「うー……」
混沌、その言葉がよく似合う散らかった部屋の中。両手を頭の後ろで組んだ魔理沙は唸り声とも呟きともつかない声をあげた。
ほんの少し、本人も意識しない程度に軽く唇を尖らせて、香霖堂から昔かっぱらってきたぐるぐると回る椅子に限界までもたれかかる。普通の椅子よりも柔軟性のあるその椅子の背は、きしきしと音を立てながら、少女の重みを受け入れた。
「あー」
足元にも、魔理沙にとっては価値がある、けれど、何も知らない人にはガラクタと揶揄されるたくさんの道具が転がっているため、椅子の上にあぐらをかいて。魔理沙は天井を見上げる。見慣れた天井のシミは眺めていても楽しくはない。ただただ、こぼれるのはため息ばかり。
椅子の前には当然のように、普段研究で使っている机がある。研究で失敗して起こした爆発に巻き込まれたり、変な薬を混ぜたりしたせいで、すっかりくたびれた机だ。何冊もの古びた本が重ねられ、インク壺と、いくつか黒い斑点で汚れた白い羽根ペン、丸められた羊皮紙が乱雑に並んでいる。
そして、魔理沙に一番近い場所に広げられているノート。先ほどから、何かを書きかけては、ぐしゃぐしゃと塗りつぶしているせいで、すっかり汚くなってしまっている。
「ちぇ」
言葉にすれば、魔法の研究が進まない。正しくは、研究の結果を記しておく作業が手につかない。ただ、それだけのこと。
昨日した実験の結果は、芳しくなかったところもあれば、うまくいった部分もある。書いておかなければいけないことの構成は、頭の中でぼんやりと浮かんでいる。次につなげるためには、しっかりと反省点を確認しなければならないのだけれど。
けれど、どうにもやる気がでない。
書かなければいけないことがうまく文章にならない。自分用の研究メモなのだから、それでも構わないのだが、今日はどうもそれが気に食わない。
それがもどかしくて、もやもやとする。何とか書きはじめてみても、普段と変わらないはずの字の形が気に食わなかったりして。破ったページは何枚か数える気にもならない。
「なんだかなー」
そうして、もう今日はやめる、と見切りをつけたのがつい先ほどのこと。
もうすっかり夜。カーテンの開けっぱなしの窓の外は暗い。雨が降りそう、というほどでもないけれど、今日一日どんよりと曇っていたせいで、今日、夕焼けは訪れなかった。
入浴して、夕食を食べて。やるべきことはいくつもあるのだけれど、なんとなく気が借りを残しているようで、椅子から立ち上がる気にもならず、ただ物思いにふける。
何、というわけではない。嫌なことがあったわけでも、何かに思い悩んでいるというわけでもないのだ。ただ、気持ちに幕が降りたかのように、心のかたちがすっきりしない。
こんな時は、さっさと寝てしまうのが一番なのだけれど。
「別に眠くもないしな」
それが叶わないならば、ぱーっと騒いで気分転換も手のひとつ。
霊夢の神社へ行って、一杯やってくるとか。今の時間ならば適当に遊びに行けば、あの場所は誰かしらいるだろうし。にぎやかに宴会をしたり、弾幕ごっこで体を動かすのも悪くない。
悪くない、のだけれど。
「そんな気分でもない、か」
誰かと話したい気持ちはあるけれど、今の気分でははしゃぎきれなくて、かえって疲れてしまいそうな気がする。いつ思い出しても楽しいと感じるはずの宴会が、どうにも色褪せたものに感じられてしまって。なんとなく、面倒くさい。
誰かとにぎやかに話すことがわずらわしい。さびしいくせに。
いつもデリカシーがないだの、子供っぽいだの言われる魔理沙だって、そういう気分の時もある。なかなか、理解してはもらえないけれど。
香霖堂へ行って、店主の蘊蓄を聞く気分でもない。嫌味を言われたら言い返すどころか、マジギレしてしまいそうで嫌だ。命蓮寺へ行けば甘やかしてもらえるだろうけれど、今の気分では取り返しのつかないことになってしまいそうだ、主に社会的なイメージ的な意味で。白蓮の包容力は半端ではないから。
誰かにそばにいてほしい。できれば、愚痴にも付き合ってほしい。
だけれど、あまり絡まれるのも嫌で、静かに過ごしたい。
ついでに退屈しのぎが出来れば最高。
「あー、そうだ」
その条件に当てはまる場所が頭の中に浮かぶ。
静かで、落ち着いていて。同業者ならば愚痴の語りがいもある。
うまくすれば、人形遣いも来ているかもしれない。
むしろ、こちらから声をかけて強引に連れ出してしまってもいいだろう。
そんな風に考えた魔理沙は、そこでようやく笑みを浮かべた。
「図書館に行こう」
「アリス?」
「魔理沙じゃない、どうしたのよ、こんな時間に」
アリスが家を出て、魔法の森の上空へ飛ぶと、黒白の魔法使いに出くわした。
いつものように箒に跨った彼女はアリスの姿を目にすると、いかにも驚いたというように目を丸くする。魔法の森に住むご近所さん同士だ、たまたま出くわすことなどそう珍しいことでもないのだけれど。
むしろ驚くのはアリスの方だ。出食わすことはともかく、驚くのは今の時刻だ。深夜、とまではいかないけれど、すっかり日も暮れた夜。これぐらいの時間帯ならば、もうすでにどこかへ出かけているか、家でくつろいでいるかするところなのに。
そんな風に思っていると、先に口を開いたのは魔理沙だった
「ちょうどお前のところ行こうと思ってたとこだったんだけど……」
どこかに出かけるところだったのか、と続ける声はどこかかすれた笑いを含んでいる。
少しだけ吹いている風に飛ばされないようにするためか、被った帽子のつばに手をやった魔理沙の表情を窺い知ることはできない。
心なしかいつもよりトーンの低い気がする。おかしいな、とアリスは思う。
いつもならば、明るく、そんなことより私に付き合えだの、どこに行くんだ、など図々しいほどに絡んでくるというのに。
それを怪訝に思いながらも、アリスの沈んでいた心は少しだけ軽く弾む。
ちょうどアリスも魔理沙の家に向かおうとして、もとい誘い出そうとしていたところだったから。
「奇遇ね」
「へ?」
「ちょうど、私も魔理沙のところへ行こうと思ってたから」
アリスの言葉に、魔理沙はばっと顔をあげる。どこか興奮したような、信じられないという表情だ。例えるならば、今日も一つも売れなかったと打ちひしがれて家に帰ろうとしていたところに、マッチを売ってほしいと声をかけられた、マッチ売りの少女のような。
鼻の下をこすった魔理沙はへへ、と一度はにかむように笑う。そして、その照れくささを隠そうとするかのように、少し芝居がかった手振りで言う。
「へえ。何の用なんだ? こんな時間に」
魔理沙の言葉に、アリスは腕にひっさげていた大きなバスケットを見せつけて、肩を竦める。まだ少しだけあたたかくて、ずしりと重いそれは、少し動かすと甘くていい匂いがするその中には、作りたてのお菓子が山のように入っている。
ケーキだったり、プリンだったり、クッキーだったり、そんな風なものが。
「ちょっと作り過ぎちゃって。おすそわけよ」
「わ、すごい量だな。どんだけ作ったんだよ」
手を伸ばして、かけてあった布をめくった魔理沙が目を丸くするのを見て、アリスは苦笑する。自分でも、何でこんなに作ってしまったのか、今ではわりと後悔していたりするのだから。
今日は、どうにも気分が盛り上がらない。
秋だから、というわけでもないのだろうけれど、どこかセンチメンタルでメランコリー。ついでにノスタルジー。いろいろ入り混じったあれやこれやで、どうにも嫌なことばかり頭に浮かんできてしまって。
そんな気分を払拭しようと、一日中ひたすらお菓子作りに打ち込んだ。もらいもののかぼちゃが貯まっていたため、ひたすらかぼちゃを切って。もともと凝る性質であったことも影響しているのだろう。気がつけば、家じゅうお菓子だらけのような、そんな状態になっていた。
ふ、と我にかえってそれを見た時、なんだか笑えてきて。
この馬鹿みたいな一日のことを誰かに話したくなった。
普段なら翌日にするだろう。魔法もあるため、そう簡単に宴会が盛んであったり、妖怪が多いことを考えれば気にするようなことでもないのかもしれないけれど、もう人を訪ねるのには適した時間ではない。 都会派であり、どちらかと言えば育ちの良いアリスは、そのあたりのマナーはかなり気を使っている方なのだけれど。
けれど、今日に限っては、なんとなく人寂しかった。誰かに会いに行きたかった。
そこで行先として考えたのが、基本的に不眠不休の七曜の魔女の住む大図書館。そもそも紅魔館自体が夜型であるし、パチュリーならばまず起きているだろう。
アリスが望むように皮肉っぽく笑ってくれるだろうし、お菓子はお菓子で喜んでくれる。
そう、いつものほぼ恒例となったお茶会の時と同じように。
そこまで考えて、ついでに魔理沙にも声をかけようと思ったのだ。
どうせなら、三人揃っていた方がより楽しい。二人で真夜中にティーパーティーというのも悪くないけれど、そんな楽しそうなイベントに誘わなかったら、怒られてしまう。
簡単に概要だけを、アリスは語る。お菓子を作りすぎたことと、それから、図書館でお茶会をしたいと思っていることだけを。一日を無駄遣いしたことについては、また後で話せばいいだろうし。
はじめはふむ、といった調子で話を聞いていた魔理沙の口元が次第に緩んでいき、やがて、声を立てて笑いだす。えらく楽しげなその調子に、アリスは訝しげに首を傾げて、それでも、さらりと問いかける。
「それで、魔理沙の用事はなんだったの?」
「……」
いつもどおりの安楽椅子に座って、いつもどおり分厚い魔道書に視線を落とす。
紅魔館の大図書館は今日も静か。魔女自身がページをめくる音と、司書が本を片づける音だけがやけに響く。薄暗い室内を照らすのは、ほとんど間接照明に近いようなランプの橙色の明かりだけ。埃っぽさもかび臭さも、いつもどおり。
テーブルの上には、お気に入りのカップが一つ。夕方よりも前に淹れられた紅茶は、もう湯気を立ててはいない。
それを口に運んだパチュリーは、ひんやりとした液体に眉をひそめた。
猫舌であるため、熱いのは勘弁してほしい。けれど、だからと言って冷めきった紅茶を飲むのを好んでいるわけではないのだから。
「ん……」
すっかり冷めてしまった紅茶を飲みほす。こんなに冷たくなるまで、放置していたのは自分であるし、いつもならかけている保温の魔法をかけ忘れたのも自分だ。
気がきく咲夜がこの時間はレミリアやフランドールの世話で忙しいのも分かっているし、小悪魔には本の整理を優先するように頼んだから、淹れなおしに来ないのも分かっている。
それでも、腹立たしい気がしないわけではなかったけれど。
「退屈だわ」
ぱたん、と読み終えたばかりの本を閉じて。テーブルの上に重ねられた本のうちの一冊と交換しながら、パチュリーはぼやく。自分らしくない、むしろ親友やその妹がしばしば呟くような言葉に、自分で苦笑する。
手にとったばかりの本を左手で抱いて、テーブルに頬杖をつく。
本を読むのに飽いたわけではないけれど、今日はどちらかと言えば、実験だのなんだの変わったことをしたい気分なのだ。いつもならば、パチュリーが退屈を感じるより前にレミリアがトラブルを持ちこんできたり、異変に巻き込まれたりする。だけれど、ここのところ、どちらもご無沙汰だ。最近のレミリアは妹と和解しようと奮闘しているから。
振り回されているように見えるかもしれない、一歩引いたところから付き合っている風に見せかけてもいる。けれど、本当のところは、そういうお祭り騒ぎも嫌いではないのだ。
一度、そんなふうに思ってしまえば、見慣れたいつもどおりの景色がやたら退屈に見えてくる。本を読むのも悪くはないけれど。なにか実験をしてみようにも、インスピレーションは降ってこない。
兎にも角にも退屈だった。
空っぽになったカップを指で弄びながら、ため息ばかり。
ふと思うのは、二人の後輩魔法使いのこと。人形遣いと人間魔法使い。
いつの間にか、図書館に入り浸るようになって、三人揃ってお茶会を開くこともほとんど恒例になった。パチュリーはただ静かに本を読んでいたいのに、にぎやかにおしゃべりをしたり、一緒に遊んだり、何かとペースを狂わされる。ひっかきまわされる。
それを悪くないと思うあたり、楽しいと思ってしまうあたり、大分毒されている気がしてならないのだけれど。
「こういう時に来ればいいのに」
ほとんど無意識で小さく呟いた言葉。ありえない、と自分で首を横に振って、苦笑する。
この時間に来るはずがないことぐらい分かっている。魔理沙は人間だし、アリスはマナーを重んじる。宴会だのお泊り会だのでなければ、来ないだろう。
退屈が過ぎて、頭の働きが鈍っているのかもしれない。とりあえず、本でも読もう、と手にした本を開く。集中してしまえば、退屈なのも気にならなくなるはずだ。
そう思ったのだけれど。
不意に聞こえたのは、大図書館に見合った重厚な扉が開く音。
もう長いこと住んでいるパチュリーが聞き間違えるはずもない。レミリアか、咲夜か、と思うよりも先に聞こえたのは、最近すっかり聞きなれた二人の少女の声。
「来たぜー」
「パチュリー、いるかしら」
片方は明るく陽気に、片方は少しすまして。
現れた二つの人影に、なぜだか薄暗い図書館が明るくなったような気さえする。
それと気付かれないように、一度そっと口元を綻ばせて。
パチュリーは、いつもどおりこう言うのだ。
「何よ、また来たの?」
おまけ。
そうして、始まった魔法使いたちのお茶会の一幕。
すっかり夜も更けたどうにも冴えない一日の終わりのご褒美。
「……というわけなのよ。だから、どんどん食べてね」
いつものテーブルを囲んで、それぞれがお気に入りと決めた椅子に腰かけて、はじまったお茶会。お茶会といっても、おのおのが好き勝手にくつろいでいるだけ。
それぞれ適当に今日の出来事について言葉を紡いだり、本を読んだり。
テーブルの上に広がるのは多種多様なお菓子たちと、いつの間にか誰がどれを使うのか暗黙の了解的に決まった三つのカップ。淹れたての熱い紅茶は白い湯気を細く立ち昇らせている。
最後にアリスが、そんな風に、今日の出来事を語ると、ふ、とパチュリーは皮肉っぽく笑う。
「馬鹿じゃないの?」
「はっきり言うわね、パチュリー。ひどいわ」
口ではひどい、と言いながらも、どこか楽しそうに笑うアリス。肩を竦めてみせると、そっとカップを口元へと運ぶ。
まだまだ冷めるのは先になりそうなその紅茶を決して手に取らないパチュリーはプリンをすくう銀色のスプーンを片手に、広がるお菓子類を眺める。はじまってからもう軽く一時間ニ時間経過しているのに、一向に減る気配を見せない。
「だって、どう考えても作りすぎじゃない。レミィの誕生日パーティーの時と同じくらいあるわよ」
退屈だ、退屈だ、と呟いていたパチュリーは、結局お茶会が始まってしばらくして、本を読み始めた。そう、いつもどおりに。
いつも率先して会話を盛りあげる魔理沙はすっかりお菓子に夢中だった。年齢相応か、より幼い子供のように瞳を輝かせて、あれもこれもと次々に口へと運んでいる。
「私はおいしいお菓子が一杯食べられて満足だぜ。あ、このパイもおいしい!」
あまりの勢いに呆れた二人は顔を見合せて、苦笑する。
こんなに素直に喜ばれると、どうにもからかいたくなってしまって困る。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、あんまり夜中に食べると太るわよ?」
「なっ」
アリスの言葉に、ぴたり、と魔理沙の動きが止まる。それを見たパチュリーは、格好の獲物を見つけたと言わんばかりに意地悪な光を宿した瞳で、ふっと笑う。
話を振られたアリスも、まあ、事実は事実なわけで、頷かざるをえない。
「私たちは魔法使いだから関係ないけど。ね、アリス」
「うん、まあそれはそうよね」
「ちょ、お前らなあ……」
むー、とフォークを口元に当てて、魔理沙は難しい顔をする。先ほど、すっかり研究がうまくいかない愚痴を吐き出したせいか、真剣ではあってもその表情には陰りはない。
そんな魔理沙を尻目に、クッキーを一つ口へ放りこんだアリスは、うん、おいしい、と微笑む。そうして、もたもたとプリンをすくっているパチュリーにも声をかける。
「プリンはどう?」
「甘い」
「そう、気に入ってくれてうれしいわ」
どうにも言葉足らずな感想だけれど、基本的に甘党のパチュリーであるから、きっと褒め言葉でいいのだろう、と考えて頷く。
いかにもおいしそうに見えるお菓子の匂いや、食べている二人をじっと見つめていた魔理沙はうおー、と声をあげる。
「あー、もういいっ、今日は特別ってことにする!」
そうして、フォークでタルトを頬張って。もぐもぐもぐ、と大きく噛みしめる。
それがなんだかおかしくて。楽しくて。アリスはくすくすと声を立てて笑う。
ふっと鼻で笑ったパチュリーもどこか楽しげで。ごくんとひと口分を飲み込んだ魔理沙も、にんまりと笑う。
食べきれないほどのおいしいお菓子。読み切れないほどたくさんの本。
それなりに気心の知れた友人。
真夜中の特別なティーパーティー。
三人の魔法使いの時間は、まだまだ、続いていく。
夜はまだ長いのだから。
もっと三魔女(四魔女も)は広まるべき
三魔女はもっと流行るべき
日常を切り取った出来事でも何か感じるものがあります。
三魔女がこうして増えていくのは、一読者として嬉しいです。
三魔女もっと栄えるべきだぜ