Blood Meridian of Metropolis 9
#10 大草原の小さなアトリエ
その家はブロック状に切り出した芝土を煉瓦のように積み上げて建てられていた。モルタルや釘の類は一切使われておらずブロックの隙間に土や泥が塗りこまれた昔ながらの芝土の家だった。中は薄暗く明かり取りの窓から差しこむ陽射しも充分な光源とは云い難かった。埴安神袿姫は足首のところで両足を組んだ姿勢で椅子に座っており炉からまろび出る灯りをじっと見つめていた。そばのテーブルには読みかけの本が逆さまに置かれており湯呑みに注がれたほうじ茶はすでに冷めていた。
袿姫は棚に並べられた埴輪たちに視線を移した。それらの作品は合わせ鏡に映された像のようにまったく同じ意匠であり表面には装飾も何もなく卵の殻のようにつるつるしていた。椅子から身を乗り出した袿姫は彫刻刀の先をそれら空っぽの偶像に触れさせては溜め息をついた。そしてまた背もたれに身体を預けるのだった。
昼過ぎにカワウソ霊が率いる鬼傑組の面々が二台のトラックに分乗してやってきた。
少し遅れました。助手席から降りたカワウソ霊が云う。積込みの前に登録を済ませますね。
袿姫は無言でうなずいた。
獺(かわうそ)はタブレットに接続されたリーダーで埴輪の首の後ろに装着されているIDタグを順番に読み取っていった。そして端末に表示された確認ボタンをタップするとしばらく間が空いた後に兵士長の磨弓ならぬスーツ姿の“マユミ”の声が聴こえた。
大丈夫です。不備はありません。
了解。
マユミの声が聴こえたとき袿姫は顔を上げて指の先を微かに動かしたがカワウソ霊は気がついていないようだった。袿姫は咳払いして納品書の控えを渡した。
今回もお世話になりました。と、カワウソ霊。おかげさまで復興工事は大方の目途がつきました。一部の弱小組織が策動しているようですが驪駒の大将が順番に叩き潰している最中です。じきに畜生界も穏やかになることでしょう。埴安神様のお力と吉弔様のお知恵の賜物ですね。
それは好かった。
――平和をつくる者は幸いです。マユミの声がタンブルウィードのように両者のあいだを転がった。……袿姫様。私はあなたの忠実な僕(しもべ)としてひと時も休まずに努力しています。平和はただ冀(こいねが)うものなのではなく自ら創造することに意義があるのだと。私たちはじきに分け隔てなく理想の世界を垣間見ることになるでしょう。
お前は磨弓じゃないと前にも云ったでしょう。袿姫は淡々と答えた。私に忠誠を誓うのはお前の勝手だし私の教えたことを曲解するのもまたお前の自由。――でも沼の底から這い出てきた化け物みたいなその“にやけ面”は止めなさい。せめて磨弓以外の別人の顔を象ったらどうなの? ――私はお前のような実体のない存在には欠片も興味が持てないの。今も。そしてこれからもね。
……ほほう。これは手ひどい御方だ。
マユミは肩をすくめる仕草をした。口調までが変わっていた。そしてスーツのタイを締め直して画面から姿を消した。
カワウソ霊がつぶらな瞳をさらに丸くして見つめてきたので袿姫はバツが悪くなって視線をそらした。
……感情的になったわね。私としたことが。
何か気に入らないことがあるんですか? こいつのおかげで私たちすごく助かってるんですよ? ……まァオオカミ野郎とオオワシ君は未だに警戒してますけど。――あっ、“窯業家としてはこんな電子上の物体は到底作品とは認められない”とかそんな感じですか?
お生憎様。私はそんな高尚というかアナクロな考えを持ったクリエイターじゃないの。創りたいものを創ってるだけ。
袿姫はトラックの荷台に積み込まれた作品たちをじっと見つめながら話した。梱包材の上からロープで巻かれて固定された彼らの姿は芸術作品というよりも工事現場に輸送される材木か何かのようだった。量産型の土偶にはおよそ表情と呼ぶべきものがない。目鼻と思しき突起が彫りこまれているだけ。復興作業に従事するにあたっては“見分けのつく顔”などというパーツはもはや必要とされない。名前もない。言葉もない。彼らを見分ける方法はただひとつ。首の後ろにそっけなく刻まれた12桁の製造番号、――それだけだ。
◇
いつのことだったか磨弓が皿を粉々に割ってしまったことがある。袿姫が焼きあげた作品のひとつで艶(つや)やかな緑釉(りょくゆう)が宝石のように光り輝く一品でありその時は食器に使っていたものだった。給仕の際に磨弓は部屋のドア枠の段差につまづいてどてェんと無様に転んでしまった。砕けた皿とそれに載せられた料理は床の上で不可逆的に混ざり合い少なくともご主人様のお気に召さない味になってしまったことは誰の目にも明らかだった。
磨弓は半身を起こしてこちらを見た。そして口を開いたり閉じたりした。まだ彼女を焼きあげてそれほど季節も過ぎ去っていない時分で言葉こそ喋ることができても表情ひとつ変えた試しはない。
……も。
と彼女は云った。
も?
…………申し訳ありません、袿姫様。ほんとうに申し訳ありません。
大事な作品を、と彼女は続けようとした。その先の言葉はなかった。ただ無価値となってしまったセラミックスの欠片を覚束ない手つきで寄せ集めるばかりだった。袿姫の目には彼女の肩が震えているように見えたがきっとそれは気のせいだったのだろう。
袿姫は彫刻刀やヘラ、頭巾を作業机に置いて磨弓に小走りで近づいた。彼女は顔を上げなかった。屈んで両手を頬に添えてそっと持ち上げてやると二人は顔を正面から見合わせる格好になる。磨弓は視線をそらそうとした。袿姫の口からふっという笑みがこぼれた。
お皿も大変だけど、……お前のほうが大変だよ。
え?
――ここよ。ここ。
袿姫が指をあてた箇所は磨弓の額だった。そこに一筋のヒビが走っていた。
ヒビに気づいた磨弓は先ほどよりもなお凄まじい勢いで謝罪しはじめた。土下座の勢いで額を床に打ちつけて余計にヒビを広げてしまいそうなほどの恐縮ぶりだった。しばらく好きなようにさせてから袿姫は修復のために椅子をもう一つ引き出して彼女を座らせた。
少し熱いけど我慢してね。
だ、大丈夫です。私に温度を知覚する器官はありません。
ええそうね。
袿姫は絶えることなく燃え続ける炉から白熱した金ごてを引っ張りだすと慎重な手つきで磨弓の額にその先端を押しつけた。額のセラミックスがまるで鉛で出来ているかのようにあっけなく溶けだしてヒビを覆い隠す。次に袿姫はヘラを手に取ってかけがいのない秘蹟の溶解物をうすく引き伸ばして顔になじませていき造形を整えた。冷え固まるまでのあいだに化粧掛けの塗料を作成するため磨弓に背中を向けて作業机に釉薬(うわぐすり)の壺をいくつか並べた。
袿姫は壺に貼られた番号札を確認しながら自らの創造物へ背中で語りかけた。独り言をこぼすかのように低めた声だった。
……そこの窓枠に置いてある小さな像。
はい。
見えるかしら。
ええ見えます。
どんな形に見える?
身体は人間ですが頭は獅子に見えます。――幻獣でしょうか。
そうね。幻獣か。
袿姫は笑った。磨弓は上目遣いに主人の背中を見つめては窓枠に飾ってある像に目を向けた。
――シュターデル洞窟のライオンマンと云ってね。人間が生み出した芸術作品の中でも最古の物のひとつなの。
はぁ。
三万二千年くらい前に創られたそうよ。
さんまん……。
まァそれは私が彫ったレプリカなんだけどね。
どこか愛嬌のある獅子の顔をした象牙彫りの像。陽の光を浴びて鈍い光沢を放っているそれは親しげな調子で磨弓の視線を受け止めているように見えた。魂のない土偶はもちろん見る者すべての眼差しを受け容れる堂々としながらも献身的なその姿。磨弓は以前に主人から見せてもらった図鑑、――仏像から聖母子像まで世界各地の偶像が収録された図鑑にそうした優しさに似た温かみを感じたことがありそのことを正直に伝えると袿姫は背中を向けたまま何度もうなずいた。
あれは偉大なる虚構の始まりなのよ。
……申し訳ありません。私には意味が分かりかねます。
お前には物語と云ったほうが理解しやすいかしらね。
あの像が物語なのですか。
ええ。
……うーん?
あれは私の遠い親戚。人間の物語から生まれた神様の一柱なのよ。袿姫は釉薬を手に取って磨弓に向き直った。そしてハケで磨弓の額に薬を塗りながら語り続けた。――人間が他の動物と最も大きく異なっている点もそこなの。人類最大の発明は言語と云われているけれど仲間と伝え合う簡単な言葉なら他の種の動物だって持ち合わせている。人間は一歩進んで目に見えない存在をも価値あるものとして今まさに目の前にいるかのように語ってみせることができるのよ。神様もそう。法律もそう。会社もそう。国家もそう。物語を通して人間は繋がることができるし百人や千人、何万人という個体を何世代にも渡って団結させ結びつけるには物語がもたらす虚構の力なしにはできないの。なぜなら目に見える偉大な指導者は八十年ちょっとの寿命しか持てないけれど私たち神様は人間が存在し続ける限りは不滅の存在だからよ。
……私があの像から感じた温かい何かも物語の力によるものなのですか?
そうよ。お前は今の感触を大切に覚えておきなさい。空っぽの存在にも心が宿ることの証明になるのだから。
――私に心が、ですか。
動かないで。
申し訳ありません。
…………ええ。別におかしなことじゃないのよ。お前は私の作品なのだから。今は新芽のように弱々しい心でも水と肥料とたくさんの日光を与えればいずれは大樹に育つはず。――と云ってもそれがお前にとって幸福な未来なのかどうかは保証できないけれど。
分かりました。
袿姫は修復を終えると磨弓の頭を手のひらで優しく叩きながら立ち上がった。そして座ったまま額をなでさすっている磨弓の頭上から言葉を慈雨のように注いだ。――あれは確かに大事な作品だったけれど。袿姫は微笑んで云うのだ。……でも、今日はお皿なんかよりもずっと大切な灯(ひ)をお前の中に見つけることができたわ。
――そのことが何よりも嬉しいの。
◇
袿姫はうたた寝から目覚めた。作業机に両腕を乗せて突っ伏すような恰好で眠っていたのだ。頭を上げてから力が抜けたように再び手の甲に左頬を乗せた。視線は絶えることなく灯され続けている創造の炉に向けられていた。灯は消えかかっていた。カビ臭さの抜けないじめじめした芝土の家でそれでも文明の象徴としての役割を果たし続けているかけがえのない焔(ほのお)。袿姫は大きく息を吐いてから炉に木炭を足して火の勢いを強めるとまた席に戻った。そして冷え切っているほうじ茶を飲みほした。
~ つづく ~