ぽかぽか陽気な季節が終われば、ギラギラとお日様が輝き始めてくる。
しかしまだお日様の本領発揮はもう少し先。
今はそこへ向かう道中、この国ならではのジメジメじっとりした雨の時期。
充分な水を蓄えてから、どうしようもない暑さを迎えられるように。
そんな風に出来ているとしか思えないくらいに、雨は毎日しとしとと降り続ける。
「……毎日毎日、もぉ……」
紫陽花はとても嬉しそうに雨に打たれていても、この神社の巫女はあまり嬉しくなさそうだった。
霊夢は机に突っ伏して、ジメジメした空気に「ぅ~」と不機嫌そうに唸る。
だが、不機嫌と言っても霊夢をよく知っている白黒魔法使いだとか、赤い館のメイド長だとか、山の神社の緑巫女だとか、あとは冥界のとある庭師だとにしてみれば、こんな不機嫌さはまだまだ全然可愛いものだというに違いない。
限界値を「Lv.5」と定義して数字で表すならば、今は不機嫌度「Lv.1」程度と、本当に可愛いらしい。
「あー。あの雨雲、弾幕で吹っ飛ばないかしら……」
例えこんなことを至極怠そうに、しかし何処となく真面目そうな顔で呟いていても可愛らしいものは可愛らしいものなのである。
何故なら「不機嫌度Lv.2」で八つ当たりで弾幕が誰かれ構わずばら撒かれ、「Lv.3」で弾幕と物理攻撃による八つ当たりが乱舞し、「Lv.4」で「夢想封印」系列のスペルカードが霊夢の気が済むまで無差別かつランダムに放たれるからである。
ちなみに不機嫌度「Lv.5」になると、幻想郷の境界を自ら揺らがせる程度には暴れ回るので、もう誰の手にも負えない。でも手に負えないからといって誰も何もしないのでは幻想郷の死活問題に関わるので、そういう時は風神に土神に、竹林の薬師、亡霊の姫君、とある寺の大魔法使い、それから四季のフラワーマスターに、九尾の狐という豪華メンバーで幻想郷最終防衛ラインを引いて力を合わせてどうにかこうにか切り抜けたりするが、これはまた別の話。
だが性質が悪いのは、この不機嫌度MAX! は、冬のとある時期――具体的にいえば如月の中旬、みながチョコレートやらクッキーやらマシュマロでしっぽり幸せな時間を過ごす頃――に『不機嫌の原因』自体が解消されない限りは絶対的に発動するということである。
なので、みなその日に向けて本命やら義理やらに渡す愛を詰めた素敵な贈り物を創作する傍ら、巫女の不機嫌を解消しようと奔走するという忙しい時を過ごしている。
のだが、巫女はそんなこと知らないので、やっぱり八つ当たりしまくるというのが迷惑極まりない冬の恒例行事となっている。
「と、まぁ。憂鬱な冬の話なんか置いとくんだZE☆」
せっかく懇切丁寧に冬の憂鬱話をしていたところへ、魔理沙は箱でも投げ捨てるジェスチャーをしながら神社に入ってくる。
トレードマークの白黒な衣服の上に羽織った合羽をテキトーな所へ干し、だれいむの隣に腰を下ろした。
「何勝手に入ってきてんのよ」
「不法侵入は私の得意分野だ」
「不法侵入すんなっつってんのよ、バカ白黒」
「残念ながらこのモノクロカラーは悪くなぎゃぁあぁ!?」
屁理屈を捏ねながらお膳の上に用意されたお煎餅に魔理沙が手を伸ばした瞬間。
魔理沙の無邪気な光を灯した両目へと指を突っ込む霊夢。
所謂目潰しというやつだが、人間に対してそれ本気でやったらいけない。真面目に失明する。
魔理沙は目を押さえて「みぎゃぁあぁあぁ目がぁあぁ目がぁああぁぁぁ!!」と悶え転がる。
だが霊夢は全く興味も同情も無いらしく「あー、ジメジメしてウザい」と呟いて、シケりつつあるお煎餅へと手を伸ばした。
何度も言うが、今の霊夢の不機嫌さはこれでもまだ可愛いものなのである。
春と夏の境界
「ぐぉおぉ……目潰しとか人間にやっていいもんじゃないだろぉ……」
「あー、ゴメン。つい」
「ついで失明させる気か!!」
目から涙を零しながら叫ぶ魔理沙。
案の定眼球が真っ赤になっているが、それを見ても霊夢はじめじめする空気に怠そうにしながら素っ気無く返事を返すだけ。
魔理沙は「痛いよぉー。アリスぅ~」とえぐえぐ呻いているが、残念ながらどっかの人形師は自宅で上海達と優雅に呑気に午後のティータイム中なので、こんな湿気過多な神社にいる筈もない。
「うっさいわねぇ。失明ごときで」
「ごときっておまっ! 失明とか死活問題だろ!?」
「視力は命に直接的には関わらないでしょ」
「日常生活では超重要だろーが!」
わーぎゃー騒ぐ霧雨氏に、霊夢は変わらぬ「あー、梅雨ウザい」的な態度で返す。
まったくもって謝る気も反省する気もゼロである。
「そうよ。視覚はとても大切な五感の一つよ」
そんな霊夢と魔理沙の間の空間に亀裂が入り、声が一つ。それは亀裂といっても罅割れたような歪なものではなく、ペンですっと線を描いたような裂け目。
線が膨らみを帯び、広がるとぽっかりと空いた空間となる。そこから顔を出した妖怪に、霊夢の頬がほんの少しだけ綻んだように見えた。
「まぁ、人間は少し視覚に頼り過ぎている節があるけど」
妖怪はそう付け足してから「ごきげんよう?」と二人に微笑んだ。
こんなにジメジメしているというのに、いつもと変わらずふわっとした金の長い髪を背に流し、深すぎて底の見えない紫紺色の瞳。大陸風の導師服みたいな衣服を纏った、胡散臭い妖怪。
そんな妖怪に、霊夢は無意識の内に緩んでいた頬にはっと気付いて、わざとさっきよりもぶすっとした不機嫌顔を作った。
「ウザい奴が増えたわ」
「ふふ。酷い言い様ね?」
そんな霊夢の心情を知ってか知らずか、もしくは知らないフリをしているのか。
スキマ妖怪――紫は小さく笑って悠然と言葉を返した。
「ゆかりぃー。霊夢のバカが酷いんだぜぇ」
「酷いわねぇ。目潰しなんて大半は悪役がやる技でしょうに」
「ほんとだぜ。私は脇役であって悪役じゃないんだぜ」
目を赤くして訴える魔理沙の頭を、紫は幼い子供にするようによしよしと撫でる。
その瞬間、霊夢がむっと眉間に若干の皺を寄せたような気がしたが、きっと気のせいである。
「ほら、そんなに泣かないの」
桜色の爪で飾られた形の良い紫の指が、魔理沙の頬を撫でて涙を拭う。
霊夢の眉間の皺が若干深くなったような気がしたが、恐らく気のせいである。
紫は魔理沙の目許を手の平で覆って、茶目っ気たっぷりに「いたいのいたいのとんでいけー」と言いながら優しく撫でた。
そんな言葉で痛いのが本当に何処かへ行ってしまったら誰も苦労はしない。だがこの妖怪は、境界を操る不可思議で胡散臭い妖怪で。
「どっか行ったんだぜ☆」
紫が手をどけると、ぼろぼろ零れていた涙はピタッと止まっていて、魔理沙はにかっと笑っていた。
「泣いてたら空気中の湿度が上がって、何処かの神社の巫女様の機嫌がもっと悪くなるものねぇ」
「あー、そりゃ困るな。メチャクチャ困るな」
また魔理沙の頭をよしよしと撫でる紫の手。
霊夢の眉間の皺がもう誤魔化しようも無いくらいに深くなっていたが、多分気のせいである。きっときっと気のせいである。……気のせいだったらいいな。
「……なんだか貴女、髪の毛ムチャクチャね?」
「おう?」
魔理沙のふわふわの髪を撫でながら、紫がふと小首を傾げる。
天然パーマ100%な魔理沙の濃い金の髪は、湿気とさっき転がり回ったのとで、うねうねしてグチャグチャしてぼさぼさしていた。
「仕方ないだろ。天パーだからこの時期は大変なんだ」
「私もてんぱーだけど?」
紫の「これ別に巻いてないのよ?」告白に、魔理沙は「マジか!?」と目を見開いた。
霊夢はその裏でこっそりと「私は知ってたもん」と呟いていたが、二人には聞こえなかったらしい。
天然パーマ同士で変な友情が芽生えたのか、魔理沙は嬉々として「この時期は面倒だよなぁ~」と話し始めた。
「朝起きるとグチャグチャしてるんだよなぁ。しかも超うねって纏まらないしさー」
「貴女の髪はくるくるふわふわしているものねぇ。そこが可愛いけれど」
紫は微笑みながら、その「くるくるふわふわ」の乱れた髪に手櫛を通す。
いい子いい子と撫でつけるように梳かれて、魔理沙は少し擽ったそうな表情をした。
「この長さだからそれで済んでるけど、小さい頃は凄かったんだぜ?」
「あれでしょ? 短いと髪が持ち上がっちゃって爆発したみたいになっちゃうっていうか」
「そうそう! スーパーサ●ヤ人もビックリだぜ」
あははと笑う魔理沙の言葉に、紫は苦笑を返す。
女の子同士……あれ? いや、間違ってないよ。女の子同士だよ! なのだから、髪の毛について盛り上がるのは当然のこと、
でも残念ながら、若干剛毛染みていて物凄い勢いで直毛な霊夢には、全く理解できない話題で。
だから霊夢は口を挟みたくても出来なくて。むっとしたまま口を尖らせて、シケり掛けの煎餅をもぎもぎと食む。
紫の形の良い指先は魔理沙の髪の中に未だ埋まっていて、相変わらず優しげな手付きで乱れたくるくるふわふわの髪を梳いて。
だから余計に霊夢は面白くなかった。
「シャンプーとか何使っているの?」
「普通に昔ながらのメリットさんだぜ」
「まぁ、そんなことだろうと思ったけれど……もっと髪質にあったシャンプーとリンスを使わないダメよ? お風呂上がりだってトリートメントしてないでしょ?」
「失礼な。トリートメントくらいしてるんだぜ」
「ちゃんと乾かして寝てるの?」
「……最近は暑いから自然乾燥に任せっきりだ」
「くすくす。じゃあ今日からまたドライヤーを使いなさい」
「だってー。あっついだろー。面倒じゃんかー」
「でも天然パーマは特に乾かしてあげないと……朝とかだって直すのだけで一時間くらいかかるんじゃない?」
「ぐっ、まぁ……」
「ちゃんと乾かして寝るだけでも全然違うのよ。シャンプーもリンスも……コンディショナーもトリートメントも貴女に合ったものをあがるから、ちゃんとケアしてあげなさい?」
「むむっ。……私の髪、痛んでるか?」
「毛先がちょっとねぇ」
「ぐぐっ……」
「何処かの人形師に呆れられちゃっても知らないわよ?」
「っ! ぅぅ……」
人形師の単語が決めてになったか。魔理沙はしょんぼりと肩を落として「ちゃんとケアする」と小さく頷いた。
紫が撫で続けていた魔理沙の髪は、さっきとは随分と違っていて、まるでブラッシング後の犬みたいに整っていた。
霊夢は自分の髪をちょこっと摘まんで、拗ねた眼差しで二人を見る。
天然パーマ故の苦労と、この梅雨という時期の関連性。
どれもこれも自分には関係なくて、紫が魔理沙ばっかり構っていて。 シケりかけた煎餅も、冷めたお茶も美味しくなくて。
どうしようもなく面白くなくて、気分は下降するばかり。
悲しくなってきたような気がしたけれど、拗ねることで誤魔化して。そんな子供っぽい自分はイライラした不機嫌顔で隠した。
紫は魔理沙の素直な態度にコロコロと笑い、撫でていた頭から漸く手を離してスキマの中へと入れた。
さっきいっていたお勧めの品でも取り出すんだろう。
そう思って、
「お茶淹れてくる」
霊夢はむすっとしながら立ち上がって台所へ向かった。
しかしまだお日様の本領発揮はもう少し先。
今はそこへ向かう道中、この国ならではのジメジメじっとりした雨の時期。
充分な水を蓄えてから、どうしようもない暑さを迎えられるように。
そんな風に出来ているとしか思えないくらいに、雨は毎日しとしとと降り続ける。
「……毎日毎日、もぉ……」
紫陽花はとても嬉しそうに雨に打たれていても、この神社の巫女はあまり嬉しくなさそうだった。
霊夢は机に突っ伏して、ジメジメした空気に「ぅ~」と不機嫌そうに唸る。
だが、不機嫌と言っても霊夢をよく知っている白黒魔法使いだとか、赤い館のメイド長だとか、山の神社の緑巫女だとか、あとは冥界のとある庭師だとにしてみれば、こんな不機嫌さはまだまだ全然可愛いものだというに違いない。
限界値を「Lv.5」と定義して数字で表すならば、今は不機嫌度「Lv.1」程度と、本当に可愛いらしい。
「あー。あの雨雲、弾幕で吹っ飛ばないかしら……」
例えこんなことを至極怠そうに、しかし何処となく真面目そうな顔で呟いていても可愛らしいものは可愛らしいものなのである。
何故なら「不機嫌度Lv.2」で八つ当たりで弾幕が誰かれ構わずばら撒かれ、「Lv.3」で弾幕と物理攻撃による八つ当たりが乱舞し、「Lv.4」で「夢想封印」系列のスペルカードが霊夢の気が済むまで無差別かつランダムに放たれるからである。
ちなみに不機嫌度「Lv.5」になると、幻想郷の境界を自ら揺らがせる程度には暴れ回るので、もう誰の手にも負えない。でも手に負えないからといって誰も何もしないのでは幻想郷の死活問題に関わるので、そういう時は風神に土神に、竹林の薬師、亡霊の姫君、とある寺の大魔法使い、それから四季のフラワーマスターに、九尾の狐という豪華メンバーで幻想郷最終防衛ラインを引いて力を合わせてどうにかこうにか切り抜けたりするが、これはまた別の話。
だが性質が悪いのは、この不機嫌度MAX! は、冬のとある時期――具体的にいえば如月の中旬、みながチョコレートやらクッキーやらマシュマロでしっぽり幸せな時間を過ごす頃――に『不機嫌の原因』自体が解消されない限りは絶対的に発動するということである。
なので、みなその日に向けて本命やら義理やらに渡す愛を詰めた素敵な贈り物を創作する傍ら、巫女の不機嫌を解消しようと奔走するという忙しい時を過ごしている。
のだが、巫女はそんなこと知らないので、やっぱり八つ当たりしまくるというのが迷惑極まりない冬の恒例行事となっている。
「と、まぁ。憂鬱な冬の話なんか置いとくんだZE☆」
せっかく懇切丁寧に冬の憂鬱話をしていたところへ、魔理沙は箱でも投げ捨てるジェスチャーをしながら神社に入ってくる。
トレードマークの白黒な衣服の上に羽織った合羽をテキトーな所へ干し、だれいむの隣に腰を下ろした。
「何勝手に入ってきてんのよ」
「不法侵入は私の得意分野だ」
「不法侵入すんなっつってんのよ、バカ白黒」
「残念ながらこのモノクロカラーは悪くなぎゃぁあぁ!?」
屁理屈を捏ねながらお膳の上に用意されたお煎餅に魔理沙が手を伸ばした瞬間。
魔理沙の無邪気な光を灯した両目へと指を突っ込む霊夢。
所謂目潰しというやつだが、人間に対してそれ本気でやったらいけない。真面目に失明する。
魔理沙は目を押さえて「みぎゃぁあぁあぁ目がぁあぁ目がぁああぁぁぁ!!」と悶え転がる。
だが霊夢は全く興味も同情も無いらしく「あー、ジメジメしてウザい」と呟いて、シケりつつあるお煎餅へと手を伸ばした。
何度も言うが、今の霊夢の不機嫌さはこれでもまだ可愛いものなのである。
春と夏の境界
「ぐぉおぉ……目潰しとか人間にやっていいもんじゃないだろぉ……」
「あー、ゴメン。つい」
「ついで失明させる気か!!」
目から涙を零しながら叫ぶ魔理沙。
案の定眼球が真っ赤になっているが、それを見ても霊夢はじめじめする空気に怠そうにしながら素っ気無く返事を返すだけ。
魔理沙は「痛いよぉー。アリスぅ~」とえぐえぐ呻いているが、残念ながらどっかの人形師は自宅で上海達と優雅に呑気に午後のティータイム中なので、こんな湿気過多な神社にいる筈もない。
「うっさいわねぇ。失明ごときで」
「ごときっておまっ! 失明とか死活問題だろ!?」
「視力は命に直接的には関わらないでしょ」
「日常生活では超重要だろーが!」
わーぎゃー騒ぐ霧雨氏に、霊夢は変わらぬ「あー、梅雨ウザい」的な態度で返す。
まったくもって謝る気も反省する気もゼロである。
「そうよ。視覚はとても大切な五感の一つよ」
そんな霊夢と魔理沙の間の空間に亀裂が入り、声が一つ。それは亀裂といっても罅割れたような歪なものではなく、ペンですっと線を描いたような裂け目。
線が膨らみを帯び、広がるとぽっかりと空いた空間となる。そこから顔を出した妖怪に、霊夢の頬がほんの少しだけ綻んだように見えた。
「まぁ、人間は少し視覚に頼り過ぎている節があるけど」
妖怪はそう付け足してから「ごきげんよう?」と二人に微笑んだ。
こんなにジメジメしているというのに、いつもと変わらずふわっとした金の長い髪を背に流し、深すぎて底の見えない紫紺色の瞳。大陸風の導師服みたいな衣服を纏った、胡散臭い妖怪。
そんな妖怪に、霊夢は無意識の内に緩んでいた頬にはっと気付いて、わざとさっきよりもぶすっとした不機嫌顔を作った。
「ウザい奴が増えたわ」
「ふふ。酷い言い様ね?」
そんな霊夢の心情を知ってか知らずか、もしくは知らないフリをしているのか。
スキマ妖怪――紫は小さく笑って悠然と言葉を返した。
「ゆかりぃー。霊夢のバカが酷いんだぜぇ」
「酷いわねぇ。目潰しなんて大半は悪役がやる技でしょうに」
「ほんとだぜ。私は脇役であって悪役じゃないんだぜ」
目を赤くして訴える魔理沙の頭を、紫は幼い子供にするようによしよしと撫でる。
その瞬間、霊夢がむっと眉間に若干の皺を寄せたような気がしたが、きっと気のせいである。
「ほら、そんなに泣かないの」
桜色の爪で飾られた形の良い紫の指が、魔理沙の頬を撫でて涙を拭う。
霊夢の眉間の皺が若干深くなったような気がしたが、恐らく気のせいである。
紫は魔理沙の目許を手の平で覆って、茶目っ気たっぷりに「いたいのいたいのとんでいけー」と言いながら優しく撫でた。
そんな言葉で痛いのが本当に何処かへ行ってしまったら誰も苦労はしない。だがこの妖怪は、境界を操る不可思議で胡散臭い妖怪で。
「どっか行ったんだぜ☆」
紫が手をどけると、ぼろぼろ零れていた涙はピタッと止まっていて、魔理沙はにかっと笑っていた。
「泣いてたら空気中の湿度が上がって、何処かの神社の巫女様の機嫌がもっと悪くなるものねぇ」
「あー、そりゃ困るな。メチャクチャ困るな」
また魔理沙の頭をよしよしと撫でる紫の手。
霊夢の眉間の皺がもう誤魔化しようも無いくらいに深くなっていたが、多分気のせいである。きっときっと気のせいである。……気のせいだったらいいな。
「……なんだか貴女、髪の毛ムチャクチャね?」
「おう?」
魔理沙のふわふわの髪を撫でながら、紫がふと小首を傾げる。
天然パーマ100%な魔理沙の濃い金の髪は、湿気とさっき転がり回ったのとで、うねうねしてグチャグチャしてぼさぼさしていた。
「仕方ないだろ。天パーだからこの時期は大変なんだ」
「私もてんぱーだけど?」
紫の「これ別に巻いてないのよ?」告白に、魔理沙は「マジか!?」と目を見開いた。
霊夢はその裏でこっそりと「私は知ってたもん」と呟いていたが、二人には聞こえなかったらしい。
天然パーマ同士で変な友情が芽生えたのか、魔理沙は嬉々として「この時期は面倒だよなぁ~」と話し始めた。
「朝起きるとグチャグチャしてるんだよなぁ。しかも超うねって纏まらないしさー」
「貴女の髪はくるくるふわふわしているものねぇ。そこが可愛いけれど」
紫は微笑みながら、その「くるくるふわふわ」の乱れた髪に手櫛を通す。
いい子いい子と撫でつけるように梳かれて、魔理沙は少し擽ったそうな表情をした。
「この長さだからそれで済んでるけど、小さい頃は凄かったんだぜ?」
「あれでしょ? 短いと髪が持ち上がっちゃって爆発したみたいになっちゃうっていうか」
「そうそう! スーパーサ●ヤ人もビックリだぜ」
あははと笑う魔理沙の言葉に、紫は苦笑を返す。
女の子同士……あれ? いや、間違ってないよ。女の子同士だよ! なのだから、髪の毛について盛り上がるのは当然のこと、
でも残念ながら、若干剛毛染みていて物凄い勢いで直毛な霊夢には、全く理解できない話題で。
だから霊夢は口を挟みたくても出来なくて。むっとしたまま口を尖らせて、シケり掛けの煎餅をもぎもぎと食む。
紫の形の良い指先は魔理沙の髪の中に未だ埋まっていて、相変わらず優しげな手付きで乱れたくるくるふわふわの髪を梳いて。
だから余計に霊夢は面白くなかった。
「シャンプーとか何使っているの?」
「普通に昔ながらのメリットさんだぜ」
「まぁ、そんなことだろうと思ったけれど……もっと髪質にあったシャンプーとリンスを使わないダメよ? お風呂上がりだってトリートメントしてないでしょ?」
「失礼な。トリートメントくらいしてるんだぜ」
「ちゃんと乾かして寝てるの?」
「……最近は暑いから自然乾燥に任せっきりだ」
「くすくす。じゃあ今日からまたドライヤーを使いなさい」
「だってー。あっついだろー。面倒じゃんかー」
「でも天然パーマは特に乾かしてあげないと……朝とかだって直すのだけで一時間くらいかかるんじゃない?」
「ぐっ、まぁ……」
「ちゃんと乾かして寝るだけでも全然違うのよ。シャンプーもリンスも……コンディショナーもトリートメントも貴女に合ったものをあがるから、ちゃんとケアしてあげなさい?」
「むむっ。……私の髪、痛んでるか?」
「毛先がちょっとねぇ」
「ぐぐっ……」
「何処かの人形師に呆れられちゃっても知らないわよ?」
「っ! ぅぅ……」
人形師の単語が決めてになったか。魔理沙はしょんぼりと肩を落として「ちゃんとケアする」と小さく頷いた。
紫が撫で続けていた魔理沙の髪は、さっきとは随分と違っていて、まるでブラッシング後の犬みたいに整っていた。
霊夢は自分の髪をちょこっと摘まんで、拗ねた眼差しで二人を見る。
天然パーマ故の苦労と、この梅雨という時期の関連性。
どれもこれも自分には関係なくて、紫が魔理沙ばっかり構っていて。 シケりかけた煎餅も、冷めたお茶も美味しくなくて。
どうしようもなく面白くなくて、気分は下降するばかり。
悲しくなってきたような気がしたけれど、拗ねることで誤魔化して。そんな子供っぽい自分はイライラした不機嫌顔で隠した。
紫は魔理沙の素直な態度にコロコロと笑い、撫でていた頭から漸く手を離してスキマの中へと入れた。
さっきいっていたお勧めの品でも取り出すんだろう。
そう思って、
「お茶淹れてくる」
霊夢はむすっとしながら立ち上がって台所へ向かった。