絶えず霧がただよう霧の湖、そのほとりに一軒の洋館がそびえ立っている。
全体的に紅い色調をしており、スカーレットデビルと呼ばれる吸血鬼が住まうことから紅魔館と呼ばれている。
紅魔館の門番こと紅美鈴の目は、館に近づく存在を捉えていた。
全身黒づくめに白エプロン、それに三角帽子と典型的な魔女スタイルの少女。
荷物で満載のリヤカーを重そうに運びながらこちらに歩いてくる。どちらかというと小柄な体格の少女には辛そうだ。
少女は門前でリヤカーを止めると、帽子を脱いで金髪を大気に晒しながら門番に挨拶をした。
「よぉ、美鈴。元気してるか?」
「こんにちは、霧雨魔理沙。おかげ様で元気よ。何枚?」
美鈴は両足に力を込め、いつでも飛び出せるよう前傾姿勢をとりながら訊ねる。
何枚、という問いかけはここ幻想郷で主流の、弾幕ごっこによる決闘に用いるスペルカードの枚数である。
決闘者はあらかじめ、その決闘で用いる予定のスペルカード枚数を宣言することになっているのだ。
しかし霧雨魔理沙と呼ばれた少女は、その質問に首を横に振る。
「ああいや、今日はやる気は無い。今日はって言うか、まあその、普通に客として来たんだ」
「……? 何をたくらんでるの?」
「はは、酷いな。信用のなさに落ち込むぜ。まあ、これまでのことを思うと仕方のないことか……」
自嘲気味に笑う魔理沙を、美鈴が何か珍しい生き物を見るかのような目で眺める。
無理もない。今まで魔理沙が普通の客として来たことなど数える程しかなく、来訪のほとんどが正面玄関からの強行突破であった。
美鈴はその度に弾幕ごっこに付き合わされたが、修練の相手として申し分ない上に、暇な時間も多い門番という仕事柄、話し相手になってくれる魔理沙のことは嫌いではなかった。
よく見ると、彼女の代名詞とも言える魔法の箒すら持ってきていないようだ。
美鈴はとりあえず警戒の構えを解くと、目の前の少女を案じるように訊ねた。
「どうしたの? らしくないじゃない。いつもの箒はどうしたの?」
「そっ、そうか? 別に普通だぜ。箒はその、荷物になるから置いてきたんだ」
魔理沙がワタワタと両腕を振りながらごまかす。
これ以上の追求をされたくないのか、慌てた様子でリヤカーを指差して続ける。
「そうだ、ちょうどいい。ちょっと手伝ってくれないか?」
「なに? さっきから気になってたけど、随分と大荷物ね」
魔理沙が運んできたリヤカーは汚れ防止のためと思われる布で覆われているが、その布が小さな山を作っている。
「パチュリーに借りてた本だぜ。返しにきたんだ」
「……よくもまあ、そんなに」
美鈴はその多さに呆れるよりも、そんな重いものをここまで歩いて運んでこられたことに感心した。
「ここまでは何とか歩いてこられたが、館の中はそうもいかないからな。こんなの引張って階段でぶちまけでもしたら、咲夜の奴が怒るだろう?」
魔理沙の言葉に、美鈴はメイド長である咲夜の怒った顔を思い出す。
「……確かに、想像するだけで怖い。まあいいわ、パチュリー様のところに運べばいいのね?」
「ああ、ありがとな、美鈴。助かるぜ」
美鈴の腕をポンと叩いてウィンクする。
その時だけは魔理沙に普段の調子が戻っていることに何故か軽い安堵を覚えた美鈴は、そんな自分に内心苦笑しつつリヤカーを持ち上げて門をくぐった。
◆ ◆ ◆
「ど、どういうことなの? 貴女ほんとうに魔理沙なの?」
「……」
地下大図書館の主、パチュリーはペタペタと魔理沙の顔を触りながら魔道書を開き、早口に呪文を唱える。
魔法の知識がある魔理沙は、それが魔法解除の類であることに気づいた。しかし魔理沙にも魔法の構成の全てが理解できないことから、極めて高度な呪文を唱えていることがうかがい知れる。
「傀儡魔法をかけられているとか、別人が魔法で成りすましてるってことじゃないようね」
「いくら私でもそろそろ傷つくぜ……」
本の返却に来た魔理沙を出迎えたのは、何か信じられないものを見たとでも言いたげな顔をしたパチュリーだった。
魔法解除に始まり、魔理沙に関する質問に答えさせられ、果ては風邪を疑われ熱まで測らされた。
その応対にいい加減うんざりした魔理沙が不満を口にするが、パチュリーは意に介さず続ける。
「何か変なものでも食べた? そうだ、いつも妙ちくりんなキノコを採っては研究と称して食べたりしてたわね。危ないからやめなさいってあれほど言ったのに。いいこと、カエンタケはいくら貴女でも死ぬわよ」
「なあ美鈴、この失礼極まりない魔女になんとか言ってやってくれよ」
「え、ええと……」
急に話を振られた美鈴が苦笑して首を傾げる。
ここまで本を運ぶのを手伝った美鈴だが、内心はパチュリーと同じ意見なのだろう。
表情からそれを読み取ったのだろう、魔理沙が大げさにため息をつく。
「はぁ、お前らの気持ちはよーく分かった。まあ、私が悪い……よな。今までごめんな、パチュリー。これからは借りたものはちゃんと返すし、勝手に持って行ったりしないからさ、許してもらえる……かな?」
「……む、むきゅぅぅぅぅぅ……」
帽子を脱いで両手に持ち、指でもじもじと弄りながら上目遣いで謝る魔理沙と、それを見て卒倒するパチュリー。
本の整理をしていた小悪魔が慌ててパチュリーを介抱するのを横目に、魔理沙はそのまま何も盗らずに帰って行った。
◆ ◆ ◆
「あの子、死ぬ気かもしれないわ」
場所は再び紅魔館の地下大図書館。ただし魔理沙は既に帰っており、パチュリーが卒倒してから数時間経過していた。
小悪魔の献身的な看護により復活したパチュリーは、すぐさま紅魔館緊急対策会議を招集した。
会議用の円卓には紅魔館の主でありパチュリーの友人でもある吸血鬼レミリア・スカーレットとその従者の十六夜咲夜、そしてパチュリーとその助手の小悪魔が同席していた。
議題は『霧雨魔理沙の変調』について。
「"死ぬまで借りる"が口癖の魔理沙が本を返しにきたのよ。きっと何かあったのよ。重い病気になったとか……」
普段からは想像もできないほどハイテンションでまくし立てるパチュリーとは正反対に、レミリアは心底興味なさげに頬杖をついて眠そ
うに顔をしかめていた。
「くっだらないわねえ、寝てるところを叩き起こされたから何かと思えば。そんなのどうでもいいじゃない」
レミリアは吸血鬼のため外出予定が無い場合、昼間は基本的に眠っている。
今日は起床予定の二時間前に起こされたため、寝不足で若干不機嫌のようだ。
それを聞き、今まで聞き役に徹していた小悪魔が口を挟む。
「パチュリー様は、あの白黒のことがお気に入りだから心配されてるんですよ」
「ちょっとこぁ、余計なことは……」
「へえ、詳しく聞きたいわ。言ってみろ、小悪魔」
止めようとするパチュリーの言葉を遮るレミリア。ここに来て初めて興味のあることに直面し、眼を輝かせている。
こうなってしまった友人はもう止められないのを悟ったパチュリーは、額に手を当てコッソリとため息をつく。
小悪魔はそんなパチュリーを尻目に、促されるままに言葉を続けた。
「以前、パチュリー様に私から本をお贈りしたのですが、それが白黒に盗まれたんです。でも、パチュリー様が大切なものだと仰ったら、後日あの白黒が本と貴重なマジックアイテムを持って謝りにきたんです。それ以来、パチュリー様は白黒に甘いんですよ」
「フーン……経緯は分かったけどさ、それって不良がたまに優しいところ見せると評価が上がるってヤツじゃないの?」
「私もそう言ったんですけどね、パチュリー様はこう見えて一途なお方なんですよ」
「へぇ、あの七曜の魔女様がねぇ」
ニヤニヤとパチュリーを眺めるレミリア。
「コホン……こぁ、後で覚えてなさいよ」
「はーい」
何故か嬉しそうな小悪魔と、顔を赤くしてジト目で睨むパチュリー。
ここで給仕役として紅茶を淹れていた咲夜が会話に加わった。
「それで、魔理沙は何か心変わりの理由を言ってましたか?」
「聞く前に私が倒れちゃったのよ。美鈴の話じゃ、弾幕ごっこすらせずに客として通してくれと言ったらしいわ」
「メイドとしては、玄関や図書館で暴れられるよりよっぽどいいですわ」
「それはそうだけど……不気味なことに変わりはないわ」
なおも食い下がるパチュリーに、レミリアが肩をすくめる。
「何にせよ、行儀が良くなったのならいいことじゃない。咲夜も、あの黒いのを毎回かくまうのは大変だろう?」
「……気づいておられたのですか、お嬢様」
「咲夜も大概、あの黒いのには甘いわよねえ。まあ面白い人間だとは思うから、私も見逃してるのよ」
紅茶を一口。
「まあ何にせよ、心配せずともあの黒いのは殺したって死にやしないわ。重い病気になったのなら治す方法を求めて幻想郷中を飛び回るクチよ」
レミリアの発言に、咲夜と小悪魔が苦笑しながら頷く。何か思うところがあるのだろう。
「だけど……」
「まあ、優しいパチェが後輩魔女の世話を焼いてやりたい気持ちは分からないでもないけどね、私にとってはどうでもいいことだよ」
「むきゅう……」
それ以上の反論の言葉を持たず、パチュリーが口をつぐむ。
沈んだ様子の友人を見かねたレミリアは、やれやれと苦笑すると助け舟を出してやることにした。
「なに、ここらには情報を集めることにかけては打ってつけの迷惑な輩が揃ってるだろう? そういうのを利用すればいいさ」
◆ ◆ ◆
「号外ごうがーい、撮れたて写真に刷りたて号外ですよーっ」
雲ひとつ無い澄み切った空によく通る声が響き渡る。
声の主はカラス天狗の射命丸文。新聞記者として『文々。新聞』を不定期で発行している。
新聞の売れ行きはさほど良く無いが、かなりはた迷惑な取材を繰り返しているため、その知名度は群を抜いていると言えた。
文々。新聞は他の天狗が発行する新聞に比べればまだしも事実を伝えており、また号外がやたらと多い。
号外は定期購読していなくとも強制的に配布されるため、不要なものにとっては無用の長物となる。
博麗神社の巫女こと博麗霊夢もその一人であった。
「ああ、もう。またゴミが増えた」
境内を掃除していた霊夢は、今しがた空から落ちてきた新聞を指でつまみあげた。
目の前で定期購読を迫ってくる相手であれば『新聞勧誘お断り』の御札で撃退もできるが、上空から一方的に投げ捨てられてはさしもの霊
夢もなす術が無かった。
「ンモー、また倉庫が狭くなるじゃないの」
霊夢は読まない新聞を倉庫に保管している。
保管する意味は無いが、人は誰でも読み終わった新聞をキチッと折りたたんで片付ける。誰だってそうするし、霊夢もそうする。
一つ違う点は、霊夢は配られた号外を基本的に読まないということだ。ただし、今日は違った。
何気なく紙面に落とした視線に、よく知る人間の顔と名前が飛び込んできたのだ。
「……『霧雨異変』?」
倉庫へ向かっていた歩みを止め、縁側に腰掛けて記事を目で追う。
いつもの癖で湯のみを探るが、手は空を切るばかり。掃除が終わった後に用意するつもりだったことを思い出すと、霊夢は再び記事に集中した。
「霧雨魔理沙、長きにわたり盗難(ルビ:貸し出し)中だった紅魔館大図書館の私蔵図書を全冊返却する……はぁ?」
眉をひそめて続きを読む。
「霧雨魔理沙は門を平和的に通過し、帰宅の際も盗品ゼロ。紅魔異変以降続いていた紅魔館大図書館の蔵書盗難被害が422日ぶりに解決……何よ、コレ」
「ふふふ、どうです、大事件でしょう」
記事を読み進めていると、すぐ傍から声をかけるものがあった。
霊夢が記事から顔を上げると、そこには号外の発行主、射命丸文がいつの間にか立っていた。
「どうも、毎度おなじみ射命丸です! どうです巫女さん、あの悪名高い霧雨魔理沙が本を返す! これを異変と言わずして何と言いましょう!」
拳を握り締めて力説する文とは対照的に、霊夢はにべもない。文の足元に新聞を放り投げる。
「くっだらないわねえ、人の掃除の時間を邪魔しといて何かと思えば。そんなのどうでもいいからそれ持って帰ってよ。ゴミ増やされたくないのよ」
「あやや、お気に召しませんでしたか?」
「あんたの新聞は読んでてお気に召すっていうより気が滅入るわ。大体ねえ、魔理沙が本を返そうが返すまいが興味ないわよ」
「これは手厳しい。ですが『死ぬまで借りる』を公言する人間が、ですよ? ひょっとしたら己の死期を悟ったのやも」
大げさにため息をつきながら、霊夢。
「あのねえ、あの子が死ぬとこ想像できる? 例え死んだって三途の川で暴れて戻ってこようとするタイプよ」
「それはまあ、そうかもしれませんが」
「大方、変なキノコでも食べて一時の気の迷いを起こしたのよ」
「その辺のこと、ぜひ本人に取材したいと思って家を訪ねたんですが逃げられたんですよねえ。あの泥棒さんは、人間にしては素早い上に、魔法の森ではあちらに地の利がありますから。神社には来ていませんか?」
「さあ、ここんとこ見かけないわね」
それで会話は終わりとばかりに手をヒラヒラと振って立ち上がる霊夢。
「くだらない記事ばっかり書いてないで、たまにはウチの神社の宣伝でもしてよ」
「それはもう、購読の契約をしていただければすぐにでも」
「新聞勧誘お断り!」
霊夢が懐から対新聞拡張団用の御札を出すが、文が立っていた場所はすでにもぬけの空になっており、カラス特有の黒い羽が数枚、宙を舞っているのみであった。
またゴミが増えたことに悪態をつきながらすぐ横を見ると、御丁寧にさっき投げ捨てた号外がキチッと折りたたまれて置いてあった。
「……次見かけたら問答無用で調伏してやるわ」
霊夢が固い決意を新たにしていると、裏手の方から物音がした。
一瞬、先ほどまでいた文が隠れているのかと思ったが、逃げ足だけは速いあのカラス天狗が隠れる意味が無いことに思い至る。
「誰? 出てきなさい」
機嫌が悪いため、妖怪の類なら有無を言わさず痛めつけてやろうかと思いながら誰何の問いかけをする。
物音の主は返事をするべきか逡巡したようであるが、やがて観念したように問いかけに応えた。
「…………霊夢か? 今いく」
シンボルマークの帽子を目深に被り、ソロソロと顔を見せたのは先ほどまで話題に上がっていた霧雨魔理沙、その人であった。
◆ ◆ ◆
「まったく、勘弁してほしいぜ……」
かくまって欲しい、と拝む魔理沙を部屋に通し、お茶を淹れたところで魔理沙が事情を話し始めた。
「何か知らないけど、今朝からあの新聞記者に追っかけ回されてるんだよ」
「文なら、さっきまでここにも来てたわよ」
「なんだと!?」
「魔理沙と入れ違いで帰ったけどね」
思わず腰を浮かせる魔理沙がホッとしたように再び腰を下ろすのを待って、先ほど文が置いていった新聞を読ませる。
読み終えた魔理沙は憤懣やるかたないといった様子で新聞を放り投げる。
「何だよ、この記事」
「知らないわよ。あんたがやったことじゃないの?」
「私は借りてた本を返しただけなんだがな。何でこれが記事になるんだ?」
「あんたが借りたものを返すのが、それだけ珍しいってことよ」
「失礼な、まるで私が借りたものを返さないみたいじゃないか。返さないわけじゃない。死ぬまで借りてるだけだぜ」
「世間一般では、それを返さないって言うのよ」
お茶をひとすすり。
「文が言ってたわ。『死ぬまで借りる人間が返すのだから、死ぬんじゃないか』って」
「私が死ぬ? 私はまだ死ぬ予定はないな」
「そうでしょうね、長生きしそうだもの」
「とにかく、朝から追い回されてクタクタなんだ。もうしばらく休ませてくれ」
「別に構わないけど、文はしつこいからまた来るわよ。嫌ならちゃっちゃと退治しちゃえば?」
いつもの魔理沙ならとっくにそうしてるでしょ、と霊夢。
しかし魔理沙は首を横に振る。
「しばらくは弾幕ごっこもできないからな」
「ああ、キノコ断ち、まだ続けてるのね」
断ち物、というものがある。
神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを断ち、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰だ。
数日前にこの話を霊夢から聞いた魔理沙は、好物のキノコを断つ、と言い出した。
人間である魔理沙は、魔法の森で採れるキノコを魔法の触媒に用いている。
キノコを使わなければ魔理沙が使う魔法の威力、安定感は激減してしまう。当然、弾幕も満足に扱えなくなる。
スペルカードルール制定により、生命の危機が昔に比べ減ったとは言え、幻想郷でそういったことをするのはいささか危険であった。
しかし魔理沙の意思は固く、説得は無理だと悟った霊夢は願掛けが成就するか、魔理沙が諦めるまでの協力を申し出たのであった。
ちなみに、願掛けの内容は教えてもらえなかった。
「ああもう、ほっといて欲しいぜ……」
ちゃぶ台に突っ伏して両手をだらりと伸ばす魔理沙。
そのまま顔を横に向け、頬杖をついている霊夢を見やる。
「なぁ……霊夢は、なんで私が本を返したのか聞かないのか?」
「さあね、魔理沙には魔理沙の考えがあるんでしょうし。それに、ほっといて欲しいんでしょ。だったら聞かないわよ」
「へへ、まあな。ありがとな霊夢」
魔理沙が歯を見せて悪戯っぽく笑う。
「……お礼はそちらで受け付けてるわ」
頬杖をついたまま視線をずらし、ぶっきらぼうに賽銭箱を指差す姿に思わず魔理沙が吹き出し、霊夢が何よ、と怒る。
何でもないぜ、とニヤニヤする魔理沙に対し、今から文呼び出すわよ、と霊夢が脅しをかけたところで魔理沙が謝る。
「ところで、今日はご飯食べて行くんでしょ?」
いつもであれば肯定の言葉が即座に飛んでくるところであるが、今日に限って魔理沙はバツの悪そうな顔をしている。
「あー……いや、今日はいいや」
「あら、珍しいじゃない。ははーん、それも本を返したことと関係があるんでしょ」
「まあ、な」
さすがにこの巫女は勘がいい、と魔理沙は内心で舌を巻く。
「そ。まあ何だか知んないけど、しっかりやんなさい。かくまうくらいはサービスしてあげるわよ」
「ああ、サンキューな、霊夢」
魔理沙はそのまま日が暮れるまで霊夢と雑談を続け、礼を言って帰っていった。
◆ ◆ ◆
ここで時間は紅魔館緊急対策会議後、つまり号外発行の前日まで巻き戻る。
紅魔館に呼び出された射命丸文がパチュリーと打ち合わせをしていた。
「そういうわけで、魔理沙が過ちを犯さないか監視してほしいのよ」
「なるほどなるほど、これは確かに異変です!」
一連の魔理沙の行動を聞いた文は、今しがた聞いた情報を手帳に書き込んでいく。
ひとしきり書き終えた文は手帳を懐にしまい、もみ手をしながらたずねる。
「了解しました! この清く正しい射命丸にお任せください! ところで、肝心の報酬の方は……」
「分かってるわ、成功のあかつきには図書館用にもう一部、新聞を契約しましょう」
「あやや、ありがとうございます!」
「いいこと、くれぐれも魔理沙にバレないようにやるのよ」
「大丈夫ですよ、きっと面白くして見せます! それでは、私は準備がありますのでこれにてっ」
「ちょ、ちょっと、面白くするって何考えて……」
返事も待たず、一陣の風を残して文が飛び去る。
パチュリーの行動はあくまで魔理沙を心配してという純粋な動機だったが、一つの大きな過ちを犯していた。
よりにもよって、射命丸文に依頼してしまったのだから。
パチュリーは、強大な力を持つ自分の友人が、こと謎解きに関してはからっきしであることを再認識して頭を抱えた。
紅魔館の屋根の上に立った文が、魔法の森方面を見据えてニヤリと笑う。
「さーて、忙しくなりそうです。早速、号外の準備をしないと。でも、その前に……」
◆ ◆ ◆
「そういうわけで、魔理沙の保護者のアリスさんなら何か御存知かなと思って伺ったわけです」
魔法の森に棲む人形遣い、アリス・マーガトロイドは夜遅くの訪問にも関わらず文を丁重に出迎えた。
「別に私は、魔理沙の保護者ってわけじゃないのだけれど」
困ったように笑いながら答えるアリス。
「ややっ、嘘はいけませんねー。宴会の時でも、酔いつぶれた魔理沙をかいがいしく介抱してあげてるじゃないですか」
「それは……だってあの子、飲むペースってものを考えないんだもの」
アリスは自分から積極的に他人に関わろうとはしないが、魔法の森で迷った人間を泊めてやったりと基本的に面倒見が良い。
魔理沙の件に関しても意識してやっているという認識は当人に無く、単に最も世話のかかる人間が近くにいただけのこと、というのがアリスの弁であった。
「そうですか、これについてはまたいずれ。それでは次の質問です。魔理沙が借りていた本を返したことについてはどう思われますか?」
「それは私にとっては意外なことね。きっと、貴方達とは違う意味で」
「ほう、違う意味とは?」
「私もたまに魔理沙に本を貸すんだけど、いつもちゃんと返しにくるのよ。だから、パチュリーが本を盗られて困ってたっていうのは私にはちょっと信じられないことね」
「……は? 今、何と?」
衝撃を受けた様子の文の手から鉛筆が落ちる。
「だから、魔理沙は借りたものはちゃんと返す子よ、ってこと」
「これは……驚きました……」
落ちた鉛筆を拾った文が手帳に書き込もうとするが、芯が折れてしまっていることに気づいて新たに取り出しながら続ける。
「魔理沙の盗難被害に遭っているのは紅魔館のみならず、河童の河城にとりや香霖堂の店主なども被害者です。まあ、にとりは機械のモニターとして魔理沙を利用しているようですし、香霖堂の店主は魔理沙から不当にレアなアイテムを受け取ったりしているらしいので、持ちつ持たれつといったところですが」
「そう、あの子がそんなことを……」
「にとりや香霖堂にも、今まで盗られたものが全て返却されています」
文の説明を聞いたアリスが、しばらく考え込むそぶりを見せる。
「借りたのを忘れてて、あるいは返しそびれてて、まとめて返しに行ったってことじゃないのかしら」
「いえいえ、あの泥棒さんの口癖は『死んだら返す』ですからね。故意にやっていると見て間違いないでしょう」
「そうなの……」
「あややー、その様子だと、アリスさんにも理由は分からないようですね」
「ええ、ここ最近は研究にかかりきりだったし。お役に立てなくてごめんなさい」
「いえいえ、本日は御協力ありがとうございました!」
「こちらこそ、貴重な情報をありがとう」
アリスに見送られた文は帰途に着きながら一人ごちる。
「これはもう本人への突撃取材しかありませんね」
◆ ◆ ◆
文の取材攻勢が始まってから二週間。
昼夜や場所を問わない質問攻めに魔理沙は心底辟易しつつ逃げ回っていた。
家の場所も文に知られているため、昼間はほとんど家にいられず、夜遅くなってから帰宅して寝るだけの日が続いた。
「霊夢ー、いるかー? ちょっと邪魔するぜー」
空も満足に飛べない状態の魔理沙が移動できる範囲は狭い。
ここ最近、博麗神社に隠れる時間が増えているのは当然のことと言えた。
「いらっしゃい。今日も?」
「ああ、もう参ったぜ。しつこいったらありゃしない」
毎日のように来るため、ちゃぶ台の上には魔理沙用の湯飲みが既に用意されていた。
「ふー、疲れた」
逃げる途中で枝にでも引っ掛けたのだろう、魔理沙の帽子は破れやほつれが目立っていた。
見ると、身体にもあちこち擦り傷ができている。
大事にしているトレードマークの帽子を傷つけられて尚、キノコ断ちを続ける魔理沙。
そんな魔理沙の様子を見ていた霊夢は、湯飲みのお茶を飲み干すと不可解なことを言い出した。
「魔理沙、久し振りに弾幕勝負しましょ」
当然ながら、魔理沙は現在ロクな弾幕を撃てない。それは霊夢も承知している。
「あー? 何言ってんだよ、霊夢」
「ほら、いいからやるわよ。私は0枚でいいわ。あんたも0枚でいいわね。はい、それじゃスタート」
魔理沙の言葉を無視し、勝手に御祓い棒を構える霊夢。対する魔理沙は立ち上がってすらいない。
一枚の御札が魔理沙の額に飛び、ペタリと張り付く。
「はいピチューン。あんたの負け」
「何すんだよ、霊夢!」
「人生の負け犬は黙ってなさい」
御札がもう一枚飛び、魔理沙の口を封じてしまう。
モゴモゴと口を動かす魔理沙を尻目に、霊夢が続ける。
「さて、何をやってもらおうかしら。ご飯とか色々……は間に合ってるから、そうね。『今まで盗んだものを全て返す』っていうのを延長しようかしら。これならあんたもしばらく盗みができないし、幻想郷も平和になるわ」
「ん~~!」
「何、文句あるの? この罰ゲームがあんたには一番効くでしょ。弾幕ごっこに負けて盗品を返すのは恥ずかしいなんていうから、皆にも黙っててあげてんだから、つべこべ言わないの。」
そこまで言ったところで魔理沙に張り付いた御札をとってやる霊夢。
当然ながら魔理沙はすぐさま霊夢に食って掛かった。
「何なんだよ」
「シッ、ちょっと静かにしなさい。……もういいわ」
辺りにするどい視線を巡らせていた霊夢がほっとしたように座る。
「どうしたんだよ」
「あの天狗、床下に潜んで私たちの会話に聞き耳立ててたわ」
「げっ、嘘だろ?」
「もういないけどね、ネタを掴めたと思ったから退却したんでしょう」
巫女の勘で文の存在に気づいた霊夢は、これ以上の強行取材を打ち切らせるために一芝居打った。
本来なら弾幕ごっこの勝敗後に罰ゲームをさせるのはルールから逸脱した行為だが、霊夢と魔理沙は人間同士ということもあり、食事の準備などを景品によく勝負していることを逆手に取ったのだ。
一連の魔理沙の行動を、弾幕ごっこの罰ゲームということにしてしまえば一応の説明はつくし、魔理沙の頼みで秘密にしているということにすれば辻褄も合う。
霊夢の勘と機転に文は騙されたのだ。
助けられたことに気づいた魔理沙が、霊夢に礼を言う。
「すまん霊夢、恩に着る」
「……」
霊夢は無言で賽銭箱を指差す。相変わらず視線は合わせようとしない。
魔理沙は知っている。これはこの巫女なりの照れ隠しなのだと。
昔からの腐れ縁であるこの友人に、魔理沙は心から感謝した。
この日を境に、文の強行取材はパタリとやんだ。
翌日、霊夢が流した嘘の情報に基づいた文々。新聞の号外が配られた。
皆一様に納得した様子で、この件は次第に人々の記憶から消えていった。
ただ一人を除いて。
◆ ◆ ◆
久し振りに空が明るいうちに家に戻った魔理沙は、かつて盗品が所狭しと並んでスペースを圧迫していた部屋を見て一人ごちた。
「いつまで続ければいいのかなぁ……」
文の追求が終わった今も、魔理沙のキノコ断ちは続いていた。
魔理沙の願掛けは、未だ成就していないのだ。
夕食の準備をする。今日のメニューは焼き魚に納豆にワカメのみそ汁。
みそ汁にはいつもならなめこやエリンギを入れるところであるが、断ち物をしている今はできない。
一人寂しく夕食を終えた魔理沙は、後片付けをして早々にベッドに潜り込む。
ここ最近の疲れがたまっていたこともあり、程なくして明かりを消し忘れたまま眠りについていた。
トントン。トントン。
まどろんでいた魔理沙を現実に引き戻す音が響く。
「ふぁい……」
寝ぼけていた魔理沙は相手が誰かも確認せずに施錠を解く。
扉を開けた先に居たのは、同じ森に住む人形遣い、アリス・マーガトロイドであった。
アリスの姿を見た瞬間、魔理沙の頭が覚醒する。
「ア、アリス! ど、どうしたんだ、こんな夜中に!」
「こんばんは、魔理沙。お久しぶりね。お邪魔してもいいかしら」
「あ、ああ……」
扉の前から一歩引いてアリスを迎え入れる。
再度施錠し、後ろを振り返るとアリスが少し困ったように微笑んでいる。
「ごめんなさいね、夜遅くに。もう寝てたみたいね」
「いや、構わないぜ」
「そう、良かった。そういえば会うのはこの間の宴会以来ね」
「う、うん」
聞くところによると、ここ最近は毎日のように家を訪れていたのだが、いつも不在。
今日はたまたま家の明かりが見えたので、まだ起きていると思ってこうして訪ねてきたのだ。
「えっと……何か急ぎの用でもあったのか?」
「これを読んで、魔理沙に聞きたいことがあったのよ」
返事の代わりにアリスが見せたのは、魔理沙の記事が書かれた文々。新聞の号外であった。
それにはいい思い出が無い魔理沙がうっ、と呻く。
「な、なんだよ。カラス天狗の新聞なんて捏造だらけだぜ」
「いいえ、文は私のところにも取材に来たし、パチュリーや霊夢にもあらかたの事情は聞いてきてるわ」
「うう……だったら何だってんだよ?」
アリスは新聞をキチッと折りたたんでテーブルの上に置くと、たじろぐ魔理沙を見据えた。
「どうして人から借りたものをちゃんと返さないのよ」
「か、返さないわけじゃないぜ。死――」
「死ぬまで借りるっていうのを、世間一般じゃ『返さない』って言うのよ」
どこかの巫女と同じようなことを言われ、魔理沙は二の句が継げなくなる。
「全くもう、私にはちゃんと返してくれるいい子なのに……」
その言葉に魔理沙の鼓動がドクン、と跳ね上る。
アリスは魔理沙のそんな内心には気づくことなく、とにかく、と続ける。
「悪い子にはお仕置きが必要なようね」
「うえぇ!? な、なんでだよ!」
「当たり前でしょう。借りたものを返さないのは泥棒よ」
「ど、泥棒じゃないぜ。トレジャーハンターと呼んでくれ」
「……魔理沙?」
ふざけすぎた。アリスが本気で怒っている。
魔理沙は額に大粒の汗を浮かべて次の一手を考えるが、その前に先手を打たれてしまった。
「私にお仕置きされるのと、今まで迷惑をかけたみんなにされるのと、どっちがいい?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
「………………アリスがいい」
「痛いのと痛くないの、どっちがいい?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
その選択自体を拒んだ時、アリスは口を利いてくれなくなる。
家を訪ねると、扉は開けてくれる。お茶もお菓子も出してくれる。
だがそれは全てアリスの人形が行い、アリスは縫い物や読書をして魔理沙に一切構わない。
魔理沙がどんなに話しかけても、気を引こうとしても、魔理沙が本当に反省して謝るまでアリスは魔理沙を見ない。
これが魔理沙には耐えられず、いつもすぐ謝ってしまうのだ。
「痛いのはやだ……」
「そう、分かったわ。それじゃあ、お仕置きはくすぐりの刑ね」
「へ?」
アリスが人形繰り用の指輪を外しながら言う。
魔理沙が呆けていると、トン、とベッドに仰向けに突き倒されてアリスが馬乗りの状態になる。
元々体格差もあるため身動きがとれない。尤も、たとえ身動きが取れたとしても魔理沙は抵抗しなかっただろうが。
アリスが自分の近くにいる、触れられているというだけで魔理沙の鼓動ははちきれんばかりに高鳴っていた。
「ア、アリ、ス……何を……」
「言ったじゃない。くすぐりの刑よ」
両手を顔の高さに上げ、指をワキワキと動かすアリス。
何故だか知らないがとても楽しそうだ。
その様子に嫌な予感がした魔理沙が、思い出したように両手を突き出して抵抗しようとする。
だが、アリスの手にアッサリ捕まってしまい、襟元を結んでいるリボンで縛られてしまう。正真正銘、身動きが取れない。
「さあ、洗いざらい吐いてもらいましょうか」
「は、吐くって何をだよ」
「どうして盗んだものを皆に返したのか、よ。パチュリーに聞いたら魔理沙は死ぬつもりかもしれないなんていうし、霊夢に聞いても新聞の通りよなんて適当にごまかすし」
少しの間を開けて。
「心配、したんだから。いつ行っても家にいないし……」
「いっ、言うもんか!」
願掛けの内容と、盗品返却の理由は誰にも、霊夢にも話していない。
そして、最も知られたくない相手がアリスであった。
「口で聞いても分からないなら、身体に聞くまでよ」
「やっ、やめ――ひゃんっ!」
アリスの指が首筋をなぞっていく。あまり敏感とは言えない場所だが、人間ではないアリス特有の体温への驚きと緊張感から魔理沙は過敏に反応してしまう。
「あら、可愛い声ね。魔理沙ってそういう声も出せるのね」
「なっ……、か、可愛いとか言うな!」
可愛い、と言われ恥ずかしさで魔理沙の顔が高潮する。
「ほら、すぐそうやってムキになるんだから……」
「ひゃうっ……!」
今度は腋をくすぐられる。なんとか声を我慢しようとするが、アリスの指の前になす術がない。
「どう、言いたくなった?」
「だ、誰が、こんなことで……」
以前、どう考えても自分が悪いのに意地を張ってしまい、一ヶ月口を利いてもらえなかった時があった。
素直に謝れば許してもらえるのに、断固として謝らなかった。
結局、一ヶ月経って寂しさに耐え切れずに謝ったのだが、その時は一か月分の利子としてお尻を30回叩かれて本気で泣いた。
アリスの細腕としなやかな指は、しかし想像以上の破壊力を魔理沙の臀部に与え、10回ともたずに泣いてしまったのだ。
その時以来、魔理沙はアリスに頭が上がらない。
怒らせてしまった時は素直に謝って許してもらおうと魔理沙は心がけている。
怒らせないようにしよう、とはつゆとも考えないのが魔理沙らしくもあるが。
だが、今回はくすぐりの刑というのが自分を子ども扱いしている気がして、どうしても素直になれなかった。
「そう、仕方ないわね。じゃあ本気でいくわよ」
アリスが腰を浮かせ、反対を向いて座りなおす。
両手が魔理沙の右足を掴み、靴下を脱がせる。
そして左手で足首を固定すると、右手で足裏をくすぐり始めた。
「――! あはははっ、足の裏はひきょ、あははははははは!」
アリスは人形繰りをする他に、人形用の服も全て手作りであるため、手先が極めて器用である。
そんなアリスの指にくすぐられた魔理沙は早くも息も絶えだえ、といった様子であった。
「アリっ、やめっ、あはははははっ! ひーっ、くっ、はははははは!」
「どう? 話したくなったかしら?」
「っく、なってなぃ――あっははははは!」
「もう、強情なんだから」
アリスは一旦手を止めると、魔理沙の左足の靴下も脱がせる。
そして足を上に揃えさせた状態で、今度は腰巻のリボンで両足首を固定する。
その上で自分の膝で魔理沙の膝を挟み込み、魔理沙が足を下ろせないようにする。
「片足だけでそんなになってるのに、これから両足いっぺんによ。どう、話したくなった?」
その言葉に魔理沙の顔から血の気が引く。
アリスは本気だ。人形遣い、アリス・マーガトロイドは決して好戦的ではないが、その分やると言ったら必ずやるスゴ味がある。
「う、あ……アリス、もう許して……」
「魔理沙が正直に言えたら許してあげるわよ」
「それは……」
数秒間の沈黙を消極的拒否と受け取ったのだろう、アリスの指がくすぐりを再開した。
「あっははははは! ひぃっ、ひーっ! うふ、うふ、うふふふふふふ」
その後もしばらく耐えていた魔理沙であったが、アリスの指がさらに動きを速くしたところで限界を迎えた。
「あははっ、言うっ、言いますっ、ごめんなさっ、あははははっ! 言うからも、やめっ、許しってぇっ」
魔理沙の屈服の言葉を聞き、やっとアリスの指が止まる。
アリスは無言で上海人形が持ってきた懐中時計を開き、時間を見ている。
「5分12秒……魔理沙にしては頑張ったわね」
「な、なんの、話、だよ……」
顔を涙と汗と涎でビショビショにした魔理沙がグッタリした様子で訊ねる。
「最初にくすぐり始めてから、魔理沙が降参するまでにかかった時間よ」
「な、何そんな時間計ってんだよ、こ、このドS……!」
「あら、失礼ね。まだ反省が足りないのかしら?」
「あ、いや、反省した、しました! だからもうやめて、許して」
「そう? それじゃ、聞かせてもらいましょうか。どうして盗品をみんなに返したのか」
魔理沙は尚も沈黙を続けたが、アリスの指が足に触れると観念したように話し始めた。
「ア、アリスがこの前の宴会の時、好きなタイプを聞かれて、いい子が好きって言ってたから……」
「だから、盗んだものを返して『いい子』になろうとしたの?」
顔を真っ赤にして肯定する魔理沙。
盗品を返したのは悪名を返上するためであるし、神社での食事の誘いを断ったのも霊夢に過度の迷惑をかけまいとした結果だ。
対するアリスの表情は、後ろ向きのため魔理沙からは見えない。
どう思われているかを考えるのが辛くて、魔理沙は別の意味で泣きそうになる。
「……い、言ったんだからもういいだろ……離してくれ……」
だが、魔理沙の耳に飛び込んできたのは否定でも肯定でもなく、意外なものであった。
「それじゃあ今から、反省するまでにかかった5分12秒、魔理沙の一番弱いところをくすぐってあげる」
「は!?」
「魔理沙、貴女って最近、謝ればすぐ許してもらえると思ってるでしょう。そういう性根はこの際、直しておかなきゃね」
図星であった。そして、アリスに見破られていた。
しかし今回の場合、限界まで我慢した上でのごめんなさいであったため、魔理沙はこれ以上の責めに耐える自信が全く無かった。
「ないっ、そんなことないぞっ! 誤解だーっ!」
「ふふ、魔理沙の一番弱いところって、足の裏じゃなくて脇腹よね。知ってるんだから」
いつの間にかまた正面に座りなおしていたアリスが魔理沙の脇腹をつつく。
「ひゃうんっ……!」
「ふふ、足も面白いけど、やっぱり魔理沙の可愛い顔をみながらくすぐるのが一番よねー」
何故だか知らないが、もう楽しくて楽しくて仕方が無いといった様子のアリスに対して、魔理沙ができるのはただただ叫ぶことだけであった。
「こ、こ、このドSー!」
◆ ◆ ◆
「ねえ魔理沙、ごめんってば」
「うるさいっ、このサディスティック七色め!」
あれから5分12秒、プラス1分36秒間、魔理沙は脇腹をくすぐられ続けた。
延長の分は楽しさに我を忘れたアリスが暴走したためだ。
その間、魔理沙は何度も何度も屈服の言葉を口走ってしまい、痛くプライドを傷つけられた。
そのため、開放された後もすっかり拗ねてしまい、アリスが必死になだめていた。
「ごめんなさい、魔理沙。やりすぎたわ。反省してる。だって貴女があんまり可愛いんだもの」
「だっ、だから、可愛いって言うな!」
魔理沙は可愛いと言われることに慣れていない。
普段から粗野な言動を好むため、そう評されることが少ないからだ。
他の相手ならまだしも、それがアリス相手から言われるものだから、余計に照れてしまうのだ。
そんな様子の魔理沙もアリスにとっては可愛く映り、よしよしと頭を撫でる。
「さ、散々いじめたあとに優しくするなんてずるいっ。卑怯もの! 飴と鞭作戦に私は引っかからないからな!」
撫でられながら俯いて叫ぶ魔理沙にあらあら、と苦笑するアリス。
「あら、なかなか聡いじゃない。それで、賢い魔理沙はどうするのかしら。予定では、これから貴女をたっぷり撫でたあと、髪を梳いて抱きしめて優しくしてあげようと思っていたのだけれど?」
「うぐ……」
「残念ね、魔理沙の髪の毛、触りたかったな」
魔理沙はアリスに髪を梳いてもらうのが好きだ。
アリスも承知の上でこんな条件を提示している。
魔理沙に選択の余地はなかった。
「……こ、今回だけは許してやる」
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
少しだけ首を傾けて微笑むアリス。
魔理沙はこれからの展開に期待の眼差しを向けるが、アリスはまたとんでもないことを口走る。
「ほら、可愛がってください、は?」
「……は?」
「可愛らしくおねだりできたら、いっぱい可愛がってあげる」
「な、何言ってんだアリス、今日ちょっとおかしいぜ?」
あまりにも普段のテンションと乖離しているアリスに、魔理沙も流石に驚きを隠せない。
だがアリスは一顧だにせず続ける。
「ほら、早く言わないと飴の時間がなくなっちゃうわよ?」
繰り返すが、魔理沙に選択の余地はなかった。
「…………………………かっ、可愛がってください……」
「はい、よくできました」
「うー……」
恥ずかしさを紛らわすため、アリスの胸に顔を埋めて甘える。
アリスは魔理沙の頭を撫でてやりながら耳元で囁く。
「貴女のそういうところ、とっても可愛いわ」
「……可愛いって言うなぁ」
グスッ、と鼻を鳴らす魔理沙。
「もうお嫁にいけないぜ……」
何気なく漏らした言葉に、アリスがそう、と返す。
「お嫁にいけないなら、その時は私のところにいらっしゃい。もらってあげるから」
「……ぇ?」
言われた言葉の意味が一瞬飲み込めず、呆けた声を挙げる魔理沙。
それに構うことなく、アリスが続ける。
「私ね、文に言われたの。魔理沙の保護者、って」
「保護者って、なんだよ」
「ほら、宴会で酔いつぶれた貴女をいつも介抱したりしてるじゃない? ああいうのが、周りから見ると保護者に見えるらしいわ」
「ん……」
「私ね、今までそんなの意識してなかった。魔理沙のことは手のかかる妹みたいに思ってた」
でも、と続けて。
「文やパチュリーに魔理沙が死ぬかもしれないって言われて、この二週間くらいずっと貴女の家を訪ねて。神社や妖怪の山なんかにも出向いて。ああ、何で私こんなに必死なんだろ、って考えたらね」
一息。
「魔理沙、貴女のこと、ほっとけないの。手のかかる妹とかじゃなくて、一人のパートナーとして、そういう目で貴女を見てたことに気づいて、今日こうして話をして、その気持ちに嘘はないな、って確信したの」
「うん……」
「でも、私と魔理沙は人間と妖怪、当然生きる時間も違う。だから、私から安易には貴女に想いを伝えられない」
だから、とアリス。
「もし魔理沙が人間のお嫁さんにいけなくてもいい、って思った時は……私のところに来て頂戴? 私がもらってあげるから」
「う……ん、アリスっ、アリスぅ……」
魔理沙の瞳からポロポロと涙が零れ落ち、シーツに小さな染みを作る。
それを見たアリスが苦笑しつつ頭を撫でる。
「何よ、もう。泣くことないじゃない。どうしたの?」
「グス……なんでもないんだぜ……」
アリスは魔理沙が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれた。
「貴女って不思議な子よね、魔理沙。霊夢もパチュリーも咲夜も、みんな貴女の行動に迷惑してると言いつつ、貴方にすごく甘いんだもの」
「そうなの……?」
「それに気づいてないのは魔理沙だけよ。貴女って、みんなに愛されてるわね」
もちろん、私にもね、とアリス。
魔理沙はうん、と小声で返事をするとともに、アリスに体重を預けて甘えた。
◆ ◆ ◆
「ところで、どうして私にはちゃんと本を返してくれてたの?」
「そ、それは……なんとなくだぜ」
問われた魔理沙の視線が泳ぐ。
それを見たアリスはニッコリ微笑み、両手の指をワキワキと動かす。
魔理沙の表情が引きつり、ベッドの上を後ずさりながら降参の意を示す。
「分かった、言う! 言うから! それはもう許して!」
「素直でよろしい」
涙目で唸りながらアリスを睨んだあと、顔を赤くして答える魔理沙。
「……アリスに会う口実を作りたかったから」
「あら、可愛い理由ね。嬉しいわ。私ってずっと、貴女に想ってもらってたのね」
「ま、また可愛いって言った!」
「だって可愛いんだもの。ほら、逃げてないでこっちいらっしゃい? 抱っこしてあげる」
「うー……」
唸りつつも、素直に近寄ってアリスの腕に収まる魔理沙。
アリスは魔理沙に頬を寄せると、そっと囁いた。
「ねえ魔理沙、私さいしょに聞きたいことがあるって言ったわよね。私は魔理沙のことが好き。魔理沙の気持ちも大体は分かっているけれど、でもちゃんと聞いておきたいの。私のこと好き? 嫌い?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
アリスの腕の中に収まって、決まりきった答えを言うために口を開きながら、自分はこの先も、こうしてアリスに主導権を握られ続けるのだろうなと悟る。
しかしそれは魔理沙にとって、けして嫌な未来ではなかった。
願掛けがやっと成就したのだから。
◆ ◆ ◆
三日後、博麗神社にて。
「よう霊夢、久し振り」
「あら魔理沙。久し振り、って三日来なかっただけじゃない」
そうだったかな、と言いつつ愛用の箒に乗って境内に降り立つ魔理沙。
魔法を使っている姿を見て、霊夢が訊ねる。
「キノコ断ち、終わったのね」
「ああ」
「それで、願いは叶ったの?」
「もちろんだぜ」
「そう、良かったわね。それで、願掛けは何だったのよ。もういいじゃない、教えなさいよ」
「こればっかりは霊夢と言えども秘密だ」
「そう。ま、なんでもいいけど……幸せになんなさいよ、アリスと」
「なっ!?」
顔を赤くした魔理沙と、それを見てニンマリ笑う霊夢。
「あら、図星みたいねえ。へーえ、魔理沙とアリスがねぇ。やーっとくっついたの? 良かったじゃないの」
「~~~!」
「やーねえ、そんな顔赤くしちゃって。誰にも言いやしないから安心しなさいよ」
ニヤニヤと魔理沙を見る霊夢。
やっぱり、本当に、この巫女の勘だけは大したものだ、と舌を巻く魔理沙であった。
◆ ◆ ◆
「ところで……文、いるんでしょ。出てきなさい」
散々からかわれた魔理沙が帰った後、霊夢の呼びかけに応える姿が一つ。
カラス特有の黒い羽に高下駄。射命丸文だ。
「あやや……バレてましたか。さすが巫女さん」
潜んでいた木から降り立ち、霊夢の前に並ぶ。
「アンタあの時、実は私のお芝居に気づいてたでしょ?」
「あや? お芝居とは何のことでしょうか。分かりかねますねえ」
ニヤリと笑ってすっとぼける文。霊夢はやっぱりね、とため息をつく。
「我ながらヘタなお芝居だったもの。ギリギリな状態の魔理沙には通じても、新聞記者のアンタをごまかせると思ってないわ。一時しのぎのつもりだったのに、どうして偽情報の号外を出したの?」
「何のことだか分からないので、一般論でお答えしますね。当事者全員が口裏あわせをして、誰も裏切らない状況を作れたら、どんな嘘でも真実に成り得るんですよ」
尚もすっとぼける文に、霊夢は苦笑する。
「大したジャーナリズム宣言だこと。逆に感心するわ」
「私も、伊達や酔狂であの魔法使いさんを山でかくまってませんからねえ。あの魔法使いさんのことは好きですよ。事件を起こしてくれますから」
それに、と続ける。
「調査の依頼主がいる手前、形だけでも結果を出さないと新聞をとってもらえませんから」
「新聞記者の鑑ね、アンタは。逆噴射的な意味で」
「はい、清く正しい射命丸文です」
「は、嫌味も通じないんだから」
二人して笑う。
「そうそう巫女さん、思いがけず借りを作ったわけですから、どうでしょうか? この機に神社でも新聞を一部――」
みなまで言わせず、境内に巫女の高らかなスペルカード宣言が響く。
「新聞勧誘お断り!」
全体的に紅い色調をしており、スカーレットデビルと呼ばれる吸血鬼が住まうことから紅魔館と呼ばれている。
紅魔館の門番こと紅美鈴の目は、館に近づく存在を捉えていた。
全身黒づくめに白エプロン、それに三角帽子と典型的な魔女スタイルの少女。
荷物で満載のリヤカーを重そうに運びながらこちらに歩いてくる。どちらかというと小柄な体格の少女には辛そうだ。
少女は門前でリヤカーを止めると、帽子を脱いで金髪を大気に晒しながら門番に挨拶をした。
「よぉ、美鈴。元気してるか?」
「こんにちは、霧雨魔理沙。おかげ様で元気よ。何枚?」
美鈴は両足に力を込め、いつでも飛び出せるよう前傾姿勢をとりながら訊ねる。
何枚、という問いかけはここ幻想郷で主流の、弾幕ごっこによる決闘に用いるスペルカードの枚数である。
決闘者はあらかじめ、その決闘で用いる予定のスペルカード枚数を宣言することになっているのだ。
しかし霧雨魔理沙と呼ばれた少女は、その質問に首を横に振る。
「ああいや、今日はやる気は無い。今日はって言うか、まあその、普通に客として来たんだ」
「……? 何をたくらんでるの?」
「はは、酷いな。信用のなさに落ち込むぜ。まあ、これまでのことを思うと仕方のないことか……」
自嘲気味に笑う魔理沙を、美鈴が何か珍しい生き物を見るかのような目で眺める。
無理もない。今まで魔理沙が普通の客として来たことなど数える程しかなく、来訪のほとんどが正面玄関からの強行突破であった。
美鈴はその度に弾幕ごっこに付き合わされたが、修練の相手として申し分ない上に、暇な時間も多い門番という仕事柄、話し相手になってくれる魔理沙のことは嫌いではなかった。
よく見ると、彼女の代名詞とも言える魔法の箒すら持ってきていないようだ。
美鈴はとりあえず警戒の構えを解くと、目の前の少女を案じるように訊ねた。
「どうしたの? らしくないじゃない。いつもの箒はどうしたの?」
「そっ、そうか? 別に普通だぜ。箒はその、荷物になるから置いてきたんだ」
魔理沙がワタワタと両腕を振りながらごまかす。
これ以上の追求をされたくないのか、慌てた様子でリヤカーを指差して続ける。
「そうだ、ちょうどいい。ちょっと手伝ってくれないか?」
「なに? さっきから気になってたけど、随分と大荷物ね」
魔理沙が運んできたリヤカーは汚れ防止のためと思われる布で覆われているが、その布が小さな山を作っている。
「パチュリーに借りてた本だぜ。返しにきたんだ」
「……よくもまあ、そんなに」
美鈴はその多さに呆れるよりも、そんな重いものをここまで歩いて運んでこられたことに感心した。
「ここまでは何とか歩いてこられたが、館の中はそうもいかないからな。こんなの引張って階段でぶちまけでもしたら、咲夜の奴が怒るだろう?」
魔理沙の言葉に、美鈴はメイド長である咲夜の怒った顔を思い出す。
「……確かに、想像するだけで怖い。まあいいわ、パチュリー様のところに運べばいいのね?」
「ああ、ありがとな、美鈴。助かるぜ」
美鈴の腕をポンと叩いてウィンクする。
その時だけは魔理沙に普段の調子が戻っていることに何故か軽い安堵を覚えた美鈴は、そんな自分に内心苦笑しつつリヤカーを持ち上げて門をくぐった。
◆ ◆ ◆
「ど、どういうことなの? 貴女ほんとうに魔理沙なの?」
「……」
地下大図書館の主、パチュリーはペタペタと魔理沙の顔を触りながら魔道書を開き、早口に呪文を唱える。
魔法の知識がある魔理沙は、それが魔法解除の類であることに気づいた。しかし魔理沙にも魔法の構成の全てが理解できないことから、極めて高度な呪文を唱えていることがうかがい知れる。
「傀儡魔法をかけられているとか、別人が魔法で成りすましてるってことじゃないようね」
「いくら私でもそろそろ傷つくぜ……」
本の返却に来た魔理沙を出迎えたのは、何か信じられないものを見たとでも言いたげな顔をしたパチュリーだった。
魔法解除に始まり、魔理沙に関する質問に答えさせられ、果ては風邪を疑われ熱まで測らされた。
その応対にいい加減うんざりした魔理沙が不満を口にするが、パチュリーは意に介さず続ける。
「何か変なものでも食べた? そうだ、いつも妙ちくりんなキノコを採っては研究と称して食べたりしてたわね。危ないからやめなさいってあれほど言ったのに。いいこと、カエンタケはいくら貴女でも死ぬわよ」
「なあ美鈴、この失礼極まりない魔女になんとか言ってやってくれよ」
「え、ええと……」
急に話を振られた美鈴が苦笑して首を傾げる。
ここまで本を運ぶのを手伝った美鈴だが、内心はパチュリーと同じ意見なのだろう。
表情からそれを読み取ったのだろう、魔理沙が大げさにため息をつく。
「はぁ、お前らの気持ちはよーく分かった。まあ、私が悪い……よな。今までごめんな、パチュリー。これからは借りたものはちゃんと返すし、勝手に持って行ったりしないからさ、許してもらえる……かな?」
「……む、むきゅぅぅぅぅぅ……」
帽子を脱いで両手に持ち、指でもじもじと弄りながら上目遣いで謝る魔理沙と、それを見て卒倒するパチュリー。
本の整理をしていた小悪魔が慌ててパチュリーを介抱するのを横目に、魔理沙はそのまま何も盗らずに帰って行った。
◆ ◆ ◆
「あの子、死ぬ気かもしれないわ」
場所は再び紅魔館の地下大図書館。ただし魔理沙は既に帰っており、パチュリーが卒倒してから数時間経過していた。
小悪魔の献身的な看護により復活したパチュリーは、すぐさま紅魔館緊急対策会議を招集した。
会議用の円卓には紅魔館の主でありパチュリーの友人でもある吸血鬼レミリア・スカーレットとその従者の十六夜咲夜、そしてパチュリーとその助手の小悪魔が同席していた。
議題は『霧雨魔理沙の変調』について。
「"死ぬまで借りる"が口癖の魔理沙が本を返しにきたのよ。きっと何かあったのよ。重い病気になったとか……」
普段からは想像もできないほどハイテンションでまくし立てるパチュリーとは正反対に、レミリアは心底興味なさげに頬杖をついて眠そ
うに顔をしかめていた。
「くっだらないわねえ、寝てるところを叩き起こされたから何かと思えば。そんなのどうでもいいじゃない」
レミリアは吸血鬼のため外出予定が無い場合、昼間は基本的に眠っている。
今日は起床予定の二時間前に起こされたため、寝不足で若干不機嫌のようだ。
それを聞き、今まで聞き役に徹していた小悪魔が口を挟む。
「パチュリー様は、あの白黒のことがお気に入りだから心配されてるんですよ」
「ちょっとこぁ、余計なことは……」
「へえ、詳しく聞きたいわ。言ってみろ、小悪魔」
止めようとするパチュリーの言葉を遮るレミリア。ここに来て初めて興味のあることに直面し、眼を輝かせている。
こうなってしまった友人はもう止められないのを悟ったパチュリーは、額に手を当てコッソリとため息をつく。
小悪魔はそんなパチュリーを尻目に、促されるままに言葉を続けた。
「以前、パチュリー様に私から本をお贈りしたのですが、それが白黒に盗まれたんです。でも、パチュリー様が大切なものだと仰ったら、後日あの白黒が本と貴重なマジックアイテムを持って謝りにきたんです。それ以来、パチュリー様は白黒に甘いんですよ」
「フーン……経緯は分かったけどさ、それって不良がたまに優しいところ見せると評価が上がるってヤツじゃないの?」
「私もそう言ったんですけどね、パチュリー様はこう見えて一途なお方なんですよ」
「へぇ、あの七曜の魔女様がねぇ」
ニヤニヤとパチュリーを眺めるレミリア。
「コホン……こぁ、後で覚えてなさいよ」
「はーい」
何故か嬉しそうな小悪魔と、顔を赤くしてジト目で睨むパチュリー。
ここで給仕役として紅茶を淹れていた咲夜が会話に加わった。
「それで、魔理沙は何か心変わりの理由を言ってましたか?」
「聞く前に私が倒れちゃったのよ。美鈴の話じゃ、弾幕ごっこすらせずに客として通してくれと言ったらしいわ」
「メイドとしては、玄関や図書館で暴れられるよりよっぽどいいですわ」
「それはそうだけど……不気味なことに変わりはないわ」
なおも食い下がるパチュリーに、レミリアが肩をすくめる。
「何にせよ、行儀が良くなったのならいいことじゃない。咲夜も、あの黒いのを毎回かくまうのは大変だろう?」
「……気づいておられたのですか、お嬢様」
「咲夜も大概、あの黒いのには甘いわよねえ。まあ面白い人間だとは思うから、私も見逃してるのよ」
紅茶を一口。
「まあ何にせよ、心配せずともあの黒いのは殺したって死にやしないわ。重い病気になったのなら治す方法を求めて幻想郷中を飛び回るクチよ」
レミリアの発言に、咲夜と小悪魔が苦笑しながら頷く。何か思うところがあるのだろう。
「だけど……」
「まあ、優しいパチェが後輩魔女の世話を焼いてやりたい気持ちは分からないでもないけどね、私にとってはどうでもいいことだよ」
「むきゅう……」
それ以上の反論の言葉を持たず、パチュリーが口をつぐむ。
沈んだ様子の友人を見かねたレミリアは、やれやれと苦笑すると助け舟を出してやることにした。
「なに、ここらには情報を集めることにかけては打ってつけの迷惑な輩が揃ってるだろう? そういうのを利用すればいいさ」
◆ ◆ ◆
「号外ごうがーい、撮れたて写真に刷りたて号外ですよーっ」
雲ひとつ無い澄み切った空によく通る声が響き渡る。
声の主はカラス天狗の射命丸文。新聞記者として『文々。新聞』を不定期で発行している。
新聞の売れ行きはさほど良く無いが、かなりはた迷惑な取材を繰り返しているため、その知名度は群を抜いていると言えた。
文々。新聞は他の天狗が発行する新聞に比べればまだしも事実を伝えており、また号外がやたらと多い。
号外は定期購読していなくとも強制的に配布されるため、不要なものにとっては無用の長物となる。
博麗神社の巫女こと博麗霊夢もその一人であった。
「ああ、もう。またゴミが増えた」
境内を掃除していた霊夢は、今しがた空から落ちてきた新聞を指でつまみあげた。
目の前で定期購読を迫ってくる相手であれば『新聞勧誘お断り』の御札で撃退もできるが、上空から一方的に投げ捨てられてはさしもの霊
夢もなす術が無かった。
「ンモー、また倉庫が狭くなるじゃないの」
霊夢は読まない新聞を倉庫に保管している。
保管する意味は無いが、人は誰でも読み終わった新聞をキチッと折りたたんで片付ける。誰だってそうするし、霊夢もそうする。
一つ違う点は、霊夢は配られた号外を基本的に読まないということだ。ただし、今日は違った。
何気なく紙面に落とした視線に、よく知る人間の顔と名前が飛び込んできたのだ。
「……『霧雨異変』?」
倉庫へ向かっていた歩みを止め、縁側に腰掛けて記事を目で追う。
いつもの癖で湯のみを探るが、手は空を切るばかり。掃除が終わった後に用意するつもりだったことを思い出すと、霊夢は再び記事に集中した。
「霧雨魔理沙、長きにわたり盗難(ルビ:貸し出し)中だった紅魔館大図書館の私蔵図書を全冊返却する……はぁ?」
眉をひそめて続きを読む。
「霧雨魔理沙は門を平和的に通過し、帰宅の際も盗品ゼロ。紅魔異変以降続いていた紅魔館大図書館の蔵書盗難被害が422日ぶりに解決……何よ、コレ」
「ふふふ、どうです、大事件でしょう」
記事を読み進めていると、すぐ傍から声をかけるものがあった。
霊夢が記事から顔を上げると、そこには号外の発行主、射命丸文がいつの間にか立っていた。
「どうも、毎度おなじみ射命丸です! どうです巫女さん、あの悪名高い霧雨魔理沙が本を返す! これを異変と言わずして何と言いましょう!」
拳を握り締めて力説する文とは対照的に、霊夢はにべもない。文の足元に新聞を放り投げる。
「くっだらないわねえ、人の掃除の時間を邪魔しといて何かと思えば。そんなのどうでもいいからそれ持って帰ってよ。ゴミ増やされたくないのよ」
「あやや、お気に召しませんでしたか?」
「あんたの新聞は読んでてお気に召すっていうより気が滅入るわ。大体ねえ、魔理沙が本を返そうが返すまいが興味ないわよ」
「これは手厳しい。ですが『死ぬまで借りる』を公言する人間が、ですよ? ひょっとしたら己の死期を悟ったのやも」
大げさにため息をつきながら、霊夢。
「あのねえ、あの子が死ぬとこ想像できる? 例え死んだって三途の川で暴れて戻ってこようとするタイプよ」
「それはまあ、そうかもしれませんが」
「大方、変なキノコでも食べて一時の気の迷いを起こしたのよ」
「その辺のこと、ぜひ本人に取材したいと思って家を訪ねたんですが逃げられたんですよねえ。あの泥棒さんは、人間にしては素早い上に、魔法の森ではあちらに地の利がありますから。神社には来ていませんか?」
「さあ、ここんとこ見かけないわね」
それで会話は終わりとばかりに手をヒラヒラと振って立ち上がる霊夢。
「くだらない記事ばっかり書いてないで、たまにはウチの神社の宣伝でもしてよ」
「それはもう、購読の契約をしていただければすぐにでも」
「新聞勧誘お断り!」
霊夢が懐から対新聞拡張団用の御札を出すが、文が立っていた場所はすでにもぬけの空になっており、カラス特有の黒い羽が数枚、宙を舞っているのみであった。
またゴミが増えたことに悪態をつきながらすぐ横を見ると、御丁寧にさっき投げ捨てた号外がキチッと折りたたまれて置いてあった。
「……次見かけたら問答無用で調伏してやるわ」
霊夢が固い決意を新たにしていると、裏手の方から物音がした。
一瞬、先ほどまでいた文が隠れているのかと思ったが、逃げ足だけは速いあのカラス天狗が隠れる意味が無いことに思い至る。
「誰? 出てきなさい」
機嫌が悪いため、妖怪の類なら有無を言わさず痛めつけてやろうかと思いながら誰何の問いかけをする。
物音の主は返事をするべきか逡巡したようであるが、やがて観念したように問いかけに応えた。
「…………霊夢か? 今いく」
シンボルマークの帽子を目深に被り、ソロソロと顔を見せたのは先ほどまで話題に上がっていた霧雨魔理沙、その人であった。
◆ ◆ ◆
「まったく、勘弁してほしいぜ……」
かくまって欲しい、と拝む魔理沙を部屋に通し、お茶を淹れたところで魔理沙が事情を話し始めた。
「何か知らないけど、今朝からあの新聞記者に追っかけ回されてるんだよ」
「文なら、さっきまでここにも来てたわよ」
「なんだと!?」
「魔理沙と入れ違いで帰ったけどね」
思わず腰を浮かせる魔理沙がホッとしたように再び腰を下ろすのを待って、先ほど文が置いていった新聞を読ませる。
読み終えた魔理沙は憤懣やるかたないといった様子で新聞を放り投げる。
「何だよ、この記事」
「知らないわよ。あんたがやったことじゃないの?」
「私は借りてた本を返しただけなんだがな。何でこれが記事になるんだ?」
「あんたが借りたものを返すのが、それだけ珍しいってことよ」
「失礼な、まるで私が借りたものを返さないみたいじゃないか。返さないわけじゃない。死ぬまで借りてるだけだぜ」
「世間一般では、それを返さないって言うのよ」
お茶をひとすすり。
「文が言ってたわ。『死ぬまで借りる人間が返すのだから、死ぬんじゃないか』って」
「私が死ぬ? 私はまだ死ぬ予定はないな」
「そうでしょうね、長生きしそうだもの」
「とにかく、朝から追い回されてクタクタなんだ。もうしばらく休ませてくれ」
「別に構わないけど、文はしつこいからまた来るわよ。嫌ならちゃっちゃと退治しちゃえば?」
いつもの魔理沙ならとっくにそうしてるでしょ、と霊夢。
しかし魔理沙は首を横に振る。
「しばらくは弾幕ごっこもできないからな」
「ああ、キノコ断ち、まだ続けてるのね」
断ち物、というものがある。
神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを断ち、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰だ。
数日前にこの話を霊夢から聞いた魔理沙は、好物のキノコを断つ、と言い出した。
人間である魔理沙は、魔法の森で採れるキノコを魔法の触媒に用いている。
キノコを使わなければ魔理沙が使う魔法の威力、安定感は激減してしまう。当然、弾幕も満足に扱えなくなる。
スペルカードルール制定により、生命の危機が昔に比べ減ったとは言え、幻想郷でそういったことをするのはいささか危険であった。
しかし魔理沙の意思は固く、説得は無理だと悟った霊夢は願掛けが成就するか、魔理沙が諦めるまでの協力を申し出たのであった。
ちなみに、願掛けの内容は教えてもらえなかった。
「ああもう、ほっといて欲しいぜ……」
ちゃぶ台に突っ伏して両手をだらりと伸ばす魔理沙。
そのまま顔を横に向け、頬杖をついている霊夢を見やる。
「なぁ……霊夢は、なんで私が本を返したのか聞かないのか?」
「さあね、魔理沙には魔理沙の考えがあるんでしょうし。それに、ほっといて欲しいんでしょ。だったら聞かないわよ」
「へへ、まあな。ありがとな霊夢」
魔理沙が歯を見せて悪戯っぽく笑う。
「……お礼はそちらで受け付けてるわ」
頬杖をついたまま視線をずらし、ぶっきらぼうに賽銭箱を指差す姿に思わず魔理沙が吹き出し、霊夢が何よ、と怒る。
何でもないぜ、とニヤニヤする魔理沙に対し、今から文呼び出すわよ、と霊夢が脅しをかけたところで魔理沙が謝る。
「ところで、今日はご飯食べて行くんでしょ?」
いつもであれば肯定の言葉が即座に飛んでくるところであるが、今日に限って魔理沙はバツの悪そうな顔をしている。
「あー……いや、今日はいいや」
「あら、珍しいじゃない。ははーん、それも本を返したことと関係があるんでしょ」
「まあ、な」
さすがにこの巫女は勘がいい、と魔理沙は内心で舌を巻く。
「そ。まあ何だか知んないけど、しっかりやんなさい。かくまうくらいはサービスしてあげるわよ」
「ああ、サンキューな、霊夢」
魔理沙はそのまま日が暮れるまで霊夢と雑談を続け、礼を言って帰っていった。
◆ ◆ ◆
ここで時間は紅魔館緊急対策会議後、つまり号外発行の前日まで巻き戻る。
紅魔館に呼び出された射命丸文がパチュリーと打ち合わせをしていた。
「そういうわけで、魔理沙が過ちを犯さないか監視してほしいのよ」
「なるほどなるほど、これは確かに異変です!」
一連の魔理沙の行動を聞いた文は、今しがた聞いた情報を手帳に書き込んでいく。
ひとしきり書き終えた文は手帳を懐にしまい、もみ手をしながらたずねる。
「了解しました! この清く正しい射命丸にお任せください! ところで、肝心の報酬の方は……」
「分かってるわ、成功のあかつきには図書館用にもう一部、新聞を契約しましょう」
「あやや、ありがとうございます!」
「いいこと、くれぐれも魔理沙にバレないようにやるのよ」
「大丈夫ですよ、きっと面白くして見せます! それでは、私は準備がありますのでこれにてっ」
「ちょ、ちょっと、面白くするって何考えて……」
返事も待たず、一陣の風を残して文が飛び去る。
パチュリーの行動はあくまで魔理沙を心配してという純粋な動機だったが、一つの大きな過ちを犯していた。
よりにもよって、射命丸文に依頼してしまったのだから。
パチュリーは、強大な力を持つ自分の友人が、こと謎解きに関してはからっきしであることを再認識して頭を抱えた。
紅魔館の屋根の上に立った文が、魔法の森方面を見据えてニヤリと笑う。
「さーて、忙しくなりそうです。早速、号外の準備をしないと。でも、その前に……」
◆ ◆ ◆
「そういうわけで、魔理沙の保護者のアリスさんなら何か御存知かなと思って伺ったわけです」
魔法の森に棲む人形遣い、アリス・マーガトロイドは夜遅くの訪問にも関わらず文を丁重に出迎えた。
「別に私は、魔理沙の保護者ってわけじゃないのだけれど」
困ったように笑いながら答えるアリス。
「ややっ、嘘はいけませんねー。宴会の時でも、酔いつぶれた魔理沙をかいがいしく介抱してあげてるじゃないですか」
「それは……だってあの子、飲むペースってものを考えないんだもの」
アリスは自分から積極的に他人に関わろうとはしないが、魔法の森で迷った人間を泊めてやったりと基本的に面倒見が良い。
魔理沙の件に関しても意識してやっているという認識は当人に無く、単に最も世話のかかる人間が近くにいただけのこと、というのがアリスの弁であった。
「そうですか、これについてはまたいずれ。それでは次の質問です。魔理沙が借りていた本を返したことについてはどう思われますか?」
「それは私にとっては意外なことね。きっと、貴方達とは違う意味で」
「ほう、違う意味とは?」
「私もたまに魔理沙に本を貸すんだけど、いつもちゃんと返しにくるのよ。だから、パチュリーが本を盗られて困ってたっていうのは私にはちょっと信じられないことね」
「……は? 今、何と?」
衝撃を受けた様子の文の手から鉛筆が落ちる。
「だから、魔理沙は借りたものはちゃんと返す子よ、ってこと」
「これは……驚きました……」
落ちた鉛筆を拾った文が手帳に書き込もうとするが、芯が折れてしまっていることに気づいて新たに取り出しながら続ける。
「魔理沙の盗難被害に遭っているのは紅魔館のみならず、河童の河城にとりや香霖堂の店主なども被害者です。まあ、にとりは機械のモニターとして魔理沙を利用しているようですし、香霖堂の店主は魔理沙から不当にレアなアイテムを受け取ったりしているらしいので、持ちつ持たれつといったところですが」
「そう、あの子がそんなことを……」
「にとりや香霖堂にも、今まで盗られたものが全て返却されています」
文の説明を聞いたアリスが、しばらく考え込むそぶりを見せる。
「借りたのを忘れてて、あるいは返しそびれてて、まとめて返しに行ったってことじゃないのかしら」
「いえいえ、あの泥棒さんの口癖は『死んだら返す』ですからね。故意にやっていると見て間違いないでしょう」
「そうなの……」
「あややー、その様子だと、アリスさんにも理由は分からないようですね」
「ええ、ここ最近は研究にかかりきりだったし。お役に立てなくてごめんなさい」
「いえいえ、本日は御協力ありがとうございました!」
「こちらこそ、貴重な情報をありがとう」
アリスに見送られた文は帰途に着きながら一人ごちる。
「これはもう本人への突撃取材しかありませんね」
◆ ◆ ◆
文の取材攻勢が始まってから二週間。
昼夜や場所を問わない質問攻めに魔理沙は心底辟易しつつ逃げ回っていた。
家の場所も文に知られているため、昼間はほとんど家にいられず、夜遅くなってから帰宅して寝るだけの日が続いた。
「霊夢ー、いるかー? ちょっと邪魔するぜー」
空も満足に飛べない状態の魔理沙が移動できる範囲は狭い。
ここ最近、博麗神社に隠れる時間が増えているのは当然のことと言えた。
「いらっしゃい。今日も?」
「ああ、もう参ったぜ。しつこいったらありゃしない」
毎日のように来るため、ちゃぶ台の上には魔理沙用の湯飲みが既に用意されていた。
「ふー、疲れた」
逃げる途中で枝にでも引っ掛けたのだろう、魔理沙の帽子は破れやほつれが目立っていた。
見ると、身体にもあちこち擦り傷ができている。
大事にしているトレードマークの帽子を傷つけられて尚、キノコ断ちを続ける魔理沙。
そんな魔理沙の様子を見ていた霊夢は、湯飲みのお茶を飲み干すと不可解なことを言い出した。
「魔理沙、久し振りに弾幕勝負しましょ」
当然ながら、魔理沙は現在ロクな弾幕を撃てない。それは霊夢も承知している。
「あー? 何言ってんだよ、霊夢」
「ほら、いいからやるわよ。私は0枚でいいわ。あんたも0枚でいいわね。はい、それじゃスタート」
魔理沙の言葉を無視し、勝手に御祓い棒を構える霊夢。対する魔理沙は立ち上がってすらいない。
一枚の御札が魔理沙の額に飛び、ペタリと張り付く。
「はいピチューン。あんたの負け」
「何すんだよ、霊夢!」
「人生の負け犬は黙ってなさい」
御札がもう一枚飛び、魔理沙の口を封じてしまう。
モゴモゴと口を動かす魔理沙を尻目に、霊夢が続ける。
「さて、何をやってもらおうかしら。ご飯とか色々……は間に合ってるから、そうね。『今まで盗んだものを全て返す』っていうのを延長しようかしら。これならあんたもしばらく盗みができないし、幻想郷も平和になるわ」
「ん~~!」
「何、文句あるの? この罰ゲームがあんたには一番効くでしょ。弾幕ごっこに負けて盗品を返すのは恥ずかしいなんていうから、皆にも黙っててあげてんだから、つべこべ言わないの。」
そこまで言ったところで魔理沙に張り付いた御札をとってやる霊夢。
当然ながら魔理沙はすぐさま霊夢に食って掛かった。
「何なんだよ」
「シッ、ちょっと静かにしなさい。……もういいわ」
辺りにするどい視線を巡らせていた霊夢がほっとしたように座る。
「どうしたんだよ」
「あの天狗、床下に潜んで私たちの会話に聞き耳立ててたわ」
「げっ、嘘だろ?」
「もういないけどね、ネタを掴めたと思ったから退却したんでしょう」
巫女の勘で文の存在に気づいた霊夢は、これ以上の強行取材を打ち切らせるために一芝居打った。
本来なら弾幕ごっこの勝敗後に罰ゲームをさせるのはルールから逸脱した行為だが、霊夢と魔理沙は人間同士ということもあり、食事の準備などを景品によく勝負していることを逆手に取ったのだ。
一連の魔理沙の行動を、弾幕ごっこの罰ゲームということにしてしまえば一応の説明はつくし、魔理沙の頼みで秘密にしているということにすれば辻褄も合う。
霊夢の勘と機転に文は騙されたのだ。
助けられたことに気づいた魔理沙が、霊夢に礼を言う。
「すまん霊夢、恩に着る」
「……」
霊夢は無言で賽銭箱を指差す。相変わらず視線は合わせようとしない。
魔理沙は知っている。これはこの巫女なりの照れ隠しなのだと。
昔からの腐れ縁であるこの友人に、魔理沙は心から感謝した。
この日を境に、文の強行取材はパタリとやんだ。
翌日、霊夢が流した嘘の情報に基づいた文々。新聞の号外が配られた。
皆一様に納得した様子で、この件は次第に人々の記憶から消えていった。
ただ一人を除いて。
◆ ◆ ◆
久し振りに空が明るいうちに家に戻った魔理沙は、かつて盗品が所狭しと並んでスペースを圧迫していた部屋を見て一人ごちた。
「いつまで続ければいいのかなぁ……」
文の追求が終わった今も、魔理沙のキノコ断ちは続いていた。
魔理沙の願掛けは、未だ成就していないのだ。
夕食の準備をする。今日のメニューは焼き魚に納豆にワカメのみそ汁。
みそ汁にはいつもならなめこやエリンギを入れるところであるが、断ち物をしている今はできない。
一人寂しく夕食を終えた魔理沙は、後片付けをして早々にベッドに潜り込む。
ここ最近の疲れがたまっていたこともあり、程なくして明かりを消し忘れたまま眠りについていた。
トントン。トントン。
まどろんでいた魔理沙を現実に引き戻す音が響く。
「ふぁい……」
寝ぼけていた魔理沙は相手が誰かも確認せずに施錠を解く。
扉を開けた先に居たのは、同じ森に住む人形遣い、アリス・マーガトロイドであった。
アリスの姿を見た瞬間、魔理沙の頭が覚醒する。
「ア、アリス! ど、どうしたんだ、こんな夜中に!」
「こんばんは、魔理沙。お久しぶりね。お邪魔してもいいかしら」
「あ、ああ……」
扉の前から一歩引いてアリスを迎え入れる。
再度施錠し、後ろを振り返るとアリスが少し困ったように微笑んでいる。
「ごめんなさいね、夜遅くに。もう寝てたみたいね」
「いや、構わないぜ」
「そう、良かった。そういえば会うのはこの間の宴会以来ね」
「う、うん」
聞くところによると、ここ最近は毎日のように家を訪れていたのだが、いつも不在。
今日はたまたま家の明かりが見えたので、まだ起きていると思ってこうして訪ねてきたのだ。
「えっと……何か急ぎの用でもあったのか?」
「これを読んで、魔理沙に聞きたいことがあったのよ」
返事の代わりにアリスが見せたのは、魔理沙の記事が書かれた文々。新聞の号外であった。
それにはいい思い出が無い魔理沙がうっ、と呻く。
「な、なんだよ。カラス天狗の新聞なんて捏造だらけだぜ」
「いいえ、文は私のところにも取材に来たし、パチュリーや霊夢にもあらかたの事情は聞いてきてるわ」
「うう……だったら何だってんだよ?」
アリスは新聞をキチッと折りたたんでテーブルの上に置くと、たじろぐ魔理沙を見据えた。
「どうして人から借りたものをちゃんと返さないのよ」
「か、返さないわけじゃないぜ。死――」
「死ぬまで借りるっていうのを、世間一般じゃ『返さない』って言うのよ」
どこかの巫女と同じようなことを言われ、魔理沙は二の句が継げなくなる。
「全くもう、私にはちゃんと返してくれるいい子なのに……」
その言葉に魔理沙の鼓動がドクン、と跳ね上る。
アリスは魔理沙のそんな内心には気づくことなく、とにかく、と続ける。
「悪い子にはお仕置きが必要なようね」
「うえぇ!? な、なんでだよ!」
「当たり前でしょう。借りたものを返さないのは泥棒よ」
「ど、泥棒じゃないぜ。トレジャーハンターと呼んでくれ」
「……魔理沙?」
ふざけすぎた。アリスが本気で怒っている。
魔理沙は額に大粒の汗を浮かべて次の一手を考えるが、その前に先手を打たれてしまった。
「私にお仕置きされるのと、今まで迷惑をかけたみんなにされるのと、どっちがいい?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
「………………アリスがいい」
「痛いのと痛くないの、どっちがいい?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
その選択自体を拒んだ時、アリスは口を利いてくれなくなる。
家を訪ねると、扉は開けてくれる。お茶もお菓子も出してくれる。
だがそれは全てアリスの人形が行い、アリスは縫い物や読書をして魔理沙に一切構わない。
魔理沙がどんなに話しかけても、気を引こうとしても、魔理沙が本当に反省して謝るまでアリスは魔理沙を見ない。
これが魔理沙には耐えられず、いつもすぐ謝ってしまうのだ。
「痛いのはやだ……」
「そう、分かったわ。それじゃあ、お仕置きはくすぐりの刑ね」
「へ?」
アリスが人形繰り用の指輪を外しながら言う。
魔理沙が呆けていると、トン、とベッドに仰向けに突き倒されてアリスが馬乗りの状態になる。
元々体格差もあるため身動きがとれない。尤も、たとえ身動きが取れたとしても魔理沙は抵抗しなかっただろうが。
アリスが自分の近くにいる、触れられているというだけで魔理沙の鼓動ははちきれんばかりに高鳴っていた。
「ア、アリ、ス……何を……」
「言ったじゃない。くすぐりの刑よ」
両手を顔の高さに上げ、指をワキワキと動かすアリス。
何故だか知らないがとても楽しそうだ。
その様子に嫌な予感がした魔理沙が、思い出したように両手を突き出して抵抗しようとする。
だが、アリスの手にアッサリ捕まってしまい、襟元を結んでいるリボンで縛られてしまう。正真正銘、身動きが取れない。
「さあ、洗いざらい吐いてもらいましょうか」
「は、吐くって何をだよ」
「どうして盗んだものを皆に返したのか、よ。パチュリーに聞いたら魔理沙は死ぬつもりかもしれないなんていうし、霊夢に聞いても新聞の通りよなんて適当にごまかすし」
少しの間を開けて。
「心配、したんだから。いつ行っても家にいないし……」
「いっ、言うもんか!」
願掛けの内容と、盗品返却の理由は誰にも、霊夢にも話していない。
そして、最も知られたくない相手がアリスであった。
「口で聞いても分からないなら、身体に聞くまでよ」
「やっ、やめ――ひゃんっ!」
アリスの指が首筋をなぞっていく。あまり敏感とは言えない場所だが、人間ではないアリス特有の体温への驚きと緊張感から魔理沙は過敏に反応してしまう。
「あら、可愛い声ね。魔理沙ってそういう声も出せるのね」
「なっ……、か、可愛いとか言うな!」
可愛い、と言われ恥ずかしさで魔理沙の顔が高潮する。
「ほら、すぐそうやってムキになるんだから……」
「ひゃうっ……!」
今度は腋をくすぐられる。なんとか声を我慢しようとするが、アリスの指の前になす術がない。
「どう、言いたくなった?」
「だ、誰が、こんなことで……」
以前、どう考えても自分が悪いのに意地を張ってしまい、一ヶ月口を利いてもらえなかった時があった。
素直に謝れば許してもらえるのに、断固として謝らなかった。
結局、一ヶ月経って寂しさに耐え切れずに謝ったのだが、その時は一か月分の利子としてお尻を30回叩かれて本気で泣いた。
アリスの細腕としなやかな指は、しかし想像以上の破壊力を魔理沙の臀部に与え、10回ともたずに泣いてしまったのだ。
その時以来、魔理沙はアリスに頭が上がらない。
怒らせてしまった時は素直に謝って許してもらおうと魔理沙は心がけている。
怒らせないようにしよう、とはつゆとも考えないのが魔理沙らしくもあるが。
だが、今回はくすぐりの刑というのが自分を子ども扱いしている気がして、どうしても素直になれなかった。
「そう、仕方ないわね。じゃあ本気でいくわよ」
アリスが腰を浮かせ、反対を向いて座りなおす。
両手が魔理沙の右足を掴み、靴下を脱がせる。
そして左手で足首を固定すると、右手で足裏をくすぐり始めた。
「――! あはははっ、足の裏はひきょ、あははははははは!」
アリスは人形繰りをする他に、人形用の服も全て手作りであるため、手先が極めて器用である。
そんなアリスの指にくすぐられた魔理沙は早くも息も絶えだえ、といった様子であった。
「アリっ、やめっ、あはははははっ! ひーっ、くっ、はははははは!」
「どう? 話したくなったかしら?」
「っく、なってなぃ――あっははははは!」
「もう、強情なんだから」
アリスは一旦手を止めると、魔理沙の左足の靴下も脱がせる。
そして足を上に揃えさせた状態で、今度は腰巻のリボンで両足首を固定する。
その上で自分の膝で魔理沙の膝を挟み込み、魔理沙が足を下ろせないようにする。
「片足だけでそんなになってるのに、これから両足いっぺんによ。どう、話したくなった?」
その言葉に魔理沙の顔から血の気が引く。
アリスは本気だ。人形遣い、アリス・マーガトロイドは決して好戦的ではないが、その分やると言ったら必ずやるスゴ味がある。
「う、あ……アリス、もう許して……」
「魔理沙が正直に言えたら許してあげるわよ」
「それは……」
数秒間の沈黙を消極的拒否と受け取ったのだろう、アリスの指がくすぐりを再開した。
「あっははははは! ひぃっ、ひーっ! うふ、うふ、うふふふふふふ」
その後もしばらく耐えていた魔理沙であったが、アリスの指がさらに動きを速くしたところで限界を迎えた。
「あははっ、言うっ、言いますっ、ごめんなさっ、あははははっ! 言うからも、やめっ、許しってぇっ」
魔理沙の屈服の言葉を聞き、やっとアリスの指が止まる。
アリスは無言で上海人形が持ってきた懐中時計を開き、時間を見ている。
「5分12秒……魔理沙にしては頑張ったわね」
「な、なんの、話、だよ……」
顔を涙と汗と涎でビショビショにした魔理沙がグッタリした様子で訊ねる。
「最初にくすぐり始めてから、魔理沙が降参するまでにかかった時間よ」
「な、何そんな時間計ってんだよ、こ、このドS……!」
「あら、失礼ね。まだ反省が足りないのかしら?」
「あ、いや、反省した、しました! だからもうやめて、許して」
「そう? それじゃ、聞かせてもらいましょうか。どうして盗品をみんなに返したのか」
魔理沙は尚も沈黙を続けたが、アリスの指が足に触れると観念したように話し始めた。
「ア、アリスがこの前の宴会の時、好きなタイプを聞かれて、いい子が好きって言ってたから……」
「だから、盗んだものを返して『いい子』になろうとしたの?」
顔を真っ赤にして肯定する魔理沙。
盗品を返したのは悪名を返上するためであるし、神社での食事の誘いを断ったのも霊夢に過度の迷惑をかけまいとした結果だ。
対するアリスの表情は、後ろ向きのため魔理沙からは見えない。
どう思われているかを考えるのが辛くて、魔理沙は別の意味で泣きそうになる。
「……い、言ったんだからもういいだろ……離してくれ……」
だが、魔理沙の耳に飛び込んできたのは否定でも肯定でもなく、意外なものであった。
「それじゃあ今から、反省するまでにかかった5分12秒、魔理沙の一番弱いところをくすぐってあげる」
「は!?」
「魔理沙、貴女って最近、謝ればすぐ許してもらえると思ってるでしょう。そういう性根はこの際、直しておかなきゃね」
図星であった。そして、アリスに見破られていた。
しかし今回の場合、限界まで我慢した上でのごめんなさいであったため、魔理沙はこれ以上の責めに耐える自信が全く無かった。
「ないっ、そんなことないぞっ! 誤解だーっ!」
「ふふ、魔理沙の一番弱いところって、足の裏じゃなくて脇腹よね。知ってるんだから」
いつの間にかまた正面に座りなおしていたアリスが魔理沙の脇腹をつつく。
「ひゃうんっ……!」
「ふふ、足も面白いけど、やっぱり魔理沙の可愛い顔をみながらくすぐるのが一番よねー」
何故だか知らないが、もう楽しくて楽しくて仕方が無いといった様子のアリスに対して、魔理沙ができるのはただただ叫ぶことだけであった。
「こ、こ、このドSー!」
◆ ◆ ◆
「ねえ魔理沙、ごめんってば」
「うるさいっ、このサディスティック七色め!」
あれから5分12秒、プラス1分36秒間、魔理沙は脇腹をくすぐられ続けた。
延長の分は楽しさに我を忘れたアリスが暴走したためだ。
その間、魔理沙は何度も何度も屈服の言葉を口走ってしまい、痛くプライドを傷つけられた。
そのため、開放された後もすっかり拗ねてしまい、アリスが必死になだめていた。
「ごめんなさい、魔理沙。やりすぎたわ。反省してる。だって貴女があんまり可愛いんだもの」
「だっ、だから、可愛いって言うな!」
魔理沙は可愛いと言われることに慣れていない。
普段から粗野な言動を好むため、そう評されることが少ないからだ。
他の相手ならまだしも、それがアリス相手から言われるものだから、余計に照れてしまうのだ。
そんな様子の魔理沙もアリスにとっては可愛く映り、よしよしと頭を撫でる。
「さ、散々いじめたあとに優しくするなんてずるいっ。卑怯もの! 飴と鞭作戦に私は引っかからないからな!」
撫でられながら俯いて叫ぶ魔理沙にあらあら、と苦笑するアリス。
「あら、なかなか聡いじゃない。それで、賢い魔理沙はどうするのかしら。予定では、これから貴女をたっぷり撫でたあと、髪を梳いて抱きしめて優しくしてあげようと思っていたのだけれど?」
「うぐ……」
「残念ね、魔理沙の髪の毛、触りたかったな」
魔理沙はアリスに髪を梳いてもらうのが好きだ。
アリスも承知の上でこんな条件を提示している。
魔理沙に選択の余地はなかった。
「……こ、今回だけは許してやる」
「あら、ありがとう。嬉しいわ」
少しだけ首を傾けて微笑むアリス。
魔理沙はこれからの展開に期待の眼差しを向けるが、アリスはまたとんでもないことを口走る。
「ほら、可愛がってください、は?」
「……は?」
「可愛らしくおねだりできたら、いっぱい可愛がってあげる」
「な、何言ってんだアリス、今日ちょっとおかしいぜ?」
あまりにも普段のテンションと乖離しているアリスに、魔理沙も流石に驚きを隠せない。
だがアリスは一顧だにせず続ける。
「ほら、早く言わないと飴の時間がなくなっちゃうわよ?」
繰り返すが、魔理沙に選択の余地はなかった。
「…………………………かっ、可愛がってください……」
「はい、よくできました」
「うー……」
恥ずかしさを紛らわすため、アリスの胸に顔を埋めて甘える。
アリスは魔理沙の頭を撫でてやりながら耳元で囁く。
「貴女のそういうところ、とっても可愛いわ」
「……可愛いって言うなぁ」
グスッ、と鼻を鳴らす魔理沙。
「もうお嫁にいけないぜ……」
何気なく漏らした言葉に、アリスがそう、と返す。
「お嫁にいけないなら、その時は私のところにいらっしゃい。もらってあげるから」
「……ぇ?」
言われた言葉の意味が一瞬飲み込めず、呆けた声を挙げる魔理沙。
それに構うことなく、アリスが続ける。
「私ね、文に言われたの。魔理沙の保護者、って」
「保護者って、なんだよ」
「ほら、宴会で酔いつぶれた貴女をいつも介抱したりしてるじゃない? ああいうのが、周りから見ると保護者に見えるらしいわ」
「ん……」
「私ね、今までそんなの意識してなかった。魔理沙のことは手のかかる妹みたいに思ってた」
でも、と続けて。
「文やパチュリーに魔理沙が死ぬかもしれないって言われて、この二週間くらいずっと貴女の家を訪ねて。神社や妖怪の山なんかにも出向いて。ああ、何で私こんなに必死なんだろ、って考えたらね」
一息。
「魔理沙、貴女のこと、ほっとけないの。手のかかる妹とかじゃなくて、一人のパートナーとして、そういう目で貴女を見てたことに気づいて、今日こうして話をして、その気持ちに嘘はないな、って確信したの」
「うん……」
「でも、私と魔理沙は人間と妖怪、当然生きる時間も違う。だから、私から安易には貴女に想いを伝えられない」
だから、とアリス。
「もし魔理沙が人間のお嫁さんにいけなくてもいい、って思った時は……私のところに来て頂戴? 私がもらってあげるから」
「う……ん、アリスっ、アリスぅ……」
魔理沙の瞳からポロポロと涙が零れ落ち、シーツに小さな染みを作る。
それを見たアリスが苦笑しつつ頭を撫でる。
「何よ、もう。泣くことないじゃない。どうしたの?」
「グス……なんでもないんだぜ……」
アリスは魔理沙が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれた。
「貴女って不思議な子よね、魔理沙。霊夢もパチュリーも咲夜も、みんな貴女の行動に迷惑してると言いつつ、貴方にすごく甘いんだもの」
「そうなの……?」
「それに気づいてないのは魔理沙だけよ。貴女って、みんなに愛されてるわね」
もちろん、私にもね、とアリス。
魔理沙はうん、と小声で返事をするとともに、アリスに体重を預けて甘えた。
◆ ◆ ◆
「ところで、どうして私にはちゃんと本を返してくれてたの?」
「そ、それは……なんとなくだぜ」
問われた魔理沙の視線が泳ぐ。
それを見たアリスはニッコリ微笑み、両手の指をワキワキと動かす。
魔理沙の表情が引きつり、ベッドの上を後ずさりながら降参の意を示す。
「分かった、言う! 言うから! それはもう許して!」
「素直でよろしい」
涙目で唸りながらアリスを睨んだあと、顔を赤くして答える魔理沙。
「……アリスに会う口実を作りたかったから」
「あら、可愛い理由ね。嬉しいわ。私ってずっと、貴女に想ってもらってたのね」
「ま、また可愛いって言った!」
「だって可愛いんだもの。ほら、逃げてないでこっちいらっしゃい? 抱っこしてあげる」
「うー……」
唸りつつも、素直に近寄ってアリスの腕に収まる魔理沙。
アリスは魔理沙に頬を寄せると、そっと囁いた。
「ねえ魔理沙、私さいしょに聞きたいことがあるって言ったわよね。私は魔理沙のことが好き。魔理沙の気持ちも大体は分かっているけれど、でもちゃんと聞いておきたいの。私のこと好き? 嫌い?」
アリスはたまに、選ぶ余地のない、選択とも言えない選択肢を魔理沙に提示する。
アリスの腕の中に収まって、決まりきった答えを言うために口を開きながら、自分はこの先も、こうしてアリスに主導権を握られ続けるのだろうなと悟る。
しかしそれは魔理沙にとって、けして嫌な未来ではなかった。
願掛けがやっと成就したのだから。
◆ ◆ ◆
三日後、博麗神社にて。
「よう霊夢、久し振り」
「あら魔理沙。久し振り、って三日来なかっただけじゃない」
そうだったかな、と言いつつ愛用の箒に乗って境内に降り立つ魔理沙。
魔法を使っている姿を見て、霊夢が訊ねる。
「キノコ断ち、終わったのね」
「ああ」
「それで、願いは叶ったの?」
「もちろんだぜ」
「そう、良かったわね。それで、願掛けは何だったのよ。もういいじゃない、教えなさいよ」
「こればっかりは霊夢と言えども秘密だ」
「そう。ま、なんでもいいけど……幸せになんなさいよ、アリスと」
「なっ!?」
顔を赤くした魔理沙と、それを見てニンマリ笑う霊夢。
「あら、図星みたいねえ。へーえ、魔理沙とアリスがねぇ。やーっとくっついたの? 良かったじゃないの」
「~~~!」
「やーねえ、そんな顔赤くしちゃって。誰にも言いやしないから安心しなさいよ」
ニヤニヤと魔理沙を見る霊夢。
やっぱり、本当に、この巫女の勘だけは大したものだ、と舌を巻く魔理沙であった。
◆ ◆ ◆
「ところで……文、いるんでしょ。出てきなさい」
散々からかわれた魔理沙が帰った後、霊夢の呼びかけに応える姿が一つ。
カラス特有の黒い羽に高下駄。射命丸文だ。
「あやや……バレてましたか。さすが巫女さん」
潜んでいた木から降り立ち、霊夢の前に並ぶ。
「アンタあの時、実は私のお芝居に気づいてたでしょ?」
「あや? お芝居とは何のことでしょうか。分かりかねますねえ」
ニヤリと笑ってすっとぼける文。霊夢はやっぱりね、とため息をつく。
「我ながらヘタなお芝居だったもの。ギリギリな状態の魔理沙には通じても、新聞記者のアンタをごまかせると思ってないわ。一時しのぎのつもりだったのに、どうして偽情報の号外を出したの?」
「何のことだか分からないので、一般論でお答えしますね。当事者全員が口裏あわせをして、誰も裏切らない状況を作れたら、どんな嘘でも真実に成り得るんですよ」
尚もすっとぼける文に、霊夢は苦笑する。
「大したジャーナリズム宣言だこと。逆に感心するわ」
「私も、伊達や酔狂であの魔法使いさんを山でかくまってませんからねえ。あの魔法使いさんのことは好きですよ。事件を起こしてくれますから」
それに、と続ける。
「調査の依頼主がいる手前、形だけでも結果を出さないと新聞をとってもらえませんから」
「新聞記者の鑑ね、アンタは。逆噴射的な意味で」
「はい、清く正しい射命丸文です」
「は、嫌味も通じないんだから」
二人して笑う。
「そうそう巫女さん、思いがけず借りを作ったわけですから、どうでしょうか? この機に神社でも新聞を一部――」
みなまで言わせず、境内に巫女の高らかなスペルカード宣言が響く。
「新聞勧誘お断り!」
次も楽しみにしています
可愛すぎるぜ!
口裏あわせしたわけでもないのに。
次回作もぜひ読ませていただきたいです。
すばらしいマリアリ、堪能させて頂きました。
この世界観、私は大好きです。
魔理沙と霊夢のやりとりも良かった