ふと、目を開けると。
夜空があって、星があって、月があって。薄桃色の花びらがはらはらと降っている。
いろんなものがぐるぐるしてる。
まるで自分を中心に回っているように見えた。
「…ぐるぐるまわってるぜ」
「回ってんのは魔理沙の頭でしょ」
「あー…?」
つい、と視線だけを声のする方へと向ける。
「…れいむ?」
するとそこには見慣れた顔。
片手にお猪口を持ちながら、溜息混じりの呆れた顔で魔理沙を見下ろしていた。
「アンタ、飲みすぎよ。最初からとばして鬼共と飲み比べするなんて馬鹿にも程があるわ」
「だって、せっかくのはなみじゃないか」
「確かに今年は桜が遅咲きだったし、浮かれる気持ちも分からないでもないけど」
頭上から声がすると思ったら霊夢の膝の上に頭を乗せられて介抱されているのに気がついた。
今年の桜は咲くのが例年に比べて遅かった。
異変などではないらしいが、春告精の出現が遅かったことが関係しているのだろう。
ようやく桜の蕾が開花し咲き乱れる頃には、花見を口実にした宴会を今か今かと待ちわびていた連中が神社へと集まり。
お陰で今宵の花見はやれ目出度い、やれ飲めやの大騒ぎとなった。
魔理沙も騒ぎに乗っかって天狗や鬼と一緒になって飲めや飲めやの飲み比べ。
底なしの妖怪達と酒を浴びるように飲んだ結果は言わずもがな、意識が遠のいてそのままばたり。
他の奴らは倒れた魔理沙の事など気にも留めずに相変わらず酒を煽っている。
薄情なのは酒の所為か妖怪だからか。まぁ、両方だろう。
「…どれくらいたおれてた?」
「大体一時間くらいじゃないかな。時間を見たわけじゃないから確証はないけど」
「けっこう、ねてたのか」
「目が覚めたならさっさとどいてよね。長い事膝枕してるのって疲れるんだから」
「えー、いいじゃないかよぅ、もうすこしこのままでもさぁ」
「私は嫌」
ぴしゃりと魔理沙の要求を拒否する。
そりゃあ一時間も膝枕をしてたら疲れるし身体も凝るに決まっている。
けれど魔理沙は霊夢の膝から退く様子は微塵も見せず、むしろ膝にぎゅうとしがみついた。
「いごこちがいいんだよぅ」
「あーもう、離しなさいってば」
ぐいぐい。
すりすり。
霊夢が頭を押しのけようとすれば魔理沙は退くまいと頭を押し付ける。
一進一退の攻防。
ぐいぐい。
すりすり。
「……」
「…んぅ」
寝ている癖に結構な力でしがみついて離さない。
一瞬、おんぶされて寝てしまった子供が下ろそうとしても首っ丈を離そうとしない図が霊夢の脳裏をよぎった。
駄々っ子には勝てない、と誰かが言っていたような気がした。
なんにせよ酒と眠気で甘えん坊になっている魔理沙に何を言っても無駄なようだ。
「…はぁ、もう分かったわよ。アンタが寝付くまではこうしててあげるから、さっさと寝てよね」
「それでいいんだぜー」
「ちなみに涎とか垂らしたら容赦なくはっ倒すから」
「おー………じゅる」
言った傍から不穏な音がした。
予告通りはっ倒してやるべきだろうか。
「おい、こら」
「…ぐぅ」
思わず額を軽く小突いたが、少し身を捩る程度で特に反応は返ってこなかった。
さっさと寝ろと言った手前、起きろとも言えない。
膝の辺りが湿った感じがするなんてことはなく、あの不穏な音は未遂だったのだろう。
「…まったく、世話の焼ける奴ねぇ」
顔にかかった髪を避けるように魔理沙の頭を撫でる。
あどけない顔で無防備に寝ている魔理沙を見たのは割と久しい気がする。
こうしてみると年相応の少女で、眠っている姿は可憐に見えなくもない。多分。
魔理沙とは良くも悪くもそれなりに長い付き合いがあるけれど、だからといって深い部分まで干渉したり馴れ合ったりはしなかった。
だから余計に、珍しいと思ってしまう。
あの魔理沙が幼子の様に甘えるなんて予想だにしていなかった。
舌っ足らずのような間延びしたような独特の口調は、いろいろ困る。というか、参る。
どうしていいのか分からない。子供の相手なんてした事ないし。
お陰でうまく対処出来ずに膝枕の継続を許容してしまった訳で。
これが酒と眠気の成せる業なのかと魔理沙の頭を軽く撫でながら霊夢はひとりごちた。
「まぁ、たまにはいいか」
くい、と御猪口を傾けて中の酒を全て飲み干す。
いつもは騒がしい友人の可愛らしい一面が見れた事だし。
しばしの間、魔理沙の寝顔を肴に酒を飲む。見るだけではつまらないので指で頬を突いてみたり。
ぷに、ぷに。
「ちょっと、私より頬っぺたが柔らかいってどういう事よ」
頬の柔らかさに嫉妬した。
ムシャクシャしたのでもっと突いてやった。
むに、むに。
ぷに、ぷに。
「…なんか、意外と癖になりそう…かも」
自分の中にふつふつと沸き起こるこの衝動。
目覚めてはいけないものに目覚めそうだった。
◆
「んぅ……うー…?」
「お目覚め?」
魔理沙の意識が再び覚醒した時、頭上から響く声は霊夢のものではなかった。
それを確かめようと視線を声のする方へと向ける。
「ぅ…?さくや…?」
「お早う。時間帯としてはまだ夜だから『今晩は』になるのかしら」
「れいむは…?」
寝起きの頭で真っ先に気になったのは霊夢の不在。
寝る前までは霊夢だったのに起きたら咲夜にすり替わっていた事が不思議のようだ。
眠たそうにぐしぐしと目を擦る魔理沙は幼子のようだと咲夜は思う。
「巫女の膝枕の方が良かった?残念だけど霊夢なら向こうでお嬢様の相手をしているわ」
別に不思議でも何でもなく、魔理沙を起こさないよう霊夢と咲夜が交代しただけの事である。
主であるレミリアが酔って霊夢に絡んできたので「魔理沙が起きてぐずられたら面倒だから」と膝枕役をバトンタッチ。
もとい、押し付けられた。押し付けられたといっても別に嫌な訳でもなかったけれど。
交代する時に霊夢のスカートを掴んで離さない魔理沙を引き剥がすのに苦労したのは余談である。
その際、霊夢が名残惜しそうに魔理沙の頬を見つめていたのは余談中の余談である。
「ん…そうか」
「ちょっと、また寝るの?」
「ねても、ねたりないぜ…」
咲夜の膝枕で眠る幼子こと魔理沙は霊夢の所在を聞いただけで再び夢の世界へ飛び立とうとしていた。
もっとぐずるかと思っていたが、別に霊夢の膝枕に拘っているわけではないらしい。
「まぁ、寝るのは構わないけど。膝枕は霊夢の方がいいんじゃなくて?」
「んー…、さくやのひざまくらも、すきだ」
「あー、分かったから膝を撫でるのはやめて。なんか手つきがやらしいわ」
そっと魔理沙の手を払いのける。撫でる場所が膝から太股に侵攻していた。
こちらはスカートで生足だ。それ以上の侵入は許してはいけないと行く手を阻む。
「だから、このままがいいんだぜ…。んぅ…」
払いのけた手はそのまま咲夜の腰に回され、お腹に顔を埋める形で収まった。
お腹にかかる少しの圧迫感と温もり。それに聞こえてくる寝息。
その体勢は寝にくくないんだろうか。じゃなくて。
「待って、待ちなさい。その体勢は色々問題があるから」
「やだ」
ぎうーと腰を抱く力を強めて、離そうとする咲夜を拒む。寝ていながらどこにそんな力があるのか。
離そうとすればする程、お腹に顔をぐりぐりと押し付けてくるので悪循環だ。
本気を出せば時間を止めるなりなんなりして引き離すことは可能だけれど。
それはそれで勿体無い気がする。
こんな珍しい状態の魔理沙なんて滅多に見られないだろうし、これを機に愛でてあげればいいじゃない、と心の中で悪魔が囁く。
心の中の悪魔は主と同じ顔だった。ならば主の言うことに従うのは従者として当たり前。
咲夜は己の理性を躊躇いなく叩き潰した。
…ぷに。
「…んぅ」
「これは…」
やばい。何この感触。
遠目で霊夢が魔理沙に膝枕をしているのは見ていたが、一心不乱に魔理沙の頬を突いていた理由がようやく分かった気がした。
ふっくらしてそうな見た目につるつるとした肌、触ればマシュマロのように柔らかい。
しかも張りがあって弾力があって。且つ瑞々しさも兼ね備えている。最強ではないか。
ぷに、ぷに、ぷに。
「くぅ…、ん」
いやいやと鬱陶しそうに首を捻る。腕はしっかりと腰に回されたままなので必然的に顔をお腹を押し付けるような状態に。
仕草の一つ一つが殺傷能力を持って咲夜の心をじわじわと追い詰めていく。
堪らずもう一度、とそっと指を近づけると、
はむ。
「…えっ?」
気付いた時には指を咥えられ。時が止まった。
ような気がした。
「………はっ」
余りの衝撃に意識を失う寸前だった。
軽く辺りを見回してから胸に手を当て軽く深呼吸。
顔の火照りといつもの三倍速で動く心臓からかなり動揺しているようだと咲夜は自身の状態を軽く分析する。
「これは、やばいわね…」
「んむ…」
なにこれかわいい。ちうちうと指を吸ってくるこの生き物は一体何なんだ。
目の前の無防備な生き物は、不動である主への忠誠心が一瞬崩壊しかける位の強烈な一撃を咲夜に食らわせたのだった。
◆
…へくちっ。
可愛らしいくしゃみが木霊する。
桜が咲くくらい暖かくなってきたとはいえ、まだ流石に夜は冷える。冷たい夜風にぶるりと身を震わせて、魔理沙は三度目の覚醒を果たした。
うっすらと目を開けると視界に映るのは銀髪メイド…ではなく、魔理沙の髪よりも薄い金髪の人形遣いがそこにいた。
「ぅー…?…あれ、ありす…?ぐずっ…んんぅ…」
「くしゃみをするのは構わないけど。お願いだから服を汚さないでよ」
いつの間に入れ替わったのかと思ったが、その前に霊夢と咲夜が交代していたのを思い出して深く考えるのをやめた。
眠気で頭ぼやけた頭で考えても何も分からないだろうし、それよりもこの冷えた身体をなんとかする方が先だと本能が訴えている。
一度寒さに気付いてしまうとここぞとばかりに鼻水が一気にこみ上げ、鳥肌が立って震えが止まらなかったりと身体が顕著に反応していた。
「はだびず…ずずっ」
「って、ちょっと!言ってる傍から垂らさないで!ほら、起きて鼻かみなさい。ハンカチ貸してあげるから」
「ずびっ…、ぅー…さぶいぜ…」
「だから鼻水を拭きなさいってば。服につくでしょう。ああもう、世話が焼けるんだから」
魔理沙は鼻水を垂らしたまま、がちがちと震える身体を抱き締めて縮こまるだけで起きようとも鼻水を拭こうともしない。
その間にも重力に逆らう事なく垂れる鼻水。
着地点がアリスのスカートとあっては放置出来るわけもなく、仕方なく鼻にハンカチを当ててやる。
「っちーん!っふぁう…ずびっ…」
「お気に入りのハンカチだったんだけどなぁ…。これも天命かしら」
「ありすぅ…はなみずー…ずずっ」
「だから自分で拭けっていってるでしょうが。もう、何で今日はこんなに甘えたがりなのよ」
人形達にちり紙を持って来させ、魔理沙の鼻を拭いてやる。
拭く力が強かったのか、何度か唸ることがあったが特に文句をいうこともなく大人しくされるがまま。
ここまで世話を焼く必要はないが、魔理沙の頭が未だ膝を占拠していて見動きはとれないし何より鼻水がスカートに付くのだけは避けたかった。
「うぅー…、さぶいぜ……へくちっ」
「こんなところで寝てたら冷えるに決まってるでしょう。ここにいても温かくなんかならないんだから神社に入るか家に帰って寝なさいよ」
「どっちもやだ。まだここにいる」
「えっ、ちょ…っ」
言うが否や魔理沙はむくりと起き上がり素早くアリスの背後へと回り込む。そしてアリスのお腹のあたりに腕を回してそのまま抱きついた。
今まで眠たげにしていた魔理沙の動きがあまりにも素早過ぎて抵抗する暇もなく。
仕上げとばかりにアリスの左肩に顎を乗せ、満足げにふうと一息ついた。
「ん。これでさむくない。ばっちりだな」
「はぁ、もう何なのよ一体…」
「ぬくぬくなんだぜー…」
「あんたはそれでいいかもしれないけどね、重いし動けないしこっちは散々なんだけど」
「んんぅ…」
「って、寝付くの早いし」
この体勢に満足したのか、むにゃむにゃと呟きながら三度目の眠りについた。
規則正しい寝息が耳元から聞こえてくるのを確認し、小さく息を吐く。
本能において最も優先されるのは睡眠。となると今の魔理沙は本能で動いているようなものなのだろうか、と背中に温もりを感じながらふとアリスは考えた。
何にしても今の魔理沙は扱いづらい事には変わりないし、大人しくしていてくれるならそれに越したことはない。
いつものように軽くあしらうなり人形達を使って無理矢理引き剥がせばいいだけの話、なのだが。
「…そんなことしたら泣いてぐずりそうだしなぁ」
今の魔理沙は本能というか深層意識が表面に浮き出ている状態に近いのかもしれない。
それに軽く幼児退行もしていそうで下手に刺激するのは躊躇われた。
人間の深層意識には興味があったし、もう少し深くつついてみたら面白い反応が得られるかもしれないという好奇心はある。が、同時にリスクも高く、ミイラ取りがミイラになったり薮蛇にならないとも限らない。
「ま、今じゃなくても機会はいつでも作れるわよね。…惜しいような気もするけれど」
なんにせよ中途半端に起きてふらふらされるよりも大人しくしてくれるほうがありがたい、と自分に言い聞かせることにした。
見動きはとれないが人形を動かせば不自由はしないし、特に今のところ問題はない。
時折、魔理沙の吐息が耳にかかったり、お互いの頬がくっついたりすることがあるくらいで。
こそばゆいが、何故か嫌だとは少しも思わなかった。
背中に感じる重みと温もりに心地良さを覚えながらグラスを傾けた。
「…くちっ」
「ちょっ、鼻水つけないでよ!」
前言撤回。
人形を総動員してでも引き剥がすべきだったかもしれない。
甘やかさなければよかったと少し後悔するアリスだったが、視界の端に映る寝顔を見るとまぁいいかと思ってしまうのであった。
◆
寒い、と魔理沙は思った。
夜風の冷たさからくる寒気ではない。
それは今まで身近にあった温もりがしなくなった虚空感。
抱いていた安心を奪われた消失感。
さっきまであんなに満たされていたのに、全て無くなった。
温もりが無くなるだけで、とても寒い。
寒くて寒くて、とても寂しい。
寂しくて寂しくて、温もりが恋しい。
温もりを求めて、無作為に手を伸ばした。
温もりを感じたくて、もがくように必死に。
「あら、そんなに寂しかったのかしら?」
「んぅ…」
右手が温かい。
誰の手かは分からないが包み込むようにして握られている。
それを切欠に離すものかと必死にしがみつくとようやく安心したのか、穏やかな表情になった。
魔理沙に腕をしがみつかれている人物が呟く。
「ホント可愛いらしいこと。ちょっとした戯れに無意識と意識の境界を弄ってみたけれど、こうも反応が変わるなんてねぇ。この子を中心に一波乱起きそうだし、暫くは退屈せずに済みそうね」
口元を扇子で隠し、くつくつと笑った。
宴も酣となった頃、魔理沙が眠る場所から少し離れた所で巫女と従者と人形遣いが何かを揉めるような会話をしていた。
「私が面倒みるから」「いや、私がやるから大丈夫よ」「家が近いから私が」などと聞こえてきたと思いきや突如弾幕ごっこによる三つ巴の戦いを始めだす。
その争いは周りの妖怪達をも巻き込んだ乱闘騒ぎになり、鎮静化するまでにかなりの時間を費やすことに。
騒ぎが収まった後、主犯の三人はとある協定を結んだ。
―翌日。
本人の与り知らぬ所で『魔理沙を愛でる会』なるものが結成された。
会員の総数は明らかにされていないが、花見に参加した面子のほとんどが入会したとかしないとか。
夜空があって、星があって、月があって。薄桃色の花びらがはらはらと降っている。
いろんなものがぐるぐるしてる。
まるで自分を中心に回っているように見えた。
「…ぐるぐるまわってるぜ」
「回ってんのは魔理沙の頭でしょ」
「あー…?」
つい、と視線だけを声のする方へと向ける。
「…れいむ?」
するとそこには見慣れた顔。
片手にお猪口を持ちながら、溜息混じりの呆れた顔で魔理沙を見下ろしていた。
「アンタ、飲みすぎよ。最初からとばして鬼共と飲み比べするなんて馬鹿にも程があるわ」
「だって、せっかくのはなみじゃないか」
「確かに今年は桜が遅咲きだったし、浮かれる気持ちも分からないでもないけど」
頭上から声がすると思ったら霊夢の膝の上に頭を乗せられて介抱されているのに気がついた。
今年の桜は咲くのが例年に比べて遅かった。
異変などではないらしいが、春告精の出現が遅かったことが関係しているのだろう。
ようやく桜の蕾が開花し咲き乱れる頃には、花見を口実にした宴会を今か今かと待ちわびていた連中が神社へと集まり。
お陰で今宵の花見はやれ目出度い、やれ飲めやの大騒ぎとなった。
魔理沙も騒ぎに乗っかって天狗や鬼と一緒になって飲めや飲めやの飲み比べ。
底なしの妖怪達と酒を浴びるように飲んだ結果は言わずもがな、意識が遠のいてそのままばたり。
他の奴らは倒れた魔理沙の事など気にも留めずに相変わらず酒を煽っている。
薄情なのは酒の所為か妖怪だからか。まぁ、両方だろう。
「…どれくらいたおれてた?」
「大体一時間くらいじゃないかな。時間を見たわけじゃないから確証はないけど」
「けっこう、ねてたのか」
「目が覚めたならさっさとどいてよね。長い事膝枕してるのって疲れるんだから」
「えー、いいじゃないかよぅ、もうすこしこのままでもさぁ」
「私は嫌」
ぴしゃりと魔理沙の要求を拒否する。
そりゃあ一時間も膝枕をしてたら疲れるし身体も凝るに決まっている。
けれど魔理沙は霊夢の膝から退く様子は微塵も見せず、むしろ膝にぎゅうとしがみついた。
「いごこちがいいんだよぅ」
「あーもう、離しなさいってば」
ぐいぐい。
すりすり。
霊夢が頭を押しのけようとすれば魔理沙は退くまいと頭を押し付ける。
一進一退の攻防。
ぐいぐい。
すりすり。
「……」
「…んぅ」
寝ている癖に結構な力でしがみついて離さない。
一瞬、おんぶされて寝てしまった子供が下ろそうとしても首っ丈を離そうとしない図が霊夢の脳裏をよぎった。
駄々っ子には勝てない、と誰かが言っていたような気がした。
なんにせよ酒と眠気で甘えん坊になっている魔理沙に何を言っても無駄なようだ。
「…はぁ、もう分かったわよ。アンタが寝付くまではこうしててあげるから、さっさと寝てよね」
「それでいいんだぜー」
「ちなみに涎とか垂らしたら容赦なくはっ倒すから」
「おー………じゅる」
言った傍から不穏な音がした。
予告通りはっ倒してやるべきだろうか。
「おい、こら」
「…ぐぅ」
思わず額を軽く小突いたが、少し身を捩る程度で特に反応は返ってこなかった。
さっさと寝ろと言った手前、起きろとも言えない。
膝の辺りが湿った感じがするなんてことはなく、あの不穏な音は未遂だったのだろう。
「…まったく、世話の焼ける奴ねぇ」
顔にかかった髪を避けるように魔理沙の頭を撫でる。
あどけない顔で無防備に寝ている魔理沙を見たのは割と久しい気がする。
こうしてみると年相応の少女で、眠っている姿は可憐に見えなくもない。多分。
魔理沙とは良くも悪くもそれなりに長い付き合いがあるけれど、だからといって深い部分まで干渉したり馴れ合ったりはしなかった。
だから余計に、珍しいと思ってしまう。
あの魔理沙が幼子の様に甘えるなんて予想だにしていなかった。
舌っ足らずのような間延びしたような独特の口調は、いろいろ困る。というか、参る。
どうしていいのか分からない。子供の相手なんてした事ないし。
お陰でうまく対処出来ずに膝枕の継続を許容してしまった訳で。
これが酒と眠気の成せる業なのかと魔理沙の頭を軽く撫でながら霊夢はひとりごちた。
「まぁ、たまにはいいか」
くい、と御猪口を傾けて中の酒を全て飲み干す。
いつもは騒がしい友人の可愛らしい一面が見れた事だし。
しばしの間、魔理沙の寝顔を肴に酒を飲む。見るだけではつまらないので指で頬を突いてみたり。
ぷに、ぷに。
「ちょっと、私より頬っぺたが柔らかいってどういう事よ」
頬の柔らかさに嫉妬した。
ムシャクシャしたのでもっと突いてやった。
むに、むに。
ぷに、ぷに。
「…なんか、意外と癖になりそう…かも」
自分の中にふつふつと沸き起こるこの衝動。
目覚めてはいけないものに目覚めそうだった。
◆
「んぅ……うー…?」
「お目覚め?」
魔理沙の意識が再び覚醒した時、頭上から響く声は霊夢のものではなかった。
それを確かめようと視線を声のする方へと向ける。
「ぅ…?さくや…?」
「お早う。時間帯としてはまだ夜だから『今晩は』になるのかしら」
「れいむは…?」
寝起きの頭で真っ先に気になったのは霊夢の不在。
寝る前までは霊夢だったのに起きたら咲夜にすり替わっていた事が不思議のようだ。
眠たそうにぐしぐしと目を擦る魔理沙は幼子のようだと咲夜は思う。
「巫女の膝枕の方が良かった?残念だけど霊夢なら向こうでお嬢様の相手をしているわ」
別に不思議でも何でもなく、魔理沙を起こさないよう霊夢と咲夜が交代しただけの事である。
主であるレミリアが酔って霊夢に絡んできたので「魔理沙が起きてぐずられたら面倒だから」と膝枕役をバトンタッチ。
もとい、押し付けられた。押し付けられたといっても別に嫌な訳でもなかったけれど。
交代する時に霊夢のスカートを掴んで離さない魔理沙を引き剥がすのに苦労したのは余談である。
その際、霊夢が名残惜しそうに魔理沙の頬を見つめていたのは余談中の余談である。
「ん…そうか」
「ちょっと、また寝るの?」
「ねても、ねたりないぜ…」
咲夜の膝枕で眠る幼子こと魔理沙は霊夢の所在を聞いただけで再び夢の世界へ飛び立とうとしていた。
もっとぐずるかと思っていたが、別に霊夢の膝枕に拘っているわけではないらしい。
「まぁ、寝るのは構わないけど。膝枕は霊夢の方がいいんじゃなくて?」
「んー…、さくやのひざまくらも、すきだ」
「あー、分かったから膝を撫でるのはやめて。なんか手つきがやらしいわ」
そっと魔理沙の手を払いのける。撫でる場所が膝から太股に侵攻していた。
こちらはスカートで生足だ。それ以上の侵入は許してはいけないと行く手を阻む。
「だから、このままがいいんだぜ…。んぅ…」
払いのけた手はそのまま咲夜の腰に回され、お腹に顔を埋める形で収まった。
お腹にかかる少しの圧迫感と温もり。それに聞こえてくる寝息。
その体勢は寝にくくないんだろうか。じゃなくて。
「待って、待ちなさい。その体勢は色々問題があるから」
「やだ」
ぎうーと腰を抱く力を強めて、離そうとする咲夜を拒む。寝ていながらどこにそんな力があるのか。
離そうとすればする程、お腹に顔をぐりぐりと押し付けてくるので悪循環だ。
本気を出せば時間を止めるなりなんなりして引き離すことは可能だけれど。
それはそれで勿体無い気がする。
こんな珍しい状態の魔理沙なんて滅多に見られないだろうし、これを機に愛でてあげればいいじゃない、と心の中で悪魔が囁く。
心の中の悪魔は主と同じ顔だった。ならば主の言うことに従うのは従者として当たり前。
咲夜は己の理性を躊躇いなく叩き潰した。
…ぷに。
「…んぅ」
「これは…」
やばい。何この感触。
遠目で霊夢が魔理沙に膝枕をしているのは見ていたが、一心不乱に魔理沙の頬を突いていた理由がようやく分かった気がした。
ふっくらしてそうな見た目につるつるとした肌、触ればマシュマロのように柔らかい。
しかも張りがあって弾力があって。且つ瑞々しさも兼ね備えている。最強ではないか。
ぷに、ぷに、ぷに。
「くぅ…、ん」
いやいやと鬱陶しそうに首を捻る。腕はしっかりと腰に回されたままなので必然的に顔をお腹を押し付けるような状態に。
仕草の一つ一つが殺傷能力を持って咲夜の心をじわじわと追い詰めていく。
堪らずもう一度、とそっと指を近づけると、
はむ。
「…えっ?」
気付いた時には指を咥えられ。時が止まった。
ような気がした。
「………はっ」
余りの衝撃に意識を失う寸前だった。
軽く辺りを見回してから胸に手を当て軽く深呼吸。
顔の火照りといつもの三倍速で動く心臓からかなり動揺しているようだと咲夜は自身の状態を軽く分析する。
「これは、やばいわね…」
「んむ…」
なにこれかわいい。ちうちうと指を吸ってくるこの生き物は一体何なんだ。
目の前の無防備な生き物は、不動である主への忠誠心が一瞬崩壊しかける位の強烈な一撃を咲夜に食らわせたのだった。
◆
…へくちっ。
可愛らしいくしゃみが木霊する。
桜が咲くくらい暖かくなってきたとはいえ、まだ流石に夜は冷える。冷たい夜風にぶるりと身を震わせて、魔理沙は三度目の覚醒を果たした。
うっすらと目を開けると視界に映るのは銀髪メイド…ではなく、魔理沙の髪よりも薄い金髪の人形遣いがそこにいた。
「ぅー…?…あれ、ありす…?ぐずっ…んんぅ…」
「くしゃみをするのは構わないけど。お願いだから服を汚さないでよ」
いつの間に入れ替わったのかと思ったが、その前に霊夢と咲夜が交代していたのを思い出して深く考えるのをやめた。
眠気で頭ぼやけた頭で考えても何も分からないだろうし、それよりもこの冷えた身体をなんとかする方が先だと本能が訴えている。
一度寒さに気付いてしまうとここぞとばかりに鼻水が一気にこみ上げ、鳥肌が立って震えが止まらなかったりと身体が顕著に反応していた。
「はだびず…ずずっ」
「って、ちょっと!言ってる傍から垂らさないで!ほら、起きて鼻かみなさい。ハンカチ貸してあげるから」
「ずびっ…、ぅー…さぶいぜ…」
「だから鼻水を拭きなさいってば。服につくでしょう。ああもう、世話が焼けるんだから」
魔理沙は鼻水を垂らしたまま、がちがちと震える身体を抱き締めて縮こまるだけで起きようとも鼻水を拭こうともしない。
その間にも重力に逆らう事なく垂れる鼻水。
着地点がアリスのスカートとあっては放置出来るわけもなく、仕方なく鼻にハンカチを当ててやる。
「っちーん!っふぁう…ずびっ…」
「お気に入りのハンカチだったんだけどなぁ…。これも天命かしら」
「ありすぅ…はなみずー…ずずっ」
「だから自分で拭けっていってるでしょうが。もう、何で今日はこんなに甘えたがりなのよ」
人形達にちり紙を持って来させ、魔理沙の鼻を拭いてやる。
拭く力が強かったのか、何度か唸ることがあったが特に文句をいうこともなく大人しくされるがまま。
ここまで世話を焼く必要はないが、魔理沙の頭が未だ膝を占拠していて見動きはとれないし何より鼻水がスカートに付くのだけは避けたかった。
「うぅー…、さぶいぜ……へくちっ」
「こんなところで寝てたら冷えるに決まってるでしょう。ここにいても温かくなんかならないんだから神社に入るか家に帰って寝なさいよ」
「どっちもやだ。まだここにいる」
「えっ、ちょ…っ」
言うが否や魔理沙はむくりと起き上がり素早くアリスの背後へと回り込む。そしてアリスのお腹のあたりに腕を回してそのまま抱きついた。
今まで眠たげにしていた魔理沙の動きがあまりにも素早過ぎて抵抗する暇もなく。
仕上げとばかりにアリスの左肩に顎を乗せ、満足げにふうと一息ついた。
「ん。これでさむくない。ばっちりだな」
「はぁ、もう何なのよ一体…」
「ぬくぬくなんだぜー…」
「あんたはそれでいいかもしれないけどね、重いし動けないしこっちは散々なんだけど」
「んんぅ…」
「って、寝付くの早いし」
この体勢に満足したのか、むにゃむにゃと呟きながら三度目の眠りについた。
規則正しい寝息が耳元から聞こえてくるのを確認し、小さく息を吐く。
本能において最も優先されるのは睡眠。となると今の魔理沙は本能で動いているようなものなのだろうか、と背中に温もりを感じながらふとアリスは考えた。
何にしても今の魔理沙は扱いづらい事には変わりないし、大人しくしていてくれるならそれに越したことはない。
いつものように軽くあしらうなり人形達を使って無理矢理引き剥がせばいいだけの話、なのだが。
「…そんなことしたら泣いてぐずりそうだしなぁ」
今の魔理沙は本能というか深層意識が表面に浮き出ている状態に近いのかもしれない。
それに軽く幼児退行もしていそうで下手に刺激するのは躊躇われた。
人間の深層意識には興味があったし、もう少し深くつついてみたら面白い反応が得られるかもしれないという好奇心はある。が、同時にリスクも高く、ミイラ取りがミイラになったり薮蛇にならないとも限らない。
「ま、今じゃなくても機会はいつでも作れるわよね。…惜しいような気もするけれど」
なんにせよ中途半端に起きてふらふらされるよりも大人しくしてくれるほうがありがたい、と自分に言い聞かせることにした。
見動きはとれないが人形を動かせば不自由はしないし、特に今のところ問題はない。
時折、魔理沙の吐息が耳にかかったり、お互いの頬がくっついたりすることがあるくらいで。
こそばゆいが、何故か嫌だとは少しも思わなかった。
背中に感じる重みと温もりに心地良さを覚えながらグラスを傾けた。
「…くちっ」
「ちょっ、鼻水つけないでよ!」
前言撤回。
人形を総動員してでも引き剥がすべきだったかもしれない。
甘やかさなければよかったと少し後悔するアリスだったが、視界の端に映る寝顔を見るとまぁいいかと思ってしまうのであった。
◆
寒い、と魔理沙は思った。
夜風の冷たさからくる寒気ではない。
それは今まで身近にあった温もりがしなくなった虚空感。
抱いていた安心を奪われた消失感。
さっきまであんなに満たされていたのに、全て無くなった。
温もりが無くなるだけで、とても寒い。
寒くて寒くて、とても寂しい。
寂しくて寂しくて、温もりが恋しい。
温もりを求めて、無作為に手を伸ばした。
温もりを感じたくて、もがくように必死に。
「あら、そんなに寂しかったのかしら?」
「んぅ…」
右手が温かい。
誰の手かは分からないが包み込むようにして握られている。
それを切欠に離すものかと必死にしがみつくとようやく安心したのか、穏やかな表情になった。
魔理沙に腕をしがみつかれている人物が呟く。
「ホント可愛いらしいこと。ちょっとした戯れに無意識と意識の境界を弄ってみたけれど、こうも反応が変わるなんてねぇ。この子を中心に一波乱起きそうだし、暫くは退屈せずに済みそうね」
口元を扇子で隠し、くつくつと笑った。
宴も酣となった頃、魔理沙が眠る場所から少し離れた所で巫女と従者と人形遣いが何かを揉めるような会話をしていた。
「私が面倒みるから」「いや、私がやるから大丈夫よ」「家が近いから私が」などと聞こえてきたと思いきや突如弾幕ごっこによる三つ巴の戦いを始めだす。
その争いは周りの妖怪達をも巻き込んだ乱闘騒ぎになり、鎮静化するまでにかなりの時間を費やすことに。
騒ぎが収まった後、主犯の三人はとある協定を結んだ。
―翌日。
本人の与り知らぬ所で『魔理沙を愛でる会』なるものが結成された。
会員の総数は明らかにされていないが、花見に参加した面子のほとんどが入会したとかしないとか。
そして魔理沙を愛でる会、どうすれば入れますか?
魔理沙を愛でる会、俺も入りたいです
いい作品をありがとう。
・・・それで、入会はどこですか?
指チュパ辺りの悶絶ぷりがやばい最高なんだぜ・・・
しかも最後はゆかまり風味とかどう見ても俺得ですどうもありがとうございました。
魔理沙が可愛すぎるw
ナイス俺得。