YOUKI Side YOUMU Side
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見遣れば舞い散る花弁のように薄紅に染まった小さな頬。この子 桜が歓迎してくれているかのようだ。胸の高鳴りがやまない。
もまた、道場では見られない顔をここでする。 「お師匠様。いざ今日こそは――ッ!!」
「お師匠様。いざ今日こそは――ッ!!」 だけどそんなうきうきした気持ちじゃダメだ。声に出してはっきり
この老体への、勇ましい宣戦布告。背丈はすでにこちらの胸元ま と自分に――魂魄妖夢と両手に持つ二本の木刀に言い聞かせる。
であるが、心はまだ稚児の愛らしさを多分に残している。あと少し 前回だってそれが悪かったじゃないか。あれからもうだいぶ経つと
歳がいけば、そんな子供らしい一声も聞けなくなってしまうかもし いうのに、あの鋭い一太刀は痛みなど無くても何かひたすらにおそろ
れないのは、知る身としては微かに寂しいものもあった。 しく受け入れがたいものだと今でもはっきり覚えてる。
爛漫の桜の木々の元で、こうして木剣の先を重ね合わせるのは、 そうだ。今再び目の前で木剣を構えるお師匠様は甘えなんて許して
はたして幾度目だったか。 くれようものか。
それは今対峙し、こちらの出方をうかがう少女――妖夢との研鑽 それにイッパツでやられてそれでハイオシマイだなんて。悔しすぎ
の数のみではない。 るじゃない。確かに私はちっちゃかった。あとこんなに綺麗に桜の花
どこか面影があるせいか。それとも、あの頃から変わることのな びらが舞う中に道場での冷静なんて持ってこれる筈もなかった。
い花霞の魔性か。少しばかり記憶を掘り起こせば、かつて同じよう 今考えても、勝てる道理など初めからない。だけど初めて同じよう
にこの場で指南を付けたあの者たちのことを、容易に重ねることが に剣を扱う人と戦えるはずだった。やりたい技だって沢山あった。師
出来た。 匠でありお爺様に出来栄えを褒めてほしかった。
だがそれは、触れ合っていた木刀同士が再び小さな間を作り、互 それが今日こそ叶う。そのためにもっと稽古したんじゃないか――
いの領分を主張するまでの小さな感傷でしかない。 触れ合っていた剣の先同士が離れる。緩やかな別れ、なのにまるで
いざ戦いの場に立ってみれば、稽古とはいえ心中を切り替えるこ 一本の綱が両側から引かれ千切れて行くような粘ついた想像が頭の中
とは容易だ。得物は一振りの木刀だが、己が意を込めれば込めるほ にじわじわと湧き上がってくる。
ど、加工された木独特の冷えびえとした感触は真剣とは異なる沈着 "危ない――"
を与えてくれる。 油断なんてしてなかった。だけどお師匠様のすごく微かな剣の動き
不思議なほどまでに、先ほどまでの自分が他人に思えてならない。 が止んだそのときに、思わずこれじゃダメだと息を殺した。
器械の真の扱いを知った瞬間から幾度も覚えた、褪せることのない 前は動きがなくなった頃合が攻め時だと感じ、切りかかってやられ
感覚に総身が支配されていく。……そう、別人なのだ。今この場で た。そのせいかあのときはまったくどうにも思わなかったのに、今は
は、まさしくこれがあるべき姿。 相手の姿を見るだけで押し潰されそうな感覚がどんどん大きくなる。
我は魂魄妖忌。半生を捧げてもまだこの一刀に飽くことを知らぬ、 魂魄家の剣技は本来二刀流だ。なのにお師匠様が構えるのは木刀一
ただの羅刹。 振り。剣はそれを執る者の魂だと聞いたことがある。ならば今のお師
だがゆめゆめ忘れてはならない。眼前のも、同じ境地に魅入られ 匠様は半分の魂しかないということなのだろう。
し化生だ。まだ幼さの残る女子(めこ)といえど……二刀を操る紛れ 対して私は長さの異なる二つの木刀。お師匠様の木刀を相手取って
もない剣鬼。 いるのはけっこう長めの一本の方で、妖怪が鍛えたと代々伝えられる
互いに切り伏せる利器でもなければ、それを良しとはしていない。 一刀を模したものだ。
この不浄の世、明日喰われるかもしれぬ穢土で、ならばこの立ち回 もう片方――切っ先を視野に入れさせないようにして後ろで機会を
りはぬるく無意味だと断ずる剣客もいるだろう。それを知らぬ身で 窺わせている方も、魂魄家にしか扱えない小刀が元になっている。
はないはずだと、付け加える者もいるやもしれぬ。 普段は重さも鋭さも段違いな本物で稽古している。でもこっちの二
だがここばかりは譲ってはならない。鍛えた鋼の美しさしか知ら つだって、ちっちゃい頃から愛用しているし、お師匠様の言いつけを
ず、勝負を血の紅さでしか語れぬ者は、いずれ自らの分身さえも見 守って握らなかった日はない。
放し、それに喰い殺される。 たとえ木の剣だったとしても、私の思い通りに扱えるはずだ。二つ
剣とは己の意だ。そしてその意を委ねるに足れば、すべてが剣だ。 の剣に宿した魂が溶け合うのが魂魄家の剣術なら、この試合で有利な
元がただの人間より頑丈にできていようとも、こうして修羅を掻い のは間違いなく私のほうだ。
潜ってきた身でも――油断しているなら、それを終わらせるのは木 なんにもなしに考えたって、一つよりも二つのほうが強いに決まっ
刀でも十二分に勤まる。 てる。驕りなんてものも叩き折られてるんだからなおさらだ。
殺意をもって相手に挑み、冷静さを持って最後の一撃を律する。 だけど踏み込めない。
殺しの剣と許しの剣。魂魄家の剣技は、その陰陽の両立により初め 魂が半分なのに、全部揃ってる私よりも断然に上なのがびりびり伝
て完成し、人妖を因果共々斬り、滅する。 わってくる。
意が充足すれば、剣技は木刀に鋼の鋭さを宿すこともできる。そ 熱い、なのにどこか妙に冷たい不思議な感じ。集中してるのに、こ
れはなにも己ばかりではない。これは稽古とは名ばかりの殺し合い の包み込んでくる雰囲気のことだけはきれいにはっきりと頭の片隅で
であり、それよりも遥かに難しい試合だ。気を抜いた時に訪れるの 別の事柄として考えられる。
は、どのような結果にせよ、殺したという事実のみ。 前は容赦なく間に割って入ってきた桜の花びら。今だって互いに構
この彼我の距離。妖夢の一振りは通常の木剣よりも幾分か長くあ えのまま動かないのだ、遠慮はない。でも同じく視野に何度も入って
るが、踏み込みを考慮すればすでに互いの刃の範囲だ。 きたのに……もう大したことには感じない。
もし不用意に前に出ようものなら、あの長木剣が即座にこの手首 なんとなく分かった。この段階までお師匠様との間に落ちてきた幾
を切り伏せる。躱したとしても、控えにはもう一刀。長さはないが、 つかの花びらには、動向を僅かでも遮り伝わってこなくするような、
誘いに乗った獲物を仕留めるには事足りる。 そんな私にとっての危機に繋がるようなものなんてなかったのだ。
妖夢も心得ているようだ。いつぞや出鼻から挫いたのがいたく効 この勝負に制するために見なくてはならないものにしか、目に入ろ
いたのか、今度は眼光鋭く睨め付けている。 うとも今は冷えた思いしか湧かない。
それでいい。辻斬りや乱戦ならいざ知れず、寂々と対峙した相手 そして唯一の熱さは、ずっと全身の肉を下に引くような不快感で歯
の懐に出だしからわざわざ飛び込む必要はない。力量を心得ている 止めをかけている。
ならば尚更だ。 今はまだ飛び出すべきときじゃない――。理由なんて全然分からな
花弁に惑わされた初の立ち合い、そこからの度重なる道場での鍛 いけどそう言われながら透明な手にぐっと押さえつけられている気が
錬――ほぼ全て見てきたつもりだったが、ふと感じればそこにいる する。
のは孫ではなく、一人の剣士。 そうだ。解らないけどこの聞こえない声には変な説得力がある。逆
このまま呼吸の間まで様子見をする算段か。もちろんそんなこと らっちゃダメだ。それに私がダメな瞬間があるんだ、同じ技を使うお
を許すわけがない。この中段が安全に映るなら、危機と欲求を同時 師匠様にもいつか必ずそんな時が来るかもしれない。
に煽り立てるまで。 今は力を貯めるんだ。
緩やかに眦の位置まで刀身を持ち上げる。 "あれは――!?"
天人五衰の形(かた)。脆弱をさらけ出し、だが攻守のあらゆる手 痺れを切らしたのか、お師匠様の木刀がゆるゆると持ち上がって行
を無限に紡ぎだすことのできる姿勢。 く。勝機……いいや、そんな安易なわけない。身構えろ。
切っ先を妖夢に見定めていく。幾度となく道場で目にさせたこの "天人五衰の形(かた)ッ!!"
構えの完成を前に……妖夢は動かない。 よく道場で一人でやってるのを見たことがある。頬骨の近くまで柄
"ほう……" (つか)を寄せ、なのに一瞬足りと剣先を相手から逸らすことはない。
抑えたが、ふと湧いた称賛の念は本物だった。 寝ぼけてたって分かる。いや、気迫に当てられ一発で目が醒める。
知ればこそとはこのことだ。天人五衰は、入り始めた段階ですで あれはこちらの出方で変わる構えだ。――だから、怖い。ああしてじ
に一挙手一投足全てが誘発。紡ぐのが応じ手と決め込んでいる以上、 わじわ整い出してるところが、一番に。
余計な一手を思い起こさせないからだ。 でも穴だってあるはず。ここは我慢だ。ぐっと気付かれないように
ならば攻め込むのはどこか。 お腹に力を入れる。まだ、あとちょっと……
"――必定!!"
型が整ったと見るや否や、堰を切ったように妖夢が刀の圏内に小 ここしかないと思って、小さくだけど一気にお師匠様へ攻撃の届く
さく踏み込んできた。だがそれだけでも、最小限に振りかぶった長 範囲に踏み込む。
木剣がこちらに届く距離だ。 長い方の木刀を振りかぶることだって忘れてない。
深く指南したことはない。譲り受けた感覚なのか、それとも独学 もう後には引けないのなんて分かってる。いちおう長さを生かそう
で辿り着いたか――どちらにせよ、天人五衰の脆さは無限の変化そ とぎりぎりの距離で詰めたつもりだが、きっとそんな安全策足しにも
のものにある。攻めと受け、魂の陰陽が定まらない場面こそ弱点で ならない。
あり、それこそ妖夢が挑んできたこの瞬間だった。 いいかなんてわかんない。でも何が来ようと突き通してやるんだ。
だが二度も取られるわけにはいかない。知ればこそはこちらとて "いける！ いけっ!!"
同じ。たとえ腕の長さと地を踏む力が同じだったとしても、一度敗 狙うは上げられた拳。そしてすぐ隣にある首だ。目に見えない重圧
れた矜持とはいえそう易々と譲りはしない。 が、今はそこに打ち込めと叫んでドンと背を押してくれる。
掲げた腕もろともに首筋を落とそうと狙ってきた妖夢の一撃を、 お師匠様は動かない。成ったか――確信しようとしたまさにそこで
ひるがえした木刀で逸らした。 私の木剣は強風にあおられたように行き先を乱された。
それのみではない。これこそ天人五衰の真骨頂。切っ先で半月を "逸らされた!?"
描き切ったころには、長木剣をはじきつつ、攻勢に転じた一刀が妖 遅れて目にしたのは明らかな防御に転じたお師匠様の構えだった。
夢の胸元を狙いをつける。 さらに続けざまに切っ先がこっちに向いたのが見えた。
繰り出した木刀での突き。その軌道を一陣の疾風が塞いだ。妖夢 来る。何か、なんでもいい何か対策を――
の操るもう一刀である。 木独特の衝突音。それがなんなのか一瞬分からなかったが、気付け
反射的に応じたのか、不自然に曲げた腕と完全な悪手ともいうべ ば私はもう片方の短刀にお師匠様の抜身を乗せ攻撃を防いでいた。
き刀の位置は、妖夢の胸中を投影していると断じても過言ではない どうしてこうなった。これがいわゆる反射的とかいうやつなんだろ
だろう。 うか。でも今はなんだっていい、しのいだことに変わりはない。
妖夢が一閃を紡ぐ速度は、この歳で凡夫の及ぶところではない。 ただ余りに適当すぎた。腕や刀の位置なんて不細工極まりない。安
才も相成って、ますますかつて見たあの鋭さに近づいていく。それ 心はまだ先だ。今や両手の得物に生はないも同然。
でもやはりまだまだ心は幼さを残した童だ。 動きを見せる前にこっちから向こうの一刀を小さく弾き、距離を取
立て直すにも距離だ、と言わんばかりに妖夢が後ろにずり下がる。 るために足にも集中をやる。
なるほどその考えは正しい。死にかけていた妖夢の短木剣に再び息 長い方はまだ重荷。だが短い方はその長さが幸いした。すぐにでも
吹が宿り始める。 使い物になるはず。
甘く見られたものだ。この妖忌、老いようとみすみす好機を逃す そこでやはり来た。軽く弾いただけのお師匠様の剣が、まるで蛇の
ような魂魄の剣技を持ち合わせてはいない。 這うかのように滑らかな軌跡を描いたかと思うと、新たな攻撃の形を
気づけば意識するよりも先に剣が、天人五衰の形の誘うままに薙 示してきた。
ぎを放っていた。……いやすでに剣は我が意。木刀の重さが失せた 横ざまの一撃が容赦なく襲ってくる。
この一振りこそ、真の意識に他ならない。 応じなければ懐まで簡単に入ってくるだろう。止めの一撃を成すの
妖夢の短木剣はすでにこちらに応じれるまでには息を吹き返して が本来の役目だからと、もはや出し渋ってる場合じゃない。まだ持ち
いる。 直しきれてないのは分かってるが短い木剣を奔らせた。
二つの文目が奔り、剣先同士が軽く衝突した。交差し始める刀身 またしても木刀同士が打ち合う音。だが先ほどとは違って音にも必
を、だが浅い内に引き戻す。 要以上の響きはない。くぐもった残響の中で、お師匠様の考えと微か
即座に袈裟懸けの一撃――迷津慈航斬に移ろうと手首にひねりを にだが一致した気がした。だめだ、次だ――と。
加える。まだそこまでだ、柄(つか)を振り上げてなど一切ない。だ 退くやお師匠様の胸元でその手首が構えを改めた。
がその殺法の軌跡に遥かに先んじて、防御に転じた妖夢の短木剣が 袈裟懸けに両断する一撃。迷津慈航斬。それがくるような気がして
突き出された。 先んじて防御に徹し短刀を突き出す。
ならばこの一刀に未練などない。すぐさま次の体捌きに移行し― ある程度他にも対処できそうな姿勢だったのが幸いしたか。お師匠
―そしてまた互いの切っ先が重なり合う。 様の剣はそれ以上技を作るのをやめた。だが所詮ただの一撃が形に成
如意の木刀同士が剣先をからめ、軽い衝突音を鳴らせば、すぐさ らなかっただけ。
ま離し次手を構える。 すぐ次が――いいやそんなんじゃダメ。こっちから次を出すんだ。
数手先を読みあう連環。決して深追いはせず、かつ決定打となる やりたかった技の数々。それにはあえて守勢に回り、だが一転して
綻びを探るべし。たとえ鋼の輝きは持たずとも、木刀が各々紡ぐ文 攻撃手に変わる奇抜なものもいくつかある。
目の、その踊り狂い合う様は銀光眩い若鮎を思わせた。 書き物で知っていたのと、お師匠様の姿を直接この目で見て、自分
見事。この年端でここまでの応酬をこなすとは……まるであの時 でやってみていたのがここで一気に繋がりを持った。
の再現だ。 初見だったら、対処できるこの速さ自体に惑わされてとっくのまに
同時に、嬉々を伴って確信した。たとえなくなろうとも、才とな やられていただろう。だけど騙しが混ざってると分かっていれば、必
って、ここに生き続けているのだと。 要以上に大げさだが私にも応じ手の一つや二つある。
それでもまだあれらと比べれば二分咲きといったところ。三手目 お互いの剣同士をガンガンぶつかり合わせるのが試合とか戦いだと
から先……幼さは、まだ若さの爛々とした躍動を次々と生み出すに 思ってた。だけど今やってるのは剣先が触れ合うことも滅多にない一
は至っていない。 撃必殺前提の構え――なおかつ高速での繰り返しだ。
加えて妖夢の短木剣の応答には、悪手から持ち直し切れずに防御 真一文字の寸断。一撃鏖殺(おうさつ)の刺突に逆切上げの三疾風。
に回ったことへの負担が、ここにきて徐々にぼろを出してきていた。 続けざまに来たそれら全てが目眩ましであり、判じ損ねれば途端に必
妖夢のもう一振りにも、二刀の間に割って入る余地を与えさせる気 殺の構えへと化ける。そしてそれで終わるはずもない。
は鼻からない。 緻密に手を用意するなんて今の私じゃ無理だ。ただ自分の危機感を
剣戟(けんげき)の積み重ねに混じりながら、その都度微々の距離 信じ、滅茶苦茶でもいいから短刀を出来うる限りの速さで動かす。
を刻み詰め寄る。剣の流れに加わっていく新たなうねり。 剣にほとんどと言っていいほど重さの乗ってこない応酬だ。手の数
一刀剣技の最大の禁忌は鍔迫り合いだ。力任せへのもつれ合いは、 にしては体力はまだまだある。だけど隙を見て攻撃に移るときの体捌
実力さえ覆すこともある。だが柔を制するのが魂魄の剣技。男より きの無駄と、大げさな守りが逐一気になってしょうがなかった。
女の方が会得が早かった前例のあるこの術は、自ら望まぬ限り、そ 全身がぞわぞわする。分かるんだ――きっとそんな小さな間違いが
の無粋な手に移る前にたたき伏せる。 積み重なっていつか崩れる。そうなるのは今かもしれない。次かもし
ならば対してその剣技が最も冴えるのはどこか。それは攻守、得 れない――それが怖い。
物の長さ、共に変わりはしない。己が剣先が、妖夢の切っ先を超え 気付けば立て続けの攻めに混じりお師匠様がじりじりと迫ってきて
るや、手中の分身がさらに意そのものとなり速さを増す。 いた。向こうの領分が広がり、押されも負荷もよりひどくなる。
ここが起点――初撃刺突の構え。そこでしかと見た。図らずも、 "いやだ！ まだやりたい技なんにも出来てないのに――!!"
守備主体の太刀筋を丸々変えてまで妖夢が同じ構えを取ったのを。 ならばもういいやってやる。全部捨て、これだと思った技を出す。
"――修羅之血ッ!!"
走らせた木刀の先が捉えたのは妖夢の喉元ではない。伝わった震 どうにでもなれと放った短刀での突きこみ。奇しくも同じ技でお師
撼は、紛れもなく妖夢の短木剣の剣先と衝突した証だった。 匠様が来るのが見えた。断然に早い。でも動きをやめてやるもんか。
互いに伸びきる前にこの形となった。体躯の違いと間合いの異な 先に叩く。その一念で迸(ほとばし)らせ――瞬間、切っ先から来た
りが、ここにきて初めて顕著に二つの剣を反発させるに達する。 強い衝撃に手中の得物は弾き返された。
"まさか……" "ぶつかったの！？"
驚愕……いや歓喜か。 透明な壁に激突したかのよう。でも思いを込めた技だったから目を
追い詰められたと見える妖夢の放った一手。あそこで攻めを繰り 瞑ってなんかなかった。同様にブレたお師匠様の切っ先に、理解が確
出す奇抜さは賛嘆に値するが、だが心根をざわつかせたのはそれ 信を持ち始める。
はない。あの柔靱な腕捌きにのみ許された剣の軌道と返しを――こ あの小さな剣先のさらに末端同士がぶつかり合ったのだ。
の身は知っていた。 偶然でこんなことがあるのか。だがお師匠様の木剣の揺れの激しさ
忘れるわけがない。凝視を交えた相手の刺撃こそ最大の指南。そ は、予期していたにしては大きすぎる。本当にそれだったのだろう。
の剣と共にあった生と、愛で親しんだ日常があるのだ、鮮烈なまで "そうだ。まだ終わってない"
に焼きついている。そう、たしかあのときも、この子の歳であの突 さっきの反射的な守りといい、これといい、なにかよくわからない
き込みの受けをやってのけた。 ものに助けられてばかりだ。
だが闘志全てを委ねた木刀は、そこに頓着をしなかった。衝撃に 情けない。逆にまだまだだってすごく高いところから言われてるみ
任せた二刀の別れは、僅かな間といえど妖夢が距離を取り直すには たい。でも終わってないなら……まだやりたい。
足りている。少女が長短異なる腕で同時に肉薄してくることを、手 お師匠様の構えが戻るまでに距離を仕切り直すのは簡単だった。ほ
の木刀は黙って許しはしなかった。 ぼ役目を抑えられていた長い方の木刀にも、酷使してきた短刀にも、
まるで別人が乗り移ったかのように、妖夢が先の筋とは異なった ただそれだけで力が満ちてきた。
網目を紡ぐ。天女から、荒々しい益荒男(ますらお)の太刀へ。だが でもここから本番。二刃で襲い掛かる頃には、対する木刀も牙をむ
それも、この老体が見知ったもう一刀。 き出したまたしても同じ攻めの姿勢だ。
"一念無量劫!!"
虚実入り乱れた三種の剣戟が、轟々と風鳴りを立て、舞い散る花 お師匠様は一刀だけなのに――まるで鏡写し。十手あれば九手が騙
弁を吹き飛ばしながら断絶することなく奔り合う。 しと餌を兼ねる剣技で、互いに相手の間合いを切り刻む。
来襲の二刃はここに冴えの極みを見せつけてきた。愛らしかった "速い！ 追いつけ!!"
面はすでに困憊と忘我に押し潰されかけているが、剣は執拗だ。誤 木刀一本だとはまったく思えない。紡いでくる剣の軌道はいくつも
謬に素直に斬り込んでやれば、即席の囮として取り繕い――それを を敵に回したかのようだ。
初めから騙し手であったと言い張る武人独特の鬼気も剣音の度に強 "ここでやらなくちゃ！ 勝負どころなんだ！"
まり伝わってくる。 耐え忍んだり、隙間を生じさせそこに切り込めるのは二刀流である
その食い下がってくる妖夢の我武者羅な姿は、景色の変わらぬ美 恩恵が大きい。
しさと相まって、この心に刻んだあの影とあまりにも酷似していた。 体力を自らがりがり削って打ち込み、時に逸らす。勢いにのせて後
本来ならこの場で郷愁など催さないはずだ。妖夢の剣が完全に若 先考えずに、でもこうして捌き続けられるのは――実際放った技の真
者の力に至っていなかった、我が身を連撃に答えなくてはならない 意を偽りやすい。単に二刀流独自のそれだけからきている。
没義道に置いたことがあった――それらが混じり合い、余裕とも意 一刀に全て託すような攻めだけならそんな風でも構わないかもしれ
とも違う、小さな虚(うろ)をこの心のどこかに与えている。 ない。だけどこれは未来を読みそこへ誘う攻防真偽一体の連撃。
二つの死に顔を知る者への、これは責めなのだろうか。それとも、 それを目の前で扱うのは半魂といえど万事を連続のものとして思い
血を浴びた過去を持つ者が、人並みに光の下で生きたことへの罰か。 通りに成すお師匠様だ。私のように時々ブツッときれて取り繕うこと
だがどちらであろうとも……構わない。 もないし、たとえ誤ってたとしてもそう思わせる焦りもない。
もう二度と見ることは叶わないと思っていた。この子がさらに鍛 同じ技の出し合い。でも、きっとこのまま続けていれば私から破綻
錬を積めば、いずれあの子たちの剣に追いつくのではないだろうか。 する。漠然と、だが淡々と理解できた。
そして、いつかその続きを――夢想するしかなかった二人の、真に 私より格段に上なお師匠様のことだ。さっきから同じ技の切り合い
完成した太刀を見れるのではないか。 に持ち込んでるのもたまたまじゃなくて、私に思いっきりはっきりと
失ったものは、元には戻らない。目に見えないならば、なおさら 見せつけるためなんじゃないか。
だろう。不祥を斬ってきた身には、痛いほど理解が及ぶ。 子供の打擲(ちょうちゃく)でしかないと、私の技全部にだめだしを
それでも、ふと思う。見えないからこそ、誰もありえないと明言 されているかのようだ。だけどもう通すしかない。剣で放言と見栄と
できないのではないか。もしそうならば、たとえどれほど胸を締め 嘘を吐きまくる。
付けられようとも、喜びを伴えた。 "ダメ！？ ダメなもんかこれで正しいんだ！ これが私の斬撃だ"
だが今はまだその時ではないらしい。 だが思いを幾ら燃料にしてもそう言い張り続けるのにはそろそろ限
同門剣術の競いだ。手の内と力量が明白なぶん、通常の試合より 界だった。ひたすらに息をもっと吸いたかったし、じわじわ腕を振る
も決着は遠い。それが、もう終わりを告げようとしている。口惜し う速さも遅くなる。視界も霞む。でも身体の不快はどれも些細だ。
いが……この一刀に必要以上を宿せば、そのときこそ後悔に浸るこ なにより頭の中を捻られているかのような痛みがひどかった。この
ととなるだろう。 苦痛に屈せば終わる。たとえ力が余ってても先にだ。その予感が嫌で
木剣に満ちていく意。この応酬の最後に決めるべき一手は、あの 怖くて――だけど次の間がくれば最後。逃げ続けられない。
技だ。そして我ら三人、稽古のたびに何度この技を同時に決めの術 だったら先になにもかも出し切ってやる。お爺様の出し損ねた技が
としたことか。 不意に頭を過ぎった。あれを真似れば私の剣でも冴える――信じて思
さぁお前たちの一刀を……見せてみよ！ いっきり風を斬りながら長い木刀を振り上げた。
"――桜花閃々""迷津慈航斬――"
乾坤一擲(けんこんいってき)のさなか、妖夢のそれは、知らない 全霊の袈裟懸け。ただ目の前の脅威を斬って棄てる。他の理由も意
一打だった。 味も必要ない。この体躯全てが一振りの刀であればいい。
振り下ろされてきた長木剣。意思を向けるよりも速く、万事の闘 お師匠様が踏み込み木剣を突き立ててくる。これまでのどの技より
志を委ねきった木刀は放った技をすぐさま放棄した。代わりにその も迅疾、先の刀身は見失った。だけど見えなくたってかまわない。
刀身を妖夢の木剣に絡みつかせ、僅かに頭蓋から逸らす。 "私のほうが速いんだ!!"
膂力をこめ、身体を捻り躱(かわ)しながら跳躍。天地を逆転させ 届く。信じてお師匠様に向かって振り下ろした。
――妖夢の頭上に位置を取る。虚空で遠巻きに勝負を見守っていた "――え!?"
無数の花弁が、ひときわ乱れ狂った。 だがなんだ。手ごたえがない。地面に落ちていた桜の花びらがいく
渾身の長木剣が空を切り、なおかつこの老体の姿が視界から失せ つかぶわりと小さく舞っただけだ。それどころか目前にいたはずのお
たのが理解できないのか。影ってもなお妖夢は左右に首を巡らすの 師匠様の姿すら、ない。
みだ。 "消えた？"
愚か者め。己もこうして地に縛られない技ができるというのに、 急いで左右に首を巡らせる。だけどいない。ただでさえ視界がぼや
戦いに溺れ忘れている。 けてるのに自分の周りだけ暗くなる。邪魔をしないで。探させて。
"いや……本当に愚かなのは……" "後ろ！？"
着地の音にようやく悟ったか。横一閃を繰り出そうとする姿勢で 小さな地鳴りが聞こえたような。途端に背筋に走る寒気。剣を脇に
妖夢が振り向く。だがその剣が僅かな形を見せるよりも、短い呻き 引きつつ身体を反転させる。急げ――念じたときには、出かかった吼
と共に総身を強張らせる方が遥かに早かった。 えが喉で詰まった。
大きく見開かれた妖夢の瞳。反してそうなる前の狭窄な視野でも、 いや詰まらされた。声だけでなく、体躯の全てが。耳元を一線で貫
今ほど盲目であることはないのは、ここまでの立ち合いで明晰だ。 く銀に輝く刃によって。
もはやそれはガラス玉。眦の傍にある、我が意の延長だけを、そ "ぼく……とう……？"
の意味を乗じて映すのみ。 それが光りを照り返しただけのお師匠様の木刀だとようやく判断が
趨勢は揺るぎないほどに決した。だが眼前のは意識を奪い去った 追いついた。だけど、だったらなおさら目が離せなかった。
だけで未だに剣鬼。己にしても、まだ意を収めるには到っていない "負けた……？ 終わった……？"
緊迫の中だ。 言葉が消えては思い浮かぶ。覆しようもない事実。受け入れ難いは
――なにより、まだ師として取り繕わねばならない。この瞬間だ ずだった現状、なのに何も感じなかった。ただただなぜ振り返りざま
けでも。 に剣が突如現れ――いいや待ち構えていたのか。教えて欲しかった。
その頬に、時間をかけて刀身を近づけていく。万感の混濁から、 だがそんな考えも、剣が微かに動きを見せれば一気にふっとんだ。
妖夢の顔に徐々に明確な色が付き始める。慄然したかのように、血 ぶわりと全身の汗腺が開いた感覚の中、じわじわと頬に迫る刀身。
気の失せていく態と、じわりと浮かんだ汗は、理解が染み渡ってい ひどく不快だった。木刀でしかないと分かっているのに、もっと汚
く様相をまざまざと表していた。 らしいもののような感情が溢れてくる。これは知ってる、前にお師匠
桜の袂で残心しながら、何度こうして命の懊悩を見てきただろう 様に負けた直後に抱いた嫌悪感とそっくりだ。
か。迫る危機に対し、浮かべる表情は千差万別であり、変わらない。 息を吸いたい。目を背けたい。でもそうすれば即座に汚れが当てら
だからまだ、痛々しいほどまでによく憶えている。 れる。それだけは嫌だ――だから顎上を斬り飛ばされるような感じが
そこにいるのは、初めからそこにいたのは、他でもない……妖夢 妄想だと分かってても、黙って受け入れ少しでも先延ばすしかない。
だった。 延々とむき出しの頬の肉をなぶられているかのようだった。
頬に軽く押し当てるや、妖夢は脱力し荒く喘ぎだす。瞬く間に残 そこについに刀身が触れる。ひやりとした感覚が尾骨の端まで駆け
留していた意さえも抜けていく、二振りの木剣。今やそれらは刀の 抜けたかと思うと、溜め込んでいた呼気がお腹の底から口まで一気に
形をした……ただの死んだ木でしかない。 逆流してきた。
心霊が降りてきたわけでもなかった。手中の得物が応じ続けたの 出るままに咳をして、ひたすら新しい空気を貪り食った。
は、未完であろうと徹頭徹尾そこにいる幼子の剣技だ。なのにこの "……負けた"
心根をざわつかせ歓喜を湧かせたのは、その成長でも、一人の剣士 己を律せず欲するままに求めるなんてあるまじき姿だ。裸を見られ
と立ち合えたことでもなかった。 るよりも恥ずかしい醜態だった。
剣は既に悟っていた見えざる一撃。理解が及んでみれば、剣技の 在りたいと念じ、日々それに近いように振舞ってきた形。すぐ目の
何たるかを謳っておいて聞いて呆れる。なんと無意味な固執(こしゅ 前にいるのに、それを思い出せるようになるまでどれほど時間が経っ
う)だったことか。 ただろうか。
あれは魂魄の剣ではない。それどころか、師として恥ずべき邪法 気付けばもうあれほど暗かった視覚は焦点を取り戻してきている。
の剣だった。相手を見ることを止めたとき、刀はそこに込められる ちらちらと、過ぎっては落ちていく幾枚かの花びらが目に入った。
意の全てが腐り果てた倨慢へと変わる。そして剣戟を見せた相手さ そして少し見やれば、一面に咲き誇る桜が――
えも、隙あらば望む形に仕立てようと引きずり込む。 "きれい……"
知らぬ身ではない。このままならない世でどれだけ見てきたこと ふと、心の底からそう思った。でもそれがとどめだった。
か。それを、今日までこの一刀に守り導ける力があると信じてきた 桜は最初からずっとあったじゃないか。
己が、体現してしまった。 その美しさを前にしても、絶対に心を奪われたりはしない。勝負に
忘れてくれと妖夢に言うのは簡単だ……だが木刀を納めながらに 余計な感情を持ち込まず相手よりも先に己の迷いを断つ。
思う。これから大輪の花を咲かせる兆しを数え切れぬほど、より色 それが私の信じる、戦っている剣客の理想像。お師匠様と斬り結ん
濃く見せるであろうこの子を前にまた故人を重ねずにい続けること でいたときの私は、それに限りなく近づけていたような気がした。
が、できるだろうか。 だけどもう今は全てが遠かった。満開に咲く桜の命が、煌びやかに
妖夢には課される使命が待っている。ただ一人の少女として咲き 見えてしょうがない。それが突きつけられるどんな事実よりも鮮明に
誇れる季節は、もう幾許もないかもしれない。別の器量は立ち枯れ 告げてくる。
ていくのみ。 勝負は終わり、負けたのだと。魂魄妖夢の剣士の心は、斬り伏せら
だとしても、ならばせめてこの子だけしかないものが一つだけで れ屈服したのだと。
も開花できるように誘うのが、託された者の最大の勤めではないだ 思わず目元が潤んだ。涙が溢れそうだった。
ろうか。 だけどすぐに歯をかみ締めて堪えた。これ以上理想から自分が遠ざ
それは、心の底から模像を望んでしまった者が、成し遂げられる かっていくのだけは、許せなかったから。
はずもないことだ。 じわじわと頭の中がはっきりとしてきた。思い浮かんでくるのはこ
己だろうと、余人であろうと。力の及ばぬ遠い過去の因果を、頭 んな風に私を惨めにしたお師匠様との最後のやり取り。
の中でさえ切断してやることさえできない弱き者には至れぬ境地だ。 思い出したくもない。でも心に何度も浮かぶそれはどの瞬間もあま
いずれ……教授すべき魂魄の技と魂魄妖忌の欲するモノが知らぬ りに力強く、鮮烈だった。余力がなかった覚えも合わされば、反して
間に致命的に交錯するのではないか。そうなれば妖夢はその間違い 私が嫌がりそうなものをこの記憶は一片足りと持っていなかった。
を刻み付け、単なる人形と成り果てるだろう。 "天女返し……"
もしかすれば、気付いていなかっただけでその不徳を重ねていた 袈裟懸けを振り下ろしたあのとき。目の前から突如お師匠様が消え
のではないか。だからこの手からどちらも滑り落ちていったのでは そして妙に私の周りだけが暗くなった。まるで頭上からの光りが遮ら
ないか―― れたかのように。
そんなことはない。声を大にして叫びたかった。少なくとも託し それをあのときの私は疲れが限界まで来たせいだと判じたが、その
た者達と鍛錬に明け暮れたときは、教えたはずの数多の術が万華鏡 考えこそが疲労困憊の頂点まで達していた証拠だとこうして勝負が終
のように変化し異なる輝きを放ったではないか。 わってみれば思う。
それこそ天性の花開く様だと、たとえ罪があったとしてもせめて 我武者羅に振り下ろしている最中で見ていなかったからほとんど想
そう言い張りたかった。 像の域を出ないが、技の流れはまず間違いないだろう。
だが妖夢だけは今のままでは到底導いてやれそうにはないのだ。 あのとき頭蓋に落ちるはずだった私の一刀は巧みに反らされ、そし
追悼は仇討ちと表裏であり懐古は不覚を催す。刹那を絶つ抜身に『 てお師匠様は横を通り過ぎたのではなく――頭上を飛び越えたのだ。
意』は宿しても枷となる『思い』は乗せるべきでない。それらを断 だがなにより驚嘆させられるのは、私が袈裟懸けに移ったとき確か
じ教え込めるほど心根を改めるには……悲しいかな時間は短く、思 にお師匠様が踏み込みの一刺しを繰り出していたことだ。
い出深く生き過ぎた。 どう考えてもおかしいことだった。全てが完璧に整っていたあの構
覚悟のあり方を身に付けれる僅かな時期なのだ。だが老体から来 えから奔った一撃。矢にたとえるなら、引き絞った弓弦から解き放た
るものでないそのいずれなるであろう刃速の鈍りは、たとえ稽古の れたまさにそれだった。
最中に妖夢に切り殺されたとしても何一つ良いものを残してやるこ 私ならそこから技を変えることなんてできやしない。だけどお師匠
ともなく、続いたとしても在るべき姿に蓋をするだけだ。 様はやってのけたのだ。射出した矢を狙いを定めた的に当る前に再び
剣の型だけは余すことなく目にさせ、書にして残してもある。も 虚空で掴み、そして再び撃ち直すのを。
し単なる児戯としても剣技がある平静の世がいつか来たとしても、 私が弱かったからそれが可能だったのか。それともお師匠様ほどの
それを礎にあの子だけの技を見つければ魂魄剣術の意志は真に死ぬ 高みまで至れば出来ることなのか。
ことはあるまい。 どちらにせよ、それができる剣の速さがいかほどのものか。ぎりぎ
憫笑を浮かべたいほどに悟った。もはやこの精神の紡ぐ剣技は、 りまで目にしていた私でさえ分からない。
ただ妖夢に対してだけは絵筆のわかせる想像を越えることはないだ 速度という概念で語れるようなものではなく、まさしく『時』を制
ろうと。 していたんじゃないだろうか。
ならばいっそ全てを幻想に委ねてしまうのがこの子のためなのか まだまだだと思い知った。途中で感じたように、私の剣技は本当に
もしれない。 子供がじゃれているのと同じだったのかもしれない。
夢とは決して追いつけはしない魔物だ。魂魄妖忌は魂魄妖夢唯一 それを教え込むためにあえてわざとあそこで別の技を放って私を誘
の剣の指南手。今ならば、不義の師としてではなく、一人の剣客と い出したんじゃないだろうか。はじめから余裕で応じれると分かって
してこの子の中に巣食い続けられる。 いたなら有り得ない話でもない。
なにより妖夢の剣に対する紳士さと熱意を知ってる――迷いなが そんな難しいことをお師匠様はやってのけれる。私よりも遥かに高
らも歩みを止めることはないだろう。 い場所にいるんだ。やっぱり、すごい。
己で導いてやれないのは無念極まりない。だがそれでも、たとえ そのかっこいい剣士が私のお爺様だと思い出すだけで、ちょっと嬉
虚像でもこの背中を見つめてくれるならば……是非もない。喜んで しかった。
姿を消そう。 でも私だってこれから練習を重ねればいつかお師匠様に追いつける
そして願わくば、いずれ幻を超える朋友を持ち、思いをぶつけ合い かもしれない。――いいや絶対に追い越すんだ。だって負けたらまた
ながら魂魄妖忌とは異なる剣を己の中に作り上げて欲しい。 悔しいもの。
なるほど私は羅刹。御伽の化生まがいになることしか、先に逝っ それにそれが叶ったら、きっと褒めてもらえる。こんなにかっこい
た者達の切望を成してやることも、孫一人満足に愛してやる術も思 い人の誇りになれれば今よりもっと嬉しいはず。
いつきもしない……。 やっぱり大好き。早くお爺様みたいになりたいな。
<了>
↓ ↓
見遣れば舞い散る花弁のように薄紅に染まった小さな頬。この子 桜が歓迎してくれているかのようだ。胸の高鳴りがやまない。
もまた、道場では見られない顔をここでする。 「お師匠様。いざ今日こそは――ッ!!」
「お師匠様。いざ今日こそは――ッ!!」 だけどそんなうきうきした気持ちじゃダメだ。声に出してはっきり
この老体への、勇ましい宣戦布告。背丈はすでにこちらの胸元ま と自分に――魂魄妖夢と両手に持つ二本の木刀に言い聞かせる。
であるが、心はまだ稚児の愛らしさを多分に残している。あと少し 前回だってそれが悪かったじゃないか。あれからもうだいぶ経つと
歳がいけば、そんな子供らしい一声も聞けなくなってしまうかもし いうのに、あの鋭い一太刀は痛みなど無くても何かひたすらにおそろ
れないのは、知る身としては微かに寂しいものもあった。 しく受け入れがたいものだと今でもはっきり覚えてる。
爛漫の桜の木々の元で、こうして木剣の先を重ね合わせるのは、 そうだ。今再び目の前で木剣を構えるお師匠様は甘えなんて許して
はたして幾度目だったか。 くれようものか。
それは今対峙し、こちらの出方をうかがう少女――妖夢との研鑽 それにイッパツでやられてそれでハイオシマイだなんて。悔しすぎ
の数のみではない。 るじゃない。確かに私はちっちゃかった。あとこんなに綺麗に桜の花
どこか面影があるせいか。それとも、あの頃から変わることのな びらが舞う中に道場での冷静なんて持ってこれる筈もなかった。
い花霞の魔性か。少しばかり記憶を掘り起こせば、かつて同じよう 今考えても、勝てる道理など初めからない。だけど初めて同じよう
にこの場で指南を付けたあの者たちのことを、容易に重ねることが に剣を扱う人と戦えるはずだった。やりたい技だって沢山あった。師
出来た。 匠でありお爺様に出来栄えを褒めてほしかった。
だがそれは、触れ合っていた木刀同士が再び小さな間を作り、互 それが今日こそ叶う。そのためにもっと稽古したんじゃないか――
いの領分を主張するまでの小さな感傷でしかない。 触れ合っていた剣の先同士が離れる。緩やかな別れ、なのにまるで
いざ戦いの場に立ってみれば、稽古とはいえ心中を切り替えるこ 一本の綱が両側から引かれ千切れて行くような粘ついた想像が頭の中
とは容易だ。得物は一振りの木刀だが、己が意を込めれば込めるほ にじわじわと湧き上がってくる。
ど、加工された木独特の冷えびえとした感触は真剣とは異なる沈着 "危ない――"
を与えてくれる。 油断なんてしてなかった。だけどお師匠様のすごく微かな剣の動き
不思議なほどまでに、先ほどまでの自分が他人に思えてならない。 が止んだそのときに、思わずこれじゃダメだと息を殺した。
器械の真の扱いを知った瞬間から幾度も覚えた、褪せることのない 前は動きがなくなった頃合が攻め時だと感じ、切りかかってやられ
感覚に総身が支配されていく。……そう、別人なのだ。今この場で た。そのせいかあのときはまったくどうにも思わなかったのに、今は
は、まさしくこれがあるべき姿。 相手の姿を見るだけで押し潰されそうな感覚がどんどん大きくなる。
我は魂魄妖忌。半生を捧げてもまだこの一刀に飽くことを知らぬ、 魂魄家の剣技は本来二刀流だ。なのにお師匠様が構えるのは木刀一
ただの羅刹。 振り。剣はそれを執る者の魂だと聞いたことがある。ならば今のお師
だがゆめゆめ忘れてはならない。眼前のも、同じ境地に魅入られ 匠様は半分の魂しかないということなのだろう。
し化生だ。まだ幼さの残る女子(めこ)といえど……二刀を操る紛れ 対して私は長さの異なる二つの木刀。お師匠様の木刀を相手取って
もない剣鬼。 いるのはけっこう長めの一本の方で、妖怪が鍛えたと代々伝えられる
互いに切り伏せる利器でもなければ、それを良しとはしていない。 一刀を模したものだ。
この不浄の世、明日喰われるかもしれぬ穢土で、ならばこの立ち回 もう片方――切っ先を視野に入れさせないようにして後ろで機会を
りはぬるく無意味だと断ずる剣客もいるだろう。それを知らぬ身で 窺わせている方も、魂魄家にしか扱えない小刀が元になっている。
はないはずだと、付け加える者もいるやもしれぬ。 普段は重さも鋭さも段違いな本物で稽古している。でもこっちの二
だがここばかりは譲ってはならない。鍛えた鋼の美しさしか知ら つだって、ちっちゃい頃から愛用しているし、お師匠様の言いつけを
ず、勝負を血の紅さでしか語れぬ者は、いずれ自らの分身さえも見 守って握らなかった日はない。
放し、それに喰い殺される。 たとえ木の剣だったとしても、私の思い通りに扱えるはずだ。二つ
剣とは己の意だ。そしてその意を委ねるに足れば、すべてが剣だ。 の剣に宿した魂が溶け合うのが魂魄家の剣術なら、この試合で有利な
元がただの人間より頑丈にできていようとも、こうして修羅を掻い のは間違いなく私のほうだ。
潜ってきた身でも――油断しているなら、それを終わらせるのは木 なんにもなしに考えたって、一つよりも二つのほうが強いに決まっ
刀でも十二分に勤まる。 てる。驕りなんてものも叩き折られてるんだからなおさらだ。
殺意をもって相手に挑み、冷静さを持って最後の一撃を律する。 だけど踏み込めない。
殺しの剣と許しの剣。魂魄家の剣技は、その陰陽の両立により初め 魂が半分なのに、全部揃ってる私よりも断然に上なのがびりびり伝
て完成し、人妖を因果共々斬り、滅する。 わってくる。
意が充足すれば、剣技は木刀に鋼の鋭さを宿すこともできる。そ 熱い、なのにどこか妙に冷たい不思議な感じ。集中してるのに、こ
れはなにも己ばかりではない。これは稽古とは名ばかりの殺し合い の包み込んでくる雰囲気のことだけはきれいにはっきりと頭の片隅で
であり、それよりも遥かに難しい試合だ。気を抜いた時に訪れるの 別の事柄として考えられる。
は、どのような結果にせよ、殺したという事実のみ。 前は容赦なく間に割って入ってきた桜の花びら。今だって互いに構
この彼我の距離。妖夢の一振りは通常の木剣よりも幾分か長くあ えのまま動かないのだ、遠慮はない。でも同じく視野に何度も入って
るが、踏み込みを考慮すればすでに互いの刃の範囲だ。 きたのに……もう大したことには感じない。
もし不用意に前に出ようものなら、あの長木剣が即座にこの手首 なんとなく分かった。この段階までお師匠様との間に落ちてきた幾
を切り伏せる。躱したとしても、控えにはもう一刀。長さはないが、 つかの花びらには、動向を僅かでも遮り伝わってこなくするような、
誘いに乗った獲物を仕留めるには事足りる。 そんな私にとっての危機に繋がるようなものなんてなかったのだ。
妖夢も心得ているようだ。いつぞや出鼻から挫いたのがいたく効 この勝負に制するために見なくてはならないものにしか、目に入ろ
いたのか、今度は眼光鋭く睨め付けている。 うとも今は冷えた思いしか湧かない。
それでいい。辻斬りや乱戦ならいざ知れず、寂々と対峙した相手 そして唯一の熱さは、ずっと全身の肉を下に引くような不快感で歯
の懐に出だしからわざわざ飛び込む必要はない。力量を心得ている 止めをかけている。
ならば尚更だ。 今はまだ飛び出すべきときじゃない――。理由なんて全然分からな
花弁に惑わされた初の立ち合い、そこからの度重なる道場での鍛 いけどそう言われながら透明な手にぐっと押さえつけられている気が
錬――ほぼ全て見てきたつもりだったが、ふと感じればそこにいる する。
のは孫ではなく、一人の剣士。 そうだ。解らないけどこの聞こえない声には変な説得力がある。逆
このまま呼吸の間まで様子見をする算段か。もちろんそんなこと らっちゃダメだ。それに私がダメな瞬間があるんだ、同じ技を使うお
を許すわけがない。この中段が安全に映るなら、危機と欲求を同時 師匠様にもいつか必ずそんな時が来るかもしれない。
に煽り立てるまで。 今は力を貯めるんだ。
緩やかに眦の位置まで刀身を持ち上げる。 "あれは――!?"
天人五衰の形(かた)。脆弱をさらけ出し、だが攻守のあらゆる手 痺れを切らしたのか、お師匠様の木刀がゆるゆると持ち上がって行
を無限に紡ぎだすことのできる姿勢。 く。勝機……いいや、そんな安易なわけない。身構えろ。
切っ先を妖夢に見定めていく。幾度となく道場で目にさせたこの "天人五衰の形(かた)ッ!!"
構えの完成を前に……妖夢は動かない。 よく道場で一人でやってるのを見たことがある。頬骨の近くまで柄
"ほう……" (つか)を寄せ、なのに一瞬足りと剣先を相手から逸らすことはない。
抑えたが、ふと湧いた称賛の念は本物だった。 寝ぼけてたって分かる。いや、気迫に当てられ一発で目が醒める。
知ればこそとはこのことだ。天人五衰は、入り始めた段階ですで あれはこちらの出方で変わる構えだ。――だから、怖い。ああしてじ
に一挙手一投足全てが誘発。紡ぐのが応じ手と決め込んでいる以上、 わじわ整い出してるところが、一番に。
余計な一手を思い起こさせないからだ。 でも穴だってあるはず。ここは我慢だ。ぐっと気付かれないように
ならば攻め込むのはどこか。 お腹に力を入れる。まだ、あとちょっと……
"――必定!!"
型が整ったと見るや否や、堰を切ったように妖夢が刀の圏内に小 ここしかないと思って、小さくだけど一気にお師匠様へ攻撃の届く
さく踏み込んできた。だがそれだけでも、最小限に振りかぶった長 範囲に踏み込む。
木剣がこちらに届く距離だ。 長い方の木刀を振りかぶることだって忘れてない。
深く指南したことはない。譲り受けた感覚なのか、それとも独学 もう後には引けないのなんて分かってる。いちおう長さを生かそう
で辿り着いたか――どちらにせよ、天人五衰の脆さは無限の変化そ とぎりぎりの距離で詰めたつもりだが、きっとそんな安全策足しにも
のものにある。攻めと受け、魂の陰陽が定まらない場面こそ弱点で ならない。
あり、それこそ妖夢が挑んできたこの瞬間だった。 いいかなんてわかんない。でも何が来ようと突き通してやるんだ。
だが二度も取られるわけにはいかない。知ればこそはこちらとて "いける！ いけっ!!"
同じ。たとえ腕の長さと地を踏む力が同じだったとしても、一度敗 狙うは上げられた拳。そしてすぐ隣にある首だ。目に見えない重圧
れた矜持とはいえそう易々と譲りはしない。 が、今はそこに打ち込めと叫んでドンと背を押してくれる。
掲げた腕もろともに首筋を落とそうと狙ってきた妖夢の一撃を、 お師匠様は動かない。成ったか――確信しようとしたまさにそこで
ひるがえした木刀で逸らした。 私の木剣は強風にあおられたように行き先を乱された。
それのみではない。これこそ天人五衰の真骨頂。切っ先で半月を "逸らされた!?"
描き切ったころには、長木剣をはじきつつ、攻勢に転じた一刀が妖 遅れて目にしたのは明らかな防御に転じたお師匠様の構えだった。
夢の胸元を狙いをつける。 さらに続けざまに切っ先がこっちに向いたのが見えた。
繰り出した木刀での突き。その軌道を一陣の疾風が塞いだ。妖夢 来る。何か、なんでもいい何か対策を――
の操るもう一刀である。 木独特の衝突音。それがなんなのか一瞬分からなかったが、気付け
反射的に応じたのか、不自然に曲げた腕と完全な悪手ともいうべ ば私はもう片方の短刀にお師匠様の抜身を乗せ攻撃を防いでいた。
き刀の位置は、妖夢の胸中を投影していると断じても過言ではない どうしてこうなった。これがいわゆる反射的とかいうやつなんだろ
だろう。 うか。でも今はなんだっていい、しのいだことに変わりはない。
妖夢が一閃を紡ぐ速度は、この歳で凡夫の及ぶところではない。 ただ余りに適当すぎた。腕や刀の位置なんて不細工極まりない。安
才も相成って、ますますかつて見たあの鋭さに近づいていく。それ 心はまだ先だ。今や両手の得物に生はないも同然。
でもやはりまだまだ心は幼さを残した童だ。 動きを見せる前にこっちから向こうの一刀を小さく弾き、距離を取
立て直すにも距離だ、と言わんばかりに妖夢が後ろにずり下がる。 るために足にも集中をやる。
なるほどその考えは正しい。死にかけていた妖夢の短木剣に再び息 長い方はまだ重荷。だが短い方はその長さが幸いした。すぐにでも
吹が宿り始める。 使い物になるはず。
甘く見られたものだ。この妖忌、老いようとみすみす好機を逃す そこでやはり来た。軽く弾いただけのお師匠様の剣が、まるで蛇の
ような魂魄の剣技を持ち合わせてはいない。 這うかのように滑らかな軌跡を描いたかと思うと、新たな攻撃の形を
気づけば意識するよりも先に剣が、天人五衰の形の誘うままに薙 示してきた。
ぎを放っていた。……いやすでに剣は我が意。木刀の重さが失せた 横ざまの一撃が容赦なく襲ってくる。
この一振りこそ、真の意識に他ならない。 応じなければ懐まで簡単に入ってくるだろう。止めの一撃を成すの
妖夢の短木剣はすでにこちらに応じれるまでには息を吹き返して が本来の役目だからと、もはや出し渋ってる場合じゃない。まだ持ち
いる。 直しきれてないのは分かってるが短い木剣を奔らせた。
二つの文目が奔り、剣先同士が軽く衝突した。交差し始める刀身 またしても木刀同士が打ち合う音。だが先ほどとは違って音にも必
を、だが浅い内に引き戻す。 要以上の響きはない。くぐもった残響の中で、お師匠様の考えと微か
即座に袈裟懸けの一撃――迷津慈航斬に移ろうと手首にひねりを にだが一致した気がした。だめだ、次だ――と。
加える。まだそこまでだ、柄(つか)を振り上げてなど一切ない。だ 退くやお師匠様の胸元でその手首が構えを改めた。
がその殺法の軌跡に遥かに先んじて、防御に転じた妖夢の短木剣が 袈裟懸けに両断する一撃。迷津慈航斬。それがくるような気がして
突き出された。 先んじて防御に徹し短刀を突き出す。
ならばこの一刀に未練などない。すぐさま次の体捌きに移行し― ある程度他にも対処できそうな姿勢だったのが幸いしたか。お師匠
―そしてまた互いの切っ先が重なり合う。 様の剣はそれ以上技を作るのをやめた。だが所詮ただの一撃が形に成
如意の木刀同士が剣先をからめ、軽い衝突音を鳴らせば、すぐさ らなかっただけ。
ま離し次手を構える。 すぐ次が――いいやそんなんじゃダメ。こっちから次を出すんだ。
数手先を読みあう連環。決して深追いはせず、かつ決定打となる やりたかった技の数々。それにはあえて守勢に回り、だが一転して
綻びを探るべし。たとえ鋼の輝きは持たずとも、木刀が各々紡ぐ文 攻撃手に変わる奇抜なものもいくつかある。
目の、その踊り狂い合う様は銀光眩い若鮎を思わせた。 書き物で知っていたのと、お師匠様の姿を直接この目で見て、自分
見事。この年端でここまでの応酬をこなすとは……まるであの時 でやってみていたのがここで一気に繋がりを持った。
の再現だ。 初見だったら、対処できるこの速さ自体に惑わされてとっくのまに
同時に、嬉々を伴って確信した。たとえなくなろうとも、才とな やられていただろう。だけど騙しが混ざってると分かっていれば、必
って、ここに生き続けているのだと。 要以上に大げさだが私にも応じ手の一つや二つある。
それでもまだあれらと比べれば二分咲きといったところ。三手目 お互いの剣同士をガンガンぶつかり合わせるのが試合とか戦いだと
から先……幼さは、まだ若さの爛々とした躍動を次々と生み出すに 思ってた。だけど今やってるのは剣先が触れ合うことも滅多にない一
は至っていない。 撃必殺前提の構え――なおかつ高速での繰り返しだ。
加えて妖夢の短木剣の応答には、悪手から持ち直し切れずに防御 真一文字の寸断。一撃鏖殺(おうさつ)の刺突に逆切上げの三疾風。
に回ったことへの負担が、ここにきて徐々にぼろを出してきていた。 続けざまに来たそれら全てが目眩ましであり、判じ損ねれば途端に必
妖夢のもう一振りにも、二刀の間に割って入る余地を与えさせる気 殺の構えへと化ける。そしてそれで終わるはずもない。
は鼻からない。 緻密に手を用意するなんて今の私じゃ無理だ。ただ自分の危機感を
剣戟(けんげき)の積み重ねに混じりながら、その都度微々の距離 信じ、滅茶苦茶でもいいから短刀を出来うる限りの速さで動かす。
を刻み詰め寄る。剣の流れに加わっていく新たなうねり。 剣にほとんどと言っていいほど重さの乗ってこない応酬だ。手の数
一刀剣技の最大の禁忌は鍔迫り合いだ。力任せへのもつれ合いは、 にしては体力はまだまだある。だけど隙を見て攻撃に移るときの体捌
実力さえ覆すこともある。だが柔を制するのが魂魄の剣技。男より きの無駄と、大げさな守りが逐一気になってしょうがなかった。
女の方が会得が早かった前例のあるこの術は、自ら望まぬ限り、そ 全身がぞわぞわする。分かるんだ――きっとそんな小さな間違いが
の無粋な手に移る前にたたき伏せる。 積み重なっていつか崩れる。そうなるのは今かもしれない。次かもし
ならば対してその剣技が最も冴えるのはどこか。それは攻守、得 れない――それが怖い。
物の長さ、共に変わりはしない。己が剣先が、妖夢の切っ先を超え 気付けば立て続けの攻めに混じりお師匠様がじりじりと迫ってきて
るや、手中の分身がさらに意そのものとなり速さを増す。 いた。向こうの領分が広がり、押されも負荷もよりひどくなる。
ここが起点――初撃刺突の構え。そこでしかと見た。図らずも、 "いやだ！ まだやりたい技なんにも出来てないのに――!!"
守備主体の太刀筋を丸々変えてまで妖夢が同じ構えを取ったのを。 ならばもういいやってやる。全部捨て、これだと思った技を出す。
"――修羅之血ッ!!"
走らせた木刀の先が捉えたのは妖夢の喉元ではない。伝わった震 どうにでもなれと放った短刀での突きこみ。奇しくも同じ技でお師
撼は、紛れもなく妖夢の短木剣の剣先と衝突した証だった。 匠様が来るのが見えた。断然に早い。でも動きをやめてやるもんか。
互いに伸びきる前にこの形となった。体躯の違いと間合いの異な 先に叩く。その一念で迸(ほとばし)らせ――瞬間、切っ先から来た
りが、ここにきて初めて顕著に二つの剣を反発させるに達する。 強い衝撃に手中の得物は弾き返された。
"まさか……" "ぶつかったの！？"
驚愕……いや歓喜か。 透明な壁に激突したかのよう。でも思いを込めた技だったから目を
追い詰められたと見える妖夢の放った一手。あそこで攻めを繰り 瞑ってなんかなかった。同様にブレたお師匠様の切っ先に、理解が確
出す奇抜さは賛嘆に値するが、だが心根をざわつかせたのはそれ 信を持ち始める。
はない。あの柔靱な腕捌きにのみ許された剣の軌道と返しを――こ あの小さな剣先のさらに末端同士がぶつかり合ったのだ。
の身は知っていた。 偶然でこんなことがあるのか。だがお師匠様の木剣の揺れの激しさ
忘れるわけがない。凝視を交えた相手の刺撃こそ最大の指南。そ は、予期していたにしては大きすぎる。本当にそれだったのだろう。
の剣と共にあった生と、愛で親しんだ日常があるのだ、鮮烈なまで "そうだ。まだ終わってない"
に焼きついている。そう、たしかあのときも、この子の歳であの突 さっきの反射的な守りといい、これといい、なにかよくわからない
き込みの受けをやってのけた。 ものに助けられてばかりだ。
だが闘志全てを委ねた木刀は、そこに頓着をしなかった。衝撃に 情けない。逆にまだまだだってすごく高いところから言われてるみ
任せた二刀の別れは、僅かな間といえど妖夢が距離を取り直すには たい。でも終わってないなら……まだやりたい。
足りている。少女が長短異なる腕で同時に肉薄してくることを、手 お師匠様の構えが戻るまでに距離を仕切り直すのは簡単だった。ほ
の木刀は黙って許しはしなかった。 ぼ役目を抑えられていた長い方の木刀にも、酷使してきた短刀にも、
まるで別人が乗り移ったかのように、妖夢が先の筋とは異なった ただそれだけで力が満ちてきた。
網目を紡ぐ。天女から、荒々しい益荒男(ますらお)の太刀へ。だが でもここから本番。二刃で襲い掛かる頃には、対する木刀も牙をむ
それも、この老体が見知ったもう一刀。 き出したまたしても同じ攻めの姿勢だ。
"一念無量劫!!"
虚実入り乱れた三種の剣戟が、轟々と風鳴りを立て、舞い散る花 お師匠様は一刀だけなのに――まるで鏡写し。十手あれば九手が騙
弁を吹き飛ばしながら断絶することなく奔り合う。 しと餌を兼ねる剣技で、互いに相手の間合いを切り刻む。
来襲の二刃はここに冴えの極みを見せつけてきた。愛らしかった "速い！ 追いつけ!!"
面はすでに困憊と忘我に押し潰されかけているが、剣は執拗だ。誤 木刀一本だとはまったく思えない。紡いでくる剣の軌道はいくつも
謬に素直に斬り込んでやれば、即席の囮として取り繕い――それを を敵に回したかのようだ。
初めから騙し手であったと言い張る武人独特の鬼気も剣音の度に強 "ここでやらなくちゃ！ 勝負どころなんだ！"
まり伝わってくる。 耐え忍んだり、隙間を生じさせそこに切り込めるのは二刀流である
その食い下がってくる妖夢の我武者羅な姿は、景色の変わらぬ美 恩恵が大きい。
しさと相まって、この心に刻んだあの影とあまりにも酷似していた。 体力を自らがりがり削って打ち込み、時に逸らす。勢いにのせて後
本来ならこの場で郷愁など催さないはずだ。妖夢の剣が完全に若 先考えずに、でもこうして捌き続けられるのは――実際放った技の真
者の力に至っていなかった、我が身を連撃に答えなくてはならない 意を偽りやすい。単に二刀流独自のそれだけからきている。
没義道に置いたことがあった――それらが混じり合い、余裕とも意 一刀に全て託すような攻めだけならそんな風でも構わないかもしれ
とも違う、小さな虚(うろ)をこの心のどこかに与えている。 ない。だけどこれは未来を読みそこへ誘う攻防真偽一体の連撃。
二つの死に顔を知る者への、これは責めなのだろうか。それとも、 それを目の前で扱うのは半魂といえど万事を連続のものとして思い
血を浴びた過去を持つ者が、人並みに光の下で生きたことへの罰か。 通りに成すお師匠様だ。私のように時々ブツッときれて取り繕うこと
だがどちらであろうとも……構わない。 もないし、たとえ誤ってたとしてもそう思わせる焦りもない。
もう二度と見ることは叶わないと思っていた。この子がさらに鍛 同じ技の出し合い。でも、きっとこのまま続けていれば私から破綻
錬を積めば、いずれあの子たちの剣に追いつくのではないだろうか。 する。漠然と、だが淡々と理解できた。
そして、いつかその続きを――夢想するしかなかった二人の、真に 私より格段に上なお師匠様のことだ。さっきから同じ技の切り合い
完成した太刀を見れるのではないか。 に持ち込んでるのもたまたまじゃなくて、私に思いっきりはっきりと
失ったものは、元には戻らない。目に見えないならば、なおさら 見せつけるためなんじゃないか。
だろう。不祥を斬ってきた身には、痛いほど理解が及ぶ。 子供の打擲(ちょうちゃく)でしかないと、私の技全部にだめだしを
それでも、ふと思う。見えないからこそ、誰もありえないと明言 されているかのようだ。だけどもう通すしかない。剣で放言と見栄と
できないのではないか。もしそうならば、たとえどれほど胸を締め 嘘を吐きまくる。
付けられようとも、喜びを伴えた。 "ダメ！？ ダメなもんかこれで正しいんだ！ これが私の斬撃だ"
だが今はまだその時ではないらしい。 だが思いを幾ら燃料にしてもそう言い張り続けるのにはそろそろ限
同門剣術の競いだ。手の内と力量が明白なぶん、通常の試合より 界だった。ひたすらに息をもっと吸いたかったし、じわじわ腕を振る
も決着は遠い。それが、もう終わりを告げようとしている。口惜し う速さも遅くなる。視界も霞む。でも身体の不快はどれも些細だ。
いが……この一刀に必要以上を宿せば、そのときこそ後悔に浸るこ なにより頭の中を捻られているかのような痛みがひどかった。この
ととなるだろう。 苦痛に屈せば終わる。たとえ力が余ってても先にだ。その予感が嫌で
木剣に満ちていく意。この応酬の最後に決めるべき一手は、あの 怖くて――だけど次の間がくれば最後。逃げ続けられない。
技だ。そして我ら三人、稽古のたびに何度この技を同時に決めの術 だったら先になにもかも出し切ってやる。お爺様の出し損ねた技が
としたことか。 不意に頭を過ぎった。あれを真似れば私の剣でも冴える――信じて思
さぁお前たちの一刀を……見せてみよ！ いっきり風を斬りながら長い木刀を振り上げた。
"――桜花閃々""迷津慈航斬――"
乾坤一擲(けんこんいってき)のさなか、妖夢のそれは、知らない 全霊の袈裟懸け。ただ目の前の脅威を斬って棄てる。他の理由も意
一打だった。 味も必要ない。この体躯全てが一振りの刀であればいい。
振り下ろされてきた長木剣。意思を向けるよりも速く、万事の闘 お師匠様が踏み込み木剣を突き立ててくる。これまでのどの技より
志を委ねきった木刀は放った技をすぐさま放棄した。代わりにその も迅疾、先の刀身は見失った。だけど見えなくたってかまわない。
刀身を妖夢の木剣に絡みつかせ、僅かに頭蓋から逸らす。 "私のほうが速いんだ!!"
膂力をこめ、身体を捻り躱(かわ)しながら跳躍。天地を逆転させ 届く。信じてお師匠様に向かって振り下ろした。
――妖夢の頭上に位置を取る。虚空で遠巻きに勝負を見守っていた "――え!?"
無数の花弁が、ひときわ乱れ狂った。 だがなんだ。手ごたえがない。地面に落ちていた桜の花びらがいく
渾身の長木剣が空を切り、なおかつこの老体の姿が視界から失せ つかぶわりと小さく舞っただけだ。それどころか目前にいたはずのお
たのが理解できないのか。影ってもなお妖夢は左右に首を巡らすの 師匠様の姿すら、ない。
みだ。 "消えた？"
愚か者め。己もこうして地に縛られない技ができるというのに、 急いで左右に首を巡らせる。だけどいない。ただでさえ視界がぼや
戦いに溺れ忘れている。 けてるのに自分の周りだけ暗くなる。邪魔をしないで。探させて。
"いや……本当に愚かなのは……" "後ろ！？"
着地の音にようやく悟ったか。横一閃を繰り出そうとする姿勢で 小さな地鳴りが聞こえたような。途端に背筋に走る寒気。剣を脇に
妖夢が振り向く。だがその剣が僅かな形を見せるよりも、短い呻き 引きつつ身体を反転させる。急げ――念じたときには、出かかった吼
と共に総身を強張らせる方が遥かに早かった。 えが喉で詰まった。
大きく見開かれた妖夢の瞳。反してそうなる前の狭窄な視野でも、 いや詰まらされた。声だけでなく、体躯の全てが。耳元を一線で貫
今ほど盲目であることはないのは、ここまでの立ち合いで明晰だ。 く銀に輝く刃によって。
もはやそれはガラス玉。眦の傍にある、我が意の延長だけを、そ "ぼく……とう……？"
の意味を乗じて映すのみ。 それが光りを照り返しただけのお師匠様の木刀だとようやく判断が
趨勢は揺るぎないほどに決した。だが眼前のは意識を奪い去った 追いついた。だけど、だったらなおさら目が離せなかった。
だけで未だに剣鬼。己にしても、まだ意を収めるには到っていない "負けた……？ 終わった……？"
緊迫の中だ。 言葉が消えては思い浮かぶ。覆しようもない事実。受け入れ難いは
――なにより、まだ師として取り繕わねばならない。この瞬間だ ずだった現状、なのに何も感じなかった。ただただなぜ振り返りざま
けでも。 に剣が突如現れ――いいや待ち構えていたのか。教えて欲しかった。
その頬に、時間をかけて刀身を近づけていく。万感の混濁から、 だがそんな考えも、剣が微かに動きを見せれば一気にふっとんだ。
妖夢の顔に徐々に明確な色が付き始める。慄然したかのように、血 ぶわりと全身の汗腺が開いた感覚の中、じわじわと頬に迫る刀身。
気の失せていく態と、じわりと浮かんだ汗は、理解が染み渡ってい ひどく不快だった。木刀でしかないと分かっているのに、もっと汚
く様相をまざまざと表していた。 らしいもののような感情が溢れてくる。これは知ってる、前にお師匠
桜の袂で残心しながら、何度こうして命の懊悩を見てきただろう 様に負けた直後に抱いた嫌悪感とそっくりだ。
か。迫る危機に対し、浮かべる表情は千差万別であり、変わらない。 息を吸いたい。目を背けたい。でもそうすれば即座に汚れが当てら
だからまだ、痛々しいほどまでによく憶えている。 れる。それだけは嫌だ――だから顎上を斬り飛ばされるような感じが
そこにいるのは、初めからそこにいたのは、他でもない……妖夢 妄想だと分かってても、黙って受け入れ少しでも先延ばすしかない。
だった。 延々とむき出しの頬の肉をなぶられているかのようだった。
頬に軽く押し当てるや、妖夢は脱力し荒く喘ぎだす。瞬く間に残 そこについに刀身が触れる。ひやりとした感覚が尾骨の端まで駆け
留していた意さえも抜けていく、二振りの木剣。今やそれらは刀の 抜けたかと思うと、溜め込んでいた呼気がお腹の底から口まで一気に
形をした……ただの死んだ木でしかない。 逆流してきた。
心霊が降りてきたわけでもなかった。手中の得物が応じ続けたの 出るままに咳をして、ひたすら新しい空気を貪り食った。
は、未完であろうと徹頭徹尾そこにいる幼子の剣技だ。なのにこの "……負けた"
心根をざわつかせ歓喜を湧かせたのは、その成長でも、一人の剣士 己を律せず欲するままに求めるなんてあるまじき姿だ。裸を見られ
と立ち合えたことでもなかった。 るよりも恥ずかしい醜態だった。
剣は既に悟っていた見えざる一撃。理解が及んでみれば、剣技の 在りたいと念じ、日々それに近いように振舞ってきた形。すぐ目の
何たるかを謳っておいて聞いて呆れる。なんと無意味な固執(こしゅ 前にいるのに、それを思い出せるようになるまでどれほど時間が経っ
う)だったことか。 ただろうか。
あれは魂魄の剣ではない。それどころか、師として恥ずべき邪法 気付けばもうあれほど暗かった視覚は焦点を取り戻してきている。
の剣だった。相手を見ることを止めたとき、刀はそこに込められる ちらちらと、過ぎっては落ちていく幾枚かの花びらが目に入った。
意の全てが腐り果てた倨慢へと変わる。そして剣戟を見せた相手さ そして少し見やれば、一面に咲き誇る桜が――
えも、隙あらば望む形に仕立てようと引きずり込む。 "きれい……"
知らぬ身ではない。このままならない世でどれだけ見てきたこと ふと、心の底からそう思った。でもそれがとどめだった。
か。それを、今日までこの一刀に守り導ける力があると信じてきた 桜は最初からずっとあったじゃないか。
己が、体現してしまった。 その美しさを前にしても、絶対に心を奪われたりはしない。勝負に
忘れてくれと妖夢に言うのは簡単だ……だが木刀を納めながらに 余計な感情を持ち込まず相手よりも先に己の迷いを断つ。
思う。これから大輪の花を咲かせる兆しを数え切れぬほど、より色 それが私の信じる、戦っている剣客の理想像。お師匠様と斬り結ん
濃く見せるであろうこの子を前にまた故人を重ねずにい続けること でいたときの私は、それに限りなく近づけていたような気がした。
が、できるだろうか。 だけどもう今は全てが遠かった。満開に咲く桜の命が、煌びやかに
妖夢には課される使命が待っている。ただ一人の少女として咲き 見えてしょうがない。それが突きつけられるどんな事実よりも鮮明に
誇れる季節は、もう幾許もないかもしれない。別の器量は立ち枯れ 告げてくる。
ていくのみ。 勝負は終わり、負けたのだと。魂魄妖夢の剣士の心は、斬り伏せら
だとしても、ならばせめてこの子だけしかないものが一つだけで れ屈服したのだと。
も開花できるように誘うのが、託された者の最大の勤めではないだ 思わず目元が潤んだ。涙が溢れそうだった。
ろうか。 だけどすぐに歯をかみ締めて堪えた。これ以上理想から自分が遠ざ
それは、心の底から模像を望んでしまった者が、成し遂げられる かっていくのだけは、許せなかったから。
はずもないことだ。 じわじわと頭の中がはっきりとしてきた。思い浮かんでくるのはこ
己だろうと、余人であろうと。力の及ばぬ遠い過去の因果を、頭 んな風に私を惨めにしたお師匠様との最後のやり取り。
の中でさえ切断してやることさえできない弱き者には至れぬ境地だ。 思い出したくもない。でも心に何度も浮かぶそれはどの瞬間もあま
いずれ……教授すべき魂魄の技と魂魄妖忌の欲するモノが知らぬ りに力強く、鮮烈だった。余力がなかった覚えも合わされば、反して
間に致命的に交錯するのではないか。そうなれば妖夢はその間違い 私が嫌がりそうなものをこの記憶は一片足りと持っていなかった。
を刻み付け、単なる人形と成り果てるだろう。 "天女返し……"
もしかすれば、気付いていなかっただけでその不徳を重ねていた 袈裟懸けを振り下ろしたあのとき。目の前から突如お師匠様が消え
のではないか。だからこの手からどちらも滑り落ちていったのでは そして妙に私の周りだけが暗くなった。まるで頭上からの光りが遮ら
ないか―― れたかのように。
そんなことはない。声を大にして叫びたかった。少なくとも託し それをあのときの私は疲れが限界まで来たせいだと判じたが、その
た者達と鍛錬に明け暮れたときは、教えたはずの数多の術が万華鏡 考えこそが疲労困憊の頂点まで達していた証拠だとこうして勝負が終
のように変化し異なる輝きを放ったではないか。 わってみれば思う。
それこそ天性の花開く様だと、たとえ罪があったとしてもせめて 我武者羅に振り下ろしている最中で見ていなかったからほとんど想
そう言い張りたかった。 像の域を出ないが、技の流れはまず間違いないだろう。
だが妖夢だけは今のままでは到底導いてやれそうにはないのだ。 あのとき頭蓋に落ちるはずだった私の一刀は巧みに反らされ、そし
追悼は仇討ちと表裏であり懐古は不覚を催す。刹那を絶つ抜身に『 てお師匠様は横を通り過ぎたのではなく――頭上を飛び越えたのだ。
意』は宿しても枷となる『思い』は乗せるべきでない。それらを断 だがなにより驚嘆させられるのは、私が袈裟懸けに移ったとき確か
じ教え込めるほど心根を改めるには……悲しいかな時間は短く、思 にお師匠様が踏み込みの一刺しを繰り出していたことだ。
い出深く生き過ぎた。 どう考えてもおかしいことだった。全てが完璧に整っていたあの構
覚悟のあり方を身に付けれる僅かな時期なのだ。だが老体から来 えから奔った一撃。矢にたとえるなら、引き絞った弓弦から解き放た
るものでないそのいずれなるであろう刃速の鈍りは、たとえ稽古の れたまさにそれだった。
最中に妖夢に切り殺されたとしても何一つ良いものを残してやるこ 私ならそこから技を変えることなんてできやしない。だけどお師匠
ともなく、続いたとしても在るべき姿に蓋をするだけだ。 様はやってのけたのだ。射出した矢を狙いを定めた的に当る前に再び
剣の型だけは余すことなく目にさせ、書にして残してもある。も 虚空で掴み、そして再び撃ち直すのを。
し単なる児戯としても剣技がある平静の世がいつか来たとしても、 私が弱かったからそれが可能だったのか。それともお師匠様ほどの
それを礎にあの子だけの技を見つければ魂魄剣術の意志は真に死ぬ 高みまで至れば出来ることなのか。
ことはあるまい。 どちらにせよ、それができる剣の速さがいかほどのものか。ぎりぎ
憫笑を浮かべたいほどに悟った。もはやこの精神の紡ぐ剣技は、 りまで目にしていた私でさえ分からない。
ただ妖夢に対してだけは絵筆のわかせる想像を越えることはないだ 速度という概念で語れるようなものではなく、まさしく『時』を制
ろうと。 していたんじゃないだろうか。
ならばいっそ全てを幻想に委ねてしまうのがこの子のためなのか まだまだだと思い知った。途中で感じたように、私の剣技は本当に
もしれない。 子供がじゃれているのと同じだったのかもしれない。
夢とは決して追いつけはしない魔物だ。魂魄妖忌は魂魄妖夢唯一 それを教え込むためにあえてわざとあそこで別の技を放って私を誘
の剣の指南手。今ならば、不義の師としてではなく、一人の剣客と い出したんじゃないだろうか。はじめから余裕で応じれると分かって
してこの子の中に巣食い続けられる。 いたなら有り得ない話でもない。
なにより妖夢の剣に対する紳士さと熱意を知ってる――迷いなが そんな難しいことをお師匠様はやってのけれる。私よりも遥かに高
らも歩みを止めることはないだろう。 い場所にいるんだ。やっぱり、すごい。
己で導いてやれないのは無念極まりない。だがそれでも、たとえ そのかっこいい剣士が私のお爺様だと思い出すだけで、ちょっと嬉
虚像でもこの背中を見つめてくれるならば……是非もない。喜んで しかった。
姿を消そう。 でも私だってこれから練習を重ねればいつかお師匠様に追いつける
そして願わくば、いずれ幻を超える朋友を持ち、思いをぶつけ合い かもしれない。――いいや絶対に追い越すんだ。だって負けたらまた
ながら魂魄妖忌とは異なる剣を己の中に作り上げて欲しい。 悔しいもの。
なるほど私は羅刹。御伽の化生まがいになることしか、先に逝っ それにそれが叶ったら、きっと褒めてもらえる。こんなにかっこい
た者達の切望を成してやることも、孫一人満足に愛してやる術も思 い人の誇りになれれば今よりもっと嬉しいはず。
いつきもしない……。 やっぱり大好き。早くお爺様みたいになりたいな。
<了>
とても読めたものではありません！ 折角の作品がもったいないです！
そうそうに修正されたほうがいいかと。
ただ、どうせ左右同時には読めないのだし、普通の構図でも良いのでは
PCでも文字サイズを小さくしないと画面に入らないし、妖夢パートの左側が揃わないです。。。
tabではなくtableタグなりでやったほうが、、、ってHTMLタグ使えるかわかりませんが。
もうワンランク、解像度を落として編集しなおすのはいかがでしょうか。
でも読み辛い…
小分けにして交互に載せて行くってのはどうでしょう？
ただ次は別のアイデアを楽しみにしてます。