。
「昔は大人しかったんですが、住んでいた場所を飛び出して悪事にも手を染めて、今じゃ口も性格もひねくれて辺り構わず魔術を放って建物を破壊したりする、色々と迷惑な主人公です」
「そっくりね。生き写し?」
「そうだな、アリスそっくりだ」
アリスが肯定し、魔理沙が転嫁する。
放っておくとまた話が脱線しかねないので、構わず話を続ける小悪魔。
「パチュリー様の愛読書で、何年か前に完結した本なのですが、最近になって続編が発行されたらしいのです」
一息。
「発行されたばかりの本が、こちらの世界に偶然流れてくる可能性は……」
みなまで言わなかったが、それがほぼゼロであることは二人にも理解できた。
「一度、本の召喚も試したのですが、残念ながら成功しませんでした」
「本の召喚? そんなことできるの?」
「できますよ。パチュリー様のスペルカードで、魔導書が一緒に出てくるものがありますよね。あれは召喚して使い魔として使役しているんです」
この図書館内の本ですけれどね、と小悪魔。
「同じ空間内とは言え、本が持つ波長を基に召喚・再構成して使役しているわけですから、外界の本であっても召喚はできるはず、というのがパチュリー様の持論です」
「なるほど、理屈としては間違ってなさそうね」
「なんで失敗したんだ?」
「パワー不足だ、と仰ってました。運気を上げるマジックアイテムも駆使したのですが、幻想郷を囲む結界を突破できませんでした。火力不足は運ではカバーできないようです」
魔力は幻想郷を囲む博麗大結界に阻まれ逆流。制御を失った魔力は図書館中を荒れ狂い、蔵書にいくばくかの被害がでた。
パチュリーはその後しばらくふさぎ込み、その魔導書の話もしなくなってしまったらしい。
それを聞いた魔理沙とアリスは目を合わせ、どちらからともなく頷きあう。
「よし、決まりだな。その本を私たちで召喚してみようぜ」
「でも、難しいと思いますよ?」
「困難に挑むのが魔法使いの常なのよ」
◆ ◆ ◆
一時間後、三人は大図書館最奥に位置するパチュリーの研究室にいた。
幸いなことに召喚儀式に必要な材料は揃っていたため、小悪魔が説明する儀式の手順を頭に叩き込む。
召喚とは、召喚したい対象物の情報を魔法でスキャンして任意の場所に転移・再構築することである。
外界のものを召喚したければ、まず幻想郷の周囲に張られている博麗大結界を突破する必要がある。
結界は論理的・概念的なものであるため、物理的な方法では針の穴ほどもあけることはできない。
しかし魔法は魔力という目に見えないもので世界に干渉するという点において、概念に近いスキルであり威力を極限まで高めれば結界を破れる可能性がある。
穴はごく小規模なもの(対象が通れるくらい)で十分であり、結界にひずみが発生している場所であれば決して不可能ではない。
小さな穴であれば、単なる結界のひずみとしてスキマ妖怪かその式神が処理してくれるので都合も良い。
「ひずみがある場所って?」
「無縁塚です。外から物が流れ着く場所というのは、外に出ることも不可能ではないはずです。神社も候補ですが、あっちは霊夢さんが怖いですから」
首尾よく結界を突破できたら、次は召喚対象の空間座標と時間座標を指定する必要がある。
幻想郷への召喚に必要な魔力は対象の新しさ、あるいは需要の高さに比例して高くなるため、特に時間座標の選定は重要である。
新品であれば召喚は極めて難しく、かといって実用に耐えないレベルまで劣化していては品物としての価値が無い。
空間座標と時間座標の選択には、ある程度のセンスと器用さを要する。
「古本屋を重点的に探せばいいと思うわ。本が流通している世界ならきっとあるはず。結界を突破した魔力を操作しつつ召喚に転用すれば、魔力も無駄にならないわね」
パチュリーはこれらを一人でやろうとしたが、本の発売直後に召喚を試みたことや、魔力操作に重きを置きすぎたために結界を突破できなかったのだ。
打ち合わせの結果、結界突破は魔理沙が、それ以降の召喚はアリスが、その他のフォローを小悪魔が担当することになった。
小悪魔が準備のために研究室を出て行った後、アリスが声をかける。
「魔理沙、結界を破った経験は?」
「試したことないな。結界に手を出すと霊夢が本気で怒るからな」
「何か策はあるの?」
「私の魔法に、『実りやすいマスタースパーク』ってあるだろ」
「あの無茶な威力のやつね」
魔理沙が愛用するスペルカードの一つに、マスタースパークがある。
彼女の代名詞とも言える魔法であり、光と熱の直線的なエネルギー波を放つというものである。
長所は人間が扱うにしては類稀なる威力があること。
短所は直線的ゆえに発生を読まれたら命中させるのは困難であることと、発動中は反動で術者の機動力が制限されることだ。
そこで、まず導線代わりの細身の光熱波を命中させ、足を止めてから主砲を叩き込むことにより命中率の向上を図ったのが『実りやすいマスタースパーク』のコンセプトである。
単純な火力はマスタースパークの上位互換であるファイナルスパークをも優に上回るが、現実には主砲発生までのタイムラグが長く、使い勝手はよくない。
「私のマスパはまだ未完成なんだ」
ミニ八卦炉を懐から出し、赤とも黒ともとれる色合いをしているその表面を指で撫でる。
「火力はあるけど避けられるとヤバイ。撃ってる最中、私は動けないからな」
人間としては常人離れした飛行速度を誇り、高威力の魔法を駆使する霧雨魔理沙。
時として無鉄砲とも取れる行動をすることもあるが、彼我の戦力差を見極めたり、己の長所・短所を客観視する目は持っている。
『弾幕はパワー』を信条とする魔理沙であるが、単なる人間である自分が力押しだけで勝てると思ってはおらず、他人の弾幕を研究する一面もある。
相手の動きを予測しつつ、ばら撒き弾幕やレーザーで相手を足止めしたところで高威力の魔法を叩き込む。これが魔理沙の主戦法の一つである。
主砲が決まれば高位の妖怪とてただではすまないが、一方で回避能力の高い相手には少々分が悪い。
「私がマスパをあんなに大きく放出するのは何でだと思う?」
「……命中率を向上させるため、かしら」
今までの話の流れを考慮し、回答する。正解だったようで魔理沙が頷く。
現状のマスタースパークの中心で相手を捕らえたとしても、よほど巨大な相手でもない限り、外周部分は相手に当たらず消えてしまう。
いわば無駄にエネルギーを消費していることになる。
それでも今は命中率を優先しているのだと言う。どんなに一撃必殺の攻撃も、当たらなければどうということはない。
「私は全力で魔法を使うのが好きだし、適度に調節するのが苦手ってのもあるんだけどな」
やや砕けた調子で笑う魔理沙。珍しく自嘲めいたことを口にしてしまった後ろめたさもあるのだろう。
ただアリスから言わせると、常に全力で戦える魔理沙は理解の外の存在であり、同時に少し羨ましくもあった。
「話を戻すけどな、実りやすいマスパで最初にでる細いやつ。あれくらいの幅でマスパと同等の威力を出すのが最終目標なんだ」
「なるほど、威力はそのままに射出幅を細くすれば……」
「与えるダメージは極限まで高まるし、結界に対して貫通性能も付属できるかもしれない。魔力も無駄にならないだろ?」
理屈はわかる。今は無理でも、この努力家の少女ならいつかそれを可能にする技量を身に着ける日がくるのかもしれない。
だがアリスは一つの欠点に気付いていた。
「同じ威力で射出幅を細くすればするほど、その反動は貴女の身体に跳ね返ってくるわよ」
「ああ、分かってる」
それに気付いているからこそ、実りやすいマスタースパークの初動は火力を抑えているのだという。
以前、理想とするマスタースパークを試射したことがあるが、一発撃っただけで全身の骨がきしむ音を聞き、しばらく寝込むはめになった。
ウェイトの軽い魔理沙の肉体では、極限まで威力を高めた魔法の反動には耐えられない。今でさえ、体格には不釣合いな火力を扱っているくらいである。
成長すれば話もかわってくるが、現状での運用は困難だ。
少なくとも、今まではそう思っていた。
「だけど、肉体を強化できる同業者が最近復活しただろ?」
「なるほど……聖白蓮ね」
聖白蓮。
命蓮寺の現住職であり、身体能力を向上させる魔法を得意とする元人間の魔法使い。
とある異変の際に魔理沙と出会って以来、何故か魔理沙のことを気に入って色々と教え込んでいる。
魔法使いは基本的に個人事業主であり一匹狼タイプが多いため、普通は魔法を教えたり共同研究をしたりはしない。
しかし魔理沙という人間はその枠にはまらず、同業者や妖怪からの協力を得る術に長けている。
頼りないわけでも弱いわけでもないが、ひねくれつつも根は真っ直ぐなこの少女を見ていると、ついつい世話を焼きたくなってしまうという者は多い。
「一時的に身体を大きくする魔法を教えてもらったんだ。それを使えば、最大火力で細いマスパを撃っても大丈夫だと思う」
「それなら結界を撃ち抜ける可能性があるってことね」
「ああ、だけど肉体強化魔法にも多少の反動があるから、私がやると術が切れた直後はまともに動けない。だから、後のことは頼むぜ」
まだ成長しきっていない魔理沙の肉体を、魔法で強化するのはやはり無理があるのだろう。
生身の身体で究極のマスタースパークを撃つよりはリスクが少ないとは言え、危険なことにかわりは無い。
白蓮も教えるのを渋ったが、魔理沙が無理やり頼み込み、成長するまで使用は控えるという約束で教えてもらったのだと言う。
「はぁ……やめなさいって言っても、貴女のことだから一人でもやるんでしょうね」
「当然だぜ。理論があるなら試すのが魔法使いだからな」
歯を見せて笑う魔理沙を見て、アリスも覚悟を決める。一度こうと決めたら結果はどうあれ、最後までやり抜かないと気がすまないのが魔理沙だ。
心配なら最後まで付き合って、危ない時はフォローするしかない。
それに魔理沙では、仮に結界を突破できても召喚に魔力を回す余力はないだろう。
一人でもやると言ってはいるが、アリスが協力してくれると見込んでいるに違いない。
それに気付いていながら応じてしまう自分は甘やかしすぎなのかなと考えていると、準備を終えたらしい小悪魔が扉を開けて入ってくる。
「こちらの準備は整いました」
「じゃあ……」
「始めましょう」
魔理沙がアリスの方を見ながら呟き、アリスが後を継いだ。
◆ ◆ ◆
「異世界からの召喚は、この変換・転移装置を使います」
小悪魔が自分の背丈ほどもある巨大なオレンジ色のクリスタルを指差す。
これに魔力を送り込み、概念エネルギーとしての純度を高めた上で結界のひずみを探して穴を開けることになる。
説明を聞いた魔理沙が、帽子を一度脱いで被りなおす。少し緊張しているのかもしれない。
「アリス、運試しだ。運は重要な要素だったよな」
魔理沙が手近の棚にあった六面ダイスを三個手にとり無造作に転がす。乾いた音を立てて転がったそれは三つとも六を示していた。
「ちょっと、オーメンじゃない。あまり縁起のいい数字じゃないわよ、それ」
「いいや、絶好調だ」
「どういうこと?」
「ここらのチンチロリンじゃ、オーメンは賭け金の五倍もらえるんだぜ」
「ふうん」
「霊夢相手に三連続オーメン出したら、お金の代わりに御札が飛んできた。泣きながら怒ってて不気味だったぜ」
「器用なことするわね」
肩をすくめつつ、アリスもダイスを振る。一二三の目。
「負け確定の二倍払いじゃないか。縁起悪いぜ」
「いいのよ、これで」
「なんでだ?」
「ひふみって好きなのよ、私。言葉の響きがいいと思わない? 繰り返して口ずさみたくなるような」
「よく分からんが、幸運が続いてるなら問題ないな」
このやりとりを黙ってみていた小悪魔が、誰にも聞こえない声で呟いた。
「ほんとに大丈夫なんでしょうか……」
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、始めるぜ」
魔理沙が身体強化のための魔法構成を空中に展開していく。
白と黒を基調にしたそれは、アリスの目には所々いびつに映る。
不慣れでまだ完璧には扱えないのだろう。しかし構成は霧散することなく、まがりなりにも完成した。構成に魔力が行き渡り、発動する。
「へへ、どうだ? 見違えただろ?」
「……どういうことなの」
身体を大きくすると言っても元が魔理沙であるため、せいぜい自分と同じ背丈くらいだろうとアリスは高をくくっていた。。
しかし目の前にいたのは想像を遥かに上回る八頭身の美女であった。出るところは必要以上に出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
特に胸の自己主張はかなりなことになっている。
顎に手の甲でも当てて妖艶に微笑むのが似合いそうな淑女だが、口調がいつもの魔理沙なので違和感が仕事をしすぎで過労死寸前だ。労災は認めない。
アリスと小悪魔はその変貌ぶりをポカンと眺める。もはやどこから突っ込んでいいのか分からない。
「……何で服まで大きくなってるの?」
とりあえず一番聞きたかったことを質問する。
「同じ質問を神社によくいる鬼にしたことがあるんだが、服がないと寒いからだそうだ」
「それはそうだけど……ああもう、何でもいいわ。早くやりましょう。その姿で普段のノリで会話されると頭がおかしくなっちゃいそう」
「同感です……」
頭を押さえながら小悪魔が呻く。
「そうだな、やるか」
「あ、魔理沙さん。その前にこのリボンをつけてください」
小悪魔が差し出したのは、どこかで見覚えのある赤と青のリボン。
「パチュリーがいつもつけてるやつか?」
「ええ、魔力を増幅するマジックアイテムです。少しは足しになりますよ」
「サンキュー、借りとくぜ」
欲しかったオモチャを買い与えられた子供のような表情をしている魔理沙。言外に返す気が無いことをうかがわせる。
お下げにリボンを結んでやりながらアリスが、
「私が後で責任もって返させるから安心していいわ」
「頼りにしてます」
「アリスー……」
「なに?」
「何でもないです……」
不満げな声を漏らす魔理沙を笑顔と一言で黙らせる。体格で追い抜いても立場は変わらないようだ。
「始めるぜ」
気を取り直した魔理沙はミニ八卦炉を構え、瞑想して魔力を集中していく。
弾幕勝負ではないので、時間をかけて丹念に魔法構成を編み上げる。
繊細かつ大胆な構成が編みあがり、そして掛け声とともに魔力が込められて発動する。
「マスタースパークッ!」
ミニ八卦炉から放たれた細い光の奔流がクリスタルに吸い込まれ、結界のひずみ部分に転送されていく。
ここまでは実りやすいマスタースパークの初動と同じだが、太さはそのままに光の密度がどんどん濃くなっていく。
5秒、10秒……結界はまだ破れない。普通のマスタースパークであればとっくに発動は終わっている時間が経過した。
結界の境目には膨大な魔力が行き場無く留まっている。
魔理沙の顔が苦痛にゆがみ、構えた腕がガクガクと痙攣しはじめた。
あれだけ綿密に組まれていた構成は、端からいくつかほころびが見えている。崩壊寸前だ。
「く、そっ……」
指先に力が入らず、視界がぼやける。
やはり無理があったか、と諦めかけたその時、横から伸びてきた手がミニ八卦炉を支える。
アリスだ。
お互いの指が触れていることに一瞬、我を忘れてしまう魔理沙。だがアリスの言葉で現実に引き戻される。
「もう少しよ、魔理沙。貴女ならやれるわ」
「……おう!」
いつもは行動を諌められてばかりのアリスに鼓舞され、魔理沙の心に芽生えかけた諦念がかき消える。
アリスの魔法構成が展開され、崩壊しつつある魔理沙のそれを上から包みこんで補修していく。
弱まりかけた魔理沙の目と光線が再び強さを取り戻し、そしてついに魔力の総量が結界のキャパシティを超えた瞬間、音もなく小さな穴が開く。
「結界の突破を確認!」
小悪魔が叫ぶ。
それと同時に魔理沙の手から力が失われ、膝から崩れ落ちていく。
アリスに向かって親指を立てながら倒れていく魔理沙を小悪魔が支えたのを確認し、手持ちの魔導本を空中で開く。
よく頑張ったわ魔理沙。後は任せなさい。
魔法使いにのみ視認可能な膨大な魔力の塊がアリスに制御されつつ、外の世界を駆け巡る。
広域を見渡せる上空から、ある建築物に目的の本の波長を見つけ突入する。センサーが何を感じ取ったのか、誰もいない自動ドアが開く。
「いらっしゃいませーこんにちはー」
「いらっしゃいませーこんにちはー」
「……ありがとうございましたー」
自動ドアの開く音に呼応し、誰も来ていないというのに来店を歓迎する挨拶が山彦のように響き渡る。
入り口近くのレジにいた一人だけは誰もいないことに気付いたが、しばらく悩んだ末にとりあえず別の言葉を発した。企業方針には従わねばならない。
無論のこと、結界の向こうにいるアリスたちに声は届かないのだが。
飛び込んだ建物は狙い通り古本屋らしく、様々な本が所狭しと陳列している。
ある本棚に目的の本を見つけ、アリスが召喚魔法の構成を展開する。
同時に魔導書が高速でめくれていき、召喚に必要な14の言葉が載ったページでとまる。淡い光を放つその言葉を、アリスが早口に読み上げる。
「らせん階段、カブト虫、廃墟の街、イチジクのタルト、カブト虫、ドロローサへの道、カブト虫、特異点、ジョット、天使、紫陽花、カブト虫、特異点……」
一息。召喚魔法の大規模な構成が編みあがっていき、そして最後の言葉を口にする。
「秘密の皇帝ッ!」
振り上げた右腕を振り下ろすアクションとともに、一つひとつの言葉が魔力を帯び構成に行き渡っていく。
あとは発動するのみ。しかし、ターゲットの本に狙いを定めたその時――
無情にも込められた魔力は霧散し、一分の狂いもなく完成していたはずの構成は音もなく崩壊。
それだけではなく、結界を突破した魔力がこちらの世界へ逆流をはじめた。
◆ ◆ ◆
「ど、どうしたんでしょうか、これは一体――」
「分からないわ。こっちに逆流してきてる。制御できないのよ」
突然の事態に慌てる小悪魔。対照的にアリスは冷静に事態を把握しようとしている。
制御不能になった膨大な魔力――暴走マスタースパーク――は元きた道を辿り、無縁塚を経て研究室に到達しつつあった。
「パチュリー様の時と同じ状態です。どうして……」
「原因追求は後にしましょう。今はあの魔力をなんとかしないと……パチュリーはどうやって対処したの?」
「同じ威力の魔力をぶつけて相殺しました。ですが制御できない上にランダムに動くので難しくて……」
暴走した魔力そのものよりも、命中させられなかった魔法による被害の方が多かったのだという。
パチュリーがなかなか当てられないとなると、一筋縄ではいかない。
「まずいわ……パチュリーの時と違って、あれは結界を突破してるのよ。ハンパな魔力じゃないわ」
アリスはパワーよりも頭脳戦を好む魔法使いである。
柔よく剛を制すを信条としており、優雅かつ器用に戦うため、パワーに真っ向勝負を挑むことはまず無いと言ってよい。
弾幕勝負ならそれで問題ないが、今回ばかりはそうはいかない。
不規則に高速移動する光熱波を止めるには、それを捉える技量と、相殺しきるだけの火力が必要だ。
技量に関しては自信があるが、魔力を増幅し、自分も助力したマスタースパークを真正面から止められるイメージが湧かなかった。
「……」
チラ、と小悪魔が抱きかかえている魔理沙の姿が視界に入る。
動けない二人を庇いながら、この狭い研究室の中で魔力を相殺するのは無理と判断する。
「小悪魔、魔理沙をつれて図書館に逃げて! 暴走していても、近くなら少しはコントロールできるかもしれない。なんとか図書館に魔力を誘導するわ!」
身動きの取れない場所よりも、広い場所の方がまだしもやりやすい。
また蔵書に被害が出るかもしれないが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
「は、はい!」
小悪魔が魔理沙を抱えてドアから出て行くのを確認し、精神を集中する。暴走マスタースパークは無縁塚近くに開いていたクリスタルに通じる道に到達。
召喚用クリスタルから飛び出し、研究室内部に炸裂しそうになるのをすんでのところで押し留める。
「くうううっ……!」
重い。
制御できていた時は豊富な魔力を推進力に変換し、指向性を与えるだけで操作できたが、今は推進力も自分の魔力でまかなわなければならない。
「本気を出すのは……いつぶりかしらねッ!」
少しでも気を抜けば再び暴走しそうな魔力を前に、幻想郷にきてからは誰にも見せていない全力を出す覚悟を決める。
自慢のショートヘアが魔力の奔流にざわめき立つ。
七色に輝く糸状の魔力構成を編み上げ、図書館への擬似的な道を作ってその中に暴走マスタースパークを押し込む。
バチバチと不快な音を立てつつも、なんとか図書館に追いやることに成功。
「魔理沙、小悪魔! 大丈夫!?」
「アリスさん! はい、大丈夫です!」
制御を一旦解除し、自分も図書館に飛び出す。
扉を出てすぐ横に小悪魔がいる。魔理沙も未だ気を失っているが無事のようだ。
アリスがほっとしたのもつかの間、いくつか本棚が倒れる音が響く。
「のんびりしていられないわね。小悪魔、パチュリーを呼んで来てもらえない?」
「はいっ!」
自分たちで始めたこと、できればパチュリーの手を借りずに処理したかったが、そうも言ってられない。
魔理沙をかばうように前に立ち、暴走マスタースパークの制御・相殺を再び試みる。
しかし……
「制御は辛うじてできるけど……」
暴走マスタースパークを自分だけで相殺するのは無理だ。
事実を苦々しく受け止める。
魔力の絶対量や技量で言えば魔理沙を凌駕するアリスであるが、最大瞬間火力という点においては魔理沙が先んじている。
というより、戦いのほとんどを人形繰りでこなすアリスには、魔理沙のような高出力・高火力の魔法は必要ない。
それに加え、魔理沙のフォローや召喚魔法で魔力の消耗が激しく、このまま持久戦になれば制御すら困難になりかねない状態であった。
アリスの内心に焦りが帯び始めた時、パチュリーの私室から二人の人影がこちらに来るのが見えた。パチュリーと小悪魔だ。
小悪魔は慌てた様子だが、パチュリーは相変わらず眠そうな表情でフワフワと浮かびながら移動してくる。眼鏡はかけていない。
「パチュリー、ごめんなさい。私たち――」
「謝るのは後回しでいいわ。それよりあれの対処を」
図書館内を縦横無尽に飛び回る魔力を見据えるパチュリー。
アリスが本棚にぶつからないようになんとか制御している状態だ。
「私があれの動きを抑えてるから、相殺をお願いできる?」
しかしその提案に首を横に振るパチュリー。
「今日はあまり喘息の調子がよくないの。今の私じゃ、あれを消滅させるような大魔法は使えない」
「そんな……」
頼みの綱のパチュリーもお手上げとあっては打つ手がない。
最悪の想像をするアリスだが、パチュリーはでも、と呟き、
「消滅は無理でも、弱体化させることはできる」
◆ ◆ ◆
「こぁ、召喚用のクリスタルを持ってきて頂戴」
「はいっ」
パチュリーの指示を受け、先ほど用いたクリスタルを運ぶため小悪魔が離れる。
小悪魔がクリスタルを引っ張りだしているのを横目に、パチュリーが口を開く。
「あの魔力は、魔理沙が出したものよね?」
「ええ」
懐から取り出した眼鏡をかけ、今も図書館内を飛び回る暴走マスタースパークをじっと見つめるパチュリー。
「変ね……魔理沙の魔法なら水属性を帯びているはずなのに、木属性も一部混じってる」
「ああ、私の魔法構成も混じってるの」
魔理沙は五行(木・火・土・金・水の五属性)で言うところの水属性、アリスは木属性である。
水と木の属性は相性が良いため、アリスの魔力による補正を受けたマスタースパークはその威力を増幅することができた。
これを相生の関係といい、相手の属性に力を与える組合せである。
「なるほど。それなら土と金属性の魔法を同時にぶつけて弱体化させる。その後、クリスタルで適当に館の外に放出するわ。今のまま外に出すと危険だけど、弱らせておけば問題ないでしょう」
「そんなことできるの?」
五行には相生の関係の逆で、相剋の関係というものがある。
相生が相手の属性に力を与えるものであるのに対し、相剋の関係は相手の属性を傷つけ、弱らせてしまう。
水属性は土属性に、木属性は金属性にそれぞれ弱い。
パチュリーは暴走マスタースパークを構成する魔力のうち、魔理沙の水属性部分に土属性魔法を、アリスの木属性部分に金属性魔法を当てて相殺しようとしている。
これは容易なことではない。
属性の異なる魔法を同時に複数操ることがすでに高等技術であることは言うまでもないが、土属性は木属性に弱いという特徴もある。
よほど上手く属性を見極めて命中させないと、土属性はかき消され、金属性魔法を単体でぶつけたのと同じことになる。
暴走マスタースパークは非常に不安定な状態であるため、同時に二つの構成を弱体化させないと、文字通りその場でスパークしてしまう危険性がある。
そうなれば図書館はもとより、紅魔館自体がただでは済まないだろう。
不安がるアリスの言葉に、しかしパチュリーは言い切った。
「当てることさえできれば何とでもなる。ただ、当てるには貴女の協力が必要」
体調が優れないパチュリーは、魔法を乱発できるコンディションではないため一発必中を望んでいた。
それにはアリスが極限まで暴走マスタースパークを制御し、限りなく当てやすい状況にする必要がある。
パチュリーの真剣な眼差しを受け止めたアリスは、力強く頷いた。
「分かったわ、任せて」
その言葉を引き金に、周囲の空間に七色に輝く魔力構成の糸が生まれる。
糸が暴走を続けるマスタースパークに伸び、半ば無理やりに絡めとって動きを止める。
あり余るエネルギーが放電現象となって辺りに飛び散るが、アリスの魔力が懸命に押さえ込む。
「長くはもたないわ、パチュリー!」
その言葉に無言で頷き、パチュリーが魔導書を開く。
土と金をイメージする魔力構成が展開され、スペルカードが発動する。
「土金符『エメラルドメガロポリス』」
その言葉と同時、地面からプレート状の物質が生まれ、なおも抵抗を続ける暴走マスタースパークに突き刺さる。
甲高い不快な音をたてながら、暴走マスタースパークが崩壊していく。
パチュリーは複雑に絡み合った魔力構成を完璧に読みきって、相剋の属性同士を命中させたのだ。
「やったわ!」
魔力の大半を使い果たしたアリスが、ガックリと膝をつきながらその光景を見つめる。
しかしパチュリーがそれを否定する。
「いいえ、まだ。弱体化はしたけれど、早く館の外に転送しないとまた暴走する。アリス、早くあれをクリスタルに押し込んで」
「ええっ! それも私がやるの!?」
「私はあんな重そうな魔力を操るのは無理。貴女が頼りなのよ」
「そんなこと言ったって、私も今ので相当消費したわよ!?」
再度、魔力の糸を伸ばしてクリスタルに押し込もうとするが、暴走マスタースパークはまるで意思があるかのようにクリスタルの前で抵抗を続ける。
せっかく生まれた破壊エネルギーを使い切らずに消えるのは嫌だと言わんばかりだ。
「くっ、もう限界……」
七色に輝く魔力の糸がくすみ、色あせていく。アリスの魔力が尽きかかっている。
暴走マスタースパークはなおもクリスタル前で踏ん張っており、なけなしの全魔力を振り絞っても押し込めそうにない。
万事休すかと思われたその時――
「私の出番のようだな!」
後方からの声に振り返ると、気を失って倒れていたはずの魔理沙が、ふらつきながらも小悪魔に支えられてミニ八卦炉を構えていた。
「魔理沙ッ!」
「よし! アリス、そこでいい! その位置がベストッ!」
魔理沙がマスタースパークの構成を編み上げていく。
やはり消耗が激しいのだろう、普段の構成とは比べるまでもなくガタガタで稚拙なものであるが、慣れ親しんだ魔法ということもありなんとか発動にこぎつけた。
「恋符――『マスタースパークッ!』」
残りの全魔力を込めたマスタースパークが、クリスタル前で停滞している暴走マスタースパークを飲み込み、クリスタルに吸い込まれていく。
そして、図書館に静寂が訪れた。
同時刻。
紅魔館の門番こと紅美鈴は、館上空に巨大なエネルギー波が雲を切り裂きながら放たれ、やがて何事もなかったかのように静まり返るのを眺めていた。
「わー、すごいですねえ。パチュリー様の新作魔法かな?」
◆ ◆ ◆
一週間後、三人の魔女と小悪魔が図書館内部のテーブルについていた。
「パチュリー、ごめん」
「本当にごめんなさい」
あの騒ぎのあと魔理沙を永遠亭に担ぎ込み、退院したのが昨日のこと。
永琳曰く、「ものすごい筋肉痛。全治一週間」であったため命に別状はなかったが、魔理沙はしばらく寝返りをうつのも一苦労する有様だった。
アリスも疲弊は著しかったが一晩で回復し、そのまま付き添いで魔理沙の看病を続けた。
入院三日目に白蓮が見舞いにやってきて、約束を破って身体強化魔法を使った魔理沙にこんこんと説教をはじめた。
その後、アリスに対しても「止めなかった貴女にも責任がある」として小言を開始。
アリスはそれを神妙な面持ちで聞いていたが、その様子を魔理沙が茶化したところ、本気で怒った二人からこってり絞られた。
反省の色なしと見なされた魔理沙は、白蓮の提案でしばらくアリスの監視下に置かれることになった。
しかしその夜に永遠亭を脱走しようとしたところを見つかり、怒り心頭のアリスに首輪で繋がれ、風呂もトイレも一緒の監視生活がスタート。
同時に人間の言葉も禁止され、ワン(はい、分かりましたアリスさん)とワンワン(トイレに行かせてください、アリスさん)だけの生活を退院まで送るハメになった。
翌日には取材にきたカラス天狗にその様子をスッパ抜かれ、二人のそういう関係が広く知られることになったのは、魔理沙にとって屈指の黒歴史となった。
ちなみに魔理沙は取材に対し、「このお仕置きは軽い方。本気だしたアリスはこんなもんじゃ……ひいっ、アリス!? ご、ごめんなさ」と語っている。
(射命丸文の取材メモより抜粋:魔理沙氏はインタビューの途中、アリス氏に鎖で首輪ごと引っ張られてどこかに連れて行かれたため取材を断念)
閑話休題。
そして色々な処理が終わった今日、改めてパチュリーに謝罪するため、二人で図書館を訪れたのであった。
倒れた本棚などはとっくに片付いていた。小悪魔やメイドたちがやってくれたのだろう。
パチュリーは本に目を落としていたが、二人の謝罪の言葉を聞くとすぐに本を閉じ、眼鏡を外す。
「大体の事情はこぁから聞いているわ」
怒るでも呆れるでもなく、あくまで淡々とした様子のパチュリー。
疲れているのか、右目を手の甲でこすっている。左目にも手が伸びる前に小悪魔が「充血するからダメですよ」と告げると案外素直にやめた。
「貴女たちに、少し聞きたいことがあるのだけれど」
魔理沙とアリスが顔を見合わせる。
本以外にさほど興味を示さないパチュリーが、自分から話題を振ってくるのは珍しい。
「どうして、あの本を召喚しようと思ったの?」
「小悪魔から聞いてないのか? パチュリーが喜ぶところを見たくてさ」
「そうじゃなくて、どうして私の喜ぶところを見たいと思ったの?」
理解できないといった様子のパチュリー。
それに対し魔理沙は当然とばかりに、
「だって三人で話してても笑ったことないだろ。いつも退屈させてちゃ悪いし、研究のアドバイスをもらった恩もあるしな」
「結果はこのとおり、かえって迷惑かけちゃったわ。ごめんなさい」
「ごめん」
重ねて謝罪する二人に、視線を送るパチュリー。
小悪魔だけが、それが普段より柔らかいものであることに気づいていた。
「もう謝罪は要らないわ。終わったことですもの」
それに、と前置きして続ける。
「何か勘違いしているようだけれど、私は貴女たちのことを迷惑だなんて思ったことはないし、退屈もしていないのよ?」
パチュリーが魔理沙に視線を送る。
「魔理沙、貴女は私の弾幕を参考にしたスペルカードを作らせて欲しいと言ってきた。あれは私の研究が、現役の魔法使いに認められたということ」
アリスが見ると、魔理沙はどこかバツの悪そうな、隠し事がバレてしまった子供のような表情を浮かべている。
以前に聞いたときはごまかしていたが、魔理沙はオリジナルへの尊敬の念を忘れていなかった。
そんな魔理沙にアリスが微笑を向けていると、今度はパチュリーがこちらを向いた。
「アリス、貴女はいつぞやの天人が異変を起こした時、ここに相談にきた。魔法は術者のオリジナルであるべきだと自負する貴女が、私の知識を頼ってくれた」
今度は魔理沙がアリスを見る。
表情こそあまり変わっていなかったが、口元や頬が照れくさそうにゆるんでいるのを見て、魔理沙の顔も楽しそうにほころぶ。
「神は信仰心によって力を増すと言われるけれど、魔法使いは己の知識や研究を認められることで心が満たされるわ」
パチュリーが魔導書を愛読するのは、過去の偉大な魔法使いに対する畏敬の念があるから。
魔法や魔法使いの存在自体が禁忌となっている時代、場所も少なからずあった。
誰にも認められずに無念の死を遂げた彼らの魂を、遺していった本を読むことで少しでも救いたい。
パチュリーはその想いから、膨大な魔導書を集め、読み続けているのだ。
「魔法使いは死後にその研究が認められることが多い。でも私は……うぬぼれでなければ、現役のうちから貴女たちに認めてもらえている。それはとても……とても幸せなことなのよ」
目を瞑り、胸に両手を当てながら語るパチュリー。
「貴女たちは、あまり外にでない私にいつも新しい情報や話題を提供してくれる。貴女たちが来てくれるだけでいい刺激になるし、とても楽しいと思っているの」
一息。
「貴女たちは私にとって、見所のある、将来有望な可愛い後輩よ」
そう言って、ほんの少しだけ微笑む。
それは見るものを幸せな気持ちにさせる、優しい笑みだった。
魔理沙とアリスはそんなパチュリーを見て、満面の笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆
「ところで、どうして召喚できなかったのかしら。こぁの話じゃ、結界は一度越えたと聞いたのだけれど」
「そこが分からないのよね。召喚魔法の構成は、我ながら完璧な出来だったと思うわ。あとは発動するだけだったのに」
「なんか、この前私たちが不運で成功しなかった研究の時に似てないか?」
「でも、運勢はまだ好調だったはずよ。ダイスで確かめたじゃない」
「そうなんだよなー」
「ちょっと待って。そのダイスって何のこと?」
魔理沙がこともなげに、
「パチュリーの研究室の棚に転がってたやつだぜ。何かまずかったか?」
「……」
パチュリーが大げさに嘆息する。
「あれは出したい数字を出す代わりに、そのあと一時的に不運になるマジックアイテムよ。だから運試しはおろか、魔法を使う前に転がすなんてもってのほかよ」
「え」
「ちょ、ちょっと。それじゃまさか」
パチュリーが、以前に聞いた質問を再び投げかける。
「……貴女たち最近、不運続きだったんじゃない?」
問われた二人が、再び自身の不運エピソードを口にする。
「……永琳にもらった痛み止めの薬に、何故か下剤が混じってて酷い目にあった。悪戯ウサギのやつの仕業かと思ってとっちめたが、月ウサギの方が「この子が私以外に悪戯するはずがない」って必死にかばってたな」
「わたしも、魔理沙の食事を作ってたら塩と砂糖の容器が逆になってて入れ間違えたわ。悪戯ウサギがやったのかと思ったけど以下同文よ」
「……」
「……」
「……」
沈黙が場を支配する。
「その、つまりあれね。私たちは……」
「また"不運"と"踊"っちまった、というわけか……」
「そういうことのようね」
因幡てゐと博麗霊夢によってもたらされた仮初の幸運は、二人が召喚儀式の前にやった運試しによって消し飛んでいた。
そして不運は、最も来て欲しくない場面で最も嫌らしい結果をもたらした。
すなわち、二人の魔力が消耗された段階での逆流である。
「あー、同じ過ちを繰り返すなんて不覚だぜ」
「大体、魔女の研究室に置いてあるダイスが普通のものなワケがないのよ。抜かったわ」
「二人とも、注意不足ね」
「はあ、こうも失敗続きだと自信喪失しちゃうぜ」
「私も、こんな初歩的な失敗してるようじゃ、魔理沙の保護者として失格ね」
ため息をつく二人。
その様子を見たパチュリーが、生徒に教えを説くかのように話しはじめる。
「前にも言ったけれど、研究に失敗なんてないわ。真の失敗とは、悪い結果を恐れるあまり、困難に挑戦する事を放棄した者のことをいうのよ」
二人が耳を傾けていることを確認し、続ける。
「貴女たちは困難に臆することなく挑戦した。そしてあと一歩のところまで到達した。その勇気と結果は誇るべきよ」
パチュリーの言葉を聞き、二人の表情に笑顔と力が戻ってくる。
「うん、そうだな。パチュリーにそう言ってもらえると、自信が湧いてくるぜ」
「そうね。まるっきりダメだったってわけじゃないものね」
二人が気を持ち直したのを見ていたパチュリーが、なにやら言いにくそうに、遠慮がちに口を開く。
「その……貴女たちさえよければ、今度は私と一緒に召喚実験をやってもらえないかしら」
「三人でやるってこと?」
「ええ。私は一人でやって結界も超えられなかった。でも貴女たちは二人でやって結界を越えた。なら三人でなら、きっと成功するわ」
その言葉に魔理沙とアリスは顔を見合わせ、笑顔で頷いた。
「ああ、私はいいぜ」
「私も、喜んで協力させていただくわ」
「ありがとう、嬉しいわ」
◆ ◆ ◆
「それにしても、パチュリーがバンザイしながらピョンピョン跳ねて喜ぶところ、早く拝みたいもんだぜ」
何気ない魔理沙の言葉にパチュリーがティーカップに伸ばした手の動きをとめ、小悪魔の方を振り返る。
「……こぁ?」
名前を呼ばれ、嬉しそうな小悪魔。
「はーい、何でしょうかパチュリー様」
「貴女、この二人に余計なこと吹き込んだでしょう」
「え? えへへー」
笑顔で悪びれた様子もない小悪魔を、半目で見つめるパチュリー。
「……後で覚悟しておきなさい」
「はーい」
何故か右手を元気よく挙げる小悪魔。
その様子を見て、アリスがとりなすように口を挟む。
「あまりいじめないであげて。小悪魔はパチュリーに喜んでもらいたくて協力してくれただけなんだから」
しかしその言葉に、パチュリーは無言を返すのみであった。
◆ ◆ ◆
「いやー、やっぱりパチュリーはいいこと言うよな。例のほら、ナントカカントカってやつだな」
「サイレント・マジョリティのこと? 何よ、ナントカカントカって」
「サイレント・マジョリティがどうかしたの?」
アリスが先日の魔理沙との会話をかいつまみ、パチュリーに説明する。
聞き終えたパチュリーが微笑を浮かべながら口を開く。
「あら、サイレント・マジョリティなら、貴女たち二人も黙っていればその資格はあるわよ」
「なんのことだ?」
不思議そうに見てくる二人に、パチュリーは真顔でこう続けた。
「Silent・魔女りTea。つまり静かなる魔女の茶会よ」
しばしの静寂。
そして無表情で胸を張るパチュリーに、その場の三人が異口同音に突っ込んだ。
「パチュリー、それはないぜ……」
「パチュリー、それはないわね……」
「パチュリー様、それはないです……」
「むきゅっ!?」
よほど自信があったのだろう、全否定されたパチュリーはいたくショックを受けていたが――とても楽しそうでもあった。
◆ ◆ ◆
深夜。大図書館内のある一室に、パチュリーと小悪魔が小さなテーブルを挟んで向かい合うように座っていた。
パチュリーは珍しく本を読んでおらず、小悪魔はニーソックスを脱いだ素足をブラブラと揺らしていた。
「召喚に協力してもらえることになってよかったですね」
「ええ……貴女のおかげね、こぁ」
「えへへ。でも、昼間は「覚悟しておきなさい」って言ってましたよ? お仕置きされるのかなーってドキドキしてます」
嬉しそうな口調の小悪魔に、パチュリーがほんの僅か、不満げに返事をする。
「……分かってるくせに。私が貴女にそんなことできるはずないでしょう」
「ええ、分かってますよ。分かってるのに構ってほしくてあんなことを言っちゃうパチュリー様は、とっても可愛いです」
「……」
目を細め、まさに小悪魔という形容詞に相応しい笑みを浮かべる小悪魔。
小悪魔の言葉を聞き、パチュリーの頬にサッと朱の色が浮かぶ。
「あの……二人だけの時は『パチェ』って呼んで……?」
もじもじと両手の指同士を弄びながら、上目遣いに小悪魔を見つめるパチュリー。
突然雰囲気が変わった主人の様子に、しかし動じることなく小悪魔が突き放すように言う。
「へえ、それが人にモノを頼む態度ですか? もう口の聞き方を忘れたのですか、『お前』は」
あくまで丁寧語は崩さず、その上で主人をお前と呼ぶ。
だが言われたパチュリーは怒るどころか、ビクンと身体を震わせ、眉尻を下げながら慌てた様子で言い直す。
「ご、ごめんなさいっ。……どうか、パチェと呼んでください、『こぁ様』……」
「そう、それでいいんですよ。よくできましたね、『パチェ』」
「あ……ありがとうございます」
頭を撫でられ、嬉しそうに頬を染めるパチュリー。髪に指を絡めてやると、気持ち良さそうに目を細めている。
普段の無口な彼女からはとても想像できない変わりようだ。
「ふふ、可愛いですねパチェ。私を召喚したばかりの、いつもおすまし顔をしていた頃からは考えられませんね?」
「やぁ……昔のことは言わないでください……」
小悪魔がパチュリーに召喚されたのは、紅魔館が幻想郷に移り住んでくる遥か以前のことである。
悪魔族としてはさほど力のない自分を選んでくれた主人に恩返しをするため、小悪魔は誠心誠意パチュリーに仕えた。
図書館の掃除、本の購入や整理整頓、紅茶や食事の用意、etc……
しかし、どんなに献身的に仕えても「欲しい本が手に入る」こと以外で、彼女が笑顔を見せてくれることはなかった。
小悪魔はパチュリーの笑顔が本にのみ向けられるものであることに悩み、本に嫉妬さえした。
いっそ燃やしてしまおうかとも考えたが、主人のことを想うとそれは絶対にできない。忠誠心と欲望の狭間で、小悪魔は苦悩した。
そしてある満月の夜、ついに溜め込んでいた感情が爆発し、主人に欲望の全てをぶつけた。
『主人のため』に生きてきた小悪魔が、初めて『己の欲望を満たすため』を理由に行動したのである。
実力差は歴然であり、自分はすぐに始末されるだろうと覚悟していたが、意外なことにパチュリーは全てを受け入れてくれた。
それどころか、
「やっと、素直になってくれたのね」
そう言って抱きしめられたあと、初めて自分に笑顔を見せてくれた。
その時、小悪魔は数多の悪魔族の中から、なぜ自分が選ばれたのかを理解した。
パチュリーは小悪魔の胸のうちにある、主人に対する倒錯した支配欲を見抜いていたのだ。
そして彼女がそんな自分を敢えて従者に選ぶ理由はただ一つ。彼女もまた、従者に対して倒錯した欲望を持っていたのだ。
ただし、小悪魔とは逆ベクトルの欲望を。
その日を境に、パチュリーは小悪魔の『主人』であり、同時に『従者』になったのだった。
「今度あの二人に、「パチェはクールを装った変態さんで、いじめてもらいたくてSっ気のある悪魔を召喚した」とバラしたら面白そうですね?」
嗜虐心に満ちた笑みを浮かべた小悪魔の言葉を聞き、パチュリーがいやいやをするように首を振る。
「そ、それだけはやめて、お願い……」
その態度を見て、小悪魔の笑みが冷たいものに変わる。
「……お前はまだ口の利き方が分からないんですか? それとも、いじめてほしくてわざとやっているんですか?」
「あ……お、お願いします……こぁ様、どうか……」
恐怖に声を震わせながらもどこか嬉しそうなパチュリーの言葉を、しかし小悪魔は無視しブラつかせていた脚を組む。
「主人に何かを乞う時はどうするんだったか、もう忘れましたか?」
そう言い、自らの足に視線を落とす。
その視線につられるようにして、悪魔族特有の少し鋭い爪が揃った素足をパチュリーが見つめているのを確認し、声をかける。
「パチュリー様?」
名前を呼ばれたパチュリーがビクリと顔を上げる。
そして何かを諦めたような表情で席を立ち、ノロノロと近づいてくる。
敢えて顔も見ないように横を向いていると、パチュリーが熱に浮かされたように言葉を絞り出す。
「失礼します……」
そう呟いて目の前に跪くパチュリー。
目を潤ませながら上目遣いに見つめてくるが、早くしろという意思を込めた冷たい視線を投げて返す。言葉は決してかけない。
それがこの『主人』を何より悦ばせると知っているから。
目の前で奉仕を始めたパチュリーを見下ろしながら一人ごちる。
「パチュリー様を真に悦ばせてあげられるのは、私だけ……」
「……?」
パチュリーが上目遣いで不思議そうに見上げてくる。
上気したその顔を眺めながら手を伸ばして頬に指を這わせると、か細い声を挙げながら悶えるように身を揺らす。
胸の鼓動ははちきれんばかりに高鳴っており、気を抜けば卒倒してしまいそうな興奮をおさえながら、努めて平静に声をかける。
「なんでもありません。続けてください。そう、指の間もですよ。いい子ですね、パチェ」
愛称で呼んでもらえたことに満足したのか、行為に集中するパチュリーを見下ろしながら内心で考える。
こんなに可愛い貴女を見られるのは私だけ。
現役の魔女たちからも一目置かれる貴女の、こんなに乱れた姿は私だけのもの。
貴女に悦んでいただくことが、私の幸せです。私の全てです。
一生お仕え致しますよ、パチュリー様。
なつかしすwwwww
全力で同意せざるを得ない素晴らしいラストだった
それにしてもオーフェンネタが懐かしすぎるw
で、俺的には魔理沙はオーフェンよりもマジクに近い気がするんだが
ぶらんにゅー!
許せる!
新しいこあパチェだな。素晴らしい。
受け魔理沙と攻めアリスも素晴らしい。
マリアリはいつも通り、しかしまさかのドMチュリーとは……お見逸れしました。
ただあなたの作品通して一つ思うことがあります。
こんな素晴らしい発想を蓄えていながら
な ぜ 1 8 に こ な い
面白かったです