チリリン、と涼やかに鳴るベルの音。それから、パタパタと軽い足音。
椅子に腰かけた私の後ろから、小さな手が伸びてくる。
「だーれだっ」
ふわり、と長い髪が頬をかすめた。後を追うように、石鹸の香りが広がる。それだけで、誰が来たかわかった。
ちょうど今は、お昼どき。せっかくだから、お昼ごはんを振舞ってあげようか。
「魔理沙、でしょ。お昼ごはん、何が食べたい?」
「アリス、ちょっとは驚いてみせろよ~。魔理沙さん、泣いちゃうぞ。喚いちゃうぞ。すごい我がまま言ってやるぞ」
「あら、お昼ごはんいらないの?」
「いる、いるってば。今日も暑いから、冷たいものがいいな」
「私にお任せすると洋食になるけど。たまには、いいわよね?」
「もちろん。今日はなんだか、気分を変えたい日なんだぜ」
魔理沙の小さな手が、やっと目の上から離れる。
いつもの魔女服かと思ってたから、振り返って驚いた。
ふくらはぎあたりまでの細身のズボンに、涼しげに透ける黒いフリルシャツと黄色のタイ。
くるくると表情を変える悪戯っぽい瞳の魔理沙に、少年みたいなその装いはよく似合ってた。
「へえ。気分を変えたいって、服装も変えたのね。見違えたわ」
「……へ、変かな?」
「ん、どうして?」
「熱烈な視線を感じるんだぜ。おろしたての服が、アリスの視線で焦げちまう」
「だって、熱~い愛をこめてるもの」
「え……愛?」
なぜか魔理沙が真っ赤になって、どぎまぎした様子で目をそらす。変なの。
そう、私は、綺麗なお洋服が人形の次に大好きなのだ。とくにフリルやレース、リボンなんて最高。愛してる。
とぼしい収入の大半は人形と洋服に消えるけど、後悔なんてしてないわ。
もし宝くじが当たったら、手芸屋さんをまるごと買い占めたいくらい。
そんな私の前に新しい素敵な服を着て現れるなんて、やってくれたな、としか言いようが無い。
魔理沙が着ているのは、織り地の模様がところどころ透ける、凝った作りのシャツだった。虹色に艶めく白蝶貝のボタンがフリルの向こうに規則正しく並んでいる。シャツの肩をさらりと撫でてみる。うん、仕立ても丁寧。襟元の黄色のタイがほどけかかっているのを見つけて、くすっと笑う。
「こら、魔理沙。せっかくのリボンタイなら、綺麗に結ばなきゃ、駄目よ。……いつもの服も可愛いけど、今日は格好いい感じ。なんだか雰囲気が変わって、素敵ね」
思いついて、花の形にタイを結びなおしてあげた。即席でやってみたら、可愛くできた。
よし、次に作る人形の服に取り入れてみよう。このフリルシャツも、真似したいなあ……。
ひとり創作意欲を燃やしていると、赤いほっぺたの魔理沙が小さな声でつぶやいた。
「アリスがそこまで言うなら、ち、ちゅーしてやってもいいぜ」
「え?」
次に作るお洋服のことで頭がいっぱいで、魔理沙の言葉を聞き逃した。
シャツの肩に置いた手に、魔理沙の手が重なる。縫いとめて、これ以上動かないようにしっかりと。
なんだか顔が近いんですけど。しかも魔理沙の表情、カチコチに強張ってる。いつも人懐っこい笑みを湛える金色の瞳が、今は笑ってない。
……どう見ても凄まれてます。何か怒らせるような事、したっけ?
とりあえず、誤魔化すことにした。
「えーと、今日は何の用事かしら?頼まれた繕い物なら、この間届けたでしょ?クマの抱き枕をいっしょに付けてあげたのが気に入らなかったの?それとも、ウサギの抱き枕を追加注文にきたの?」
「……アリス」
「あ、お昼ごはんに甘いもの付けてほしいとか?太るわよ」
「そりゃ、甘いものは食べたいけど、それはアリスのく……」
「アリスのく?」
「……く、く、クリームシチュー?」
「……魔理沙って味オンチ?クリームシチューが甘かったら、大惨事じゃない」
「……想像するだけでツライな。間違いなく有罪だ」
「でも、食べたいのよね?」
「ほんの冗談だ。まあ、それは置いといて。……アリス、露骨にはぐらかすのは止めてくれよ。余計傷つく。私のこと、嫌いか?」
「……魔理沙。私は素直だから、正直に言うわね」
「……う、聞きたくないかも。いや、もうずっと生殺しだし。この際、はっきりバッサリ言ってくれ!」
「ごめん、聞いてなかった。さっき何て言ったの?」
魔理沙がずっこけた。
いくら人形に着せるお洋服の構想に夢中だったとはいえ、人の話はちゃんと聞かないとね。反省。
「……アリスって、時々ずるいよな。本当は聞いてて、知らないふりしてるんだろっ」
「そんな事言われたって、困るわ。もう一回、言ってくれる?」
「うう。それなら、私の目を見てみろ。目は口ほどにものを言うぜ」
「ちゃんと口で言ってくれなきゃ、わからないんだけど」
「ううう……アリスの意地悪。恥ずかしいだろ……」
どうしよう、さっぱりわからない。何が恥ずかしいんだ。
ふだんから、あまり人付き合いが得意な方じゃないけど。今更ながら自分のコミュニケーション能力が不安になってきた。意思疎通すらままならないなんて、重症だわ。
とりあえず、魔理沙の瞳をじっと見つめる。何かをねだるような、もの言いたげな表情。夜空に輝く星を思わせる、金色の瞳に目を凝らして……。
リンゴーン、と時計が12時を告げた。
……ああ、やっと理解できた。恥ずかしいって、こういう事か。
思わず、晴れやかな微笑みが浮かぶ。
「わかったわ、魔理沙」
「わかってくれたか、アリス」
そうか、魔理沙はお腹がすいてるのね!さっきの謎の言葉、アリスのく、はきっとクッキーのクね。今はちょうど昼だし、お腹ぺこぺこなんだろう。
そうとわかれば、話は簡単。素直に言ってくれれば、お昼ごはんくらい作ってあげるのに。
「魔理沙。これからお昼ごはんつくるから、ちょっとだけ待てる?」
魔理沙が、急にむうっと膨れた。柔らかそうなほっぺた。
なんだか可愛かったから、小さな子どもを相手にするときみたいに、おでこをコツン、と触れ合わせた。
優しくゆっくりと、言い含める。
「なるべく早く作っちゃうから。ね、魔理沙、いいでしょ?」
「……うう。魔理沙さんは大人だから、待てるぜ」
「意地悪してごめんね。すぐ出来るから、いい子で待ってて?」
「うん。……早く、な」
魔理沙の返事に、思わずくすっと笑ってしまった。
30分もあれば、お昼ごはんくらい作れちゃうのに。よっぽどお腹、すいてるのね。
よし、美味しいものを食べさせてあげないと。何を作ろうかな?
◇ ◆ ◇
鍋に湯をぐらぐら沸かして、スパゲッティをゆでる間に、麦わら帽子をかぶって庭に降りる。
ささやかな家庭菜園では、太陽をたっぷりと浴びて育った夏野菜が、食べごろを迎えていた。
つやつやと輝くパプリカの赤と黄色、茄子紺ってこんな色のことかな、と思う茄子の濃い紫、生い茂る葉っぱの緑。
生命の持つ色彩はこんなにも鮮やかで、色とりどりだ。
あ、ハーブが育ちすぎてる。
繊細なレースを思わせるディルの葉を摘み取ると、ふわっと爽やかな香りが広がった。
たしか、ディルは魚のハーブって言われてるんだっけ。
よし、スモークサーモンと新たまねぎの薄切りにレモン汁とケッパーを振って、冷たいマリネにしよう。
鈴なりのトマトを、真夏の陽射しに赤く完熟したものだけ選んで摘みとる。
みずみずしい、そのまま齧っても美味しいトマト。その甘味を引き立てるために、塩をふる。
オリーブオイルは、薄い黄緑色のエキストラバージンを選んで、とろーり。
井戸水でよく冷やしたスパゲッティに、モッツァレラチーズとトマトソースをいっしょにからめる。
生ハムをのっけて、バジルを散らして香り付け。
フルーツトマトの冷製スパゲッティ。
スモークサーモンのマリネ。
オレンジとヨーグルトの蜂蜜がけ、クッキー添え。
それと、冷やした白ワイン。
赤と白のギンガムチェックのクロスを広げて、皿を並べたら、お昼ごはんの出来上がり。
「さあ、召し上がれ」
「待ってました。いただきま~す」
スパゲッティをくるくるとフォークに巻いて、魔理沙が口に運ぶ。
それを向かいの席から、なんとなく微笑ましい気持ちで見守った。
ひな鳥を餌付けしてるみたいだ。金色の、ほわほわの毛のひよこ。可愛いなあ。
急いで作ったお昼ごはん。美味しくできてると、いいな。
浮き浮きした表情で一口食べて、魔理沙は、ん?と首をひねる。花がしぼむように、浮かない表情に変わる。
……嫌な予感がよぎった。
「う……アリス、これ塩と砂糖間違えた?」
「えっ」
さーっと血の気がひいた。
そういえば、味見してない。
「ごめんね、ごめん魔理沙。お腹すいてるのに。私ったら」
慌ててフォークを掴んで、一口食べてみる。
フルーツトマトの甘酸っぱさと、バジルの香りが口の中に広がる。
味わって、私は糸の切れたお人形のように固まった。
「アリスは慌てんぼうだなあ」
くすくすと、楽しそうに魔理沙は笑う。
「ま、そういうとこがアリスの可愛げなんだけどさ」
「……ううう」
私は意味不明なうなり声をあげる。
どうしよう、言いたいことはいっぱいあるのに、言葉が出てこない。
「アリスが砂糖と塩を間違えるなんて、べたな間違いするはずないじゃないか」
な、ん、で、そこで笑えない冗談言うのよ。
心臓、止まるかと思ったじゃない。
行き場を失ったフォークを、魔理沙の手の甲に刺した。
「いてっ」
「ばか」
「アリスはもっと自分を信じてやれよ。私は信じてたぜ」
「ほほぅ、どの口がそんなこと言うのかな?」
「もちろん、この口……うぐっ」
憎らしいその口に、スパゲティをねじこんでやる。
目を白黒させた魔理沙は、もきゅもきゅと食べて、ごっくんと飲み込んで。
とっておきの無邪気な笑顔でこう言うのだ。
「……美味しいよ」
ああもう、見事にからかわれた。
魔理沙はこういうやつだって、わかってるのにいつも引っかかってしまう。
ばかって魔理沙に言ったけど。私って魔理沙の上をいく、本物のばかなんじゃないだろうか。
照れ隠しに、食後のアイスティーを淹れることにした。
氷をいっぱい満たしたグラスに、濃いめに淹れた熱い紅茶を一気に注ぐ。
からん、と氷が溶ける涼やかな音がした。
ミント入りの氷は、溶けるたび、すうっと爽やかな香りを立ち上らせる。
甘いのが好きなお子さまりさのために、アイスティーにシロップを注ぐ。
グラスの中で、琥珀色と透明の層が綺麗に分かれた。
水と油のように分離した様子が、まるで自分たちみたいだな、と思った。
生い立ちも考え方も種族さえ、何もかも違うから、隣に居ても混ざらない。
アイスティーの前でぼんやりと物思いに浸っていたら、魔理沙が横から覗き込んできた。
「アリス、ちゃんと混ぜてくれよ。底の方に沈んだシロップって、甘すぎるんだ」
魔理沙の指がマドラーを取り上げて、くるくるとかき混ぜる。
紅茶とシロップはグラスの中で溶け合って、甘くて美味しいアイスティーになった。
たった、それだけのことだけど。
なんとなく幸せな気分になって、私はニコッと微笑みかける。
ストローを噛みながら、上目遣いで私の様子を伺っていた魔理沙は、首をかしげながら笑い返してくれた。
「ご馳走さん。美味しかったぜ?」
「それはよかった。一時は作り直しかと、ひやひやしたけどね」
「ごめんって。お詫びに晩ごはんは、どうぞ霧雨レストランにお任せあれ」
「いいの?期待してるわ」
「コックの腕は確かだぜ」
「知ってる。和風の味付け、珍しくて美味しくて、好きよ。久しぶりだから嬉しいわ。……あ、でも材料あったかしら。野菜は家庭菜園のものを使ってもらうとして、あとは」
「キノコは任せとけ」
「それと卵とか、お肉やお魚が必要ね。そうだ、ちょうど頼んでた布が入荷したみたいだし、私が買い物に行ってくる」
「ええ~、一緒に行こうぜ」
「なんで。一人で出来るもん、子どもじゃないんだから」
「いやいや、魔理沙さんと一緒だと、いろいろお得だぜ?こんな美少女が買い物すると、割引やらおまけやらが付いてくるんだ。箒で荷物持ちもできるぜ。何でもどんと来い、だ」
「……アイスは買ってあげないわよ」
「ちぇっ」
「危なかったわ……油断も隙もないとは、まさに魔理沙のことね」
「この間のことなら、試食したチェリーアイスが美味しくてさ、アリスに食べさせてあげたかったんだ」
「いやいや。買っておいてお財布忘れましたとか、ありえないでしょ」
「ごめんって。今日はお財布、ちゃんと持ってるからさ」
「よし。一つ賢くなったわね」
「魔理沙さんは日々進歩してるんだぜ」
「日々老化してるのね。いや、レベルが上がってるのか。ネオまりさに進化する日も近いかしら」
「なんだそれ。ちょっと楽しみになるだろ」
……あれ?いつの間に、一緒に行く流れになってるんだろうか。
一人で買い物に行くつもりだったのに。
魔理沙と一緒だと、いつもペースを乱される。
私が周りに張った見えない線を、平気で踏み越えてくる。無神経なのよ。
軽くにらんでやると、向こうはいつもみたいに、へらりと笑った。
「デートだなっ」
……何、言ってんだか。
◇ ◆ ◇
デートの定義って何かしら。
デートとは、好きあってる人同士が、一緒にどこかに出かけること。
私たちのお出かけは、デートの定義にあてはまるのだろうか。
冗談で好きって言われたことはあるけど、魔理沙の性格からすると、ほんとに冗談だと思う。
好きって言われたときの状況を思い返してみる。
あの日は、たしか収集品が崩れて魔理沙の家のドアが開かなくなったときだった。
冬の寒い日だったから、私の家に泊めてあげて、次の日に掃除を手伝ってあげた。
当然、魔理沙は感謝の大安売り。ありがとうアリス好きだ嫁にきてくれ、と。
思い返して脱力した。やっぱりその場のノリと勢いだ。だいたい、言葉が軽いのよ。絶対、他の人にも言ってる。
だから、これはデートじゃない。デートによく似た、別の何か。
でも、こういう甘ったるい時間も、嫌いじゃない。付かず離れず、そんな距離が心地いい。
商店街を並んで歩き始めてすぐ、目線の違いに気がついた。
なんだかいつもより、魔理沙の顔が近い。隣を歩くと、同じ高さに来るもの。
「魔理沙、もしかして背が伸びた?」
大発見をした気分で聞くと、あきれた顔をされた。
「あのな。三日前にも会ってるだろ。こんなに短期間で伸びるかよ」
「常識に囚われてはいけないって、どこぞの巫女も言ってるじゃない」
「ちょっとは囚われた方がいいぜ。アリスに貼った、常識人のレッテルが剥がれかけてる。暑さのあまり溶けたか」
「家庭菜園でヘチマを育ててるんだけど、夏場は1日で10センチも伸びるのよ。すごいわ、魔理沙。まさにヘチマ並みの生命力ね。人間って不思議。やれば出来るものね。見直したわ」
「いやいや、おまえは私を何だと思ってるんだよ」
「何って、ええと、……白黒だから、パンダ?シマウマ?どっちが隠された魔理沙の正体なのかしら」
「人間ですら無いじゃんか。それに今日は白くないぜ」
「あ、そっか」
考え込むふりをして、視線を足元に落とす。
魔理沙の背が急に高くなった理由が、そこにあった。
いつもぺたんこの靴を履いてるくせに、今日に限ってかかとの高いヒール靴なんか履いてる。
私の視線に気づいて、魔理沙は得意げに笑ってみせる。
「これでアリスと並べたな」
「……どうせ、うそっこでしょ。本当の意味で私に並ぶのは、まだまだ早いわね。背の高さでも、実力の意味でも」
「威張ってられるのも今のうちだぜ?そのうち、私に見下ろされて悔しがる姿が目に浮かぶよ」
何か言い返してやろうとして横を向くと、黄色のタイをゆるめる細い指先が目にとまった。
汗ばんでひたいに張り付いた金髪が、いつもと違った服装とあいまって、ちょっと色っぽかった。
魔理沙のくせに。
でも、言ってやんない。悔しいから。
「それに今だって、アリスに勝ってるところ、あるぜ?移動速度とか」
「……うっ」
「反論してこないってことは、認めたな」
「……負けてません。本気を出してないだけです」
「ふーん、そんな事言うんだ。悔しかったら、追いついてみろよ?」
人差し指を立てて悪戯っぽく言うと、魔理沙はパッと駆け出した。
慌てて後を追いかける。フルスピードで足を回転させる。景色があっという間に背後に流れていく。
それなのに、離れた距離は、まるで縮まらない。
まばらに道ゆく人々が、突然追いかけっこを始めた私たちをちらちら見ていく。視線が痛い。
くそう、魔理沙のやつ、ヒール靴のくせに本気で走ってる。後で靴ずれに泣いても知らないわよ。
息が切れてきた。どんなに足を速めても、追いつけない。伸ばした手は、目指す背中に届かない。
「待って、待って魔理沙……置いてかないでよ」
つまさきが、石畳につまづいた。ガクンと前につんのめる。
とっさに人形を支えにして、転ぶのは免れたけど。
前に向き直ると、魔理沙の背中は、人ごみにまぎれて見えなくなっていた。
プツンと心の糸が切れた。
それっきり私は、追いつくことを諦めた。放棄した。私と魔理沙じゃ、速さが違うんだ。
細かく震えるひざに手をついて、壁にすがる。ざらっとした、不快な手触り。
わかってたことなのに、なんで苦しいのかな。
そのまま休んでいたら、いつの間にか魔理沙が戻ってきた。壁に背を預けた私を見つけて、手をさしのべてくる。
「私の勝ち。まったくアリスは足が遅いんだから。ちょっとは体を鍛えたほうがいいぜ」
「……仕方ないでしょ。あんたとは違うんだから」
「うん、そうだな。でもさ、私とアリスが違うのって、いい事だと思うんだ」
「……どうして?」
なんとなく、私はお揃いの方が嬉しいな。同じだと安心する、仲良しって感じがする。
性格も得意なことも種族すら、違うことだらけで魔理沙が遠く感じるよ。
「アリスが苦手なことは、私が補う。反対に、私が苦手なことは、アリスが補ってくれればいい。アリスと一緒なら、きっと今よりずっと遠くへ行ける、そんな気がするんだ。……だから、私にもちょっとはいいところがあるって、認めてくれてもいいだろ?」
なんだか、パチンと目の前が開けたような感じだった。ほんとに私たち、まるで違う考え方をするのね。私が悲しく思ってることも、魔理沙から見れば、簡単に楽しいことに変えられちゃうんだわ。それってまるで、……魔法みたい。
「ばかね。ちゃんと認めてるわ。魔理沙は、とっても素敵な魔法使いだって、ね。……それより、デートの相手を置き去りにするなんて、いい度胸ね」
「ごめんって。ほら、お詫び」
さしのべられた魔理沙の手には、ピンク色のアイスクリームが乗せられていた。
甘くて冷たい、洋酒のきいたチェリー味のアイスクリームは、走って熱がこもった体に、本当に美味しかったから。
それで勘弁してやった。
……結局、言えなかった。
あんまり急いで、大人にならないで。離れていかないで、って。
言ったら、魔理沙は何か答えてくれたかな。お得意の魔法で、ワクワクするような話題に変えてくれただろうか。
少しだけ考えて、私はくちびるに鍵をかけた。どう考えても、楽しい話題になってくれないだろうから。
◇ ◆ ◇
裁縫道具を補充するつもりで、町の雑貨屋さんに入った。
そうしたら、棚の一つの前で張り付いて動けなくなってしまった。
「アリス、さっきから何見てるのぜ?」
「指貫。見てみて、可愛いんだから!」
黒猫、白猫、ぶち猫。にんまり笑った猫のついた陶器の指貫が、一列に並んで青い硝子の瞳で見つめてくる。
こうしてみると、指貫って一口に言っても、ずいぶん色々みたい。
ティーポット型、猫や花型。それに、小さな指貫の一つ一つに、繊細な絵が描いてある。
なぜか、指貫のはずなのに、指が入らないものもあるけど。可愛いからまあいいが、指貫として軸がぶれている気がする。
ふんわりと気持ちがなごむのを感じて、笑みがこぼれる。
こういう豊かな手仕事の感じられる小物って、眺めているだけで幸せだな。自分でも、人形を作ったり洋裁をしたりするせいだろうか。一つ一つ、手をかけて時間と想いを込めて、何かを作り上げることが好きだからかな。
隣から、魔理沙が覗き込んでくる。
「へえ。指貫って言ったら、穴がいっぱい開いた、銀色の指輪みたいなのしか知らなかった。ずいぶん、いろんな種類があるんだな」
「ここに説明書きがあるわ。なになに、洋裁の指貫は、釣鐘みたいに指先が閉じてるんですって。和裁の指貫は、指輪型なのね」
「……あのさ、すごく基本的なこと、聞いていいかな。そもそも、指貫ってどう使うんだ?」
「ん、縫い物をするときに、指に嵌めるのよ」
白猫の指貫を選んで、指の第一関節と第二関節の間にちょこんと嵌める。
空想の針を持って、透き通った糸を通して、すいっと縫う真似。
「冬用の厚手の布を扱うときは、利き手にはめて、針の背を押してあげるの。指貫を使うと、力任せに針を通さなくていいから、手が痛くならないのよ。反対側の手にはめて、指に針が刺さるのを防ぐこともできるわ」
調子に乗って、すいすい、と目に見えない布を縫っていく。
「ところでさっきから、アリスさんは空中で何を縫ってるのかな?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれました。これは心の綺麗な人にしか見えない魔法の布なのよ。残念、見えないということは、魔理沙の心は汚れてるみたいね」
「異議あり。私ほど清らかな心の持ち主は、ちょっといないぜ?」
「じゃ、今日は特別、心が曇ってるのね。煩悩とかで」
「……だって、仕方ないだろ」
おや、認めるなんて珍しい。ふだんなら、冗談には冗談で言い返してくるのに。横目で魔理沙をちらりと見たら、爆弾発言が降ってきた。
「……アリスとデートだって思ったら」
……うわあ。魔理沙って、意外と乙女なところがあるのね。耳まで赤くなるくらいなら、言わなきゃいいのに。周りの空気がいっきに薄紅色に染まった気がする。恥じらい空間、とでも名づけたくなるような居たたまれない空気が、魔理沙を中心に半径1メートルくらいに広がる。私の立ってる位置は、残念ながらばっちり範囲内だった。もろに食らった。
どうしよう、こんなとき、何て言えばいいのかわからない。デートじゃ無いでしょって、冷静に突っ込むのは有りだろうか、いやいや乙女モードまっしぐらの魔理沙がうっかり傷ついちゃったらどうするの。うーん私もまだまだ、経験値が足りないわ。
仕方なく、空中の布を縫うふりをしていたら、いつのまにか指貫の白猫が魔理沙の手にすりよっていた。猫のまねをして、みゃあと鳴いてみる。
「あらら。この猫、魔理沙に懐いちゃったみたい」
「動物に好かれるのは、心が綺麗な証拠だぜ」
魔理沙の指が、優しく猫の頭を撫でてくれる。ひげをピンと伸ばした猫の顔は、心なしか満足そうだった。
「……あ、こっちの指輪みたいなのも、指貫なのか?すごく綺麗だな」
魔理沙の視線の先をたどれば、色とりどりの和風の指貫が箱に収まっていた。一つ選んで取り上げてみる。艶やかな絹糸で織り上げられた、繊細な模様が指貫を彩っていた。深い青色と煌く金色の絹糸で市松模様が打ち出されたその指貫は、しっくりと指になじんだ。見ているだけでうっとりする、美しい細工ものだった。
「そういえば、和風の指貫って、持ってないわ。なになに、絹を縫うときにこの指貫を使えば、布地を痛める心配が無いのね。見てると欲しくなっちゃうわ」
残念ながら、魔法使いはあまりお金に縁が無い。魔法の実験には、いろいろな材料が必要だ。おまけに魔理沙も私もコレクター。貴重なマジックアイテムと見れば、すぐに手が出る。私の収入といえば、作った人形を売ったお金と人形劇でもらえる心ばかりのお金だけ。
綺麗ですぐに役立ちそうな指貫だし、思い切って買っちゃおうかしら。いや、こんなだから毎月カツカツなんだわ。ちょっと節約しなきゃ……。
ぐずぐずと迷っていたら、店の奥から声をかけられた。
「おや、いらっしゃい。綺麗な金髪のお嬢さんたち」
「お邪魔してるぜ」
「あ、すみません、見せて頂いてます」
「ところで。綺麗なって言葉は金髪にかかるのか?それともお嬢さんたち、にかかるのか?」
「もう、魔理沙ったら。年上の方に対して、なんて口の利き方するの」
無遠慮な魔理沙の言葉にも、店主らしき白髪のおじいさんは、くすくす笑っていた。律儀に、きちんと言い直してくれる。
「何をお探しですか、金髪の綺麗なお嬢さんたち」
「うんうん、その通りだぜ。おだてに乗る訳じゃないけど、買っちゃうぞ。会計、お願いな」
「毎度ありがとう。……お嬢さんたち、仲がいいね。姉妹なのかな」
「……私たち、姉妹みたいに見えますか?」
思わず振り返ると、私の髪が揺れて、窓からさす陽射しにきらきらと金色に輝いた。同じ金髪だから、姉妹だろうって思ったのかな。魔理沙とお揃いって思われるのは、くすぐったくて嬉しかった。
「お淑やかでしっかり者のお姉さんと、可愛くてちょっとわがままな妹さんってところかな」
「ふふ。残念ながら、はずれです。この子は友達で……」
言いかけた私の言葉をさえぎるように、魔理沙が腕に手を絡めてきた。びっくりして横を見ると、不機嫌を絵に描いたように、むくれてる。せっかくの可愛い顔が台無しじゃない。
「突然、何なの。どうかした?」
「……何でもない」
口ではそう言うくせに、金髪の頭をコトンと私の肩の乗せたまま、くっついて離れてくれない。
そもそも、人前でしょ。思い至ると急に恥ずかしくなって、簡単な挨拶だけして、雑貨屋さんを出てしまった。
目当てのマチ針、買えなかった。指貫にも、未練たらたら。
でも、しょんぼりした魔理沙を右腕にひっつけてると、そんなこと言える雰囲気じゃなかった。
◇ ◆ ◇
雑貨屋さんを後にして、坂道を下る。公園を見つけて、緑の木陰に置いてあるベンチに並んで座った。葉をいっぱいにつけた枝が、ベンチを包み込むように重たく垂れて、お日様と周りの目から隠してくれる。
ここなら誰も見てないし、甘えさせてあげてもいいかな。そう思って、魔理沙のおでこを、コツン、と軽く叩いた。
「魔理沙の、甘えんぼ」
「アリスの、鈍感」
そういえば外で甘えてくるなんて、初めてのことだ。家では二人きりの気安さもあって、けっこう甘えてくるんだけど。
どうして急に、ご機嫌を崩すかな、このお嬢さんは。口で言ってくれなきゃわかんないって、言ったばかりでしょ。何か美味しいもの、買ってあげたら機嫌が直るかな。
そんな事を考えていたら、隣で魔理沙がごそごそと身動きした。
「これ、あげる」
押し付けるように渡されたのは、雑貨屋さんの紙袋だった。袋の中をのぞくと、くるくると巻いた青いリボンで綺麗に包まれた箱が見える。魔理沙からのプレゼントなんて、明日は槍が降るかも。今日って、何かの記念日だったかしら。驚く私を見て、不機嫌な顔をゆるめて、魔理沙がちょっとだけ笑う。
「アリス、そんなに変な顔しなくてもいいじゃないか」
「……ありがと。恩を返すって言葉、知ってたのね。お昼ごはんのお礼かしら?」
「私だって、プレゼントくらいあげたいよ。……好きな女の子には、さ」
コトン、とまた魔理沙が肩に頭を乗せてくる。
……今の、聞き間違いかしら。
え、今、私、告白された?まさかこれも、冗談じゃないわよね。これが冗談だったら、さすがに怒っていいわよね。
魔理沙とは逆側の左手で、ほっぺたをつねってみる。思い切り力をこめて、ぎゅうっと。痛い。夢じゃない、つまり現実だ。
……どうしよう。
ちょっとしたパニックに陥った私に気づかずに、魔理沙は言葉を続ける。
「アリスにとって私は、仲のいい友達?それとも手のかかる妹?……アリスって、時々ずるいよな。それじゃ足りないって思う私の気持ち、とっくに知ってるくせに」
知らないよって、思わず言い返したくなった。好きだなんて、冗談でしか言ったこと無いじゃない。
それでわかってくれなんて、さとりじゃあるまいし、無理。
魔理沙のこと、嫌いじゃない。切磋琢磨する友達で、頭を撫でてあげる妹で、ちょっと気になる存在で。
あれ、気になる?私、魔理沙のことが好きなのかしら。近くにいるのが当たり前で、あまり考えたことがなかった。
「……女の子って不公平だよな。どれだけ着飾ってみたところで、人形みたいに可愛がられるだけで、意識もされない。見かけだけでも変えて、ちょっとでもアリスが私の事、意識してくれたらって思ったんだ」
いきなり服装を変えたのは、そういう訳があったのね。気づかなかった。そういえばさっき、鈍感って言われたっけ。
「あーあ。こうしてると、アリスの心臓の音、聞こえるよ。いつもと変わんない、穏やかなリズム。腹立つなあ。私なんてさ、アリスのそばにいるだけで、不整脈じゃないかってくらい、ドキドキしてるのに。私ばっかり意識してさ。悔しいなあ……」
勇気を出して、横目で見た魔理沙は、こんなときでも笑ってた。
笑ってるくせに、悲しそうだった。眉が寄って、口元がゆがんで、無理して作った笑顔だって、一目でわかるような。
魔理沙にそんな顔、似合わないよ。早くいつもみたいに、太陽みたいに笑ってよ。
でも、こんな顔させたのは、私のせいなんだろうな。
「ほんとに悔しい。私、どうしてこんなにチビなんだろ。早く背が高くなればいいのに。同じ目線で話ができるように。アリスの隣に立つのに相応しいくらいに。そしたら、……そしたら、胸を張って言えるのに。……アリスが好きだ、って」
知らなかった、魔理沙がそんなに私のことを想ってくれたなんて。
好きだって言われた事はあったけど、冗談だと思って笑って済ませちゃった。全然、本気にしなかった。
目をつぶって気づかないまま、これまでずいぶん、傷つけただろうな。
急に服装を変えたのも、無理してかかとの高いヒール靴を履いたのも、全部、私に並ぶため。
なんて健気で、いじらしいんだろう。
気が強くて、男の子みたいな言葉を使って、好きって気持ちも冗談で隠すくせに、どうして肝心なところでこんなに可愛いの。
きゅうって腕にしがみついて、魔理沙が繰り返す。
「アリス、好きだ。大好きなんだ」
でも、ごめんね、魔理沙。
そんな風に想ってもらえる価値、私には無いよ。
まっすぐ、精一杯に私を好きになってくれた魔理沙に比べて、私は何を考えた?
魔理沙は人間だから。ほんの瞬きの間に煌いて、消えてしまう儚い流れ星だから。
私とは速さが違う、隣に並ぶのは無理だ。そう、思ったんだ。
諦めて、追いかけるのをやめて。変わっていく魔理沙が怖かった。私から離れてしまいそうで。
見ない振りをしてた、心の奥をそっと覗き込む。
魔理沙を甘やかすのが好きだったのは、安心するから。まだ子どものまま、私のそばにいてくれるって。
……私、ほんとに、ばかだ。
自分ばかり可愛くて、傷つかなくていいように、予防線を張ってた。
なのに、私が張った目に見えない線を、いつも魔理沙は踏み越えてくるんだ。
「……アリスは私のこと、どう思ってる?」
返事を待つ魔理沙の小さな手が、細かく震えていた。魔理沙が頭を預けているほうの肩が、気づけば冷たく濡れていた。その事に気づいたとき、なぜか心を撃ち抜かれたような気がした。あの魔理沙が、私の前で、泣くなんて。
いつの間にか、手のひらに紙袋をくしゃくしゃに握り締めていた。魔理沙からもらった、プレゼント。
おぼつかない指でリボンを解く。箱を逆さにして振ると、ころんと指貫が出てきた。
艶やかに光る深い青と煌く金色の糸が交差して、美しい模様を描き出す。
なぜか懐かしくて、吸い込まれるように見ていたら、私たちの瞳の色だ、と思いついた。
魔理沙も、そう思って選んでくれたのかな。そうだと嬉しい。知らないところで、魔理沙はいつも私のこと、考えてくれたんだな。
それなら、私だって魔理沙のこと、きちんと考えなくちゃ。
肩によりかかる魔理沙の背中に、優しく手を回す。壊れ物を扱うみたいに、そうっと抱きしめた。
「……ごめんね。私、臆病だったね。私の怖がりで、魔理沙をいっぱい傷つけちゃった。魔理沙が本当の気持ちを打ち明けてくれたから、私も言うよ」
「うん。……はは、自分から聞いておいて、震えるなんてばかみたいだよな。でも、いいよ。覚悟してるから。アリスの気持ち、聞かせて」
「魔理沙。……あんまり急いで、大人にならないで。置いていかれそうな気がするの」
魔理沙が、頭を上げる気配がした。予想していた答えとは、たぶんずれた答えだろう。でも、これが私の正直な気持ち。
「だから魔理沙のこと、好きになるのが、とても怖い」
「……そっか。そうなのか」
「そうよ。私、わがままなの。……悲しくさせないで。置いていかないで。ひとりに、しないで」
今度は私の方が、魔理沙の肩に寄りかかった。
重たいだろうけど、これは罰だもの。私の都合なんてお構いなしに、心の中に踏み入ってきたことへの。
魔理沙と一緒だと、ちっとも思い通りにいかなくて、振り回されてばかりで。
でも、なぜかそれが楽しくて、隣にいるのが当たり前になって。
魔理沙を失うかもしれない未来を考えるだけで、胸がしくしくと痛む。
こんなに弱くて、もろい自分が隠れてるなんて、今日まで知らなかった。
魔理沙のせいだからね。責任、取ってよね。……だから今だけ、甘えてもいいよね。
「こんな我がまま言って、幻滅した?今までずっと、お姉さんぶって魔理沙のこと甘やかしてあげたけど、本当の私なんてね、こんなものだよ」
「……ばか。嬉しいんだよ。アリスがやっと本音を見せてくれたから。もっと私のこと、信じてくれよ。頼ってくれよ。頼りないかもしれないけど、頑張って答えるから」
「そんなこと言うと、アリスさんは期待しちゃうぞ」
「期待、してくれよ。私はぐんぐん伸びる成長株だぜ。アリスのこれからを、賭けて損はさせません」
「口がうまいんだから。あのね……私のこと悲しませないって、約束してくれるなら。魔理沙のこと、好きになってあげる」
「……ほんとに?」
「うん」
「嬉しい。……アリスが好きだって、何回でも言うのは簡単だけど、言葉はいくらだって嘘が言えるから。いくら好きだって、そばにいるって言っても不安になる気持ちは、わかるよ。アリスが信じられないって言うなら、これから先の私の行動でわからせてやる。私がおまえをどれだけ好きで、一緒にいたいって思ってるのか。悲しむ暇なんて、与えないからな。覚悟してろよ」
「……うん」
「……だから、だからさ」
「なあに?」
「お願いだから……アリスも私のこと、好きになって」
頭を魔理沙の肩に預けたまま、伝わるぬくもりに目を閉じる。
不思議だな。肩を寄せ合ったことなんて、今までだってあったはずなのに。
昨日よりずっと、魔理沙を近くに感じるよ。
魔理沙がくれた気持ちの大きさに及ばないかもしれないけれど、私なりの精一杯の思いを込めて、言葉をつむぐ。
「少しずつ変わっていく魔理沙を、隣でずっと見ていたいな。今日も、明日も、あさっても。今もこんなに大事なんだから、一緒にいる時間が増えるたびに、新しくあなたを知るたびに、きっともっと好きになる。……だから、離れないでね。私の魔法使いさん」
◇ ◆ ◇
約束通り、魔理沙が作ってくれた晩ごはんを食べ終わると、とっておきのワインをあけた。いくつもキャンドルを灯した食卓は、薄紫の夜に揺らめく炎が浮かんで、とても綺麗だった。
家に帰って靴を脱ぐと、魔理沙の素足には、たくさんの靴ずれができて、血がにじんでいた。背伸びしようと履いた、慣れないヒール靴のせいだ。手当てしてあげながら、痛いでしょ、と聞いたら、アリスの為ならこのくらい全然平気だぜ、とへらりと笑ってみせる。
まったくもう、こいつは。嬉しいのと恥ずかしいのと心配が混ざって、なぜか胸の中で化学反応を起こして、意地悪してやりたくなった。消毒液をたっぷり浸した綿を、痛々しく皮がめくれた靴ずれにピトリと引っ付けたら、魔理沙は飛び上がった。
ああもう、こんな小さな事一つとっても、確認してしまう。魔理沙がどうしようもなく愛しくて、宝物みたいに大事にしたい。気がついたら、どんどん好きになっていく。この小さな人間の女の子に、私は今や夢中だった。
幻想的な明かりの中、ソファで思い思いにくつろぎながら明日出かける相談をする。今度こそ、本物のデートだ。私はクッションを抱きかかえて、魔理沙はクッションに寝転んで、ワインを飲みながら。
魔理沙のそばにいると、なんだかとても居心地がいい。理由は簡単、私を楽しませて、笑わせようとしてくれる魔理沙の気持ちを感じるから。今日たくさんの発見をしたけど、これは素敵な発見だった。魔理沙と過ごすこんな何気ないひと時が、私はとても好き。願わくばこれからもずっと、こんな時間を過ごせますように。
「明日はどこに出かけようか?箒に乗っけて、アリスの行きたいところに連れてってやるぜ」
「夏はやっぱりバカンスが必要だと思うのよね。湖にピクニックに行かない?」
「なら、聞いて驚け。魔理沙さんは、なんと3秒で避暑地に行く方法を知ってるんだぜ」
「何よ、それ?いつでも涼しくなれるってこと?」
「仕方ないな、アリスだけに特別に教えてやる」
手招きされたので、素直にそばに寄る。とっておきの怪談でも、聞かせてくれるのだろうか。魔理沙が冗談を言うのはいつもの事だから、何を言われても驚かないぞって思ったのに。
やっぱり私は、驚かされた。
細い両腕に捕まえられた。引き寄せられて、頬を寄せて、瞳を覗き込まれて。鼓動がとくとくと、下手くそなステップを踊り始める。おでこがぶつかりそうな距離で、目と目を見交わす。たったの3秒間は、魔理沙の瞳の中で、蜂蜜みたいに黄金色に甘く溶けてしまった。3秒後、魔理沙はニコッと満足そうに微笑んだ。
「ほら、青い湖を見つけた」
「……私の目の中に?」
「そういうこと。私はね、湖に出かけるよりも、アリスの青い目と見つめあって、私だけが知ってる瞳の奥の青い湖に溺れていたいよ」
前言撤回。やっぱり魔理沙のそばにいると、落ち着かない。
顔から火が出そう。自分の頬を包むと、火照っていた。キャンドルの他に明かりを落としていて、よかった。
魔理沙の嘘つき。涼しくなんて、全然ならないじゃない。
魔理沙は私の目の中に、涼しい青い湖を見つけられるって言うけれど、私は魔理沙の目の中に、熱い金色の砂漠しか見出せない。だから、やっぱり明日は、湖に出かけようと思う。
◇ ◆ ◇
私の部屋のチェストの上には、小さな箱が置いてある。大切な思い出をしまっておくための、宝箱だ。蓋をあけて、魔理沙のくれた指貫を取り出した。指にはめて、そっと撫でる。
チリリン、と涼やかに鳴るベルの音。それから、パタパタと軽い足音。
椅子に腰かけた私の後ろから、小さな手が伸びてくる。
「だーれだっ」
ふわり、と長い髪が頬をかすめた。髪の後を追うように、石鹸の清潔な香りが広がる。
それだけで、心臓がドキドキした。以前は感じなかった高鳴りが、胸の中で幸福なリズムを奏でる。
「困った、何も見えない。わかんないわ、誰かしら?」
「恋の魔法使いさんだぜ」
「白黒パンダさんね。……いたた。わかった、降参。魔理沙でしょ」
「あたり」
小さな手がそっとまぶたの上から退く。その細い指に光るものを見つけて、私は思わず振り返る。
悪戯っぽく瞳を輝かせて、魔理沙が笑っていた。色違いの指貫をはめた手を、私の手の横に並べてみせる。
「えへへ。私も買っちゃった」
「お揃いね」
「こうして見ると、指輪みたいだな」
「……何、言ってるのよ」
「あ、アリスの顔、真っ赤。照れてる。可愛い」
「う、うるさいっ」
魔理沙からもらったものは、どれも私の一生の宝物。
目に見えない気持ちも含めて、宝箱に入れて、なくさないように鍵をかけておきたいくらい。
でも、それは無理。だから思いを形にして、大切に仕舞っておこう。
好きって、こんな感じかな。ちょうど今目の前で、星を浮かべる魔理沙の金色の瞳みたいに、きらきら輝いてる。
魔理沙の顔を見るのが楽しみで、明日が来るのが待ち遠しい。
初めて知った、好きって気持ち。
ねえ、魔理沙。私が知らない恋の魔法、あなたが教えてくれると、嬉しいな。
雰囲気も良いし、ふたりの会話がとにかく面白い、ずっと聴いていたくなる。
良いマリアリをごちそうさまでした。
そして後書き自重。身も蓋もないw
魔理沙は乙女。
大事なことなので二回言いました。忘れられがちだけどマジ重要
皮肉のやりとりが欠かせない自分のキャラ観とは離れてるけど
これはこれでクセになるというか
荒んだ心に染みるというかこそばゆいというか、そんな描写が
好み別れると思うけど自分は好きだ
勝負目薬わらた
でも勝負目薬はなしだろw
面白かったです
後書きのれいむさんに惚れた
「ほら、青い湖を見つけた」で変な声出してしまいましたw キュンキュン
あと誤字報告です>スパでティ
アリスと魔理沙が小学生くらいの女の子に見えてきた。
いやはや、このすばらしいSSの余韻のせいでしばらくパソコンの前から離れられず、鍋を吹きこぼしてしまいましたよ。なんかもう全てが凄いです。頭の悪いコメントしかできずに申し訳ないが、あえて言いましょう、最高だと。
そして前作から思ってたんだが食べ物の描写がすげえ!
料理やお菓子の数々が全て色付きで頭に浮かんでくるよ!
これって物書きとしてすごいことだと思う。次回作も期待してます!
色彩豊かな文章ですね。彩度が高くキラキラ輝いていると言いますか。
自分もこの二人は会えば皮肉の応酬ばかりというキャラ観ですが、このような純粋で可愛らしい乙女二人というのもいいなあと思いました。
素敵な作品をどうもありがとうございました!!
あとがきに思いっきり吹いたwww
いいマリアリでした。
後書きおいw
文章の柔らかさがスポンジケーキみたいで好きでした。濃厚チョコレートにココナッツパウダーを振り掛けて、彩りフルーツを拵えて、蜂蜜も添えましょうか?ってくらい甘いw
御馳走様でした(笑)
後書きが丁度柑橘系飲料