Coolier - 新生・東方創想話ジェネリック

完全に血が不味い従者

2011/08/27 03:42:18
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 黒々たる世界が広がる吸血鬼の時間。霧の湖の畔に構える紅魔館は、この時間帯から本格的に活動し始める。
 メイド長を勤める十六夜咲夜は、いつも通り主人を起こし、眠そうな主人の身支度を整え、心地良い風が流れるテラスで朝食を摂る主人のレミリア・スカーレットを見守っていた。

「咲夜、あなたのお墓を作ったわよ」

 脈絡無いレミリアの発言に咲夜はしばし思考の海を泳ぎ、やがて答えが纏まったのか、にっこりと微笑みつつ口を開いた。

「お嬢様はいつも滅多矢鱈ですね。私の死期でも視えましたか?」

 突然の主人の発言にも咲夜は全く動じていなかった。レミリアが突然何か言い出すのは何時もの事であり、咲夜にとっては日常茶飯事なのだ。
 レミリアは運命通りという言葉を口癖にしており、常日頃から先の出来事を予知できるような振る舞いをしている。本当にレミリアが運命を操れるのか、予知じみた能力があるか真実は定かではないが、少なくとも彼女の前にいる従者は話半分程度に信じている節がある。
 主人である運命視を可能とする幼き吸血鬼が自身の墓を作った。つまり遠巻きに自分はもうすぐ死ぬと言われているに等しいのだが、それでも咲夜の心は常時と変わらぬ平穏を保っていた。
 全く動じた様子を見せない所作に、主人の吸血鬼は面白くなかったのか、眉を潜めて不快感を示す。不機嫌であることをまるで隠そうとしないその表情は、レミリアがこの館においてどのように振舞っているかを如実に表していた。

「そうね。咲夜が死ぬ未来が見えたの。だから先にお墓を作ってみた。ねぇ咲夜怖くない? もうすぐあなた死んじゃうのよ。このテラスから見える宝石の如く煌めく無数の星も、あんなに紅い月も見れず、咲夜の好きな珍品も収集出来なくなっちゃう。皆で囲む食卓も、温かい料理にもありつけなくなって、私とも会えなくなるんだよ。怖くないの?」

 レミリアの問い掛けは後になるにつれて傲慢な形を潜め、代わりにらしくない真剣味を全面に醸し出していた。
 何時になく真面目な双眸を向ける主人を前にしたからか、咲夜は顎に指を当て「うーん」と考える仕草をした後に口を開く。

「いくらお嬢様とはいえ、何の拍子もなくあなた死ぬわよと言われまして中々実感が湧かないですよ。現に私は今ピンピンしてますし、平常と変わらぬ冗句だと思ったのですが、違うのですか? そこまで真面目に恐怖を煽られれば、僅かばかりの恐怖を抱かないこともないですが……」

 そこでようやく咲夜の解に影が差す。普段程良く天然で飄々としている咲夜にしては珍しく、視線を泳がせて動揺を表面に出す。もしこの場に異変解決の知り合いが居合わせていれば、狼狽の波紋が広がっていたことだろう。それほどまでに、咲夜がこのような表情をするのは珍しい。
 レミリアは咲夜の様子を狙い目と感じ取ったのか、畳み掛けるように言葉を並べ始める。

「どうやら瀟洒な侍従長も死ぬことは恐いと見える。ね、ね? 咲夜も恐いでしょ。出来ることなら死にたくないよね? 人間は恐怖を克服するために研鑽された知恵の上に様々な物を得てきたわよ。闇を克服するために炎を得て、ついには電気を発明するに至った。人間よりもずっと強力だった私達を産業革命、そして銃火器の上に卸し、ついに外の世界の人間達は私達のような妖の脅威という恐怖を克服した。やっぱり人間はそういうものなんだよ。恐いから、死ぬのが厭だから少しでも長く延命する術を思案する。製薬技術を高めたのも、人体を解明したのも全部そう。咲夜も死にたくないと少しでも思うならそいつらと同じなんだよ。ふふふっ、咲夜に見せいたものがあるんだ。付いてきてよ」

 咲夜が言葉を挟む暇なく、言い終えたレミリアは直ぐ様立ち上がり、館内へと消えていった。
 付き人として咲夜が付いていかないわけにも、抗議するわけにもいかず、その小さな背中を静かに追っていった。



 外に通ずる窓というものが少ない室内は窮屈に感じるというが、この紅の館は廊下はそれに含まれず、狭さとは対極の広大さを誇っている。
 曲がり角の見えない廊下、無数に配置された扉の数は、外から見た窓の数よりも明らかに多い。
 館の主人とその従者は長い廊下を共に歩いていた。先導する主人は後方の従者に首を回して何度か確認し、二人の視線が合う度に、レミリアは遊具を買って貰える童子のように犬歯を見せて笑った。
 一方の咲夜はというと、レミリアが相好を崩す度に小さく微笑み返すが、その心中はとても穏やかと呼べるものではなかった。
 咲夜は不安だった。咲夜は死を恐れる人間であるが、死を克服する存在になろうとは些かも思っていなかった。人との間に生きることを諦念しても、妖ばかりの紅魔館に住まっても、人智を越えた能力を兼ね備えていても、咲夜は人間であることの一線を越えるつもりはなかった。
 故に不安なのだ。先程の誘導尋問染みたやり取りから、もしやというレミリアに対する懐疑を拭えずにいた。

「あの、お嬢様? どちらに行かれるつもりでしょうか?」

 廊下を渡り階段を降り、玄関扉を開いて天蓋の下に素肌を外気に晒すと、咲夜は慎重に主人に問う。

「もうすぐだよ咲夜」

 問われたレミリアは羽をパタパタと上下に振るだけで、咲夜の望む答えは結局発せられることはなかった。
 二人は紅魔館を壁沿いに歩き、門番が手入れしている花畑から、木々が生い茂る館の裏側へと進んでいく。遠くで鳴く虫の声と、二人分の足音しか聞こえぬ空間。咲夜の視界には空を覆う背の高い木と前を歩く小さな吸血鬼のみ。レミリアが息を吸えば小さな胸が上下に僅かに揺れ、咲夜は斜め後方からその様子を見ながら、ふと少し前のことを思い浮かべる。
 二人で飛んだ竹林に人ならざる者との出会い、季節外れの肝試し。あの時の咲夜も、少し後ろからレミリアを見つめていた。

「なんだかあの時の肝試しを思い出しますね」
「……懐かしいわね。咲夜がいたから肝が冷える場面もなくて、全然肝試しの意味がなかったよね。咲夜が人間らしく怯えでもすれば面白かったのに」

 レミリアは後ろを振り返らずに続ける。丁度咲夜からは表情が見えないが、その声には追慕の色が帯びている。

「そうですか? 私は常に冷や冷やでしたよ。お嬢様は無駄に身体能力が高いですからね、私から見たら危ない場面が多くて多くて……良い肝試しでしたわ」
「そんな場面あったっけ? よく覚えてないねぇ」
「……お嬢様」

 従来のおっとりした口調と異なり、緊張感を持って咲夜が主人を呼ぶと、レミリアはやはり振り向かずに「なぁに?」と間延びした声で返す。

「あの夜に私が言ったことを覚えてますか?」

 懐疑を拭い切れない咲夜はついに切り出した。肝試しの終わりの出来事を、レミリアの誘いを断り自身の在り方を示した夜のことを。

「咲夜の言ったことなんて一々覚えてないわよ。一体どの場面でどう言ったのか丁寧に言ってくれないとわからないわ」

 しかしレミリアには咲夜の言いたいことが伝わっていないらしく、相変わらず緊張感とは縁無き口調のまま背中で咲夜に返答する。
 レミリアがとぼけた振りをしているのか、本当に伝わっていないのか、背中からは真意を汲み取れるはずもなく、また咲夜自身わかりきってるであろう事が伝わらなかったのが少なくないショックだったらしく「どうして?」と今にも発しそうな困惑の顔を主人に向ける。

「あの、お嬢様。あの時ですよ、死なない人間を二人で立たせなくして、そのあと……」
「あぁそんな奴いたね。何回も何回も復活して中々面倒な相手だったわね。まぁ私と咲夜の相手じゃなかったけど」

 私と咲夜と括られて心中綻ぶ咲夜だが、レミリアのわざとらしい論点ずらしに外面の表情は一層険しくなる。

「本当に覚えてませんか? あの死なない人間を倒した後に、お嬢様が仰ったじゃないですか。私に不老不死になってみないか……って、そのあと私言いましたよね? 私は一生……」
「ほら着いたよ咲夜」

 咲夜の言葉を途中で遮り、両腕と両翼を大きく広げ、咲夜のほうに振り返る。
 生い茂る木々を抜けた先、紅魔館の背面に位置する場所には、翠玉色に輝く墓が所狭しと並んでいた。その数は指で数えきれる量ではなく、咲夜は言葉を忘れ、視界一杯に広がる不気味な光景に釘付けになる。

「な……っ? こ、これは何ですかお嬢様?」

 咲夜の白い肌が更に青白く変化するのも無理は無い。紅魔館の管理者といっても過言ではない咲夜は、ついに昨日も見回りでこの場所を訪れており、その時は何も無かったと記憶しているからだ。

「最初に言ったでしょ、咲夜のお墓を作ったって。ここは墓場なの、咲夜のね」

 凄いでしょと言わんばかりの満足顔で、レミリアは紅の瞳を従者に向ける。レミリアがこういう顔を見せれば「そうですねすごいですね」と普段の咲夜なら言えたかもしれないが、今の彼女は平常とは程遠く、何時もは可愛らしいと思える主人の笑顔も、不気味さを助長させる一因に過ぎなかった。
 咲夜は無意識に半歩後退する。主人の口が三日月の如く歪められ、その隙間から吸血鬼を象徴するような犬歯が覗いたからだろうか? 背中から伸びる大人以上丈を誇る翼に圧倒されたから? ギラリと妖しく煌やく双眸に恐怖を抱いたから?

「今日のお嬢様は、何時も以上に不可解なことをされるのですね」

 否、咲夜が半歩後退してのは吸血鬼を恐れているからではない。此度のレミリアの真意が計れないからだ。
 突然墓を作ったと言って連れてこられれば百を越える墓の海。自分の発言は程良く流され、相手にされない始末。不可解な主人の行動を少しでも理解するため、咲夜はレミリアの発言を丁寧に噛み砕き、銀色の脳細胞で憶測を立てていく。

(お嬢様は近々私が死ぬようなことを、墓を作ったという発言に乗せて遠回しに言った。今のところ病気の傾向も見られないのに、私は死ぬのだろうか、今はまだ死ぬつもりはないというのに。ならば今ここで墓地に案内した理由、考えたくはないけれど、お嬢様は言うことを聞かないで、死を受け入れようとする私に愛想を尽かしてしまったのだろうか。長寿の吸血鬼から見れば、人間の私は消耗品で代替品の欠陥品だ。並んで歩くこと叶わぬ脆弱な存在だ。だから私を亡き者にするべく、人目のつかない裏の墓地まで案内したんじゃないだろうか。……だとしたら光栄に思わないと。私は一度人の間で死んだ身で、塞ぎ込んでこの場に立つ身。こんな立派なお墓の下に、お嬢様の手によって埋められるのならば、きっと悪く無いわ)

 咲夜の肩から力が抜ける。レミリアにならば殺されるのも良いかもしれないと思い始めた咲夜は、抵抗も逃走もすることなく、目の前の愛すべき主人に全て身を任せることにした。
 麗しい面持ちに、少しばかりの哀情を込めて咲夜は笑う。頬を伝い雫が垂れ、夜の世界に消えた。

「……不可解といえば咲夜も十分に謎だけどね。墓を作って連れてくれば突然泣き出す。まさか夜の墓地が怖いとは言うまいね。どうせまた私の言わんとするところを、見当違いな方向に憶測立てたんでしょう?」
「なら最初からはっきり言って下されば良いじゃないですか。私はてっきり……」
「あーちょっと咲夜は口を挟まないで。話が二転三転して進みそうにない。それに……」

 レミリアはそこで一旦区切り、不敵に微笑む。

「格式ってのは大事よ咲夜。オードブルにスープにパン。魚料理に肉料理にデザート……フルコースにせよやはり格式は大事。順守することによって謂れは高まり、格が高くなる。つまり美味しくなるし面白くなるのよ? この地に住まう奴らも皆そう。だから私もルールには従ってるし、今を楽しく生きている。最初から結論だけ話しても面白くないでしょう? わかりきった世界なんて面白くないもの、順序は大事」

 言い終えるとレミリアは一番近くにあった墓に近寄り、手招きで咲夜を呼ぶと、墓石に刻まれた文字を指差す。
 膝を曲げて咲夜が凝視し、ゆっくりと読み上げる。

「十六夜咲夜……私の名前、ですね」
「そう、これは咲夜の墓。この咲夜はずっと私に仕えてくれたのよ。私が我儘を言えば、少し不満な顔を見せつつもしっかり応えてくれたし、私が咲夜を必要と思う場面には、必ず隣にいてくれたわ。私を支えてくれた瀟洒な従者。……でもね咲夜? この咲夜も私から見れば一瞬で過ぎ去る風と同じでね、艶ある肌は徐々に水分を失い、嗄れ、曲がって小さくなって、最期は皆に看取られながら逝ったよ。最後までの最期まで人間だったからね、仕様がないといえばそうさ。でもまぁ、この咲夜はまだ幸せだったんじゃないかな。ねぇ咲夜こっちよこっち、こっちにきて?」

 レミリアの小さな手が咲夜の手を握り、軽く駆ける。咲夜は深みのある表情をしたままそれに続き、彫刻の刻まれた立派な墓の前に二人は立つ。

「この咲夜は可哀想な咲夜だったわ。いくら異変解決の場に身を置き、稀有な能力を兼ね備えていても所詮咲夜は人間。本気で抱きしめることも叶わない脆弱な存在。……この咲夜はね、ちょっとした事故であっさり死んじゃった。咲夜に落ち度があったわけじゃないし、もちろんあの子も悪くなかった。運命の悪戯、運がなかった、ただそれだけ。もしこの咲夜が人間じゃなかったら、誰にも非がない悲しい結末にならなかったのにね」

 レミリアの口調は、普段の態度からは想像が及ばない程に無気力で、やるせなさに満ち溢れていた。
 謎めいた主の小さな背中を、咲夜は何も言わずに見つめていた。何かを推し量るようにじーっと、何時もよりずっと小さく感じるその背中を見つめ続けた。

「今度はあれよ咲夜。この咲夜は痛々しい咲夜だったのよ。人間って不便よね咲夜? 体の何処かが病魔に侵されちゃうと、嘘みたいにぽっくり逝くんだもんね。この咲夜は苦痛に身を焼かれた果てにこの世を去ったわ。緩やかに蝕まれ、瀟洒な面をぐちゃぐちゃに歪め、痛みと絶望に泣き叫び、やがて声を上げることも、自らで動くことも叶わくなり、死を待つだけのモノに成り下がった。若かったから未練もあったのかしらね、なんとか生きようと必死だったけど、最後まで私の言うことに首を縦に振ってくれなくて、最期はあっさりと事切れた」

 レミリアは指を突き出し、翠玉色の墓を次々と指差していく。作業的でなく、一つ一つに対し記憶を掘り起こし慈しむかのよう、表情を変えながら。

「あの咲夜は能力を用いて外見までは最後まで変わらなかった。何時までもずーっと一緒に居てくれるんじゃないかって思ったけど、別れは突然に訪れてね、いつの間にか消えちゃってたわ。残ったのは変わらない私達と少し手狭になった私のお城」
「その咲夜は衰えで今まで出来たことが出来無くなったのが余程無念だったのかしら。手紙一つ残してここから離れちゃって、それっきりだったなぁ」
「この咲夜は別れを告げる暇すら与えられなかった。掃除中に倒れて、二度と目を覚ますことがなかったわ。脳が出血したとかなんとか、それだけで死んじゃうなんて人間の体は不便だよね、理不尽だよね、欠格だらけだよね」
「向こうの咲夜は弾幕ごっこ中の事故でこれまたあっさりと。咲夜は強いからあんなごっこ遊びでいなくなるとは思わなかったけど、失敗なんて誰でも起こしちゃうものだもんね。それこそ人間如きが完全になれるはずもなく、どの時代も綱の上を渡って生きている」
「あっちの咲夜はとても面白かったよ。何しろあの白黒魔法使いとさ……」

「お嬢様」

 冷たい風がひゅうっと流れ、咲夜の三つ編みが横に吹きすさぶ。
 丁度咲夜に対し背中を向けていたレミリアはピタリと動きを止め「口を挟むなって言ったじゃない……」と弱々しく抗議した。

「すぐ勘違いしてしまう私でも、今お嬢様が仰りたいことがわかりました」

 蒼に眩く咲夜の瞳には、梃子でも動かないという透徹な意思が浮かび上がっていた。
 咲夜の瞳とは真逆を見るレミリアも、咲夜の声色からただならぬ決意を感じ取ってたのか、文句も言わずに言葉を待った。

「でも、それでも私は変わるつもりはないですよ。私はずっと死ぬ人間で、不完全なままの従者です」
「なんでっ!」

 悲鳴にも似た叫びを上げ、レミリアは素早く振り返る。歯を食いしばり両手で握り拳を作り、苦虫を噛み潰したような形相で、ぷっくりと目尻に涙を浮かべたまま。

「なんで、なんで、なんでどうしてわかってくれないの? ここにある墓が物語ってるじゃない。どう抗ったて咲夜は死んじゃう、いつか絶対死んじゃう。なんでそんなこと言うの? 咲夜だって私と一緒に居られなくなるのは嫌でしょ?」
「もちろんですよ」
「じゃあ人間なんてやめちゃおうよ。そうして一緒にいよう? 私は咲夜が死ぬ運命なんて嫌だよ……。置いていかれるなんてやだ、人間だからってなんで咲夜ばかりこんな最期を迎えなくちゃいけないんだよぉ……! 楽園を標榜する幻想郷なら手段だって一杯あるよ? ね、咲夜? さくやぁ……」

 前屈みになり、小さく震える紅い主人に対して咲夜は一歩一歩と歩み寄り、レミリアの視界にヒールが見える位置まで近寄る。
 頬に涙の痕を残したままレミリアが顔を上げると、天頂いっぱいに広げられた黒の世界に蒼月が二つ、三日月の形をとって微笑んでいた。

「お嬢様は覚えていますか? 私と出会って私に名前を付けて下さった時の事を。……ふふふ。実を言うとですね、私は曖昧にしか覚えていません。ぼんやりと霞がかっていて、正確なところは実は覚えていません。まぁ結構昔の話ですしね……。それでねお嬢様? 当初の私にとってお嬢様は、大した存在じゃなかったんですよ。お嬢様にとってはどうですか? 一人間との出会い、はっきりと覚えていますか? ふふふ、やっぱりそうですよね。……お嬢様と出会った頃の私は孤独でした。人々の間に生きられず、何をしても報われず、何時しか内部から腐っていきました。『私なんて人の間には生きられない』『どうせ叶わないのなら、最初から願わなければ良い』『人間と共に在ることは無理なんだ』私がお嬢様の元で生きようと思ったのも、人の間に生きられなかったからってだけ、待遇の良い吸血鬼は私にとっても都合が良かった。それだけなんですよ……。でもお嬢様とこの地で、この紅魔館で、皆と出会えて私は変わることが出来ました。霊夢や魔理沙といった風変わりな人間とも親しくなれましたし、人里では物を売ってもらえることもなく、邪法に手を染めることなく買い物が出来ます。里の人達とも会話をこなすことも出来るんですよ? ……私はお嬢様に与えられてばかりです。名前も、雨露を凌ぐ家も、温かい食事も、飽きない仲間達も。一度は捨てた夢を、もう一度手にしても良いかなと思えるようになって……。お嬢様にとっては小さな小さな糸を垂らしただけかもしれません。でも私はそれに救われたんですよ? お嬢様と一緒にいて、共にやんちゃして笑って、そうしている内に私の中でお嬢様が一杯になってたんです。心の底から慕い、いつの間にか、好きに……なっていたんです。全てはあの時、お嬢様が十六夜咲夜という名の元、『人間』として二度目の生を与えてくれたからです。だから私が人間であることをやめてしまったら、胸の中で燃えるお嬢様への好意も、この場所で得たものも、今いる私全てを否定することになってしまうんです。……私は嫌だっ! 人間の十六夜咲夜だからこそ私はお嬢様を好きになれた、愛することが出来る! だから私は人間としてお嬢様から与えられたものを返したい、お嬢様の気持ちに嘘をつきたくない! いくら大好きなお嬢様の願いとはいえ、私は人間をやめることが出来ないんです。申し訳ありません……っ!」

 再び風が強く吹き、レミリアの帽子が飛ばされて宙を舞う。レミリアは微動だにせず、咲夜が帽子を掴み取って眼前に差し出す。
 恐る恐るレミリアが受け取り、再び頭に帽子を戻す。被り心地調整するように二、三度横に振り、小さく笑った。

「妙な人間を好きになっちゃったわね」

 歓待と未練が綯い交ぜになった笑み。弱々しい紅に自嘲を含め、今一度咲夜を正面から見据える。

「ここにある無数の運命のように、無残で惨めな最期を迎えるかもしれない。最後にもう一度だけ聞かせて。一寸先の見えない人間のままで、本当に咲夜は良いのね?」
「あの時と変わりませんよ。本当はお嬢様だって覚えてますよね? 私は一生死ぬ人間ですよ。過去も、今も、これからも……」

 レミリアはそっと目を瞑り、自分を言い聞かせるように何度も首を縦に振る。

「忘れるわけないさ、覚えているよ」
「……お嬢様」
「なぁに?」

 レミリアが目を開くと同時、咲夜がレミリアの視界を覆う。
 背中に手を回し、華奢な肉体で咲夜は思い切り抱きしめる。力強く力強く、レミリアが見た目相応の人間ならば圧し折れてしまうほど強く、絶対離さないようにと抱きしめ、レミリアの耳元で嗚咽交じりの声を上げる。

「そんな簡単に死にませんよぉ、お嬢様に、尽くしたりないのに……やりたいことが沢山あるのに! 簡単に果てるわけないじゃないですかぁ。我侭で好奇心旺盛で飽きっぽい吸血鬼を楽しませるのが私の役目ですよ? 最後の最期まで飽きさせませんよ。なんですかお嬢様。らしくないじゃないですかお嬢様ぁ。この咲夜、そんなつまらない最期を迎えるわけないじゃないですかぁ、ばか、ばかばか、お嬢様のばかぁ」

 人間の従者が本気で抱きしめても、吸血鬼が痛いと感じるはずもなく。ただ大切な従者が壊れてしまわないよう、傷付いてしまわないように、レミリアも咲夜を優しく抱き返す。
 感情に流されて力を込めないように、自制したまま軽く、優しく包み込む……。

「完全で瀟洒な従者が聞いて呆れるわ。そんなっ、泣き出しちゃって……そこらの町娘みたい。泣き虫なきむし、咲夜のなきむしっ」
「なんですお嬢様だって――」

 罵り合いとも呼べぬ仲睦まじい言葉の応酬を繰り返し繰り返していると、口裏を合わせていたようにぴたりと静寂が訪れ、無言のまま紅と蒼が見つめ合う。

「お嬢様」
「なに?」

 左太腿に取り付けたナイフホルスターから一本ナイフを取り出し、咲夜はレミリアの前に銀製のナイフを掲げる。
 手入れの行き届いたナイフを自身の右手人差し指に狙いを定めた後、咲夜は小さく切り付け、傷口から血液が滴り落ちる。

「無礼を承知でお願いです。どうか私の血をお召し上がりください」
「構わないよ」

 咲夜の右手を左手で下から支え、傷口のある人差し指にそっと触れるように舌を這わせる。
 血液が流れ落ちる爪の先端から傷口に向かってゆっくりと進み、焦らすように来た道を戻る。また少し進んでは戻ってを繰り返し、漸く血が止め処なく流れ落ちる傷口に、熱を帯びたレミリアの舌が到達する。
 傷口をなぞるように舌を這わせると、咲夜は熱を帯びた吐息を漏らす。上目遣いに従者の上気した表情を確認すると、レミリアは舐めとる速度を上げて傷口を嬲り始める。
 羞恥と愉悦と快楽に押し流され、咲夜はぎゅうっと目を瞑りながら火が付いたように顔全体を紅に染める。舌だけでなく人差し指の第二関節までレミリアが咥えると、咲夜は小刻みに震え始め、連動するように声にならない声を漏らし始める。
 自身の口から湧き出る液体を嚥下することもできず、咲夜は口端から透明な液体を垂らし始める。愛する人間の乱れた様子を堪能したレミリアは、頃合いを見計らって傷口周辺を軽く噛み、大きな刺激を与える。
 一際大きく咲夜の全身が震え、圧迫された傷口から血液が噴き出す。レミリアはそれを最後に舐めとった後、指から口を離して距離を取る。名残惜しそうに透明な橋が作られたが、曲線を描いて切れてしまった。

「い、如何でしたか? おじょうさま……」

 息も絶え絶えに咲夜が聞くと、レミリアはばつが悪い顔を浮かべる。

「もう最悪。咲夜の血って全然美味しくないんだもん。もう二度と飲みたくないわ、こんな不味い血」

 貶されたはずの咲夜は、何故か嬉しそうに笑う。

「不味い血をお嬢様にお出しするわけにいかないですね」
「当然よ。目を瞑るのは今日だけだからね」
「えぇ、わかってますよ。……ありがとうございます」
「……期待してるわよ」
「期待していて下さい、運命をも斜め上に越えてみせますから」



-FIN-
御読了ありがとうございます。
夏バテにも負けずレミ咲でご飯美味しいFランクです。

永夜抄Ex夢幻の紅魔チームが好きで好きで仕方ないです。
今回の話も作中の繋がりこそないですが、前作のレミ咲話同様に永夜抄Exを基軸に進めました。
前作で掘り下げに不満が残った咲夜を主眼に置いて書いてみました。咲夜のレミリアへの想い、そして永夜抄Exの台詞に繋がる咲夜の考えを悩んで悩んで行き着いた結果がこの今作であり、永夜抄Exクリア後の答えを自分の中で一つ提示出来たんじゃないかなと思います。

コミケで新たに沢山のレミ咲の話に出会い、多くの創作意欲を頂きました。あと幸せ一杯になれました! 本当に本当にありがたいことです。
自分の作品を読んで下さった皆様に感謝です。
少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。また何処かで会いましょう!
Fランク
[email protected]
http://efrank.blog.fc2.com/
コメント



1.奇声を発する程度の能力削除
心温まる良いお話でした
2.名前が無い程度の能力削除
温かくも、寂しい。咲夜の血が不味いって設定いいですね。
3.名前が無い程度の能力削除
Fランクさんの愛情溢れるレミ咲が好きで好きで仕方なくて
ごはんがおいしいですありがとうございます。
咲夜の口から「好き」を聞くと良く言った!えらいねがんばったねよしよしよしと
かいぐりかいぐりわしゃわしゃ撫で回したくなります。
4.名前が無い程度の能力削除
たくさんのお墓と、そこに眠る幾多の運命……。
美しい舞台装置をお作りになりますね。

レミリアと咲夜が、素直に感情をぶつけあうところが好印象でした。
5.tg削除
沢山の墓を想像してぞわっとしました。レミリア、考えましたね……。
墓の一つ一つに理由をつけているレミリアに切なくなりました。
最後の咲夜の言葉は格好良かったです。