- この作品はミステリーですが、人が死んだりはしませんので、
そういった話が苦手な方も安心してご覧ください。
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『万物には、存在するだけで理由がある。唯一理由がないものがあるとするならば、どうして理由が無ければならないのかという理由だけだ』
次のページをめくる前から、そこに書いてあるであろう文章が脳裏に浮かんだ。この小説の主人公である、探偵の決め台詞だ。
容疑者達を集めてこれから推理を披露しようという時、いつも決まってこの台詞が出てくる。ようするに、物事には必ず理屈がつきまとい、その理屈を追えば解けない謎は無い。そんな意味らしい。
このシリーズの推理小説はわたしのお気に入りで、もうブックカバーが擦り切れるぐらい読んでいるが、この探偵のキャラクターだけはいまいち好きになれない。終盤になるとどうもかっこつけたくなるようで、気障な言い回しが増えるのだ。おそらくこの探偵が気障というよりも、書いた作者が気障なんじゃないだろうか。常々思う。おかげで次を見ずとも台詞を覚えてしまっていた。そして台詞まで覚えているということは、物語の根幹であるストーリーやトリックはもう嫌でも頭に入っているということだ。種の知れているミステリーほど刺激の無いものは無い。
はあ、退屈だな……。
ため息をつき、わたし、霧雨魔理沙は文庫本を閉じる。そのままテーブルの上に放り投げてやった。
「読書はもう終わり? 魔理沙は飽きっぽいわね、見た目通り」
鼻で笑うような嫌味は、部屋の入り口の方から聞こえてきた。アリス・マーガトロイドがちょうど、ティーポットにお湯を汲んで戻ってきたところだった。
「人を見た目で判断するもんじゃあないぜ。わたしが飽きっぽいんじゃなくて、本に飽きたんだよ」
「その本、もう何回読んだの?」
「さあな。二十回ぐらいはいってるんじゃないか?」
「暇人なのね」
……ま、否定はしない。違うなら、わざわざたいした目的も無しにこいつの家なんかには来ない。
アリスの館はわたしと同じ魔法の森にあるが、位置的には真逆。反対方向だ。今日はのんびり一日中読書でもしようと思い、どうせならとアリスの家に行くことにした。当然アリスはいい顔をしないが、結局自分も暇なので、最後には折れて毎回中に入れてくれる。
こいつの家はどこもかしこも人形ばかりなので、とても読書をするにあたり落ち着ける環境とは言いがたい。だが座れば紅茶が出てくるので、これはこれで便利なのだ。ということは、本を読みに来たというより、タダで茶をしばきに来たようなものだった。
どうぞとカップを差し出されたので、遠慮なくいただくことにする。
「おや? これはなんだか、いつもと違うな」
「あら、わかる? 葉を変えたのよ」
この家には最近、なんだかんだで週に二回は通っている。毎回いただいてれば、馬鹿でも違いに気づくってもんだ。もっとも、こいつはいつになってもわたしの好みを覚えてくれないのだが。
「……ん。この茶葉、なんだか微妙だな。香りが臭い」
「臭いじゃなくて、きついって言いなさいよ」
「どっちも鼻の奥を刺激するって意味じゃ一緒さ。ま、お前にしちゃいいやつ選んだんじゃないか? 六十点」
「それはどうも。なんならお金をとってもいいのよ」
たいして面白くもなさそうに、アリスは頬杖をつく。手元に紙束を広げ……こいつはこいつで、新聞でも読むらしい。
「それ、『文々。新聞』か?」
「そうよ。幻想郷に新聞なんて、これ以外に無いでしょ」
そりゃそうだ、と肩をすくめてやる。
文々。新聞といえば、幻想郷じゃ名前だけは知れている新聞だ。ここで〝名前だけは〟と断ったのは、単に有名という意味で、決してメジャーではないからだ。
天狗の射命丸文が一人で刊行しているこの新聞は、書いてある内容はどうでもいいことばかり。情報は遅い。挙句の果てに、書くネタが無いときは過去の記事をそのまま転用するなど、およそジャーナリズムの欠片も感じられない。記事の信憑性などあってないようなもので、日付以外は全て誤報という噂すらある。いわゆるエキサイティング新聞というやつだ。新聞というよりは、芸人のエッセイでも見る心地で読むのがちょうどいい。きっとアリスも今そんな心地だと思う。
「お前、まさかそれ購読してるんじゃないだろうな?」
「そんなわけないでしょ。あの天狗が勝手に郵便受けに放り込んでいくのよ。ほっとくとすぐにいっぱいになっちゃうの。いい迷惑だわ」
ああ、気持ちはわかる。あの新聞は、たいして内容もないのに朝夕一日二回発行されている。加えて、週に一度ぐらいで号外が出る。少しポストから目を離すだけで、加速度的に増殖しているのだ。あの性質の悪さは、癌細胞に似ている。
「なにか目ぼしいこと書いてあるか?」
「目ぼしいこと?」
「面白い事件とか」
「そんな事件があったら、あなた、こんなところにいないでしょ」
うん、鋭い。まあ、こちらも大して期待して訊いたわけじゃないが。
やがてアリスも新聞には飽きたらしい。折りたたむと、ようやくこちらに視線を移した。
「事件が起きてほしいわけ?」
「そりゃもちろん。退屈は人間を根本から腐らすぜ」
「さっきみたいに本でも読んでればいいじゃない。あなたの好きなミステリーなら、本を開けば例外なく事件が起きてくれるわよ」
「わたしの脳内でだけ起きても仕方ないのさ。それに、別の問題も出てくる」
「別の問題?」
「運動不足」
つまんない、とばかりにアリスはそっぽを向く。
視線を外されたので、なんとなしに部屋を眺める。大小の人形がそこかしこにたむろする以外は、ごく普通のリビングでしかない。
たかだか人形がなぜにこうも占領しているのかというと、簡単に言えばこいつが大好きだからだ。とはいえ、その〝好き〟の程度がこいつの場合尋常じゃないのは、この部屋の惨状からもわかる。わたしが知っているものだけでも、フランス人形、ロシア人形、日本人形、その他いろいろ。数だけでなく種類まで際限無く揃えられていては、その辺の博物館も裸足で逃げ出すだろう。
しかもこれらはただのコレクションではなく、実用性もある。繋いだ糸でアリスが操れば、優秀な使用人が一匹出来上がり。細かい動作でもなんなくこなせるので、炊事洗濯とお手の物なのだ。
そしてこいつらは、アリスが闘う時にも使用される。主人の代わりに攻撃したり、弾幕を放ったりとなかなか嫌らしい戦法をとってくる。なかには内部に爆弾を詰め込んで投げつけるという、ぶっとんだ人形もある。よってその実力はその辺の妖怪じゃ相手にならない程なのだが、もう何度もやりあっているわたしとしては自慢の弾幕も見飽きていた。
人形だらけでうんざりしたので、本棚に目をやった。ほとんどが魔道書や人体練成などの専門書で、小説は少ない。わたしと違って、アリスはさほど読書家というほどではない。並程度の嗜みしか無いようだ。
数少ない小説のほとんどは、どういうわけか恋愛小説。ちなみにわたしは、このラブストーリーってやつが大の苦手だ。見ていて空々しい台詞を羅列させられると、読んでて吐き気を催してくる。あんなもので涙腺を刺激される奴は、よっぽど頭がお花畑なんだろう。
だから本棚を見ていたのは見たい本を探そうとしたわけではなく、ただぼんやり視界に入っただけだ。とかく恋愛系は恋だのラブだの、タイトルから露骨な単語が多い。まったくもって、アリスとは趣味が合わない。
なので、期待するよりは馬鹿にする意味合いで訊いてみた。
「なにかお勧めの本なんか無いのか?」
「本?」
「ああ、本っつっても小説な。専門書以外」
ふうむ、と可愛く小首を傾げるアリス。やがて立ち上がり、本棚から一冊、こちらに手渡す。
『アルジャーノンに花束を』
…………。
「……どういう意味だ?」
席に着くと、アリスはまたつまらなそうに頬杖をついた。
「たまにはネズミの気持ちになれば、人生面白くなるかもよ」
「勘弁してくれ。わたしはこういうのんびりしたのが一番苦手なんだ」
「かといって、まじめに私のお気に入りを紹介したところで、馬鹿にするだけでしょ」
あら、わかってるじゃないか。
こちらの意図に気づいていたらしい。仕方がないので、ストレートに馬鹿にすることにする。
「恋愛ものの何が面白い? 刺激が無いし、展開が遅いし、台詞はいちいちきついし……おまけに最後はご都合主義。たちまち眠くなるぜ」
「暇なんだから、そのまま寝てればいいでしょ」
まともに取り合う気はさらさら無いらしい。アリスは新聞を手元でひっくり返したりなどしてもてあそんでいる。
「寝たいだけなら目薬でも飲んでるさ。眠くなるってことはつまらないってことだ。それに、何より読んでて頭を使わんのはいただけない」
「使う必要ないでしょ。のんびり読んでればいいじゃない」
アリスはこちらを睨んでくる。しつこく自分の趣味を批判されて、さすがに少しはカチンときたらしい。
だが、しまった、とは思わない。もとよりこいつをからかうぐらいしか、することが無いんだから。むしろ、ようやく挑発に乗ってくれてしめしめといったところだ。
「私からすれば、あなたの大好きな推理小説の方がよっぽど退屈だわ」
「ほう、言ってくれるな。なぜ?」
「展開が遅い」
「そりゃ、わたしがさっき言った」
「知ってるわよ。でも、遅いものは遅いの。事件が起きるまではまあいいわ、大概物語が始まってすぐのことだし。でもそこから探偵が出てきて、証拠を見つけて、解決するまで。ここが長すぎるのよね。退屈だし」
「お前なぁ、その時間が一番楽しいんじゃないか。探偵役を視点にして、読み手が同じ材料のもと共に犯人を探し出す。探偵と一緒に、読み手も考えることができるんだ。そこをただ何も考えず読み流すだけなんてもったいないにもほどがある。ミステリーの醍醐味は、結果よりも過程なんだぜ?」
「過程、ねぇ。まあ、言いたいことはわからなくもないから、そこはいいとしてあげるわ。でも一番私が気に入らないのは、ご都合主義なところよ」
「それも言っただろ」
アリスはむきになって反駁してくる。
「私も言いたいの。だって、おかしいじゃない。たとえば、普通話で不可能犯罪なんかが起きたら、事実を一見しただけじゃ全貌はとてもわからないわ。なんでそれを解決できるかというと……必ず証拠があるからよ」
はあ。そりゃ、あるだろう。証拠っていうのはそういうものなんだから。
「私が言いたいのは、その証拠が都合よく毎回出てくること。探偵がちょっと探せば、大概すぐに見つかっちゃうの。謎を解く鍵を、さも当然の如く、ひょっこりと。最近は特に、筆者に都合のいい展開で謎がとけるものが多いのよね。それってご都合主義すぎない?」
「まあ……だが、仕方ないじゃないか。何かヒントが見つからないと、話が進まん」
ほら見たことか、とアリスは鼻で笑った。
「そういうところが嫌なの。現実じゃああり得ないもの。そんな簡単に事件を解決する手がかりなんて、出てくるわけないじゃない。リアリティの無い話って、感情移入しにくいのよねぇ。それって結局、つまらないってことじゃなくて?」
アリスの口調はだんだん挑戦的になっていた。挑発だということはわかっていたが、いちミステリファンとしては、黙って聞き流せる話ではない。椅子を座りなおし、アリスの方に向き直る。
「そいつはお前の視野が狭いからだ。それに、お前は都合よく証拠が出てくるって言ったが、必ずしもそういうことはない」
「そうかしらね。私だって、ミステリをまったく読まないわけじゃないけど。ミステリって、基本は長編至上主義でしょ? それって、小説として読んで面白ければそれでいいって読者が多いからじゃない。ギミックよりプロット、王道よりアクロバットが優先されてるってことでしょ」
……随分と専門的な用語を知っているじゃないか。だが、だったら尚更引くわけにはいかない。
「風潮としてはな。だが、本質は違う。推理小説は、小説の中で唯一、作者と読者が対立する小説なんだ。読者に与えられたものと同じ情報だけで論理的に推理する、それが推理小説の原点であり、純粋論理小説とも呼ばれる由縁なのさ。ミステリの最高の楽しみ方は、謎解きの直前で本を閉じて、一晩寝ないで考えるところにあるんだぜ?」
「純粋論理小説~?」アリスはハッと笑い捨てた。「聞いたこともないわね。論理展開だけで完結させるのがあなたのいう原点だっていうなら、なに? 推論だけで事件を解決できるとでもいうの?」
「ああ。そういう話だってたくさんある。推理の基本は帰納法と演繹法の輪をどう折りたたみ、展開するかなんだ。ミステリーの奥の深さは、マリアナ海溝に匹敵するぜ」
わたしは断固として言い切り胸を張る。ぷっ、とアリスは噴き出した。
「それこそ現実的じゃないわ。机上の空論だけで、物事の全てが見通せるわけがないでしょ」
「そんなことはない! 万物には、存在するだけで理由がある。唯一理由がないものがあるとするならば、どうして理由が無ければならないのかという理由だけだ」
……ん? と、言った後で気づく。こりゃさっき見てた小説の台詞じゃないか……。
見ると、アリスはほとんど腹を抱えて笑っていた。
「よくもまあ、そんな結構な啖呵まで切れるわね。そこまで言うんなら、証明してみなさいよ」
ずいぶんと挑戦的な物言いだ。普段クールぶってるアリスにしては、また珍しい。
ふん……いいだろう。こちらも言われっぱなしじゃ黙ってられない。これまで何百冊というミステリーを相手にしてきたこの実力、とくと拝ませてやる。
「で、どう証明させればいい?」
ようやく笑いの衝動が収まってきたところで、アリスは「そうねぇ……」と視点をさまよわせる。やがてそれは、自分の手元にいきついた。
「ああ、新聞があるじゃない。この中の事件を一つ選んで、その文面だけで背景をどこまで推理できるか。というのでどうかしら?」
なるほどな。おもしろそうだ。
「いいぜ。どんと来いだ。知的かつ美しく論破してやるよ」
「決まりね」
そう言うと、アリスは改めて両者の間に新聞を広げた。
「まあ、事件といっても、ここに書いてあるのはほとんどがどうでもいい些事だけど……。そうね、どれがいいかしら?」
「そこはわたしの意見を仰いだら意味がないだろ。お前が選んでいいぜ」
自信たっぷりに、背もたれに仰け反ってやった。「じゃあ……」とアリスは目を閉じ、あさっての方に首を向けながら、手探りで新聞をめくる。どうやら、ランダムで適当に選ぼうという気らしい。
やがて、あらぬ箇所を指差して、「じゃあ、これ」
「……そこは明日の天気予報だ」
同じ動作を繰り返して、「なら、これ」
「ん? どれどれ」
こいつの指は細いし白いしで、まるでろうそくみたいだった。その人差し指は、ずいぶんと小さい記事をピンポイントに指していた。
『昨日の忘れ物を保管しています。
心当たりがある方、本日二十四時に紅魔館までお越しください。お待ちしております。
レミリア・スカーレット』
……なんだこりゃ?
見開きの左端下に、数センチ四方でちょこんと用意されていた欄には、こんな無味乾燥な文だけが綴られていた。どうやらアリスが指し示したのは、またしても事件の記事ではなかったらしい。
「あれ? これって……」
「ああ。ただの伝言だな」
そう、ただの伝言だ。文々。新聞に限らず、幻想郷のようなせせこましいコミュニティの地方紙では、新聞はこうして掲示板的な役割も兼ねる。通信手段が限られている幻想郷では、情報伝達としてこれが割と使える。わたしも新聞記事は見なくても、この伝言欄にだけはわりと目を通すことが多い。
そういえばわたしも以前、霊夢相手にこの新聞を使ってメッセージを送ったことがあった。『明日湖に泳ぎに行くから、水着用意しておけよ』。が、霊夢は新聞に目を通す習慣なんぞ無かった。当然水着など用意してなかったので、腕を引っ張って強引に連れて行った。で、水着の代わりに全身にサラシを巻きつけて、強引に水中に引きずり込んで遊んだ記憶がある。
今回の差出人は……レミリアだったか。珍しいな。
レミリア・スカーレットの名とくれば、まあこの幻想郷じゃ知らない者はいないだろう。山の麓にある湖、その深い霧に包まれた湖上に、紅魔館という屋敷がある。そこに住むレミリアは、誰もが恐れる正真正銘の吸血鬼。つまりは危険人物の筆頭に挙げられる妖怪だ。だから有名と言ってもアイドルってわけじゃなく、屋敷を訪問するような酔狂な奴はそういない。今や生半可な覚悟無しでは、誰も湖にすら近づかない。
そんな散々な風評のレミリアだが、意外にも見た目は可愛らしかったりする。というのも外見だけ見れば、あいつは十に満たない子供なのだ。黙っていればそれこそ人形みたいなのだが、あいにく内面も子供同然だった。どうでもいいことに見栄を張り、自尊心は山より高い。生まれてすぐで周りに敵はいないほど強かったらしく、おかげでどうしようもなく我が侭に育ってしまった。
一応紅魔館には、優秀なメイド長である十六夜咲夜がいる。屋敷のあらゆる雑用をこなす手際からパーフェクトメイドを自称し、わたしやアリスにもひけをとらない実力を持つ。そんな咲夜ですら、レミリアが癇癪を一度起こせば止めることはできない。無理やり苦手な日の下にでも引っ張り出すしか、黙らせる方法は無いだろう。
とまあ、それはいいとして……この文章も結局関係が無いので、またアリスはさっきと同じ動作を繰り返すものと思われた。
が、アリスはその文章に目を落としたまま固まっている。なにやら思案している様子だ。そして、しばらくしてから、不意に一言。
「うん。これでいいんじゃない」
あっけらかんと告げる。
「これでいい? こりゃただの伝言だぞ」
「わかってるわよ。でもあなたの持論では、万物には存在自体に理由があるんでしょ? なら、この文章からだって、表面から明らかにされていない意味まで分析できるはず。違う?」
不敵な笑みを投げかけてくる。やれるものならやってみろ、ということらしい。なんだかえらい楽しそうだ。
さあて、無理難題を吹っかけられた身としては、どうするか……。
言葉の綾だと跳ね除けるのは簡単だが、すでに一度ふっかけられた勝負。退き下がるわけにはいかないだろう。それにどうもこいつは、わたしのことをただのガサツな馬鹿だと見做している節がある。これはこちらの頭の切れを、思い知らせてやるチャンスなんじゃないか?
なら……。
「よっしゃ、上等だぜ。その挑戦、受けてやる!」
*
「これで良し、と」
書斎から羽根ペンを持ってきたアリスは、先ほどの箇所を目立つように円で囲った。
『昨日の忘れ物を保管しています。
心当たりがある方、本日二十四時に紅魔館までお越しください。お待ちしております。
レミリア・スカーレット』
うむ。これで準備完了だ。といっても、さしたる準備など必要とはしなかったが。
「少し、時間をもらうぞ」
いつでもどうぞとばかりに、アリスは椅子にふんぞり返って余裕を見せている。あの鼻を明かしてやるためにも、もう一度じっくり文面を見つめる必要がある。
ふむ……。
当然だが、これ自体はなんの変哲もない伝言文に過ぎない。
たっぷり二分ぐらいだろうか。しばらく一人でにらめっこをしたところで、切り出した。
「ひとまず、だ。確認の意味で、より確定的であろう部分から挙げていくとするか」
「やっと口を開く気になったわね。このまま日が明けるかと思ったわ」
「一応勝負なんだから、慎重にいかないとな」
新聞の上に肘をつきなおし、改めてアリスと向かい合う。
「確認一つ目。このメッセージを送ったのは、レミリアだ」
アリスは目をぱちくりさせる。しかし、すぐに不信な顔つきになり、「……真面目にやってる?」
「大真面目だぜ。確認って言ってるだろ? どうなんだ」
ひょいとアリスは肩をすくめる。
「当然よね。ちゃんと名前が書いてあるんだもの。それも本名で」
「ま、時間はたっぷりある。焦る必要はないからな。こういうのは、一歩一歩しっかり踏みしめていくのが大切だ」
そのまま続ける。
「二つ目。このメッセージは、レミリアが一人の個人に向けて発信したものだ。なぜ相手が複数でなく個人かは、まあ文面を見ればわかるな?」
「馬鹿にしないでよ。心当たりがある〝方〟って言ってるし、そもそも忘れ物なんて個人単位のものでしょう」
「うむ。そこで、仮に伝言の相手を《A》としよう。このメッセージは、レミリアが《A》に対して送ったものだ。異論は無いな?」
ふうん、とアリスは鼻を鳴らす。
「本当に慎重なのねぇ。まあ、あるわけがないわ」
「なら、次だ。《A》は昨日、紅魔館に訪れている。で、その際忘れ物をした」
「あら、ようやく推理っぽくなってきたわね。その根拠は、〝昨日の忘れ物〟とあるから?」
「そう。忘れ物というからには、一度その場所に足を運んでいることが大前提だ。これも間違いないな?」
末尾の確認は念のためだったが、意外にもアリスは「そうかしら」と首を捻った。
「間違い無い、とは言い切れないんじゃない?」
「む。どうしてだ?」
「こういうパターンも考えられない? 紅魔館とはまったく関係の無い誰かが、建物の近くで落し物を拾った。そしてそれを、紅魔館に届けた。だから落とし主である《A》は、紅魔館の近くには行ったけど、敷地内までは入っていない」
おや、案外鋭いところをついてくるな。
アリスの顔は、いつのまにか真剣だった。このゲームは一応勝負ということだったが、まあゲームはゲーム。ただの遊びだ。にもかかわらず、アリスはすでに議論自体に集中しているようだ。
それならばと、こちらも真剣に返すことにする。
「いや、それはない」
アリスは少しだけ、目を丸くした。
「どうして?」
「文には〝保管しています〟とある。ニュアンスがおかしくないか? もし忘れ物だけ預かっているのだとしたら、〝保管しています〟ではなく〝お預かりしています〟と書くほうが適当だろう」
ううん、とアリスは唸る。
「そう……なのかな。保管の方でも、意味は通じそうだけど」
「理由はまだある。〝昨日の〟忘れ物って書いてあるだろ? 他人がどこもしれない場所から拾ってきたのなら、昨日のなんて言い方はしない。そもそも、それだったら忘れ物じゃなく落し物って書くのが普通じゃないか」
「なるほど……。それならわかるわ」
「あとは……そうだな。レミリアが今夜十二時に、《A》を紅魔館で待っているってことぐらいだな。文面からわかる確実性の高い推測は、こんなところだろう」
一旦一息つく。アリスの方はというと、なんだか知らないが少々ぽかんとしている。
「……なんだよ?」
「いや……なんていうか、ここまで本格的だと思ってなかったから。たったこれだけの文章でも、ちゃんと分析することができるのね」
どうやら、感心しきりということらしい。こいつなりに、無理難題をふっかけた自覚はあったんだろう。まさか本当に真っ向から切り結ぶとは思ってなかった、そんなところか。
「見直したか?」
にやにやしながら言ったせいか、アリスは途端にむっとした表情になる。
「まだに決まってるでしょ。これぐらいは、文を見れば誰でも思いつくわ」
やれやれ……まったく、これだからこいつはかわいくない。
とにかく、まだまだこの程度では、向こうから負けを認める気はないようだ。となれば、続けて畳み掛けたいところだが……まあ、あいにくパッと思いついたのはさっきので以上だ。
さて、他にこの文から何かわかることは……。
「……〝レミリアは、《A》が誰か知らない〟」
は? とアリスは間の抜けた声を漏らす。
まあ、そういう反応がくるだろうとは予想がついていた。こいつにもわかるように、もう一度繰り返してやる。
「レミリアは《A》が誰なのか知らない。少なくとも、一個人に特定できていない」
「特定できていないって、そんなわけないでしょう。相手も知らないで、メッセージを送ったっていうの?」
「いや、特定できていない。なぜなら、文面にこうあるからだ。〝心当たりのある方は〟」
あ、とアリスの声。
「レミリアは忘れ物の主が誰だかわかっていないんだ。わかっているなら、そんな書き方はしない。そいつの名前を書けば一番早いはずだ。新聞を見る側からしても、自分の名前だった方が目に止まりやすいしな」
説明しながら、自分の考えを脳内で補強していく。
そうだ、レミリアが忘れ物の主を知っているならば、そいつの名前で呼びかけるのが最も手っ取り早い。相手の名前を出していないところから、まず不自然だ。
もちろん、相手のプライバシーを考慮してわざと名前を伏せた、ということもあるだろう。しかし、あの唯我独尊な性格のレミリアが、そこまで他人を配慮するとはとても考えにくい。だいたい、あいつが誰かが忘れ物をしたからといって、わざわざそれを取りに来るように親切に呼びかけること自体、よくよく考えればおかしい……。
脳裏になんともいえない違和感。しかしそれは形を成さず、ぼんやりと思考にこびりつく。
「なあ、おかしくないか?」
「えっ? なによ突然」
「だって、レミリアだぜ? あの我が侭を地で行くお嬢様が、忘れ物があったから取りに来いだなんて、そんな気の利いた真似すると思うか?」
ふむ、とアリスは顎に手を当てて考えるそぶりをした。そして、苦笑しながら首を横に振る。
「普通に考えて、無いでしょうね。そんなこと」
「だよな? 百歩譲って、おかしいとはいかないまでも、とてつもなく珍しいことに違いは無い」
あいつは例えば、客に紅茶はいるかと訊いてから、自分の分だけ紅茶を用意させるような奴だ。サディストなのか見た目相応のいじめっ子の心理なのか、他人が困っている様を見ればどちらかと言えば面白がるタイプだと思う。
「仮にその珍しさに理由があるとしたら……いったいどんなことが考えられる?」
しばらく黙り込んでから、アリスは口を開く。
「その忘れ物が、よほど高価で大事なものだったとか?」
「高価だったから、見かねてわざわざ新聞で呼びかけたってか?」
くすくす、と口許を抑えるアリス。
「想像できないわね。あのレミリアが」
わたしも苦笑する。いや、まったくもって、そのとおり。
「だいたいこうして新聞に載せるためには、発行している文のところに、わざわざ載せてくれって頼みにいかなきゃならない。わたしだったら、そんな面倒な真似はごめんだな」
「そう? 私は別にかまわないけど。それぐらい」
「本気か? こっからあいつのいる妖怪の山は、里を挟んで正反対だぜ? ほとんど地球の裏側みたいなもんだ」
「大げさなのよ。あなたが面倒くさがりなだけでしょ」
むう、と黙り込む。断っておくが、わたしは暇を持て余していても、霊夢と違って怠惰なわけではない。ただ自分のためにならないことをするのが嫌いなだけだ。だがこれ以上の脱線は本線を見失いかねないので、ここいらで軌道修正しておく。
「とにかく、だ。レミリアがこんな文面を新聞に書くのは……まあ、おかしい」
「でも、やっぱり普通に考えて珍しいってだけよね。気まぐれでそういうことをしたのかもしれないし、大して気にすることじゃないと思うけど……」
言いながらアリスがティーポットを傾けていると、ふいに「あ」と止まった。中身が切れたらしい。
「新しいの淹れてくるから、ちょっと待ってて」
こちらの返答を待たず、アリスはポットを抱えて戸口から出て行った。
*
壁の時計を見て、驚く。二十二時三十七分。この議論を始めたのが二十二時ぐらいだから、ゆうに三十分話し込んでいたことになる。
いやはや……こんなどうでもいい短文で、そこまで暇がつぶせるとは。思ってもみなかった。
アリスは三分そこらで戻ってきた。ノックもなしにドアが開き、「おかしいことに気づいたわ」
いきなり顔を近づけてくる。どうやら茶を淹れている最中に、なにか閃いたらしい。すぐに話したくて、急ぎ目に戻ってきたのだろう。
「なんだ? なにか気づいたのか?」
「そう、気づいたのよ」
なんだか眼が輝いている。経験則上、こうなったアリスは言いたいことを言わせないと先に進まないのだ。
「というより、思い出したの」
ふむ。思い出した、と。
「昨晩の献立か?」
「誰もボケ防止の話なんてしてないわ。このゲームの本分のこと」
椅子に腰掛けると、ずいと前のめりに顔を近づけてくる。その勢いに押され、軽くのけぞってしまう。
「ほ、本分?」
そう、と下がって腰をつくアリスには、なんだか不敵な笑みが浮かんでいた。
「このゲーム……というより、これは勝負だったはず。あなたと、わたしの」
「だな」
「それを、なんだかよくわからないけど、流されてつい一緒に考えてしまっていた。勝負なのに、あろうことかあなたに助言をしてしまっていたの」
「まあ、正直お前の発言はそんな参考にはなっていな……」
「とにかく」
強引に遮られた。
「本来の対決という図式にのっとって、わたしはあなたの推論を批判する側に回るわ」
なるほど。自信満々に宣言する辺り、よほど思い当たることがあったのだろう。
正直、ここまで来たら勝負とかはどうでもいいような気はしている。というより、考えに没頭するあまり、勝負だということすらすっかり忘れていた。
「で? 反対派に立ち位置を引っ越したところで、何か意見があると?」
「あなたの推論だと、レミリアは《A》が誰だかわかっていないんだったわよね?」
そうだったはず。確か。わたしは頷く。
「そして、《A》は昨日、紅魔館を訪問している」
それも間違いない。間違いないのだが……。
「何が言いたいんだ?」
「この二つの推論、それぞれ挙げると正しいかもしれないけど、二つ揃えると矛盾してない? 《A》が客として招かれたのならば、レミリアは当然それなりのもてなしをしたはず。そこまでしておいて、《A》が誰だかわからないなんて、そんなことがあるかしら?」
……む、確かに。
アリスの言うとおりだ。忘れ物を示唆されるぐらいなんだから、《A》はレミリアにとって親しい間柄なのだろう。そいつが茶でも飲みに来たとして、誰だかわからないなんてありえない。
と、いうことは……《A》は顔を見せずに紅魔館に来た?
「……フルフェイスのヘルメットだったとか」
「んな奴がいるはずないでしょう」
「いや、わからないぜ? ここは幻想郷だ。そんなとてつもなく常識外れの変人が、一人もいないとは限らない」
アリスはこちらの頭を心配するような視線をくれてきた。
「それ、ほんとに思ってる?」
「可能性が全く無いってことはないよな、うん」
調子に乗っていると、わたしはアリスの目がパチュリー顔負けの冷ややかなジト目と化しているのに気づいた。わかった、わかったから、そんな目で見ないでくれ。
話をはぐらかすような冗談を言ったのは、その間に考える猶予が欲しかったからだ。なにせこいつ、茶を淹れながらじっくり考えてきただけあって、なかなか痛いところをついてくれた。こちらも少し時間をいただかなければ、少々きつい。
一旦紅茶を口に運び、タイミングを整える。カップを置くと同時に、アリスの目を見た。
「要はお前の言いたいことはこうだな? さっき、わたしの考えた『《A》は昨日紅魔館に来た』という推論を仮に推論①とした場合、推論②である『レミリアは《A》が誰だかわからない』という推論は成り立たない。この二つが同時に成立することは論法からいってあり得ず、二つの推論はどちらかが誤りである」
「あるいは、あなたの頭が誤ってるかね」
やれやれ、というアリスの軽口は無視して、「つまり、①と②が同時に成立する状況、推論③をわたしが新たに推理すれば、お前も文句は無いわけだ」
「まあ、そうね。ああでも、ヘルメットなんか使うのは駄目だけど」
そりゃ冗談だってのに……。
まあいいか。思いついた順に、ぶつけてみることにする。
「では、推論③。昨日、紅魔館には《A》以外に来客者が来ていた」
アリスは一瞬意味がわからないようで、「どういうこと?」
「忘れ物は、昨日一日が終わってひと段落した時に見つかった。しかし、その日紅魔館に来ていたのは一人じゃなかった。仮に一日で五組の訪問客が来ていたとして、忘れ物はそれらの客の誰かのものであるのは間違いないが、その中の一人までは特定できない。だから実名を出さず、わざわざ〝心当たりのある方〟なんて言い回しをした。これなら文面と照らし合わせても違和感は無い」
ふむ、とアリスは口をつぐむ。とりあえずすぐに反論はなさそうなので、わたしはそのまま続ける。
「つまりレミリアは《A》の正体がわからないといっても、ある程度落とし主の見当はついているわけだな。②は『レミリアは《A》が誰だかわからない』だが、一人の個人に特定できていないという意味で、正しい。この推論③の提唱によって、推論①、②はどちらも真となる」
「確かに……」
俯きながら口許を隠すように手を置くアリス。しかし、納得したように見えたのも束の間、すぐに顔を上げ、「いや、でも、違うわね」
きっぱりとした物言いに、わたしは訊き返す。
「どうしてだ?」
「その推論③は無いと思う。というより、現実に考えて可能性が低い」
……ふむ。可能性が低い、ときたか。
「それはつまり、普通に考えて、紅魔館にはそんなに客は来ないってことか?」
「わかってるんじゃない。平たく言えばそういうことよ。魔理沙ぐらいしか家に客が来ないわたしが言うのもなんだけど、あんなとこにすすんで遊びに行く妖怪なんて、そうそういるもんじゃないわ。なんていっても、吸血鬼の居城なんですもの。一応門番はいるけど、あんなのほとんど名ばかりだしね。命が惜しいなら誰も寄り付かないわよ、普通」
まあ……確かに。わたしも正直、本でも盗むのでなければ、あんな危険な所には喜んでいかないだろう。実際、人が入ってるところなんて見たことが無い。
「そもそも、あいつと親しい妖怪なんているのかしらね。仮にいたとしても、多くはない。ゆえに、昨日に限って、一日に何人も来客が訪れるなんて考えにくいわ。可能性の話として考えるならば、その③は弱いのよ。無きにしもあらずって意味じゃ、信憑性はさっきのヘルメットとそんなに変わらないわね」
むう、そこまで言うか。
しかし、言われてみれば……現実的な可能性を考えるなら、確かにアリスの方に分があるように思える。今の推論は無い。
まあ、もともと今のはそんなに自信があったわけじゃない。切り替えて、次に行こう。
「わかった。今のはナシ。間違いだとして、次だ」コホン、と一つ咳払いをする。「改めて、推論③。レミリアは、《A》には直接会っていない」
また変なことを言い出した。そんな具合にアリスは顔をしかめる。
「まあ聞けって。《A》は確かに昨日紅魔館に来たが、何もレミリアが直接応対したとは限らない。むしろそれはメイドである咲夜の仕事のはずだ。あの出不精のレミリアが不在ってことはなかっただろうが、例えば就寝中だった場合は、他の者が応対することになる。ゆえに、レミリアは《A》が誰か知らないという仮説は崩れない」
「で、咲夜が代わりに応対して、《A》はその時に忘れ物をしたって、そう言いたいわけ?」
「そうなるな」
はあ、とアリスは呆れたようなため息を放つ。
「それはないでしょ、さすがに」
……だよな。
実は、わたしも今話しながらいろいろ気づいて、自信が無くなってきていたところだ。次にアリスが主張してくることも、おおよそ見当がつく。
「応対したのがレミリアじゃないっていうなら、どうして文面にレミリアの名前が出てくるの? 仮に咲夜だったとしたら、そのまま十六夜咲夜と書けばいいじゃない。その推論は、どう考えてもおかしいわ」
そうなんだ。そこを突かれるとぐうの音も出ない。
言い返すことが出来ず、自然と沈黙が降りてくる。
さっきの推理は可能性の面からの否定だったが、今のは理屈からいって誤りだ。パッと思いついた限りでは、今のが本命だったんだが、あっさりと崩されてしまった。
となると、あと思いつくのは……。
「三たび、推論③。このメッセージを発信したのは、レミリアではない」
アリスはまた渋い顔をする。
「どんどん苦しくなってくるわね。ま、言うだけ言ってみれば?」
苦しいのは自覚しているが、他に案が無いのだから仕方がない。お言葉に甘えて言わせてもらうことにする。
「この文章を載せるよう文に依頼したのは、レミリアではない第三者。ゆえに、レミリアは《A》の正体を知っている必要性は無くなる。というより、②は意味を成さなくなる」
「それ以前に、そんなことになったら、いろんな問題が出てきちゃうでしょう。まず、その第三者って誰? なんのために、こんなことするの? その目的は? それにどうしてわざわざレミリアの名を騙るの? だいたい新聞でこんな真似したら、すぐに嘘だってばれるでしょ? その推論が正しいと本当に主張したいなら、最低でも今の質問全部にスラスラ答えられるようにすることね」
「…………」
一つも答えられそうになかったので、わたしは椅子にぐったりもたれかかった。
「ああ~、悪かったよ。だってもう、出すもんは出し尽くしたぜ。これ以上は何も思いつかん」
くすくす、とアリスは頬杖の腕を組みかえる。
「あら、ギブアップ宣言? まあ、よくやった方なんじゃないの」
「糖分が足りない。甘いもんをくれ」
「角砂糖でも舐めれば?」
蟻か、わたしは。
しかし……このままではいけない。鼻を明かしてやるつもりが、逆に論破されてしまいそうだ。
ポットの隣には、皿に盛られた角砂糖がある。言うまま舐めるのも癪なので、一つ、紅茶の中にぽしゃりと落とす。
「気になる点はあるんだが……」
スプーンでかき混ぜながら……もう一度、考えてみる。
「っていうと?」
「うん。わたしはやっぱり、レミリアがこんなものを送るとはどうも思えないんだ」
「まさか、また第三者の仕業とか言うんじゃないでしょうね?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな。なんて言ったらいいか……やっぱり、レミリアはこういうことはしないと思う。するとしたら、咲夜の方だ」
アリスがきょとんとしている間に、もう一つ思いつく。
「……そうだ、咲夜だ。本当に紅魔館で忘れ物があり、それを持ってくるように呼びかけるとする。だとしたら、それは咲夜の仕事だ。ならば、ここに書いてあるべきはレミリア・スカーレットではなく、十六夜咲夜でなければならない。違うか?」
「それは……確かにそうね。そんなの、言ってみれば雑用だもの。メイドの仕事を、主人がするわけがないわ」
しかし、実際にここに書いてあるのはレミリアだ。なるほど、先の違和感の正体がようやくわかった。
だが……だとしたら、言えることが一つある。
何か、事情があるんだ。咲夜ではなく、レミリアの名前を出さなければならない理由が……。
「咲夜は、今元気かな?」
「……は?」
「風邪ひいて寝込んでるとか、そういうことはないか?」
「何よ、急に」
「ようするに、咲夜は今動けない状況にある。だから、代わりにレミリアが自分でメッセージを送った。これが、咲夜ではなくレミリアの名前で書かれていた理由だ」
ううん、とアリスは少し唸って、「まあ……一応説明はつくわね。咲夜も人間なんだから、風邪ぐらいひいてもおかしくはないし」
「ま、別に風邪でなくても構わない。あるいは、単に出掛けていて不在だった、なんてことでも成り立つ。もっとも、メイド長が丸一日も館をほっぽりだしてどこかに行くってのは考えにくいが」
これで、少しは違和感を解消できただろうか。しかし、肝心な部分がまだな気がする。
そもそも、忘れ物なんて、よほど大事なものでなければ急いで届ける必要などないのだ。それを、咲夜がいないのに、わざわざ自分が動いて、次の日には相手に渡さなければならない。しかも、あのレミリアが……。
いったい、どういう状況が考えられる?
わからない。しかし、こんな矛盾が生じるというということは……。
「ねえ。これって……もしかして、ただ忘れ物を伝える文章じゃないんじゃない?」
アリスも同じ結論に至ったらしい。ああ、とわたしは首肯する。
「かもな。しかし、だとすると……」
「うん……」
「臭うな」
「……臭う?」
「物騒な臭いがする。なんだか」
「そうかしら」
ずず、とアリスはこともなげにカップをすする。
「だってそうだろ? もしこれが額面通りのことを意味しているのではないとするなら、いったいなぜ、レミリアはそんな真似をする? 言いたいことがあるなら、直接そう書けばいいんだ」
「それは……そうでしょうけど」
「しかしそうはできない。なぜなら、理由があるから」
アリスは苦笑する。
「また理由?」
そう……理由だ。
つまりレミリアは、《A》に対して伝えたいことがあるが、それは公にはできない、あるいは公にしたくないこと。そう推測ができる。
「レミリアの目的が、ただの忘れ物を渡すことじゃないと仮定しようか。だとしたら、なんだと思う?」
ええ~、とアリスは大げさに首を捻る。
「さすがに、そこまでわかるわけないでしょ。こんな短い文だけで」
「そう難しく考える必要はないさ。わたしは単純に、レミリアは《A》に対して何かを呼びかけたい、あるいは伝えたいというのは間違いないと思う」
「どうして?」
「二十四時に、と時間が書いてあるからだ。そして時間まで指定しているからには、お待ちしていますという部分はそのまま受け取っていいと思うんだよな」
そうかしら……と前かがみに腕を組むアリス。こちらを見上げて、「この文面そのものが、何かまったく別のことを意味する暗号ってことはないかしら?」
「なくもないだろうが、おそらく可能性としては低い。いいか、これは新聞なんだ。いろんな奴が見るから、確かに暗号は都合がいいかもしれない。でも、よく考えてみろよ。この記事は小さいし、それもはしっこだから目立つわけでもない。その上小難しい暗号なんかにしたら、《A》は暗号だということにすら気づかず素通りしてしまうと思わないか?」
「うーん、まあ……」
曖昧な返事だなぁ。納得したのかしてないのかどっちなんだか。
「不満だったらすぐ言ってくれよ? でないとどんどん先に進んじゃうぞ」
「不満ってわけじゃないけど……でも、私思うの。そんなに伝えたいことなら、レミリアも直接その人に会いにいけばいいのにって」
ううむ、根本的な問いだな。
「レミリアは吸血鬼。行動できるのは夜に限られるし、そもそも生来の性格が出不精だ」
「だったら、咲夜を使いにいかせればいいのよ。だって、普段はそうしてるんでしょ?」
「まあな……」
確かにそのとおりだ。わざわざこんな回りくどい方法を使うってことは、直にそいつには会えない理由があるからだろう。同様に、咲夜を使わないのにも、理由がある。
理由、ということは……。
「やっぱり咲夜は動けないんだな。寝たきりだ」
「寝たきり、ねえ」
「それと、《A》は紅魔館を知っていても、レミリアは《A》の住んでいるところを知らないのかもしれないな。あいつが他人の家に遊びに行くなんて、博麗神社ぐらいしかないだろうし」
はた、とアリスは何か気づいたように、話に割り込んでくる。
「あ、それじゃ霊夢は《A》じゃないわね」
「え? ……まあ、そうだろうな」
正直こんなところで霊夢の名前が出てくるなんて思わなかったので、若干返答が遅れてしまう。わたし達が話しているのはあくまで机上論なのであって、唐突にそんな身近な人名が飛び出すとなんだか妙な感覚だ。
まあ……正直《A》が誰かなんてことは、そんなに問題とするところじゃない。だいたい、さすがにこの文面だけじゃ個人までは特定できそうにないだろうからな。
「ま、《A》の正体は今はどうでもいい。それを探すとしたら、おそらく一番最後になるだろう」
一拍置いて、次に進む。
「で、続きなんだが、レミリアが《A》の家を知らないという他に、もう一つ可能性がある。レミリアは、《A》自体誰だかわからない。だから、新聞で呼びかけるしかなかった」
またそれ? とアリスは苦笑する。
「その推理は、さっきわたしに否定されたんじゃなかったっけ?」
「わたしはまだ間違ってるなんて認めてないぞ」
「こだわるのね。でも、どうせ考えても無駄だと思うけど」
ふふん、と余裕そうに紅茶を飲むアリス。
……うぐぐ。ツンとすました顔がうらめしい。結局さっきの矛盾を片付けないとならないのか。
目を閉じ、眉根を揉みながら、もう一度考える。
《A》は訪問者。客として、昨日紅魔館を訪れている。だから、応対したレミリアは《A》の顔を知っていないとおかしい。
…………。
……もし、《A》が客じゃなかったとしたら?
「……《A》は、客として招かれたんじゃない」
わたしはおもむろに口を開く。
「えっ……?」
ふう、と一息ついて、背もたれにもたれる。
「《A》は〝紅魔館に入った泥棒〟だ」
*
「ど、どういうこと!?」
アリスは目を白黒させ、問いかけてくる。
突拍子も無い推理だもんな。さすがのアリスも動揺を隠せないとみた。
何気なく口にしたはずだった。しかし、考えてみれば思いのほか的を射ていることに気づく。いやそれどころか、考えれば考えるほど、これ以外の推論は無い、そう言い切れるほど確信が満ちていった。
わたしは肘をつき、両手の指をからめてそれを口のあたりに置く。
「推論①、『《A》は昨日紅魔館に来た』。推論②、レミリアは《A》が誰だかわからない』。この二つを受ける推論③、それは『《A》は昨日、紅魔館に忍び込んだ泥棒だった』。こう考えれば全ての辻褄が合う」
そう、泥棒ならば顔を見られることもない。レミリアが《A》を知らないで当然だ。
「ちょ、ちょっと待って」
アリスの手の平が向けられる。幾分動揺を鎮めてから、コホンと一息つく。
「まあ……そうね。《A》は泥棒。確かに筋は通っているかもしれない……って、なによそれ! いくらなんでも無茶苦茶すぎない? 突拍子が無いにもほどがあるわ」
「そうか? 無茶苦茶どころか、そう仮定すれば納得のいく説明ができる部分ばかりだと思うが?」
一度堰を切れば、頭の中で数珠繋ぎのように次々と推理が広がっていく。そう……これだ。この感覚が、推理小説はたまらなく楽しい。思わずわたしは、くっくっ、とほくそ笑んだ。
焦らされたと思ったのだろう。アリスは目に見えてそわそわしている。
「嘘よ。わからないことばかりだわ」
ふむ、では、何から話すか……。
ドミノのように一気に謎が氷解していったせいで、どこをどう話せばいいか、頭の整理がついていない。せっかくなので、アリス自身に訊いてみることにした。
「じゃあ、聞くが、どこがわからない?」
「そりゃ、いきなりそんなこと言われたら全部が全部意味不明だけど……。じゃあ、まず一つ訊くわ。《A》が泥棒だとして、レミリアは《A》に対してメッセージで何を言いたいの?」
「そのまんまさ。忘れ物があるから、本日二十四時に紅魔館まで来い。そう言ってるんだ」
「泥棒が忘れ物したっていうの? で、レミリアはそれを親切に取りにこいって?」
アリスは悪い冗談でも笑い捨てるように言う。
「もちろん、レミリアは親切で言ってるんじゃない。それと、忘れ物ってのは少々ニュアンスが違うかな。おそらく《A》が紅魔館に残したそれは、忘れ物じゃなく〝落し物〟だ」
アリスはきょとんとした。
「つまり、盗みを働いている最中に落としたってこと?」
「そういうことだ」
「…………」
アリスは腕組みをし、うつむき加減に考えている。今のことを頭の中でじっくり租借しているらい。
しばらく待ってから、続きを話す。
「さて、ここでレミリアの目的について、改めて言及しとかなゃならない」
アリスは視線を上げる。
「改めてってことは、やっぱり忘れ物を返すことが目的じゃないのよね?」
「言ったろ? あいつが親切なんかするタマか。レミリアの目的は、〝《A》を呼び出すこと〟だ」
そこまで告げたところで、はっとアリスは目を見開く。どうやらこいつも悟ったらしい。
「《A》は紅魔館で泥棒を働いた。成功したか失敗したかはわからんが、逃げおおせたってことはおそらくうまくいったんだろう。当然、館の主であるレミリアは怒る。盗まれたものが何かは不明だが、自分の館のものが盗まれたんだ。プライドを刺激しないはずがない。あいつはお子様だし、はらわたが煮えくり返っているだろう。なんとかして……そしてできれば自分の手で制裁を加えたい。あいつはそう思う。
しかし、レミリアは焦る必要はなかった。犯人は焦っていたのか、忘れ物をしていってしまったからだ。わざわざ自分からそいつの家に乗り込まなくても、こいつをダシに誘き出せばいい。そう思ったに違いない」
「じゃあ、忘れ物っていうのは……」
「そう。平たく言えば〝人質〟だな」
わたしは足を組み替える。
「つまり、この文面……レミリアが本当に言いたいように変換すれば、こうだ。
『お前が昨日置いていった物は預かっている。返してほしければ、今日二十四時に紅魔館まで来い』。
ようするにこの文は、レミリアが《A》に宛てた〝脅迫文〟ってわけさ」
「…………」
脅迫、という不穏な響きに、わずかに空気が重くなる。アリスがごくりと喉を鳴らす気配がした。
「……なるほどね。確かに、そう言われるといろいろとしっくりくるわ。私もずっと気になってたことがあったの。わざわざ忘れ物を取りに来させるのに、どうして時間まで指定したのかって。つまり二十四時はレミリアの指定したタイムリミット。それが過ぎれば、人質の保障はしないっていう意味なのね」
「まあ、そういうことだ」
と……言いつつも、実はそこまでは考えていなかった。なるほど、タイムリミット。でもまあ、せっかくなので自分の手柄ということにしておく。
「ついでに言うと、忘れ物を『預かっている』ではなく『保管』と書いたのは、とりあえず現時点では人質――まあ、この場合は物質だが――は無事だ、ということを主張したいんだと思う。もう忘れ物はぶっこわされていた、なんてことがあったら、《A》はやってこないからな」
「……咲夜ではなくレミリアがわざわざ自分の名前を使ったのは、犯人に対するプレッシャーを与えるため?」
「それもあるかもしれないが……わたしはやはり咲夜は怪我で動けなかったんだと思う」
「怪我? 風邪じゃなかったっけ?」
……そうだったかもしれない。しかし、ここはきちんと言い切っておく。
「さっきのはただの例え。だが、これは例えじゃなくてちゃんといた推理の結果だ」
「なら、なんで怪我になったのよ?」
「じゃあ、その日の一連の流れから振り返ってみるか。
犯人は見事物を盗みおおせたのだろうが、とはいえ終始つつがなく仕事を終えることができた、とはいかなかったろう。おそらく、《A》は途中で泥棒がばれて見つかった。そしてそれを聞きつけた咲夜が、メイド長として泥棒を迎え撃って出た――もちろん、咲夜自身が泥棒を見つけたという可能性もあるが。そして、まあ戦闘になったんだろう。《A》は咲夜を倒してから、紅魔館を脱出した。咲夜が怪我を負ったのはその時だ」
ついでに言うと、《A》が忘れ物を落としたのも、おそらくその時。普通こっそり忍び込んで何か自分がポケットからものを落としたのなら、音ですぐに気づくだろう。となれば、戦闘でのどさくさ以外に考えられない。
「咲夜の怪我は重傷で、少なくとも丸一日は横になっていなければならなかった。だから仕方なく、レミリアは自分でメッセージを発信することにした。これが咲夜ではなくレミリアの名前で書いてある理由――」
「待った」
すっかり黙り込んでいたアリスが、唐突に話を遮る。
「その推理を正当化するなら……今までの推論の中で、訂正しなきゃならない箇所があるわよね」
「ん?」
「②のことよ。レミリアは《A》が誰か知らないって言ったけど、戦闘までしたんなら顔ぐらい見られているでしょ。だったら咲夜から話を聞いているんじゃない?」
「ふむ。まあ、確かにそうだな。泥棒なんだから、顔をマスクかなんかで隠してたってこともありそうだが」
「顔を隠していても同じよ。戦闘したってことは、つまりスペルカードでしょ? 弾幕を見れば、そいつが誰かなんて一目瞭然じゃない」
ほほう、弾幕とは……。なかなかおもしろいことを言うな、アリス。
「それなりに理にかなっているな。じゃあこれはどうだ? 咲夜の重傷は話もできないほどのものだったか、あるいは殺された。これなら、レミリアは咲夜から犯人が誰か聞けない」
アリスは強く首を横に振る。
「紅魔館のメイドは咲夜一人じゃないわ。騒ぎが起きれば、他のメイド妖精達がわんさかやってくる。あなたも、一度襲撃にいったならわかるはずでしょ。なら、きっとそいつらから聞いたのよ」
ふぅむ、言ってくれる。確かにそれも理にかなっていると言えなくもない。
しかし……よくわからないのは、こいつの意図だ。アリスは何が言いたいんだ?
「お前は推論②を否定したいのか? だったらお前の言うとおりだ。今のお前の意見を鑑みても、レミリアは《A》が誰か知っている、その可能性は高い。これまで積み上げてきた推論を振り返れば、もはやそう考えたほうが自然だ。そこは修正しよう。しかし、だからといって今話している推論③が覆されるわけじゃない。そこが間違っているからといって、全てを否定するのはお門違いだぜ?」
「そうよね。わかってるわよ。じゃあ、修正したことを前提にした上で、最後の質問をさせて」
最後の、という部分を強調するアリス。こちらをまっすぐに見つめて、こう言った。
「じゃあ、なんでレミリアは《A》の名前じゃなく、〝心当たりがある方〟で呼びかけたの?」
ははあ、なるほどね。それを主張したかったわけか。
つまりこいつのいいたいことはこうだ。レミリアが《A》を知っているならば、やはり新聞には《A》の実名で呼びかける方がいいはず。そこを説明できなければ、あんたの推理は破綻するわよ、と。あるいは破綻とはまではいかなくとも、美しい推理とはいかないんじゃないか、と。
用意していたわけではないが、答えは即座に閃いた。少し考えれば簡単なことだ。
「今回の件は……まあ悪いのは物を盗んだ泥棒だが、それを差し引けば紅魔館の失態。言うなら不祥事だ。レミリアにしたら、この事を公にされるのはプライドが許さない。わざわざこんな遠回りなメッセージを送ったことからも、それは窺える。レミリアは誰にも勘繰られたくないんだ」
アリスは眉根を寄せ、小さな唇を尖らせる。
「それはわかるけど……説明になってなくない?」
わたしは少し上体を前かがみにする。新聞のその部分を指で指し示す。
「じゃあ、もしここに実名で……仮に、わたしとでもしようか。
『霧雨魔理沙さん、本日二十四時に紅魔館までお越しください。お待ちしております』
なんて書いてあったとする。まさかこれだけで泥棒に入られたなんてことは悟られないだろうが――今やってるこのわたしの推理は別として、な。とにかく、誰かから噂で伝わる可能性は否定できない」
「誰かって誰よ? 紅魔館の連中はみんな口止めされるでしょ。だったら……」
「そう。だったら、《A》本人からしかない。といっても、《A》は人質をとられている以上、自分から勝手なことは言えないだろう。でも、他人から訊ねられた場合は、答えに窮しかねる」
「訊ねられた場合~?」
「そうだな……例えば、またわたしが《A》だったとしよう。わたしには、博麗霊夢という唯一無二の親友がいる」
「あんたらって親友だったのね」
つっこまれるとは思ったが、関係無いので無視して続ける。
「で、さっきのように実名を載せて新聞に書かれたとする。とすれば、当然霊夢の目にも止まるわけだ」
「あの娘新聞見るっけ?」
……無視して、「新聞の中にわたしの名前があれば、それは目に留まりやすい。で、留まったら後で本人に会ったとき、何かの拍子にこう訊くだろう。『あんた、この前紅魔館に忘れ物したらしいわね。何忘れたの? でもって、紅魔館に何しに行ってたの?』。てな感じでな」
アリスの視線は、見ているこちらが薄ら寒くなるぐらいしらけていた。
「……それ、物真似のつもり?」
そ、それはそれとして……。
「とにかく、いささか神経質すぎるかもしれないが、少しでも真実に繋がる情報は残したくないのさ。レミリアの心理としてはな。なにせ、呼び出した《A》を倒して口封じすれば、もう事実を知るものはいなくなる。相手が新聞を購読している奴ってわかっていれば、呼びかけとしては、わざわざ危険を冒して名前を出さなくても、〝心当たりがある方〟で十分ってわけだ」
アリスは押し黙る。あとは、新聞の文句を睨みつけるだけだった。
もう反論は無いようなので、わたしはとりあえずこの場を〆ることにした。
「こんなところかな。以上が、この文面からするわたしの考察だ」
*
たっぷり二十秒ほど、沈黙が続いていただろうか。
ふう、と大きな息を吐くと、アリスは空気が抜けたように椅子に潰れた。
「……まあ、わかったわ。参ったってことにしてあげる」
「参った?」
「あなたの勝ちってことよ。認めてあげる」
そういえば、これは勝負なんだった。また忘れていた。もはや推理に集中して、何を認めてもらおうとしていたのかもさっぱり思い出せないが。
「お前の口からそんな殊勝な言葉が聞けるとは、光栄だな」
「これだけの文章から、そこまで推理を働かされたらね。推理っていうより、妄想? 恐れ入ったわ、あなたの妄想力には」
……棘だらけの賛辞だったが、冗談でもこいつにして他人を褒めるなんて珍しい。ここはありがたく受け取っておくことにする。
「ま、見直したってんなら、お前もこれから少しはミステリーを読むといいさ。なんなら、この本、置いてってやろうか?」
ふん、とアリスはそっぽを向いて、「好きにすれば」
なんだかなぁ……。
素直に礼の一つでいいから口にすればいいものを。こいつは変なところで意地を張る。いっそ人形みたいに黙っていたほうが、よっぽど可愛げがあるだろうに。
ま、こいつがよくわからないのはいつものことだ……と、思っていると、アリスは向いた顔はそっぽのまま、なぜか沈痛そうな面持ちになっていた。
「それにしても……。《A》は大変ね。本気のレミリアとやり合わなきゃならないなんて。うまいとこその人質にとられている忘れ物を取り戻して、逃げられればいいけど……」
「お前が気にすることないさ。それに、わたし達が話していたのは、所詮遊び。ただのゲームだ。机上であれこれこうだったらっていう、仮定の話をしていたに過ぎない。ゲームはもう終わったんだ。なら、真剣に考える必要ももう無い。想像上のことに気を回しても、回すだけ損ってもんだ」
すると、ふふふとアリスは柔らかな微笑みを浮かべる。
「それもそうね」
つられて思わずわたしも笑みが漏れてしまう。目を合わせるとなんだか余計に楽しくなって、二人で声をだして笑いあった。
ふと、時計を見ると…………おや、もう十一時半を回ったか。
思わぬ暇つぶしができて、もう満足だ。たまにはこういう、無駄に頭を使う作業も楽しいもんだ。
「そいじゃ、そろそろお暇するかな」
「あ、待って」
腰を浮かせようとした時、声がとんだ。
「訊きたいことがあるんだけど」
「うん? なんだっけか」
「結局……魔理沙は、《A》は誰だと思う?」
それか。やっぱり気になるか。
わたしとしては、あえてそこまで考える必要は無いと踏んでいたのだが……。
「さっきも言ったかも知れないが、さすがにこれだけの文章から一人に特定はできないな。だが……手がかりがまったく無いってわけでもない」
「手がかり……?」
「いくつかあるのさ。まず一つ目、わたしの推論が正しければ、《A》は咲夜を倒している。ということは、その辺の妖怪や人間じゃあない。相当の実力者ってことだ」
「なるほど……。それだけでもだいぶ絞られそうね。次は?」
「これもよく考えればわかるんだが……《A》は、文の新聞を購読している者だ」
「あ、それはわかるわ。レミリアは《A》を知っているとして、そいつが新聞をとっているということも知っていたから。ね?」
「そうだ。《A》が購読していなければ、このメッセージを伝えることすらできないわけだからな。おそらくレミリアは、文が今日の朝刊を配りに来た時に直接聞いたんだろう」
うんうん、とアリスは納得したように頷く。
「まだ、何かある?」
「最後の一つ……の前に、アリス。お前は、《A》がした忘れ物って何だと思う?」
「何だと思うって……わかんないわよ、そんなの。まさかあなたはその人質が何か、察しがついたっていうの?」
実は、先ほどから気づいていた。《A》が泥棒だと仮定すれば、忘れ物がどういうものかはある程度予想がつく。
「だいたいはな。じゃあ、ヒントをやろう。この、忘れ物。これは《A》にとって、凄く大事なものだ」
一瞬、アリスの目が泳ぐ。
「それはわかるけど……。ようするに、レミリアがこんな脅迫文を書けば、必ず戻ってくると確信しているからってことでしょう。つまり、それぐらい大事な代物。でも、それがどう手がかりになるの?」
「逆に訊こう。普通泥棒に入るとき、そんな大事なものをわざわざ持っていくか?」
「あんたと違って、泥棒の気持ちなんてわからないけど……。まあ、普通はしないでしょうね」
「しかし、《A》は現に持っていっている。これはどういう意味だと思う?」
「もう。質問ばっかりなのね」
アリスは先を急ぐように、やきもきする。
「なにかしら……。懐中電灯とか、盗みに必要な物とか?」
「そんぐらいのものだったら、人質にはならないだろうな。もっと、緊急時に使うものだ」
「緊急時……なんなの?」
「〝武器〟だよ」
「武器……」
「紅魔館ほどの危険地帯に忍び込むんだから、もしもの時のことも考えておかなければならない。もしもの時ってのは、誰かに見つかった場合だ。となれば、まず間違いなく戦闘になる。武器は持っておいて損はないと、誰だって考えるだろう」
「じゃあ……《A》が落としたのは、自分の武器?」
「おそらくな。わざわざ現地に持っていく大事なものといったら、それしか考えられない。しかも、おそらく使い込んでいる愛用のものだ。これはわたしの想像だが、落としたのは戦闘中だろう。さっきも言ったように、盗みをした最中は考えにくいし……。ドタバタがあるとしたら戦っている途中しかない」
アリスは大きく唸る。
「そっか……」
「で……だ。これが武器だとしたら、この盗みに入った時だけでなく、《A》が普段から身に着けている、あるいは持ち歩いているものだろう。この幻想郷じゃ、顔を合わせただけで弾幕が始まっちまう。手ぶらで外には出られない物騒な世の中だ。わたしだって、八卦路や箒はいつも持ち歩いてるしな」
うん、と今まで机に視線をやっていたアリスが、こちらをまっすぐに見据える。
「ようやく魔理沙の言いたいことがわかったわ。《A》は、そんな大事なものをいつも持ち歩いているような奴、ってことね。つまり、愛用する武器を」
わたしは頷く。
「そういうことだ。戦闘中に愛用する武器を使う奴は、ざっと頭に思い浮かべても何人かはいるはずだ」
そう、例えば……
霊夢なら、お払い棒。
パチュリーなら、魔道書。
妖夢なら、刀。
幽々子なら、扇子。
紫なら、日傘。
小町なら、大鎌。
四季映姫なら、笏。
……とまあ、そんなところだろうか。
実際に、この中に犯人がいるかはわからない――まあ、同居人であるパチュリーはさすがに違うだろうが――。探せば候補になりそうな奴はもっといるだろうし、そうなればきりが無い。推理ではこうしてある程度まで絞り込めるが、さすがに思考材料が少なすぎる以上、この先は踏み込むことはできない。
「こんなところだ。今言った手がかりを全て満たすような奴がいたら、そいつが《A》ってことだな」
改めて、わたしは椅子から腰を浮かせる。するとアリスは意外そうにこちらを見上げた。
「《A》が誰か、調べないの? 《A》の正体と、あと《A》が何を盗んだかわかれば、推論は一通り完璧なのに……」
ひょい、とわたしは肩をすくめる。
「馬鹿言え。何度も言ってるじゃないか。わたし達がしているのはあくまで仮定の話。それを現実までもってくることはない。だいたい、全てを満たすっていっても、そんな奴が一人とは限らない。それに、今から文のところに行って、新聞を購読している奴を教えろなんて言うのもかったるい」
「あら、一番てっとり早い方法があるじゃない」
「ん?」
「あなたの推論が正しければ、《A》は今日二十四時、紅魔館に現れるはず。なら、待ち伏せして顔を見れば――」
「尚更かったるいってんだよ。これも言ったはずだぜ。ミステリーの醍醐味は結果より過程。もう十分堪能したよ。なにしろ……もういい時間だしな。あとは家に帰って、ベッドの上で今日の議題を振り返るとするさ。それが……」
「それが……?」
「それが、ミステリーの楽しみ方ってもんだからな」
もうさすがに帰る時間だ。荷物を背負い、立て掛けていた箒を手に取る。
ドアノブに手をかけようとしたとき、一瞬、テーブルの文面が目に入った。
『昨日の忘れ物を保管しています。
心当たりがある方、本日二十四時に紅魔館までお越しください。お待ちしております。
レミリア・スカーレット』
……今思えば、冗談みたいな文章だ。
もっとも、わたしが考えた推論とどっちが冗談かといえば、もはやどちらとも言えないのだが。
「待ちなさい」
振り向くと、アリスは頬杖をついたままだった。なんだか意地悪そうな笑みを浮かべている。
「あん? なんだよ、もうすでに一回待ってやっただろ」
「なら、もう一回待ちなさい。最後に、もう一つだけ訊きたいの。あなたは本当に、〝今の推論通りに事が起こったと思う?〟」
今さらのような質問だ。もはや長居するつもりがないわたしは、ドアに半身を滑り込ませたまま、答えてやった。
「推理ってのは所詮、論理的可能性の高さに基づいたものに過ぎない。となれば当然、論理を積み上げてできる推論は、積み上げるだけそれが正解である可能性は低くなる。わたしは可能性を示唆しただけ。それが事実かは無関係さ」
返答を聞く必要は無かった。わたしは満足げに、マーガトロイド邸を後にした。
<2>
魔理沙は挨拶も無しに、部屋を去っていった。
相も変わらずの自分勝手。自分だけ楽しんだら、後は知ったことではないらしい。
私、アリス・マーガトロイドは一人、薄暗い室内で目を伏せる。
少しは見直したと思ったのに…………まったく、やれやれだわ。
魔理沙が先ほどまで口にしていたティーカップの底には、まだ中身が残っていた。さほどお気には召さなかったらしい。
まあ……私も同意見だけど。
この茶葉は香りがきつすぎる。鼻腔を通って喉にまで刺激するから、せっかくの味もよくわからなくなる。次に淹れる時は、もう少しお湯を増やすか、抽出に時間をかけたほうがいいかもしれない。
「はあ~っ……」
どっと嘆息する。せっかく大変な思いをして手に入れた葉なのに。ハズレだなんて……。
ついた頬杖をそのままに、首だけを窓に向ける。四方に切り取られた額縁に、妖しく光る満月が揺れていた。日々の平穏を脅かす、魔理沙という暴風。嵐が去った余韻に浸るように、私は夜空を眺める。
まったく、魔理沙のやつ……。
まさか、本当に推理してみせるなんてね。ほんの冗談のつもりだったのに。
私が思うに、魔理沙の持つポテンシャルの根元はあの集中力だ。もとより、魔法の詠唱には大変な精神力が必要だが、あいつの人間らしからぬ強さの秘訣はその集中力にあるのではと、常々感じている。
今日もまた、その片鱗を目の当たりにさせられた。一度思考に没頭すれば、その直感と瞬発力で類稀な論理を組み立てる。きっとそれは、常に推理小説を愛読しているからという理由では足りないのだろう。知らない一面を見せられたようで、なんだか新鮮だった。
テーブルには、魔理沙が読んでいた本がそのまま残っている。
そうね……。たまには、私も見てみようかしら。推理小説。
紅茶を淹れなおして、さっそく読書にふけりたいところだけど……生憎、そうもいかない。今日はこれから、〝行かなければならない所がある〟。
はぁ、ほんとに……たかがお茶の葉のために、こんな面倒な破目になるなんて。
億劫だけど、仕方ないといえば仕方ない。このまま放っておくわけにもいかない。あの上海人形は、この世に一つしかない特注品なのだから。
隙を見てなんとか奪い返して……あとは逃げられればいいかな。
ティーセットはそのままに、先に身支度を整える。念のため、いつもより多めに服の中に人形を仕込んでおく。最後に、ポケットに懐中時計を見て入れる。
……十一時四十三分。もういい時間だ。遅れるわけにはいかない。
立ち鏡の前で、うんと大きく伸びをした。
さあて……じゃあ、そろそろ行くとしますか。
忘れ物を、取り戻しに。
~了~
日常からのちょっとした飛躍、それが本当に飛躍していたと言うのも良かったです。
ワンフレーズからどこまで妄想力を広げられるか、は割と得意かも。
話の中で微妙に、気になった点があるので以下に。
時刻に12時間表記と24時間表記が混じっている。
・あとは……そうだな。レミリアが今夜十二時に、《A》を紅魔館で待っているってことぐらいだな。
・壁の時計を見て、驚く。二十二時三十七分。
もし、意図的にやるのであればその理由と説明があると説得力が出そうです。
各人物の武器について
パチュリーは賢者の石の方がより魅力有りそう(石とは言っても落し物に出来ないかも知れませんが)、
四季映姫は閻魔大王のイメージで笏の方が良いかな、と言う個人的なものですが。
後は、アリスの最後の話を書くのなら、実際に紅魔館側がどうなっていたかも欲しかったです。
レミリアと対峙して咲夜が本当はどうなっていたか、とか、その補足をアリスとレミリアに話させた方が良かったかも。
逆にすっぱりとアリスの最後の話を切ってしまっても良かったかもです。
皮肉の応酬が心地良い。理論派同士のやりとりは読んでて楽しい。
茶葉がまさか伏線だとは思わなかった。
アームチェアデティクティブ、
あまり読まない私にはロジックの粗の有無はわかりませんが、楽しめました。
>四季映姫なら、卒塔婆。
卒塔婆フイタw あれは悔悟棒というらしいですよ
詠唱組のこういう話って好きです。
もやもやせずに済んだ。
ただの推理ゲームだったら気にならない点が
実際アリスへのメッセージだとすると気になってくる。
とりあえず、夜まで待たないで昼間行ったほうが楽に取りかえせそう。
うがあああ、答えを知れない悲しみ。
すばらしい。
たった数行の文章から推論、ひも解いていくこの行程こそまさにミステリですね。
私は一瞬犯人は魔理沙かと思いましたがそんなことはなかった・・・。
最後の部分は、なるほど冒頭部分のあのやりとりがここにつながるのかと納得しました。
良い作品をありがとうございました。
日常の中にある謎を解くミステリーっていいですよね。
日常の謎で数行の文章の謎を解く作品ということで米澤穂信さんの短編作品が思い浮かんだりしました。
ああくそ、でも読んでいてすごくわくわくした
しかも東方キャラをしっかり活かしている所もすばらしい
いままでの創想話にはなかったタイプの作品でした。
ラストのアリスのシーンも、真相を確認出来てすっきりしました。また作者様のミステリー作品を読んでみたいですね。
文才はあるんだからもちっとましなペンネームになさいw
アリスとは予想外
可能性がひとつひとつ潰されていく過程は読んでいて爽快でした
読んでいてわくわくする話は久しぶりでしたね、次回も期待します。
二人の会話も軽妙で良かったです。
こういうの大好きです。
自分もこういった日常系ミステリが好きです。
魔理沙とアリスの会話のテンポがよかった。
ただ、やはり最近文庫化された某氏の短編小説が頭をよぎってしまう・・・
こういう、論理を組み立てていくのは魔法使い組の得意とするところでしょうね。
私もミステリ好きですが、犯人追っかけるのは諦めちゃうんですよね。何も考えずに読んでも楽しいし。
ですが、魔理沙のような楽しみ方もいいなあと思いました。
ミステリの入門作品として、それ以上に一ミステリ作品として大いにわくわくしながら読ませてもらいました。
別にパクリ自体にどうこう言うつもりはないけど、それが前書きにも後書きにも書かれてないってどうかと思うよ。
根幹の謎解きは別物ですし。
それはそれとして、とても楽しかったです。
ただ、ここまで似ているオマージュであるなら、元となった作品名くらいは書いて欲しかったのです。
ミステリ好きとしては、こういう論理の組み立ての過程がとても楽しい。
これ完全に魔理沙のことじゃね、と早期に思いこんでいましたが、まさかのアリスw
アリスパートでようやく納得しました。
途中何度もブラウザバックしようかと思いましたが、最後まで読んで良かった。
やっぱり、日頃の行いからか魔理沙を真っ先に疑ってしまいますよね……
伏線も論理もしっかりしていて、素晴らしいと思います。
登場人物が少ない分薄っすらオチも読めてしまいましたが
それを差し引いても十分楽しめました。魔理沙の推理力に脱帽です^^
それから、オマージュ元の作品タイトルをわざわざ書いて下さった67さんにも感謝。
早速本屋さんに行って買ってみようと思います。
しかし、今回なぜアリスが紅魔館へ行ったかなどが気になりました。
アマチュアの作品だから、商業作品には叶わないのは当然だろうけど。
演繹的に一つ一つ組み上げていった推理結果が、振り返ってみるといかにもありそうで、
それ以外は考えられないものになっている事が肝要だと思うんだよなぁ。
一つの推理には、どうしても間違う可能性が含まれてしまう。
もし、90%の確率で正しい推理を積み重ねたとしても、6回もやれば、正しい確率は五割程度になってしまう。
そこで、どのように『検算』するか? そのときにできるのが最終的な推理結果が実際にありそうだという所だろう。
翻ってこの作品を見るに、推理結果は、ちょっとありそうではないように思えてしまう。
推理どおりの状況にレミリアが置かれたとして、推理結果と同様の行動をする可能性はどのくらいだろうか。
われながら、小うるさい事言ってるね。ごめん。
十分面白かったですよ。
ミステリはやはり読んでいて楽しいです。
さて、まだまだ続くこのミステリシリーズ。
時間がある時に読み進めようと思います。
では失礼いたします。
アレ!?魔理沙気づいてる!?
論理考証は楽しいね
相手を納得させる論理を積み重ねて行くと言うのは、小説の推敲に通じるモノがありますな
私も、普段の半分くらいのスピードで、推理しながらじっくりと読んでみようと思ったのですが、
全くついていくことが出来ませんでした。
推理ゲーム的には、Aが誰かというのはさほど重要なことでは無いでしょうが、
私たち読者からすると、そう来るか、と言った感じでした。
よーく読み返すと、僅かながら伏線があるんですねー。参りました。