長い。
レイアリ。
一部にユカマリ要素アリ。
超絶俺設定炸裂。
オリキャラ発生(しかもかなり濃い目)
グロテスク表現少々。
「霊夢、答えを頂戴」
「…」
今年も残すところ後3月ほどとなった頃。無限に続くかと思われた夏も遂に終わり、本格的に秋が幻想郷に訪れた。まだ紅葉には早いが、高原に位置する洩矢神社ではもう木々が色付きはじめたそうな。そんな少し肌寒い季節。上着も脱がずに部屋に上がりこんできたあなたは開口一番に超速球のストレートを投げつけてくれた。
「霊夢。あなたが好き」
「…っ」
「随分と待ったわ。私もう我慢できない。お願い、答えを頂戴…」
あなたが好き。丁度、今から1年程前の真夏の午後。灼熱の黄金色をした熱風に包まれて、けたたましい蝉の合唱で神社の外と内を分断された縁側で言われた言葉。周りのべったりとした暑さと共に私の頭の中ににそれ以上の熱さをもって刻み込まれた言葉。私の暑さにくたびれた心に薪をくべ激しく燃え上がらせた言葉。
…私があなたに抱く言葉。
・・・
それはもう暑くて暑くて、最早熱いと形容するほうが自然なほどの真夏日だった。じっくりと熱線を浴び、まるで鉄板のように熱を持った縁側は「ずっとここで茶なんか飲んでないでたまには外にでろ」とでも言っているかのよう。仕方なく冷たい麦茶でも作ろうかと重たい腰を上げて後ろを向いたときだ。あなたがそのブーツで石畳を叩いたのは。
「…アリス?」
音だけで判断できる様になる程あなたはここを押しかけてはいない。それでもあなたと判断できるのは私があなたに抱いている想いのせいなのだろうか。
そんな自分をおかしく思いながらも嬉しさを滲ませないように勤め声をかける。
「おや、久しぶりじゃないの」
「え、ええ。研究がちょっとね」
ギクシャクと余裕のない笑顔を浮かべるあなたはまるで古くなって動作が悪くなった人形のようで少し心配になる。カツカツと石畳を弾く軽快な音とは裏腹に酷く重たげな足取りであなたは縁側に腰掛ける。あんなに熱い所に顔色一つ変えずに座れるんだから本当に妖怪の体は凄いものだと感心した。
「あ、今麦茶水出ししてくるわ」
「あ、霊夢…あの」
「ん?」
「…ううん、何でも。ありがとう」
何時ももっとおしとやかに構えているのに妙にそわそわとしているあなた。珍しいこともあるものだと思いつつ居間を離れ台所に小走りする。後ろであなたが何やらうなっているようだが気に留めなかった。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
「…」
「あ…えっと」
やはりどこか落ち着かない様子だ。魔力まで乱れているのか宙に浮く上海人形の挙動がおかしなことになっている。気づかれないように横からじっと見つめると、容姿まで落ち着いていないのが分かる。何時もの赤いカチューシャは位置が少々ずれているし、髪の毛を良く見ると枝毛が一本混ざっている。さらにリボンの結び目が何時もと逆になっているのもある。どれもほんの些細なミス。彼女が見落とすわけがないし、周りが気づくこともないだろう。しかし私は気づき、あなたはそのことにさえ気づいていない。さしずめ、実験による睡眠不足か或は相当緊張しているかのどちらかだろう。
「んく…んく…」
「アリスが一気飲みなんて珍しいわね」
「んぶっ!!…ゴホゴホ」
「あーあ、言わんこっちゃない。そんなに喉渇いてたの?」
「そ…そんなとこ」
しかし、そんな些細なことにすら気づいてしまうとは…相当深くあなたにのめり込んでいるという証明なのだろう。それは喜ぶべきかどうするべきか。温くなり始めた麦茶を飲み干し、おかわりを注ごうとしたときだ。
「れ、霊夢!!」
「ど、どうしたのいきなり」
この猛暑のせいか、頬はおろか耳まで真っ朱に染めて身を乗り出してくるあなた。急に近くなる顔に私まで顔が暑くなるのを感じる。あなたは乗り出した姿勢を固めたまま目線だけ上下左右に迷わせ、やがて私の顔が映る位置でそれを固定する。
「…」
「…」
しばしの無言。何も言葉が出てこない。こんなにも近い位置で顔を合わせたまま、お互い石化でもしたかのように動かない。いや、動けないのか。この状況、どこかの烏天狗に見られたら厄介だな…そんな的外れな思考が頭を占拠する。全く余裕が無い。加速する鼓動を聞かれないか心配だ。暫しの沈黙の末、あなたは構わず決心がついたようにその言葉を口にした。
「霊、夢」
「え、ええ」
「私、ずっと前から…あなたが、好きです…」
「…え」
すき。
言ってしまったもうどうにでもなれと言うかのような表情を浮かべてあなたは私を見つめる。
すき…。
どこか不安げな、それでいて力強い意思を湛えた蒼い瞳を向けてくる。
スキ?
まるで答えを求めるかのように…。私の答えを…。
ああ、好き。
「…って、え?…え、ええ?…えええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
「何よその反応…そんなに意外?」
いいや違う。意外なんじゃなくて嬉しいのだ。あなたも私と同じ「好き」と言う気持ちでいてくれたということが。今まで全くそんな素振を見せていなかったので非常に度肝を抜かれたと言えばそうだが。
…つまりこれって両想いな訳であって?不味い、意識すると顔から火が出そうだ。今すぐに抱きしめたい気持ちを抑えつつあなたに向き直る。告白…意識すると非常に恥ずかしいが、されたのならこちらもしなければならないことがある。そう、返事だ。「私だってあなたが好きだ」と返事を出すのだ。
「ア、アリスっ」
「はい」
さっきからこれでもかと言う程に蝉が煩く合唱を繰り返している。何時もはただ煩いその音も、今は全く気にならない。いやむしろ返答することへの応援をしてくれているんじゃないかとさえ思えてくる。外の風の音が聞こえないのは蝉のせいかそれとも私の鼓動が煩すぎるせいか。気づけば泳いでいた目線をあなたの瞳に映す。命一杯息を吸い込み、私はあなたに返事を…。
「アリス!わ、私も(だめよ霊夢?)え…!?」
「?どうしたの」
今の声は、なんだ。生々しく響いてくるこの声…空気に触れないように直接頭に流し込んだような感覚がした。例えるなら私の思考に直に入り込んで感情をかき混ぜ、せき止められたかのような不快感。いや感覚などどうでもいいのだ。声だ。今の声は聞き間違いでなければ…あいつの…紫の声?
(まさか…あんた…なんで… さすがは『博麗の巫女』理解が早くて助かります…まぁ思考に入り込んでるのだから当たり前と言えばそうですが… …? では私が何を言わんとしているかも分かりますわね? …それは…そんな… 分からない?なら単刀直入に言いましょう…あなたが…)
「や、やめて」
「霊夢?どうしたの顔色が悪いよ」
「私が…私が巫女だから…なの?どうして…」
さっきまで熱くてたまらなかったのに今は寒気すらしてくる。まるで冷たい冷気が肺の中に入り込んできたかのようで。紫が何を言わんとしているのかなんてことは私の直感に頼らずとも分かりきっている。でもそれは私にとって残酷の域を超えている事。…私に、自分の気持ちを裏切れと言うのか?彼女の気持ちも裏切れと言うのか?今まで育ててきたこの気持ちを殺せと言うのか?何も無かったことにしろとでも言うのか?何故!!私が博麗の巫女だから!?だから妖怪と一緒になってはいけないとでも言うのか!?
(違いますがまぁそんなところです…でも…「アリスを振れ」というのは流石に良心が痛みますわね…あなたへの精神的ダメージも酷いことになっていますし…そう…ならば、救済策を提示しましょう… …何? 霊夢…アリスへの返答を一時保留しなさい… …保留? そう保留…いきなり断ればお互い大きく傷つくでしょうし… だったら… いいえ霊夢…返事をしてはだめよ?…博麗の巫女は常に見られているのだからね?)
「そんなことって…」
「霊夢私、何かいけないこと…言ったかしら」
さっきまでの喜色に満ちた瞳は何処へやら、不安げな瞳を引きさげ顔を覗き込んでくるあなた。…さっきまで煩く鳴いていたはずの蝉がいつの間にか鳴き止んだでいた。いや、実際は今も盛大に鳴いているのだろうが、私がそれを認識できないほどに動揺しているだけなのか。まるで打ち水でも巻き散らかされたかのようだ。黄金色に見えた外の陽気も、今は只眩しいだけにしか感じない。
「アリス…」
「うん」
「答えなんだけど」
「う…うん」
不安げな、それでいてどこか期待を併せ持った、ある意味魅力的とも取れる表情。今からそれを曇らせることになるのかと思うと胸が酷く痛くなる。ついつい「いいよ」と、「私も好き」と、そう言いそうになる。しかし、私が迷うとつかさず頭の中に冷たい声が響いくる。見られているのよ?と。
「私、私は…。……ごめんなさい」
「…えっ」
「…しばらく、待ってくれないかしら」
「っ……」
一瞬苦しそうな顔をして。
「あ、そ、そうよね!いきなりだもの、霊夢も驚くわよね…うん!分かった待つよ。…待つよ」
所々詰まりながらも必死に笑顔を作り、あなたは努めて元気な音色で待つと言った。全く、すぐに表情が顔に出る子だと思う。
(そう…だめよ…返事をしてはいけない…そう…駄目なのよ…)
「ぐっ…!」
驚くほど緩慢な動きで飛び去ってゆくあなた。…ああ、帰ったのか。どうやらあなたが帰ったことを理解するのに数瞬要するほど自分は呆けていたようである。しばらく放心した後、ふと縁側を確認すると、水の跡が一つ。隣に置いてあるグラスから落ちた水滴かとも思えるだろうが、何故か私はそうとは思わなかった。…いや、思えなかった。ぼうっとそれを眺めていると、目の前にはらはらと青い葉が一枚散ってきて、何を思ってか私はそれを水の跡の上に被せた。
あなたが帰った後も、蝉は変わらず大声で泣いていた。
・・・
「あの時あなたは待ってと言ったわ」
「ええ」
「だから待った。待ち続けた。雨の日も異変の日も待った。ずっと我慢してた。なるべく逢わないようにして耐えながら」
「…ええ」
「でも宴会で逢ったとき、人里ですれ違ったとき、あなたが夏風邪を引いたと聞いて看病についたとき、…段々と我慢できなくなって。だから逆に毎日逢うことで気を紛らわそうともしたけど意味が無かった。切なくて、苦しくて、聞きたくなる。でもできない。それにいつも誰かが居合わせて聞く暇もなかった。魔理沙だったり紫だったり」
いや、あなたは良く待ってくれていると思う。
しかしあれからアリスと会うときに限って妙な視線を受けるようになっていた。紫がこちらを見ていないときでさえその不気味な視線は取れなかったほどだ。さらにあいつはあれからというもの頻繁に神社に顔を出すようになっていた。それもアリスが遊びに来たときに限ってだ。何度釘を刺されたことか。
「…ごめんね?こらえ性なくて」
あなたは自分で思っているよりも考えが顔に出る。だから何時も神社に来るときは緊張して、私と話すときは紅潮して、私が笑うと幸せそうに笑って、帰るときは寂しそうにしてるのがもろ分かりなのだ。何度胸が締め付けられたかもう分からない。今だって無理に笑顔を作っているのがありありと見て取れる。
「だからね霊夢…私はあなた」
「アリス」
「…はい」
本当に申し訳ないと思う。答えも分からずに待つなんて辛いということは十分に分かっているつもりだ。だけど、まだ…。
「ごめんなさい。もう少しだから、もう少しで」
「…まだ答えを待てと言うのね」
「ごめんなさい」
嘘だ。本当は答えなどもうとうにでている。本当はあなたに告白されるずっと前からあなたのことが好きだ。あなたに告白されてずっと好きになった。でも、答えるわけにはいかないから、私は私だから。博麗の巫女だから。だからまだ答えるべきではない。今答えたら多分、文字通り一生後悔することになるだろう。
「ねぇ、霊夢。せめて…理由を教えてくれる?」
「理由?」
「何でこんなに私を待たせるのか」
「それは…」
これをあなたに言うわけにはいかないだろう。多分、いや確実にこれを言うとあなたは悲しむだろうから。人から外れた自身を恨みさえしてしまうだろうから。あなたに罪は無い。在るとしたらそれは私だ。私が私として生まれたがためにあなたに答えを出すことが出来ないのだ。だから、
「私が…私だからよ」
こんなことしか言うことができない不甲斐のない私をどうか許して欲しい。無理なことなど分かっているのに諦めきれずに道を探して、迷いに迷って自ら雁字搦めだ。いっそのこと簡単に断ってしまえれば楽なのだろうが、それができるほど私は強くない。だから今はこう言うことしか出来ない。
「そう」
「ごめんなさい」
「…なら良かったわ」
「え?」
「ううん、なんでもない。うん…だったら、私は何時までも待つから」
そう言ってまた無理に微笑むあなた。逆につらい気持ちにしてしまったのだろうかと不安になる。しかしあなたはそんなことなど意に介さずその身を翻す。
「今日は霊夢と話せて嬉しかったわ?また今度ね。じゃ」
「あ、アリス!」
石畳を蹴り上げ飛び立つ。いつもならもっとゆっくりと飛んで行くはずなのに、今に限って全速力で飛び出していった。
…やっぱりあなたは表情を作るのが下手だと思う。嬉しかった奴が、あんな悲しそうな顔をするものか。そんな急いで立ち去ったって、石畳に小さく残った水滴が早く乾くわけでもないというのに。見ていられない。見ているとこちらも縁側を濡らしそうだから。だから上を向いた。あなたの飛び去った蒼い空を仰いだ。
…ふと、目の前に落葉が一枚だけひらひらと舞い降りてくる。私はそんな気の早い落葉を石畳に付いた涙の跡にそっと落とした。
…
「…で?」
「ああ、気にしないで」
「…」
「むしゃむしゃ」
「…」
こういう時ほど一番会いたくない奴と会ってしまうものだと思う。目の前に堂々と居座る女性。事あるごとに現れては毒を吐き、私の足元を焼き払い前に進めなくする者。私の想いを塞き止める者。八雲紫が、居間に戻ると何食わぬ顔で蜜柑を貪っていた。ご丁寧に掘りごたつに炭まで入れている始末だ。まだそれほど冷え込んでいる訳ではあるまいと言うのに寒がりめ。机の上の蜜柑を剥いた後の皮が2,3枚重なっている所を見るあたり、結構前からここに居たのだろうか。歳にそぐわず口の周りを果汁で汚している彼女を見て、無性に神経が逆撫でされた気分になる。全く、幻想郷では貴重な果実。それも只の蜜柑ではないというのに、それをあんたが食べるなど恐れ多いことを。
「アリスが人形劇の報酬に貰ったものを分けてもらったんでしょう?」
「…」
「全く律儀で優しい子。魔法使いと言うより、まるで人間みたい」
「どうでもいいでしょう。それより何の用かしらね」
「冷たいのね。…何の用って自身の生い立ちにご傷心であろう巫女さんに重大な話をしに来たの」
「…何が言いたいのかしら?」
何時も神社に現れては何かしらの干渉を仕掛けてきて、今度は一体何をしにきたというのか。折角さっき落ち着いた筈の心を穿り返すような真似をして。私と彼女が共に居ることがそんなに嫌か。否定するか。拒絶するか。せめてもの抵抗に侮蔑するような視線を投げかけてやる。すると何故か、妙にに優しさの篭った眼差しをこちらに送ってきたではないか。同情でもしようというのか?自分が原因だと言うのに全く舐め腐った真似を。
「…何様のつもり?」
「さっきまでアリスと話してたんでしょう?」
「だったら何?何か悪いことでもあるの?」
何が言いたい。私がアリスと話そうがそれは私の自由だろうに。話をすることぐらい私にも許されて当たり前だろう。別に無理に契りを結ぶと言うわけでも無いのに。それともこいつは私がアリスと話すことすら咎めようというのだろうか。だとしたら、文字通り酷い人種差別だ。博麗の巫女だからと言って妖怪と必要以上に親しくするなとでも言うのか。だとしたらそれはあんたもだろう。負けじと眼光を鋭く細めて睨み返す。だが、紫は変わらず優しい笑みと視線をこちらに回すだけだ。
「…私は一体今まで何やってたのかしらねぇ」
「は?…意味が分からないわ。一体何よ毎回毎回あんたは…!」
「いい加減、机の整理はしないといけないというのに」
鬼をも射殺すほどの眼光で睨んでいると、ふと、紫の表情に変化が現れ始める。さっきとは打って変わってどこか疲れた表情。だが何だろうか…何かを決めた後の達成感を滲ませてるというか、決心して肩の荷が取れたようとでもいうのか、そんな色を濃くかもし出した表情をしていた。
「さっきから何を」
「泣き虫ねお互い」
「は?」
「そんなに怒らないの。ストレス溜めるとお肌に悪いわよ?」
「だったら」
「霊夢」
名を呼ばれた。ただそれだけなのに、途端に何も発せなくなる。こいつは何時もはヘラヘラとしたふざけた態度のくせに、時にまるで鶴の一声のような言葉を発する。と言っても本来の意味とは少し違って、こちらが有無を言えないような静かな圧倒を発してくるとでも言うのか。でも不思議なことに声にそんな重圧は全く含まれていないから不思議なもの。とにかく私は黙って次の言葉を待つしかなかった。何を言われるのか。例えどんな非道な提案をされても、私は何を言われても決して諦めたくない。どんな残酷なことを突きつけられても必ず答えなければならないのだから。いくら否定されても私は。
「ねえ霊夢。博麗の巫女はどう在るべきかしら」
やはりそうくるか。そう言われれば私が何もできなくなることを知っているだろうに。
「…人妖皆に、…平等であるべき」
「そう。博麗の巫女はこの幻想郷の鍵にして扉。綻びを作ってはならぬ存在」
「そんなこと…わかってる」
「なら巫女が妖怪と恋をするのはどう思うかしら」
「それ、は」
…それも分かってはいる、つもりだ。博麗の巫女は常に人妖に対し平等でなくてはならない。どちらかに傾くことや、ましてや妖怪と恋することなどはあってはならないことなど分かっていることだ。だが…
「ではここで問題です」
「は?」
「さて、その考えは真の平等と言えるのでしょうか?」
「…何言ってるの、平等じゃないじゃない」
人妖の間に、境界をまたいで仁王立ちする。どちらも決して例外を作らず、たとえ同じ種族であっても、たとえ恩人であっても、決闘法を破ったり掟に背いたものには等しく制裁を加える。妖怪を愛することなどは当然許されず、次代に巫女を継承し、老いて朽ち果てて行くまで何も混じりけの無い、潔白の存在でなければならない。決してこの身に、私に足りない七割一部四厘の色を彩ることは許されない。分かっている。アリスを受け入れることで生じるであろう全ての障害を乗り越えることなど非常に困難だと言うことは。なのに、無様にも諦めることが出来ない。口先では常に平等と歌いながら内では妖怪に想いを馳せる。とんだ茶番劇だ。
「いいえ?それは平等ではありません」
「え?」
「平等であるものですか。少なくとも、博麗の巫女にとっては、ね」
巫女にとっては平等じゃない?一体どういう意味か。
「ええ。そうよ…だってそうでしょう!!」
「うわ!」
そういっていきなり身を乗り出してくる紫。その目にはいつの間にか優しさではなく、不満に愚痴を垂らす子供のような色が移っていた。両肩を掴んで押し戻すと、はっとして咳払いをしながらまた蜜柑に手を伸ばす。まだ食うかこいつ。
「ずっとおかしいと思ってるのよ!何故博麗の巫女だけ好きな人と一緒になっちゃいけないのかって。博麗の巫女と言えどその素性は只の少女。当たり前の幸せの一つくらい掴んだっていいと思うの」
「…ゆかり?」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、まるで魔理沙お得意の星弾幕のような密度で言葉をまくし立ててくる。
「そうよ。好きな人と生きるくらい許されて当然なのよ…!ずっと訴え続けてきた、巫女だって一人の命としての幸せを掴む権利はあると。けれども人里の連中は聞く耳を持とうとしなかった」
「まさか…あんたがそんなことを」
「それどころか、この私を『巫女を利用し我らを喰らおうとする妖怪たちの象徴だ』なんてのたまって危険視するし、それ以降何らかの形で神社に干渉し巫女の日常を監視しだす始末!あなたは気づいてないかも知れないけれど、もう三代ほど前からずっと神社は監視の目がついてるのよ。何回監視する連中を掃除してもキリが無くてお手上げ。まるでゴキブリねぇ。ちなみにアリスが告白したときも居たのよ?…気配を絶っているようだけど、恐らく今も見てるでしょうね」
「…」
人里と紫の間でそんなことがあったのか。それに監視されているって?この私の勘をもってしても気づかれないなんて相当鍛錬した者に違いないだろう。三代前って大体何年前かは知らないが…というよりも、紫が人里に直接談判するとは…博麗の巫女に、ひいては幻想郷の掟に対してそこまで考えていたなんて。…まさか。
「ねえ、もしかして紫が頻繁にここに顔出すのって…それに何回も私たちの仲をかき混ぜたのも…」
「…只の暇つぶしですわ」
…やはりそうか。辛辣な言葉で私たちを遠ざけたり何度も神社に居座っていたのは、私をそいつらの監視の目から遠ざけるためだったのか。だとしたら、紫は…。
「ねぇ紫、あなたは私とアリスのこと」
「ん?…勿論、成就して欲しいと思っているわ?」
…では今までの紫の態度は自分たちではなくその人里の連中を見張る為だったと言うことで、私はそれらを全て思い込み、勘違いをしていたのか。てっきり私が妖怪に傾かないように釘を刺してきていたものとばかり…。
「ごめんなさいね。実際は私も背中を押してあげたかったんだけど、そうすると奴らが霊夢だけじゃなくてアリスにまで介入してくると思って。卑怯にも博麗の巫女としての立場を利用してあなたを追い詰めるような真似をしてしまった…謝っても謝りきれない」
「そんなこと。こっちも…えと、ごめんなさい。勘違いして反発するようなことを。…でも、アリスは人里の連中ごときに遅れを取らないと思うけどね。それにそんな連中私たちなら一気に掃除できるでしょう?」
「もしあなたが突き進んでいたら恐らく奴らは魔法の森の四方から火を放っていたでしょう。それにね霊夢。私はどんな者でも迂闊に人間を減らせないの。思想だってどうしようもないわ。あれは生き物だもの、簡単にどうこうできない」
「…最低の下衆ね」
どうやら人里には人種や思想に相当複雑な事情があるのだろうが、それでは平等どころの話ではないではないか。
「全くよ。でもね霊夢、今更都合のいい話しとは分かってるわ。でも、私も漸く決心が出来たから、全力であなたを、いえあなた達を応援するから」
「それは…信じてもいいのかしら?」
「ええ。信じても…、いいえ、信じて欲しいの…!」
紫が博麗の巫女の仕組みに疑問を抱いているのも、人里にマークされているのも、それに気づかない私を留めていてくれたことも分かった。でも解らないことがまだある。それはもっと根本的なこと。
「…紫は」
「ん?」
「紫は何でここまで私たちを気遣ってくれるの?」
「…」
「理由が無いわ。巫女だからと言うならアリスまで気に掛ける必要が無いもの。どうして?」
「それは…」
途端に紫の纏う空気が一変する。それまでの喜怒に彩られたオーラは完全に消え果て、今は只哀の感情しか読み取れないほどに。その目に涙は見えないが、差す光が薄く重くなったような気がする。…心なしか少し小さくなっているように見える。一体…。
「あなたのお母さん。先代がね」
「母さん?…先代が、どうかしたの?」
「私のせいで…死んでしまったからよ…」
「…ええ!?」
予想もしていなかった衝撃的な一言が飛び出し一瞬思考が停止する。それは一体どういう意味か。私の母親?紫のせいで死んだ?母親と言っても私は生まれたときから親は居なかったし、居たとしても物心のつく前のことだから全く覚えていない、いやむしろ知らないと言った方が正しいかもしれない。その先代…母さんが紫のせいで死んだとは一体どういう意味なのだろうか。
「あの子はね…私に恋をしていたの」
「…そうなんだ…」
「あまり驚かないのね」
母さんも、妖怪に恋をしてたんだ。何故だろうか、不思議と驚かなかった。
「その人は私すら容易に包み込んでしまえるような包容力の持ち主だった。最初こそ私の説得や今となっては古い掟に従い人間の男との間に子供を身篭ったけど、やはり諦められずに男と別れてまで私に突き進んできた。後で聞いた話では別れを切り出したのは事情を知った男の方からだったらしいわ。笑顔で送り出してくれたそうよ」
じゃあ私はそのときの子供と言うことか。全く実感は沸かないが。
「最初、私は拒絶し続けた。知っての通り私は人里の一部過激派には『巫女を利用し人間を喰う妖怪』という考えを持たれていたから、だから彼女にまで迷惑を掛けられないと言った。でも彼女は全く諦めなかった。ずっと私に構ってくれて、人里も何としても説得すると息巻いて。長い長い時間の中で、生まれて生きてきて初めてのことだった…誰かに恋に落されるのなんて」
「紫が…」
母さんは紫のことを本当に愛していたのか。語る紫の表情が非常に愛おしそうだ。しかし、その顔は徐々に暗くなっていく。
「でも…意味を成さなかった。人里の過激派が私の冬眠シーズンを狙って彼女を襲ったの。彼女がその身に子を宿していて、もうすぐ生まれそうだと分かったから行動を起こした。妖怪に傾いた彼女を殺してお腹からあなたを取り出し育て、自分たちに都合のいい巫女を仕立て上げようとしたの」
「ほんと下衆ね…。それで、どう…なったの?」
「…異変に気づいた私は飛び起き必死になって駆けつけた。でも元々冬眠時期で力が極端に減った状態で、傷ついた彼女を護りながら妖怪退治専門のシャーマン20人の相手は骨が折れすぎた。徐々に押されていき、気づいたら彼女は私を庇って…」
…それで私が殺した、か。確かに取り様によってはそう考えることも出来るだろう。護れなかったら殺したのと一緒だと。もし私が同じ立場だったらそう思っていたかもしれない。でも、それでも私は紫が殺したとは思えなかった。どう考えた所で諸悪の根源は過激派であるし、殺したのも過激派だ。しかし紫にそう告げても彼女は頑なに首を横に振って譲らなかった。
「次に気がついたときには私は母屋に駆け込んでたわ。どうやって20人ものシャーマンを殺したのかも全く覚えていなかった。とにかくそのときは彼女を助けたかった。彼女の傷は酷く、人間のままでは修復が困難なほど出血も激しくて、だから私は彼女の人妖の境界を操ろうとしたの。妖怪化すれば私の妖力を分け与えれば何とかなるかも知れないから。でも、彼女は首を横に振って譲らなかった。最期に言ったわ。『自分はもう助からない。だからせめてこの子…霊夢を助けて欲しい。そして出来るなら幸せにしてあげて欲しい。この子も、この子が愛しこの子を愛した人も。…最後まで面倒かけてごめんなさい…紫……』と」
「………」
「あなたを彼女から取り出したとき、あなたの産声を聞いたとき決意したわ。もう二度とこのようなこと起こさせないと。必ずあなたを幸せへと導こうと」
それが紫の私を助ける理由だったのか。私の母さんとの最後の約束を果たす為に…。
「それでも私はどこか迷ってたのね。いくら監視を受けていたとは言え、あの時あんなことをしてしまった。こんなことならもっと早くあなたに伝えるべきだった」
「確かに初の告白を遮られたのは酷かったけど…けど仕方なかったんじゃない。それにあのときの私なら突っ走っただろうから黙って汚れ役したんでしょ?逆に感謝すべきよ」
「ありがとう霊夢。…でももう覚悟したわ。だから…行きなさい霊夢」
「え…だけど紫、ここは」
そう、今だって見張られているはずだ。
「大丈夫、後のことは全て私に任せなさい」
「でも」
「いいえ違ったわね。霊夢、ここは私に任せて欲しい。約束を果たさせて欲しいの」
「紫…」
「だからあなたは…全力で幸せになって」
その菫色の目に強い意志が映る。その奥には誰がどう言おうと揺るがない信念がしっかりと見て取れた。
「……ええ、分かった。…ここは任せる」
どうなるかなんて予想はつかない。でも、そうと決意すればすぐ行動、即断即決が私の売りだ。紫に軽く挨拶をすると、服装すらまともに整えず、上着すら着用せずに地を蹴り空中に舞い上がった。秋特有の爽やかで温かみのある蒼い空。ゆったりとした日差しを背に受けながら、アリスの家を目指して駆け出した。
全力で幸せになるために。
今まで言えなかった答えを言うために。
…
「行ったわね」
彼女の飛び去ったあとの軌跡を眺めながら、どこか一仕事終えた気分にひたる。
「掴んできなさい」
でもまだ終わりではない。正確にはこれからあと一仕事こなさねばならないのだから。
「私たちがたどり着けなかった、幸せを」
さて…今宵のパーティーを始める前に、
「本格的に寒くなる前でよかったですわ。これなら心置きなく。…12…いや16人かしら?舐められたものね」
料理を皿に盛る前に、
「さあ、始めましょう。あなた達は宴の手向けにもならないのだから」
テーブルを掃除しなければならないのだから。
…
夜。まだまだ草木が眠るには早い時間帯。魔法の森は何時もと変わっていなかった。
魔法の森は年中胞子や魔力が渦巻いている。だからだろうか、ここは季節の影響を全く受けていないようだ。風向は絶えず変化し、気温はほとんど変動しない。ただ、鈴虫のような虫がりんりんと鳴いているだけ。まるで外と隔離された世界、その中を勇ましくも臆病風を吹かせながら突き進む。目指すは白いドールハウス。あなたの住まう白い城。自然と遅くなる足取りと速くなる鼓動。
「大丈夫。落ち着くのよ。何も怖がる必要は無いわ。ただ想いを伝えるだけよ」
そうだ。何を怖気つく必要があろうか。私は只、幸せになりに行くだけなんだ。先代と紫が守り抜いてくれたそれを掴みに行くだけなんだ。
やがてゆっくりとあなたの家が見えてくる。
「…思えば、私から意思表示するのは始めてね」
今思い返せばいつでもあなたから行動してもらってばかりだったような気がする。初めてあったときも半ば彼女から突っかかってきたし、次のリベンジ戦も春冬異変のときも、ほとんどあなたから向かってきてくれた。告白のときもそう。多分、私のほうが先に好きになったのに、それでも告白したのはあなただった。でも、理由がありこそすれ私はそれを撒き続けてきた。だから、今度こそ私が己の意志であなたに答えるんだ。
そうだ、待たせすぎたんだから返事をしたら一杯抱きしめてあげよう。キスだって嫌って言うほどやってやるんだ。そして耳元で好きって、愛してるって伝えるんだ。先代と紫の望んだ幸せを、私たちは手に入れるんだ。
「アリス…」
この後のことを考えると自然と胸が熱くなる。早く着かないかと足が自然と速くなっていく。
しかし、私を不安に駆るような事態が起こる。
「…結界がない」
何時もなら自宅周辺に結界を張るあなたが(それでも魔理沙なんかには簡単に破壊されるが)今に限ってそれを展開していないのだ。
「…何かしら。これは…様子がおかしい…!」
あなたは基本的に研究の邪魔をされるのを嫌う。だから、大体なら結界が常に三重で張られているのだ。
なのに、今はその結界が一枚も無い。たまたま張っていなかったことも考えられる。それに今は研究をしていないのかもしれない。しかし、私の博麗としてではない自身の勘が何故か必死に警鈴を鳴らしているのだ。ただ急げ急げと繰り返しているのだ。
「アリス…お願い、気のせいであってよ…!」
私の思い違いであって欲しいと願いながら、目前のあなたの家に全速力で突っ込む。足に霊力を集中させスライディングし扉を蹴破りそのまま居間に転がり込む。砂煙を払うこともせずに顔を上げるそとの先には…。
「止めだ」
「待て…何者か」
「アリス!!」
「れ、霊夢?来ちゃ、駄目…!」
目の前に見えるのは何だ?ぼろぼろのカーテンに割れた窓ガラス。倒れた食器棚に散乱した人形たち。大規模なスペルでも使ったのか天井が吹き飛んでいる。明らかに実験中の事故ではなさそうだ。そして、フローリングに膝を折って、肩から派手に血を流しているあなたの姿。周りに目を移すと妖怪の動きを阻害するお札が散乱している。更に、5,6程の倒れた人間たちの下、私の丁度目の前、正確にはアリスの正面に陣取っている人間が数人。黒い戦闘装束に妖怪用の殺妖札と殺妖針を携えた仮面の人間たち。それはまさしく人里に拠点を置いている妖怪退治の専門家であるシャーマンだった。手に持った針には血がべったりと付着しておりぽたぽたと雫を落している。あれは…あなたの、血?
「…アリスをこんな目に会わせたのはあんたたち?」
自分でも驚くほどの低くどすの利いた声がもれ出る。視界が狭まり、あなたを傷つけたであろうそれらしか見えなくなる。
「博麗の巫女よ。我らの”神聖なる清めの儀”を邪魔するでない」
神聖なる清めの儀…スペルカードルールもない頃、和平を乱した妖怪や人間を粛清する際に行われていた処刑の呼び名。大方博麗の巫女に取り入り謀反を起こそうとした妖怪を粛清するなどと言うのだろう、紫のときといい芸がない。そんな詭弁をかざしたところで所詮は自分たちに邪魔な妖怪を殺したいだけだろうに。自然と拳に力が入る。あなたの血が付いた針を見るだけで私の血が沸騰するようだ。
「逃げて、霊夢…!この人間たちは…あなただって、容赦しない…!」
逃げる?冗談じゃない、今やもう目の前のシャーマンどもしか目に映らない。容赦しない?望むところだ、こちらとしても逃がす気はないのだから、地に這い蹲させて同じ目に会わせてやる。自然と足が地から浮く。
「…その行為、愚かとしか言いようがない」
「よいのか。まだこちらの段は」
「よい。これには劣るが素質のある者はいる。有事の際には傀儡を用意する」
「それにこの機を逸する手はない。博麗の巫女を手中に収める好機なり。何事も、現場にて柔軟に対応せねばならぬ」
何やらごちゃごちゃと話し合っているようだがそんなものは耳に入っては来ない。森の魔物用に持ってきていた起爆札を握り締める。面倒だとそのままにしていたリボンに隠した封魔針が今になって役に立つとは思いもしなかった。数にして5人。どうやら神社に張り込んでいたのは囮か見張りなのだろう。だが、そんなことはもう気にしない。紫には悪いが幸せを掴むのはこいつを消し炭にした後だ。
「いざ、天誅」
シャーマンが構えを見せると同時に私の中の怒りの臨界点も突破した。
「よくも…アリスを!!!!!」
「がはっ」
「…速い、な。流石は博麗に選ばれるだけのことはある」
針を結界による屈折で軌道を折り曲げ、向かってきた一人目の頭に突き刺す。残りはすぐさまに左右に展開し四方から札による拘束を敢行しようとしてくる。が、そんなもの紫の弾幕に比べたら満月と三日月くらいの差だ。隣に転がっている机の残骸を防壁にして隙を縫うように滑りぬけ距離を取る。
「甘い」
「そっちがね」
「何…しまっ…」
同じように追尾してきた男の横、詳しく言うと机の脚に貼り付けていた起爆札を即座に起爆する。男はその言葉を最後まで言うことなく真横に吹っ飛んでバラバラに四散していくが、周りの連中はそんなものに目もくれない。
「流石だ」
「しかし仕舞いだ」
目の前には大量の札で編んだと思われる荒縄で作った網が迫ってくる。後ろには壁。左右からは二人のシャーマンが針を投げつけてくる。絶体絶命のような状況。しかしこんなもの、網なんてフランのスペルにもあったし針だって咲夜のナイフ投げの方が上手いほどだ。頭のリボンに手を突っ込み、針を持てるだけ掴み出す。そのまま左右に向かってランダムに投げ飛ばし、その後間髪入れずに起爆札を投げつけて爆発させ、自分は結界を張り世界の間を縫うように射程圏外に離脱する。次の瞬間。
「なん…だと…」
爆発によって突貫力が増した針が熱を持ったままバラバラに二人に飛散する。当然、避けること叶わず頭や胸に突き刺さりそれらは床に折れて行く。
大分針を使ってしまったが、これで残り一人だ。こいつらの装備を見る限り、狙いは妖怪一人のみだったのだろう。人間かつ巫女の私が来るなんて予想していなかった分装備が貧弱だ。これなら行ける。
「見事なり。しかし我らも務めを果たさねばならぬ」
「言い残すことなんて聞かないから言う必要ないわ」
「左様か…いざ、参らん」
馬鹿正直に直線で突っ込んでくるシャーマンにたじろぐことなくその頭目掛けて札を投げつける。しかし男はそれを両手で防御し爆発の中を突き破って尚も直進を止めることをしない。両腕とも肘から下が完全になくなっても尚口に針を咥え突き進み、一瞬の隙を突いて私の脇をすり抜け力なく倒れているあなたに向かっていく。
「させない!」
その足に向けて最後の針を投げつける。しかしそれすらも左足を犠牲にすることによって切り抜け、残った右足に全ての力を込めて突進する。
…不味い、間に合わない。
「我らの…勝利だ」
「アリス!!!」
「…え?」
気づいたときには亜空穴を使ってシャーマンとあなたとの間に立っていた。
・・・
「…れいむ?」
「…怪我はない?」
目の前にはあなたの顔。よかった、見る限りでは肩口の傷以外大きなものはなさそうだ。しかし、あなたの顔は酷く歪に歪んでいる。傷が痛むのだろうか。でももう大丈夫だ、さっさと永遠亭に行って手当てを受ければ治るはずだから。
「…れいむ…あなた」
「…無事でよかった…ごふっ…」
「あ…」
服にじわりと何かが滲む不快感、妙に熱くて感覚のない腹部、いきなりこみ上げてきた血反吐。何が起きたかなんて明白だ。巫女服を貫通し、あなたの目の前にまで迫っている針。私の血がべっとり付いた針先。
何故?そんなの当たり前だ。
「…見事…な、り…」
「あり…す…」
「霊夢っ!!!!」
私があなたを庇ったのだから。
「霊夢!れいむ!!だめ!!!」
「…ぐぅ…ア、アリ、ス…」
意識が朦朧とする。血が止まらない。当たり前か、曲がりなりにも妖怪の硬い皮膚を貫くことを前提に作られた針は、私のような人間の肉を貫き通すぐらい簡単な訳だ。下に目線を下げると赤い巫女服を更に深紅に染めた風穴が開いていて、どくどくと血を流していた。
「ぐ…止まってよ、止まってたら!どうして!?空間凍結魔法は私でも使えるはずなのにっ」
「…あ、ああ」
「霊夢、だめ!!死なないで!!」
「アリス…き、聞いて」
もう碌に力の入らない腕に鞭を打ち何とかあなたの頬を伝う涙を拭うが、上手く拭えずに綺麗な頬に血化粧を施す結果になった。落ちそうになる手のひらを掴まれる。今にも死にそうな私よりもその手は冷たくて。安心させようと笑顔を作るが上手く頬が上がらず、下手に空いたままの口からヒューヒューと空回りした呼吸音が響くだけ。なんとか穴の空いた腹に力を込める。せめて、あなたの気持ちに答えを出してから。それまで保てばいい。
「霊夢あきらめちゃだめ!」
「アリス…ね。わた…し」
「霊夢…?」
「ごめん…なさ、い。ひゅー、今、まで答えら…れずに、かはっ…、ゎ、わたし、あなたがずと…あなたのことずっと…」
「だめ!!」
涙によってくしゃくしゃになった声で盛大に遮られる。更に大粒の涙を溢れさせ、あなたはまたくしゃくしゃな声で語りかける。
「霊夢…あなた、私に答えだけ聞かせて死ぬ気…?」
「おねがぃ…き、いて」
「聞かない!だって言ったら霊夢死んじゃうもん!!そんなの嫌!!」
「あり…」
相変わらず底冷えするような冷たく凍えた手と、時折カチカチとぶつかる顎を懸命に抑えながらあなたは脇に転がっていた魔道書―――グリモワールオブアリスを手に持つ。そのまま決心したように、私にはよく分からない詠唱呪文を唱えながら魔道書のロックに手を掛ける。でも確かその魔道書は…。
「だ、だめよ…アリス、それ、は…あなたの姿を…」
「ええ。確かに、今の私を留めているのはこの魔道書の膨大な魔力と術式のおかげ。だからこれの封印をといて魔力をほかの事に使うのはかなりのリスクを伴う。でもそんなの構わない!この魔力があればあなたの傷を癒すことだってできるかもしれないんだから」
「でも、それ、であな…たに、もしものこと…あったら」
「いい」
強く言い切るあなたは封印を解く手を止めない。駄目だ。あなたが私が死んだら嫌だと言う様に私だってあなたに何かがあったら嫌だ。もうほとんど感覚の無い拳であなたの腕を掴む。するとどうしたことか…あなたの腕は冷たいような、あったかいような、そこに居るような、居ないような奇妙な感覚を伝えてきたではないか。多分、魔道書の封印を解こうとしているために自身の魔力の流れが不安定になっているのだろう。とても危険な状態だ。
「あ、り、す…やめ…」
「霊夢」
だが、何故かあなたはこの上ないほどの穏やかな表情を見せながら私に言い放った。
「あえて言うわ。霊夢、その傷が治ったら一緒になりましょう」
「…ぇ」
「だから霊夢も完治したら私に答えを頂戴…約束よ?」
…なんだろうか。かなりの危険を伴ってるはずなのに。
私は腹部に大風穴開けて血を流して、あなたは魔道書の封印を解いて存在が揺らいで。普通は望みなんて無いと絶望するだろう。想いだって伝えることはきっと今を置いてもう無いだろう。互いに只消えるのみかもしれない。でも、それでも何故か、妙な安心感があった。
魔道書の鍵が外れ、本の中身から膨大な魔力があふれ出る。周りの音が掻き消え、無音となる。ふと外を見ると気の早い椛が紅葉し落葉を落していた。まるでこの空間だけ切り取られたかのようだ。その静寂に深い睡魔を覚える。隣のあなたを見ると、あなたも夢見心地にまどろんでいて。この隔離された箱庭の中ならゆっくりと眠れそうだなんて場違いなことを考えた。最後の力を振り絞りあなたの掌を握り締める。何だかとても暖かった。何故だろうか、根拠の無い自信とでもいうのか。次に目覚めたときに、あなたに素直に答えを言えそうな気がする。多分、いや絶対言うんだ。たとえ次に目覚めるのが10年後だったとしてもそれでも言ってやる。力の入らない掌であなたのそれをきゅっと握ると、ぎゅっと握り返されたような気がした。よかった、これならよく眠れそうだ…。
夢の中のあなたは、とても幸せそうに笑っていた。
・・・
「…ん」
長い長い夢の中から覚め、深い深い闇の中に居た意識が急浮上を果たす。眠気にぱりついたまぶたをこすり、妙に重たく感じる体を傾け横に目線を向ける。
「霊夢…!やっと目覚めたのね。良かった」
「…紫?」
どこだろうかここは。周りを見ると清潔感の漂う白いシーツに囲われたベッド台が並び鼻を啜るとほのかにだがざまざまな薬品の匂いがする。…どうやらここは永遠亭のようだ。誰かが運んでくれたのだろうか。腹部の痛みが全くないことを不思議に思い白い胴着だけになっていた服をめくってお腹を見てみると、綺麗さっぱり跡形もなく傷が消えているではないか。紫の顔を見ると分かってるとばかりに説明をし始めた。
「ごめんなさい、迂闊だったわ。神社に居たシャーマンたちが妙に少ないと思って急いでアリスの家に駆けつけたとき、あなたは丁度アリスに抱きしめられるように気を失っていたわ。二人ともかなり危ない状況だった」
「私たちを運んでくれたのね。ありがと」
「いえ、私はてっきりあ」
「霊夢!目が覚めたのか!?」
バーンと勢い良く扉が開け放たれ、そこから金髪白黒の女性が現れる。
「魔理沙、病院では静かにしてくださいな?」
「おっといけないいけない、私としたことがついはしゃいじゃったぜ」
「…え?だれ?魔理沙?」
「おいおい、寝ぼけてるのか」
これは何だ。目の前の人間は確かに魔理沙に見えないことも無い。しかし、おなじみ古風な魔女ルックの服装こそ身につけているものの、何時もの少女ではなくそれは間違いなく『女性』にしか見えなかった。小さかった体は私よりも大きく成長しており、癖毛だった金髪も幾分か落ち着きを持ち薄くストレートがかかっているようだ。絶壁だった胸は適度にふくらみを見せており、それは全く私の知っている彼女のものではなかった。
「…今失礼なこと考えなかったか?」
「いや、そんなことは…。それよりもどうしたのそれ。胸が悲しすぎて成長魔法でも編み出したの?」
「歳取ってまで大きくしたいなんて思っちゃいないぜ…」
「じゃあどうして」
「あー、今までずっと寝てたから気づかなかったのか?お前、5年間ずっと眠ってたんだ」
「へぇ5年も?……ってえええ!?」
5年!?まさか、そりゃあんな傷だった以上相当な入院生活は覚悟していた。しかしまさか入院生活以前に目覚めるのに5年もかかってしまうだなんて誰も思うまい…。紫の背後に鏡を発見し、軽く覗き込んでみる。確かに顔つきも体の大きさも何処もかしこも私が最後に見た自分よりも大人びていた。胸に手を触れる。…まあこちらはいい。しかしそんなに寝込んで…って。
「そうだ!!…っててて…」
「おお?急に動くなよ、寝っぱなしだったんだ。体中なまってるだろ?」
「ほんと、体が鉛みたいね…。じゃなくてアリスは!?あの子5年も待って…っいたた」
そうだ。私が助かったのはアリスのおかげじゃないか。あの時あなたが魔道書の封印を解いてくれたおかげで今の私の命があるのだ。
…ふと嫌な考えが頭によぎる。『今の私を留めているのはこの魔道書の膨大な魔力と術式のおかげ』…思い込みかもしれないが、今の私の体内にはあなたの魔力が満ちているような気がする。最後まであなたの手を握っていた手は心なしか温かいような気がしてぐっと拳を握る。答えなきゃいけない。あの時の約束に。
「アリスは無事なの!?何処に居るの!?」
「れ、霊夢…落ち着けって……」
「落ち着ける状況じゃない!」
「霊夢、アリスならここから最奥の病室にいるわ」
「最奥の病室ね、分かったわ」
掛け布団をひっぺ返すとひんやりした空気が体中に密着してくる。体感温度からして今は秋なのだろうか、光の届きにくい竹林の中では少々肌寒い。しかしそんな瑣末事はどうでもいい。上着もスリッパもつけず裸足で立ち上がる。久しぶりに感じる重力により足首が悲鳴を上げているがあなたに逢うためだ。気にしてなどいられるか。
「お、おい紫」
「アリスが待ってるわ。いってあげて」
「ありがと、恩に着るわ紫!」
・・・
霊夢が走り去ったあと、病室には私と魔理沙だけ。
「行かせてよかったのか?」
「正直、分からないわ」
「おいおい…」
どうやら私はまた同じ間違いを繰り返したようだ。霊夢をアリスの元に行かせたのは私がそれを認めたくないからかもしれない。迂闊だった。油断した。言い訳などいくらしても仕方がない。結局私は貴方との約束を果たせなかったのだ、霊夢とその想い人だけでも幸せにすると貴方と約束したと言うのにそれを破ってしまった。後悔はいくらしてもしきれない。
…でも、もしかしたら、とも思う。今までの歴代の巫女たちの中でも異質で特質、それでいて突出している霊夢。怠けているように見えて異変の解決率も群を抜いて高いし、数多の妖怪を退治してきたと言うのに妖怪たちからも随分好かれている。それも只の妖怪ではない、妖精、鬼、蓬莱人に吸血鬼、天狗に悟りに果ては魔法使い。勿論人間からも好かれる彼女。それでいて何にも屈しない性格。これだけのイレギュラーな要素の揃った巫女なのだ、誰だって思わずにはいられない。霊夢なら宿命にさえも屈しないのではと。真実すら打ち砕いてくれるのではないかと。そう信じずにはいられないのだ。だから…。
「霊夢…アリス…」
「…紫。何を考えてるかは知らないけど、霊夢なら大丈夫だと思う」
「え?」
「だって霊夢なんだから」
「…理論になってませんこと」
「お前が言うなってーの」
「…全くですわ」
「はは」
「全く。…そうね。霊夢なんだもの。ありがとう、魔理沙」
「お、おう!礼にはお、及ぶぜ?…あれ?」
・・・
走った。ただ走った。ひたすらに走った。途中ですれ違った宇宙兎が深刻な顔で何かをこちらに言っていたが何も気にならなかったし気にもしなかった。ただ走って走って奥を目指した。その先にはあなたがいるのだから。私との約束に焦がれているであろうあなたがいるのだろうから!
「…はぁ…はぁ…5年寝てただけで…、こんなにも体力が落ちてるなんてね」
ここ永遠亭は病室なども含みそれなりに広い。しかし、それは家屋という区切りの中ではと言う意味でだ。にもかかわらず高だか百数十メートルを走っただけなのに息切れがするなど相当体力が劣っているのだろう。疲労によりガクガクと震える手足を良く見ると只でさえ細かったものが更に細く見える。手首なんか今にも折れそうだ。…通りで胸も大きくならんわけだ。
「すぅ…はぁぁ…。さて…気を取り直してっ…」
病室の前で軽く息を整え、乱れた服装も…といっても胴着しか着ていないが、とにかくそれも整える。さっきまで走っていたためか、又はこれからのことに対してかは知らないが激しい胸の鼓動は当分収まりそうになかった。何とか気を落ち着かせて扉を叩く。
「アリス?私、霊夢だけど…いる?」
「…」
軽くノックして語りかけるが返事はない。入って来いという意思表示だろうか?あなたの家に行ったときも良く玄関先で返答がなかったことがあったし、もしかしたら手持ちのソーイングセットで人形の修繕作業に精を出しているのかもしれない。意を決して引き戸に手を掛ける。大丈夫だ、私はただ約束を果たすだけ。だから落ち着いて油断せずに行こう。とにかくまず最初は謝ってそれからだ。5年も待たせたんだから誠意を見せなくては。
「入るわねアリス。…ごめんなさい!5年間も待たせちゃって!私あなたにへん……え?」
…結論から言うとあなたはその部屋に居た。確かにそこに居たのだ。しかし、その蒼い瞳は開かれてはいなかった。部屋の中央に位置するベッドの中静かに寝息を立てているだけだ。何時も忙しなく主の周りで浮いている人形も今は枕元に寝かされているだけ。…これって…まさか。
「えっと…まだお休みなの?」
周りには用途不明の物々しい機会群があるのみ。その中でもひときわ目を引く緑色の折れ線が流れる機械がピッピッピッと規則的な音を放っている。ベッドに近づいてもあなたは寝相一つ変えず、規則正しい呼吸をするだけ。その顔を覗き込むと仄かに微笑んでいるかのようで。これじゃまるで眠り姫じゃないか。
「はは、あんた5年会わない内に寝るときはこんな大掛かりな機械身につけるようになったの?」
分かっている、こんなものただの強がりだ。でもいいじゃないか。まさか本当にこんな。…そういえばさっきすれ違った宇宙兎は何て言っていた?あなたに逢いに行くのに必死で何も耳に入っていなかったが、冷静になって思い返してみるとそのときの言葉が鮮烈に脳裏に蘇ってきた。
―――彼女未だ目覚めないの。多分、望み薄いわ。
「そんな…そんな馬鹿なことがあると!?」
無意識のうちに叫んでいた。5年ぶりに出した腹からの大声は錆付いた喉を掻き毟るような痛みを孕ませているが、そんなことは気にならなかった。気にすることができなかった。おかしいだろう?私は腹部に風穴空けて、臓物潰して尋常じゃない量の血をぶちまけて。それでもこうして生きてる、目覚めているというのに。なのにあなたは眠ったまま目覚めない。私を助けたばかりに目覚めない。
「そんな…」
目の前が暗くなり何も見えなくなる。今更になって重力が何倍にも感じるようになって、自然と足がガクガクと震えだす。痛いぐらいに握り締めた拳からは血が滲み、噛み締めた口からは鉄の味が広がって行く。
「ねえ、アリス。私助かったよ?あんたのおかげで」
5年の月日はかかった。けど確かに私は生きいて、今目覚めている。なのに。
「ほら、あんたも、何時まで寝てんのよ?あんた言ったじゃないの、約束だって」
あなたは尚も答えない。その微笑んだままの寝顔が今は怖い。あなたは今も目覚めない。私なんかを助けたばかりに。答えを聞けない聞かせれない。
「あんたがずっと待ってた答えを聞かせてあげるんだから!約束を果たすんだから!だからアリス!!」
ベッドが軋み声を上げるほどあなたの肩を揺さぶっても、人形のようにただ揺れ動くだけで。
「だから…目ぇ…覚ましてよぉ…」
耳鳴りが酷く煩く聞こえる。痛い。耳が痛い。目が痛い。鼻が、拳が、腹が、腰が、胸が…心が痛い。何も聞こえない。痛いほど静寂が広がっている。あなたの寝息が聞こえない。生きてるはずなのに。急に足元が覚束なくなって下を見た。するとサラサラと何かの砂のようなものが流れ落ちている。私の腹から。別段、傷が開いたわけでもないし涙が伝っているわけでもない。何だ、これは…。これは…この感覚は…魔道書の魔力?……アリス…アリスの魔力…アリスの力…私を救ってくれた…アリスの………アリスの、いのち。
「――――――っ!!!!」
甲高い電子音が頭に響く。今のは…幻?ただ電子音が鳴る静寂の世界。私の過呼吸気味の呼吸音すら聞こえない。そこに…そこにはあなたの、声は…ない。私の声は、届かない。
「あ…あ、ああ、ぅああああ!!あああああああああぁああああぁぁあああああああぁあああぁあああ!!!!!!」
結局、私は約束を破ったのだ。
・・・
「…」
次に気づいたらあなたの家に足を運んでいた。
割れた窓ガラス。爆散した人形の破片。バラバラに割られた食器棚。全てが5年と言う年月を感じさせないままの状態で放置されている。どれが奴らがやったもので、どれが自分でやったものなのか全く検討もつかない。しかしあれだけ暴れたと言うのに、死体を含め奴らの痕跡は全て片付けられていた。おそらく紫がやってくれたのだろう。最早扉なのか窓なのか分からないところから家に侵入する。目指すは居間。私とあなたが約束したところ。
「…ぁ」
さっき随分と叫んだためかもう掠れた声しかでなくなっている。目の前に目線を配るとそこには1冊の本が落ちていた。封印の解けたあなたの魔道書、グリモワールオブアリスが。屋内とはいえ傷んだ家屋。表紙にはうっすらときのこか何かの胞子がかかってまるで古い蔵の中に長年放置され続けた古書のようになっている。開くと中にはしわがれた白紙が広がっているだけだった。恐らく、ほとんど絶命状態にあった私を蘇生するために魔道書の魔力を全て使い切ってしまったのだろう。ぼろぼろのそれを胸に抱いて床にごろんと寝転ぶ。微かに血の匂いがするが、果たして私のものかあなたのものか。穴だらけの壁から時折屈折した光が差し込んでは周りの壁を間接的に照らす。ただぼうっと上を見上げていた。…静かだ。小鳥のさえずりすら聞こえないほどに。音と言えば、時折吹いてくる隙間風の音が耳に微かに届くのみである。本を抱く力をもっと強めると胸部から腹部にかけて圧迫される。
「お腹…減った…」
酷く空腹だ。そういえば私は眠っている間何を食べていたのだろうか。あの月の頭脳のことだ、恐らく何らかの栄養素を直接血管から注ぎ込んでいたのだろう。しかしやはり胃を介せずに栄養を取っても腹は膨れないもので。でも、とてもじゃないが今は胃が何も受け付けそうにない。何もいらない。水すらもいらない。ただ上をボーっと眺める。天井に空いた大きな穴を下から覗き込む。体の力を全て抜き深く息を吐く。何をするわけでもなく、ただひたすらに上だけ眺めていた。ずっとずっと、それこそ壊れた観測台の望遠鏡ようにただ一点を眺めて。ぽっかりと空いた天窓から覗く青空をずっと見ていた。
「………あ……月…満月…」
あれからどのくらいたっただろうか、時間の感覚が酷く曖昧で朦朧としている。気づいたらいつの間にか天窓の中身は青空から満月に入れ替わっていた。…寒い。それもそうか。今は秋、季節に疎い魔法の森もほんのりと紅葉を見せているほどなのだ。胴着一枚しか着ていない身にとってはそれこそ冬の寒さのように感じる。…寒い。けれど、気温が低いと景色が良く見えるのは気のせいだろうか、穴から覗く満月は酷く鮮明で、まるであの永夜の異変のときのようだ。いくら寝ても朝が来ず不思議に思って来てみれば、丁度あなたたちと出会ったんだっけ。あの時は魔女二人がかりによってたかってボコボコにやられたものだ。あなたは終始無表情だったが、時折心配そうな顔をしていたのを私は見逃してはいない。去り際にさりげなく傷薬を置いて行ってくれたときには、不覚ながらガッツポーズをしたのも覚えている。
鈴虫のような鳴き声と共にそよ風が吹き込んできて、カサカサになってしまった魔道書の表紙を撫でる。
…もう、あの冷たいようで冷たくない無表情や、興味なさそうで心配そうな顔すら見ることができないのか。…私のせいで。
「…このまま寝たら、夢の中ぐらいはあんたに会えるかな」
「止めとけ、この時期の森で寝たってどこぞのサボり魔の世話になるだけだぜ」
突然、足元から誰かの声が聞こえる。何処となく凛々しさが見えるが、根元に元気さが滲み出ている声。何時の間に近づいたのか足元に魔理沙が立っていた。何時もの魔女ルックに少し古い色した青いケープ。間欠泉騒ぎのときにあなたに作ってもらったケープをまだ大切に着けている様だ。手元を見るとバスケットを持参している。バスケットに掛けられた布の間からどこか懐かしさを覚える香ばしい香りが立ち込めていて、嫌でもお腹が鳴ってしまう。重い腰を起こすと私にも胞子が散っていたようではらはらと白い粉が舞い落ちた。
「探したぜ?ほら、上着。その格好じゃ寒いだろう」
「何の用?」
「お前が飢えてるだろうからと折角魔理沙様が直々に食事を料理してきてやったと言うのに」
「…食べたくない」
「別に魔法で拘束して口に流し込んでもいいんだぜ?」
そう言ってバスケットの中から、保温魔法でも使ったのかまだ白い湯気の立ち込めるパイを取り出す。さっきも思ったがどこか懐かしい香りがする。…この香り…どこかで?…そうだ、確かあれはまだあなたが告白してくる前に…丁度今居る部屋でご馳走になったパイの香りと似ているんだ。
「この香り」
「ああ。アリスの作ってたパイの香りだ」
「何で?」
「5年前のあの事件が起こる10日ほど前か、アリスから貰ったんだ、レシピ。私はもう作り方が頭に入ってるから大丈夫だって」
「…」
「泣くなよ…」
「泣いてない!」
ただ泣きそうになってるだけだ。ごまかすように魔理沙からスプーンを半ば奪い取るように受け取る。魔理沙が小さくやれやれと笑いを漏らしたのはこの際見逃しておこう。潤んだ瞳をごまかすようにスプーンをパイ生地に突きこむと、サクッと軽い音と共にクリームシチューの香りがいっぱいに広がる。何だか心のどこかが温かくなるようだった。そんなことだけでも余計に泣きそうになってしまい、魔理沙に見られないように顔を俯けながら冷ましもせずにシチューを絡めたパイを口に含んだ。…酷く懐かしい味がする。
「…おいしい」
「ああ、美味いな」
「あんたが自分で言ってどうするのよ」
「アリスの作ったレシピだ。不味いわけないだろ?」
「…そうね」
「言っておくが私だって料理は得意なんだからな」
暖かい。優しい味が5年間ほとんど何も食べていないお腹にすっと入っていく。そういえばあれの起こる前、あなたが最後に作ってくれたのもこのシチューだったか。そんなことをぼんやりと考えながらパイをお腹に収めていく。5年間も食の無かった胃が突然の食べ物に拒絶反応を起こさなかったのは偶然か必然か。
・・・
「ご馳走様」
「あったまったかい?」
「ええ。寒くはないわ」
「…そっちの方じゃないんだけどな」
それから私たちは特に何をする訳でもなく、只ひたすらに空とその上に輝く満月を眺めていた。時折魔理沙とどうでもいいようなことを語り合いながら。
しかし、私はあの出来事のことは話す気になれなかった。ただ、私が眠っている5年の間に何か異変でもなかったかとか、相変わらず魔理沙は胸が小さいとかそんなどうでもいいようなことばかり。
「なあ霊夢」
しかし、そんな戯けた時間も終わりだとでも言うかの様に魔理沙は声のトーンを下げて話を振ってくる。
「お前が寝てる間な。そりゃ色んなことがあった。まず人里だが、お分かりの通り博麗の巫女はもう駄目なんじゃないかって話で持ちきりだった。過激派が何かしら事を起こすかとも思ったんだが特に何もしなかったよ。恐らく霊夢が負傷することは計算に入ってなかったんだろう」
全く人里も暢気なことだ。勝手に人を殺してくれるなと言いたい。
「次に紅魔館。こっちは特にトラブルも無かったよ。霊夢は眠ってたから知らないけども、館の住民皆でお見舞いに来てたよ」
レミリアや咲夜はともかく、フランやパチュリー、美鈴まで一緒に来るとは。そこまでされるようなことはしていないつもりだったのだが…。どこかくすぐったい気持ちに駆られる。
「白玉楼は変化すらなかったよ。…妖夢がどっかの妖怪殺し犯の魂を斬っちまったようだがな。永遠亭は何時も通り変わらぬ回転。洩矢神社からは早苗が見舞いに来たなぁ。私の見る限りでは他の連中の中で一番霊夢を心配してたと思う」
「へぇ…」
意外なこともあるものだ。散々人のことを馬鹿にしておいて挙句ボコボコにのされ、その後も飽きずに私を堕落巫女と呼び人里の信仰不足を私の責任にしてきたあの巫女が、私のことを一番気に掛けてくれていたとは。…辛辣な態度は照れ隠しだったのか?
「その他の奴らも、お燐とか幽香とか…2,3回見舞いに来てくれた。ま、霊夢は眠ってて全く知らないだろうがな」
「あいつらにまで心配掛けちゃったかしら。今度お礼にも…」
「…ああ、あと一つ」
割り込むようにさっきと明らかに違うトーンで呟く。まるで心底嬉しそうな、又は悲しそうな声をしながら。
「霊夢が寝てる間にな。一回だけ…アリスが霊夢のこと呟いたんだんだよ。只の寝言かも知れないし、もしかしたらあの事件のフラッシュバックが脳内で起こったのかも知れない。でも、確かに呼んだんだ。…幸せそうな寝顔してさ」
「…」
また耳鳴りがしてくる。折角温まった体が悪寒に包まれ無意識に震えだす。あなたはどんな夢の中にいて、どんな状況で、どんな気持ちを抱きながらその名を呟いたのか。願うなら幸せな夢の中であって欲しいが、もしそうなら私はあなたの夢の国に居座る資格はない。答えをあげられず、守ることもできず、逆に傷付けたと言うのにあなたの夢の中まで厚がましく居座るなんて私には許されないのだ。私は…。
「霊夢」
「!」
不意に泥沼の思考に漬かりかけていた肩が掴まれる。目線を上げるとそこには黄金に輝くまっすぐな瞳が、5年前と全く変わらない優しい目があった。
「なあ霊夢。私思うんだ」
「な…にが?」
「あの時アリスはどんな夢の中で、どんな状況で、どんな気持ちで霊夢のこと呟いたのかは分からない。もしかしたら悲しい内容だったのかもしれない」
「…」
「でもな霊夢。それがどんな内容であったとしても…あの時確かにあいつはお前を呼んだ。霊夢のことを呼んだんだ」
「え?」
どういうことか未だに計りかねる私の瞳を見て、魔理沙は更に語る。
「アリスの性格は知ってるだろ?」
「…ええ。知ってるわ。無関心なようでその実凄く気に掛けてくれて、冷たいようでその実凄く優しくて、意地っ張りなようでその実凄く素直なのよ…」
そうだ。あなたは何時も澄ました顔して興味がないと言うけれど、実際には少しの変化にも真っ先に気づき心配してくれた。あなたは何時も変わらない表情をして知ったこっちゃないと言うけれど、実際にはいつも優しい顔して手を差し伸べてくれた。あなたは何時も頑固な表情をして何でもないと言うけれど、実際には必ず最後には素直な表情を見せてくれた。
「良く分かってるじゃないか」
まるで私が最初からこう答えるのが分かっていたかのような態度だ。どこか嬉しそうな表情を湛え、魔理沙は私の肩に手をつき真っ直ぐに見据えながら続ける。
「そうさ。アリスはそういう奴さ。だがな霊夢。それはお前にだけだったんだよ。お前だけを気遣い、お前だけに優しくて、お前だけに素直な本当の自分を見せてくれてたんじゃないか」
「私だけに…」
「そのアリスが…たとえ夢の中とはいえお前の名前を呼んだんだ」
…果たしてあなたはどのような夢の中で私を呼んだんだろうか。楽しい夢だったのかも知れないし、もしかすると怖い夢だったのかも知れない。私はあなたを傷つけた。私のせいであなたは目覚めなくなってしまった。なのにそんな、それでも、私はあなたにもう一度顔を合わせることが許されるのだろうか。
あなたに答えを聞かせることが許されるのだろうか。
「あーもう霊夢らしくないな!」
「な、何よ」
「あの時アリスが夢を見ていたとして、楽しい夢を見ていたのならアリスはお前も誘おうと声を上げたんだ。楽しさをお前と共有する為に声を上げたんだ」
「怖い夢を見ていたのなら?」
「だったら尚更お前を呼んだんだよ!怖くて怖くて仕方ないから、恐怖から助けて出して欲しいから、寂しいから好きな奴にそばに居て欲しいから…だから呼んだんだ」
「…魔理沙」
体の内から何かがこみ上げる。先程目覚めたとき、あなたに会いに行こうとしたときにもこみ上げるものはあった。でもそれは期待から来るこみ上げだった。でも今は違う。今はただあなたが目覚めることへの切望と、あなたに伝えるべき希望からこみ上げるものが私の世界を支配していた。
「魔理沙」
「うん?」
悪寒も耳鳴りも恐怖ももう感じない。今は只あなたのそばに行きたかった。只それだけだ。
「今度おごるわ。神社で夕飯でも」
「ああ、楽しみだ。勿論そこには居るんだろうな?」
「ええ、当たり前じゃないの。私と紫と…アリスがね!」
・・・
「…行ったか」
霊夢の飛び去った後の星空を見つめる。満天の星空だ。これなら願いを一つぐらい叶えてくれるかもしれない。
「ごめんなさいね?本当なら私が言わなければいけないことを」
「紫の口から謝罪が出るなんてな」
後ろからスキマが開き、気が滅入っているのかいくらか小さく見える紫が姿を現す。
「かまわないさ。こういうのは私向きだ。それに、霊夢がだらけたときは紫が、霊夢が落ち込んだときはアリスが、霊夢が迷ったときは私が、それぞれ渇を入れるって決まってるしさ」
「…ふふ、そうだったですわね」
少しクマのできた目元を扇子で隠してうっすらと微笑む。久しぶりの笑顔だ。
「それに、霊夢のためだけにやったわけじゃないさ。半分は私のためさ」
「あなたらしいですわね」
そうだ。半分は私のためだ。確かに親友のあいつが傷つき迷ってるところを見るのは嫌だったし、友人同士の恋愛が上手く行って欲しいとも思っていた。でも、それと同じほどに、私はとある誰かが嘆いているのを見ているのは嫌だった。
「…紫、こっちこっち」
「どうかしたの?」
「ここから上を見てみろよ。丁度抜けた天井が天窓みたいになって満月が丸見えだぜ?」
「あら本当。綺麗ですわ」
この5年間人里に目を光らせ、霊夢とアリスを見守り、碌に寝ず、碌に食べず、冬眠期間すら削って身を削いでいた君。いくら妖怪とは言えかなりの無茶を続けてきた君。
「見上げるだけじゃ首が痛くなるだろう?」
「あら、歳だとでも言いたいわけ?」
「違うよ、ほら。こんなところになんとも魅力的な…膝枕があるだろう?」
「…あらあら、明日は霧雨でも降るのかしら」
5年間気を張り詰めていた君。いくら強いといっても精神を消耗していた君にはさぞ辛かったことだろう。霊夢とダブルで見ているこちらも辛かった。
だから。
「飯も作ってきた。どうせ食べてないだろう?」
「…ホントどうしたのかしら。パイの残飯処理とでも?」
「バーカ、あれはもう無いよ。私の手作り和食だ!美味いぞ?」
「…本当に明日は隕石でも降るのかしらね」
だから、今までハラハラさせられた分、こちらの我侭に付き合ってもらうさ。
「…ふふ、言ってろ。…ばーか」
・・・
「ぜぇ…ぜぇ…。…は、吐きそう…」
魔法の森から永遠亭の治療室の前まで全く減速せずに飛びぬいたため頭が360度回転したかのように平行感覚が薄れている。途中で宇宙兎と因幡の素兎、及び月の姫を蹴飛ばして飛んできたがまあ気にはしない。酸欠なのか足元が覚束ないがそんなこと全て瑣末事に過ぎないのだ。少なくとも、あなたの前では。
「…」
目線の上には先程は気づかなかったが特別治療室の文字が浮かんでいた。耳を澄ませると未だに中からあの電子音が響いてきているのが分かる。息が詰まりそうになるが、今の私にはそんなことぐらいで恐怖など感じるはずもなかった。それでも緊張に震えた指を動かし戸を開く。
「…入るわね」
ベッドの上には相変わらずうっすらと微笑んだまま眠るあなた一人と人形一体が眠っているだけ。先程と違うのは窓から差し込む月明かりがあなたを包んでいることぐらいか。
「アリス…」
近づいてその頬に指を触れる。流石は妖怪といったところか、5年間経った今でも全く変わらない弾力と柔らかさを持っている。あのとき顔に傷ができなくて幸いだった。それでも仮にあなたが人間だったとしても、その綺麗さは変わらないままだっただろうが。
「アリス」
「…」
呼びかけても返事は来ない。当たり前だとは理解しているが悲しい気分になる。でも。
「アリス」
「…」
「アリス…」
「…」
「…ありす…」
「…」
「…アリス」
「…」
それでも私はあなたの名前を呼ばずにはいられなかった。まるで今までの5年分の「アリス」を今言うかのように何度もあなたの名前を呼び繰り返す。
「…あ、りす…あっ」
「…」
ふと気づくと頬には冷たい一筋が伝っていた。泣いている。私が。泣くことなど絶対に許されないであろう私が。あふれ出る涙は止めようと思っても止まらない。それでも私は構わず呼び続けた。
「アリス」
「…」
「アリス」
「…」
「アリス…アリス、アリス、アリス。…ありすぅ…」
「…れ、ぃむ…」
「!!」
不意に呼ばれた名前。一瞬想いが通じたのかと思ったが、顔を覗き込んでもその瞳は開かれておらず静かな寝息が聞こえるのみだ。まだ夢の中に居るのだろうか。だとしたらそれは楽しい夢なのか悲しい夢のなのか。…あのときの夢なのか。
「ごめん」
「…」
「ごめんねアリス」
「…」
あなたの傷一つ無い肌に一つ二つと水滴が落ちる。それは月明かりを反射して光りながら頬を伝っていく。まるであなたが泣いているみたいだ。
「…もし。もし、あんたがあの時の夢を見ているのなら」
果たして、そこに居るのは慈悲すら見せぬ妖怪殺しの集団か。又は力なく横たわる人形たちか。それとも…腹部から血を流し倒れる私か。
「そこに力ない私が映っているのなら」
だとしたら…。
魔理沙の言葉がよぎる。―――怖くて仕方ない、助けて出して欲しい、そばに居て欲しい…。
「私が、たとえ現実において力が無かったとしても」
それでも、あなたのそばに居たいと強く願う。強く、望む。
「アリス…!」
「…」
手を握る。私を救ったあなたの両手を、あなたを救いたい私の両手で包み込む。酷く汗をかいているくせにガクガクと震えるだらしない指を絡める。少しでも、あなたに私を分けてあげれるようにと願いながら握る。祈り、望み、願いを込めてぎゅっと握る。
「私…!」
「…」
私はここにいる。あなたのすぐ隣にいる。手をぎゅっと繋いでいる。ここであなたの帰りを待っている。あなたに届けたい想いがある。あなたに伝えたい答えがある。あの時あなたに伝えることのできなかった想い。あなたに届かなかった答え。立場なんか関係ない。紫が、先代が、あなたが、私が…ただ望んだ本当の気持ち。
今度こそ逃げずに伝えるから。だから。だからお願い。
「あなたに答え、持ってきたから…もう逃げないから…」
「…」
「目を…あけて…」
「…」
「お願い…目を開けてその瞳に私を映して…アリス…!」
「…」
「答えを聞いて!私の大好きなアリス!!!」
衝動的な行為だった。そっと、あなたの唇に自分のものを触れさせる。この想い、あなたの心に直に伝えたくて。あなたの気持ちを解りたくて。
「…アリス」
「…れ…ぃ」
「…ありす?」
月明かりを淡く反射する顔を覗き込む。綺麗に縁取られた睫毛が震え、…そっと蒼色の瞳が姿を現した。只ひたすらに求め待ち望んだ視線が交差する。
5年ぶりの瞳が、私を射抜いた。
「…おはよう、れいむ」
「っ!ばか!何よ人をこんな気持ちにさせといておはようって!!」
「…うん?どうしたの霊夢。…泣かないでよ」
これはもしかしたら夢なんじゃないかと思う。目が覚めたらまだ天窓から月でも眺めているんじゃないかと思う。でも、流れる涙を拭うあなたの指は確かな温かさを持っていて、これが夢ではないと教えてくれる。
「ばかばかばか!もうぅ…」
「霊夢…?」
それがたまらなく嬉しくて、幸せで、それ以上で。
「…ぐす、ええ。アリス、おはよう…!」
静かな空間。機械の音も聞こえない空間。周りに舞う微弱な埃たちとそれら全てに降り注ぐ月明かりだけがこの空間の全てだった。そのまるで箱庭のような幻想的な空間で、私はあなたと抱きあって泣いた。喜びに、幸せに、只ひたすらに泣いた。
・・・
「ねぇ、アリス」
もしかしたらまたこんなことがあるかもしれない。
「何かしら」
人里の過激派は消しても消してもまた姿を現す。思想とはそういうものだ。
「聞いて欲しいことがあるの」
それでももう二度と彼女を危険な目には合わせないと誓える。
「…何をかしら」
私はもう迷うことを止めたのだ。
「解ってるくせに」
博麗の巫女が何だ。人里の連中が何だ。人間が何だ。妖怪が何だ。
「解らないわね。だから詳しく聞かせてもらう必要があるわ?…全く、待ちくたびれたわよ」
そんなものくそ喰らえだ。私はもう躊躇しない。あなたにこの想い、答えを伝えるんだ。
「…望むところよ」
あなたにずっと、6年間も伝えられなかった想い、今ここで伝えます。だから、聞いてください。
「…伝えることは…」
そう、伝えることは只一つ。簡単なことだ。今までずっと言えなかった分の重みを乗せて、届け、この想い。伝われ、この答え。
「あなたのことが…」
先代が望んだ、私が求めた、紫の望んだ、あなたの求めた、私の幸せ。私たちの幸せ。私とあなたの掌でそっと、ぎゅっと、
「―――ずっと大好きでした」
今、掴もう。
レイアリ。
一部にユカマリ要素アリ。
超絶俺設定炸裂。
オリキャラ発生(しかもかなり濃い目)
グロテスク表現少々。
「霊夢、答えを頂戴」
「…」
今年も残すところ後3月ほどとなった頃。無限に続くかと思われた夏も遂に終わり、本格的に秋が幻想郷に訪れた。まだ紅葉には早いが、高原に位置する洩矢神社ではもう木々が色付きはじめたそうな。そんな少し肌寒い季節。上着も脱がずに部屋に上がりこんできたあなたは開口一番に超速球のストレートを投げつけてくれた。
「霊夢。あなたが好き」
「…っ」
「随分と待ったわ。私もう我慢できない。お願い、答えを頂戴…」
あなたが好き。丁度、今から1年程前の真夏の午後。灼熱の黄金色をした熱風に包まれて、けたたましい蝉の合唱で神社の外と内を分断された縁側で言われた言葉。周りのべったりとした暑さと共に私の頭の中ににそれ以上の熱さをもって刻み込まれた言葉。私の暑さにくたびれた心に薪をくべ激しく燃え上がらせた言葉。
…私があなたに抱く言葉。
・・・
それはもう暑くて暑くて、最早熱いと形容するほうが自然なほどの真夏日だった。じっくりと熱線を浴び、まるで鉄板のように熱を持った縁側は「ずっとここで茶なんか飲んでないでたまには外にでろ」とでも言っているかのよう。仕方なく冷たい麦茶でも作ろうかと重たい腰を上げて後ろを向いたときだ。あなたがそのブーツで石畳を叩いたのは。
「…アリス?」
音だけで判断できる様になる程あなたはここを押しかけてはいない。それでもあなたと判断できるのは私があなたに抱いている想いのせいなのだろうか。
そんな自分をおかしく思いながらも嬉しさを滲ませないように勤め声をかける。
「おや、久しぶりじゃないの」
「え、ええ。研究がちょっとね」
ギクシャクと余裕のない笑顔を浮かべるあなたはまるで古くなって動作が悪くなった人形のようで少し心配になる。カツカツと石畳を弾く軽快な音とは裏腹に酷く重たげな足取りであなたは縁側に腰掛ける。あんなに熱い所に顔色一つ変えずに座れるんだから本当に妖怪の体は凄いものだと感心した。
「あ、今麦茶水出ししてくるわ」
「あ、霊夢…あの」
「ん?」
「…ううん、何でも。ありがとう」
何時ももっとおしとやかに構えているのに妙にそわそわとしているあなた。珍しいこともあるものだと思いつつ居間を離れ台所に小走りする。後ろであなたが何やらうなっているようだが気に留めなかった。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
「…」
「あ…えっと」
やはりどこか落ち着かない様子だ。魔力まで乱れているのか宙に浮く上海人形の挙動がおかしなことになっている。気づかれないように横からじっと見つめると、容姿まで落ち着いていないのが分かる。何時もの赤いカチューシャは位置が少々ずれているし、髪の毛を良く見ると枝毛が一本混ざっている。さらにリボンの結び目が何時もと逆になっているのもある。どれもほんの些細なミス。彼女が見落とすわけがないし、周りが気づくこともないだろう。しかし私は気づき、あなたはそのことにさえ気づいていない。さしずめ、実験による睡眠不足か或は相当緊張しているかのどちらかだろう。
「んく…んく…」
「アリスが一気飲みなんて珍しいわね」
「んぶっ!!…ゴホゴホ」
「あーあ、言わんこっちゃない。そんなに喉渇いてたの?」
「そ…そんなとこ」
しかし、そんな些細なことにすら気づいてしまうとは…相当深くあなたにのめり込んでいるという証明なのだろう。それは喜ぶべきかどうするべきか。温くなり始めた麦茶を飲み干し、おかわりを注ごうとしたときだ。
「れ、霊夢!!」
「ど、どうしたのいきなり」
この猛暑のせいか、頬はおろか耳まで真っ朱に染めて身を乗り出してくるあなた。急に近くなる顔に私まで顔が暑くなるのを感じる。あなたは乗り出した姿勢を固めたまま目線だけ上下左右に迷わせ、やがて私の顔が映る位置でそれを固定する。
「…」
「…」
しばしの無言。何も言葉が出てこない。こんなにも近い位置で顔を合わせたまま、お互い石化でもしたかのように動かない。いや、動けないのか。この状況、どこかの烏天狗に見られたら厄介だな…そんな的外れな思考が頭を占拠する。全く余裕が無い。加速する鼓動を聞かれないか心配だ。暫しの沈黙の末、あなたは構わず決心がついたようにその言葉を口にした。
「霊、夢」
「え、ええ」
「私、ずっと前から…あなたが、好きです…」
「…え」
すき。
言ってしまったもうどうにでもなれと言うかのような表情を浮かべてあなたは私を見つめる。
すき…。
どこか不安げな、それでいて力強い意思を湛えた蒼い瞳を向けてくる。
スキ?
まるで答えを求めるかのように…。私の答えを…。
ああ、好き。
「…って、え?…え、ええ?…えええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!」
「何よその反応…そんなに意外?」
いいや違う。意外なんじゃなくて嬉しいのだ。あなたも私と同じ「好き」と言う気持ちでいてくれたということが。今まで全くそんな素振を見せていなかったので非常に度肝を抜かれたと言えばそうだが。
…つまりこれって両想いな訳であって?不味い、意識すると顔から火が出そうだ。今すぐに抱きしめたい気持ちを抑えつつあなたに向き直る。告白…意識すると非常に恥ずかしいが、されたのならこちらもしなければならないことがある。そう、返事だ。「私だってあなたが好きだ」と返事を出すのだ。
「ア、アリスっ」
「はい」
さっきからこれでもかと言う程に蝉が煩く合唱を繰り返している。何時もはただ煩いその音も、今は全く気にならない。いやむしろ返答することへの応援をしてくれているんじゃないかとさえ思えてくる。外の風の音が聞こえないのは蝉のせいかそれとも私の鼓動が煩すぎるせいか。気づけば泳いでいた目線をあなたの瞳に映す。命一杯息を吸い込み、私はあなたに返事を…。
「アリス!わ、私も(だめよ霊夢?)え…!?」
「?どうしたの」
今の声は、なんだ。生々しく響いてくるこの声…空気に触れないように直接頭に流し込んだような感覚がした。例えるなら私の思考に直に入り込んで感情をかき混ぜ、せき止められたかのような不快感。いや感覚などどうでもいいのだ。声だ。今の声は聞き間違いでなければ…あいつの…紫の声?
(まさか…あんた…なんで… さすがは『博麗の巫女』理解が早くて助かります…まぁ思考に入り込んでるのだから当たり前と言えばそうですが… …? では私が何を言わんとしているかも分かりますわね? …それは…そんな… 分からない?なら単刀直入に言いましょう…あなたが…)
「や、やめて」
「霊夢?どうしたの顔色が悪いよ」
「私が…私が巫女だから…なの?どうして…」
さっきまで熱くてたまらなかったのに今は寒気すらしてくる。まるで冷たい冷気が肺の中に入り込んできたかのようで。紫が何を言わんとしているのかなんてことは私の直感に頼らずとも分かりきっている。でもそれは私にとって残酷の域を超えている事。…私に、自分の気持ちを裏切れと言うのか?彼女の気持ちも裏切れと言うのか?今まで育ててきたこの気持ちを殺せと言うのか?何も無かったことにしろとでも言うのか?何故!!私が博麗の巫女だから!?だから妖怪と一緒になってはいけないとでも言うのか!?
(違いますがまぁそんなところです…でも…「アリスを振れ」というのは流石に良心が痛みますわね…あなたへの精神的ダメージも酷いことになっていますし…そう…ならば、救済策を提示しましょう… …何? 霊夢…アリスへの返答を一時保留しなさい… …保留? そう保留…いきなり断ればお互い大きく傷つくでしょうし… だったら… いいえ霊夢…返事をしてはだめよ?…博麗の巫女は常に見られているのだからね?)
「そんなことって…」
「霊夢私、何かいけないこと…言ったかしら」
さっきまでの喜色に満ちた瞳は何処へやら、不安げな瞳を引きさげ顔を覗き込んでくるあなた。…さっきまで煩く鳴いていたはずの蝉がいつの間にか鳴き止んだでいた。いや、実際は今も盛大に鳴いているのだろうが、私がそれを認識できないほどに動揺しているだけなのか。まるで打ち水でも巻き散らかされたかのようだ。黄金色に見えた外の陽気も、今は只眩しいだけにしか感じない。
「アリス…」
「うん」
「答えなんだけど」
「う…うん」
不安げな、それでいてどこか期待を併せ持った、ある意味魅力的とも取れる表情。今からそれを曇らせることになるのかと思うと胸が酷く痛くなる。ついつい「いいよ」と、「私も好き」と、そう言いそうになる。しかし、私が迷うとつかさず頭の中に冷たい声が響いくる。見られているのよ?と。
「私、私は…。……ごめんなさい」
「…えっ」
「…しばらく、待ってくれないかしら」
「っ……」
一瞬苦しそうな顔をして。
「あ、そ、そうよね!いきなりだもの、霊夢も驚くわよね…うん!分かった待つよ。…待つよ」
所々詰まりながらも必死に笑顔を作り、あなたは努めて元気な音色で待つと言った。全く、すぐに表情が顔に出る子だと思う。
(そう…だめよ…返事をしてはいけない…そう…駄目なのよ…)
「ぐっ…!」
驚くほど緩慢な動きで飛び去ってゆくあなた。…ああ、帰ったのか。どうやらあなたが帰ったことを理解するのに数瞬要するほど自分は呆けていたようである。しばらく放心した後、ふと縁側を確認すると、水の跡が一つ。隣に置いてあるグラスから落ちた水滴かとも思えるだろうが、何故か私はそうとは思わなかった。…いや、思えなかった。ぼうっとそれを眺めていると、目の前にはらはらと青い葉が一枚散ってきて、何を思ってか私はそれを水の跡の上に被せた。
あなたが帰った後も、蝉は変わらず大声で泣いていた。
・・・
「あの時あなたは待ってと言ったわ」
「ええ」
「だから待った。待ち続けた。雨の日も異変の日も待った。ずっと我慢してた。なるべく逢わないようにして耐えながら」
「…ええ」
「でも宴会で逢ったとき、人里ですれ違ったとき、あなたが夏風邪を引いたと聞いて看病についたとき、…段々と我慢できなくなって。だから逆に毎日逢うことで気を紛らわそうともしたけど意味が無かった。切なくて、苦しくて、聞きたくなる。でもできない。それにいつも誰かが居合わせて聞く暇もなかった。魔理沙だったり紫だったり」
いや、あなたは良く待ってくれていると思う。
しかしあれからアリスと会うときに限って妙な視線を受けるようになっていた。紫がこちらを見ていないときでさえその不気味な視線は取れなかったほどだ。さらにあいつはあれからというもの頻繁に神社に顔を出すようになっていた。それもアリスが遊びに来たときに限ってだ。何度釘を刺されたことか。
「…ごめんね?こらえ性なくて」
あなたは自分で思っているよりも考えが顔に出る。だから何時も神社に来るときは緊張して、私と話すときは紅潮して、私が笑うと幸せそうに笑って、帰るときは寂しそうにしてるのがもろ分かりなのだ。何度胸が締め付けられたかもう分からない。今だって無理に笑顔を作っているのがありありと見て取れる。
「だからね霊夢…私はあなた」
「アリス」
「…はい」
本当に申し訳ないと思う。答えも分からずに待つなんて辛いということは十分に分かっているつもりだ。だけど、まだ…。
「ごめんなさい。もう少しだから、もう少しで」
「…まだ答えを待てと言うのね」
「ごめんなさい」
嘘だ。本当は答えなどもうとうにでている。本当はあなたに告白されるずっと前からあなたのことが好きだ。あなたに告白されてずっと好きになった。でも、答えるわけにはいかないから、私は私だから。博麗の巫女だから。だからまだ答えるべきではない。今答えたら多分、文字通り一生後悔することになるだろう。
「ねぇ、霊夢。せめて…理由を教えてくれる?」
「理由?」
「何でこんなに私を待たせるのか」
「それは…」
これをあなたに言うわけにはいかないだろう。多分、いや確実にこれを言うとあなたは悲しむだろうから。人から外れた自身を恨みさえしてしまうだろうから。あなたに罪は無い。在るとしたらそれは私だ。私が私として生まれたがためにあなたに答えを出すことが出来ないのだ。だから、
「私が…私だからよ」
こんなことしか言うことができない不甲斐のない私をどうか許して欲しい。無理なことなど分かっているのに諦めきれずに道を探して、迷いに迷って自ら雁字搦めだ。いっそのこと簡単に断ってしまえれば楽なのだろうが、それができるほど私は強くない。だから今はこう言うことしか出来ない。
「そう」
「ごめんなさい」
「…なら良かったわ」
「え?」
「ううん、なんでもない。うん…だったら、私は何時までも待つから」
そう言ってまた無理に微笑むあなた。逆につらい気持ちにしてしまったのだろうかと不安になる。しかしあなたはそんなことなど意に介さずその身を翻す。
「今日は霊夢と話せて嬉しかったわ?また今度ね。じゃ」
「あ、アリス!」
石畳を蹴り上げ飛び立つ。いつもならもっとゆっくりと飛んで行くはずなのに、今に限って全速力で飛び出していった。
…やっぱりあなたは表情を作るのが下手だと思う。嬉しかった奴が、あんな悲しそうな顔をするものか。そんな急いで立ち去ったって、石畳に小さく残った水滴が早く乾くわけでもないというのに。見ていられない。見ているとこちらも縁側を濡らしそうだから。だから上を向いた。あなたの飛び去った蒼い空を仰いだ。
…ふと、目の前に落葉が一枚だけひらひらと舞い降りてくる。私はそんな気の早い落葉を石畳に付いた涙の跡にそっと落とした。
…
「…で?」
「ああ、気にしないで」
「…」
「むしゃむしゃ」
「…」
こういう時ほど一番会いたくない奴と会ってしまうものだと思う。目の前に堂々と居座る女性。事あるごとに現れては毒を吐き、私の足元を焼き払い前に進めなくする者。私の想いを塞き止める者。八雲紫が、居間に戻ると何食わぬ顔で蜜柑を貪っていた。ご丁寧に掘りごたつに炭まで入れている始末だ。まだそれほど冷え込んでいる訳ではあるまいと言うのに寒がりめ。机の上の蜜柑を剥いた後の皮が2,3枚重なっている所を見るあたり、結構前からここに居たのだろうか。歳にそぐわず口の周りを果汁で汚している彼女を見て、無性に神経が逆撫でされた気分になる。全く、幻想郷では貴重な果実。それも只の蜜柑ではないというのに、それをあんたが食べるなど恐れ多いことを。
「アリスが人形劇の報酬に貰ったものを分けてもらったんでしょう?」
「…」
「全く律儀で優しい子。魔法使いと言うより、まるで人間みたい」
「どうでもいいでしょう。それより何の用かしらね」
「冷たいのね。…何の用って自身の生い立ちにご傷心であろう巫女さんに重大な話をしに来たの」
「…何が言いたいのかしら?」
何時も神社に現れては何かしらの干渉を仕掛けてきて、今度は一体何をしにきたというのか。折角さっき落ち着いた筈の心を穿り返すような真似をして。私と彼女が共に居ることがそんなに嫌か。否定するか。拒絶するか。せめてもの抵抗に侮蔑するような視線を投げかけてやる。すると何故か、妙にに優しさの篭った眼差しをこちらに送ってきたではないか。同情でもしようというのか?自分が原因だと言うのに全く舐め腐った真似を。
「…何様のつもり?」
「さっきまでアリスと話してたんでしょう?」
「だったら何?何か悪いことでもあるの?」
何が言いたい。私がアリスと話そうがそれは私の自由だろうに。話をすることぐらい私にも許されて当たり前だろう。別に無理に契りを結ぶと言うわけでも無いのに。それともこいつは私がアリスと話すことすら咎めようというのだろうか。だとしたら、文字通り酷い人種差別だ。博麗の巫女だからと言って妖怪と必要以上に親しくするなとでも言うのか。だとしたらそれはあんたもだろう。負けじと眼光を鋭く細めて睨み返す。だが、紫は変わらず優しい笑みと視線をこちらに回すだけだ。
「…私は一体今まで何やってたのかしらねぇ」
「は?…意味が分からないわ。一体何よ毎回毎回あんたは…!」
「いい加減、机の整理はしないといけないというのに」
鬼をも射殺すほどの眼光で睨んでいると、ふと、紫の表情に変化が現れ始める。さっきとは打って変わってどこか疲れた表情。だが何だろうか…何かを決めた後の達成感を滲ませてるというか、決心して肩の荷が取れたようとでもいうのか、そんな色を濃くかもし出した表情をしていた。
「さっきから何を」
「泣き虫ねお互い」
「は?」
「そんなに怒らないの。ストレス溜めるとお肌に悪いわよ?」
「だったら」
「霊夢」
名を呼ばれた。ただそれだけなのに、途端に何も発せなくなる。こいつは何時もはヘラヘラとしたふざけた態度のくせに、時にまるで鶴の一声のような言葉を発する。と言っても本来の意味とは少し違って、こちらが有無を言えないような静かな圧倒を発してくるとでも言うのか。でも不思議なことに声にそんな重圧は全く含まれていないから不思議なもの。とにかく私は黙って次の言葉を待つしかなかった。何を言われるのか。例えどんな非道な提案をされても、私は何を言われても決して諦めたくない。どんな残酷なことを突きつけられても必ず答えなければならないのだから。いくら否定されても私は。
「ねえ霊夢。博麗の巫女はどう在るべきかしら」
やはりそうくるか。そう言われれば私が何もできなくなることを知っているだろうに。
「…人妖皆に、…平等であるべき」
「そう。博麗の巫女はこの幻想郷の鍵にして扉。綻びを作ってはならぬ存在」
「そんなこと…わかってる」
「なら巫女が妖怪と恋をするのはどう思うかしら」
「それ、は」
…それも分かってはいる、つもりだ。博麗の巫女は常に人妖に対し平等でなくてはならない。どちらかに傾くことや、ましてや妖怪と恋することなどはあってはならないことなど分かっていることだ。だが…
「ではここで問題です」
「は?」
「さて、その考えは真の平等と言えるのでしょうか?」
「…何言ってるの、平等じゃないじゃない」
人妖の間に、境界をまたいで仁王立ちする。どちらも決して例外を作らず、たとえ同じ種族であっても、たとえ恩人であっても、決闘法を破ったり掟に背いたものには等しく制裁を加える。妖怪を愛することなどは当然許されず、次代に巫女を継承し、老いて朽ち果てて行くまで何も混じりけの無い、潔白の存在でなければならない。決してこの身に、私に足りない七割一部四厘の色を彩ることは許されない。分かっている。アリスを受け入れることで生じるであろう全ての障害を乗り越えることなど非常に困難だと言うことは。なのに、無様にも諦めることが出来ない。口先では常に平等と歌いながら内では妖怪に想いを馳せる。とんだ茶番劇だ。
「いいえ?それは平等ではありません」
「え?」
「平等であるものですか。少なくとも、博麗の巫女にとっては、ね」
巫女にとっては平等じゃない?一体どういう意味か。
「ええ。そうよ…だってそうでしょう!!」
「うわ!」
そういっていきなり身を乗り出してくる紫。その目にはいつの間にか優しさではなく、不満に愚痴を垂らす子供のような色が移っていた。両肩を掴んで押し戻すと、はっとして咳払いをしながらまた蜜柑に手を伸ばす。まだ食うかこいつ。
「ずっとおかしいと思ってるのよ!何故博麗の巫女だけ好きな人と一緒になっちゃいけないのかって。博麗の巫女と言えどその素性は只の少女。当たり前の幸せの一つくらい掴んだっていいと思うの」
「…ゆかり?」
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、まるで魔理沙お得意の星弾幕のような密度で言葉をまくし立ててくる。
「そうよ。好きな人と生きるくらい許されて当然なのよ…!ずっと訴え続けてきた、巫女だって一人の命としての幸せを掴む権利はあると。けれども人里の連中は聞く耳を持とうとしなかった」
「まさか…あんたがそんなことを」
「それどころか、この私を『巫女を利用し我らを喰らおうとする妖怪たちの象徴だ』なんてのたまって危険視するし、それ以降何らかの形で神社に干渉し巫女の日常を監視しだす始末!あなたは気づいてないかも知れないけれど、もう三代ほど前からずっと神社は監視の目がついてるのよ。何回監視する連中を掃除してもキリが無くてお手上げ。まるでゴキブリねぇ。ちなみにアリスが告白したときも居たのよ?…気配を絶っているようだけど、恐らく今も見てるでしょうね」
「…」
人里と紫の間でそんなことがあったのか。それに監視されているって?この私の勘をもってしても気づかれないなんて相当鍛錬した者に違いないだろう。三代前って大体何年前かは知らないが…というよりも、紫が人里に直接談判するとは…博麗の巫女に、ひいては幻想郷の掟に対してそこまで考えていたなんて。…まさか。
「ねえ、もしかして紫が頻繁にここに顔出すのって…それに何回も私たちの仲をかき混ぜたのも…」
「…只の暇つぶしですわ」
…やはりそうか。辛辣な言葉で私たちを遠ざけたり何度も神社に居座っていたのは、私をそいつらの監視の目から遠ざけるためだったのか。だとしたら、紫は…。
「ねぇ紫、あなたは私とアリスのこと」
「ん?…勿論、成就して欲しいと思っているわ?」
…では今までの紫の態度は自分たちではなくその人里の連中を見張る為だったと言うことで、私はそれらを全て思い込み、勘違いをしていたのか。てっきり私が妖怪に傾かないように釘を刺してきていたものとばかり…。
「ごめんなさいね。実際は私も背中を押してあげたかったんだけど、そうすると奴らが霊夢だけじゃなくてアリスにまで介入してくると思って。卑怯にも博麗の巫女としての立場を利用してあなたを追い詰めるような真似をしてしまった…謝っても謝りきれない」
「そんなこと。こっちも…えと、ごめんなさい。勘違いして反発するようなことを。…でも、アリスは人里の連中ごときに遅れを取らないと思うけどね。それにそんな連中私たちなら一気に掃除できるでしょう?」
「もしあなたが突き進んでいたら恐らく奴らは魔法の森の四方から火を放っていたでしょう。それにね霊夢。私はどんな者でも迂闊に人間を減らせないの。思想だってどうしようもないわ。あれは生き物だもの、簡単にどうこうできない」
「…最低の下衆ね」
どうやら人里には人種や思想に相当複雑な事情があるのだろうが、それでは平等どころの話ではないではないか。
「全くよ。でもね霊夢、今更都合のいい話しとは分かってるわ。でも、私も漸く決心が出来たから、全力であなたを、いえあなた達を応援するから」
「それは…信じてもいいのかしら?」
「ええ。信じても…、いいえ、信じて欲しいの…!」
紫が博麗の巫女の仕組みに疑問を抱いているのも、人里にマークされているのも、それに気づかない私を留めていてくれたことも分かった。でも解らないことがまだある。それはもっと根本的なこと。
「…紫は」
「ん?」
「紫は何でここまで私たちを気遣ってくれるの?」
「…」
「理由が無いわ。巫女だからと言うならアリスまで気に掛ける必要が無いもの。どうして?」
「それは…」
途端に紫の纏う空気が一変する。それまでの喜怒に彩られたオーラは完全に消え果て、今は只哀の感情しか読み取れないほどに。その目に涙は見えないが、差す光が薄く重くなったような気がする。…心なしか少し小さくなっているように見える。一体…。
「あなたのお母さん。先代がね」
「母さん?…先代が、どうかしたの?」
「私のせいで…死んでしまったからよ…」
「…ええ!?」
予想もしていなかった衝撃的な一言が飛び出し一瞬思考が停止する。それは一体どういう意味か。私の母親?紫のせいで死んだ?母親と言っても私は生まれたときから親は居なかったし、居たとしても物心のつく前のことだから全く覚えていない、いやむしろ知らないと言った方が正しいかもしれない。その先代…母さんが紫のせいで死んだとは一体どういう意味なのだろうか。
「あの子はね…私に恋をしていたの」
「…そうなんだ…」
「あまり驚かないのね」
母さんも、妖怪に恋をしてたんだ。何故だろうか、不思議と驚かなかった。
「その人は私すら容易に包み込んでしまえるような包容力の持ち主だった。最初こそ私の説得や今となっては古い掟に従い人間の男との間に子供を身篭ったけど、やはり諦められずに男と別れてまで私に突き進んできた。後で聞いた話では別れを切り出したのは事情を知った男の方からだったらしいわ。笑顔で送り出してくれたそうよ」
じゃあ私はそのときの子供と言うことか。全く実感は沸かないが。
「最初、私は拒絶し続けた。知っての通り私は人里の一部過激派には『巫女を利用し人間を喰う妖怪』という考えを持たれていたから、だから彼女にまで迷惑を掛けられないと言った。でも彼女は全く諦めなかった。ずっと私に構ってくれて、人里も何としても説得すると息巻いて。長い長い時間の中で、生まれて生きてきて初めてのことだった…誰かに恋に落されるのなんて」
「紫が…」
母さんは紫のことを本当に愛していたのか。語る紫の表情が非常に愛おしそうだ。しかし、その顔は徐々に暗くなっていく。
「でも…意味を成さなかった。人里の過激派が私の冬眠シーズンを狙って彼女を襲ったの。彼女がその身に子を宿していて、もうすぐ生まれそうだと分かったから行動を起こした。妖怪に傾いた彼女を殺してお腹からあなたを取り出し育て、自分たちに都合のいい巫女を仕立て上げようとしたの」
「ほんと下衆ね…。それで、どう…なったの?」
「…異変に気づいた私は飛び起き必死になって駆けつけた。でも元々冬眠時期で力が極端に減った状態で、傷ついた彼女を護りながら妖怪退治専門のシャーマン20人の相手は骨が折れすぎた。徐々に押されていき、気づいたら彼女は私を庇って…」
…それで私が殺した、か。確かに取り様によってはそう考えることも出来るだろう。護れなかったら殺したのと一緒だと。もし私が同じ立場だったらそう思っていたかもしれない。でも、それでも私は紫が殺したとは思えなかった。どう考えた所で諸悪の根源は過激派であるし、殺したのも過激派だ。しかし紫にそう告げても彼女は頑なに首を横に振って譲らなかった。
「次に気がついたときには私は母屋に駆け込んでたわ。どうやって20人ものシャーマンを殺したのかも全く覚えていなかった。とにかくそのときは彼女を助けたかった。彼女の傷は酷く、人間のままでは修復が困難なほど出血も激しくて、だから私は彼女の人妖の境界を操ろうとしたの。妖怪化すれば私の妖力を分け与えれば何とかなるかも知れないから。でも、彼女は首を横に振って譲らなかった。最期に言ったわ。『自分はもう助からない。だからせめてこの子…霊夢を助けて欲しい。そして出来るなら幸せにしてあげて欲しい。この子も、この子が愛しこの子を愛した人も。…最後まで面倒かけてごめんなさい…紫……』と」
「………」
「あなたを彼女から取り出したとき、あなたの産声を聞いたとき決意したわ。もう二度とこのようなこと起こさせないと。必ずあなたを幸せへと導こうと」
それが紫の私を助ける理由だったのか。私の母さんとの最後の約束を果たす為に…。
「それでも私はどこか迷ってたのね。いくら監視を受けていたとは言え、あの時あんなことをしてしまった。こんなことならもっと早くあなたに伝えるべきだった」
「確かに初の告白を遮られたのは酷かったけど…けど仕方なかったんじゃない。それにあのときの私なら突っ走っただろうから黙って汚れ役したんでしょ?逆に感謝すべきよ」
「ありがとう霊夢。…でももう覚悟したわ。だから…行きなさい霊夢」
「え…だけど紫、ここは」
そう、今だって見張られているはずだ。
「大丈夫、後のことは全て私に任せなさい」
「でも」
「いいえ違ったわね。霊夢、ここは私に任せて欲しい。約束を果たさせて欲しいの」
「紫…」
「だからあなたは…全力で幸せになって」
その菫色の目に強い意志が映る。その奥には誰がどう言おうと揺るがない信念がしっかりと見て取れた。
「……ええ、分かった。…ここは任せる」
どうなるかなんて予想はつかない。でも、そうと決意すればすぐ行動、即断即決が私の売りだ。紫に軽く挨拶をすると、服装すらまともに整えず、上着すら着用せずに地を蹴り空中に舞い上がった。秋特有の爽やかで温かみのある蒼い空。ゆったりとした日差しを背に受けながら、アリスの家を目指して駆け出した。
全力で幸せになるために。
今まで言えなかった答えを言うために。
…
「行ったわね」
彼女の飛び去ったあとの軌跡を眺めながら、どこか一仕事終えた気分にひたる。
「掴んできなさい」
でもまだ終わりではない。正確にはこれからあと一仕事こなさねばならないのだから。
「私たちがたどり着けなかった、幸せを」
さて…今宵のパーティーを始める前に、
「本格的に寒くなる前でよかったですわ。これなら心置きなく。…12…いや16人かしら?舐められたものね」
料理を皿に盛る前に、
「さあ、始めましょう。あなた達は宴の手向けにもならないのだから」
テーブルを掃除しなければならないのだから。
…
夜。まだまだ草木が眠るには早い時間帯。魔法の森は何時もと変わっていなかった。
魔法の森は年中胞子や魔力が渦巻いている。だからだろうか、ここは季節の影響を全く受けていないようだ。風向は絶えず変化し、気温はほとんど変動しない。ただ、鈴虫のような虫がりんりんと鳴いているだけ。まるで外と隔離された世界、その中を勇ましくも臆病風を吹かせながら突き進む。目指すは白いドールハウス。あなたの住まう白い城。自然と遅くなる足取りと速くなる鼓動。
「大丈夫。落ち着くのよ。何も怖がる必要は無いわ。ただ想いを伝えるだけよ」
そうだ。何を怖気つく必要があろうか。私は只、幸せになりに行くだけなんだ。先代と紫が守り抜いてくれたそれを掴みに行くだけなんだ。
やがてゆっくりとあなたの家が見えてくる。
「…思えば、私から意思表示するのは始めてね」
今思い返せばいつでもあなたから行動してもらってばかりだったような気がする。初めてあったときも半ば彼女から突っかかってきたし、次のリベンジ戦も春冬異変のときも、ほとんどあなたから向かってきてくれた。告白のときもそう。多分、私のほうが先に好きになったのに、それでも告白したのはあなただった。でも、理由がありこそすれ私はそれを撒き続けてきた。だから、今度こそ私が己の意志であなたに答えるんだ。
そうだ、待たせすぎたんだから返事をしたら一杯抱きしめてあげよう。キスだって嫌って言うほどやってやるんだ。そして耳元で好きって、愛してるって伝えるんだ。先代と紫の望んだ幸せを、私たちは手に入れるんだ。
「アリス…」
この後のことを考えると自然と胸が熱くなる。早く着かないかと足が自然と速くなっていく。
しかし、私を不安に駆るような事態が起こる。
「…結界がない」
何時もなら自宅周辺に結界を張るあなたが(それでも魔理沙なんかには簡単に破壊されるが)今に限ってそれを展開していないのだ。
「…何かしら。これは…様子がおかしい…!」
あなたは基本的に研究の邪魔をされるのを嫌う。だから、大体なら結界が常に三重で張られているのだ。
なのに、今はその結界が一枚も無い。たまたま張っていなかったことも考えられる。それに今は研究をしていないのかもしれない。しかし、私の博麗としてではない自身の勘が何故か必死に警鈴を鳴らしているのだ。ただ急げ急げと繰り返しているのだ。
「アリス…お願い、気のせいであってよ…!」
私の思い違いであって欲しいと願いながら、目前のあなたの家に全速力で突っ込む。足に霊力を集中させスライディングし扉を蹴破りそのまま居間に転がり込む。砂煙を払うこともせずに顔を上げるそとの先には…。
「止めだ」
「待て…何者か」
「アリス!!」
「れ、霊夢?来ちゃ、駄目…!」
目の前に見えるのは何だ?ぼろぼろのカーテンに割れた窓ガラス。倒れた食器棚に散乱した人形たち。大規模なスペルでも使ったのか天井が吹き飛んでいる。明らかに実験中の事故ではなさそうだ。そして、フローリングに膝を折って、肩から派手に血を流しているあなたの姿。周りに目を移すと妖怪の動きを阻害するお札が散乱している。更に、5,6程の倒れた人間たちの下、私の丁度目の前、正確にはアリスの正面に陣取っている人間が数人。黒い戦闘装束に妖怪用の殺妖札と殺妖針を携えた仮面の人間たち。それはまさしく人里に拠点を置いている妖怪退治の専門家であるシャーマンだった。手に持った針には血がべったりと付着しておりぽたぽたと雫を落している。あれは…あなたの、血?
「…アリスをこんな目に会わせたのはあんたたち?」
自分でも驚くほどの低くどすの利いた声がもれ出る。視界が狭まり、あなたを傷つけたであろうそれらしか見えなくなる。
「博麗の巫女よ。我らの”神聖なる清めの儀”を邪魔するでない」
神聖なる清めの儀…スペルカードルールもない頃、和平を乱した妖怪や人間を粛清する際に行われていた処刑の呼び名。大方博麗の巫女に取り入り謀反を起こそうとした妖怪を粛清するなどと言うのだろう、紫のときといい芸がない。そんな詭弁をかざしたところで所詮は自分たちに邪魔な妖怪を殺したいだけだろうに。自然と拳に力が入る。あなたの血が付いた針を見るだけで私の血が沸騰するようだ。
「逃げて、霊夢…!この人間たちは…あなただって、容赦しない…!」
逃げる?冗談じゃない、今やもう目の前のシャーマンどもしか目に映らない。容赦しない?望むところだ、こちらとしても逃がす気はないのだから、地に這い蹲させて同じ目に会わせてやる。自然と足が地から浮く。
「…その行為、愚かとしか言いようがない」
「よいのか。まだこちらの段は」
「よい。これには劣るが素質のある者はいる。有事の際には傀儡を用意する」
「それにこの機を逸する手はない。博麗の巫女を手中に収める好機なり。何事も、現場にて柔軟に対応せねばならぬ」
何やらごちゃごちゃと話し合っているようだがそんなものは耳に入っては来ない。森の魔物用に持ってきていた起爆札を握り締める。面倒だとそのままにしていたリボンに隠した封魔針が今になって役に立つとは思いもしなかった。数にして5人。どうやら神社に張り込んでいたのは囮か見張りなのだろう。だが、そんなことはもう気にしない。紫には悪いが幸せを掴むのはこいつを消し炭にした後だ。
「いざ、天誅」
シャーマンが構えを見せると同時に私の中の怒りの臨界点も突破した。
「よくも…アリスを!!!!!」
「がはっ」
「…速い、な。流石は博麗に選ばれるだけのことはある」
針を結界による屈折で軌道を折り曲げ、向かってきた一人目の頭に突き刺す。残りはすぐさまに左右に展開し四方から札による拘束を敢行しようとしてくる。が、そんなもの紫の弾幕に比べたら満月と三日月くらいの差だ。隣に転がっている机の残骸を防壁にして隙を縫うように滑りぬけ距離を取る。
「甘い」
「そっちがね」
「何…しまっ…」
同じように追尾してきた男の横、詳しく言うと机の脚に貼り付けていた起爆札を即座に起爆する。男はその言葉を最後まで言うことなく真横に吹っ飛んでバラバラに四散していくが、周りの連中はそんなものに目もくれない。
「流石だ」
「しかし仕舞いだ」
目の前には大量の札で編んだと思われる荒縄で作った網が迫ってくる。後ろには壁。左右からは二人のシャーマンが針を投げつけてくる。絶体絶命のような状況。しかしこんなもの、網なんてフランのスペルにもあったし針だって咲夜のナイフ投げの方が上手いほどだ。頭のリボンに手を突っ込み、針を持てるだけ掴み出す。そのまま左右に向かってランダムに投げ飛ばし、その後間髪入れずに起爆札を投げつけて爆発させ、自分は結界を張り世界の間を縫うように射程圏外に離脱する。次の瞬間。
「なん…だと…」
爆発によって突貫力が増した針が熱を持ったままバラバラに二人に飛散する。当然、避けること叶わず頭や胸に突き刺さりそれらは床に折れて行く。
大分針を使ってしまったが、これで残り一人だ。こいつらの装備を見る限り、狙いは妖怪一人のみだったのだろう。人間かつ巫女の私が来るなんて予想していなかった分装備が貧弱だ。これなら行ける。
「見事なり。しかし我らも務めを果たさねばならぬ」
「言い残すことなんて聞かないから言う必要ないわ」
「左様か…いざ、参らん」
馬鹿正直に直線で突っ込んでくるシャーマンにたじろぐことなくその頭目掛けて札を投げつける。しかし男はそれを両手で防御し爆発の中を突き破って尚も直進を止めることをしない。両腕とも肘から下が完全になくなっても尚口に針を咥え突き進み、一瞬の隙を突いて私の脇をすり抜け力なく倒れているあなたに向かっていく。
「させない!」
その足に向けて最後の針を投げつける。しかしそれすらも左足を犠牲にすることによって切り抜け、残った右足に全ての力を込めて突進する。
…不味い、間に合わない。
「我らの…勝利だ」
「アリス!!!」
「…え?」
気づいたときには亜空穴を使ってシャーマンとあなたとの間に立っていた。
・・・
「…れいむ?」
「…怪我はない?」
目の前にはあなたの顔。よかった、見る限りでは肩口の傷以外大きなものはなさそうだ。しかし、あなたの顔は酷く歪に歪んでいる。傷が痛むのだろうか。でももう大丈夫だ、さっさと永遠亭に行って手当てを受ければ治るはずだから。
「…れいむ…あなた」
「…無事でよかった…ごふっ…」
「あ…」
服にじわりと何かが滲む不快感、妙に熱くて感覚のない腹部、いきなりこみ上げてきた血反吐。何が起きたかなんて明白だ。巫女服を貫通し、あなたの目の前にまで迫っている針。私の血がべっとり付いた針先。
何故?そんなの当たり前だ。
「…見事…な、り…」
「あり…す…」
「霊夢っ!!!!」
私があなたを庇ったのだから。
「霊夢!れいむ!!だめ!!!」
「…ぐぅ…ア、アリ、ス…」
意識が朦朧とする。血が止まらない。当たり前か、曲がりなりにも妖怪の硬い皮膚を貫くことを前提に作られた針は、私のような人間の肉を貫き通すぐらい簡単な訳だ。下に目線を下げると赤い巫女服を更に深紅に染めた風穴が開いていて、どくどくと血を流していた。
「ぐ…止まってよ、止まってたら!どうして!?空間凍結魔法は私でも使えるはずなのにっ」
「…あ、ああ」
「霊夢、だめ!!死なないで!!」
「アリス…き、聞いて」
もう碌に力の入らない腕に鞭を打ち何とかあなたの頬を伝う涙を拭うが、上手く拭えずに綺麗な頬に血化粧を施す結果になった。落ちそうになる手のひらを掴まれる。今にも死にそうな私よりもその手は冷たくて。安心させようと笑顔を作るが上手く頬が上がらず、下手に空いたままの口からヒューヒューと空回りした呼吸音が響くだけ。なんとか穴の空いた腹に力を込める。せめて、あなたの気持ちに答えを出してから。それまで保てばいい。
「霊夢あきらめちゃだめ!」
「アリス…ね。わた…し」
「霊夢…?」
「ごめん…なさ、い。ひゅー、今、まで答えら…れずに、かはっ…、ゎ、わたし、あなたがずと…あなたのことずっと…」
「だめ!!」
涙によってくしゃくしゃになった声で盛大に遮られる。更に大粒の涙を溢れさせ、あなたはまたくしゃくしゃな声で語りかける。
「霊夢…あなた、私に答えだけ聞かせて死ぬ気…?」
「おねがぃ…き、いて」
「聞かない!だって言ったら霊夢死んじゃうもん!!そんなの嫌!!」
「あり…」
相変わらず底冷えするような冷たく凍えた手と、時折カチカチとぶつかる顎を懸命に抑えながらあなたは脇に転がっていた魔道書―――グリモワールオブアリスを手に持つ。そのまま決心したように、私にはよく分からない詠唱呪文を唱えながら魔道書のロックに手を掛ける。でも確かその魔道書は…。
「だ、だめよ…アリス、それ、は…あなたの姿を…」
「ええ。確かに、今の私を留めているのはこの魔道書の膨大な魔力と術式のおかげ。だからこれの封印をといて魔力をほかの事に使うのはかなりのリスクを伴う。でもそんなの構わない!この魔力があればあなたの傷を癒すことだってできるかもしれないんだから」
「でも、それ、であな…たに、もしものこと…あったら」
「いい」
強く言い切るあなたは封印を解く手を止めない。駄目だ。あなたが私が死んだら嫌だと言う様に私だってあなたに何かがあったら嫌だ。もうほとんど感覚の無い拳であなたの腕を掴む。するとどうしたことか…あなたの腕は冷たいような、あったかいような、そこに居るような、居ないような奇妙な感覚を伝えてきたではないか。多分、魔道書の封印を解こうとしているために自身の魔力の流れが不安定になっているのだろう。とても危険な状態だ。
「あ、り、す…やめ…」
「霊夢」
だが、何故かあなたはこの上ないほどの穏やかな表情を見せながら私に言い放った。
「あえて言うわ。霊夢、その傷が治ったら一緒になりましょう」
「…ぇ」
「だから霊夢も完治したら私に答えを頂戴…約束よ?」
…なんだろうか。かなりの危険を伴ってるはずなのに。
私は腹部に大風穴開けて血を流して、あなたは魔道書の封印を解いて存在が揺らいで。普通は望みなんて無いと絶望するだろう。想いだって伝えることはきっと今を置いてもう無いだろう。互いに只消えるのみかもしれない。でも、それでも何故か、妙な安心感があった。
魔道書の鍵が外れ、本の中身から膨大な魔力があふれ出る。周りの音が掻き消え、無音となる。ふと外を見ると気の早い椛が紅葉し落葉を落していた。まるでこの空間だけ切り取られたかのようだ。その静寂に深い睡魔を覚える。隣のあなたを見ると、あなたも夢見心地にまどろんでいて。この隔離された箱庭の中ならゆっくりと眠れそうだなんて場違いなことを考えた。最後の力を振り絞りあなたの掌を握り締める。何だかとても暖かった。何故だろうか、根拠の無い自信とでもいうのか。次に目覚めたときに、あなたに素直に答えを言えそうな気がする。多分、いや絶対言うんだ。たとえ次に目覚めるのが10年後だったとしてもそれでも言ってやる。力の入らない掌であなたのそれをきゅっと握ると、ぎゅっと握り返されたような気がした。よかった、これならよく眠れそうだ…。
夢の中のあなたは、とても幸せそうに笑っていた。
・・・
「…ん」
長い長い夢の中から覚め、深い深い闇の中に居た意識が急浮上を果たす。眠気にぱりついたまぶたをこすり、妙に重たく感じる体を傾け横に目線を向ける。
「霊夢…!やっと目覚めたのね。良かった」
「…紫?」
どこだろうかここは。周りを見ると清潔感の漂う白いシーツに囲われたベッド台が並び鼻を啜るとほのかにだがざまざまな薬品の匂いがする。…どうやらここは永遠亭のようだ。誰かが運んでくれたのだろうか。腹部の痛みが全くないことを不思議に思い白い胴着だけになっていた服をめくってお腹を見てみると、綺麗さっぱり跡形もなく傷が消えているではないか。紫の顔を見ると分かってるとばかりに説明をし始めた。
「ごめんなさい、迂闊だったわ。神社に居たシャーマンたちが妙に少ないと思って急いでアリスの家に駆けつけたとき、あなたは丁度アリスに抱きしめられるように気を失っていたわ。二人ともかなり危ない状況だった」
「私たちを運んでくれたのね。ありがと」
「いえ、私はてっきりあ」
「霊夢!目が覚めたのか!?」
バーンと勢い良く扉が開け放たれ、そこから金髪白黒の女性が現れる。
「魔理沙、病院では静かにしてくださいな?」
「おっといけないいけない、私としたことがついはしゃいじゃったぜ」
「…え?だれ?魔理沙?」
「おいおい、寝ぼけてるのか」
これは何だ。目の前の人間は確かに魔理沙に見えないことも無い。しかし、おなじみ古風な魔女ルックの服装こそ身につけているものの、何時もの少女ではなくそれは間違いなく『女性』にしか見えなかった。小さかった体は私よりも大きく成長しており、癖毛だった金髪も幾分か落ち着きを持ち薄くストレートがかかっているようだ。絶壁だった胸は適度にふくらみを見せており、それは全く私の知っている彼女のものではなかった。
「…今失礼なこと考えなかったか?」
「いや、そんなことは…。それよりもどうしたのそれ。胸が悲しすぎて成長魔法でも編み出したの?」
「歳取ってまで大きくしたいなんて思っちゃいないぜ…」
「じゃあどうして」
「あー、今までずっと寝てたから気づかなかったのか?お前、5年間ずっと眠ってたんだ」
「へぇ5年も?……ってえええ!?」
5年!?まさか、そりゃあんな傷だった以上相当な入院生活は覚悟していた。しかしまさか入院生活以前に目覚めるのに5年もかかってしまうだなんて誰も思うまい…。紫の背後に鏡を発見し、軽く覗き込んでみる。確かに顔つきも体の大きさも何処もかしこも私が最後に見た自分よりも大人びていた。胸に手を触れる。…まあこちらはいい。しかしそんなに寝込んで…って。
「そうだ!!…っててて…」
「おお?急に動くなよ、寝っぱなしだったんだ。体中なまってるだろ?」
「ほんと、体が鉛みたいね…。じゃなくてアリスは!?あの子5年も待って…っいたた」
そうだ。私が助かったのはアリスのおかげじゃないか。あの時あなたが魔道書の封印を解いてくれたおかげで今の私の命があるのだ。
…ふと嫌な考えが頭によぎる。『今の私を留めているのはこの魔道書の膨大な魔力と術式のおかげ』…思い込みかもしれないが、今の私の体内にはあなたの魔力が満ちているような気がする。最後まであなたの手を握っていた手は心なしか温かいような気がしてぐっと拳を握る。答えなきゃいけない。あの時の約束に。
「アリスは無事なの!?何処に居るの!?」
「れ、霊夢…落ち着けって……」
「落ち着ける状況じゃない!」
「霊夢、アリスならここから最奥の病室にいるわ」
「最奥の病室ね、分かったわ」
掛け布団をひっぺ返すとひんやりした空気が体中に密着してくる。体感温度からして今は秋なのだろうか、光の届きにくい竹林の中では少々肌寒い。しかしそんな瑣末事はどうでもいい。上着もスリッパもつけず裸足で立ち上がる。久しぶりに感じる重力により足首が悲鳴を上げているがあなたに逢うためだ。気にしてなどいられるか。
「お、おい紫」
「アリスが待ってるわ。いってあげて」
「ありがと、恩に着るわ紫!」
・・・
霊夢が走り去ったあと、病室には私と魔理沙だけ。
「行かせてよかったのか?」
「正直、分からないわ」
「おいおい…」
どうやら私はまた同じ間違いを繰り返したようだ。霊夢をアリスの元に行かせたのは私がそれを認めたくないからかもしれない。迂闊だった。油断した。言い訳などいくらしても仕方がない。結局私は貴方との約束を果たせなかったのだ、霊夢とその想い人だけでも幸せにすると貴方と約束したと言うのにそれを破ってしまった。後悔はいくらしてもしきれない。
…でも、もしかしたら、とも思う。今までの歴代の巫女たちの中でも異質で特質、それでいて突出している霊夢。怠けているように見えて異変の解決率も群を抜いて高いし、数多の妖怪を退治してきたと言うのに妖怪たちからも随分好かれている。それも只の妖怪ではない、妖精、鬼、蓬莱人に吸血鬼、天狗に悟りに果ては魔法使い。勿論人間からも好かれる彼女。それでいて何にも屈しない性格。これだけのイレギュラーな要素の揃った巫女なのだ、誰だって思わずにはいられない。霊夢なら宿命にさえも屈しないのではと。真実すら打ち砕いてくれるのではないかと。そう信じずにはいられないのだ。だから…。
「霊夢…アリス…」
「…紫。何を考えてるかは知らないけど、霊夢なら大丈夫だと思う」
「え?」
「だって霊夢なんだから」
「…理論になってませんこと」
「お前が言うなってーの」
「…全くですわ」
「はは」
「全く。…そうね。霊夢なんだもの。ありがとう、魔理沙」
「お、おう!礼にはお、及ぶぜ?…あれ?」
・・・
走った。ただ走った。ひたすらに走った。途中ですれ違った宇宙兎が深刻な顔で何かをこちらに言っていたが何も気にならなかったし気にもしなかった。ただ走って走って奥を目指した。その先にはあなたがいるのだから。私との約束に焦がれているであろうあなたがいるのだろうから!
「…はぁ…はぁ…5年寝てただけで…、こんなにも体力が落ちてるなんてね」
ここ永遠亭は病室なども含みそれなりに広い。しかし、それは家屋という区切りの中ではと言う意味でだ。にもかかわらず高だか百数十メートルを走っただけなのに息切れがするなど相当体力が劣っているのだろう。疲労によりガクガクと震える手足を良く見ると只でさえ細かったものが更に細く見える。手首なんか今にも折れそうだ。…通りで胸も大きくならんわけだ。
「すぅ…はぁぁ…。さて…気を取り直してっ…」
病室の前で軽く息を整え、乱れた服装も…といっても胴着しか着ていないが、とにかくそれも整える。さっきまで走っていたためか、又はこれからのことに対してかは知らないが激しい胸の鼓動は当分収まりそうになかった。何とか気を落ち着かせて扉を叩く。
「アリス?私、霊夢だけど…いる?」
「…」
軽くノックして語りかけるが返事はない。入って来いという意思表示だろうか?あなたの家に行ったときも良く玄関先で返答がなかったことがあったし、もしかしたら手持ちのソーイングセットで人形の修繕作業に精を出しているのかもしれない。意を決して引き戸に手を掛ける。大丈夫だ、私はただ約束を果たすだけ。だから落ち着いて油断せずに行こう。とにかくまず最初は謝ってそれからだ。5年も待たせたんだから誠意を見せなくては。
「入るわねアリス。…ごめんなさい!5年間も待たせちゃって!私あなたにへん……え?」
…結論から言うとあなたはその部屋に居た。確かにそこに居たのだ。しかし、その蒼い瞳は開かれてはいなかった。部屋の中央に位置するベッドの中静かに寝息を立てているだけだ。何時も忙しなく主の周りで浮いている人形も今は枕元に寝かされているだけ。…これって…まさか。
「えっと…まだお休みなの?」
周りには用途不明の物々しい機会群があるのみ。その中でもひときわ目を引く緑色の折れ線が流れる機械がピッピッピッと規則的な音を放っている。ベッドに近づいてもあなたは寝相一つ変えず、規則正しい呼吸をするだけ。その顔を覗き込むと仄かに微笑んでいるかのようで。これじゃまるで眠り姫じゃないか。
「はは、あんた5年会わない内に寝るときはこんな大掛かりな機械身につけるようになったの?」
分かっている、こんなものただの強がりだ。でもいいじゃないか。まさか本当にこんな。…そういえばさっきすれ違った宇宙兎は何て言っていた?あなたに逢いに行くのに必死で何も耳に入っていなかったが、冷静になって思い返してみるとそのときの言葉が鮮烈に脳裏に蘇ってきた。
―――彼女未だ目覚めないの。多分、望み薄いわ。
「そんな…そんな馬鹿なことがあると!?」
無意識のうちに叫んでいた。5年ぶりに出した腹からの大声は錆付いた喉を掻き毟るような痛みを孕ませているが、そんなことは気にならなかった。気にすることができなかった。おかしいだろう?私は腹部に風穴空けて、臓物潰して尋常じゃない量の血をぶちまけて。それでもこうして生きてる、目覚めているというのに。なのにあなたは眠ったまま目覚めない。私を助けたばかりに目覚めない。
「そんな…」
目の前が暗くなり何も見えなくなる。今更になって重力が何倍にも感じるようになって、自然と足がガクガクと震えだす。痛いぐらいに握り締めた拳からは血が滲み、噛み締めた口からは鉄の味が広がって行く。
「ねえ、アリス。私助かったよ?あんたのおかげで」
5年の月日はかかった。けど確かに私は生きいて、今目覚めている。なのに。
「ほら、あんたも、何時まで寝てんのよ?あんた言ったじゃないの、約束だって」
あなたは尚も答えない。その微笑んだままの寝顔が今は怖い。あなたは今も目覚めない。私なんかを助けたばかりに。答えを聞けない聞かせれない。
「あんたがずっと待ってた答えを聞かせてあげるんだから!約束を果たすんだから!だからアリス!!」
ベッドが軋み声を上げるほどあなたの肩を揺さぶっても、人形のようにただ揺れ動くだけで。
「だから…目ぇ…覚ましてよぉ…」
耳鳴りが酷く煩く聞こえる。痛い。耳が痛い。目が痛い。鼻が、拳が、腹が、腰が、胸が…心が痛い。何も聞こえない。痛いほど静寂が広がっている。あなたの寝息が聞こえない。生きてるはずなのに。急に足元が覚束なくなって下を見た。するとサラサラと何かの砂のようなものが流れ落ちている。私の腹から。別段、傷が開いたわけでもないし涙が伝っているわけでもない。何だ、これは…。これは…この感覚は…魔道書の魔力?……アリス…アリスの魔力…アリスの力…私を救ってくれた…アリスの………アリスの、いのち。
「――――――っ!!!!」
甲高い電子音が頭に響く。今のは…幻?ただ電子音が鳴る静寂の世界。私の過呼吸気味の呼吸音すら聞こえない。そこに…そこにはあなたの、声は…ない。私の声は、届かない。
「あ…あ、ああ、ぅああああ!!あああああああああぁああああぁぁあああああああぁあああぁあああ!!!!!!」
結局、私は約束を破ったのだ。
・・・
「…」
次に気づいたらあなたの家に足を運んでいた。
割れた窓ガラス。爆散した人形の破片。バラバラに割られた食器棚。全てが5年と言う年月を感じさせないままの状態で放置されている。どれが奴らがやったもので、どれが自分でやったものなのか全く検討もつかない。しかしあれだけ暴れたと言うのに、死体を含め奴らの痕跡は全て片付けられていた。おそらく紫がやってくれたのだろう。最早扉なのか窓なのか分からないところから家に侵入する。目指すは居間。私とあなたが約束したところ。
「…ぁ」
さっき随分と叫んだためかもう掠れた声しかでなくなっている。目の前に目線を配るとそこには1冊の本が落ちていた。封印の解けたあなたの魔道書、グリモワールオブアリスが。屋内とはいえ傷んだ家屋。表紙にはうっすらときのこか何かの胞子がかかってまるで古い蔵の中に長年放置され続けた古書のようになっている。開くと中にはしわがれた白紙が広がっているだけだった。恐らく、ほとんど絶命状態にあった私を蘇生するために魔道書の魔力を全て使い切ってしまったのだろう。ぼろぼろのそれを胸に抱いて床にごろんと寝転ぶ。微かに血の匂いがするが、果たして私のものかあなたのものか。穴だらけの壁から時折屈折した光が差し込んでは周りの壁を間接的に照らす。ただぼうっと上を見上げていた。…静かだ。小鳥のさえずりすら聞こえないほどに。音と言えば、時折吹いてくる隙間風の音が耳に微かに届くのみである。本を抱く力をもっと強めると胸部から腹部にかけて圧迫される。
「お腹…減った…」
酷く空腹だ。そういえば私は眠っている間何を食べていたのだろうか。あの月の頭脳のことだ、恐らく何らかの栄養素を直接血管から注ぎ込んでいたのだろう。しかしやはり胃を介せずに栄養を取っても腹は膨れないもので。でも、とてもじゃないが今は胃が何も受け付けそうにない。何もいらない。水すらもいらない。ただ上をボーっと眺める。天井に空いた大きな穴を下から覗き込む。体の力を全て抜き深く息を吐く。何をするわけでもなく、ただひたすらに上だけ眺めていた。ずっとずっと、それこそ壊れた観測台の望遠鏡ようにただ一点を眺めて。ぽっかりと空いた天窓から覗く青空をずっと見ていた。
「………あ……月…満月…」
あれからどのくらいたっただろうか、時間の感覚が酷く曖昧で朦朧としている。気づいたらいつの間にか天窓の中身は青空から満月に入れ替わっていた。…寒い。それもそうか。今は秋、季節に疎い魔法の森もほんのりと紅葉を見せているほどなのだ。胴着一枚しか着ていない身にとってはそれこそ冬の寒さのように感じる。…寒い。けれど、気温が低いと景色が良く見えるのは気のせいだろうか、穴から覗く満月は酷く鮮明で、まるであの永夜の異変のときのようだ。いくら寝ても朝が来ず不思議に思って来てみれば、丁度あなたたちと出会ったんだっけ。あの時は魔女二人がかりによってたかってボコボコにやられたものだ。あなたは終始無表情だったが、時折心配そうな顔をしていたのを私は見逃してはいない。去り際にさりげなく傷薬を置いて行ってくれたときには、不覚ながらガッツポーズをしたのも覚えている。
鈴虫のような鳴き声と共にそよ風が吹き込んできて、カサカサになってしまった魔道書の表紙を撫でる。
…もう、あの冷たいようで冷たくない無表情や、興味なさそうで心配そうな顔すら見ることができないのか。…私のせいで。
「…このまま寝たら、夢の中ぐらいはあんたに会えるかな」
「止めとけ、この時期の森で寝たってどこぞのサボり魔の世話になるだけだぜ」
突然、足元から誰かの声が聞こえる。何処となく凛々しさが見えるが、根元に元気さが滲み出ている声。何時の間に近づいたのか足元に魔理沙が立っていた。何時もの魔女ルックに少し古い色した青いケープ。間欠泉騒ぎのときにあなたに作ってもらったケープをまだ大切に着けている様だ。手元を見るとバスケットを持参している。バスケットに掛けられた布の間からどこか懐かしさを覚える香ばしい香りが立ち込めていて、嫌でもお腹が鳴ってしまう。重い腰を起こすと私にも胞子が散っていたようではらはらと白い粉が舞い落ちた。
「探したぜ?ほら、上着。その格好じゃ寒いだろう」
「何の用?」
「お前が飢えてるだろうからと折角魔理沙様が直々に食事を料理してきてやったと言うのに」
「…食べたくない」
「別に魔法で拘束して口に流し込んでもいいんだぜ?」
そう言ってバスケットの中から、保温魔法でも使ったのかまだ白い湯気の立ち込めるパイを取り出す。さっきも思ったがどこか懐かしい香りがする。…この香り…どこかで?…そうだ、確かあれはまだあなたが告白してくる前に…丁度今居る部屋でご馳走になったパイの香りと似ているんだ。
「この香り」
「ああ。アリスの作ってたパイの香りだ」
「何で?」
「5年前のあの事件が起こる10日ほど前か、アリスから貰ったんだ、レシピ。私はもう作り方が頭に入ってるから大丈夫だって」
「…」
「泣くなよ…」
「泣いてない!」
ただ泣きそうになってるだけだ。ごまかすように魔理沙からスプーンを半ば奪い取るように受け取る。魔理沙が小さくやれやれと笑いを漏らしたのはこの際見逃しておこう。潤んだ瞳をごまかすようにスプーンをパイ生地に突きこむと、サクッと軽い音と共にクリームシチューの香りがいっぱいに広がる。何だか心のどこかが温かくなるようだった。そんなことだけでも余計に泣きそうになってしまい、魔理沙に見られないように顔を俯けながら冷ましもせずにシチューを絡めたパイを口に含んだ。…酷く懐かしい味がする。
「…おいしい」
「ああ、美味いな」
「あんたが自分で言ってどうするのよ」
「アリスの作ったレシピだ。不味いわけないだろ?」
「…そうね」
「言っておくが私だって料理は得意なんだからな」
暖かい。優しい味が5年間ほとんど何も食べていないお腹にすっと入っていく。そういえばあれの起こる前、あなたが最後に作ってくれたのもこのシチューだったか。そんなことをぼんやりと考えながらパイをお腹に収めていく。5年間も食の無かった胃が突然の食べ物に拒絶反応を起こさなかったのは偶然か必然か。
・・・
「ご馳走様」
「あったまったかい?」
「ええ。寒くはないわ」
「…そっちの方じゃないんだけどな」
それから私たちは特に何をする訳でもなく、只ひたすらに空とその上に輝く満月を眺めていた。時折魔理沙とどうでもいいようなことを語り合いながら。
しかし、私はあの出来事のことは話す気になれなかった。ただ、私が眠っている5年の間に何か異変でもなかったかとか、相変わらず魔理沙は胸が小さいとかそんなどうでもいいようなことばかり。
「なあ霊夢」
しかし、そんな戯けた時間も終わりだとでも言うかの様に魔理沙は声のトーンを下げて話を振ってくる。
「お前が寝てる間な。そりゃ色んなことがあった。まず人里だが、お分かりの通り博麗の巫女はもう駄目なんじゃないかって話で持ちきりだった。過激派が何かしら事を起こすかとも思ったんだが特に何もしなかったよ。恐らく霊夢が負傷することは計算に入ってなかったんだろう」
全く人里も暢気なことだ。勝手に人を殺してくれるなと言いたい。
「次に紅魔館。こっちは特にトラブルも無かったよ。霊夢は眠ってたから知らないけども、館の住民皆でお見舞いに来てたよ」
レミリアや咲夜はともかく、フランやパチュリー、美鈴まで一緒に来るとは。そこまでされるようなことはしていないつもりだったのだが…。どこかくすぐったい気持ちに駆られる。
「白玉楼は変化すらなかったよ。…妖夢がどっかの妖怪殺し犯の魂を斬っちまったようだがな。永遠亭は何時も通り変わらぬ回転。洩矢神社からは早苗が見舞いに来たなぁ。私の見る限りでは他の連中の中で一番霊夢を心配してたと思う」
「へぇ…」
意外なこともあるものだ。散々人のことを馬鹿にしておいて挙句ボコボコにのされ、その後も飽きずに私を堕落巫女と呼び人里の信仰不足を私の責任にしてきたあの巫女が、私のことを一番気に掛けてくれていたとは。…辛辣な態度は照れ隠しだったのか?
「その他の奴らも、お燐とか幽香とか…2,3回見舞いに来てくれた。ま、霊夢は眠ってて全く知らないだろうがな」
「あいつらにまで心配掛けちゃったかしら。今度お礼にも…」
「…ああ、あと一つ」
割り込むようにさっきと明らかに違うトーンで呟く。まるで心底嬉しそうな、又は悲しそうな声をしながら。
「霊夢が寝てる間にな。一回だけ…アリスが霊夢のこと呟いたんだんだよ。只の寝言かも知れないし、もしかしたらあの事件のフラッシュバックが脳内で起こったのかも知れない。でも、確かに呼んだんだ。…幸せそうな寝顔してさ」
「…」
また耳鳴りがしてくる。折角温まった体が悪寒に包まれ無意識に震えだす。あなたはどんな夢の中にいて、どんな状況で、どんな気持ちを抱きながらその名を呟いたのか。願うなら幸せな夢の中であって欲しいが、もしそうなら私はあなたの夢の国に居座る資格はない。答えをあげられず、守ることもできず、逆に傷付けたと言うのにあなたの夢の中まで厚がましく居座るなんて私には許されないのだ。私は…。
「霊夢」
「!」
不意に泥沼の思考に漬かりかけていた肩が掴まれる。目線を上げるとそこには黄金に輝くまっすぐな瞳が、5年前と全く変わらない優しい目があった。
「なあ霊夢。私思うんだ」
「な…にが?」
「あの時アリスはどんな夢の中で、どんな状況で、どんな気持ちで霊夢のこと呟いたのかは分からない。もしかしたら悲しい内容だったのかもしれない」
「…」
「でもな霊夢。それがどんな内容であったとしても…あの時確かにあいつはお前を呼んだ。霊夢のことを呼んだんだ」
「え?」
どういうことか未だに計りかねる私の瞳を見て、魔理沙は更に語る。
「アリスの性格は知ってるだろ?」
「…ええ。知ってるわ。無関心なようでその実凄く気に掛けてくれて、冷たいようでその実凄く優しくて、意地っ張りなようでその実凄く素直なのよ…」
そうだ。あなたは何時も澄ました顔して興味がないと言うけれど、実際には少しの変化にも真っ先に気づき心配してくれた。あなたは何時も変わらない表情をして知ったこっちゃないと言うけれど、実際にはいつも優しい顔して手を差し伸べてくれた。あなたは何時も頑固な表情をして何でもないと言うけれど、実際には必ず最後には素直な表情を見せてくれた。
「良く分かってるじゃないか」
まるで私が最初からこう答えるのが分かっていたかのような態度だ。どこか嬉しそうな表情を湛え、魔理沙は私の肩に手をつき真っ直ぐに見据えながら続ける。
「そうさ。アリスはそういう奴さ。だがな霊夢。それはお前にだけだったんだよ。お前だけを気遣い、お前だけに優しくて、お前だけに素直な本当の自分を見せてくれてたんじゃないか」
「私だけに…」
「そのアリスが…たとえ夢の中とはいえお前の名前を呼んだんだ」
…果たしてあなたはどのような夢の中で私を呼んだんだろうか。楽しい夢だったのかも知れないし、もしかすると怖い夢だったのかも知れない。私はあなたを傷つけた。私のせいであなたは目覚めなくなってしまった。なのにそんな、それでも、私はあなたにもう一度顔を合わせることが許されるのだろうか。
あなたに答えを聞かせることが許されるのだろうか。
「あーもう霊夢らしくないな!」
「な、何よ」
「あの時アリスが夢を見ていたとして、楽しい夢を見ていたのならアリスはお前も誘おうと声を上げたんだ。楽しさをお前と共有する為に声を上げたんだ」
「怖い夢を見ていたのなら?」
「だったら尚更お前を呼んだんだよ!怖くて怖くて仕方ないから、恐怖から助けて出して欲しいから、寂しいから好きな奴にそばに居て欲しいから…だから呼んだんだ」
「…魔理沙」
体の内から何かがこみ上げる。先程目覚めたとき、あなたに会いに行こうとしたときにもこみ上げるものはあった。でもそれは期待から来るこみ上げだった。でも今は違う。今はただあなたが目覚めることへの切望と、あなたに伝えるべき希望からこみ上げるものが私の世界を支配していた。
「魔理沙」
「うん?」
悪寒も耳鳴りも恐怖ももう感じない。今は只あなたのそばに行きたかった。只それだけだ。
「今度おごるわ。神社で夕飯でも」
「ああ、楽しみだ。勿論そこには居るんだろうな?」
「ええ、当たり前じゃないの。私と紫と…アリスがね!」
・・・
「…行ったか」
霊夢の飛び去った後の星空を見つめる。満天の星空だ。これなら願いを一つぐらい叶えてくれるかもしれない。
「ごめんなさいね?本当なら私が言わなければいけないことを」
「紫の口から謝罪が出るなんてな」
後ろからスキマが開き、気が滅入っているのかいくらか小さく見える紫が姿を現す。
「かまわないさ。こういうのは私向きだ。それに、霊夢がだらけたときは紫が、霊夢が落ち込んだときはアリスが、霊夢が迷ったときは私が、それぞれ渇を入れるって決まってるしさ」
「…ふふ、そうだったですわね」
少しクマのできた目元を扇子で隠してうっすらと微笑む。久しぶりの笑顔だ。
「それに、霊夢のためだけにやったわけじゃないさ。半分は私のためさ」
「あなたらしいですわね」
そうだ。半分は私のためだ。確かに親友のあいつが傷つき迷ってるところを見るのは嫌だったし、友人同士の恋愛が上手く行って欲しいとも思っていた。でも、それと同じほどに、私はとある誰かが嘆いているのを見ているのは嫌だった。
「…紫、こっちこっち」
「どうかしたの?」
「ここから上を見てみろよ。丁度抜けた天井が天窓みたいになって満月が丸見えだぜ?」
「あら本当。綺麗ですわ」
この5年間人里に目を光らせ、霊夢とアリスを見守り、碌に寝ず、碌に食べず、冬眠期間すら削って身を削いでいた君。いくら妖怪とは言えかなりの無茶を続けてきた君。
「見上げるだけじゃ首が痛くなるだろう?」
「あら、歳だとでも言いたいわけ?」
「違うよ、ほら。こんなところになんとも魅力的な…膝枕があるだろう?」
「…あらあら、明日は霧雨でも降るのかしら」
5年間気を張り詰めていた君。いくら強いといっても精神を消耗していた君にはさぞ辛かったことだろう。霊夢とダブルで見ているこちらも辛かった。
だから。
「飯も作ってきた。どうせ食べてないだろう?」
「…ホントどうしたのかしら。パイの残飯処理とでも?」
「バーカ、あれはもう無いよ。私の手作り和食だ!美味いぞ?」
「…本当に明日は隕石でも降るのかしらね」
だから、今までハラハラさせられた分、こちらの我侭に付き合ってもらうさ。
「…ふふ、言ってろ。…ばーか」
・・・
「ぜぇ…ぜぇ…。…は、吐きそう…」
魔法の森から永遠亭の治療室の前まで全く減速せずに飛びぬいたため頭が360度回転したかのように平行感覚が薄れている。途中で宇宙兎と因幡の素兎、及び月の姫を蹴飛ばして飛んできたがまあ気にはしない。酸欠なのか足元が覚束ないがそんなこと全て瑣末事に過ぎないのだ。少なくとも、あなたの前では。
「…」
目線の上には先程は気づかなかったが特別治療室の文字が浮かんでいた。耳を澄ませると未だに中からあの電子音が響いてきているのが分かる。息が詰まりそうになるが、今の私にはそんなことぐらいで恐怖など感じるはずもなかった。それでも緊張に震えた指を動かし戸を開く。
「…入るわね」
ベッドの上には相変わらずうっすらと微笑んだまま眠るあなた一人と人形一体が眠っているだけ。先程と違うのは窓から差し込む月明かりがあなたを包んでいることぐらいか。
「アリス…」
近づいてその頬に指を触れる。流石は妖怪といったところか、5年間経った今でも全く変わらない弾力と柔らかさを持っている。あのとき顔に傷ができなくて幸いだった。それでも仮にあなたが人間だったとしても、その綺麗さは変わらないままだっただろうが。
「アリス」
「…」
呼びかけても返事は来ない。当たり前だとは理解しているが悲しい気分になる。でも。
「アリス」
「…」
「アリス…」
「…」
「…ありす…」
「…」
「…アリス」
「…」
それでも私はあなたの名前を呼ばずにはいられなかった。まるで今までの5年分の「アリス」を今言うかのように何度もあなたの名前を呼び繰り返す。
「…あ、りす…あっ」
「…」
ふと気づくと頬には冷たい一筋が伝っていた。泣いている。私が。泣くことなど絶対に許されないであろう私が。あふれ出る涙は止めようと思っても止まらない。それでも私は構わず呼び続けた。
「アリス」
「…」
「アリス」
「…」
「アリス…アリス、アリス、アリス。…ありすぅ…」
「…れ、ぃむ…」
「!!」
不意に呼ばれた名前。一瞬想いが通じたのかと思ったが、顔を覗き込んでもその瞳は開かれておらず静かな寝息が聞こえるのみだ。まだ夢の中に居るのだろうか。だとしたらそれは楽しい夢なのか悲しい夢のなのか。…あのときの夢なのか。
「ごめん」
「…」
「ごめんねアリス」
「…」
あなたの傷一つ無い肌に一つ二つと水滴が落ちる。それは月明かりを反射して光りながら頬を伝っていく。まるであなたが泣いているみたいだ。
「…もし。もし、あんたがあの時の夢を見ているのなら」
果たして、そこに居るのは慈悲すら見せぬ妖怪殺しの集団か。又は力なく横たわる人形たちか。それとも…腹部から血を流し倒れる私か。
「そこに力ない私が映っているのなら」
だとしたら…。
魔理沙の言葉がよぎる。―――怖くて仕方ない、助けて出して欲しい、そばに居て欲しい…。
「私が、たとえ現実において力が無かったとしても」
それでも、あなたのそばに居たいと強く願う。強く、望む。
「アリス…!」
「…」
手を握る。私を救ったあなたの両手を、あなたを救いたい私の両手で包み込む。酷く汗をかいているくせにガクガクと震えるだらしない指を絡める。少しでも、あなたに私を分けてあげれるようにと願いながら握る。祈り、望み、願いを込めてぎゅっと握る。
「私…!」
「…」
私はここにいる。あなたのすぐ隣にいる。手をぎゅっと繋いでいる。ここであなたの帰りを待っている。あなたに届けたい想いがある。あなたに伝えたい答えがある。あの時あなたに伝えることのできなかった想い。あなたに届かなかった答え。立場なんか関係ない。紫が、先代が、あなたが、私が…ただ望んだ本当の気持ち。
今度こそ逃げずに伝えるから。だから。だからお願い。
「あなたに答え、持ってきたから…もう逃げないから…」
「…」
「目を…あけて…」
「…」
「お願い…目を開けてその瞳に私を映して…アリス…!」
「…」
「答えを聞いて!私の大好きなアリス!!!」
衝動的な行為だった。そっと、あなたの唇に自分のものを触れさせる。この想い、あなたの心に直に伝えたくて。あなたの気持ちを解りたくて。
「…アリス」
「…れ…ぃ」
「…ありす?」
月明かりを淡く反射する顔を覗き込む。綺麗に縁取られた睫毛が震え、…そっと蒼色の瞳が姿を現した。只ひたすらに求め待ち望んだ視線が交差する。
5年ぶりの瞳が、私を射抜いた。
「…おはよう、れいむ」
「っ!ばか!何よ人をこんな気持ちにさせといておはようって!!」
「…うん?どうしたの霊夢。…泣かないでよ」
これはもしかしたら夢なんじゃないかと思う。目が覚めたらまだ天窓から月でも眺めているんじゃないかと思う。でも、流れる涙を拭うあなたの指は確かな温かさを持っていて、これが夢ではないと教えてくれる。
「ばかばかばか!もうぅ…」
「霊夢…?」
それがたまらなく嬉しくて、幸せで、それ以上で。
「…ぐす、ええ。アリス、おはよう…!」
静かな空間。機械の音も聞こえない空間。周りに舞う微弱な埃たちとそれら全てに降り注ぐ月明かりだけがこの空間の全てだった。そのまるで箱庭のような幻想的な空間で、私はあなたと抱きあって泣いた。喜びに、幸せに、只ひたすらに泣いた。
・・・
「ねぇ、アリス」
もしかしたらまたこんなことがあるかもしれない。
「何かしら」
人里の過激派は消しても消してもまた姿を現す。思想とはそういうものだ。
「聞いて欲しいことがあるの」
それでももう二度と彼女を危険な目には合わせないと誓える。
「…何をかしら」
私はもう迷うことを止めたのだ。
「解ってるくせに」
博麗の巫女が何だ。人里の連中が何だ。人間が何だ。妖怪が何だ。
「解らないわね。だから詳しく聞かせてもらう必要があるわ?…全く、待ちくたびれたわよ」
そんなものくそ喰らえだ。私はもう躊躇しない。あなたにこの想い、答えを伝えるんだ。
「…望むところよ」
あなたにずっと、6年間も伝えられなかった想い、今ここで伝えます。だから、聞いてください。
「…伝えることは…」
そう、伝えることは只一つ。簡単なことだ。今までずっと言えなかった分の重みを乗せて、届け、この想い。伝われ、この答え。
「あなたのことが…」
先代が望んだ、私が求めた、紫の望んだ、あなたの求めた、私の幸せ。私たちの幸せ。私とあなたの掌でそっと、ぎゅっと、
「―――ずっと大好きでした」
今、掴もう。
機械群?
ハッピーエンドがやっぱり一番ですね!
気持ちが良すぎて反吐が出そうです。
でも初めてにしては凄いと思います。
これからも頑張って下さい