はらはらと舞う花びらを浴びながら、階段を上に上にと登っていく。
登り切った先には大きな屋敷が見えてきた。
門までたどり着くと私は飛行を止め、静かに地面に足をつける。
門の近くには無数の幽霊がふわふわと浮遊している。
その内の一人に近づき、屋敷の住民を呼んでもらおうとしたその時だった。
門が重々しい音とともに開く。
門が半分ほど開くと、寄り添うように周りを漂う半霊と腰に下げた二本の刀が特徴的な少女が出てくる。
警戒しているのか、その表情はきりっと引き締まっていた。
「いらっしゃいませ、幽々子様からお話は伺っています」
目が合うと礼をしながら迎えてくれたのはここ白玉楼の庭師、魂魄妖夢その人であった。
妖夢はそれだけ言うと私をいつも通される客間に先導してくれる。
以前、もう場所は分かっているから一人で大丈夫よと言ったことがあったが、
「よく見知った仲でも、客人はきちんとお迎えしなきゃダメですから…」と断られた。
今も昔も、相変わらず真面目な子だなとその時のことを思い出しながら、私は後ろをついていく。
「では、幽々子様を呼んでまいりますので少々お待ちください」
「ありがとう」
妖夢は私を客間まで案内し終えると下がっていった。
私は返事の後軽く会釈をすると席に座る。
ここの主とは何回か話をしたことがあるので、慣れているはずなのだが待っている時間は妙に緊張してしまう。
朗らかで優しい人だが、掴みどころがなくてどこか言葉で説明できないような凄みを常に持っている。
それが私がここ白玉楼の主に抱いている印象だった。
しばらくそんなことを考えていると、急に頬に冷たさを感じた。
驚いた私は顔の向きはそのままに、目線を自分の頬に向ける。
触れる手が誰のものかはすぐに分かったが、動揺からか動くことも声を出すことも出来なかった。
それから数秒ほどだろうか、無音の時間が流れた。
私に添えられていた手が離れ、私は止まっていた時間が動き出したかのように我に返った。
恥ずかしい気持ちに震えながらもようやく口を開く。
「ゆ、幽々子っ…」
「ふふ、だって後ろにいても全然気づいてくれないんだものー」
悪戯を咎められた子供のように楽しそうに笑うのはここ白玉楼の主、西行寺幽々子であった。
「もう、お客様をからかったらだめですよっ」
「ふふ、だって反応が面白そうなんだもの」
自分の主を窘めながらテーブルにお茶とお菓子を並べてくれる妖夢。
幽々子は妖夢の話を一応は聞いているものの目線はどう見ても妖夢が持ってきたお菓子に向いている。
「ちょっとびっくりしただけだから、私はかまわないわ。ところで、本題に入ってもいいかしら?」
私は目の前で繰り広げられる主従の漫才に割って入る。
今日私がここにやってきたのは、次のライブの打ち合わせのためだ。
私は長年妹のメルラン、リリカとともに音楽団としての活動を行っている。
そしてここ白玉楼はずっと私達を贔屓にしてくれている、上客中の上客なのだ。
「思えば、私達も長い付き合いねえ」
打ち合わせが一段落し、幽々子が唐突に話題を変える。
確かに私達姉妹はここ白玉楼ともう数十年の付き合いになる。
亡霊の幽々子と騒霊の私達姉妹は年をとらないから、妖夢以外は時間が経ったように見えないのだけど。
「初めてルナサ達をここに呼んだときは、妖夢もまだ小さかったしねえ」
「や、やめてください幽々子様。昔のことは…」
「あらいいじゃない、たまには昔話も」
幽々子は扇子で顔を半分隠しながらにこにこと微笑んでいる。
妖夢は恥ずかしいのか頬を赤らめているがそんなことはお構いなしのようだ。
「…確かに、懐かしいわね」
私も昔のことを思い出しながら、ぽつりと呟いた。
今から数十年前。
そう、あれは私達姉妹が初めて白玉楼からライブの依頼を受け、無事にそれを成功させてからすぐのことだった。
幽々子が突然私達姉妹が暮らす館を訪ねてきたのだ。
「…それで私に三日間、面倒を見てほしいと」
「ええ、彼岸で閻魔達との大事な話があって、どうしても帰れないの。
でも、あの子は家事ぐらい自分で出来るし、そこまで手はかからないと思うわ」
「…それなら私がいなくてもいいんじゃないかしら?」
「いいえ、しっかりした子ではあるけどまだまだあの子は子供なの」
幽々子はお茶を一口飲むと続ける。
「それにあの子は長い間白玉楼から出ていないから、同年代のお友達もいないの」
確かに白玉楼は冥界の住民が住む場所であり、普通の人妖が頻繁に訪れるような場所ではない。
そこで暮らす以上は普通の人間と接する機会もほとんどないであろうことは容易に想像がつく。
「厚かましいお願いなのは分かってるわ、でもお願い、あの子と一緒にいてあげてくれないかしら」
幽々子は頭を下げる。
冥界の管理者が自分のような騒霊に頭を下げているのだ、彼女はあの従者のことを本当に大事に思っている。
他所様の子供を預かるのはなにかと不安だったが、ここまで頼まれては断れない。
「分かったわ、私でいいのならその依頼、引き受けさせてもらうわ」
私は幽々子の依頼を承諾した。
それから私は幽々子が屋敷を離れる日の早朝に白玉楼を訪れた。
「じゃあお願いね、ルナサ」
「わかったわ、よろしくね妖夢ちゃん」
「は、はい…いってらっしゃいませ!」
妖夢と一緒に幽々子を見送ると私達はとりあえず中庭に入る。
私はあまり子供の扱いに自信がない。
しかし引き受けた以上はしっかりやらないとと思っていると、妖夢はどうしていいか分からないのかその場をうろうろしていた。
これはいけない、と思い腰を下ろして目線を妖夢の背丈に合わせながら話しかける。
「妖夢ちゃん、いつもはなにをして遊んでいるの?」
「え、ええと…」
妖夢は答えに困っているのか口をぱくぱくさせている、まずいことを聞いたかもしれない。
いや、それならなにも遊ぶことにこだわらなくてもいい。
「私、妖夢ちゃんのことまだ全然知らないから、一緒にお話したいな」
「は、はい…」
それから私達は縁側に座った。
お茶でも淹れようと思い台所の場所を聞こうとしたが、妖夢がすぐにお茶とお菓子を持ってきてくれた。
まだこんなに小さいのに、本当にしっかりした子だ。
一度話し始めると、妖夢はいろんなことを私に話してくれた。
大好きな主人のこと、剣の修行のこと、好きなお菓子のこと。
「いつも一生懸命頑張ってる妖夢ちゃんはえらいわね」
「いえ、私一人じゃ留守番も任せてもらえないので…」
妖夢は再び表情を曇らせてしまう。
この子は自分が一人前じゃないせいで周りに迷惑をかけていると思い込んでしまっている。
でも私は幽々子がそんな風に思っていないことをはっきり知っている。
かと言って、私がそれを言ってもこの子は私が気を使っているとおそらく考えるだろう。
どうすればこの子を少しでも楽な気持ちにしてあげられるか…
「ねえ、妖夢ちゃん」
私はゆっくりと話し始める。
「私は今妖夢ちゃんとお話して、貴女がすごく真面目な頑張り屋さんだってことを知ったわ。だから…」
緊張で早口になりそうな自分を必死に抑える。
「私はそんな妖夢ちゃんが好き、応援したいな」
私は妖夢に手を差し出す。
「これから私と、お友達になってくれないかな」
妖夢はびっくりした顔をしながらも私の目を見て話を聞いてくれている。
「こんなに頑張ってるんだもん、いつか絶対に報われるわ」
妖夢は顔を真っ赤にしながら、私の差し出した手をゆっくり、しかししっかりと握り返してくれた。
「ルナサさん、ありがとうございます…」
それからその日の夜は一緒に作った夕食を食べ、お風呂に入ると妖夢はすぐに眠ってしまった。
初めてのことばかりで疲れたのだろう。
次の日、朝食を済ませて二人で席に戻ると私の頭上に視線を感じる。
妖夢はどうやら私の楽器に興味があるようだった。
私が扱う楽器は霊なので普通の人間は私が具現化させない限り見ることは出来ない。
しかし妖夢は半分が幽霊だからか私の楽器がはっきり見えているようだ。
「これかな?」
私は愛用の楽器を具現化させる。
「あっ、ええと…」
「ふふ、よかったら聴いてくれるかしら?」
妖夢は遠慮がちな表情から一転、嬉しそうにはにかむ。
「聴いてみたいですっ」
「じゃあ、始めるわね」
一人だけの小さなお客さんに向けた、私のソロコンサート。
私は一礼した後にゆっくりと弦を構える。
いつもなら能力を使って演奏するのだが、今日は違う。
なんとなく、この子には自分の手で弦を引く姿を見せたい気持ちになったのだ。
曲はいつもライブで最初に披露する、私達姉妹が最初に覚えた曲だ。
譜面は見なくても完全に頭に入っている。
妖夢は演奏を聴きながら私の顔をじっと見つめている。
自分の手で演奏するのは久しぶりだったが、私はミスすることなく曲を最後まで奏でる。
演奏を終えた後、私が楽師帽を脱いで一礼すると妖夢は小さな手をぱちぱちと合わせて拍手をくれた。
「ルナサさん、かっこいいです…」
「…ありがとう」
ふと気づくと、妖夢は再び私の手元にある楽器に目線を向けていた。
もしかしてと淡い期待とともに聞いてみる。
「妖夢ちゃんも、なにか演奏してみる?」
妖夢は少しびっくりした顔をしながら、しかし元気よく私に答えてくれた。
「はい、私も楽器、演奏してみたいです!」
私は少し考えた後、自分の手荷物から細長い包みを二つ取りだす。
妖夢は興味深々といった様子で包みを眺めている。
私は包みを両方とも開けると、片方を妖夢に手渡した。
「これ、リコーダーですか…?」
「あら、よく知ってるわね。あげるわ、私のとお揃い」
「いいんですか…?」
妖夢は遠慮しているのか少し戸惑った表情を浮かべているが白いリコーダーを両手でしっかりと握っていた。
私の住む館には様々な種類の楽器が大量に眠っている。
半分以上は使っていないものだが、手入れを欠かしたことは一度もない。
このリコーダーも倉庫で眠っているより、誰かに吹いてもらう方がきっと嬉しいだろう。
「そのリコーダーも、妖夢に使ってもらう方が幸せよ」
それから私は妖夢にリコーダーの吹き方を教えた。
息をうまく吐けなかったり、穴を抑えられなかったりとなかなか綺麗な音を出せずにいたが、
妖夢は一生懸命に私の教えることを覚えようと頑張ってくれた。
そんな妖夢の姿を見て私もつい指導に夢中になってしまい、気づけば太陽が沈みかけていた。
だが努力の甲斐あって妖夢は基礎の音階を見事に一日で覚えてしまった。
「やった、吹けました!」
「よくがんばったわね、これなら曲もすぐに覚えられるわ」
私が思わず頭をなでると、妖夢は照れながらも嬉しそうに笑いかけてくれた。
その後、さすがに疲れたのか昨日のように夕食とお風呂を済ませると妖夢はすぐに眠った。
私は隣の布団で横になりながら、明日妖夢にどの曲を教えてあげようか考えていた。
幽々子は明後日帰ってくる予定だ、明日中には一緒に演奏が出来るところまできっと行けるだろう。
そうすれば幽々子に演奏を披露することも出来るかもしれない。
我ながら一人で盛り上がりすぎている自覚はあったが、私は今日という日に大きな充実感を感じていた。
翌朝、私が目を覚ますと妖夢は既におらず、布団も綺麗に片づけられていた。
もしや寝過ごしたかと思い私が慌てて着替えを済ませて部屋を出ようとしたその時だった。
居間から妖夢ではない、しかし聞き慣れたここ白玉楼の住民の声が聞こえてきた。
「ただいまー」
居間に向かうと幽々子の姿があった。
隣では妖夢がお茶を淹れている。
「おはようございます、ルナサさん!」
「彼岸での用事が予定よりも早く終わったの。ルナサ、ありがとうね」
妖夢が幽々子の隣で嬉しそうに笑っているのを見て私は悟った。
ああ、やっぱりあの子の日常はこうでないといけないんだ、と。
「ううん、私も楽しかったわ」
それからのことはよく覚えていない。
お礼をもらうつもりは全くなかったが、幽々子から彼岸でもらったと言うお土産のお菓子を渡されると
足早に挨拶を済ませ、そのまま屋敷を後にした、と思う。
部屋になにか忘れ物をした気もするが、確認のために部屋に戻ることもしなかった。
もっとゆっくりしていけばいいのに、と言われた気もする。
元から予定は今日まで空けていたのだ、用事があったわけでもない。
でも私は、すぐに白玉楼を去った。
まてよ…あのときあの子は、どんな顔をしていたかな…
「じゃあ、当日はそんな感じでお願いね~」
「うん、いつも会場を貸してくれてありがとう」
「いいのよ、当日が楽しみだわ~」
「ライブの後はいつものように宴会になると思いますので、ルナサさん達もぜひ参加していってくださいね」
途中で脱線もあったが、ライブの打ち合わせは滞りなく終わった。
私は身支度を済ませると、来た時と同じように妖夢に先導してもらいながら白玉楼の門まで送ってもらった。
門の前で最後の挨拶をしようと妖夢の方を向くと、目線がほぼ同じ高さなことに気づく。
これまでも気付く機会はいくらでもあったはずなのに、今この瞬間まではっきり認識することがなかったのは何故だろうか。
それにしても、あの小さかった頃から、本当に大きくなったなと思っていると。
妖夢の手にいつもの刀と違う細いなにかが握られている、しかし私はそれがなにかすぐに気が付いた。
思わず見とれていると、妖夢は流れるような動作で手に持っているリコーダーを口にくわえ、吹き始める。
間違いない、この曲は―
いつのまにか演奏は終わり、妖夢はリコーダーを下ろしていた。
お世辞抜きに、上手い演奏だった。それにこの曲は私がかつて妖夢に教えようと思っていた曲の一つだった。
とにかくまずは賛辞を贈ろうと妖夢の顔を見る。
しかしその表情は口元こそ微笑んでいるが、目が笑っていない。
どこか寂しそうな表情をしていた。
私はようやく思い出した、いや、ずっと逃げていたんだ。
あの日、白玉楼を足早に立ち去った時。
あの子は、妖夢は今と同じように、寂しそうな表情で私を見ていたんだ。
なにが友達になってほしい、だ。
あの子には幽々子がいるからと勝手に嫉妬して、結局私はあの子にずっと辛い思いをさせ続けただけじゃないか。
「妖夢…」
言葉が続かない。
今更私が何を言ったところで、私がこの子を途中で放り出してしまった事実は変わらないんだ。
でも、もう逃げちゃいけない。
当たり前だ、だって―
「練習ずっと続けてたのね、素敵な演奏だったわ」
妖夢はずっと、私を待っていてくれたのだ。
「妖夢、ごめんなさい私」
「ルナサさん」
妖夢が私の言葉を遮る。
「ルナサさんは、私のこと、今でも友達って思ってくれていますか?」
「もちろんよ、でも私は…」
「じゃあ」
再び私の言葉は遮られる、気付けば妖夢の声は震えていた。
妖夢はゆっくりと言葉を続ける。
「もう、謝らないで、ください」
「…私はあの日から一度も、ルナサさんと二人きりで過ごした時間を忘れたことはありません」
「私は幽々子様を守る盾として、ここ白玉楼で庭師、従者として生きていることを誇りに思っています、ただ」
「自分と同じぐらいの年の友達がいないのが、本当はとても寂しかった…」
「そんなときに、ルナサさんは私の初めての友達になってくれて、誰にも言えなかった悩み事も、聞いてくれました」
「私は貴女に、救われたんです…だから、謝らないで、ください」
目元にはうっすら涙が浮かべられていたが、私は構わずその手を握る。
「妖夢、ありがとう…」
身勝手な私を、この子はずっと待っていてくれた。
今度はもう絶対に、いなくならない。
「リコーダー、ずっと持っていてくれたのね」
「リコーダーだけじゃ、ないですよ」
リコーダーに目線を向けると、妖夢はポケットから古びた冊子を取り出す。
間違いない、私があの日忘れて行った楽譜だ。
「楽譜が読めなくて、最初はとても大変でした」
「独学で、ここまで練習していたのね…」
「だって、私の楽器の先生は」
妖夢はいつの間にか震えのなくなった声で、まっすぐに私を見つめながら言った。
「ルナサさん、だけですから」
「あれ、ルナ姉リコーダーなんて珍しいね」
「なんとなく、急に吹きたくなったのよ」
先生が生徒に追い抜かされていたんじゃ話にならない、
私もあの子に負けない素敵な音色を出せるようにならなきゃ、ね。
登り切った先には大きな屋敷が見えてきた。
門までたどり着くと私は飛行を止め、静かに地面に足をつける。
門の近くには無数の幽霊がふわふわと浮遊している。
その内の一人に近づき、屋敷の住民を呼んでもらおうとしたその時だった。
門が重々しい音とともに開く。
門が半分ほど開くと、寄り添うように周りを漂う半霊と腰に下げた二本の刀が特徴的な少女が出てくる。
警戒しているのか、その表情はきりっと引き締まっていた。
「いらっしゃいませ、幽々子様からお話は伺っています」
目が合うと礼をしながら迎えてくれたのはここ白玉楼の庭師、魂魄妖夢その人であった。
妖夢はそれだけ言うと私をいつも通される客間に先導してくれる。
以前、もう場所は分かっているから一人で大丈夫よと言ったことがあったが、
「よく見知った仲でも、客人はきちんとお迎えしなきゃダメですから…」と断られた。
今も昔も、相変わらず真面目な子だなとその時のことを思い出しながら、私は後ろをついていく。
「では、幽々子様を呼んでまいりますので少々お待ちください」
「ありがとう」
妖夢は私を客間まで案内し終えると下がっていった。
私は返事の後軽く会釈をすると席に座る。
ここの主とは何回か話をしたことがあるので、慣れているはずなのだが待っている時間は妙に緊張してしまう。
朗らかで優しい人だが、掴みどころがなくてどこか言葉で説明できないような凄みを常に持っている。
それが私がここ白玉楼の主に抱いている印象だった。
しばらくそんなことを考えていると、急に頬に冷たさを感じた。
驚いた私は顔の向きはそのままに、目線を自分の頬に向ける。
触れる手が誰のものかはすぐに分かったが、動揺からか動くことも声を出すことも出来なかった。
それから数秒ほどだろうか、無音の時間が流れた。
私に添えられていた手が離れ、私は止まっていた時間が動き出したかのように我に返った。
恥ずかしい気持ちに震えながらもようやく口を開く。
「ゆ、幽々子っ…」
「ふふ、だって後ろにいても全然気づいてくれないんだものー」
悪戯を咎められた子供のように楽しそうに笑うのはここ白玉楼の主、西行寺幽々子であった。
「もう、お客様をからかったらだめですよっ」
「ふふ、だって反応が面白そうなんだもの」
自分の主を窘めながらテーブルにお茶とお菓子を並べてくれる妖夢。
幽々子は妖夢の話を一応は聞いているものの目線はどう見ても妖夢が持ってきたお菓子に向いている。
「ちょっとびっくりしただけだから、私はかまわないわ。ところで、本題に入ってもいいかしら?」
私は目の前で繰り広げられる主従の漫才に割って入る。
今日私がここにやってきたのは、次のライブの打ち合わせのためだ。
私は長年妹のメルラン、リリカとともに音楽団としての活動を行っている。
そしてここ白玉楼はずっと私達を贔屓にしてくれている、上客中の上客なのだ。
「思えば、私達も長い付き合いねえ」
打ち合わせが一段落し、幽々子が唐突に話題を変える。
確かに私達姉妹はここ白玉楼ともう数十年の付き合いになる。
亡霊の幽々子と騒霊の私達姉妹は年をとらないから、妖夢以外は時間が経ったように見えないのだけど。
「初めてルナサ達をここに呼んだときは、妖夢もまだ小さかったしねえ」
「や、やめてください幽々子様。昔のことは…」
「あらいいじゃない、たまには昔話も」
幽々子は扇子で顔を半分隠しながらにこにこと微笑んでいる。
妖夢は恥ずかしいのか頬を赤らめているがそんなことはお構いなしのようだ。
「…確かに、懐かしいわね」
私も昔のことを思い出しながら、ぽつりと呟いた。
今から数十年前。
そう、あれは私達姉妹が初めて白玉楼からライブの依頼を受け、無事にそれを成功させてからすぐのことだった。
幽々子が突然私達姉妹が暮らす館を訪ねてきたのだ。
「…それで私に三日間、面倒を見てほしいと」
「ええ、彼岸で閻魔達との大事な話があって、どうしても帰れないの。
でも、あの子は家事ぐらい自分で出来るし、そこまで手はかからないと思うわ」
「…それなら私がいなくてもいいんじゃないかしら?」
「いいえ、しっかりした子ではあるけどまだまだあの子は子供なの」
幽々子はお茶を一口飲むと続ける。
「それにあの子は長い間白玉楼から出ていないから、同年代のお友達もいないの」
確かに白玉楼は冥界の住民が住む場所であり、普通の人妖が頻繁に訪れるような場所ではない。
そこで暮らす以上は普通の人間と接する機会もほとんどないであろうことは容易に想像がつく。
「厚かましいお願いなのは分かってるわ、でもお願い、あの子と一緒にいてあげてくれないかしら」
幽々子は頭を下げる。
冥界の管理者が自分のような騒霊に頭を下げているのだ、彼女はあの従者のことを本当に大事に思っている。
他所様の子供を預かるのはなにかと不安だったが、ここまで頼まれては断れない。
「分かったわ、私でいいのならその依頼、引き受けさせてもらうわ」
私は幽々子の依頼を承諾した。
それから私は幽々子が屋敷を離れる日の早朝に白玉楼を訪れた。
「じゃあお願いね、ルナサ」
「わかったわ、よろしくね妖夢ちゃん」
「は、はい…いってらっしゃいませ!」
妖夢と一緒に幽々子を見送ると私達はとりあえず中庭に入る。
私はあまり子供の扱いに自信がない。
しかし引き受けた以上はしっかりやらないとと思っていると、妖夢はどうしていいか分からないのかその場をうろうろしていた。
これはいけない、と思い腰を下ろして目線を妖夢の背丈に合わせながら話しかける。
「妖夢ちゃん、いつもはなにをして遊んでいるの?」
「え、ええと…」
妖夢は答えに困っているのか口をぱくぱくさせている、まずいことを聞いたかもしれない。
いや、それならなにも遊ぶことにこだわらなくてもいい。
「私、妖夢ちゃんのことまだ全然知らないから、一緒にお話したいな」
「は、はい…」
それから私達は縁側に座った。
お茶でも淹れようと思い台所の場所を聞こうとしたが、妖夢がすぐにお茶とお菓子を持ってきてくれた。
まだこんなに小さいのに、本当にしっかりした子だ。
一度話し始めると、妖夢はいろんなことを私に話してくれた。
大好きな主人のこと、剣の修行のこと、好きなお菓子のこと。
「いつも一生懸命頑張ってる妖夢ちゃんはえらいわね」
「いえ、私一人じゃ留守番も任せてもらえないので…」
妖夢は再び表情を曇らせてしまう。
この子は自分が一人前じゃないせいで周りに迷惑をかけていると思い込んでしまっている。
でも私は幽々子がそんな風に思っていないことをはっきり知っている。
かと言って、私がそれを言ってもこの子は私が気を使っているとおそらく考えるだろう。
どうすればこの子を少しでも楽な気持ちにしてあげられるか…
「ねえ、妖夢ちゃん」
私はゆっくりと話し始める。
「私は今妖夢ちゃんとお話して、貴女がすごく真面目な頑張り屋さんだってことを知ったわ。だから…」
緊張で早口になりそうな自分を必死に抑える。
「私はそんな妖夢ちゃんが好き、応援したいな」
私は妖夢に手を差し出す。
「これから私と、お友達になってくれないかな」
妖夢はびっくりした顔をしながらも私の目を見て話を聞いてくれている。
「こんなに頑張ってるんだもん、いつか絶対に報われるわ」
妖夢は顔を真っ赤にしながら、私の差し出した手をゆっくり、しかししっかりと握り返してくれた。
「ルナサさん、ありがとうございます…」
それからその日の夜は一緒に作った夕食を食べ、お風呂に入ると妖夢はすぐに眠ってしまった。
初めてのことばかりで疲れたのだろう。
次の日、朝食を済ませて二人で席に戻ると私の頭上に視線を感じる。
妖夢はどうやら私の楽器に興味があるようだった。
私が扱う楽器は霊なので普通の人間は私が具現化させない限り見ることは出来ない。
しかし妖夢は半分が幽霊だからか私の楽器がはっきり見えているようだ。
「これかな?」
私は愛用の楽器を具現化させる。
「あっ、ええと…」
「ふふ、よかったら聴いてくれるかしら?」
妖夢は遠慮がちな表情から一転、嬉しそうにはにかむ。
「聴いてみたいですっ」
「じゃあ、始めるわね」
一人だけの小さなお客さんに向けた、私のソロコンサート。
私は一礼した後にゆっくりと弦を構える。
いつもなら能力を使って演奏するのだが、今日は違う。
なんとなく、この子には自分の手で弦を引く姿を見せたい気持ちになったのだ。
曲はいつもライブで最初に披露する、私達姉妹が最初に覚えた曲だ。
譜面は見なくても完全に頭に入っている。
妖夢は演奏を聴きながら私の顔をじっと見つめている。
自分の手で演奏するのは久しぶりだったが、私はミスすることなく曲を最後まで奏でる。
演奏を終えた後、私が楽師帽を脱いで一礼すると妖夢は小さな手をぱちぱちと合わせて拍手をくれた。
「ルナサさん、かっこいいです…」
「…ありがとう」
ふと気づくと、妖夢は再び私の手元にある楽器に目線を向けていた。
もしかしてと淡い期待とともに聞いてみる。
「妖夢ちゃんも、なにか演奏してみる?」
妖夢は少しびっくりした顔をしながら、しかし元気よく私に答えてくれた。
「はい、私も楽器、演奏してみたいです!」
私は少し考えた後、自分の手荷物から細長い包みを二つ取りだす。
妖夢は興味深々といった様子で包みを眺めている。
私は包みを両方とも開けると、片方を妖夢に手渡した。
「これ、リコーダーですか…?」
「あら、よく知ってるわね。あげるわ、私のとお揃い」
「いいんですか…?」
妖夢は遠慮しているのか少し戸惑った表情を浮かべているが白いリコーダーを両手でしっかりと握っていた。
私の住む館には様々な種類の楽器が大量に眠っている。
半分以上は使っていないものだが、手入れを欠かしたことは一度もない。
このリコーダーも倉庫で眠っているより、誰かに吹いてもらう方がきっと嬉しいだろう。
「そのリコーダーも、妖夢に使ってもらう方が幸せよ」
それから私は妖夢にリコーダーの吹き方を教えた。
息をうまく吐けなかったり、穴を抑えられなかったりとなかなか綺麗な音を出せずにいたが、
妖夢は一生懸命に私の教えることを覚えようと頑張ってくれた。
そんな妖夢の姿を見て私もつい指導に夢中になってしまい、気づけば太陽が沈みかけていた。
だが努力の甲斐あって妖夢は基礎の音階を見事に一日で覚えてしまった。
「やった、吹けました!」
「よくがんばったわね、これなら曲もすぐに覚えられるわ」
私が思わず頭をなでると、妖夢は照れながらも嬉しそうに笑いかけてくれた。
その後、さすがに疲れたのか昨日のように夕食とお風呂を済ませると妖夢はすぐに眠った。
私は隣の布団で横になりながら、明日妖夢にどの曲を教えてあげようか考えていた。
幽々子は明後日帰ってくる予定だ、明日中には一緒に演奏が出来るところまできっと行けるだろう。
そうすれば幽々子に演奏を披露することも出来るかもしれない。
我ながら一人で盛り上がりすぎている自覚はあったが、私は今日という日に大きな充実感を感じていた。
翌朝、私が目を覚ますと妖夢は既におらず、布団も綺麗に片づけられていた。
もしや寝過ごしたかと思い私が慌てて着替えを済ませて部屋を出ようとしたその時だった。
居間から妖夢ではない、しかし聞き慣れたここ白玉楼の住民の声が聞こえてきた。
「ただいまー」
居間に向かうと幽々子の姿があった。
隣では妖夢がお茶を淹れている。
「おはようございます、ルナサさん!」
「彼岸での用事が予定よりも早く終わったの。ルナサ、ありがとうね」
妖夢が幽々子の隣で嬉しそうに笑っているのを見て私は悟った。
ああ、やっぱりあの子の日常はこうでないといけないんだ、と。
「ううん、私も楽しかったわ」
それからのことはよく覚えていない。
お礼をもらうつもりは全くなかったが、幽々子から彼岸でもらったと言うお土産のお菓子を渡されると
足早に挨拶を済ませ、そのまま屋敷を後にした、と思う。
部屋になにか忘れ物をした気もするが、確認のために部屋に戻ることもしなかった。
もっとゆっくりしていけばいいのに、と言われた気もする。
元から予定は今日まで空けていたのだ、用事があったわけでもない。
でも私は、すぐに白玉楼を去った。
まてよ…あのときあの子は、どんな顔をしていたかな…
「じゃあ、当日はそんな感じでお願いね~」
「うん、いつも会場を貸してくれてありがとう」
「いいのよ、当日が楽しみだわ~」
「ライブの後はいつものように宴会になると思いますので、ルナサさん達もぜひ参加していってくださいね」
途中で脱線もあったが、ライブの打ち合わせは滞りなく終わった。
私は身支度を済ませると、来た時と同じように妖夢に先導してもらいながら白玉楼の門まで送ってもらった。
門の前で最後の挨拶をしようと妖夢の方を向くと、目線がほぼ同じ高さなことに気づく。
これまでも気付く機会はいくらでもあったはずなのに、今この瞬間まではっきり認識することがなかったのは何故だろうか。
それにしても、あの小さかった頃から、本当に大きくなったなと思っていると。
妖夢の手にいつもの刀と違う細いなにかが握られている、しかし私はそれがなにかすぐに気が付いた。
思わず見とれていると、妖夢は流れるような動作で手に持っているリコーダーを口にくわえ、吹き始める。
間違いない、この曲は―
いつのまにか演奏は終わり、妖夢はリコーダーを下ろしていた。
お世辞抜きに、上手い演奏だった。それにこの曲は私がかつて妖夢に教えようと思っていた曲の一つだった。
とにかくまずは賛辞を贈ろうと妖夢の顔を見る。
しかしその表情は口元こそ微笑んでいるが、目が笑っていない。
どこか寂しそうな表情をしていた。
私はようやく思い出した、いや、ずっと逃げていたんだ。
あの日、白玉楼を足早に立ち去った時。
あの子は、妖夢は今と同じように、寂しそうな表情で私を見ていたんだ。
なにが友達になってほしい、だ。
あの子には幽々子がいるからと勝手に嫉妬して、結局私はあの子にずっと辛い思いをさせ続けただけじゃないか。
「妖夢…」
言葉が続かない。
今更私が何を言ったところで、私がこの子を途中で放り出してしまった事実は変わらないんだ。
でも、もう逃げちゃいけない。
当たり前だ、だって―
「練習ずっと続けてたのね、素敵な演奏だったわ」
妖夢はずっと、私を待っていてくれたのだ。
「妖夢、ごめんなさい私」
「ルナサさん」
妖夢が私の言葉を遮る。
「ルナサさんは、私のこと、今でも友達って思ってくれていますか?」
「もちろんよ、でも私は…」
「じゃあ」
再び私の言葉は遮られる、気付けば妖夢の声は震えていた。
妖夢はゆっくりと言葉を続ける。
「もう、謝らないで、ください」
「…私はあの日から一度も、ルナサさんと二人きりで過ごした時間を忘れたことはありません」
「私は幽々子様を守る盾として、ここ白玉楼で庭師、従者として生きていることを誇りに思っています、ただ」
「自分と同じぐらいの年の友達がいないのが、本当はとても寂しかった…」
「そんなときに、ルナサさんは私の初めての友達になってくれて、誰にも言えなかった悩み事も、聞いてくれました」
「私は貴女に、救われたんです…だから、謝らないで、ください」
目元にはうっすら涙が浮かべられていたが、私は構わずその手を握る。
「妖夢、ありがとう…」
身勝手な私を、この子はずっと待っていてくれた。
今度はもう絶対に、いなくならない。
「リコーダー、ずっと持っていてくれたのね」
「リコーダーだけじゃ、ないですよ」
リコーダーに目線を向けると、妖夢はポケットから古びた冊子を取り出す。
間違いない、私があの日忘れて行った楽譜だ。
「楽譜が読めなくて、最初はとても大変でした」
「独学で、ここまで練習していたのね…」
「だって、私の楽器の先生は」
妖夢はいつの間にか震えのなくなった声で、まっすぐに私を見つめながら言った。
「ルナサさん、だけですから」
「あれ、ルナ姉リコーダーなんて珍しいね」
「なんとなく、急に吹きたくなったのよ」
先生が生徒に追い抜かされていたんじゃ話にならない、
私もあの子に負けない素敵な音色を出せるようにならなきゃ、ね。
今作はルナみょんでルナサ視点
お姉ちゃんはすごくて頑張ってるけど
ほんとは色々と大変という考えはどの作品も一貫してるように見えました。
妹ポジな妖夢かわいい。
この2人の今後の話や作中にあったライブの話は
次回作を期待してもいいということなのでしょうか。
でもこのあと妖夢がルナサにもっといろいろリコーダーを習うお話や
妖夢視点で3日間と今にかけての時系列のお話もみたい……。
キャラ愛を感じる作品で
とても楽しませていただいました。
とても丁寧な優しい感想をありがとうございます…!
今後も不定期の投稿になると思いますがまた読んでいただけるととても嬉しいです!