「七五三おめでとう、稗田阿求さん」
私が縁側を角から覗き見たちょうどその時に、気怠さを包み隠さず霊夢がそう言った。それきり目も合わそうとしないので返礼をする気分にもなれず、私はその隣に腰掛けた。七五三らしい厚着と厚化粧で火照った身体が、ようやく人心地ついたといったところだ。
「博霊の巫女は客人のお出迎えもまともに出来ないのね」
「今まで二回ともこうだったでしょ。忘れたの?」
「誰に向かって言っているのかしら」
そう返すと、霊夢は肩をすくめてから湯呑みを手にとった。息を吹きかける仕草までが今までとまるで同じであるのには、流石に驚きを禁じ得ない。
だとすれば。傍らを見やると案の定、盆の上に私の分の湯呑みとお茶請けとが用意されていた。
相も変わらず霊夢の淹れた緑茶は風に香りを漂わせるだけでも風味が伝わってくるようだし、千歳飴も十分な量が盛られている、けれど。
「七五三ってこんな事をやるものだったかしら」
「その質問も前にしなかった?」
「私が同じ質問をしても、返答はその都度変わったりするから。それを逐一記憶するのが私」
「あんたの為にわざわざ違う返事用意しないわよ。七面倒くさい」
「せめてもてなしの品ぐらい凝っても罰はあたらないのよ?」
「そう。なら次の七五三にはそうしてあげる」
「次、ね」
私の場合、七つを迎えた次の七五三が、あるにはあると言う事も出来る。
稗田阿求――九代目の阿礼乙女としてではなく、十代目として。再び、三度、それに加えてもう一回。そしてまた転生をして、遠い未来にこの博霊神社の敷石を草鞋越しに感じて。そんな事が半ば永久に続くのだろうか。これだけ繰り返してきた今でも先代の記憶が残っていない以上、あまり実感はない。
私が保証出来るのは、稗田阿求として関わってきた事象に関してだけである。
「しかし、七五三で来るのもあんたぐらいよねえ。律儀なもんだわ」
「私、いや、私達にとっては成人式のような意味合いもあるからね。五十年を全う出来ない身だから」
「じゃあ、これって皮肉じゃない」
霊夢が千歳飴で手遊びしてから、ふっと笑みを浮かべた。今日始めて視線が合ったが、そうするとより一層、そういった表情がひどく様になっているのが分かるのだった。食べ物で遊ぶのには関心出来はしないが。
「何だか大袈裟な名前に思えるけど、要は舐めると妖怪に近付くのかしら。くわばらくわばら」
「……別に、それでもいいのかもね。長生き出来るという意味では、阿礼乙女のそれよりもずっと効率的かもしれないし」
ふと、私はそんな事を口走っていた。
ぱきりと霊夢が千歳飴を噛み砕く。こぼれた破片が私の膝の上に転がる。租借する音だけ聞くとまるで親の敵でも相手にしているかのようだったが、霊夢はあくまでひょうひょうとした雰囲気を保っていた。
飽くまでそれを続けるようにも思えたが、霊夢はすぐに喉を鳴らした。
「魔がさしたわね。あんた、妖怪への一歩を踏み出しちゃったわ。やっぱり飴が悪いのかしら」
「将来を見据えての話よ」
「七歳児が語る事じゃないでしょ」
「千年以上巡り廻って言う事でもないわ。だから、これは若者らしい夢の話」
そう、あくまでこの気持ちは、この私のものだ。
着物の上に散らばった飴の破片をひとつまみ口に運んでみる。今ようやくにして思い至ったが、この味なら緑茶じゃなくて紅茶でもいいかもしれない。清々しく晴れ晴れしい青空の向こうに、我が家で常より愛飲している銘茶の事を思った。
「夢を話しても、それは叶わないわ。だって私が退治するもの」
そういえば、この博麗霊夢とやらは一応とはいえ巫女であったか。
思わず忘れていたなどという言い方を使いたくなるぐらいに、その言葉は私の耳には唐突に聞こえた。
「野蛮ねえ。妖怪だったら見境なし?」
「それが仕事だから」
「人間に助力する妖怪だっているわよ。私をこの神社に運んでくれたのもその内の一人。もっとも、あれは半人半獣だけど。……ああ、そういうのでもいいかもね」
阿礼乙女として長い付き合いをしている、上白沢慧音の事を想起する。毎回毎回、時間を作って送り迎えをしてくれるのには感謝の極みだ。私が半日以上をゆうに費やしてようやく鳥居をくぐるところを、彼女に頼めば半刻程度まで縮める事が出来る。
つくづく人の身というのは不便なものだ。それこそ目前の巫女ぐらいになれば、それもなくなるのだろうが。
「良い奴だろうが悪い奴だろうが、完全だろうが半分だろうが、妖怪は妖怪よ。全員、バカやらかして退治される」
「貴方に?」
「博麗の巫女に」
「仕事熱心なのね、その巫女は。誰かさんとは大違い」
「そうね。その人ならきっと目の前の妖怪もどきなりかけ未満も見逃さないでしょうね。ああ、もったいない」
かなり冷え込んできたというのに、霊夢は袖から札を二、三取り出して、おもむろに自らを扇ぎはじめた。空気がかきまぜられて私にまで伝わってきたが、この厚着と厚化粧ではその涼やかな風を感じるべくもない。だというのに、肝だけは妙に冷えて仕方がなかった。
「私は妖怪じゃないわ。当代の阿礼乙女よ」
「私だって、今の内は博麗の巫女らしいんだけど」
「責任ある立場として未来の事を語り合わなくちゃね」
「言い出しっぺからやりなさいよ」
相も変わらず霊夢は大儀そうにしていたが、話を促すあたり案外乗り気なのだろう。ぱたぱたと足が動く音が私の耳たぶを震わせた。
私も私とて、勿体ぶって咳払いを一つばかりしてみる。
「長生きしたいものね」
「それだけ?」
「勿論、長い人生はその分楽しまなくちゃ。レコードも紅茶も楽しみ尽くしたと胸を張れるぐらい嗜みたいわ。縁起を綴った後にそれでほっと一息ついたら、ぶらりと散歩にも出てみたいし。今まで見聞を深めようと色々な場所に足を運びはしたものの、自分の足だけで行った場所は数える程だもの。そんな事を延々続けて――いつかはその帰りを出迎えてくれる人が出来たら尚更いいわね。
そんな人生を送れたら、稗田阿求としては満足よ」
「……ふーん」
聞き終えて湯呑みを傾ける霊夢を見て、語り終えた私も喉のかわきに耐え難くなった。縁側に緑茶をすする音が二人分、しっとり溶け込むようにして響いていく。
「人生、なのね」
「妖怪でも変わらないわよ。私は私。多分、十代目阿礼乙女なんかよりもよっぽどね」
「じゃあまだ退治出来る可能性は残るわけか。成程成程」
「また随分と嬉しそうね?」
「だって大した異変も起きないんだもの。退屈ったらありゃしない。本当、つまんないわ」
お茶っ葉臭い嘆息が、急な冷気にさらされて白く染まった。先程取り出されて、今は床に置かれているお札を霊夢の指がそっとなぞる。霊夢がその気になりさえすれば、それはすぐにでも私の下へと飛来してくるように思えた。否、私でなくともきっと、誰かにそれを投げつけたくて仕方が無いのだろう。
まじまじと見つめるのも気がひけて、私はまた千歳飴に手を伸ばす。かじかんだ指先にはやけに硬く感じられた。
そのすぐ隣のをかっさらって、口に含みながら霊夢は続ける。
「何がつまんないって、異変が起きないのもそうだけれど、そもそも妖怪自体がつまんないのよ。やることなすこと小さいことばっかで、それと同じくらいに器の小さいのだけ。本気でかかってくるつもりがないなら、そもそも異変じみた真似しなければいいのに」
「それは、博麗の巫女を倒すわけにもいかないし」
「だからつまんないって言ってるのよ。お約束の三文芝居に付き合わされる身にもなってよ。――そんなのに必死になって不細工な顔向けてきたのを、一々見なくちゃいけない身にも」
私は忘れる事が出来るんだから、忘れたいのに。
そう呟き、腹いせとばかりに霊夢はまたも飴を噛み砕いていく。ただでさえ年頃がゆえ、乳歯が抜け落ちてでこぼこの歯並びなのに、この勢いだとまた数本ぐらいは吹っ飛んでいきそうなぐらいだ。何となく気になってしまって、私もぐらついている歯を少しもてあそんでみた。
「ひゃあ、それを夢にしたらいいんじゃないかしら」
微かな痛みに若干ながら発音がおぼつくなくなる。出来うる事なら聞こえてほしくなかったが、霊夢はここぞとばかりに私の方へ勢い良く振り返った。
それは、まだ私が見たことの無い表情だった。
「どういうこと?」
「だから、そのつまんない幻想郷をどうにかしようとする事をこそ、夢にしたらいいんじゃないかしら。そのぐらい突拍子もない方がらしくていいと思うわ」
「……初めてあんたの事、稗田阿求って思ったかもしれない」
「何よそれ」
霊夢の言う事は大抵が口から出任せの戯言だが、中でもそれは傑作のように思えた。あまりに奇天烈な言葉なのに、私も概ね似たような事を霊夢に対して思っていたからだ。
当代の博麗の巫女としてではなく、博麗霊夢としてようやく綴り始めた記憶の一頁目に、霊夢はまず思い悩むような影を落とした。
「もしもの話なんだけど」
それだけ言って、霊夢はしばらくの間、顎に手を当てて思考にふけった。頭を働かせているあおりのようにして、その口唇から唸りが漏れてくる。じっと待っていても呆けてしまいそうだと思い、千歳飴に手を伸ばしそうとしたところ、目ざとく見咎められて三白眼で睨みつけられた。そのまま品定めをするように、私の全身が視線によって舐め回される。
「私がそのつまんない幻想郷をどうにかする方法――だと個人的には思うようなものを考えたとして、皆それに付き合ってくれるかしら」
「そんなの分からないわよ」
「……まあ、そりゃそうよね」
「でも」
落胆した様子の霊夢に向かって、これ見よがしに言葉を続ける。
「見てみれば分かるかもしれないわ。……見せる事が出来るならだけど」
「――あんまり年上を舐めるんじゃないわよ。いいわ、そこまで言うんだったら見せてあげる」
高らかに音を鳴らして、霊夢は地面を蹴った。立ち上がりざまに膝を払って、私に背中を向けたまま歩き出す。
私が慌ててその後に続こうとしたところで、霊夢は顔だけをこちらに向けた。
「あんたと違って、私はずっと子供らしく、この夢を膨らませてたんだから」
それはともすれば聞き逃してしまいそうな程にか細い声だったが、私の記憶にはしっかりと刻み込まれた。
◇
「ねえ、一体全体何をするつもり?」
「いいから黙ってそこに立ってなさい。一歩も動くんじゃないわよ。悪いようにはしないから」
どう尋ね方を工夫したところで、霊夢はその一点張りだった。こうなってはもういい加減に口をつぐむしかない。鬱憤晴らしに敷石に地団駄踏みたいところではあるが、それすらも禁じられているのでますますに憂鬱だ。
縁側から境内まで連れ出された理由が一向に分からないまま、私はただ霊夢の一挙一動を見守った。些細な目口鼻の動きから、仕草の一つ一つに至るまでが記憶に積み重なっていく。それにしたって、何をしているのかすら予測出来ない。何やら私の立ち位置を見て、あれこれと考えを巡らせているだろう事は伝わってくるのだが。
「……よし、大体分かったわ。重ねて言うけど、絶対にそこを動かないこと。いいわね?」
「私、了承した覚えなんてないんだけれど」
「じゃあ忘れちゃったのよ、きっと」
思わず前のめりになって全身で現在の心境を表したい衝動に駆られたが、鷹のような眼光に見据えられて、脊髄がぴたりと伝達を止めた。
視線を私から外さないままに、霊夢は袖から一枚、新たなお札を取り出す。遠目でおぼろげにしか見えないながらも、それが縁側で取り出されたのとはまるで意匠が異なるらしい事は分かった。
くるりと、それが翻される、
「妖怪もどきなりかけ未満、稗田阿求」
その、今までとは比べ物にならないぐらいの冷徹な声音に、身体どころか思考すらも満足に働かなくなる。
何も出来ず何も思えず、ただ五感でのみ私は存在しているようだった。
「今からあんたを退治するわ」
「な……!」
絞り出せたのが奇跡に思えるぐらいに、か細い声を掻き消すように。
博麗の巫女は宣言する。
「霊符 夢想封印」
剥き出しの五感にそれらは凄まじいものを以てして訴えかけてきた。
私が辛うじて認識する事が出来たのは、霊夢の周囲に突如として光の塊が出現したという事だった。それも一つではない。七色に光り輝く無数の弾が、霊夢の姿を神秘的に照らし出す。奇妙なのは、それが正しく光そのものとしか思えない事だった。何かが光を発しているわけでも、どこかからか光が差し込んでいるわけでもない。光そのものがそこにはあったのだ。
霊夢はその中央で、神々しくあっても尚、私から眼を逸らそうとはしなかった。それだけで私という存在が何か、今まで居た次元とは離れた場所にまで持ち上げられたような心地がするのだった。
そして、霊夢の腕が指揮をするように振るわれて、私を指さす。
光弾は霊夢の周りを離れ、旋回し見惚れるような曲線を描きつつ、私へと向かってきた。その動きは瞬きが許されるか否かという程に速いものであるはずなのに、私の眼にはその移り変わりが須臾の間隔で捉える事が出来るように思えた。
これを見逃してなるものか。これを記憶に焼き付けずして何を脳裏に残そうというのか。
何をするでもなく、私はただその光に眼を奪われ続けていた。やがてそれらは私の身体に触れて、その役目を終え消えてしまうのだろう。
ただ、だからこそ。
こんなにも美しいのだろうと、そう思った。
最早ただ記憶するだけでは不足に思えて、私はまぶたの裏にまでそれを焼き付けようと、眼をつむろうとする。
その直前で、光弾は不意に重なり合い、それから交錯した。それぞれの目指す場所が私の立つ所とはまるで見当違いの方へと向く。鳥居を、灯篭を、賽銭箱を、囲むようにしてひとしきり舞った後に、明滅してから消え失せた。
そして残された虚空に、私の視線は釘付けになった。始終をしっかり記憶したというのに、尚も私は直接それを目にしたくて、必死に残滓を求めていた。
「ああ、よかった」
先程とは打って変わり、霊夢は全身を弛緩させた。それは正しく風船がしぼんだかのようで、現実に、抜けた空気が空にのぼっていくのだった。
伏せられた面が、またすぐにあげられる。それもまた、私の記憶に無い表情だった。
「その顔を見る限りじゃ、つまんなくはなさそうね」
「今の、何だったの」
「私が一人でしてた妄想ごっこの賜物よ。強いて言うなら、弾幕ごっこ。私にとっての、妖怪退治の理想。どう? 妖怪もどきなりかけ未満は無事に退治されたかしら」
「……よく分からないわ」
「そう」
霊夢の声色はあくまで満足気だった。興奮覚めやらぬとばかりに身悶えしてから、あろうことか地べたに座り込んだ。それは呆れられても仕方のないような事だったかもしれないが、生憎と今の私ではそんな気持ちを抱きようもない。
まだ感覚を取り戻しきっていないせいで、ふらふらとした足取りで私はそんな霊夢に近づいていった。力加減もままならず、敷石を変に甲高く鳴らしてしまう。
その音を聞きつけてか、霊夢が思い出したように口を開いた。
「そういえば、敗者には勝者の言う事を聞いてもらわなくちゃね」
「それ、初耳だわ」
「だから忘れちゃったんだって。うーん、何にしようかしら」
今度はさほど時間をかけずに結論に至ったらしく、霊夢はぱちりと指を鳴らした。
「決めた。さっきまでの事、小っ恥ずかしいから忘れてちょうだい」
「誰に向かって言っているのかしら」
「稗田阿求に向かってよ。確か、転生前の記憶はほとんど無いんでしょ?」
その時の霊夢といったら、出来うる事なら当代の内に記憶から抹消してしまい程、小憎たらしい顔をしていた。
顔がひくついているのを自覚しつつ、他人のように冷静な頭の片隅で記憶をひっくり返す。その結果、三つの時に此処へ足を運んだ時の会話が見当たった。
「よく覚えてたわね。あんなにさらっと流してたのに」
「私には私なりのおつむってものがあるのよ。さっきも言ったけど年上舐めるな。――だから、しっかり忘れて、また此処に来なさい」
嗚呼、この巫女はまたどうしてこんなにも適当な事を言うのか。
その機会には今の台詞すらも忘れているのだろうし、そもそもその時には私は私でない上、博麗霊夢の姿など何処にも求めようがないだろうに。
嗚呼、それなのに私は。
「……忘れる前でも、来てもいい?」
その時、霊夢が首を縦に振ったか横に振ったか。
今は未だ、はっきりと覚えている。
私が縁側を角から覗き見たちょうどその時に、気怠さを包み隠さず霊夢がそう言った。それきり目も合わそうとしないので返礼をする気分にもなれず、私はその隣に腰掛けた。七五三らしい厚着と厚化粧で火照った身体が、ようやく人心地ついたといったところだ。
「博霊の巫女は客人のお出迎えもまともに出来ないのね」
「今まで二回ともこうだったでしょ。忘れたの?」
「誰に向かって言っているのかしら」
そう返すと、霊夢は肩をすくめてから湯呑みを手にとった。息を吹きかける仕草までが今までとまるで同じであるのには、流石に驚きを禁じ得ない。
だとすれば。傍らを見やると案の定、盆の上に私の分の湯呑みとお茶請けとが用意されていた。
相も変わらず霊夢の淹れた緑茶は風に香りを漂わせるだけでも風味が伝わってくるようだし、千歳飴も十分な量が盛られている、けれど。
「七五三ってこんな事をやるものだったかしら」
「その質問も前にしなかった?」
「私が同じ質問をしても、返答はその都度変わったりするから。それを逐一記憶するのが私」
「あんたの為にわざわざ違う返事用意しないわよ。七面倒くさい」
「せめてもてなしの品ぐらい凝っても罰はあたらないのよ?」
「そう。なら次の七五三にはそうしてあげる」
「次、ね」
私の場合、七つを迎えた次の七五三が、あるにはあると言う事も出来る。
稗田阿求――九代目の阿礼乙女としてではなく、十代目として。再び、三度、それに加えてもう一回。そしてまた転生をして、遠い未来にこの博霊神社の敷石を草鞋越しに感じて。そんな事が半ば永久に続くのだろうか。これだけ繰り返してきた今でも先代の記憶が残っていない以上、あまり実感はない。
私が保証出来るのは、稗田阿求として関わってきた事象に関してだけである。
「しかし、七五三で来るのもあんたぐらいよねえ。律儀なもんだわ」
「私、いや、私達にとっては成人式のような意味合いもあるからね。五十年を全う出来ない身だから」
「じゃあ、これって皮肉じゃない」
霊夢が千歳飴で手遊びしてから、ふっと笑みを浮かべた。今日始めて視線が合ったが、そうするとより一層、そういった表情がひどく様になっているのが分かるのだった。食べ物で遊ぶのには関心出来はしないが。
「何だか大袈裟な名前に思えるけど、要は舐めると妖怪に近付くのかしら。くわばらくわばら」
「……別に、それでもいいのかもね。長生き出来るという意味では、阿礼乙女のそれよりもずっと効率的かもしれないし」
ふと、私はそんな事を口走っていた。
ぱきりと霊夢が千歳飴を噛み砕く。こぼれた破片が私の膝の上に転がる。租借する音だけ聞くとまるで親の敵でも相手にしているかのようだったが、霊夢はあくまでひょうひょうとした雰囲気を保っていた。
飽くまでそれを続けるようにも思えたが、霊夢はすぐに喉を鳴らした。
「魔がさしたわね。あんた、妖怪への一歩を踏み出しちゃったわ。やっぱり飴が悪いのかしら」
「将来を見据えての話よ」
「七歳児が語る事じゃないでしょ」
「千年以上巡り廻って言う事でもないわ。だから、これは若者らしい夢の話」
そう、あくまでこの気持ちは、この私のものだ。
着物の上に散らばった飴の破片をひとつまみ口に運んでみる。今ようやくにして思い至ったが、この味なら緑茶じゃなくて紅茶でもいいかもしれない。清々しく晴れ晴れしい青空の向こうに、我が家で常より愛飲している銘茶の事を思った。
「夢を話しても、それは叶わないわ。だって私が退治するもの」
そういえば、この博麗霊夢とやらは一応とはいえ巫女であったか。
思わず忘れていたなどという言い方を使いたくなるぐらいに、その言葉は私の耳には唐突に聞こえた。
「野蛮ねえ。妖怪だったら見境なし?」
「それが仕事だから」
「人間に助力する妖怪だっているわよ。私をこの神社に運んでくれたのもその内の一人。もっとも、あれは半人半獣だけど。……ああ、そういうのでもいいかもね」
阿礼乙女として長い付き合いをしている、上白沢慧音の事を想起する。毎回毎回、時間を作って送り迎えをしてくれるのには感謝の極みだ。私が半日以上をゆうに費やしてようやく鳥居をくぐるところを、彼女に頼めば半刻程度まで縮める事が出来る。
つくづく人の身というのは不便なものだ。それこそ目前の巫女ぐらいになれば、それもなくなるのだろうが。
「良い奴だろうが悪い奴だろうが、完全だろうが半分だろうが、妖怪は妖怪よ。全員、バカやらかして退治される」
「貴方に?」
「博麗の巫女に」
「仕事熱心なのね、その巫女は。誰かさんとは大違い」
「そうね。その人ならきっと目の前の妖怪もどきなりかけ未満も見逃さないでしょうね。ああ、もったいない」
かなり冷え込んできたというのに、霊夢は袖から札を二、三取り出して、おもむろに自らを扇ぎはじめた。空気がかきまぜられて私にまで伝わってきたが、この厚着と厚化粧ではその涼やかな風を感じるべくもない。だというのに、肝だけは妙に冷えて仕方がなかった。
「私は妖怪じゃないわ。当代の阿礼乙女よ」
「私だって、今の内は博麗の巫女らしいんだけど」
「責任ある立場として未来の事を語り合わなくちゃね」
「言い出しっぺからやりなさいよ」
相も変わらず霊夢は大儀そうにしていたが、話を促すあたり案外乗り気なのだろう。ぱたぱたと足が動く音が私の耳たぶを震わせた。
私も私とて、勿体ぶって咳払いを一つばかりしてみる。
「長生きしたいものね」
「それだけ?」
「勿論、長い人生はその分楽しまなくちゃ。レコードも紅茶も楽しみ尽くしたと胸を張れるぐらい嗜みたいわ。縁起を綴った後にそれでほっと一息ついたら、ぶらりと散歩にも出てみたいし。今まで見聞を深めようと色々な場所に足を運びはしたものの、自分の足だけで行った場所は数える程だもの。そんな事を延々続けて――いつかはその帰りを出迎えてくれる人が出来たら尚更いいわね。
そんな人生を送れたら、稗田阿求としては満足よ」
「……ふーん」
聞き終えて湯呑みを傾ける霊夢を見て、語り終えた私も喉のかわきに耐え難くなった。縁側に緑茶をすする音が二人分、しっとり溶け込むようにして響いていく。
「人生、なのね」
「妖怪でも変わらないわよ。私は私。多分、十代目阿礼乙女なんかよりもよっぽどね」
「じゃあまだ退治出来る可能性は残るわけか。成程成程」
「また随分と嬉しそうね?」
「だって大した異変も起きないんだもの。退屈ったらありゃしない。本当、つまんないわ」
お茶っ葉臭い嘆息が、急な冷気にさらされて白く染まった。先程取り出されて、今は床に置かれているお札を霊夢の指がそっとなぞる。霊夢がその気になりさえすれば、それはすぐにでも私の下へと飛来してくるように思えた。否、私でなくともきっと、誰かにそれを投げつけたくて仕方が無いのだろう。
まじまじと見つめるのも気がひけて、私はまた千歳飴に手を伸ばす。かじかんだ指先にはやけに硬く感じられた。
そのすぐ隣のをかっさらって、口に含みながら霊夢は続ける。
「何がつまんないって、異変が起きないのもそうだけれど、そもそも妖怪自体がつまんないのよ。やることなすこと小さいことばっかで、それと同じくらいに器の小さいのだけ。本気でかかってくるつもりがないなら、そもそも異変じみた真似しなければいいのに」
「それは、博麗の巫女を倒すわけにもいかないし」
「だからつまんないって言ってるのよ。お約束の三文芝居に付き合わされる身にもなってよ。――そんなのに必死になって不細工な顔向けてきたのを、一々見なくちゃいけない身にも」
私は忘れる事が出来るんだから、忘れたいのに。
そう呟き、腹いせとばかりに霊夢はまたも飴を噛み砕いていく。ただでさえ年頃がゆえ、乳歯が抜け落ちてでこぼこの歯並びなのに、この勢いだとまた数本ぐらいは吹っ飛んでいきそうなぐらいだ。何となく気になってしまって、私もぐらついている歯を少しもてあそんでみた。
「ひゃあ、それを夢にしたらいいんじゃないかしら」
微かな痛みに若干ながら発音がおぼつくなくなる。出来うる事なら聞こえてほしくなかったが、霊夢はここぞとばかりに私の方へ勢い良く振り返った。
それは、まだ私が見たことの無い表情だった。
「どういうこと?」
「だから、そのつまんない幻想郷をどうにかしようとする事をこそ、夢にしたらいいんじゃないかしら。そのぐらい突拍子もない方がらしくていいと思うわ」
「……初めてあんたの事、稗田阿求って思ったかもしれない」
「何よそれ」
霊夢の言う事は大抵が口から出任せの戯言だが、中でもそれは傑作のように思えた。あまりに奇天烈な言葉なのに、私も概ね似たような事を霊夢に対して思っていたからだ。
当代の博麗の巫女としてではなく、博麗霊夢としてようやく綴り始めた記憶の一頁目に、霊夢はまず思い悩むような影を落とした。
「もしもの話なんだけど」
それだけ言って、霊夢はしばらくの間、顎に手を当てて思考にふけった。頭を働かせているあおりのようにして、その口唇から唸りが漏れてくる。じっと待っていても呆けてしまいそうだと思い、千歳飴に手を伸ばしそうとしたところ、目ざとく見咎められて三白眼で睨みつけられた。そのまま品定めをするように、私の全身が視線によって舐め回される。
「私がそのつまんない幻想郷をどうにかする方法――だと個人的には思うようなものを考えたとして、皆それに付き合ってくれるかしら」
「そんなの分からないわよ」
「……まあ、そりゃそうよね」
「でも」
落胆した様子の霊夢に向かって、これ見よがしに言葉を続ける。
「見てみれば分かるかもしれないわ。……見せる事が出来るならだけど」
「――あんまり年上を舐めるんじゃないわよ。いいわ、そこまで言うんだったら見せてあげる」
高らかに音を鳴らして、霊夢は地面を蹴った。立ち上がりざまに膝を払って、私に背中を向けたまま歩き出す。
私が慌ててその後に続こうとしたところで、霊夢は顔だけをこちらに向けた。
「あんたと違って、私はずっと子供らしく、この夢を膨らませてたんだから」
それはともすれば聞き逃してしまいそうな程にか細い声だったが、私の記憶にはしっかりと刻み込まれた。
◇
「ねえ、一体全体何をするつもり?」
「いいから黙ってそこに立ってなさい。一歩も動くんじゃないわよ。悪いようにはしないから」
どう尋ね方を工夫したところで、霊夢はその一点張りだった。こうなってはもういい加減に口をつぐむしかない。鬱憤晴らしに敷石に地団駄踏みたいところではあるが、それすらも禁じられているのでますますに憂鬱だ。
縁側から境内まで連れ出された理由が一向に分からないまま、私はただ霊夢の一挙一動を見守った。些細な目口鼻の動きから、仕草の一つ一つに至るまでが記憶に積み重なっていく。それにしたって、何をしているのかすら予測出来ない。何やら私の立ち位置を見て、あれこれと考えを巡らせているだろう事は伝わってくるのだが。
「……よし、大体分かったわ。重ねて言うけど、絶対にそこを動かないこと。いいわね?」
「私、了承した覚えなんてないんだけれど」
「じゃあ忘れちゃったのよ、きっと」
思わず前のめりになって全身で現在の心境を表したい衝動に駆られたが、鷹のような眼光に見据えられて、脊髄がぴたりと伝達を止めた。
視線を私から外さないままに、霊夢は袖から一枚、新たなお札を取り出す。遠目でおぼろげにしか見えないながらも、それが縁側で取り出されたのとはまるで意匠が異なるらしい事は分かった。
くるりと、それが翻される、
「妖怪もどきなりかけ未満、稗田阿求」
その、今までとは比べ物にならないぐらいの冷徹な声音に、身体どころか思考すらも満足に働かなくなる。
何も出来ず何も思えず、ただ五感でのみ私は存在しているようだった。
「今からあんたを退治するわ」
「な……!」
絞り出せたのが奇跡に思えるぐらいに、か細い声を掻き消すように。
博麗の巫女は宣言する。
「霊符 夢想封印」
剥き出しの五感にそれらは凄まじいものを以てして訴えかけてきた。
私が辛うじて認識する事が出来たのは、霊夢の周囲に突如として光の塊が出現したという事だった。それも一つではない。七色に光り輝く無数の弾が、霊夢の姿を神秘的に照らし出す。奇妙なのは、それが正しく光そのものとしか思えない事だった。何かが光を発しているわけでも、どこかからか光が差し込んでいるわけでもない。光そのものがそこにはあったのだ。
霊夢はその中央で、神々しくあっても尚、私から眼を逸らそうとはしなかった。それだけで私という存在が何か、今まで居た次元とは離れた場所にまで持ち上げられたような心地がするのだった。
そして、霊夢の腕が指揮をするように振るわれて、私を指さす。
光弾は霊夢の周りを離れ、旋回し見惚れるような曲線を描きつつ、私へと向かってきた。その動きは瞬きが許されるか否かという程に速いものであるはずなのに、私の眼にはその移り変わりが須臾の間隔で捉える事が出来るように思えた。
これを見逃してなるものか。これを記憶に焼き付けずして何を脳裏に残そうというのか。
何をするでもなく、私はただその光に眼を奪われ続けていた。やがてそれらは私の身体に触れて、その役目を終え消えてしまうのだろう。
ただ、だからこそ。
こんなにも美しいのだろうと、そう思った。
最早ただ記憶するだけでは不足に思えて、私はまぶたの裏にまでそれを焼き付けようと、眼をつむろうとする。
その直前で、光弾は不意に重なり合い、それから交錯した。それぞれの目指す場所が私の立つ所とはまるで見当違いの方へと向く。鳥居を、灯篭を、賽銭箱を、囲むようにしてひとしきり舞った後に、明滅してから消え失せた。
そして残された虚空に、私の視線は釘付けになった。始終をしっかり記憶したというのに、尚も私は直接それを目にしたくて、必死に残滓を求めていた。
「ああ、よかった」
先程とは打って変わり、霊夢は全身を弛緩させた。それは正しく風船がしぼんだかのようで、現実に、抜けた空気が空にのぼっていくのだった。
伏せられた面が、またすぐにあげられる。それもまた、私の記憶に無い表情だった。
「その顔を見る限りじゃ、つまんなくはなさそうね」
「今の、何だったの」
「私が一人でしてた妄想ごっこの賜物よ。強いて言うなら、弾幕ごっこ。私にとっての、妖怪退治の理想。どう? 妖怪もどきなりかけ未満は無事に退治されたかしら」
「……よく分からないわ」
「そう」
霊夢の声色はあくまで満足気だった。興奮覚めやらぬとばかりに身悶えしてから、あろうことか地べたに座り込んだ。それは呆れられても仕方のないような事だったかもしれないが、生憎と今の私ではそんな気持ちを抱きようもない。
まだ感覚を取り戻しきっていないせいで、ふらふらとした足取りで私はそんな霊夢に近づいていった。力加減もままならず、敷石を変に甲高く鳴らしてしまう。
その音を聞きつけてか、霊夢が思い出したように口を開いた。
「そういえば、敗者には勝者の言う事を聞いてもらわなくちゃね」
「それ、初耳だわ」
「だから忘れちゃったんだって。うーん、何にしようかしら」
今度はさほど時間をかけずに結論に至ったらしく、霊夢はぱちりと指を鳴らした。
「決めた。さっきまでの事、小っ恥ずかしいから忘れてちょうだい」
「誰に向かって言っているのかしら」
「稗田阿求に向かってよ。確か、転生前の記憶はほとんど無いんでしょ?」
その時の霊夢といったら、出来うる事なら当代の内に記憶から抹消してしまい程、小憎たらしい顔をしていた。
顔がひくついているのを自覚しつつ、他人のように冷静な頭の片隅で記憶をひっくり返す。その結果、三つの時に此処へ足を運んだ時の会話が見当たった。
「よく覚えてたわね。あんなにさらっと流してたのに」
「私には私なりのおつむってものがあるのよ。さっきも言ったけど年上舐めるな。――だから、しっかり忘れて、また此処に来なさい」
嗚呼、この巫女はまたどうしてこんなにも適当な事を言うのか。
その機会には今の台詞すらも忘れているのだろうし、そもそもその時には私は私でない上、博麗霊夢の姿など何処にも求めようがないだろうに。
嗚呼、それなのに私は。
「……忘れる前でも、来てもいい?」
その時、霊夢が首を縦に振ったか横に振ったか。
今は未だ、はっきりと覚えている。
人間組としてもあまり取り上げられない組み合わせですが、クールなやり取りの中で時折光るような率直さが眩しい。
つまらない幻想郷を、弾幕仕様で楽園に変えてしまった、霊夢の心の軌跡がとても愛しいです。
霊夢の弾幕を初めて見たのが阿求というのも良いな、と思いました。
幻想郷を保つ博麗の巫女と、幻想郷を記録していく阿礼乙女、世界を俯瞰でとらえているような二人の言葉の応酬が良かったです。