永江衣玖氏が八坂神奈子賞選考委員を退任、後任に小悪魔氏
鴉天狗出版部は18日、八坂神奈子賞小説部門選考委員の永江衣玖氏が選考委員を退任することを発表した。卯月の第8回からは、替わって書評家の小悪魔氏が選考委員に就任する。
永江衣玖氏は今回の退任について、「7年もやらせていただきましたし、このあたりで一旦身を引くのが空気を読んだ選択かと思いました次第です。7年間楽しませていただき、感謝しています」と空気を読んだコメントを残した。
新たに選考委員となる小悪魔氏は、紅魔館附属大図書館の司書。幻想郷文芸の黎明期から書評家として活動しており、取り扱うジャンルも恋愛小説から児童文学まで幅広い。小悪魔氏は今回の選考委員就任について、「てっきり予備選考の手伝いだと思って引き受けたら、本選の選考委員と言われて、正直困惑しています……。私などでいいのでしょうか?」とやや不安そうに語った。
選考委員長の八坂神奈子氏は「萃香からの強い推薦もあったが、彼女の書評家としての鑑賞眼には私も一目置いていた。選考会に新風を入れてくれることを期待しているよ」と語る。
第8回八坂神奈子賞の選考会は、卯月に行われる予定。
(花果子念報 如月19日号1面より)
第8回八坂神奈子賞候補作発表!
鴉天狗出版部は5日、第8回八坂神奈子賞の候補作を発表した。
小説部門には5作品、ノンフィクション部門には3作品がノミネートされた。なお、アガサクリスQ氏の大ベストセラー小説『全て妖怪の仕業なのか』は既に稗田文芸賞を受賞したこともあり、著者の意向で事前に候補入りを辞退している。
小説部門は八坂神奈子氏(作家・守矢神社祭神)、伊吹萃香氏(書評家・エッセイスト)、古明地さとり氏(作家)、ナズーリン氏(書評家)、小悪魔氏(紅魔館附属大図書館司書・書評家)、姫海棠はたて(本紙記者)の6名、ノンフィクション部門は八坂神奈子氏ひとりによって選考の上受賞作が決定される。選考会は今月21日、守矢神社にて行われる予定。
小説部門ノミネート作品
小松町子『風天娘は風まかせ』(是非曲直庁出版部)
門前美鈴『史上最弱の最強不敗』全5巻(スカーレット・パブリッシング)
坂田ネムノ『山姥の墓』(鴉天狗出版部)
依神女苑『バブルマネーゲーム』(依神文芸社)
虹川月音『スタンディング・オベーション』(白玉書店)
(花果子念報 卯月5日号1面より)
実録!第8回八坂神奈子賞(小説部門)選考会
毎年恒例、第8回八坂神奈子賞選考会実録! またまた新選考委員の加入で、選考会は混沌の極みに! 候補5作品全てが評価横一線、議論白熱、史上空前の超絶大混戦回となった選考会の行方ははたして!
(は…はたて、神…神奈子、萃…萃香、さ…さとり、ナ…ナズーリン、小…小悪魔)
は とゆーわけで既報の通り、衣玖さんが選考委員を辞めちゃったので、今回から新しく小悪魔に参加してもらうことになりました。はい拍手ー。
小 あ、どうも。小悪魔です。ふつつか者ですが、よろしくお願いします。
神 ようこそ、八坂神奈子賞選考会へ。お前さんがこういう表舞台に出てくるのは珍しいね。いつもはスカーレット・パブリッシング関連でインタビュアーや対談の司会のような裏方か、予備選考の手伝いをしているかの印象だが。
小 いえ、今回も予備選考の手伝いだとばっかり……。ええと、聞いた話では萃香さんが私を推薦してくださったとか?
萃 衣玖が辞めるって聞いて、はたてから誰か代わりいない? って訊かれてさ。霊夢を誘ったんだけど断られたから(笑)。小悪魔は守備範囲も広いし、派手なことは言わないけどそのぶん作品の読みも誠実だし、神奈子賞向きの人材だと思ってね。
は もっともらしいこと言ってるけど、門前美鈴を受賞させたいだけじゃないの?
さ 紅魔館の身内ですからね。
萃 失敬な! 私がそんな姑息な真似すると思われてるなんて心外だなあ。
小 ……やっぱり辞退した方が良かったでしょうか?
ナ 別にいいんじゃないかい。前回の私も命蓮寺の作品が候補に挙がってる中で選考会に加わったわけだし。小悪魔の普段の書評は確かにスカーレット・パブリッシングを優遇してはいるけど、鑑賞眼は信頼できると思う。
神 うむ、私も同意見だ。書評でどんな作品に対しても美点を見つけ出し、「この作品はこの点に着目した読み方をすればもっと面白く読めます」という視点を提供する小悪魔の読み方は、加点法を原則とするこの賞向きだね。
小 恐縮です。門前美鈴さんの作品についても、なるべく公平な視点で評価させていただきたいと思います。
さ ……特に裏はないようですね。いいんじゃないでしょうか。
萃 だから言ったじゃん。だいたい小悪魔を推薦したのは候補作決定前だっての。
は 伊吹様、『史上最弱の最強不敗』が全5巻まとめて候補になるのは予想してたでしょ?
萃 そりゃ、候補にならなかったら暴れてたけどさ。
さ それより、今回の問題は『全て妖怪の仕業なのか』が候補に入ってないことでしょう。
は その文句はアガサクリスQに言ってよ! もう稗田文芸賞獲ったから神奈子賞は辞退するって言われたときの私の気持ちを解って! もう神奈子賞やめようかと思ったわ! 許すまじ稗田文芸賞! なんでアガサクリスQにあげるのよ! あっちが落としたのをこっちが受賞して完全勝利のはずだったのに! うがー!
萃 白蓮が稗田文芸賞の選考委員辞めてなかったら、どうなってたかねえ。稗田文芸賞では白蓮の代わりに入ったヤマメが票を入れた結果アガサクリスQが受賞したわけだし。その白蓮が辞めるきっかけになったのがマミゾウの作品だから、諸悪の根源はマミゾウだ(笑)。
さ 候補になっていたら気持ち良く推せたのですが、残念です。
ナ 勝手に名誉八坂神奈子賞でもあげればいいんじゃないかい。
は いいわよもう……。次に出る新作の『MはMで死ぬ』で受賞させるから。
神 そう上手くいくもんかね(苦笑)。というか、そろそろ始めようか。
萃 おお、そうだそうだ。いつもなら衣玖がこのあたりで空気を読んで話を戻してくれるんだけど、いないもんなあ(苦笑)。衣玖がちゃんと空気を読んでいたってことが、いなくなって初めてわかる(笑)。
は はいはい、それじゃあ評価シートの集計結果出すわよ! えーと、今回はこんな感じになりました!
神 萃 は さ ナ 小
△ × ◎ △ ○ ◎ 『風天娘は風まかせ』
○ ◎ △ △ × ◎ 『史上最弱の最強不敗』
△ ○ × ◎ △ ○ 『山姥の墓』
◎ △ ○ × ◎ ○ 『バブルマネーゲーム』
○ △ × ◎ ○ ◎ 『スタンディング・オベーション』
(印はそれぞれ、◎…本命として推す ○…本命ではないが推す △…受賞に強く反対はしない ×…受賞に反対する)
萃 ええええええー。ま、まさかここまでバラけるとは……。
さ ここまで全作品はっきり割れたのは、初めてですね。驚きました。
神 これは……かつてなく難しい選考になりそうだねえ。
は 正直、私も集計してて「えっこれどうなるの?」って思ったわ。ていうか小悪魔、2作受賞までなんだから3つに◎つけないでよ!
小 そ、そう言われましても、本当は5作品全部◎でも良かったぐらいでして……。この5作品ならどれが受賞しても全く文句ありませんから、△以下はつけられませんでした。
ナ やれやれ。どれからいくんだい?
さ いつもなら評価の低いものからですけど、ほぼ全作横一線ですからね。
萃 神奈子、どーすんの?
神 私が決めるのかい? ……そうだね、それじゃあまずは新人ふたりからいこうか。
主題のリアリティ
は じゃ、最初は『山姥の墓』ね。
萃 5人の人間が、迷い込んだ山中の屋敷で山姥に追われて次々と食われていく直球勝負のサバイバルホラー。傑作だと思うけど、さとりが◎ってのはちょっと意外だったなあ。
は そう? 前に青娥娘々とか推してたじゃない。
さ 別にホラーファンというわけではありませんが……。この作品は何より、山姥に追われる登場人物5人の心理描写の描き分けが見事ですね。臆病で慎重な主人公、勝ち気なヒロイン、冷静なリーダー、剽軽なお調子者、無口な一匹狼と5人とも非常にわかりやすい類型的なキャラクターですが、5人を付け狙う山姥という絶対的に明確な恐怖に対して、5人がそれぞれ感じる恐怖の根幹が微妙に違うところがそれぞれの行動や思考のすれ違いを生み、どんどん事態が悪化していく展開には圧倒的なリアリティがあります。
小 登場人物の意見が対立する場面で、いつも議論が微妙に噛み合ってないんですよねー。対談の司会をしていると、同じテーマについて話しているはずなのに全然話が噛み合わなくて、司会として困ることが結構あるんですけど、その感じの出し方がすごく上手いです、この作品。山姥の恐怖がメインテーマに見えますけど、むしろ人間同士のわかりあえなさの方がメインの主題なんじゃないでしょうか。
神 議論ってのは、する者同士が同じ前提を共有してないと成立しないからねえ。
萃 神奈子の熱弁が空振りするときとかね(笑)。なるほど、心が読めない人間同士のディスコミュニケーションの話として読めば、さとりが推すのも当然か。はたてはなんで×なの? いや、なんとなく想像はつくけど(笑)。
は その、登場人物の意見が最初から最後まで全然噛み合わないところがイヤ。もう最初から最後まで読んでてずっとイライラして……。
さ そのすれ違いぶりのリアリティが面白いのではありませんか。
は 別に他人とわかりえないってことを書いたっていいけど、現実でわかりあえない他人同士が、物語の中ではわかりあって力を合わせて危機を脱するのが創作物のカタルシスってもんでしょ! 愚にもつかないリアリティなんか猫にでも食わせとけばいいのよ!
萃 そう言うと思ったよ(苦笑)。私はこの山姥の、ハイパー脳筋なのにめちゃくちゃ怖いところが素晴らしいと思う。最初の襲撃が失敗してキレてからは、主人公サイドの仕掛ける小細工に悉く引っかかるのに、あらゆる小細工を全部力押しで突破してしまう(笑)。あらゆるものを破壊し尽くすこの力押しっぷり、ほんと素晴らしい。力こそパワー!
ナ 私は逆にそこがやり過ぎで、ホラーを突き抜けてあらぬところに行ってしまった気がするんだよね。終盤、土砂崩れに埋められてさすがに倒されたと思ったら。土の中を掘り進んできて、麓の村に逃げ込んだ主人公の足元から這い出てくるところまではまだしも、そのまま麓の村人の大虐殺に突入するのはいくらなんでも……。中盤までは大迫力のサバイバルホラーだったのが、最後には比那名居天子の世界滅亡ものや、ミス・レッドラムのスプラッターものみたいな世界に突入してしまうのは、さすがにどうか。
神 いや、むしろ私はこの先が見たいね。疲れを知らずあらゆる攻撃が効かない、一匹の不死の最強モンスターが永遠に暴れ続けるとき、世界がどうなるのか。
萃 それじゃSFになっちゃうっての(笑)。神奈子はそこが不満なの?
神 いや、この手のサバイバルホラーは外の世界で散々見たり読んだりしたからねえ。水準以上だとは思うが、結末まで含めてどこかで見た光景という感じで、個人的にはあまり関心の持てないタイプの作品だっていうだけさ。
小 というか皆さん、見事に評価ポイントがすれ違ってますねー。
さ まさに作中の登場人物たちのごとき、議論の焦点が噛み合わないディスコミュニケーション選考会ですね。この作品の主題のリアリティが図らずも証明された格好です。是非受賞させましょう。
は 断固拒否! リアリティなんぞを八坂神奈子賞の評価軸にされちゃたまんないわ! そんなにリアリティが大事なら娯楽小説なんぞ読んでないで社会に出なさいよ!
萃 お前が言うな!(苦笑)
ナ 創作物に過剰なリアリティを求めるのは、創作物の過剰摂取の反動だろうね。現実に対するカウンター、願望充足としての創作物を摂取しすぎて現実との接点が薄れた結果、創作物のご都合主義の方が現実に思えてしまって、リアリティという名のアンチご都合主義の方が、ご都合主義な《現実》へのカウンターに見えてしまうんじゃないかい?
さ 別にそこまでリアリティを信奉するつもりはありませんし、社会との接点をなくした引きこもりのように言われるのは心外ですが。この作品の魅力は、その人物描写のリアリティを支える心理描写の巧さですよ。最初は非常に類型的なキャラクターに思えた登場人物たちの人間性が、話が進むほどに深掘りされていき、そうして魅力的になった人物が山姥という巨大な暴力にあっけなく踏み潰される、そこにこの作品の迫力があるのですから。このタイプのサバイバルホラーでは幻想郷文芸史に残る収穫でしょう。個人的には第5回受賞作の『亡失のフェニックス』より上だと思います。
は キャラがあっけなく死んでその後顧みられないのもイヤ。
萃 ホントに噛み合わないな(苦笑)。そういえば白蓮だっけ、この作品の山姥を、社会において個人の尊厳を圧殺する大きな力の象徴として読んだ書評を書いてなかったっけ?
小 はい、白蓮さんですねー。《幻想演義》の如月号。
ナ 良くも悪くも、いつもの聖らしい読解だったね。
神 なるほど、正直最初に読んだときはよくあるホラーだとしか思わなかったが、いろいろな読み方があるもんだね。少し考え直す必要があるか。
は ちょっとちょっと、この神奈子賞は構造的読解なんかよりストレートな面白さを評価する賞だってば!
萃 だから、多面的な読みを許容することは、ストレートな面白さを否定するものじゃないって話は前にもしただろ(苦笑)。
は とにかく私は断固反対するからね!
小 ところで、山姥って妖怪の山に住んでいる妖怪ですよね? 実際こんななんですか?
は 山姥ってめちゃくちゃ排他的だから私はよく知らない。
萃 私は作者と知り合いだけど、さすがにここまでメチャクチャじゃないよ(苦笑)。まあ、実際山姥は排他的すぎて最近存在自体が知られなくなってきてるから、作者的には山姥の恐ろしさアピールが主目的の作品なんだろうね。
小説の価値は人物造形にあり?
は じゃあ次。『バブルマネーゲーム』。
萃 やっぱり神奈子の本命はこれか。そんな気がしてた(笑)。
神 幻想郷史上初の本格経済小説だよ。外の世界で少し前に、バブル経済っていう土地の価格が天井知らずに上がり続けた時期があったんだが、それを幻想郷に移植する試みだね。投機の対象を、弾幕ごっこに設定したのが上手い。弾幕ごっこが公式な対戦競技となり、勝敗を対象に大っぴらに賭けが行われるようになった幻想郷で、疫病神と貧乏神のコンビが掛け金をどんどん融資して、1試合で動く金額を天井知らずに釣り上げていく。経済の仕組みについての情報小説的な興味で読む層が多いだろうが、外の世界のような資本主義経済と呼ぶには小規模で未成熟な幻想郷の経済でバブルの狂乱を再演しようという、シミュレーションSFの傑作だ。
萃 まーた好みの作品をSF認定してる(苦笑)。
ナ 私はこれがSFだとは思わないが、こういう作品が幻想郷で出たことには大きな意義があると私は思うよ。うちの寺も、まあ俗世から距離を置く宗教施設だから仕方ないんだけど、どうも経済観念がゆるくてね。聖や御主人様にはこれでも読んで経済の仕組みをちゃんと勉強して欲しいものだ。まあ、そういうことを抜きにしても、今回の候補作ではこれを推したい。しっかりしたディテールの上に大がかりなハッタリをぬけぬけと効かせた大胆不敵なプロットの完成度も高いし、情報小説としての読み応えも満点だ。主人公コンビに振り回される里の人々の物語は、賭博小説としてのヒリつくような迫力がある。一攫千金か山ほどの借金を抱えての破産か、人生の瀬戸際のジリジリした焦燥の書き方が本当に上手いし、そんな人間の運命を操る主人公コンビの悪辣ぶりも引き立つ。傑作だね。
は 私もこれ面白かったけど、実用書じゃないんだから、「勉強になる」ってのは娯楽小説の評価軸としてはおかしいわよ。痛快ピカレスクロマンでしょ?
小 そうですねー。疫病神と貧乏神とコンビが幻想郷の経済を手玉にとって大もうけ、というストーリーには、因幡てゐさんのコン・ゲームもののような痛快さがあります。変に因果応報的なオチがつかないところがいいですね。弱肉強食、勝った者が強いのだ、何か文句あるかという陽性の悪漢小説なので、終始あっけらかんとしていて読後感がいいですし。
は そうそう、「悪銭身につかず」みたいなお説教を断固拒否して、ルールの中で賢く立ち回った奴が勝って何が悪い! っていう話なのがいいのよ。
萃 はたてさんや、それはさっきあんたが否定したリアリズムじゃないのかい(苦笑)。結局悪い奴があくどく儲けるなんて現実の姿そのものじゃんか。
は 何言ってんのよ。私はこれがリアリティがあるからいいなんて一言も言ってないでしょ。主人公コンビが知恵を巡らせて、いろんな作戦を立ててどんどん成功させていく、その痛快さが面白いって言ってるのよ。現実がどうかなんて関係ないわよ。
さ 痛快、でしょうか?
萃 さとりはなんで×なの?
さ 情報小説としては面白いですが、本当にただの情報小説なんですよね。主人公コンビはまだしも、里の人々の人物造形があまりに類型的で、心理描写も紋切り型が多く、そんな駒のような人間が破滅しようとどうしようと別に……。なので小説としては評価しかねます。
神 いや、それは作者の狙い通りだろう。むしろこの作品の主人公は経済という生き物だよ。その運動のダイナミズムが主眼であって、実体を超えて膨れあがる経済という怪物の前では、人間個人など矮小なものでしかない。この作品に出てくる里の人間はその喜劇性を演出するための駒でしかないんだよ。
さ だとしても、その駒に命を吹きこんでみせるのが小説というものでしょう。たとえばアガサクリスQの作品の登場人物は皆謎解きのための駒ですが、脇役まで活き活きとした魅力があるじゃないですか。それぞれに人生があり、幻想郷という社会が背景にあり、心理の機微がきちんと表現されていて……。
ナ 紋切り型の表現が多少目につくのは否定しないけれど、そこまで人物描写ができていないと言われるのは心外だな。自分とは全く関係のない妖怪同士の決闘に自分の人生を賭けてしまう、追いつめられた人間の捨て鉢さや、一縷の希望にみっともなくすがりつく卑小さなんか、実によく書けているじゃないか。類型的な造形はそういうどうしようもない人間のどうしようもなさをストレートに描くためであって、欠点ではないと思うよ。
さ その「どうしようもなさ」が類型的だと思うわけですが。
ナ 現実の里の人間の方がもっと類型的じゃないかい?
さ だとしても、それをそのまま書けばいいというものでもないでしょう。類型的な人物も書き方次第で命が吹きこまれるのは『山姥の墓』が証明しているではないですか。
は ちょっと待った。その「小説は人生とか社会とか心理の機微とかを描くもの」っていう決めつけが気に食わないわ、私は。人生とか社会とか心理の機微が書かれるとか書かれてないとか、それがどうしたっていうのよ。それが小説の面白さに何の関係があるっていうの!
さ それが小説の面白さに関係がないという意見の方が不可思議ですが。
は あのねー、娯楽小説は読者に快楽と愉悦を売るものよ! 小説に人生なんか求めてんじゃないわよ! そういうのが読みたきゃ風見幽香とか読んでなさいよ! たとえばアガサクリスQの魅力はそんなもんじゃなく、謎解きの面白さと名探偵Qのかっこよさでしょーが! アガサクリスQの小説に人生求めて読んでる奴なんかいるわけないでしょ!
ナ その「娯楽小説は読者に快楽と愉悦を売るもの」という評価軸でいくと、読者を興奮させることに特化したポルノが一番上等な小説ってことになるんじゃないのかな。
は それ皮肉のつもり? 人生なんか書いてる小説よりポルノの方がはるかに志高いに決まってるでしょ! そんなこともわからないから自称小説好きはバカばっかりなのよ! 小説で人生感じた気になってるような連中のためのポルノとして、小説に人生書いてるのを文学だなんて高尚面してるような作家より、ポルノを求める読者のためにちゃんとポルノを書く作家の方が百倍立派だっての!
萃 そんな全方面に全力で喧嘩売らんでも(笑)。
神 文学は文学を求める読者のためのポルノか。それを言いだしたらまあ、あらゆる娯楽はポルノだね。その伝でいけばこの『バブルマネーゲーム』は、これまで幻想郷に存在しなかった経済小説という新しいポルノを開拓した金字塔だろう。読者の求めるものを作るのが一流なら、読者に「本当はこれが読みたかったのだ」という作品を提供するのが超一流だ。『バブルマネーゲーム』にはその超一流たる資格がある。経済小説というポルノを読みたがる読者は幻想郷にいなかったわけだからね。
小 でも、ピカレスクロマンとして読んでる人の方が多いんじゃないですかー?
萃 そもそもそんなに売れてたっけ?(笑) 『風天娘は風まかせ』並に売れてるならともかく、そんな目立った売れ方してない以上、神奈子のその褒め方は筋が悪いと思うけどなあ。
神 いやいや、ここからきっと経済小説ブームが……。
は これから来るのはミステリブームに決まってんでしょ。
神 むむむ。そういえば萃香はどうなんだい。△だが。
萃 私? んー、私はアレだな、にとりの『さよならラバーリング』なんかと同じ枠だねこれ。情報小説としては面白いし、インフレし続けるスケール感も楽しいけど、主人公コンビの作戦はどれもトントン拍子すぎて一本調子だと思う。結局主人公コンビの作戦が成功するってわかっちゃうと先が読めちゃうからさあ。もうちょっと展開に波乱がほしいなあ。
は 主人公コンビが成功し続けるからスカッとして面白いんじゃない。娯楽小説は快楽を売るものなんだから、願望充足であってナンボよ!
さ 悪を描くのに、「悪は強いので勝ちました終わり」ではあまりに皮相的では。
は 強いのが勝つから気持ちいいんじゃないの。まさか願望充足は願望充足であるだけでダメとか皮相的なこと言わないわよね?
さ いえ、ですから私が批判しているのはこの作品の人物描写の物足りなさであって。願望充足的な話であれなんであれ、やはり登場人物を通して自分と違う人生を体験することこそが、小説を読むことの醍醐味でしょう。小説の面白さが多種多様であることを否定はしませんが、どんな面白さも根底にあるのはやはり人物造形であり心理の機微であって。
は それってつまり、登場人物の人格とか心理とかが自分にわかるように書いてないと感情移入できないって自分の読解力のなさを白状してるだけじゃないの。人生が書いてある小説じゃないと読めませーんってことでしょ?
さ 少なくとも人物造形の巧拙もわからないような人にだけは言われたくないですね。
は あんたの評価基準は世界の小説評価の統一基準か何かなの?
ナ 双方、そのへんで矛を収めないかい? 話がどんどん『バブルマネーゲーム』からズレていっているよ。
さ ……前々から思っていましたが、私とはたてさんは小説観があまりにも合いませんね。ここまで小説観が違うと心を読んでも理解できる気がしません。
は 奇遇ね、私も同じこと思ってたわ。
神 稗田文芸賞の白蓮みたいに辞めないでおくれよ(苦笑)。
さ いえ、私が辞めたらはたてさんの思うままになりそうですので、抵抗勢力として残らせていただきます。
は なぬー!
最も小説としての格が上
萃 んじゃ、次はどれ行く?
さ この流れからすれば、虹川月音さんでしょうね。
神 今回のはたての「小説に人生なんか書くな」論の最大の標的だねえ(苦笑)。案の定×をつけてるが。
は 別に小説に人生とか社会とか心理の機微を書くなとまでは言わないわよ。ただそういうものを小説の王道だとか、そういうものがないと上等な小説にならないとか、そういう価値観が嫌いなだけだってば。人生とか社会とかが書いてあっても面白ければ認めるわよ。『バイバイ、スプートニク』とか『スラムラビット』とか。
萃 そういう意味じゃフェアではあるのかな(苦笑)。
は で、これはあんまり面白くなかったから×。それだけよ。
さ これが「あんまり面白くない」んですか……。どういう読み方をすればそういう感想になるのでしょう。
小 まあまあ。『スタンディング・オベーション』は、騒霊楽団の解散騒動以来、初の新作ですね。あれは結局堀川雷鼓さんが加わっての再結成でしたけど、ちょうどそれを題材にしたような、解散したバンドの再結成の話で。虹川作品では久々の直球の音楽もので、素晴らしく楽しく読みました。かつて同じ夢を見ていたのに、いつしかすれ違ってしまった仲間たちが、ひとつの事件をきっかけに、あの頃の夢の場所を目指してもう一度集結する。『レインボウ・シンフォニー』と並ぶ代表作ですよー。
さ 私は、彼女の最高傑作は『歩くような速さで』だと思いますが、虹川さんの娯楽小説路線では『レインボウ・シンフォニー』を超えてこれがベストでしょうね。自分の奏でたい音が出せない憂鬱、自分の理想とする音楽が仲間に伝わらない苦しみは、音楽に限らず、あらゆる人妖の表現に当てはまる、他社への理解不能性の苦しみとして読める普遍性があります。それぞれの人生と音楽への思いが交錯し結実する復活ライブは、幻想郷で書かれた音楽描写の最高峰でしょう。堪能しました。
神 はたての嫌いな価値観に基づいて判断するなら(苦笑)、今回の候補作では間違いなくこれが一番小説としての格が上だね。いや、さすがは幻想郷の音楽小説の第一人者。小説技術的にはまさに練達、匠の技だ。なんでもない場面はリーダビリティの高い平易な文体で流れるように読ませ、渾身のライブ場面にありったけの文章技巧を投入する。引っかからずにすいすい読める日常パートに、ライブ場面に効いてくるさりげない描写を巧みに織り込んでいて、実作者としてはその物語の演奏技術に惚れ惚れするね。その上で、過去の因縁にまつわるミステリー的な謎解きや、復活ライブの開催をめぐるハラハラドキドキのサスペンスもきっちりサービスしてくれて、きちんと読者を楽しませる娯楽小説たろうとする意志がある。
萃 うーん、まあそれらの評価には概ね同意するんだけどさあ。ぶっちゃけこれ、『レインボウ・シンフォニー』と同じ話じゃん(笑)。挫折した音楽家が再起して集まって最高のライブをやるって、あっちと全く同じ展開じゃんか。どうも読んでて既視感が……。
小 いえいえ、そんなことはないですよー。『レインボウ・シンフォニー』はそれぞれ別々の人生を歩んでいた音楽家たちが集まる話でしたけど、今回は一度音楽性の違いで解散したバンドの再結成の話ですから、登場人物それぞれに過去の因縁が絡まっていて、より人間関係が複雑になってるじゃないですか。かつて解り合えなかった、袂を分かってしまった仲間との絆が年月を経て蘇るところに、『レインボウ・シンフォニー』にはない感動があります。
ナ 解散してそれぞれの人生を歩んできたバンドメンバーが再結集したときには、皆が同じ夢を取り戻す話になるのかと思ったんだけど、この作品では最後までそれぞれが全然別の方向を向いたままなんだよね。それぞれに人生があり、理想があり、夢がある。一度離れてしまったそれはもう重ならないのだけれど、それでも今の自分にできる精一杯の音を重ね合わせることができる。それはてんでバラバラな音色かもしれない。だけどそこに、かつて同じ夢を見ていた過去がオーバーラップしたとき、ただ同じ夢を見ていたときには出せなかった最高の音色が生み出される。同じ夢を見る必要も、同じ理想を持つ必要もない。わかりあえなくても一緒に音を奏でることはできる、わかりあえない者同士が手を取り合うことで初めて見える景色が確かにある――ということを描いているところが素晴らしいと思うよ。こういう話は一致団結という名の同調圧力の快楽の話になりがちだけど、他者との違いを認め合った上で手を取り合うことこそが大事だという結論は、正しく大人の態度だろう。『レインボウ・シンフォニー』からの進化であり深化だと思うよ。
萃 命蓮寺関係者らしい感想だなあ。はたては具体的には何がダメなの?
は 別に読んでて退屈ってほどじゃないんだけど、音楽ものだったらやっぱり堀川雷鼓の『ハートビート・ドリーマー』の方が面白かったし。あっちのツンデレドラムみたいな魅力的なキャラがいないから、最後のライブも盛りあがらないし。
さ このライブを「盛りあがらない」の一言で片付けるんですか……。魅力的な人物しかいないじゃないですか。
は えー? 全然誰も心惹かれない。
萃 はたてはほら、共感とか感情移入に全く興味がないやつだからさ(苦笑)。
ナ 『ハートビート・ドリーマー』の方がキャラクター小説的だね。確かに『スタンディング・オベーション』の登場人物で強烈なキャラクターは、バンドリーダーの天才肌のヴォーカリストだけで、あとのメンバーは言うなればスターになれなかった凡人たちだから、そういう描写になるのは小説の作りからして当然だと思うけどね。
小 だからこそ、登場人物の誰かひとりには共感しやすいと思うんですけど……。
は 共感できるかどうかと、キャラクターとして魅力的かどうかは別でしょ!
神 確かに、長く読み継がれる名作でも特に愛される登場人物は、その人物造形や描写の深みよりも特徴的なキャラクター性のおかげで愛され続けるわけだからねえ。キャラクターとしての魅力があれば、人物像は作者が書いてない部分まで読者が勝手に深掘りしてくれたりするからね(苦笑)。人物造形の深みはもちろん必要にしても、まず強い個性を持つ魅力的なキャラクターであるべきっていう評価軸には、ある種の正当性はあるか。
は 予言したっていいわよ。仮に今回これを小説としての格が上だとか言って受賞させたって、後世まで長く愛されるのは『風天娘は風まかせ』の方になるわよ。
萃 やー、それはどーだろうなあ(苦笑)。
キャラクターの魅力こそが作品評価!
ナ じゃあ、この流れだと次は『風天娘は風まかせ』か。
は 今回は何がなんでもこれに受賞させるわよ! アガサクリスQがいない以上、これが世間的な大本命なんだから! これに受賞させなきゃ何のための八坂神奈子賞よ!
萃 ええー。大本命は門前美鈴でしょ。
は それは伊吹様だけ。
萃 そんな馬鹿な! 『史上最弱の最強不敗』だって売れてるじゃんか!
小 まあまあ。『風天娘は風まかせ』は、小松町子さんの大ベストセラーですね。風来坊の便利屋少女・コマ子と、面倒見のいい幼なじみのキキ、ミステリアスなお団子姫の3人による三角関係ラブコメ。ホントにキャラクター人気すごいですよねー。何しろ紅魔館でもお嬢様と妹様が、コマ子とくっつくのはどっちかで意見が分かれて喧嘩になったぐらいでして。
萃 え、レミリアはともかく、フランドールまでこれ読んでるの? いやまあ、めちゃくちゃ読みやすいから、門前美鈴が読めるならこれも当然読めるか。どっちがどっち派なの?
小 お嬢様がお団子姫派で、妹様がキキ派でした。
萃 あー、レミリアは可愛いところのあるお嬢様のお団子姫に自分を重ねて、フランドールはちびっこで子供扱いされがちなキキに自分を重ねてるのかな(笑)。
は みんなはどっち派? 私はやっぱりお団子姫とくっつくと思うけど。クールでミステリアスに見えて、実は結構ポンコツなところ、可愛いと思うし。
小 私は……やっぱり、キキの健気さが報われてほしいですねー。好きな人が自分に振り向いてくれなくても、尽くすためにそばにいるだけで幸せって気持ち、わかりすぎて……。
萃 私もキキだなあ。惚れた相手に恋愛対象として見てもらえてないのがわかってるから、好きだって言えない気持ちがさあ、わかる、わかるよぉ……。
は え、伊吹様、そんな恋愛経験あるんですか?
萃 うるさいな! そこは突っ込むなよ!
ナ 私はお団子姫かな。外面と内面のギャップというか、自己評価と周囲からの認識とのギャップに悩みつつ、周囲の認識に合わせて振る舞ってしまうからこそ、ストレートに素の自分を肯定してくれるコマ子に惹かれる気持ちが非常によくわかる。
さ この一冊を読む限りでは、物語としてはお団子姫と結ばれるのが正当な結末に見えますが、続きがあるならそれ次第でしょうね。個人的にはどちらも共感できるヒロインで、確かに魅力的だと思います。
神 私はあまりそういう読み方はしないから、コメントは控えるよ。
萃 3対2か。やっぱり割れるねえ(笑)。
さ それより、作品評価の話をしませんか。
は キャラクターの魅力が『風天娘は風まかせ』の最大のポイントなんだから、キャラの話をするのが正しい『風天娘』評価よ!
ナ それで言ったら、やっぱり一番魅力的なのは主人公のコマ子だろう。自堕落で能天気で、けれど優しく気配りに長けて、決めるときは見事に決める。その上それを鼻にかけるでもなく、どこまでも物事に対して適切な距離を置いた、飄々とした風来坊であることを貫いていて。みんな言っているが、ヒロインふたりから同時に惚れられるのがこれほど当然だと納得できる三角関係ものの主人公は初めて見たよ。
神 コマ子というキャラは、幻想郷の人気作品をいろいろ研究した上で、幻想郷ではこういう主人公が人気が出るだろうという最適解を計算して作られたキャラクターだと思うが、その計算を感じさせないのが小松町子の語りとキャラクター造形の妙だろうね。その上で選んだ作品ジャンルがお仕事小説ラブコメというのが上手い。非常に戦略的に作られた作品で、そういうものとしては完璧に成功していると思うよ。
は そんな奥歯に物が挟まったような褒め方しないでよ。
萃 神奈子にラブコメを褒めろとか無茶を言うんじゃないよ(笑)。
神 失敬な。恋愛物嫌いはお前さんの方だろう。
萃 いや、だからあっけらかんとしたラブコメは平気だし、これも嫌いじゃないってば。
は だったらなんで×なのよ、伊吹様!
萃 そりゃ完結してないからに決まってるだろ!(笑) 6月に続刊出るってアナウンス出たばっかりじゃんか。これ1冊きりで終わりならまあ推しても良かったけど、続きが出るからにはこの三角関係の行方を見届けてからでないと……。
ナ 確かにそれは思わないでもないね。しかし、続刊を出して大丈夫かと心配だな。これだけキャラクター人気が出てしまうと、コマ子がどっちを選んでも読者が荒れそうだし、延々と結論を出さずに引っぱると肝心のコマ子がどんどん優柔不断なヘタレになってしまう。
さ このまま終わらないで読者を宙ぶらりんにしていた方がいい作品だという気はしますね。
は だからこそ今ここで受賞させるの! 万一あらぬところに着地しちゃって大荒れになってからじゃ遅いのよ!
小 そこはもうちょっと小松町子さんを信じてあげてもいいのでは……(苦笑)。
は いや、信じてるわよ? 信じてるから、今ここで受賞すれば綺麗な完結したときにちゃんと先見の明があった、選考委員は小松町子を信じて賞を贈ったってことになるじゃない!
萃 でも、小松町子は2回目だからなあ。それも前に『たそがれ銭平』で獲ったの、まだ2年前だよ? 作品の毛色は全然違うとはいえ、2回目を贈るにはやっぱり早すぎない?
は 早いとか遅いとかじゃないの! これだけ幅広い支持を得てる作品を八坂神奈子賞が顕彰しなかったら、神奈子賞の存在意義が問われるのよ!
さ それなら選考会などしなくても、ベストセラー1位を顕彰する賞でいいじゃないですか。
ナ はいはい、その話は荒れるからそこまで。○をつけておいて言うのもなんだが、今回の候補作では『風天娘』は一番「賞」という言葉が似合わないタイプの作品だと思う。軽妙で読みやすく、キャラクターの魅力一本勝負で、物語に特に深みはない。――しかし、そういう作品こそを顕彰するのも確かに神奈子賞の役目ではあるんだろうとは思うよ。
小 いえいえ、物語に深みがないというのはさすがに言いすぎでしょう。ラブコメ部分を除くと、『幽霊屋台の縁日騒動』のようなトラブルシューティングものですが、中有の道の活き活きとした描写や、利害の対立をすり合わせて落とし所を見つけていく過程の説得力は、《銭投げ捕物帳》シリーズで培った人物描写や社会描写が活かされていて、ラブコメを除いても充分に読み応えがありますよー。
ナ しかし、それは結局コマ子の魅力を引き立てるための装置じゃないか。
小 もちろんそうですけど、主軸はラブコメなんですからそれは当然でしょう。その上でラブコメ要素を気にせず読んでも充分、中有の道の社会小説としての鑑賞に耐えるのは、小説としての深みではありませんか?
ナ 上手いとは思うけど、小松町子ならこのぐらいは書いて当然だと思うけどね。いや、私も別に批判してるわけじゃない。キャラクターの魅力という飛び抜けた美点があるから、私も推していいと思っているよ。大勢でこれを受賞させる流れになるなら反対する気は全くない。
神 《銭投げ捕物帳》との最大の差は、やはりコマ子が《銭投げ》における「人情」から一歩引いたところにいるところだろうね。相手の事情には深入りせず、たださりげなく解決への道を示すだけの傍観者であるところが、飄々とした性格と相まって押しつけがましくない優しさとしてキャラクターの魅力になっている。『たそがれ銭平』で自身の作品を律していた「人情」を相対化してみせた、その先に位置する作品という意味で顕彰するなら、私もそんなに反対する気はないよ。
萃 うーん、やっぱり完結待ってからの方がよくない?
は あげるったらあげるの!
さ まあ、そういう賞だとわかっていますから、どうしてもというなら無駄な抵抗はしませんが……。私もやはり時期尚早という気がします。
小 私は受賞に値すると思います。
萃 小悪魔の「受賞に値する」は全作品そうなんだろ(苦笑)。
そもそも《面白さ》とは何か
は んじゃ最後、門前美鈴。
萃 おっしゃあ! 今度こそ何がなんでも受賞させるよ! おらおら、文句があるならどっからでもかかってきやがれ! 『史上最弱の最強不敗』に神奈子賞をあげるためならどんな敵も恐れないぞ!
神 1巻が候補になったときとは随分テンションが違うねえ(苦笑)。
萃 完結した今なら迷いなく推せるからね! 門前美鈴の新境地にして新たな代表作のひとつだよ! ほらほら、何の文句があるっていうのさ!
小 まあ、私は萃香さんと戦う気はありませんので褒めますけど(笑)、非常に面白かったですね。最初の2冊は、何の才能も持ち合わせてない小市民の主人公が、なぜか主人公を神格化している副官の能力で《最強不敗の指揮官》に祀り上げられていく話でしたが、まさか2巻のラストでその副官が敵方に回ってしまうとは! この展開には驚きました。
神 それで主人公の真の才能が覚醒するのか、はたまた化けの皮が剥がれて転落人生に向かうのか――と思ったら、主人公は何も変わらないんだよねえ(笑)。相変わらずぼんやりした適当なことを言うしかできない。それを勝手に優れた作戦に翻訳して部下に伝える役割だった副官がいなくなって、主人公の曖昧な指示がよくわからなくなり、周囲も主人公の才能に疑問を持ち始めるのに――。
萃 今度はひたすら幸運で勝ち続ける(笑)。どう考えても悪手としか思えない布陣で、敵に陣地を完全に突破されたと思ったら、突然の鉄砲水で敵が全滅したり。明らかに無茶な山越えを指示したら、敵もまさかそんな無茶な山越えをするほどバカだとは思ってなかったせいで完璧な奇襲になってしまったり、見当違いのところに攻撃を仕掛けたらたまたま敵の補給部隊とぶつかって補給を断つことになり、相手がそのまま自滅してくれたり。本当に主人公は何も考えてないだけなのに、元々の天才軍師のイメージのせいですさまじい深謀遠慮に見えてしまって、ますます《最強不敗》のイメージが強固になっていく様が、ホントめちゃくちゃおかしい。
小 小市民で安穏と暮らしたいだけの主人公は、むしろさっさと負けて化けの皮が剥がれてしまってほしいのに、勝ち続けてしまうんですよね。成功すればするほど、安穏と暮らすという目的から遠ざかっていってしまう主人公にだんだん哀愁が滲んでくるところがいいです。その哀愁がまた《最強不敗》の深遠なイメージを強固にして……(笑)。そして4巻からはいよいよ元副官との直接対決。どうせまた主人公が幸運で勝つんでしょう? と油断していると4巻がすごいところで終わって、5巻が出るまで悶々とさせられてしまいました。
神 言ってしまえば展開のパターンは毎回一緒なんだが、手を変え品を変え、同じ展開を飽きさせずに読ませ、予想通りの決着にも不満を感じさせないあたりは、さすがにベテランの風格を感じるね。3巻以降の主人公の「幸運」も、きちんと全てその幸運が舞い込む伏線と、それを主人公がちゃんと認識している描写があるから、主人公自身が自分は何も考えていないとはっきり独白しているにも関わらず、読者には主人公がちゃんと、ただ自覚のないだけの本物の天才軍師に見えるところが心憎い。
萃 そうそうそう。ぜったいこの主人公はただの凡人じゃないんだけど、本人は最後まで頑なにそれを認めようとしない。どれだけ祀り上げられても絶対に小市民であることをやめようとしない主人公は、ここまでくると逆にものすごくストイックなハードボイルド主人公に見えてくる(笑)。小市民であり続けるためにやることがいちいちみみっちいから、天才に見えてもぜんぜんカリスマには見えないところが愛嬌になっててね。そんな特に立派な矜持も信念も持ち合わせてない、最後まで小市民の主人公のままなのに、5巻の最終決戦はもうめちゃくちゃ熱くて、その熱さの中でも最後までひとり状況に取り残されている主人公の姿が面白すぎる。心も身体も弱っちい主人公で、願望充足にも熱血にもいかずに熱い戦記物を書くという難題を見事にクリアしたこの傑作に神奈子賞をあげずして、何にあげるというのか!
神 最初から最後まで主人公が一切成長しない、潔いまでのアンチ成長小説であり、あらゆることが主人公側に都合よく発生する徹底したご都合主義の話なわけだが、そういう娯楽小説を批判する文脈で使われる要素をこれだけ明確に使っているのは、明らかに意図的だね。萃香が1巻当時から指摘していたように、外面と内面のギャップ、事実と認識の齟齬を徹底的に書き込んで「そもそも《強さ》とは何か」を問う話だが、このアンチ成長小説ぶり、ご都合主義ぶりも「そもそも《面白さ》とは何か」という作者からの問いかけだろう。昼行灯天才軍師の戦記ものでも、ここまで有能なのか無能なのか、本物の天才なのか幸運すぎる凡人なのかを最後まで定めがたい主人公はなかなかない。絶対に主人公をただの天才にはしないぞ、という作者の強い意志による抑制が、独自の面白さを切り拓いた快作だろう。門前美鈴の新境地として、私もこれは受賞に値する作品だと思うよ。
萃 神奈子、握手!
神 それは受賞が決まってからにしな(笑)。
は 作者の人そこまで考えてないと思うけど。
萃 考えてなかったとしても、そう読めるってことが作品の価値ってもんだよ!
ナ じゃあ、×をつけた者として反対演説をしようか。アンチ成長小説であることや、徹底したご都合主義展開が意図的なものであるのは認めるし、それが作品のテーマと密接に結びついて独自の境地に達していることも認めよう。認めた上で、私はこの主人公に腹が立って仕方なかった。自己評価がどうあれ、結果を出して責任ある立場に上った者として、その責任から断固逃げ続けるのは、さすがに人としてどうかと思う。まして戦記ものだ、兵卒の命を預かっているという自覚がなさすぎるだろう、この主人公。私だったらこんな指揮官の下では絶対戦いたくないね。
萃 いやいや、望まず背負わされた責任なんて取りたくない方が自然じゃん。まして主人公は自分には指揮官としての能力なんて皆無だと固く信じているんだから、結果が出ちゃったからって変に責任感に芽生える方が不自然だよ。たとえば試験で鉛筆転がして満点取ったせいで寺子屋の代表として何かすることになったら、そんなの逃げ出す方が当たり前じゃん。そうやって逃げても逃げても結果が追いかけてきちゃうところが面白いんであってさ。別に主人公は不正してるわけでもないんだしさあ。
ナ これだけ結果が出続けて、周囲からも賞賛され続けて、それでも自分を無能だと信じ続けられる人間なんているのかい? 自分は神がかりだと思い込む方が自然だと思うけどね。
萃 だからそこでストイックに自分を無能と信じ続けられるところが、この主人公の特異な個性なんじゃんさ。本人が自分が凡人だと考えるほど、読者にまでこいつおかしいぞと思われてしまう、内面と外面の広がり続けるギャップがこの作品のキモであって。
ナ だからそこが許せないんだよ、私は。有能な者が過剰に自分を無能と思い込んで、周囲に迷惑をかけることで自分の無能という認識を肯定してもらおうとするのが、本当に腹が立って仕方がない。自覚と責任という言葉を1万回書き取りしろと言いたいね。
は わお、ナズーリンがこんなに熱くなってるの初めて見た。
さ ……身近に心当たりがあって、平静でいられないようですね。
ナ 心を読まないでくれないかな、頼むから。
さ ああ、これは申し訳ありません。本当は有能でひとりでも大丈夫なのにわざわざ貴方を必要としてくれる上司の虎さんのことは今は関係ありませんものね。
ナ っ、御主人様のことは本当に関係ない! 私は、私はただ……ああもうっ!
は 大丈夫? 顔真っ赤よ?
ナ うるさい!
萃 さとり、さっき現実との接点を失った引きこもり扱いされた意趣返し?(苦笑)
さ さて、なんのことでしょうか。
ナ と、とにかく、私はこの主人公が嫌いだし、作品の構造が作者の意図通りだとすれば、その意図は必ずしも成功していないと主張したい。だいたい、副官が敵に回るまでの敵が無能すぎるんだよ。2巻までの主人公の作戦も作中で評価されてるほど奇想天外じゃないし、敵を無能にすることで主人公を引き立てるのはこういう戦記物では最も安易な手法じゃないか。
神 うむ、主人公側の作戦が決して見たことのないような奇想天外なものではないのは事実だけどね。そこまで敵が無能という印象はないね。序盤では敵は定石通りに攻めればまず勝てる状況だ。戦略的に優位に立っている以上、力押しで行くのは当然であって無能や無策を意味しないよ。中盤以降も、肥大化した主人公のイメージのせいで過剰に神経質になって自滅していく過程には説得力があると思うけどねえ。
萃 そうそう。確かに主人公の祀り上げられ方は過剰だけど、その過剰さ自体が作品の根幹なんだしさ。そこは欠点じゃないと思う。
小 ナズーリンさんは、この作品の狙いがことごとく癇に触ってしまうという意味で、徹底的に選ばれなかった読者なんでしょうねー。
ナ そんな一言で片付けないでほしいな。私は正当な批判をしているつもりだ。
さ わりと私怨に聞こえますけれど。
ナ 幻聴だね。心外だ。
萃 ところで、はたてはどうなのさ? 1巻のときは門前作品で一番楽しかったって言ってたから、○以上はつけてくれると思ってたのに。
は うーん、2巻まではめっぽう面白かったんだけど、副官が離反しちゃってからは正直期待ハズレ。主人公がひたすら運の良さだけで勝ち続けるのは笑えるし、面白くないわけじゃないんだけど、1巻を読んだときに期待した面白さじゃないわ。
小 つまり、主人公と副官にはずっと仲良しでいて欲しかったわけですか?
は ていうか、離反の動機がイマイチ納得いかない。だって結局自分で立てた作戦じゃない。その結果が不満だったからって……。
萃 いや、それはだから副官も自分を天才だなんて思ってなくて、主人公の立てた作戦だったと固く信じてたんだからさ。主人公だけじゃなく、副官の方も自己認識と実際の実力の間にとんでもないギャップがあって、お互いそれが結局最後まで埋まらないのが読みどころじゃん。
は うーん、でもやっぱりこういうんじゃないのよ、私が読みたかったのは。
萃 そんなこと言われてもなあ(苦笑)。さとりは?
さ 1巻のときにも言いましたが、主観と客観のギャップというテーマ自体は幻想郷の他の作品にも優れた作例がありますし、主人公の実像についての見定めがたさに関しても同様ですね。全5巻の戦記ものというジャンルを、このテーマを最後まで貫いて書ききったという点は評価したいですが、萃香さんの仰る主人公の「異様なストイックさ」が、このテーマを貫き通すための作者の都合による造形に見えてしまう点は、あまりいただけません。通常ではなかなか噛み合わないジャンルとテーマを結合しようとした意欲は買いますし、娯楽小説としては楽しく読めますが、ジャンルとテーマの不整合を解消しきれず、世界全体が書き割りめいてしまった印象が否めませんね。断固認めないとは言いませんが、消極的反対ぐらいの意味での△と受け取ってください。
萃 むむむ。これならテーマ的にもさとりは乗ってくれると思ってたのに……。
神 選考会ってのはそうそう上手くいかないもんだよ(苦笑)。
は というか伊吹様、門前作品の肉体的な強さの追求が好きだったんじゃないの? これまでの門前作品と全然違うじゃない、これ。
萃 いやいや、だから門前作品の通しテーマは《強さとは何か》であってね? これまではずっと《強さの使い方》を書いてきたけれど、今回はもっと哲学的というか根源的な問いを設定しただけでさ。一番の根っこはブレてないんだよ。この誇りも信念も肉体的な強さもない主人公の造形は、門前美鈴自身の理想の完全な対極として設定されてるわけでさ。
小 というか、紅魔館の住人の性格と力関係を完全にひっくり返すとこの作品の主要キャラになりますね(笑)。主人公が美鈴さんで副官が咲夜さんで……。
ナ つまり、何もしなくても十六夜咲夜に神様のように慕われたいという作者の願望の表れってことかい?
萃 そんなことはどうでもいいだろ!(笑)
選考会は混迷の果てに……
神 さて、一通り議論はしたわけだが。
さ 全く話がまとまる気配がありませんね。
萃 議論が一周してもひとつも見送りになってないとか(苦笑)。どうすんの?
は うーん、一旦ひとり2票持ちで投票してみるとか。その結果見て考えた方が早くない?
ナ それがいいかな。
小 では、そうしましょう。
は はい、じゃあひとり2票までで票入れてー。全員入れたわね? んじゃ開票!
1票(はたて) 『風天娘は風まかせ』
3票(神奈子・萃香・小悪魔) 『史上最弱の最強不敗』
1票(さとり) 『山姥の墓』
2票(神奈子・ナズ) 『バブルマネーゲーム』
3票(ナズ・さとり・小悪魔) 『スタンディング・オベーション』
は ええええええええええええ! なんでよー!
萃 神奈子おおおお! 小悪魔ああああ! ありがとう! ありがとう!
は ちょっと小悪魔、ナズーリン! なんで『風天娘』に入れてくれないのよ!
ナ すまないね、『風天娘』も好きだが、私は『スタンディング・オベーション』の方がやはり小説としての格が上だと思う。神奈子賞はそういう賞じゃないと言われても、やはりこれを落とすわけにはいかないと思った。
小 迷いましたが……やはり続きが出ることが決まっている『風天娘』より、完結した『史上最弱の最強不敗』の方が、このタイミングでの受賞には相応しいかと。
さ これでも『山姥』支持は私だけですか……。手応えはあったのですが。
萃 すまんね。ネムノには悪いが、私は門前美鈴に操を立てるよ。
ナ で、これは門前美鈴と虹川月音のダブル受賞ってことになるのかい?
萃 半数の3票取れば受賞でいいんだよね?
は いや、いやいやいや、ちょっと待って待って。これは納得いかないわ!
神 はたて、せめて『バブルマネーゲーム』にもう1票入れてくれないかい? そうすれば3作品で決選投票に持ち込める。
萃 いや、これ決選投票に持ち込んだら、そこから誰も譲らなくなるんじゃないの?
は そんなことより『風天娘』よ! 稗田文芸賞がアガサクリスQにあげて話題を独占したっていうのに、神奈子賞が『スタンディング・オベーション』にあげて『風天娘』を落としたら世間から何て言われると思ってるのよ! 神奈子賞も所詮は《文学性》に膝を屈するのか、なんて言われるのだけは私は断固嫌よ!
小 それ、被害妄想じゃないですか? 『スタンディング・オベーション』を受賞させたって、誰も神奈子賞に文句は言わないと思いますけどー。むしろ『レインボウ・シンフォニー』は好きだったけどそれ以降の虹川作品は文学寄りであんまり……という読者の方に、久しぶりに虹川さんがとても面白い娯楽小説を書きましたよ、と伝えられますから、むしろさすが神奈子賞、本当に面白い小説というものがわかっていると評判になると思いますが。
は だからこういうのが「本当に面白い小説」だなんて、そーゆー価値観が私は嫌いなんだってば! 絶対『風天娘』の方が面白いに決まってるのよ!
ナ どうしてそこまで頑ななんだい? 別に君が何を面白いと言っても構わないけどね、こちらの価値基準をそこまで断固否定される謂われはないよ。選考委員の価値基準がそこまで気に食わないなら自分ひとりで選考すればいいじゃないか。
さ ……ああ、なるほど。そういうことですか。
萃 どったの?
さ いえ、はたてさんがどうしてここまで拗らせてしまったのか、ちょっと心を読んでみたのですが……。パチュリー・ノーレッジや西行寺幽々子や風見幽香の、名作・傑作とされている文学寄りの作品を何冊読んでも良さがわからず、そこで自分には世間の人気娯楽作の面白さはわかるのだから自分の読解力の不足ではなく、文学方面の価値基準の方が間違っているという方向に行ってしまったのですね。
は 心を読むなー! だいたい、あんたたちの価値基準におもねることを上から目線で読解力と呼ぶその傲慢が気に食わないのよ! だったら『風天娘』の面白さを素直に認められない方が読解力の欠如よ! 人生が書いてある小説しか読めないような輩に読解力云々言われたくないわ!
神 まあまあ、そのぐらいにしときなって。
小 じゃあやっぱり間を取って、門前美鈴さんと虹川月音さんのダブル受賞というのがいいんじゃないでしょうか? 人気もあって誰にでもわかりやすい、娯楽小説らしい娯楽小説作家である門前さんと、文学方面からも評価される虹川さんと。分け隔てなく受賞する懐の広さを見せつつ、読者に貴方はどっちがいいですか? と判断を委ねれば……。
は だったら『史上最弱』じゃなくて『風天娘』でもいいじゃない!
萃 いや、やっぱり『史上最弱の最強不敗』にあげなきゃ。新境地の作品だから、それまでの作風の集大成である『虹の国の物語』にあげた稗田文芸賞との差別化もできるし、より作家の将来に開かれた受賞という意味でもさ。
神 将来に開かれたって言うなら、新人の依神女苑だろう。幻想郷に経済小説というジャンルを開拓する『バブルマネーゲーム』は、作家個人だけでなくジャンル的にも将来性たっぷりだ。
さ いえ、そこはやはり『山姥の墓』を。
は 『風天娘』だってば!
ナ まとまらないね。どうしたものか。
神 はたてがここまで依怙地になってしまうとねえ。
は むーっ。
さ 少し大人しくなっていただきましょうか。
は な、なにをするー! やらせはせん、やらせはせんぞー! やらせ、やら、う、うわああああああああああああ! いやああああああああ!(頭を抱えて蹲る)
萃 ……何したの?
さ いえ、少しばかり彼女のトラウマを想起させてあげただけです。
ナ くわばら、くわばら。
神 おいおい、いいのかい?
萃 まあ、はたてがひとりでいつまでも意地張ってたら話が終わらないしねえ。はたてひとりのゴリ押しに根負けした形で『風天娘』に受賞するのも小松町子に失礼じゃん。
小 はたてさん抜きなら、門前さんと虹川さんが綺麗に過半数でダブル受賞ということでよくありませんか? 私としても両方投票したものに受賞させられて万々歳ですしー。
神 いや、『バブルマネーゲーム』をね……。
ナ まあ……『スタンディング・オベーション』が受賞なら、私は『バブルマネーゲーム』は引っ込めてもいいよ。小説としての出来だったらやはり『スタンディング・オベーション』が一番だと思うしね。
神 ナズーリン、お前もかい! うぬぬぬぬ。
萃 さとりは? 『山姥の墓』にまだこだわる?
さ ……いえ、私も『スタンディング・オベーション』が受賞でしたら、それで許します。『史上最弱』には不満がありますが、多数決には従います。
ナ 私はあれは断固認めたくないけれど……。確かに冷静になれば、少しばかり個人的な感情で熱くなってしまったかもしれない。いいよ、私も多数決に従おうじゃないか。
萃 じゃ、あとは神奈子が納得するだけだね。『史上最弱の最強不敗』でいいじゃん?
神 うむむむむ……解ったよ。ここで私まで意地を張っても大人げない。依神女苑には次、またいい作品を書いてもらおう。
ナ 決まりかな。
小 決まりですね!
神 では、第8回八坂神奈子賞受賞作は、門前美鈴『史上最弱の最強不敗』と虹川月音『スタンディング・オベーション』の2作受賞ということで、いいかい?
萃・ナ・さ・小 異議なし。
は ……はっ! 私は何を……?
神 じゃあ、決定だ。みんな今回はお疲れ様だったね。
萃 はっはっは! やったぜ! 門前美鈴にやっと神奈子賞をあげられた! 万歳!
ナ お疲れ様。なんというか今回は本当に疲れる選考だったね。
さ 『スタンディング・オベーション』に受賞させられたので、よしとしましょう。
小 素晴らしい結果だと思います。お疲れ様でした。
は え、ちょ、ちょっと待って! なんで選考会終わってる流れなの!?
萃 終わったからだよ。はたてがぼんやりしてる間にね。
は そんな馬鹿な! ちょっと待った、私が司会よ! 司会不在の間に決定なんて無効!
神 選考委員長は私なんだがね。
ナ もう観念したらどうだい。
は やーだー、『風天娘』に受賞さーせーるーのー!
萃 子供か!(苦笑)
は もうやだぁ……おうちかえるぅ……。ままぁ……みんながいじめるよぉ……うえええん。
神 ……さとり、お前さん、どんなトラウマを見せたんだい?
さ ちょっとやりすぎてしまいましたか?
萃 これ、明日の花果子念報の速報どーすんの?(笑)
(花果子念報増刊『第8回八坂神奈子賞決定号』より)
第8回八坂神奈子賞に門前美鈴氏、虹川月音氏、本居小鈴氏
第8回八坂神奈子賞(鴉天狗出版部主催)は21日、守矢神社にて小説部門・ノンフィクション部門の選考が行われ、小説部門では門前美鈴氏の『史上最弱の最強不敗』全5巻(スカーレット・パブリッシング)と虹川月音氏の『スタンディング・オベーション』(白玉書店)、ノンフィクション部門では本居小鈴氏の『たのしい妖魔本入門』(稗田出版)がそれぞれ受賞作に決定しました。授賞式は来月3日、守矢神社にて行われます。
門前美鈴氏(本名…紅美鈴)は、紅魔館の門番を務める妖怪。『虹の国の物語』で第11回稗田文芸賞を、『風雲少女・リンメイが行く!』シリーズで第4回稗田児童文芸賞を受賞しており、八坂神奈子賞を含めた三賞制覇は史上初の快挙になります。『史上最弱の最強不敗』シリーズは、乱世の時代に凡人の主人公が《最強不敗の指揮官》に祀り上げられていく様を描いた戦記ものです。第6回でも1巻が候補となっていますが、今回はシリーズ全巻を対象としての受賞となりました。
虹川月音氏は、プリズムリバーウィズHのバイオリニスト、ルナサ・プリズムリバー氏の小説家としての名義。『レインボウ・シンフォニー』で第4回稗田文芸賞を、『歩くような速さで』で第3回幻想郷恋愛文学賞を受賞しており、こちらの三賞制覇も史上初の快挙です。『スタンディング・オベーション』は、かつて音楽性の違いで対立し解散したバンドが、長い年月を経て再結成し復活ライブを開催するまでを描いた音楽小説です。
本居小鈴氏は、人間の里の貸本屋《鈴奈庵》の店主。幻想郷文芸振興会の副代表も務めていらっしゃいます。『たのしい妖魔本入門』は、そんな彼女の趣味である妖魔本の蒐集と鑑賞について綴ったエッセイ集です。
小説部門受賞者には賞金60貫文、ノンフィクション部門受賞者には賞金20貫文がそれぞれ贈られます。
門前美鈴氏の受賞の言葉
ま、まさかこの作品でいただけるとは……。あ、ありがとうございます。恐縮です。やっぱり今までのような格闘ものの方がいい、と読者の方に言われるのは覚悟していたのですが、こうして評価していただけると本当に励みになります。ありがとうございました。
虹川月音氏の受賞の言葉
自分が書いているものが娯楽小説なのかそうでないのかなんて意識したことがないから、八坂神奈子賞というのはちょっと意外だけれど、それだけこの作品を楽しんでもらえたということだと受け取っておくわ。ありがとうございます。……八坂神奈子賞らしくないって叩かれたりしないかしら……。
本居小鈴氏の受賞の言葉
入門なんてタイトルつけたから何か誤解されちゃったのかと思ったんですけど、エッセイもノンフィクションってことでいいんですか? まあいいや。妖魔本集め楽しいですよ! 本を持ってきていただけたらコレクションをお見せしますので、どうぞ鈴奈庵まで!
(本記事は姫海棠はたて記者の体調不良により、小悪魔が代筆しました)
(花果子念報 卯月22日号1面より)
鴉天狗出版部は18日、八坂神奈子賞小説部門選考委員の永江衣玖氏が選考委員を退任することを発表した。卯月の第8回からは、替わって書評家の小悪魔氏が選考委員に就任する。
永江衣玖氏は今回の退任について、「7年もやらせていただきましたし、このあたりで一旦身を引くのが空気を読んだ選択かと思いました次第です。7年間楽しませていただき、感謝しています」と空気を読んだコメントを残した。
新たに選考委員となる小悪魔氏は、紅魔館附属大図書館の司書。幻想郷文芸の黎明期から書評家として活動しており、取り扱うジャンルも恋愛小説から児童文学まで幅広い。小悪魔氏は今回の選考委員就任について、「てっきり予備選考の手伝いだと思って引き受けたら、本選の選考委員と言われて、正直困惑しています……。私などでいいのでしょうか?」とやや不安そうに語った。
選考委員長の八坂神奈子氏は「萃香からの強い推薦もあったが、彼女の書評家としての鑑賞眼には私も一目置いていた。選考会に新風を入れてくれることを期待しているよ」と語る。
第8回八坂神奈子賞の選考会は、卯月に行われる予定。
(花果子念報 如月19日号1面より)
第8回八坂神奈子賞候補作発表!
鴉天狗出版部は5日、第8回八坂神奈子賞の候補作を発表した。
小説部門には5作品、ノンフィクション部門には3作品がノミネートされた。なお、アガサクリスQ氏の大ベストセラー小説『全て妖怪の仕業なのか』は既に稗田文芸賞を受賞したこともあり、著者の意向で事前に候補入りを辞退している。
小説部門は八坂神奈子氏(作家・守矢神社祭神)、伊吹萃香氏(書評家・エッセイスト)、古明地さとり氏(作家)、ナズーリン氏(書評家)、小悪魔氏(紅魔館附属大図書館司書・書評家)、姫海棠はたて(本紙記者)の6名、ノンフィクション部門は八坂神奈子氏ひとりによって選考の上受賞作が決定される。選考会は今月21日、守矢神社にて行われる予定。
小説部門ノミネート作品
小松町子『風天娘は風まかせ』(是非曲直庁出版部)
門前美鈴『史上最弱の最強不敗』全5巻(スカーレット・パブリッシング)
坂田ネムノ『山姥の墓』(鴉天狗出版部)
依神女苑『バブルマネーゲーム』(依神文芸社)
虹川月音『スタンディング・オベーション』(白玉書店)
(花果子念報 卯月5日号1面より)
実録!第8回八坂神奈子賞(小説部門)選考会
毎年恒例、第8回八坂神奈子賞選考会実録! またまた新選考委員の加入で、選考会は混沌の極みに! 候補5作品全てが評価横一線、議論白熱、史上空前の超絶大混戦回となった選考会の行方ははたして!
(は…はたて、神…神奈子、萃…萃香、さ…さとり、ナ…ナズーリン、小…小悪魔)
は とゆーわけで既報の通り、衣玖さんが選考委員を辞めちゃったので、今回から新しく小悪魔に参加してもらうことになりました。はい拍手ー。
小 あ、どうも。小悪魔です。ふつつか者ですが、よろしくお願いします。
神 ようこそ、八坂神奈子賞選考会へ。お前さんがこういう表舞台に出てくるのは珍しいね。いつもはスカーレット・パブリッシング関連でインタビュアーや対談の司会のような裏方か、予備選考の手伝いをしているかの印象だが。
小 いえ、今回も予備選考の手伝いだとばっかり……。ええと、聞いた話では萃香さんが私を推薦してくださったとか?
萃 衣玖が辞めるって聞いて、はたてから誰か代わりいない? って訊かれてさ。霊夢を誘ったんだけど断られたから(笑)。小悪魔は守備範囲も広いし、派手なことは言わないけどそのぶん作品の読みも誠実だし、神奈子賞向きの人材だと思ってね。
は もっともらしいこと言ってるけど、門前美鈴を受賞させたいだけじゃないの?
さ 紅魔館の身内ですからね。
萃 失敬な! 私がそんな姑息な真似すると思われてるなんて心外だなあ。
小 ……やっぱり辞退した方が良かったでしょうか?
ナ 別にいいんじゃないかい。前回の私も命蓮寺の作品が候補に挙がってる中で選考会に加わったわけだし。小悪魔の普段の書評は確かにスカーレット・パブリッシングを優遇してはいるけど、鑑賞眼は信頼できると思う。
神 うむ、私も同意見だ。書評でどんな作品に対しても美点を見つけ出し、「この作品はこの点に着目した読み方をすればもっと面白く読めます」という視点を提供する小悪魔の読み方は、加点法を原則とするこの賞向きだね。
小 恐縮です。門前美鈴さんの作品についても、なるべく公平な視点で評価させていただきたいと思います。
さ ……特に裏はないようですね。いいんじゃないでしょうか。
萃 だから言ったじゃん。だいたい小悪魔を推薦したのは候補作決定前だっての。
は 伊吹様、『史上最弱の最強不敗』が全5巻まとめて候補になるのは予想してたでしょ?
萃 そりゃ、候補にならなかったら暴れてたけどさ。
さ それより、今回の問題は『全て妖怪の仕業なのか』が候補に入ってないことでしょう。
は その文句はアガサクリスQに言ってよ! もう稗田文芸賞獲ったから神奈子賞は辞退するって言われたときの私の気持ちを解って! もう神奈子賞やめようかと思ったわ! 許すまじ稗田文芸賞! なんでアガサクリスQにあげるのよ! あっちが落としたのをこっちが受賞して完全勝利のはずだったのに! うがー!
萃 白蓮が稗田文芸賞の選考委員辞めてなかったら、どうなってたかねえ。稗田文芸賞では白蓮の代わりに入ったヤマメが票を入れた結果アガサクリスQが受賞したわけだし。その白蓮が辞めるきっかけになったのがマミゾウの作品だから、諸悪の根源はマミゾウだ(笑)。
さ 候補になっていたら気持ち良く推せたのですが、残念です。
ナ 勝手に名誉八坂神奈子賞でもあげればいいんじゃないかい。
は いいわよもう……。次に出る新作の『MはMで死ぬ』で受賞させるから。
神 そう上手くいくもんかね(苦笑)。というか、そろそろ始めようか。
萃 おお、そうだそうだ。いつもなら衣玖がこのあたりで空気を読んで話を戻してくれるんだけど、いないもんなあ(苦笑)。衣玖がちゃんと空気を読んでいたってことが、いなくなって初めてわかる(笑)。
は はいはい、それじゃあ評価シートの集計結果出すわよ! えーと、今回はこんな感じになりました!
神 萃 は さ ナ 小
△ × ◎ △ ○ ◎ 『風天娘は風まかせ』
○ ◎ △ △ × ◎ 『史上最弱の最強不敗』
△ ○ × ◎ △ ○ 『山姥の墓』
◎ △ ○ × ◎ ○ 『バブルマネーゲーム』
○ △ × ◎ ○ ◎ 『スタンディング・オベーション』
(印はそれぞれ、◎…本命として推す ○…本命ではないが推す △…受賞に強く反対はしない ×…受賞に反対する)
萃 ええええええー。ま、まさかここまでバラけるとは……。
さ ここまで全作品はっきり割れたのは、初めてですね。驚きました。
神 これは……かつてなく難しい選考になりそうだねえ。
は 正直、私も集計してて「えっこれどうなるの?」って思ったわ。ていうか小悪魔、2作受賞までなんだから3つに◎つけないでよ!
小 そ、そう言われましても、本当は5作品全部◎でも良かったぐらいでして……。この5作品ならどれが受賞しても全く文句ありませんから、△以下はつけられませんでした。
ナ やれやれ。どれからいくんだい?
さ いつもなら評価の低いものからですけど、ほぼ全作横一線ですからね。
萃 神奈子、どーすんの?
神 私が決めるのかい? ……そうだね、それじゃあまずは新人ふたりからいこうか。
主題のリアリティ
は じゃ、最初は『山姥の墓』ね。
萃 5人の人間が、迷い込んだ山中の屋敷で山姥に追われて次々と食われていく直球勝負のサバイバルホラー。傑作だと思うけど、さとりが◎ってのはちょっと意外だったなあ。
は そう? 前に青娥娘々とか推してたじゃない。
さ 別にホラーファンというわけではありませんが……。この作品は何より、山姥に追われる登場人物5人の心理描写の描き分けが見事ですね。臆病で慎重な主人公、勝ち気なヒロイン、冷静なリーダー、剽軽なお調子者、無口な一匹狼と5人とも非常にわかりやすい類型的なキャラクターですが、5人を付け狙う山姥という絶対的に明確な恐怖に対して、5人がそれぞれ感じる恐怖の根幹が微妙に違うところがそれぞれの行動や思考のすれ違いを生み、どんどん事態が悪化していく展開には圧倒的なリアリティがあります。
小 登場人物の意見が対立する場面で、いつも議論が微妙に噛み合ってないんですよねー。対談の司会をしていると、同じテーマについて話しているはずなのに全然話が噛み合わなくて、司会として困ることが結構あるんですけど、その感じの出し方がすごく上手いです、この作品。山姥の恐怖がメインテーマに見えますけど、むしろ人間同士のわかりあえなさの方がメインの主題なんじゃないでしょうか。
神 議論ってのは、する者同士が同じ前提を共有してないと成立しないからねえ。
萃 神奈子の熱弁が空振りするときとかね(笑)。なるほど、心が読めない人間同士のディスコミュニケーションの話として読めば、さとりが推すのも当然か。はたてはなんで×なの? いや、なんとなく想像はつくけど(笑)。
は その、登場人物の意見が最初から最後まで全然噛み合わないところがイヤ。もう最初から最後まで読んでてずっとイライラして……。
さ そのすれ違いぶりのリアリティが面白いのではありませんか。
は 別に他人とわかりえないってことを書いたっていいけど、現実でわかりあえない他人同士が、物語の中ではわかりあって力を合わせて危機を脱するのが創作物のカタルシスってもんでしょ! 愚にもつかないリアリティなんか猫にでも食わせとけばいいのよ!
萃 そう言うと思ったよ(苦笑)。私はこの山姥の、ハイパー脳筋なのにめちゃくちゃ怖いところが素晴らしいと思う。最初の襲撃が失敗してキレてからは、主人公サイドの仕掛ける小細工に悉く引っかかるのに、あらゆる小細工を全部力押しで突破してしまう(笑)。あらゆるものを破壊し尽くすこの力押しっぷり、ほんと素晴らしい。力こそパワー!
ナ 私は逆にそこがやり過ぎで、ホラーを突き抜けてあらぬところに行ってしまった気がするんだよね。終盤、土砂崩れに埋められてさすがに倒されたと思ったら。土の中を掘り進んできて、麓の村に逃げ込んだ主人公の足元から這い出てくるところまではまだしも、そのまま麓の村人の大虐殺に突入するのはいくらなんでも……。中盤までは大迫力のサバイバルホラーだったのが、最後には比那名居天子の世界滅亡ものや、ミス・レッドラムのスプラッターものみたいな世界に突入してしまうのは、さすがにどうか。
神 いや、むしろ私はこの先が見たいね。疲れを知らずあらゆる攻撃が効かない、一匹の不死の最強モンスターが永遠に暴れ続けるとき、世界がどうなるのか。
萃 それじゃSFになっちゃうっての(笑)。神奈子はそこが不満なの?
神 いや、この手のサバイバルホラーは外の世界で散々見たり読んだりしたからねえ。水準以上だとは思うが、結末まで含めてどこかで見た光景という感じで、個人的にはあまり関心の持てないタイプの作品だっていうだけさ。
小 というか皆さん、見事に評価ポイントがすれ違ってますねー。
さ まさに作中の登場人物たちのごとき、議論の焦点が噛み合わないディスコミュニケーション選考会ですね。この作品の主題のリアリティが図らずも証明された格好です。是非受賞させましょう。
は 断固拒否! リアリティなんぞを八坂神奈子賞の評価軸にされちゃたまんないわ! そんなにリアリティが大事なら娯楽小説なんぞ読んでないで社会に出なさいよ!
萃 お前が言うな!(苦笑)
ナ 創作物に過剰なリアリティを求めるのは、創作物の過剰摂取の反動だろうね。現実に対するカウンター、願望充足としての創作物を摂取しすぎて現実との接点が薄れた結果、創作物のご都合主義の方が現実に思えてしまって、リアリティという名のアンチご都合主義の方が、ご都合主義な《現実》へのカウンターに見えてしまうんじゃないかい?
さ 別にそこまでリアリティを信奉するつもりはありませんし、社会との接点をなくした引きこもりのように言われるのは心外ですが。この作品の魅力は、その人物描写のリアリティを支える心理描写の巧さですよ。最初は非常に類型的なキャラクターに思えた登場人物たちの人間性が、話が進むほどに深掘りされていき、そうして魅力的になった人物が山姥という巨大な暴力にあっけなく踏み潰される、そこにこの作品の迫力があるのですから。このタイプのサバイバルホラーでは幻想郷文芸史に残る収穫でしょう。個人的には第5回受賞作の『亡失のフェニックス』より上だと思います。
は キャラがあっけなく死んでその後顧みられないのもイヤ。
萃 ホントに噛み合わないな(苦笑)。そういえば白蓮だっけ、この作品の山姥を、社会において個人の尊厳を圧殺する大きな力の象徴として読んだ書評を書いてなかったっけ?
小 はい、白蓮さんですねー。《幻想演義》の如月号。
ナ 良くも悪くも、いつもの聖らしい読解だったね。
神 なるほど、正直最初に読んだときはよくあるホラーだとしか思わなかったが、いろいろな読み方があるもんだね。少し考え直す必要があるか。
は ちょっとちょっと、この神奈子賞は構造的読解なんかよりストレートな面白さを評価する賞だってば!
萃 だから、多面的な読みを許容することは、ストレートな面白さを否定するものじゃないって話は前にもしただろ(苦笑)。
は とにかく私は断固反対するからね!
小 ところで、山姥って妖怪の山に住んでいる妖怪ですよね? 実際こんななんですか?
は 山姥ってめちゃくちゃ排他的だから私はよく知らない。
萃 私は作者と知り合いだけど、さすがにここまでメチャクチャじゃないよ(苦笑)。まあ、実際山姥は排他的すぎて最近存在自体が知られなくなってきてるから、作者的には山姥の恐ろしさアピールが主目的の作品なんだろうね。
小説の価値は人物造形にあり?
は じゃあ次。『バブルマネーゲーム』。
萃 やっぱり神奈子の本命はこれか。そんな気がしてた(笑)。
神 幻想郷史上初の本格経済小説だよ。外の世界で少し前に、バブル経済っていう土地の価格が天井知らずに上がり続けた時期があったんだが、それを幻想郷に移植する試みだね。投機の対象を、弾幕ごっこに設定したのが上手い。弾幕ごっこが公式な対戦競技となり、勝敗を対象に大っぴらに賭けが行われるようになった幻想郷で、疫病神と貧乏神のコンビが掛け金をどんどん融資して、1試合で動く金額を天井知らずに釣り上げていく。経済の仕組みについての情報小説的な興味で読む層が多いだろうが、外の世界のような資本主義経済と呼ぶには小規模で未成熟な幻想郷の経済でバブルの狂乱を再演しようという、シミュレーションSFの傑作だ。
萃 まーた好みの作品をSF認定してる(苦笑)。
ナ 私はこれがSFだとは思わないが、こういう作品が幻想郷で出たことには大きな意義があると私は思うよ。うちの寺も、まあ俗世から距離を置く宗教施設だから仕方ないんだけど、どうも経済観念がゆるくてね。聖や御主人様にはこれでも読んで経済の仕組みをちゃんと勉強して欲しいものだ。まあ、そういうことを抜きにしても、今回の候補作ではこれを推したい。しっかりしたディテールの上に大がかりなハッタリをぬけぬけと効かせた大胆不敵なプロットの完成度も高いし、情報小説としての読み応えも満点だ。主人公コンビに振り回される里の人々の物語は、賭博小説としてのヒリつくような迫力がある。一攫千金か山ほどの借金を抱えての破産か、人生の瀬戸際のジリジリした焦燥の書き方が本当に上手いし、そんな人間の運命を操る主人公コンビの悪辣ぶりも引き立つ。傑作だね。
は 私もこれ面白かったけど、実用書じゃないんだから、「勉強になる」ってのは娯楽小説の評価軸としてはおかしいわよ。痛快ピカレスクロマンでしょ?
小 そうですねー。疫病神と貧乏神とコンビが幻想郷の経済を手玉にとって大もうけ、というストーリーには、因幡てゐさんのコン・ゲームもののような痛快さがあります。変に因果応報的なオチがつかないところがいいですね。弱肉強食、勝った者が強いのだ、何か文句あるかという陽性の悪漢小説なので、終始あっけらかんとしていて読後感がいいですし。
は そうそう、「悪銭身につかず」みたいなお説教を断固拒否して、ルールの中で賢く立ち回った奴が勝って何が悪い! っていう話なのがいいのよ。
萃 はたてさんや、それはさっきあんたが否定したリアリズムじゃないのかい(苦笑)。結局悪い奴があくどく儲けるなんて現実の姿そのものじゃんか。
は 何言ってんのよ。私はこれがリアリティがあるからいいなんて一言も言ってないでしょ。主人公コンビが知恵を巡らせて、いろんな作戦を立ててどんどん成功させていく、その痛快さが面白いって言ってるのよ。現実がどうかなんて関係ないわよ。
さ 痛快、でしょうか?
萃 さとりはなんで×なの?
さ 情報小説としては面白いですが、本当にただの情報小説なんですよね。主人公コンビはまだしも、里の人々の人物造形があまりに類型的で、心理描写も紋切り型が多く、そんな駒のような人間が破滅しようとどうしようと別に……。なので小説としては評価しかねます。
神 いや、それは作者の狙い通りだろう。むしろこの作品の主人公は経済という生き物だよ。その運動のダイナミズムが主眼であって、実体を超えて膨れあがる経済という怪物の前では、人間個人など矮小なものでしかない。この作品に出てくる里の人間はその喜劇性を演出するための駒でしかないんだよ。
さ だとしても、その駒に命を吹きこんでみせるのが小説というものでしょう。たとえばアガサクリスQの作品の登場人物は皆謎解きのための駒ですが、脇役まで活き活きとした魅力があるじゃないですか。それぞれに人生があり、幻想郷という社会が背景にあり、心理の機微がきちんと表現されていて……。
ナ 紋切り型の表現が多少目につくのは否定しないけれど、そこまで人物描写ができていないと言われるのは心外だな。自分とは全く関係のない妖怪同士の決闘に自分の人生を賭けてしまう、追いつめられた人間の捨て鉢さや、一縷の希望にみっともなくすがりつく卑小さなんか、実によく書けているじゃないか。類型的な造形はそういうどうしようもない人間のどうしようもなさをストレートに描くためであって、欠点ではないと思うよ。
さ その「どうしようもなさ」が類型的だと思うわけですが。
ナ 現実の里の人間の方がもっと類型的じゃないかい?
さ だとしても、それをそのまま書けばいいというものでもないでしょう。類型的な人物も書き方次第で命が吹きこまれるのは『山姥の墓』が証明しているではないですか。
は ちょっと待った。その「小説は人生とか社会とか心理の機微とかを描くもの」っていう決めつけが気に食わないわ、私は。人生とか社会とか心理の機微が書かれるとか書かれてないとか、それがどうしたっていうのよ。それが小説の面白さに何の関係があるっていうの!
さ それが小説の面白さに関係がないという意見の方が不可思議ですが。
は あのねー、娯楽小説は読者に快楽と愉悦を売るものよ! 小説に人生なんか求めてんじゃないわよ! そういうのが読みたきゃ風見幽香とか読んでなさいよ! たとえばアガサクリスQの魅力はそんなもんじゃなく、謎解きの面白さと名探偵Qのかっこよさでしょーが! アガサクリスQの小説に人生求めて読んでる奴なんかいるわけないでしょ!
ナ その「娯楽小説は読者に快楽と愉悦を売るもの」という評価軸でいくと、読者を興奮させることに特化したポルノが一番上等な小説ってことになるんじゃないのかな。
は それ皮肉のつもり? 人生なんか書いてる小説よりポルノの方がはるかに志高いに決まってるでしょ! そんなこともわからないから自称小説好きはバカばっかりなのよ! 小説で人生感じた気になってるような連中のためのポルノとして、小説に人生書いてるのを文学だなんて高尚面してるような作家より、ポルノを求める読者のためにちゃんとポルノを書く作家の方が百倍立派だっての!
萃 そんな全方面に全力で喧嘩売らんでも(笑)。
神 文学は文学を求める読者のためのポルノか。それを言いだしたらまあ、あらゆる娯楽はポルノだね。その伝でいけばこの『バブルマネーゲーム』は、これまで幻想郷に存在しなかった経済小説という新しいポルノを開拓した金字塔だろう。読者の求めるものを作るのが一流なら、読者に「本当はこれが読みたかったのだ」という作品を提供するのが超一流だ。『バブルマネーゲーム』にはその超一流たる資格がある。経済小説というポルノを読みたがる読者は幻想郷にいなかったわけだからね。
小 でも、ピカレスクロマンとして読んでる人の方が多いんじゃないですかー?
萃 そもそもそんなに売れてたっけ?(笑) 『風天娘は風まかせ』並に売れてるならともかく、そんな目立った売れ方してない以上、神奈子のその褒め方は筋が悪いと思うけどなあ。
神 いやいや、ここからきっと経済小説ブームが……。
は これから来るのはミステリブームに決まってんでしょ。
神 むむむ。そういえば萃香はどうなんだい。△だが。
萃 私? んー、私はアレだな、にとりの『さよならラバーリング』なんかと同じ枠だねこれ。情報小説としては面白いし、インフレし続けるスケール感も楽しいけど、主人公コンビの作戦はどれもトントン拍子すぎて一本調子だと思う。結局主人公コンビの作戦が成功するってわかっちゃうと先が読めちゃうからさあ。もうちょっと展開に波乱がほしいなあ。
は 主人公コンビが成功し続けるからスカッとして面白いんじゃない。娯楽小説は快楽を売るものなんだから、願望充足であってナンボよ!
さ 悪を描くのに、「悪は強いので勝ちました終わり」ではあまりに皮相的では。
は 強いのが勝つから気持ちいいんじゃないの。まさか願望充足は願望充足であるだけでダメとか皮相的なこと言わないわよね?
さ いえ、ですから私が批判しているのはこの作品の人物描写の物足りなさであって。願望充足的な話であれなんであれ、やはり登場人物を通して自分と違う人生を体験することこそが、小説を読むことの醍醐味でしょう。小説の面白さが多種多様であることを否定はしませんが、どんな面白さも根底にあるのはやはり人物造形であり心理の機微であって。
は それってつまり、登場人物の人格とか心理とかが自分にわかるように書いてないと感情移入できないって自分の読解力のなさを白状してるだけじゃないの。人生が書いてある小説じゃないと読めませーんってことでしょ?
さ 少なくとも人物造形の巧拙もわからないような人にだけは言われたくないですね。
は あんたの評価基準は世界の小説評価の統一基準か何かなの?
ナ 双方、そのへんで矛を収めないかい? 話がどんどん『バブルマネーゲーム』からズレていっているよ。
さ ……前々から思っていましたが、私とはたてさんは小説観があまりにも合いませんね。ここまで小説観が違うと心を読んでも理解できる気がしません。
は 奇遇ね、私も同じこと思ってたわ。
神 稗田文芸賞の白蓮みたいに辞めないでおくれよ(苦笑)。
さ いえ、私が辞めたらはたてさんの思うままになりそうですので、抵抗勢力として残らせていただきます。
は なぬー!
最も小説としての格が上
萃 んじゃ、次はどれ行く?
さ この流れからすれば、虹川月音さんでしょうね。
神 今回のはたての「小説に人生なんか書くな」論の最大の標的だねえ(苦笑)。案の定×をつけてるが。
は 別に小説に人生とか社会とか心理の機微を書くなとまでは言わないわよ。ただそういうものを小説の王道だとか、そういうものがないと上等な小説にならないとか、そういう価値観が嫌いなだけだってば。人生とか社会とかが書いてあっても面白ければ認めるわよ。『バイバイ、スプートニク』とか『スラムラビット』とか。
萃 そういう意味じゃフェアではあるのかな(苦笑)。
は で、これはあんまり面白くなかったから×。それだけよ。
さ これが「あんまり面白くない」んですか……。どういう読み方をすればそういう感想になるのでしょう。
小 まあまあ。『スタンディング・オベーション』は、騒霊楽団の解散騒動以来、初の新作ですね。あれは結局堀川雷鼓さんが加わっての再結成でしたけど、ちょうどそれを題材にしたような、解散したバンドの再結成の話で。虹川作品では久々の直球の音楽もので、素晴らしく楽しく読みました。かつて同じ夢を見ていたのに、いつしかすれ違ってしまった仲間たちが、ひとつの事件をきっかけに、あの頃の夢の場所を目指してもう一度集結する。『レインボウ・シンフォニー』と並ぶ代表作ですよー。
さ 私は、彼女の最高傑作は『歩くような速さで』だと思いますが、虹川さんの娯楽小説路線では『レインボウ・シンフォニー』を超えてこれがベストでしょうね。自分の奏でたい音が出せない憂鬱、自分の理想とする音楽が仲間に伝わらない苦しみは、音楽に限らず、あらゆる人妖の表現に当てはまる、他社への理解不能性の苦しみとして読める普遍性があります。それぞれの人生と音楽への思いが交錯し結実する復活ライブは、幻想郷で書かれた音楽描写の最高峰でしょう。堪能しました。
神 はたての嫌いな価値観に基づいて判断するなら(苦笑)、今回の候補作では間違いなくこれが一番小説としての格が上だね。いや、さすがは幻想郷の音楽小説の第一人者。小説技術的にはまさに練達、匠の技だ。なんでもない場面はリーダビリティの高い平易な文体で流れるように読ませ、渾身のライブ場面にありったけの文章技巧を投入する。引っかからずにすいすい読める日常パートに、ライブ場面に効いてくるさりげない描写を巧みに織り込んでいて、実作者としてはその物語の演奏技術に惚れ惚れするね。その上で、過去の因縁にまつわるミステリー的な謎解きや、復活ライブの開催をめぐるハラハラドキドキのサスペンスもきっちりサービスしてくれて、きちんと読者を楽しませる娯楽小説たろうとする意志がある。
萃 うーん、まあそれらの評価には概ね同意するんだけどさあ。ぶっちゃけこれ、『レインボウ・シンフォニー』と同じ話じゃん(笑)。挫折した音楽家が再起して集まって最高のライブをやるって、あっちと全く同じ展開じゃんか。どうも読んでて既視感が……。
小 いえいえ、そんなことはないですよー。『レインボウ・シンフォニー』はそれぞれ別々の人生を歩んでいた音楽家たちが集まる話でしたけど、今回は一度音楽性の違いで解散したバンドの再結成の話ですから、登場人物それぞれに過去の因縁が絡まっていて、より人間関係が複雑になってるじゃないですか。かつて解り合えなかった、袂を分かってしまった仲間との絆が年月を経て蘇るところに、『レインボウ・シンフォニー』にはない感動があります。
ナ 解散してそれぞれの人生を歩んできたバンドメンバーが再結集したときには、皆が同じ夢を取り戻す話になるのかと思ったんだけど、この作品では最後までそれぞれが全然別の方向を向いたままなんだよね。それぞれに人生があり、理想があり、夢がある。一度離れてしまったそれはもう重ならないのだけれど、それでも今の自分にできる精一杯の音を重ね合わせることができる。それはてんでバラバラな音色かもしれない。だけどそこに、かつて同じ夢を見ていた過去がオーバーラップしたとき、ただ同じ夢を見ていたときには出せなかった最高の音色が生み出される。同じ夢を見る必要も、同じ理想を持つ必要もない。わかりあえなくても一緒に音を奏でることはできる、わかりあえない者同士が手を取り合うことで初めて見える景色が確かにある――ということを描いているところが素晴らしいと思うよ。こういう話は一致団結という名の同調圧力の快楽の話になりがちだけど、他者との違いを認め合った上で手を取り合うことこそが大事だという結論は、正しく大人の態度だろう。『レインボウ・シンフォニー』からの進化であり深化だと思うよ。
萃 命蓮寺関係者らしい感想だなあ。はたては具体的には何がダメなの?
は 別に読んでて退屈ってほどじゃないんだけど、音楽ものだったらやっぱり堀川雷鼓の『ハートビート・ドリーマー』の方が面白かったし。あっちのツンデレドラムみたいな魅力的なキャラがいないから、最後のライブも盛りあがらないし。
さ このライブを「盛りあがらない」の一言で片付けるんですか……。魅力的な人物しかいないじゃないですか。
は えー? 全然誰も心惹かれない。
萃 はたてはほら、共感とか感情移入に全く興味がないやつだからさ(苦笑)。
ナ 『ハートビート・ドリーマー』の方がキャラクター小説的だね。確かに『スタンディング・オベーション』の登場人物で強烈なキャラクターは、バンドリーダーの天才肌のヴォーカリストだけで、あとのメンバーは言うなればスターになれなかった凡人たちだから、そういう描写になるのは小説の作りからして当然だと思うけどね。
小 だからこそ、登場人物の誰かひとりには共感しやすいと思うんですけど……。
は 共感できるかどうかと、キャラクターとして魅力的かどうかは別でしょ!
神 確かに、長く読み継がれる名作でも特に愛される登場人物は、その人物造形や描写の深みよりも特徴的なキャラクター性のおかげで愛され続けるわけだからねえ。キャラクターとしての魅力があれば、人物像は作者が書いてない部分まで読者が勝手に深掘りしてくれたりするからね(苦笑)。人物造形の深みはもちろん必要にしても、まず強い個性を持つ魅力的なキャラクターであるべきっていう評価軸には、ある種の正当性はあるか。
は 予言したっていいわよ。仮に今回これを小説としての格が上だとか言って受賞させたって、後世まで長く愛されるのは『風天娘は風まかせ』の方になるわよ。
萃 やー、それはどーだろうなあ(苦笑)。
キャラクターの魅力こそが作品評価!
ナ じゃあ、この流れだと次は『風天娘は風まかせ』か。
は 今回は何がなんでもこれに受賞させるわよ! アガサクリスQがいない以上、これが世間的な大本命なんだから! これに受賞させなきゃ何のための八坂神奈子賞よ!
萃 ええー。大本命は門前美鈴でしょ。
は それは伊吹様だけ。
萃 そんな馬鹿な! 『史上最弱の最強不敗』だって売れてるじゃんか!
小 まあまあ。『風天娘は風まかせ』は、小松町子さんの大ベストセラーですね。風来坊の便利屋少女・コマ子と、面倒見のいい幼なじみのキキ、ミステリアスなお団子姫の3人による三角関係ラブコメ。ホントにキャラクター人気すごいですよねー。何しろ紅魔館でもお嬢様と妹様が、コマ子とくっつくのはどっちかで意見が分かれて喧嘩になったぐらいでして。
萃 え、レミリアはともかく、フランドールまでこれ読んでるの? いやまあ、めちゃくちゃ読みやすいから、門前美鈴が読めるならこれも当然読めるか。どっちがどっち派なの?
小 お嬢様がお団子姫派で、妹様がキキ派でした。
萃 あー、レミリアは可愛いところのあるお嬢様のお団子姫に自分を重ねて、フランドールはちびっこで子供扱いされがちなキキに自分を重ねてるのかな(笑)。
は みんなはどっち派? 私はやっぱりお団子姫とくっつくと思うけど。クールでミステリアスに見えて、実は結構ポンコツなところ、可愛いと思うし。
小 私は……やっぱり、キキの健気さが報われてほしいですねー。好きな人が自分に振り向いてくれなくても、尽くすためにそばにいるだけで幸せって気持ち、わかりすぎて……。
萃 私もキキだなあ。惚れた相手に恋愛対象として見てもらえてないのがわかってるから、好きだって言えない気持ちがさあ、わかる、わかるよぉ……。
は え、伊吹様、そんな恋愛経験あるんですか?
萃 うるさいな! そこは突っ込むなよ!
ナ 私はお団子姫かな。外面と内面のギャップというか、自己評価と周囲からの認識とのギャップに悩みつつ、周囲の認識に合わせて振る舞ってしまうからこそ、ストレートに素の自分を肯定してくれるコマ子に惹かれる気持ちが非常によくわかる。
さ この一冊を読む限りでは、物語としてはお団子姫と結ばれるのが正当な結末に見えますが、続きがあるならそれ次第でしょうね。個人的にはどちらも共感できるヒロインで、確かに魅力的だと思います。
神 私はあまりそういう読み方はしないから、コメントは控えるよ。
萃 3対2か。やっぱり割れるねえ(笑)。
さ それより、作品評価の話をしませんか。
は キャラクターの魅力が『風天娘は風まかせ』の最大のポイントなんだから、キャラの話をするのが正しい『風天娘』評価よ!
ナ それで言ったら、やっぱり一番魅力的なのは主人公のコマ子だろう。自堕落で能天気で、けれど優しく気配りに長けて、決めるときは見事に決める。その上それを鼻にかけるでもなく、どこまでも物事に対して適切な距離を置いた、飄々とした風来坊であることを貫いていて。みんな言っているが、ヒロインふたりから同時に惚れられるのがこれほど当然だと納得できる三角関係ものの主人公は初めて見たよ。
神 コマ子というキャラは、幻想郷の人気作品をいろいろ研究した上で、幻想郷ではこういう主人公が人気が出るだろうという最適解を計算して作られたキャラクターだと思うが、その計算を感じさせないのが小松町子の語りとキャラクター造形の妙だろうね。その上で選んだ作品ジャンルがお仕事小説ラブコメというのが上手い。非常に戦略的に作られた作品で、そういうものとしては完璧に成功していると思うよ。
は そんな奥歯に物が挟まったような褒め方しないでよ。
萃 神奈子にラブコメを褒めろとか無茶を言うんじゃないよ(笑)。
神 失敬な。恋愛物嫌いはお前さんの方だろう。
萃 いや、だからあっけらかんとしたラブコメは平気だし、これも嫌いじゃないってば。
は だったらなんで×なのよ、伊吹様!
萃 そりゃ完結してないからに決まってるだろ!(笑) 6月に続刊出るってアナウンス出たばっかりじゃんか。これ1冊きりで終わりならまあ推しても良かったけど、続きが出るからにはこの三角関係の行方を見届けてからでないと……。
ナ 確かにそれは思わないでもないね。しかし、続刊を出して大丈夫かと心配だな。これだけキャラクター人気が出てしまうと、コマ子がどっちを選んでも読者が荒れそうだし、延々と結論を出さずに引っぱると肝心のコマ子がどんどん優柔不断なヘタレになってしまう。
さ このまま終わらないで読者を宙ぶらりんにしていた方がいい作品だという気はしますね。
は だからこそ今ここで受賞させるの! 万一あらぬところに着地しちゃって大荒れになってからじゃ遅いのよ!
小 そこはもうちょっと小松町子さんを信じてあげてもいいのでは……(苦笑)。
は いや、信じてるわよ? 信じてるから、今ここで受賞すれば綺麗な完結したときにちゃんと先見の明があった、選考委員は小松町子を信じて賞を贈ったってことになるじゃない!
萃 でも、小松町子は2回目だからなあ。それも前に『たそがれ銭平』で獲ったの、まだ2年前だよ? 作品の毛色は全然違うとはいえ、2回目を贈るにはやっぱり早すぎない?
は 早いとか遅いとかじゃないの! これだけ幅広い支持を得てる作品を八坂神奈子賞が顕彰しなかったら、神奈子賞の存在意義が問われるのよ!
さ それなら選考会などしなくても、ベストセラー1位を顕彰する賞でいいじゃないですか。
ナ はいはい、その話は荒れるからそこまで。○をつけておいて言うのもなんだが、今回の候補作では『風天娘』は一番「賞」という言葉が似合わないタイプの作品だと思う。軽妙で読みやすく、キャラクターの魅力一本勝負で、物語に特に深みはない。――しかし、そういう作品こそを顕彰するのも確かに神奈子賞の役目ではあるんだろうとは思うよ。
小 いえいえ、物語に深みがないというのはさすがに言いすぎでしょう。ラブコメ部分を除くと、『幽霊屋台の縁日騒動』のようなトラブルシューティングものですが、中有の道の活き活きとした描写や、利害の対立をすり合わせて落とし所を見つけていく過程の説得力は、《銭投げ捕物帳》シリーズで培った人物描写や社会描写が活かされていて、ラブコメを除いても充分に読み応えがありますよー。
ナ しかし、それは結局コマ子の魅力を引き立てるための装置じゃないか。
小 もちろんそうですけど、主軸はラブコメなんですからそれは当然でしょう。その上でラブコメ要素を気にせず読んでも充分、中有の道の社会小説としての鑑賞に耐えるのは、小説としての深みではありませんか?
ナ 上手いとは思うけど、小松町子ならこのぐらいは書いて当然だと思うけどね。いや、私も別に批判してるわけじゃない。キャラクターの魅力という飛び抜けた美点があるから、私も推していいと思っているよ。大勢でこれを受賞させる流れになるなら反対する気は全くない。
神 《銭投げ捕物帳》との最大の差は、やはりコマ子が《銭投げ》における「人情」から一歩引いたところにいるところだろうね。相手の事情には深入りせず、たださりげなく解決への道を示すだけの傍観者であるところが、飄々とした性格と相まって押しつけがましくない優しさとしてキャラクターの魅力になっている。『たそがれ銭平』で自身の作品を律していた「人情」を相対化してみせた、その先に位置する作品という意味で顕彰するなら、私もそんなに反対する気はないよ。
萃 うーん、やっぱり完結待ってからの方がよくない?
は あげるったらあげるの!
さ まあ、そういう賞だとわかっていますから、どうしてもというなら無駄な抵抗はしませんが……。私もやはり時期尚早という気がします。
小 私は受賞に値すると思います。
萃 小悪魔の「受賞に値する」は全作品そうなんだろ(苦笑)。
そもそも《面白さ》とは何か
は んじゃ最後、門前美鈴。
萃 おっしゃあ! 今度こそ何がなんでも受賞させるよ! おらおら、文句があるならどっからでもかかってきやがれ! 『史上最弱の最強不敗』に神奈子賞をあげるためならどんな敵も恐れないぞ!
神 1巻が候補になったときとは随分テンションが違うねえ(苦笑)。
萃 完結した今なら迷いなく推せるからね! 門前美鈴の新境地にして新たな代表作のひとつだよ! ほらほら、何の文句があるっていうのさ!
小 まあ、私は萃香さんと戦う気はありませんので褒めますけど(笑)、非常に面白かったですね。最初の2冊は、何の才能も持ち合わせてない小市民の主人公が、なぜか主人公を神格化している副官の能力で《最強不敗の指揮官》に祀り上げられていく話でしたが、まさか2巻のラストでその副官が敵方に回ってしまうとは! この展開には驚きました。
神 それで主人公の真の才能が覚醒するのか、はたまた化けの皮が剥がれて転落人生に向かうのか――と思ったら、主人公は何も変わらないんだよねえ(笑)。相変わらずぼんやりした適当なことを言うしかできない。それを勝手に優れた作戦に翻訳して部下に伝える役割だった副官がいなくなって、主人公の曖昧な指示がよくわからなくなり、周囲も主人公の才能に疑問を持ち始めるのに――。
萃 今度はひたすら幸運で勝ち続ける(笑)。どう考えても悪手としか思えない布陣で、敵に陣地を完全に突破されたと思ったら、突然の鉄砲水で敵が全滅したり。明らかに無茶な山越えを指示したら、敵もまさかそんな無茶な山越えをするほどバカだとは思ってなかったせいで完璧な奇襲になってしまったり、見当違いのところに攻撃を仕掛けたらたまたま敵の補給部隊とぶつかって補給を断つことになり、相手がそのまま自滅してくれたり。本当に主人公は何も考えてないだけなのに、元々の天才軍師のイメージのせいですさまじい深謀遠慮に見えてしまって、ますます《最強不敗》のイメージが強固になっていく様が、ホントめちゃくちゃおかしい。
小 小市民で安穏と暮らしたいだけの主人公は、むしろさっさと負けて化けの皮が剥がれてしまってほしいのに、勝ち続けてしまうんですよね。成功すればするほど、安穏と暮らすという目的から遠ざかっていってしまう主人公にだんだん哀愁が滲んでくるところがいいです。その哀愁がまた《最強不敗》の深遠なイメージを強固にして……(笑)。そして4巻からはいよいよ元副官との直接対決。どうせまた主人公が幸運で勝つんでしょう? と油断していると4巻がすごいところで終わって、5巻が出るまで悶々とさせられてしまいました。
神 言ってしまえば展開のパターンは毎回一緒なんだが、手を変え品を変え、同じ展開を飽きさせずに読ませ、予想通りの決着にも不満を感じさせないあたりは、さすがにベテランの風格を感じるね。3巻以降の主人公の「幸運」も、きちんと全てその幸運が舞い込む伏線と、それを主人公がちゃんと認識している描写があるから、主人公自身が自分は何も考えていないとはっきり独白しているにも関わらず、読者には主人公がちゃんと、ただ自覚のないだけの本物の天才軍師に見えるところが心憎い。
萃 そうそうそう。ぜったいこの主人公はただの凡人じゃないんだけど、本人は最後まで頑なにそれを認めようとしない。どれだけ祀り上げられても絶対に小市民であることをやめようとしない主人公は、ここまでくると逆にものすごくストイックなハードボイルド主人公に見えてくる(笑)。小市民であり続けるためにやることがいちいちみみっちいから、天才に見えてもぜんぜんカリスマには見えないところが愛嬌になっててね。そんな特に立派な矜持も信念も持ち合わせてない、最後まで小市民の主人公のままなのに、5巻の最終決戦はもうめちゃくちゃ熱くて、その熱さの中でも最後までひとり状況に取り残されている主人公の姿が面白すぎる。心も身体も弱っちい主人公で、願望充足にも熱血にもいかずに熱い戦記物を書くという難題を見事にクリアしたこの傑作に神奈子賞をあげずして、何にあげるというのか!
神 最初から最後まで主人公が一切成長しない、潔いまでのアンチ成長小説であり、あらゆることが主人公側に都合よく発生する徹底したご都合主義の話なわけだが、そういう娯楽小説を批判する文脈で使われる要素をこれだけ明確に使っているのは、明らかに意図的だね。萃香が1巻当時から指摘していたように、外面と内面のギャップ、事実と認識の齟齬を徹底的に書き込んで「そもそも《強さ》とは何か」を問う話だが、このアンチ成長小説ぶり、ご都合主義ぶりも「そもそも《面白さ》とは何か」という作者からの問いかけだろう。昼行灯天才軍師の戦記ものでも、ここまで有能なのか無能なのか、本物の天才なのか幸運すぎる凡人なのかを最後まで定めがたい主人公はなかなかない。絶対に主人公をただの天才にはしないぞ、という作者の強い意志による抑制が、独自の面白さを切り拓いた快作だろう。門前美鈴の新境地として、私もこれは受賞に値する作品だと思うよ。
萃 神奈子、握手!
神 それは受賞が決まってからにしな(笑)。
は 作者の人そこまで考えてないと思うけど。
萃 考えてなかったとしても、そう読めるってことが作品の価値ってもんだよ!
ナ じゃあ、×をつけた者として反対演説をしようか。アンチ成長小説であることや、徹底したご都合主義展開が意図的なものであるのは認めるし、それが作品のテーマと密接に結びついて独自の境地に達していることも認めよう。認めた上で、私はこの主人公に腹が立って仕方なかった。自己評価がどうあれ、結果を出して責任ある立場に上った者として、その責任から断固逃げ続けるのは、さすがに人としてどうかと思う。まして戦記ものだ、兵卒の命を預かっているという自覚がなさすぎるだろう、この主人公。私だったらこんな指揮官の下では絶対戦いたくないね。
萃 いやいや、望まず背負わされた責任なんて取りたくない方が自然じゃん。まして主人公は自分には指揮官としての能力なんて皆無だと固く信じているんだから、結果が出ちゃったからって変に責任感に芽生える方が不自然だよ。たとえば試験で鉛筆転がして満点取ったせいで寺子屋の代表として何かすることになったら、そんなの逃げ出す方が当たり前じゃん。そうやって逃げても逃げても結果が追いかけてきちゃうところが面白いんであってさ。別に主人公は不正してるわけでもないんだしさあ。
ナ これだけ結果が出続けて、周囲からも賞賛され続けて、それでも自分を無能だと信じ続けられる人間なんているのかい? 自分は神がかりだと思い込む方が自然だと思うけどね。
萃 だからそこでストイックに自分を無能と信じ続けられるところが、この主人公の特異な個性なんじゃんさ。本人が自分が凡人だと考えるほど、読者にまでこいつおかしいぞと思われてしまう、内面と外面の広がり続けるギャップがこの作品のキモであって。
ナ だからそこが許せないんだよ、私は。有能な者が過剰に自分を無能と思い込んで、周囲に迷惑をかけることで自分の無能という認識を肯定してもらおうとするのが、本当に腹が立って仕方がない。自覚と責任という言葉を1万回書き取りしろと言いたいね。
は わお、ナズーリンがこんなに熱くなってるの初めて見た。
さ ……身近に心当たりがあって、平静でいられないようですね。
ナ 心を読まないでくれないかな、頼むから。
さ ああ、これは申し訳ありません。本当は有能でひとりでも大丈夫なのにわざわざ貴方を必要としてくれる上司の虎さんのことは今は関係ありませんものね。
ナ っ、御主人様のことは本当に関係ない! 私は、私はただ……ああもうっ!
は 大丈夫? 顔真っ赤よ?
ナ うるさい!
萃 さとり、さっき現実との接点を失った引きこもり扱いされた意趣返し?(苦笑)
さ さて、なんのことでしょうか。
ナ と、とにかく、私はこの主人公が嫌いだし、作品の構造が作者の意図通りだとすれば、その意図は必ずしも成功していないと主張したい。だいたい、副官が敵に回るまでの敵が無能すぎるんだよ。2巻までの主人公の作戦も作中で評価されてるほど奇想天外じゃないし、敵を無能にすることで主人公を引き立てるのはこういう戦記物では最も安易な手法じゃないか。
神 うむ、主人公側の作戦が決して見たことのないような奇想天外なものではないのは事実だけどね。そこまで敵が無能という印象はないね。序盤では敵は定石通りに攻めればまず勝てる状況だ。戦略的に優位に立っている以上、力押しで行くのは当然であって無能や無策を意味しないよ。中盤以降も、肥大化した主人公のイメージのせいで過剰に神経質になって自滅していく過程には説得力があると思うけどねえ。
萃 そうそう。確かに主人公の祀り上げられ方は過剰だけど、その過剰さ自体が作品の根幹なんだしさ。そこは欠点じゃないと思う。
小 ナズーリンさんは、この作品の狙いがことごとく癇に触ってしまうという意味で、徹底的に選ばれなかった読者なんでしょうねー。
ナ そんな一言で片付けないでほしいな。私は正当な批判をしているつもりだ。
さ わりと私怨に聞こえますけれど。
ナ 幻聴だね。心外だ。
萃 ところで、はたてはどうなのさ? 1巻のときは門前作品で一番楽しかったって言ってたから、○以上はつけてくれると思ってたのに。
は うーん、2巻まではめっぽう面白かったんだけど、副官が離反しちゃってからは正直期待ハズレ。主人公がひたすら運の良さだけで勝ち続けるのは笑えるし、面白くないわけじゃないんだけど、1巻を読んだときに期待した面白さじゃないわ。
小 つまり、主人公と副官にはずっと仲良しでいて欲しかったわけですか?
は ていうか、離反の動機がイマイチ納得いかない。だって結局自分で立てた作戦じゃない。その結果が不満だったからって……。
萃 いや、それはだから副官も自分を天才だなんて思ってなくて、主人公の立てた作戦だったと固く信じてたんだからさ。主人公だけじゃなく、副官の方も自己認識と実際の実力の間にとんでもないギャップがあって、お互いそれが結局最後まで埋まらないのが読みどころじゃん。
は うーん、でもやっぱりこういうんじゃないのよ、私が読みたかったのは。
萃 そんなこと言われてもなあ(苦笑)。さとりは?
さ 1巻のときにも言いましたが、主観と客観のギャップというテーマ自体は幻想郷の他の作品にも優れた作例がありますし、主人公の実像についての見定めがたさに関しても同様ですね。全5巻の戦記ものというジャンルを、このテーマを最後まで貫いて書ききったという点は評価したいですが、萃香さんの仰る主人公の「異様なストイックさ」が、このテーマを貫き通すための作者の都合による造形に見えてしまう点は、あまりいただけません。通常ではなかなか噛み合わないジャンルとテーマを結合しようとした意欲は買いますし、娯楽小説としては楽しく読めますが、ジャンルとテーマの不整合を解消しきれず、世界全体が書き割りめいてしまった印象が否めませんね。断固認めないとは言いませんが、消極的反対ぐらいの意味での△と受け取ってください。
萃 むむむ。これならテーマ的にもさとりは乗ってくれると思ってたのに……。
神 選考会ってのはそうそう上手くいかないもんだよ(苦笑)。
は というか伊吹様、門前作品の肉体的な強さの追求が好きだったんじゃないの? これまでの門前作品と全然違うじゃない、これ。
萃 いやいや、だから門前作品の通しテーマは《強さとは何か》であってね? これまではずっと《強さの使い方》を書いてきたけれど、今回はもっと哲学的というか根源的な問いを設定しただけでさ。一番の根っこはブレてないんだよ。この誇りも信念も肉体的な強さもない主人公の造形は、門前美鈴自身の理想の完全な対極として設定されてるわけでさ。
小 というか、紅魔館の住人の性格と力関係を完全にひっくり返すとこの作品の主要キャラになりますね(笑)。主人公が美鈴さんで副官が咲夜さんで……。
ナ つまり、何もしなくても十六夜咲夜に神様のように慕われたいという作者の願望の表れってことかい?
萃 そんなことはどうでもいいだろ!(笑)
選考会は混迷の果てに……
神 さて、一通り議論はしたわけだが。
さ 全く話がまとまる気配がありませんね。
萃 議論が一周してもひとつも見送りになってないとか(苦笑)。どうすんの?
は うーん、一旦ひとり2票持ちで投票してみるとか。その結果見て考えた方が早くない?
ナ それがいいかな。
小 では、そうしましょう。
は はい、じゃあひとり2票までで票入れてー。全員入れたわね? んじゃ開票!
1票(はたて) 『風天娘は風まかせ』
3票(神奈子・萃香・小悪魔) 『史上最弱の最強不敗』
1票(さとり) 『山姥の墓』
2票(神奈子・ナズ) 『バブルマネーゲーム』
3票(ナズ・さとり・小悪魔) 『スタンディング・オベーション』
は ええええええええええええ! なんでよー!
萃 神奈子おおおお! 小悪魔ああああ! ありがとう! ありがとう!
は ちょっと小悪魔、ナズーリン! なんで『風天娘』に入れてくれないのよ!
ナ すまないね、『風天娘』も好きだが、私は『スタンディング・オベーション』の方がやはり小説としての格が上だと思う。神奈子賞はそういう賞じゃないと言われても、やはりこれを落とすわけにはいかないと思った。
小 迷いましたが……やはり続きが出ることが決まっている『風天娘』より、完結した『史上最弱の最強不敗』の方が、このタイミングでの受賞には相応しいかと。
さ これでも『山姥』支持は私だけですか……。手応えはあったのですが。
萃 すまんね。ネムノには悪いが、私は門前美鈴に操を立てるよ。
ナ で、これは門前美鈴と虹川月音のダブル受賞ってことになるのかい?
萃 半数の3票取れば受賞でいいんだよね?
は いや、いやいやいや、ちょっと待って待って。これは納得いかないわ!
神 はたて、せめて『バブルマネーゲーム』にもう1票入れてくれないかい? そうすれば3作品で決選投票に持ち込める。
萃 いや、これ決選投票に持ち込んだら、そこから誰も譲らなくなるんじゃないの?
は そんなことより『風天娘』よ! 稗田文芸賞がアガサクリスQにあげて話題を独占したっていうのに、神奈子賞が『スタンディング・オベーション』にあげて『風天娘』を落としたら世間から何て言われると思ってるのよ! 神奈子賞も所詮は《文学性》に膝を屈するのか、なんて言われるのだけは私は断固嫌よ!
小 それ、被害妄想じゃないですか? 『スタンディング・オベーション』を受賞させたって、誰も神奈子賞に文句は言わないと思いますけどー。むしろ『レインボウ・シンフォニー』は好きだったけどそれ以降の虹川作品は文学寄りであんまり……という読者の方に、久しぶりに虹川さんがとても面白い娯楽小説を書きましたよ、と伝えられますから、むしろさすが神奈子賞、本当に面白い小説というものがわかっていると評判になると思いますが。
は だからこういうのが「本当に面白い小説」だなんて、そーゆー価値観が私は嫌いなんだってば! 絶対『風天娘』の方が面白いに決まってるのよ!
ナ どうしてそこまで頑ななんだい? 別に君が何を面白いと言っても構わないけどね、こちらの価値基準をそこまで断固否定される謂われはないよ。選考委員の価値基準がそこまで気に食わないなら自分ひとりで選考すればいいじゃないか。
さ ……ああ、なるほど。そういうことですか。
萃 どったの?
さ いえ、はたてさんがどうしてここまで拗らせてしまったのか、ちょっと心を読んでみたのですが……。パチュリー・ノーレッジや西行寺幽々子や風見幽香の、名作・傑作とされている文学寄りの作品を何冊読んでも良さがわからず、そこで自分には世間の人気娯楽作の面白さはわかるのだから自分の読解力の不足ではなく、文学方面の価値基準の方が間違っているという方向に行ってしまったのですね。
は 心を読むなー! だいたい、あんたたちの価値基準におもねることを上から目線で読解力と呼ぶその傲慢が気に食わないのよ! だったら『風天娘』の面白さを素直に認められない方が読解力の欠如よ! 人生が書いてある小説しか読めないような輩に読解力云々言われたくないわ!
神 まあまあ、そのぐらいにしときなって。
小 じゃあやっぱり間を取って、門前美鈴さんと虹川月音さんのダブル受賞というのがいいんじゃないでしょうか? 人気もあって誰にでもわかりやすい、娯楽小説らしい娯楽小説作家である門前さんと、文学方面からも評価される虹川さんと。分け隔てなく受賞する懐の広さを見せつつ、読者に貴方はどっちがいいですか? と判断を委ねれば……。
は だったら『史上最弱』じゃなくて『風天娘』でもいいじゃない!
萃 いや、やっぱり『史上最弱の最強不敗』にあげなきゃ。新境地の作品だから、それまでの作風の集大成である『虹の国の物語』にあげた稗田文芸賞との差別化もできるし、より作家の将来に開かれた受賞という意味でもさ。
神 将来に開かれたって言うなら、新人の依神女苑だろう。幻想郷に経済小説というジャンルを開拓する『バブルマネーゲーム』は、作家個人だけでなくジャンル的にも将来性たっぷりだ。
さ いえ、そこはやはり『山姥の墓』を。
は 『風天娘』だってば!
ナ まとまらないね。どうしたものか。
神 はたてがここまで依怙地になってしまうとねえ。
は むーっ。
さ 少し大人しくなっていただきましょうか。
は な、なにをするー! やらせはせん、やらせはせんぞー! やらせ、やら、う、うわああああああああああああ! いやああああああああ!(頭を抱えて蹲る)
萃 ……何したの?
さ いえ、少しばかり彼女のトラウマを想起させてあげただけです。
ナ くわばら、くわばら。
神 おいおい、いいのかい?
萃 まあ、はたてがひとりでいつまでも意地張ってたら話が終わらないしねえ。はたてひとりのゴリ押しに根負けした形で『風天娘』に受賞するのも小松町子に失礼じゃん。
小 はたてさん抜きなら、門前さんと虹川さんが綺麗に過半数でダブル受賞ということでよくありませんか? 私としても両方投票したものに受賞させられて万々歳ですしー。
神 いや、『バブルマネーゲーム』をね……。
ナ まあ……『スタンディング・オベーション』が受賞なら、私は『バブルマネーゲーム』は引っ込めてもいいよ。小説としての出来だったらやはり『スタンディング・オベーション』が一番だと思うしね。
神 ナズーリン、お前もかい! うぬぬぬぬ。
萃 さとりは? 『山姥の墓』にまだこだわる?
さ ……いえ、私も『スタンディング・オベーション』が受賞でしたら、それで許します。『史上最弱』には不満がありますが、多数決には従います。
ナ 私はあれは断固認めたくないけれど……。確かに冷静になれば、少しばかり個人的な感情で熱くなってしまったかもしれない。いいよ、私も多数決に従おうじゃないか。
萃 じゃ、あとは神奈子が納得するだけだね。『史上最弱の最強不敗』でいいじゃん?
神 うむむむむ……解ったよ。ここで私まで意地を張っても大人げない。依神女苑には次、またいい作品を書いてもらおう。
ナ 決まりかな。
小 決まりですね!
神 では、第8回八坂神奈子賞受賞作は、門前美鈴『史上最弱の最強不敗』と虹川月音『スタンディング・オベーション』の2作受賞ということで、いいかい?
萃・ナ・さ・小 異議なし。
は ……はっ! 私は何を……?
神 じゃあ、決定だ。みんな今回はお疲れ様だったね。
萃 はっはっは! やったぜ! 門前美鈴にやっと神奈子賞をあげられた! 万歳!
ナ お疲れ様。なんというか今回は本当に疲れる選考だったね。
さ 『スタンディング・オベーション』に受賞させられたので、よしとしましょう。
小 素晴らしい結果だと思います。お疲れ様でした。
は え、ちょ、ちょっと待って! なんで選考会終わってる流れなの!?
萃 終わったからだよ。はたてがぼんやりしてる間にね。
は そんな馬鹿な! ちょっと待った、私が司会よ! 司会不在の間に決定なんて無効!
神 選考委員長は私なんだがね。
ナ もう観念したらどうだい。
は やーだー、『風天娘』に受賞さーせーるーのー!
萃 子供か!(苦笑)
は もうやだぁ……おうちかえるぅ……。ままぁ……みんながいじめるよぉ……うえええん。
神 ……さとり、お前さん、どんなトラウマを見せたんだい?
さ ちょっとやりすぎてしまいましたか?
萃 これ、明日の花果子念報の速報どーすんの?(笑)
(花果子念報増刊『第8回八坂神奈子賞決定号』より)
第8回八坂神奈子賞に門前美鈴氏、虹川月音氏、本居小鈴氏
第8回八坂神奈子賞(鴉天狗出版部主催)は21日、守矢神社にて小説部門・ノンフィクション部門の選考が行われ、小説部門では門前美鈴氏の『史上最弱の最強不敗』全5巻(スカーレット・パブリッシング)と虹川月音氏の『スタンディング・オベーション』(白玉書店)、ノンフィクション部門では本居小鈴氏の『たのしい妖魔本入門』(稗田出版)がそれぞれ受賞作に決定しました。授賞式は来月3日、守矢神社にて行われます。
門前美鈴氏(本名…紅美鈴)は、紅魔館の門番を務める妖怪。『虹の国の物語』で第11回稗田文芸賞を、『風雲少女・リンメイが行く!』シリーズで第4回稗田児童文芸賞を受賞しており、八坂神奈子賞を含めた三賞制覇は史上初の快挙になります。『史上最弱の最強不敗』シリーズは、乱世の時代に凡人の主人公が《最強不敗の指揮官》に祀り上げられていく様を描いた戦記ものです。第6回でも1巻が候補となっていますが、今回はシリーズ全巻を対象としての受賞となりました。
虹川月音氏は、プリズムリバーウィズHのバイオリニスト、ルナサ・プリズムリバー氏の小説家としての名義。『レインボウ・シンフォニー』で第4回稗田文芸賞を、『歩くような速さで』で第3回幻想郷恋愛文学賞を受賞しており、こちらの三賞制覇も史上初の快挙です。『スタンディング・オベーション』は、かつて音楽性の違いで対立し解散したバンドが、長い年月を経て再結成し復活ライブを開催するまでを描いた音楽小説です。
本居小鈴氏は、人間の里の貸本屋《鈴奈庵》の店主。幻想郷文芸振興会の副代表も務めていらっしゃいます。『たのしい妖魔本入門』は、そんな彼女の趣味である妖魔本の蒐集と鑑賞について綴ったエッセイ集です。
小説部門受賞者には賞金60貫文、ノンフィクション部門受賞者には賞金20貫文がそれぞれ贈られます。
門前美鈴氏の受賞の言葉
ま、まさかこの作品でいただけるとは……。あ、ありがとうございます。恐縮です。やっぱり今までのような格闘ものの方がいい、と読者の方に言われるのは覚悟していたのですが、こうして評価していただけると本当に励みになります。ありがとうございました。
虹川月音氏の受賞の言葉
自分が書いているものが娯楽小説なのかそうでないのかなんて意識したことがないから、八坂神奈子賞というのはちょっと意外だけれど、それだけこの作品を楽しんでもらえたということだと受け取っておくわ。ありがとうございます。……八坂神奈子賞らしくないって叩かれたりしないかしら……。
本居小鈴氏の受賞の言葉
入門なんてタイトルつけたから何か誤解されちゃったのかと思ったんですけど、エッセイもノンフィクションってことでいいんですか? まあいいや。妖魔本集め楽しいですよ! 本を持ってきていただけたらコレクションをお見せしますので、どうぞ鈴奈庵まで!
(本記事は姫海棠はたて記者の体調不良により、小悪魔が代筆しました)
(花果子念報 卯月22日号1面より)
実物読みたくなる架空本を次々生み出すのやめてー!w
さらりと代筆する小悪魔さんかっけえ。はたてはドンマイ!
ここまで小説に対し熱い議論がなされているとは「消費者」として思いもよらない発見でした。
ナズの賢そう(賢いかどうかは別にして)で冷静な論調好きです
昼行灯に突然キレ始めたのも笑いました
さとりは人間味、と言うか心理にのリアルな動きについてあれこれ書いてくれる奴が好きで、はたてはあややに近いエンタメ性かと思いきやキャラクター小説寄り、小悪魔は面白ければ良く、前向きな材料を探してくれるヤマメタイプっすね
神奈子様は面白いは面白いでもfunじゃなくてinterest寄りなんすね、稗田文学賞っぽい感性だけど、小説技術じゃなくてあくまでエンタメ的に優れてるかどうかを見てくれるって感じっすか
>創作物に過剰なリアリティを求めるのは、創作物の過剰摂取の反動だろうね
ちょっと読み慣れてる人が、リアリティがどうの物理的にどうのみたいな論理で話してるのをあちこちで見かけるんですが、究極的には荒唐無稽だろうがなんだろうが説得力が物を言うんですよね
リアリティがあっても説得力が無ければ疑問符がつくし、逆も当然あるという
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