Coolier - 新生・東方創想話

幻想レーサーズ2007

2009/04/13 22:24:43
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******


 一目惚れ、と。
 その言葉の意味を理解する日が来ようとは、妖夢はこの瞬間まで想像すらしていなかった。
 白玉楼の庭内に鎮座する刃金の巨体は、外殻部の丸さの所為か、硬質な白銀の色を持ちながらもどこか柔らかな印象を抱かせる。
 手を触れた瞬間、低く、ざわめく様な鼓動が聞こえた。どこまでも主に忠実な獣の、穏やかな、強さを持った鼓動である。
 ひんやりとした鋼鉄のボディに、それでも確かな温かみを感じ、妖夢は溜息を漏らした。
 この子は生きている。今すぐにでも走りたがっているのだ。理屈など無く、ただ悟性によって妖夢はそう識った。
 ドアを開け、運転席に妖夢が乗り込む。エンジンが咆哮を上げ、車体が歓喜に打ち震えた。
 その瞬間から、彼と妖夢は盟友と成った。
 ――さて、何故車が幻想郷に……それどころか、形在る物は到達出来ぬ地である冥界・白玉楼に、万全の状態で在るのか。
 それには矢張り隙間妖怪が関係していた。こんな理不尽な事態を引き起こす人間、若しくは人外などそうそう居るものではない。
 少なくとも白玉楼に車が在ると言う理不尽については、この説明で充分かと思う。
 では何故幻想郷に十全の状態の車が在るのか。其れには胡散臭い妖怪ではなく、或る漢の情熱が関係していた。
 一目惚れ、と。
 その言葉、その意味を真に理解する時が来ようとは、森近は想像していなかった。
 数年前の或る日、空から突如として巨大な鋼鉄の塊が幾つも降ってきた。その瞬間、森近も―妖夢と同様に―車に惚れたのである。
 森近は自身の能力に拠って車の使い途を識り……
 愛の様な、否、愛その物の情熱を以て使い方を理解し……
 かくして、彼と彼、二人の男は一つとなり、友となり……
 一つ間違えるとおぞましい解釈をされそうな、その様な道筋を経て。
 丁寧に手入れされ、修繕された自動車が機能を完全に取り戻したのがつい先日の事である。
 そして今。ちょっと借りるだけよ、との言葉と共に、涙を流して追いすがる森近から強奪された自動車達は、幻想郷の各地に散らばっていた。
 白玉楼に一台。紅魔館に一台。神社にニ台。竹やぶの中に一台。森の中の、通常の道筋では車がどうやっても到達出来そうにない家の間近に一台。
 もう一台は何処とも知れぬ次元の狭間に繋ぎとめられ、出番を待ち望んでいる。そしてその声は確かに私に届いたのよ、と胡散臭い妖怪は言った。
 場所と時間が冒頭に立ち戻る。白玉楼の縁側である。既にドリフトをマスターしつつある妖夢を、笑顔で眺めながら幽々子は茶を啜った。
「と言うわけで、数日後にレースをするわ」
 当然の帰結であるかの様に紫は言った。いや、車で何か面白い事を、と考えた場合には当然の帰結なのだろう。多分。
 それだけを言って隙間妖怪は隙間へと消えた。


******


 そして、レースの日がやってきた。
 参加者は鈴仙、妖夢、幽々子、レミリア、魔理沙、アリス、美鈴の計七名。
 いつの間にか紫が作り上げていたコースは一周が218km。
 幻想郷の方々に伸び、山有り谷有り湖有り天空有り直線有り曲線有り登り有り下り有り何でも有りの、複雑怪奇な様相を呈している。
 このコースを、車を運転して最初にゴールした者が勝者となる。
 紫が設定したルールは以下二つ。
 一つ、飛翔行為は一切の例外なく失格となる。
 二つ、他者が運転する車に対する、魔術的な能力使用による干渉は一切を禁止、破った場合は失格となる。
 七台の車に七名の人間・人外が乗り込み、それぞれのエンジンが始動する。
 後はスタートの合図を待つだけと言うその時、運転席のドアが開き、レミリアが日傘を差しながら車の外へ現れた。
「……咲夜」
「如何なさいました、お嬢様」
 呼びかけに応え、観客席にいた咲夜が瞬時にレミリアの前に移動する。
 彼女に許された異能、時間操作。クロノスの軛から逃れ、四次元上を自在とする怪異。
「足が届かないわ。代わりに運転なさい」
 沈黙が流れた。
 たっぷり五秒の静寂の後、大気を切り裂いて銃声が鳴り響く。紫がスタートの合図を鳴らしたのだ。
 六台の車が走り出す。主とその従者を残して。


******


「幾つかある禁忌の調合、それを行うとどうなるか知ってる?」
 その声は誰も居ない筈の後部座席から聞こえた。低く、地獄の底から響く様な、蟲が大軍を率いて、整然と戦列を揃えて悪い事を知らせに来たような、そんな声だった。
「その答えが……これよッ!」
 座席が跳ね上がり、因幡てゐが出現するのと同時に、後方で爆音が鳴り響く。
 文字通り、地面が爆発した音だった。一台の車が衝撃に空高く舞い上がり、紅蓮の炎に巻かれながら墜落していくその様を、鈴仙は確かに見た。
「……あの、てゐさん、何してはるんですか?」
「孕ら☆ハラ時計と言う本を参考にしたの」
 そんな事は訊いてなかった。しかも何かが決定的に、と言うか致命的に間違っている匂いがする。過激派とスワンの皆さんごめんなさい、と鈴仙は心の中で叫んだ。
「って言うかクスリってレベルじゃないしっ!?ダメ、ゼッタイってとこしか共通点ないよ!?」
 スタート地点から5kmほど進んだ、森の中のコースである。下手をしたら延焼しかねない。
 それよりも運転者は無事なのか。人外ならばこの程度でどうにかなるとは思えないが、もし人間ならば……
 どうやらその心配は杞憂に終わった様だ。バックミラーに、炎の中を揺らめく人影が映っていた。
 人影、いや、それを人であると断じて良い物か。
 怖気が鈴仙の体を襲う。殺気、尋常な物ではない。人間が浴びればそれだけでショック死しかねない程の、呪いにも似た脅威が在った。
 アクセルをいっぱいに踏み込み、エンジンが唸りを上げる。此処に居ては危ない。スピードを上げ、アレから一刻も早く遠ざからねばと、鈴仙は車を走らせる。
「……逃げるわよてゐ。シートベルトつけて」
 車がコーナーを曲がり、バックミラーから爆発現場が視認出来なくなると、燃え盛っていた炎が突然掻き消えた。
 後に残るは、ちりちりと燻る僅かな赤だけである。
 その赤も、空間に満ちた怒気に押されるようにして身を小さくしている。
 かちり、と僅かな音。そして、沈黙の帳が降りる。
 それだけだった。ただそれだけで、爆発を起こした車体からは、焔が消えて果てたのだ。
 果たして、炎を掻き消した物は一体何だったのだろうか。
 ゆっくりと、『彼女』が落ちた鋼の骸の方へと歩き出す。
 彼女はその腰に二振りの刀を帯びていた。それが全ての答えだった。
 そう、掻き消えたのではない。斬られたのだ。
 魂魄妖夢が操る、長刀の一振りによって。


******


 開始から十分が経過しても、レミリアと咲夜はまだスタート地点にいた。チャイルドシートの取り寄せに時間がかかったのだ。
 レースが始まってしまった以上、世界全体を巻き込む時間停止は使う事が出来ない。ルールに抵触してしまう為だ。
 その為、咲夜は紫に香霖堂までチャイルドシートを香霖堂から持ってきてもらう事にした。主の為ならば、多少の時間のロスは仕方ないと断じての行為であった。
(素直に依頼を引き受けてくれたのは少し意外だったわ)
 そんなかなり失礼な事を考えながら、咲夜はこのレースに対する見通しを立てる。
 今回のレース中に使えるのは、精々が自身・車体・周囲に対するクロックアップか。自らの車体に干渉しながらの他の車との接触は、霊力を込めた武器で接触するのと同じと判断され、ルールに反すると見た方が良いだろう。
 何も、問題は、無い。これから起こるであろう追い上げに、確信を抱きながら、十六夜咲夜は笑みを浮かべた。
 レミリアがシートに収まると、咲夜は溢れ出た鼻血を拭きながら運転席に座る。
 レミリア・スカーレットには、チャイルドシートがよく似合う。とかそんな邪な考えを頭から振り払い、咲夜は自身を機構の一部に切り替えた。
(私は、主に勝利を捧げる為のシステムだ。勝利を勝ち取る刃金の一部だ)
 従者として在るべき姿へと変貌した咲夜が、車を発進させる。
 十分、その差はレースとしては致命的な差だが、彼女にかかればそんな物は些事でしかない。時間を競う競技なら彼女に敵う者などいないのだから。
 それよりも問題なのは……
 妨害工作である。ルールに引っかからない妨害、例えば魔術などを介さない科学的な罠……地雷等の爆薬が仕掛けられていた場合……いや、流石にそこまではないだろう。
 そう自分の考えを打ち消したところで、遠くで火の柱が上がり、数十秒遅れて微かに爆音が聞こえた。どうやら、全く油断は出来ないらしい。
 時速160km、加速した時の中では体感時速20km程度の中を注意を払いながら走る。
 コーナーに差し掛かる毎に周囲の空間まで支配領域を広げ、慣性や摩擦などの物理法則を同調させる事によって速度を全く落とさないコーナリングが可能。元より、ただのレースであれば負ける筈がない。
 ならばそれ以外の要素に注意を払えば良いだけだ。
「……往きましょう、お嬢様」
「ええ、往きなさい、咲夜」
 悪い冗談の様な、凄まじい速度で咲夜が追い上げを始める。
 全ては主の勝利の為に。


******


 運転は上手いが、速度を出す勇気はない。
 運転が下手だが、速度を出す勇気はある。
 一般的には前者は優良ドライバーであり、後者は運転を任せてはいけないタイプである。と言うか、後者は勇気ではなく無謀である。
 まるで恐ろしい何かから逃げる様な、向こう見ずな加速で美鈴を抜き去った車は、コーナーを曲がりきれずにコース外の木に衝突、大破した。
 その車からよろよろと兎が二匹這い出で、ぱたりと倒れた。
 優良ドライバーの権化であるかの様な美鈴は、思わず車を停止させ、車外に出て駆け寄る。それが間違いだった。
 ――兎の片割れが元気に走って美鈴の車に乗り込む。
 ――「鈴仙、乗って!」と叫ぶ。
 ――鈴仙が車の屋根の上に乗り、「そこじゃないわよ馬鹿!」と突っ込まれながらも車が発進する。
 美鈴は、その様を呆気に取られて見ていた。
 正直者は馬鹿を見るのである。馬鹿×2に車を奪われた美鈴は、途方に暮れながら、
 とりあえず、歩き始めた。


******


 墜ちた刃金の巨体からは、血の様な液体が流れ、その死を物語っていた。
 ――失った。
 彼は……最良の友であり、従順な僕であった鋼鉄の獣は、その機能を停止し、もう二度と駆動する事は無い。
 じりじりと再び燻り始めた炎が、絶望に灼ける剣を紅く染める。頼りとしていた剣を、自身の誇りであった剣を。
 咲夜が運転する車が通り過ぎ、それと共に風が吹き抜けた。それは戦場に吹く風だった。死を匂わせる禍ツ風(マガツカゼ)だった。
 その風に、妖夢は自失から我に返る。
 此処は、自分が今立って居るこのコースは、最早戦場である。
 ならば守れなかった友を弔う暇は無い。妖夢が為すべきは、悲嘆に暮れて鉄くずの傍に立ち尽くし、時間を無駄にする、そんな事では断じて無い。
 彼女にはまだ守るべき物がある。守るべき人が居るのだ。
 剣は未だ折れず。絶望から立ち直った妖夢は、物言わぬ友の死骸に一瞥をくれると、全速で走り始めた。
 彼女が守るべき、主の下へ向かって。


******


 魔理沙、アリスが運転する車は並走しながら峠地点へと差し掛かる。
 示し合わせた結果ではなく、運転技術が拮抗しているが故の並走である。全力を出しても引き離す事が出来ないこの状況に、アリスは苛立ちを覚えていた。
 あの白黒の魔法使いはいつもアリスの心をかき乱す。笑いながら、楽しそうに、明るく、暖かく接して……
 まるで……
 まるで、アリスの棲む世界にも、陽が当たる様な、そんな錯覚を抱かせるのだ。
 それではダメだ。それではきっと……弱くなってしまう。
 彼女は孤独だった。彼女はそれでも強かった。彼女は……そのままで良かったと、そう思っているのだ。
 ――本当に?
 頭を振り払い、アリスはその声を締め出そうとする。近頃常にその声が……その問いが頭から離れない。
 それならば、
(証明してみせる……!)
 自分がまだ強い事を。誰も頼らずに生きていける事を。
 皮肉な事に、その気負いの結果が、僅かに彼女の運転を狂わせる。
 限界速度を微かに超えたスピードで、曲がりきれるラインを微かにオーバーしてしまった結果、アリスの運転する車はガードレールを突き破って崖から転落していく。
 ――瞬間、名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
 アリスは、それを認めたくない。
 ――落ちていくその最中に、何かが視界を掠めた。
 アリスは、そんな物に頼りたくない。
 ――それでも確かに聞いてしまった。見てしまった。
 魔理沙の声を。全速で自身の車から飛び出し、アリスの車体の下に潜り込むその姿を。
「何で……来るのよ……?」
 地面に向かってゆっくりと車が降りていく。魔術を使った魔理沙に支えられながら。
 やがて静かに地面に着地し、ドアが開かれ、いつもの様に暖かい声がかけられた。
「大丈夫か、アリス?」
「バカ魔理沙ぁ……」
 アリスは、自分が泣いている事に気が付いた。


******


 第一条 従者は主を守らなければならない。
 第二条 第一条に反しない限り従者は主の命令を聞かなければならない。
 第三条 第一条、第二条に反しない限り従者は自分の身を守らなければならない。
 ――十六夜咲夜は悩んでいた。
 バックミラー越しに主の様子を伺う。
 ……先ほどよりも悪化している。そう判断するに足る、死人の様な顔色をしていた。いや死人なのだが。
 何の事は無い、ただの車酔いである。子供は車に酔い易いのだ。だがレミリアは勝負を途中で投げ出す事を拒否した。
 命令が下されたのだ。勝利せよ、と。しかし……
 ――第一条。第一条だ。
 従者はもう一度伺いを立てる。
「お嬢様、矢張り棄権した方が良いのでは……」
「……私の……命令が……聞こえなかったかしら……?」
「いいえ、はい。失礼しました」
 カダスのような言い回しで、咲夜は引き下がった。
 そう、今のところは第一条の適用範囲ではない。今差し迫っている事態は第二条に優先するほどの危機ではないのだ。
 いや、このままだと確実に第三条の適用範囲には入るのだが、レミリアの車酔いが絶頂に達してアレをアレしようが、残酷な事に第二条の方が優先されるのだ。
 車内を探してみたが、袋になる様な物もない。峠の下りを終え、周囲を森に囲まれたコースの付近に代替物があるとも思えない。
 或いは、時を止めたまま飛翔を行なって館に帰り……とも考えたが、その程度で誤魔化せる様な審判ではない。
 忙しい忙しいと言いつつ何故か審判を引き受けたあの裁判官の前では、シロクロを偽る事は不可能だ。
 そして、ルールに抵触する以上、それは主の命に反する事に繋がり、矢張り第二条に反してしまう。
 八方塞。咲夜に出来るのは、主を信じる事だけだった。
 いつもは、そうしている。咲夜は盲目的に主を信奉している。しかし、今回ばかりは……
「うぅ……うっ!」
「!?お、お嬢様!?」
「……だ、大丈夫よ」
 ……今回ばかりは、どうにも不信が拭えない。
 こんな時に……
 美鈴がいてくれればいいのに、と咲夜は思った。
 ……何の役に立つかは、脇に置いておくとして。


******


「必殺!ドリフトー!!」
 スキール音を響かせながら、地面にタイヤの焦げた跡を残して、車が疾走する。
 てゐはノリノリだった。凄く。
 上に味方がしがみついている事などお構いなしに。いやむしろそれ故にノリノリだった。
「おーちーるー!?と言うか何故そんなに運転が上手いのは何故なのですかー!?」
 上の鈴仙は必死で車にしがみついていた。一回の文で二回「何故」と言うくらい必死だった。
「……そんなとこに乗るのが悪いのよ?と言うわけで超必殺!急加減速ー!」
「超殺す気なんだ!?しかも今度は必殺って付けるほど大した事してないよ!?」
「何?もっと凄い事をお望み?」
「すみませんでしたやめてください」
「究極絶技ー!」
 鈴仙は泣いた。泣いても状況は何も変わらないのを承知の上で泣かずには居られなかった。
 車は今、スピンしながら不可思議な動きで、時速120kmほどでコーナーを曲がっていた。
 多角的コーナリングとでも名づけるべきその挙動は、路面とタイヤとが奏でる『魔女の悲鳴』によって車内の者全ての眠りを妨害し、目まぐるしく変わる窓の外の光景によって言い様のない恐怖を抱かせる、外宇宙的で名状しがたい複雑怪奇極まる動きである。
 ましてや、鈴仙は鋼の外装とシートベルトとで守られた車の中ではなく、その上にしがみついているのだ。
 まるで覗き込んでもいない深遠からガンをつけられているかのような怖気が鈴仙を襲った。
 『見ないで下さい!こっちを見ないで下さい!』と心の中で鈴仙は外宇宙的な方々に土下座しながらお願いした。ちなみにその方々は勿論鈴仙の恐怖から派生した妄想の産物である。
 ――これが、究極絶技……!
 兎の哄笑が響く。地獄の悪魔も震え上がる様な声だった。思えばあの蟲の知らせを感じた時点でレースなど投げ出して逃げるべきだったのだ。
 蟲様は大事な事だから大兵力を用いて知らせに来たのに、その時点で全てを投げ捨てて蟲様の知らせに従わなかった鈴仙は愚かでした。そう心の中で鈴仙は自己批判した。
 飛翔を行なえばレースから脱落出来ると言うルールすら忘れて、鈴仙は必死で車にしがみつくだけだった。
「南○水鳥拳奥義ー!」
「いやそれは流石に無理でしょ……ってぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!?」


******


「ごめんなさい、魔理沙……私……」
「ああもう泣くなっ!何か私が悪い事したみたいな気分になってくるだろっ」
 泣きながら抱きついてきたアリスを、魔理沙は慌てて引き剥がした。
「でも……」
「ほらハンカチだ。顔拭け顔」
「んくっ……」
 魔理沙がアリスの顔を無理矢理拭う。
「よし、っと……綺麗になった。ぐしゃぐしゃだったもんな」
「失礼ね……誰の顔がぐしゃぐしゃよ」
 いつもの調子でアリスが反論したのを、魔理沙は笑って聞き流した。
 そう、魔理沙は笑っていた。あれだけ情熱をかけていたレースに敗北したと言うのに。
 ……アリスは知っていた。魔理沙が入念にコースを下見し、何度も何度も試走をしていた事を。
 それを台無しにした自分は、どんな謗りを受けようとも仕方が無い。アリスは顔を俯かせて、魔理沙の言葉を待った。
「さてアリス……私はもうレースから外れた身だ」
 だから、と魔理沙は続ける。
「だから、私はお前を応援する」
「……え?」
 アリスには、耳に入ったその言葉がしばらく理解出来なかった。
「私の分まで頑張ってくれ、アリス」
「どうして……?私の所為で……失格になったのに……?」
 一人で過ごしてきたアリスには、確かに理解できないのは仕方ないかも知れない。或いは、魔理沙がアリスを責めるかも知れない等と、見当違いの事を思っていたのかも知れない、とアリスの表情を見て魔理沙は思った。
 そんな勘違いをするほどに、長く孤独だったアリス。果たして、彼女に自分の言葉は届くだろうか。彼女は、自分の言葉を受け止めてくれるだろうか。
 ――……いいや。
 頭を過ぎった不信を、魔理沙は振り払った。
 想いを乗せた言葉は、きっと届くと、そう魔理沙は信じているのだ。
「お前は私の友達だから、だ」
「友……達?」
 ――友達。
 言葉と共に、頭に手が乗せられた。柔らかく、泣く子をあやすように魔理沙がアリスの頭を撫でる。
 この気持ちは何だろう、とアリスは思う。胸の中がほんのり暖まるような、この安らぎに似た感情は。
 分からない。けれど、決して嫌な感情ではない。
「で、でも……こんな森の中じゃ車が通れる隙間は無いわ。車は無事だけど、もうレースには……」
 確かに、車が今位置しているのは、なんとか車が入れる程度の森の隙間だった。通常の道筋では、どうあってもコースに戻れそうに無い。
 しかし、その言葉を受けた魔理沙は、笑いながらミニ八卦路と一枚のカードを取り出す。
「よく聞け、アリス。心の中じゃパチュリーも絶対お前を応援してる。それに、お前ならここからでもきっと逆転出来る」
 轟音。
 閃光。
 一筋の巨大な光と共に、星の形をした粒子が巻き上がり、辺りの物を吹き飛ばしていく。
 恋符【マスタースパーク】が、前方の森に向かって放たれたのだ。
「嘘じゃない、ってな」
 吹き飛ばされた木々の向こうに、アスファルトの路面が見えた。見覚えがある、かなり前に車で通り過ぎた地点だった。
 ……入念な下見のお陰で、コースがすっかり頭に入っていたのだろう。その事に思い至り、アリスは再び涙がこみ上げてくるのを、表情を歪ませて噛み殺した。
「まあ、例え負けても怒ったりしないから安心してくれ。それじゃあ、行って、ぶちかまして来いっ」
 魔理沙が箒を駆って飛び立つ。星型の粒子が青空へと消えていく。
 ……何をぶちかませばいいのかよく分からないけれど、とにかくアリスは、進む事にした。
 胸の中に宿った熱い何かと共に、自らの全力を賭して。


******


 50mの距離、その向こうに、ドアを開けて車内を覗き込む無防備な背中を確認した妖夢は、疾走したまま抜刀の姿勢に入った。
 駆けつけて斬り捨てるまで三秒とかかるまい。今から敵が身を翻して防御の姿勢に入ろうとも、妖夢の絶対的な有利は変わらない。
 勝った。勝機を掴んだと、妖夢は確信する。今左手の親指にかかる鍔の重さは、確かな勝機の重さだ。
 ――だが妖夢、お前はそれで良いのか。
 自問する。冷徹に勝利を奪い取るシステムとして在るならば、自分は迷ってはいけない。そうするべきだ。
 しかし……
 妖夢は疾走を止め、鍔から手を離し、ゆっくりと車に近づいていった。
 ようやく気配に気付いたのか、車を覗き込んでいた人物が振り返る。紅魔館門番の……
「貴女ですか……その車は?」
 名前を忘れたが、訊ねるのも失礼だと思い、妖夢は誤魔化す事にした。
「さあ……私が来た時にはここに有りました」
 と、美鈴は少しヒビが入ったフロントガラスに内側から手を触れながら答えた。
 事故、だろうか。それにしては奇妙だった。車内に人間、妖怪の姿はなく、出血など、怪我を思わせる痕跡もない。
 それに、車体の左側面こそ酷く傷ついているが、どうやらエンジンとタイヤは無傷の様だ。まだ走れる車を残して、運転手は何処へ消えたのか。
「もしかして……少し前に、転落防止の柵が壊れてましたよね。ほら、あそこです」
 美鈴が指で示した方向を見ると、壊れたガードレールと、そこへ向かってタイヤの焼け焦げた跡が続いていた。
「転落した車を、この車に乗っていた誰かは助けに行った……そう言いたいのか?」
 妖夢が崖から見下ろした先には……
「……とりあえず、アレをやったのは魔理沙ね」
「……無茶苦茶だ」
 密集した原生林の中に、一筋の道が出来ていた。マスタースパークによる破壊の爪痕だ。その道を、一台の車が走る。
 道は舗装された道路へと続いていた。ショートカットか……いや、どうやらその道路は以前に通過した地点の様だ。つまり、かの車は大きく後退したのだと、妖夢は見当をつける。
「まあ、それはさておき」
 美鈴が妖夢と向き合う様に体を動かした。
「あの車の運転手はいなくなったわけですが……どうします?」
 ――どうするか。
 既に、斬り捨ててでも奪いとろうと言う気持ちは無くなっていた。失格になるのを承知で誰か――恐らく魔理沙だろう、と妖夢は思った――が人助けをしたその場所で、浅ましく車を取り合う等、出来よう筈も無い。
 思えば、美鈴には最初からその様な気負いは全く見られない。血気に逸っていた自身を妖夢は恥じた。
 冷静になった頭で、何か策がないか考える。答えはすぐに出た。
「……こういうのはどうだろう?」


******


 バックミラー越しに咲夜が運転する車を認めた幽々子は、微かに笑みを浮かべた。
 ――矢張り来たわね。
 あの吸血鬼が、あの従者が、あの程度の遅れを取り戻せないとは、幽々子は思っていなかった。
 ならば激突は必至である。迎え撃つのに最適の場所を確保するために、兎二匹を先行させてまで、幽々子はこの地点での邂逅を選択した。
 現在、二台の車はコーナーが連続する地点に差し掛かっている。これが長い直線であれば、車体に対するクロックアップを接触の瞬間のみオフにする事で、咲夜は何事もなく幽々子を抜き去っていただろう。
 だがこの地帯ではそれは無理だ。と言うのも、コーナーの度に同調させている車体の周囲の時間の流れを切り替えてしまうと、たとえそれが接触の間だけだとしても、コーナーを曲がりきれずに事故を起こしてしまうからだ。
 エンジン性能にクロックアップをかけるだけでは、物理法則に従って矢張りコーナーを曲がりきる事は出来ない。つまり、この地帯においては、咲夜に許されるのは自身に対するクロックアップだけである。
 だがそれだけだとしても、精密動作を要求される高速コーナリングの連続では咲夜の優位が揺らぐ事はない。その筈だと、咲夜は確信していた。
 しかし……
 幽々子は咲夜の精密動作に対抗するかのように、理論上これ以上ないと思わせる完璧なライン取りの走行で、ぴったりと並走を続けている。
 見る物が見れば怖気を覚えただろう、ガードレールに微かに触れては離れ、離れては触れるそのコーナリングは、まさに事故と隣り合わせであった。
 事故……この速度帯であるならば、それはつまり死とイコールであった。たとえ既に死した者であったとしても、込み上げる恐怖は抑えようがない筈である。
 しかし幽々子は一切のミスをする事無く、その離れ業をやってのけている。
 何故、幽々子がこれほどまでの運転技術を持っているのか。それは彼女がレース用に考案した術式が関係している。
 ――同調、開始(トレース、オン)。
 仮想の車。仮想のコース。仮想の運転手。そして、仮想の死のライン。
 それらを頭の中で組み上げ、限界一杯のラインをトレースする事で、幽々子は最速のコーナリングを可能とする。
 死と隣り合わせの走行、死に限りなく近い最速のライン。これを人間である咲夜が抜き去ろうとすれば、そこに待つのは……
「……ッ!駄目よ咲夜!退きなさい!」
 レミリアが叫ぶ。だがもう遅い。
 普段ならば、もっと早くに幽々子の術式に気づけていただろう。車酔いと言う経験した事のない体調不良が彼女の勘を鈍らせていたのだ。
 こつりと、幽々子の車が咲夜の車に接触する。相対速度はほぼ0に近く、移動したエネルギーは極僅か、咲夜の能力を以ってすれば大勢には全く影響がないかに見えるその接触。だがその瞬間に、咲夜の能力の全てが失われた。
 ラインを、超えたのだ。”スピードの向こう側”に、手を触れてしまったのだ。
 車体は今や淡い光を放ち、ブレーキやハンドル操作と言った全ての制御を受け付けなくなった。
 臨界、と見る者が見ればそう言っただろう。最早咲夜が操っているのは、車ではない。限界を超え、臨界へと達し、その果てに変化を遂げた、一種の幻想なのだ。
 ――絶対的な死が、彼女を飲み込もうとしている。幽々子が仮定していただけの死が、現実となって咲夜の運命を捻じ伏せる。
 時を止めての脱出。しかし、歯車は干渉を受け付けず、正常に未来へと進み続ける。
 自身に対するクロック・アップ。だが咲夜の時計は……
 時を、知らせていた。全ての人間に訪れる、人の時間が永遠に止まる、その時を。
 咲夜が運転していた、車であったところの物は、高速でコース脇の木へと衝突し、大破、炎上した。


******


 びくり、とハンドルを握る美鈴の腕が震えた。その拍子にごく僅かに車体が揺らいだが、直線である事が幸いし、全く進行に支障はなかった。
 ――咲夜と、レミリアの反応が消えたか。
 恐らく、今の僅かな反応はそれが原因だろう、と妖夢は見当を付ける。
「……私の……負けみたいですね」
 ――妖夢の提案はごく単純なものだった。
 最早互いの主の激突は必至である。ならば、敗者の側は勝者の側にこの車を引き渡す事にしようではないか。決着がつくまでは、運転は貴女に任せよう、そう言ったものだ。
 運転を任せたのは、背後から斬りつけようとした行為に対する贖罪のようなものだった。それに、この門番が約束を違える事はないと確信していたと言う事もある。
「……はい、幽々子様が勝ったようです」
 幽々子が勝ち、二人の反応が消えたと言う事は、恐らく……
「二人とも大丈夫です、きっと」
 そう妖夢の考えが進みそうになった所で、門番はなんでもなさそうな声で言った。
「だって、咲夜さんとレミリア様ですから」
「……そうですね」
 美鈴の声に、願望の響きはない。あるのは、確信の色だ。
 ――あの二人は戻ってくる。
 美鈴はそう信じ、そして妖夢にも、そんな奇妙な確信があった。
 妖夢の感情を察知したか、美鈴の表情が微かに緩む。
 互いに、この相手とならば分かりあえると、不思議とそう感じていた。先刻、背後から斬りかからずによかったと、妖夢は思った。
 そこからの数分はお互いの仕事上の苦労に対する愚痴を並べあい、そして……
 道路上に、兎が二匹横たわっているのを、二人は視認した。
 互いが車を失った経緯は、既に語られている。
 二人の頭に、兎達の悪行がまざまざと蘇る。
 だが美鈴は、それでもブレーキを踏み、緩やかに減速を始めた。
「……何をしているんですか?」
 ……既にこの車は妖夢の物だ。先ほど取り決めたルールに従えば、美鈴は妖夢の指示に逆らう事は出来ない。
 止まるな、と言われたら、それに逆らう事はルールを破る事を意味する。
「もちろん、助けるんですよ、あの人たちを」
 だが、もしそう指示されたとしても、美鈴はブレーキを踏む足を緩める気はない。
「……十中八九罠だと思いますが」
「……そうですね。私もそう思います」
 それでも。もし本当に彼女達が何らかのアクシデントによって倒れているのだとしたら。
 そう考えたら、止まらない訳にはいかない。それが、美鈴の通ってきた道であり、これからもその道を進む事に迷いなどない。
 ――……止まるな、って言わないんですか?
 美鈴は、当然の疑問であるその言葉を、言い放つ直前で飲み込んだ。
 妖夢が、ただ穏やかに笑っていたからだ。
「ありがとう。あそこで出会ったのが貴女でよかったと、心からそう思います」
 妖夢は何か大切なものを慈しむように、そう言った。
 ――もしあそこで出会ったのがこの門番でなければ、或いは、もしこの門番と出会わなければ。
 自分は倒れている二人を見捨て、修羅の道を歩む事になっていただろう。そう感じたが故の、深い感謝の念だった。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
 美鈴は、妖夢に自分の道を理解してもらえた事がただ嬉しくてそう返した。
 車が兎二匹の手前で停止する。二人が降車し、兎の方へ歩みより、そして、
 同時に、跳躍した。
 何かが来る、殺意はない。いや、殺意『では』ない。無機質な無数の危機が、二人に降り注ぐ。
 妖夢がそちらに向かって刀を振るう。無数のそれを薙ぎ払う。門番に攻撃を当てないよう注意しなければ……と、妖夢はそう考えた所で、そんな配慮は必要ない事に気づく。
 美鈴は妖夢の背中を守っていた。まるでずっと昔からこうやって互いを守り続けてきたかのような、呼吸を完全に合わせた連携だった。
「……ただの槍、ですね。ただ、数が多いだけの」
「ええ。このレースに参加した者であれば、この程度の攻撃では絶対に傷つく事はないでしょう。そういう配慮はしてあります。ただ……」
 ――車には、既に幾つかの槍が突き刺さっていた。彼女達は、再び車を失ったのだ。
 許すものか、と、妖夢は思う。『正しき怒り』が胸の内で燃え盛るのを認識する。
 この罠を仕掛けた者は、この門番を、この門番の優しさを、二度も踏み躙ったのだ。そのような理不尽が罷り通って良い筈がない。
 自身の剣に懸けて、誅さねばならない。
 一分余も降り注いだ槍の雨が止み、妖夢は納刀しながらゆっくりと息を吸い、納まりきるのと同時に深く吐いた。呼吸の乱れはない。心の乱れを落ち着かせる為の、儀式的な挙措である。
 そうして、妖夢の怒りは鞘の内へと納まった。これは心の内を穏やかにするのと同時に、怒りを減じさせる事なく保存する効果を妖夢にもたらした。
「……すみません、私の我侭の所為で車を駄目にしてしまいました」
「貴女は悪くありません。仇は……必ず」
 気付けば、すぐ近くに主の気配があった。数百メートル離れた場所から、幽々子が近づいてきている。その内高度の差は50mほどだろうか。
 妖夢は迷う事なく駆け出した。コース脇の木々によって隠されていた、すぐ傍にある崖へと向かって。
「……来なさい、妖夢」
 幽々子は、妖夢がすぐ傍まで来ている事に気がついていた。離れた妖夢の呼吸を読み、速さとタイミングを合わせる。
 妖夢は崖から跳んだ。飛翔は出来ない。跳んだ後にその事に気がついた。ならばどうするか。
 簡単だ。落ちれば良い。もちろん、半分人である以上、この高度からただ落ちては致命傷となる可能性が高い。
 ――斬らない。
 抜刀する。大気を極力斬らない事を選択し続ける。大気と刀が、火刃鳴(ひばな)を散らす。
 そうして、緩やかな速度で落下し続ける妖夢の視界の彼方に、兎たちが駆る車の姿があった。
 正しき怒りが、胸の内へと蘇る。憎悪の空より、剣鬼と化した妖夢が落下する。
 そして、
「……我が手は魔を断つ剣を執る。往きましょう、幽々子様」
 妖夢は、一切負傷する事なく、幽々子が運転する車の上へと降り立った。


******



【刃鳴散らす~BLADE ARTS Ⅱ~】


 併走する二台の車は、時速150kmを超えて尚加速を続けている。
 広く、長い直線、エンジン性能は同一とあって、今この時に限って、運転者の技量によって差が開くことは無い。
 差が開く事があるとすれば、それはきっと。
 鈴仙と妖夢、何れかが勝利し、何れかが敗北した時のみである。
「我が愛車と、我が友の無念……今此処で討たせて貰う」
 妖夢が長刀の切っ先を鈴仙に据え、裂帛の気合と共に突きを放った。
 刺突が届く間合いではない。それでも鈴仙は自身が感じた悪寒に従い、突きの軌道上から小さく体をかわす。
 服の端を何かが掠める気配がした。刹那の後、鋭い刃物で斬られたかの様に服の切れ端が宙に舞う。
 間合いを遥かに超え、空気を突き抜いて、妖夢の斬撃が到来したのだ。
 有り得ぬ事、と思ってはならない。此処は幻想郷である。有り得ぬ幻想が蔓延る世界なのだ。
 対して、鈴仙はすかさず右手で銃の形を作り、イメージを重ねる。
 術式の呼び出しが完了すると共に、音速を優に超える銃弾が召喚され、六発続けて妖夢へと放たれた。
 妖夢の至近に六度の閃光が走る。遅れて響いた銃声が木霊し、遠く音が過ぎ去っても妖夢は無傷である。
 ――魔剣。
 恐るべき剣の腕、魔性とも言えるその太刀筋は、銃弾を以ってしても全く退けを取らない。
 再び間合いの外からの突きが鈴仙を襲う。
 対してかわしざまに銃弾が妖夢に放たれる。
 六発の弾丸、六度の閃光、一筋の紫電、再び六発の弾丸。
 真っ向から対立するソードダンサー×ガンスリンガー。今や時速180kmを超えたマシンの上で、彼女たちは舞う様に戦いを続ける。一瞬でも集中を欠けば敗北、その先にあるのは死である。
 その只中にあって、妖夢は体中に気が充足していくのを感じた。
 ――戦いとは、こうでなくては。
 先ほどまで身を焼いていた怒りの炎は、戦闘に入ると同時に鞘の内から放たれ、そして既に霧散していた。
 一太刀、そして一発の弾丸。ただそれだけで、妖夢は鈴仙が憎むべき敵ではない事を識ったのだ。恐らく主犯は車を運転している方の兎だろうが、今そちらを気にする余裕はない。
 今や彼女は全く満ち足りて、殊肉体を駆使する戦に於いては誰にも負ける気がしなかった。
 いや、それは鈴仙も全く同じ状況であると考えて良い。彼女たちは今この一瞬に、千の言葉を、百の睦み事を交わすよりも相手について理解を深めていく。
 相手の挙動はそれが行われた瞬間から全て認識の内にあり、彼女たちはその中で互いをどう打ち崩すかだけを目的とした闘争を続けていく。
 ――鈴仙は、
 漫然と弾を放とうとも、妖夢の前では全てが無駄である事を理解した。あの魔剣とただ向き合って勝利するのは不可能だと理解した。
 その上で尚勝利を狙うのであれば、勝機は一刹那。妖夢が必殺の一撃を放ったその瞬間を狙撃する。
 必殺のカウンター。
 ガンスリンガーとしては異質な挑戦だが、
(……やってみせる)
 笑みと共に、鈴仙はその時に向けて場の調整を始めた。
 ――妖夢は、
 更に速く。更に強く。只それだけで相手を突き崩す為に意識を集中する。
 先の先を。疾風迅雷の一撃を。
 ソードダンサーとしての誇りにかけて。
 ――そして、先に動いたのは鈴仙だった。
 今まで支えに用いていた左手を離し、銃のイメージを重ねる。
 二挺拳銃<トゥーガン>。
 並みの使い手であれば命中精度が下がるだけの悪手、だが鈴仙は完全に弾の行き先を支配し、反撃の機会を与える事なく銃を撃ち続ける。
 ――魔弾。
 有象無象の区別なく、彼女の弾頭から逃れ得る物は無い。避ける事は不可能、ならば敵対者に残された道は、防ぐと言うただ一点のみである。
 そしてその一点のみを、妖夢はやってのけるだろう。その事は最初から予想していた。それでも、続く行動には驚きを通り越し、鈴仙は内心で呆れの笑いを浮かべた。
 妖夢は今まで両手で繰っていた長刀を右手一本で構えたまま、空いた左手で短刀白楼剣を抜き、左手だけで連続した十二の銃弾を全て斬りおとしたのだ。
 鈴仙は、左手で左の腰に据えられた刀を抜くと言う、その異様な抜刀術が放たれたのを、むしろ内心で歓迎していた。
 もしもアレを知らずして接近戦に持ち込まれたならば、間合いが狭まると思しき妖夢の左方へ避けようと意図した行動を、一切の仮借なく、ただ一刀の下に断たれていたであろう。
 少なくとも、今後そうなる可能性は潰えた。妖夢をして、二挺拳銃はその隠し技を披露せしめるだけの威力を誇っていたのである。
 そう、二挺拳銃は紛れもなく魔境の技であった。だがその二挺拳銃を持ってしても、妖夢の防御を危ぶませる事はない。
 二刀流<トゥーソード>。
 かつて一刀如意の謳い文句の下に、数多の強豪を血祭りに挙げ名を馳せた、伝説の中国内家拳法家に勝るとも劣らぬ二刀如意の境地。
 魔術の域に達した剣技は最早膂力を頼みとせずに、従ってまた刀の軽重や、繰る手の本数に拠って剣速が衰える事も無く、妖夢の意に即して万物を斬り捨てる。
 魔境の技には、魔境の技で相対するのみ。果たして、確かに妖夢も魔境の技の持ち主であった。
 ――これで良い。
 互いが互いの目論見どおりに動いている。全く同じ願望を抱き、全く相反する結果を求めている二人は、同時に笑みを浮かべた。
 空いたままだった妖夢の右手が動く。
 軌道上の空間を貫いて、不可視の突きが鈴仙に襲い掛かる。今までは銃撃の隙間に差し込む様に放たれていた突きが、呼吸を乱すように不規則に放たれる。
 鈴仙はそれを避け、間断なく銃撃を続ける。右手で六発、左手で六発、左の撃ち終わりに被せるように再び右手で六発、左手で六発を繰り返す。
 その度に閃光が妖夢の至近を駆け巡り、銃弾を全て払い落とす。
 加熱する闘争。激突する魔境の技。
 更に、
 妖夢の突きの頻度が増す。
 速さが増す。突きが巻き込んでいた軌道の空間、その範囲が少しずつ大きくなる。
(化け物ね。……このままではかわしきれなくなるのは時間の問題でしょう)
 そう判断した鈴仙は、だが少しも揺らがず、妖夢の呼吸を読む事だけに意識を集中した。
 そして。
 その時が来た。
 ――妖夢の認識が極限まで加速、世界から色が失われた。
 鈴仙の右手が六発目の銃弾を放ち、左手から銃弾が放たれる、僅かな、刹那の間隙。
 今こそ其の時だ。
 そう妖夢は理解し、今までで一番速く、一番強い一撃を。
 長刀を、振り下ろした。
 ――魔剣・一念無量劫。
 ――鈴仙は、次の刹那に妖夢が最高の攻撃を放つであろう事を、確信の域にまで達した予知で識った。
 今までの闘争、その全てはこの時の為に、次の刹那の為にあったのだ。
 愛の様な執念を以って。
 鈴仙は、左手から一発の弾丸を。
 右手から、七発目の銃弾を放った。
 ――魔弾・栄華之夢(ルナメガロポリス)。
 ――互いに必中を確信し、互いに避けきれぬと直感したその一撃は、だが互いの体に傷を残すことなく過ぎ去った。
 妖夢の斬撃は、鈴仙の立っている車を破壊せぬ様に完全に振り下ろされる事は無かった。
 その僅かな外界への配慮が剣速を鈍らせた結果、鈴仙はかろうじて身をかわす事が出来たのである。
 ……否、剣速を鈍らせたのはそれだけではない。
 完全に秘匿されていた右手からの七発目の弾丸、それが放たれる事を妖夢は事前に―確信めいた予知によって―識った。
 その予知によって妖夢は防御に成功するのだが、もし気付かなかったとしたら。
 剣速は鈍る事なく、しかし慮外の魔弾を防御する事は適わず、或いは……いや、間違いなく相撃ちとなっていただろう。
 互いに必殺を期した一撃が外れたと言うのに、二人に失望は無かった。互いに命を拾ったと言うのに、二人に喜びは無かった。
 何かあるとするならば、それは相撃ちなどと言う興冷めな結果にならなかった、安堵とでも言うべき感情だった。
 ――どちらが勝つにせよ。どちらが負けるにせよ。
 決着こそが彼女たちの喜びだった。
 間もなく長い直線が終わる。続くコーナーの連続では、技術で勝る幽々子が先を行くだろう。
 さしものてゐも、あの咲夜を打ち破った幽々子に運転技術で対抗出来よう筈もない。対抗しようとした場合、そこに待つのは咲夜と同じ末路である。
 ならば、最早このレース中の決着は望めないのかも知れない。この先は幽々子の独壇場だ。
 それでも、決着の誓いを胸に、二人は視線を交錯させた。


*******


【ハイペリオン】


「ここ……は……?」
 目を覚ました咲夜は、自分が異質な空間に居る事に気が付いた。
 果てなく続く荒廃した大地に、ぽつぽつと巨大な樹が点在している。巨視的に眺めればそれは森であったのかも知れない。
 だが木々の合間の距離は人間である咲夜には途方もなく遠く感ぜられ、それらを群れとして捉える事は出来なかった。
 雲一つない空を鈍く照らすのは、虚な暗黒を帯びた太陽である。熱や明るさと言った力を感じさせない日の光は、それでも不思議と、明瞭に世界を照らし出している。
 黒く燃える太陽。鈍色の空。真紅の地平。銀色の大樹。
 他には何一つ存在しない、寂寥たる世界、と。咲夜は最初そう思った。
 だが、違う。
 空気の密度が違う。
 視覚では捉えられない何かが二つの眼窩になだれ込み、涙があふれ出る。
 肌はびりびりと、常に何かに触られている様な感覚を訴え、耳は激しいノイズで使い物にならない。
 五感では処理出来ない情報が溢れかえっている。満ち満ちた世界で唯一つ空ろな―少なくとも周囲に比べて、だが―咲夜と言う入れ物に、周囲の全てが怒涛を為して襲い掛かっているのだ。
「あ……ああ……」
 ブラック・アウト。眼球はその機能を停止した。耳鳴りは激しくなる一方で、肌の感覚は最早全身に針を刺し込まれているかの様だ。
 意識がぐらぐらと揺れる。理性が磨耗する。思考は千々に乱れ、打開策を練る事が出来ない。
 その傍らで、意識が暗く、闇に落ち込むほど、苦痛は和らいでいく。情報を受け取る主体である意識が機能を停止してしまえば、この責苦からは解放されるのか。咲夜が全ての能力を駆使してそう『思い至った』所で、
(私……は……)
 闇の中に煌くように、記憶が蘇る。
(なんて事……もう……何度も……)
 同じ事をしている。目を覚まして、周囲の情報に無防備に身を晒し、意識を失い、全てを忘れ、目を覚ます。
(駄目……意識を……保たないと……)
 咲夜は絶望と恐怖の中で、だが諦める事なく、世界に対して抵抗を始める。
 記憶の中の自分も、常にそうしてきた。自分だけが諦める訳にはいかない。希望を次の自分に繋ぐ為にも。
 そして咲夜は、記憶の中の自分達と同様に、膨大な情報に押し潰され、いや……
(……レ……様)
 繋ぎ止めた。
 蟲の吐息の様に微かな、眠りに落ちる寸前よりも微細な意識領域を、ただ一つ、だが彼女にとっての全てである存在で満たす事で、咲夜は無限に続く螺旋を打ち破った。
(……レミ……様……)
 その行為によって、咲夜が可能な限り考え得る事象はただ一つに限定された。それは進展であったのか、それとも新たな螺旋へ身を投じただけであったのか。
 いや、そのどちらであったとしても、それは咲夜の意思が世界に抗しきった勝利の証である。彼女にとって、それが全てだ。
(……レミ……リ……ア……様)
「咲夜、こんな所で寝てると無限螺旋から抜け出られなくなるわよ。起きなさい」
 その瞬間、あらゆる音階を同時にそれでいて変化に富みながら大音量で伝えてくる前代未聞な耳鳴りは突如として消え去り、咲夜の肌を抱きしめていた鋼のオトメ-アイアン・メイデン-は一瞬で億×億の破片に切り刻まれ、機能を停止していた眼球はむしろ光り輝きながら暗黒を打ち払い、思考能力は急激に回復、一つのタブで開くのがやっとだった主の姿がアダルトサイトのポップアップの如く大量に出現した。
 それを為したのは愛であった。
 完。


******


「……申し訳ありません、お嬢様」
「……侵食から守る結界を張ったとは言え、その回復能力は驚嘆に値するわね。もう気分は大丈夫かしら、咲夜」
「勿論です。お嬢様に仕える者にとって、幸福は義務です」
 パラノイア的な愛情は時々役に立つ事もあったりする。様な気がする。すっかり回復した咲夜は、何処からか椅子とお茶の道具を出現させ、どうにかして水とか火とかを出して使い、跪きながら主に紅茶を差し出した。
「予備が何体もいそうな台詞はやめなさい。と言うか、どうやって出したのかしらこのお茶セットは……」
 それを為したのは愛であった。
 完。


******


「咲夜、この天丼はどうしたのかしら?貴女にしてはとても出来が悪いのだけれど」
 と言ってレミリアは天丼を放り投げた。(※後にスタッフが美味しくいただきました)
「申し訳ありません、お嬢様」
 レミリアの結界なしでも自由自在に動き回れる様になった咲夜がそう言った。
 それを為
「それはもういい。さて、貴女の疑問に答えるわよ。貴女は幽々子に敗れ、死を迎えようとしていた。直接貴女に向かって死を行使した訳でもないのに、相変わらず無茶苦茶ね」
 幽々子の能力。最速のライン取りの副産物として、”スピードの向こう側”へと相手を押しやる術式。
「それを回避する為には荒唐無稽な運命操作が必要になる。だから『私』はそれが許される此処に来たのだけれど」
 貴女も引き摺ってきてしまったみたいね、と、レミリアは苦笑した。
「此処は『窓の外』よ。いえ、正確には外側でしかないのかしら」
 カササギと掌の順序が逆なのよ、とよく分からない事をレミリアは言った。
「少し歩くわよ。もちろん、歩くと言う認識こそが肝要なのだけれど」
 踏み出したその一歩が、世界の中心部であり外縁部であるこの**(咲夜の語彙の中で言えば「空間」に当たる言葉だろうか。咲夜はそう認識する事にした。それ以上を知ろうとしてはならないのだから)では、宇宙を端から端まで跳躍するのと同義である事を咲夜は知った。
 この空間は、無限の宇宙に比べ、常により広いのである。あらゆる可能的な経験を飛び越えて、咲夜は世界の果てに居るのだ。
「あれは……」
 無限×無限の空間。その中で、何かと遭遇するのは一体どれほどの確率の下に成り立つ奇跡なのであろうか。咲夜はこの世界に酷く不釣合いな、それでいて―矛盾するようだが―酷くしっくりとくる人物の姿を見つけた。
「パチェね。もちろん、『私』達の世界の彼女ではないけれど」
 大量の本を鮮血の様な色をした土の上に広げながら、パチュリー・ノーレッジは、咲夜が見かけるそれが常であるように、本を読んでいた。
「あれはあり得たかも知れないパチェ。何処か知らない世界のパチェ。此処に自力で辿り着く偉業を成したパチェ」
 もっとも、『私』達の世界のあの子もいつか自力で辿り着きそうだけれど。レミリアはそう言って、パチュリーの傍を話しかける事なく通り過ぎた。
 咲夜もそれに習い、無関心を装いながら通り過ぎようとした瞬間。
 くい、と。
 服の裾がつかまれた。
「貴女の物よ」
 振り向いた咲夜の手に何かを押し付けると、何処かのパチュリーは再び読書に戻った。
 掌に柔らかく包まれたそれは、一定の間隔で正確に微かな駆動を伝えてくる。そう、それは時計だった。
 咲夜はこの様な時計を見たことがなかった。しかし、咲夜はこの時計の事をよく知っていた。
 彼女が時を操る時、具現化しようとする物。完全な具現を現世に持ち出す事は不可能な時計。
 揺らめく様に柔らかい金色の輝きも、刹那の狂いもなく時を刻む針も、咲夜は思い描き、手の中に発現する事が出来る。今手に握っている時計との違いは、ただ一点。
 ――真円。
 一見するとただの時計の様にも見えるそれは、完全な円の上に成り立っている。
 ただそれだけの違いが、圧倒的な位階の差を生み出す。この時計があれば、今まで出来なかった様な時間操作が可能になるであろう事を咲夜は知った。
 だと言うのに。
 ずきり、と頭の芯が痛んだ。
 足りない、と。咲夜は心のどこかで直感する。
(何が足りないのかしら?)
 主の声が頭の中に響いた。
 足りないのは何だ、と釣られるようにして咲夜は自問する。
 この時計ですら、過去への遡行は出来ない。完全な、神と同等の時間操作は出来ない。では何故出来ないのか。足りないからだ。
 ――何が、足りない?
 その時、咲夜は新たな地平へと至った。この時計を越える、時の本質を、理解した。
(そう、素晴らしいわ咲夜。貴女は時の神々が仕組んだまやかしに気付いたのね)
 咲夜は手の中の時計を見つめる。美しく、非の打ち所の無い時計を。
 だがそれは時の本質ではない。誰かが時を見ながら作った彫刻。時の表象の具現。今手に握っているのは、誰かが作った劣悪な模写なのだ。
(貴女が望めば、ここではその先へと『手が届く』のよ)
 咲夜は主の声に導かれる様に、そう望んだ。
 イメージする。同時に、手の中の時計が膨張した。
 それは四次元上に無限の真円の重ね合わせの極地から到来した真球により成り立つ時空球の中に永遠に螺旋を描く黄金の歯車が織り成す未来と過去の時を同時に刻む時計であった。
 チクタクチクタクと。
 時を刻む音が咲夜の心の奥で鳴り響く。
 今こそ咲夜は、黄金螺旋を駆け上り、地平へと至る。時の神々の欺瞞を打ち破り、時の支配者へと《神化》する。
 カチカチカチカチ。チクタクチクタク。
 歯車が回る。時が刻まれる。
「彼女はその段階へ。次は何が起こるのかしら?次は、そうね……きっとそうなるでしょうね。だから私は貴女にこう言うわ」
 see you later alligator.
 そう言って、レミリアはくすりと笑った。
「咲夜!戻ってきなさい咲夜!」
 もう一人のレミリアがそう叫ぶ。咲夜は、二人目の主の出現に驚愕しつつ、心の別の場所で、自身が時を遡行しつつある事を知った。
「あらごきげんよう、『私』」
 レミリアが……咲夜をここまで案内した方のレミリアが落ち着きはらって挨拶をした。返す声は……聞こえない。
 既に咲夜は時を飛んだのだ。過去へ向かって。時の門を越えて。


******


 そして彼女は目を覚ます。
 薄暗い竹薮の中だった。まだ昼間である事は、微かに葉の隙間から差す光の明るさから推し量る事が出来る。
 ここはどこだろう、と彼女は疑問に思う。
 湿り気を帯びた緩い土を踏みながら、彼女は竹の隙間から覗く建物へと歩き出した。
 開けた場所へ出ると、空の様子が見て取れた。太陽は丁度薄い雲に遮られ、その顔を隠したところだったが、どうやら好天の様だ。
「あら、地ネズミが迷い込むのは珍しいわね。貴女は……誰かしら?」
 建物の方から声がしたのを切欠に、彼女は視線を声の主の方へと向ける。
 声の主は……声を聞いた時点で分かってはいたが、女性であった。長く美しい黒髪が、和風の着物によく似合っている。
 地ネズミ、と言う言葉遣いに対し、月人<ルナリアン>と言う言葉が直感的に頭を掠めた。彼女は月の人なのだろうか。
 見た事のある人の様な気がしたが、思い出す事は出来なかった。
 実を言えば、この時点での彼女は黒髪の女を知らない。この女と出会うのは、これよりずっと後の事なのだから。
「私は……」
 自分は何処から来たのか。何をしていたのか。彼女は思い出せなかった。
 彼女は、自身が誰であるのかを忘れてしまっていたのだ。
「あら姫様、侵入者ですか」
「客かも知れないわ。どうやら、未来から迷い込んできたみたいなの」
「未来から……それはまた」
 珍しい、と言いながら、新たに現れた女は着物を着た女と並んで腰掛けた。
「時の門を超えて、来たのね」
 と、黒髪の女が訊ねた。いや、それは訊ねかけではなく、確信の色に満ちた言葉だった。
 新たに現れた方の女は、黙って二人を眺めるだけである。静観に徹するつもりのようだ。
「……分かりません」
 分からない。自分は何処から、どうやって来たのか。時の門とは、一体どうやって超えるものなのか。
 彼女には分からない。今はまだ。
「このままだと、貴女は神々の時間まで遡り、時の神の一柱として生まれ変わるでしょう。貴女が世界から忘れ去られた後に。全ての因果は果て、縁は消え、時間の長さと同じだけの孤独が貴女に残る」
 彼女はこの唐突な言葉に、だが何故か全く混乱する事なく、自分が確かにその道を歩んでいるのだと実感した。
「それが正しいか否かは貴女が決める事。けれど、今の貴女に選択の余地はない。もしも、貴女が選択したいと願うのならば」
 自らの名を、思い出しなさい。
 黒髪の女は強く、柔らかく、静かにそう言った。
「私の……名前……」
 名前。因果が生まれ出ずる根源。運命の決め手。縁が絡む一本の幹。
「それを思い出せれば、貴女は自らを導く力を使役する事が出来るわ」
「私の……名前は……」
 チクタクチクタク。時が巡る。巡る果てに、打ち捨てられた窓の外が見えた。
 そして、未来を思い出そうとする彼女の精神は、因果を超えてその声を聞いた。
「私……は」
 遥か未来から、彼女の名を呼ぶ声が聞こえる。
 既に運命から解き放たれた彼女は、その呼び声に応える義務はない。けれども。だけど。
 カチカチカチ。時を刻む音がする。耳慣れたその音は、心の中から、そして掌の上から聞こえた。
「私は、十六夜咲夜」
 手の中には、完全な時計がある。咲夜は、そう望めば、その機能の全てを掌握し、より高い位階へと昇る事が出来る。
 しかしそんな事は望まない。彼女には帰るべき場所がある。
「ただ今戻ります、お嬢様」
 そして十六夜咲夜は、輝夜と永琳に礼も挨拶もせずに未来へと帰っていった。
「最近の若い者は礼儀がなっていませんねぇ……」
「……まあいいのだけど。『もう永遠に会わないでしょうし』。……ついでに言うと、その台詞は若くない人が使うものよ、永琳」
 そう言って輝夜は部屋へと戻った。
 ところで、輝夜がついたこのちょっとした嘘が、後に永琳を驚かせる事になるのだが、それはまた別のお話、いつかまた別の機会に話すとしよう。


******


 ――そして咲夜は。
 自分が誰かに抱きかかえられながら、空に浮かんでいる事に気がついた。
「お嬢様……!」
 分かる。今度こそ本物のレミリアだ。彼女が仕えるべき主だ。例え完全に同一の存在だとしても、あの彼女と、この主はまるで別のモノだ。
「全く……いくら同一とは言え、あんな『私』とこの私を間違えるなんて……あとで見分け方を教える必要があるようね」
「いいえ、もう大丈夫ですよ」
 そう、今はもう簡単に見分けられる。まず昨日お風呂に入ってからの経過時間による肌のノリや体臭の変化、食事してからの経過時間とトイレに行った回数による体重・体型の微細な変化。
 それと、ついでにレミリア自身に刻まれた時間とか霊力の量とか。確かあのレミリアはこのレミリアよりも数年ほど『時を取って』いた気がする。これらはまあ別になければないで困らない程度だ。
「完全に優先順位が逆の気がする……と言うかそんな変態っぽい見分け方初めて聞いたわ」
 パラノイア的な愛は時としてすごく役に立つのであった。
「とりあえず、私達の負けね。貴女もしばらく……数日の間は力が麻痺してるでしょうから、気をつけなさい」
「了解致しました、お嬢様。それでは、今後は如何なさいますか?」
「そうね、まず降りて日傘代わりになる物を探して……いや、あそこに浮かんでる紫から強奪しよう」
 それから、とレミリアは続ける。
「観戦するわ。まだまだ面白い事がありそうよ」
 二人の眼下で、コースがうねうねとのたくる蛇のように、その姿を変えて行く。面白い事、とはこれだろうか。と咲夜は思う。
「無茶な運命操作の反動よ。これでもう少し面白くなりそうでしょ?」
 と、レミリアは無邪気な、邪悪な、―まるで御伽噺に出てくる白の竜姫のような―笑みを浮かべた。


******


【3rd Strike】


 車の進行方向、その先に彼女が立ちはだかっていた。
 そこに何故彼女が居るのか、どうやって彼女が先回りしたのか。その理由は……どうでも良い話だ。湧き上がる疑問を心の内に沈め、鈴仙は戦闘態勢に入る。
 重要なのは、鈴仙が彼女を打倒出来るかどうか。
 彼女は最早レースを捨てた身である。彼女には最早このレースに勝つ術は残されていない。
 だが、それでもまだ鈴仙達の進行を止める資格だけは有している。
 それだけだ。妖夢との死闘の直後、未だにあの高揚感が残っている鈴仙は、負ける筈が無いとたかを括りながら術式を開始し、
 ――そして、その認識は時を置かずして打ち砕かれる事になる。
「姓は紅、名は美鈴……我が手は」
 鈴仙は二挺拳銃を召喚。一切の容赦なく、12発を立て続けに放つ。
 魔境の技。妖夢をして、隠し技を使わしめた、その魔弾が、
「魔を断つ拳となる!」
 消滅。それは鈴仙にとって未知の現象だった。
 避けたのではない。結界を張って防いだのでもない。体に直撃して尚耐えたのでもない。妖夢の様に、能力を用いた相殺でもない。
 美鈴は迫り来る魔弾に対して、ただ順々に手を触れただけであった。
 それだけで12発の弾丸は力を失い、白い光が弾けると共に消失した。『力の消失』……そう、これは何かに対して威力が負けた結果ではなく……
 言うなれば、『いなした』のだ。そう結論を出した瞬間、その異常さに思い至り、鈴仙の背筋に悪寒が走る。
 音速を超えて飛来する弾丸、刀で斬り伏せる事が常識外れであるならば、体術のみで銃弾をいなすと言うのは……
 規格外。ガンスリンガーにとっては想定する事すら出来ない災害だ。
 そこには防御する時の様な硬直も、相殺する時の様な隙も無かった。更に、その行動に際して霊力の放出は極めて小さかった事から、消費も少ないと考えられた。
 ――紛れもなく、魔境の技である。 
 これが充分に距離を取る事が可能な戦いならば、逃げ回りつつ……自身の消耗の方が大きい事を承知の上で、持久戦に持ち込む事も可能だろう。
 だが現在、鈴仙は否応なく美鈴の元へと近づきつつある。近距離戦を得意としている相手に自分から近づかねばならない状況に、鈴仙は焦りを覚えた。
 ――妖夢ならば迷いもなく懐に踏み込み、拮抗する事は充分に可能だろう。だが鈴仙にはそれは出来ない。
 自身の戦闘スタイル・現在の戦闘のルール、二つが共に最悪の形で噛みあい、最早鈴仙に残された道は、
 ――全力を出す。余力を残さず、全霊力を用いた制圧前進。単純な力に拠る蹂躙。
(駄目だ……!)
 ここで負ければその後の事など無いのは分かっている。だが約束を交わしたのだ。決着を付けるのだと。その為には……
 何としてでも、消耗を抑えて目の前の敵を打ち倒さなければならない。
 更に四挺を、憑依の形ではなく具現化・召喚し、自身の周囲に浮かばせる。
 これ以上消耗の大きい技を出せば、ここで勝てたとしても、妖夢に勝つ事は望めなくなる。妥協出来る限界のラインまで絞った術がこれだった。
 尤も、本来は30挺ほどを同時に召喚する術であり、元の威力は到底望めそうもない。
 もしもこれを全力で放ったならば、対妖夢の術式としても有用だっただろう、と鈴仙は頭の片隅で宿敵へと思考を巡らせた。
「妖人【トリガーハッピー】ッ!」
 六挺の拳銃が一斉に火を吹いた。弾丸は無尽蔵、連射速度はランダム、狙いは雑。
 魔弾としての必中と言う性質すら失い、文字通りに乱射される弾幕。これならば美鈴の不可思議な防御を崩せるかも知れない。
 ――そう期待して召喚した術は、だが何ら効果する事は無かった。
 侮っていた。そう認めざるを得ない、信じられない光景が広がっていた。
 放った側ですら認識が追いつかない程複雑に絡み合った弾幕に対して、だが一歩も退く事なく、美鈴はその全てを消滅させ続けている。
 恐るべき空間把握能力、驚嘆すべき戦闘センス……
 鈴仙はここで初めて美鈴が妖夢に匹敵する強者だと認識した。
 ――柔らかく手を振れ、小石を動かす程度が精々の霊力を横合いから叩きつけ、法則に干渉し、弾く。
 それは無力な人間が魔に対抗する為に生み出した技術。脈々と受け継がれてきた人の思い。
 魔術や科学とは別系統の、しかし決してそれらに劣らない戦闘理論。
 妖夢が学んだ剣術ともまた違う。彼女が扱う術は、その実は『方法論』だ。ある境地に至る為のガイドブックだ。
 美鈴が振るっているのはそんな物ではない。
 それは大切な何かを守る為の力として生み出された理法だった。ただ己が正義を貫く為の拳だった。
 無力を嘆く大人の為に。涙を流す子らの為に。
 全ての理不尽の悪から、人々を守る為に。
 ならばそれは、優しい拳だった。けれども荒々しく燃える、業火の熱を併せ持つ、人々の祈りだった。
 妖夢の振るう剣、それに宿る理念は、その由来に反して美鈴の拳と酷似していた。美鈴が妖夢に手を貸した本当の理由はそこにあった。
 では鈴仙はどうだろうか?彼女の銃に正義はあるのだろうか?
 それが義なき力であれば、それは魔道だ。此処を通す訳には行かない。魔を断つ拳を以て、その道を断とう。
 心の中で宣言したその言葉が、少々お節介であると言う事を自覚して、美鈴は苦笑した。妖夢はそんな事は望まないだろうし、自分の勤め先の方々には笑われるだろう。
 構わない。自分はずっとそうやって生きてきたのだ。美鈴は表情を引き締め、目の前の敵に意識を集中する。
 大気がざわめいている。どうやら、何か仕掛けてくるようだった。
 ――銃弾に対する能力【魔弾】による干渉を開始。
 同時に強い頭痛が鈴仙を襲う。本来、完全にコントロールする事が出来る―物理的な慣性を超えて使役出来る―限界は二挺、同時に12発の弾丸までである。
 『弾速を操る』と言う程度が低い干渉でさえ、処理能力が軋みを上げる。だがこれ以上霊力を使わず、それでいて弾幕の威力を上げるにはこれしか無かったのだ。
 その結果出来上がった、時間差で放たれた弾が同時に届く、或いは同時に放たれた物が着弾を一致しない……
 また、時には着弾直前に減速し、加速し、停滞し、かと思えば突如として当初の勢いを取り戻す堂廻目眩、戸惑面喰の、奇天烈怪奇な弾幕。だが更に、
 ――魔眼。
 彼女が持つ天性。相手の視界の内に彼女の目がある限り、その者は正常な空間把握能力を喪失する。また、強く念じる事により微弱な空間歪曲を可能とする。
 多重に能力を展開した結果、鈴仙の時間は通常の認識に戻りつつあった。近づかれたならば、美鈴の動きを目で追う事すら出来ずに敗北するだろう。
 だがどの道、その時は対抗する手段など無いのだ。鈴仙の両眼が美鈴に据えられ……
 ――相対する美鈴は、
 目を閉じた。だがその防御には一点の乱れもなく、襲いくる弾全てを柔らかく消滅させている。
「嘘……!?どうして……」
「見えるからですよ……闇の中に白々と、貴女自身が放つ殺意の射線が」
 ただの通りすがりのサラリーマンのようなセリフを、美鈴は余裕たっぷりに言い放った。
 更に二挺を召喚、更に魔弾の干渉レベルを上げる、更に魔眼を行使する。
 結果、密度が上昇した弾幕が、それぞれ奇妙に軌道を変え、或いは歪んだ空間の中を直進する。
 ……そんな物は最早何の意味も持たない。限界状況に於いて無理な能力を連続で行使した結果、鈴仙の判断能力は極めて低いレベルまで落ち込んでいたのだ。
 目で見ていない相手に、目晦ましを仕掛けている。そんな単純な道理にすら、鈴仙は最後まで気付かなかった。
 ましてや、美鈴も飛び道具を扱える事実など、思考の埒外である。
 ――指弾。
 美鈴が指を弾くと、不可視の弾が一発鈴仙の元へと走り……
 額に着弾。視界が明転、暗転を繰り返し……繰り返し……
 そして気を取り戻した時、目の前には彼女がいた。ただ体捌きのみで、真正面から迫り来る車の屋根に、相対速度を完全に打ち消した上で着地したのだろう。
 彼女にならば、可能な技である。今の鈴仙にはそれが嫌と言うほど理解できる。
(……勝てない……!)
「受けてみよ……我が全霊の拳を……」
 ――決死結界。
 致命傷を避けるための堅固な防壁。持続は数瞬だが、その間の効力は絶大。
 ――減衰の呪い。
 【魔眼】に拠る微弱な空間歪曲を用いた特種防壁。歪曲した空間に敵を落とし込む事による行動制限。
 普段張り巡らせている結界に加え、これらニ種の防御陣を展開すれば致命傷を受ける事は……
(……ダメだ!)
 敗北を受け入れた冷静な思考を、鈴仙は撥ね退ける。
(こんな無様なまま終わりたくない……!いいや、終われない!)
 二つの防御陣の展開を破棄。未だ意識の隅で起動し続けていた魔眼、魔弾の能力も解除し、鈴仙の時間が急加速を始める。
 ――そして鈴仙は、
 跳んだ。それは戦いのセオリーを無視した、自身の命すら投げ捨てる様な決死の行動だった。
 鈴仙は接近戦を得意としない。挙句、接近戦を得意とする相手が既に全力を溜め、解き放つだけと言うその状況に対して、それでも負けを受け入れず、一縷の望みに全てを託したのだ。
 右手に荒ぶる霊力の嵐を、単純な力を。左手には六発の弾丸が込められた銃を。時間に対する感覚は刹那の領域にまで引き伸ばされ、ようやく鈴仙は美鈴と同じ戦場に降り立つ。
 今ならばはっきりと分かる。美鈴の防御は完全無欠の異能ではない。確かに魔境の技ではある。相殺よりは隙が小さく、霊力の消費もほとんど無い。だがしかし、この引き伸ばされた時間の中ではその小さな隙が絶対的な有利不利の差となって現れる。
 連続で放つ飛び道具をいなした隙、弾が連続で放たれる間隔よりも更に短く、ほぼ同時に右手を叩きつける事が出来れば……
 それは意地だった。勝利は遥か遠く、敗北は目の前にあって、だが鈴仙はこのままでは終われなかったのだ。
 それは全てを賭した、愛の様な献身だった。妖夢への、或いは今目の前にいる美鈴への。無様のまま終わるのは、自身のみならず二人の為にも耐えられなかったのだ。
 相対した一瞬、一刹那、或いはそれよりも短い時間……二人の心に湧き上がるのは、闘志や敵意ではなく、歓喜、そして相手に対する敬愛の念だった。
 互いの全力が絡み合い、決着の瞬間が訪れる。
 ――鈴仙の左手から六発の銃弾が放たれる。
 一発目……半身の姿勢を保つ美鈴の前面、左肩を狙って放たれ、それは狙い過たずに命中するかと思われたが、美鈴は左足を軸に右足を前方へと踏み出す、背面を鈴仙に見せるかの如き姿勢に大きく回転し、その力を剄力とする事で右肩でいなした。
 二発目、三発目……大きく晒された背面を好機と捉え、それぞれ心と腎の臓腑を狙う。右脚を軸に美鈴は更に回転、左膝と左手を用いてその二発を捌く。
 四発目……軸足となっていた右脚を狙って放たれた弾は、手前で左足に踏まれる様にして消滅。一回転した美鈴が最初の姿勢に戻る。
 五発目……常に固く握られている右の拳を狙撃。美鈴は左手を大きく伸ばし、姿勢を崩さずにその弾丸を消し去った。
 そして六発目、
 鈴仙は美鈴の額を狙って弾を放つ。手を伸ばせば互いに触れられる距離、着弾までは刹那よりも小さい単位、それでもその軌道、その狙いを正しく把握し、美鈴は銃弾に手を……
 ――銃弾の軌道が、変化した。
 僅かな停滞、僅かな角度のズレ……小さな変化だが、この局面に於いては最高の効果を発揮する。もしも今の僅かなディレイが読まれ……或いは何も考えずに、隙と見做して最速で美鈴の攻撃が放たれていたならば、その時は鈴仙は完全に敗北していただろう。
 銃弾が美鈴の左腕に着弾……かろうじて防禦結界によるカバーは間に合ったか傷こそない物の、続く攻撃に対処出来るとは思えない。
 既に鈴仙の右腕は宙を走り、美鈴が何を繰り出そうとも無駄であるかと思われた。
 ――なのに、何故。
 右腕の力は全て消え失せ、美鈴を捉える事なく、その中途で静止したまま動かないのか。
 何故、鈴仙の右腕に、美鈴の左腕が添えられているのか。
「奥義……崩山、彩極砲」
 覚えているのは、紅い発光。気がつけば、美鈴の右手は鈴仙の腹部に突き刺さっていた。
「お師匠……」
 そして鈴仙の意識は、闇へと落ちて……
「ぐぅ……く、苦しい……」
 いかなかった。先ほどまで満ち満ちていた闘争の空気が霧散し、何だかよく分からない不思議な空気が立ち込めていた。
 サスペンスで崖際で犯行を告白し始めた時にタライが降って来た様な。或いは西部劇のクライマックスで互いに銀玉鉄砲を撃った様な。
 どうするんだよコレ!って思わず叫びたくなる雰囲気だった。鈴仙は赤面した。
 車の上に鈴仙の体が静かに下ろされた。その頭上には?マークが大量に浮かんでいる。美鈴の気を操る程度の能力はそう言った物も感知出来るのだ。多分。
 ――美鈴は、
 あの相対した一瞬に、鈴仙の歩んでいる道は誤ってはいないと直感した。
 彼女の目には純粋な歓喜があった。敵対者に対する敬愛と誇りがあった。
 今は義こそ無いかも知れない。けれども、その手に宿る力、その理念は、決して邪悪な物ではなかった。
 ならば彼女の道を阻む理由は無い。美鈴はあの瞬間から、鈴仙を倒す気など無かったのだ。
 ただその拳の誇りにかけて、純粋な歓喜に身を任せるままに戦闘を継続した。
 その結果として今勝利の余韻に浸っている美鈴は、だがこの戦闘は決して鈴仙の全力ではない事を承知していた。
 少し思案した美鈴は、ようやくかけるべき言葉をまとめる事が出来た。
「楽しかったわ。またいつか」
 それだけ言って、美鈴は静かに笑った。
 言外に『全力で』と滲ませた言葉は、鈴仙に正しく伝わった様だ。
「……うん、またいつか」
 自然と助け起こす形で繋がった手をそのままに、美鈴と鈴仙は握手を交わした。
 余力が無い様であれば、美鈴は鈴仙に力を分け与える事も考えていた。だが、あれだけ多重に能力を行使していたと言うのに、その実、体に宿る力は些かも衰えていない。
 魔眼、魔弾……類稀なる天稟のお陰か。そしてその才を、歪む事なく受け入れた在り方。彼女は大丈夫だ。そう美鈴は判断して……
 だが。
 ――それはそうとして。
 やるべきこと
   お説教   はしなければならない。何故なら彼女たちは二度も美鈴の運転する車を台無しにしてくれたのだ。
 二度目はもうほとんど騙されるとわかって騙されたのだが、それとこれとは別問題だった。それで騙された怒りがなくなる訳でもない。そこまでお人よしではないのである。
 それと……別に彼女達を助けるわけではないが、今自分が説教しておかないと、妖夢辺りにもっと酷い目に逢わされるような気がする。
 あの時の彼女はそんな気迫を放っていた。一応、今説教しておけば妖夢も美鈴の顔を立てるだろうし大丈夫だろう。
 いや、だけどこれは別に彼女達を助ける為じゃない。多分。
 たっぷり三十秒ほど腕組みして目を瞑ったままそんな事を考えつつどう言った物か思案していた美鈴が、子供に言い聞かせるような格好で、目をつぶったまま人差し指を立て、口を開く。
 それまで余程考え事に没頭していたのか、再三の鈴仙の注意にも美鈴は気付かなかった。
 車がコーナーに差し掛かる。その瞬間、車が何だか鈴仙の魔弾よりも奇天烈怪奇な動きをしたかと思うと……
 美鈴の姿が消えていた。
「………………。落ちた!?落ちたー!!死んだ!?死んだー!!」
 だから掴まってって何度も叫んだのに何で聞いてないのこの人ー!?と鈴仙がパニックに陥りながら絶叫する。
「いや死んでないけど」
 その声は、左の端に寄っていた鈴仙の更に左から聞こえた。
 美鈴は五体満足なまま、車と並走する様に飛翔していた。
 実は一度振り落とされたのだが、そもそも彼女がこのレースに思い残した事はもう無いのだ。地面に落ちる前に飛翔を行って難を逃れたのである。
 鈴仙は呆気に取られた様な、目の前の光景が理解出来ない様な表情をしたまま数秒固まり……
「その手が」
「れーいーせーんー?」
 あったか、と言葉が続く前に、車内から響いた声に鈴仙は身をびくりと震わせ、
「ひ、卑怯者ー!ばかー!あほー!まぬけー!それから……えっと……ばかー!!」
 とりあえず美鈴に泣きながら八つ当たりしていた。
 ばかって二回言ったけど、限界状況に於いて必死に車にしがみついている現在、鈴仙の語彙は極めて低いレベルまで落ち込んでいたのだ。仕方が無かった。
「まあ……なんでもいいけど。あんまり嘘をついてると、きっとその内痛い目に会うから気をつけなさい。それじゃ」
 ごく当たり障りのない事を言って、美鈴は飛び去った。
「……だってさ、てゐ」
「なんで私に振るのよ。……はいはい分かりました」
「あ、あときっと安全運転も心がけないといけないとおもうわあああああああああああ!?」
 絶叫と共に車が走る。ゴールの前までに邪魔をする物はもう何もない。そしてきっと……
 ゴールの前では妖夢が待っている。鈴仙はそう確信していた。


******


 ゴールの直前。
 車が減速を始め、遂に停止した。
「幽々子……様?」
 既に勝利は確たる物となり、今ここで彼女が立ち止まる理由はない。だが。
「命令よ。決着を付けなさい、妖夢」
 穏やかな、そして毅然とした声が車内から返ってくる。
「勝利でも敗北でも良い。けれど私の従者として仕えるならば、あんな曖昧な決着は許さないわ」
 それは断固とした命令であった。そしてまた、主が従僕に告げる信頼の形であった。
 ならば妖夢の返答は一つだけである。
 ましてや、それは彼女の望みでもあるのだ。迷いなどある筈もない。
「……御意のままに。必ずや御身に勝利を捧げましょう、我が主よ」


******


「ねえ、鈴仙」
「うん……何?」
 てゐの呼びかけに応じ、鈴仙は調息から我に返る。既に車は暴走を止め、静かに、滑らかに走行している。
 鈴仙の調息を妨げぬように、とてゐが気を遣ったのだろう。そう鈴仙は理解していた。
 体に力が漲るのを、鈴仙は感じていた。今ならば或いは、と幾度目かの宿敵への思いを断ち切って、鈴仙はてゐへと意識を向ける。
「……私はあんた達とは違う。生死が揺蕩う汀で、無邪気に楽しむなんて事は理解できない。……正直言ってさ、馬鹿だとさえ思うわよ」
「……うん」
 そうだろう、と鈴仙は思う。きっと自分や妖夢や門番のような生き物は何処か壊れているのだ。
 死がすぐ傍にあったとしても、それでも楽しくて仕方ない。互角の力量の相手と交錯する瞬間の愉悦は、言葉では語りつくせぬ物だ。
 ただ歓喜に満ちている。ただただ、満ち足りている。
 たとえ戦いに敗れ、死が訪れようとも。
 ――その最期の瞬間が、過ぎ去ったとしても。
 ……否定されて然るべきだと、そう思う。そんな戦いを続けていたら、いつ理性を失くした戦闘狂へと堕ちるか分かったものではない。
 けど。
 と、てゐは続ける。
「きっとあいつは、あんたを待ってる」
「……そうね、きっと待っててくれてる」
 魂魄妖夢。二刀を繰る魔性のソードダンサー。
 今、鈴仙が望むただ一つの物。彼女もきっとそれを希求している。
 ――決着を。
「だからもう何も言わないわ。楽しんできなさい、思いっきり」
「……ありがとう、てゐ」
 意地悪でお人よしな地兎への感謝を胸に、鈴仙は立ち上がる。
 最後のコーナー、これを抜ければ長い直線だ。
 数km先に妖夢がいるのが気配で分かる。恐らく相手も同様に察しているだろう。
 全ての霊力を両手に込める。
 宿敵との決着の為に。そして。
 最高の親友に、勝利を捧げる為に。


******


【Supersonic showdown】


 コーナーを抜けて、てゐの運転する車が最後の直線に差し掛かった。
 車の上に立つ鈴仙と、地面に立つ妖夢が視線を交わす。
 ――今こそ決着の時。
 二人がそれぞれの獲物を構える。
 交錯するソードダンサー×ガンスリンガー。トゥーソード×トゥーガン。
 かくして、決闘の火花は切って落とされた。


******


 鈴仙は両腕を前に突き出し、掌を地面に対し垂直に広げた。
 人差し指だけで狙いを定めていた先ほどと違い、十本の指全てが妖夢に向けられている。
 真逆、と言う悪寒が妖夢の背筋を走ると共に、悪寒は一瞬で確信に至る。
「右手に狩符【マシンガン】、左手に狩符【マシンガン】……合体魔術、殺戮【私の両手はマシンガン(ダブルマシンガン)】」
 鈴仙の全ての指から弾丸が放たれた。
 技巧を一切排除した、力尽くでの蹂躙。秒間20発以上、毎分換算ならば1200発を超え、その一発一発が必殺の威力を持った弾幕。
 最後の直線でてゐの車は加速を始めた。到達までは凡そ71秒。
 互いに必勝の決意を胸に、永遠の様な短期決戦が開幕した。


******


 妖夢はその場に立ったまま二刀を使い、近づいてくる殺意の礫一つ一つを斬り落とす。
 その表情は先ほどの戦いと違い、はっきりとした焦りが見て取れた。
 彼女が振るうは魔剣、意のままに放たれ、道理すら捻じ曲げる窮極の剣技。
 だが如何に妖夢が意のままに刀が動かそうと、意が追いつかない密度で攻められたならば。
 同じ、いやそれ以上の、名状しがたい暴力で攻められたならば。
 波打ち際に作られた砂の城の様に、荒ぶる波の前に何の抵抗もなく妖夢は崩れ去るであろう。辛うじて反応できる極限、一種の拮抗を保ちながら妖夢は銃弾を防いでいく。
 ――これでは駄目だ。
 妖夢は心を鎮め、銃弾を斬り落す事だけを考える。やがて色が消え、音が消え、世界の全てが自身と向かい来る銃弾だけになった。
 彼女はこれまでの生の一切を忘れ、只己が心の中に潜り込んでゆく。
 連続する殺意の礫を、一つ一つ、丁寧に、撫でるような心持で斬り捨てていく。
 そしていつしか自然に、危なげなく剣を振るっている自分に妖夢は気が付いた。僅かに残っていた太刀筋の迷い、その一切が消え、妖夢は一つの刹那を一つの秒と同様に認識した。
 かつて、これほどまでに澄み切った気持ちで剣を振るった事があっただろうか。
 258発目の弾丸を防いだところで妖夢は自問する。
 264発目の弾丸を防いだところで妖夢は自答する。
 ――否。
 かつて無いほどの剣術の冴えに、だが妖夢の心は昂揚する事もなく、平常心を保っていた。
 平常心、とは、果たしてそう言えるのか。彼女の心は今確かな形を失い、虚空の様に澄み切っていた。
 空っぽで、伽藍堂で、空虚で、然れど満ち満ちて、暖かく、静かに、泰然と。
 ただ自然に在るが如く、妖夢は自身の技が、遂に極意にまで達しようとしている事を理解した。
 いや、まだだ。本来の自身の修練は未だ極意には届かない。今の剣の冴えは、一夜の夢の様な物だ。目覚めてしまえば、朧気に『理解していた』と言う事を思い出すだけだ。
 ――妖夢は銃撃の嵐の中にあって、短い夢を見ているのだ。
 撃ちだされる間隔が更に短くなり、秒間50発を超えた。もし夢が覚めれば、この弾幕に対抗する術は無い。為す術もなく自分は敗れる。
 その前に、夢が覚めてしまう前に。
 一刹那でも早い勝利を。
 妖夢は放たれ続ける殺意の礫に向かって走り始めた。


******


 鈴仙は妖夢がこちらに向かって走り出したのを認めると、湧き上がる歓喜を心の奥底に押さえ込んだ。
(……やってくれるわね)
 彼女はただ二振りの刀と己の肉体のみを頼りとし、無数の殺意と無限の距離と永劫の時の中を駆け抜けて鈴仙を打ち倒そうと言うのだ。
 その決意が、その行動が、その強さが、何とも愛おしい。
 妖夢の行動に応える様に、鈴仙は時間に対する感覚を引き伸ばし、認識出来る限りの最小の間隔で弾丸を放つ。
 ――如意銃即。
 正しく意の如くに撃ちだされる殺意の具現は、秒間に100発以上。一刹那に一発を超えていた。
 此処に至っても尚、ガンスリンガーとソードダンサーは同じ時の中を生きていたのだ。


*****


 50秒が経過した。
 客観時間ではたった一分も経過していない。だが刹那の上で戦う彼女たちには、その50秒はどれほどの時間に感ぜられただろうか。
 3750の刹那。その一挙手一投足がミスを許されない死の舞踏―Danse Macabre―。
 それは一体どれほどの時間として記憶されるのだろうか。
 果たして……
 妖夢は、無数の殺意と無限の距離と永劫の時の中を駆け抜け、遂に己が技の射程に鈴仙を捉えた。
 宙に飛び上がる。接触までの、最後の数十刹那。その最後まで、最早自身の剣が鈍る事は無い。妖夢はそう予感していた。
 ――自分は、勝利するのか。
 まだだ、と妖夢の心、いや……
 心があった場所、今は澄み切った虚空となり、他の全てと一体になった何かから警告が聞こえた。
 だがこの期に及んで何が起こり得ると言うのか。
 今まさに振り下ろされようとしている長刀の一撃を以て、妖夢は勝利する。
 筈、だった。
 鈴仙の目が妖しく、紅く染まる。現実が在り得ざる虚構、幻覚に侵食される。
 いや、逆だ。在り得ざる虚構、幻覚が、『現実に侵食され』、その意味を失い、法則が散り散りになった結果、それは妖夢の前に現れたのだ。
 ――有り得ない。そう断ずるに足る闘いだった筈だ。
 あの刹那の武闘の上で……
 だが彼女はまだ上を行っていたと言うのか。妖夢の全力と拮抗しても尚、魔眼を発動し続け、それを隠し続ける余裕があったと言うのか。
 それは、
 確かな殺意を帯びて向かい来る、数百、数千の魔弾であった。


******


 ――……勝った。
 鈴仙はそう確信する。
 もしも妖夢が剣士として真の意味で完成していれば、放たれる弾丸の嵐の中、殺意も無くあらぬ方向へ飛んで行く物を認識出来たかも知れない。
 敵の挙動、その一切を余す所無く把握し、鈴仙の欺瞞を見破れたかも知れない。
 だが妖夢は、自身に向けられる殺意を見分け、斬り伏せると言う唯それだけで完結してしまっていた。己が心の内と、向かい来る敵意に夢中になり、それ以外の事に注意を払う余裕はなかった。
 放たれた時点では殺意を持たなかった弾丸は、現在に至るまで鈴仙の能力に拠って慎重に隠匿され、彼女の身の周りに留まっていた。
 そして今、遂に剥き出しにされた魔弾の群れは、罠にかかった哀れな剣士を飲み込もうとしている。
 決着まで後どれ程の時間があるのだろうか。それまでに幾つの弾丸を妖夢は斬り捨てるのだろうか。
 果たして、彼女はこの策を破れるのだろうか。
 ――破れる筈が無い。
「銃鳴葬送曲(ブラストブリッツ・クライクライクライ)ッ!」
 鈴仙の詠唱と共に、取って置きの隠し弾幕、最後の千四百発が、妖夢に向かって放たれた。


******


 ――そして妖夢は、
 ……鈴仙に感謝した。
 自分をこの高みまで導いてくれた敵を愛した。それでありながら、自身の内の確かな歓びは、他人の中で起こっているかの様に遠く感ぜられた。
 限りなく世界が減速する。一度は動き始めた弾丸が減速し、遂にほぼ静止した。
 久しく忘れていた色彩を取り戻し、妖夢は己が剣技の完成、その一端を垣間見た。
 刹那の中の六徳、六徳の中の虚空、虚空の中の清浄、清浄の中の阿頼耶、阿頼耶の中の阿摩羅。
 その果て、追い求めた境地に手をかける。
「【涅槃寂静】」
 ――「『たとひ百錬千錬の精妙なりとも、虚実生死の境を出でざる剣は悟道一片の竹杖にも劣る』。……分かるか、妖夢よ」
 記憶の中から、遠き日の声が蘇った。今ならば、ようやく、確かに分かる。
 今や限りなく静止に近い世界で、だが妖夢は確かに世界が鳴動し、常に大変化を続けているのを感じ取っていた。
 空気はその粒子粒子が風の疾さで対流し、音は蝸牛の様に漸進をぐにゃぐにゃと繰り返す。
 太陽光はあらゆる物を照らし、反射した光は更に反射を繰り返し、
 物理法則は冷徹に空気や音や光を監督し、行き先を指示し、逆らうものが居ないか監視していた。
 対して魔術の法則は空気や音や光を唆し、行き先を誤魔化し、物理法則の目を欺こうとあちらこちらで騒ぎを起こしていた。
 そして……
 剣術。自分が友とする法則。その理法は、万物の流れに逆らわず、だが別の力を生み出そうとしていた。
 切欠はただの一刀。いや、刀である必要すらない。竹の杖でさえ充分である。ただその生成に必要な切欠を与えれば……
 難しい事ではない。この境地に至る者が少ないだけだ。
 丁寧に、静かに、粒子を斬らず、音を傷つけず、光を避けて……
 流れに乗せて、長刀を振るった。
『美事なり、妖夢よ』
 声が聞こえた気がした。聞き覚えのある懐かしい声の様な気がした。
(今の声は……まさか……!)
 幻想郷中を探し回った。もう居なくなったと思っていた。けれど、こんな所で、これほどすぐ傍で見守ってくれていたのだろうか。
 心が、形を取り戻して揺れた。
『だが、まだまだじゃ』
 そう笑って、気配は遠ざかり、消えた。
 為すべき事を為した妖夢の時が秒の単位へ向かって急加速を始め、それに伴って世界が急変する。
 ほとんど静止した世界でさえ到底追いつかなかった、あらゆる法則に対する認識が、完全に失われた。同時に、先ほど生み出された力が怒涛を成して鈴仙に襲い掛かる。
 ――放たれた絶技は、殺意の嵐の悉くを駆逐し、運転席のてゐの意識を刈り取り、だが車には一切干渉せず、そして……


******


 鈴仙は、自身が敗北した事を悟った。
 何が起きたのかは……分からない。神速を極めた妖夢の剣は、六徳の領域にまで踏み込んでいた鈴仙の意識上にすら、閃光としてしか認識されなかったのだ。
 鈴仙は未だ加速している認識の中で、緩慢に闇に落ちていく自分の意識を、どこか遠くの物の様に眺めていた。
 その先にあるのは死か、或いは単なる眠りなのか。
 どちらでも良い。これこそが最も忌避し、そして最も待ち望んだ決着だ。
 ――いや、まだだ。
(……まだ……やるべき事が残っていた)
 完全に意識が落ちる前に、断線した神経に無理矢理霊力を流し込む。霊力で以って神経を作り上げる。強烈な苦痛が流れるが、気にする事ではない。痛みを感じるのはこれが最後かも知れないのだから。
 そう心の内で自らを叱咤しながら、鈴仙はこれからの挙動に必要な回線を確保した。そして。
 ――……お美事。
 と。
 宿敵へ、愛を込めて。彼女は心からの賛辞を贈った。
 何とか搾り出したその声は、果たして妖夢に届いただろうか。
 そして鈴仙の意識は闇へと沈んでいった。


******


 勝敗を分けたのは……そう思い返しながら、頬に伝う一筋の血を拭い、妖夢はそっと鈴仙を地面に横たえる。
 恐らくは、知識の差だけだった。妖夢には目指すべき頂があり、鈴仙は目指すべき場所……より強い者の確固としたイメージを知らなかった。
 最後のあの瞬間、最早打つ手は無く、魔弾の群れに蹂躙されようとしていたその時……だが不思議と恐怖はなく、空となった心の中に、鈴の音の様にいつかの祖父の言葉が蘇った。
 その言葉の意味が理解……否、『大悟』出来たからこそ、妖夢はかろうじて鈴仙に打ち勝つ事が出来たのだ。
 もし祖父の教えが無ければ―或いは、鈴仙が祖父と同じレベルの強者から教えを受けていれば―先ほど拭った血の赤が、その結果を物語っている。妖夢にはそう思えてならなかった。
 全ての障害を排除した筈だった。一点の曇りも無く勝利した筈だった。それでも尚、何処からか飛来した一発の弾丸が、頬を掠めたその瞬間……妖夢は動けなかった。今彼女が立っていられるのは、単なる幸運による物だと、妖夢は理解していた。
 果たして、如何なる魔術の為せる技か……その弾丸は、全てが明瞭な世界の中ですら最後まで秘匿され、逃れえぬ筈の魔剣の閃光からも逃れ、妖夢の目の前に立ち現れたのだ。
 或いは、道を知らず、目指すべき頂を知らず、それでも鈴仙は最後の瞬間、その一端に手をかけていたのか。そんな事を考えながら、妖夢は鈴仙の衣服や髪を整えた。
 先程までどちらが命を落としてもおかしくない闘いをしていたと言うのに、その手つきはあくまで柔らかく、優しく……まるで、遊び疲れて眠ってしまった子供を世話する様な趣きが感じられた。
 いや、正しく遊びだったのかも知れない。闘いの最中に二人の心にあったのは、憎悪や怨念と言った負の感情ではなく、純粋にはしゃぎまわる子供の様な、歓喜であったのだから。
 静かに寝息を立てている鈴仙を一瞥し、妖夢は幽々子の下へと走った。
 捧げるべき主の下へ。静かな、けれども大きな歓喜を胸に抱いて。


******


「よくやったわね、妖夢」
「……はい。それで、あの……」
 妖夢は、あの領域で聞いた声の事を幽々子に話そうとした。けれど、幽々子はそれを遮るようにして、
「何か話があるなら後でゆっくり聞くわ。早く運転席に座りなさい、妖夢」
「え?ですが……」
 確かに、まだ妖夢にもレースを続行する権利は存在している。けれど、主を差し置いて、自分が勝利するなどと、と妖夢が言葉を返した所。
「私は既に貴女から素敵な勝利を捧げられた。だからもう今日は満足したの」
 そう言って幽々子は助手席に座った。
 それから、と車内から声がかかる。
「……急がないと。誰かが来てるわよ」
 その言葉でようやく妖夢は気づく。誰かが、幽々子や咲夜の運転を超える程の、凄まじい速度で近づきつつある事を。


******


【PRIMAL LIGHT】


「頼むわよ……上海、蓬莱」
 アリスが糸を切り離す。同時に、二体の人形が操り人形<マリオネット>から自動人形<オートマタ>へ切り替わる。
 二体の人形は、それぞれハンドルとペダルに組みかかっていた。そして今、車の上に立ち、魔道書<グリモア>を片手に携えたアリスは、もう一方の手でスペルカードを生成した。
 ――最後の直線。残る敵は一組……西行寺幽々子と、その忠実な従者、魂魄妖夢。
 運転席に乗っていた妖夢が、車を発進させた。アリスの車からゴールまでの距離は3km、妖夢たちは2kmほど先行している。
 独りでは絶対に勝てなかっただろう。その距離を、その壁を確かに認めたアリスは……
「……貴女の術、借りるわ」
 それでも真っ直ぐに視線を据えて、ゴールを目指す。
 ――証明する。
 迷いは無く、その理念に曇りも無く、決意は気負いとならずに、確かな力となって優しくアリスを包み込んでいる。
 ――きっと証明してみせる。
「恋符【ニトロスパーク】!」
 ――私はもう独りじゃないって。『私たち』は強いって!
「『我らの最強を此処に証明する』!」
 車体が白熱し、マフラーからは粒子が星型をした光が吹き上がる。急加速に伴って襲い掛かるGと空気抵抗を、アリスは手にした魔道書から術を起動する事で軽減した。
 ――魔道書。
 そう、アリスを助けているのは魔理沙の力だけではなかった。手にした魔道書は以前パチュリーから借りた物だ。
 独力で行おうとすれば、恐らく限界を超えた術の行使。それを可能にしてくれた二人に、アリスは感謝した。
 最初は独りだった。二人になって少し強くなれた。三人なら……きっと届く。
(……三人と、二体ね)
 運転席で頑張ってくれている人形たちに対する感謝も忘れてはいけない。帰ったら手入れしてあげよう、そんな事を思いながら、アリスはスペルカードの出力を上げた。
 ――妖夢はアクセルを一杯に踏み込み、アリスの猛追から逃れようとしていた。
 技術が要求される局面は過ぎた。此処から先はきっと……そう、どちらがより良い道を通ってきたか、それで勝負は決する。
 そして彼女は思いを馳せる。
 失った友。優しい門番との共闘。自分を信じてくれた主。最高の強敵。そして今、最後に立ちはだかる人形遣い……
 自身の道は間違っていない……それでも未だに勝利の確信が湧いてこないのは、アリスの道も間違っていないと直感出来るからだ。
『勝てる』ではなく『勝ちたい』と言う心の衝動に突き動かされ、妖夢の運転する車はゴールを目指す。
 そして互いの車の距離が縮まっていく。ゴールまではあと僅か……一歩も譲らぬデッド・ヒートは、双方共に譲れない理由があるのだと証明していた。
 二台の車が並ぶのと、ゴールの白線に到達するのとはほぼ同時だった。何時しか増えた、決して少なくない数の観客にも、どちらが勝ったのか明言出来る者はいなかっただろう。
 妖夢の車が減速し、止まった。対するアリスの車は……
 減速はしていた。だが妖夢のそれとは違い、ブレーキを踏んだ減速ではない。弱いエンジンブレーキと、タイヤと地面との摩擦による物だ。
 アリスは、気を失っていた。限界を超えて、それでも術を行使し続けた結果である。車の上から落ちないのは、本来ブレーキをかけて車を停止させる筈の二体の人形が車外に飛び出し、必死にアリスの体を支えているからだ。
 もし人形たちが体を支える事なくブレーキをかけていたら……アリスは高速で走行中の車の上から、アスファルトの路面へ落下していただろう。
 だがブレーキがかかっていない現在、車は未だ時速300km以上の速度を保ったまま、数百メートル先の第一コーナー、木々が生い茂る森へと直進していく。
 事態に気付いた幾人かは飛び出し、或いは……飛び出そうとして転んだ。
「………………」
「数日の間、力は使えないと言ったわよ、咲夜」
 魔理沙が箒を駆り、天狗が空を駆ける。他者を寄せ付けない速さで先行する自称幻想郷最速の二人だが、それでもアリスを助け、迫った森を回避するのは難しいかと思われた。
「このままだと森にぶつかります!『私の方が速い』んですから貴女は引っ込んでて下さい」
「さりげなく自分の方が速いアピールするなこのカラスっ!引っ込んでろ!」
 魔理沙が文に横から体当たりをかます。文も魔理沙を押し返す。
「やってる場合かーッ!真面目にやりなさい!」
 後ろを飛んでいた霊夢がその様子を見てツッコミを入れた。
「だってこいつが邪魔をー!」
「邪魔なのは貴女です!」
 それでも流石に最速を争う二人である。森の直前で遂に後一歩まで追いつき……
 突然、面前に水が収束し、水が人の形に変化、人の形をした水が瞬時にパチュリーと入れ替わる。現れたパチュリーは後方の二人を一顧だにせずにアリスと人形たちを抱え上げ、去っていった。
「……ちょ、ちょっと待てー!私の見せ場はー!?」
「いや文……あのさ……」
「一体私って何だったんですか!?折角ずっと居たのに実況も無しで最後の見せ場も奪われて本当はレースに参加するキャラに選ばれてたのに『インスピレーションが湧かない』とか作者ヅラして抜かした作者がそれすらも無かった事にしてー!」
「どうやって止まろうか?森、もう目の前なんだけど」
「は……?ハッ!?」
 無理だった。そう断ぜられる距離だった。かわす事も止まる事も不可能……ならば二人に残された選択は、
「ぶ、ブレイジングスター!」
「さ、猿田彦の先導!」
 暴風をまとった天狗が、魔力の嵐をまとった魔法使いが、木々を薙ぎ倒していく。壁にぶつかりそうならいっそぶち破ればいいのである。英断であった。
 そんな(馬鹿)二人を尻目に……と言うかそんな二人には目もくれず、
 映姫から、判定が下された。
 ――……歓声が、聞こえる。
 一面の闇の中、その音が光の様に閃き、アリスは意識を取り戻した。
(柔らかい……良い匂い……)
 そんな事を思いながらゆっくりと目を開ける。その後、何度か瞬きを繰り返しても尚、何故アリスはそんな物が至近にあるのか理解出来なかった。
 目を開けたアリスの視界に最初に飛び込んできたのは、パチュリーの顔だった。
 混乱。良い匂い。柔らかい。幸せ。混乱。
「そうだ……結果は!?」
 変な方に突っ走り始めた回路を切り替えて、アリスはパチュリーに尋ねる。
「おめでとう、アリス。貴女の優勝よ」
 その言葉の意味が浸透するまで数瞬かかり、それが過ぎ去った後……アリスは喜びの涙を流しながら、パチュリーに抱きついた。


******


エピローグ【CALM PASSION】


 窓から差し込む光が朱色になり、その光もやがて力を失って、夜の匂いが漂い始める頃。
 人形の手入れをしようと道具をテーブルに並べたアリスは、扉の外に誰かの気配を感じ取った。
 ノックの直後、返事もしない内にドアが音を立てて開く。こんな事をする人物は一人しか居ない。
「今人形の手入れで忙しいのよ、魔理沙」
「ほ、ほら忙しいって……」
 振り返らずに魔理沙に告げると、予想もしなかった声が返ってきた。
 慌てて振り返ると、そこには魔理沙と、その陰に隠れるようにして、遠慮がちな視線を送るパチュリーの姿があった。
「あれ?……え?」
「さて、珍しい客を連れてきたわけだが……手入れはするのか?」
 アリスは一瞬言葉に詰まったが、何か諦めた様な、或いは何かを決めた様な優しい表情で、
「……ええ。あの子達は今日私の為にかなりの無茶をしたの。来てくれたのは嬉しいのだけれど……ごめんなさい、魔理沙、パチュリー」
 と言った。
「そうか、まあお前がそう言うなら仕方ないけどな……彼女たちの意見も聞くべきじゃないか?」
「……彼女たち?」
 魔理沙が目で指し示した先にアリスが振り返ると、二体の人形達はテーブルの上の道具を片付けているところだった。
「な……何をしているの貴女たち?」
「私の目にはお茶会の準備に見えるな」
 道具を綺麗に片付け、お茶の道具を整えると、人形達は一礼して、自分の戸棚へと移動しようとしたが、
「……待ちなさい。全く……仕方ないわね。さあ、二人とも席について。『皆で』お茶会にしましょう」
 アリスが人形をテーブルの上に座らせた。それを見た魔理沙とパチュリーの二人は、優しく微笑んだ。


******


「てゐ、てゐったら!」
 夕暮れ時の竹やぶの中を、兎が兎を追いかけていた。
「あーもーうるさーいっ!ついてこないでよ!」
「門番さんに謝りに行くんでしょう?私も行くわ」
「行かないっ!一人で行けっ!」
 ほー、へー。とよく分からない言葉を鈴仙が発した。
「二度もあくどい罠に引っかけた相手に、湖から引き上げられて、てゐはお礼も謝罪もしないんだー」
 ――妖夢の技が放たれた後。
 気絶したてゐが運転する車は、コース脇の湖に転落した。そこからてゐを引き上げたのはあの門番だと言う。
 お人よしが過ぎる、と鈴仙ですら思った。今時人間にもそこまでの底抜けはいないと思う。
「ぐっ……」
 てゐは言葉に詰まった。実際、流石に何かお礼とか謝罪っぽい事をしないとマズい様な気がそこはかとなくしないでもない、とてゐの悪魔回路にすら電流が走っていた最中だったのだ。
 だが、他人に知られるのはとても恥ずかしい。
 知られる位ならいっそ門番を爆殺してやる。食べた物が爆発すれば面白そうだ、と途轍もなくエグい考えが浮かぶが……
「……はぁ」
 何故か全てがどうでもよくなった。あの門番なら本当にあっさり爆死しそうで遣り甲斐がないと思ったのもある。ついでにそこまでやったら罪悪感に耐えられなくなりそうだ。
 恥ずかしいのは仕方ない。自分が失敗した罰だと考えるしかない。次はもっと上手く……と灰色の脳細胞が稼動しそうになったのをとりあえず止めて。
「ごめん、鈴仙。一緒に行こ」
 終始にこにこしていた鈴仙が頷いた。最初からこうなる事を分かっていたとしか思えない。後で地味に復讐してやる、とてゐは決意した。
 空に飛び上がり、紅魔館へと向かう途中、てゐは今日一日を振り返る。
 思い返すと散々な一日だったけれど、不思議と悪い気分ではなかった。
「てゐ、てゐったら!ぼーっとしてるけど大丈夫?」
 追想から我に戻ったてゐは、鈴仙の声に気付いた。
「あ、考え事してた。何、鈴仙?」
「いや、別に大した事じゃないんだけど……ほら、見て。綺麗な夕焼け」
 鈴仙が指し示した方に目を向けると、朱色に染まる空と、夜が降りた空との陰影が、超自然的な美しさを作り出していた。
「まったく、夕焼けなんていつでも見れるわよ」
 口ではてゐはそう言いつつ、今日は本当に良い一日だった、と思った。
「うん、本当に良い一日だったわ」
 と、隣でもう一匹の兎が笑った。


******


 門に寄りかかりながら朱に染まる空を見つめていた美鈴は、今日一日を振り返り、静かに笑みを浮かべる。
 本当に楽しかった。たまに羽目を外すのも良い物だ。そう思う一方で、流石に色々と無茶をしすぎたと思い、主に叱られるかも知れないと恐れていた。
 草を踏む音に気付き、『怒られたらどうしようか。どう謝ろう。やっぱり土下座かなぁ』とか言う酷く情けない思索から我に返った美鈴が振り返る。そこには……
「咲夜さん……っと。……何ですか、これ?」
 軽く放り投げられた包みを、美鈴が受け取る。
「お嬢様からよ。開けて御覧なさい」
「クッキー……ですね。……爆発とかしませんか?」
「そう言う事を言うのなら爆発させてあげても良いわよ」
 美鈴は土下座して謝った。
「しかし……てっきり叱られるとばかり」
「そうね、負けたのだから不機嫌になるとばかり思っていたのだけれど……」
 咲夜は息を一つ吐き、視線を西の空へと向けた。
「今日は本当に良い日だった、と喜んでいたわ」
「そうですね……夕焼け、綺麗ですし」
「それは何の関係もない」
「あぅ……」
 咲夜の冷徹なツッコミに少しだけ傷ついた美鈴が項垂れる。
「けど……そうね、本当に綺麗な夕焼け……」
「……ええ」
 日が沈むまでの僅かな時間、二人は夕焼けを見ていた。交わす言葉はなくとも、そこには満ち足りた時間が有った。


******


 カツ、カツ、カツと。
 地下の冷えた石畳を踏みしめ、灯りも無しに歩く影がある。
 足音は残酷なまでに静かな空間に木霊し、反響して戻った音は孤独の色を映している。
 嗚呼、此処は、なんて暗く、なんと寂しいのだろう。哀しい音を、自らの罪として噛み締めながら、レミリア・スカーレットは歩く。
 いつも、此処には孤独があった。此処には孤独しかなかった。
 けれど、今日だけは違う。今日だけは温もりを与えられる。生きて、命の限りに闘う彼女たちを見て、レミリアはそう思ったのだ。
 死に冷えた自らの体温でも、きっと。
 それはどんな闇の中でも、決して消えない灯りだから。
 そしてレミリアは扉を開く。地下の決して光が届かない闇の中でさえ、比べる事すら出来ないほど色濃く闇があふれ出すその部屋に向かって、優しく口を開く。
「ただいまフラン。今日は土産話がいっぱいあるの。……聞いてくれる?」


******


 夕焼けが空を朱に染めていた。
 高度600mから眺める夕焼け、その美しさは、ぐるぐると負の方向に巡る妖夢の気持ちを少しだけ前向きにしてくれた。
 意を決して、レースの後からずっと黙ったままだった幽々子に声をかける。
「幽々子さ……」
「妖夢、私が今何を考えてるか分かるかしら?」
 幽々子が滞空するのに合わせ、後ろに付き従っていた妖夢も動きを止める。
「お怒り……ですか」
 自分は勝てなかった。幽々子がずっと黙っていたのは、それが理由なのだと妖夢は思っていた。
 振り返った幽々子が、突然妖夢の体を抱きしめる。ちょうど胸が顔に当たり、その柔らかさに妖夢は何故か慌てた。
「ゆ……幽々子様?」
「今日は最高だったわ!紅魔組とのカーチェイスも、貴女の戦いぶりも……最後に負けたことさえ!」
 幽々子は、体全体から溢れんばかりの歓喜のオーラを放っていた。妖夢を甘やかすモード全開だった。
 恐らくはその姿を吸血鬼や新聞記者辺りに見られたくなくて、ここまで我慢していたのだろう。
「こんな日を、一緒に積み重ねていきましょう……ずっと、ずっと……」
 喜びと寂しさは、同居するのだ。自分を抱きしめている幽々子を通じて、妖夢はその事を初めて知った。
 妖夢が幽々子の背中に手を回し、しっかりと抱きしめ返す。
「ええ、貴女が望む限り……この身は貴女と共に」
 幽々子はにっこりと笑って、妖夢の頭を撫でると、体を離した。
「アリスが後ろに見えた時……妖夢には悪いけど、私たちは勝てないって分かったわ」
「……何故、ですか」
 再び冥界へ帰る為に進み始めた二人は、今度は並んで飛んでいた。
「そうねぇ……あの兎とか……門番なんかもいいんじゃないかしら?」
「仰る意味がよく……」
「今度あの二人の所に遊びに行きなさい。私が許すわ」
「はぁ……分かりました」
 よく分からない命令だが、妖夢は聞き返さずに受け入れた。(いつも通り)わざと妖夢に理解出来ない様に話しているのだから、聞き返しても無駄なのだ。
「さて、それじゃ早く帰りましょう。美味しいご飯が待ってるわよ」
 こんな日がずっと続くなら……それはとても幸せな事なのだと、幽々子の笑顔を見て、妖夢は思った。
「ご飯……作るのは私ですけどね……」
 苦笑しながら小さく呟いた言葉は、高度700mの夕焼け雲に吸い込まれて、消えた。


******
-黒に染まるぜ、お前の為に。(関東一帯を襲った大災厄から七年後の鳥篭に囲まれた東京の方言でこんにちはの意味)
完ッ結ッ!ヘルシング完結ッッ!ヘルシング完結ッッ!ヘルシング完結ッッ!

最後までお付き合い下さりありがとうございました。
初めての方ははじめまして。そうでない方は毎回何処かよく分からない方向(多分光の国の方)へ突っ走る自分の作品をまた読んでいただき有難う御座います。
レースの話です。ただレースするだけの話でした。車の屋根の上でバトルするシーンを書きたくて書き始めたら、こんな(個人的に)ロマンあふれる話になりました。男の子にロマンは必要ですよね、ドラゴン娘と恋っぽい事する為にも。
時々ついてるサブタイトルはどうしても主張したかったパロ元です。パロディやオマージュが大量にあるので、最初は各章毎にサブタイトルつけてたのですが、読んでて鼻につくのでバッサリ行きました。鬼武者2と同じくらいのバッサリ感。
ついてるサブタイトルが何か分かる方はニヤニヤしながら一緒に曲とか再生していただけるととても嬉しいです。もしくはあの文庫版が妙に高くて全部買おうとすると結局8k円くらいの出費を余儀なくされるシリーズを再読するとか。(※長門とは何の関係もありません)

と言うわけで、次回もまたアクセルベタ踏みで暴走しつつその極点にいる何かに向かって落ちたり飛んだりその神の名は…したりすると思いますので、宜しければどうか末永いお付き合いをお願いします。
以下、元ネタとか紹介です。興味なければ読み飛ばし可。
※こっそり誤字修正。評価コメ有難うございます。
※こっそりタグ改変。最高ニジマス釣りー。
※こっそり大幅加筆。今から読む人とか居るんでしょうか。

補足(ちょっと解りにくいかも知れないと思った元ネタとかどうでも良い説明とか。読まなくても別に生きていけるし今日のご飯も美味しい)

このSSのタイトルについて
原案が2007年のプロットなので。2006かも。それくらい前のです。多分『塵よりよみがえり』以降は全部この作品の後から出てきたアイディアです。
原案が風以前なので、風以降のキャラが一切出てません。それどころか原案段階でレースに参加する筈だったキャラ約一名もほとんど出てません。可哀想に。

美鈴の紅い発光
赤ブロならぬ紅ブロでした。元ネタはふたりはフリキャラ ~Max Heart~。嘘。でも大体合ってる。

『たとひ百錬千錬の精妙なりとも、虚実生死の境を出でざる剣は悟道一片の竹杖にも劣る。』について
GS美神のアシュ様配下の土偶の名前が元ネタの小説から。嘘。ポロロッカ。

ポロロッカについて
「アマ」で始まる問題は一万七千問の内三つ。その内の答えの一つ。

ドグラ・マグラについて
日本ミステリー三大奇書の一つ。作者は夢野久作。
堂廻目眩、戸惑面喰とも表記。
『たとひ百錬千錬の精妙なりとも、虚実生死の境を出でざる剣は悟道一片の竹杖にも劣る。』の一文はこの小説から。
アシュ様配下の土偶の名前の元ネタ。あとパピリオと結婚しました。絶チルの紫穂とも。
ドグラ・マグラは既に著作権が切れている為、ネット上の青空文庫で無料で読めます。興味がある方はどうぞ。

オマケ。(やるか分からない企画)

【Vow of sword】


じりじりと燻る焔の赤を見て、男は泣き崩れた。
串刺しとなった鋼の死骸を見て、男は咽び、叫んだ。
湖底へと沈み、もう二度と浮き上がる事はない友の最期を知り、その喪失感に…
しかし、男の涙は既に止まっていた。
哀しみは、既に男の心を凍らせ、本来であれば滾る筈であった復讐心すらも氷の彩りに染めた。
彼はただ冷徹に、『そのようにする』だろう。
-握るは使用法不明のアイテム、仇は十人。
登場人物
森近霖之助…人呼んで、香霖堂店主。
霧雨魔理沙…人呼んで、普通の魔法使い。
アリス・マーガトロイド…人呼んで、七色の人形遣い。
魂魄妖夢…人呼んで、半人半霊。
西行寺幽々子…人呼んで、華胥の亡霊。
十六夜咲夜…人呼んで、完全で瀟洒な従者。
紅美鈴…人呼んで…呼んで…みす…ず…?
レミリア・スカーレット…人呼んで、永遠に紅い幼き月。
鈴仙・優曇華院・イナバ…人呼んで、狂気の赤眼。
因幡てゐ…人呼んで、幸運の素兎。
八雲紫…人呼んで、幻想の境界。

森近霖之助の死闘(?)が、遂に火蓋を切って落とされる。
nitori+(にとりぷらす)が送る最弱キャラの下克上。
-鬼哭郷。

※火薬+様ごめんなさい。
目玉紳士
[email protected]
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コメント



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1.100クロスケ削除
すげえ。良く分かんないけどすげえ。とにかくすげえ。

タイトル見て『多分俺とは波長が合わない』と思ったとき。
タグ見て、元ネタ半分位分からなかったとき。
そして、滅茶苦茶小さいスクロールバーを見たとき。

『読み切れない。』
『途中で絶対投げ出す。』
『戻るべき。今すぐ。』
そう思った。

けど、出だしの三行でどうしようもなく惹き込まれた。
>そして、レースの日がやってきた。
この一文でどうしようもなく胸が高鳴った。
気付いたら、スクロールバーは窓の底についていた。

今でも、何があったのか良く分からない。ワケもなく興奮している。すげえ。

(※要約:これぞロマン!!きっと。)

とにかく、素敵な時間を有り難う。とても楽しい時間だった。
3.100名前が無い程度の能力削除
久々に良いオナニーを見た。
6.70煉獄削除
レースにしてはかなり混沌としてますねぇ。
それともう少し文章の改行がされていると読みやすかったと思います。
レースだけで終わらず、バトルとかあってやっぱり
幻想郷ならではのレースといった感じはしましたけど。
10.70K-999削除
元ネタの殆どが解りませんよ志貴さん!
それでも最後まで普通に読めました不思議!
それにしても分類に「あやかしびと」がないなんておかしいですよカテジナさん!
まーそれらはどうでもいいんですが。
ちょいと霖之助が可哀想かなぁとおもったら一応その企画があったんですね。
楽しい時間をありがとうございました。
12.100名前が無い程度の能力削除
なんというニトロ臭
13.70名前が無い程度の能力削除
良くも悪くも色んな意味ですげぇ…
BGMは当然「Drive my life」ですよね?
14.100名前が無い程度の能力削除
やー……
あー……
えー……ダメだ、言葉にできない。
と、とりあえず『縁の下の11人』!
16.20名前が無い程度の能力削除
面白かった……とは思うんですよ。ただ全くレースとしてのイメージが出来ない。
18.100三文字削除
レースじゃねえ、これ!
いやでも、色々と男の子心くすぐる言葉が色々と。うん、取り敢えず面白かった。
美鈴の拳王で吹いたのは内緒。
20.80名前が無い程度の能力削除
迫力に押され押されて最後まで読みきってしまいました。