良くは分からないが、香霖堂の店主がいやに抹香臭い喪服を着ていた。なるほど、誰かの葬式だったらしい。そう魔理沙は認識すると、いつものようによう、じゃましてるぜと声をかける。
店内に落ちる夕日が香霖堂の店主こと、霖之助の顔の影を濃くしており、表情がいまひとつ読めない。ただ、いつもとは違い、応えがあるまで少しの間があった。ちょっとおかしいな、とは思うが、別に珍しいことではない。考え事をしているときはいつもこのようなものである。
「……ん、ああ魔理沙か。なんだ、ここに居たのか」
「何だとは何だよ、相変わらずだな、香霖」
「言ってろ」
軽口を叩きながら、霖之助はこつんと魔理沙の頭を軽く小突くと、そのまま自室へ向かっていく。衣擦れの音がしていることから、おそらくは喪服を脱ぎ捨てて、いつもの青い着物に着替えているのだろう。
「おい、そういや、清めの塩は要らないのか? 妙なツキが憑いても知らないぜ、香霖」
そういうと、若干の間があったが、霖之助からの声が返ってくる。
「仏式だよ。塩は要らない」
「そういうもんかねぇ。私はてっきり、葬式と言うと塩だと思ってたぜ」
そういうと、魔理沙は己の金髪の毛先をいじくり、枝毛を見つけて顔をしかめている。もっとも、差し込んでくる夕日がまぶしい、という成分も無きにしも非ずであったが。
そうしていると、いつもの前垂れに、何が入っているのかいまひとつ分からない革鞄を前に着け、青い着物を着た霖之助が板敷きの床をぎしぎしと鳴らしながら、魔理沙の背に向かって声をかける。
「良いかい、魔理沙。仏教では死は穢れではないんだ。だのにどうして清める必要があるんだい?」
「商売人が担ぐものは縁起だろう? それに、いつもならもっと色々ろくでもないことを話すじゃないか」
そういうと、霖之助はため息をつき、眼鏡のツルを押して位置を直すと、魔理沙の頭に肘をもたせ掛け、にやりと笑う。
「そういう気分じゃあないのさ。……何、貴重な本音が聞けて嬉しく思うけどな。そう思ってたんだな、魔理沙は」
「げ、薮蛇か」
重いからどけよ、と魔理沙は腕を払いのけ、立ち上がる。彼女は帽子を目深に被り、手をひらひらと振りながら香霖堂を飛び出て行く。背に霖之助が、一瞬口を開こうとした気配を感ずるが、しかし声は発されなかった。それに、どこか違和感めいたものを覚えたのだが、その正体は判然としなかった。
0.
はらりはらりと雪が舞う。冬は死の季節とは言うが、しかし魔理沙の目にはどうにもそうは見えない。はて、こんな感じ方を私はしたかな、と考えて右を見ると、香霖堂のガラクタの山の隣に、別の山が出来ていて、そこには風情もくそもない、赤さびたスコップが刺さっている。ははあ、面倒になって、人待ちでもしていたんだろう。大方、妖夢あたりをこき使おうとでも考えていたに違いない。なるほど、私の背中にかけようとしていた声の正体はこれか、と魔理沙は一人納得する。
「その手に乗るか、だ。……おお、早く帰らないと」
日が落ちる。面倒ごとは好きだが、好きな面倒と嫌いな面倒があり、帰り道でからまれるのは嫌いなほうだ。ならば、さっさと帰って、胃腑をちょっとのお酒とたくさんの飯で満たして布団と仲良くして、明日を待つとしよう。もっとも、布団の方が朝になっても離縁をさせてくれないかもしれないが。
魔理沙はざくざくと雪を踏みしめる。瘴気渦巻く親愛なる魔法の森は、しかし施された化粧で多少はましにみえた。もっとも、死に化粧の方がまだしも美しいと言うような有様であったが。はて、何かを忘れていたような気がするのだが、と彼女はふと我に返るが、はて、なんだったか、と思って右手をにぎにぎと動かす。
はた、と立ち止まり、ああ、この感触は箒だと思い起こしたときには、既に、香霖堂と霧雨魔法店の道の半ばまでは歩いていた。ううむ、取りに行ったものかとも思うが、さすがに香霖とてもあの箒を珍しい葉の生える箒だ、これは斯く斯くの謂れがある、という口上を述べて売りはすまい、と考えて、舌打ちしながら再び歩き出す。
「まいったな。随分遠い」
面倒な話だが、もう半分は歩いている。距離で言えば同じぐらい歩くことになるし、だいたい同じ風景を拝むほうが億劫だ。そう考えて、彼女は、雪から顔を出していた、赤錆まみれのボルトを拾い、それを投げ、拾っては投げを繰り返す。よしんば家とは別の方角に飛んでいったとしても、それで何かが見つかれば一興である。
もっとも、生憎というべきか、それとも幸運であったと言うべきか、魔理沙の目には雪と、昼だか夜だか分からないような黒い樹の海以外は映らなかった。これで何ぞ妙な茸でも見つかればうれしくはあったんだがなあ、と嘆息し、霧雨魔法店の戸にボルトを投げつけた。金属と木とがぶつかる、硬い音がするはずであった。
「……で、何故開いているんだろうな」
ボルトは家の中に飛び込んで、板敷きの床とぶつかってかちんという声を立てた。はて、私は鍵をかけないで外に出て、それで平然としていられるほど無用心であったか、と首をひねりながら、ボルトを拾いにかかる。ああ、何処に落ちたのか、と呟きながら下を眺め回していると、目当てのものが目に入った。
まったくもう、と呟き、ボルトの頭をつまみ、ぽいと外にほうる。ああ、手が赤錆まみれだ、これは洗わないと料理どころではないな、と一人ごちて、顔を上げれば、そこにはうず高く積まれているはずのグリモワールも、テーブルも、食器も、香霖堂で買ったパソコンとかいう役立たずの式神も、綺麗さっぱり無くなっていた。
「……ううむ、幾らなんでも不人情な泥棒だぜ」
下着や服の類に至っては、箪笥ごと無くなっている。どういう了見なのか、ひっ捕まえて体に聞いてやるとしよう。笑い茸の煮汁を鼻で飲ませてやろうか、それともベニテングダケで天にも昇る心地で地獄行きにしてやろうかなどと考え、家の中をあちこち探していたが、家具の一つどころか、紙の一枚も落ちていない。ベッドも、無論無い。
「……本当に不人情な泥棒だぜ」
はあ、とため息をつく。ちょっとのお酒も、たっぷりの飯も、ご破算であった。
1.
ははは、という笑い声。目の前の霖之助は、磨いていた銀器を取り落とし、あわてて拾い、ごほん、と咳払いをしてみせた。
「うん、それは気の毒だな。僕もちょっとは同情するよ」
「だろう、そう思うだろう。……ちょっとは同情してくれたなら、泊めてくれよ。後生だから」
恥じらいって言葉、知ってるかい、君。という霖之助の皮肉が耳に届く。魔理沙は、ずかずかと奥に上り込み、勝手に布団を取り出して、その上にどすんと座り、梃子でも動くか、という顔を作る。
それを見て、呆れ顔を霖之助は作り、はあ、とため息をつく。
「……誰も泊めないとは言ってないぞ。ケッサクだとは思ったけどね」
「……そいつはよかった」
にかっと魔理沙は笑う。さらに深いため息を霖之助は吐くが、それを見て見ぬふりをして、厨に向かう。
「なあに、ただとは言わないぜ」
「……変なキノコは入れるなよ」
はいはい、と魔理沙は返し、腕まくりする。もちろん、変なキノコは入れない。最近よく取れるようになった茸は、入れるつもりだったが。
魔理沙は振り返り、仏頂面を作っている霖之助のほうを向き、言う。
「なー、香霖?」
「なんだい?」
「……ありがとうな」
それを聞いて、霖之助はぽかん、とした顔を作る。その顔を見て、魔理沙はけらけらと笑った。
2.
「……うまい」
「そいつはよかったぜ」
魔理沙は箸でみじみじと、燻されたマスの身をむしり、それを口に入れる。桜の木の香りがふわ、と鼻孔を抜ける。うまみが舌に感じられるが、塩気が若干きついな、と思い、7分づきの飯を口に入れた。米の甘さでうまく塩気が中和され、いい具合だ。
戻した切り干し大根と、最近よく生えているスギヒラタケとかいう茸を入れただけの味噌汁は、やはり香霖堂では主人であるところの霖之助が食事をとらなくても平気なため、ろくなものがない、という証左でもある。が、味そのものは、若干匂いがあるものの、味噌の強いにおいにうまくかき消されて、悪くはない。また、茸も意外と歯ごたえがあり、満足感はある。漬物として、カブの千枚漬けが出ているのは、ただ単にそれ以外無かったという事情もなくはない。食事では、一汁三菜というが、いかんせん素材がない。が、それでも一応形は整えて見せているのは、魔理沙の意地ともいえよう。カレーでも作ろうかと考えていたのだが、しかし肉のないカレーというのは、華がないのである。挙句、じゃがいもと玉ねぎすらないのでは、カレー汁ですらないのであった。
「……香霖、もうちょっと何か食おうぜ。必要ないのは知ってるがな」
「……君は、僕の懐具合を知っていて言うのかい? この鱒だって釣ったものだ」
「いいや……もしかしてそんなに悪いのか?」
「入られたんだよ、泥棒に。おかげで素寒貧さ。ある程度身に着けておいてよかったよ」
へえ、お前もか。などと魔理沙は言う。そうだよ、霖之助は仏頂面を作って返し、それを隠すように味噌汁をずっ、とやる。しかし、商品が盗まれなかったのは幸いなのか、災いなのか。と皮肉ってやろうかとも考えたが、それを言ってへそを曲げた霖之助に、寒空に放り出された、などとなっては、冗談にもならない。もっとも、昔なじみの自分を放り出すとも思えないが、と魔理沙は考える。それに、と続け、あまり揶揄したところで、下手をすれば自分に跳ね返ってくるだけなのだし、とも。
「本当に泥棒が繁盛してるな。……見つけたらどうしてやろうな?」
「まずは魔理沙に任せるよ。君なら僕に考え付かないひどいことをやってくれるだろうからね」
「おいおい、私は乙女だぜ、そんなひどいことなんて考え付かないさ。せいぜい笑いタケの煮汁を鼻から流し込んでやるくらいかな」
「十分ひどいじゃないか」
はは、と霖之助は笑っている。魔理沙はそれを見てむっとするが、それでも十分にひどいのは確かであるから、全部を取り返すように『努力』してもらうこととしよう、と考えた。妖怪の手に渡っていた時には、努力どころではないのだが。
「……ところで、誰の葬式だったんだ?」
「……ああ……霧雨の親父さんだよ。……結局、葬式に出なかったな、魔理沙。惚けるのは止せ」
笑っていた霖之助は、表情を消して言う。魔理沙は、顔をそむける。
「……どの面下げて、帰れっていうんだ」
「……その面下げて、さ。僕はね、それなりに怒ってるんだよ、魔理沙。どうして線香の一本も上げてやらなかった」
霖之助の金の瞳には、怒気が宿り、その顔は、血の気の薄い霖之助としては、異常なほど赤い。ごくり、と魔理沙は唾をのみ、口を開く。
「……私は……その……」
「行って来い。今から。……逃げるなよ、魔理沙」
その霖之助の硬質な声に、魔理沙はびくりと震えた。
3.
「……」
魔理沙は布団をかぶって、目を閉じる。しかし、眠れない。はて、私はこんなに寝つきが悪かったのか、と一人ごちるが、かといってそれでたちどころに眠れるようになるわけでもない。
ああ、もう、と唸るように言葉を吐き出し、霧雨魔理沙はごそごそと布団からはい出した。耳を澄ますと、ぱきん、という木の鳴る音がする。それに引き続いて、体重が板間の上を動く、ぎし、ぎしという音がしていた。霖之助かと思い、ひょいと顔を出すと、表の錆びたスコップを持ち、なぜか外に向かって歩き出している霖之助の背が見えた。外の世界のものだ、と自慢していた『電波時計』とやらを見ると、丑三つ時のあたりを刻んでおり、起きだすには不用心な時間、すなわち、妖怪が元気になる時間である。
「……香霖?」
反応がない。不審に思い、しばらく見ていると、そのまま店の外に出、下駄や、靴すら履かず、雪の上を歩いている。この段になって、はっと魔理沙は我に返った。夢遊病か、とも思うが、そういう病とは根本的に無縁であったのが、霖之助のはずだ。彼女は首をひねりつつ、冷たい板間を走り、靴をあわてて履き、寝間着のままに、霖之助の背を追いかける。
「香霖!」
またしても、応えはない。ええい、無視か。と悪態をつくが、しかし不思議と間を離される。霖之助は歩き、そして魔理沙は走っているにもかかわらず、だ。その霖之助はといえば、森の中をふらふらとしながらも、躓くこともなく歩いている。
魔理沙はようやく追いつき、背伸びして肩を力いっぱい叩く。霖之助はびく、と震え、ようやく振り向いた。
「痛っ……何をするんだ、魔理沙!」
「何をするんだじゃないぜ、こんな時間に出歩いた揚句、魔理沙さんを無視とはいい度胸だ」
はて、といった具合に霖之助は宙を仰ぎ、首をひねり、ようやく自分がどのような格好をしているか、われに返った。
「……どうしてこんな格好しているか、わかるかい? 魔理沙」
「知るか!」
魔理沙は呆れ顔でそういって、踵を返す。霖之助は、首を延々ひねりつつ、その小さな背を追いかけていた。
4.
「おーい、霊夢、居るかー?」
魔理沙は、博麗神社のあちこちを探し回り、その姿が見えないのを確認して、まいったな、といった具合に縁側に腰を下ろす。お茶は冷めきっており、とうに出かけるなりなんなりしたことはわかるのだが、しかしそれでも、帰ってきて、飲むなり捨てるなりするのを忘れている、というのではないか、という希望があったためだ。せんべいも放置しているあたり、よほどあわてて外に出たらしい。
「……居ないのか」
魔理沙は一人呟き、帽子も取らないままに縁側に足をぷらぷらさせながら、寝そべる。今にも泣きだしそうな曇天が目に入り、顔をしかめた。うっとうしいこと、この上ない。
降るものの中でも、雨は嫌いだ。濡れるし、痛いし、何より風を引く。挙句パワーはない。同じ降るものでも、流星とは大違いだ。
そう考えた魔理沙の視線に影が落ちる。がばと跳ね起き、周囲を見ると。そこには珍しい人物が立っていた。
「……なんだ、えーと……サボタージュの泰斗」
「おいおい、相変わらずだね、あんたは」
からからと小野塚小町は笑い、せんべいをかすめ取り、ぱきんと歯で割る。あいてて、と抑えているのは、よほど堅かったらしい。その泰斗の格好は、というと、普段と変わらず銭の帯留めを付けた、着物なのか、はたして洋服なのか、という青い装束に身を包んでいる。鎌を持っているのは、サービスということらしい。それを胡乱な目で魔理沙は見、そっぽを向いて言う。
「……私はそういう気分じゃないんだが」
「おや、冷たいね。あれかい、あたいの顔は見飽きたかい?」
「こっちの話さ。霊夢は居ないからとっとと帰った方が良いぜ、今日の私は誰彼かまわず喧嘩を売りたい気分なんだ」
魔理沙からどことなしに敵意というより、隔意のある目で見られ、小町はおや、と呟き、悲しげな顔を作る。ああ、こいつもか、という感があるのだろう。魔理沙には、それがよほど腹立たしい。
「……や、これは悪かった。別の場所に行くよ」
「……ああ」
そういうと、からん、ころんという音とともに、小町は遠ざかっていく。確かに小町は死神だが、別にそれを恨む筋合いでもないのに、何をやっているんだ、と考え、頭をかきむしり、はあ、とため息をついて、手のひらを見てみると、震えていた。
5.
白磁の肌、サファイアをはめ込んだような、美しい青い瞳、絹糸のような髪を持った少女の姿を認め、魔理沙は回り込み、そろり、そろりと近づいていく。肩をぽん、と叩いて、その反対側にすっと体を反らすと、視界のはしに魔理沙の姿を認めたのか、ため息をつきつつ、向き直る。へへ、と笑いながら、旧知の友人に、魔理沙は声をかけた。
「よう、アリス」
「……あら、珍しい顔に会ったわね」
「酷いな、珍しくしたいの間違いじゃないのか?」
「……あんた、ほんとに変わってないわねえ」
そうそう変わってたまるか、と魔理沙はやり返し、怪訝な顔をしているアリスの背中をどやしつける。げほん、とアリスはけほん、とせき込むと、恨めしげな視線を向けるが、しかしそれでも、どこか喜色のようなものをにじませている。
「それにしても、あんたどこに行ってたの? 最近みなかったけど」
「いつも通りだぜ。まあ、ご想像に任せる、ってとこだな」
「ふうん……まあ、深くは聞かないでおくわ。あんたのことだし、どうせろくでもないことだろうから」
そういって、アリスは皮肉った笑みを浮かべる。魔理沙は、眉を上げ、口の端をつり上げた。
「なんだ、やるか?」
「またあんたは……そうね、久々だもの」
魔理沙は箒を八卦炉を取り出し、アリスは不可視の魔力で紡がれた糸で、人形に魂を吹き込む。かわいらしい人形たちの手に持たせている槍、剣、斧と選り取りみどりだ。もっとも、そのギラつきはかわいらしさなどみじんも感じさせないものであったが。
「さあて、スペルカードは何枚だ? 何時までだってやっていい気分なんだ」
「5枚くらいでどうかしらね。まあ、あんたが気絶する方が先だろうから、無駄かしら?」
「……そうだな、お前が負けたらメイド服でも着てかしずいてもらうことにするぜ!」
その言葉を聞いて、アリスの顔が一気に赤くなる。しめた、と魔理沙は考えた。これでこいつもその内に本気になる。
「あ、あ、あんた……!」
「さあ、おっぱじめようぜ!」
嘲弄するようにアリスの鼻先をかすめて飛びあがり、魔理沙は宙返りさえしてみせる。そのとき、アリスの中で、何かがブツっと言う音を立てて切れたのを、魔理沙ははっきりと聞いた。八卦炉を取り出し、己の力を注ごうとし、違和感を感じたときには、堪忍袋の緒が切れたアリスの人形が、目の前で炸裂していた。
6.
「私は……」
「どう、すっきりした?」
「気絶させられたあげく、全身痛いのに、すっきりも何もあるもんか。サディストだったなんて知らなかったぜ」
ふうん、とアリスは言い、魔理沙の右腕に包帯を巻き終えて、ぱんと傷口を叩く。
「イテッ。優しくできないのかよ」
「してるわよ、十分」
薬の代金、あんたが生きてるうちには請求しないんだから感謝なさい。とアリスは言い、手を洗う。目のはしには、ぼうっとして居る魔理沙が映っている。虚脱。アドレナリンが抜け落ち、一時的な疲労状態に陥っているという風でもない。どちらかと言えば、自棄になっていて、そこに冷水をぶっかけられたから、静かになっているという風だ。
ああいう態度の魔理沙、みたことあったかしら、とアリスは手の皺を見つめ、考える。いや、みたことはない。くそ生意気な人間の友人ではあったが、こういうたちではなかったのだから。
「さて、まあいいわ……って、え?」
考えごとを終え、振り向くと魔理沙の姿は、消えていた。あらく研磨された羊皮紙に記された書き置きに「ありがとう、決めた」とのみ記されている。その青いインクが、ささくれのような表面にじわ、とにじんだ。
7.
「帰ったぜ」
「お帰りはあちらだよ」
ちぇっと舌打ちして、と魔理沙は霖之助の言葉を受け流し、箒を戸のあたりに立てかける。カウベルに竹が当たり、からんと言う音を立てた。
「服を破るのが趣味だっけね、君は」
「なんだ、その趣味。どこの変態だよ」
まったく、アリスと弾幕勝負をやってたらこのざまだぜ。などと魔理沙はぼやき、サロペットに開いた穴に指をつっこんで、くそ、やってくれるぜ、と毒づいた。
「……着替え、あったよな?」
「僕の着替えはね。……あのなあ、魔理沙、さすがに君の着替えを常備なんてしてない……」
その言葉を聞くが早いか、魔理沙は上がり込み、自分の服を脱ぎ捨てて、霖之助の着物を衣装箪笥から引っ張りだして、袖を通す。
「……聞いてるのかい? 魔理沙」
「聞いてたぜ、途中まで。……霊夢には縫ってやってたじゃないか、お代はきっちり払う。な、いいだろ?」
「……彗星でも降りそうだ」
「なんだ、降らせてほしけりゃリクエストには応えるぜ? 彗星、流星と選り取りみどりだ」
それを聞き、霖之助はため息をつき、まったく、魔理沙にはかなわないな。とあきれたように言う。それを聞いて、魔理沙は腕組みをし、続ける。
「……もう一つ、ミニ八卦炉の調子がおかしいんだ。見てくれないか?」
服の穴を見て、糸と針を選っていた霖之助の前にミニ八卦炉をことん、と置く。霖之助はそれを聞いて眉をしかめ、服を置き、針を戻し、鈍い輝きを放つそれを手に取る。
「調子がおかしい、だって? ヒヒイロカネがそうそう……おや、これはちょっとおかしいな」
目をすがめ、工具を探し、目当ての外の世界の工具を取り出すと、八卦炉の分解に取りかかる。
その様子を魔理沙は見ているが、どんどんと眉がつり上がっていく。霖之助の眉間のしわも、どんどん深くなっていく。
「おい、香霖。……こりゃどういうことだ?」
「どういうことだって……こっちの台詞さ」
ミニ八卦炉の中の火が、消えていた。それだけで、事態の異常さは知れよう。魔理沙はきっと霖之助をにらみつけ、霖之助は、困惑している。
「……ともかく、こいつは一日じゃあ無理だ。……しばらくかかる」
「……そうか。……少し前に手入れしてもらったのに、これか? いくら何でもこういうのは無いぜ?」
「手入れ? いったい……何の話だ?」
「とぼけるなよ」
「……とぼけるだって?」
そして、霖之助は、困惑した顔のまま、言う。
「……魔理沙、君はここ何百年か、顔すら見せなかったじゃないか。霊夢の葬式にすら、顔を出さなかった。……僕の、葬式にもだ」
その目は、さながら魔理沙の名をかたる悪鬼を見るかのようであった。魔理沙は、ぼうとしている。
「何を言って……?」
「……君の目は幻想を見ている。……それも、とびきり質の悪い幻想だ」
霖之助は立ち上がり、魔理沙の頬を、両の手で持ち、目を見開かせる。その手は、人肌よりも少しばかり、冷たかった。
「……思い出すんだ」
「わからない、何を」
「分かりたくない、の間違いだ。言葉は正確に使うものだよ、魔理沙」
9.
死ぬのが、彼女は怖かった。だから、人でなくなったのだ。
「……」
肉親の墓には、足も向けなかった。霊夢が死んだと聞いても、研究に没頭したフリをした。あの日以来、会わなかった霖之助が死んだと聞いても、心を動かさなかった。いや、動かせなかった。
そのうちに、彼女は魔法の森のさらに奥に居を移した。あそこには、思い出が多すぎるのだ。
「……」
何時しか、彼女は夢に川を見るようになった。
人が歩いている。川の水を飲み、恍惚とした表情で、すべてを忘れて歩いている。そう、魔理沙に感じさせる。
三途の川にしては、きれいだな、と思い、手を伸ばすが、決まって触れることができない。ああ、私は死んでいないからだ、と、なぜか、魔理沙には分かった。
だが、今、彼女は水に手を浸せている。それが、たまらなく恐ろしい。
「……ああ、ついに私の番、なのか」
不思議と、心は落ち着いていた。逃げ続けてきた報いとしては、ふさわしいだろう。
「忘れっちまえってことか。全部」
そして、手のひらで水を掬い、水に口を付け、啜る。甘い。ふわと、かぐわしい香りがした。全部を干そうとしたとき、後ろから、ぐいと引かれるような感触がし、あわてて尻餅をつく。頭が、ぐらぐらと揺れていた。
「……まだ、君には早い」
その金色の瞳は、どこか魔理沙の遠い昔の知り合いに、似ていた。
11.
じいじいと、蝉が鳴く。魔法の森でも、外側に近ければ、蝉もいるのだな、と魔理沙は不思議と感心した。
スコップをざくっと突き立て、土を横へ放る。額に汗が浮かび、背中と腕が悲鳴を上げている。
「おい、手伝えよ!」
「ミニ八卦炉の修理費と、服の修繕費」
「業突張り!」
やれやれ、まだまだつけは有るんだがなぁ、という声が聞こえたとき、げっと魔理沙はうめいた。これ以上、なにをやらせようと言うのか。
「……全部思い出した後に、墓暴きだなんて、くそろくでもないことさせやがって!」
ざくっとさらに突き立てると、堅い感触に行き当たる。さらに力を振り絞って掘り返すと、何のことはない、白磁の骨壺が姿をあらわす。
「……なんとまあ。骨董だのなんだのに凝ってたやつとは思えない姿だ」
「聞こえてるぞ、魔理沙!」
どれどれ、と霖之助は、近寄り、己の骨壺のふたを触る。かちかちという音が、魔理沙の耳に届く。
「……香霖?」
「しょうがないだろう」
ぽたり、という白磁に水が垂れる音。霖之助は、涙していた。
「……僕だってね、いよいよ終わりだと思えば、ちょっとは、怖い」
「……そうだな、私も、怖い」
いやいや、とっくに死んでるのに、みっともないね、と言って、霖之助は手でごし、と目をこする。
「……お別れ、だな」
その魔理沙の言葉を聞いて、霖之助は笑う。
「こう言うときは、また会いましょう、って言うもんだよ、魔理沙」
全く、図体ばかりでかくなって、気の利く文句も言えないようじゃあ、大人じゃあないな、といって、霖之助は骨壺をひっつかみ、さらさらと骨と、灰を魔理沙のあけた穴に注いでゆく。
壷が、落ちた。
12.レテ川の詩
「……全く、借りをたっぷり作ったまんま、逝っちゃったぜ、あいつ」
帽子を脱ぎ、魔理沙は空を仰いだ。
「またな、香霖」
(;ω;)
最後の最後まで世話役な霖之助に感動した
バイト直前で前回点を入れてなかったので。
こういうのって修辞法っていうんでしょうかね。技巧的な内容でよかったと思います。
結末を匂わせる描写が全然匂わなかった、という印象でした
話の発想は悪くなかったと思います