机に両手を置き立ち上がった私は、まず自分の耳を疑い、へにょりと傾けて引っ張ってみた。
……うん、残念ながら耳に異常はない。
いやいや残念なんて思っちゃいけない、と頭を振る。
先日、姫――蓬莱山輝夜――様に手入れをして頂いた耳は、数日経っているにもかかわらず、ふわふわのもふもふ。
手入れ。つまり、耳かき。しかも、膝枕だ。羨ましい?
姫様の太腿は、引きしまった外観をしているが、その実、どきりとするほど柔らかみがあった。
弛んでいると言う訳じゃなく、柔らかいと知覚するに足る最低限の脂肪を纏っているのだ。
袴越しでさえその感触、素肌であれば触れた瞬間に頭が蕩けてしまうんじゃなかろうか。
蕩けてしまいたい!
「……うどんげ?」
陽光だけを光源とした和室――勉強部屋に、僅かに怪訝な色を滲ませた呼び声がして、私は我に帰った。
目線の先には、意識を飛ばした先程と変わらず、師匠――八意永琳様――がいる。
夢見心地を切り替え、その状況に至らせた言葉を思いだす。
……お、思い出したくなかった。
頭を抱えたくなる衝動を抑え込み、万が一の可能性に賭け、私は口を開いた。
「あの、師匠、なんと?」
一つの可能性、聞き間違いは先程否定してしまっている。
だから、賭けたのはもう一つの可能性。起こり得るもう一つの間違い。師匠の言い間違い。
余りにも分が悪いのは解っているが、だからと言って、そのまま受け入れられるほど容易い事でもなかった。
「できれば、少し前から……」
師匠は、聞こえなかったのかしら、となんのてらいもなく苦笑する。少なくとも、私にはそう聞こえ、見えた。
「『つまり、生物の根幹にはそう言った自浄機能がある。
貴女やてゐにも、勿論。霊夢や魔理沙と言った人間にもね。
魂を核とする、あぁ、此処はまだね。ともかく、一応は、姫や私にもあるわ』」
数十秒前に口にした言葉を、一字一句違わず再生する師匠。もう少し先だ。
「『今日の授業は是でおしまい。あぁ、お腹が空いたわね。空いた気がするわ』」
未だ理屈はわからないが、不老不死、蓬莱人である姫や師匠にも不必要な空腹の概念はあるようだ。
或いは、残っていると言う方が正しいのかもしれない。残している、だろうか。
取り留めのない事を考えるのは、逃避だと解ってはいた。
衝撃の言葉は、もうすぐそこだ。
「『あぁ、そうだ、うどんげ。今日の提出課題は』――」
講義を終えた後の穏やかな弛緩を引きずりながら、師匠は、そうだ、言った。
私は、口を真一文字に結び、奥歯を噛みしめた。
クる。
「――『蓬莱の薬の原料ね』」
キた。
弾丸じゃ生易しい。
言葉は砲丸となり私を薙ぎ払い、浴びせられた上半身がのけ反る。きりきりばたーん。
「……器用ね、うどんげ」
正座をしていた所為で、ブリッジの体型が崩れた姿勢になっていた。両手も放り出されている。
腹筋がひくひくと悲鳴をあげる。体術の訓練が疎かになっているからだろう。
しょうがないじゃない、ハウス栽培だってしなきゃいけないんだから!
湧き上がったどうでもいい雑念に憤るが、誰に向けたでもない言い訳は急速にしぼんでいく。
少し大きめの呼吸を取り、反動で姿勢を正す。勢い余り、膝ではなく机に掌が叩きつけられた――バァンっ!
師匠は変わらず、きょとんといている。やだ、可愛い。……違う違う。
唾を飲み込む。口腔から伝わる音は意外に大きく、自身、驚いた。
視線を師匠の瞳に合わせ、口を開く。
「期限は……?」
「そうねぇ。十二時」
「じゅ、じゅうにじ!?」
声が引っくり返った。時刻に驚いている訳じゃない。期限が、時間と言う事に驚いているんだ。
呆然とする私に小さく唸り、師匠は後ろにちらりと視線を向けた。
「少し位、遅れてもいいわよ?」
課題の訂正は、ない。
悟った私は講義ノートをしっかりと掴み、立ち上がる。
すんなりと起立の態勢をとれた。何時も襲い来る脛のじんじんとした痺れがない。
体も解っているのだろう。痛みを感じている余裕など、一瞬さえもない事を。
「月の頭脳、八意永琳様が課題、不肖、弟子たる鈴仙・優曇華院・イナバ、承りまう!」
宣言すると同時、毅然と振り返り、部屋を出る。
無論、慣れない言葉が詰まってしまった事を悔いる時間などない。
……ないんだから、顔が赤くなってるのも気にしないんだ。師匠のぽかんとした顔も気にしない!
襖を閉め、見上げた空には、煌々とした太陽が昇っている。
そう、昇っている。まだ降りちゃいない。
制限時間は約半日。
時計を見たのかな――自室へと駆けだした時にそう思い、私は更に足を速くした。
蓬莱の薬。
生地である月でもお伽噺の様に語られるソレは、『禁断の秘薬』と言うあだ名の方がしっくりとくる。
生成方法はおろか、剤形すら語られない秘薬の効果は、幼い時には誰も彼もが夢見る絵空事、不老不死。
お伽噺の筈だった。絵空事で片付けられる筈であった。生成者である師匠、服用者である姫様を見るまでは。
そうなんだよね。
私、剤形すら知らないんだよね。
気付いたのは、荷造りを終えて玄関で靴を履いている時だった。
「どうしよう……」
呟きは、今の私の心境を映したように静かに重く、廊下に消える。
「何がかしら、月因幡」
「珍しいね、鈴仙がそこまで気落ちしてるのって」
「にもつがたくさん……うどんげさま、わたしも、たんぽぽもついていきます!」
――と思ったのだが、三方向から拾われた。
大まかに言うと後ろからと左右から。
勿論、発言者も違っている。
くるりと振り向き、私はそれぞれに応えた。
「師匠から与えられた課題が途方もなく難しくて外に探しに行かないといけないの……です」
よっし、完璧だ。
「ふむぅ……」
「なんか満足してるけど、解ってるの姫様だけだから」
「うどんげさま、うどんげさま、たんぽぽもいっしょにおでかけします!」
そんな。
飛びついてくる幼妖兎を抱きとめ、揶揄する悪戯兎に舌を出し、そして、私は主に向きあった。
「えうぅ、うどんげさまにあっかんべーってされたぁぁぁ……」
「鈴仙、蒲公英サイズで考えているからだろうけど、苦しい」
「輝夜さんはあちらです、うどんげさん」
どうやら三百六十度回っていたらしい。そんな。
てゐを放りだし、蒲公英の髪を撫で謝罪しつつ、私は今度こそ姫様に顔を合わせる。
「どういう課題か聞いてもいいかしら?」
無礼な振る舞いを流してくれた姫様は、口元に指をあて、笑みながら問うてきた。
柔らかな微笑みに、私は思わずぼぅと見惚れる。
……場合じゃない!
目一杯に深呼吸して逸る気持ちを抑える。
鼻孔に甘い香り。蒲公英からの匂いだ。
ふにゃら。
「月因幡」
「……はっ!?」
「お師匠の悪影響だね。影響だと思いたい」
溜息をつき手を伸ばすてゐに顰め面と蒲公英を送り、漸く、私は話し出すのであった。
「十二時――今日一杯が制限の提出課題なんです。
肝心の内容は、……『蓬莱の薬の原料』。
でも、私、件の薬の形も知らなくて」
たどたどしいなりに、求められた解答ほか師匠の言葉も伝えられた……と思う。
姫様は変わらず思案顔。
腕を組み、てゐも考えてくれている。
そして、てゐの手から離れた蒲公英が、おずおずと視線を合わせてきた。
「うどんげさま……」
何時もは名前通りの尻尾が少し縮こまり、大きな瞳には薄らと涙が浮かんでいる――
「わたしでは、たんぽぽでは、おやくにたてませんか……?」
「――! 私が辿る道は、とても険しく、困難でしょう」
「……」
「だから、蒲公英。貴女を連れてはいけない」
「……はい。きっぱりとしたおことば、ありがとうございます」
――言葉が伝えられたその時には、大粒の水滴が頬を伝っていた。
それでも、あぁ、それでも。
蒲公英は笑っている。
「たんぽぽは、まっています。ここで、まっています」
何時も通りの愛らしい笑顔を、私に見せてくれている……!
「う、うぅぅ、うどんげさま、うどんげさま、だから、だから!」
「わかっている、わかっているわ、蒲公英!」
「ぜったいぜったいにおもどりください!」
「ええ、ええ。――たんぽぽぉ!」
「うどんげさまぁ!」
互いの名を呼び、抱きあう私たち。
その背を暖かな日差しが包み込む。
旅立つのには、いい日だ。
……日差し? 私、玄関開けてたっけ……?
「辛く険しいその旅を、何もおヒトリで行くことはございません。
蒲公英さんが無理ならば、私ではいかがでしょうか。
この私――」
振り返り見たその場所には、ヒトリ――いや、一妖と一霊がいた。
「――魂魄妖夢ならば、お力添えもかなうでしょう」
いやいや私。
半人半霊だ。
……じゃなくて。
「よ、妖夢! 貴女が何故此処に! 何時からいたの!?」
「偶々遊びに来ました。えっと、結構前から……」
「全然気付かなかった!」
皆に声をかけられた辺りかな。此処で私を『さん』付けする人っていないし。
それはともかく。
「妖夢……手を貸してくれるの?」
「はい。添い遂げる覚悟でお尽くしします」
「そいとげちゃだめです。でも、ようむさまならばおまかせできます!」
微妙にぐらついた妖夢は、けれどその細い腕を向けてきた。
先に繋がる手は私よりも少し小さい。
だけど、力強さは私以上だ。
「妖夢、ありがとう」
「参りましょう、うどんげさん」
しっかりと握りあい、私たちは互いに小さく頷いた。
「うどんげさま、うどんげさま、あのえっとごほん! たんぽぽのかわりに、これをつれていってください!」
――その直後、蒲公英がぺちぺちと握りあう手を叩き、ずぃと何かを差し出した。
「ん? お守り? 何か入っているような……」
「はい! できたばかりのたんぽぽの!」
「けぁいたっ!?」
ケェイタってなんだろう。移動体通信システム?
蒲公英とフタリで首を捻っていると、気にするなとばかりに振られる手。
持ち主は、思考の淵から戻ってきていたてゐだった。
あんたが原因でしょうが。
……うむ? ということは、姫様よりも先に考えがついたのかな。
「妖夢、どさくさまぎれに際どいことを言わないの」
「だって、てゐさん、お守りですよぅ?」
「だってじゃない」
「まさか蒲公英さんに……私だってやっと……」
「引きずらない! あとそんな個人情報もいらない!」
みょん!? と可愛らしい悲鳴を響かせる妖夢。愛いなぁ。
「んぅ! ――鈴仙」
なんて思っていると、今度はてゐが小さく咳払い。
場が静かになったのを確認して、私を見る。
口を開く――直前に、塞がれた。
「ぷぁ……姫様?」
羨ましい。
や、手だけど。
でも羨ましい。
てゐの後ろに回り抱きこむように押さえつつ、今度は姫様が私を見た。
瞳を交錯させててゐに何らかの意思を伝えた後、口を開く。
塞いでしまいたい。
手でもいい。
「月因幡。課題の話だけどね……って、聞いていて?」
……は!?
「もぅ……まぁ、いいわ。続けるわよ。
『原料』なんだから剤形はどうでもいいんじゃないかしら。
だけど、……永琳がそう言うなら、とりあえず、生のままが無難ね」
そーなのかー、と頷く私と妖夢と蒲公英。
こら、てゐ、あんたも感心なさいよ。
仏頂面してないでさ。
姫様は、私の迷いを断ち切り、しかも、助言まで与えてくれた。
これに応えず、どうして姫様のペットと胸を張れよう。
決意は否応なく、更に固くなった。
ふわりと、或いは、すらりと姫様の腕が上がる。
手を伸ばし、指で示す。
その先は、外。
「行きなさい、月因幡。行って、課題を果たしなさい」
――幻想郷。
「はい、姫様! ――妖夢も!!」
「行きましょう、うどんげさん!」
蒲公英の大きな大きな声援を背に受けつつ、私たちは駆け出したのであった――。
《幕間》
「うどんげさま、ようむさま、たんぽぽはおまちしております。ずっと、おまちしております!」
「駄目よ、幼因幡。もう昼食だから、食べに行きなさい」
「うさ!? で、でも、おまちしているって……」
「言うこと、聞いてくれないのかしら。くすん」
「!? いきますいってきますぅ!」
「ふふ、あの子も随分と速く走れるようになったのね。貴女の教育の賜物かしら?」
「……さて、どうでしょうね。知りやしませんや」
「あら、まだ膨れているの?」
「蒲公英にもですけど。鈴仙にも、ちょいと冗談が過ぎているんじゃないですか」
「そうかしら? 可愛い子には旅をさせろって云うじゃない。それに、どちらにせよ難易度イージーよ」
「――さてと。私は永琳に付き合うけど、てゐ、貴女はどうする?」
《幕間》
亭から送り出された速度そのままに、迷いの竹林を抜けた私と妖夢。
だったんだけど、ぴたりと止まる。
私が。
前を飛んでいた妖夢に声をかけ、地に降り、背に負った荷物を解く。
「どうされました、うどんげさん?」
ちょっと待ってね妖夢。ちょーっと待ってね。
「そう言えば、探し出すべき薬の『原料』って何なんでしょう」
わぉ。
流石は妖夢。
私の数少ない友達だ。
「妹紅さんの肝……は結果ですもんね。
じゃあ、人魚って此処には海なんてないか。
あ、アリスさんの家にある! いやいや妖夢、あれは人形……あの、うどんげさん?」
妖夢の視線を背に感じつつ、私は何も言い返せなかった。
……うん。
思いつくの、全部潰されちゃったや。
困っちゃったなお姉さん、あっはっは。
つまりは――「私も、知らない……」
季節を考慮に入れても冷たい風が、ひゅるりとフタリの間を通り抜けた。
「や、や、でも、いざと言う時のためにノート持ってきてるし! ちゃんと書いてるはず!」
「で、ですよね! うどんげさんは容姿端麗頭脳明晰なお方ですもの!」
「容姿は関係あるのかな……と、あった、どれどれ」
講義ノートを開き、今日埋めた頁までめくる。
整理した訳でもないのに整然とまとめられているのは、師匠の教え方が上手いからだろう。
然したる装飾もない二色の文字がただただ続いているだけだというのに、すんなりと学んだことを思い出せる。
……思い出せるんだけど、そんなに時間が経っている訳でもないし、そもそも忘れていないよね。
今日の講義にさくさくと見切りをつけ、昨日の頁をめくる。
うん、昨日も覚えてる。ちゃんと復習してるもの。
じゃあ一昨日だ。その前だ。
「……全部覚えてる」
「記憶力もばっちりですね!」
「こっちに来て魚も食べるようになったからね。じゃなくて」
結果として――ノートには、蓬莱の『蓬』の字も見当たらなかった。
だよねー、普通は使わないもん。
「どうしよう……」
先ほど固めた決意もどこへやら、私は呻いた。
いや、やり遂げようとする意志は変わらない。
姫様も蒲公英も、あんなに応援してくれた。てゐも、まぁ多分。
妖夢にいたっては、その場に居合わせただけだというのに協力してくれている。
だけど……。
「闇雲に探しても……」
半日も既に切ってしまっているのだから……と、頭が不可能だと悟りそうになる。
脳内で練ってしまった思考が呟きとなり、また意識してしまう。
負の感情のスパイラルを起こしてしまっているのだ。
それは解っている。
解ってはいるが、どうしようもなく全身の力が抜け、私は、手に持つノートを落としてしまう。
ノートは物理法則に則って大地へと投げ出され、地面に音もなく落下する――
「見つけましょう、それこそ、闇雲に探してでも」
――その直前、妖夢が動き、拾い上げてくれた。
「で、でも!」
「輝夜さんは言っていました」
「姫様? ……あ!」
開いていたノートを音を立て閉じ、差し出しながら、続ける。
「『課題を果たしなさい』と。……何処かにあるはずです! 目一杯希望的観測ですが!」
妖夢は正直だなぁ。愛いなぁ。
思いつつ、向けられるノートを笑いながら受け取った。
状況は変わらないが、一つだけはっきりしたことがある。
妖夢の言うとおり、提出物は『何処かにある』のだ。
この幻想郷の何処かには。
「外にあるって示してくれたんだよね、姫様。だから、私が行ける範囲にあるはずなんだ」
自身を鼓舞するように頷く。
同じタイミングで、妖夢も両の拳を強く握った。
空回りしそうな気もするけど、今はそんなこと二の次だ。
こうなりゃ、幻想郷中を飛び回ってやる!
「妖夢、行こう!」
「はい、うどんげさん!」
ぎりぎり視界の左側にある太陽に照らされながら、私たちは地を蹴り浮かびあがった――。
北に――
「いやいや妖夢、それにうどんげも。苦手って公言している私に聞いてどうするのよ」
「ですよねー。うどんげさん、次行きましょう、次」
「だからってその態度は酷いと思うのー」
「え、えと、でも、幽々子さん、最近よく姫様や師匠とお話されているようですし」
「色々フタリと考えているんだけど、なかなか実行に移せなくて。今漸く五割くらいよ」
「何の話ですか何の。ともかく、急ぎましょう、うどんげさん」
「あぁん、妖夢の冷血幽霊! 生姜でも食べて存分に温まるがいいわ!」
「え、あ、う? そ、それじゃあ、幽々子さん、また!」
「そうだ、南瓜でも、と。はいはい、またねー」
南に――
「うーん、……確かに栄養価は高いんだけど、不死には関係ないかな。
ビタミンAの含有量は他に比べてもケタ違いなんだけどね。
あ、普通のはそんなに高くないから安心して?
ってのも変な話かな。
でも、脂溶性のビタミンだから取り過ぎると負担になっちゃうんだよね。
今んとこ問題は起きてないけど……人間のお客さん用に他のメニューも考えようかなぁ」
「……うどんげさん、うどんげさん。シヨウセイってなんでしょうか?」
「油に溶けやすいって意味だよ。にしても、詳しいね、ミスティア」
「商売道具だし。知ってて当然だと思うけど?」
「む、胸が痛い。なんだかとっても胸が痛い……!」
「どうして妖夢が呻いているかわかんないけど。私も頑張ろう……」
「んじゃ、蒲焼どうぞ。勉強疲れの眼精疲労にゃ丁度いいからね。お代は結構、販促だとでも思ってよ」
東に――
「祀り、崇め、信仰しましょう。さすれば神はお応えしてくれます」
「そうなんですか! やった妖夢、見つかったよ!」
「ヤーハ、オゥイエス」
「――じゃないです、うどんげさん! 貴女もナチュラルに勧誘しないでください!」
「そんな……私はただ、身も心も……」
「なんだか危険な香りが!?」
「ぜぇはぁ……。と言うかですね、まずもってそもそも」
「妖夢、顔が赤いよ? 霊夢はどこ行ったんです、早苗さん?」
「『配給を貰いに行ってくる』って。なので、私はお留守番中です」
「そうですか。此処なら古い文献もあるかと思ったんですが……」
「や、うどんげさん、流してはいけない気がする違和感が」
「あら。モヤモヤ解消に、牛乳でも飲みます?」
「早苗さんの!?」
「や、妖夢、人体から出るのは牛乳って言わない」
「それ以前に、出ません。もう、妖夢さんってば、えっち」
「ごふっ!? 艶を出しつつ言わないでください早苗さん! うどんげさんも『何がエッチなんだろう』って顔しない!」
西に――
「上海の強化出力型だからそういう名前だけど……薬とは関係ないわよ?」
「あぃ。微かな可能性に賭けてきただけなので気にしないでください。るー」
「うどんげさん、気落ちしている暇はございません! この近くだと、次は……」
「あー、一応アドバイス。時間ないなら、香霖堂は外した方が無難だと思うわ」
「え、でも、霖之助さん物知りですし……。ねぇ、妖夢?」
「あそこにはあんまりいい思い出がないのですが……まぁ、同意できます」
「話半分に聞けるなら面白いんだけど、あのヒトの話、実益がないのよね。だから」
「――そうだ、フタリとも、お腹すいていない? 丁度チーズフォンデュが出来上がりそうなのよね」
アドバイス通りに魔法の森を抜け出した私たちは、情報や状況を整理するため、再び地へと足をつけた。
落ちてしまった日に照らされながら、私は、なんやかんやと詰め込んだ袋を漁る。
生姜や蒲焼は言うに及ばず、紅魔館でもらったアップルパイも入っていた。
早苗さんお薦めの牛乳なんてのもある。
「どうでしょうか、うどんげさん。けぷ」
お腹に手を当てた妖夢が、不安げに尋ねてきた。
「妖夢、乳臭い」
「はう! ゆ、幽々子様からも出ませんよ!?」
「アリスさんのところでいただいたチーズの匂いだけど?」
私もだろうけど。
口を抑える妖夢に液体入りの瓶を渡し、黙々と中身を確認する。
「ぷはぁ……って、これ、牛乳じゃないですか!」
「え、あれ、もしかして意味がない?」
「どころか悪化します」
言いつつも飲みきって、妖夢は深呼吸した。
悪く思っていない訳ではないが、謝罪を片手間に済ませ、袋に向かい続ける。
荷物を、眺めては右手に置き、眺めては左に置き……。
遂には腰の高さまで連なった。
そうして、底にあった亭を出る前に貰ったお守りを掴み――私の動きは、止まった。
「うどんげさん……?」
かけられる声が先ほどよりも訝しげになっている。
それはそうだろう、と虚ろになりそうな頭で思う。
私の顔色は今、青ざめているのだろうから。
努めて笑い、私は言葉を返した。
「あはは、どうも……駄目っぽい、や」
端々が震えてしまったのは、崩れそうな心象の表れだろう。
東西南北、幻想郷中を駆けずり回った。
けれど、提出物はおろか、その情報さえも手に入れられなかった。
どうすればいい……? どうすれば、このどうしようもない現状を打開できる……?
縋るようにお守りを握る。木片でも入っているのか、少し硬かった。
思い浮かぶのは、蒲公英、てゐ、姫様、そして最後に、師匠の顔。
戻りたい、帰りたい……そう、思ってしまった。
奥歯を噛む。
強く、強く。
帰れる訳がない。
課題を放りだす訳にはいかないのだから。
お仕置きが怖い訳じゃない。
ただ、逃げる訳にはいかないんだ。もう二度と、もう二度と――。
あぁ、だけれど……どうすればいい……?
見つからない答えに、力が抜ける。
肩が項垂れ、目尻に熱いものが溜まる。
握っていたお守りを、落としそうになる――
「……うどんげさん」
――寸前、両肩に触れる手を感じ、耳に呼び声が届く。
意識を取り戻し、振り向く。
西日に照らされた妖夢の顔は、少し厳めしいものになっていた。
けれど、その瞳には、今の私にはない確固とした意志が込められている。
手に触れ、先を促した。
「貴女は……いや、私も、過小評価をしていたのではないでしょうか」
「過小評価……? 何を……?」
「貴女自身を、です」
右肩が軽くなる。
右手に、重ねられる。
妖夢の両手が、私を優しく、だけど強く、包み込んだ。
――あぁ、妖夢。
「輝夜さんは示されました。
それを幻想郷と解釈したのは、私たちです。
ですが、あの方は幻想郷を、この地だけを示されたのでしょうか」
一緒に来てくれて、本当に、ありがとう。
「東西南北を隈なく探したのですから!」
「残ってるのは地底と!」
「天界!」
言葉と同時、ひっぱりあげられる。
勢いそのままに、私は飛んだ。
勿論、妖夢も。
「って、荷物!」
「半霊に戻させておきました!」
「便利だね半霊ちゃん! 手があるかはともかく!」
――落としかけたお守りを首に下げ、私たちは、深い青になっていく空を急ぐのだった。
下に――
「……ふぅむ、なかなか厄介な状況に陥ってらっしゃいますねぇ」
「見ただけで解るものですか。凄いね、妖夢!」
「や、あの、このお方は‘さとり‘」
「その通りです。……母乳は出ませんよ?」
「見て解ります。って、今はんなこと考えていませんっ」
「あ、あ、さとりさん、凹まないで。妖夢も、普段からあんまり変なこと考えちゃ駄目だよ?」
「んぅこほん。ここまで来ていただいて手ぶらもなんですし、卵でもお持ち帰りくださいな」
「空さんの!?」
「妖夢っ!」
上に――
「このターンX凄いよぉ! 流石、ターンAのお兄さぁぁぁんっ!!」
《幕間》
「ねぇ、衣玖。今、何かがものすごい勢いで上に昇って行かなかった?」
「ですね。……おや、戻ってこられたようですよ」
「むむ、なんだか面白そうな気配!」
「いけませんよ、総領娘様。私がお迎えにあがった意味がなくなってしまいます」
「あー? ……あ、そっか、今日は歴史の講義か。衣玖はどうでもいいけど、そっちは受けないとね」
「どうということもなく本心なのがいと哀し。因みに、此方は三割ほどですわ」
「何の話よ何の」
《幕間》
行っちゃいけない所に辿りついてしまった気がする。
「つ、月? いや、時間、あぁそれよりも空間!?」
「……あ、お話聞けてないや。もう一回昇らないとね」
「いけません! 聞けたとしても冷凍睡眠くらいですから!」
それはそれで凄いんじゃないかなぁ。
軽口を叩く私の足取りは、けれど、鉛のように重い。
幻想郷中を巡った。
縦横無尽に世界を駆け抜けた。
比例して、背に負う荷物は重くなった。
――だけど、肝心の提出物に関しては、何も変わっていなかった。
「後はもう……大図書館で調べさせてもらうくらいかな……」
夕方になる前に赴いた時、パチュリーさんにはお願いしている。
『なかったと思うけど……』と言う言葉を聞き、後回しにしていたのだ。
持ち主である彼女がそう言うのだから可能性は極めて低いが、背に腹は代えられない。
「妖夢、私、紅魔館に戻るね。だから、ここで――」
お別れだよ。
そう伝えようとする私の視界に映ったのは、首を横に振る妖夢。
「いいえ、うどんげさん。貴女が戻るのは、戻らなくてはいけないのは、紅魔館ではありません」
そして――妖夢を照らす、鮮やかな月明かり。
「貴女は、永遠亭に戻らなくてはいけないのですから」
あ。
そうか。
もう、夜なんだ。
期限が過ぎてしまいそうなんだ。
「で、でも! 大丈夫だよ妖夢! ばーっと行ってがーっと読めばすぐ終わるよ!」
帰れる訳がない。
戻れる訳がない。
「それに、そうだ、博麗神社の物置もまだ探してないし! 阿求さん家の書庫も!!」
――もう二度と、もう二度と。
「うどんげさん」
肩に伸ばされる手を邪険に払う。
駄々をこねる私に、妖夢の瞳が歪む。
怒りだろうか。蔑みだろうか。憐みだろうか。
だけど、だけど、私はもう二度と――にげるわけには、いかないんだ……!
ぼやけた、熱い視界で妖夢を見る。
精一杯の想いを瞳に込めた。
そして、視線が交差する。
妖夢は、くるりと私に背を向けた。
あぁ。
私は、失ってしまった。
また、また、かけがえのない友達を、失ってしまった――
「僭越ながら申し上げますと――うどんげさん、貴女は、思い違いをしておられます」
――「……え?」
「貴女は、提出物を持ち帰らないことが逃げだと感じられております。
或いはそれも一つの逃げなのかもしれません。
けれど、私にはそう思えないのです。
よっぽど、決められた時間を無視する方が逃げだと感じるのです。
ですので――ですので、その意志が未だあるのならば、戻り、謝り、延長を願うのが筋ではないでしょうか」
背を向けたままそう言って、妖夢は、また、腕を伸ばしてきた。伸ばして、きてくれた。
「私もご一緒いたしますよ。言わずもがにゃですが」
「あはは、妖夢、噛んでる、噛んじゃったよ」
「むじゅかしい言葉を、みょーん!」
変わらない可愛らしい悲鳴を上げる妖夢。愛いなぁ。
「それと、頭に乗せた半霊ちゃんにはどういう意味が?」
「冷却中です。難しいことを並べたので、知恵熱が」
「半霊ちゃんからも湯気が出てるけど?」
――みょーん!?
妖夢が月夜に吠える。
その手を、私はしっかりと握った。
目元を拭ったせいで少し濡れていたけど、きっと、すぐに蒸発してくれるだろう。
永遠亭に戻る足取りは、変わらず重かった。
でも、それは、色んなヒトに貰ったお土産を背に負っているからだ。
全ての暗雲が晴れた訳じゃない、だけど、確実に、私の心は軽くなっていた――。
時刻は既に午後十二時前。
寝ている皆を起こさないよう、私は静かに玄関を開けた。
亭の皆は、姫様の指示で、師匠の提案で、てゐの習慣で、早寝早起きなのだ。
声を出さないようにと口に指を当て、妖夢に振り返る。
だけど、足は動かし、前へと進んでいた。
急がないと時間に間に合わない。
なんて思っていたら、ぽん、と何かにぶつかった。
柔らかい。
加えて、とてもいい匂い。
このまま蕩けてしまいたい!
「……月因幡、くすぐったいわ」
しかも、声まで美しい!
「あ、羨ましい」
「ひ、姫!?」
「静かに」
慌てる私と妖夢を一声の元に黙らせて、姫様は奥へと進みだした。
待っていてくれたんですか、とか。
なんで妖夢も慌てていたんだろう、とか。
色々な疑問が浮かんだけど、結局、私は妖夢と顔を合わせ、その後に従った。
姫様が向かったのは、私たちが辿りついたのは――師匠がいるであろう勉強部屋だった。
……当然だけどさ。
ごくりと唾を飲み込む。
先にも言ったが、お仕置きが怖い訳じゃない。
怖い訳じゃないけど、でもちょっとは不安で、あぁぁやっぱり怖くなってきた!
土壇場で怯えだす私。
そんな私を、妖夢が励ましてくれた。
声でじゃない。握りっぱなしの手の力が強くなったのだ。
大丈夫。
ありがとう。
二つを込めて、握り返した。
「いっだぁ!?」
「ご、ごめん妖夢!」
「……フタリとも、静かに」
しゅんとなる私たち。
ちらりと、姫様が私たちを見る。
私たち? 違う、私だ。
私の……。
「……ちゃんとあるわね。永琳、入るわよ」
私が読み切る前に姫様は視線を戻し、部屋の障子をあ、あ、開けちゃう――!
足を崩した体勢で座り、虚ろな目で手を伸ばす師匠が、そこにはいた。
「ひもじいわ……ひもじい、気が、する、わ……がく」
しかも、声まで弱々しい。
――し、師匠ぉぉぉ!!
と叫んだつもりが、実際には、ひひょーと間の抜けた音が漏れただけだった。
口を広げたタイミングで妖夢に押さえられたようだ。
代わりとばかりに師匠へと降り注いだのは、弾幕。
「蓬莱人云々抜きでも、二食抜かした程度でそうはならないでしょうに」
姫様の、弾幕。
何が凄いって、とても煌びやかななのに無音なんだよね。
受ける師匠も師匠で、串刺しにされながらも叫び声の一つ上げないでいる。
でも、眉根がよっているから痛いことには痛いのかな。頬も上気しているし。あ、威力が更にあがった。
身なりを正した師匠が私たちと向き合う。
私は真正面に、左右の少し後ろに妖夢と姫様が陣取った。
持っていた荷物並びにお土産は、とりあえず部屋の隅に置いている。
「さて」
区切りをつけるような一声に、私は思わずまた唾を飲んだ。
「色々聞きたいのだけれど、そうね」
でも、言い訳はしない。
お仕置きは怖いけど、うん、それはしょうがない。
ちゃんと話して、今残っている十数分か数分かの制限時間を延ばしてもらおう。
そう思い、師匠の言葉を待った。
「まずは、これほど遅れた理由を聞かせてもらえるかしら」
……え?
あれ、え、今……?
師匠は『遅れた』って……と言うことは……?
課題を果たせなかっただけでなく、私は、制限時間さえも過ぎてしまっていた……?
口が渇く。
頭がぐらつく。
視界が、揺らぐ。
だけど、だけど――逃げ出さない、逃げ出すもんか。
ぐるぐると回る頭を無視して、私ははっきりと、口を開いた。
「ひひょー! ……って、ひょうむ!?」
何故か妖夢に押さえられていた。
「永琳さん、それは無為にこの私、きょんぱきゅひょうむが――ひゃくひゃひゃん!?」
何故か妖夢も押さえられていた。
手だけど。でも羨ましい。
じゃなくて。
……姫様?
視線で問う私たちに、姫様は微笑むだけだった。
そして、手を私たちに伸ばす。
いや、私へと、伸ばす。
「混乱させてしまったわね、フタリとも。
永琳。
今は、午後十一時五十五分。
この子たちは遅れたのかしら? 遅れていないわよね?
そして。
そう、肝心の課題だけど。
月因幡と妖夢は、見事に果たしたわよ」
私の胸元で小さく揺れていたお守りに触れ、姫様は、そう言った。
「『蓬莱の薬の原料』は、確かに、此処にあるわ。しかも、二つ以上、ね」
ぱちくりと目を瞬かせる。
ちらりと様子を窺った妖夢も、同じ様だった。
口を塞いでいた手は既に外されていたが、互いに顔を見合わせるだけで、何も言えない。
だから、姫様の言葉に続いたのは、師匠の声だった。
「仰るとおりですね。
鼻を鋭くすれば、確かに私が望んだ香り。
あ、これは姫様の香りですか。体臭ですか。
望んでいることに変わりはしません。いやいや。
うどんげ、よく課題を果たしたわね。
妖夢、愛弟子に代わってお礼を言うわ。ありがとう。
――フタリとも、疲れたでしょう。今日はもう、下がりなさいな」
と、言われても。
呆気にとられた私たちは動けないでいた。
情けないと思わないでいただきたい。
だってなんだかよくわからない。
だけど身体は正直で、姫様と師匠の柔らかい表情を見ていると、緊張が解けたのだろう、どっと疲れが押し寄せてきた。
そりゃそうだ――半日中ずっと、東西南北を縦横無尽に飛び回っていたのだから。
くらりと身体が傾いて、同様に傾いていた妖夢ともたれ合う形になった。
「ふふ、美しく、そして、可愛らしい友情ね」
そう言って姫様は、私の首にかかるお守りの中身を抜き取り、あらぬ方向へと視線を向けた。
誰もいない場所なんだから、この表現で間違っちゃいないと思う。
つまり、私たちが入ってきた障子戸に、目をやったのだ。
「貴女も、そう思わない? 地因幡」
「さてね。知りやしませんや」
「あら、ふふふ」
……てゐ?
「ともかく、フタリを布団まで運んでもらえるかしら」
何時の間に来たんだろう。
なんで起きているんだろう。
どうして言葉に少し棘があるんだろう。
「面倒だから、一つの布団で宜しいですかね?」
「私は構わないわよ?」
「むぐ……」
次々と浮かぶ疑問は声にならず、思考の淵に沈んでいく。
「そうだ、こう言うのはどうかしら。布団は二つで枕が一つ」
「……考えておきましょう」
「ふふ、頼んだわよ」
それは、頭も同様だった
あぁ、瞼が閉じる。
意識がおちる。
「おつかれ、さま、でした、うどん、げさん」
「ゆっくりと疲れをとりなさい、うどんげ」
「お休みなさい――鈴仙因幡」
でも、そのまえに――「ありがとう、ようむ。おやすみなさい、ししょう、ひめさま、それと……」
《幕間》
「さて、あの子たちが行ったところで。ひもじいわ、ひもじい気がするわ」
「それはもういいから」
「んだらばおめさぐってやろうがぁ!」
「何キャラよ」
「だって、結局朝から何も食べていないのよ?」
「私も付き合ったじゃない」
「あら、そうなの? ちゃんと食べなきゃだめよ?」
「……そもそも、誤解させる言い方をした貴女が悪いのよ、永琳」
「『昼食前に人参取ってきて』ってお願いが、まさかこんなにかかるとはね」
「でも、愛弟子なんでしょう?」
「当然じゃない。可愛い可愛い私の愛弟子」
「ふぅん、妬けちゃうわ」
「存分に妬いちゃって。そう促しているんですもの」
「今日はいつにもまして押してくるわね」
「当然よ。貴女がそれを許し、望んでくれているわ」
「ん……どうして、そう想うの?」
「あの子たちは、確かに『蓬莱の薬の原料』を伴ってきた。
人参他に入っているレチノールと、もう一つ。
……原料って言い方はどうかと思うけど。
――それは、輝夜。貴女よ」
「あら、名前呼び」
「だって、食べていいんでしょう?」
「どうしようかしら。とりあえず、蒲公英が作ったこの小さな人参を、一緒に頂きましょう」
《幕間》
落ちそうに、いや、落ちてしまった、だろうか。
ともかく、意識が帰ってきた。
要は、起きた。
目覚めさせたのは、左から聞こえるか細い声と、上から聞こえる努めた小さな声。
「結局……結局、あれだけ大見え切って、私は、うどんげさんを振りまわしただけでした……」
「んなこたぁない。……何、気にしてるの?」
「だって……」
か細い声は、妖夢だ。
私は即座に、妖夢の零した言葉を否定しようとした。
だけど、起きぬけの頭は簡単に動こうとしない。
焦る気持ちだけが、募る。
だから、伝えてくれたのは、小さな声――てゐだった。
「……鈴仙は、臆病で、怖がりで、頭でっかちなんだよね。
あぁそうそうそれと、変に意固地なところがあってさ。
きっと、ヒトリじゃ戻ってこれなかったよ」
ち、ちくしょう、好き放題言いやがって。
的を射ているだけに余計、腹立たしい。
その上、至る行動も読まれている。
……付き合いが長いからかな。
「だから、妖夢。一緒に行ってくれて、ありがとう」
至る行動も、同じだった。
「なんでしょう、こう、やんちゃな亭主の代わりに頭を下げるおくさ」
「喧しい。さっさと寝ろ」
「みょん!」
なんだか微妙に気遣われた気がする。
あぁでも、妖夢は可愛いなぁ。
愛いなぁ。
「……ありがとうございます、てゐさん」
「はいはい、お休み」
「お休み、なさい」
声は途切れ、代わりに、微かな寝息が聞こえてきた。
ずっと一緒だったんだもん。
疲れているよね。
お休み、妖夢。
そして、本当に、本当に、――「ありがとう」
あ、漸く声が出た。
「……起きてたの?」
「臆病で怖がり、頭でっかちに泣き虫ですよぅ」
「や、最後のは言ってないんだけど。……起きてたのか」
むぐ。
言ってないかもしれないけれど、きっと、こいつは思っている。
だって、私自身が、そう思っているんだから。
心中で悪態をつく私に、てゐはふっと、……あれ?
急に視界が真っ暗になっちゃった。
や、元々夜だから暗いんだけど。
どうやら、目に手を当てられたようだ。眠くなる。
「……悪かったね、鈴仙」
「とく謝れ」
「うん」
……。
「ごめんなさいごめんなさい。……でも、何が?」
珍しいことに、今日は悪戯をされていない。
昨日を、一昨日を謝っているのだろうか。
やっぱり、とく謝れ。
「課題が人参だって、あの時点で解ってたんだよね」
ろくに動かない頭はそれでもしっかり受けた悪戯は覚えていて、文句を云い募ろうとする私に、てゐは静かに、告げた。
……え?
「いや、あの、てゐ。……私、未だにその理屈がわからないんだけど」
「講義の話してたじゃん。生物の自浄作用、つまり、免疫力の」
「ぐー」
見えていないのにジト目が注がれてるのがわかる。不思議。
や、だって眠いんだもん。
難しい言葉は頭に入ってこない。
具体的に言うと、漢字が四文字つらなっているとシャットダウンしてしまう。
狸寝入りする私に見切りをつけたのか、てゐはそれ以上続けなかった。
続けられても困るけど。
あ、でも。
「詳しいね、てゐ」
「そりゃまぁ、健康マニアですから」
「脈拍も操れるのかな。哺乳類の場合、約二十ぉくぅ……」
自分の言葉でも駄目なようだ。
どうやら本格的に眠気が襲ってきたらしい。
解らない所は多々あるが、起きてから聞いて回ろう。
師匠、姫様、それに、今ならなんとなく、てゐも応えてくれそうな気がする。
「……寝る?」
「う、ぅん」
「どっちか」
微苦笑を浮かべ、てゐは、やさしく、かみを、なでて……。
「約二十億ね。
んなわけないじゃん。
そんなの、誰かさんの所為でとっくに過ぎちゃってるよ」
「誰かさんって、だぁれ?」
「うわぉう起きてた!?」
「てゐ、しー」
妖夢が起きちゃう。
仏頂面をしているだろうてゐに、私は小さく笑う。
誰かさんは知らないけれど、今確実に、私が脈拍を速めてやった。
……って、速くなると駄目なのか。いやでも、んなわけないって健康マニアも言ってるし。
「……寝ないの?」
ぐるぐるぐるぐる考えていると、てゐが、呆れた声で聞いてきた。
あんたの所為だっての。
私は、返す。
「だって、あんたが寝れないでしょう?」
「膝かしてるくらいで眠れなくなる訳ないじゃない」
「違う違う。私に悪戯して、一日を締めるんじゃないの?」
素っ頓狂な声だっけ?
続ける私に、てゐは、一瞬キョトンとして、すぐに、笑った。
「だから、悪戯実行中。鈴仙、寝れないでしょう?」
「がーん! は、はかった、な……ぐぅ」
「妖夢が起きちゃうって」
――鈴仙は駄目だなぁ。
「むぅぅ……うぅ、おやすみ、てゐ」
「うん。お休み、鈴仙」
何時も通りの悪態をつくてゐの声は、だけど、妙に優しく、落ちる私の意識を包み込んでくれたのだった――。
<了
……うん、残念ながら耳に異常はない。
いやいや残念なんて思っちゃいけない、と頭を振る。
先日、姫――蓬莱山輝夜――様に手入れをして頂いた耳は、数日経っているにもかかわらず、ふわふわのもふもふ。
手入れ。つまり、耳かき。しかも、膝枕だ。羨ましい?
姫様の太腿は、引きしまった外観をしているが、その実、どきりとするほど柔らかみがあった。
弛んでいると言う訳じゃなく、柔らかいと知覚するに足る最低限の脂肪を纏っているのだ。
袴越しでさえその感触、素肌であれば触れた瞬間に頭が蕩けてしまうんじゃなかろうか。
蕩けてしまいたい!
「……うどんげ?」
陽光だけを光源とした和室――勉強部屋に、僅かに怪訝な色を滲ませた呼び声がして、私は我に帰った。
目線の先には、意識を飛ばした先程と変わらず、師匠――八意永琳様――がいる。
夢見心地を切り替え、その状況に至らせた言葉を思いだす。
……お、思い出したくなかった。
頭を抱えたくなる衝動を抑え込み、万が一の可能性に賭け、私は口を開いた。
「あの、師匠、なんと?」
一つの可能性、聞き間違いは先程否定してしまっている。
だから、賭けたのはもう一つの可能性。起こり得るもう一つの間違い。師匠の言い間違い。
余りにも分が悪いのは解っているが、だからと言って、そのまま受け入れられるほど容易い事でもなかった。
「できれば、少し前から……」
師匠は、聞こえなかったのかしら、となんのてらいもなく苦笑する。少なくとも、私にはそう聞こえ、見えた。
「『つまり、生物の根幹にはそう言った自浄機能がある。
貴女やてゐにも、勿論。霊夢や魔理沙と言った人間にもね。
魂を核とする、あぁ、此処はまだね。ともかく、一応は、姫や私にもあるわ』」
数十秒前に口にした言葉を、一字一句違わず再生する師匠。もう少し先だ。
「『今日の授業は是でおしまい。あぁ、お腹が空いたわね。空いた気がするわ』」
未だ理屈はわからないが、不老不死、蓬莱人である姫や師匠にも不必要な空腹の概念はあるようだ。
或いは、残っていると言う方が正しいのかもしれない。残している、だろうか。
取り留めのない事を考えるのは、逃避だと解ってはいた。
衝撃の言葉は、もうすぐそこだ。
「『あぁ、そうだ、うどんげ。今日の提出課題は』――」
講義を終えた後の穏やかな弛緩を引きずりながら、師匠は、そうだ、言った。
私は、口を真一文字に結び、奥歯を噛みしめた。
クる。
「――『蓬莱の薬の原料ね』」
キた。
弾丸じゃ生易しい。
言葉は砲丸となり私を薙ぎ払い、浴びせられた上半身がのけ反る。きりきりばたーん。
「……器用ね、うどんげ」
正座をしていた所為で、ブリッジの体型が崩れた姿勢になっていた。両手も放り出されている。
腹筋がひくひくと悲鳴をあげる。体術の訓練が疎かになっているからだろう。
しょうがないじゃない、ハウス栽培だってしなきゃいけないんだから!
湧き上がったどうでもいい雑念に憤るが、誰に向けたでもない言い訳は急速にしぼんでいく。
少し大きめの呼吸を取り、反動で姿勢を正す。勢い余り、膝ではなく机に掌が叩きつけられた――バァンっ!
師匠は変わらず、きょとんといている。やだ、可愛い。……違う違う。
唾を飲み込む。口腔から伝わる音は意外に大きく、自身、驚いた。
視線を師匠の瞳に合わせ、口を開く。
「期限は……?」
「そうねぇ。十二時」
「じゅ、じゅうにじ!?」
声が引っくり返った。時刻に驚いている訳じゃない。期限が、時間と言う事に驚いているんだ。
呆然とする私に小さく唸り、師匠は後ろにちらりと視線を向けた。
「少し位、遅れてもいいわよ?」
課題の訂正は、ない。
悟った私は講義ノートをしっかりと掴み、立ち上がる。
すんなりと起立の態勢をとれた。何時も襲い来る脛のじんじんとした痺れがない。
体も解っているのだろう。痛みを感じている余裕など、一瞬さえもない事を。
「月の頭脳、八意永琳様が課題、不肖、弟子たる鈴仙・優曇華院・イナバ、承りまう!」
宣言すると同時、毅然と振り返り、部屋を出る。
無論、慣れない言葉が詰まってしまった事を悔いる時間などない。
……ないんだから、顔が赤くなってるのも気にしないんだ。師匠のぽかんとした顔も気にしない!
襖を閉め、見上げた空には、煌々とした太陽が昇っている。
そう、昇っている。まだ降りちゃいない。
制限時間は約半日。
時計を見たのかな――自室へと駆けだした時にそう思い、私は更に足を速くした。
蓬莱の薬。
生地である月でもお伽噺の様に語られるソレは、『禁断の秘薬』と言うあだ名の方がしっくりとくる。
生成方法はおろか、剤形すら語られない秘薬の効果は、幼い時には誰も彼もが夢見る絵空事、不老不死。
お伽噺の筈だった。絵空事で片付けられる筈であった。生成者である師匠、服用者である姫様を見るまでは。
そうなんだよね。
私、剤形すら知らないんだよね。
気付いたのは、荷造りを終えて玄関で靴を履いている時だった。
「どうしよう……」
呟きは、今の私の心境を映したように静かに重く、廊下に消える。
「何がかしら、月因幡」
「珍しいね、鈴仙がそこまで気落ちしてるのって」
「にもつがたくさん……うどんげさま、わたしも、たんぽぽもついていきます!」
――と思ったのだが、三方向から拾われた。
大まかに言うと後ろからと左右から。
勿論、発言者も違っている。
くるりと振り向き、私はそれぞれに応えた。
「師匠から与えられた課題が途方もなく難しくて外に探しに行かないといけないの……です」
よっし、完璧だ。
「ふむぅ……」
「なんか満足してるけど、解ってるの姫様だけだから」
「うどんげさま、うどんげさま、たんぽぽもいっしょにおでかけします!」
そんな。
飛びついてくる幼妖兎を抱きとめ、揶揄する悪戯兎に舌を出し、そして、私は主に向きあった。
「えうぅ、うどんげさまにあっかんべーってされたぁぁぁ……」
「鈴仙、蒲公英サイズで考えているからだろうけど、苦しい」
「輝夜さんはあちらです、うどんげさん」
どうやら三百六十度回っていたらしい。そんな。
てゐを放りだし、蒲公英の髪を撫で謝罪しつつ、私は今度こそ姫様に顔を合わせる。
「どういう課題か聞いてもいいかしら?」
無礼な振る舞いを流してくれた姫様は、口元に指をあて、笑みながら問うてきた。
柔らかな微笑みに、私は思わずぼぅと見惚れる。
……場合じゃない!
目一杯に深呼吸して逸る気持ちを抑える。
鼻孔に甘い香り。蒲公英からの匂いだ。
ふにゃら。
「月因幡」
「……はっ!?」
「お師匠の悪影響だね。影響だと思いたい」
溜息をつき手を伸ばすてゐに顰め面と蒲公英を送り、漸く、私は話し出すのであった。
「十二時――今日一杯が制限の提出課題なんです。
肝心の内容は、……『蓬莱の薬の原料』。
でも、私、件の薬の形も知らなくて」
たどたどしいなりに、求められた解答ほか師匠の言葉も伝えられた……と思う。
姫様は変わらず思案顔。
腕を組み、てゐも考えてくれている。
そして、てゐの手から離れた蒲公英が、おずおずと視線を合わせてきた。
「うどんげさま……」
何時もは名前通りの尻尾が少し縮こまり、大きな瞳には薄らと涙が浮かんでいる――
「わたしでは、たんぽぽでは、おやくにたてませんか……?」
「――! 私が辿る道は、とても険しく、困難でしょう」
「……」
「だから、蒲公英。貴女を連れてはいけない」
「……はい。きっぱりとしたおことば、ありがとうございます」
――言葉が伝えられたその時には、大粒の水滴が頬を伝っていた。
それでも、あぁ、それでも。
蒲公英は笑っている。
「たんぽぽは、まっています。ここで、まっています」
何時も通りの愛らしい笑顔を、私に見せてくれている……!
「う、うぅぅ、うどんげさま、うどんげさま、だから、だから!」
「わかっている、わかっているわ、蒲公英!」
「ぜったいぜったいにおもどりください!」
「ええ、ええ。――たんぽぽぉ!」
「うどんげさまぁ!」
互いの名を呼び、抱きあう私たち。
その背を暖かな日差しが包み込む。
旅立つのには、いい日だ。
……日差し? 私、玄関開けてたっけ……?
「辛く険しいその旅を、何もおヒトリで行くことはございません。
蒲公英さんが無理ならば、私ではいかがでしょうか。
この私――」
振り返り見たその場所には、ヒトリ――いや、一妖と一霊がいた。
「――魂魄妖夢ならば、お力添えもかなうでしょう」
いやいや私。
半人半霊だ。
……じゃなくて。
「よ、妖夢! 貴女が何故此処に! 何時からいたの!?」
「偶々遊びに来ました。えっと、結構前から……」
「全然気付かなかった!」
皆に声をかけられた辺りかな。此処で私を『さん』付けする人っていないし。
それはともかく。
「妖夢……手を貸してくれるの?」
「はい。添い遂げる覚悟でお尽くしします」
「そいとげちゃだめです。でも、ようむさまならばおまかせできます!」
微妙にぐらついた妖夢は、けれどその細い腕を向けてきた。
先に繋がる手は私よりも少し小さい。
だけど、力強さは私以上だ。
「妖夢、ありがとう」
「参りましょう、うどんげさん」
しっかりと握りあい、私たちは互いに小さく頷いた。
「うどんげさま、うどんげさま、あのえっとごほん! たんぽぽのかわりに、これをつれていってください!」
――その直後、蒲公英がぺちぺちと握りあう手を叩き、ずぃと何かを差し出した。
「ん? お守り? 何か入っているような……」
「はい! できたばかりのたんぽぽの!」
「けぁいたっ!?」
ケェイタってなんだろう。移動体通信システム?
蒲公英とフタリで首を捻っていると、気にするなとばかりに振られる手。
持ち主は、思考の淵から戻ってきていたてゐだった。
あんたが原因でしょうが。
……うむ? ということは、姫様よりも先に考えがついたのかな。
「妖夢、どさくさまぎれに際どいことを言わないの」
「だって、てゐさん、お守りですよぅ?」
「だってじゃない」
「まさか蒲公英さんに……私だってやっと……」
「引きずらない! あとそんな個人情報もいらない!」
みょん!? と可愛らしい悲鳴を響かせる妖夢。愛いなぁ。
「んぅ! ――鈴仙」
なんて思っていると、今度はてゐが小さく咳払い。
場が静かになったのを確認して、私を見る。
口を開く――直前に、塞がれた。
「ぷぁ……姫様?」
羨ましい。
や、手だけど。
でも羨ましい。
てゐの後ろに回り抱きこむように押さえつつ、今度は姫様が私を見た。
瞳を交錯させててゐに何らかの意思を伝えた後、口を開く。
塞いでしまいたい。
手でもいい。
「月因幡。課題の話だけどね……って、聞いていて?」
……は!?
「もぅ……まぁ、いいわ。続けるわよ。
『原料』なんだから剤形はどうでもいいんじゃないかしら。
だけど、……永琳がそう言うなら、とりあえず、生のままが無難ね」
そーなのかー、と頷く私と妖夢と蒲公英。
こら、てゐ、あんたも感心なさいよ。
仏頂面してないでさ。
姫様は、私の迷いを断ち切り、しかも、助言まで与えてくれた。
これに応えず、どうして姫様のペットと胸を張れよう。
決意は否応なく、更に固くなった。
ふわりと、或いは、すらりと姫様の腕が上がる。
手を伸ばし、指で示す。
その先は、外。
「行きなさい、月因幡。行って、課題を果たしなさい」
――幻想郷。
「はい、姫様! ――妖夢も!!」
「行きましょう、うどんげさん!」
蒲公英の大きな大きな声援を背に受けつつ、私たちは駆け出したのであった――。
《幕間》
「うどんげさま、ようむさま、たんぽぽはおまちしております。ずっと、おまちしております!」
「駄目よ、幼因幡。もう昼食だから、食べに行きなさい」
「うさ!? で、でも、おまちしているって……」
「言うこと、聞いてくれないのかしら。くすん」
「!? いきますいってきますぅ!」
「ふふ、あの子も随分と速く走れるようになったのね。貴女の教育の賜物かしら?」
「……さて、どうでしょうね。知りやしませんや」
「あら、まだ膨れているの?」
「蒲公英にもですけど。鈴仙にも、ちょいと冗談が過ぎているんじゃないですか」
「そうかしら? 可愛い子には旅をさせろって云うじゃない。それに、どちらにせよ難易度イージーよ」
「――さてと。私は永琳に付き合うけど、てゐ、貴女はどうする?」
《幕間》
亭から送り出された速度そのままに、迷いの竹林を抜けた私と妖夢。
だったんだけど、ぴたりと止まる。
私が。
前を飛んでいた妖夢に声をかけ、地に降り、背に負った荷物を解く。
「どうされました、うどんげさん?」
ちょっと待ってね妖夢。ちょーっと待ってね。
「そう言えば、探し出すべき薬の『原料』って何なんでしょう」
わぉ。
流石は妖夢。
私の数少ない友達だ。
「妹紅さんの肝……は結果ですもんね。
じゃあ、人魚って此処には海なんてないか。
あ、アリスさんの家にある! いやいや妖夢、あれは人形……あの、うどんげさん?」
妖夢の視線を背に感じつつ、私は何も言い返せなかった。
……うん。
思いつくの、全部潰されちゃったや。
困っちゃったなお姉さん、あっはっは。
つまりは――「私も、知らない……」
季節を考慮に入れても冷たい風が、ひゅるりとフタリの間を通り抜けた。
「や、や、でも、いざと言う時のためにノート持ってきてるし! ちゃんと書いてるはず!」
「で、ですよね! うどんげさんは容姿端麗頭脳明晰なお方ですもの!」
「容姿は関係あるのかな……と、あった、どれどれ」
講義ノートを開き、今日埋めた頁までめくる。
整理した訳でもないのに整然とまとめられているのは、師匠の教え方が上手いからだろう。
然したる装飾もない二色の文字がただただ続いているだけだというのに、すんなりと学んだことを思い出せる。
……思い出せるんだけど、そんなに時間が経っている訳でもないし、そもそも忘れていないよね。
今日の講義にさくさくと見切りをつけ、昨日の頁をめくる。
うん、昨日も覚えてる。ちゃんと復習してるもの。
じゃあ一昨日だ。その前だ。
「……全部覚えてる」
「記憶力もばっちりですね!」
「こっちに来て魚も食べるようになったからね。じゃなくて」
結果として――ノートには、蓬莱の『蓬』の字も見当たらなかった。
だよねー、普通は使わないもん。
「どうしよう……」
先ほど固めた決意もどこへやら、私は呻いた。
いや、やり遂げようとする意志は変わらない。
姫様も蒲公英も、あんなに応援してくれた。てゐも、まぁ多分。
妖夢にいたっては、その場に居合わせただけだというのに協力してくれている。
だけど……。
「闇雲に探しても……」
半日も既に切ってしまっているのだから……と、頭が不可能だと悟りそうになる。
脳内で練ってしまった思考が呟きとなり、また意識してしまう。
負の感情のスパイラルを起こしてしまっているのだ。
それは解っている。
解ってはいるが、どうしようもなく全身の力が抜け、私は、手に持つノートを落としてしまう。
ノートは物理法則に則って大地へと投げ出され、地面に音もなく落下する――
「見つけましょう、それこそ、闇雲に探してでも」
――その直前、妖夢が動き、拾い上げてくれた。
「で、でも!」
「輝夜さんは言っていました」
「姫様? ……あ!」
開いていたノートを音を立て閉じ、差し出しながら、続ける。
「『課題を果たしなさい』と。……何処かにあるはずです! 目一杯希望的観測ですが!」
妖夢は正直だなぁ。愛いなぁ。
思いつつ、向けられるノートを笑いながら受け取った。
状況は変わらないが、一つだけはっきりしたことがある。
妖夢の言うとおり、提出物は『何処かにある』のだ。
この幻想郷の何処かには。
「外にあるって示してくれたんだよね、姫様。だから、私が行ける範囲にあるはずなんだ」
自身を鼓舞するように頷く。
同じタイミングで、妖夢も両の拳を強く握った。
空回りしそうな気もするけど、今はそんなこと二の次だ。
こうなりゃ、幻想郷中を飛び回ってやる!
「妖夢、行こう!」
「はい、うどんげさん!」
ぎりぎり視界の左側にある太陽に照らされながら、私たちは地を蹴り浮かびあがった――。
北に――
「いやいや妖夢、それにうどんげも。苦手って公言している私に聞いてどうするのよ」
「ですよねー。うどんげさん、次行きましょう、次」
「だからってその態度は酷いと思うのー」
「え、えと、でも、幽々子さん、最近よく姫様や師匠とお話されているようですし」
「色々フタリと考えているんだけど、なかなか実行に移せなくて。今漸く五割くらいよ」
「何の話ですか何の。ともかく、急ぎましょう、うどんげさん」
「あぁん、妖夢の冷血幽霊! 生姜でも食べて存分に温まるがいいわ!」
「え、あ、う? そ、それじゃあ、幽々子さん、また!」
「そうだ、南瓜でも、と。はいはい、またねー」
南に――
「うーん、……確かに栄養価は高いんだけど、不死には関係ないかな。
ビタミンAの含有量は他に比べてもケタ違いなんだけどね。
あ、普通のはそんなに高くないから安心して?
ってのも変な話かな。
でも、脂溶性のビタミンだから取り過ぎると負担になっちゃうんだよね。
今んとこ問題は起きてないけど……人間のお客さん用に他のメニューも考えようかなぁ」
「……うどんげさん、うどんげさん。シヨウセイってなんでしょうか?」
「油に溶けやすいって意味だよ。にしても、詳しいね、ミスティア」
「商売道具だし。知ってて当然だと思うけど?」
「む、胸が痛い。なんだかとっても胸が痛い……!」
「どうして妖夢が呻いているかわかんないけど。私も頑張ろう……」
「んじゃ、蒲焼どうぞ。勉強疲れの眼精疲労にゃ丁度いいからね。お代は結構、販促だとでも思ってよ」
東に――
「祀り、崇め、信仰しましょう。さすれば神はお応えしてくれます」
「そうなんですか! やった妖夢、見つかったよ!」
「ヤーハ、オゥイエス」
「――じゃないです、うどんげさん! 貴女もナチュラルに勧誘しないでください!」
「そんな……私はただ、身も心も……」
「なんだか危険な香りが!?」
「ぜぇはぁ……。と言うかですね、まずもってそもそも」
「妖夢、顔が赤いよ? 霊夢はどこ行ったんです、早苗さん?」
「『配給を貰いに行ってくる』って。なので、私はお留守番中です」
「そうですか。此処なら古い文献もあるかと思ったんですが……」
「や、うどんげさん、流してはいけない気がする違和感が」
「あら。モヤモヤ解消に、牛乳でも飲みます?」
「早苗さんの!?」
「や、妖夢、人体から出るのは牛乳って言わない」
「それ以前に、出ません。もう、妖夢さんってば、えっち」
「ごふっ!? 艶を出しつつ言わないでください早苗さん! うどんげさんも『何がエッチなんだろう』って顔しない!」
西に――
「上海の強化出力型だからそういう名前だけど……薬とは関係ないわよ?」
「あぃ。微かな可能性に賭けてきただけなので気にしないでください。るー」
「うどんげさん、気落ちしている暇はございません! この近くだと、次は……」
「あー、一応アドバイス。時間ないなら、香霖堂は外した方が無難だと思うわ」
「え、でも、霖之助さん物知りですし……。ねぇ、妖夢?」
「あそこにはあんまりいい思い出がないのですが……まぁ、同意できます」
「話半分に聞けるなら面白いんだけど、あのヒトの話、実益がないのよね。だから」
「――そうだ、フタリとも、お腹すいていない? 丁度チーズフォンデュが出来上がりそうなのよね」
アドバイス通りに魔法の森を抜け出した私たちは、情報や状況を整理するため、再び地へと足をつけた。
落ちてしまった日に照らされながら、私は、なんやかんやと詰め込んだ袋を漁る。
生姜や蒲焼は言うに及ばず、紅魔館でもらったアップルパイも入っていた。
早苗さんお薦めの牛乳なんてのもある。
「どうでしょうか、うどんげさん。けぷ」
お腹に手を当てた妖夢が、不安げに尋ねてきた。
「妖夢、乳臭い」
「はう! ゆ、幽々子様からも出ませんよ!?」
「アリスさんのところでいただいたチーズの匂いだけど?」
私もだろうけど。
口を抑える妖夢に液体入りの瓶を渡し、黙々と中身を確認する。
「ぷはぁ……って、これ、牛乳じゃないですか!」
「え、あれ、もしかして意味がない?」
「どころか悪化します」
言いつつも飲みきって、妖夢は深呼吸した。
悪く思っていない訳ではないが、謝罪を片手間に済ませ、袋に向かい続ける。
荷物を、眺めては右手に置き、眺めては左に置き……。
遂には腰の高さまで連なった。
そうして、底にあった亭を出る前に貰ったお守りを掴み――私の動きは、止まった。
「うどんげさん……?」
かけられる声が先ほどよりも訝しげになっている。
それはそうだろう、と虚ろになりそうな頭で思う。
私の顔色は今、青ざめているのだろうから。
努めて笑い、私は言葉を返した。
「あはは、どうも……駄目っぽい、や」
端々が震えてしまったのは、崩れそうな心象の表れだろう。
東西南北、幻想郷中を駆けずり回った。
けれど、提出物はおろか、その情報さえも手に入れられなかった。
どうすればいい……? どうすれば、このどうしようもない現状を打開できる……?
縋るようにお守りを握る。木片でも入っているのか、少し硬かった。
思い浮かぶのは、蒲公英、てゐ、姫様、そして最後に、師匠の顔。
戻りたい、帰りたい……そう、思ってしまった。
奥歯を噛む。
強く、強く。
帰れる訳がない。
課題を放りだす訳にはいかないのだから。
お仕置きが怖い訳じゃない。
ただ、逃げる訳にはいかないんだ。もう二度と、もう二度と――。
あぁ、だけれど……どうすればいい……?
見つからない答えに、力が抜ける。
肩が項垂れ、目尻に熱いものが溜まる。
握っていたお守りを、落としそうになる――
「……うどんげさん」
――寸前、両肩に触れる手を感じ、耳に呼び声が届く。
意識を取り戻し、振り向く。
西日に照らされた妖夢の顔は、少し厳めしいものになっていた。
けれど、その瞳には、今の私にはない確固とした意志が込められている。
手に触れ、先を促した。
「貴女は……いや、私も、過小評価をしていたのではないでしょうか」
「過小評価……? 何を……?」
「貴女自身を、です」
右肩が軽くなる。
右手に、重ねられる。
妖夢の両手が、私を優しく、だけど強く、包み込んだ。
――あぁ、妖夢。
「輝夜さんは示されました。
それを幻想郷と解釈したのは、私たちです。
ですが、あの方は幻想郷を、この地だけを示されたのでしょうか」
一緒に来てくれて、本当に、ありがとう。
「東西南北を隈なく探したのですから!」
「残ってるのは地底と!」
「天界!」
言葉と同時、ひっぱりあげられる。
勢いそのままに、私は飛んだ。
勿論、妖夢も。
「って、荷物!」
「半霊に戻させておきました!」
「便利だね半霊ちゃん! 手があるかはともかく!」
――落としかけたお守りを首に下げ、私たちは、深い青になっていく空を急ぐのだった。
下に――
「……ふぅむ、なかなか厄介な状況に陥ってらっしゃいますねぇ」
「見ただけで解るものですか。凄いね、妖夢!」
「や、あの、このお方は‘さとり‘」
「その通りです。……母乳は出ませんよ?」
「見て解ります。って、今はんなこと考えていませんっ」
「あ、あ、さとりさん、凹まないで。妖夢も、普段からあんまり変なこと考えちゃ駄目だよ?」
「んぅこほん。ここまで来ていただいて手ぶらもなんですし、卵でもお持ち帰りくださいな」
「空さんの!?」
「妖夢っ!」
上に――
「このターンX凄いよぉ! 流石、ターンAのお兄さぁぁぁんっ!!」
《幕間》
「ねぇ、衣玖。今、何かがものすごい勢いで上に昇って行かなかった?」
「ですね。……おや、戻ってこられたようですよ」
「むむ、なんだか面白そうな気配!」
「いけませんよ、総領娘様。私がお迎えにあがった意味がなくなってしまいます」
「あー? ……あ、そっか、今日は歴史の講義か。衣玖はどうでもいいけど、そっちは受けないとね」
「どうということもなく本心なのがいと哀し。因みに、此方は三割ほどですわ」
「何の話よ何の」
《幕間》
行っちゃいけない所に辿りついてしまった気がする。
「つ、月? いや、時間、あぁそれよりも空間!?」
「……あ、お話聞けてないや。もう一回昇らないとね」
「いけません! 聞けたとしても冷凍睡眠くらいですから!」
それはそれで凄いんじゃないかなぁ。
軽口を叩く私の足取りは、けれど、鉛のように重い。
幻想郷中を巡った。
縦横無尽に世界を駆け抜けた。
比例して、背に負う荷物は重くなった。
――だけど、肝心の提出物に関しては、何も変わっていなかった。
「後はもう……大図書館で調べさせてもらうくらいかな……」
夕方になる前に赴いた時、パチュリーさんにはお願いしている。
『なかったと思うけど……』と言う言葉を聞き、後回しにしていたのだ。
持ち主である彼女がそう言うのだから可能性は極めて低いが、背に腹は代えられない。
「妖夢、私、紅魔館に戻るね。だから、ここで――」
お別れだよ。
そう伝えようとする私の視界に映ったのは、首を横に振る妖夢。
「いいえ、うどんげさん。貴女が戻るのは、戻らなくてはいけないのは、紅魔館ではありません」
そして――妖夢を照らす、鮮やかな月明かり。
「貴女は、永遠亭に戻らなくてはいけないのですから」
あ。
そうか。
もう、夜なんだ。
期限が過ぎてしまいそうなんだ。
「で、でも! 大丈夫だよ妖夢! ばーっと行ってがーっと読めばすぐ終わるよ!」
帰れる訳がない。
戻れる訳がない。
「それに、そうだ、博麗神社の物置もまだ探してないし! 阿求さん家の書庫も!!」
――もう二度と、もう二度と。
「うどんげさん」
肩に伸ばされる手を邪険に払う。
駄々をこねる私に、妖夢の瞳が歪む。
怒りだろうか。蔑みだろうか。憐みだろうか。
だけど、だけど、私はもう二度と――にげるわけには、いかないんだ……!
ぼやけた、熱い視界で妖夢を見る。
精一杯の想いを瞳に込めた。
そして、視線が交差する。
妖夢は、くるりと私に背を向けた。
あぁ。
私は、失ってしまった。
また、また、かけがえのない友達を、失ってしまった――
「僭越ながら申し上げますと――うどんげさん、貴女は、思い違いをしておられます」
――「……え?」
「貴女は、提出物を持ち帰らないことが逃げだと感じられております。
或いはそれも一つの逃げなのかもしれません。
けれど、私にはそう思えないのです。
よっぽど、決められた時間を無視する方が逃げだと感じるのです。
ですので――ですので、その意志が未だあるのならば、戻り、謝り、延長を願うのが筋ではないでしょうか」
背を向けたままそう言って、妖夢は、また、腕を伸ばしてきた。伸ばして、きてくれた。
「私もご一緒いたしますよ。言わずもがにゃですが」
「あはは、妖夢、噛んでる、噛んじゃったよ」
「むじゅかしい言葉を、みょーん!」
変わらない可愛らしい悲鳴を上げる妖夢。愛いなぁ。
「それと、頭に乗せた半霊ちゃんにはどういう意味が?」
「冷却中です。難しいことを並べたので、知恵熱が」
「半霊ちゃんからも湯気が出てるけど?」
――みょーん!?
妖夢が月夜に吠える。
その手を、私はしっかりと握った。
目元を拭ったせいで少し濡れていたけど、きっと、すぐに蒸発してくれるだろう。
永遠亭に戻る足取りは、変わらず重かった。
でも、それは、色んなヒトに貰ったお土産を背に負っているからだ。
全ての暗雲が晴れた訳じゃない、だけど、確実に、私の心は軽くなっていた――。
時刻は既に午後十二時前。
寝ている皆を起こさないよう、私は静かに玄関を開けた。
亭の皆は、姫様の指示で、師匠の提案で、てゐの習慣で、早寝早起きなのだ。
声を出さないようにと口に指を当て、妖夢に振り返る。
だけど、足は動かし、前へと進んでいた。
急がないと時間に間に合わない。
なんて思っていたら、ぽん、と何かにぶつかった。
柔らかい。
加えて、とてもいい匂い。
このまま蕩けてしまいたい!
「……月因幡、くすぐったいわ」
しかも、声まで美しい!
「あ、羨ましい」
「ひ、姫!?」
「静かに」
慌てる私と妖夢を一声の元に黙らせて、姫様は奥へと進みだした。
待っていてくれたんですか、とか。
なんで妖夢も慌てていたんだろう、とか。
色々な疑問が浮かんだけど、結局、私は妖夢と顔を合わせ、その後に従った。
姫様が向かったのは、私たちが辿りついたのは――師匠がいるであろう勉強部屋だった。
……当然だけどさ。
ごくりと唾を飲み込む。
先にも言ったが、お仕置きが怖い訳じゃない。
怖い訳じゃないけど、でもちょっとは不安で、あぁぁやっぱり怖くなってきた!
土壇場で怯えだす私。
そんな私を、妖夢が励ましてくれた。
声でじゃない。握りっぱなしの手の力が強くなったのだ。
大丈夫。
ありがとう。
二つを込めて、握り返した。
「いっだぁ!?」
「ご、ごめん妖夢!」
「……フタリとも、静かに」
しゅんとなる私たち。
ちらりと、姫様が私たちを見る。
私たち? 違う、私だ。
私の……。
「……ちゃんとあるわね。永琳、入るわよ」
私が読み切る前に姫様は視線を戻し、部屋の障子をあ、あ、開けちゃう――!
足を崩した体勢で座り、虚ろな目で手を伸ばす師匠が、そこにはいた。
「ひもじいわ……ひもじい、気が、する、わ……がく」
しかも、声まで弱々しい。
――し、師匠ぉぉぉ!!
と叫んだつもりが、実際には、ひひょーと間の抜けた音が漏れただけだった。
口を広げたタイミングで妖夢に押さえられたようだ。
代わりとばかりに師匠へと降り注いだのは、弾幕。
「蓬莱人云々抜きでも、二食抜かした程度でそうはならないでしょうに」
姫様の、弾幕。
何が凄いって、とても煌びやかななのに無音なんだよね。
受ける師匠も師匠で、串刺しにされながらも叫び声の一つ上げないでいる。
でも、眉根がよっているから痛いことには痛いのかな。頬も上気しているし。あ、威力が更にあがった。
身なりを正した師匠が私たちと向き合う。
私は真正面に、左右の少し後ろに妖夢と姫様が陣取った。
持っていた荷物並びにお土産は、とりあえず部屋の隅に置いている。
「さて」
区切りをつけるような一声に、私は思わずまた唾を飲んだ。
「色々聞きたいのだけれど、そうね」
でも、言い訳はしない。
お仕置きは怖いけど、うん、それはしょうがない。
ちゃんと話して、今残っている十数分か数分かの制限時間を延ばしてもらおう。
そう思い、師匠の言葉を待った。
「まずは、これほど遅れた理由を聞かせてもらえるかしら」
……え?
あれ、え、今……?
師匠は『遅れた』って……と言うことは……?
課題を果たせなかっただけでなく、私は、制限時間さえも過ぎてしまっていた……?
口が渇く。
頭がぐらつく。
視界が、揺らぐ。
だけど、だけど――逃げ出さない、逃げ出すもんか。
ぐるぐると回る頭を無視して、私ははっきりと、口を開いた。
「ひひょー! ……って、ひょうむ!?」
何故か妖夢に押さえられていた。
「永琳さん、それは無為にこの私、きょんぱきゅひょうむが――ひゃくひゃひゃん!?」
何故か妖夢も押さえられていた。
手だけど。でも羨ましい。
じゃなくて。
……姫様?
視線で問う私たちに、姫様は微笑むだけだった。
そして、手を私たちに伸ばす。
いや、私へと、伸ばす。
「混乱させてしまったわね、フタリとも。
永琳。
今は、午後十一時五十五分。
この子たちは遅れたのかしら? 遅れていないわよね?
そして。
そう、肝心の課題だけど。
月因幡と妖夢は、見事に果たしたわよ」
私の胸元で小さく揺れていたお守りに触れ、姫様は、そう言った。
「『蓬莱の薬の原料』は、確かに、此処にあるわ。しかも、二つ以上、ね」
ぱちくりと目を瞬かせる。
ちらりと様子を窺った妖夢も、同じ様だった。
口を塞いでいた手は既に外されていたが、互いに顔を見合わせるだけで、何も言えない。
だから、姫様の言葉に続いたのは、師匠の声だった。
「仰るとおりですね。
鼻を鋭くすれば、確かに私が望んだ香り。
あ、これは姫様の香りですか。体臭ですか。
望んでいることに変わりはしません。いやいや。
うどんげ、よく課題を果たしたわね。
妖夢、愛弟子に代わってお礼を言うわ。ありがとう。
――フタリとも、疲れたでしょう。今日はもう、下がりなさいな」
と、言われても。
呆気にとられた私たちは動けないでいた。
情けないと思わないでいただきたい。
だってなんだかよくわからない。
だけど身体は正直で、姫様と師匠の柔らかい表情を見ていると、緊張が解けたのだろう、どっと疲れが押し寄せてきた。
そりゃそうだ――半日中ずっと、東西南北を縦横無尽に飛び回っていたのだから。
くらりと身体が傾いて、同様に傾いていた妖夢ともたれ合う形になった。
「ふふ、美しく、そして、可愛らしい友情ね」
そう言って姫様は、私の首にかかるお守りの中身を抜き取り、あらぬ方向へと視線を向けた。
誰もいない場所なんだから、この表現で間違っちゃいないと思う。
つまり、私たちが入ってきた障子戸に、目をやったのだ。
「貴女も、そう思わない? 地因幡」
「さてね。知りやしませんや」
「あら、ふふふ」
……てゐ?
「ともかく、フタリを布団まで運んでもらえるかしら」
何時の間に来たんだろう。
なんで起きているんだろう。
どうして言葉に少し棘があるんだろう。
「面倒だから、一つの布団で宜しいですかね?」
「私は構わないわよ?」
「むぐ……」
次々と浮かぶ疑問は声にならず、思考の淵に沈んでいく。
「そうだ、こう言うのはどうかしら。布団は二つで枕が一つ」
「……考えておきましょう」
「ふふ、頼んだわよ」
それは、頭も同様だった
あぁ、瞼が閉じる。
意識がおちる。
「おつかれ、さま、でした、うどん、げさん」
「ゆっくりと疲れをとりなさい、うどんげ」
「お休みなさい――鈴仙因幡」
でも、そのまえに――「ありがとう、ようむ。おやすみなさい、ししょう、ひめさま、それと……」
《幕間》
「さて、あの子たちが行ったところで。ひもじいわ、ひもじい気がするわ」
「それはもういいから」
「んだらばおめさぐってやろうがぁ!」
「何キャラよ」
「だって、結局朝から何も食べていないのよ?」
「私も付き合ったじゃない」
「あら、そうなの? ちゃんと食べなきゃだめよ?」
「……そもそも、誤解させる言い方をした貴女が悪いのよ、永琳」
「『昼食前に人参取ってきて』ってお願いが、まさかこんなにかかるとはね」
「でも、愛弟子なんでしょう?」
「当然じゃない。可愛い可愛い私の愛弟子」
「ふぅん、妬けちゃうわ」
「存分に妬いちゃって。そう促しているんですもの」
「今日はいつにもまして押してくるわね」
「当然よ。貴女がそれを許し、望んでくれているわ」
「ん……どうして、そう想うの?」
「あの子たちは、確かに『蓬莱の薬の原料』を伴ってきた。
人参他に入っているレチノールと、もう一つ。
……原料って言い方はどうかと思うけど。
――それは、輝夜。貴女よ」
「あら、名前呼び」
「だって、食べていいんでしょう?」
「どうしようかしら。とりあえず、蒲公英が作ったこの小さな人参を、一緒に頂きましょう」
《幕間》
落ちそうに、いや、落ちてしまった、だろうか。
ともかく、意識が帰ってきた。
要は、起きた。
目覚めさせたのは、左から聞こえるか細い声と、上から聞こえる努めた小さな声。
「結局……結局、あれだけ大見え切って、私は、うどんげさんを振りまわしただけでした……」
「んなこたぁない。……何、気にしてるの?」
「だって……」
か細い声は、妖夢だ。
私は即座に、妖夢の零した言葉を否定しようとした。
だけど、起きぬけの頭は簡単に動こうとしない。
焦る気持ちだけが、募る。
だから、伝えてくれたのは、小さな声――てゐだった。
「……鈴仙は、臆病で、怖がりで、頭でっかちなんだよね。
あぁそうそうそれと、変に意固地なところがあってさ。
きっと、ヒトリじゃ戻ってこれなかったよ」
ち、ちくしょう、好き放題言いやがって。
的を射ているだけに余計、腹立たしい。
その上、至る行動も読まれている。
……付き合いが長いからかな。
「だから、妖夢。一緒に行ってくれて、ありがとう」
至る行動も、同じだった。
「なんでしょう、こう、やんちゃな亭主の代わりに頭を下げるおくさ」
「喧しい。さっさと寝ろ」
「みょん!」
なんだか微妙に気遣われた気がする。
あぁでも、妖夢は可愛いなぁ。
愛いなぁ。
「……ありがとうございます、てゐさん」
「はいはい、お休み」
「お休み、なさい」
声は途切れ、代わりに、微かな寝息が聞こえてきた。
ずっと一緒だったんだもん。
疲れているよね。
お休み、妖夢。
そして、本当に、本当に、――「ありがとう」
あ、漸く声が出た。
「……起きてたの?」
「臆病で怖がり、頭でっかちに泣き虫ですよぅ」
「や、最後のは言ってないんだけど。……起きてたのか」
むぐ。
言ってないかもしれないけれど、きっと、こいつは思っている。
だって、私自身が、そう思っているんだから。
心中で悪態をつく私に、てゐはふっと、……あれ?
急に視界が真っ暗になっちゃった。
や、元々夜だから暗いんだけど。
どうやら、目に手を当てられたようだ。眠くなる。
「……悪かったね、鈴仙」
「とく謝れ」
「うん」
……。
「ごめんなさいごめんなさい。……でも、何が?」
珍しいことに、今日は悪戯をされていない。
昨日を、一昨日を謝っているのだろうか。
やっぱり、とく謝れ。
「課題が人参だって、あの時点で解ってたんだよね」
ろくに動かない頭はそれでもしっかり受けた悪戯は覚えていて、文句を云い募ろうとする私に、てゐは静かに、告げた。
……え?
「いや、あの、てゐ。……私、未だにその理屈がわからないんだけど」
「講義の話してたじゃん。生物の自浄作用、つまり、免疫力の」
「ぐー」
見えていないのにジト目が注がれてるのがわかる。不思議。
や、だって眠いんだもん。
難しい言葉は頭に入ってこない。
具体的に言うと、漢字が四文字つらなっているとシャットダウンしてしまう。
狸寝入りする私に見切りをつけたのか、てゐはそれ以上続けなかった。
続けられても困るけど。
あ、でも。
「詳しいね、てゐ」
「そりゃまぁ、健康マニアですから」
「脈拍も操れるのかな。哺乳類の場合、約二十ぉくぅ……」
自分の言葉でも駄目なようだ。
どうやら本格的に眠気が襲ってきたらしい。
解らない所は多々あるが、起きてから聞いて回ろう。
師匠、姫様、それに、今ならなんとなく、てゐも応えてくれそうな気がする。
「……寝る?」
「う、ぅん」
「どっちか」
微苦笑を浮かべ、てゐは、やさしく、かみを、なでて……。
「約二十億ね。
んなわけないじゃん。
そんなの、誰かさんの所為でとっくに過ぎちゃってるよ」
「誰かさんって、だぁれ?」
「うわぉう起きてた!?」
「てゐ、しー」
妖夢が起きちゃう。
仏頂面をしているだろうてゐに、私は小さく笑う。
誰かさんは知らないけれど、今確実に、私が脈拍を速めてやった。
……って、速くなると駄目なのか。いやでも、んなわけないって健康マニアも言ってるし。
「……寝ないの?」
ぐるぐるぐるぐる考えていると、てゐが、呆れた声で聞いてきた。
あんたの所為だっての。
私は、返す。
「だって、あんたが寝れないでしょう?」
「膝かしてるくらいで眠れなくなる訳ないじゃない」
「違う違う。私に悪戯して、一日を締めるんじゃないの?」
素っ頓狂な声だっけ?
続ける私に、てゐは、一瞬キョトンとして、すぐに、笑った。
「だから、悪戯実行中。鈴仙、寝れないでしょう?」
「がーん! は、はかった、な……ぐぅ」
「妖夢が起きちゃうって」
――鈴仙は駄目だなぁ。
「むぅぅ……うぅ、おやすみ、てゐ」
「うん。お休み、鈴仙」
何時も通りの悪態をつくてゐの声は、だけど、妙に優しく、落ちる私の意識を包み込んでくれたのだった――。
<了
個人的に、姫とえーりんの会話が好き
リリーで記憶止まってますがwww
そして相変わらず愛らしい蒲公英。
もうこの2羽で結婚するべき。
月では過去に飲んだ嫦蛾の贖罪の為、兎にこね続けられてるもの。
原料は蓬莱で取れるし、輝夜からも取れるらしいですね。
つまり永琳が作った蓬莱の薬の原料は輝夜の体え(ピチューン
というかなぜそこまでいったwww
しかし鈴仙も壊れたりぶっ壊れたりたまに真面目になったりぶっ壊れたり、大変ねww
二人の友情(?)とえーてるの癒しに乾杯!