そのガラクタ置き場はアリスの家から少し行ったところにある。見た目はただの家だが、明らかに使わないようなものばかり山積みになっている為、ガラクタ置き場とアリスは呼んでいる。
いや、ガラクタ置き場とは生ぬるい。最早ごみ屋敷である。
なんだかヨーグルトを腐らせた時の匂いを更にひどくした匂いがそこからしているのだ。
そのことに気が付いたきっかけは、お使いに行かせた上海人形が帰ってこなかったことであった。時間になっても帰ってこない、日が変わっても帰ってこない上海人形を流石に不審に思ったアリスは、魔法の森中を探した。
上海人形はガラクタ置き場の近くに倒れており、口から糸を吐いていた。
「シャ、シャンハーイオウェッ!!! 」
どうにもこの匂いにやられて気持ち悪くなって、吐くものがないからとりあえず糸を吐いたらしい。
考えてみれば、ここ最近妙な匂いがこっちの方からしてくるものだと思っていた。時折外に出て、特に風がある日はそれが顕著に感じられた。しかし、引き篭もって人形作りにいそしんでいたせいか、こんなにひどいことになっているとは思いもしていなかった。
そういうわけで、アリスは今ガラクタ置き場の前に居る。数少ない知り合いを無理やり引き連れて。
この家の掃除をするのが目的だ。
ガラクタ置き場と呼ばれるその家は一見するとただの家だが、窓から中の様子を伺えば、確かにごちゃごちゃしているのが見える。
そして近付けば近付くほど、鼻の奥をツンと貫くような匂いが強くなってくる。
永遠亭から貰った強力な匂い遮断マスクをつけなければ、これ以上前には進めない。
そんな所まで来て、アリスとその助っ人と思われる人物は立ち往生していた。
「で、どうするのよ。本当にこの中に入る気なの? 」
「もちろん、当たり前よ。しょうがないでしょ」
「私は嫌よ。喘息がひどくなっちゃう」
「ぬけがけは駄目ですよ、パチュリー様。何のためにここに来たんですか」
「つかんででも放り込むわよ」
「むきゅーっ! 」
図書館の主とその従者。
彼女らがここに居るのは、彼女らもここに用があると言っていたからだった。
自分ひとりではこのガラクタ置き場は手に負えない。そう考えたアリスは彼女たちを呼んだ。
「ていうかアリスの人形使えばいいじゃない」
「人形はこの家に近付いただけでダウンしちゃったわよ」
「使えない人形ね……へぶっ」
「それに人形が汚れるのはもっといやなのよ」
「どうします?いっそのこと爆発させてしまいましょうか」
「ゲホゲホッ、あ、アリスのくせに……っ」
「それいいの?あんたたちの物もここにあるんでしょ」
「そういえばそうでしたねぇ。ここから探さなきゃいけないって事ですか」
「アグニレギオン!! 」
「きゃあっ!! 」
「うひゃあっ!! 」
「何するのよこの魔女!! 」
そんなこんなで、小一時間ほど立ち往生している最中である。誰一人として、この先に足を進めようとはしなかった。
適当な喧嘩をしているのも、そのせいであった。
「ぜぇぜぇ……っ」
「はぁはぁ……っ」
「二人とも、喧嘩している場合じゃないでしょうに……」
小悪魔の言葉に、もっともだ、と思うアリスであった。
「と、とにかくこれつけなさい」
「なにこれ」
「マスクよ」
「マスクぅ? 」
「ええ。中に入る為のね。ちなみに永遠亭製よ。隙間妖怪の従者もつけているって」
「誰が中に入るなんて言ったのよ」
「ぬけがけは許されないわよ」
「ごほごほっ、喘息が、ごほっ」
普段働きたがらない魔女は不自然な堰をしていた。
アリスのこめかみに青筋が入った。
「まぁまぁ!パチュリー様は放っておいてですね!とっとと作業しちゃいましょうよ!」
図書館の従者はエプロンをつけて準備万端であった。
それを見たアリスは振り上げようとした手を下ろした。
「まぁ、別にいいけれど」
パチュリーは少しはなれた切り株に座り込み、懐から本を取り出した。こうなるともう彼女は一歩も動かないということを、アリスはよく知っていた。
魔法の森はじめじめしていた。まるで霧雨が降っているかのように。その日も曇っていて、今にも降り出しそうな天気であった。
「ああ、早くしないといけないわね」
アリスは空を見てそう言った。
「しかし酷い匂いですね。なんですかこのヨーグルトが発酵したような匂いは」
「全くよ、あんのバカ、一体誰が片付けるっていうのよ」
「……」
「はぁ、ちゃっちゃと終わらせましょう」
ガラクタ置き場の入り口に向かい、ドアに手を掛ける。
ガチャリ、と開けるとそこには足の踏み場もないような散らかりっぷりであった。そして余計にひどいにおいがした。薬師にもらった高級マスクをつけていてもこの匂いは防ぎきれなかった。
「ゲホッ、ゲホッ! 」
切り株の上に座っている魔女も、普段よりもひどい喘息をしていた。今度は演技ではなく本当だった。
「むきゅう……」
完全にノックアウトした彼女を見て、ああここはなんて怖ろしいところなのだ、と思う二人であった。
「さて、まずは」
「どうしましょうかねぇ」
「道を作ることから始めましょうか」
そこら中に落ちている、いや山積みになっているのは古びた本。マジックアイテム、家具、そしてよくわからないガラクタ。見た事のある時計に外の世界から持ってきた車輪のようなもの。服はあちこちに散らばっており、あちこちに掛かったままだった。今にも崩れそうなノートの山、食べっぱなしにして洗っていない皿、大小のホウキに竹林から持ってきたであろう竹。向こう側にはなんとキノコが生えている木がいくつもあった。
そして極めつけは、そこら中に置いてある、ゴミ袋の山。ところどころやぶれて、そこからキノコが顔をだしている。
そこからひっどい匂いがする。おそらくは、魔法に使おうと思って失敗して廃棄しようとしたものなのだろう。それにしたってこの量はなかった。1年分のキノコぐらいのゴミの山だった。
「おえぇっ! 」
「うぇぇ! 」
これが匂いの原因ではないだろうかと一瞬二人は考えた。しかし、さっきとはまた別の匂いのひどい匂いだった。
つんと鼻の奥を突き刺すような匂いは、もっと奥の方にあることに二人は少なからず気付いていた。
「い、いくんですか、アリスさん」
「……」
キノコが顔を出している袋をつかんだアリス。そして次の瞬間に、アリスは思い切り腕を振って扉の向こうにその袋を放り投げた。
扉の向こうから「ゲホゲホッ……! ロ、ロイヤルフレア!!! 」という声が聞こえた。あまりのひどい匂いにあの魔女が魔法を放ったのだろう。
「はぁはぁ……っ! 」
アリスは既に疲れていた。こんなことがこの先も続くのかと思うと更に疲れた。
「まだですよ、アリスさん、ボスは向こうにいます」
「そ、そうね……」
足の踏み場もないこの家を片付ける唯一の方法は、とにかく物を全て外に出せ、ということだと二人は結論付けた。
手に取るものをなるべく外に放り込む。危険なものはとにかく先に外に出す。その度にロイヤルフレアを唱える声がした。先ほどのような生ごみが沢山出てきたことに二人はおどろいた。ただの食べ物の残りというだけではなく、魔法のために使ったものなのだろう。ちゃんと捨てる気だったのだろうか。それすらわからないけれども。
入り口近くのものを放り出して、だんだん先が見えてきたところで、部屋が二つ見えた。そのうちの一つは扉が閉まっていた。
おそらく一つは寝室なのだろう。山積みになった本の向こう側にベッドと思われる物が見える。そして気になるのは閉まったままのもう一つの部屋。
怪しい、と二人は思った。きっとこの中になにかがあるに違いない、と。
息をごくりと飲んで、アリスは閉まっている方の扉に手を掛けた。
「ここよね」
「ここですね」
「……いくわよ」
「……はい」
扉を開けた。
中は台所のようで、かまどと給水場と台所用品がいくつもかけてあった。いや、置いてあったというほうが正しい。山積みになった皿や包丁やまな板や鍋などが給水場と思われる場所にごっちゃになっており、そこからは本当にひどいにおいがした。
「おぇぇっ! 」
「うえぇっ! 」
「ちょっと聞いてないわよこれ! 」
「これは……今まで生きてきた中で一番ひどい匂いかもしれません……」
鼻の奥を突き刺すような匂いに、涙を浮かべる二人。
永遠亭製の防御マスクもあってないようなものだった。
これが原因だ、と二人は思った。家周辺を漂っている匂いの原因はこの部屋にあるに違いない。
「あ、アリスさん……」
「……」
しかし、いくらひどい匂いとはいえ、諸悪の根源を片付けないわけにはいかない。アリスは一歩台所に足を踏み入れた。
「その鍋は……」
「……」
不安そうな小悪魔の声がする。大丈夫、いざとなったらパチュリーに焼いてもらえばいい。
マスクをおさえ、涙を浮かべながら、キッチンの上に置いてある大きな鍋に手を掛ける。そう、そこからだ。気を失うような匂いが漂ってくるのは。
大丈夫、今までだっていくらでも怖い目にあってきたではないか。永遠亭で歯の手術を薬師に受けた時とか、紅い館の図書館へ言ったときに間違って地下の地下まで行ってしまって、吸血鬼の妹に耐久スペルを食らったときとか。白玉楼の亡霊の食事に大江戸人形当てちゃったこととか。それを考えれば、このぐらい。
アリスは息を止め、鍋の蓋を開けた。そしてその瞬間に鼓膜が破れそうなぐらい大きな声を張り上げて、
「いやあああああ!!!! 」
ガラクタ置き場の入り口へ、全力疾走していった。
その日、リグル・ナイトバグは太陽の畑で貰った蜜をお土産に、魔法の森の入り口を竹林に向かって飛んでいた。
蜜は太陽の畑の妖怪に貰ったものだった。みんなはその妖怪を怖いと言うが、何もしなければ怖くないし、蜜のお礼に花粉を運ぶよ、と言えば快く蜜をくれるのだ。そしてその蜜はとてもおいしかった。太陽の畑には特に沢山太陽が入る。雨も沢山降る。だから太陽の畑で出来た花の蜜は、特においしかった。
そんな訳で、上機嫌で魔法の森周辺を飛んでいる最中であった。
遠くから悲鳴が聞こえた。魔法の森の中心の方からだった。悲鳴はだんだん大きくなって、こちらへ近付いてくるような気がした。
声のする方へ振り返ると、誰かがこちらに向かって飛んでくるのが見える。
一度とならず幾度も出会ったことのある人形遣いの姿。大概こちらがぼこぼこにされて、相手は何事もなかったかのように涼しい顔をしている。そんな印象しかリグルは持っていなかったけれども。
姿はどんどん大きくなり、こちらに近付いてくる。よく見ると、すこし青い表情をしている。
何だろう、とリグルは思った。何か悪いことをしたのだろうか。心当たりは特にないのだが、よく太陽の畑の主に言われることがある。
「あ、あんまり思わせぶりな態度をとらないでよねっ! う、嬉しくなんかないんだからねっ! 」
いつもリグルは訳もわからずはあ、とだけ答えるのだが、理由は今でもわかっていない。心当たりがないのに人を怒らせるということはよくある事だったので、今日も訳もわからず人を怒らせてしまったのかもしれないとリグルは思った。
悲鳴は段々大きくなって、こっちに近付いてくる。しかし、逃げようにも向こうがやってくるスピードがあまりに速いのでもう遅かった。ぜぇぜぇ。はぁはぁ。息を切らしてアリスはやってきた。そしてリグルの肩をつかんだ。咄嗟のことで、体を震わせたリグルであった。
「えっと、あの」
「助けて! 」
「え? 」
「お願い! お願いします!助けてください貴方しかいないんです! 」
普段無口でクールで自分とは全く接点のない人形遣いが自分に向かって頭を下げている。
リグルは固まった。
「あ、あの一体どういう」
「いいから来て! お願いだから来て! 」
「来てってどこに」
「お願いだから、あの虫たちを退治して! 」
「む、虫?なにか毒のある虫なの? 」
「虫ならなんでも触れるのよね! 」
「う、うんまあ一応」
「お願い! なんでもあげるから、ウチの鍋の中に湧いた虫を退治してください! 」
リグルはまた固まった。と、思ったら人形遣いに体を担がれていた。
「へ、あのちょっと待っ」
言い切る間もなく、自分を担ぎ、飛んでいく人形遣い。猛スピードで飛んでいく彼女に、貰った蜜をがっしり腕の中に収めることで精一杯だった。
こうして訳もわからず魔法の森に行く羽目になったリグルであった。
「はい、これで全部逃がしたから大丈夫よ」
ガラクタ置き場の中で、三人は掃除を続けていた。まだ若干匂いが残るものの、先ほどよりも大分マシになっていた。やはりあの鍋が原因だったのだろう。鍋を取り除いた今、鼻の奥を突き刺す匂いは和らいでいる。
「あ、あと燃やすとか考えないでね。虫だって生きているんだから」
「ぎくっ」
「あっ、ま、まさかそのつもりだった!? ちょっとやめてよそんな可哀想なこと! 」
「だ、だって、つい」
鍋の中に沸いた虫を見て、ありゃ、こんなに一杯。どうしようもないね、川に流そっか、と顔色一つ変えなかったリグルをアリスは尊敬した。マスクはいいの、という問いに、えー別に?と返すところも尊敬した。正直見ていられないほどだったとアリスは語る。
鍋を家の外へ持って行き、パチュリー・ノーレッジのロイヤルフレアを避け、魔法の森の奥の小さな川へ中身を流した。
平然とやってのけるリグルを横目に、しばらくはその川に近付かないでおこうと思うアリスであった。
「はぁ、あんたらに任せたら虫が沢山死ぬわね」
「だって、苦手なものは苦手なのよ」
「そんなに嫌うことないじゃない」
「トンボなら平気なんだけど。あとリグル」
「ああ本当、それはよかった……いやよくないから! 私まで嫌うつもりだったのアリス! 」
「冗談よ、冗談」
リグルはアリスの虫嫌いっぷりに呆れたようにため息を付いた。女の子だったら仕方ないことなのかもしれないけれど、それにしたってそこまで嫌われたら傷つくものだ。
その話を道中聞いて、申し訳ないと思いつつも、仕方ないことだと思うアリスであった。
「冗談には思えないんだけど。あの魔女も燃やそうとしてたし」
「あれはまぁ、あとで叱っておくから」
「あーまったく。いつの時代も虫って嫌われるのね、なんでだろう」
「ごめんなさい。傷つけるつもりはなかったのよ。私だってできるなら、その……平気になりたいし」
「本当にそう思ってる?いや、別にいいんだけどさ。アリスの弱点見つけたし」
「うっ」
予想外の展開にたじろぐアリス。その様子にリグルはにんまりとした。
「ちょ、ちょっと何笑っているのよ」
「だってさ、いっつも私のこと適当に戦って打ち落として行くような妖怪がさぁ、こーんなちっちゃな虫が駄目なんてね」
「悪かったわね!虫が駄目なのよ昔っから!それに沢山居たじゃない!」
「にしたってそんなに害はないのにねぇ、あの虫たち」
「見た目が駄目なの、見た目が!」
「あ、そう、そんなもんかね」
「そんなもんよ」
「ねぇ、だったらなんであんなになるまで置いておいたのよあの鍋。とっとと片付けりゃ、あーんなことにはならなかったのに」
何気なく言ったリグルの言葉に、ぴたりと動きを止めるアリス。
小悪魔も、一瞬リグルの方を見る。
「おかげで結構処理に手間がかかっちゃったじゃない。ガシガシ汚れを落とさなきゃならなかったし」
「……」
「あの子たちだって、燃やされたらたまったものじゃないし」
「……」
「もうこれだから虫っていうのはさぁ」
「……」
「本当に生きるのが辛くって。最近は友達もイナゴ食べたいとか言ってくるし。いやその友達は鳥だから仕方がないんだけどさ」
「……」
「ひどいよね、友達だって思っていたのにさぁ。あいつ今度鳥鍋にして食べてやるわ」
「……」
「ねぇそう思わない?アリスもさぁ……」
「……」
「アリス?ね、ねぇどうしたの?」
リグルは二人の様子に気付かずに、話を続けた。
そしてしばらく話してから気が付いた。アリスが何も言わないことに。
リグルはびっくりして、慌てて取り繕おうとする。
「ね、ねぇ、聞いてた?どうしたの、ぼーっとして。私何か言い過ぎたかな」
「……めん」
「え」
「ごめん」
アリスの声が少し震えていたことに、小悪魔だけが気付いていた。
「ど、どうしたの、さっきからなんか様子が、ね、熱でも出たとか?」
「でも、私のせいじゃないのよ。言っとくけど」
「え」
「悪いのは全部あいつなんだから」
そう言ったアリスに首を傾げるリグル。小悪魔はビニール袋を本の山から掘り出す作業に戻った。がさごそ、がさごそ、という音が部屋に響いた。
アリスは続ける。
「まさか誰も、3ヶ月前に作ったシチューが置いてあるなんて思わないでしょう。だってあいつ言ってたもの。いつかは片付けなくちゃなぁって。私は手伝わないわよ、って言ったのに。結局私が片付ける羽目になった。勝手に生きて、勝手に死んで、後始末は任せたぜって、自分勝手にもほどがあるでしょう」
「あ……」
そう語るアリスに、しまったと思うリグルだった。
この家がどこなのか、そしてこの鍋の持ち主は誰だったのか。
どうしてその持ち主がここにいないのか。
一ヶ月前、魔法の森で、皆が涙を流していたことを。
異変が起きたのに巫女しか来なかったことを。
郷中に広まった、悲しい知らせを。
忘れていた。いいや、言われるまで気が付かなかった。ここがどこなのかということを。
そしてこの人形遣いがどうしてここにいるのかということは、考えればすぐにわかることだった。
「本当、最後の最後まで手が掛かるんだから」
アリスの声が少し震えているような気がした。表情はいつもと変わらないけれど、そんな気がしてなにも言えなくなった。
小悪魔ががちゃがちゃと片付けている音だけが、部屋の中でしていた。
見ていられなくなって、リグルは目をそらす。
目の前の人形遣いに何を言えばいいのだろう。言いたくなかったことを言わせてしまったに違いない。きっと謝っても許してもらえない。けれど、謝らないわけにはいかなかった。
「ごめん」
「え?」
「ごめんなさい、私、なにも考えていなかった。ここがどこだってことも」
汗をかいた拳をぎゅうと握る。泣きそうになるのをぐっとこらえる。本当に泣きたいのはきっと自分じゃない。そう言い聞かせながら。
アリスはそんなリグルの手を取る。びくりと体を震わせ、アリスのほうを見る。
「こっちこそ、ごめんねこんなことに巻き込んで。ありがとう来てくれて」
「いいよ、これぐらい。……私のほうこそ手伝えてよかったからさ」
「私たちだけだったら全部燃やしてしまうものね。あなたの仲間も」
「そういうことじゃないんだ。……私もさ、アリスほどじゃなかったけれど、あの人間に色々恩があるから」
「恩?」
「うん、そう。恩」
リグルは続ける。あの人間との思い出を。
まるで自分に言い聞かせるかのように、話を続ける。
「最初はさ、なんだよこの人間は、って思ったよ。箒に乗って空飛んで。よわっちい人間がさ。よし驚かそうと思っていざ出てみればぼっこぼこにされちゃって。ああ、その時アリスもいたんだっけ。まったくあの時はひどかったなぁ。あの後紅い館のメイドまでやってきて、もっとぼこぼこにされて」
アリスはただ黙ってその話を聞く。
いつかの永い夜。
それは、魔法の森で彼女と再会してから数ヶ月経った頃の事だった。
外に出てみると、月が形を変えていた。
驚いて隣の魔法使いを叩き起こして、文句を言っていたが聞かない振りして、夜を止める魔法を使って異変解決に乗り出した。
「本当、あの時はひどかったなぁ。死ぬかと思ったよ。ただの人間かとおもったら、全然そうじゃなかったんだもん」
初めて一緒に戦って、新技だ!なんて言って互いの魔法を合わせたりして。おいアリス、実はこれ使えば私たち最強なんじゃないか、なんて言ったりして。けれどその後巫女に行く手を阻まれて、必死で戦ってボロボロになって。
「それからしばらくしてからかな。あの人間がたまたま友達の屋台にやってきてさ。一緒に飲んだんだよね」
そう、それからだ。あいつの家に行ったり、こっちの家に来るようになったのは。お互い魔法使いで、ライバルだ、って言い合って。沢山戦って沢山相手して、結局最後の最後で負けることが多くて。いやらしく笑うあいつの姿に腹が立って、悔しくて仕方なくて、ずっと彼女の背中を追い続けた。
「私の夢は、一番になることだって嬉しそうに言っちゃってさぁあの人間。そのためには盗みだろうが人から嫌われようがなんだってするぜ、って。それを聞いたとき何故だか泣きたくなったのよ。ほら私ってさ、戦った貴方もわかるとおり弱いじゃない。虫を大量に集めて時刻を知らせるっていうサービスをやっていたんだけど、その虫も全部殺虫剤でやられちゃって、虫の地位向上にはならなくって。そのこと相談したらさぁあいつ、そりゃあお前頑張ったな。けどもっと頑張らなきゃ駄目だぜ。強くなればそのうち認めて貰えるんだから、痛くてもなんでも強くなれって言ってさ」
実力以上の相手と、本気以上の力を出して対等に戦って。
そんな彼女のやり方は、本気を出さない自分とは正反対のやり方だった。嬉しそうな顔をして、弾幕はパワーだといいながら、事故になりそうなほどスピードを上げて、楽しそうに魔法を放つ。そんなやり方じゃ勝てっこないと言いながら、それでも相手に立ち向かっていく姿を見ていた。憎たらしい笑顔を振りまきながら、平気で物を盗んでは、それを実力にしていった。自分にはできないことを平気でやってのけようとする彼女を、心のどこかで羨ましいと思っていた。
「ま、今でもあんまり変わっちゃいないんだけどね。太陽の畑の妖怪は、ちょっとだけ優しくなってくれたよ。前に彼女と戦ったことがあったんだ。あそこの蜜を虫たちが食べたいって言うから、交渉しに行ったら追い返されてね。……その時にあいつの言葉を思い出したよ。痛くてもずるくても何でも強くなれって。頑張って戦い続けて、ようやっとかすり傷を負わせることが出来た。そしたら今ではちょっと仲良くなれた。あの人間が言っていたこともあながち間違いじゃなかったよ」
はは、と笑うリグル。あいつが言いそうなことだ。
「それぐらいしか接点なんてなかったけれどさ。人間の癖に、すごい人間だった。私なんて全然敵わないもの。……行っちゃったんだね、先に」
「ええ。こんな大荷物残してね」
部屋を見る。
先ほどの匂いは和らいだが、まだ中には沢山のものが残っていた。埃だらけの本の山、マジックアイテム、使いっぱなしの台所用品、さび付いた家具、ビニール袋。彼女はどうやってこの家で生活をしていたのだろう。先ほどから作業を続けて、ようやく床が見えたところだった。
「手伝ってもいい?」
「え?」
リグルの言葉に、アリスは妙な声を出した。
「また虫が出てきそうだし。そうなったら困るでしょ」
「でも」
「いいのいいの。あんたらに任せたら、また殺される虫が増えるんだから。それに」
「それに?」
「二人より三人の方が片付くよ」
二人より三人。その言葉に、アリスはなにかを思い出す。
「どうしたの?」
「いいえ、なんでも」
そして、誤魔化すように笑った。
「ありがとう。結構時間掛かっちゃうと思うけど、平気?」
「いいよ、今日も明日も何の用事もないしね」
「そっか。じゃあまずこの袋を全部外に出すから手伝って。小悪魔がやっているみたいに」
「結構重いから気をつけて下さいね」
こうして三人は作業を続けた。時折出てくる虫たちに、ぎゃあぎゃあと驚きながら。
日が暮れるまで、片付けは続いた。お腹が空くのもすっかり忘れて、三人は作業を続けた。
「あぁ、疲れた疲れた」
「二人とも、お疲れ様。もう暗いから、この辺りで切り上げましょう」
「でも、まだ色々残っているみたいだけど」
「そうですよ。まだ持って帰るものも沢山ありますし」
日はすっかり暮れていた。昼間曇っていた天気はいつの間にか晴れていた。
星と月が夜空に輝く。予報はすっかり外れてしまった。
「泊まっていけばいいんじゃないかしら」
後ろから久しぶりに聞く声がした。先ほどからほとんど何もしていない、していることと言ったら、ロイヤルフレアをぶちかますことと、本を読むこと。そんな魔女が居たことに、三人は気が付いた。
「いいじゃない。アリスの家なら冷凍庫もあるしワインもお菓子もあるわ。ゆっくりくつろげるベッドもソファもあるじゃない。夕食はアリスが作ってくれるだろうし、休むにはもってこいへブッ!!」
好き勝手言う魔女に、上海人形はケリを入れた。もちろんアリスの操作であった。
「さぁ、いきましょうか二人とも」
「いいんですか?」
「いいわよ。折角働いてもらったのに何もしないなんて私の気が済まないわ」
「勝手に手伝っただけだよ。礼なんて」
「いいからいいから。それなら夕食作りとか風呂とか手伝ってくれれば」
「すみません、本当に」
「むきゅぅ……」
こうして3人、いや4人はアリスの家に向かった。
彼女は星だ。流れ星のようだ。
キラリと光ってすぐに消える。一瞬で見えないところへいってしまう。そんな星だとアリスは思う。
「弾幕はパワーだぜ!」
「いいえ、ブレインよ!」
「ほー、そうかい!だったらこいつを受けてみろ!」
夜空を彩る4つのレーザー。きらきらばら撒かれた七色の星。嬉しそうに、自分の人形の攻撃を避け、猛スピードで駆け抜けていく彼女。ワナを仕掛けた人形が、狙っていることにきっと気付いていない。スペルを唱える。だあん、という大きな音に、七色の光が彼女に襲い掛かる。永い夜で使った大技だった。
「っと、あぶないあぶない!」
彼女が避けた先に向かってレーザーを放つ。ちりちりと身をかすめる大小の星。ランダムな動きに合わせて隙間をくぐりぬけていく。
「アリス!中々やるなぁ!」
「うるさい!伊達にあんたと弾幕してないわよ!」
軽口を言い合う。そんな体力も余裕もないことはお互い知っていた。
「けど、これで終わりだぜ!恋符――」
「ああ、いつものアレね。わかるわよ!」
「マスタースパァーク!!!」
――閃光。
お決まりのその技を大きく避ける。大きな星がひゅんひゅん飛んでいる。大きなエネルギーで吹き飛ばされそうになるのをぐっとこらえて、まるで無防備な彼女の横へ向かう。そう、そっちの方向へ今攻撃すれば、攻撃するのに夢中な相手はひとたまりもないだろう。手をぐっと握って人形を放つ。魔理沙、攻撃もいいけれどその他がお留守よ。そう言おうとした。けれど。
「いない……!?」
「へへっ、残念だったなぁ。弾幕はパワーだぜ!」
スターダストレヴァリェ、とスペルを唱えると同時にランダムな動きをする星たちが生まれた。
ああいけない。こいつがアホみたいに素早い鼠だということをすっかり忘れていた。ならばこっちも。
「上海人形!」
「おお、やっと本気……うぇっ!!」
上海人形の攻撃が、相手の近くをかすめ、帽子が落ちた。
「ふぃ、危ないぜ、箒がやられちまうところだった」
誤算だった。本当は箒を打ち落とすつもりだったのに。
「アリス腕を上げたなぁ!」
「あんたもね!」
「それならこっちもやってやるぜ!魔符――」
ああなんて楽しそうなのだろう。ミニ八紘炉を片手に箒に乗って、彼女は駆けてゆく。こっちは戦うことで精一杯だっていうのに。
「ミルキーウェイッ!!」
夜空を駆けていく姿は本当に、本当に、
「流れ星みたい、ね」
――夜空を見上げると思い出す。何度もこの場所で彼女と戦ったことを。勝ったときもあれば負けたときもあった。先に行かれるのが悔しくて、必死で追いつこうとした。けれど彼女は流れ星だった。ぱぁぁ、と照らしたと思ったらすぐに消えてしまう。結局追いつけなかった。だって、追い越しても追い越しても彼女は追い抜いてくる。それに、自分が決して敵わないと思った相手に対して、バカみたいに挑んでは、必死で戦って勝つ。それが出来ない時点でこちらの負けだった。
きっと、彼女は最後まで。
「こんなところにいたんですか」
後ろから声がした。有能な図書館の秘書、もとい魔女の使い魔の声が。
こんな時間に起きているなんて。ましてやここに来るなんて。
「どうしたの、もう寝ているかと思ったわ」
「いやだなぁ、悪魔の本性を忘れたのですか?本来ならば、私にとってはこれからが活動時間なんですって」
「あぁ、そうだったわね」
ガラクタ置き場は整然としていた。端っこに本が山積みになっているのが見える。貸したものは全て自宅に引き取ったし、そのほかの物も全て、端に積んである。ガラクタ置き場というには、少し綺麗過ぎるぐらいに。
「パチュリーもまだ起きているの?」
「いいえ、寝ちゃってますよ。今日は疲れたって。何もしてないのにねぇ、あの人」
「そう」
アリスはそれだけ答える。正直、あまり見たくないと思っているところだった。
ここへ来て、この場所を眺めて、自分は一体なにをする気だったのだろう。
正直わからない。けれど、足はここに向かっていた。まるで感傷に浸るかのような行動を、誰にも見られないことを前提に足を進めた。
きっとそれが正しい。だから、正直ばつが悪かった。
「綺麗になっちゃいましたね」
「ええ」
「あんなにごちゃごちゃしていたのにね」
「ええ」
「アリスさん」
「なに」
「……泣きたいんじゃないんですか」
そう言った小悪魔の言葉に体が動いたけれど、決して振り返ることはしなかった。
「一体何よ、いきなり」
「パチュリー様が言っていたんです。泣きたいときには泣いたほうがいいって。ていうか泣けって。泣いて魔力流せって。澄ましているだけじゃつまらないからって。特にあの人形遣いはって」
「はぁ?なにそれ。なんでパチュリーにそんなこと」
「泣いてないんでしょ、一ヶ月前から。アリスさん」
寿命がもうじきやってくる、ということは薄々わかっていた。年が経つたびに増えていく皺とかシミとか、それを魔法で若く見せているせいか気が付くのが遅くなってしまったけれど。やはり、わかってしまうものだった。
一ヶ月前、戦っている最中に倒れて、一週間ほど眠り続けた彼女はそのまま帰らぬ人となった。一番近くで見ていたはずなのに、なぜか現実感がわかなかった。何かの冗談だろうと思った。昇っていく煙を見ても、皆が泣いているのを見ても、残ったのがガラクタ置き場だけだと気付いたときも。
なにも思わず、ただ景色が灰色になってゆくのを見ているだけだった。
「ここへ私たちを呼んだのも、人手が足りなかったからではないでしょう。一人で片付けるのが嫌だったんでしょう」
だから、上海人形が倒れるまで、この家に近付こうとしなかった。
妙なものとか、処分しなくてはいけないものとか、貸している物とかが沢山あることは知っていたけれど、何故か行くのをためらった。
その理由は考えないようにしていた。結果、リグルを巻き込む事態に陥った。
もう放置できない。そんなところまできてやっと、この家に足を踏み入れた。
「って、パチュリー様が。だからね、泣いちゃえばいいと思うんですよ。魔力は流れちゃいますけど」
「なにそれ、それが目的なんじゃないの」
「十中八九それが目的ですね」
「最悪ね」
「最悪なのはパチュリー様ですよ。私の言葉じゃありませんから」
「最悪な魔女ね。あと悪魔」
「悪魔ですから。知っているでしょう」
「ええ」
アリスはずっと、ガラクタ置き場の方を見ていた。小悪魔は、「じゃあ、明日も早いと思うので、今日はもう寝ますね」と言って、アリスの家の方に帰っていく。その様子に気が付きながら、アリスは振り返らなかった。ただじっと、ガラクタ置き場を見ていた。
とても静かな夜だった。しいんと静まり返っていた。
なにも変わらない筈なのに、何故だかそう感じた。
じゃりじゃりと、アリスは足を進める。
そして扉に手を掛ける。
ぎいいと開ければ、片付けられて空っぽになった部屋が見える。壁にかかったままの埃だらけの時計が、チクタクと音を刻んでいる。
妙な匂いは抜けていた。代わりに懐かしい匂いがした。
『ようアリス!何だってウチに来たんだ?ああ、そういやお前に借りてたものがあったんだっけな!』
ぎしぎしと、古い木の床が音を立てる。頼りになるのは、窓から入る月と星の光だけ。灯りのつかないランタンは壁に掛かったままだった。埃だらけのそれに、火をつける人はいなかった。
『ほら、返すぜ。魔道書と、魔導石と、薬草と、お前の人形と糸。鍋は腐らせてちまって悪いな。ああキノコもだっけ。え、いらない?はは、そりゃそうかいらないかこんなもん。うまいんだけどなぁ、アリスはきのこが嫌いだもんな』
ぐちゃぐちゃになっていた部屋はちゃんと片付けられていて、ガラクタ置き場の面影はない。台所も空っぽだったし、彼女が寝ていた部屋にも、ホウキと帽子以外にはなにも残っていなかった。
『そう怒るなってば。これやるからさ。いらなかったら捨てていいぜ。お前には色々お世話になったし、私にはもう必要ないからさ。……悲しそうな顔するなよ。こっちが泣きたくなるだろ。ったく、しんみりするのは霧雨魔理沙には似合わねーぜ』
部屋に、かすかに月明かりが入る。アリスはただそこに立ち、黙ってその風景を見る。
『初めて会った時はちっちゃかったもんなぁ。次にあった時は大人になっていてびっくりしたんだぜ。その次の異変じゃ、夜中にデートしたんだよな。覚えているか?あの時の情熱的な二人を……って、そんな怖い顔すんなって!冗談だよ、冗談!あー全く、冗談が通じないんだからなぁアリスは。ま、そんな所がお前らしいんだけどさ』
そのうちに、古い床にひとつ、またひとつと滴が落ちていく。
それに気付いてもアリスはただ、じっとそこに立っていた。
去ることも、目を瞑ることも出来ずにただ、そこに立っていた。
『色んなことがあったな。思い出せないぐらい沢山話した気がする。もうお別れだなんて嫌になっちゃうぜ。本当だ。淋しいんだ、私。お前と会えなくなることが。涙を流したら魔法が使えなくなるってのにな。なんでだろうな。最後ぐらい、笑っていたいのにさ。はは。上手く笑えているかなぁ私。なんでかなぁ。すっごいしょっぱいんだよ』
あぁ、そうだ。パチュリーの言ったとおりだ。
一人でここに来たくなかった。一人で全てを片付けたくなかった。
だってそのままにしておけば、あいつがひょっこり帰ってくるかもしれないじゃない。
そんな馬鹿げた幻想を打ち破るのに、一人では耐えられなかったんだ。
『お前だって泣いているだろ。本当は淋しがり屋で泣き虫なんだから。ったく普段澄ました顔しているくせに、こういうのに弱いんだって私知っているんだぜ』
灰色になった世界が涙で埋められていく。
それをしなかったのはきっと、そうしてしまえば何もかもが終わると知っていたからだ。
乾いた笑いで誤魔化した。愚かで、バカで、どうしようもないのは自分だった。
彼女が帰ってこないなんてこと、ずっと前から知っていたはずなのに。
『じゃあな、アリス。元気でやれよ。あと私のことは忘れるなよ。私も忘れないからな。最後にお前の笑顔が見れてよかった。下手な笑顔だけどな。ありがとう。さよなら』
ホウキと帽子と、それ以外には何もない、空っぽになったガラクタ置き場で、魔法使いは泣いた。
膝を崩して、鼻水が出るのも構わずに、大声上げて、誰が見ているかも構わずに。
夜が明けて、泣きつかれて眠るまで、魔法使いは泣いた。
「ふぅ、やっと終わったね」
「あとはこれを運ぶだけですね」
「二人とも、本当にありがとう」
全ての片づけが終わったのは、昼が過ぎて、日が傾き始めた頃だった。図書館の本はほとんど小悪魔の手によって運ばれた。その他の盗まれた物は部屋の隅の方に一つにまとめてある。これら全てを持ち主に返して、それだけで終わりだった。
「いえ、私たちはただ盗まれた物を返してもらいに来ただけです」
「私もさ、手伝えてよかったよ。途中であんなにぎゃあぎゃあ騒ぐものだと思わなかったし」
「ごめん、虫駄目で」
「私もすぐ手が出てしまうから人のこと言えませんねぇ」
「もう、みんな酷いんだから!」
リグルの言葉に、苦笑いしかできない二人であった。
「とにかく、二人ともこれで本当に終わりだから。ありがとう」
「アリスさん……」
「心配そうな顔しないでよ。妖怪らしくもないんだから。あのバカも、こうして片付けてもらって、喜んでいるでしょうよ」
そう言ったアリスの表情が、昨日に比べて柔らかくなっていることにリグルは気が付く。
何だろう。確かにでも、昨日より表情が自然な気がした。少し笑っているようにも見えた。
「うん、それならいいな。あの人間がこの家を見たらびっくりするだろうよ」
「そうね、そうかもしれないわね」
けれどそのことは口にせず、リグルはマントを被る。きっとなにかあったに違いない。馬鹿な自分にはわかるはずもない。
ただ人形遣いが少しだけ元気になったような気がして、それが嬉しかった。
「それではこれ運んで、私もおいとまさせて頂きます」
「ええ」
小悪魔も、残った本を抱えて空に浮かび上がる。
「また来ますね」
「ええ、その時は、クッキーでも焼いてもてなすから」
「え、いいの?やったぁ!」
子供のようにはしゃぐリグルに、ふ、と噴出す二人。
そんな二人の様子を見て、リグルはちょっぴり赤くなった。
「ちょっと、笑わないでよね!甘いものは好きなんだから!」
「くくくっ、ははっ、す、すみません」
「また家へいらっしゃい。昨日は大したものを用意できなかったから。一番の功労者だものね、リグルは」
「あ、あはは……い、いやそんなことはないって」
「それじゃあ、また」
「ええ」
ふわりと。
図書館の従者と、虫を操る妖怪は魔法の森の上へ飛んでいく。
アリスは空に向かって手を振った。
二つの影が遠ざかる。次に会うときはきっと、そう遠くないだろう。
彼女が借りたと思われるものは、部屋の隅に山積みになっていた。紅魔館の食器、永遠亭の薬、白玉楼の剣……高そうな物や、明らかにガラクタのような物まで。これらが全てなくなれば、このガラクタ置き場は役目を終えるだろう。きっとその日は遠くない。
「どうするの、これ」
後ろから声がした。昨日から居たくせに、ほとんど何も働いていない人物の声だった。アリスは振り返る。
「アンタも帰らなくていいの?」
「帰るわよ。そのうちね」
「そのうちっていつよ」
「そのうちはそのうちよ。でも、この家はどうするの」
空っぽになったガラクタ置き場。もうきっと、誰も訪れることはないであろう場所。
ここで魔法を放てば、跡形もなくこの家は無くなるのだろう。
「壊すの?」
パチュリーの問いに、アリスは答えない。しばらくそうして立っていた。パチュリーはアリスに、そう、とだけ返した。
「壊さなくても、いいんじゃないかしら」
「え?」
パチュリーが言った言葉に、アリスは初めて返事をする。
「じゃあ、どうしろってのよ」
「あなたが掃除するのよ。定期的にね」
「はぁ?なんでそんなこと」
「それで、片付けながら、昔を思い出して泣くのよ。ああまだ忘れられないんだって」
「なにそれ、あんたは私を泣かせたいわけ?」
「ええ、もちろん。ライバルが減るじゃない」
「アンタって奴は……!」
「正直に生きたら。捨てようと思っても捨てられない。何で捨てられないのかわからない。とっておいてよかったなんて思ったこともないけれど、でも、捨てられなかった」
「パチュリー?」
「どうして泣くかなんて事、私にだってわからないのよ。200年生きても捨てられないものができるって事も。……200年生きても捨てられなかったものがあるって事も。蓬莱人にでも聞けば、答えがわかるのかしらね」
パチュリーはアリスの家の方に去ってゆく。ああ、あと目の下すっごい腫れているわよ。化粧で誤魔化しているみたいだけど、という捨て台詞を残して。
アンタもね。そう言おうとしたときには既に、魔女はそこに居なかった。
捨てきれずに捨てられなかったもの、例えそれで悲しくなっても、決して捨てられないもの。
正直に生きて、そしたらいつか、全てを捨てられる日が来るのだろうか。
そしてその時どんな顔をしているのだろうか。
ああ全く、どうにも自分は、面倒な魔法使いみたいね。後片付けが終わっても、アンタに振り回されっぱなしだなんて。
見上げるとそこには何もなく、青い空に白い雲が浮かんでいるだけだった。
邪魔するぜーと、誰かの声が聞こえたような気がした。
魔法の森には、空っぽになったガラクタ置き場がある。
かつて郷中を引っ掻き回して迷惑ばかりをかけていた魔法使い。そんな魔法使いに憧れて、魔法使いになった者達は、魔法の森でガラクタ置き場を横目に飛んでいく。近所には人形を操る魔法使いが居て、時折そのガラクタ置き場にやってくるのだという。
人形遣いに話を聞くと、人形遣いは昔話をする。
だって、私以外にここを掃除する人はいないでしょ、と。
懐かしそうに話す彼女を見て、訪れた魔法使いは、かつて郷中で暴れまわった魔法使いを思い浮かべる。
借りたものは返さなくて、勝手に技を盗んで、本を盗んで、アイテムを盗んで、それでも何故か人に愛されて、弾幕はパワーだぜ、と言いながらスピードを上げて空を駆けて、妖怪達に挑んでいく、そんな魔法使いを。
人形遣いはここへやってきては、掃除をして帰っていく。
昔、3ヶ月放置して鍋に沸いた虫みたいなのが出ないようにしなきゃいけないから、と人形遣いは言う。
彼女がいつも持っていたホウキと帽子は、今でもあの頃のままずっと、ガラクタ置き場の片隅に残っている。
良かったです
正直100点じゃ足りないぐらいです!!
夜の家の中に入ってから泣き崩れるまでの会話の流れがもう…涙腺崩壊しました。
人間、いつか消えるなら、流れ星みたいに輝いてやろう。生き方をこの方に学びました。
いずれ誰もが彼女の事を忘れたとしても……
ニトマリ成分も欲しかったが文句は言わない!!
あと、リグルかわいいよ、リグル
まあもうちょい生きてみたらわかるんじゃね? たまには昔話でもしながらさ。
空っぽのガラクタ置き場には思い出がいっぱい。素晴らしいお話でした。
>>「シャ、シャンハーイオウェッ!!! 」
腹筋と涙腺の両方を殺しにくるとは。
強くなっていくか弱い魔女達の未来が明るいことを祈ります。
あと頑張れ、リグル頑張れ。
寿命ネタは創想話に数多くありますが、この作品はその中でも5本の指に入ります。
良作をありがとうございました。
この作品も良かったです
次の作品も楽しみにしてますよ
でも、温かみを感じる。
とてもとてもありふれた締め方ではありますが、感極まって泣きそうになってしまいました。
素晴らしい作品をありがとう。
タイトルを見た時からその手かと思っていたら、やっぱりそう来たか。
正直...いや、これ以上はコメントできない。