透き通った琥珀色の液体が、ポットの先からカップの中へ飛び込んで行く。
注ぎ込まれる音はわずかながらに耳に触れ、柑橘系の香りが空気の中で駆けまわる。
不思議だ。ここにいると全ての音が、香りが、生き物が舞台を作り上げているように見える。観客は私一人の魔法の舞台。トンタッタ、トトンタッタン。想像の中で踊っているのは目の前でクッキーの入った皿を用意している人形達。緩やかな音楽に合わせそれは綺麗に踊っている。
そしてそんな舞台を作りだす指揮者は、紅茶の用意をしている七色の魔法使い。
しなやかな指先と軽い足取りでお茶会の用意をしていく。淀むことなく、迷うことなく、定められたかのように無駄な動きをしない様子は本当に魔法のようで。
――――アリスって、綺麗だな
そう思ったのはある意味、当然の事だ。
だから知らず知らずのうちに本心が口から滑り出していたって、しかたのない事だ。
その結果、真赤になったアリスが手にお茶を引っ掛けて、少しばかり火傷をしたって私のせいじゃない気がするんだけど。
「全く……何もあんな事を急に言わないでよ」
まだ若干痛むのか、軽く火傷した指をさすりながら眉を寄せてアリスが私の方を見る。いや、睨む、の方が正しいか。
「あんなって、別に悪い事は言ってないぞ。むしろ褒めたんだぜ?」
本当に私は悪くないと思うのだが、なんとなく口調が言い訳めいてしまう。だってアリスの綺麗な指先が赤っぽくなっていて痛そうだし、それに付随して非難めいた視線を寄こされれば強固な態度には出られない。
好きな奴に睨まれるのは誰だっていい気分はしないものだ。
「褒めてくれたのは、別に……責めてるわけじゃ、ないの」
「そうなのか。じゃあ私は何を怒られているんだ?」
どもるようにして、アリスが言葉を紡ぐ。頬が薄く染まっているのは、私の褒め言葉を思い出したせいだろうか。よかった、綺麗って言われるのが嫌なわけじゃないようだ。まぁ、褒められるのが嫌だなんて奴はあんまりいないか。恥ずかしがる奴はいても。
しばらく言葉を探していたが、思いついたようにアリスが言う。
「うん、タイミングの問題よ」
「タイミング?」
「そう、タイミング」
また何を言い出したんだろう、アリスは。
魔法使いは時々超独自理論を展開する。独自理論こそが魔法を生み出す根幹であるとはいえ、魔法の構築についてだけではなく一般生活にまでその理論を持ち込むのはもはや職業病なのだろう。
「いい、魔理沙。物事には何に対しても良い頃合いって言うものがあるのよ。紅茶の抽出時間のように短すぎてもいけない、長すぎてもいけない、その中間の一番良いタイミングってものがあるの」
「へぇ、そんなものがあっただなんて気付かなかったな。ってことは物を借りるのにも、ベストなタイミングってやつがあるって事か?」
「魔理沙の『借りる』は盗むって事だから、ベストもタイミングもあったもんじゃないでしょ。犯罪よ、犯罪」
「失礼な、ちゃんと返す予定はあるんだぜ。死んだらな」
「だから、そういうのを世間一般では窃盗って言うのよ。大体魔理沙ってばまた紅魔館から本盗んだでしょ。パチュリーに本を借りに行くたび、ちくちく嫌味を言われるんだけどね。『世話係としてきちんと躾けておいて』とか……私は魔理沙の世話係じゃないわよ!」
おっとぉ。なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。アリスの目つきが段々細くなってきたし、口調も険呑になって来ている。『借りる』話題は藪蛇だったか。
「で、アリス、良いタイミングってのは結局何なんだ」
「え? あぁ、そう、その話をしていたのよね」
こういう時は話題をそらすのに限る。アリスもあっさり元の話に戻ってきた。
「だから物事にはいいタイミングって物があるの。誰かを訪ねる時、お菓子を焼く時、魔法を練り上げる時、他にも色々あるけれど、一番良い時っていうのがあるでしょう? 逆にそのタイミングを逃してしまうと、上手くいかなくなって物事が空回りし始める。かの有名なロミオとジュリエットだってお互いのタイミングさえ間違っていなければ、あんな悲劇にはならなかったのだから。その点そういうすれ違いを利用しての悲劇だからこそ、観客の涙を誘うって言うのもあるんだけど、私にしてみれば少しわざとらしい気もするのよね。身分違いとかすごいコテコテだし。あ、でも当時の人にしてみれば共感すべき事例だったのかしらね、身分に縛られる事が当たり前だった訳だから」
おぉ、おぉ、段々話題がそれていくぞ。ずらずらと言いたい事を並べていくうちに、変な方向へかじ取りをし始めてしまったようだ。
このまま別の話題に移っていってもいいのだが、アリスが何を言いたがっているのか判断がつきかねてしまうのは困る。素直に思った事をアリスに言って怒られてしまうのは、なんというか、ひたすらに困ってしまう。
「で、要はなんなんだ?」
私の一言でアリスは、はっとした顔をする。どうやら最初にいいたかった事をきれいさっぱり忘れていたらしい。
話すのに夢中になりすぎて、言いたかった事を忘れるとか子供みたいで可愛いな。
もちろん今思った事は口には出さなかった。これをそのまま言えばさすがにアリスに本気で怒られそうだからな。ただこらえきれなかったにやにや笑いには、しっかりと恨めしげな視線が帰ってきたけれど。
しばらく私の事をじとっと見た後で、すこしばかりばつが悪くなったのか、やや視線を下げ気味にして結論を言ってきた。
「だから、要はああいう風に、その、褒めるのならタイミングを大事にしてって事よ。じゃないと危ないじゃない」
ふぅん、と分かったような分からないような相槌を返す。それでもアリスは満足げに少し冷めてしまった紅茶を口に含む。
結局、アリスが言いたかった事は紅茶の用意をしている時に褒めるなって事のようだ。表情が動かないクールな人形遣いという印象を他の奴らには持たれているかもしれないが、案外アリスは恥ずかしがり屋だから。
こういうところを、めんどくさいと思わずに可愛いと思ってしまうのは、つまり私がアリスにベタ惚れである証という訳で。
誰が聞いている訳でもないのに、そう思いついた時に何となく耳の辺りが熱くなった。アリスが恥ずかしがり屋だなんて、私が言えた義理じゃないかも。
一つ溜息をついて、飲み終わった紅茶のカップを片手で持ち上げて立ち上がる。自分で使った食器は自分で片付ける。アリスに何度もごちそうになっている私なりのせめてもの、誠意の表し方だ。さすがに1から10まで毎回世話になるのは、いくら私でも心苦しいのだ。
机を回り台所に行こうとして、ふとアリスに聞いてみたくなった。
「じゃあさ、私たちにもタイミングってあるのかな?」
何を問われたのか今一つ分からなかったのだろう、微妙に眉を寄せたアリスが私の方を振り返る。
そんなアリスのそばにそっと近寄り、カップを机の上に戻す。
「タイミングって何のよ?」
案の定分かっていなかったか。不思議そうなニュアンスを含めた声が私の耳を通り抜ける。
「タイミングは、タイミングだよ」
頬を緩ませるようにして笑いながら、アリスの両頬へ手を伸ばす。
陶器のように滑らかな肌の感触を、私は指の先で感じ取る。暖かいような、冷たいような、掴みどころのない感覚。私を満たしてくれる、優しい感覚。
座っているアリスの顔に、かがむようにして顔を近づけていく。
見つめ合っている空色の瞳がゆっくりと、隠れていく。
「私たちの、な」
寸前で小さく呟いた言葉は、ゼロになった距離の間で静かに消えていった。
物事のタイミングは重要らしい。なんせ、ブレイン派が言う事だ、きっと一理ある。
だから森にすむ二人の魔法使いが甘い恋人同士になるタイミングにも、丁度いいものがあるのだろう。
例えば何でもない午後のひと時とかな。
と思ったら「遠回りな答えの出し方」の作者さんでしたか!
つい全作読み直してしまいましたw
あなたのマリアリはめっちゃ好みっス! ジャスティース!!
やっぱりアリスは魔理沙との組み合わせが一番しっくり来る。
なんと言っても絵になるしね!
魔理沙の気持ちが良くわかるわ
最後の一文が飾り気のない癖にきらきらと輝いて見えて痺れました
短い文章の仲に詰まった糖分。
おいしくいただきました。GJ