「霊夢。嘘の吐き方教えて欲しいんだけど」
萃香は頬にほんのり朱を差して、もじもじと初心な乙女よろしく教えを乞うた。
顔が赤いのが酒の所為であり、もじもじが嘘への苦手意識の所為だとしても、畏れの対象と名高い鬼のそんな姿はなかなかギャップの強いものであった。どの程度のギャップかと言えば、喩えるなら膝を組んで物憂げにコーヒーを啜るスーツ姿の白蓮、サングラスを頭に乗せてサングラスを探すナズーリン、ホウレン草食べて力こぶ膨らませるムラサ。そのくらい異質なものである。
ギャップというものはそれだけで心震わせ得る要因と成り易く、有無を言わせない迫力を持つことがある。無自覚にではあるが、萃香はその強力無比な必殺の一撃を繰り出していた。
「天狗に聞け」
こうかはいまひとつのようだ。
霊夢の冷たい言葉に、萃香は顔色を変えずに肩をすくめて見せる。
「あれは駄目。かしこまられていけない」
ふぅやれやれとジェスチャーする権力ブルジョアジー。
難儀な話だと霊夢は溜め息で返事をした。
「なんで嘘吐きたいなんて思うのかしらね。目を潤ませてプルプル震えながら何言ったって本当には聞こえないわよ」
「だ、だから練習するんじゃないか!」
というより、信じそうになると困った顔するのですぐ判ってしまうのである。嘘としては判り易くて好い。だが、騙された振りをすれば説得され、騙されなければ落ち込むという鬼への反応はなかなか大変なものであった。
そんな状態でなおも嘘を吐こうというのは、もはや意地なのだろう。しかしはたから見ればただの我侭。霊夢ははぁと溜め息をまた吐いた。
「そうだわ。まずは嘘に馴れることから始めましょう」
「というわけで来たわよ」
「……それは本当に寺子屋に来るべき話か?」
巫女は鬼を引き連れ、お隣さんに挨拶をする様な気軽さで人里の寺子屋に訪れると、親戚の様な図々しさで授業中の慧音を呼び出した。
何事だろうと、窓から子供たちが顔を出していた。
「あ、巫女だー」
「鬼もいるー」
「萃香さーん」
「萃香ー」
馴れ馴れしい元気な声が飛び跳ねる。
「ん? 萃香、あんたよくここ来るの?」
「あー、何度か遊んだよ。相撲とか鬼ごっことか」
鬼と鬼ごっことは微笑ましい様な恐ろしい様な。
「みんなは自習してなさい」
慧音の言葉に、返事もなくすぽんと顔が収まっていった。
「で、嘘だったか?」
「そうなのよ。萃香が上手く嘘を吐いてみたいんだって」
「むぅ」
慧音は眉を顰める。鬼ほどではないが、慧音もそれほど嘘には慣れていないのである。
しかし、目を潤ませて期待している見た目が子供の鬼を見ると、教師の心がキュンと疼いて放っておけなくなってしまう。
「だめだめ、慧音先生の嘘じゃ僕らだって騙されないもん」
「先生嘘吐く時に真顔になるもんね」
引っ込んでいた顔が、今度は玄関からぞろぞろ出てきた。
慧音はそれを見ると、大きめの溜め息を吐き出した。
「自習は?」
と問えば、
「「「後でします」」」
の大合唱。
十数人分が綺麗に重なった辺り、年長組が年少組を誘って出てきたのだと察しがついた。
多少の説教は後に回そうと決め、キッと萃香を睨む。
「とりあえず、嘘を言うぞ」
「お、おう! いいよ、掛かって来い!」
緊張しているのがとても珍しかった。萃香も、慧音も。
咳払い一つ。
「こんな歌を徳川家康が詠んだのは知っているか」
緊張の所為で表情がない慧音。ごくりと唾を飲む萃香。
子供らはホトトギスじゃないかとヒソヒソ会話をする。
「『ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする』と」
「徳川家康がっ!?」
「開いちゃダメでしょ!?」
「あんまりな嘘だ!」
言い終わると同時に子供たちのツッコミが爆発する。
ああだこうだと騒がしくツッコミが飛び交う。慧音は無表情であったが、顔は真っ赤に火照っていた。
どうしたものかと慧音は戸惑い、この場を誤魔化そうと口を開きかけた時、それを萃香が遮る。
「……あの歌、徳川家康だったんだ」
「「「僕らのツッコミ聞いてなかった!?」」」
反射的に子供たちが叫ぶ。
「え、あ、いや、萃香。あのだな」
自分でも酷い嘘だったと思っただけに、まさか騙されるとは思っておらず、慧音は無表情を崩して困惑してしまった。
「萃香さん! 今のが嘘だったんですよ!」
「前置きされてたのに騙されちゃだめぇ!」
子供らが本気で心配する様に叫ぶので、鬼も恐縮してしまう。
「……嘘って難しい」
しみじみ呟く萃香に、霊夢は耐えきれず溜め息を溢すのだった。
「博麗神社って、元々は白鈴っていう鈴を祀っていたところなんですよ。魔除けの鈴。でも、幻想郷って妖怪とか大勢いて、魔除けを祀っているっていうのは人と妖怪の管理をおこなう身としてはバランスが悪いということで、博麗という当て字に変えたんです」
「へぇ、そうなんだ」
「駄目だよ! そんな本当っぽい嘘吐いたら萃香ちゃん騙されちゃうじゃん」
「あ、そうか。しまった……」
「……なんか泣きたい」
「魔理沙さんって、霊夢さんの妹なんだって」
「え!? そうなの!?」
「そんなわけないでしょう」
「あっ……やられた」
「僕、実は鬼なんだ」
「ははは、いくらなんでもそんな嘘には騙されないぞ。そもそも角がないじゃないか」
「本当だよ。お祖父ちゃんが鬼で、ちっちゃな角あったけど、削っちゃったんだ」
「え、本当に鬼なの?」
「「「萃香さん!」」」
「あうぅ……」
「私、巫女なんだ」
「それは嘘だ。だって魚屋に住んで」
「巫女なの!」
「え、だ、だって?」
「巫女!」
「お、おぉ。そうなの?」
「あー、萃香ちゃんまた騙されたー」
「うがあああああ!?」
と、鬼は本領であるハズの力押しの前にあえなく幾度となく屈していくのであった。
かくして子供全員に轟沈たらしめられた鬼は、地面に満身創痍の体で突っ伏して、涙で小さな川を描いていた。
「うぅぅぅ」
「完膚無きまで打ちのめされたわね」
本気で凹んでいた。
「萃香ちゃん、ごめん」
「ごめんなさい、萃香さん」
さすがにやり過ぎたと思った子供らが真剣に謝る。
そんな自身が不甲斐なくて、また情けなくて、起き上がるそぶりも見せずビクンビクンと謝られる度に震えていた。
「憐れな」
霊夢も少し可哀想なことをしたと思ってしまう。そんな姿であった。
やがて子供らが寺小屋に戻る頃、霊夢と萃香も神社へ戻っていった。
正午も近くなった頃に、ようやく萃香は復活を果たす。
「ふふふふ。さぁ、霊夢! 私、嘘吐くよ!」
どこから湧いたのか自信満々。
「いいけど」
対する霊夢、やる気無し。
「じゃあいくよ!」
宣言している時点で間違っているのだと、萃香は気づけない。
そして、自信たっぷりに言い放つ。
「私、鬼じゃないんだ!」
………
………
………
「………」
「………」
酷く長い沈黙。
段々と、萃香は自分の吐いた嘘がどういうものか気づいた。
それに誰が騙されるものかという、そんなことに。
霊夢はふぅと溜め息を吐く。
「……騙されてあげようか?」
「うわーん!」
萃香が上手に嘘を吐ける日は、まだちょっと遠そうであった。
おまけ
「ねぇ、勇儀?」
「ビクッ!?」
「えっと」
さとりは溜め息を吐いた。
ここは地霊殿のさとり'sルーム。個性と呼べるもののほとんどない簡素な部屋。そしてその部屋の中で異彩を放つ、全体がピンクで天蓋付きキングサイズのベッド。そこで勇儀は若干震えながら縮こまるように丸くなっていた。さとりには大き過ぎるベッドが丁度よく見えた。
ちなみに、このベッドがお燐お手製だと知る者は少ない。愛の力とは偉大であった。
話を戻そう。
「…… やり過ぎた」
「ブルブル」
非常に稀な鬼の怯え姿。特に勇儀のこの様な姿は、さとりにしてもちょっと憶えがなかった。
なんでこんな状況になったのか。それは奇しくも、萃香と同じ理由からであった。
今度こそ嘘を吐きたい。そういうわけで、相手の心を把握するという点とどんな相手にも遠慮せず怯まず嘘を吐けるという点で類を見ないさとりに教えを乞いたわけである。そして結果は霊夢の様に、習うより慣れろということになったのである。
そして始まった遠慮と迷いのない嘘の怒涛の連続に当てられ、頭がオーバーヒートしながら微妙にトラウマも回顧してしまった。
さとりはといえば、いざ騙し始めてみると勇儀の純粋過ぎる反応が面白くて、持ち前のサディスティックな好奇心の赴くままに楽しんでしまっていた。
数分後にさとりが我に返った時には、勇儀は涙目でぷるぷると震えていた。そして何も言わずにのっそりと立ち上がると、断りもなくベッドに乗ると、もぞもぞと毛布を被って今に至るのである。
どうしたものだろうか。悩むさとり。だが、どうにもこの珍しい状態の勇儀を見ていると、自然とさとりの口の端は吊り上がってしまう。
「じゃあ勇儀。また嘘を吐くわね」
「!!!?」
「うふふふふふ」
理性が少しお隠れあそばした。
「さとり様、すっごい笑顔ですね」
「うん。でもすっごく悪い顔してる」
部屋を覗くお燐とこいし。
近づいて巻き込まれることを避ける為に、揃って戸口から覗くだけ。こいしがいるので、少なくとも気配はバレない。だから傍観。
「お姉ちゃん、楽しそうだなぁ。黒い笑顔」
「これがフェミニストってやつですね」
「惜しいなぁ。ほぼ真逆」
「にゃん……」
ちょっぴりがっかり顔。
「あ、お燐だ。こいし様だ」
お空推参。
「お空」
「なにしてんのー?」
ぱたぱた歩きながら二人に近づく。人工太陽ともいうべき素直な笑顔で。
この時、お燐とこいしの思いが見事に合致する。
こいしが口を開く。
「お空。実は私の名前がさとりで、お姉ちゃんがこいしなんだよ」
「おぉ。そうなの?」
きょとん。
「お空。こいし様が今言ったのは嘘だよ」
「あぁ、そうなんだー?」
にへら。
「……可愛いけど手応えないなぁ」
「ですね」
「?」
温かな地霊殿。
誰かのお腹が鳴る。もうすぐお昼ご飯の時間。嘘の時間は、もうおしまい。
おまけ の おまけ
さとりは昼食を作っていた。
泣かせてしまった勇儀の分も、詫びを込めて。
そこに、お空が訪れる。
「ねぇ、さとり様~」
「ん? 何、お空」
「さとり様がこいし様?」
「…… はい?」
そう言い残してお空は去っていった。
お空が植え付けた”はてな”は、日が沈んでも枯れなかったのだという。
そんなこんなで、楽しい嘘はまた来年。