夏休みを貰った。
夏休み、と言っても一般的な長期休暇や連休ではなく、一日だけ。
それはお嬢様のいつもの思いつきからくるもので、もっと言えば前日にパチュリー様に呼んでもらった本に出てきた「なつやすみ」という単語をどうしても使いたかったことに起因すると思われる。
もちろん妖精メイドはアレであるから休んだ日の分の仕事は明日以降に繰り上げされるし、一日お嬢様から目を離すということは館がちょっと不味い状況になりかねないということなので、精神的にも休みとは言えない。
私も別に休みを取りたい訳ではなかった。
しかしここは紅魔館であり、館主はお嬢様であり、お嬢様の言葉は絶対であり、「今日はなつやすみさせてやる」はお嬢様の言葉なのだ。
そんな理由から、ともかく、私は本日生まれて初めての夏休みを体験することとなった。
+++
「じゃあ、館は頼んだわよ。熱中症に気をつけることと、……あと居眠りしないようにね」
「はい、任せてください! 寝るなら涼しいところで」
「居眠りしないようにね」
まだ涼しいく朝靄が見られる時間帯に、起きたまま寝言をほざく美鈴にでこピンしてから紅魔館を出た。
服装はいつも通りのメイド服、住み込みで毎日働いているため普段着がないのだ。
夏とはいえ水辺は涼しい。
ひんやりとした湿気が肌に心地よく、岸に見える木々は雲から生えているように思える。
いつもは今より早い時間から仕事をしているが、景色を見る余裕はないので新鮮だった。
そんなことを思い浮かべていると、一緒に紅魔館を連想した。
振り返ると靄の中に浮くようにして館は相変わらずある。
美鈴はもう見当たらない、おそらく庭内の見回りをしているのだろう。
思ったより働いているようだ、関心である。
しかし。
やはり自分だけ休みを取るのは後ろめたいと思う。
せめてなにか皆が喜びそうな土産でも買って帰りたい。
暑くなりそうだから冷たいものだろうか。
時間操作すれば溶ける心配はない。
「ふふふ、そこのメイド! あたいのテリトリーに何の用!?」
何が喜ばれるか考えていたらチルノが現れた。
ニヤリと口を曲げ腕を前で組んでいる。
最近見なかったので暑さで溶け切ったのかと思っていたが、溶けたのは頭の中だけのようだ。
涼しい時間帯なので氷精も活発になっているのだろう。
元気そうで何より。
私はチルノを頭の上まで、ついでにお尻と足の先まで見た。
「あたいの――――で――が――――」
氷精はそばに置いておくだけで涼しい、いわゆる喋る冷えピタだ。
「――を――――になって―――」
そして今日も暑くなるはずである。
「ちょっと、あんた聞いて――……ぷきゃぁっ!?」
私はお土産を手に入れた。
+++
「あれ、咲夜さんもう帰ってきたんですか?」
「違うわよ。これを拾ったから……皆でひんやりを楽しみなさい」
一旦紅魔館に帰ってきた私は門前に戻っていた美鈴に話しかけ、捕獲したそれを渡す。
「これは、……喋る氷枕ですか?」
「そんなところね」
「首がおかしな方向に捻じれてますよ」
「元からよ」
「白目剥いてアホ面むけて口から泡が」
「元からよ」
「『めいどこわい』ってブツブツ言ってます」
「元からよ」
そうなんですかぁ、と美鈴は頷いた。
彼女は聞きわけが良い。
「じゃあもう出るけど、本当に大丈夫?」
「何がです?」
「館のことよ」
どうしても心配だ。
取り返しがつかない問題にはならなくとも、なにか起きるかもしれない。
「咲夜さん」
急に美鈴のトーンが下がった。
何事かと美鈴の顔を見ると、そこにあったのは怒ったわけではない、真剣で静かな瞳であった。
美鈴がこんな顔をしたのは彼女の寝袋が捨てられたとき以来である。
あのときはパチュリー様すら言い負かしお嬢様をも謝らせた。
さらには幻想郷縁起の二度の改正をよぎなくさせ、博麗の巫女の出撃、そして私のお古の布団を譲渡することでやっと解決したのだ。
いやにそのあと居眠りの回数が増えたが……。
「私たちはこれでも紅魔館の一員です。たしかに咲夜さんみたいに全部完璧とはいきません。でも、咲夜さんを一日安心させることくらいなら、ドジもしません、寝たりもしません。だから」
美鈴はそのまま私の手を握り、少しだけ自分の方に引っ張る。
いつもより近い場所にある気がするその顔に、目が離せなかった。
「安心してください」
「美鈴……」
優しく笑う美鈴の顔を見て、私は涙が出そうになった。
「妄言はヨダレのあとを拭いてから言いなさい」
+++
人には習慣というものがある。
習慣はなにも考えていなかったり、なにか判断に困ったときに出る癖でもあり、なかなかバカに出来ない。
だから多分これも習慣のひとつだろう。
「おっ、咲夜一人か? 珍しい」
私は博麗神社へ来ていた。
なぜ休みまで神社に行かなければならないのか、来てしまったのか。
習慣とは恐ろしいものだ。
縁側では魔理沙が一人で団扇をあおいでいた。
彼女は全身黒基調の服装であるため光をよく吸収する、さらに髪がとても長いため顔に熱がこもる。
夏は地獄だろう。
「ええ、夏休みなのよ」
「夏休みぃ? いつまでだ」
「今日まで」
「……随分長い夏休みだな」
高くなってきた日から逃げるように、魔理沙の隣に腰かけた。
縁側は日陰になっているため割と涼しい。
「霊夢は?」
「里で激辛鍋を10分で食べたら無料ってイベントやっててさ」
なるほど、と私は頷く。
あの巫女のことだ、そんなお腹いっぱいなイベントに参加しないわけがない。
あと数刻もすれば昼であるため朝昼兼用としてこの時間に出たのだろう。
「へぇ、じゃあ今はいないのね」
「違う違う。霊夢は三食それで済ませて――」
魔理沙が障子を器用に足で開けた。
「この通り、喉と腹壊して巫女妖怪になってる」
そこには水がめに顔を突っ込み響くような低い唸りを上げる巫女みたいな生物がいた。
一体なんだと私が凝視したら、それはびくりっと体をゆすってこちらを見た。
青白い顔は目の焦点が合っていない、光もない。
「ぁ……さく――」
私はすばやく障子を閉めた。
「あの子も大変ねぇ」
「だぜ」
そこで会話は終わり、私は森から聞こえる蝉の音に耳を傾けることにした。
+++
りぃーん――……りぃーん――……。
そよ風が吹いて、どこかで風鈴が鳴る。
辺りを見回すと縁側の柱のひとつにぶら下がっているのを見つけた。
風鈴の紐に結ばれた札は「大入」と書いてあり、どうみてもいつも弾幕ごっこで使う札だ。
今はその本来の激しさはなく、風にもてあそばれるままである。
こんな使い方いいのかしらと思った矢先、障子に札でつぎはぎしてあるのを発見した。
この札もまさかこんな使い方をされるなんて思っていなかっただろう。
使う人物を選べないというのは、なかなかに不幸なようだ。
魔理沙に目を移すと、あちらもこちらに目を移す。
そのまま見ていたらあつーと言って後ろに倒れこんでしまった。
うっすら額に汗をかいていて、彼女には悪いがこの風景の中ではなかなか合っている。
ハンカチで汗を拭ってやると、暑さで抵抗する気力もないようで、目を瞑って四肢を投げ出したままだ。
拭き終わってから「やーめーろー」ともそもそ小声で言った。
残念、もう遅い。
けだるげなパンチを打ってくる魔理沙に横腹をくすぐって応戦していると、
「川に行きましょう!」
いきなり背後で霊夢の声がした。
驚いて振り向くとなんとか復活したらしい巫女の姿があった。
「なんだって?」
笑いすぎて涙目の魔理沙が、寝ころんだまま視線だけ霊夢にやる。
「こんなに暑い日は川で泳ぐに限るでしょう? 咲夜がいれば時間とか気にしなくていいし」
最後の言葉に私は眉をひそめた。
確実に「時間を止めたまま二人を川まで運べ」というお達しである。
むらむらと不満がせり上がる。
「いやですわ」
断ってみたが二人の耳には届かなかったらしい。
二人はもう完全に川遊びをするつもりのようで、タンスから水着を出してはしゃいでいる。
「汗だくの貴女たちを担ぐなんて、重いし」
「魔理沙よりは軽いわよ」
「霊夢よりは軽いぜ」
なかなか都合のいい取捨機能付き鼓膜だ。
「二人運ぶのなら変わりませんわ」
「スイカも必要ね。咲夜それもお願い」
水着をたたみ終えたのち、そう言って振り返りかえる。
人の話を聞け。
ちょっとお仕置きが必要そうだったので、「ね!」と、あたかも妙案を言ったかのように笑う口に時間を止めて唐辛子を食べさせてあげた。
彼女の涙目はかわいい。
+++
結局、本当に川まで運ぶ羽目になった。
思ったより軽かったのでよかったが、何を食べればこんなに軽くなれるのか。
私が冷やしているスイカを見ているなか、二人は水着に着替え潜水時間を競い合っている。
と言っても、一度も勝てない魔理沙が何度も再挑戦しているだけだ。
別に魔理沙が駄目なわけではない。
霊夢は10分以上も潜れるのが異常なのである。
その人外の肺活量に疑問を持ち、前世が魚人の巫女だったのかと聞いたら「食糧調達のために川や湖に潜って魚を取ることがあるからよ」と言われた。
どうやら前世は魚人の漁師だったらしい。
わずかに熱気を含んだ風が吹いた。
こうして落ち着いて見ると、当たり前だがすごく夏っぽいことに気付く。
周りの木はどれも濃い緑色の葉を大きく広げ、太陽の光を存分に浴びている。
葉に光を遮られた地面は、切り絵のようにくっきりした影を映している。
遠くでのんびり伸びる入道雲の白が、空の青で際立っていた。
その画を横切るように妖精が暑そうに飛んでいる。
川の流れは涼しげで水面が光をきらりと反射する様が鏡かガラスを連想させる。
蛙かなにかが跳ね、川に入っていった。
手でひさしを作り太陽をあおぐと、暑さで焼かれた世界の夏独特の香りと、うっすらした汗の匂いが鼻を掠める。
時間がとてもゆっくりに感じられる。
なめらかな感覚。
暑さのせいだろうか。
蝉時雨が木霊す山間の川、しかしなぜか静かな気がする。
ざっぱぁんと魔理沙が派手な音を立てて浮上してきて、私はハッとした。
途端に先ほどまでの感覚は夢から覚めるように消えてゆき、いきなり元に戻る。
景色の色も、匂いも、暑さも現実的になる。
いけないいけない、いつのまにやら暑さでぼんやりしていたらしい。
木陰のはずなのだが。
魔理沙は肩で息をしながら「小休止だ、……まだ負けてないからな」と言い訳をして岩に座る私の隣にやってきた。
これで丁度30戦30敗だ。
未だ水の中で狩りを行っている霊夢には聞こえていないようだった。
「咲夜、お前は入らないのか?」
「水着がないもの」
私は水着を着ていない。
元々持っていないし、今回のためだけに人里にわざわざ買いに行くのも面倒である。
なので私は靴を脱いで足に水をかける程度にしていた。
ちなみに魔理沙は霊夢のお古を借りている。
「昔のやつなのにサイズぴったりね。胸とか」などと言われて一戦あったが、長くなりそうなので深く触れないでおく。
「裸になればいいじゃないか。どうせ誰も見てないぜ」
にへらと笑う彼女に他意はないだろう。
だが、私はあまり気乗りしない。
この川は妖怪の山の下流域だ。
つまり、変態パパラッチ系犯罪者として名を馳せる烏天狗たちの縄張りにほど近い。
もし見つかれば【紅魔館のメイド、全裸で巫女と魔女を襲う】なんて記事が夕刊の一面を飾るのは想像に難くない。
「止めとくわ」
「えー、なんでだよ」
「なんでも――きゃっ!?」
突然びしゃりっと川の方向から水が飛んできた。
驚いて見ると河童のごとく水面から半分だけ顔を出した霊夢がいた。
「それでもう濡れても変わんないんじゃない?」
そう言われて指を指された私の服は見事に濡れている。
透けて下着が見えるほどだった。
これは日当たりのいい場所で乾かさないといけないだろう。
そして、この暑さで服を着たまま日当たりのいいところへ行く覚悟はない。
霊夢には珍しい子供のような悪戯に私は内心頬が緩んだが、察してその悪戯に乗ることにした。
「……やったわね」
「おっ、目が本気だぜ」
「咲夜が怒った! 逃げるわよ魔理沙!」
「こらっ、ちょっと待ちなさい!」
それからは三人だけの大乱闘だった。
鼻や耳や口に水が入っても気にしない。
透明な水が二人の白く細い体に当たっては弾け、流れに戻る。
岩場で魔理沙が足を滑らせて川の深いところへ落ちた時は死んだかと思ったが、青ざめた霊夢が流れるように救出したため大事には至らなかった。
普段の霊夢では考えられぬすばやい行動に感心したのは内緒だ。
その後いつのまにか私も夢中になってしまい、疲れてフラフラになるまで水の掛け合いをしてしまった。
楽しくて完全に天狗のことなど失念していた。
きゃっきゃっと笑いながら逃げる二人に水をかけまくるだけなのだが、楽しかった。
ただただ天狗に見つかっていないことを祈る。
+++
「あっ、そーだ」
岩場の影で着替えていると、髪を結びながら魔理沙が呆けた声を出した。
「今晩霊夢と行くつもりなんだが、来るか?」
そして帽子の中を探る。
出てきたのはくちゃくちゃになった紙で、そこにはこう書かれていた。
===================================
【夏祭り開催のお知らせ!】
日時:今日、暗くなってから
場所:命蓮寺
概要:屋台あり、イベントあり、炊き出しあり、弾幕による花火あり。
※以下の方はご遠慮ください。
・ネズミ、猫、弾幕アレルギー
・妖怪恐怖症
・守矢信者
===================================
霊夢が貰ってきたんだ、そう言って魔理沙は笑った。
やけに「炊き出し」の文字が強調された気がする。
「ふぅん、どうしようかしら」
夕焼けに紅く染まる空を見る。
今から帰ればお嬢様が御起床なさる時間とちょうど重なるだろう。
そうすれば、メイド長としての最低限の仕事は出来る。
しかし、今はお嬢様の命令により『夏休み』である。
私は悩んだ。
そして――――
+++
「な、なんだお前らは――」
「貴様ら命蓮寺の刺客だなっ、うぐっ」
「おのれ命蓮寺めぇ!!」
守矢信者の抗議デモの中、霊夢は「たっきだしッ! たっきだしッ!」と嬉しそうに呪詛を吐きながら信者たちをなぎ倒していく。
その姿はもはや巫女ではなく鬼、否、妖怪炊き出しあさり。
まっすぐ前を向く二つの瞳を乗せた表情はこの世のものとは思えぬもので、前に立つ者、そして顔を見てしまった者たちは皆短い悲鳴を残して吹き飛ばされていく。
あまりにその様が不憫で恐ろしいので、私と魔理沙は黙ってその後ろについていくだけとなってしまっていた。
デモの壁を潜り抜けると、そのすぐ先に命蓮寺が見える。
色とりどりの出店が並んでいて、夜だというのに明るかった。
もう祭り自体は始まってるようで軽快で独特なリズムの和太鼓の音が響いている。
見渡すと、本堂のあたりで妖怪の人垣ができていた。
なにかのイベントだろう。
全体的には妖怪の方が多いが、人間も割といる。
少なくとも私たちが周りから浮くようなほどではない。
数がとにかく多く、ぼさっとしているとはぐれてしまうだろう。
というか、既に霊夢がいない。
「あら、霊夢は?」
「炊き出しあさりしにいった」
「そう」
そんな会話をしながら祭りにまぎれていく。
するとしばらくして魔理沙は知り合いらしき河童を見つけ、喋り始めた。
魔法用語らしきものが飛び交うため私はイマイチ会話に入れない。
辺りを周りたくなったので「ちょっと抜けるわね」と言って会話から外れた。
そのままぶらぶらして、何軒かの出店を見て回る。
金魚や型抜きといった定番のものから、この時期には珍しいりんごなどの果物を溶かした砂糖で覆ったものなど様々な店が並ぶ。
どれも妖怪がやっている店で、値段が異様に安いのが印象的だった。
途中で購入したチョコバナナなるものをカジりながら歩いていると、一瞬やたら空が明るくなった。
空を見上げると、大きな花火が上がっていた。
続いてやってくるお腹に響く独特の重い音。
それからパチパチパチと小気味のいい音をさせながら花火は消えていく。
(花火なんて、いつ以来かしら……)
気が付くと私はカジりかけのチョコバナナをそのままに花火を見ていた。
とても綺麗だったためだ。
通常の弾幕とは違いサイズも音も大きい、魔理沙あたりが好みそうだ。
色とりどりの花火は夜の空に打ち出されては咲き、消えて、打ち出されては咲き……。
よくある円形のものから始まったそれは、打ち出されるたびに星型や渦巻型、そしてその名の通り花の形をしたものなど多種多様な絵を夜空に描いていく。
弾幕で文字を書いた技術には私も驚いた。
相当繊細で綿密な作業が必要だからだ。
それは常人には絶対に不可能なレベルだったので、アリスや河童あたりが一枚噛んでいるのかも、と勝手な推測をした。
虹色に光る花火を見たとき、それは私はどこかで似た弾幕を知っている気がした。
「咲夜さーん!」
誰だったか。
人差指を下唇に当てて考えていたら聞き覚えのある声がした。
そちらを向くと恥らいなく手をぶんぶん振る少女が見えた。
「美鈴! あなた仕事は?」
「今日はもういいと言われたのでお祭りにでも来てみよーかな、と」
そういって横に並んだ美鈴の顔が花火の光で一瞬照らされる。
彼女の笑顔そのものが光っているような錯覚に陥る。
その赤い髪が暗がりによく映えた。
外仕事なのに肌は白くて綺麗だ、これも妖怪だからこそだろうか。
「綺麗ですねぇ」
「えっ? ええ、そうね」
ポケーっと口開けて美鈴は空を見上げている。
花火が上がるたびに美鈴の瞳に映りこむのだが、これがなかなかに綺麗だった。
チョコバナナのチョコが垂れているのに気が付くまで、私はそのままでいた。
夜空に本日最大の花火が上がった。
興奮した美鈴が私の腕を引っ張って大はしゃぎする。
いつもなら「子供か」と言ってやるのだが今回は私も乗ってしまった。
お嬢様がいないためか、祭りの雰囲気に当てられたのか。
いずれにしても後あと思い出して恥ずかしくなるのでもうやらないでおこうと思う。
大花火が夜空に消えた。
それを継ぐように小さな花火が沢山上がり続けていく。
未だ興奮冷めやらぬ様子の美鈴が可愛らしくて、ばれないように少し笑う。
きれい……。と美鈴はもう一度呟いた。
+++
花火はすぐに終わった、気がした。
どうやら先ほどの大きな花火からの一連の流れがフィナーレだったらしい。
周りの観客たちはがやがやと、ああ終わった終わった。とか、さて帰るかぁ。とか言いながら帰路についていく。
花火がメインイベントだったようだ。
そう言えばいつのまにか和太鼓の音も聞こえなくなっていた。
潮が引くように、夕暮れが夜に浸食されるように、辺りはどんどん静かになっていく。
心なしか少しばかり暗くなった気がする。
変な寂しさ、正しい表現かは分からないが、満足感のある寂しさが心に生まれた。
「やっと見つけた、どこにいたんだよお前」
適当な言葉を探しているうちに、魔理沙の声がした。
魔理沙が黒いので一瞬どこにいるのかわからなかった。
が、一瞬のあとすぐに見つけることが出来た、もの凄い人数を連れて歩いていたからだ。
霊夢だけでなく色々な妖怪も合流していて、いつの間にか大御所帯となっていたようだった。
そして皆やたらにテンションが高い、たぶん酔っている。
霊夢がなにやら怒ったような顔で近づいてきた。
「ちょっと聞いてよ。炊き出しってなんの炊き出しだったと思う? 鍋よ、激辛鍋! ……なんでよっ、久しぶりに辛いもの以外のゴハンが、……なんでなのよぅ…………」
ぐすりと目尻を拭う霊夢に「まぁまぁスイカ食べてきたんでしょ。いいじゃんさ」とかいって見知った鬼が酒を飲ませようとする。
ぞろぞろと20近い数で酔っ払いが闊歩している様子は、あんまり近づきたいものじゃない。
それに近づいてくると酒臭さが分かるようになってくる。
こっち来るな。
「これから早苗んとこで宴会をやるんだが、お前も来るんだろう?」
「早苗? ああ、守矢神社の」
「今日は慰め会だ」
へらっと笑う魔理沙の後ろでは、見覚えのある緑髪をした巫女が酒瓶をぬいぐるみのごとく抱いて豪快に号泣していた。
その横ではこの寺の住職――白蓮といったか――が必死に慰めている。
「わ、わだしはこれでも頑張ってるんですよぉ! それなのに、それなのに命蓮寺の連中がぁっ!!」
「長い人生そういうこともあるものですよ、ね? 今日は私がいっぱい愚痴を聞いてあげますから」
異様な光景だった。
妖怪からも妖精からも人からも恐れられる博麗の巫女たちがヤケ酒して小さな子供みたいに泣いている。
そしてそれを誰も突っ込まない。
酔っ払いは、げに恐ろしい。
+++
今日は月がよく見える日だと思う。
その証拠に妖精メイドが咲夜の部屋を開けると、窓からきらめくような月光が入ってきていた。
まず私が部屋に入り、ひとつしかない椅子に腰かける。
続いて美鈴が。
そしてめずらしく地下から出てきていたパチェも。
美鈴がベッドにおんぶしていた咲夜を下す。
起こさないよう、ゆっくり、丁寧に。
「珍しいな」
「ええ、疲れちゃったみたいで」
外のテラスでパチェとお茶をしていると美鈴が咲夜を背負って帰ってきた。
聞くと宴会の途中で眠ってしまったという。
普段は私がいるため殆ど飲まないのだが、今日は霊夢たちと同じくらい飲んだらしい。
おそらくそれが原因だろうが、咲夜が人前で寝るなんて珍しいことなので少し驚いた。
きっと美鈴の言う通り、とても疲れていたのだろう。
「休めと言ったのに、……夏休みっていうのは休まない休みなのかしら? パチェに読ませた本の登場人物も遊んでばかりで休んでいなかった」
「変わった休みですね」
「まったくだ」
ため息をつくと同時にパチェが本を閉じて咲夜の顔を覗きこんだ。
「気の抜けた寝顔だわ。レミィみたい」
ぽつりと呟いたパチェの言葉に私はなんだとこんにゃろーとデコピンをお見舞いしてやる。
私はこんなに安心しきった寝顔なんてしてない、はずだ。たぶん。
そしてそれは咲夜も同じである。
いつもこいつは自分を見せない。
ずっとそうだった。
常に一歩下がっているのが従者だからだという。
「いつぶりだろうね、咲夜の寝顔なんて見るのは」
咲夜が紅魔館に来てからの年数を指折り数えようとしたら、手の指じゃ足りないわよ。とパチェの声が聞こえた。
「そんなに前だっけ?」
「とっても前」
「私たちにはつい最近に思えるんですよねぇ」
のんびりした門番の声に同意する。
この中で人間的な時間感覚をもっているのはおそらくパチェくらいだ。
100年と少ししか生きていない彼女は、最も人間の時間に近いはずである。
そう、妖怪と人では時間にズレがある。
両者が感じないようなズレだ。
だからこそ、咲夜には人間の「楽しさ」というやつを感じてほしかった。
館の運営をして、私に奉仕するだけではない何かを体験させたかった。
これはそのための休暇だったのだ。
以前から考えていたことではあったのだが、普通に提案しても咲夜は館が云々と言って断るだろう。
なにか適当な、思いつきのワガママに見える適当な理由を、ずっと探し続けていた。
それならばこいつも付き合ってくれるだろうから。
そして先日、それの発想を得るに至る本を我が友人が見つけてくれた。
結果、ちょっと強引ながらも私たちの企みは成功したようだ。
咲夜は楽しかったろうか。
呟いた声は自分でも笑えるほど細かった。
それに対して、ふふふっとパチェは笑った。
なんかむかつく。
首以外動かせないくらい縛ったうえで、図書館に火をつけてやろうか。
私の心情を知ってか知らずかパチェは無表情に戻り咲夜を指す。
「見ればわかるでしょう」
そう言って彼女はまた本を開いた。
もう喋らないつもりだろう。
私より咲夜をわかっているっぽい雰囲気が私を負けた気分にさせる。
そのうちぜったいなかせてやる。
そのうち、そのうちだ。
今やると咲夜が起きてしまう。
ちらりと咲夜を見る。
「……」
私は咲夜のベッドに片膝を乗せ、その疲れ切った、でも満足げな、楽しみ切った顔に。
「今晩はゆっくり休みなさい、咲夜」
お祭りの後のようなその顔に、そっとキスをした。
おわり
夏休み、と言っても一般的な長期休暇や連休ではなく、一日だけ。
それはお嬢様のいつもの思いつきからくるもので、もっと言えば前日にパチュリー様に呼んでもらった本に出てきた「なつやすみ」という単語をどうしても使いたかったことに起因すると思われる。
もちろん妖精メイドはアレであるから休んだ日の分の仕事は明日以降に繰り上げされるし、一日お嬢様から目を離すということは館がちょっと不味い状況になりかねないということなので、精神的にも休みとは言えない。
私も別に休みを取りたい訳ではなかった。
しかしここは紅魔館であり、館主はお嬢様であり、お嬢様の言葉は絶対であり、「今日はなつやすみさせてやる」はお嬢様の言葉なのだ。
そんな理由から、ともかく、私は本日生まれて初めての夏休みを体験することとなった。
+++
「じゃあ、館は頼んだわよ。熱中症に気をつけることと、……あと居眠りしないようにね」
「はい、任せてください! 寝るなら涼しいところで」
「居眠りしないようにね」
まだ涼しいく朝靄が見られる時間帯に、起きたまま寝言をほざく美鈴にでこピンしてから紅魔館を出た。
服装はいつも通りのメイド服、住み込みで毎日働いているため普段着がないのだ。
夏とはいえ水辺は涼しい。
ひんやりとした湿気が肌に心地よく、岸に見える木々は雲から生えているように思える。
いつもは今より早い時間から仕事をしているが、景色を見る余裕はないので新鮮だった。
そんなことを思い浮かべていると、一緒に紅魔館を連想した。
振り返ると靄の中に浮くようにして館は相変わらずある。
美鈴はもう見当たらない、おそらく庭内の見回りをしているのだろう。
思ったより働いているようだ、関心である。
しかし。
やはり自分だけ休みを取るのは後ろめたいと思う。
せめてなにか皆が喜びそうな土産でも買って帰りたい。
暑くなりそうだから冷たいものだろうか。
時間操作すれば溶ける心配はない。
「ふふふ、そこのメイド! あたいのテリトリーに何の用!?」
何が喜ばれるか考えていたらチルノが現れた。
ニヤリと口を曲げ腕を前で組んでいる。
最近見なかったので暑さで溶け切ったのかと思っていたが、溶けたのは頭の中だけのようだ。
涼しい時間帯なので氷精も活発になっているのだろう。
元気そうで何より。
私はチルノを頭の上まで、ついでにお尻と足の先まで見た。
「あたいの――――で――が――――」
氷精はそばに置いておくだけで涼しい、いわゆる喋る冷えピタだ。
「――を――――になって―――」
そして今日も暑くなるはずである。
「ちょっと、あんた聞いて――……ぷきゃぁっ!?」
私はお土産を手に入れた。
+++
「あれ、咲夜さんもう帰ってきたんですか?」
「違うわよ。これを拾ったから……皆でひんやりを楽しみなさい」
一旦紅魔館に帰ってきた私は門前に戻っていた美鈴に話しかけ、捕獲したそれを渡す。
「これは、……喋る氷枕ですか?」
「そんなところね」
「首がおかしな方向に捻じれてますよ」
「元からよ」
「白目剥いてアホ面むけて口から泡が」
「元からよ」
「『めいどこわい』ってブツブツ言ってます」
「元からよ」
そうなんですかぁ、と美鈴は頷いた。
彼女は聞きわけが良い。
「じゃあもう出るけど、本当に大丈夫?」
「何がです?」
「館のことよ」
どうしても心配だ。
取り返しがつかない問題にはならなくとも、なにか起きるかもしれない。
「咲夜さん」
急に美鈴のトーンが下がった。
何事かと美鈴の顔を見ると、そこにあったのは怒ったわけではない、真剣で静かな瞳であった。
美鈴がこんな顔をしたのは彼女の寝袋が捨てられたとき以来である。
あのときはパチュリー様すら言い負かしお嬢様をも謝らせた。
さらには幻想郷縁起の二度の改正をよぎなくさせ、博麗の巫女の出撃、そして私のお古の布団を譲渡することでやっと解決したのだ。
いやにそのあと居眠りの回数が増えたが……。
「私たちはこれでも紅魔館の一員です。たしかに咲夜さんみたいに全部完璧とはいきません。でも、咲夜さんを一日安心させることくらいなら、ドジもしません、寝たりもしません。だから」
美鈴はそのまま私の手を握り、少しだけ自分の方に引っ張る。
いつもより近い場所にある気がするその顔に、目が離せなかった。
「安心してください」
「美鈴……」
優しく笑う美鈴の顔を見て、私は涙が出そうになった。
「妄言はヨダレのあとを拭いてから言いなさい」
+++
人には習慣というものがある。
習慣はなにも考えていなかったり、なにか判断に困ったときに出る癖でもあり、なかなかバカに出来ない。
だから多分これも習慣のひとつだろう。
「おっ、咲夜一人か? 珍しい」
私は博麗神社へ来ていた。
なぜ休みまで神社に行かなければならないのか、来てしまったのか。
習慣とは恐ろしいものだ。
縁側では魔理沙が一人で団扇をあおいでいた。
彼女は全身黒基調の服装であるため光をよく吸収する、さらに髪がとても長いため顔に熱がこもる。
夏は地獄だろう。
「ええ、夏休みなのよ」
「夏休みぃ? いつまでだ」
「今日まで」
「……随分長い夏休みだな」
高くなってきた日から逃げるように、魔理沙の隣に腰かけた。
縁側は日陰になっているため割と涼しい。
「霊夢は?」
「里で激辛鍋を10分で食べたら無料ってイベントやっててさ」
なるほど、と私は頷く。
あの巫女のことだ、そんなお腹いっぱいなイベントに参加しないわけがない。
あと数刻もすれば昼であるため朝昼兼用としてこの時間に出たのだろう。
「へぇ、じゃあ今はいないのね」
「違う違う。霊夢は三食それで済ませて――」
魔理沙が障子を器用に足で開けた。
「この通り、喉と腹壊して巫女妖怪になってる」
そこには水がめに顔を突っ込み響くような低い唸りを上げる巫女みたいな生物がいた。
一体なんだと私が凝視したら、それはびくりっと体をゆすってこちらを見た。
青白い顔は目の焦点が合っていない、光もない。
「ぁ……さく――」
私はすばやく障子を閉めた。
「あの子も大変ねぇ」
「だぜ」
そこで会話は終わり、私は森から聞こえる蝉の音に耳を傾けることにした。
+++
りぃーん――……りぃーん――……。
そよ風が吹いて、どこかで風鈴が鳴る。
辺りを見回すと縁側の柱のひとつにぶら下がっているのを見つけた。
風鈴の紐に結ばれた札は「大入」と書いてあり、どうみてもいつも弾幕ごっこで使う札だ。
今はその本来の激しさはなく、風にもてあそばれるままである。
こんな使い方いいのかしらと思った矢先、障子に札でつぎはぎしてあるのを発見した。
この札もまさかこんな使い方をされるなんて思っていなかっただろう。
使う人物を選べないというのは、なかなかに不幸なようだ。
魔理沙に目を移すと、あちらもこちらに目を移す。
そのまま見ていたらあつーと言って後ろに倒れこんでしまった。
うっすら額に汗をかいていて、彼女には悪いがこの風景の中ではなかなか合っている。
ハンカチで汗を拭ってやると、暑さで抵抗する気力もないようで、目を瞑って四肢を投げ出したままだ。
拭き終わってから「やーめーろー」ともそもそ小声で言った。
残念、もう遅い。
けだるげなパンチを打ってくる魔理沙に横腹をくすぐって応戦していると、
「川に行きましょう!」
いきなり背後で霊夢の声がした。
驚いて振り向くとなんとか復活したらしい巫女の姿があった。
「なんだって?」
笑いすぎて涙目の魔理沙が、寝ころんだまま視線だけ霊夢にやる。
「こんなに暑い日は川で泳ぐに限るでしょう? 咲夜がいれば時間とか気にしなくていいし」
最後の言葉に私は眉をひそめた。
確実に「時間を止めたまま二人を川まで運べ」というお達しである。
むらむらと不満がせり上がる。
「いやですわ」
断ってみたが二人の耳には届かなかったらしい。
二人はもう完全に川遊びをするつもりのようで、タンスから水着を出してはしゃいでいる。
「汗だくの貴女たちを担ぐなんて、重いし」
「魔理沙よりは軽いわよ」
「霊夢よりは軽いぜ」
なかなか都合のいい取捨機能付き鼓膜だ。
「二人運ぶのなら変わりませんわ」
「スイカも必要ね。咲夜それもお願い」
水着をたたみ終えたのち、そう言って振り返りかえる。
人の話を聞け。
ちょっとお仕置きが必要そうだったので、「ね!」と、あたかも妙案を言ったかのように笑う口に時間を止めて唐辛子を食べさせてあげた。
彼女の涙目はかわいい。
+++
結局、本当に川まで運ぶ羽目になった。
思ったより軽かったのでよかったが、何を食べればこんなに軽くなれるのか。
私が冷やしているスイカを見ているなか、二人は水着に着替え潜水時間を競い合っている。
と言っても、一度も勝てない魔理沙が何度も再挑戦しているだけだ。
別に魔理沙が駄目なわけではない。
霊夢は10分以上も潜れるのが異常なのである。
その人外の肺活量に疑問を持ち、前世が魚人の巫女だったのかと聞いたら「食糧調達のために川や湖に潜って魚を取ることがあるからよ」と言われた。
どうやら前世は魚人の漁師だったらしい。
わずかに熱気を含んだ風が吹いた。
こうして落ち着いて見ると、当たり前だがすごく夏っぽいことに気付く。
周りの木はどれも濃い緑色の葉を大きく広げ、太陽の光を存分に浴びている。
葉に光を遮られた地面は、切り絵のようにくっきりした影を映している。
遠くでのんびり伸びる入道雲の白が、空の青で際立っていた。
その画を横切るように妖精が暑そうに飛んでいる。
川の流れは涼しげで水面が光をきらりと反射する様が鏡かガラスを連想させる。
蛙かなにかが跳ね、川に入っていった。
手でひさしを作り太陽をあおぐと、暑さで焼かれた世界の夏独特の香りと、うっすらした汗の匂いが鼻を掠める。
時間がとてもゆっくりに感じられる。
なめらかな感覚。
暑さのせいだろうか。
蝉時雨が木霊す山間の川、しかしなぜか静かな気がする。
ざっぱぁんと魔理沙が派手な音を立てて浮上してきて、私はハッとした。
途端に先ほどまでの感覚は夢から覚めるように消えてゆき、いきなり元に戻る。
景色の色も、匂いも、暑さも現実的になる。
いけないいけない、いつのまにやら暑さでぼんやりしていたらしい。
木陰のはずなのだが。
魔理沙は肩で息をしながら「小休止だ、……まだ負けてないからな」と言い訳をして岩に座る私の隣にやってきた。
これで丁度30戦30敗だ。
未だ水の中で狩りを行っている霊夢には聞こえていないようだった。
「咲夜、お前は入らないのか?」
「水着がないもの」
私は水着を着ていない。
元々持っていないし、今回のためだけに人里にわざわざ買いに行くのも面倒である。
なので私は靴を脱いで足に水をかける程度にしていた。
ちなみに魔理沙は霊夢のお古を借りている。
「昔のやつなのにサイズぴったりね。胸とか」などと言われて一戦あったが、長くなりそうなので深く触れないでおく。
「裸になればいいじゃないか。どうせ誰も見てないぜ」
にへらと笑う彼女に他意はないだろう。
だが、私はあまり気乗りしない。
この川は妖怪の山の下流域だ。
つまり、変態パパラッチ系犯罪者として名を馳せる烏天狗たちの縄張りにほど近い。
もし見つかれば【紅魔館のメイド、全裸で巫女と魔女を襲う】なんて記事が夕刊の一面を飾るのは想像に難くない。
「止めとくわ」
「えー、なんでだよ」
「なんでも――きゃっ!?」
突然びしゃりっと川の方向から水が飛んできた。
驚いて見ると河童のごとく水面から半分だけ顔を出した霊夢がいた。
「それでもう濡れても変わんないんじゃない?」
そう言われて指を指された私の服は見事に濡れている。
透けて下着が見えるほどだった。
これは日当たりのいい場所で乾かさないといけないだろう。
そして、この暑さで服を着たまま日当たりのいいところへ行く覚悟はない。
霊夢には珍しい子供のような悪戯に私は内心頬が緩んだが、察してその悪戯に乗ることにした。
「……やったわね」
「おっ、目が本気だぜ」
「咲夜が怒った! 逃げるわよ魔理沙!」
「こらっ、ちょっと待ちなさい!」
それからは三人だけの大乱闘だった。
鼻や耳や口に水が入っても気にしない。
透明な水が二人の白く細い体に当たっては弾け、流れに戻る。
岩場で魔理沙が足を滑らせて川の深いところへ落ちた時は死んだかと思ったが、青ざめた霊夢が流れるように救出したため大事には至らなかった。
普段の霊夢では考えられぬすばやい行動に感心したのは内緒だ。
その後いつのまにか私も夢中になってしまい、疲れてフラフラになるまで水の掛け合いをしてしまった。
楽しくて完全に天狗のことなど失念していた。
きゃっきゃっと笑いながら逃げる二人に水をかけまくるだけなのだが、楽しかった。
ただただ天狗に見つかっていないことを祈る。
+++
「あっ、そーだ」
岩場の影で着替えていると、髪を結びながら魔理沙が呆けた声を出した。
「今晩霊夢と行くつもりなんだが、来るか?」
そして帽子の中を探る。
出てきたのはくちゃくちゃになった紙で、そこにはこう書かれていた。
===================================
【夏祭り開催のお知らせ!】
日時:今日、暗くなってから
場所:命蓮寺
概要:屋台あり、イベントあり、炊き出しあり、弾幕による花火あり。
※以下の方はご遠慮ください。
・ネズミ、猫、弾幕アレルギー
・妖怪恐怖症
・守矢信者
===================================
霊夢が貰ってきたんだ、そう言って魔理沙は笑った。
やけに「炊き出し」の文字が強調された気がする。
「ふぅん、どうしようかしら」
夕焼けに紅く染まる空を見る。
今から帰ればお嬢様が御起床なさる時間とちょうど重なるだろう。
そうすれば、メイド長としての最低限の仕事は出来る。
しかし、今はお嬢様の命令により『夏休み』である。
私は悩んだ。
そして――――
+++
「な、なんだお前らは――」
「貴様ら命蓮寺の刺客だなっ、うぐっ」
「おのれ命蓮寺めぇ!!」
守矢信者の抗議デモの中、霊夢は「たっきだしッ! たっきだしッ!」と嬉しそうに呪詛を吐きながら信者たちをなぎ倒していく。
その姿はもはや巫女ではなく鬼、否、妖怪炊き出しあさり。
まっすぐ前を向く二つの瞳を乗せた表情はこの世のものとは思えぬもので、前に立つ者、そして顔を見てしまった者たちは皆短い悲鳴を残して吹き飛ばされていく。
あまりにその様が不憫で恐ろしいので、私と魔理沙は黙ってその後ろについていくだけとなってしまっていた。
デモの壁を潜り抜けると、そのすぐ先に命蓮寺が見える。
色とりどりの出店が並んでいて、夜だというのに明るかった。
もう祭り自体は始まってるようで軽快で独特なリズムの和太鼓の音が響いている。
見渡すと、本堂のあたりで妖怪の人垣ができていた。
なにかのイベントだろう。
全体的には妖怪の方が多いが、人間も割といる。
少なくとも私たちが周りから浮くようなほどではない。
数がとにかく多く、ぼさっとしているとはぐれてしまうだろう。
というか、既に霊夢がいない。
「あら、霊夢は?」
「炊き出しあさりしにいった」
「そう」
そんな会話をしながら祭りにまぎれていく。
するとしばらくして魔理沙は知り合いらしき河童を見つけ、喋り始めた。
魔法用語らしきものが飛び交うため私はイマイチ会話に入れない。
辺りを周りたくなったので「ちょっと抜けるわね」と言って会話から外れた。
そのままぶらぶらして、何軒かの出店を見て回る。
金魚や型抜きといった定番のものから、この時期には珍しいりんごなどの果物を溶かした砂糖で覆ったものなど様々な店が並ぶ。
どれも妖怪がやっている店で、値段が異様に安いのが印象的だった。
途中で購入したチョコバナナなるものをカジりながら歩いていると、一瞬やたら空が明るくなった。
空を見上げると、大きな花火が上がっていた。
続いてやってくるお腹に響く独特の重い音。
それからパチパチパチと小気味のいい音をさせながら花火は消えていく。
(花火なんて、いつ以来かしら……)
気が付くと私はカジりかけのチョコバナナをそのままに花火を見ていた。
とても綺麗だったためだ。
通常の弾幕とは違いサイズも音も大きい、魔理沙あたりが好みそうだ。
色とりどりの花火は夜の空に打ち出されては咲き、消えて、打ち出されては咲き……。
よくある円形のものから始まったそれは、打ち出されるたびに星型や渦巻型、そしてその名の通り花の形をしたものなど多種多様な絵を夜空に描いていく。
弾幕で文字を書いた技術には私も驚いた。
相当繊細で綿密な作業が必要だからだ。
それは常人には絶対に不可能なレベルだったので、アリスや河童あたりが一枚噛んでいるのかも、と勝手な推測をした。
虹色に光る花火を見たとき、それは私はどこかで似た弾幕を知っている気がした。
「咲夜さーん!」
誰だったか。
人差指を下唇に当てて考えていたら聞き覚えのある声がした。
そちらを向くと恥らいなく手をぶんぶん振る少女が見えた。
「美鈴! あなた仕事は?」
「今日はもういいと言われたのでお祭りにでも来てみよーかな、と」
そういって横に並んだ美鈴の顔が花火の光で一瞬照らされる。
彼女の笑顔そのものが光っているような錯覚に陥る。
その赤い髪が暗がりによく映えた。
外仕事なのに肌は白くて綺麗だ、これも妖怪だからこそだろうか。
「綺麗ですねぇ」
「えっ? ええ、そうね」
ポケーっと口開けて美鈴は空を見上げている。
花火が上がるたびに美鈴の瞳に映りこむのだが、これがなかなかに綺麗だった。
チョコバナナのチョコが垂れているのに気が付くまで、私はそのままでいた。
夜空に本日最大の花火が上がった。
興奮した美鈴が私の腕を引っ張って大はしゃぎする。
いつもなら「子供か」と言ってやるのだが今回は私も乗ってしまった。
お嬢様がいないためか、祭りの雰囲気に当てられたのか。
いずれにしても後あと思い出して恥ずかしくなるのでもうやらないでおこうと思う。
大花火が夜空に消えた。
それを継ぐように小さな花火が沢山上がり続けていく。
未だ興奮冷めやらぬ様子の美鈴が可愛らしくて、ばれないように少し笑う。
きれい……。と美鈴はもう一度呟いた。
+++
花火はすぐに終わった、気がした。
どうやら先ほどの大きな花火からの一連の流れがフィナーレだったらしい。
周りの観客たちはがやがやと、ああ終わった終わった。とか、さて帰るかぁ。とか言いながら帰路についていく。
花火がメインイベントだったようだ。
そう言えばいつのまにか和太鼓の音も聞こえなくなっていた。
潮が引くように、夕暮れが夜に浸食されるように、辺りはどんどん静かになっていく。
心なしか少しばかり暗くなった気がする。
変な寂しさ、正しい表現かは分からないが、満足感のある寂しさが心に生まれた。
「やっと見つけた、どこにいたんだよお前」
適当な言葉を探しているうちに、魔理沙の声がした。
魔理沙が黒いので一瞬どこにいるのかわからなかった。
が、一瞬のあとすぐに見つけることが出来た、もの凄い人数を連れて歩いていたからだ。
霊夢だけでなく色々な妖怪も合流していて、いつの間にか大御所帯となっていたようだった。
そして皆やたらにテンションが高い、たぶん酔っている。
霊夢がなにやら怒ったような顔で近づいてきた。
「ちょっと聞いてよ。炊き出しってなんの炊き出しだったと思う? 鍋よ、激辛鍋! ……なんでよっ、久しぶりに辛いもの以外のゴハンが、……なんでなのよぅ…………」
ぐすりと目尻を拭う霊夢に「まぁまぁスイカ食べてきたんでしょ。いいじゃんさ」とかいって見知った鬼が酒を飲ませようとする。
ぞろぞろと20近い数で酔っ払いが闊歩している様子は、あんまり近づきたいものじゃない。
それに近づいてくると酒臭さが分かるようになってくる。
こっち来るな。
「これから早苗んとこで宴会をやるんだが、お前も来るんだろう?」
「早苗? ああ、守矢神社の」
「今日は慰め会だ」
へらっと笑う魔理沙の後ろでは、見覚えのある緑髪をした巫女が酒瓶をぬいぐるみのごとく抱いて豪快に号泣していた。
その横ではこの寺の住職――白蓮といったか――が必死に慰めている。
「わ、わだしはこれでも頑張ってるんですよぉ! それなのに、それなのに命蓮寺の連中がぁっ!!」
「長い人生そういうこともあるものですよ、ね? 今日は私がいっぱい愚痴を聞いてあげますから」
異様な光景だった。
妖怪からも妖精からも人からも恐れられる博麗の巫女たちがヤケ酒して小さな子供みたいに泣いている。
そしてそれを誰も突っ込まない。
酔っ払いは、げに恐ろしい。
+++
今日は月がよく見える日だと思う。
その証拠に妖精メイドが咲夜の部屋を開けると、窓からきらめくような月光が入ってきていた。
まず私が部屋に入り、ひとつしかない椅子に腰かける。
続いて美鈴が。
そしてめずらしく地下から出てきていたパチェも。
美鈴がベッドにおんぶしていた咲夜を下す。
起こさないよう、ゆっくり、丁寧に。
「珍しいな」
「ええ、疲れちゃったみたいで」
外のテラスでパチェとお茶をしていると美鈴が咲夜を背負って帰ってきた。
聞くと宴会の途中で眠ってしまったという。
普段は私がいるため殆ど飲まないのだが、今日は霊夢たちと同じくらい飲んだらしい。
おそらくそれが原因だろうが、咲夜が人前で寝るなんて珍しいことなので少し驚いた。
きっと美鈴の言う通り、とても疲れていたのだろう。
「休めと言ったのに、……夏休みっていうのは休まない休みなのかしら? パチェに読ませた本の登場人物も遊んでばかりで休んでいなかった」
「変わった休みですね」
「まったくだ」
ため息をつくと同時にパチェが本を閉じて咲夜の顔を覗きこんだ。
「気の抜けた寝顔だわ。レミィみたい」
ぽつりと呟いたパチェの言葉に私はなんだとこんにゃろーとデコピンをお見舞いしてやる。
私はこんなに安心しきった寝顔なんてしてない、はずだ。たぶん。
そしてそれは咲夜も同じである。
いつもこいつは自分を見せない。
ずっとそうだった。
常に一歩下がっているのが従者だからだという。
「いつぶりだろうね、咲夜の寝顔なんて見るのは」
咲夜が紅魔館に来てからの年数を指折り数えようとしたら、手の指じゃ足りないわよ。とパチェの声が聞こえた。
「そんなに前だっけ?」
「とっても前」
「私たちにはつい最近に思えるんですよねぇ」
のんびりした門番の声に同意する。
この中で人間的な時間感覚をもっているのはおそらくパチェくらいだ。
100年と少ししか生きていない彼女は、最も人間の時間に近いはずである。
そう、妖怪と人では時間にズレがある。
両者が感じないようなズレだ。
だからこそ、咲夜には人間の「楽しさ」というやつを感じてほしかった。
館の運営をして、私に奉仕するだけではない何かを体験させたかった。
これはそのための休暇だったのだ。
以前から考えていたことではあったのだが、普通に提案しても咲夜は館が云々と言って断るだろう。
なにか適当な、思いつきのワガママに見える適当な理由を、ずっと探し続けていた。
それならばこいつも付き合ってくれるだろうから。
そして先日、それの発想を得るに至る本を我が友人が見つけてくれた。
結果、ちょっと強引ながらも私たちの企みは成功したようだ。
咲夜は楽しかったろうか。
呟いた声は自分でも笑えるほど細かった。
それに対して、ふふふっとパチェは笑った。
なんかむかつく。
首以外動かせないくらい縛ったうえで、図書館に火をつけてやろうか。
私の心情を知ってか知らずかパチェは無表情に戻り咲夜を指す。
「見ればわかるでしょう」
そう言って彼女はまた本を開いた。
もう喋らないつもりだろう。
私より咲夜をわかっているっぽい雰囲気が私を負けた気分にさせる。
そのうちぜったいなかせてやる。
そのうち、そのうちだ。
今やると咲夜が起きてしまう。
ちらりと咲夜を見る。
「……」
私は咲夜のベッドに片膝を乗せ、その疲れ切った、でも満足げな、楽しみ切った顔に。
「今晩はゆっくり休みなさい、咲夜」
お祭りの後のようなその顔に、そっとキスをした。
おわり
チルノは可哀想すぎてちょっと。
あと、何で命蓮寺が守矢を閉め出したのに、
そのトップの白蓮が早苗を人ごとのように慰めてるんでしょ?
いまいち意味不明でほのぼの出来ませんでした。
一作品として見るにはやや完成度が低いように思えます。
もっとプロット段階から構想を練った方がネタを生かせるでしょう。
今後に期待。
夏休みの話と言うことであちこち走り回る様を書きたいことからの構成でしょうか?
そのような意図があるのなら100をあげたいのですが、今回は別の方の意見もあり迷ってしまったのでこの点数とさせて頂きます。
咲夜さんの夏休みだから視点はすべて咲夜さんに統一するべきだと思った
田舎の夏休みって感じで、面白かったです。
だからこそ共感できるところが多かった。
しかしながら、咲夜さんにとっては非日常で
霊夢や魔理沙たちの知らなかった一面を知るという新鮮さを得た。
だから、幻想郷に入ったような感覚が得られた。
私にとっては申し分なく100点です。