このお話は作品集82、「探し物は何ですか」の続編です。予めご了承下さい。
見つけにくいものというのは、確かに存在するらしい。
どんなものかは教えて貰えなかったが、時には完遂までに一年を費やすこともあるそうだ。彼女も客も妖怪だから一年程度どうってことないのかもしれないが、半分人間の価値観が混じっている僕からするとやはり長いように思える。
まぁそんなことは大方どうでもいい。仕事を請け負うのは彼女なのだし解決するのも彼女なのだから。問題なのは――
「どうして僕に解決策を求めるのか、ということだ」
「うん? 君は私の相方なのだろう。なら協力して依頼を遂行するのは当然のことじゃないか?」
「相方って……君の持ってきたものがどんなものなのか見極める、それが僕の仕事じゃなかったか?」
「かたいことを言うな。ロールプレイングならともかく、私たちは自由に行動できるんだぞ。相談役として私の話を聞いてくれてもいいじゃないか」
「僕に思い付くことなら、全部君も思い付くだろう」
「そこが問題なんだよ」
分かっているのなら聞くな。
というか、今回の場合はそれ以前の問題じゃないか。いわば僕は部外者だぞ。だというのに、
「部外者である筈の僕に依頼内容を話して聞かせるなんて、マナー違反じゃないのか?」
「それについては確かに悩んだよ。しかし今回は少々勝手が違ってね……いつものように妖怪共に聞き込みを始めたところで一向に情報は集まらない。かと言って既に話した通り、仲の良い人間だっていない。そこで、なら君がいるじゃないか、とね」
「要するに手伝え、と」
「そういうことだ。危険な仕事でもない。報酬だって現金だ。悪い話じゃないだろう?」
ナズーリンの言う通り、条件を見ると悪くはなかった。探している物だって特徴はあるし、そうそう似通った物があるとも思えない。少し足を動かせば、簡単に見つかりそうな代物だった。
それに、ここまで込み入った話を聞かされて断り切れるとも思えない。
全く……酷い話だ。
「分かったよ。だが今回限りだ。君の依頼は君の依頼、僕の仕事では決してない。自分一人でできないのなら、そうそう安請け合いするんじゃない」
「諒解、これからは気をつけよう。元々私も君を巻き込むつもりはなかったからね。申し訳ないとは思っているさ。
まぁ、話がまとまったのなら良かった。それでは行こうか」
「どこに?」
僕の手を取って背を向けたナズーリンは、ゆっくりとこちらに振り返って不審そうな顔を見せた。
「……どこに? 決まっているだろう。依頼者のところに、だよ。
大まかには話したが、詳しいことは本人から話を聞いた方が早い。君のことも彼女に紹介しなければいけないしね。どうせ暇なんだから、今からでも問題はないだろう」
「顔合わせ、というやつか」
「そうそう。なんだ、分かってるじゃないか。話が早いな」
再度僕の手を引っ張るナズーリン。そこであぁそうだ、と僕は気付く。
「あぁ、ちょっと待ってくれ。店を閉めなければ――」
「どうせ誰も来るもんか。さぁ、クライアントを待たせてはいけない。早急に向かうぞ!」
「お、おいナズーリン!」
無理やり腕を持って行かれ体勢を崩し掛ける。なんとか倒れはしなかったが。
そんな僕を見て、ナズーリンは悪い悪いと笑う。全く悪びれもせずに。
彼女、予想以上に強引な性格のようだ。
「どうも。今回ミーティングを行うに当たって、先に紹介しておきたい人物がいます。森近君」
「はじめまして。森近霖之助です。よろしくお願いします」
「あ……はい、こちらこそよろしくお願いします」
青い髪に赤と碧の異なった色の瞳を持つ――確かオッドアイと言ったか――彼女、多々良小傘は深々と頭を下げた。
礼儀正しい、というよりは、どこか小動物みたいな雰囲気を纏った少女だ。
今回の依頼者は彼女だと、事前にナズーリンから聞かされていた。
「彼は我が所の敏腕エージェントです。物を探すことにかけては他の追随を許さない。初対面でしょうが、どうか安心して彼に任せてほしい」
「はい! お任せしますね、霖之助さん!」
「いや、任されても困るが」
「えっ」
直後、後頭部に衝撃が走る。
同時にスパァンと爽快な音も部屋に響き渡った。
頬を叩かれたような破裂した痛みに顔を歪める。そこに手を当てると、少しだけ他の部分より熱を持っているような気がした。まぁ腫れはしないだろう。
右を見る。ナズーリンがハリセン片手に、僕をキッと睨みつけていた。
「用意がいいな」
「何を言ってるんだ君はっ! 依頼者を不安にさせるような馬鹿者がどこにいるっ!!」
「いや、何と言うか……無意識の内に、だよ。悪気はなかったんだ、許してくれ」
「……君はその、思ったことを何でもかんでも口にする癖を直した方が良い。少なくとも、その癖は幸福を齎さないだろうから」
「ふむ。善処しよう」
「はぁ……もういい、君は黙っていろ。後は私が話を進める」
勿論、会話は声をひそませて。
どうやら僕の受け答えが彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。思い返してみれば、それもそうか、と納得できる。
……しかし、口を滑らせる気はなかったのだが。最近妙に“うっかり”が多い気がする。気を引き締めないといけないな。
「……あの、ナズーリンさん?」
「あぁすいません多々良さん。彼、人を驚かせるのが好きなんですよ。見かけによらず茶目っ気があってね」
「そうなんですか。あぁ、びっくりしたぁ」
胸に手を当て安堵する小傘。
しかし、どこか表情が曇っているように見える。
……はて。
「さて多々良さん。彼に大まかな部分は既に話しましたが、委細にまでは至っていません。ご面倒でしょうが、改めて貴女の口から全てを説明して頂けないでしょうか」
「分かりました。……えーと、確かあれは四日前のことで――」
――ナズーリン、そして小傘から聞いた話をまとめるとこうだ。
四日前、依頼人多々良小傘は目覚めてから、持ち物を一つ紛失していることに気付いた。
唐傘お化けの妖怪である彼女の半身とも言うべき、唐傘を、だ。
実はその唐傘も独立した妖怪で、単独行動もとれる。勝手に出歩くことはままあったが、必ず帰ってくるためあまり気にしていなかったようだ。
しかし。
一日経っても、二日経っても。……四日後の今に至るまで、とうとうその姿を見せることはなかったのである。
「……あの子、一日以上家を空けたことなんて、一度もなかったんですっ! 探しても探しても、全然見つからなくて……私、もう、どうしたらいいか……っ!」
「あー泣くな泣くな。泣いたところで状況は好転しないんだ。今君にできるのは、我々をただ信じることだけ。そうだろう?」
「……っひく、は、はい……」
「それで良し。……さて森近君、情報は既に充分に得られた。これ以上無駄に時間を浪費してはならない。何はともあれまずは行動だ」
僕は机の上に広げられた書類を、再度元通りにまとめナズーリンに手渡した。うむ、と彼女は頷きそのまま席を立ち部屋を出る。確か別室に所長室があったはずだ。書類を片付けに行ったのだろう。
部屋の中には二人。僕と、そして未だに鼻をすすり続けている小傘。ひたすら嗚咽を漏らし袖を濡らしている彼女の顔を、僕は直視できなかった。
居た堪れない気持ちに耐え切れず、椅子を引きずり立ち上がる。その音に反応したのか、小傘は急に顔を上げて僕の方を見た。
「どこに……行ぐんでずが?」
「どこ、とはまだ決まっていませんが、とりあえず人間の里辺りかと。見つかり次第連絡しますので、遠出などはあまりしないようにしてください」
「……ねぇ、貴方、……森近さん」
「はい?」
彼女は立ち上がって、乱暴に顔を拭うとつかつかと歩み寄り、……そして突然、僕の手を握り締めた。
ぎゅうっ、と、力強く。
「お願いします。必ず、必ずあの子を見つけてください。そうでないと私、このままじゃ……!」
「……分かった。約束しよう、必ずその傘は見つけ出す。必ず、ね。
それに加えて、ここの所長は物を探すことにかけては誰にも負けない。当然僕にだってね。彼女に見つけられないものなんか何もない。安心したまえ」
「はい……っ!!」
「……あー、邪魔をして申し訳ないんだがね、君たち。そうのんびりもしていられないんだよ」
飛び付いてきた小傘を引き剥がそうとしていると、背後からぞっとするような声がした。
幾分か怒気を孕んでいるように聞こえたのは気のせいか。
「ほらそこの君、さっさと離れたまえ。これから君のために仕事を始めようとしているんだぞ? さぁ、ほら、は、や、く、そこを退けぇ……っ!!」
小傘の肩を掴んで、必死になって揺さ振り落とそうとするナズーリン。しかしそうすればする程に彼女は僕にしっかりとしがみついてくる。……いや離れろ。
ナズーリンに僕が加勢した形になるととうとう耐え切れなくなったようで、投げ出されるように小傘は床に落ちた。
暫くは蹲ったまま無言を保っていたが、次第に声を上げ泣き始めた。ナズーリンは慌てて駆け寄り、慣れない手つきで彼女の頭を撫であやす。彼女も泣く子には勝てない、ということか。
すっかり蚊帳の外になってしまった僕は視線を下げて顔をしかめた。そこには見たくもない惨状が広がっていたからだ。
一張羅の外着にべっとりと付いた、小傘の涙と涎と鼻水。
ちょっと泣きそうになった。
まだ泣きべそをかいている小傘を強引に外に追い出し僕らも外に出ると、ナズーリンはじろりと攻撃的な視線をこちらに向けた。
「……全く、私のいない隙に何をしているかと思えば。本当女を誑かす癖があるようだね、君には」
「はぁ? 君は何を……」
「また“無意識”か? お得意の。それでもいいさ。しかしもう少し節操を持った方が良い。手当たり次第、なんて最低の男がする行為だよ。私個人の意見だがね」
「ナズーリン、君は何を勘違いしているかよく分からないが、僕は――」
「ふふ、それにしても意外だな。案外君も世話焼きなのか?」
「……? いきなり何を言ってるんだ?」
「“……分かった。約束しよう、必ずその傘は見つけ出す”――うーん、なかなかシビれる言葉だ。一回でいいから私も言われてみたいよ」
「なんだそのことか。そうでもないよ、それは場を収めるための出任せだ」
「照れるな照れるな。真剣そのものだったじゃないか。いやぁしかし、珍しいものを見た気分だ。君を巻き込んだかいがあるというものだ」
くすくすと笑うナズーリン。怒っているかと思えば次の瞬間には笑っている。僕には彼女がよく分からない。
少し躁鬱病の気があるのかもしれない。
何も言うことができずに僕は口を噤む。ナズーリンはいつまでも、くすくすと笑い続けるばかりだった。
里に向かう道中。
数分ごとにナズーリンはいきなり吹き出し、その度に先程のように僕の真似をしては笑う。
正直自分でもどうしてあんなことを言ったのか分からない。今回の依頼や報酬に目立って興味を引くようなものもない。何かあればそこで関わるのを止めることさえあるだろう。なのに、どうしてあんな約束をしたのだろうか?
……一つの答えとしては、小傘のあの表情、かもしれないな。
「おい店主。私の話を聞いているのか?」
「聞いてないよ」
「……まぁいい。もう一度だけ言うぞ。
今回は二手に分かれようと思っている。君は聞き込みを中心に里を隅々まで調べてほしい。私じゃ一蹴されてしまうだろうが、君ならきっと大丈夫だろうしね。
日が暮れたら香霖堂で落ち合う。お互い、良い報告を聞きたいものだね。……こんなところでいいかな?」
「おいおい、僕は素人なんだぞ。どう動くのが最善か、全く把握していない。そんな奴に一人で任せるのか?」
「なんだ、私と一緒にいたいのか」
「そんなことは言ってない」
「冗談だよ。聞き込みとは言っても、そんな仰々しいものじゃない。ただ“こんな傘を見かけませんでしたか?”と尋ねるだけだ。単純明快なことこの上ない」
「……それでも、なぁ」
やはり少し気後れしてしまう。
ましてや、あんな妙な傘を探すとなれば。
多々良小傘の失くした唐傘。その特徴は、なんと言っても色にある。
深い闇のような、吸い込まれるくらいに錯覚してしまう紫色。黒に近いだけあって、他の色を寄せ付けまいと全てを拒絶しそこだけ周囲から浮いているようにすら見える。
それだけでも充分目立つのに、先端部が黒いせいでその傘はパッと見茄子かと見間違えてしまう。妖怪だから中央の一つの瞳や大きな舌、いわゆる唐傘お化けの特徴は持っているが、色のインパクトがあまりにも強すぎる。恐らく十人が見れば十人が茄子を頭に思い浮かべることだろう。
僕も写真を見せられた時、なんだこの茄子は、と口に出しそうになった。その場はなんとか押し止めることに成功したが。
そんな傘を、これから一人で探さなければいけないのか? ふざけてると思われるのがオチだろう。如何にも物を探しています、といった風貌のナズーリンの方がまだ話を聞いてくれるかもしれない。
……やはり、同行して貰った方が良いだろう。色々な点を鑑みてもそれが最善の選択だ。それならば――
「というわけで頼んだよ。それじゃ」
「……はっ! ま、待てナズーリン! 僕も……」
一拍遅れて気付いた頃には、彼女の姿は既に遠い向こうにあった。見る見る内に黒い点になり、その点すらも徐々に小さくなっていく。追い掛けても呼び掛けても、もう届かないだろう距離にいることは間違いなかった。
こめかみを押さえ空を仰ぐ。雲一つなく晴れ渡っている。太陽の光がじりじりと、僕の肌を焼き焦がす。
……仕方ない。
とりあえず、傘屋にでも行くか。
覚悟を決め、僕は人間の里へと再び歩き出した。
「あー? 紫色の傘ぁ? なんだそりゃ。ウチにゃねーよ」
「はぁ……やっぱりそうですよね」
「なんだなんだ兄ちゃん? 辛気臭ぇ顔しやがって。おっちゃんで良かったら相談に乗るぜ?」
「いや、ご厚意はありがたいのですが、先を急いでいますので……どうもありがとうございました、傘が必要な時にはまたここに来ます」
「おう! 頑張れよ!」
傘屋の親父はガハハと笑い、大きく手を振った。僕も苦笑いを浮かべながら手を振り返し、改めて唐傘がどこにあるかを考え直す。
やはり傘は傘屋、なんて単純な解決ができる筈もなかった。第一それならナズーリンが最初に手に入れている筈だ。彼女の用意周到さは日常の何気ない仕草からも垣間見える。まず真っ先にここを探しただろうな。
かと言って他に考えもなかった。手伝うとは言ったが心当たりがあるわけでもない。きっと彼女が勝手に解決してくれるだろうと思っていたのだ。……まぁ、それなら最初から僕に相談する筈もない、か。
しかし、僕の考えることは大方彼女が先に考えているだろう。つまり考えたところで解決できるとも思えないのだ。虱潰しに探せばその限りではないかもしれないが……現実的ではないことは確かだな。
ふむ。ならば……彼女には考えられず、僕だけが思い付くようなこと、を思い付けば良いわけだ。
「……そうだな。傘について、一度整理してみるか」
傘とは雨など頭上から降ってくるものに対し身を守る防具だ。店にある書物によれば、外の世界では糞尿から身を守るために必須だったらしい。一体どういう状況でそんなものが降ってくるのかは分からないが、何かしら事情があったのだろう。
ここから分かるのは、傘は人を守るためのものだということだ。日光、雨、雪、糞尿、その他諸々。外を出歩くには障害が多過ぎる。それらの危険を回避するために開発されたのが、この“傘”なのだ。
字面から解釈することもできる。屋根の下に集う人々。その中心を貫くのは骨と呼ばれる部分だろう。ご丁寧に取っ手の部分までついている。
場合によっては家にも見えるかもしれない。如何にも建物の中にいるような図だしな。この字が考え出された当時は、傘を雨凌ぎ的意味合いで簡易型住居とみなしていたのかもしれない。成程、それなら形ともぴったり符合するし良いんじゃないだろうか?
……そうか! 唐傘お化けは付喪神。元々は道具として使われていた妖怪だ。だとするならば、傘として使われることを望んでいたとしてもおかしくはない。
傘として使われるためには、何が必要か? 勿論使う人間だ。その人間を欲して、この妖怪は一人家を出たのかもしれない。
そうなれば当然人間が多くいる場所へと向かうだろう。幻想郷で人間が多くいる場所と言えば、勿論ここ、人間の里だ。その中でも際立って人が集まっている場所と言えば――
「寺子屋か!」
あそこなら子供たちがたくさんいる。里にも集会所の一つや二つあるが、人が集まる頻度としては寺子屋の方が断然多い。人間を欲しているのなら、そこに行くのが道理じゃないか?
次々とはめられていくピース。パズルは全体のデザインを徐々に見せ始め、その真相を示そうとしている。
待っていろ小傘、ナズーリン。きっと良い知らせを伝えることができそうだ……!
「……すまない、冷やかしなら帰って貰えないか? まだ授業中なんだ」
「いや、冷やかしなんかじゃない。僕は至って本気なんだ。だからせめて話を……」
「あー分かった分かった。授業終わってからな」
ぴしゃり、と戸が閉められる。
冷たいものだ。一応知り合いだと言うのに。
今現在、僕は里に唯一ある寺子屋の前にいる。ここで教師を務めている上白沢慧音とは、昔霧雨のところに居候していた時から面識があった。たまに店に来ては色々と買って行ってくれる、いわゆるお得意さんの一人でもある。
が、それだけに僕の言葉は冗談にしか聞こえなかったらしい。それも仕方ないだろう。何しろ紫色の唐傘お化けを探している、というのだ。僕だってそんな言葉、まず聞き流してしまうだろうことは想像に難くない。
加えてまだ授業中、だそうだしな。邪魔するのも悪い。ここで大人しく待たせて貰おう。
などと考えていたところ、中から生徒たちの「ありがとうございました!」と元気な号令が聞こえた。ちょうど授業が終わったらしい。……残りも短いのだから切り上げても良かっただろうに。
まぁいい。授業はもう終わったのだから、中に入っても問題ないだろう。そう判断して、威勢よく音を立てながら僕は寺子屋の戸を開いた。
「……む」
「あれ? おじさん誰?」
「知らない人だ! 知らない人だ!」
目の前にいたのは、今にも帰ろうと身支度もそこそこに出入り口で固まっている子供たち。
皆僕のことを知らないようで、一瞬の静けさの後にざわめきが広がる。誰なんだろう、とか身長たけー、といった具合に。僕が里にいたのも割と昔のことだし、知らなくても無理はない。
まぁそんなことはどうでもいい。問題は彼女だ。
「さぁ慧音。今度こそ話を聞いて貰うぞ? 実は先日だな」
「ちょ、ちょっと待て森近! まず先に子供たちを帰らせてから……」
ちらり、と慧音が僕の後ろ辺りに視線を送る。その先を辿り僕も振り返る。
そこには、好奇心に目を輝かせ期待に満ちた表情で僕らを見つめる子供たちがいた。
「え? 先生この人のこと知ってるの?」
「誰なの誰なの? 教えて先生!」
「もしかして彼氏?」
「ひゅーひゅー!」
「ああもう黙りなさい! 話をこれ以上ややこしくしないでくれ!」
頭を抱え教卓に握り拳を下ろす慧音。それでも子供たちは静まらず、寧ろ余計に騒ぎは大きくなる。
流石に僕もこれはいけないと判断して、子供たちを制止しようとする。が、その前に慧音が強烈な一言を放った。
「……よーしお前たち。今から一人ずつ前に出ろ。先生の言うことを聞かないとどうなるか、その身に叩き込んで教えてやる」
ぞくり。
思わず僕も背筋を震わせてしまう程の迫力。当然子供もぴたりと黙り、寺子屋内は一転して静寂に包まれた。
……いくら教育のためだとは言え、脅すのはいかがなものか。そんな言葉が口を衝いて出そうだったが、僕が見せしめにされそうだったから何とか抑えた。本当このうっかり、どうにかしたいものだ。
誰もが口を噤み、緊迫した空気に息を呑んで暫くした頃。漸く慧音は顔を上げて、ふぅと小さく息を吐いた。
「……頭ごなしに叱りつけるのも良くないな。悪かった皆、許してくれ。お詫びにこの男性がどんな方なのか、皆に紹介してあげよう」
そしてすまなそうに笑う。が、こちらとしてはずっと息が詰まった状態のままだったのだ。子供たちも単純に喜ぶことはできずに、ぷはっと呼吸を始めるのが精いっぱいだった。
そんな僕たちの様子に首を傾げながらも、慧音は僕の紹介を始めた。
「この方は私の古い友人でね……名前を森近霖之助さんと言う。里から離れた場所で香霖堂という古道具屋を営んでいて、私もよく利用させてもらっているんだ。ほら、例えばこの前皆に見せたあの骨。あれも香霖堂で買ったんだぞ」
へー、と感嘆の声が周囲から上がる。そう言えばそんなものを売ったこともあったか。覚えていない。
まぁそれはそれとして。
「唐傘のことなんだが……」
「まだ言うのか? そんな傘あるわけないだろう。趣味が悪いにも程がある」
「しかしだな、本当にあるんだよ。そして僕はそれを探している。本当の話なんだよ。何か知らないのか?」
「本当、と言われてもね……知らないものは知らないんだから仕方がないじゃないか。そんな奇抜なデザインの傘、見たことも聞いたこともないよ」
「……そうか。悪かったな、授業の邪魔をして」
「別にいいさ。それよりも……おーい皆! 今の話を聞いただろう? 誰か知ってる奴はいないか?」
慧音は突然口元に手を当て、教室に響き渡る声で突如呼び掛けた。当然生徒たちに向かって、だろう。
話の矛先を向けられた子供たちは、知ってるか? いや知らない、などと口々に言い合う。成程、人海戦術ならあるいは成果が出るかもしれない。最初の考えは間違っていたようだが、ここに来たのは間違いではなかったようだ。
しかしやはり見掛けたことはないようで、一人、また一人と話を止めて段々とざわめきは静まっていく。最終的に二三人程度の話し声だけが残るようになって、だめか、と諦め掛けたその時だった。
「先生! みっちゃんがこの前、そんな感じの傘を見たって言ってます!」
「おぉ! やったぞ森近、目撃者がいたようだ! さぁ道、こっちに来てくれ。彼にどこでどんなものを見たのか、詳しく教えて欲しい」
「えっ……あ、はい……」
答えたのは教室の奥の方で、最後まで喋っていた女の子。顔は少し俯きがちで、ちらちらとこちらに視線を送ってきてはいるもののすぐに下を向いてしまう。恥ずかしがり屋なのかもしれない。
皆に後押しされて恐る恐る僕に近付いて来て、そしてすぐ近くまで寄るとぴたりと止まる。何度か周囲に目配せをして、やや躊躇うような仕草を見せてから漸く彼女は口を開いた。
「……よ、四日前に、お母さんにおつかいを頼まれたんです。その帰り道で、なんか大きなものを見かけて……。
なんだろうと思って、立ち止まって見てたんです。そしたら、その大きなものはゆっくりと振り返って――」
「それが唐傘だった、と?」
「……はい。それで、怖くなって逃げちゃったんですけど、気になって引き返したんです。でも、道を戻ってももうどこにもいなくて……」
「成程。それでお終いか」
ただの目撃証言。しかし、“ただの”と切り捨てるにはまだ早い。
やっと得られた手掛かりだ。できるだけ最大限、情報を引き出していかなければならない。
「その見掛けた場所とは? 里の中にいたのか?」
「いえ……確か、里から少し離れた――」
更に聞いてみると、そこは小傘の家から里に来るまでの道のりの途中だった。もしかしたら、本当にここに来るつもりだったのかもしれない。
だとすると、もっと周辺を探す必要があるかもしれない。まだまだ探索の余地はありそうだ。腰を据えて、じっくりやってみるか。
……なんだか僕もナズーリンに影響されてきているのは気のせいか。いけないいけない、僕の本業は古道具屋なんだ。あまりこっちに傾倒し過ぎるのも問題だな。
少女に礼を言い、適当に別れの挨拶をして寺子屋を出る。まずは証言通り、唐傘がいなくなった場所を探してみよう。何か発見があるかもしれない。
汗が体中に滲んでくるのを感じながら、僕は一歩踏み出した。
「……まさか、何も分からないとは」
結局あれ以降何も情報を手に入れることはできなかった。進展もなし。もう日も暮れて、頭上で烏が鳴いていた。
一日費やしてこれか。こんな毎日を繰り返して、ナズーリンは依頼を遂行するというのか。凄まじい根性だな。ただただ平伏するばかりだ。
それ以前に、僕がこういった仕事に向いていないということもあるかもしれない。人付き合いが良ければある程度自然に情報も集まってくるのだろうが、残念ながら僕の周りに集まってくるのは少々捻くれた奴ばかりだ。まともな情報が手に入る筈もない。
しかし、寺子屋の少女から得た情報は何かの役に立つかもしれない。僕では何も思いつかなくても、あるいはナズーリンなら。そうだ、もしかしたら彼女が既に解決してくれているかもしれない。彼女の方が当然本命なわけだし、これは期待しても良いんじゃないか?
そんなことを考えている内に、いつの間にか僕は香霖堂に着いていた。周囲を見回すが人影は見えない。まだ彼女は帰ってきていないようだ。
まぁ、ナズーリンとしても面子やらプライドやらがあるだろうしな。手ぶらで帰ってくるのも嫌がりそうだ。それか、重要な手掛かりを掴んで帰ってくる暇がないとか。うん、それが一番あり得るパターンだな。
とにかく僕はやるだけのことはやった。活動を続けるにしても、明日以降に回して構わないだろう。歩き続けてくたくたなんだ。さっさと汗を流して、今日はもう寝たい気分だな。
とりあえず店の中で休むとするか。茶でも飲んでゆっくりと彼女を待つことにしよう。そう考えた僕は、最後の力を振り絞って店の扉をがらがらと開いた。
「……どうして、貴女がここに」
「あらお帰りなさい。ご飯にする? お風呂にする? それとも――」
「そんな話はしていない。はぐらかさないで下さい」
「あらあら、つれないわねぇ」
そう言って彼女――境界の大妖、八雲紫――は艶美に笑った。
いつも人を食ったような話し方をする彼女が、どうも僕は苦手だった。
「それよりこのお店、鍵が閉まっていませんでしたよ。いくらガラクタばかりだとは言え、少々不用心ではなくて?」
「何、急用ができたんだよ。店を閉める暇もなく、外出せざるを得なかった。ただそれだけのことだ」
「そうですか。こそこそと鼠らしく、地べたを這いずり回って食糧を集めていたのですね」
「……やけに突っ掛かってくるな。不機嫌なのか?」
彼女がナズーリンのことを知っていたことについては別段不思議に思わない。その程度のことなら、知っている方が寧ろ自然なのだ。
引っ掛かったのは彼女の態度。妙につんけんしているように聞こえるのは気のせいか。何を怒っているのかは知らないが、僕と関係ないのなら当たり散らさないでほしい。
そんな思いを込めた僕の言葉に、紫は首を横に振って言った。
「いえ、そういうわけではございませんわ。ただ、これを見てほしくって」
「これ?」
そうして取り出したるは一本の傘。紫色で趣味の悪い色だ。いったいなんだって、こんな傘を見てほしいというのだろうか。
僕の疑問をよそに、紫は傘をその場で差してくるりと一回転した。
「前の傘に穴が開いてしまったから新調したのよ。ほらどう? 似合う?」
「似合うも何も……その色じゃあちょっと、ね。僕の趣味には合わないかな」
「あらそう。紫色は古い昔から、尊き色として高位にありましたのに。今でこそ地味なイメージが付いていますが、元々は雅なことこの上ない素晴らしい色だったのよ」
「それくらい知ってるさ。だから僕の趣味には、とちゃんと付けただろう? 君が良いんならそれで良いと思うよ。何、似合っていないわけでもないし」
そもそも彼女自身が紫色をまとい、名すらも紫を冠しているのだ。その上で傘も紫色になったところで、イメージなんて変わりやしない。今までと同じように、胡散臭さを醸し出すだけだ。
しかし紫はぱたりと傘を閉じ、つまらなそうな表情で眉をしかめる。似合っていないわけではない、と言ったのは本心だったのだが。少し言い方が悪かったかな。
「……そう。私はこの傘、結構可愛いと思っていたのですけれど……貴方がそう言うのでは仕方がありませんね。また、新しいのを買いましょう」
「新しいの? 新調したのにまた買い換えるのか」
「だって趣味が悪いのでしょう? 本来の用途とは別に、傘とは人に見せるためのものでもありますのよ。その人が良いイメージを持たないのなら、新しいものでも使っている意味がない」
「つまりいらない、と?」
「えぇ。良かったら差し上げましょうか?」
いや遠慮しよう、と言い掛けたが、そこで僕の本能が待てと叫んだ。成程考え直してみれば僕は古道具屋。こんな傘でも、必要とする人がいるかもしれない。
うん、やっぱり頂こう。そう言おうとした直前に、紫がただし、と付け加えた。
「この傘、たまたま入手したものでして。他では売っていないオーダーメイド品らしいの。ですから、そう簡単には渡すわけにはいかないですわね」
「……何か代価が必要、ってことかな?」
「少し明け透けじゃないかしら。……そうそう。私、貴方がいない時にお店の物を見ていたのだけれど……幾つか、欲しいと思っていたものがありましたわね」
にこりと笑う紫。
そっちの方がよっぽど明け透けじゃないか。
しかし商品と引き換えなら安いものだ。彼女らしいとんでもないものを要求されるかと思っていたが、それなら快諾できそうだ。取引は成立だな。
……いや待て。どうして僕はそんなにこの傘を欲しがっているんだ? こんなもの買い手が付くかどうかも分からない、ただの変てこな傘じゃないか。なんでそれ程執着するんだ? 全く意味が分からない。
そんなことで商品を手放すのも惜しい。やはり断ろう、そう決意した時に突如店の扉が開いた。
「やぁ店主。やっぱり先に帰って来ていたか……ってあれ? お客さんかな?」
ナズーリンだ。
不思議そうにこちらを見ている顔は少し黒く汚れている。顔はてかてかと陽光に照り、首筋から汗が鎖骨へと伝い落ちる。どんなことをしていたのかは知らないが、余程ハードな仕事を続けていたようだ。
そしてつかつかとこちらに歩み寄り、紫の正面に立ち腰に手を当てふぅと息を吐いた。
「悪いが、これから大事な話があるんだ。できればお帰り願いたいな」
「あら。私も大事な商談の途中なんですのよ。それにお客様は私。譲るのは貴女の方じゃなくて?」
「……まぁ、言っていることは間違っていない。だが、この件は何よりスピードが大事なんだ。あまり時間を浪費しては……」
「あぁそうそう。どうせだから貴女にも見て貰いましょう。この店主さん、私の傘を趣味が悪いなんて言いますのよ。可愛いと思うんだけど。ねぇ?」
そう言って、紫は先程の傘をナズーリンに向けて広げて見せる。
すると、どうしてだろうか。彼女は驚愕の表情を浮かべたのだ。
「……な、にぃっ……? お、おい店主、彼女はどうしてこの傘を……?」
「さぁ。たまたま手に入れたらしいが、よくは知らないな」
「でも、流石に趣味が悪いなんて言われては使うのも気が引けますわ。どうせ拾ったものだし、店主さんに差し上げようかと思いまして」
「そ、それが取引、だと?」
「えぇ。その通りですわ、鼠さん」
にやにやと厭らしく笑う紫。対してナズーリンは、大きく目を見開いたままだ。
何をそんなに驚いている? そう尋ねる僕に、ナズーリンは呆れた顔でこう返した。
「何をって……君、あれが何か分からないのか?」
「あれって?」
「……はぁ。そこの彼女が今差している傘をよく見てみろ」
言われた通り、よく見てみる。
何もおかしくないじゃないか。確かに紫色なのは変だが、先端部は黒く、一つの大きな目が付いていて、加えて舌も出していて――ってまさか!?
「まさかはこっちの台詞だよ……本当に気付いていなかったのか? 鈍感だとかいう程度を超えているぞ」
「いや、しかし、まさか彼女が持っているなんて……いや待てよ」
傘の簡略字。これを分解すると八十になる。これより人間が八十歳になると「傘寿」と呼ぶが……そうか、こちらを先に思い出しているべきだった。八の字を冠するは八雲、まさに紫のことを指しているじゃないか!
それに少女の証言。引き返したがそこにもう傘はなかったと言っている。これに紫がさっき言った「拾った」という言葉を重ね合わせれば――何ら不都合はない。
つまり、紫が犯人だった、というわけか。
……しかし自分でも情けない。どうして気付かなかったのだろうか。興味がないとはいっても、目にも入らないとは……何というか、もう少し視野を広げた方が良いのかもしれない。色々な意味で。
「何を大騒ぎしているの? 問題でも?」
「いや何も。それより先程言った条件……もう少し緩めることはできないか? 君が言うと店まで根こそぎ持って行かれそうでね」
「まさか。そんなことしないわよ。……そうね、じゃあ」
紫は陳列棚の方に向き直り、頬に手を当てて考え込む。やがて決心が付いたのか、ひょいと二品程手に取りカウンターに置いた。
「これとこれ。交換なのは譲らないわよ」
「ふむ……成程」
正直、痛かった。
売るつもりのない二品だったのだ。両方とも手放したくないものである。それらをあんな傘と交換するなんて、どうしても考えられなかった。
あともう一声、と言おうとしてナズーリンの刺すような視線に気付く。これ以上値切れば、もしかしたら向こうが手を引いてしまうかもしれない。ここで渋るな、という合図にも等しかった。
……惜しいが、諦めるか。
「分かった。商談成立だよ」
「やたっ」
台の上に置かれたそれらを紫は小脇に抱え、代わりに趣味の悪い唐傘を受け取る。ありがとう、と一礼して、そのまま紫は境界を開いてどこぞへと去って行ってしまった。
全く、まるで台風のような妖怪少女だな。
「……やれやれ。これで依頼は完遂、かな」
「悪いね店主。しっかし、いるところにはいるものだな。ガラクタと交換してくれるなんて思わなかったよ」
「分かる奴には分かる、というわけさ。全く、商品をガラクタガラクタと……誰のお陰で傘を見つけられたんだろうね」
「いや、なんだその、悪かったよ。これからはゴミと言い換えよう」
「尚更悪い」
ははは、とナズーリンは笑う。
けなされている筈なのに、依頼を解決して気が緩んでいたからだろうか。僕もつられて笑ってしまった。
笑いながら、僕は考える。
紫はどうして、わざわざここに傘を見せに来たのか。そして、どうして僕と取引をしようと思ったのか。
やはり、彼女は僕らがあの傘を探していることを知っていたんじゃないだろうか。あの強気な態度に交渉の仕方。あんな傘なんて誰もが要らないと言うだろうに、あれ程彼女は自信たっぷりに話を持ち出して来た。
つまり完全に足元を見られていたわけだな。
……やれやれ。本当に、食えない妖怪だよ。
「あ、ありがとうございます! まさか一日で見つかるなんて、全然思ってませんでした!」
「それもこれも森近君のお陰だよ。彼がいなければ、この件は解決しなかっただろう。礼を言うなら彼に」
「はいっ! ありがとうございます、森近さん! 私感激です!」
「いや、そんな泣かれても……」
あれから僕たちはすぐに依頼人、多々良小傘の自宅に向かい唐傘を渡した。
ひょいと手渡されたそれを見て、最初はきょとんとし、次にはっと息を呑み、最後に突然泣きだした。何度も礼の言葉を言いながら、ただただ泣き続けた。
よく見れば唐傘も涙を流している。そう言えば妖怪だったか。どうもあまり動かないので、普通の傘だと勘違いしてしまう。
一頻り泣き終わった後、瞼を腫らして小傘は唐傘に向かって話し掛け始めた。
「もう……どうして勝手に出て行っちゃったの? 本当に心配したんだから……」
「おろろーん! おろろーん!」
「え!? ……ほ、本当なの、それ?」
「おろろーん!」
「……うわぁぁぁぁぁぁぁん! ありがどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
また泣きだして、物凄い勢いで唐傘を抱き締める小傘。唐傘はお、おろ、とか細い悲鳴を上げ、細い体はぎしぎしと軋んで今にも折れてしまいそうだ。
いったい何だというのだろうか。あまりの様子に僕らは気後れしながらも、慌ててそれ以上締め上げないように注意した。
「あー、ちょっと。それ以上やると唐傘が死ぬぞ」
「へ? ……あ」
パッと手を放す小傘。どさり、と唐傘はその場に倒れる。何本か骨が折れてるかもしれないな。
しかし、この様子だと余程のことを唐傘が言ったに違いない。いったい何を言ったのだろうか? 無性に気になった僕は、試しに聞いてみることにした。
「ところで、どうしてそんなに取り乱しているんだ? 何を言ったのか、僕らにも教えてくれないか」
「……あ、はい。その……恥ずかしいんですけど、実は私、人を驚かせるのが本業なんです。でも、最近は誰も驚いてくれなくて……だから、この子が人間を驚かす方法を、探してくれっ……ひっく……うぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
「あーまた泣きだした! 君のせいだぞ! 責任取れ!」
「あ、あぁ……なんだ、その、悪い」
なんだこの性質悪いの。なんで僕は謝ってるんだ。
だが……なんだ、そういうことだったのか。漸く合点が行った。
初めて会った時に見せた、あのどこか物憂げな表情。あの時ナズーリンが言った言葉、“人を驚かせるのが好き”――あれが原因だ。
自分が驚かされたことに対する自責か、どうして自分は人を驚かせられないのだろうという苦悩か。何にしろ、思うところがあったのだろう。そんな彼女の様子を、日々近くから見ていた唐傘が――家を飛び出す、という行動に至ったわけか。
そこで紫が出て来なければ、話は丸く収まった筈なんだが……まぁ、もう解決したことだし今更掘り返すまでもないだろう。
「ひぐっ……ぐず……あ、あの、森近ざんっ」
「ん? なんだい?」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔。僕がちり紙を差し出すと、彼女はそれを使って鼻をかみ、べとべとの手と顔を拭う。暫くして、落ち着いてから彼女は言った。
「わ、私に人の驚かせ方を教えて下さい!」
「……はぁ?」
「だって、そこのナズーリンさんが言ってましたもん。貴方は人を驚かせるのが得意なんでしょう? このままじゃ私、唐傘に顔向けできません。お願いします! 教えて下さい!」
「はぁ……」
……まいったな。
それはナズーリンがその場をごまかすために言った出任せだ。僕にそんな特技はない。微妙に間違って覚えられているし、さて、どうしようか。
ナズーリンに視線を送り、助けを求める。しかし彼女は顔を横に振るばかり。思い返してみればそれも僕の失言が元だったわけで、彼女がフォローする必要もないわけだ。全ては因果応報、自業自得ということか。
うーん……そうだな。
「……そうだ。自信を持つんだ」
「自信……を?」
「そう。何事も自信を持って行わねば結果は表れない。人に関わる仕事をしている人は、誰もが皆自分に自信を持っている。そうでなければ客も納得しないからね。自分に自信がないのに、いったい誰が納得するというんだ?
君だってそうじゃないかな? 失敗しないか、ちゃんと驚いてくれるだろうかといつもびくびくしっぱなしだろう」
「…………」
黙り込み俯いてしまった。どうやら図星だったらしい。
「だから、そんなんじゃ誰も驚かない。自分は人を驚かせられるんだ、そう心から信じ込まなきゃ誰も驚かすことなんてできないよ。僕はそう思ってる」
「自信を……持つ」
「そうだ。自分を信じろ。それが一番の近道の筈だ。きっとね」
「自分を信じる……自信を持つ……自分を……信じる」
何度も反復して唱える小傘。ぼそぼそと呟く声は、経でも唱えているかのようだ。
暫くそのまま呟いていたかと思うと、いきなりガバっと体を跳ねさせ立ち上がり元気に叫んだ。
「分かりました! 私、やってみます。森近さんのように、きっと、皆を驚かせてみせます!」
「……だってさ。ほら、何か返答したまえよ」
「……あぁ。是非とも頑張ってくれ。応援してるよ」
「はいっ!!」
多々良小傘。泣き虫だった少女は、頬に涙の跡を付けながらも笑顔で僕の言葉に答えた。
「いやしかし、今日は驚きの連続だったな。本当疲れたよ」
「あぁ出てきたのかナズーリン。服はそこに置いてあるよ。サイズは合うか分からないが」
「……んっ……大丈夫、みたいだ。これでいつでも寝られるな」
報酬を受け取り帰宅してすぐに、ナズーリンはもう駄目だ! 汗を流させてくれ! と浴室へと駆け込んだ。よっぽど気持ち悪かったのだろう。なし崩し的に、僕も風呂場を貸さざるを得なかった。
服も洗っておいてくれ、と言われたので素直に水桶に突っ込んだが、そうした後で彼女の着替えがないことに気付いた。幸い霊夢の巫女服の余分があったから、それで代用できたが。
風呂に入るつもりはなかったのかもしれないが、せめて自分で用意しておくとかの準備をしておいてほしいところだ。今回はたまたま用意できただけで、いつでもあるわけではない。その時はどうするつもりだったんだろうな。
「いやはや、しかし素晴らしい。君がいなかったらこの件は迷宮入りだったよ。君、探偵としての素質があるんじゃないか?」
「冗談。僕にそんな才はないよ。ここを経営していくだけで精一杯だ」
「ふふ。でもまぁ、そう思っていることは確かだよ。次回の依頼も君に任せても、何ら問題はないと思えるくらいね」
「おいおい、本気で言ってるのか? 頼まれてもやらないぞ。もうこれっきりだ」
「ふふふっ。冗談だよ、冗談」
タオルで髪の毛をくしゃくしゃと乱暴に拭きながらナズーリンは笑う。彼女が言うと冗談も冗談に聞こえないのが恐ろしい。
……でも、探偵という職業に魅力を感じたのも事実だ。僕の知らない世界がそこにある。きっと、ここ香霖堂の店主を務めているだけでは、決して知り得ないだろう世界が。
まぁ、こんな大変な思いを毎日しなければならないのだからごめんだが。表面の良い部分を味わうだけで充分だ。仕事にするまでもない。
「そうそう、話は変わるが君もなかなか優しいんだね? もっとぶっきらぼうに済ませるかと思っていたよ」
「ぶっきらぼうに? 何を?」
「小傘に対するアドバイス、さ。まさかあんなに真面目になるとはねぇ……自信を持て、か。良い言葉だよ」
「その場で思い付いた言葉を言っただけだが。特に何も考えていないさ」
「それでも、親身になって相談を受けただろう。私もこりゃ期待できないな、と思っていたが……全部引っ繰り返されたな。君のイメージがまるまる入れ替わってしまったよ」
「そりゃどうも」
僕にどんなイメージを抱いていたんだ。
褒められてるのか貶されてるのかすら分からない。どちらにしろ僕はそう思われるだけの行動を取っているので、大した反論もできないのが悔しいが。
生活態度を改めた方が良いのか。うーむ。
「……さて。じゃあ、今日はそんな優しい店主のご厚意に甘えるとするか」
「……泊まるつもりなのか?」
「だって私の家は遠いよ? 事務所は家じゃないし。折角お風呂にも入ったんだから、汗なんてかきたくないじゃないか」
「そりゃそうかもしれないが……」
なら何故風呂に入った。
無理を通されている気がする。もしかしなくても僕は押しに弱いのか? どうも上手く利用されている気がしてならない。
結局、ナズーリンが泊まるのは認めざるを得なくなりそうだった。
と、そこで顔を上げてふと気付く。
「ナズーリン。君、櫛を持ってるか?」
「櫛? 一応あるけど……はい」
「よし、そこに座れ」
彼女の頭はボサボサだ。髪を拭くにしてももう少しやり方というものがあるだろうに、乱暴にごしごし擦り過ぎだ。そのせいで毛先があちこちに飛んでいる。
お洒落にはあまり気を使わない方なのかもしれないな。
僕は霊夢や魔理沙を相手にしているから、幾らかお洒落のやり方というものを知っている。そんなわけで、髪の毛を整えてやろうと思い立ったのだ。
「ちょ、ちょっと何をするんだ! 放せ! はーなーせーよー!」
「いいから黙って座ってろ。……どうも毛に癖が付いてるな。トリートメントはしているか? 手入れは充分にした方が良い。妖怪だって髪の毛は傷む」
「…………むー」
突然大人しくなるナズーリン。もう少し抵抗するかとも思ったが案外早く聞き入れたな。まぁ、その方がやりやすいから良いんだが。
多弁のナズーリンが黙ったせいか、不意に店の中が静寂に包まれた。今日は特に騒がしかったから、余計そう思ってしまうのかもしれない。
静かに流れて行く時間。耳に届くのは、外で鳴いている虫の声と、彼女の呼吸音だけだった。
ナズーリンに小傘に、霖之助と新作組の相性は良いですなぁ。
誤字報告
「諒解、これからは気をつけよう。
↓
「了解、これからは気をつけよう。
さぁ今日も極寒の大地で杭を建てては抜き、建てては抜く作業に戻るか…
星蓮船ネタバレ解禁も待ち遠しくなるわい
あと諒解は誤字では無いのでは
能力的にも相性良いし
どうも私はボクっ娘に弱いようでつ。
これからも素晴らしいナズー霖をよろしくお願いしまつ。
とてもよくなじみます。
続きがあるのならば、これからの展開が実に楽しみです。
嗚呼・・・イイ…
最後のあとがきにやられました。
この二人は理知的でありながら思考のタイプが違うので、コンビとしての動きが面白いです。
巫女服ナズーリン……だと…!?
あと諒解は了解の常用外だから誤字ではない
てか霖之助かっけ~
こいつぁあめええぇぇ!!!
激しくGJです
ナズーリンが嫉妬しているところがツボでした
これからも頑張って下さい!!
最後の霖之助のセリフに笑ってしまったw
幽々白書の鴉のパロディですよねこれ
その時、電撃走る
香霖はほんと、天性のフラグメーカーですな…
そして髪を梳いてる香霖を偶然見て霊夢or魔理沙がパルパルするわけですね
ちょっとネタバレになるかもですが、公式にナズーリンと霖之助は接点が
あったようなので、色々と妄想が膨らみますねw
面白かったです。
公式に繋がりあるっぽいからこの二人の話が増えるといいな。
さらに続いてくださると嬉しいです。
(ネタバレ表記のため削除)を確認した。
そして、今日この続編を読んだ。
・・・作者さん、あんた天才だよ。
霖之助さんその布売ってくれ!
歓喜
よし!もっと書くんだ!!
しっかし・・・ナズーリン可愛すぎでしょう?
もう夫婦だこれ!ナズー霖ばんざい!ナズー霖ばんざい!
ナズ霖はいいものだ・・・
大事なことなので(ry