その日、レミリア・スカーレットは久々に優雅な午後を過ごしていた。
最近多忙な日々が続いていた。師走近いこの時期に頑張らないと年末休みがとれないのだ。
おかげでここのところ神社にも行けなかったし、妹にかまってやる暇も無かった。
だがやっと区切りがついた。しばらくはのんびり出来そうだ。
外は生憎の雨模様、外に出る気はしないが、その分部屋で紅茶とお菓子を楽しんでいた。
テーブルの上では咲夜が焼いたクッキーが香ばしい匂いを漂わせている。
だが、そんなのんびりとした時間も長続きはしなかった。
「わん! わん! わ~ん!」
妹のフランドールが飛び込んで来たからだ。
なぜか犬のような耳と尻尾を生やして、わんわんと吠えながら。
「はっ?」
ありえない事態に一瞬頭が真っ白になるレミリア。
フランドールはその隙をついて姉の懐に飛び込むと、
「ぺろぺろ」
姉の頬を舐めてきた。
「!!!」
混乱と恥ずかしさで顔を真っ赤にするレミリア。
柔らかい舌の感触に心臓が激しく脈打つ。
「ちょっと離れて……」
妹を引き剥がそうと力を込めるレミリア。
だがフランドールはがっしりとしがみついて離れようとしない。
お尻の尻尾がパタパタとひっきりなしに振られていた。
「やっぱりここにいたわね」
「パチェ!」
「ぺろぺろ」
そこに現れたのは働かない大図書館、ではなく動かない紫モヤシ、パチュリー・ノーレッジである。
「これはあなたの仕業ねパチェ」
「ぺろぺろ」
「ご明察」
考えるまでもないことである。
紅魔館でこんな不可思議な事件が起きたとき、犯人は彼女と概ね決まっているのだ。
「ぺろぺろ」
「ちょっと実験で妹様に犬耳が生える魔法をかけたんだけどね。
ちょっとした手違いで精神まで犬になっちゃったのよ」
「人の妹になんてことしてんのよぉぉぉぉぉ!!」
絶叫するレミリア。妹を実験体にされ、さらに失敗されたのでは当然の反応だろう。
飛びかからなかっただけでもたいしたものである。
もっとも飛びかかりたくとも、フランドールがしがみついているので動けないのだが。
「そう怒らないで。今解除の術式を用意してるところだから」
「早くなさい!」
「ぺろぺろ」
「だからそれまでの間妹様の面倒見ててくれないかしら」
「へっ?」
「幸いよく懐いてるみたいだし」
「ぺろぺろ」
「いや……でも……」
「それとも他の人に面倒見させるの。そんな状態の妹様を」
「ぺろぺろ……ぺろぺろ」
「そんなこと出来るわけ無いじゃない! こんな無防備なフランを他の者に任せるなんて、
狼の前に羊を連れて行くようなものよ!」
レミリアがそう考えるのも無理は無い。それほどまでにフランドールは愛らしさに溢れているのだ。
若干身内の贔屓目が含まれているが。
「それじゃよろしくね。あっ、そうだわ」
思い出したようにパチュリーは懐を探ると、
「はいこれ」
鎖付きの首輪をレミリアに手渡した。
「こっこれは……」
「つけてあげなさい。そうしないとどっかに飛び出しちゃうかも知れないし」
なんで首輪なんてを持っているんだ。
レミリアは心の中で疑問符を浮かべた。無論口には出さない。
出したところでろくな答えは返ってこないだろう。
回答如何によっては、彼女への付き合い方を変えなければならなくなる。
触れないに越したことはない。レミリアはそう考えた。
そんなレミリアの内心など知らず、パチュリーは部屋を後にした。
残されたのは首輪を手に硬直しているレミリアと、
「ぺろぺろ……ぺろぺろ」
いまだレミリアの頬を舐め続けているフランドールである。
レミリアの頬は唾液でべたべたになっていた。
「フラン、ちょっと離れてくれるかしら」
レミリアは右手でフランドールの肩を掴むと優しく引き離そうとする。
少し抵抗したフランドールだったが、しばらくするとすっと離れ、姉の正面に座り込んだ。
妹を引き離したレミリアは、左手に持っている首輪を凝視する。
レミリアは脳内で凄まじい葛藤に苛まれていた。
今のフランドールの精神は犬のそれだと言っていた。
ならば確かに首輪でもしなければどこかに飛び出してしまうかもしれない。
今外は雨だ。もし何も知らずに外に出てしまったら大変なことになる。
しかし自分の妹に首輪を填めるというのは、恐ろしく背徳的な行為である。
それはまるで妹を自分の所有物だと宣言するに等しい。
可愛らしい妹を自らの支配下に置き、鎖をもって全ての自由を奪い、思うがままに躾ける。
その行為を想像してレミリアは悶々と頭を抱えてた。
「くぅ~ん」
その時、フランドールが顎を上げ首を突き出してきた。まるでレミリアに捧げるように。
犬でも恥かしいことなのか、顔は今にも火を噴出しそうなぐらい真っ赤だ。
目と口を噤み、耐えるように体を小刻みに震わせている。
「フラン……」
レミリアは妹の心のうちを察した。
フランは自分に所有されたがってるのだと。
それはだいぶ歪んだ解釈ではあったが、そう間違ったものでもなかった。
レミリアは優しく首輪を填めると、苦しくないぐらいにきゅっと締める。
こうしてレミリアはフランドールの飼い主になった。
「苦しくない?」
「わんわん♪」
飼い主の気遣いに、嬉しそうに微笑むフランドール。尻尾もパタパタと振られている。
次に鎖の反対側にあった腕輪を右手に填めるレミリア。
細い腕には少しきつい腕輪だったが、なんとか手を捻じ込む。
「さてどうしましょうか?」
フランドールの頭を優しく撫でるレミリア。
どうせパチュリーの用意が終わるまで暇なのだ。このまま妹と戯れて待てばいいか。
そう気楽に考えたレミリアだったが、そうは問屋が卸してくれなかった。
「お嬢様、ケーキが焼けま……し……」
焼きたてのケーキを持って敬愛する主の私室にやってくる咲夜。
彼女がそこで見たものは、妹に首輪を填めて犬の真似事をさせてる主の姿だった。
あまりに衝撃的な光景に思考がついていかない咲夜。
お盆が手からこぼれ落ちた。ケーキが絨毯の上で無惨な姿を晒す。
「そんな……お嬢様にそんな趣向が……」
「咲夜、あの……これはね」
「しっ失礼いたしましたぁぁ!」
咲夜は、精魂込めて作ったケーキが台無しになった事など気にも留めず、急いで扉を閉める。
「待ちなさい咲夜! 貴方何か勘違いを!」
主の声にも止まる事無く、咲夜は廊下を走り去っていった。
「咲夜ったら絶対に勘違いしてるわね」
そう呟くレミリア。
どうやって誤解を解こうかしらね、などと考えてるとフランドールが落ちているケーキを興味深そうに眺めているのが見えた。
やがてゆっくりと近づいていくと、くんくんと匂いを嗅ぐフランドール。
落ちているとはいえ、焼き立てのケーキはそれは甘くて美味しそうな匂いがするのだろう。
レミリアは少し勿体無いなと思ったが、フランドールが口を開けておどおどと舌を出そうとしたのを見て、慌てて鎖を引っ張る。
「きゃんっ」
痛そうな鳴き声をあげるフランドール。
「なにやってるの! 床に落ちたものを舐めようとするなんて!」
「くぅ~ん」
誇り高きスカーレット家の者がなんてはしたない、と本気で怒り出すレミリア。
だがしょんぼりするフランドールを見て今の状況を思い出す。
「あ~ええとね」
「くぅ~」
飼い主に怒られたフランドールは、耳も尻尾もしょぼんと垂らして落ち込んでいる。
どうしたものかとレミリアは周りを見渡すと、テーブルの上に飲みかけの紅茶と数枚のクッキーが見えた。
多少湿気ってはいるだろうが、食べれないことは無いだろう。
レミリアはクッキーを一枚手に取ると、フランドールの前に差し出した。
「食べなさい」
「ぷいっ」
だが首を逸らしそっぽを向くフランドール。
悪くなっているのかしら、とレミリアが自分の口でクッキーを食べようとする。
その瞬間、先ほどまでしょんぼりしていたフランドールが元気よく飛び掛ってくる。
ちゅっ!
そのままレミリアの唇ごとクッキーをぺろりと食べた。
「なっなっなっ」
顔を真っ赤にするレミリア。だが今の妹が犬であることを思い出すと、何度か深呼吸して落ち着きを取り戻す。
それでも顔が真っ赤であることに変わりは無いのだが。
「……もしかして」
レミリアはあることに思い至り、クッキーを半分だけ口に咥えるとフランドールに差し出した。
「わん♪」
ぱくりと食べるフランドール。当然レミリアの唇を奪いながら。
そう、今のフランドールにとってレミリアの唇が食器なのだ。
食器に盛らなければ食べないとはなんとも上品な犬である。
先ほどケーキを舐めようとしていたのはなんだったのか。
「フランは犬よ。フランは犬よ。フランは犬よ。フランは犬なのよ」
胸に手を当て、何も知らない者が聞いたら誤解すること間違い無しの言葉を呟きながら、
心を落ち着けようとするレミリア。胸は激しく鼓動を打っていた。
「わんわんわん!」
更なるクッキーを要求するフランドール。
その要求を拒否できるわけも無く、レミリアはクッキーを与え続けるしかなかった。
「わんわん♪」
「うぅ……」
全てのクッキーを食べさせた後、レミリアはぐったりと床に座り込んでいた。
だがそんな飼い主のことなど気にも止めずフランドールは扉の方に歩いていく。
「ちょっとフラン!」
飼い主の声にも歩みを止めない。
レミリアはあることに思い当たる。
「もしかして散歩にいきたいの?」
「わん!」
フランドールは飼い主の言葉に頷くように吠えた。
「しょうがないわね。ちょっとだけよ」
幸いと言うべきか外は雨である。
散歩といっても屋敷の中を歩くだけだ。ちょっと廊下の隅までいって帰ってくれば満足するだろう。
レミリアはそう考えた。しかしそれは未だ床に落ちているケーキのごとく甘い考えであった。
ひそひそ……ひそひそ……
レミリアの顔は羞恥心で真っ赤に染まっていた。
彼女の考えでは少し廊下を歩いて散歩は終わるはずだった。
だがフランドールはもっと歩きたかったのか、飼い主を引っ張りながら自分勝手に歩きだした。
当然レミリアは鎖を引いて止めようとしたが、その瞬間フランドールが痛そうに、
「きゃん!」
と鳴いたせいで力を抜いてしまい、
フランドールの望むがままに館中を巡り歩くはめになってしまったのだ。
ひそひそ……ひそひそ……
そうなると当然メイド達の目に触れることになる。
メイド達は遠巻きにちらちらと視線を投げながらこそこそと話している。
もっとも当人達はひそひそ話のつもりなのだろうが、吸血鬼は耳も他の種族よりいい。
「お嬢様と妹様があのようなことをなさる仲だったなんて」
「いくらなんでもあれは……」
「私も鎖で繋いでくださいませお嬢様」
「あれがお二人の愛の形なんですね」
etc. etc.
その内容に顔の朱色の度合いが増すレミリア。
しかしいくら言い訳しようと、事情を述べようと、今自分が妹を鎖で繋いでる事実は変わらない。
そのためレミリアは何も言わず早足で歩き続けた。この時が早く過ぎ去ることを願って。
逆にフランドールは周りに自分を見せ付けるようにのんびりと歩いている。
端から見ればレミリアがフランドールを鎖で引っ張っているようにしか見えず、
妖精達のひそひそ話は背びれ尾びれがついて紅魔館中に広がるのであった。
館中を巡り巡って、もうすぐ部屋に戻れるというところで、意外な人物と遭遇した。
「よお、レミリ……」
普通の魔法使い霧雨 魔理沙である。
肩に本が詰まっているだろう風呂敷を担いでいた。
おそらく図書館から逃げている最中なのだろう。
魔理沙は片手を上げて挨拶しようとしたまま停止していた。
そして首だけ錆び付いた歯車のように動かして2人を交互に見ると、
「邪魔したな」
とだけ言って立ち去ろうとする。
「ちょっと待ちなさい!」
慌てて止めようとするレミリア。
だが魔理沙はすでに箒に跨り加速をはじめていた。
「すまん! 私にそんな趣味はないんだ! 二人だけで楽しんでくれ!」
逃げるように飛び去る魔理沙の脳内は、思春期特有の桃色な妄想で彩られていた。
彼女が去った後には、呆然とするレミリアときょとんするフランドールだけが残されていた。
部屋に戻ったレミリアはベットの隅で頭を抱えていた。
「まずいわ。ある意味一番知られちゃいけない奴に知られちゃったわ」
魔理沙はとにかく顔が広い。おそらく時を置かず幻想郷中に言いふらされているだろう。
その原因たるフランドールは飼い主のベットを寝床と定めたのか、真ん中で丸くなって寝ている。
それをちらりと見て、レミリアはため息をつく。
「は~、とにかく部屋から出ない方がいいわね」
そう言って気を取り直しフランドールの髪を優しく撫でる。
「まったく苦労ばかりかけさせる子ね」
そんなことを言いながらも微かに微笑むレミリア。
ふとその目がフランドールの唇に止まる。
クッキーを食べさせるときに散々触れた唇。とても暖かくて柔らかかった唇。
「ん……」
何の拍子に唇が微かに開き、真っ赤な舌が垣間見える。
「ペットには愛情を注がないといけないって、どっかのさとり妖怪も言ってたわよね」
徐々に前のめりになるレミリア。
やがて彼女の唇がペットの唇に触れようとしたその時、
「そこまでよ!」
予想もしない乱入者が現れた。
「この変態吸血鬼! その根性叩きなおしてあげるわ!」
「げぇっ霊夢!」
博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
もっとも今の霊夢は鬼巫女といった感じだ。
そこらの妖怪より禍々しいオーラが噴出している。
「なななななっ、なんでここに!」
「魔理沙から聞いたのよ。あんたが妹にとんでもない変態行為をしてるってね」
いったい霊夢は魔理沙からどんな話を聞いたのか。レミリアにそれを知る術は無い。
「最近あんた全然うちに来ないからおかしいと思ってたけど、
まさかこんな馬鹿げたことをしていたなんてね」
「霊夢それは誤解よ」
「へぇ~妹に犬の格好させて首輪までつけて、何が誤解なのかしら」
「いや、これはね……」
「少し前まで鬱陶しいぐらい遊びに来ていたくせに、そんなに耳と尻尾がいいの!」
「なっなに言ってるの霊夢」
「問答無用! くらえ! 夢想封印!!!」
レミリアの言い分を聞く気も無く本気でスペルを放つ霊夢。
命中すれば吸血鬼といえども只ではすまないだろう。
「危ないお姉様!」
そこに寝ていたはずのフランドールが横からレミリアを押し倒す。
おかげで霊夢の攻撃は空振りに終わった。
だが今のレミリアにとってそんなことはどうでも良かった。
「フラン?」
「はっ! ……わんわん」
レミリアは妹をじっと凝視する。視線を泳がせるフランドール。
無論そんなことで誤魔化されるレミリアではない。
じ~と妹を睨み続ける。その視線に耐えられなかったのかフランドールはおどおどと口を開いた。
「ごめんお姉様、全部演技だったの」
申し訳なさそうに告白するフランドール。
「なんでこんなことをしたの?」
その告白に怒るでもなく笑うでもなく、レミリアは静かに妹に尋ねた。
フランドールは俯きながらぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「実はね……最近お姉様がね……全然かまってくれなくて……
寂しくて……それで……パチュリーにも協力してもらって……」
今にも泣きそうなフランドール。尻尾と耳もぺたんと萎んでいる。
そんな妹をレミリアはそっと抱きしめた。
「ごめんなさいフラン」
「えっ?」
「あなたには寂しい想いをさせてしまったわね」
「お姉様……」
ぎゅっと抱きしめ返すフランドール。
先ほどまで萎んでいた尻尾と耳も今は元気に動き回っていた。
「そろそろいいかしら」
「「!!」」
すっかり忘れていた声に、揃って振り向く姉妹。
その視線の先には博麗 霊夢が怒りの形相で立っていた。
わざわざ話が終わるまで待っているあたり、つきあいの良い巫女である。
「霊夢、これは違うの……」
「なにが、どう、違うのかしら」
「実はフランは犬じゃなかったのよ!」
「当たり前でしょ! バカ吸血鬼!」
レミリアはそう言われてはっと気がついた。
霊夢は初めからフランドールの精神まで犬になっていたとは思っていない。
故にフランドールが元に戻ろうが知ったことではない。
「フラン! 逃げるわよ!」
「わん!」
「待ちなさい!」
この日、紅魔館を舞台にしたスリリングな追いかけっこは、霊夢が眠くなって帰るまで延々と続くのだった。
夜、霊夢が帰った後二人はレミリアの部屋に戻ってきていた。
「ねえフラン、その首輪外していいわよね」
「……ダメかも」
「なんでよ?」
「だって首輪をつけておけば、ずっとお姉様の側にいられるじゃない」
「ふふふ、バカな子ね」
そう言って首輪を外すレミリア。
そして残念そうな顔をするフランドールの手を取ると、その甲に口づけをする。
「これであなたと私は運命の鎖で繋がれたわ」
頬を染め、恥ずかしそうにそっぽを向くレミリア。
「わん♪わん♪」
そんな飼い主に尻尾をぱたぱた振りながら、フランドールは嬉しそうに吠えるのだった。
そして散歩の話はまだですか?
御馳走様
最後のパチュリーで「ブルータス!」って叫んじまったじゃないか、リアルで。しかも彼女の前で。
これは大変態にいいものを読ませていただきました!
これを読んだ私の頭に浮かんだイメージは…
牡羊座の黄金聖闘士だったッッッ!!!