「こんにちは、霊夢。今日も暑いわね」
「いらっしゃい、アリス」
「私もいるぜ」
「昨日ぶりね、魔理沙」
蝉の声を聞きながら、朱塗りの鳥居をくぐる。じりじりと肌を焼く、真夏の陽射し。境内に敷き詰められた玉砂利の白さが目にまぶしい。地上近くによどんだ熱気が、重たく手足にまとわりつく。黙っていても、汗がじわりと浮いてくる。とにかく暑い。溶けてしまう。
霊夢は縁側で、のんびりと団扇を使っていた。連れ立って歩いてくる私とアリスを見つけて、のんきに手を振る。
アリスがよそ行きの笑顔で、和菓子屋さんの紙袋を掲げてみせた。
「霊夢、頼まれていたお人形が出来たから、持ってきたわ。それと、お土産の水羊羹よ」
「わあ、嬉しい!」
霊夢がぴょこんと立ち上がって、紙袋に手を伸ばす。それを見たアリスは、霊夢の手が届かないところへ、ひょいと袋を遠ざけてしまう。頭いっこ分の高さを活用して、アリスはちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
「ねえ霊夢、嬉しいのは私の手作りのお人形?それとも買って来た水羊羹?」
「決まってるじゃない。両方よ」
霊夢は悪びれずに答えて、すいと宙に浮く。高く持ち上げたアリスの両手に、簡単に届いてしまった。
「さあ、座って待ってて。アリスと私の分の水羊羹、切り分けてくるからね」
「……ちょっと待て。魔理沙さんの分はどこ行ったんだよ?」
聞き捨てならない台詞に、私は思わず声を上げる。
霊夢は慌てず騒がず、手のひらを差し出してくる。
「そういう魔理沙のお土産は?」
「ふん、アリスにとっておきの和菓子屋さんを推薦したのは、私だぜ。つまりその水羊羹は、半分私のお土産って寸法だ」
胸を張って言うと、アリスが肩をすくめて、霊夢と顔を見合わせる。
あ、何だよ、その悟ったような表情。
以心伝心なんです、っていう雰囲気。
「まあ、そういう訳だから。魔理沙の分も切ってやって。……うっすく、ね」
「よし、腕によりをかけて薄切りにしてあげるわ。向こう側が透けて見えるくらいにね。記録に挑戦するわよ、腕が鳴るわ」
「霊夢っ、次は食べられるもの持ってくるから、せめて一口分は!」
◇ ◆ ◇
「水羊羹を切る間、お茶の番をお願いね」
そう言って、霊夢は氷出しの緑茶を運んできた。
アリスは珍しそうに、和風の茶器を眺めている。
「氷で淹れる緑茶なんて、初めて飲むわ」
硝子の器の中で、透き通った氷が熱視線に耐え切れず、じわりと溶けた。
溶けた氷は、緑茶の層を通って、翠色に色づいたしずくとなり、器の底に滴る。
ピトン、ピトン。
アリスはじっと耳を澄ます。しばらく耳をそばだてたかと思うと、子どもみたいに無邪気なことを言う。
「……しずくが歌ってる」
「雨だれみたいに?」
「うん、そう。私、雨って好き」
「霧雨も?」
さりげなく尋ねたつもりだったのに。
アリスは横目をちらりとくれた。目があうとパッと視線をそらす。一瞬の沈黙に、ちりん、と風鈴が鳴る。
「……あーあ、今日はほんとに、蒸し暑くて嫌になる。うっとおしい黒のワンピースを見てるせいかしら?」
それじゃあ、アリスの白い頬が、ほのかに色づいているのは、真夏日のせい?
そういう事にしておいて、はぐらかされた話の流れに乗ってやる。
「黒は魔女の正装なんだぜ」
「なるほど、こだわりなのね。でも、魔女の端くれなら、色の原理くらい知ってるでしょ。黒は一番光を吸収する色よ。吸収された光は熱に変わる。本当なら、夏は光をはじく白の方が涼しいのよ。あんたは好き好んで、暑さを招いてるって訳」
どうだ、と得意げにアリスが笑う。
私たちはいつだって、冗談まじりにお互いの揚げ足を取る方法を探している。
でも今日ばかりは、一時休戦したい気分だ。だって暑い。
青い畳にだるい素足を投げ出して、お姉さん風に横座りしたアリスの足をかるく蹴る。
「いいんだよ、好きでやってるんだから。美意識を取るか、実用性を取るか。それなら、私は美意識を貫くぜ」
「ご立派なやせ我慢ね。……にしても、よ。同じ黒でも、もっと風通しのいい素材なら、ましなのに。夏服は、薄く、軽くが基本よ。裏地は極力省く!」
お節介なアリスの指が、黒いワンピースのふくらんだ半そでをつまむ。
そういえば、こいつは細かい手仕事が得意だった。
自分の洋服はおろか、人形たちの小さな服まですべて手作りという、筋金入りだ。
「そういうことなら話が早い。アリスが私に涼しい夏服を作れば、万事解決だぜ」
「はあ、暑くてやる気が起きないわ。気が向いたらね」
「おいおい、夏が終わっちまうぜ」
「そりゃ困ったわね。魔理沙が」
「アリスは?」
「私は暑くないもんね」
ケープを脱いで、袖なしワンピース姿のアリスは、舌を出してみせた。にくったらしい。
「つれない事、言うなよ。だったら魔理沙さんが、暑さをおすそ分けしてやるぜ」
「いらないったら。ちょっと、こっち来ないでよ。くっつくな。こら、暑い、暑いってば!」
私はいまだに、アリスとの関係をなんと名づけるべきか迷ってる。
甘ったるくて、近づくのも遠ざかるのも勿体無いような、くすぐったい距離。
アリスにとって私は何なんだ?お隣さん、友達、ライバル、腐れ縁。どの言葉をあてはめても、しっくり来ない。
なあ、アリス。おまえは私のこと、どう思ってるんだよ。いくら目を凝らしたって、心なんて見えやしない。
◇ ◆ ◇
「お待たせ、二人とも。水羊羹様のおなりですよ~」
笑顔の霊夢がふすまを開く。とたんに顔をしかめて、手のひらで顔をあおいだ。
「何、この部屋。すごく暑いんだけど」
明らかに嫌味だ。部屋の中では、私がアリスを捕まえようとして、逃げられたところだった。
人ん家でいちゃいちゃすんな、と霊夢が目で語る。
私にとっては文句より、待ちかねた水羊羹が、お盆に載って目の前に到着したことの方が大事だった。
電光石火。私はすばやく竹串をかすめとって、一番大きな羊羹に突き刺す。
「いただきっ!」
「あっこら、先に食べるんじゃない!」
とっときの店をすすめた甲斐があって、水羊羹はとても美味しかった。
小豆のあっさりした甘さで、いくらでも口に入る。
保冷の魔法をかけて持ってきたから、羊羹はひんやりと冷えていた。
口に入れると、しつこくない甘味とつるんとした涼味が、すうっと広がる。
ああ、幸せ。
「おかわり!」
「ずるい、私も!……って、あと2つしか無いじゃないの」
「おい霊夢、ちゃんと人数分切れよ」
「魔理沙の分はお情けなの。あとは私とアリスの分。ってことで、おかわりは我慢しなさい」
「嫌だ嫌だ。ひんやり水羊羹を食べなけりゃ、私は暑さで溶けちまう」
「いっそ溶けなさいよ、うるさくないから」
皿の上の羊羹は、あと2つ。
食べ盛りの少女は3人。
ちゃぶ台の上で視線が火花を散らす、と思いきや。
「……私はいいわ。二人とも、食べちゃいなさいよ」
呆れ顔のアリスが、大人の余裕を見せて譲ってくれた。
「さっすがアリス、話のわかるいい女だぜ」
「あんたはちょっと反省しなさい。……悪いわね、アリス」
「いいのよ。甘いものを欲しがるほど、子どもじゃないもの。あんたたち、甘いものごときでよくそんなに騒げるわねえ」
何でもないように言うと、アリスは端正なしぐさでお茶を飲んだ。
すぐ、驚いたように口許を押さえる。
「あ、美味しい。この緑茶、ぜんぜん苦くないのね」
「でしょ?低い温度で淹れるとね、苦味が出ずに甘味や旨味が出てくるの。その代わり、時間かかるけど。ちなみにそのお茶は、一晩氷で冷やしたのよ」
「そんなに。でも、こんなに甘いなら、待った甲斐があるわね。霊夢、お茶淹れるの上手ね」
「褒めても何も出ないわよ、二煎目のお茶以外はね。アリスこそ、紅茶淹れるの上手じゃない」
「ふふ、ありがと。そういえば紅茶でも、水出しアイスティーが作れるのよ。ちょっと香りの強いフレーバードティーが、水出しにすると上品ですっきりした風味になるの。トロピカルフルーツの香りなんて、夏向けかも」
「うう、話聞いてると飲みたくなってきたわ」
「じゃあ今度、作ってあげるわね」
お茶談義に花を咲かせる二人の横で、私は水羊羹を大事に味わっていた。口にものを入れたまま喋るなんてお行儀が悪い、と前に叱られたから。いくら日にあたっても抜けるように白いままの、アリスの横顔を眺める。
アリスにとって、私は霊夢やその他大勢と同じ、友達の一人でしか無いのかな。そんなことを考えると、心のどこかがきしんだ。かけがえのない、特別な誰かだって信じたい。それは、ただの幻想なのかな。
◇ ◆ ◇
雨上がりの夜空を飛ぶのは、気持ちがいい。
水と土の匂い、森の匂い。雲の隙間に輝く星たち。しっとりと濡れた夜風が、金色のくせっ毛をなびかせる。
梢の向こうに、とんがり屋根が見えてきたら、アリスの寝室の窓に目を凝らす。
カーテンごしに、やわらかな明かりが漏れていた。まだ、寝てないみたいだ。よかった。
藍色ににじむ夏の夜空から、流れ星になったつもりで窓辺に降り立つ。
片手には、あまりの暑さにアリスが脱いだまま、神社に忘れたお気に入りのケープ。
「魔女の宅急便が、忘れ物をお届けにあがったぜ」
挨拶がてら、窓をくぐると。
今まさに、口を開けてビスケットを頬ばろうとしていたアリスが固まった。
ナイトテーブルを埋め尽くす、お菓子の数々が目に飛び込む。
冷たい桃のコンポート。ココナッツのビスケット。チョコミントのアイスクリーム。フルーツと生クリームをたっぷり飾ったプディング。赤ワインのグラニテ。ふるふるのオレンジゼリー。ほろ苦いティラミス。
それぞれがつやつやと輝いて、ひんやりと涼しげで、……とても美味しそうだった。
私は腕組みして、所狭しと並ぶ皿をひとしきり見回す。
心なしか冷や汗を浮かべて硬直しているアリスへ向けて、一言。
「太るぞ」
「……うるさい」
アリスはポスン、と枕に顔をうずめてしまう。少女趣味のベッドは、あざやかな色の端切れや、レースの切れ端であふれていた。その中に丸くなるアリスの赤くなった耳が、なんだか小動物みたいで可愛らしい。
さて、ここで問題。
どうしてアリスは、夜中に一人で、食べきれないほどのお菓子に囲まれてるのでしょう?
検証開始。
「アリスって、甘いもの苦手なのかと思ってた」
「……女の子は誰だって、甘いものが好きなんです」
「昼間は水羊羹のおかわり、いりませんって言ったくせに」
「……和菓子は苦手なんです」
「ショーケースの中、熱心にのぞいて何がいいかなって悩んでたくせに?」
「……霊夢に喜んでほしかっただけです」
あくまでも抵抗するアリスに、私は息を吸う。ズバリと切り出す。
「ほんとは、食べたかったんだろ?」
「……何の話?」
「昼間の水羊羹」
「……どうして、そうなるの」
「大人ぶって、水羊羹のおかわりを我慢してみたアリス。しかし霊夢も私も美味しい、美味しいって食べてるの見てると、自分も食べたくなってきた。でも言い出せなかった。……なあアリス、素直になっちゃえば、楽だぜ」
「……黙秘権を行使します」
「ほんとは、甘いものが大好きなんだろ。だから、夜中にこんなにお菓子作って、独り占めしてる」
私は結論する。
「アリスの見栄っ張り」
「うるさいって、言ってるでしょ!」
アリスは跳ね起きて、枕を投げつけてきた。乙女の顔面を狙って飛来した枕を、あやうくキャッチ。アリスのやつ、本気で沈めるつもりで投げたな。枕に詰められたラベンダーのポプリが、甘く香る。あ、アリスの顔、真っ赤。……かっわいい。
「拗ねるなよ。よしよし」
「子ども扱い、しないでよ」
「甘いものが好きなやつって、味覚が子どもなんだぜ」
「うう。子どもに子どもって言われるほど、屈辱は無いわ。なんで、こんなときに限って来るのよ。魔理沙のばか」
駄々をこねるアリスの姿に、ちょっと笑ってしまった。持ってきたケープをかけてやると、頭からすっぽりくるまってしまう。みの虫みたいだ。夜中にこっそりお菓子を食べる場面を見られた。それだけで、ここまで恥ずかしがるなんて。
アリスの理想とする、クールで優雅な都会派魔法使い。それは甘党ではつとまらない、ハードな役らしい。
「夜中に食べると太るぞ?」
「捨虫の魔法を心得る魔法使いには、太るなんて悩みは関係ないのです」
「……何それ、ずるい。いいなあ」
思わず皮肉も忘れて、うらやましがる。
ちょっとは本気で、種族魔法使いを目指してみようか。
ケープの中から、アリスがちょこんと顔を出す。
「……なあに、太るの怖いの?」
「馬鹿言え。夜中にお菓子食べたって、動けばすぐに消化しちゃうぜ」
「夜中に食べたものって、お肉になりやすいのよ。それに、夏は誤魔化しのきかない季節よ。お子さまはただでさえ、手や頬がぷにぷになのに。これ以上、余計なものを増やしたくないのね?」
アリスは意地悪そうに青い瞳をきらめかせ、指先で私の頬をつっつく。少女らしい丸みを帯びた頬が、ふに、と柔らかく沈んだ。ふいを突かれて、私は猫みたいに毛を逆立てて威嚇する。
「おまえ、人が気にしてることを……!」
「ほら、さっさと食べちゃいましょうよ。冷たいのが逃げちゃうわ」
「……うう。私はちょっとでいいぜ」
「だいじょうぶよ。魔理沙は可愛いもの」
仕返しして気が済んだのか、アリスはシャリシャリと氷菓子をくずす。
一口食べて、ん~、歯がキンキンする、と幸せそうに笑った。
適当なこと、言いやがって。
でも、今夜だけは、だまされてあげることにした。
ちょっとだけ、嬉しかったから。可愛い、かあ。アリスの目からみて、私は可愛いのかな。そうだといい。
スプーンを手にとる。色とりどりのデザートが、テーブルからきらきら輝いて、食べてみてよと誘ってくる。
何から食べようかな。初めの一口に迷うのは、楽しい悩みだった。
チョコミントのアイスクリーム。ふるふるのオレンジゼリー。ほろ苦いティラミス。冷たい桃のコンポート。
アリスの手作りお菓子は美味しかった。
……美味しすぎた。
◇ ◆ ◇
「……おかしい。手が止まらない」
見る見るうちに、皿からデザートが消えていく。
どう見つもっても、胃の容量を超えている。
止まらないスプーンに、焦りがつのる。
「……さてはアリス、おまえ隠し味を入れただろ。なんかこう、ヤバイやつ」
半分、言いがかりのつもりだった。それなのに、アリスは目を上げて、意味ありげに笑ってみせる。
「あら、わかった?魔理沙にしては鋭いじゃない」
「ちくしょう、何を入れやがった。駄目だ、これ以上食べるんじゃない。私の右手よ、とまれ」
「ふふふ……油断したわね、魔理沙。あなたは力尽きるまで食べるのをやめられないわ」
「何だ、何を入れたアリスぅ……ああもうお腹いっぱいだ」
「教えてあげる」
そう言って、アリスが選んだのは、生クリームとフルーツでおめかしをした、カスタード・プティングだった。
スプーンですくいあげると、ふるん、と柔らかく揺れた。
「あーん、して?」
にっこり微笑むアリスと、さしだされるお菓子の誘惑。
この組み合わせは、卑怯だな。逆らえないものを感じて、素直に口をあける。
口の中に広がるバニラの風味、卵のまあるい味。
生クリームが体温でとろりと溶けて、噛んだフルーツが、甘酸っぱいアクセントを添える。
アリス手作りのお菓子は、甘くて、ひんやりと冷たくて。とまらない。
得意げに、アリスが片目をつぶってみせた。
「究極の隠し味、その名も愛情よ」
「……やられた。アリスの愛が詰まってるなら、食べざるを得ないじゃないか」
「無理しなくていいのよ、魔理沙。私の愛は、今のあなたには重すぎるわ……」
「うう……愛の試練だぜ」
くだらない冗談を言い合って。
顔を見合わせた後、二人して吹き出した。
「もう。ばーか」
アリスの唇からつむがれる「ばか」は、お菓子よりも甘く響く。
もしかしたら、アリスに優しく叱られたくて、私はふざけてしまうのかもしれない。
「でも、これであんたも共犯よ。夜中にお菓子食べたこと、誰にも内緒にしといてね」
ホッとしたようなアリスの声を聞きながら、口止め料のプディングを味わう。
真夜中の甘いお菓子と、ほんの少しの見栄っ張り。
満腹のお腹を押さえて、涙目になっているアリス。
目があうと、心配そうに小首をかしげた。
「……美味しい?」
かわいいひと。
◇ ◆ ◇
「じゃあ、邪魔したな」
「ほんとに邪魔だったわね」
「文句は聞かない。おやすみ」
楽しい時間は瞬く間にすぎていく。雲の残っていた夜空は、あざやかに晴れ渡っていた。夏の星座を見ながら帰ろう。
「あ、待って」
呼び止められて振り返る。アリスが珍しく言いよどんでいた。
「あの、えーと、突然のお願いで変に思うかもしれないけどね」
「何だよ。単刀直入に言えよ」
「えっとね」
「三秒以内に言わないと聞いてやんない。はい、さん、に、いち」
「ちょっ、ひど、ぎ、ぎゅってして、いい?」
「……はい?」
思わず耳を疑った。何だ、今晩のアリスは。おかしなものでも食べたか?魔法の森のお隣さんって、こんなに可愛い生き物だったっけ。アリスはやぶれかぶれになったみたいで、目をつぶって一気に喋った。
「だから、お別れのハグをしていいかって聞いてるのよ。三秒以内に答えなさい霧雨魔理沙。さん、に、いち」
「う、うん……いいよ」
勢いに押されて、気づいたらうなずいていた。しまった。
アリスは青い瞳を開いた。はにかんで、花が開くみたいに笑った。一瞬、世界が色づくような感覚がした。
腕を広げて、ふわって抱きついてきた。
やわらかい。あったかい。いい匂いがする。アリスそのものがお菓子みたいな、甘い匂い。腕を回して、私をきゅっと抱きしめる。そんなにくっつかれると、困る。ドキドキしてる心臓の音がばれちゃうかも。
「……気をつけて帰るのよ」
そう言って、アリスはすぐ離れた。
ちょっと残念。いや残念って何だよ。気を紛らわすために軽口を叩く。
「何だ、一人がさびしかったのか?おばけが出そうで怖いのか?」
早く早く、いつもみたいに冗談にしてしまわないと。どうしてか焦って、下手な言葉しか出なかった。
アリスは困り顔で答えを濁す。
「そんなんじゃないわ。ただちょっと……」
「ちょっと、何かね?」
追及してやると、アリスは赤くなって、ぷいと顔をそらした。
……あ。これはもしかして。ひょっとして。にぶい私でもさすがに気づく。
アリスって、私のこと好きなんじゃ。
思いついたことに、のどまで出掛かってた言葉が止まる。
ほんとにそうだったら、どうしよう。
嫌じゃないことが、どうしよう。ほんのちょっぴり、嬉しいかもしれない。だってアリスは、なんて可愛い。
ああ、何を考えてるんだろう。自分で自分がわからない。ごちゃごちゃに混線した頭を、とりあえず冷やそうと背をむける。
「……じゃあな」
「待って」
ふんわりと膨らんだ半袖を、ツンと引かれた。
振り返ると、上目遣いの青い瞳にぶつかった。ほんのりとばら色に上気した頬。恥ずかしそうな、囁き声。
「あのね。明日……魔理沙の家に遊びに行ってもいい?」
とくん、と鼓動が大きく跳ねた。
◇ ◆ ◇
散らかり放題だった部屋を、超特急で片付けた。
腕まくりをして、床に積みあがっていた本の山を屋根裏部屋に移した。後はてきとうに、机の引き出しに放り込む。整理しきれなかった場所は、星座を描いた布をかけて、隠してしまう。
荷物をどけてみると、部屋がこんなに広かったのか、と感心した。しばらく見ていなかった床の赤茶けた色と、再会を懐かしむ。それから箒と雑巾をフル活用した。埃をかぶっていた椅子もチェストも、ぴかぴかに磨き上げた。
おかしなところ、無いかな。
何度も何度も確認したくせに、飽きもせずに鏡をのぞく。きちんとアイロンをかけた、真っ白なシャツとエプロン。魔女の正装である、黒のワンピース。くせっ毛の金髪が気になって、三つ編みのリボンを結び直す。
アリス、まだかな。
ちらり、また時計を見る。いつもと同じ午後のはずなのに、秒針の進みがやけに遅いような気がする。
一人でぼんやり座っていると、しぜんと昨日のことが思い出された。
ゆうべは抱きつかれて、今日は家に遊びに来て。
けっこう積極的だな。
遊びに来たいだなんて、何の用事だろう。いや、本当は心のどこかでわかってる。雲の上を歩くみたいに、妙に足元がふわふわするだけ。二人きりの午後。あ、愛の告白、なんてされちゃったりして。
うわあ。
想像するだけでむずがゆい。床のクッションに、ぼすんと顔から倒れこむ。クッションを抱えて、一人で転がりまわった。
ごろごろ転がった拍子に、チェストの角に足の小指をぶつけた。ものすごく痛い。声にならない声を上げて、またひとしきり、転げまわって悶絶する。
……座ってるから変なこと考えるんだ。
立ち上がって、そわそわと部屋の中を歩き回った。しぜんと、窓の方に足が向く。二階の窓から森を眺める。
アリス、もう家を出たかな。
ぽやっと眺めていると、小道の先に、青いワンピースの影が見えた。緑の梢の影から姿を現したアリスは、手に包みを抱えてた。お土産に、お菓子でも持ってきてくれたのかな。まったく、気配り上手なんだから。
頬がへらりと緩むのを、ペチンとひっぱたいて気合を入れる。階段を駆け下りて、ドアにくっつく。ぴっとりと耳をあてた。さあ来い、いざ来い。準備は万端、いつでも来やがれ。抱きしめてやるぜ。
「魔理沙、いる?」
きたっ!
すぐ扉を開けようとして、まあ待てよ、と自分に言い聞かせる。待ってたみたいで、わざとらしいだろ。まあ、待ち伏せしてたんだけど。少しだけ間を置いて、扉を開けた。
とっておきの笑顔をつくる。
「よく来たな、アリス」
「お邪魔します。……わあ、綺麗にしてるのね」
「いつもこんなもんだぜ」
「すぐばれる嘘をつくのはやめなさいよ」
「うーん、お見通しか」
「どれだけ一緒にいると思ってるのよ」
「うん、頑張った。……褒めて?」
「はいはい」
あきれた口調に優しさをにじませて、髪を撫でる手が心地よい。
陽だまりの猫のようにとろんとしてきて、……いかん。しっかりしろ、気持ちを強く持て。
ぷるぷると首を振って我に返ると、アリスが綺麗にラッピングされた包みをさしだした。
「よかったら、これ、魔理沙に」
「おっ、何かな。開けてみていいか?」
「どうぞ」
青いリボンを解くと、ワンピースが現れた。さらさらした手触りの生地は、黒地に白の水玉が散りばめられている。ふくらんだ半そでと、たっぷりとドレープをとった裾に、涼しげに透けるレースがあしらわれている。お姫様みたいなワンピース。
「……私のために作ってくれたのか?」
「もちろん」
簡単そうに言ってのけるアリスに、胸が熱くなった。
私の記憶が確かなら、夏服が欲しいって話をしたのは昨日のはず。
「昨日の今日で?」
「たいしたことじゃないわ」
「アリスは嘘、下手だな。目のふちが赤くなってる」
「何でそんなとこばかりよく気がつくのかしら。見られたくないところばっかり、魔理沙には見られちゃう」
「いいよ。怒ってるのも、恥ずかしがってるのも、嬉しいのも。いろんなアリスの顔、いっぱい見せてくれよ」
それはたぶん、いつも隣にいる人の特権だ。誰かに譲りたくないなあ、と思う。かわいいひと。独り占めしちゃいたい。友達のままでは、無理な願いごと。だから、私は背伸びをする。
「よく頑張りました」
伸ばした手で、頭いっこ分背の高いアリスの頭を、撫でてやる。恥ずかしそうに目を伏せたアリスは、まんざらでも無さそうにじっとしていた。その事に気をよくして、笑いかけてみる。
「ほら、たまには甘やかされるのも、いいもんだろ?」
「……たまには、ね。それよりワンピース、よかったら着てみせてよ」
「いいのか?じゃ、早速着てくる」
なにしろ、アリスの手作りだ。
弾む心を抑えて、部屋の扉をそっと閉めた。鏡の前で、ワンピースを体にあててみる。黒と白、私のイメージカラー。さらさらの黒の生地に、白い泡がソーダみたいに弾けて、水玉模様を描いている。
アリスが私のために、布を選んで、その手で一針ずつ縫ってくれた。思わずワンピースを抱きしめて、くるくる回る。嬉しい、うれしい。ハッと我に返って、思わず周りを見回した。何をやってるんだろう。
でも、これで確信した。他愛無い我がままを聞いて、すぐにワンピースを作ってくれた。たぶん、夜遅くまでかかって仕上げてくれた。愛のなせるわざだな。アリスはきっと、私のことが……。
思わず、ゆるんだ笑みが浮かぶのを止められない。ああ、告白されたらなんて答えようかな。アリスのハートにがつんと来るようなやつがいいな。もっともっと、好きになってほしいから。
でもその前に、早く会いたい。アリスの青い瞳を見て、胸がはちきれそうに嬉しいって、この気持ちを伝えたい。
そそくさと着替えて、扉を開ける。
振り返ったアリスの目は、期待にきらきらと輝いていた。ワンピースの裾を持ち上げて、聞いてみる。
「……どうかな?」
「とっても可愛いわ!」
「……照れるなあ」
「丈は大丈夫かしら。肩や腰周りで、苦しいところ無い?」
「ん、不思議なくらい、ぴったりだぜ」
そこで、おかしなことに気づく。
「……今まで、アリスに服を作ってもらったこと、あったっけ?」
「無いから心配だったの。でもよかった、昨日恥をしのんでお願いして、測らせてもらったおかげね」
あれ?なんだかちょっと、雲行きがあやしくなってきた。
アリスは純粋に嬉しそうにニコニコしてて、そこに恋する少女の恥じらいは見当たらない。
「……いつ、サイズなんか測ったっけ」
「昨日の別れ際、ぎゅって抱きついたときにね。突然ごめんね。びっくりしたでしょ?でも、出来上がるまでどうしても秘密にしたかったから」
……あれかあああ!
昨日、急に抱きついてきたのって、ワンピースを作るために私のサイズを測るのが目的だったのか。
……恥ずかしい。どこでもいいから、今すぐ穴を掘って埋まりたい。ああ、でもここは部屋の中。掘るべき土も、スコップも無い。どこだ、私はどこに埋まればいい。とりあえず心に深い穴を掘った。がけっぷちからダイブ。
心の中で落ち込みの沼にずぶずぶと沈んでいく私も知らず、アリスは浮き浮きと両手を組んで喋っている。
「せっかく夏物のワンピースを作るんだもの。夏が終わっちゃう前に、いっぱい着て欲しくて」
恥ずかしくって、目の前のアリスの顔をまともに見られない。
一人で勘違いして、舞い上がって、ドキドキして。ちくしょう、私のときめきを返せ。
……まあ、私の空回りなんだけどさ。はあ。
結局アリスは、私のこと、何とも思ってない訳か。むなしい。
しゅんと肩を落としてしまった私に、アリスが焦りはじめるのがわかった。
「……あの、やっぱり嬉しくないかしら?」
「嬉しくない訳、無いだろ。せっかくアリスが作ってくれたんだ」
「だって、私が勝手に作っちゃったから。魔理沙は冗談のつもりだったのに、私が本気にして、親切のつもりで押し付けたかなって……ごめんね」
ああ、私のばか。悲しい顔なんて、させたくなかった。私はアリスを、いつだって笑顔にしてやりたかったのに。
体ごとぶつかるように、ぎゅっと抱きついた。また顔を上げたら、いつもみたいに不敵に笑ってみせるから。今だけは、顔を見ないでほしかった。
華奢な体を、腕の中に抱きしめる。はずむ鼓動が聞こえるくらい、温度を上げていく私の熱が移るくらいに。
「魔理沙?どうしたの、急に?」
「アリスへのあふれる感謝の気持ちを、全身で表現しようと思ってな」
「そんなに喜んでくれるなんて、嬉しい。ゆうべ遅くまで頑張って作った甲斐があったわ」
頭をなでなでされた。まるで子ども扱いだ。妹みたいに思われてるのか。
体じゅうの勇気をかき集めて抱きついたのに、なんでだ。私に魅力が足りないのか。
アリスの胸の中で、すん、と鼻をすすりあげて笑った。
……鈍感アリス。
せめて、感謝の気持ちを込めて、かかとを浮かせる。
「ワンピース、ありがと」
女の子はいつだって、とっておきの魔法を隠し持ってる。
頬を寄せて、一瞬だけ、やわらかな感触を味わった。
目を閉じて、開けば。
ほら、あなたは私に恋をする。
「……アリス、大好き」
耳元で囁くと、アリスは目を瞬いて、不思議そうに頬を押さえて。
ポッと赤くなった。
心まで、恋の色で染め上げて。
かわいいひと。
今はこれくらいで、勘弁してやる。
同じくらい赤くなった頬で、にっと笑って、手を離す。
アリスは真っ赤な顔を隠すように、くるりと背中を向けた。
火照った頬をしずめるように手のひらで挟んで、うつむいてしまう。
やりすぎたかな、と思った。でも、いつもみたいに冗談にしてしまうのは嫌だった。
そのとき、アリスが肩越しに振り向いた。
瞳にうっすらと涙を浮かべて、ちょっと怒った顔で私を睨む。
油断してた。
アリスは、夜中に食べる秘密のお菓子の味よりも、甘かった。
「……ばかね。きっと、私の方が魔理沙のこと、好きよ」
甘味は正義!
アリスの家で魔理沙がお菓子を食べる場面や、アリスとの会話とか面白いお話でした。
凄くよかったです。
こんなマリアリ大好きッ!!
誤字報告
>>捨て虫の魔法を心得る魔法使いには
「捨て虫の魔法」の「て」が余計だと思います。
あ、塩昆布お代わりいいですか? ダースで
梅干しじゃ中和しきれない!
これが・・・アリマリか・・・
こう、付き合う前のじれったい感じが大変おいしかったです。
それにしても口から出てくるこの甘い粉は一体何なんでしょうか。
魔理沙とアリスのもどかしさによる甘さがMaxcoffeeを思い出させます。
マリアリ、恐るべし。
今後も大いに期待させて頂きます。
だがその前に輸血を頼む。血が、血が止まらないんだ・・・
・・・鼻から。
……そのまま死んでもいいかもしれない。
ちょっと~誰か塩持ってきて~!
文章の流れが綺麗で、素敵でした。甘くてロマンチック。
ん、あれ?このコーヒーいつの間にこんなに砂糖が?
あんまーいマリアリありがとうございました。
朝から悶えてしまいました。美味しかったです。
作者に敬意と感謝を。100点では足りない。