『私は誰だろう』と、ふと思うことがある。そんな私の呟きに、皆は口を揃えて告げるのだ。
―――貴女は霧雨魔理沙だ、と。
そう、私は霧雨魔理沙なのだ。そんなことは十分存じている。しかし私が聞きたいのはそんな陳腐で下世話な解答じゃない。
「アナタは誰」
眼前にある光反射装置に喋りかけても同じ言葉をリピートアフタミーするばかりで答えは得られない。
鏡を見れば、そこには『東方の魔女』たる象徴の蜂蜜色のウェーブかかった髪で、病的な白い肌の私が映る。当時の白黒のドレスから白が抜けた衣装を身に纏う魔女がそこで笑っているのだ。
笑っている、か。
いつからだろう。自分を隠すためにいつも笑うようになったのは。
いつまでだろう。哂い続けるのは。
答えの無い袋小路だと気づきつつも気づかぬふりをし続ける。悩み私が死ぬまで決して晴れることなどない。
ふと目の前の三面鏡が歪み、それぞれ別の魔理沙が映る。
目の前には私がいた。霧雨魔理沙と呼ばれる少女だ。
彼女は金髪の髪を揺らしながら、傍らの巫女と共になにかと戦っていた。
また右を向けば、そこには霧雨魔理沙と呼ばれた少女がいた。
結婚をし性を変え、主婦を演じる霧雨魔理沙だ。
とても幸せそうな顔をしているので殺めたくなった。
左には霧雨魔理沙がいた。
孤独に揺れながら、鮮血の朱を吹き出す少女が伏せっている。
どうやら飛び降り自殺をしたらしい。顔面が砕けて、首から上が無かった。
どれも私だった。私であったかもしれない人々であり私だった。でも、
「でも私じゃない」
酷く不愉快で不安定だ。
真白な顕微鏡の中に一人取り残された気分といえば分かるだろう。ここがここだという確証がないまま今を生きている。生きているという感覚すら朽ち果てる今を生きている。
私の世界は残酷だ。毎日が毎日死刑宣告日の様な日々。嫌なことだらけだ。
私は一体、なんなのだろう。何のために生まれてきたのだろう。生まれてきた意味を問うなんて馬鹿なことかもしれない。けど私は知りたい。知らないと死んじゃうから。
じっと掌を見つめても答えなど描いてあるはずもない。
スラリと長く伸びた指を見て、思えば成長したものだ、などとある種の孤高と慣れ合った。
「ねぇ……魔理沙ったら!」
後ろで声を荒げる物体を見る。
私よりも淡い黄金色のショートの髪がベットの上でもぞもぞと蠕動している。気持ち悪いなぁ、まるで虫だよ。
「なに、呆けてるの」
その少女、アリスは糞甘ったるい声で、私を誘惑しているような視線を向けた。私は、別になんでもないわ、とはぐらかした。よもやセンチメンタルに浸っていたとは口が裂けても告白できない。
「ねぇ魔理沙……キスして」
彼女が甘い声で私に囁く。
それに応じるべく、私はベッドに腰をかけ彼女の物言わぬ唇に自分の唇を重ねた。
彼女の口内はぬるりとして、温かかった。自分の舌を触手のように動かして彼女を貪る。自分でも飢えた獣だと思う。飢える対象が愛だからもっと気色悪いなぁ、とも。
本当なら前戯をしていきたいところだが、それは叶わない。
彼女の首から下は消失しているためだ。どこに言ったのかなどと野暮なことは聞かないで欲しい。アリス=首だけという私の世界の常識なのだから。
「えへへ、だぁい好き」
そう言った気がした。
当然のことながら彼女は死に絶えているので全て私の妄想だ。タルパなので妄想も真っ青だ。
粘着質な接吻を終えた後、彼女は眼を閉じてスースーと気持ちの良さそうな寝息を立てた。一体全体、呼吸の酸素はどこへ供給されているのだろう?
「全く……駄目な奴……」
ホントに駄目な奴だ。私も彼女も……いや、私のことは棚にあげて彼女のことを批判しよう。 死んでるくせに私に要求をするのだから質が悪いのだ。まるで呪いだ。彼女を助けられなかったのは私のせいだと云わんばかりに私を拘束する。今すぐ楔を打ち込みたいが、怨嗟はスライムタイプなので、千切っても迂回して私を捻る。
「はぁ……性悪女ねぇ……」
溜息一つ、私は七つの星を口に挟み、火を灯し、紫煙を燻らせる。
群青色で塗りつぶされた空に、鏡の星が反射する。もう暗い。部屋の中も薄暗い蛍光灯の明かりしか無い。
……まったく特待生なんだからもっといい部屋をあてろと、ミスカトニック大学には文句が尽きないが、まぁ一人部屋なのでよしとしようと安易に妥協した。
煙が雲と混じって何処にでも行けそうな気がする。
……気がしただけ。しかし。たった一つ分かることは。
アリスの髪の毛が傷んでいるな。もっと頻繁に手入れしないと駄目だなぁということだけだ。思いながら、灰皿に煙草を押し付けた。一条の煙が消えた。
「…………フ」
灰に残った白濁の煙を吐き出した。
彼女の生首は嫌煙家なので、私が吸ったために起きだした(ようだ)。
そして唐突に私に喋りかけた(ような気がした)。
「あら、貴女は何処の何方でしたでしょうか」
……むぅ。何故彼女は私を忘れてしまったのだろう。疑問符を頭に乗せながら、
「私は霧雨魔理沙」
若干呆れながらそう答えてやった。
「あらあら、聞いただけで吐き気がする名前ですこと」
「そういうお前は……誰なんだぜ?」
「なんでもいいけど、一応アリス」
「不思議の国の?」
「ああ哀れすぎて憐れね。貴女は頭に蛆虫でも湧いているのかしら」
「世の中には魔法の呪文『マリアリはジャスティス』という言葉があるんだぜ?」
しまった。使いたくない語尾を使ってしまった。
「本当に下劣。自分の価値観=考えを無謬なき正義だなんて。呆れてモノも言えないわ」
「そうか? 私は唯単に気持ちを共有したいだけだと思うんだけどなぁ」
「共有なんて気色悪くて嫌悪の塊よ。逆に聞くけど、私の見ている色と、貴女の見ている色が同じ色だという確証があって?」
「……無いよ。アリスの見ている私と、私の見ている私は違う世界だもの」
「だったら勝手な事を言わないで」
「勝手な事を言わない鬱屈した世界は退屈なんだぜ」
またやっちまった……あぁ~っ! もういいや!! 知らないっ!
「あ~あ、所詮平行線ね」
「漸近線じゃないのか?」
「私とあんたが? 冗談言わないで! 下衆の分際で近づいた気にならないでよ」
生首の分際で私を下衆扱いか。腹立つ。
「―――アリスは私の事が嫌い?」
「好きか嫌いかなんて二択を迫ってほしくない。無関係でいたいわね。何事にも愛憎ってあるし。無関係って最高」
「好きになるって凄く幸せなことじゃないの? 全ての人が推奨している宗教でしょ、愛っていうのは」
「冗談。だって自分が好きになった人は、自分に熱中している私には興味がない人でしょ。相思相愛になったら、自分が好きなが好きな人になっちゃうのよ。そんな人は嫌いだし、相手も同じ気持になるわ……まっぴらゴメンよ」
「誰とも何も関わらないって辛くないのか?」
「ええ。辛くないわ。だって関わり合うって無駄なことよ。どこまでもどこまでも行けない。唯唯時間の無駄遣い、表面上の付き合いでしか無い……喩えるならば、ペルソナ被った舞踏会みたいなモノだし」
「演劇は演技と知ってるから楽しいんだぜ」
「演劇なんて嘘の世界に嘘の台詞、どこが楽しいのかしら?」
「……らちが明かないなぁ」
「夜も明けないといいのにね~」
「じゃあアリスは何が好きなの?」
「人形よ。性愛人形(ラブドール)、醜悪人形(ギニョル)、入子人形(マトリョーシカ) ……何も言わない何も語らない人形たち。やっぱり愛するなら無生物ね。私に何も与えないし、私と対象も何一つ変わらない。そんな素敵な純愛(プラトニックラブ)が大好き」
「愛に恋とは変態だな」
人の事は言えないと自嘲した。するだけだけど。
「私は変態しないわよ、だって毛虫じゃないもの」
「醜いものから美しいものに変わるのが変態だっけ?」
「いいえ、自分の異常を他人が異常だと押し付けることが変態よ」
「なんだか難しいな」
「話を関連付けましょうか? 要するに押し付けるなってことよ」
「何を? お惣菜を?」
「いいえ。感情を、よ―――話はここまでにしましょうか。所詮、アナタも寂しがり屋なんだし――――――」
その一言を言い終わった時、私の堪忍袋が切れてしまった。
気がついたときには脳姦眼姦の雨霰だった。さっきまでの綺麗な顔はどこへその。今は見る影もなくグッチャグチャにしちゃった。
純白のシーツに愛液みたいな漿液が大量に染みこんだ。殺人形現場だ。
あ~買ったばかりなのにな、此のシーツ。あ、そうか前回も同じ理由で汚したんだった。
「……パチュリーだったら生きてたかな」
呟いた時だ。ドアをノックする音が部屋に響いた。
「魔理沙先輩~……教授が時計塔で待ってますよ」
「ん、分かった。部屋片付けたらすぐ行く」
飛び散った赤色の脳漿を箒で集めてゴミ箱に捨てた。
ゴミ箱の中では旧アリスの眼球を覗かせている。
うぅ……そんな目だけで私をみるな。
白骨にこびり付いた肉を舐めとる。うん、美味美味。
そこでフィルムが切れるように思い出のアルバムは綴じられた。
目を開くと、そこはシャボン玉のように虹色の球体で満ち溢れる世界だった。ふわりふわりと○は生きる歓びを体現し飛び跳ねる。
「ま、どうでもいっか」
目を開けば、そこは幻想世界。
泡色で統一された不思議な空間に一人私は吹くはずのない旋風を唯唯待っていた。
それにも飽きたので、地に臥せる境界と運命の欠片を見下す。
紫の指はとても綺麗で、親指と人差指で小間結びを試みるも出来ない。
レミリアの指先はとても幼くて、思わず爪の間に針を刺してやった。
それでも悲鳴をあげないのは彼女らが物言わぬ死体だからに他ならない。
彼らを見ながら思う。
「……つまらない」
この幻想郷(世界)を飛び出たところで、出来るようになったのはこんなことばかりだ。魔術魔法を知れば知るほど絶望し、それに特化している自分を殺そうと幾度も後悔し、そんな気持ちを韜晦するために笑った。
いくら運命を捩じ伏せようと、
いくら境界を喰い破ろうと、
「私が出来るように成りたかったのはこんなことじゃない……!」
…………?
じゃあ。
……私が出来るようになりたかったのはなんなの?
思い出せない。記憶がないんじゃない。思い出せない、歯がゆい。
「どうして!? 思い出せないっ……! ……?」
……後ろに誰かが立った。
違う。断じて『誰か』なんじゃない。分かっているさ。分かっているからこそ振り向いた。確認するために。
振り向けば紅と白の巫女が立っていた。
私と違って成長しない、嘗てと同じ姿の女が立っていた。
当然といえば当然だ。
幻想郷(ここ)はある種ピーターパンの世界だ。
この世界は時間を置き去りにするのだ。文字通り常識に囚われない。
あの時は対等だった目線が今では見上げると見下すの関係へと変わっていた。
博麗霊夢と視線が交錯したときだった。
――――――嗚呼そうだったんだ。
アリスを助けたいだとか、蘇らせたいだとかは、体の良い言い訳だったんだ。
私はこんな世界が厭で抜けだしたんだ。
この幻想郷という空気が厭で厭で仕方なかった。馴れ合いだけの時間が嫌いだった。
進歩のない時の流れに身を置く自分が嫌だった。少しでも世を知ったかぶりたかった。
時間を肌で感じたくて。
もっと世界を知りたくて。
だから、今いる世界を抜けだして。
がむしゃらに目指した指針が、アリスという人形の様な目標だ。
結局の所、私はアリスを心の底から蔑ろにしていたんだ。
こんな最期で気づくなんて……なんて間抜けだ。
「遅かったわね、博麗霊夢」
「……魔理沙」
けど……もう手遅れだ。
幻想郷を滅ぼそう。そう彼女に誓ったのだから。
それを掌返して、和解和睦だなんて、
「――――――」
それだけはしちゃいけないよね。
ね。アリス。
人々の喧騒の中私は待ち合わせの場所で一人立っていた。
服にはちょっと気合が入っているが彼女にはバレない程度だ。
「遅いなぁ、アリスのやつ」
腕時計で確認したら、もう30分はたってる。
目の前の通行人観察も飽きてきた。
ショッピングに行こうと誘ってきたのはあっちなのにな。
「アリスは時間に遅れるのが常なのかな――」「お待たせ! ごめん、大学の先輩がうるさくって……」
……なんというタイムリーだ、感心する。
私は、待つことは慣れてる、と嘘をつき、早速行こう、と促した。
息を切らしているので走ってきてくれたのだ。文句などあるはずもない。
「OK! 善は急げだ!」
「お、おうだぜ……!」
なんとも元気なものだ。二度感心した。
私の左隣をアリスは歩いた。私は歩くのが速いほうなので、若干スピードを落としたつもりだが、それでも彼女には辛いらしく小走り気味になっている。
「速い?」
「えっ……ううん、そんなことないよ」
「そう? ならいいんだけど……」
何やら、うつむきながら歩くアリスは心配だ。
「あのさ、魔理沙……」
「?」
「手、握っていい?」
――――――なんだ、そんなことか。
「ん……いいよ」
そういって私は彼女の右手を左手で握った。
暖かくって柔らかい、とても優しい心地がして、幸せな気分だと心から思った。
もう二度と離したくないとも。
博麗霊夢に殺される瞬間に夢を見た。
それはとても不愉快で暖かいぎこちない夢だった。
イメージと魔理沙の愛がオーバーフローしている。
良い感じ。