いつかどこかで、誰かが彼女を「変わり者」だと言ったことがある。
それは紅白の巫女だったり、黒白の魔法使いだったり、あるいはもっと別の誰かだったか。
そしてそんな彼女たちの評した言葉のとおり、私もやっぱり彼女は「変わり者」だと思うわけです。
いつも自信に満ち溢れて礼儀正しく、けれども時折り見せる突飛な行動は人も妖怪もあんぐりと口をあけること間違いなし。
鮮やかな若草色の長い髪は艶やかで、あまり日に当たらない白い肌は透き通るように綺麗。
同じ女の子としてみても魅力的な彼女は、一体どういうわけなのか私を弄るのが趣味らしかった。
断固、さでずむ反対と抗議したい。もう全力で。
「早苗、恥ずかしいんだけど」
「いいじゃないですか。もう少しぐらい」
そして、私を弄るのが趣味かと思えば、時折りこんな風に妙に優しいこともある。
人里の人々行きかう街道の団子屋、その外に備え付けられた長椅子に座っている私に、後ろから抱きつく件の人物。
山の上の巫女、東風谷早苗はご満悦といった様子でとても楽しそう。
密着しているものだから彼女からいい匂いがして、なんだかドキドキするのと同時に自分の匂いが臭くないかと心配になる。
もっとも、早苗はそんなこと気にした風もないから、きっと大丈夫だろうとは思うけれど。
「はぁ~、この抱き心地、この柔らかさ、そしてこの匂い。小傘さんはやっぱり落ち着きますねぇ」
「早苗ー、私は早苗の抱き枕じゃないんだよー?」
「あら、それはいいかもしれませんね」
あ、やばい。なんか墓穴掘った気がする。
不肖この私、多々良小傘は残念ながら早苗のマスコットという形に綺麗すっぽりと嵌ってしまったらしい。
恐る恐る後ろを振り向けば、満面の笑顔で「ん?」と首をかしげるさでずむ巫女。
見る人が見れば一発で惚れちゃうこと請け合いな綺麗な笑顔なんだけど、残念ながら私には獲物を捕らえた蛇にしかみえねぇのです。
そんな時、私の思考を遮るまぶしいフラッシュとシャッター音。
まぶしさに一瞬目を瞑り、再び瞼を上げれば、そこにいたのはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたツインテールの鴉天狗だった。
手にはしっかりと、あの細長い変なカメラを携えてるあたり、今の現状はバッチリ撮影されてしまったっぽい。
「うん、明日の新聞の見出しは『巫女と唐傘お化け秘密の密談』で決まっ―――」
「今日は鳥のから揚げですね」
「すんませんでしたぁーッ!!」
惚れ惚れする土下座だった。言葉も皆まで言わせるまでもなく、ただの一言でそれを封じるこの巫女はやっぱり只者じゃないのかもしれない。
目の前の鴉天狗、姫海棠はたてはプルプルと身を震わせながらまるで献上するかのようにあのカメラを差し出していたりする。
一体、プライドの高い鴉天狗がここまで怯えるとは一体どういうことなのか。
あのカメラを弄くりながらもにこやかな早苗に問いただそうと思ったけど、聞くべきなのか聞かないほうがいいのか、一瞬だけ判断に悩む。
それでも聞いてしまったのは、やっぱり怖いもの見たさな考えがどこかにあったからかもしれない。
「ねぇ、早苗。あの鴉天狗に何したの?」
「この前盗撮されたんで妖力を根こそぎ奪いつくしてみました」
なんか、こちらが予想していた以上にえげつなかった。というか、やっぱ聞くんじゃなかったよ。
そしてカメラに何をしていたのか知らないけれど、やがて満足したのか早苗はカメラを持ち主に返してにこやかな笑顔で額の汗をぬぐうような動作をする。
こう、まるで「いい仕事しました!」みたいな感じで。
「はい、画像は消しましたからお返しします。もう帰っていいですよ?」
「う、うぐぅ……っ!! こ、これで勝ったと思うなよぉぉぉぉ!!」
なんか涙目で飛び去っていく鴉天狗の姿を、ぼんやりと視線で追う。
背中がすすけて哀愁が漂っているのは、はたして私の気のせいだろうか?
なんだか凄まじく居た堪れなくなってきた私は、ふと早苗に視線を戻し。
「携帯かぁ……」
ぼんやりと、彼女がそんな言葉を口にしているのを目撃した。
先ほどまで楽しそうだった笑顔はなりを潜め、はたての後姿を見送るその視線に浮かんでいるのは、遠い記憶の懐かしさか。
遠い過去を懐かしむように。
遠い思い出を思い返すように。
大事な大事な宝箱の紐を、感慨深く解くかのような、そんな表情。
私は、その表情を知っている。
私は、その思いを知っている。
だって、その表情は、私がよく浮かべる表情だったはずだから。
「早苗?」
疑念の声が滑り出る。
その声にようやく意識が戻ってきたのか、彼女は「なんですか?」とにこやかに笑った。
先ほどと同じように、けれども、抱きしめている腕には、知らず知らずの内に力がこめられているような気がして。
変わらぬ笑顔。
変わらぬ言葉。
けれども、確実に変化した見えない「何か」。
「ううん、なんでもないよ」
「そうですか? ふふ、変な小傘さんですねぇ」
私の頭に顎を乗せて、ぐりぐりと押し付けてきてちょっと痛い。
「やめてよー」と懇願してみてもちっともやめず、「そーれそーれ」とノリノリになっているのは一体どういうことなのか。
やっぱり、いつもの早苗だ。何かが変わったなんて、やっぱり私の気のせいだったのかも。
そうやって、今日も今日とて私は早苗に遊ばれてばっかりで反撃もできずに一日を終える。
もう、それでもいいや。なんて思い始めているあたり、本気で何とかしないといけないと切に思う小傘さんなのであった。ウム。
▼
さてさて、そんな出来事から早一週間。
小傘さんの一日は「打倒早苗!」の掛け声とともに始まるのである。
夢を語るなら大きく持て、と偉い人はいったらしい。
私の夢は目下「早苗をギャフンと言わせること!」なわけだけれども、今まで一度も成功したためしがない。
何がいけないのか、何が足りないのか、日々研究に研究を重ね、そして私は思い至ったのである。
それはつまり―――彼女の親しい人物から情報を聞き出せばよいということなのだ!
……こら、そこ。他人任せとかいわないで。気にしてるんだから。
「と、いうわけで早苗の弱点って何か知らない!?」
「帰れ」
よもやの門前払いでございました。小傘ちんビックリです。
目の前の紅白の方の巫女は心底うっとうしそうな視線を私に向け、けれども手は変わらずに神社の掃除に勤しんでおられた。
巫女の事を聞くなら同じ巫女に聞けばいいと思ってここ、博麗神社に訪れたわけなんだけれども……うん、人選ミスったかもしれない。
「なんか失礼なこと考えてない?」
「いいえ、滅相もありません!」
思わず敬礼して全否定してしまった私。
もうやだ、この世界の巫女さん。巫女ってもっとこう、清楚で優しい人がやるべきなんじゃないの?
なんで幻想郷の巫女はどっちもさでずむに満ちているのか、私は不満で一杯です!!
そんな私の心情を知ってか知らずか、博麗の巫女こと博麗霊夢はシッシッと手で追っ払う仕草までする始末。
「あっそ。ならいいけど、私は暇じゃないから、大人しく帰ることね」
「これ、人里一日限定10個の羊羹です」
「ま、話ぐらいなら聞いてあげてもいいかしら」
私が食べ物献上したらあっさりと態度かえる紅白の巫女。
ルンルンとスキップしながら縁側まで移動し、チョイチョイと手招きまでしてくださる始末。
現金すぎる。自分でもので釣っておいてあれだけどさ、彼女の将来が心配でたまりませんけども。
かといって、このまま彼女の気が変わってしまわれても献上した羊羹が無駄になってしまうわけで。
「失礼しまーす」などと言葉にしつつ、いそいそと縁側まで移動する。
ポンポンッと縁側に座るように促され、そのとおりに座ると霊夢は「じゃ、お茶取ってくるから」とその場を後にした。
あまりの変貌っぷりにポカーンと間の抜けた表情をさらしながら、廊下を歩いていく霊夢の背中を追い続けた。
やがて見えなくなってようやく、私は頭痛を抑えるように頭を振るわけで。
……どうしよう。あまりの都合のよさに逆に不安になってきた。
やることもなく、暇になってしまった私はぼんやりと空を見上げながら巫女を待つことにする。
どうせ慌てたって仕方がないのだ。どんな話が聞けるかはわからないし、それに霊夢の入れてくれるお茶に興味があるのも事実。
そんなわけで、足をぷらぷらと揺らしながら空を見上げていると、澄み渡る青空に見えるひとつの人影。
それはもう、どこかで見覚えのある鮮やかな若草色の髪を靡かせる姿は、どこからどう見ても早苗なわけで。
うん、巫女を待ってたらもう一人の巫女がおいでになったでございます。どういうことなのよ?
「あら? こんにちは、小傘さん」
「コ、コンニチハ」
「小傘さんがここにいるなんて、珍しいこともあるもんですねぇ」
「ソーデスネ」
「……あの、どうかしました? なんか台詞がカタコトになってますよ?」
……ハッ!!? 私としたことが、予定外の事態に混乱してしまったわ。
ここで不審な行動をとってしまえば、私が霊夢に早苗の弱点を聞きにきたことがばれてしまうかもしれない。
もしそうなってしまったら……、考えるだけでも恐ろしいわ。
「あはは、なんでもないよ。ただ、早苗がいきなり来たものだからビックリしただけだよ」
「そうなんですか?」
ごまかすように笑いながら言葉を紡ぐと、不思議そうな顔できょとんとしたように問い返される。
うんうんと頷く私は表面上は平静を装いつつも、内心ではバレやしないかと冷や冷やものだ。
そして丁度、お茶を持ってきた博麗の巫女がご帰還なさった。
うぅ、はたしてこれってタイミングよかったのやら悪かったのやら……。
早苗の姿に気がついたのか、いつもどおりの表情を早苗に向けながらお茶を渡してくれる霊夢。
この様子だと、ここに早苗がくるのは特に珍しいことでもないみたい。
気分を落ち着かせようとお茶を一口飲む私をよそに、目の前で巫女二人が微笑みあっていた。
「あら、早苗。今日も分社の点検?」
「はい。これもお勤めですから、しっかりとしておかないと」
「相変わらず、まじめよねぇあんたは」
「霊夢さんが不真面目すぎるんです」
なんだか仲がよさそうに会話する二人。
その様子はまるで仲のいい友達同士みたいで、なんだかうらやましいなぁとそんなことを思ってしまう。
楽しそうな早苗の笑顔を、知らず知らずの内に視線で追っている自分に気がついた。
不思議な気分だ。早苗の笑顔を見てると、なんだか落ち着くというか、嬉しくなるというか、胸の内側から温かくなるような気がするのだ。
だから、早苗の表情を見ることはほとんど癖になってしまったみたいで、気がついたら彼女を視線で追ってしまう。
けれども。
(なんか、早苗元気ない?)
今日の彼女は、どこか元気がないように思えたのだ。
いつもと変わらない笑顔。いつもと変わらない声。
なのに、どこか違う。同じはずなのに、何かが……違う。
そんなの矛盾してる。変わらないはずなのに、変わってないはずなのに、私の心は何かが違うと訴えかけてくる。
そんな私の考えをよそに、早苗は会釈をしてから霊夢と分かれた。
境内を横切って別の小さな祠に走っていく彼女の後姿を、私はただぼんやりと眺めている。
矛盾した違和感。それがこんなにも、私の心を不安に掻き立てるのは、どうしてなのか。
「ねぇ、霊夢。早苗……元気なかったよね?」
「……うーん、そういわれてみれば……そんな気もするわね」
気難しそうに考えながら、それでも霊夢も同意してくれた。
けれども、彼女も私と同じように漠然と感じただけみたいで、そう思い当たった原因にひたすら頭を悩ませている。
やがて、「ま、考えてもしょうがない」とわからないことはさっぱり置いておくのは、なんとも彼女らしいのかもしれない。
「それで、早苗の弱点だっけ?」
「……いや、今日はいいよ。私、そんな気分じゃなくなっちゃったから」
「あら、それは丁度よかったわ。私もあの子の弱点とか知らないし」
……それはつまり、最初っから私の献上した羊羹は無駄になったということではないのだろうか?
がっくりと肩を落とした私をよそに、巫女はご満悦な様子で羊羹を頬張った。
いや、まぁいいんだけどね。こういう人だっていうのは大体知ってるし。
ふと、分社の点検をしている早苗に視線を向ける。
その背中はここからじゃ遠くて、いつもよりも随分と小さくて、それ以上に―――私には、さびしそうに見えたんだ。
▼
それから、しばらくたった頃。
あれからというもの、出会えばいつもどおり早苗は笑っていたけれど、やっぱりどこか元気がない風に思えた。
最初の違和感は、次第に確信へと変わっていく。
ある日のお昼時、生憎の空は雨模様。ザーザーと自然の恵みが容赦なく大地に打ち付けられている。
私が、早苗のいる神社に訪れたのは……そんな日のことだった。
カランコロンと、雨音に混じって下駄の音が鳴る。
相棒のお化け傘をさしたまま、私はいつも早苗のいる縁側のほうへ足を向けた。
いつもは驚かしにここへ訪れて、けれどもいつも失敗して、結局彼女には笑われてしまう。
そうやって、そんなやり取りを何度繰り返したかわからない。
けれどもそんな毎日は悔しくあると同時に、それ以上に楽しかったのだ。
だからこそ、私が縁側に座る彼女を見つけたとき、どうしていいのかわからなくなってしまった。
彼女は、そこにいる。
ただ懐かしそうに、それでいてどこか寂しそうに、戻らない過去を思うように。
彼女の手には、姫海棠はたてが持つカメラと色と柄こそ違うけど同じものが握られている。
それを眺めながら、彼女は笑っている。
吹けば消えてしまいそうな、そんな寂しそうな笑顔で。
なんて、言葉をかけていいのかわからない。
どんな表情をして、彼女に歩み寄ればいいのかすらもわからない。
だって、言葉をかければ、近づいてしまえば、早苗が消えてしまいそうで。
それが、こんなにも怖いと、……そう思ってしまったんだ。
「小傘さん?」
「あ、……こんにちわ、早苗」
ボーっと突っ立っていたせいか、いつの間にか彼女に見つかってしまったらしい。
先ほどまでとは違う、いつもどおりの笑顔を浮かべる彼女に、なんと返せばいいかわからなくて当たり障りのない返事を返すだけ。
ポンポンッと、早苗が自分の隣の床をたたいた。
こっちにおいでというその意思表示に甘えて、私はいそいそとそこに向かい、そして傘を閉じながら座る。
ここにくると、雨音が余計に耳に響くような気がした。
気分のせいだろうか。ザーザーと雫が大地を打つ音は、いつもは出来のいい音楽みたいで好きなのに、今日はなんだかノイズみたいで心地が悪い。
そんな私を不思議そうに見つめて、早苗は首をかしげながら言葉をつむいでくれた。
「今日はどうしたんですか? こんな大雨の日に」
「うん、本当は脅かす気だったんだけど……今日の早苗、元気なさそうだったから……」
私が紡いだ言葉が心底意外だったようで、彼女は目をぱちくりと瞬かせた。
一瞬の静寂。驚きと、そして困惑と、それらが綯い交ぜになった表情を浮かべた早苗を、私はただ真正面から見つめている。
ザーザーと、沈黙を埋めるように不快な雨音が響く。
どれほどそうしていただろうか。数秒か、あるいは数分か、もしかしたらもっと長かったのか。
やがて早苗が困ったように苦笑して、「まいったなぁ」とばつが悪そうに言葉をこぼす。
そこに、先ほどまでの笑顔はない。
やっぱり、どこか寂しそうな表情の……東風谷早苗の姿が、そこにあった。
「ごまかせてたと思ったんですけどねぇ」
「最初は、私も勘違いかなーって思ってた。でもさ、結構前から元気なかったよね?」
「あちゃあ、私もまだまだ修行不足ということですね」
困ったように、彼女は言葉をこぼす。
早苗の手にはやっぱり、あのカメラが握られている。
そのカメラの画面に映っていたのは、いつもと違う服を着た早苗と、私の知らない、早苗と同じ服を着た誰か。
「河童の技術ってすごいですよね。もう見ることがないって思ってた思い出も、こうやって見ることができちゃうんですから」
その言葉に、どれほどの意味がこめられていただろうか。
画面を見つめる早苗の表情は儚げで、懐かしむように、愛しむように、ナニカへと思いを馳せていた。
覗きこむように画面を見れば、早苗と誰かは仲がよさそうに笑いあっている。
「友達?」
「えぇ、そうですよ。外の世界の、私の唯一のお友達でした」
「……あぁ、やっぱり友達少なかったんだ」
「どー言う意味ですか?」
グニグニとほっぺたを引っ張られた。
痛い痛いと抗議してみるものの、笑顔のまま青筋を浮かべた巫女は全然聞き入れちゃくれない。
元気がなくても早苗はやっぱり早苗だった。さでずむ反対ーッ!!
もう少し続くだろうと思っていた責め苦。けれども早苗はため息をこぼすと、意外と早く私の頬を開放してくれた。
「まぁ、確かに少なかったですよ。私、虐められっ子でしたし」
「……へ?」
……虐められっ子?
…………誰が?
………………早苗が?
「嘘ぉ!!?」
「だから、ど・う・い・う・意・味・で・す・か?」
再び頬っぺた抓られた。グニグニ伸ばされ、私の頬はすっかりお餅みたい。
やっぱり抗議しても聞き入れてはもらえず、彼女の気がすむまで私の頬は伸ばされる羽目になった。
やっと開放されたころには、たぶん、赤くなってるんじゃないかってぐらいに頬が痛い。
でも、……意外だったな。
私の知ってる早苗はどっちかっていうといじめっ子気質で、よく私を弄っては楽しんでる子で。
強気で、自信満々で、それだけの実力を持ってるすごい人なのに。
そんな早苗が、虐められっ子だったなんて。
そんな思いが表情に出ていたみたいで、早苗は私の頭を優しくなでてくる。
よっぽどおかしかったんだろう。私の顔を見ながら頭をなでる早苗の表情は、クスクスとどこか楽しそうだ。
「気になります?」
その言葉にゆっくりと頷けば、早苗は「しょうがないですねぇ」なんて言葉にしてゆっくりと語ってくれた。
遠い日の思い出。幻想郷に訪れる以前の記憶。
早苗が過ごした、かけがえのない大切な日々の記録を。
▼
早苗は小さなころから、人には見えない幽霊というものがよく見えたという。
幻想郷にいた私にはその意味がわからなかったけれど、外の世界では幽霊は普通は見えないのだそうだ。
そんな誰もが見えない中で早苗だけが、死んだ人の念を見ることが出来たらしい。
彼女は小さな頃、その本来は見えないものが見えることに何の疑問も持たず、友達の居る傍で幽霊が見えることを隠しもしなかった。
やがて、そんな彼女を気味悪がったのか友達は一人、また一人と離れていき、いつの間にか彼女は孤立する。
どうしてこうなったのか、何故こうなってしまったのか、幼い彼女にはそれがわからず、ただ呆然とすることしか出来なかった。
次第に誰もが彼女を腫れ物を扱うように接して、誰も近寄らず、誰も話さず、酷い時は「嘘つき」呼ばわりされて虐められることもあったみたい。
自分には見える。けれども、他の子たちには見えない。ただそれだけの差が、彼女を一人孤立させた。
そんな時、助けてくれた子が居たのだという。
それこそが、早苗の持つカメラの画面に映る少女で、唯一無二の親友だと、早苗は笑顔で語ってくれた。
自分の言うことを信じてくれて、皆が気味が悪いと蔑んだ自分と一緒に居てくれて。
何をするにしても、どんなとこに行くにしても、早苗とその少女は一緒だった。
やがて、早苗が本格的に巫女の修行をするようになれば、その子が見学に来ることもあったらしい。
運勢を占ったりもすれば、はたまたは何処からかつれて来た霊を除霊したりと、早苗にしか出来ないことで、その少女に恩返しをしたこともあった。
デパートに出かければ一緒に服を選びあい、喫茶店に行けば新商品のアイスを頼んでお互いに交換し合ったこともある。
幸せな時間だった。友達は月日を重ねても少ないままだったけれど、それでも彼女と居れば退屈しなかった。
当たり前の時間。当たり前の日常。普通の人と少し外れた少女が手にした、かけがえのない時間。
けれど、それは唐突に終わりを告げることになったのだ。
▼
「私ね、結局お礼もお別れもいえないまま、幻想郷に来ちゃったんですよ。
本当のことは言えない。いくら彼女でも、信じてもらえるはずもないほどの、突拍子もない話だったから。
覚悟はしてた。神奈子様達についていくと決めた時点で、私は彼女に黙ってここへ来た。
未練はないはずだった。覚悟もしたはずだった。けれども、結局私は―――唯一の友達に何も言えなかった事を後悔してるんです」
「情けないですよね」と、早苗は悲しそうに笑う。
その手に持ったカメラを覗き込んで、笑いあってる二人の姿を、どこか羨ましそうに見つめていた。
「この携帯、あの子と一緒に選んで買ったものなんです。その日の記念にってことで、こうやって写真を撮ったんですけどね。
……その翌日のことだったんですよ。神奈子様に幻想郷に行くことを告げられたのは」
早苗にとって、ここの神様は親も同然だと以前聞かされた。
外の世界で信仰を失い、消滅しかかっていた彼女たちは、神社ごと幻想郷へ移り住んだのだと。
早苗だって、きっと悩んだはずだ。大切な友達が居る場所に留まるか、それとも、今にも消えてしまうかもしれない、親も同然の神とともに幻想郷へと移り住むか。
どっちも大切で、けれどもどちらかを切り捨てなきゃいけない苦悩。
私が体験したことがない、どちらも大事だからこそ辛い選択の苦痛。
どちらを選んでも、永遠の別離。
片方とは永遠に会えなくなる、辛い苦渋の選択。
そこに、どれほどの葛藤があったか。
そこに、どれほどの苦しみがあったか。
そこに、どれほどの悲しみがあったのか。
私に、それを理解することは出来ない。
間違っても、理解できるなんて口に出来やしない。
だって、体験したことのない私がそれを言葉にすることは、早苗にとって紛れもない侮辱になるだろうから。
「早苗はさ、外の世界に帰りたいって思う?」
気づけば、私はそんなことを問いかけていた。
何かを口にしなければ、彼女が消えてしまいそうで。
けれども、その問いの答えが肯定だったなら、私はいったい何を思うだろう?
早苗が居なくなる。
早苗が目の前から、消えてなくなる。
存在の痕跡も、手がかりも、何もないまま―――まるで消滅したかのように、忽然と。
そんなの、嫌だ。
どうしてかわからないけれど、早苗に消えてほしくないと願う自分が居る。
もしかしたら、早苗の友達だったこの女の子も、今の私と同じ気持ちだったのか。
けれども。
「いいえ、私は帰りませんよ」
力強い、きっぱりとした意思のこもった言葉が、早苗の口から滑り出した。
おもむろに立ち上がった彼女は、降りしきる雨の中を戸惑いもなく歩き出す。
私の制止の声も振り切って、彼女は一歩一歩ゆっくりと、だけど確実に歩を進めていく。
まるで、そうすることで自分の思いを確かにするかのように。
「確かに、今までその思いを抱かなかったかといえば嘘になります。
でもね、小傘さん。経緯はどうあれ、私は神奈子様達とともに歩むことを選んだんです。
現人神として、風祝として、そして何より一人の人間として、私は自分の意思と覚悟を持って、この幻想郷に来た。
ここで帰りたいなんて言葉を口にしたら、ここへ連れて来てくれた神奈子様達にも、黙って別れてしまったあの子にも、そして何より、家族と親友を天秤にかけて思い悩んだ私自身への最大の侮辱じゃないですか。
だから、帰らない。ここに来たことは他でもない―――私自身の意思なんですから」
まるで、自分に言い聞かせるような。
けれども、迷いのない決意が込められた紛れもない覚悟の言葉。
私へと振り返り、雨に打たれながらもその言葉を口にした彼女は、凛として咲く花のようだ。
雨に打たれようと気高く、自分の信念を曲げないようにと咲き続ける花のように。
巫女服が雨に濡れて、彼女のスラリとして出るとこの出た輪郭が浮かび上がる。
細く、それでいて柔らかそうな、女性として魅力的なラインを隠しもせず、彼女はただ私を見据えていたけれど。
「でも、まぁ……いつまでも皆に心配かけるわけにはいきません」
そんな風に、彼女は笑った。
自分の悩みを打ち解けて少しは気が晴れたのか、雨に濡れながらも微笑む彼女はとても綺麗で。
「心配してくれてありがとう、小傘さん。誰かに話すというのも、存外に気が楽になるものですね」
そこに笑っているのは、私のよく知る早苗だった。
変わり者で、真面目で、いつも自信に満ち溢れて礼儀正しく、けれども時折り変な事をする。
私の大好きな―――いつもどおりの東風谷早苗が、そこで笑っていた。
胸につっかえていた何かが、ポロリと外れたような気分だった。
なんて言葉にすればいいのかわからない。けれど、彼女の笑顔が見れて安心したのは確かだと思う。
そう思うのはやっぱり、あの日、あの時、彼女にどこか元気がないと悟ってから、ずっと心配だったからか。
「あはは、私でよければいつでも言ってよ」
「そうですね、そうさせてもらいます」
そんな言葉を交し合って、お互いに笑い合う。
いつの間にか、雨はすっかりと止んでしまい、雲の隙間から光が覗いた。
そんな空の下で、早苗があのカメラを何か操作しているのに気がついて、気になった私はそちらに歩み寄る。
「何してるの?」
「小傘さんと話してたら、決心がつきました。ちょっと、あの子に手紙を送ろうかと思って」
「私、助けになりそうなこと何も言ってないよ? ていうか、手紙って外の世界に届くの?」
「さぁ、やってみなくちゃわかりません」
にこやかに笑って、早苗はカメラを空へと掲げた。
「送信」っと、どこか楽しそうに言葉にして、一瞬だけ、またあの懐かしむような表情を覗かせた。
けれど、それも一瞬。またいつもの満面の笑顔に戻って、私に後ろから抱き着いてくる。
たぶんだけど、今のが手紙だったんだろう。どういう原理か私は知らないけれど、幻想郷から外の世界へ手紙か届くかはわからない。
でも、届いたらいいなって、そう思う。
だって、早苗の友達は今もきっと―――彼女の連絡を待っているだろうから。
▼
そんなことがあって数日後のこと。
私が人里のお気に入り茶菓子屋でお団子を食べていると、いつもどおりの元気なさでずむ巫女が挨拶してきた。
口には団子が詰まってるんで返事がもごもごとしたものになってしまったからか、早苗は呆れたように苦笑して私の隣に座る。
口の中の物をよくかんで、しっかりと飲み込んでから彼女に言葉をかけることにする。
「今日はどうしたの、早苗?」
「いえいえ、ちょうど小傘さんを見かけたものですから、丁度いいと思いまして」
いつもどおりかと思えば、どうやらいつも以上に上機嫌みたい。
こういう時、決まって散々な弄られ方をするから警戒していたのだけれど、彼女が懐からあるものを取り出した。
それは、あの時に早苗が持っていた不思議なカメラ。
カメラの癖に手紙まで送れるという、なんとも優秀なあんちきしょうである。
彼女がそのカメラの画面をパチッと開けて、私はその画面を覗き込む。
「奇跡って、意外と起こるものなんですね」
どこか楽しそうに、それでいて嬉しそうに、彼女が言葉をつむぐ。
カメラの画面に映っているのは、二人が笑いあっている幸せそうな光景。
その画面の下に「メール着信アリ」なんていう文字が、鮮明に映し出されていた。
▼
東風谷早苗は変わり者だ。
いつも自信に満ち溢れて礼儀正しく、けれども時折り見せる突飛な行動は人も妖怪もあんぐりと口をあけること間違いなし。
鮮やかな若草色の長い髪は艶やかで、あまり日に当たらない白い肌は透き通るように綺麗。
そんな彼女は、時々勘違いして暴走することも多々あるけれど。
それでも、私は思うんだ。
友達と家族の間で苦悩し。
大切な人との別れが確実に訪れる選択を突き付けられた彼女。
それでも、これは自分が選んだ道だからと覚悟を言葉にした、雨に濡れたあの日の彼女は凛々しかった。
きっとこれからも、彼女は悩むのだろう。
人間なんだから当たり前だ。どんな人だって生きていれば悩みを持つし、悩まない人なんて世の中存在しない。
でも、きっと彼女はまたその花のような笑顔を見せてくれるに違いない。
だって彼女は雨の中でも咲き続ける花のように、とても強い人なんだって、私は知っているのだから。
良かったです。
イイハナシダナー
きれいな文章だなぁ……パルパル
何にせよ、素敵ですね。
けど……からかい、からかわれな関係も悪くないし。小傘の積極攻めもいいよなぁ。
つまるところこがさなは、どんなシチュでもいいってことですね。