Coolier - 新生・東方創想話

とある幻想の救済者<ペインキラー>

2009/05/28 02:26:56
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******



-右手を伸ばす。



******


どうしてだろう、と彼女は思う。
どうして、こんなにも胸が痛むのだろうか。全て無くした筈なのに。全て捨てた筈なのに。
全てを捧げてでも、成し遂げようと決めたのに。
空っぽの胸が、ずきずきと痛む。体の傷よりもずっとずっと強く、彼女を責める。
体を縮め、彼女は子供のように泣きじゃくる。
自業自得だ、と彼女は思う。けれど、それでも涙は止まらない。
身勝手な願い、そう理解していても、心の奥深くから、声が漏れ出る。
-誰か…
-私の…


******


東風谷早苗は、かつて居た世界を思い出していた。
幻想を失った世界。御伽噺が荒廃し、無機質な鉄が支配する世界。虚無が蔓延る残酷な世界。
-彼女が捨てた世界だ。けれど、と彼女は最近思う。
今もその世界で嘆き、苦しんでいる人はいるのだろう。その中には、早苗の力で救えた人もいるかも知れない。
救いたい、と早苗は思った。遠く離れたこの地からでも、手を伸ばせばきっと届くと思った。
それは傲慢であるのかも知れない。自分には力があると言う思いあがりなのかも知れない。それでも、その思いは優しさから始まったのだ。
誰が彼女を責められようか。ただ一人、資格があるとすればそれは彼女自身である。後にそうするように。
東風谷早苗は、何か方策はないかと調べてみる事にした。


******


チュイーン。
紛う事なきドリルの音である。オイルの臭いと鉄と火花で満たされた工房から聞こえたその音は、河童が在宅である事を周囲にアピールしている。
チュイーン。再びドリルの音が響く。以前は周辺住妖が怒鳴り込んできたものだが、最近はもう一種の病気であると認知されたのか、可哀想な物を見る目で工房の方に一瞥をくれるだけである。
生ぬるい視線が集まる工房の主、河城にとりは、「フルフェイス耐熱仕様ヘルメット・醜く焼け爛れた顔もバッチリ隠します!これで出来の良い弟にも勝つる!」とよく分からない文言でセールされていたヘルメットを脱ぎ、満足気に息を吐いた。
「これでよし、と。あとは実際に動かしてみて…いや、やっぱり右手もドリルに…いやでも左腕もドリルだしなぁ…右腕にもつけるとドリルの美しさが損なわれるかも…」
バン!
よく分からないドリルフリークの呟きを遮るかのように、ドアが荒々しく開かれた。
「た、大変!大変ですよ!」
「あ、ちょうど良い所に。ねえ椛、ドリルについて悩んでるんだけど」
入ってきたのは犬走椛であった。何やら慌てた様子で、手やら尻尾やらを振り回していたが、にとりの質問に少し冷静になったようでピタリと止まり、
「ええと…それ、この前からずっと悩んでないですか?」
いや、冷静になったのではなく引いているのだった。ちなみに『この前』とは一ヶ月前である。
「一朝一夕に決められる悩みじゃないのよ、ドリルは。で、何が大変だって?」
「そうです、ドリルなんかどうでもいいんです!」
「よくない!この前一晩中語ったのに!…もう一度教育が必要?」
「いやあああああああもうドリルはいやああああああああ!」
どうやら前回のドリルの布教は大失敗に終わったようであった。
「…それで、何が大変なの?」
「そうです、ドリルなんかどうでも…ハッ!?いえ、違いますドリルハダイジドリルハダイジ…」
「いやもういいから」
にとりが椛を落ち着かせて聞き出した話によると。
「山の神様が…いなくなった?」
「はいもう大変なんですよ何処探しても欠片も見つからなくてバラバラの断片とか見つかったらそれはそれで嫌な事件だったね右腕がまだああもうとにかく大変なんです!」
「落ち着きなさいって。ええと、お山の巫女は居るんでしょ?」
「はい。けど何か様子がおかしくて…なんと言うか」
怖いんです、と椛は言った。
「…怖い?」
「何か…近寄ってはいけない気がするんです…私だけじゃなく、他の皆も同じ事を思ったようで」
「へ?あの人当たりの良い巫女が怖いって…何それ。巫女違いじゃないの?」
博麗神社の巫女と間違えているのではないだろうか。巫女を二人並べて、怖い方を選べと言われたら、百人中千人は博麗神社の巫女を選ぶだろう。
笑顔でも怖い。上機嫌でも怖い。不機嫌だったりしたらもっともっと怖い。そういう巫女なのだ。
「確かに博麗の巫女も怖いですけど」
「あ、本人に伝えておくわ」
「言いだしっぺは誰ですかっ!?って今はそっちの巫女の怖さはどうでもいいんです!」
と、慌てて椛は話を戻し、
「まるで…底が見えない穴を覗き込んでるような…」
「ああ、それはまあ何となく」
人から遠く離れた種族であるにとりにも分かる。例え空が飛べたとしても変わらない。未知なる深遠を覗き込む時のその感情は、紛れもない恐怖である。
他の皆、と言うのは天狗仲間の事だろう。彼女達が恐怖を感じるとなると…
「麓の巫女でもそこまで怖くないわよね…?」
「いや、あっちの巫女も怖いですけど…今回に限ってはお山の巫女の方が怖いかなーと」
以前に余程酷い目にでも会ったのか、目が怯えの色を宿しながら泳いでいた。心的外傷でも負っているかのような怯えっぷりだった。
「…まあ、それは置いておくとして」
ドリル、どうしたらいいと思う?
にとりがそう言い放つのを想定していたかのように、椛は逃げ出した。
だがにとりもそれを想定していたようで…
がしゃーん。と、鉄の檻が天井から降ってくる。
しかし、まわりこまれてしまった!
そんな言葉が椛の心に浮かんだ。


******


「…抵抗、しないんですか」
そう、早苗は言った。まるで抵抗を望んでいるかのように。まるで自分の行いを咎めて欲しいかのように。
「しないわ。それが人間<貴女>の選んだ事ならば、神々<我々>は邪魔しない。だから今私たちは此処にいる、そして…」
-そして。
「早苗がその道を選ぶのなら、私達はただ受け入れるのよ」
「分かり…ました…」
早苗の右手が伸びる。全てを受け入れた神様に触れる。
触れるのは一度だけ、二度目は必要ない。
その最後の瞬間、二人の神様は手を握り合っていたからだ。早苗に二度、右手を伸ばす苦しみを与えない為だろうか。
それとも…


******


潜行する。左手を用いて《量子空間》にアクセス。演算を開始する。
大結界に所属している侵入対抗精霊壁<ICE>が私の前に立ちはだかるが、私の能力の前にはそれは役に立たない。
《広》式ICEブレーカ<クァンタズム>を起動。ICEを無効化しさえすれば、後は私の計算を邪魔する物はない。
演算、演算、演算。幻想郷内の全ての構成要素を、それら全ての数瞬先までの動向を、潜行座標と出現座標を。
いつもの事。いつもの手馴れた空間転移。だが、
-何よ、これは。
私は慌てて左手を引き抜いた。何か『触れてはいけない物』が存在した、それを遥か《マトリクス》越しに感知したその瞬間に。
けれど、それでも私の左手は、手遅れのようだった。直接触れたわけでもないのに、遥か遠くの、演算領域からそれを感じ取っただけだと言うのに。計算対象として捉えてしまっただけだと言うのに。
演算開始。対象は空間座標ではない。左手で荒れ狂う術式だ。
左手は、既に手首から先が消失していた。痛みは無い。出血もない。ただ、この世界から虚ろとなって消えて行くだけ。
どうやら、完全には対処仕切れないようだ。極々僅かに、少しずつ、その虚ろは私の左腕を這い上がってくる。
術式は複雑だが、とは言え私の計算能力を上回っているわけではない。術式は瞬時に分解され続けている。
そう、分解され続けている。しかし、一つの術式が分解されきった瞬間に、新たに発生した-或いは、別の方法で暗号化された-術式が私の左腕を食い荒らし、それを分解するまでの極々僅かなタイムラグが、左腕の消失を少しずつ押し進めているのだ。
-術式の元となっている『何か』を破壊、もしくは停止させなければならない。さもなくば、いずれ体の全てがこの虚無に食らい尽くされるだろう。
もしかしたら、その前にこの術式が《弾切れ》になるかも知れないが…余り期待は出来ない。
一気に2cmほど、左腕の虚無が這い上がってきた。今回の暗号の元はルーシュチャの方程式だ。流石に解くのに時間がかかった。とは言え、おそらくこれが最難の問題の一つの筈だ。
計算完了と同時に発動する罠が仕組まれているが、ICEを利用して外部への情報の送信を妨害する事で、トラップは無効化出来る。ICEが幻想郷ではなく、大結界に所属する機構である事が幸いした。演算対象を大結界だけに限定すればあの何かに触れずに済む。
そうでなければ、この競り合いの中、自前でICEを設計しなければならなかっただろう。
さて、と私は考える。
どうにかして攻勢に回らなければならない。だが、能力を用いて探す余裕はない。
だからと言って、自分が飛び回って探す訳にもいかない。極々僅かな接触ですらこの有様だ。まるでテレビの画面越しに人を殺す、梟の邪眼の如き理不尽。
もし、あれに直接触れられたら。
恐らく、対抗する術はない。私以上の力を持つ者でも、それは変わらないだろう。
藍に待機命令を放つと同時に、私は飛んだ。
里の近くに住む、白沢の下へ向かって。


******


その行商人は、藤田隆平と名乗った。稀覯書と見るや金に糸目を付けずに蒐集する性癖があり、その所為で背負った借金返済の為、現在では信用出来そうな相手に泣く泣くそれらの本を貸し出して返済に充てていると言う。
貸本屋。早苗が居た現代では、余り馴染みのない営業体系。いや、電子書籍のレンタル業が始まる、といつか見た覚えがある。形を変えてあちら側にもまだ残っているのだろう。
稀覯書とは言っても、彼が並べ立てた商品はほとんどが大した事のない、紅魔館の大図書館に行けば封印措置もなしに本棚に収まっているようなものばかりであった。
はっきり言って、無断で持ち出しても怒られないようなレベルが大半である。それを言ってしまったら、きっとこの男は哀しみで発狂するだろうから、言わない事に早苗は決めた。
しかし。
一冊だけ、本物と言える本があった。大図書館にすら存在しないかも知れない、もし存在したとしても厳重な封印措置を施されるであろう、強力な瘴気を纏った一冊が。
持ち主にどんな災厄を招くか分かったものではない。その時の早苗はただ人助けの一念から、本を借り上げる事にした。
そしてパチュリー・ノーレッジに封印を頼む為に紅魔館へと向かう途中、早苗はふと気づく。気付いてしまう。
-この本の中に、もしかしたら、と…
…そしてその日、山からは神様が消えた。


******


「今から私の言う事に忠実に従いなさい。一つ、歴史との接続を今すぐにやめる事。二つ、私と藍と橙、それから私の住処についての情報にのみ接続し、削除する事。それが終わったらすぐに接続を解除し、ゆっくりとこちらを向きなさい」
右手で傘を突きつけながら、白沢に命令する。
「…ああ、もう一つ、貴女と、この住居の削除もね」
「…終わったぞ。これでこの場所は当分《クリーン》だ」
それで?と慧音は紫を睨み付ける。その視線が、左手に留まった。
「こうなりたくなければ、歴史から詮索しない事ね。今話してあげるわ」
そして、紫は何が起きたかを説明する。
と言っても、何も分かっていないに等しいのだが。ただ、何らかの脅威が存在し、そしてそれは歴史越しでも慧音にたどり着くかも知れないとだけ説明した。
「誰が主犯か分かるまではろくに動けないわ。気をつけなさい。それから…ッ!?」
二人が同時に、同じ方角を向いて硬直した。
紅魔館の主の気配が消えたのを、同時に察知した為だ。続いてもう一つ、彼女の妹の気配も消えた。
恐らくは、ここからは探れないだけで他の者も消えている事だろう。
「…迂闊だったわ。あそこには大図書館がある。あの引き篭もりの知識の中にはこの術式に関係する物があったかも知れないし、封印されている禁書の中には貴女の能力に関係する物もある筈。…また先手を打たれた訳ね」
遠く離れた藍に、気配を殺して紅魔館に接近するように命令する。犯人が誰かを見極める為に。
「少し待ってなさい。今藍を向かわせたわ。犯人を突き止めるくらいは…」
「…いや、どうやら私は手遅れのようだな」
慧音の体が、透き通っていく。
「…手伝えなくてすまない。妹紅を歴史から隠してやろうとしたら、どうやらあちらも歴史にアクセスしていたらしく、触れてしまったらしい」
「…そう」
紫は、表情を変える事無く、その言葉を受け止めた。
「出来れば…妹紅に伝えてくれ。敵討ちなど考えずに逃げろ、と」
「…約束は出来ないわよ。今私はとても忙しいのですから」
「構わないさ。貴女はきっと、約束なんかしなくても伝えてくれる」
そして慧音は、この世界から虚ろとなって消えて行った。
「…馬鹿ね、伝えても伝えなくても、結果は変わらないのに」
それでも、紫は慧音の最後の言葉を伝えに、妹紅の元へと飛び立っていった。


******


ちゅいーん。
ドリルの音である。聞きなれたその音に若干安堵しつつ、椛は工房へと飛び込んだ。
「大変です…よ…!?」
何だろう。
とても大変な事だったのに、なんだかもうこの河童の前では大変ではないように思える。
河童は、ドリルだらけの鋼の巨体を前に、うんうん唸っていた。
右手にドリル。左手にもドリル。頭部にもドリル。腹部にも背中にも足にももうありとあらゆる所にドリル。ついてないのは股間くらいだった。
「………」
帰ろう。もうコイツには何を言っても無駄だ、と椛は思った。コイツの頭が一番大変なのだから何も言う事はないと。
踵を返して、静かに外に出ようとした椛の頭上から、がしゃーんと鉄格子が降りてくる。
「で、何か用?」
「いやなんかもういいです」
そうドン引きした椛をなだめつつ、河童が話を聞きだすと。
「…紅魔館の住人も消えた?」
「はい…ついさっき文さんが訪ねたら蛻の殻と言った有様で…と言うか視界に入るドリルが多すぎて鬱陶しいんですけど何とかなりませんかアレ」
「いやまあ、流石にあれだけつけるとかえってドリルの美しさが損なわれるとは思ってたんだけど、一度つけた神聖なるドリルを取り外していいものかと悩んでたのさ」
ドリルに神聖も何もあったものか、そもそもドリルに神は居るのだろうか、と椛は思った。…もし今は居なくても、その内居る事になってしまうだろうけれど。狂信者が居る事だし。
「精神衛生上とても気持ち悪いので一刻も早く取り外すべきだと思います」
「まあ、とりあえず考えておくよ。にしても、神様が消えた次の日に吸血鬼も消えたって…」
「ええと…それからどうやら派閥を持たない野良妖怪も次々と姿を消しているようでして…」
ああ、と河童は納得する。だから椛は訪ねてきてくれたのだろうと。
「しかし神様と言い吸血鬼と言い、どう考えても簡単にやられるタマじゃないだろうし…となると、何処かに出かけてるだけじゃないの?」
「神様二人だけなら兎も角、紅魔館の住人全員が忽然と姿を消すなんて考えられ…いやどうなんでしょう、あの吸血鬼のお嬢様なら突発的な思いつきでやるかも知れませんが…」
それでも、今までほとんど外へ出したことのない妹まで引き連れて行くとは考えにくい。二人の意見はそこで共通した。
「まあ、異変ならいつもみたく人間が勝手に解決…」
…出来るだろうか。もしこれが何かの異変ならば、異変を起こした誰かは神様や吸血鬼をあっさりとどうにかしている事になる。そのような力を持った相手に、人間が歯向かってどうにかなるものだろうか。
「…椛、博麗の巫女はどうしてる?」
それが…と椛は言った。
「…博麗の巫女も、居なくなったみたいです」


******


幻想殺し<ペインキラー>。
全ての幻想を、幻想でなくす物。全ての幻想を幻想郷の概念結界の外へと弾き出す術式。
東風谷早苗が言うには、これこそがあちらの世界を救う術式らしい。
あちらに満ちた虚無を埋める為に、あちらに溢れかえる絶望を消し去る為に、こちらの幻想をあちらへと押しやるのだと言う。
彼女を打倒し得る特性を持っていたかも知れない唯一の幻想、紅美鈴は最初に消し去られた。レミィやフランの気配も消えた。
咲夜は人間だからまだこちらに居るだろうけれど、そのまま放っておくはずが無い。殺されたか、運がよければあの巫女が目的を果たすまでの間、監禁されるだけで済むだろう。
私はまだ、かろうじて、こちらに留まっている。とは言っても、間もなく消え去る事に変わりは無い。既に私は、魔術越しにあの右手に触れられてしまった。
そう、恐るべきはその効果範囲である。魔術で対抗しようとしてはいけない。弾幕で対抗しようとしてはいけない。能力で対抗しようとしてはいけない。あの巫女が持つ幻想殺しは、触れた術式から逆算して本体の幻想をも消し去る。
本来の幻想殺しとは違う、在り得べからざる術。恐らくは、何らかの外界の法則を介して強化…いや、歪曲されているのだろう。
そう言えば彼女の目の下には微かに隈が出来ていた。となると、この図書館にはないけれど、あの本だろうとは見当がつく。
…つまりは、その後ろに立っている者<ザ・スタンド>の正体も。
誰かにこの情報を伝えなければならない。だけど、私に残された力は極々僅か、幻想殺しに対抗している演算領域の他は、思考を走らせるのでやっとだ。
恐らくは、一度何かを伝えたら、私も留まる事は出来なくなるだろう。
だが、伝えなければ誰もあの右手に対抗出来ない。予備知識なしにあの右手に打ち勝つ事は不可能だ。
演算領域を少しだけ減らして-虚無が這い上がる速さが増した-気配を探る。すぐ近くには誰も…
いや、
式が一人、息を潜めている。歴史からの探知にも、霊力の探知にも引っかからなかったが、生体の探知術式-河童と共同で開発した機械を介する術式だ-に引っかかった。
歴史から彼女が消えている、この意味は大きい。これはきっと他の誰かもこの事態に気付いていると言う事だから。
私は外へと飛び出した、もう体はほとんどかすれて、それらが持つ霊的な意味が光となってほどけて来ている。
伝えるだけで精一杯だと私は思っていた。けれど、私は振り向いてしまう。
-紅魔館。私が今まで過ごしてきた場所。
本当に楽しかった。夢のような日々だった。レミィが居て、フランが居て、咲夜が居て、美鈴が居て、大勢のメイドが居て、時々大騒動が起きて…
…咲夜の生体反応を探りたい気持ちに駆られたけれど、私はその気持ちを押し込めた。
生きていたならば、これから式に伝える情報によって助け出されるだけだし、その生体反応を探る為に使う領域の所為で情報を伝えきれないような事があれば、元も子も無い。
死んでいたならば…情報を誰かに伝える理由が一つ減る。大きな理由が、一つ減る。つまりはモチベーションを下げるだけだ。
どちらにしろマイナスにしか働かない。だから、押し込める。
そして私は式の目の前になんとか辿り着き、東風谷早苗と彼女の持つ術式について伝えた。いつまで留まっていられるか分からないから、最初に概要を、後から詳細と補足を。
式は私の説明を聞き終えると、何かを言って-既に私は空気の振動を介したコミュニケーション手段を理解出来なくなっていたが、恐らくは礼の言葉だろう-飛び立っていった。
ああ、けれどまだ、もう少しだけ、どうやら留まれるようだ。
何かを考えようか、考えるだけならば、まだしばらく留まれそうだ。それとも…
すぐに消え去るのを覚悟の上で、私は生体反応を感知する術式を走らせる。
…ああ…よか…った…。


******


「…そう」
藍からの報告を受けた紫は、静かにそれを受け止めた。
「ご苦労様、藍。…感謝しないといけないわね、あの引き篭もりに」
犯人は東風谷早苗、術式は幻想殺し。伝えられた詳細な情報を元に、紫は決断を下す。
「藍、幻想郷の住人にこの事を広めなさい。それから、それが終わったら…」
紫は、自身の左腕で荒れ狂う術式を思う。
放たれた魔術と、放った当人との関係は、大抵は極々希薄な物である。言うなれば拳銃と弾丸のような関係だ。放たれた弾丸をどうこうしたとして、拳銃が影響を受ける事は無い。
だがあの右手は、それを成す。
ならば、より深い結びつきにある式と術者ならばどうだろう。術者が消えた時に、幻想殺しが式へと向かわないと、誰が言えよう。
「…それが終わったら、貴女は私の式ではなくなるわ。何の関係もない、ただの妖狐となる。良いわね?」
だから、紫はそう告げた。まだ式である藍に、その命令を拒否する事は出来ない。
「それから」
と、紫は藍に、最後の命令を下す。
「式が解けたら…橙と二人で逃げなさい。貴女も私も、そして勿論橙も、今のあの巫女相手じゃどうにもならないから」
「…分かりました」
そう返事をして、藍は飛び上がった。
けれど紫は気付かない。自分が慧音と全く同じ事をしていたのを。
ならば、その言葉には同じ程度の効果しか無い事にも。


******


ちゅいーん。
いつもと変わらず、工房が騒音を撒き散らしていた。
変わらず響く音に、椛は嬉しくて泣きそうになりながら工房へと入る。
「よかった…まだ無事だったん…です…ね…?」
けれど、いつもと変わらなかったのは音だけだった。
にとりは、真剣な表情で、手元のノートを捲りながら、ドリルがほとんど取り外された鋼の巨体に向かっていた。
「…それ、あのお爺さんの物ですよね」
「…うん。あの人の助けが要りそうだから」
話は、もうにとりにも伝わっていたのか。滅多な事では、にとりはあの老人の手記に頼ったりしない事を、椛は知っている。
「でも、機械なんかで戦えるんですか?」
「これは幻想じゃないからね」
これは幻想ではない。あちら側から持ち込まれた、あちら側の物だ。
だから、幻想殺しにもきっと対抗出来る。そうにとりは考えている。
「…あんたたちは今晩行くんだって?」
山に住む天狗は今晩全員で巫女を倒しにかかると、つい先ほど文が来て伝えていった事を思い出す。
『明日まで預かっててください、壊れたら大変ですから』
そんな事を言って置いていったカメラが、すぐ近くの戸棚に収まっている。
「ええ、私も行きますよ。皆でかかればきっと勝てますから」
一人一人が強大な力を持つ天狗たちが、大勢でかかれば…
勝てるかも知れない、とにとりも思う。
けれど、
勝てないかも知れないから、文はカメラを置いていったのだろう。あの人が作ったカメラだから、せめてにとりの手元に残るように、と。
結局は、文も影の彼や百足百手と変わらない。お人よしの大馬鹿妖怪だ。
いや、あの人の周りに居た妖怪はきっと皆そうなのだろう、そうにとりは思う。
ふと思い出して、この前撮った、あの子と文の二人が写った写真を取り出す。現像をしたきり、忘れていたのだ。
お守り代わりになるかも知れないと、そう考えて、にとりは戸棚から写真を取り出した。
「ね、椛。あの鴉にこれ渡しといてくれる?」
「!?文さんが…子供に懐かれてる…!?」
そこまで驚くほどの事か、と思うが、よくよく考えると驚くほどの事だった。
あの子供はすぐに周りの存在を友達に変えてしまう。いつの間にか自分も友達にされていた事をにとりは思い出した。
この前見た時は百足百手が乗り物にされていた。その前は影の彼が昼寝の枕にされていた。異形をもすんなり受け入れる姿は、何処かあの老人にも似ている。
…今度は皆で写真を撮ろう、とにとりは思った。その時には、椛も入れて。
「…確かに届けますよ。それじゃあ、帰りますね」
「うん、それじゃ」
いつものように二人は別れた。
いつものように、明日になってもまた会えると、そう信じて。


******


吸血鬼たちは消え、
白沢はもう二度と歴史を語る事なく、
不死人はただの塵に帰り、
天狗達は、一葉の写真を残し、去った。
…写真。早苗はその写真をじっと見つめている。
子供と天狗が-子供は満面の笑顔で、天狗は少し困ったような笑顔で-幸せそうに写っていた。
心が軋みを上げた気がした。だけど、これは仕方ないことなのだと、早苗は自分に言い聞かせる。
あと幾つの幻想を葬れば、自分は楽になれるのだろうか。写真を静かに、ちゃぶ台の上に置いて、早苗は考える。
大きな勢力は一つ。竹林に存在する兎と、それを率いる者たちだ。
小さいが強大な勢力は二つ。冥界に住まう幽霊と半幽霊、それから八雲の一味。
それさえ終われば、あとはもう取るに足りない妖怪ばかりだ。敵となりそうな人間たちは監禁しているが、情報が漏れた今となっては、外に放っても害はないかも知れない。
彼女達の能力は幻想殺しで失われたのだから。
…気配を殺さずに接近してくる妖怪の気が二つ。
早苗は、再び-何度でも-幻想を殺すために、静かに飛び上がった。


******


「橙、お前はついてこなくてもいいんだぞ」
「…藍様、紫様と同じ事してますよ」
そう言って、化け猫は笑う。だから自分も、藍様と同じ事をするのだと。
「…そうか、そうだな」
あの巫女を倒して、主を守る。既に式による繋がりは断たれ、ならば自分が敗れようと主に影響が及ぶ事はない。
式による繋がりなどなくとも、彼女達には確固たる繋がりがある。…彼女達の主は自身を過小評価して、いつまで経っても信じていないようだけれど。
確かな絆を胸に抱いて、二人は夜空を飛んだ。
幻想殺しを持つ、不眠の巫女へ向かって。


******


「…藍、橙」
二人の気配が、消えた。
なんて馬鹿な真似を…いや、
「…馬鹿なのは私ね、本当に」
式を解いた時点で、逃げろという命令は功を為さなくなっていたのだ。
けれどまさか、式が解かれたと言うのに、二人が私の為に戦うなどとは思わなかった。
「…ありがとう、二人とも」
左腕は、肩から先がほとんど消滅している。まだ三十六時間程度しか経っていないのに、左腕が丸ごと持っていかれたと言うことは…
「…私もすぐそっちに行くかも知れないけれど」
けれど、出来るだけの事はしようと、私は決めた。
術式が真の意味での完成を迎える前に、早苗の意識を落としさえすれば、失われた幻想は戻ってくる筈だと、パチュリー・ノーレッジは言った。
真の意味での完成。術式《インソムニア》と《幻想殺し》の融合の極致。
早苗が《インソムニア》によって《ロングタイマー》へと昇格し、同時に《幻想殺し》によって自滅する、その時。その時こそ幻想は二度と幻想へと帰らず、現実には御伽噺が蘇り、故に御伽噺は荒廃する。
だが恐らくは一週間程度かかるだろう、と見当を付ける。
…いや、
あの巫女は、本来人間が受けるべき、たった一つの祝福と呪い<abraxasの言葉>の他に、数多くの祝福を受けている。
もしかしたら明日にも完成してしまうかも知れない。彼女についての情報を解析出来れば、正確な時期も把握出来るのだが、あの右手がある以上は、マトリクス越しだとしても彼女に近づく事は出来ない。
そう考えている内に、白玉楼へと辿り着いた。
どう言葉をかければ良いのか、私には分からない。戦ってくれと言うべきか、逃げてくれと言うべきか。
彼女達に任せるべきだ、とすぐに結論を出した。
…どの道、自分が何をどう言おうと結果は変わらないだろうと、溜息を吐きながら。


******


『…私が望む限り、一緒に居てくれるのではなかったのかしら?』
深く、息を吸う。迷いが消えてくれる事を祈って。
『申し訳ありません、幽々子様…私が私である為には、どうしても彼女を止めなければならないのです』
空気を吐き出すと共に、五体に力が満ちる。だと言うのに、何故かその力は空虚な物に感じられて仕方がない。
『そうしなければ、私は魂魄妖夢ではない、他の誰かになってしまう』
…幽々子様は、最後まで許しの言葉をくれなかった。
『貴女との約束を守る為に、行かなければならないのです』
沈黙する幽々子様を置いて、飛び出してきてしまった事が、どうやっても頭から振り払えない。
近づくほどに分かる。あれは、彼女の右手は、我々、幻想生物にとっては抗う事が出来ない何かだ。
勝てるだろうか、と自問する。
分からない、と自答する。
かつてのレースの時のような、あの活力がどうしても湧いてこない。
主の命に背いているからだろうか。いや、違う。それも一因ではあるけれど、それだけではない。
では、何故だ。
…つまるところ、私は彼女を止めなければならないのにも関わらず、私が彼女を打ち倒すべき者だとは感じられないのだ。
彼女は私と同じ土俵に上がってくる事は無いだろう。ただあの右手の暴虐に頼って、私を討ち滅ぼそうと考えるだろう。
私はそんな戦いは酷く退屈な物だと感じてしまっている。きっと、それが理由だ。
互いが目標を異とし、その手段を異とするこの戦いは、駆け引きなど無く、互いの暴虐に頼った一撃の下に制されるだろう。どちらが勝利するにせよ。
…心を空とし、私は私である為に、彼女へと戦いを挑む。
抜刀。
接近。
相手も気付いている。当然だ。私は気配を殺さなかった。そうでなければただの闇討ちだ。
右手。彼女の右手が前に差し出される。
笑止。我が動き、我が剣、我が術は、魔術にあらず。ならばあの右手を恐れる道理など無い。
左手。結界。
…無駄だ。私の全力の一撃を、たかが片手で止めようとは…
それがどれ程愚かな試みか、思い知らせてやろう。
勝機を掴んだと、私は確信する。明らかに彼女は私の力を侮っている。
長刀で結界を破壊し、短刀で一撃、右手も左手もその役を果たせぬまま、彼女は果てる。その筈だ。
だが。
その直前、私が長刀の一撃を叩き込もうとした瞬間。
-彼女は、東風谷早苗は、死んだ。
(…幽々子様!?)
その時、機が、揺れる。先ほどまで確かにあったと、そう感じていた勝機が、あやふやな物へと変化する。
しかし、それは幽々子様の介入の所為ではない。東風谷早苗が『何か』を行い、私がその気配を感じ取った結果に過ぎない。
死が訪れたのは一瞬だった。その一瞬を逃さず、私は未だ彼女の死に追いついていかない結界を、長刀で斬り…
長刀で、斬った、筈だ。手ごたえはあった。私の一撃は確かに結界を破壊した筈だ。なのに、
-何故。
結界は、未だに彼女を守っているのか。
短刀の一撃。確かな手ごたえと共に、結界を破壊し、彼女の胸に刀が突き刺さった感触すらある。
なのに、私の目の前には、結界に守られた彼女の体と、力を失した二振りの刀しか無い。
死は、訪れた時と同様に突然消え去り、彼女は息を吹き返した。幽々子様の術式による死と右手とが接触し、右手が打ち勝った結果だろう。
蘇った彼女の目が、私を捉える。左手が動き、私の動きを拘束し、
-右手が…
「…ッ!」
反射的に左手から逃れる為に結界を張って、私は飛びのいた。次に、私は自分の失策に気付く。
結界は破れて、私の体からは力がどんどん失われていく。
右手が、結界に微かに触れたのだ。だが、どの道結界を張らなければ直接触れられていただろう。
…ならば、失策ではなかったのかも知れない。少なくとも、まだ意識が保てているのだから。
彼女に背を向け、私は歩き始める。私は…いや、
私『達』は、敗北したのだ。追撃はない。彼女も、最早私達が脅威ではなくなった事を理解しているのだろう。
「…妖…夢…無事…?」
幽々子様の体を構成する霊子が、さらさらと崩れていた。それでも、幽々子様は私にそう尋ねた。
「…私は、無事です。幽々子様のお陰で、しかと、あの巫女を討ち果たしました」
「そ…う…よか…った…」
…そうだ、私は彼女を打ち倒したのだ。せめて、幽々子様が消え去るまでは、そう振舞わねばならない。
だが、私は自分を騙しきれるほど器用ではなかった。
涙が、堪えきれない。
「…きっと…すぐに…紫様が」
彼女を打ち倒せば、紫様の手によって失われた幻想は戻ってくる。だから大丈夫なのだと、私は崩れゆく主に嘘をつこうとした。
「そう…ね…」
幽々子様は、まだ形を保っている半身を動かし、私の頬へと右手を伸ばした。
「今までありがとう、妖夢。…優しい子」
私の主が、揺らがぬ言葉で確かにそう告げる。
気が付くと、私の頬を撫でているのは、夜風と、あふれ出る涙だけになっていた。
…けれど、そうしていられるのも僅かな間だけだ。
「いいえ、私はこれからもずっと貴女にお仕え致します…すぐに、すぐにお傍に参ります」
私の体を構成する霊子も、崩壊を始めた。半人半霊は、どうやら確かに幻想の存在らしい。つまり、私も幽々子様と同じ場所に行けると言う事だ。
私はそれを、少しだけ救われたような気持ちで、受け入れた。


******


私は、ほぼ理想の形へと仕上がった《それ》の前でヘルメットを脱いで、一つ息を吐いた。
-椛も、文も、敗れた。今日になっても誰も来ないと言う事は、そういう事なのだろう。
いや、もしかしたら、夜通し宴会でもしていて、午後の遅く、今頃になってようやく起き出して来て、ドアをノックしてくれるかも知れない。
…そうだったらどれ程良い事か。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
一瞬、私は、もしや今の想像が的中し、文も椛も無事だったのではないかと思いそうになった。
だが、あのノックの仕方は、二人の物ではない。私はすぐに頭から今の考えを振り払おうと努力した。
…訪れたのは八雲紫だった。左肩から左胸にかけて、虚無の侵食が進んでいる。彼女ももう長くはないのだろう。
「…この辺で無事なのは、もう貴女と私だけよ」
そう言って、紫は椅子に崩れ落ちるようにして座った。少しでも長くとどまろうと、ちょっとした体の挙動すら節約し、幻想殺しへと対抗する領域に回しているのか。
「三途の河の方は無事、多分手を出さないのでしょう。あの幻想まで現実にしてしまうと節理が乱れるわ。竹林のお姫様と薬師は静観の構えだけれど、兎たちは今夜行くらしいわね。あの両手を前にしたら望みは薄いでしょうけれど」
-両手。
紫は自らの目で早苗の左手の術式を見て、分析を済ませて来たと言う。右手と同様の規格外が、左手にも…正確には、左手と繋がった外部に備わっていると、教えて回っているらしい。
「あれは《予言》と決死結界の合わせ技ね」
と言われても私には何の事だか分からない。
「…《予言》?」
「神造機構の一つ。短期間の未来が読めるの。そして決死結界、あれもただの物じゃないわ。因果が無茶苦茶に壊されてた」
あんな物を持ってたんじゃ、今まで誰も勝てなかったのも当然ね、と紫は言った。
「だって神様が使うレベルの防御ですもの。都合の悪い未来『だけ』を消し飛ばす防御。当然、消費は激しいから、人間の身で連発は出来ないでしょう」
「…でも、今のあの人には右手がある」
「その通り」
都合の悪い未来は左手で消し飛ばし、
残る幻想は全て右手で消し飛ばす。
幻想生物には打ち崩す手段がないかに思える戦法。
「相手がどう打ってくるかについては悩む必要はない、考える必要があるのは自分の手筋のみ」
…何処かで聞いた話ね。と、紫は薄く笑った。
「…こんな有様だけど、あの子が死ねば、すぐに幻想を元通りに出来るわ。幽々子が…一瞬だけあの子を殺してくれたお陰で、それを確認出来たの」
意識を失わせるだけでも構わないけれど、どちらにするかは貴女に任せますわ。そう言って紫は立ち上がる。
「…一応、三途の河の方にも伝えないとね。健闘を祈るわ」
紫が静かにドアを開けて飛び立つ。
私は、明日に備えて眠る事にした。今までずっと目の前の機体にかかりっきりで一睡もしていなかったからだ。
兎たちが早苗を倒して、明日には全てが元通りになっている事を願って、私は眠りに落ちた。
…けれどその日、幻想郷からは兎と…月人が、消えた。


******


早苗は、拭えぬ頭痛や、理由すらない苛立ちの中、なんとか自制心を保とうと努力していた。
今の所、その努力は成功している。早苗は、まだ早苗として生きている。けれど術式の完成まではどうかと問われれば、分からないと答えるだろう。
日の光が差し込んでくる。夜明けだ。
眠らなくなってから何度目の朝だろうか、この術式を開始してからそれほど経っていない筈なのに、早苗には正確な日数はわからなくなっていた。
完成に向けて増大する《インソムニア》の演算領域が、日常的な思考にも影響を及ぼし始めたのだ。
どうでも良い事だ、と早苗は考えるのを止めた。
消し去るべき幻想は、あと僅か。八雲紫には右手が届いている。月人は、何故か抵抗しなかった。
ならば一人だ。早苗は昨日もそれを考えた事を忘れて、今日もまた、その一人の名前を手繰り寄せようとする。
…河城にとり。河童達の襲来の時には彼女は居なかった。逃げたのだろうか。
いや、
まだ、彼女の工房に気配はある。逃げていないならば、その内来るだろう。術式が完成するまでに来ないようならば、こちらから出向けば良いだけだ。
どんな策を講じようと、幻想生物である彼女には幻想殺しに打ち勝つ術はない。
早苗はそう考えて、ただ待った。


******


「あーよく寝たっと」
二十時間ほどぶっ続けで眠り、すっかり疲れを癒したにとりが起き上がる。
「さてと、それじゃあ朝…昼?ご飯食べたら軽く昼寝して…」
いや、まだ寝るつもりだった。
「…そうしたら、ぼちぼち行こうかね」
にとりが目をやる先には、写真があった。《彼》がまだ生きていた頃、文や影の彼や百足百手と一緒に撮った写真だ。
…今はもう、誰も居ない。
「…私は」
けれどにとりは、怒りに駆られて突撃するような事はしない。
「…子供を笑顔にするのが、仕事だからね。だったら、憎悪で身を焼いたりしてちゃいけないのさ。でしょ?」
写真の中の老人が、微笑んでくれたような気がした。


******


そして私は、彼女の前へと降り立った。
やれるだけの事はやって、体調も良好、心身共に異常なし。
あとは、やる事をやるだけ。私は戦いへと身を投じる。
「貴女で…最後ですね。あの人にはもう触れてますから」
「ねえ、一ついいかな?」
どうして、こんな事を始めたんだい?
そう私は訊ねた。その理由を本人の口から聞きたかったから。
「…あちら側の世界の事を知っていますか?」
あちら側。私の師匠がずっと昔に生きていた世界。そのくらいしか、私は知らない。
「幻想を失った世界。御伽噺が荒廃し、無機質な鉄が支配する世界。虚無が蔓延る残酷な世界。それがあちらです」
だから、と彼女は続ける。
「…幻想を取り戻して、御伽噺を《復活》させて、そうしてあちらの世界から絶望を追い出すんです。そうすればきっと、多くの人が救われる」
ああ、と私は納得する。
彼女の思想にではない。戦い方に、だ。
紫の話によれば、彼女は全ての幻想を右手で葬ってきたと言う。脆弱な地上の兎たちなどは、左手の攻撃でまとめて薙ぎ払った方が遥かに楽だっただろうに、それでもだ。
強い決意と能力がなければ、叶わぬ道だっただろう。
けれど。
「…違うよ。そんなやり方じゃ、きっと誰も救われない」
私は知っている。本当の《ペインキラー》と言うべきものを。
「やってみなければ分からない事です」
だけど彼女は、言葉で何を言っても納得しないだろう。
幻想殺しこそが《ペインキラー》だと信じて、人を痛みから、絶望から救う物だと信じて、そうして彼女はずっと戦ってきたのだから。
…なら、証明するだけだ。
本当の、本物の《ペインキラー》は、そんなものじゃないって事を。


******


【Right hand from behind】


「…私は世界を救います。この世界から全ての幻想を奪いつくしてでも」
早苗の右手が動く。幻想殺し<ペインキラー>。全ての幻想を《復活》させる右手に対して、にとりは…
「なるほど、確かに幻想<我々>は貴女に何もする事が出来ないでしょうね」
幻想殺し。触れた幻想<モノ>を幻想郷から人間の世界へと復活させる右手。
例外は無い。にとりよりも遥かに強大な力を持った存在でさえ、幻想殺しの前には無力。紫も、月人も、神様でさえも、対抗出来ない右腕。
けれど、けれど。
「けれど、どうやら」
にとりが右腕を上げると、それは空からやってきた。
「鋼の彼は、幻想ではない」
それは鋼で出来た巨大な人型の機械であった。
蒸気を噴出して着地したそれの胴体が開き、中ににとりが乗り込むと、それの…
いや。
『彼』の右目に光が宿る。
鋼鉄の猛威<ペインキラー>。にとりが開発した蒸気機関式奇械人形<スチーム・マトン>。
体長5m。総重量18t。黒色クロムで覆われた鋼鉄の装甲には、しかし一切の呪術的な意味付けは為されていない。
無駄だと思ったからだ。この幻想郷に、鉄も崩せぬ程度の能力しか持たない者などあまりいない。多少呪術的な補強をしてもそれは変わらない。
ならば防備に力を裂くよりも…
鋼の右手が動く。右目が赤く光る。
幻想に対抗する現実。現実と言う名の幻想<あちら側>。《鋼鉄技師》の悪夢の形。鋼鉄の猛威に命が吹き込まれる。
「行こう、ペインキラー」
肩の上部が開き、蒸気機関式追尾ミサイル<スチーム・テラー>が飛び出す。推進装置、姿勢制御、起爆装置、爆薬、その他すべての部品が幻想ではない。
《彼》が遺した物は、今にとりの胸に宿る想いは、決して幻想などではない。
-幻想ではない。故に、早苗の右手は届かない。
「くっ…!」
早苗の左手が動く。旧き印<エルダー・サイン>によく似た五芒が描かれる。
顕現した障壁の前に、スチーム・テラーが着弾。一つ、二つ、三つが爆散したところで、残りの三つはパターンを変える。
早苗の死角を選んでスチーム・テラーが位置取りを変える。早苗はすぐさま流れが変わった事を認識し、飛翔した。
三つ並んだミサイルが、早苗の真後ろに付く。すぐさま振り向き、左手からの攻撃で迎撃。一つ、二つ、三つ。
風の匂いが変わった事に、早苗は気付いた。微かな湿り気と熱を帯びた排蒸気。高速駆動用圧縮噴射機構<スチーム・ガスト>特有の。
巨体に似合わぬ機動性能を発揮した鋼鉄の猛威が早苗に迫る。
鋼鉄の左腕が伸びる。超浪漫型回転式刺突兵器<ドリル・スペシャル>。
これも矢張り右手では止められない。そう判断した早苗は左手で障壁を展開。
浪漫の左手と、奇跡の左手が激突する。拮抗・拮抗・拮抗。
ドリルが砕け散るのと、障壁が突き破られたのとは同時だった。障壁は打ち破られたものの、早苗の左腕は健在であり、すぐに次の攻撃を繰り出せば勝利は目の前だと思われた。
だが…
ぞわり、と早苗の背筋を悪寒が襲った。全霊を賭した突撃の直後、左手を砕かれ、隙だらけの筈の鋼の巨体。
早苗が左手から攻撃を繰り出し、胸部の入り口を破壊し、右手を突き入れればそれで勝てる、その筈なのに。
-危険度・甲ノ乙。
早苗は全力で後ろへ退いた。短時間ならば、完全なる未来予知<ボトム・オブ・パンドラ>にも等しい精度の第六感機構《予言》は、それでも危機を伝えてくる。
-《予言》が伝えた危機…それは襲い来る鋼の右手であった。
大砲を放ったような音が響き渡る。だがそれは、鋼の彼の内部で発生した駆動音に過ぎなかった。鋼の巨体は、早苗との間合いを詰め、連続して右手の一撃を放つ。
完全な奇襲。慮外の一撃。全装置強制初期化による攻撃継続システム<ブーストキャンセル>。
鋼の間接が軋みを上げる。常軌を逸した駆動に悲鳴を上げる。
放たれた鋼の右手は、間一髪の所で空を切った。だがそれは早苗の回避行動が奏功したからではない。
操縦者であるにとりが、ブーストキャンセルに慣れていなかった為である。もしも正確に操作できていたならば、早苗は鋼の右手をかわすことは出来なかっただろう。
そう早苗は理解した。恐怖が背筋を走る。体が硬直する。
スチーム・ガストが噴出し、にとりが離脱する。
-好機を、逃した。
二人がそれぞれ同時にそう思う。
今の一瞬、恐怖で早苗の体が硬直したその刹那。
その瞬間にこそ、早苗は鋼鉄の猛威に攻撃を差し込むべきだった。
そしてその瞬間にこそ、にとりはもう一度ブーストキャンセルを用い、早苗に攻撃を差し込むべきだった。にとりがそうしなかったのは、ブーストキャンセルには回数制限が存在するからである。
強制的に全ての部位を-当然、稼動している部位も含めて-初期化する行為は、機体に大きな負担をかける。メンテナンスを挟まずに使える限度は、三回。
それを超えると、主要な部品が損傷し、活動に支障が出てしまう。
残りは二回。左手は破壊されて、スチーム・テラーは既に弾切れ。使えるのは鋼の右手のみ。この状況で早苗を止めなければならない。
現在の装備だけで、《奇跡の左手》と《幻想殺し》と《予言》を乗り越えなくてはならない。紅美鈴が真っ先に消されたのは、それを生身で成し得る特性を持った、唯一の幻想生物だったからだろう。
…消えていった皆の事を思う。何も知らず消えていった者達が居た。自らの誇りの為に抗った者達がいた。全てを受け入れた、親馬鹿で大甘な神様達がいた。
その誰もを、にとりは嫌いではなかった。
東風谷早苗。奇跡の巫女。全てに祝福された彼女。
故に、『今まで一度も救われた事のない』、哀れな存在。
だから彼女は気づかない。だから彼女は理解出来ない。
《幻想殺し》も、《鋼鉄の猛威》も、《御伽噺》も、《現実》も、
そんな物は、誰も救えやしない事に。そんな物は、本物の《ペインキラー》なんかじゃない事に。
左手から放たれる攻撃を、にとりは鋼の巨体を駆って避け続ける。
本当のペインキラーが確かにある事を、証明する為に。


******


【Dancer across the deadline】


-最後の賭けだ。最早、小技で有利をもぎ取り、確たる勝利を掴める局面は過ぎた。
左手から放たれる弾幕を回避しながら、にとりは決断する。
「対怪異撃滅用昇華プログラム《ポルシオン》起動」
鋼の奇械の両目が紅く輝く。右腕に組み込まれた機関が蒸気を噴出させつつ駆動する。
この機体に唯一組み込まれた魔術機関が、動き出す。
「キーコード入力『僕は、君にこう言おう』」
《予言》が早苗に危機を告げる。危険度・甲甲ノ壱。《予言》は機構と左手との連結を提言、早苗はこれを承認した。
「術式準備完了。吶喊術式、背信【Faster than a bullet】発動」
-激突。
奇跡の左手と、鋼の右手が火花を散らしている。接触から数瞬の後に、早苗はようやくそれを認識する事が出来た。《予言》との連携による無意無想の反応が、超高速で放たれた攻撃に対する防御を可能としたのだ。
吶喊術式【Faster than a bullet】。スチーム・ガスト、ブーストキャンセル、スチーム・ガスト、ブーストキャンセル、スチーム・ガスト。
残る全てを注ぎ込んだ神速の一撃。連続して三度打ち放たれたスチーム・ガストは、鋼の巨体をして【ブレイジングスター】や【幻想風靡】と同等の加速を可能とする。
だが、まだだ。
-危険度・甲甲甲。《予言》は結界強度を通常クラスから最高クラスまで引き上げる事を提言。
《予言》が早苗に告げる。常軌を逸したこの一撃ですら生温いほどの【何か】が迫り来る事を。
-早苗はこれを受諾、結界が対概念攻撃拒絶用因果破壊クラス<決死結界>まで引き上げられた。
決死結界。結界が破壊される程度の攻撃が放たれたとしても、その結果だけを未来に置き去りにする事で、この時間軸の上では『結界は破れなかった』と言う事実を作り出す、奇跡の一つ。
幽々子と妖夢が破れなかった、神の領域に属する結界。
持続は僅かだが、その間にこの結界を破れる攻撃は存在しない。《予言》との連携により、死んでいた間の攻撃すら否定してのける、神様からの贈り物<ギフト>の秘法。
けれど。
ぱきり。と結界がひび割れる音がした。
奇跡の左手が、決死結界が、ただの鋼の塊に打ち破られようとしている。起こり得る筈のない事態が起ころうとしている。
「【光の如く、引き裂け】」
左手が、打ち破られた。結界は瞬時に、完膚なきまでに破壊され、早苗の左手は赫奕たる鋼の右手に触れられた瞬間に全てのコントロールを失った。
悪寒が、早苗の背筋を走る。
-危険度・甲甲甲。《予言》は、《右手》との連結を提言。
-何かが、来る。
-早苗はこれを承認。そうしなければ敗北すると、《予言》だけでなく早苗自身の直感が告げていたからだ。
右手が動く、早苗の意思とは無関係に。その瞬間に、ギフトである《予言》機構は、幻想殺しとの接続により《復活》し、幻想郷から失われた。
胸部の入り口が開き、にとりが飛び出した。これを《予言》は告げていたのか。最後の賭け、読み負ければ何もかもを失う、けれど絶好の好機。
しかし早苗には《予言》が味方していた。早苗の右腕、幻想殺しがにとりの左腕を捕らえる。
幻想殺し。全ての幻想を《復活》させる右腕。直接触れられれば、神様ですら抗えないその右腕。
…だが。
-何故。
左腕を掴まれても、にとりは生きている。今はまだ。
-何故、と早苗は目の前の光景に問いかける。
そしてすぐに早苗は理解した。右腕から伝わるその感触によって。
布越しに伝わる、冷たく硬質な感触。
-半機、半妖。
にとりの左腕は、機械のそれに入れ替わっていた。機械鎧<オートメイル>。《彼》が遺した物の一つ。
「…あんたが幻想殺し<そんなもの>で誰かを救えると思ってるなら」
にとりの右腕が伸びる。皮膚を模したカバーは剥ぎ取られ、剥き出しになった鉄の掌に、紫電の光が迸っている。
「その幻想殺し<幻想>をブチ殺す!」
にとりの右手が首筋に触れた瞬間、早苗の意識は暗闇へと落ちていった。


******


かつて藤田隆平と名乗った男は、苦々しい表情でその結末を見届けた。
「役立たずめ。…いや、《ショートタイマー》一人でこの世界を追い詰めた事こそが奇跡と言うべきか」
その姿が一変する。中年の日本人男性であった彼の姿が、老齢の白人男性のものへと。
「だが、まあいい。まだ私は此処に居る。此処に立っている。彼奴らにさえ見つからなければ…」
「見つからなければ、何だと言うのかしら」
その声と共に、男の左腕の肩から先が切断された。空間断裂による斬撃。
八雲紫の術式だ、と男は直感した。
「はじめまして、八雲紫。挨拶の前にこれとは、全く酷いものだ」
「はじめまして、お目にかかれて光栄ですわ。カオス・ロングタイマー<邪悪なるR・F>。それはただの《お返し》よ」
紫の左腕は既に復元されている。早苗が意識を失うのと同時に、幻想殺しの術式は《インソムニア》の補助術式から完全に外れ、解き放たれたのだ。
対峙する男は、今も尚左肩から夥しい量の血液が噴き出ているが、それを気に留める様子はない。
「君が此処に居ると言う事は、私は最早此処には居られないのだろう。どの道、君達と直接戦っても勝ち目は無い。手間が省けると言うものだ」
「私は散々手間取ったと言うのに…これは少し怒るべきかしら?全然仕事をしないロウ陣営の方々に」
「中立とは言え、これだけ《オールタイマー》と《ロングタイマー》を抱えている世界で何を言う。私ですら、本当は此処まで上手く事が運ぶとは思っていなかったのだ」
そう言って、男は邪悪な笑みを浮かべた。
「貴方達の事を知れば、ほとんどがロウ陣営につくと思うわよ。面倒だからこの世界から出るような事はしないでしょうけど。…あら、仕事をしないロウ陣営の出来上がり…?」
血が流れ出る程に、男の姿が透けていく。男の存在が希薄になっていく。
紫は、冷ややかな目でそれをただ見つめている。この男は、この程度でどうにかなる存在ではない事を知っているからだ。
「ああ、そうだ。私が《神化》の兆候を見つけたのとほぼ同時に、無貌の一つもどうやらこの世界を見つけたらしい。せいぜい気をつけろ」
「…どういう風の吹き回しかしら?あれと貴方は似たような者だと思っていたけれど」
そう言葉を返しつつ、紫はルーシュチャの方程式の事を思い出していた。あれは紫に邪神を憑依させ、同時に幻想殺しで幻想郷から弾き出す為の式だったのか、と理解する。
「IT<あれ>も、無貌も、私も、それぞれ立場が違うがね。何、良い見世物だったからその礼だ。この私を払い除けたのだから、あの程度の《オールタイマー》にしてやられるなよ?」
「ああそう、そういう事。《獣たるC・K》と無貌の勢力争いと言うわけね。…本当に仕事をしないのねロウ陣営の方々は」
外なる邪悪の来襲については、事前に対策を取れば大丈夫だろう、と紫は即座に結論付けた。
かの図書館には幾つか邪悪を使役する魔道書も存在している。何とかなるだろう。多分。
「それでは私は失礼する。余り長居をして、この世界の《ショートタイマー》に嗅ぎ付けられたら、《ロングタイムビジネス》が一つ増えそうだからな」
そうして、邪悪の根源たる程度の能力、ランドル・フラッグとして知られる男は、哄笑と共に、幻想郷から去った。


******


「あれ、もう用事は終わったの?」
あちこちにガタが着ている鋼鉄の猛威を、なんとか動かしながら自宅へと向かうにとりの前に紫が現れた。
「ええ、ロングタイムビジネス<厄介事>はもう済ませてきたわ」
にとりにはその言葉に含まれた意味は分からないが、言葉に込められた皮肉の感情は読み取る事が出来た。
「ところで、あの結界破りは狙ってやったのかしら?」
-《鋼の右手》と《奇跡の左手》が交錯した時、何が起きたか。
《予言》は起こりうる未来を礎として機能する神造機構であり、ある範囲内の未来に起こる事であれば、危機回避の為の最適解を提示する事が出来る演算機構である。
故に、決死結界と組み合わされば、不意に起こる決定的な死すらも回避する事が出来る。だが。
鋼の右手が纏った赫炎は、《現在》を奪い去り、《過去》を復元する術式であった。
《未来》で奪い去られた《現在》は、《過去》の姿である決死結界へと復元される。その決死結界が、結果を未来に置き去りにしようとした時に、再び決死結界が復元される。
それが何度も繰り返される。するとどうなるか。
にとりの術式は、『記録された過去の復元』と言う単純なものであるのに対し、早苗のものは『未来に起こりうる全ての危機をキャンセルし、キャンセルしたものを通常の時間軸として何事もなかったかのように進行させる』と言う奇跡の術式だ。
ただでさえ、本来ならば人間には扱いきれない術式である。先に早苗の左手がハングアップを引き起こしたのは当然であった。
そして《予言》はこれを『最適化された未来』とする。何故ならば、《予言》は繰り返し『早苗が無事な未来』しか見ていないのだから。
「…まさか。私はただあの人が遺した術に全てを賭けて、乗っかっただけさ。今でもあの時何が起きたのかすら知らないよ」
そもそもあれは、《ポルシオン》に搭載された他の三つの術式と違い、『防御を破りたいが相手を傷つけたくない時』に使用するものだった。その為の過去の復元術式であり、それ以外に用途があるとは、にとりは考えていなかった。
「…本当によく勝てたわね…あ、あと殺さなかったのね。もう意識を取り戻してるわよ、あの子」
そして勿論、にとりは早苗を殺さなかった。それ故に勝利出来たと言い換えても良い。
付け加えて言えば、紫はあんな事を言っていたが、もし紫がにとりの立場だったら矢張り殺さないだろう、と言う確信もある。
「…そっか」
「殺してあげた方がよかったかも知れないのに。その方がきっと、苦しまなくて済むわ」
皮肉の笑みを浮かべながら、紫はにとりを試すようにそう告げる。
…そう、それも《ペインキラー》として考えられているものの一つだ。命の抹消。苦しみの終わり。確かに、苦痛は取り除かれるだろう。
けれど。
「…違うよ。そんなやり方は…」
違う。
にとりは知っている。唯一つだけ、本当の《ペインキラー》と言うべき物を。
だから、偽物の《ペインキラー》で痛みを誤魔化すような事はしない。鋼鉄の猛威でトドメを刺す事も、幻想殺しで虚無を埋め立てるような事も、決してしない。
だからこそ、にとりは早苗に勝利する事が出来た。
「そんなやり方は、本当の《ペインキラー》なんかじゃないのさ」
紫は笑った。恐らく、答えは彼女も知っていて、わざとこうして会話しているのだ。
「そう、それなら本当の《ペインキラー》って何なのかしら?」
本当の《ペインキラー》。人から苦痛を取り除く物。それは…
「それは…」


******


-そして早苗は意識を取り戻した。
思い出す。大切な人たちを、右手で葬り去った事を。多くの幻想を右手で殺してきた事を。
そうして、それだけの犠牲を払ったその右手が、あと一歩と言う所で届かなかった事を。
「…う…ぁ…」
痛い。
痛みが、胸を貫く。左手の骨に入ったヒビや、首筋に負った火傷、そんな物を遥かに超える痛み。
どうしてだろう、と彼女は思う。
どうして、こんなにも胸が痛むのだろうか。全て無くした筈なのに。全て捨てた筈なのに。
全てを捧げてでも、成し遂げようと決めたのに。
空っぽの胸が、ずきずきと痛む。体の傷よりもずっとずっと強く、彼女を責める。
体を縮め、彼女は子供のように泣きじゃくる。
自業自得だ、と彼女は思う。けれど、それでも涙は止まらない。
身勝手な願い、そう理解していても、心の奥深くから、声が漏れ出る。
-誰か…
-私の…
-痛みを…
-止めて…!


******


-右手を伸ばす。
泣いているあの子に向かって。優しく、顔を上げるようにと声をかける。
どうして、と、その唇が声にならない言葉を紡いだ。
私達が此処に居る事が、不思議なのだろうか。それとも、私が右手を差し伸べている事が不思議なのだろうか。
今までずっと一緒に居たと言うのに、後者の理由が分からないなんてことはないと思うけれど。
それでも、この子には分からなかった。だから《幻想殺し》であちらの世界を救えると信じたのだ。
だから、私は右手を伸ばす。今ならばきっと伝わると、そう信じて。
いいんですか、と弱弱しく、だけど確かに空気を震わせて、早苗は言った。
私は何も言わずに、ただ待った。答えは、もう差し出している。あとはこの子次第だから。
そして、早苗は…

******


-右手を伸ばした。
伸ばした右手は、神奈子の右手と重なって…
そうして、早苗はようやく、確かな答えを知る。
本当の、本物の、《ペインキラー》。
「ただいま、早苗」
「おか…えりなさい…神奈子様…諏訪子様…っ!」
抱き寄せられた神奈子の胸で、早苗はただ涙を流し続け、二人の神様は、早苗の頭をただ優しく撫で続けた。


******


本当の、本物の《ペインキラー》。
《幻想殺し》も、《鋼鉄の猛威》も、《御伽噺》も、《現実》も、及びつかない、たった一つの《うつくしいもの》。
それは…
「…それは?」
「…差し伸べられる右手、だよ」
その答えを聞いて、胡散臭い隙間妖怪は、満足気に、笑った。


******
******





本当かー本当に本物のペインキラーかー
本物のペインキラーならこれが出来る筈です
レーザーよりも速く千の太陽よりも輝きながら敵を殲滅ー

太陽の如く、融かせ。

うわーBGMがちょー圧勝フラグー(以上無限霧に覆われた完全循環型都市の方の方言でこんにちはの意味)

最後までお付き合い下さりありがとうございます。
初めての方ははじめまして。そうでない方は鈴蘭畑な自分のSSを再び手にとっていただきありがとうございました。
nitori+第二弾です。第一弾は子供を笑顔にする程度の能力。いやまあ、他のにもタグつけたりしてますが。
今プロットを立ててる三弾目でにとり周りの話は完結させる予定です。あと地味に別系列の作品でもリンクしてたりしてなかったり。

邪悪なるR・Fとか嘘屋とかインデックスとかじゅーだす☆ぷりーすととか趣味全開ですがずっと趣味全開で行こうと思います。あと御坂美琴と御坂妹とミサカは頂きます。
カオスとロウは立ち位置がスティーブン・キング世界とアセリア世界とで逆なんですよね。
あ、勿論ITのまるで画面から出てきた貞子にアルゼンチンバックブリーカー(通称タワーブリッジ)を決めるような終盤のトンデモっぷりは大好きです。

今回のにあわせてこの話の裏面も書きました。多分すぐ上辺りにあると思うのでよろしければそちらもどうぞ。

それでは、また機会があれば次も読んでいただけると嬉しいです。
目玉紳士
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コメント



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3.無評価名前が無い程度の能力削除
ロブ・ハルフォードもまさかのペインキラー。
うーむ……もはや「東方」ではないとだけ言っておきます。
9.無評価名前が無い程度の能力削除
タグの言葉、クロスされてる作品内の用語でなく、作品名を入れたほうがいいんじゃないでしょうか
読んでいて意味がよく分からず、あとがきでようやく、もしかしてクロスオーバー? と気付きましたので ^^;
10.無評価名前が無い程度の能力削除
???
なにとのクロスオーバーなんでしょうか?
幻想殺しとは言いましたが、禁書目録ではないですよね?
あとここまで原作とかけ離れてしまうのもどうかと思います。
11.無評価名前が無い程度の能力削除
なんだ、メタルゴッドか。
12.無評価名前が無い程度の能力削除
とりあえず作品がどうこうや作者としてどうこうの前に、あんたバカだろう。
もうちょっと、なんだ、その脳内俺様王国から外に出てこようぜ。
13.無評価名前が無い程度の能力削除
<<○〇○>><○〇○>
この表現が多すぎて読み辛いことこの上なかった。ライトノベルやら何やらに影響受けすぎ。
あと作品の評価とは全く関係無いけど、後書きでイラッと来た。
14.無評価名前が無い程度の能力削除
コアなネタ、と言われてしまえばそれまでですが本文からあとがきまでちょっと痛々しい……。
表現とかやたら切り替わる場面や、厨二設定モリモリのノベルゲームのシナリオみたいでした。
16.20名前が無い程度の能力削除
クロスはやめなさい
面白かったけどやめなさい
この作品は向いていない
19.無評価名前が無い程度の能力削除
嫌いじゃない、嫌いじゃないが敢えて言おう。

自分のサイトやブログでやれ。
22.無評価名前が無い程度の能力削除
うん、投稿者よ、あんたはもう投稿しないほうがいい